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はてなキーワード: 山県有朋とは

2019-07-02

西暦2000年まで生きた香淳皇后昭和天皇の妻で上皇陛下の母)。

香淳皇后山県有朋婚約を阻止されそうになった。

その山県有朋幕末普通に戦い抜き、明治5年には新政府汚職事件を起こすほどの大物だった。

こう考えると幕末なんてついこの間だな。

2019-05-13

メモ

【まえがき】

日本過去500年、国際日本大日本小日本の3モデルで、中国ロシア西洋との距離を探ってきた。

日本の3モデル

1.信長の国際日本モデル

外向き(世界)。

日本を超えた地球レベル理念を追及。

陸奥宗光西園寺公望

2.秀吉大日本モデル

外向き(アジア)。

西洋の影響を排除し、アジア中国に替わって日本盟主となることを目指す。

伊藤博文山県有朋

3.家康小日本モデル内日本モデル

内向き。

エネルギーを対外進出ではなく、田畑開墾や生活の工夫など内部開発へ向ける。

柳田國男石橋湛山

徳川小日本から明治大日本を経て戦争へ】

日清日露戦争を経て帝国主義志向へ。

大日本天皇制限界を持つ小日本であり、アジアを取り込む普遍性が無かった。

日本は、「人類」を持ち出すとき普遍性欧米に比べて極めて弱い。

国際社会では国際日本として振る舞い、アジアでは大日本として振舞う矛盾

2018-07-15

100名の最も偉大な日本人

BBCで昔、「100名の最も偉大な英国人」て企画があったけど日本だとどうなるかね?

イギリスだと一位からチャーチル、ブルネルウェールズ公妃ダイアナダーウィンシェークスピアニュートンエリザベスI世、ジョン・レノンネルソン、クロムウェルと二位のブルネル以外は日本でも有名で政治家軍人王族科学者芸術家などで、まあそうだなって感じ。

日本だと、うーん、徳川家康織田信長豊臣秀吉、あと各幕府創始者足利義満北条時宗天皇だとどこから史実認定していいか微妙だけど、桓武や天智、明治昭和平成あたりが候補かな?宗教だと空海最澄など仏教開祖あたりかね?芸術だと、前近代だと北斎松尾芭蕉紫式部近代以降なら夏目漱石宮崎駿黒澤明手塚治虫、ギリで鳥山明くらいかな?科学だと湯川秀樹江崎玲於奈などのノーベル賞受賞者たちか。

平安あたりだと、あと平将門平清盛菅原道真くらいか

近代政治家だと、田中角栄佐藤栄作伊藤博文あたりが入りそうだが、山県有朋岸信介はかなり微妙

軍人枠だと東郷平八郎山本五十六、あと秋山真之西郷隆盛土方歳三

企業家だと、河村瑞賢、岩崎弥太郎本田宗一郎豊田佐吉とかあたり?

スポーツだと、王貞治長嶋茂雄あたりかね?あんまり詳しくないので良くわからない。

女性紫式部くらいしかかばんかったけど、津田梅子あたりはマイナーかな?宇多田ヒカル樋口一葉あたりかな?

2016-11-22

一方、俺の母校の日本史教師

山県有朋山縣有朋と書いても○にしますが、縣の字が間違っていたら減点します」

ローズヴェルトローズベルトとルーズベルトはどれも○にします。英語カタカナに変換する過程でどうしても無理は出るので仕方ありません。ただし指定がない限り、セオドアかフランクリンかはちゃんと書くように」

鉄砲伝来の年は大学入試などで出たら1543年と書いてください。ただ1543年というのは種子島氏が書いているものによる年代で、1542とか1545という異論もあるので僕は絶対テストには出しません」

