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はてなキーワード: 千秋楽とは

2018-05-16

千秋楽前に買った退団公演の円盤は、千秋楽までは何回も見たのに、千秋楽あたりからこっちずっと見れてない。

ずっと聴いてた音源ももうずっと再生してない。

千秋楽映像もレポも見てない。放った信頼できる密偵からのレポだけで満足してる。

カフェブレも見てない。

いつか見るときが来るんだとおもう。

そのうち。

きっと。

部屋の壁を占めるポスターは変わらない。

キッチンに並べてたお写真は整理した。

2018-05-10

私の推しが出る舞台千秋楽ウォークマンを鳴らした友人が許せない

私の推しが出る舞台千秋楽で、ウォークマンを鳴らした友人が許せなくてもやもやしている。

もともと私よりもずっと舞台に通っている子で、観劇マナーかにもうるさい。

前にも自分が行った舞台iPod鳴らした客のことをありえない、最悪、携帯電話ではなくても電子機器なんだからどうして電源を事前に切らないのかと怒っていた。

まさか私の一番好きな子が出る舞台千秋楽でまったく同じことを隣でされるとは思わなかった。

冒頭5分くらい大音量ではないけど小さな音が鳴り続けていて、全然舞台に集中できなくて、

この音誰だろう、舞台にまで聞こえていたらどうしようと変な動悸までする状態だったのに、

隣で友人がごそごそ鞄あさった後音が止まったときは思わずそっちを見た。ありえない。ほんとにありえない。

今回の舞台自分にとってどれくらい大切かって話もしていたし、知っているはずなのに、

一番重要千秋楽の冒頭集中できなかったことが悔しくてたまらない。

終演後謝ってたけどなんでよりによって、って感想しか出てこなくてずっともやもやしてる。

悪意がなかったのはわかってるけど、自分もありえないし最悪じゃん、と思ってしまってそんな自分も嫌だ。

Twitetrでは繋がってるし、誰にもいえないから吐き出し。なんでそういうことするかな…

2018-04-19

三宅健くんへ

ジャニーズjrの為に憎まれ役を買って出てくれてありがとう

健くんがラジオ毎日楽屋挨拶をするように伝えてくれたお陰でjrもきっと反省していると思います

しかしたら初日千秋楽しか挨拶をしない習慣だったのかもしれないし、座長毎日挨拶をしなくて良い派だったからそれに倣ったのかもしれない。だけどもそれは外に出たら非常識なことだから、今までのなんとなくをぶち破ってでも、誰かが教えなきゃいけないこと。健くんが後輩に反省する機会を与えられる存在になったこととても嬉しく思います

だけど私はそんなこと知りたくありませんでした。

これから舞台を見る時、健くんが楽しそうにjrと話していても内心どこかモヤモヤがあるのかもしれないだとか、この子挨拶した子でこっちがしなかった子だとか、この三宅担は昨日jr担を叩いてたのかもしれない、このjr担は健くんを批判してたかもしれないだとか舞台に集中したいのに雑音がたくさん入ってきてしまますさらjr担は挨拶が出来ない子を応援しているという罪悪感を持って劇場に入らなければならないかもしれない。

この雑音は全て健くんが舞台に持ち込んだものです。

健くんが後輩に教えたかたことは、観客にわだかまりを残し、周囲に傷をつけないと教えられないようなことですか?

健くんが挨拶が出来なかった時は先輩のファンにも、自分ファンにも、まったく無関係一般人にも怒られましたか

あなたが大切にしている後輩とそのファンさらには健くん自身ファンすらも軽率に辛い状態に追い込んでいることが悲しくて仕方ないです。

座長が作り続けてきたエンターテイメントに汚点を作ったのは間違いなく健くんです。

健くんがファンに叱ってもらいなさいというから私は心を鬼にして健くん宛にこのブログを書いています

これから健くんにファンレターを書くどなたかにおねがいです。健くんにこういう感想もあったと伝えてあげてください。

そしてjrを叩いてるV担へ。

あなたが今叩いてる人達は何年も滝沢秀明舞台をバックjrではなく、一人の出演者として舞台で戦い続けてきた人たちです。滝沢歌舞伎においては、健くんの先輩です。きっとDVDすらも見たことないだろうけど座長が育てたパフォーマーです。見もせずに、見るつもりもないのに知った気になって、人様の舞台出演者を叩くことは恥だと思います

