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はてなキーワード: 三味線とは

2018-08-26

anond:20180826004642

でたよ、三味線弾き。

年収1000万が厳しいと思うなら、辞めて年収300万の仕事すればいいじゃん。

気楽なはずだろ。

2018-08-05

anond:20180805172513

😹酷いニャ酷いニャ🍖🍖

👧あらーねこさん三味線なっちゃったね🍖🍖🍖

え?私も??なにそれー!!!

🐶う、ウミガメのスープ???

🐰ウサギものんびりしてるとあぶないのよね💦鍋にされちゃう

🐷僕は美味しいよ!

🐟僕だって

🐸何おいしい自慢してるんだよ!!増田さん食べてばっかりだろ!

2018-07-07

anond:20180707150628

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

これは正しい。

まずそもそも日本」という単位自体ナショナリズムのものといっていい。

ゲルナーは『民族ナショナリズム』において"政治的単位民族単位を一致させようとする政治的原理"をナショナリズムと捉えた。

日本の伝統と言ってしまうと必然的にそうなる。

肯定する場合でも否定する場合でも主語日本にしてしまうとそうなる。

国家及び民族主語にして語る時点でナショナリズム的と言っていい。

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。


この段落は非常に雑だし、前提がおかしい。

当該社会集団が何を選択的に残し、何を排除たか。何をナウいと考え、何をダサい判断たか

その価値判断は誰によるものか。どういう思想によるものか。

そういった当該社会集団による意図的選択連続としての受容史を単なる伝播、自然淘汰と読み違えている。

インド仏教日本仏教は全く違いますよね。

また、楽器で例えるなら韓国伽耶琴と日本の琴は全く違いますよね。

ダルシマーヤンチンは全く違いますよね。

文化は伝播してもそのまま伝わるわけではなく、ある種の選択判断が生じている。

雅楽だって日本韓国昔ながらのスタイルのままだと主張しているが、実際には微妙な違いがある。

その価値判断伝統の名の下にくだすのがナショナリズム的言説でしょ。

たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。

いやそもそも音楽学者で《春の海》をそういった視点分析する奴は今日びいないです。

伝統かどうかというのはもはや何の問題提起にすらならないんですよ。

なぜならその枠組み自体幻想だという前提で読むからね、まともな音楽学者は。

伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。


とっくに議論されています伝統の創出についてはホブズボウムがまず前提。

ヘルダー、ダールハウスタラスキン、ヴィオラリーマン、リッサ、アドラーも読んでどうぞ。

特に19世紀ヨーロッパナショナリズム芸術関係が盛んに論じられていたので、

この分野の先行研究として学びがある。ロシアスペインフィンランドハンガリーなどなど。

繰り返すけど伝統って自然に生じるものではなくて、外と相対化されて初めて気づくものだし

伝統自体共同体による幻想なんだよね。

割と最近テレビラジオ地方地方性を駆逐したのではという話もあって面白い

北海道沖縄も、東京の発信する音楽文化に染まってしまったという話で、

それが国家音楽民族音楽だと大衆勝手に読み替えられているという話ね。

音楽って人間社会性そのものだよねってのはブラッキングの『人間音楽性』の指摘だが、

そういう純粋なる民族性の罠にはまってないですか。増田

あれ、演歌の話どこいった。

なぜ「演歌は創られた伝統」もナショナリズムなのか anond:20180706173405

文章書くの苦手なので断片的な感じなってしまます

演歌は創られた伝統」というのは要するに、「演歌はニセモノの日本の伝統だ」ということですよね。

「ニセモノ」というのは、「ホンモノ」があるから成り立つわけです。ホンモノが明確ではないのであれば、ニセモノも明確ではないということになる。

だとすると、

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という主張をするためには、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という主張が必要不可欠なはずです。

