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2024-11-02

夫が1年半会社に行っていなかった

1105 追記

コメントがたくさん増えていてとてもびっくりした。

頂戴したご意見全部目を通してます

全部「せやな」と思う。ありがとう

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登場人物

  

自分

30代会社員 フルタイム正社員

  

30代会社員 フルタイム正社員だったはず

  

1歳 天使

  

  

夫と結婚して数年経ち、第一子を妊娠した。

つわりがひどかったが、何とかフル在宅にしてもらい、リモート会議中も吐きながら耐えて、産休までフルタイム仕事をした。

夫もフルタイム正社員会社は別)だったが、早く帰ってきてくれて、身重の私のことを支えてくれていた。

  

出産予定日の1日前、「子が生まれてきてくれるのは大変嬉しいけど、夫と2人の生活今日で終わるのはとても寂しい」と私は泣いた。

夫は慰めてくれた。

  

おかげさまで、無事に元気な子供出産した。

夫は1ヶ月の育休を取ってくれた。

はずだった。

  

両親・義両親ともに遠方、かつ里帰り出産もしなかったため、2人での育児スタートした。

幸いにも育てやすい子だったので、何とか2人でも回っていった。

1ヶ月間の夫の育休が終わり、夫が会社に復帰した。

はずだった。

  

私の日中ワンオペ育児スタートした。

夜泣きも、明日の夫を思い、夫を起こさずに一人で対応した。

起きて一緒に対応してくれた時は大層感謝した。

私の体調が悪いなぁと思う日も頑張って夫を送り出し、一人で子を見た。

  

私は早く会社に戻りたかった。仕事が好きだった。

自分希望で異動したてにもかかわらずすぐに妊娠してしまったので、罪悪感もあり早く復職たかった。

月1回で上司オンライン面談させてもらい、会社の様子をキャッチアップしていた。

職場迷惑もかけたくない。仕事もうまくやりたい。保育園に入れる分、一緒にいる時間子供にもきちんと向き合いたい。

脳を鈍らせたくなくて、子が寝ている間にFP勉強をした。

とにかく何かと必死だった。

  

  

半年が過ぎた頃、子と家で遊んでいると、インターフォンが鳴った。

書留郵便だった。心当たりがなかった。夫の会社から封書だった。

  

よくない胸騒ぎがした。

育休中の私はともかく、何故夫の会社から書留が届く?会社デスクに届ければ良いのに?

結婚してからこのようなことがなかったので、悪いと思いながらも封書を開けてしまった。

  

封書の内容を要約すると

あなたは1年半休んでるので、会社からの休業中の給与支給はもう終わります。健保からの休業補償に切り替えるので、手続きをしてください。

健保から休業手当が出るのは最長1年半なので、それをすぎても復職の目処が立たなければ、解雇です」という内容だった。

  

何かの間違いだと思った。

別の人に送るはずの封書がうちに来ているのでは?

一刻も早く「間違えてますよ」と言いたい気持ちと、本当だったらどうしよう、という気持ちが入り混じり、

夫の会社電話をかけてしまった。

  

担当者を呼び出し、妻であることを説明し、封書の内容について問うと

「奥様、かけてくれてよかったです。夫さんの社用スマホにかけても、私用の携帯にかけても、ずっと繋がらなかったので。

そろそろお宅に訪問するところだったんですよ」

  

目の前が真っ白になった。

夫は会社に行っていないということですかね、と問うと、そうです、と言われた。

  

夫に連絡を取り、「まっすぐ帰ってきてください」と言うと、すぐに帰ってきた。

封書を開けて見てしまたこと、会社電話して事実を知ってしまたことを伝えると

「ごめん」と言われた。

  

夫は1年半会社に行っていなかった。

  

夫の言い分はこうだった。

・この休職の前に、3ヶ月ほど休職をしていた(私も知っている)。その休職から明けて会社に行こうとしたが、行けなかった。

会社に行けなくなってからすぐに私の妊娠が発覚し、つわりもひどそうだったので言い出せなかった。

・この1年半は電車に乗ったり、カフェに行ったり、家(マンション)の外階段に座ったりしていた。

・1ヶ月の育休も嘘。家にいただけ。

収入が激減したが、貯金を切り崩していた。

・もう貯金ほとんどない。(私の産休中も生活費は折半していた。出産費用などは私が自分で出した)

・死にたかったが死ねなかった。

申し訳ないと思っている。

  

  

そこからはよく覚えていないけれど、とにかく一緒にいたくなくて夫を実家に帰した。

  

かに、この1年半、私も「なんかおかしいな」と思ったことがあった。

その時、「会社に行っていないからそれでもいいから、全部言って家にいなよ」と言ったことがあった。

夫は「会社ちゃんと行っているよ」と言った。

このことを思い出して絶望した。

  

夫は社会不安障害と診断されていた。

  

  

かわいそうだと思う。辛そうだと思う。

でも、どうしても裏切られたと感じてしまう。

嘘をつき続ける体力や気力があるなら、助けを求められたのではないか

  