健くんは人を不幸にするアイドルじゃないですよね。信じています

健くんが出演する前から滝沢歌舞伎ファン三宅担より

2018-04-02

おめでとうと言いたかった、梶山朝日くんというアイドルの終演

はじめに、自分梶山朝日くんの担当ではありませんでした。

今更こんなことを書くのは、たくさんのジャニーズ二次元三次元わず

アイドルが終わっていくのを見て、私も区切りをつけなければならないと感じたからです。


私はもともとデビュー組の、梶山くんよりもずっとずっと先輩の人が担当で、

梶山くんは「Jr.の中じゃ一番応援してる子」でしかなかった。

自担のことはほとんど崇拝に近い応援をしていて、とてもとても好きなのだけれど。

でも、なぜか今もこんなにも悲しい。

私は、梶山くんの最後舞台を一度も見ることな梶山くんは去っていった。

最後に見たのは夏、サマステ

正直EXシアターはライブハウスからジャニーズを見るのなんて向いてないのだけど、

それでも単独公演ならばと幾度か足を運んで、

バルコニーから繋がるように背面にもステージがあって、

後ろのほうがファンサもらえるんだなあなんて思った記憶がある。

梶山くんの、いつでも真剣に取り組んでいる姿が好きだった。

ターンしたあとのドヤ顔が好きだった。

いろんな場面で頑張ってTJポーズアピールしているところが好きだった。

楽しそうに笑顔で踊るところが好きだった。

でもかっこつけずに、全力で笑ったりするところが好きだった。

マステのとらじゃ最終日、美勇人最後の日だったから、

終演後に周りのファンはみんな泣いていて、泣き崩れていて、

友達のことを励ましながら私は、悲しいと思うけれどどこか他人事のように見つめていた。

ジャニアイのことは、チケットは外れたし湾岸チケットは持っているし、

内容的にも今回は見送っていいだろうと思ってレポもほとんど見ずに毎日を過ごしていた。

その辺りから不穏な噂は、ゴシップに疎い私の耳にも届いていた。

信じなかった。信じないようにしていた。

くだらない噂を信じ込んで、梶山くんのことを汚したくはなかった。

でも忘れもしないジャニアイの千秋楽

私はすべてを後悔する。

今、時間を巻き戻せるとしたらいつの梶山くんに会いにいくだろう。

初めて見たとらじゅクリエ

情熱の一夜を踊るプレゾン

最年少で14歳梶山くんが私に手をふってくれたこと。

始まったABC座2017、夢のハリウッドなんてまさにABC座で歌うためにあるんだろうという曲、

梶山くんの立ち位置けがぽっかりと空いていて、

美勇人もいなくてそれでも楽しく明るく歌って踊るTravis Japanがそこにいた。

私は静かに泣くしかなかった。

舞台には何度か入ったけれど一度も夢ハリをまともに見ることはできなかった。

なんなら、ずっとA.B.C-Zの出番であればいいと思った。

Travis Japan現実を見なくて済むのだから

結果、10月でじゅうぶん打ちのめされた私は湾岸チケットを手放した。

もっと、今のTravis Japanを愛せる人が見にいくべきだと考えたから。

年末自担を見にいったカウコンで、いくつかのJr.ユニット名がでてきてとても胸がざわついた。

そして思いがけずとらじゃがでてきて、東京ドームステージで踊るなんて、

私は、梶山朝日くんがここにいたらどんな表情で踊っているだろうと考えて、

きっとクールな顔よりも、とびきりの笑顔で踊っているすがたまで見えてしまって、

自担に会えるのは年末最後だと整えたメイクがとけてなくなるくらい泣いていた。

某Gのペンラとうちわを持っているくせに、とらじゃで号泣している女なんて不審に思えただろう。

でも東京ドームという舞台は、誰よりも梶山くんにふさわしかった。

ダンスが、笑顔が、歌が、梶山朝日というアイドルが、かけがえなく素晴らしいものだったからだ。

私は梶山くんの終わり方は決していいものではなかったし、批判されて当然だと思っている。

現実ファンを打ちのめし、悲しませ、そしてなにより唐突だったからだ。

もう二度と、あんな辞め方を誰にもしてほしくはない。

梶山くんのことを好きにならなきゃよかったなあなんて、思うことだってある。

それでも、記憶の中で君はきらきらと踊っているから、私は許してしまう。

さて、梶山朝日くんは今、幸せでしょうか。幸せに、なったのでしょうか。

もう知る術はないけれど。

梶山くん、私に手をふってくれてありがとう

笑ってくれてありがとう

私の中で君は、いつでも輝いていて、見ているとわくわくするような存在でした。

