はてなキーワード: 踊ってみたとは
俺も増田に協力するために俺なりに思い出しながら書いた。
みんな突っ込んだり補足してくれ。
匿名掲示板。2000年代~2010年代初頭までは日本のネットの最大のプラットフォームだったが、
2014年の2chの分裂騒動などを経て現在は住民の高齢化と人口減少が続いている。そういった意味では日本社会の縮図の一つといえるかもしれない。
ニュー速は時事を絡めた書き込みを行う板であるが、他のニュース速報系の板と違い記者キャップ制度(特定のユーザのみがスレを立てる制度)が無く
一定の条件を満たすことでスレを立てることができるためにニュース系雑談板として長らく栄えた。
2006~7年に起こったVIPまとめブログ問題の影響でニュー速(嫌儲)が生まれ、2012年のステマ戦争の結果嫌儲板への移住者が続出した。
また旧2ch運営からは新機能の実験場として利用されており、それが下記のVIP板の誕生にも繋がっている。
VIPは2004年ニュー速から糞スレを隔離する「kuso機能」によって隔離されたスレを収容するゴミ箱のような板として誕生したが、
機能が悪用されたこともありすぐにkuso機能自体が停止しそれに伴い単なる雑談板となった。(掲示板カテゴリも「雑談系2」となっている)
2000年代後半の2chで最も大きな雑談板として様々なミームを生んだが、まとめブログ問題のようなその後のネットの問題の先駆けとなる騒動も起こった。
野球ch板の住民はなんでも実況Jという実況系の過疎掲示板を乗っ取ることで野球を絡めた雑談板として成立した。
また近年いろいろあってなんGに再移動を行った。
住民は猛虎弁と呼ばれる似非関西弁を使うのが基本だが、お嬢様スレなどではお嬢様言葉も使う。
特に2000年代前半は大規模MMO(特にラグナロクオンライン、FF11)の参加者が大規模MMO板に集まっており
様々なミームが生まれ拡散された。ブロントさんやぽこたんインしたお!はここが発祥。
誰かここ追記して
2000年代前半のFlash板ではFlash作成者が作品を発表することが多く、
他の板の出来事がFlash化されることでさらに拡散されるブースターの役割を担っていた。
衰退の原因はいくつかあるが、衰退を決定付けた出来事はオフラインイベントの分裂であるとされている。
ゲーム機のハードについて語る板だが、各ハードの信者が他のハードやその信者を罵倒する「ゲハ」の根拠地である。
元々はセガ信者が家庭用ゲーム板で暴れたためにゲハ板が誕生したという経緯があり(家庭用ゲーム板でセガが激しくバッシングされていたために誕生したとする説もある)、
さらに元を辿るとセガBBS(かつて存在したセガの公式掲示板)でのセガ信者とソニー信者の争いが原因であると言われている。
ゲハ板の成立から1年足らずでセガはハード事業から撤退し、その後は任天堂信者とソニー信者の争いがこの板のメインコンテンツとなった。
極めて治安の悪い板であるが、カルチャーブレーンスレ(概ね低品質のカルブレのゲームと社長の阿迦手観屋夢之助をひたすら誹謗中傷するスレ)のようなオアシスもある。
現在はマルチプラットフォームリリースが当たり前となり、またスマホの普及で携帯ゲーム機市場が事実上消滅しゲハという概念自体が急激に衰退している。
2ch各地で生まれたミームを収集・発展させる板で、専門板で生まれたミームもここから拡散されることが多かった。
画像掲示板。もともとは2001年8月の2ch閉鎖騒動(通称八月危機)の際に2chの避難所として生まれた。
法的リスクを逃れるためにログを残さないことが最大の特徴だが外部のログサイトも存在している。
古くから漫画やアニメのコラ画像の主な産地であり、そのことが知られないまま2chやTwitterで拡散されている。
ふたば最大の掲示板。名無しが「としあき」であるため住民はとしあきと呼ばれる。
スレ立て時だけでなく返信レスでも画像が張れるためコラ画像が生まれやすいのが特徴。
またスレッドによって文化やローカルルールが大きく異なるため、同じmayのスレでも雰囲気もスレによって違っている。
mayに次ぐ人口を抱えているがmayを街とすればimgは村であると言われ、ふたば掲示板のなかでも特に排他的な空気が強く、外部からの流入を嫌う。
比較的絵を描ける住民が多く、突発的なお絵かき祭りが発生する事がある。
動画配信サービス。動画にコメントを載せられることが最大の特徴。もともとはYoutubeの動画に寄生する形で誕生した。
2000年代後半から2010年代前半の日本のネットでの存在感は非常に大きかったが、投稿画像の高画質化や収益化などに分があるYoutubeに住民を奪われてしまった。
俺はよく知らないからだれか書いてくれない?
