はてなキーワード: 君子とは
君子という話やなあ
君子やなあという話
https://www.tokuma.jp/search/g15474.html
なんというか、徳間レベルの大手出版社ですらヘイト本・ヘイト本を出さなければいけないほど追い詰められているんだなと悲しい気持ちになったな。もちろん売れるという事情もあるんだろうけど、それでも度が過ぎたのが多すぎて引く。
こういう本を出せば短期的には収益は上がるかもしれないけど、中長期的に見ると「あの出版社は変な本ばかり出す」って悪評がたって墓穴掘ってるようにしか見えんのよ。貧すれば鈍する。
とはいえまともな本も出しているということは付記したい。いやまともな本出している人にとってもいい迷惑だろうけど…
他の出版社だと、同じような批判を浴びせられる角川書店(※オタク系のは除外)と早川書房はそこまで露骨にどうしようもない本は出していない印象がある。
新聞社系(中央公論新社・朝日新聞出版・産経新聞出版など)は時々どうしようもないのをお出しになるけど、基本的には結構まとも。
左派系だと岩波の『世界(雑誌)』はなぜか極左通り越して半分トンデモな内容になっていて困惑しているが、それ以外の本はそこまで酷いのはない(たまにあるが)。
みと@静養中
@mito0918
”君子危うきに近寄らず”
コレに尽きるでしょ?
玉川徹氏 DJ SODAを責める声に「じゃあ海とか行って露出の多い格好してたら、触られても自業自得なんですかね」(デイリースポーツ)
Amelia
@asxrf1
八代英輝弁護士、言ってしまう 「DJ SODAの主催者は被害が生じないような対応を取るべきだった。大きな反省材料はある」 https://b6.sakki2022.com/?p=11239
Amelia
@asxrf1
【正論】倉田真由美氏、DJ SODAに「服によってどう見られるかは、自分が引き受けなくてはならない」 https://b6.sakki2022.com/?p=11237
このロジックを正当化して胸を触っていい「社会的合意」を作ったのはフェミニストです。北原みのり、上野千鶴子、大椿ゆうこです。
柴田英里
@erishibata
本人が「主体性」を持って表現活動しても「性の商品化」「環境型セクハラ」「胸が大きすぎる」「性差別で性暴力」など、他者の「主体性」を勝手にジャッジする人たちが騒いで問題化するのが今までの「炎上」でしたが?
🌺大椿ゆうこ 社民党副党首 参議院議員/労働者の使い捨ては許さない!🌺
@ohtsubakiyuko
主体が誰か、そこに本人の主体性が存在しているかの違いじゃないですか? twitter.com/skd7/status/16…
https://twitter.com/erishibata/status/1692698882302759115
柴田英里
@erishibata
だいたい、「他者の主体性を(自分の基準で)ジャッジする」ということ自体が上から目線や思い上がり、他者を品定めする暴力性とセットだということを「フェミニスト」が忘却するのはどうかと思います。
柴田英里
@erishibata
「りえちゃんはきれいだから許す」「背筋をぴんと伸ばして大地に立ち、真っ直ぐにこちらを見つめたヌードは、ポルノになり得ない」
これが、「性の商品化」初期のフェミニストの見解。なお、宮沢りえヌード写真集広告に抗議したフェミニズム団体もある。
https://twitter.com/erishibata/status/1693091222972432405
柴田英里
@erishibata
「りえちゃんはきれいだから許す」の上から目線すごい(怖い)。
柴田英里
@erishibata
「性の商品化」に関して朝日新聞が最初に大々的に取り上げたのは「宇野首相の女性問題・退陣」。行動する女たちの会や社会党の意見を引用し批判する記事構成。あと、行動する女たちの会の批判ロジックは、「不倫というより芸者を買う買春なのでダメ、性の商品化を無くせ」なので、職業差別でもある。
もしまだ3億円を稼いでいない日本人がいたら、行動力が不足している可能性があります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1142881446
プロレス団体は日本全国で試合を行いますが、すべての試合がプロレス団体が自ら主催しているわけではありません。
たとえば東京に本社のある団体が、日本全国に営業社員を派遣して、会場の手配や宣伝、チケットの販売をするのは大変です。
だから地方ごとにプロモーターという人や興行会社があって、その人たちに興行権自体を売ってしまう方式が多いのです。
プロレス団体は興行権を○○○万円とかで売って、レスラーとリングだけ持っていくわけです。
その地方で会場を借りたりチケット売ってるのは興行会社であり、そしてその会社自体がヤクザだったりということがあるわけです。
そしてヤクザも全国ネットですから、次にあの地方で興行を行いたいと思えばコネやツテで別のプロモーターを紹介してもらえますので、必然的に仲良くしておく必要があるのです。
暴対法の施行により、ヤクザが代紋を表に出してシノギをすることが出来なくなったため、表向き縁が切れたように見える、というのが実情でしょう。
昭和の時代は、プロレスに限らず、芸人や歌手など芸能界の興行を仕切っていたのはヤクザでした。
故・美空ひばりの興行権を持つバックが山口組だったり、やすしきよしの故・横山やすしがヤクザと兄弟盃を交わしていたのは有名です。
https://twitter.com/mizoguchi_yuji/status/1693167232933822729
社内で確認を取りました。
僕やCEOの未来に確認なく、勝手に重要な連絡を選手にするような運営はいないので、エドポロキングvs所沢のタイソンは事実ではない誤った嘘の情報です。