自担は初めて知った時にはすでにデビュー組で、たぶんもうアイドルを辞めないと思うから

私はしあわせにあぐらをかいていたのかもしれないね

あんなにTravis Japanを、Travis Jr.を愛していた梶山くんがまさかいなくなるなんて思ってもいなかった。

踊るとアイドルで、笑うと最年少で、喋るとバカ男子梶山くんをずっと応援していたかったんだ。

とらじゃからひとりずつ欠けていくメンバーに、不安に思わなかった日なんてない。

それでも梶山朝日くんは、グループ終焉までいるんじゃないかと思っていたよ。

何を探してもアイドル梶山朝日くんはもういない。

一足先に終演の幕を、自分の手で降ろしてしまった。

君は自分の決定に、後悔する日がくるのでしょうか。

それでもずっとずっと幸せにいてくれますようにと願うことくらいいいかな?

Travis Japanはもう前を向いている。私も新しい気持ちで、あのこの面影があるTJポーズをしようと思う。

2018-03-13

茶の間ヅカオタ記②

私の大好きだったタカラジェンヌ卒業した。

彼女の十数年にわたるタカラジェンヌ人生のうち、最後の数年しか応援できなかったけれど、出会たことに感謝し、最後を見送れたことに感謝している。とてもよい卒業式だった。でも、心残りなことがある。それは、彼女がいつどういったタイミングで何をきっかけに卒業を決意したのかということを、ちゃんと聞くことが出来なかったことだ。

そういう話が聞けるのだと思って、最後お茶会に参加した。今思い返してみても、はて、お茶会で何を話されたかな、と何も思い出せないくらいに中身のないお茶会だったことがとてもショックだった。一緒に退団されるほかのジェンヌさんは、お茶会の中で詳らかにいろんなお話をされたようで、ツイッターに流れてくるお茶会レポを見ては、こういう話を私も聞きたかったんだという想いを強くした。恐らく、みんなが聞きたいと思ったような話は、大人会のお食事会で話をされたんだろう。そもそも大人会というは存在のものベールに包まれていて、その実態は知る人ぞ知る甘美な秘密だった。私にその参加資格があると知った時にはその甘やかな秘密に大いに酔いしれたけれど、その甘やかさは同時に恐ろしくもあり、散々悩んだ挙句に参加を見送った。あの時の決断を今もずっと悔やんでる。私の聞きたかった話が聞けなかったこと。彼女感謝を表す相手がそこにしかいないということ。

迎えた卒業の日、それは怖いくらいによく晴れた青空の広がる日だった。白い服に身を包み、決まらない髪型憂鬱に思いながらも、朝早くからたくさんの人たちと一緒に彼女を迎え、そして最後舞台に立つ彼女を見送った。笑顔で見送って欲しいという彼女の願いをちゃんと守ったつもりだった。この舞台に立つ彼女を見るのはもうこれが最後。このセリフを言うのも、この曲を歌うのも、この踊りを踊るのも、これが最後。一つ一つの最後」を大事大事に嚙みしめて、見送れることの幸せを噛みしめた。舞台の上の彼女は最高にカッコよくて、私の自慢の贔屓だった。全てが完璧だった。緑の袴を着て言われた最後挨拶の中で、タカラヅカは全てを懸けた場所でしたという言葉がとても心に突き刺さった。

舞台彼女のすべてだった。では、なぜその舞台を降りようと思われたのだろう。

緑の袴姿のまま楽屋を出てきた彼女を、朝よりもたくさんの人たちと一緒に迎え、そしてあなたが大好きだという言葉と、ありがとうという言葉を伝えた。最後まで笑顔だった。

とても美しいその姿に、いい卒業式だったなと全う出来たことにほっと胸をなでおろした。劇場から去った彼女は、彼女に関わる人たちと別れを惜しんで最後のご挨拶をされるためにフェアウェルパーティーに出かけた。ファンもみな、参加できるのだと、数カ月前の私は無邪気に思っていた。彼女の本当の最後言葉を聞くことが出来るのだと、とても楽しみにしていた。もしかしたら卒業を決めた理由を、話してくれるかもしれない。そう思ってわくわくしていた。

でも。

私はそのパーティーには参加できなかった。参加には条件があると伝えられた時、あまりのことに目の前が真っ暗になった。まさか最後最後で、扉を閉ざされてしまうなんて。

タカラヅカという世界お金時間をかけた人だけが勝者で、それ以外の人は「ファン」ですらないというのは重々分かっていたつもりだけれど、そのことをまさか最後になって思い知らされるとは思いもしなくて、今もそれは私の中に蟠っている。大人会の会員であることもしくは去年一年間の楽屋の入出の参加の規定数を満たしていること。それが条件。私は対象外だった。そうか、対象外か。彼女の想定する「ファン」の中に私は存在しないんだなと、涙に暮れた。