ニコニコ運営があまり表で扱いたくないアレなものを隔離するために生まれたタグ。人権侵害コンテンツが極めて多いが、ニコニコの特色のひとつであったのも事実ではある。
なお運営内部ではかなり丁重に扱われているジャンルでもあり、運営代表の栗田穣崇も淫夢厨である。
SNS。2010年代後半から現在の日本のネットのプラットフォームとなっているが今後どうなることやら
Twitterは2chにおける板やニコニコのタグのような機能が最近まで無かったので(最近コミュニティ機能というものができた)
基本的にはアカウント同士のつながり・クラスタによってミームが作られる。
胡乱界隈(イヌー界隈)が比較的有名。
2006年頃のこと。ニコニコ動画に「ハレ晴れユカイを広島の平和記念公園で踊ってみた」といった動画が投稿された。そこにはたしか、原爆ドームをバックにそこそこの数の人たちが音楽に合わせダンスを踊る様子が収められていたと記憶している。違ったらごめん。単に平和公園内で踊っていただけかも。
ともあれ、あの頃、涼宮ハルヒの憂鬱が大ブームを巻き起こしていた頃。全国でオタクたちが「ハレ晴れユカイを踊ってみた」動画を作成して、ニコニコ動画などに投稿していた。平和祈念公園での踊ってみた動画もそのひとつだった。
投稿された動画を見て、広島市生まれ広島市育ちの私は「楽しそうなことやったんだな」と思った。単なるオタクたちの思い出作りだと。いいよねそういうの、と。
ところが、動画に流れていたのは、楽しそうな雰囲気に全く似合わない大量の批判コメントだった。「平和を祈る神聖な場所で踊ってみたなんてありえない」「被爆者を侮辱している」…そんな感じのコメントが溢れていた。
率直にびっくりした。「どういうこと?」と首を傾げた。え、だって平和公園だよね? 平和公園でダンス踊ってる人たくさんいるし、音楽を奏でる人もわりといるし…、集まったのだってせいぜい数時間くらいで、ゴミをばらまいたわけでもないなら、特に誰にも迷惑かけてないよね?と思った。そりゃはたから見れば変な集団だったろうけれど。でもコーラスしてる集団とか時々見かけるし。原爆ドームの前で動画を撮ったのがよくなかったのかな? でもあれって単に広島らしさの象徴であって、そりゃ中指立ててたとか明らかに貶める目的なら炎上することもあるだろうけど、ダンスだよね? 考えても、なぜ炎上したのかよくわからなかった。
騒動を知った周囲の10〜20代のオタクたちも一様に首を傾げていた。特に広島育ちは「平和祈念公園で原爆ドームをバックに撮った動画で批判? 何で? 誰が批判してるの? というか、駄目なの?」など、私と同じ感想を持つ人が多かった。ただし、「うーん、でも、よその人から見れば不謹慎かも…」。県外から広島に来た人たちは、そう言っていた。
あの頃は少なくとも、広島に住む一若者からすれば、平和祈念公園が神聖で特別な場所になるのは8月6日だけだった。せいぜい、その数日前には式典準備が始まるから、邪魔はしないようにと思っていたくらいで、日頃は踊る人も歌う人も奏でる人もいた、ただの広い公園だった。まあ夜になると治安が悪いとはよく言われていたけれど。とはいえ、今よりずっと身近だったのは間違いない。
一体誰があの時、不謹慎だとコメントを書き込んでいたのだろうか。私は勝手に、多くは広島市外の人だろうと思っている。広島以外の人たちからすれば、平和公園は厳かに平和を祈る場所であって、ハレ晴れユカイを踊る場所ではなかったのだろう。(もちろん、広島市民にも不快な思いをした人がいなかったとは言わない。単純にオタクが気持ち悪かったとか。)
あの炎上以降、私の中に平和祈念公園は8月6日以外でも「特別な場所」であるという意識が芽生えた。今の50・60代以上の世代の人たちが幼い頃は、あの広い芝生の上でピクニックをしていたらしいが、最近は、踊る人も歌う人も奏でる人もめっきり見なくなった。暑いからというだけではない。
いまだに、8月6日以外の平和公園が特別な場所である必要はないと思っている。暴力と無縁であり、園内を汚さないのであれば、歌ったり踊ったり奏でたりする人がいる場所の方が、憩いに近い存在ではないかと。まあ今更遅いのだろうけれど。
止む気配、無し!
前回(https://anond.hatelabo.jp/20230702091221)からおよそ1ヶ月経った今でも荒らしっぷりは健在で、つい先日タイトル通り奴のコメント件数が1000件以上となりました
これはつまり1ヶ月で250件も書き込んでたって事になる上、奴のチャンネル登録日は2023/04/18なので3ヶ月半でめちゃくちゃコメントしまくってるという事にもなる、狂気
量もさることながら奴のコメントは『粗製乱造』という四字熟語がぴったり当てはまる程そのコメントの内容も酷く、私のお気に入り曲も奴の感性にかかれば『パーマネント刑事の曲ですのぉーん♡ この曲は地球永久不滅をイメージした 曲ですのぉーん。(原文ママ)』←こうなる
まぁ私の危惧した通り大好きな曲にも着々と土を付けられている
のにyoutube全く対応してくれねー!せめて報告結果とかメールで送ってくれても良いじゃん!!