  

仕事に行けなくなったなら言えばよかったのに。

別にそれでもよかったのに。

子供が生まれる前に、貯金がなくなる前に、一緒に方法を考えたのに。

私がその1年半もらえれば、仕事できたのに。

私が働いて稼いでこられたのに。

思っても仕方のないことが次々浮かんでは消えていく。

  

なあなあで同居を再開した。

子を保育園に入れて、私も春にフルタイム復職した。

  

夫はリワーク復職訓練)を受けて、復職を目指しているが

通院の予定も自分で立てられない。

休業補償申請自分でできない。

復職予定(と夫が思っていた)前日に、会社から一切の連絡もなく不安になった私が

「さすがにここまで連絡がないのはおかしいので、会社に一度電話してみなよ」と促し、夫が会社電話したところ

さらなる段取りがあるので明日から復職する調整はしていない、と言われていた。

復職日すら調整できていない。

  

  

こんなにも人生責任感がない人と、残りの人生を一緒に過ごしていいのかわからない。

出産予定日の前日に「二人の生活が終わるのが寂しい」と涙を流した自分を、白けた気持ちで思い返してしまう。

カップルカウンセリングに行ったが、「あなたが怒りすぎ。借金犯罪浮気じゃないんだから過去は水に流してこれからどうすればいいか考えなさい」と言われた。

そうなのか。私が考えを改めなければならないのか。

辛いのは夫なのか。

私が支えなければならないのだね。

じゃあ私は?

  

  

あれからもうずっと夫とうまく接することができない。

  

  

夫はトイレに籠る癖がある。

きょうは、風邪を引いて病院に行き寝込んでいる私に、泣いている子の世話を放り出してトイレ麻雀ゲームをやっていた。

「今の状況を見て、やめようと思って欲しい」と伝えても2時間後に同じことをやっていた。

ブチ切れてトイレの扉を叩いたら、出てきて「もう無理」と言っていた。

  

  

もうずっと怒ってばかりでしんどい

なんで好きだったのかも、なんでこの人と結婚したのかも思い出せない。

  

  

フルタイムで働いて、育児もして、家事もして、お金管理や、家庭のあらゆる決定も私がしている。

これは完全に私が悪いのだが、夫と義母のやり取りを見てしまったところ

義母から「嫁も精神病院行けば?私はあんたの味方だけど。あ、今月の生活費振込んでおいたよ」という旨のメッセージがあった。

  

  

最近はふとカジュアルに死がよぎる。

子の笑顔を見て思いとどまる。

2024-08-29

こどもが一歳になった。もとい妻に恨まれない産後の過ごし方について

産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。

さて、自分は約1年ほど前に妻が初産した夫の立場だ。

妊娠発覚

フリーター自分正社員計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。

妊娠期間

互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。

互いに実家から遠く離れたエリア暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスからずよかったとも思う。実際自分の両親世代情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院自治体に頼るんだ。

しかしまあ、人によって出産体験十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。

妊娠中は母体メンタル不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。

自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。

早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。

自治体サービス

すごい手厚い。母子手帳妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。

出産

妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院ローラーして予約すべし。首都圏競争激しいし、地方地方そもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。

余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なもの子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。

で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまたからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨て割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師失笑さらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。

なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。

産後

妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児自分が行い、今もそれは変わらない。

育休

自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。

新生児

新生児ほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン自分場合特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車運転美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチたかったけど産後は禿げるから美容師拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。

いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したか出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。

通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。

完全母乳場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後母体負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。

その後

赤子はすくすく成長するが、基本的ルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ風呂に入れてみる→ダメ放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。

ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのもの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。

これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味SSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。

離乳食

最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか大切なことを言うぞ。

離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん

お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。

これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったとき自治体を頼れ。

保育園

これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体webサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後戦争から余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職場合ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。

ちなみに公立保育園情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。

保育園復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園場合食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから復職たかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ

我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。

大丈夫保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。

1歳

だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。

これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。

長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!

2024-08-17

anond:20240817000136

出産予定日とは前後1か月くらいに産まれますよという目安だよ。その日に産まれことなんてほとんどないよ。早まったり遅れたりするのが普通

なので、どうするのだろうかじゃなくてそのつもりで準備するんだよ。

出産予定日より実際の出産日が遅れた。予定日から休めたが、予定日より早く産まれていたら仕事はどうするのだろうか

2024-07-05

出産予定日まであと40日ちょいまできた

不安がないと言えば嘘になるけど、なんとなく無事に元気に生まれてくるだろうし、3~4年後には双子なり三つ子なり生んで、兄弟増やして家族みんなで楽しく暮らしてるってイメージしかわいてないわ

これがマタニティハイってやつなのかね

2024-06-03

計画無痛分娩しようか迷ってる〜〜有識者!来て!!