今思うと良い先生だったな。

http://anond.hatelabo.jp/20161122110427

2010-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20100831224651

伊藤博文合併反対を2年で翻したのを確定事項のように言ってるが「そういう説もある」程度の話だぞ

近年の伊藤博文研究で最も熱心なのが瀧川一博先生

最新刊が四月に出たばかりの、中公新書伊藤博文』。

伊藤之雄先生も昨年本を出してるけど、こっちは不勉強でまだ読んでない。

瀧川先生伊藤をよく弁護してるよ。「ヤヌスの顔」、硬軟両面があったって。

韓国での「文明」を推し進めたって。

議会も設置して、自治をうながそうとしてたんじゃないかって。

でもさあ、あなたのような事実の認定は、してないな。

伊藤が二年で併合策に与した、という箇所は、この通り。

 伊藤が翻意して併合を認めたのは、一九〇九年四月である。この年の三月三十日、

小村寿太郎外相は桂首相に「対韓大方針」および「対韓施設大綱」を提出した。

それは「適当時機に於て韓国の併合を断行すること」を掲げ、韓国併合閣議決定を迫ったものだった。

桂としては異存はないが、懸案は伊藤の意向だった。桂と小村は、

伊藤が併合に反対であることを熟知していたのである。

 二人は伊藤に併合の直談判を行うことに決し、四月一〇日、相当の覚悟をもって上京中の

彼のもとを訪問した。だが、伊藤はあっさりと併合を承諾し、桂と伊藤は肩すかしを食らった(『伊藤伝』下、八三八頁)。

こうして最大の障害が取れて、七月六日に韓国の併合が正式に閣議決定されるのである。

あなたは、最新の研究でも支持されている、伊藤暗殺前に韓国併合に同意していたという物の見方を、

「『そういう説もある』程度の話」と一蹴するけれど、

では別の見解をいう研究者論文は、具体的にどんなものがあるのだろうか?

ぜひ見てみたいから、教えて欲しい。見てみないとわからない。

伊藤・桂・小村の会談の事実は、伝えられているものと違うだろうか? 

あるいは、伊藤が表向き続けていたかもしれない併合への慎重な態度の方こそ、

本心だったといいたいのだろうか?

そりゃあね、ここからの判断は、史料を読む側が決めることかもしれないよ。

だけど、総理大臣外務大臣の訪問を受け、同意をあたえたというのは、よほど重い決断じゃないの?

俺だったらそっちを取るよ。

伊藤があくまで併合反対に固執するなら、閣議決定につながる言質をあたえるようなことは、するわけないんじゃん?

あとさ、高宗を退位させたのも伊藤でしょ?

いくら併合に慎重な姿勢をとってたからって、植民地経営の矢面にたって色々せざるをえなかったんだから、

恨まれて当然じゃない?

仮に、山県なり桂の方が併合推進派だった、と安重根が知ってたとしても、やはり伊藤を狙ったんじゃないか。

ネームバリューが違う。初代韓国統監で初代総理大臣近代日本建築の立役者。

一泡吹かせるのが目的だろうに、山県有朋じゃ役不足だろう。

2007-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20071112084432

森鴎外

医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれ、医学を学ぶために10才からドイツ語を学び13才で年をごまかして第一大学医学校予科(現在東京大学医学部)に合格、19才で卒業陸軍軍医として勤務。

その後も政府内の超エリートとして順調にキャリアを重ね、陸軍では日露戦争にも出征し軍医総監、一方文学者としても活発に活動し、最終的には文学博士であり医学博士であり、退いて後も帝国博物館総長兼宮内省図書頭として正倉院の調査に着手、明治元老山県有朋と交友があり日本元号のあり方にも一家言あり、また初代帝国美術院院長もつとめた。もちろん翻訳家創作家としても名高い文豪であり、また大正浪漫派を主導した雑誌スバル」を強力にバックアップしたりもしている。まさに近代日本の根底を支えた最大の知識人、つーかバケモノ

では頭でっかちの野暮天だったかというとそうでもなく「4才で初恋を経験した」と主張する彼は、留学したドイツでは女の子をひっかけこれが日本についてくる騒ぎとなり、最初の妻とは離婚したが18才年下の嫁を貰って子供を4人作って大変愛した(長男は最初の妻との間の子)。

そして、それでも本人はあんまりこの世が幸せでなかったらしく、死ぬときはそういう肩書きの類一切を固く拒否するという遺書を残した。欲の深さも天才級。

まあそんなわけで……結論はなんでしょうね。

こんな天才と比べたら、って、なんだか比べるのも馬鹿らしくなってくるというか。

まあほどほどが一番という、きわめて庶民くさい結論で納得しとけってことでしょうかね。

 
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