というかいよいよ悪目立ちが過ぎたのか苦言を呈するユーザーや優しい諭す口調で注意するユーザーも出てくる始末
苦言ユーザーの対応は逆に奴の連投が増えたけど注意したユーザーさんは完璧な対応で奴もちゃんと反省した態度で『控えます…』と返信していた、なお翌日別動画で3件いつものノリで連投している、控えますって言ったの忘れてるなコイツ
そんな荒らしがtwitter改めX.comだと何故かそこそこ上手くやってる謎
まぁそうだよな!twitterだと感想にやれパーマネント刑事だとかやれ踊ってみたお願いしますだののノイズが入れにくいもんな!!
日本語が不自由な所とリプまでも連投する所さえ食らわなければ素直な感想リプだから比較的上手くやれてるってワケだ!!!頼むからtwitterに引きこもっていて下さい
というかもうぶっちゃけ被害ジャンルpop'n musicとmaimaiって明言するから見てくれた皆様、コメント報告、低評価お願いします✨って言いたいよマジで……もう嫌だよこいつのクソコメ増えるの…………
オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。
幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件、2ch(現5ch)の電車男にニコニコ動画のボカロや歌ってみた・踊ってみた。
思春期をオタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作は絶対であり正義であると考えています。
ただ、原作は原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています。
乱暴に言えば、カレーのレシピにジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。
それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。
その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。
二次創作が二次創作だと理解できない層は、ジャンルの人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。
このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。
件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。
大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。
コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。
ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的な映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。
コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。
じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。
公共の場でバカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。
バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。
正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。
蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。
自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。
新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。
そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。
それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。
だって、赤安も公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井に恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?
腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリングを公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。
ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。
アニメの作画崩壊は制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句や映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。
作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館は企業なので利益を出さなければならない。
プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲット層から外れたことを自覚してもらいたい。
それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか。
私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分に攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。
私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。
当時にもそういった過激な思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。
時代が変わり、オタクが社会のメイン層になり、情報発信が多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。
私は今でも原作のコナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまである。ジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。
こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。
ただそれだけの話。
オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。
幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件、2ch(現5ch)の電車男にニコニコ動画のボカロや歌ってみた・踊ってみた。
思春期をオタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作は絶対であり正義であると考えています。
ただ、原作は原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています。
乱暴に言えば、カレーのレシピにジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。
それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。
その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。
二次創作が二次創作だと理解できない層は、ジャンルの人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。
このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。
件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。
大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。
コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。
ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的な映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。
コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。
じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。
公共の場でバカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。
バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。
正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。
蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。
自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。
新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。
そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。
それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。
だって、赤安も非公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井に恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?
腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリングを公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。
ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。
アニメの作画崩壊は制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句や映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。
作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館は企業なので利益を出さなければならない。
プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲット層から外れたことを自覚してもらいたい。
それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか。
私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分に攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。
私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。
当時にもそういった過激な思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。
時代が変わり、オタクが社会のメイン層になり、情報発信が多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。
私は今でも原作のコナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまである。ジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。
こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。
ただそれだけの話。
あるジャンルの楽曲コメント欄で関係ない別ジャンルのキャラの曲だとうそぶいたりそこそこの人数で「踊ってみたを出して下さい」というバカみたいなリクエストのコメントを現在進行形で何件も投稿してるやべー奴を発見した
そいつの存在がここ数日の悩みの種なもんでふと『(そいつがよく話している作品名) (そいつ)』でググったらpixivのページがヒットした
それで作品ページを見たらまぁ案の定そいつの低品質なコメントが複数件あって参っちゃったね
コメント送ってる作品はyoutubeの時と比べればかなり少ないし一応作品へのコメントもしてる場合もあるから圧倒的にマシには感じるが平然とシチュ指定した上で「あのキャラ書いて!」ってリクエストコメントしてやがる
んでそいつのユーザーページも確認した所プロフィールの文もヤバい
そいつはフルネームなんだがさも皆さんご存知のノリで「(そいつの名前)こと○○ちゃんだよー」とか書いてるし「私の画像やイラストを沢山投稿して」ってお前作品一つも投稿してねぇじゃん!!
そういうファンアート的なモノとかはせめて何かしらの情報やら供給があってのモノだろ!!