>>「計画無痛分娩」とは、あらかじめ分娩する日(予定日)を決めて出産する方法をさします。予定日に陣痛促進剤を使って陣痛を起こし、人工的にお産を始める無痛分娩です。

33歳、一人目です!

私が分娩予定のクリニックでは、無痛分娩計画無痛分娩しかやってない。

クリニックの院長先生麻酔科医専門なので、ちゃん計画してやりたいんだな〜ってプロ意識を感じるし、先生スタッフさんたちのQOL的にも良さそうなのでそこは全然好印象。

でも自分がやるとなると迷う!

まず無痛分娩自体メリットデメリットがこんな感じ??

・痛くない、出産後の回復も早いらしい

・痛くないから逆にいきみすぎちゃって傷が大きくなることもある

・分娩中に急遽手術が必要になった場合、すぐに手術に入れる

麻酔すること自体リスク

・余計に金がかかる(これは別に問題無い)

そんで、計画無痛のメリットデメリット

出産の予定日が決まっているので、旦那の立ち合いなど予定が立てやす

・前日から入院

陣痛が来てない状態で促進剤を使うので、通常の分娩より時間がかかる&痛みが長いか

・(うちのクリニックの場合は)38週で出産!!!(←これが気になる)

いわゆる“出産予定日”は40週で、37〜42週がまあ通常の目安って聞く。初産の場合は40週より遅れがちって母と義母が言ってた!なのに38週で出ちゃうの?

勿論、先生がそうするって決めてるんだからそれで医療的?健康的?には問題無いんだろうけど、二週間も早くお腹から引きずり出されるの赤ちゃん可哀想じゃない??もっとお腹ですやすゆっくりのびのび育ってもいいのよ?

あと、赤ちゃんの成長って別に出産から始まるわけじゃないでしょ?例えば8/1がいわゆる出産予定日だとして、8/1に普通に分娩しても7/16に早めに計画無痛分娩しても、8/31での成長具合は大体一緒でしょ?だとすると、めちゃ大変な新生児期が二週間伸びるってことでは???

旦那も育休を二ヶ月取ってくれるし、母も義母新幹線距離だけど頼めば来てくれるので、まあ大変って言うほど大変な訳じゃないけど。。

麻酔で分娩を楽にする+赤ちゃんとの触れ合いタイムを二週間長く取るのと、赤ちゃんにはお腹ゆっくりしてもらう+新生児期の育児を二週間スキップするのと、どっちが良いかな?

2024-05-09

産休制度強すぎわろた

弊社では出産予定日2か月前から子供が1歳半になるまでは産休取れるんやけど

大卒女性社員入社2年目の24歳で産休→1年半後復帰時短→3か月後産休→1年半後復帰時短→3か月後産休(今ココ)

既に出社してた期間より産休取ってる期間のほうが長くて草

ちな、産休MAXまで取って復帰せずに辞める奴もめちゃくちゃいる

2024-01-25

anond:20240125173202

少しだけ状況が似ているので書き込みします。

私も不妊。姉です。自分より後に結婚した妹が2人子どもを産みました。

ただ私が不妊治療を始めたタイミング流産したのは妹の第二子誕生より後だったので増田ほどのダメージを受けていません。産まれた甥っ子達は普通に可愛いし私に懐いてくれているしでお世話をしていると「楽して育児の上澄み部分を経験させてもらっているな」「実子を持てない代わりにこの子達のお世話を神様(?)がさせてくれているのかも」と感じます。(別に宗教とかは信じてないけど表現としてなんとなく神様と書いてみたw)

しか増田はよりによって似たような出産予定日流産…本当に辛いと思います。かける言葉がありません。私もタイミング次第では甥っ子達に向き合えなかったのかもしれないと考えさせられました。それくらい不妊治療から流産って感情破壊されますよね。

後半に書かれているお姉さんへの怨嗟を見ると「うわっ」って思ってしまったけれど不妊治療をしているとどんどん心が荒んでしまって本来自分とかけ離れてしまますよね。それがしんどい。お姉さんへの複雑な思いを完全に断ち切るのは難しいかもしれないけれどある程度消化できた方が増田自身もきっと楽になります。でもしんどい時は無理せず今回みたいにネットで吐き出しましょう!家族に言わずここに書いた増田は偉い!

増田の状況が今より良くなることを願っています

2024-01-11

anond:20240111144642

出産予定日に待合室で待ってたけど、一向に生まれる気配無いかラーメン食いに出かけた俺は正しかったんだ

anond:20240111060553

この制度作ったやつ、出産予定日意味知らないんじゃないか

なお、男性育休は出産予定日以降でしか取れず

男性から見た不妊治療育児

2023年年の瀬に妻が出産した。

結婚してから数年経っていたが子宝に恵まれず、不妊治療の末の体外受精での妊娠だった。

また、出産も難航し、最終的には予定日から1週すぎてから帝王切開での出産となった。

自分自身特別子供が好きと言うわけでもなかったけれど、「この世に生を受けたからには(可能な限り)子孫は残すべき」という思想があるので、子供ができたのはとても嬉しい。

