はてなキーワード: 社会不安障害とは
単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。
その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である。
たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジムに所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。
対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏で団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイドな生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。
でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。
持つ者はいいよな~?
それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから。
畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガンと綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。
金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。
じゃあどうする?
そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――
とても悲しい事だが、持たざる者が努力をすると、自律神経が乱れ、情緒が不安定になり、ノルアドレナリン(闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキーな毎日に突入しやすい。
怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。
そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。
しかしながら、試行錯誤――破壊と再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実を直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。
そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。
一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップのワードだろう。
ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生がでろでろに腐ってゆく。
だからこそ、ファイトクラブの名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしく、フルスイングで開き直って、「人生は自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫び、ハイリスクな一歩を踏み出すしかない。
というのも、代表的な弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。
そんな絶望の境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様の復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギーが必要になってくる。
寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負の世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。
そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。
であるから、ハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。
いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。
その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。
その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。
そして、精神的コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。
やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズに人生を渡り歩ける訳じゃない。
人類社会に立ち向かって、一所懸命に努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。
とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能で民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。
すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。
そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である。
卒業後は違う都道府県住みだけどコロナ禍前は年に3~4回会って遊んでたし、Twitterでは頻繁に絡んでた。
オタ趣味だけでなく食や服の好みも合う子で、違う業種だったけど仕事の話もいつも盛り上がり毎回楽しく遊んでた。
Aはコロナ流行2年目にいきなり無職になった。理由は「会社勤めが嫌になった」から、らしい。
話聞く限り私から見たらホワイト企業だったのでそんな理由で辞めるのがまず理解できない。
ブラック気味の職場で毎日残業生活な私はこの時点で彼女にこっちから連絡取るのをやめた。
無職になったAは生活をTwitterで呟いてたけどそれがもうなんでこんなんと仲良くしてたんだろうってののオンパレードなので羅列する。
・精神科に通っているが病名がつかない
・ほしい物リストの主張がすごい
・自殺教唆→みんな優しくしてくれてありがとうを月イチペースで開催
・短時間のアルバイトから社会復帰してみよう、とかそういう動きは全くない
毎日ツイ見ててイラついてて、ミュートなりなんなりすればいいだけの話だけど、仲良くしてた頃こんな子じゃなかった…って気持ちがあるので切るにきれない。
私の方が社会不安障害の病名持ちで無理やり社会人やってきたので、普通にコミュ力あって友達多いAがこうなったのが本当に謎。
いきなり無職になった娘に小遣いやってる親御さんも片親団地暮らしで育った私には理解できない。
彼女と会う事も連絡取る事も今度ない予定だけど、これからAがどうなるか観察する気持ちで呟き見てる部分もある。超絶性格悪い話だけど。
卒業後は違う都道府県住みだけどコロナ禍前は年に3~4回会って遊んでたし、Twitterでは頻繁に絡んでた。