「踊ってみた出したーい」ってコメントもそうだけどせめて作品を投稿しろ!でも踊ってみたに関しては一緒に踊ってくれるような友人とかいなさそうだもんね……それは無理あるか…………
こいつの年齢が18歳って書いてあったけど絶対以上か以下だ18歳ジャストな訳がない
しかしこいつのコメントに中学の頃って言ってたものもあったから少なくとも中卒以上ではあるのか?いやでもそのコメントの内容「そんなワケねぇだろ!!」って突っ込みたくなる程信憑性の低いものだったしなぁ……
バイトをしない学生。毎月3000円のお小遣いと、お年玉の数万円。金遣いが荒いほうなので使い方を考えないとすぐに無くなってしまう。
小学生が当たり前にスマホを持ちネットに触れるようになった今、私は小学3年生からスマホを所持していた。
1年か2年経った頃、TikTokが流行り出す。当時は情報・エンタメよりも「踊ってみた」が主流で、フィンガーダンスがその最たる例である。
齢11歳のガキのおすすめに流れてくるのは、各教科で担任をしてほしいYouTuberだの、陽キャに馬鹿にされた芋女が本気出してあっと言わせる創作だのいかにもな動画ばかりだった。
そして、次にガキのおすすめを牛耳ったものこそが、幼き私の価値観を変えたものである。
2020年初頭、自粛期間ということもありアニメ等のオタク文化に大きくフォーカスが当たった。私もそれに感化されて話題のアニメをチェックするようになる。
それとリンクするかのように推し活文化が今でも続く大ブームとなる。
1.5倍速の音源に、フリフリの服を着て、髪を巻いて、同じ絵柄の大量の缶バッジをつけた痛バッグを持ち歩く可愛い女の子たち。元々"かわいい"が大好きだった自分にとってはとても眩しく見えた。私もああなりたい。
仲の良い友達も同じ事を思ったのか、某歌い手界隈でグッズを集めだした。小学6年の話である。
私は、流行っていた某ラブコメアニメの女の子のグッズを買ってみることにした。
タペストリー3000円!?高いなあ…お母さんにお願いしよう。缶バッジとアクスタはお小遣いで買って……
この頃はまだ「好きなものを1つ買う」程度だった。
推し活ブームは終わることなく、むしろ日々勢いは増していく。当然目にする機会も増える一方で、某ラブコメアニメへの熱も冷め気味だった私はとあるゲームのリリースを知った。
名前は伏せるが、ネットにいる人なら1度は聞いた事のあるであろう大人気某リズムゲームだ。
キャラクターへの愛故なのか、はたまた痛バッグへの憧れか。
私は同じ絵柄のグッズを大量に集め始めた。中学1年生の話である。
リリースしてから最初に行われたイベントでランダムノベルティが配布された。600円のドリンク1杯につきステッカー1枚。当時グッズはこれしかなかったので、このステッカーを大量に集めることにした。
推しはまあまあ人気なので定価以上や抱き合わせは当たり前。それでも欲しくて欲しくてたまらなかった、つまり理性が失われていたので、1枚600円の紙を1200円〜1800円で集めた。集まった枚数は18枚。正確な数字は忘れたが多分25000円くらいした
。
当時中学1年生のガキが、1,2ヶ月で紙に25000円使うのはどう考えても正気じゃない。
関西住みの私はイベントのためだけに親にお願いして東京へ行ったのだが、その頃には配布が終了していたし、せっかくの東京で親を外に待たせた。端的に言ってクソ。
イベントはめちゃくちゃ楽しくて烏滸がましくも良い思い出になった。
それからも理性の終わった推し方は変わらず、数カ月して出た缶バッジも大量に買おうとしたのだが、ここで大きな問題が起こる。
一丁前に無限回収とか言って買取を募り、色んな募集ツイートに声を掛けて約束を取り付けた。当然抱き合わせもした。
そんな身勝手な悪行を親が見過ごす訳もなく、とうとう「もうお小遣いはあげられない。お金が無い。」と言われ、払うはずの金額を思い出し、怒りのような焦りでギャンギャン泣いた。ピーピー泣いた。必死な抗議も虚しく。
結局集めた缶バッジは全部売った。
予定よりも発送や入金が大幅に遅れ、たくさんの人に迷惑をかけ、0:100で私が悪い状況が本当に本当にしんどくて、今でもこの事を思い出しては自分を殴りたくなる。
この先手に入る予定の不確定なお金で約束事を取り付けるのは絶対にやめよう。
こんな事がありつつも収集は辞めず、あるお金の範囲で30個とか40個とか買って、憧れの痛バッグを組んで友達と遊んだ。フリフリの服も着た。
楽しいオタクライフを謳歌する一方、収集オタクの9割がぶつかる悩みに直面した。
そう、集めるまでがめちゃくちゃ面倒臭い。
探すだけじゃない。リプを返したり、DMを送ったり、抱き合わせだのお断りのリプだの弱いオタクはMPを消費し疲れてしまう。
飛ばされる取引、レート、そもそもブラインドであることへの怒りが湧く。
1週間通学中のバスでずっと交換を探していた事もあった。
色々削って貯めたお小遣いで買うのに、進んで面倒なことをするのか。
届いて開封した時の嬉しさはこの上ないものがある。楽しい。でもその一瞬以上の楽しさはこの先無い。
周りには90個も100個も集める人がいる。大切なお金で集めた40個が、自分の中で「大したこと無い」と思ってしまったらどうしよう。