2人目は経済的に難しいかなと考えているので人口増には貢献できないのだが。まあそれはしょうがない。

妊娠子育て(まだ1ヶ月も経っていないが)を経て、思うところが多々あったのでここに書き残そうと思う。

なお、自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに妊活子育てまで妻をサポートまたは主体的に取り組んでいた方だと思う。

妊活

数年間自然妊娠がなかったので不妊治療を開始した。

はじめに夫婦それぞれの検査をして、数値としては問題がなかった。

いわゆる原因不明不妊症というやつだった。

ここから治療対応としてはざっくりタイミング法→人工授精体外受精という流れになるのだが、まあ男性側のやることがない。

然るべきときに備えて精子を溜めておくとか、運動とかして元気な精子を作っておくとかはあるけど、主体は完全に妻。女性

人工授精あたりから妻は特に辛そうで、自己注射したり薬を飲んだり、副作用に悩まされながら、定期的にクリニックへ通っていた。

一方の俺といえば、行けるときはクリニックへ付き添うこともあったが、平日は難しいので土日祝日だけになったりした。が、行ってもやることがない。

妻の診察券を出して、待合室で1時間くらい待って、帰るだけ。暇である

コロナのせいもあるかもしれないが、診察室に入ることも許されず、本当にただの付き添いにしかならない。

医者の言うことも妻からの又聞きになる。

当然、辛そうな妻に対して「大丈夫?」とか「頑張ろうね」とか励ましの声をかけたり、妻の好きなスイーツなんかを買ったりして元気づけたりしようとするものの、あまりにも「不妊治療」に対してやることがないので、一種の疎外感すらあった。

男性不妊ではないことが確定した時点で男性側のやることがほぼ無くなるので、いわゆる「不妊治療に夫が協力的でない」というネットに溢れる愚痴はこういうところにも原因はありそう。だってやることないんだもん。

付き添い男性用に、不妊治療について・妊娠について・女性の体についてなどが学べるスペースでもあればいいのになと思った。

妊娠

体外受精を経て、待望の妊娠

しかしここからもやることがない。妊娠したのは妻だから

繰り返しになるが、大前提として妻の体調を気遣うような行動は取っていた。つわりが辛ければ食事を用意したり、背中をさすったり、元気づける声をかけたり。

でも暇なのであるだって俺には何の変化もないので。

妊娠してからは産院に定期的に通っていた。これも平日なので、行けるときは付き添うが、基本的には仕事があるので難しい。

なので「次回はxxがあるので来てほしい」とか言われたときには行くようにしていた。

が、これもまた診察券を出して待つだけ。暇である

エコーをするところに同席させてもらうこともあったが、日によってはそれもない。無。

出産は妻に任せた、じゃあ俺は出産後のことを考えよう、と、保育園探しやら買い物の調査やらをやっていた。

そういう意味ではこの時期はそれほど暇じゃなかったかもしれない。

出産育児

出産予定日が近づき、自分も育休を取得した。

なお、男性育休は出産予定日以降でしか取れず、しか出産が早まった場合には前倒すことはできない。また、予定日から遅れた場合にも後倒すことはできない。決め打ちである

なんとも使いづらい制度だなと思った。男性育休が取れることには感謝はしているが。。

「初産の場合出産予定日から遅れることが多い」というのは聞いていたが、とはいえ早く産まれたら仕事との両立はしんどいし、どうしたものかと悩んだ。

出産に向けて妻が入院し、自分も育休が始まったので、この間はやることがたくさんあった。

病院の都合で1日1回の面会で、差し入れを持っていったり洗濯物を回収したり。

出産後も同様。

ただ、ここでもまた疎外感を感じることが多々あった。

授乳沐浴のやり方はもちろん、抱っこの仕方やおくるみの巻き方など、今後必要になる技術の伝授が妻に対してのみ行われるのである

「え?俺も育児しますけど?眼中にないですか??」という気持ちになった。

病院にいる助産師の方々はそれぞれテクニックを持っていて、本とかネットに書いてない情報だったりする。

そういうのが全部妻にしか伝授されない。

そうすると何が起きるかというと、ネットで調べた知識しか持たない夫と意見がぶつかる。

夫が見様見真似でなにか行動すると、妻から「そうじゃない!助産師さんがこうだって言ってた!なんで知らないの!」みたいな叱責を喰らう。いやそれ聞いてないのよ。

なので妻に任せたくなる。見て学ぼうとする。でも妻も産後で体はボロボロなのでできない。詰む。

出産後しばらくはこんな感じだった。

なお、妻とは「情報格差がある」ということを認識合わせできたので、今は良好な関係に戻せた。よかった。

職場でよくある「タバコ部屋会議」を思い出した。俺のいないところで重要な話をされても困る。夫はいなくてもいいってことなのかなとすら。




全体を通して思うのは「男性をないがしろにしないでほしい」ということ。

出産女性しかできないので、女性主体になるのは当然。だけど夫もなにかしたい。

何かしたいかネットで調べたりするけど、知らないことを知らないということもある。生理のこととか全然知らない。悪露って知ってます?俺は知らなかった。

また、育児関連の雑誌やらを見るとだいたい「ママがんばれ」みたいなことは書いてあるけどパパについては書いてない。書いてあっても「パパはサポート頑張ってね」とある

あ、パパはサポートなんですね、育児主体にならないんですね、みたいな気持ちになる。

今もこれを書きながら夜中のミルク対応をしている。

俺頑張ってるよ?主体的に行動してるよ?