千秋楽間近の楽屋出が急になくなったこともあった。卒業なんだし、たくさん我儘を言えばいいよって思ったけど、それでも寂しかった。ファンに会いたくないのかなってぽつり呟く若いファンの方の姿に胸が痛くなった。あと何回こうやって素顔のあなたに会えるかわからないのに、それを無下に反故にしてしまうことに対してどう思ってるんだろうって、好きって気持ちだけでは抑えきれないもやもやを抱えたりした。

卒業からといって、千秋楽からといってなにも特別なことはしない。何よりも舞台大事で、舞台の上で最高のものを見せてくれる彼女のその姿勢尊敬するし、それでファン蔑ろにされてもそれはそれで構わなかった。舞台の上の姿が素晴らしかたから。

階段を降りてきての最後のご挨拶の中で、スタッフの皆さま、先生方、上級生の方々、一緒に頑張ってきた同期、下級生たち、そして劇場に来てくれたみなさま、ファンの方々、それらを挙げてありがとうございましたと言う、それがテンプレ。でも彼女はそこに「ファン」を含めなかった。ショックだった。そもそも私はファンですらなかったのだけど。一体、なにがあったんだろう。なにか、あったんだろうか。

完璧を目指す彼女が体力の限界を感じて舞台を降りようとしたのかなとか、なんとか自分が納得のいく答えを必死で探した。

プライドの高い彼女ファンですらないそのほか大勢の前でそんなことはきっと言いたがらないだろう。それならそれでいい。気心の知れた、信用の出来る人にだけこぼす本音であっていい。ただ、それを聞く立場になかったというだけだ。彼女のことが大好きで、大好きで、とっても大好きだったけれど、そんな私のありったけの愛なんて彼女にはなんの足しにもならなかった。そのことが、とても、悲しい。

彼女の十数年を長く応援してきた人の中には、ここ数年いろんな事情お金時間彼女の掛けられなかった人たちもたくさんいるだろう。その人たちを蔑ろにするというそのことも、ショックだった。大人会という幻のような存在を明らかにしたこともまたショックだった。若いお嬢さんたちの中には、大人会なんて知らない人もたくさんいただろう。不文律暗黙の了解がたくさん存在する伏魔殿。それがタカラヅカ。そして一番聞きたくなかった「まだ東京公演がありますから」という言葉。私には東京公演なんてない。大劇場のこの千秋楽が本当の本当にお別れだ。まだあるから、っていう人たちとは覚悟が違う。もちろん東京に行けないのは私の勝手事情なのでそんなことはお伝えしないけど、でもこの大劇場卒業するという意味もっと大事にしてほしかった。エゴだね。たくさんのこういうエゴを抱えて、時々押しつぶされそうになりながらもなんとか踏ん張ってる私を、いとも簡単に踏みつけたことがショックだった。明日からはもう私の中にタカラジェンヌあなた存在しない。そういう悲壮覚悟を持って臨んだ一日だったのだ。分かってもらえるとは思ってなかったけど、それでもここまで無邪気に木っ端微塵にされるとは思わなくてかえって清々しいです。まだ東京公演があるから今日最後じゃないから、そんなことを言ったのは、あなただけだった。

これは失恋の痛みと同じだ。好きな人に想いを受け入れてもらえない。振り向いてもらえない。優しい言葉をくれたと思っていたけど、それは私にではなく私の後ろにいる人に向けてたものだったと気づいた時のあの気まずさ。笑顔も振られた手も、それは私に向けられたものじゃなかった。そして本当にそれを受け取った人がすぐ近くにいることに耐えられなくて、だから私はこの世界から背を向けようと思う。私も彼女気持ちが知りたかった。そんな思い上がったことを望んでしまったのが敗因だ。傷心のまま、私は夢のように美しくて、そして残酷なこの世界から去りますさよなら好きな人、ずっと大好きな人。どうか、お幸せに。

2018-03-06

ひどい舞台を観た

作品もお粗末であり客席も最悪だった

私たちは頑張ってきた過程に関してお金を払っているわけではなく、頑張って作り上げてきた結果に対して対価を支払っている。

相当な酷い出来だったのに千秋楽座長の頑張ってきたアピールに興醒めの一言。頑張ってきた過程が褒められるのは高校生文化祭の出し物までだ。過程に対してファンが対価を支払うのは勝手だけどそれに他者を巻き込まないでほしい。