遊びに行ったり、趣味を探したり、自分を着飾り自己肯定感を上げることだって出来るだろう。
私は進行中の取引を全て終わらせ、取引用アカウントを消した。熱が冷めた訳では無い。今でも大好きなキャラクターだ。浪費する時間やお金と自分の幸せが釣り合わないと結論づいたに過ぎない。
今でもグッズは買うし、痛バッグを持ってお出かけしたりアフタヌーンティーを楽しんだりもする。最近は浮いたお金で映画を見たり適当に散歩して買い食いしたり新作のスイーツを食べたり。
「これが1番正しい」かのような語り口になってしまったがそんな事は全くなく、某歌い手を推していたオタクは現在別界隈でグッズ収集をしていて、聞くと「ブラインドという文化が楽しくて好き」だそう。
交換とか面倒じゃないの?と聞いてもそれ含めて全部を楽しんでるらしく、何が正しいかを議論するならこれが1番正しいのだろう。もちろん全員が全員この考えに至れる訳では無いが。
こんな経緯があったからこそちゃんと働いて、人によっては学業とも両立して集まったグッズを並べる「生誕祭」を見た時の尊敬は以前よりも増した。もちろん、お小遣いを削って出来る範囲で頑張る学生も。
余談ですが、交換って競走みたいなもんで、今声かけなきゃ誰かに取られる…!みたいな焦燥でつい買ってしまいますよね。
2023年春アニメの最大の話題作で、スタートダッシュを決めた作品は『【推しの子】』で間違いないだろう。
ただ個人的には別視点的なところで〈【推しの子】「サインはB」をアイ役高橋李依が踊ってみた❣〉という動画に注目している。
実はこの〈【推しの子】「サインはB」をアイ役高橋李依が踊ってみた❣〉という動画だが、実は公式から二種類の動画がアップロードされているのだ。
先に公開された〈【推しの子】「サインはB」をアイ役高橋李依が踊ってみた❣〉をとりあえずノーマル版と呼ぼう。
このノーマル版が公開された翌日に、少し尺の短い縦型動画のショート版と呼べるもう一つの動画が公開されている。
先に公開されただけに、ノーマル版の方がいまのところ再生数が1.5倍以上の数だし、話題の作品の動画だけにネット上でも記事にもなっている。
しかし、スマートフォンの縦型特化のショート版の再生数が地味に伸びてきて、少しずつその差を縮めてきているのだ。
一通りネットの話題を一周し終えた後の、地道な再生数のこの伸びは、ノーマル版の再生数に追いつき、果ては追い越すのかまだ分からないが、比較的PC上などでの視聴が多いと思われるアニメ系のユーザーも縦型動画の需要が増えてきたと見るか、それとも縦型動画を特に苦にすることはなく、むしろ当たり前と思っている一般ユーザー層のアニメ視聴率が増えていると見るかの分析などは、専門家にお任せしたいところ。
ただ一般ユーザーにも人気が波及するような話題作なら、公式がアップロードする宣伝動画の中に積極的に縦型動画を織り交ぜていくことにメリットがあるのではないかと思われる。
そもそもショート版、縦型動画はTikTokやInstagramなどのSNSを中心に閲覧されていると思われる。
基本的に長尺ではないので通信量も少なく、1分以内もしくは1分程度の短い時間で観終えられて、SNSでシェアされて自分のフォロワーなどに閲覧され易い形式として、スマートフォンをメインで使う層などに大きく普及していると思う。
つまりより一般ユーザー層への作品の認知に寄与する可能性が高いのは、キャッチーで受けの良いショート版を用意することが、今後の鍵になるのではないだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20230319133934 の続き
そもそも前述のオーディションの告知すらDTM magazine以外で見たことがなく(実際はもう少し色んなところで告知していたのだろうけれど観測範囲ではDTM magazineだけだった)、ネット上で注目されるのはロイツマ・ガールからのニコニコ動画に投稿される初音ミクのIevan Polkkaを待つ必要がある。
実は初音ミクのIevan Polkka以前に初音ミク自体は注目されていたのだが、それは深夜アニメブームの文脈で藤田咲ファングッズという需要であり決して初音ミクの可愛さやら革新性がDTMの文脈で評価されたっものではなかった。
実際に当時のKAITOやMEIKOの立ち絵が更新されたのは初音ミクブーム以降であって初音ミク登場時点でもまだ扱いは非常に小さい。
この時期に触れて置かなければならないのはニコニコ動画の誕生だろう。実際のところ2000年代半ばの項で触れなければならないのだけれど、現在のニコニコ動画として成立するのは2000年代後半からなのでココにする。
御存知の通り当初のニコニコ動画は違法動画アップロードサイトであり、何なら当時話題であったYoutubeから動画を引っ張ってきて字幕を流すという方式であったため、Youtube側に違法動画が溢れ、負荷も高まりすぎたためBANされるという全くもって褒められない頭のおかしい犯罪サイトだった。ドワンゴもそれを自覚していて運営がドワンゴだって黙っていた。