でも誰も評価してくれない。イクメン?なめんな。

ママにはみんな「大変だね〜」というけどパパには言わない。「育休取ってくれたんだ。ありがたいねママを助けてあげてね」が限度。じゃあパパは誰が助けてくれるの?

褒めてほしいわけではない。ねぎらってほしいだけ。

主体的に行動しているパパは、ママよりも情報が少ないところから頑張ってるんだぞということを知ってほしい。





2023/01/12 03:00 追記

一晩でたくさんブコメやらをいただいていた。

ねぎらってほしい」と書いたらたくさんの方がねぎらってくれた。優しい。ありがとうございます

「よくやってる」その一言で救われた気がします。

一方でこのエントリで書きたかたことがうまく伝わっていなかったり、書いてる内容に間違いがあったりもしたので、修正コメント追記する。

暇とか言ってないで育児しろよ、調べろよ

やってます育児において暇だなんて書いてない。暇だったのは不妊治療の話。

食事の用意も買い物も掃除洗濯もやるよ。もちろん、オムツ替えも調乳もミルク授乳沐浴も寝かしつけも、育児記録をつけるのだってやるよ。やらないのは母乳授乳だけ。出ないからね。

不妊治療に関してはマジでできることが無さすぎて暇なんだよ。「暇」っていう言葉が気に食わないなら「蚊帳の外感」と言い換えてもいいかもしれない。

精子問題がないとわかった時点で、あとは妻に頑張ってもらうしかない。

クリニックに行っても「あの男の人なんでいるの・・・?」みたいな視線を感じる気がするんだよ。自意識過剰かもしれないけど。

なにか参加させてくれって思うだけ。

あと、存在すら知らないことを調べるのって無理だから。何らかのキーワードありきで調べるしかないじゃん。でもそのキーワードで持ってるのって最初は「妊娠」くらいでしょ。

病院で出てきたキーワードを調べることはできるけど、そもそも診察に立ち会わせてもらえなかったらそのキーワードも聞けないんだよ。

から「こんな事言われた」がなきゃ無理。

情報格差なんてある?女性妊娠育児ゼロから学ぶしかないんだが。

それはその通り。情報格差という言い方が良くなかったかもしれない。

特に出産後の「妻は助産師からフィードバック付きの実践の場が設けられているが、夫は一人でぶっつけ本番」になるのが辛いよって話。

ただ前述の通り、「存在すら知らなかった言葉」に出会う機会が少ないのも事実だと思う。医者と会話する場がないんだもん。

自治体のパパママ学級とかあるよ。YouTubeかに動画あるよ。

おっしゃるとおり。残念ながら参加できるタイミングがなくて、俺も妻もママ学級・パパママ学級に参加できなかった。

ただ、座学に関してはそれこそYouTube動画ネット情報等々でフォローはできたと思う。

その上で、前述の「フィードバック付きの実践の場」がほしい。座学やったら次は実習でしょ。

特に沐浴なんて、実際にやってみたら泣くし暴れるし、人形でやったところで・・・と思う。人形でやってないんだけど。

今はもう慣れてきたけど、経験した人なら最初の「これでいいのかな・・・怖いな・・・」という気持ち理解できるでしょ?そのときに慣れてる人(助産師)が近くにいたら心強いでしょ?そういうこと。