まあそもそも第三者わたしには過程にすら頑張りは見受けられなかったのだが。本当にヘタクソだった。与えられた台詞を言うだけなら今の時代コンピュータだって出来る。そこで人間が演じる意味とはなんなのか。本当に芝居をやっている人たちにあまりにも失礼な出来だった。

細かくは言及しないが作者が苦言を呈するくらいには演出も最悪で、演者の一部が最悪ならば客席も最悪だった。

上演中の私語

上演中の飲食

スマホが鳴る

スマホをいじる

前のめりでの観劇

帽子を取らない

ひいては、カーテンコール中の声援

最悪の一言だった

出演者の中には毎日のように観劇マナーを守るよう発信していた人もいたのだが、彼の言葉最後まで座長ファンには届かなかったようだった。まあ、座長ファンたちは直接注意しても態度を改める気は無いようだったから仕方のないことかもしれない。

元某アイドルグループメンバーの中には素晴らしいお芝居を見せてくれる人もいる。きちんとマナーを守り観劇するファンもいる。だが、お金をとってはいけないレベルの芝居をする者も、幼稚園児以下のマナー観劇をするファンもいるし、それがあまりにも多すぎる。

二度と彼女たちが出演する作品は観に行きたくない

2018-02-12

anond:20180208125108

原作ファンでそのキャラが好きな者としてはとても複雑だよね。

私も財木氏にはもう彼を演じて欲しくはないが、他の俳優がやるのも嫌だ。

それくらい役としてははまっていたと思う。それだけに残念でならない。

もうミュの方は、あの役は欠番いいんじゃないかと思うくらい。

待ち遠しかったフェスアーカイブ配信も始まるというのに、もやもやして暫く見られそうにない。

折角新作公演のチケ取れたり、先日の千秋楽の余韻がまだ残っていたのに台無しだ。

 

.5の彼はステにもいる。

自分の周囲にはどうにもミュの方と比べられがちな空気があってそういうのは好きじゃなかったが、あっちはあっちでよかったし好きだ。

それだけに今回の事で間違えられて、とばっちりを食らってるのが悲しい。

あと名前が同じだけの俳優も熱い風評被害を受けてるし…

財木氏よ、こういうところにまで迷惑がかかってるんだぞ。分かってるのか。

2018-02-09

anond:20180209211837

こういうのを「おおらかだった時代」みたいに捉えてるんだから基本的体罰肯定なんだろ。

春待ち能町みね子

@nmcmnc

とある仕事で昔の相撲記事を読んでます昭和30年代、ある若手幕内力士千秋楽に脱走してそのまま失踪、巡業も無断欠席、翌場所の何日前かにやっと見つかったが失踪中は酒と女で遊びまくり、戻ってきて稽古場で「百叩きの刑」にあったとさらりと書いてあってこれこそがALWAYS三丁目の夕日時代だ!

午後7:03 · 2018年2月9日

2018-02-08

推しを叩かないで

2月5日(月)は2.5次元作品あんさんぶるスターズオンステージの大千秋楽でした。満員御礼最後まで誰一人欠けることなく無事終わりを迎えた…と思いきや最後最後で観客を騒がせる出来事が。

今回の公演に出演していない、本編にも出てこないキャラクター月永レオを演じていたキャストさんのサプライズ登壇とその日誕生日を迎えた別のキャストさんへのバースデーサプライズ(隠しきれてない)。

詳細は他の記事でも取り上げられてるので割愛させてもらう。

私がこの記事を書いた理由ひとつは、私がゲスト登壇したキャストさんのファンからである。そして、サプライズゲストとして現れたキャストさんが作品をぶち壊しただのエゴキャラを利用しただの訳の分からない理由で叩かれているからだ。

マジでなんででたの?腐女子に媚びる為?結局どいつもこいつも自分が人気出すために演じてもらわせてるキャラを貶すの?」

あんステのメインキャラレオ登場で完全にファンからの視界に外れてかわいそうだった。なんで来たの?余韻ぶち壊すなよ全体の雰囲気より腐女子に媚びる方が大事なのか?」

まるで彼が自ら志願し登壇したような口振りだが彼はCD発売とライブ開催発表の為ゲストとして招かれただけなのだ

かに彼の登場とバースデーサプライズにより会場の空気はKnightsを持ち上げるような状態になり、主要キャストや他のユニット空気状態となっていた。これは完全にこのタイミングサプライズ企画した運営側問題であり、キャスト達が望んだことではないことぐらい考えればわかる話だ。

それにレオ役のキャストがいつ腐媚をした?今まで共演したキャストや設定上関わったキャストと仲良く肩を組んだりファンサをして歌っていただけなのに、それだけで腐媚になるの?