VIPPERのニコニコ動画移住が促進されるのは前述したパートスレの問題と2ちゃんねるまとめサイト問題による嫌儲勢の興隆によってニュー速VIPのスレが執拗に荒らされるという事態が起き、YoutubeBANからMAD動画ブームが萌芽し始めて面白いコンテンツがニコニコ動画へ増えてきたからであった。
その初期では違法動画アップロードのノリで無編集の動画がアップされていたが次第に編集の手が加わるようになりMAD動画へと変化していった。代表格はアイドルマスターの「tUNAK M@ster (THE iDOLM@STER アイドルマスター インド版)」や「るろうに剣心英語版(フタエノキワミ、アッー!)」など。
ほぼ同時期にはMikuMikuDanceが登場、次第に増えていくボカロ曲(カバー曲)へMikuMikuDanceによるダンス動画を付けるなどの動きが発生。それらがボカロ曲へ絵師によるカバーの依頼、次第にモーショングラフィックス化が促進され今日のようなボカロMVが生まれるようになった。
その当時を振り返れば、Flash動画黄金時代のBUMP OF CHICKENの天体観測やKのような動画を作りたいという想いが強くあったことを今でも懐かしく思う。あなた達師匠がボクたち世代にそうさせたんだ。
livedoorねとらじ勢はニコニコ生放送登場とともに移住する。
livedoorねとらじ時代からカラオケ配信などの動きがあったもののニコニコ生放送登場直前くらいから版権曲へ対して勝手に字幕をつけて(当時は違法に)アップロードするニコカラという動きが発生し、この動画はニコニコ動画から(当時は違法に)ダウンロード、携帯動画変換君(FFmpeg)によってPSP向け動画へ変換し、実際のカラオケ店で歌うという学生文化が生まれた。
当時のカラオケにはアニソンはもとよりボカロ曲なんて配信されていなかったので、PSPのコンポジット端子AVケーブルでカラオケ店のディスプレイモニタとAVアンプへ出力して歌ったのだ(後にJOYSOUNDがこの学生文化に気づいてアニソンやボカロ曲を積極的に配信、DAMがそれに追従する)。これらの学生文化からニコニコ生放送でもカラオケ配信をするようになり、そこから歌ってみた文化が興隆する。
歌ってみたにニコニコ生放送の影響は計り知れないが負の側面もあり、livedoorねとらじでもあったような過激化が一部で促進され、配信しちゃいけない女の子の柔らかい2つの丘を見せちゃったりしてBANされるのも跡を絶たなかった。
結局、人気取りのために手っ取り早く女の子という要素を売りに全面へ出すと女の子要素を強く訴えることでしか評価を貰えないため次第に過激化していくのだ。livedoorねとらじ時代(約20年前)から何にも反省してないヤツは結構居たし、今のYoutube LiveやTikTokでも居るのでそういうのやめておきなと言いたい。10年前と20年前の失敗を繰り返すな。エロであれ悪ノリであれ何であれ犯罪を伴う過激化はダメだ。合法的に過激化しろ。
歌ってみたでキーアイテムであったPSP、実はMikuMikuDanceとも関係があり、MikuMikuDanceでのボカロ系ダンス動画をダウンロードし、同様に携帯動画変換君によってPSP向け動画へ変換し、ダンスをコピーして踊るということへ活用された。小型であり物理ボタンで再生停止逆再生スキップなどが可能であったためダンスの練習に丁度良かった。そうつまりこれの流れが踊ってみた文化の萌芽であり、PSPは踊ってみたでもキーアイテムであったのだ。
当時のPSP、実は学生に対して物凄く影響を持ったガジェットで、当時の学生文化に疎い世代には信じられないかも知れないがPSP本体を所有しているのにPSPゲームソフトを所有していない女子学生が居たくらい学生の間では物凄く評価が高かったのだ。その影響度合いは当時のiPod以上と言って過言じゃなく往年のAppleファンには信じて貰えないだろう。
このあたりに来ると当時学生であった自分からしてもオタクへの風当たりは非常に改善されていた。
未だに自分の姉などはオタクへ対して少々嫌悪感があるようだけれど、学生時代から部屋に引きこもって続けていたことが仕事になっている現状を見て「アンタあのままじゃ犯罪者か何かになると思ってたけど今はそれが仕事だもんねぇ世の中わからないわ」などと諦めた感じでたまに言っている。
そんなの当たり前の話なのだ。ボクは師匠たちに憧れて今のような大人になった。師匠たちがどんなに迫害されても面白いモノを作り続けてくれたからこそボクたちは師匠のようになりたいと思った。モノを作る人が何かを変化させ、何も生まれない世界は何も変わらないんだ。ボクは師匠たちの手によって変化させられモノ作りをするようになった。
確かにボクたちの世代でオタク迫害はほとんど無くなった無くした、でも迫害されてきた師匠たちがモノ作りを辞めなかったからこそ今のボクたちはあるんだ。
今でも覚えてるよ!粗いのに精緻なドット絵、面白いテキストサイト、発音制限の中で奏でられるFMサウンド、低処理性能で実現する疑似3D、ブラウザゲーム、あめぞうスレッディングシステム、夢小説、ツクール、吉里吉里、HSP、アナタ達が作ってくれたモノなんていくらでも挙げられる!