どうゆう経緯で彼がこのような情報を発信するに至ったかはまだわかりませんが
ここからは感情のままに最近の出来事を書き出すので、気分を害す方もいると思うのでそう言った方は読み飛ばしてください
最近は当社の従業員や元従業員であると偽って、数百万の詐欺を働いたり仕事を得ようとする輩や私や会社の事実無根の情報を流してる人達がいるといった話をよく耳にします。
その中でよく挙がる名前が「いちはら」「ながた」「やまもと」ですが、BACKSTAGEを設立してから2年経ちましたが、一度もそのような名前の従業員が存在した事実はありません。
添付してますが驚くことに架空の名刺まで作ってるという事実も発覚しています(何か情報あったらDMで下さい。さすがに本件は度を超えてるので徹底的にやります)
エンタメの業界で仕事を始めて思うのは、どこかで挨拶した程度の名前も顔も一致しない人にわけ知り顔で陰口を言われたり、契約書を巻いてるのに平気で違反をされたり、約束を守らない人や支払い遅延が発生するのも日常茶飯事で、お金だけ受け取って連絡がつかなくなる人がいたり、SNSを使って一部の事実とほとんどの嘘や憶測を交えて印象操作をされたり、そのせいで僕はまだしも一緒に働く仲間まで誹謗中傷されたりいろいろありました。
他にも業界の重鎮とされる人から「この世界で仕事を続けたいなら挨拶に来い」と日時を一方的に指定されたことも何度もあるし当然過去にお世話になったことなんてないしこの先もお世話してほしいと思ってないから一度も行ったことはないのだけど、そうすると陰で事実無根の偽りの情報や噂を流される始末だったり、起業してから今まで、僕が身を置いてきた世界では決して起こらなかったことが身の回りでたくさん起こります
上記に限らず、僕のまわりには泣き寝入りをしてる被害者も多く、経済力や影響力や狡賢い人の理不尽や、弱者の顔をした横暴が蔓延ってる現状に違和感を感じずにはいられなくて
もちろん僕は聖人君子じゃないし、幼少期からまともな人生を生きてきたわけじゃありません。
たしかに僕は頭が固いと思うし、自分を曲げられない短所もあります。
ただ、そんなダメダメな僕でも、こんなふざけたやつが存在するんだ、という感情に苛まれることが多いです
いろいろ感情のままに書きましたが、とにかく最近は自由がほしいという気持ちが強いです。
誰も、僕自身や僕の大切な人が理不尽に苛まれないように、自分や自分の大切な人が目標や夢を追いかける中で、理不尽な権力や弱者の顔をした横暴や不当な圧力や不条理な脅しに振り回されないような自由、力がほしい。
僕も過去に、ガバナンスやコンプラに厳しく、従業員数もステークホルダーも非常に多い企業の代表取締役を長らく務めていたことがありますが、当時は「支援者や社員に迷惑をかけないようにしよう」「期待に応えよう」「誰かのために」「責任ある立場だから」と言って、嫌なことを嫌と言えず、理不尽に対しても抗えず、自分の信念や価値観を押し殺して、自分を失いながら経営をしていました。
「自分の正義や信念を押し殺して、事なかれ主義で、要領よくなるべく平穏無事に終わればそれでいい」と自分や周囲を納得させることを繰り返して、屈することに慣れてしまううちに、自分が別人になっていくのを感じて、自分自身のことを嫌いになっていく中で、会社の代表者としての人格と、実際の自分の人格の乖離が起こり、ラスト数年は朝起きあがるのも苦しいし、会社に行くのもしんどい日々が続きました。
強がってはいますが、僕自身も実際は、よくわからない業界の重鎮やネットを使って名誉毀損をしてくる人や、注目集めや金を目当てに嫌がらせを行ってくる人が怖いです
ですが、そうした過去の反動や人生もあり、だからこそ、たとえ傷付くことがあっても、自分が確信を持って正しいと信じられることに関しては、何があっても決して譲らずに、自分を信じていこうと決めて今は生きています。
感情のままにらつらつら書き綴ってるので、アンチコメントたくさんもらいそうですが(苦笑)、あと何を書いてるのかよくわからなくなってきたけど、まぁ最近はBreakingDownを中心に、大なり小なり事件が起きたり、誹謗中傷に晒されているので、いろいろ鬱憤たまってることを諸々書きました。
最近文章が短いんだよとか言われるので、イライラの感情のままに長文書いたけどどうでしたか。(ちなみに、この投稿は消す可能性が高いです苦笑)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000064.000090289.html
■BreakingDown「反社対策アドバイザリーボード」とは
反社会的勢力に関わりがないかどうかの「コンプライアンスチェック」を運営スタッフ、選手、スポンサー、取引先等大会運営に関わる全ての企業と個人に対して行い、BreakingDownを健全に運営するためのサポートを行います。
さらに、反社会的勢力の排除に関する契約書の締結、反社会的勢力に関する対応マニュアルの策定と運用サポート、大会関係者へのコンプライアンス研修などを継続的に実施することで、クリーンな総合格闘技団体を目指します。
元警察官僚や反社会的勢力への対応に詳しい弁護士、企業防衛コンサルティングのプロ、警察OBなど、反社会的勢力排除の専門家をメンバーに迎え、計14名体制でアドバイザリーボードを運営していきます。
幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。
というのも、田舎だと幼稚園の人間関係が中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。
そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲットに自分が選ばれた。
だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。
ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚だけがこびりついている。
ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。
高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。
推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法で受験した。
あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大に合格したり、架空の大学の合格証書(今考えると有印公文書偽造でガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。
しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。
同じ学校の人間が地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。
結局大学院進学の時にようやく地元の人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。
その恐怖のせいでM2後期のころには精神がボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。
しかし意識的か無意識か地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。
最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。
このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。
両親は経済的理由から自分を実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。
その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。
実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元の同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。
ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間だからだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。
なぜなら学校を意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設に連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分が小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。
そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも、親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象でしかない。そのほかに信じられる人間もいない。
一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。
それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからだからだ。
実際「自分がいかに卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的な外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。
逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。
もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。
PTSDなんだろうかね?
余談
子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。
ここで、さいたまのページを見てみる
「不当な差別的取扱い」と「合理的配慮の不提供」の2つの類型があります。
「不当な差別的取扱い」とは、正当な理由なく、障害を理由として、サービス等の提供を拒否する又は提供に当たって場所・時間帯などを制限する、条件を付するなどすることを指します。
※法に規定された障害者に対する合理的配慮の提供による障害者でない者との異なる取り扱い、合理的配慮を提供するために必要な範囲で障害の状況等を確認することは、不当な差別的取扱いには当たりません。
「合理的配慮の不提供」とは、障害のある方から何らかの配慮を求める意思の表示があった場合には、負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な合理的配慮を行うことが求められていますが、このような配慮を行わないことを指します。
「不当な差別的取扱い」は、まぁ不当な差別なので、問答無用に禁止
「合理的配慮の不提供」は、民間事業者の場合、努力義務になっている
例のセブンの件は、普通に考えたら「合理的配慮の不提供」だよね
聖人君子のすむ桃源郷から考えたら良いことじゃないが、どういう理屈で「不当だ」としてるのだろう?