本編に出ていないのにいつ原作をぶち壊した?レオ原作通り『本編』には出ていないのでストーリーを壊した、原作に泥を塗ったは言いがかりだ。

実際キャストさんがどんな気持ちで月永レオとして舞台に上がったのかは知る由もないが、彼のブログタイトルを見る限り謙虚姿勢で臨んでいたはずだ。

飛び入り参加した時の台詞も前回の公演の使い回しで原作通り。多くは語らなかった。なるべくレオイメージを壊さないようしてくれたのだろう。

現場にいた私も彼の登場には歓喜よりも驚きが勝り何も出来ずただ眺める事しかできなかったし、fine好きとしては余韻を壊されてしまった事を残念に思ったので「ふざけるな!」と怒る人の気持ちも「最悪だ」と悲しむ人の気持ち理解できる。

しかしそれを一キャストとして仕事を全うした彼にぶつけるのは間違っている。

彼を批難している人も一時的感情なで呟いたのかもしれない。不穏な流れに便乗して呟いたのかもしれない。

それでもこの事で彼を見限ってしまってもいつか彼の演技を見る機会が来るのであれば闇雲に叩くのではなく純粋気持ちで彼を評価して欲しい。

2018-02-07

あんステTsf千秋楽観ました

先日、表題のとおり大千秋楽と、その後のライブビューイングを観ました。

以下はその時感じた事です。

感情のままに書いているので文章めちゃくちゃです。

愚痴の方が多いので、「素敵だった♡」だけの感想を期待した人は読まないでください。



内容は、所々はよかった。

桃李ちゃんの負けを認めたくない悔しくてたまらない思いとか、バラバラだったTrickstarが再び集まって最高の笑顔で歌を歌ったこととか。

でも、あの大千秋楽で、せっかくメインストリーの完結だと楽しみにしていた気持ち運営はあっさりと潰してきた。

千秋楽カーテンコール

最初は何であんなに巻き巻きでみんな挨拶するんだろうと思ってた。

人数が多いからかなって、そう思ってた。

でも実際は違ったね。凛月役の方のバースデーサプライズが控えているから。

彼のための時間は、挨拶時間より長かった。

別に誕生日を祝う時間を設けるのは全然構わない。

でも、そのために挨拶時間をなぜ巻きで進めなければならないのか。

比重が明らかにおかしい。

どんなに時間がかかってもいいから、挨拶時間をしっかり設けてほしかった。

メインであるTrickstarはもちろんだけど、紅月とか、初演から支えてきた役者さんの挨拶

聞きたかった。色々思いはあったはずなのに、全部誕生日のためにさらっと流れてしまった気がする。

その後のレオの登場。

現場で見たとき思ったのは、あまりの歓声で他のユニットが完全に置いてかれた感じになっていたということだった。

人気キャラから仕方ないけど、あの悲鳴を見て、これまで全公演を走って来た他メンバーはどう思ったんだろう。

そんな気持ちを抱えながらライブビューイング会場に向かって、二度目のTsfを観た。

あれ観た人、カメラワーク何とも思わなかったのかな?

これまでのあんステ作品ライブビューイングでは何とも思わなかったのに画面ぶれるわ喋る役者さないわで開いた口がふさがらなかった。

カーテンコールは大千秋楽のを流すという事だったので、改めて画面で観たけど、二度目のSingin'☆Shine!を見て絶句した。

これでもかと言うほどのKnights寄りばかりの映像。切り替わっても切り替わってもKnights。

Trickstarは?メインユニットだけど。

Knightsが人気なのは知ってるよ。

でもさ、今回はメインじゃないでしょ。

特別扱いの度が過ぎてる気がしてならなかった。いくらレオが加わったからって、Knights寄りで映す必要ある?

この映像がそのまま円盤に収録されるのかと思ったらぞっとした。

そんなんで、せっかくのTsf最後は全部Knightsに持っていかれた感じがして、正直辛かった。

良かったところももちろんあったけど、それ以上に辛かった。

twitterではもちろん批判的な意見なんて言えないから「良かったよね」って言ってるけど。

正直秋のライブとかも、出演ユニット分けて欲しいと思ったよ。

ここに書いてあることなんて、結局はただの「推しユニでない僻み」だと思われるんだろうな。

まぁそうなのかもしれないけど、でもやっぱりおかしいと思う。

あと最後に一つ。

日替わりネタもいいけど遊びすぎて本編に支障をきたすのは止めて欲しい。

笑いながらセリフ言いなおしたりするのって、役者としてどうなの?