憧れさせてくれた師匠たちへありがとうございます!と深々と頭を下げたい。
そしてボクたち世代を見て憧れてモノ作りをしたいという新しい世代の子が現れているのなら作り手としてこれほど嬉しいことは無い。
P.S. あまりにも書きすぎて3/4削った。つまりこのエントリは1/4まで圧縮してるので何かのきっかけがあれば補足するかも知れない。
中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。
ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春の10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れずMDプレイヤー、そしていわゆるiPodに代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオの歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)
世の成人したアーリーアダプターたち(主にApple系コミュニティの人たち)がiPodへ熱狂するそのとき、日本で青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。
もしかしたら年代が10歳前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかったかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのときの学生世代の間ではPSPはiPodと肩を並べ、用途によってはiPodを凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。
何せ「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」くらいなのだ。
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージが現在のオタクのイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。
筆者と同世代のオタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIP」ブームを経て、YoutubeからのBANや動画の違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化を形成できた。
当時の動画の違法アップロードで一番の被害者であった角川書店とドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。
そういった独自の文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみた」である。
そして歌ってみた、踊ってみたの興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイ」なのだ。
先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由がMP3のほか、大画面でMP4動画を再生できたからで、しかもPSPの動画プレイヤー機能はコマ戻しコマ送りが物理ボタンで可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンルで練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソンや電波ソング、ボカロソング、ゲームソング、同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSPを接続しカラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手に字幕を付けてカラオケ用動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンやゲームソングでは無許可で版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画も存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。
稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONYが夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDやPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要をiPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。
多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然。
iPod登場当初その付属イヤホンの品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤー派から揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ。欧米ではそれが普通。付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳し擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホンの品質を引き上げるというお家芸の梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。
最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BA型ドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。
続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBA型ドライバーを何と2基も搭載したリッチなモデルで、BA型ドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点をカバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップを採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップを採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。
しかしこれら評価の高いイヤホンは学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンがレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。
しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYのイヤホン「MDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかしMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BA型イヤホンへの想いは募るばかりであった。
それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBA型イヤホンも買えるようになりBA型イヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオからは距離を置いていたが、何故かふと近年話題の中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術の進歩と大量生産により当時憧れだったBA型イヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格で販売されているではないか。
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。
最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品。価格は約1万円。
AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBA型ドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオの世界。
その音の傾向はBA型ドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声し無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代のイヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトなサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。
ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホールの残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。
本当に鳴りがハイレスポンス&タイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲーム「プロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認。