あと、俺のいる自治体ではママ学級、パパママ学級はあるのにパパ学級はない。

また、ママ学級は3日間なのに対してパパママ学級は1日だけ。つまりママはパパより3倍情報がある。

この非対称性は何なの?とモヤる気持ち理解してもらいたい。

その程度で褒めてほしいとか

褒めてほしいと言ったかねぎらってくれと言っただけ。

男女間で環境に差があって、その中でもがきながら頑張ってる夫に対して、頑張っていることを認めてほしいだけなんだが。

「どうせ男は非協力的だから」みたいな態度が透けて見えるだよ。行政も、病院も、両親も、義両親も。

俺はまだ妻が理解してくれていると思えるからマシだけど、つらい思いをしている人はたくさんいると思う。

逆にパパ側が褒められててママ側はやってて当然みたいな態度を取られる

同情します。お互い頑張りましょう。

マジで不妊治療妊娠育児も大変すぎる。これをこなした人は全員すごいよ。

全員すごい、それでいいのに、パパママ片方だけを上げるのがよくない。

男性育休は前倒しも後ろ倒しもできる

前倒しについてはおっしゃるとおり。間違ってました。ごめんなさい。

「前倒すことはできるけど、手続き最初からから有給使ったほうがいいよ」と会社から言われていたのを脳内で「前倒し不可」と変換していたようです。

後ろ倒しについてはやっぱりできない気がするんだけど、実はできるのかな・・・会社には無理と言われていたけど・・・・・

2023-12-01

次回の検診で「まだ逆児っすね~」ってなったら帝王切開になってしまうんじゃ。腹かっさばくことが嫌なんじゃなくて、「せっかく産むんだから、どれだけ痛くてすごいのか味わってやるぜグヘヘ」って楽しみにしていたのに、それが出来なくなることが嫌なんじゃ。本当に「鼻からスイカ」なのか知りたいんじゃ。あと帝王切開になったら出産予定日より早く取り上げることになるから、色々と予定が狂うんじゃ。

胎動が変わったら直ってるかもよ~」って話だが、蹴られてるのか頭で押されてるのか分からんのじゃ。

外部から腹で色々やって直すやつもあると前回の検診で紹介されたが、逆児が直る率が半分くらいなんじゃ。ゲームにおける命中率70%で外しまくっているから、50%成功率は信用ならんのじゃ。しか入院必要だし金かかるしでやめたんじゃ。もう中身がひっくり返るか腹を切るかの二択だけなんじゃ。

あびゃ~

ま、なるようになるか。

2023-10-03

子供名前が決まらない

もう出産予定日まで日がないのに未だに候補が絞りきれていない。

皆はどうやって名前決めた?

男の子女の子それぞれ両方用意した?

2023-03-26

anond:20230325232619

ひとつだけ言っておくと「出産予定日」と言うのはただの目安でしかなくて、前後1か月くらいは普通にいつでも生まれ可能性あるからな。

2023-02-21

出産予定日より遅く出産したら失敗なの?

この増田はどう思ってるんだろうか?

anond:20230220194315

anond:20230220194315

全ての胎児には出産予定日が決まっているのに、「予定通り」予定日に生まれてくる人は、ほんのわずかだ。自然分娩だと、みんな、予定日から前後2週間ぐらいの範囲で、予定日からズレて生まれてくる。

「予定からずれたんだから、とにかく広義には失敗だろ!」というロジックを押し通すなら、ほとんどの人間は「失敗」の結果生まれてきたことになるぞ?そう言ったら、今度は「生まれた子が人間として失敗作という意味じゃない!」と強弁するなら、まずは、誤解されやす表現をやめるべきなんじゃないか

まずは、親に、お前が予定日通り生まれたか確認してから発言しような。

2022-12-25

出産予定日死産がつらかったので書く(男性視点

 タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性覚悟を決める。しかし、(過去自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりしか想像できない。稚拙ながらも自分体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。

 分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像想像して立ち振る舞う男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。

 妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフ推定体重書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的説明はなかったが、胎児体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹毎日のように話しかけた。

 無痛分娩に興味があった。背骨脊髄の間にあるわずかな空間麻酔薬を注入して分娩にともなう母体苦痛を軽減する。一定リスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり無痛分娩選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たち自然分娩を選択した。

 私は3月まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこはいつも鬼、50m走のタイム肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操ピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子場合生涯賃金観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪い例外となる。興味があればGoogle Scholar検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。

 出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。

 分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。

 妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップ沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。

 役所での手続き事務的には簡単で、精神的には苦痛しかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式出生届とほぼ同じであるのに気づきスムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式から現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。

 火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズ段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶フラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨割れプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」

 我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法複数あり、水子供養場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国友達たくさんできるかな?」

 ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。

 後悔は二つある。

 第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスク相対的に低いのではないか(正確には医師相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月まれになるかも」などという勝手わがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。

 第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップ沐浴を勧めてくる助産師サイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。

追記

 皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃん言葉にできるようになるまで、事実客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。

 本記事へのトップコメントこちからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っていますhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743

2022-10-22

め〜っちゃ可愛いママ友友達なった!

何度か会ったことのあるめ〜っちゃ可愛くて上品で優しいママ友とお友達になれた!!いつも我が子に「○○ちゃん今日もとっても可愛いね」と優しく優しく語りかけてくれてこれでもかと可愛がってくれて、気品があって、全然イヤミじゃなくて、しかも気さくで、そしてママ友ちゃんのお子さんもこれでもかと愛嬌があって本当に本当に友達になりたかたから、やっとLINE交換出来てめちゃくちゃ嬉しい!!

あの、タメで喋って良いですか.....??とかあの、なんて呼んだら良いかな.....????とか聞いちゃった!!恋か?

来週遊びに来てって言っちゃった!!ドキドキする!!!デートか?