演歌はニセモノの日本の伝統だ」という本を書く前に、

「これがホンモノの日本の伝統だ」という本を書かなきゃいけないはずなんですよ。

でもそんな本書いてる人いないですよね。



演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」

ということを自明であるかのように語る人がいっぱいいるけど、全然自明じゃないです。

もし仮に、日本は古来から文化的排他的海外のものを寄せ付けなかった、とかい歴史的事実存在するのであれば、

演歌はもともと西洋音楽から日本の伝統ではない」というのは正しいと思います

でも実際には、そんな歴史的事実存在しないんですよ。

箏も三味線も、もともとは海外ナウい楽器だったし、雅楽ももともとは海外ナウい音楽ジャンルだったわけす。

仏教インド発祥だということはだれでも知ってることのはずです。

ようするに、もともと海外のもの伝統になる、ということは日本では古来から普通のことだったわけです。

というか世界的に見てもそれが普通なんですよ。



いや、もちろん、

江戸時代以前から正統的に続く伝統こそが日本の伝統である。ゆえに演歌日本の伝統ではない」

という立場をとることは可能だし、そういう立場があってもいいと個人的には思います

でも、

江戸時代以前から正統的に続く伝統こそが日本の伝統である

という立場普遍性はないわけです。

そういう考えが客観的に正しいとすることができる根拠は、皆無です。

何の根拠もないのに、多くの人が、そういう考えを無自覚採用してしまっているという状況は「ナショナリズム」としか言いようがないと思うんですけど、どうでしょうか。

もし仮に、「演歌は千年前から続く伝統である」みたいなことを言ってる人がいたら、それは歴史修正主義です。

でも、そんなことを言ってるひとはいないわけです。




というかそもそも、何が日本の伝統なのかなんて、どうでもいいことなんですよ。



たとえばですよ、

正月によくかかる「春の海」という曲はたいてい「伝統音楽」の棚においてあります。この曲は洋楽邦楽ハイブリッドです。形式的には完全に西洋音楽です。

から

「春の海は形式的には洋楽から日本の伝統じゃないよ」

という意見もあります。でも同時に、

作曲者バリバリ邦楽演奏家なんだから日本の伝統じゃん」

という意見もあるわけです。

で、このふたつのどちらが客観的に正しいかということを実証することは不可能です。人それぞれ価値観が違う、としか言いようがない。


音楽伝統というのは、原理的にそういうものなんですよ。

そういうものというのは、何が正しいということではなくて、

学者のひとが本一冊書いただけで何が正しいのかが決まってしまうようなものではないということです。

何が正しいのかを一概にいうことはできない、というのが「音楽伝統」の概念です。

それが違うというのであれば、なにが正しい「音楽伝統概念なのかをきっちり説明しなきゃいけないはずです。


伝統」とはなんなのか、「日本」とはなんなのか、「音楽」とはなんなのか、

とういうような哲学的な問いにきっちり答えないといけないはずなんですよ、もし演歌はニセモノだと言いたいのであれば。

「創られた伝統」という概念と「創られたわけではない伝統」という概念は、どこがどういうふうに違うのか、

ということを哲学問題として、きっちり論理的説明しなきゃいけないはずなんですよ。でも、そんな作業してる音楽学者なんていないですよね。いたら教えてください。

輪島さんは本の中で、多様性が云々とか言ってるわけですよね。

音楽が多様なものであるならば、日本音楽伝統も多様、ということですよね。

日本音楽伝統も多様であるならば、演歌日本の伝統でいい、ということになるような気がするんですけど、どうなんでしょう。

演歌日本の伝統になってはいけない理由はなんなのでしょう?

「おまえはもともとヨーロッパ人から日本人ではない」

という理屈ガチ正当化しようとする人はあんまりいないと思うんですけど。

それとこれとは話が別だ、というのであれば、どうして話が別だといえるのか、説明必要だと思います

とりあえず、ここまで。

2018-06-25

THE家元

特に脈略もなく、THE家元(というバンド)のことを思い出したんだけど

三味線弾いてた杵屋裕光が今月亡くなっていたということを知った

2018-04-14

普通の日本人なんて一人もいないと思う

普通の日本人なら当然、三味線とか弾けるんでしょ?

俺は普通の日本人じゃないからできないけど。

2018-03-21

医者は辛いとか三味線弾きながら子ども医者にしようとする

三味線弾いてるのが子どもに見透かされているか

子どもは手を抜いて私立歯学部に行き、

ヤブ歯医者になる。

このテンプレに当てはまる歯医者10人以上知っている。

内3人は訓告を受けるほどのヤブだ。

2018-02-04

もっと気軽に芸者を呼びたい

戦前旧制高校で、コンパ芸者が来ている写真を見た

これ、良くないか

パーティをやったときに、もっとカジュアル芸者が呼べるようになったら、盛り上がって楽しいと思う

みんなで歌って、踊って楽しむときリーダーというか、盛り上げ役になってほしい

料金(花代)もこれくらい↓だったら、全然ありだと思う

http://00wakita.com/geisha/price

三味線日本舞踊だけじゃなくて、もっと現代的なダンスとか出し物をやる芸者がいてもいいと思う

ちょっとした規模の街には芸者がいて、電話とかアプリで呼んだら気軽に出張してくれるようになってほしい

エロ要素は抜きで

こういうこと言うと、近頃は女性蔑視だとか言われるかもしれないけど、男の芸者太鼓持ち)もありだと思う

要は、手軽な料金で、盛り上げ役がオッシャと気軽に来てくれる文化になってほしい

芸者の側は、伝統のしきたりだのにとらわれずに、もっとバイト感覚でできる新しい芸者という職種があってもいいんじゃないだろうか

2018-02-03

パワーカップルはなんで保育園が余ってる郊外に引っ越さないの?