それが一度ならまだしも、毎日何度もって、普通に意識疑ってしまう。

人気俳優なら何してもいいのかな。。

円盤の発売が楽しみだけど怖い。

ライブビューイング最後にTrickstarの挨拶があったのがせめてもの救い。

310の茶の間はリプを消してアイコン変えろ

便宜上名乗った方が良いと思うので、名乗ります。310のファンです。

これは某俳優のカノバレ炎上に際して、推し名前に傷が付けられまくっていることに憤ったオタク地獄のような恨み言です。

論点はただ一点

●310の茶の間は全員、某俳優へのリプライを消して無断転載アイコンを変えろ

本当にこれだけです

加えて言うなら

●せめて某俳優アイコンに変えてbio欄も某俳優名前を入れてからリプライしてくれ


………………………


茶の間、と言う言葉語源意味に関して論じる気はありませんが、ここでは金も落とさないで声だけでかいクソみたいなファンのことを指しています。そして何故か茶の間程、無断転載俳優アイコンなんだよな、なんでなの?頭悪いの?(口が悪くて失礼、育ちがあんまり良くねーんだわ)

そういった方達に、推し画像無断転載したアイコンを使って無責任発言をされるのは我慢がならないし、これだから310のオタクは…と言われている現状にも気付いて欲しい。「大丈夫」とか「気にしてない」とか「謝らなくていい」とか「応援してる」とか…茶の間であろうと無かろうと、310にお金を使っていようといまいと、推し顔面を貼り付けた状態で他の俳優に向かっていい加減なこと言わないでくれ。

ファン俳優の鏡などと良く言われますが、だからこそ、ファン軽率な行動が推しの評判になることを自覚してくれ、いやほんと、頼むよ。頼むから


茶の間は黙れというようなことを口にすると、乱暴な切り口だと攻撃される風潮が大嫌いです。だって茶の間あくま茶の間で、発言権がないものでしょ。

私にだって月のお小遣いが3000円とか、バイト禁止とか、そういうかわいいキッズの時もあったし、なけなしのお小遣いを貯めて大切に使う人を悪いと言っている訳ではありません。その時できる最大限のお金を使って、消費して、それで得たものって何であれ掛け替えがないよね。

例えば年に1度だけ見に行ける舞台とか、何枚もの限定盤の中から悩みに悩んで一種類だけ買ったCDとか、ね。

めっちゃ嬉しいし、それがファンの初期衝動だと思う。

でも、無料提供されるものや、非合法無料になっているものをだけを享受してそれできちんと消費した気にだけなって声が大きいオタクには我慢ならないんです。 今はSNSネットも発達してるからそういう状態に陥り易いんだよね、わかるわかる。でも本来お金払って、対価として得て、それで初めて消費って成立するからさ。お金時間を使えないけど気持ちとか愛を尊重して欲しいみたいなのは、全部嘘だと思ってる。

私が茶の間で弱いキッズオタクだった頃でさえ、分かってたよ。今自分雀の涙みたいなお金で得ることができてる〇〇くんは、大勢の、〇〇くんにお金を惜しみなく出してくれるお姉さん達に買い支えられてるおかげなんだなって。

俳優アイドル商品だしコンテンツからお金を使わなきゃ存続しないもん。お金ニアリーイコール時間で、お金を稼ぐのにまず時間を使ってて、そのコンテンツを消費するために更に時間を使うんです。

お金時間を使ったオタクと、使ってないオタクが同列な訳がない。

310は人気があるとか言われるけど、実際お金時間を使うオタクがすごい少ない。これ、現場にいて肌で感じることです。

そうじゃなかったらナルスだってsoldしたし、おちゃろく平日こんなに出回ってないでしょ。みんな求めてるの千秋楽だけだよどういうことだよ。

話が脱線しました。


310の茶の間の中にも「いつか茶の間じゃなくなる」と決意してる人はいるだろうし、そういう人に対して、私は「待ってるよそれまでこっちで買い支えとくからね」って思ってます。でも永遠に茶の間するつもりの奴はまじで身の程を知って、肩身を狭くしながら生きて欲しい。