子育て交流の場って、そりゃあ子どもたち同士のコミュニティ作りに大切なところだけれども、ママだって出来ればそういうところで楽しいママ友が欲しいのだ。ママ達は事前にそりゃ出産予定日とか決まってるけども、それでも予想以上の早さでいきなり社会から切り離されて(産んで数ヶ月は大人と会う余裕が無いのだ)、ハイあなた今日からママ!ってなるからママ孤独なのだ。いやもちろん、人と場所によるとは思うのですが。

でもどちらにせよこんな気持ち悪い感情抱えてるのバレたら普通に気持ち悪いと思うから匿名ブログでこの思いを供養させて頂きます。なむ。

2022-10-19

ワクチン4回目悩んでる

打ちたいんだけど妻の出産予定日来年5月で、その時にコロナにかかると帝王切開から、そのタイミングワクチン感染予防効果が最大化するようにしたい。

そうなると、今打ったとして5回目の接種をまた半年後にできるかどうかがポイントとなるわけだが、半年後の状況がわからず悩んでいる。

どうすべきだろうか。。

2022-09-06

妊娠から1歳までの記録 ※追記あり

追記

ブクマコメントくださった皆さんありがとうひとつひとつ大切に読ませてもらっています

この日記は、コロナ前の2018-2019年妊娠出産したとき書き殴っていたメモスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。

あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)

【※一番最後にも追記しました】


妊娠初期

妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。

仕事趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。

妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センター大勢妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。

エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。

つわり

・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。

つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパートイレ芳香剤香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。

食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理趣味からと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。

妊娠中期

・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だってあんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。

・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性覚悟が座ってきた。

・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。

妊娠後期

妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。

お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気ビリビリ覆われている感じ。

ホルモンのせい

妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。

母親学級にて、先生朗読したポエムわたしあなたを選びました」で、おんおん号泣

TV番組ワイルドライフ 野生動物リアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣

エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。

出産予定日のようすと陣痛

出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月胎動が落ち着いてくるとか聞いてたか特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。

・翌朝破水陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。

帝王切開手術

・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…

感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。

・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw

・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたもの文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。

・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。

・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…

・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。

・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。


・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。

・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子ラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。

産後ハイ

産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。

産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンション二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。

ガルガル

産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開ラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。

・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。

産後ケア施設

実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。

施設は1フロアに7部屋あり基本母子同室。

24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳状態もみてもらえるし、疲れた助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事おやつマッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。

・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃん名前はこの時に2人で決めた。

こころのこと

施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後もっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分自己嫌悪したり。

・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビング精神と時の部屋化する。

おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決

産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事バリバリやってスタイリッシュオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランワインを飲んで…というコテコテ月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの

・我が子はものすごく可愛い毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。

・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。

短期スケジュールを断れるようになった。

・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。

読書映画も途切れ途切れで集中出来ない。

・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活必要最低限の会話だけ。

わがやのこと

・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワージャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。

母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉流行る。うんこしたい時の合言葉になった。

(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)

オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占い

・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。

イベント化する選挙夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。

ドケルバン病

産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛おむつ替えのとき赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。

整形外科通院。手首の腱鞘炎注射むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚感触。。ポクン!て鳴った。

・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。

からだのこと

・やたらとオナラがでるんだが。。。

・首、肩、手首、乳首ボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)

妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…

おっぱい

産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグ差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。

母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。

赤ちゃん

・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。

新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。

・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。

・横顔のフォルムがたまらん、クレヨンしんちゃんみたい。

・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。

・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。

1歳〜そしていま

・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古相手をしている。

・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。

・夜中寝ているときちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。


追記

ガルガル期のところ

実母との関係心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしま性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。

個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的ものですので安心してくださいね。

2022-08-26

妻が妊娠した

自分自身子供は好きでも嫌いでもない。可愛がる対象としてはともかく、庇護対象と見た途端、面倒臭いと思ってしまったのが正直なところ。妻にはずっと「自分はどちらでもいいけど、望むなら作ってもいいよ」くらいの、消極的同意スタンスを伝えていた。単純に気持ちいいことをした結果として、妻が妊娠した、ただそれだけくらいの気持ちだった。

現在、妻はものすごい勢いでつわりに苦しんでいる。食べたら吐くの繰り返し。妻は近所でバイトをしている。体調悪いならバイト辞めたほうがいいんじゃないか、と声をかけたものの、動いている方が気が紛れるそうなので、やんわりと僕の心配は固辞された。

今のところ、子供に対して、生まれてくるのが楽しみとかい感情が全くない。かといって後悔もしていないが、妻の体調不良の原因になっている、と思うと「困ったなぁ」という気持ちになってくるばかりで。こんな自分父親になる。それがただただ恐怖でしかない。

妻は妻で、二人の時間が近い将来に終わりとなることを考えると、複雑らしい。妻は、結婚から自分もどちらでもいいけど、できるなら子供は欲しい」と言っていた。子供が欲しかった理由は、よくある「好きな人の子供が欲しかった」だったそうだ。少なくとも、今の彼女も、本当に自分が望んだことなのかわからなくなってきているようで。