高所得者が高所得をやめようとしないのに税金高いって嘆く三味線と同じでしょ。

ようは特権拡大を狙ってるわけ。

左翼でも聞く耳を持ったらダメなやつら。

2018-01-20

anond:20180120172608

三味線はいいから、給料いくら上げたらどれくらい潰れるか試算出してくれないかなあ。

anond:20180120165256

労働者生活人質に存続するやつは社会貢献でもなんでもないので潰れてくださいね

ネオリベ三味線は聞き飽きたのでそろそろまとも反論が聞きたい。

2018-01-18

anond:20180118005025

人手不足年収300万の仕事につけばいいんですよ。

三味線がうるさいんだよ、過労死全体の半数を占めてるのは中小の運輸。

銀行でも医者でもない。

2018-01-11

キャリアなんとかが激務ならなんで年収300万の仕事転職しないの?

実際に過労死が多発してるのは、中小運輸業の人たちってことちゃんとわかってるの?

三味線弾いて特権主張してるだけだろ。

2017-12-19

医者三味線弾きを許すな

わざと外食ブラック企業を引き合いにして過労死ラインだと騒いでいる医者がいるようだが、実際に死んでいるのは運輸である

医者過労死が多いわけではない。

医者特権強化よりまず、運輸を救え。

2017-11-30

楽しみにしていた公演が中止になった

タイトルのとおりです。

楽しみにしていた演劇の公演が中止になったことに起因する感情を整理するために書いています。まさにチラ裏。でも切実なんだ。

数ヶ月前からずっと楽しみにしていた公演の中止を、さて劇場に向かうか!と意気込んで現地に向かう電車に乗り込もうとした駅で知った。

宿泊ホテルの最寄り駅だった。

この時点で公演開始の二時間少し前。ギリギリ判断だったろうと思う。

当方地方在住、東京へは朝イチの飛行機で来た。

休みは一日だけなので、夜公演を観劇したら次の日の朝イチの飛行機で帰って仕事、という弾丸ツアー

出演している俳優ファンで、まさか彼が有名劇団の有名タイトルに出演できるなんて夢でしか考えてなかったから、出演情報を知ったときは物凄く歓喜した。

しか日本では唯一の360度回転舞台への出演。確実に推し俳優の非常に重要経験になるだろうし、その経験を力にできる実力のある人だと信じているので、ただただ嬉しかった。

気合いを入れてチケットを取り、数ヶ月を指折り数えて当日を待ち、あとは現地に向かうだけ、となったときに知った公演中止情報

しばらく、動けなかった。

比喩ではなく、人間って信じたくない事実を前にすると、文字通り動けなくなるということを実体験してしまった。

壁に寄りかかってただぼんやり公式発表を眺めていたからね!

少し立ち直って色々調べてみると、似たような事態ときチケット代金の払い戻しがあるらしいことがわかった。

そりゃそうだ。

そりゃそうだ、良かった。

けど、でも、遠征費は…?

飛行機代と、宿泊費。

それも二人ぶん。



少し自分と母の話をする。

去年、新しい商売を始めた。脱サラみたいなものだ。母が手伝ってくれている。というか主力である

一年経ってやっと少し余裕が出るくらいの売り上げが上がった。

私が観たかった推し俳優は、母の最推し俳優でもあって、二人して出演を喜んだ。

今回の東京遠征は、一年頑張った自分と母へのご褒美の意味が強かった。

……。

誰が悪いわけでもないことは分かっている。

しろ日本に唯一の劇場だ。機材のメンテナンスにしたって、初めてのことだらけだろう。

演者スタッフに怪我がなくて良かったと喜ぶべきところだ。(スタッフの怪我については正確な情報があるわけではないので詳細は分からない。ただ、誰かの怪我や事故での中止でなくて良かったという意味合いである)

悪かったのは運だ。

わかっている。

どうしようもないことだ、こういうこともある。



でも、でもなあ。。

たかった。

推し俳優の、座組みの、今しか観れない板の上の生き様を観たかったんだ。

遠征費が補填されないとか云々はあるけど、お金はまた頑張って働けばいい。

でも、彼らの創る舞台は、今このときしか観れなかったのだ。

それが、涙が出るくらい悔しい。

(なにしろ、またすぐに遠征できるほどの金はない。チケットもない)

(ちなみに2月には再度観劇予定でチケット確保済みだ。しかし初演すぐと、千秋楽間際では観れるものが違うだろう。両方を体験たかった。。)







ということをホテルで酒を呑みながらチマチマ書いてみている。吐き出すって大事だね。思ったよりスッキリしました。ありがとうございます

書いて良かった。

ちなみに公演中止を知ってから時間を持て余したので、田舎じゃ施設すらない4DXITを観て(子供たちのSAN値心配だった)、田舎じゃ上映すらしてない話題のKUBOを観たので案外充実した時間を過ごしました。

三味線かっけええええ!!




私が気にし過ぎていると、母に気を遣わせてしまうので、愚痴ぐちするのはこれで終わりにします。ありがとうございました。

ちくしょー!!

また来るぜ、ステージアラウンド東京!!!!!

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