例えば、飲料メーカーがスニーカーが当たるキャンペーンを打つとして
その飲料を常飲している足がない人は、これを不当だと言えるだろうか?
耳が聞こえない人は、これを不当だと言えるだろうか?
ここで、用意できる席を用意しなかったのだから差別というマヌケは
キャパ47,816人の中の340席
ペア175組のうち、1席車椅子席が確保されていたら納得するのか?
それとも、応募に障害者枠を作るのか?
それとも、チケット送付して終了のキャンペーンなのに、「当日まで来るかどうかもわからない障害者のために、社員を数名動員しろ」ってなるのか?
そこまでしないキャンペーンは不当で違法とか、マジで言ってんのか?
これ「キャンペーン」だぞ
キャンペーンのために「数少ない」専用スペースを確保してないと差別って場合
これ、この手のキャンペーンには当たりやすい「障害者枠」ができるって話だよね
違うという場合、こういうキャンペーンは全部どんな場合でも参加できるように社員貼り付けろって話
国立も長居も通常のリーグ戦なら車いすユーザーの観戦に対応できてるんだから、海外クラブのツアーで出来ないのは企画側の怠慢でしょ。セブンは車いす席が設けられないならスポンサーを降りると要求すべきだった
ってすごいよな
これを実現する場合
美しい話だ
ちゃんと読んでないだろコメント。車椅子席の取得権利はあったが必要だと認識せずに獲得しなかった。つまり健常者以外を無視するコンテクストが強固にあり差別に繋がった。もうそんな感覚は通用しないんだよ。
と思って、児童相談所にも行ったし、最終的には民間のあっせん団体とやり取りを始めた。
児相は、最終的には実の親に返すことが目標である養育里親のなり手の方が欲しいようだった。
特別養子縁組、それもできれば新生児がいいだなんて、何を虫のいいことを言ってるんだ的な顔をされた。
ただコロナ以降なのか、大体何でもオンラインになっていて、ちょくちょく休みを取って上京しないといけない、なんてことにはならないようだ。
それはそれで不安だが、交通費が馬鹿にならないのでありがたい。
当たり前なのだが、児相だろうと民間だろうと、「子どもに障害や病気がある可能性を理解してください」とめちゃくちゃ念を押される。
実子だろうと可能性レベルで言えば同じなのだが、いざ覚悟を問われるとちょっと身構えてしまう。
別に「五体満足で健康な子でないといりません」なんてことはもちろん言わないのだが。
でも、「五体満足で健康であるに越したことはない」と、思うくらいは許してくれよ。と思う。
誤魔化すし、くだらない嘘もつくし、面倒は嫌いだし、非課税で2億ほしいなーとか毎日言っている。
そういう、俗世間の普通の人間でも、他人の子をお預かりして育てられるだろうか。
なんだか、すごく意識と徳が高い完璧夫婦を求められている気がして居心地が悪いのだが、特別養子縁組で子どもを迎えたいと思っている。
例えば巨悪や天災に抗い続ける人がどこかでぽきっと折れてしまったり、悪役が尊厳も何もなく命乞いをする姿とか。主人公にも誰かを傷付けた経験があるのに、時が経ったらもうそんなこと忘れてしまうみたいなこと。車に轢かれた動物を見て見ぬふりしたとか、歩いて潰した虫に気付かないみたいなことも。
宗教みたいに美しい人格者ももちろん好きですが、上記のような悪辣さというのか、裏の部分?とでも言うんでしょうか。悪気は無く、ただ無意識のうちに聖人君子ではないと証明できてしまう部分。ここに心惹かれます。
君子危うきに近寄らずだぞ