ところで、最近……というか、ずいぶんまえから子供名前を考えている。男の子ならこう、女の子ならこう、といったぐあいで。響きだったり、字の意味だったり、姓名判断だったりを組み合わせて、名前候補を少しずつ上げている。さんざ子供に対しては何の感情も、と書いたものの、こうして名前を考えたりするってことは、自分の中でも子に対する何かが芽生えてきているんだろうか。

結局どうしたいのか、自分でもわからない。どう向かえばいいのか。お世辞にも裕福ではない我が家で、子を立派に育てられるのか。遠く先の出産予定日を思えば思うほど、不安感ばかりが募ってくる。

2022-07-23

anond:20220723122709

妊婦さんとは一緒じゃない。

産休とか育休とかあるから、こっちは業務上確認必要がある場合を想定して已むを得ない相手には答えるだろうけど。

特に親しくもない相手なら出産予定日だってある程度は隠すだろう。

スケジュールかると何されるか分からいから、空き巣を警戒して「確実に留守な日」を言わないのと同じ。

で、生理期間で妊娠可能期間が分かるっていう前提を、まず理解して。

ようするに「いつなら妊娠できるの?」って聞かれているのと同じって所まで歩み寄って欲しい。

ダイレクト性的気持ち悪いでしょ?

って思う女が多いんじゃない?っていう話。

2022-07-21

7/19の日記追記です

https://anond.hatelabo.jp/20220719233521

↑先日書いた日記をたくさんの方に見ていただけたようで嬉しいです。

何かをきっかけに、親切にしていただいた方にも、改めて感謝気持ちが届くと尚嬉しいです。


少し自分の話をさせてください。

妊娠が分かってから、鞄にマタニティマークを付けるかどうかは非常に悩みました。世間には妊婦子連れをよく思わない人もいることは知っています

それでもも自分の身に何かあった時、「この人は妊娠中だ」と一目でわかってもらうためにも付けることを決めました。

実際、マタニティマークを付けてから、心ない言葉をかけられることや暴力をふるわれたりしたこともありました。でもそれ以上に、人の優しさを感じる機会の方がたくさんありました。

悪阻がひどかった時にお水を買ってきてくれた10代の女の子、ご高齢なのに「妊婦さんが優先だよ」と席を譲ってくださった男性、席を立ち電車を降りる時に「あ、気づかなくてごめんなさい!」と言ってきた女性や「僕もだ、すみません」と言ってきたその隣の男性など、色んな方がいました。

マタニティマークリュックの上の方に付けているので電車で座っていると見えにくいはずなのですが、それでも気づいて席を譲ってくれる方、声をかけてくれる方はたまにいます

これまで、身体不自由な方などにはなるべく親切に接するよう心がけてきていましたが、いざ自分がそちら側になってみると、身体がきつい時に声をかけてもらえる・座席を譲ってもらえるだけで、こんなにも嬉しく、心があたたかくなるものなのだと知りました。

7/19朝に出会った京浜東北線男性はもちろん、これまで親切にしてくださった全ての方に心から感謝しています

今はまだ優しさを享受するばかりですが、自分自身もかくありたいと強く思います


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いい話なのにタイトル犯行予告過ぎるw

意図していませんでしたが、確かにそうですね(笑)反省します。

気分が良くなって胎教にもエエね。元気な赤ちゃんが産まれる事を祈っとるよ。産まれたらまた増田で報告してくれよ。

はい、おかげで1日中気分が良く、家族や同僚にも「今朝電車にこんな人がいて…!」とつい報告していました。「そんな素敵な人がいるんだね。カッコいい!」と話も盛り上がり、なんだか幸せ気持ちをお裾分けできたような気分になりました。

出産予定日はもう少し先ですが、無事に生まれたらまたどこかでご報告させてもらいますね。

SNSなど何もやっていないので ダウト!そんな世捨て人みたいな女性がいるわけない!

少し嘘をつきました。本当はTwitterはやっていますが鍵アカウントなので、一人でも多くの人に見てもらえそうな匿名ダイアリーを使いました。

なんでしんどいのに電車通勤するん?

自宅から職場までタクシーを使うと片道1万円かかるからです。せめて空いてる電車に乗りたいと思い、出社しなければならない日は1時間半早く出勤しています

通勤ラッシュに紛れ込んだ腹の膨れた女って死ぬほど邪魔だろうな 揺れた拍子にでもうっかりぶつかって流産しただの難癖付けられたら人生終わりだ

朝6時台の京浜東北線を利用されている方なら分かると思いますが、この時間帯は満員電車ではありません。妊婦にぶつかって人生終わりたくなければ自衛のためにもオフピーク出勤を検討されてみてはいかがでしょうか。

2022-05-23

anond:20220523205518

全然可愛くない我が子を見てるとほんと絶望的な気分になる。

コロナでご無沙汰だった海外出張のチャンスも出産予定日丸かぶりで別の人になったしね。

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