現代のポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。
ハイレスポンスなBA型ドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBA型ドライバー複数基を多連装することで欠点をカバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBA型ドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ。
それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックなイヤホンである。
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。
VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。
VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング。
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初に再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。
音楽制作でミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要なボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルはボーカル、ブラスはブラス、ストリングスはストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドをフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカの表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽が世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的なコントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。
欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA型構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。
同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品だから。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合はハウジング筐体デザインの違いや販売価格を吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。
筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・。
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在の株式会社Finalが販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスがサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップのサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。
Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成はBA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。
前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲「微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックやベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ「魔法先生ネギま!」からオープニング曲「ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。
ボカロ・アイマス・東方のいわゆる「ニコニコ御三家(ニコニコ3大ジャンル/ニコニコ3大コンテンツ)」を興隆させ楽しんだ主要世代が円高不況時の世代とその下の世代であり、ニコニコ御三家から派生した「歌ってみた」「踊ってみた」もまたその世代が引っ張ってきた
例えば、はてなでも話題となった米津とかAdoとかYOASOBIとかもまさにその世代の上澄みの一部であり、その世代がもたらしているコンテンツの裾野は若者へかなり普及していると言って良い
YoutubeとかSNSを例に出したけど別にネットだけの話じゃないんだよ若者文化そのものに円高不況世代が影響をもたらす順番が回ってきている
別に勝利宣言したいわけではないんだけど、おそらく今回の参院選は今後の〝表現〟に対しての評価が決定的になる分水嶺にはなると思う。
今回の参院選は18歳参政が始まった以降の子たちが本格的に参政できる選挙なわけで、彼ら彼女らは今後の若者文化へ強く影響を与える世代だ。
2006年4月、オタク界隈は1つの大きなミームを経験した。いわゆる「ハレ晴レユカイ」ブーム。
このハレ晴レユカイの影響度は物凄く、当時の表現を借りて言えば、当時の中高生はネットだけでなくリアルでもサブカルチャーを楽しむという青春を送った。
もしかしたら世代が少し上だと信じられないかも知れないけど、昼食時に放送委員が好きな音楽を流して良い制度がある中学校高校では昼食時にハレ晴レユカイだけでなく様々なアニソンが流れるという激変が起こったんだ。
信じられない?当時なにが起きていたか当時学生だった私が語ろうじゃないか。
私よりも世代が上の先輩の皆さんにも友達とカラオケに行くというシチュエーションがあったと思う。
もちろん私の世代でも友達とカラオケに行ったんだけど、カラオケに行く場合に持ち出していた定番アイテムがあったんだ。
それがSONY PlayStation Portable、通称PSP、つまりモバイルゲーム機だね。
2004年に登場したこのモバイルゲーム機は口コミで学生の間でどんどん普及していった。
当時はiPodなどが登場して注目を浴びていたんだけどiPodになくてPSPにある機能がゲームが好きな男の子だけじゃなくゲームに興味のない女の子にも刺さった。
もしかしたら今の時代ゲームに興味のない女の子と口にしたら怒られてしまうかも知れないけど、PSPの特殊性はゲームソフトを所有してないのにPSP本体だけは持っているという普通に考えればおかしな状況を生み出してしまったことにある。
ここでいうゲームに興味のない女の子でも持ってるPSPとは、つまりゲームに興味のある女の子だけでなくゲームに興味のない女の子ですらPSPを持っていたということ。
そして何故PSPが学生の定番アイテム化してしまったのか?と言えば、PSPはパソコンから動画を取り込んで再生できる機能があったからなんだ。
このPSPのパソコンから動画を取り込んで再生できるという機能は学生のカラオケ遊びを激変させる。
実はPSPには赤白黄ケーブル(RCAケーブル)が別売されていて、この赤白黄ケーブルをカラオケ店のディスプレイへ接続することによりDAMやJoyサウンドへ配信されていない楽曲を再生しカラオケ店で歌うという文化が興隆したんだよ。
先輩方の中に学生時代はカラオケへよく行ったという思い出がある人ならばPSPのこの機能の衝撃は十分に伝わると思う。
音源をどうするのか?という疑問にも答えよう。
PSPのカラオケ活用の前夜、ネット上では1つの文化が興隆していたんだ。それが「ねとらじ」と「ニコ生」なんだよね。
ねとらじとニコ生では配信者がリアルタイム放送を行うんだけれど、そこで配信者が歌うということがあったんだ。
その影響でニコニコ動画には通称「ニコカラ」という歌詞字幕付きオフボーカル音源がアップロードするユーザーが多く居て、なおかつ、わざわざニコカラにするのだから既存のカラオケサービスでは配信されていない楽曲が多かった。
そんなニコカラをダウンロードしPSPに保存してカラオケ店に持っていって歌う、これこそPSPに人気が出た理由であり、ゲームソフトを持ってないのにPSPは持っている状況を生む理由だった。
更に言えばニコカラを検索するとヒットするのは当時のカラオケサービスであまり積極的に配信されていないアニソンやゲーム音楽、そしてネタ曲、電波ソングが多く、多感な時期の学生はそのぶっ飛んだ曲調や歌詞へ影響を受けた。
もしかした多少サブカルチャーに詳しい先輩であるならば同時期に登場する「ボーカロイド」にもアタリを付けているかも知れないけれど、まさにその通りでカラオケサービスで配信されていないボカロ曲はPSP経由で歌われた。
まだまだあるんだ。
PSPは動画を取り込めて再生できるが、更に言えば動画再生機能も秀逸でボタンを押して動画のコマ送り・コマ戻し・A-B再生なども出来たんだよね。
この機能はダンスを練習する際は振り付け確認で非常に役立つ機能であり、ハレ晴レユカイが学生の中で広まっていく事になる。ここでハレ晴レユカイに繋がるんだ。
私たちはサブカルチャーを歌い、そして踊ってきた世代。
ネットでリアルで「歌ってみた」をして「踊ってみた」をして学生時代を過ごした世代。
青春の中にマンガがありアニメがありゲームがある世代。
そんな私たちは大人になった。
大人になった私たちには参政権がある。私の青春を守るための投票が出来る。
今の子たちは配信者っぽいYoutuberとかボカロっぽいVtuberに夢中みたいなので私は当時を思い出して今の子たちの青春も守りたい。