オタ趣味だけでなく食や服の好みも合う子で、違う業種だったけど仕事の話もいつも盛り上がり毎回楽しく遊んでた。
Aはコロナ流行2年目にいきなり無職になった。理由は「会社勤めが嫌になった」から、らしい。
話聞く限り私から見たらホワイト企業だったのでそんな理由で辞めるのがまず理解できない。
ブラック気味の職場で毎日残業生活な私はこの時点で彼女にこっちから連絡取るのをやめた。
無職になったAは生活をTwitterで呟いてたけどそれがもうなんでこんなんと仲良くしてたんだろうってののオンパレードなので羅列する。
・精神科に通っているが病名がつかない
・ほしい物リストの主張がすごい
・自殺教唆→みんな優しくしてくれてありがとうを月イチペースで開催
・短時間のアルバイトから社会復帰してみよう、とかそういう動きは全くない
毎日ツイ見ててイラついてて、ミュートなりなんなりすればいいだけの話だけど、仲良くしてた頃こんな子じゃなかった…って気持ちがあるので切るにきれない。
私の方が社会不安障害の病名持ちで無理やり社会人やってきたので、普通にコミュ力あって友達多いAがこうなったのが本当に謎。
いきなり無職になった娘に小遣いやってる親御さんも片親団地暮らしで育った私には理解できない。
彼女と会う事も連絡取る事も今度ない予定だけど、これからAがどうなるか観察する気持ちで呟き見てる部分もある。超絶性格悪い話だけど。
社会不安障害の方はそうらしいですよね^^
まず大きな違いとして、BECKは声に天性のものがある以外はイマイチ冴えない普通の少年が主人公で、ぼざろはギターはめっちゃ上手いネットのヒーローだけどメンヘラの巨乳美人が主人公。
そもそもの違いとしてBECKのコユキは産まれてついての天才だけど、ぼざろのぼっちは努力の天才ってタイプ。
あとコユキはバンドやらなきゃ本当に平凡な人生を送れたけど、ぼっちの場合は社会不安障害とか起こして本当にニートになってた可能性がある。
持ってる焦燥感の方向が「普通であることに対しての不安」と「普通でないことに対しての不安」っていう全く真逆のものになっていて、主人公の物語に大きな違いがある。
あとぼざろは基本的にブラックよりなコメディで、BECKはもうちょい爽やかな青春モノがベース。
ぼざろに恋愛要素はないけどBECKでは主人公の導線として重要な要素になってる。
キャラの性別以外にも全体を通してかなりの違いがあって、強いて共通点を挙げるなら「物語開始時にバンドをやってなかった主人公が、バンドマンとしての素質を開花させていく」って所ぐらい。
そういう点ではストーリースタート時点で既に主人公がバンドマンである作品よりかは近いんだろうけど……でもやっぱ「似てる作品」として挙げるのは無理だと思うなあ。
対人恐怖症、社会不安障害になり精神科に通ってるのですがそこで紹介された
見学に行った際、乗馬クラブなのですが前のオーナーから代わって別の方がはじめたそうなのですが
緊張しながら話聞いてると黒いワンちゃんがきて戯れついてきたんです、それをその場でオーナーが叱りつけ、叩きました
あとは話の内容が全く入ってこず、不安でいっぱいになったので断りました
聞いた記憶が正しければその犬は前のオーナーから引き取った犬だそうなので叱った上叩く行為がどうしても良心的な場所とは思えませんでした
これは実は数年前の話なんですが、先日記事で取り上げられていて、発達サポートなる不登校の児童向けのプランを行なっている自然豊かな場所とあって複雑な気持ちになっています
全然こじんまりとした乗馬クラブなのにホームページも見るとすごく立派で、Googleマップの口コミも高評価が30件ほどあり4.31良いで不可解に思いました
このモヤモヤを口コミに書くこともできるんですが意図的に悪い評価にしたい訳じゃなく「何で?」と思ったこと書きたかったので吐かせてもらいました
何が繊細さんだ
Highly Sensitive Personは心理学用語であって医学用語じゃない、診断名でつくはずもない、単に自己啓発書で有名になっただけの言葉だ
病院に行くならまず社会不安障害(社会不安症)や発達障害由来の感覚過敏・こだわりを疑って行け
医学の専門家に心理学由来の自己啓発書の言葉をぶつけて戸惑わせるな
HSP診ますなんて病院は信用するな、病気名じゃないんだから現状は薬も治療法もねえ
認知行動療法はうつや双極性障害や強迫性障害(強迫症)向けのもんだ
『この子は繊細さんだから』『私はハイリーセンシティブパーソンだから』『この子はハイリーセンシティブチャイルドだから』で終わるな
日常生活に困ってるならHSP以外に何らかのはっきりした病名がつくか障害と診断されるから病院に行け、精神科か精神保健指定医持ってる心療内科に行くんだぞ
京都大は15日、霊長類研究所の正高信男・元教授(66)が、2014年から19年に発表した論文4本で、実際に実験をしていなかった捏造(ねつぞう)の研究不正があったと発表した。正高元教授は20年3月に定年退職している。京大は退職金支払いを止めており、今後、処分を検討する。
調査委員会の報告書 https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/inline-files/211015-kaikensiryo-d825afb27efaa25500ea68b226f58ea1.pdf によると、対象の論文は以下。
なんか、どれも教育・コミュニケーション関係の限定的な界隈が喜んで言及しそうなテーマよね。「大麻オイルがコミュ障・ひきこもり改善に役立つの!」とか「自閉症はダイバーシティのひとつ!美的判断能力が高いの!」とか「デジタル絵本のほうが紙より教育効果が高いの!」とか。周囲にそういうのがいて、感化されたのか、コメンテーターか広告塔になるつもりだったのか。...と思ったら、2003年頃からの著書が、なんかおかしなタイトルばかりだね。この頃に悪い編集者にでも捕まったのか。
学校みたいに「普通」でいることが求められる場に馴染めたことがない。まあ、ありふれた話ではあるんだが。そりゃもちろん適応する努力はするんだけど、距離感と感覚が異常すぎてすぐにキモさが露呈するし、かといって異常な部分を隠すためにコミュニケーションを拒絶して何も話さないというのもそれはそれでキモいのでもうどうしようもなくなる。
個性的に見られようとして常識外れの振る舞いをするのが最近の流行りらしいが、本当に異常で「普通」の場において周囲の誰とも馴染めない人って惨めさに苦しみながら必死で泥臭く足掻いている人がほとんどだと思う。共感性や常識、趣味趣向などは歪みに歪んでいる一方で、自分を客観視する能力はある人間が、「普通」の場で自らの存在意義を証明するためにできることは基本的に二択になる。自分はキモくないと必死で叫び続けるか、自分を否定してひた隠しにしながら周囲に合わせようとするか。そのどちらかしかない。
でも、どちらにせよそんなことを続けていたらすぐに限界が来る。適応障害こじらせて頭が回らなくなり、仕事や勉強についていけなくなったり、コミュニケーションに失敗していじめに遭ったり。で、インターネットに逃げ込んで黒歴史を大量生産したり。
そして社会が助けようとするのは社会における多数派が共感できる弱者だけなので、俺を含めたこのような人たちは社会からまともに扱われることなく惨めに死んでいく。精神科で与えられた「社会不安障害」「鬱病」といった烙印を抱えながら。そのような現実を生気のない目で見据えながら。「普通」の人間に怒りと憧れを感じながら。