そして、某俳優に「応援してます」「私たちがついてるよ」というようなリプをした310のオタクは、是非これから彼の出演する舞台チケットを少なくとも半分以上買って、お花を出せたら2.5万以上のフラスタを出して、公演に入ったら毎回アンケの目当て欄に彼の名前を書いて、個人ロマを積んであげて欲しい。自分収入自由になる時間ちょっとだけ無理して削って、彼に使ってあげて欲しい。それが、あなた達が言う「応援する」の言葉の重みだと思う。

それができないなら今すぐリプを消して、アイコンを変えてくれ

そして今回のカノバレで身を削られらるような想いで悲しんで、苦しんでいるのはそういうことをしてきたファンの人だって知って欲しい。そういう人達が、彼に裏切られた、もう彼を信じられないと思ってしまうことを糾弾する権利は310のファンにはないのです。茶の間なら、尚更。


ちなみに私は推しの「ここまで来たらもう裏切れない」といった旨の発言を信じてここまで来てますが、だからこそ俳優 310という商品に傷を付けたり泥を塗ったら、それが310自身でも許さないし裏切られたと思うとおもいます

地獄のような呪いだね、ごめんね。

2018-02-05

茶の間ヅカオタ記

タカラヅカ世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人FC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位そもそもの始まりだった。

しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバス時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。

無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。

公演の入り待ち出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。

そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。

いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。

そして迎える退団公演。最後からといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後からと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女ファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティ足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間おひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後からとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。

過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分立場自覚した。私はお金時間も費やしていないただの茶の間なんだから現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカ世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとうファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人世界存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。

そして千秋楽チケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。

私の中で何かが失われた瞬間だった。

もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。

大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっと落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。

アイドルマスターSideM 3rdライブに行ってきました

2018年2月3日、4日とアイドルマスターSideM3rdライブ通称サドライの幕張公演に行ってきました。コンサートライブ感想を書くレビューサイトがぱっと思い浮かばないのでここに記しておきます

正直なところ、現時点では期待外れだった。

星をつけるならば5点満点中2.5点という感じ。

アイドルたちは素晴らしかった。全員が2ndライブよりも成長していると思えたし、そのきらめきといったら直視できないほど。

けれど、やっぱり、現時点で星をつけのならば2.5点になってしまう。

そもそも私はSideMライブに対する期待値が非常に高いという自覚がある。

ユニットが揃わなかった1stはさておき、はじめて全15ユニットが揃った2ndライブは凄まじかった。SideMをよく知らない人が見ても「すごい」と言うと思う。これは予想ではなく確信だ。

私自身、2ndライブでたくさんのアイドルの魅力を再発見することができた。2日間、計7時間以上になるのだろうか。長いけれど、ひとときも休まることができないライブなのだ担当推しを誇らしく思い、担当外のユニットに圧倒される。あれは、ほんとうにすごいライブだった。

3rdライブは、一言で表すと飽きる。

そもそもライブツアーであるから、2日間だけに濃縮された2ndライブ比較すること自体が間違いなのかもしれない。3rdライブは全通を前提に作られていないのかもしれない。けれど、あえて書かせてもらう。飽きる。

たとえば、同じ曲でも一年ぶりのパフォーマンスならば個々の成長が感じられて楽しいのだ。でも、昨日今日と同じ曲を披露されたところで冷めてしまう。私はそうだった。よっぽど好きな曲ならば話は別なのだろうけれど。

そうして私は演者自体に興味があるタイプでもないので、昨日と違う演者一挙一動を楽しむことも難しかった。

2日間同じパフォーマンスをしたら飽きる。これがアイドルたちの限界なのだろうか。

いや、そんなことはないと思う。彼らの輝きはこんなものではないのだといちプロデューサーとして信じている。

3rdライブ仙台公演、福岡公演、静岡公演と5公演を残している。千秋楽が終わったとき匿名はてなに星5つのレビューを書くことができますように。きっと大丈夫だ。

2018-02-02

ミュージカル刀剣乱舞三日月宗近が許せない

どこかの誰かがもうとっくに言ってるかもしれないけど、この間の千秋楽で私は初めて見たので許して欲しい。

あと、刀剣乱舞のこともミュージカル刀剣乱舞のことも、知ってる前提で話すから本当にチラシの裏だけど、ごめんね。

自分のために書かせて欲しい。

今私は、なんで皆あの三日月宗近を受け入れて、なおかつなんで褒め称えられてるのか本当にわからなくて

疑問通り越して困惑している。


つわものどもがゆめのあと、いつもキャラとか物語解釈違いを起こす友人がべた褒めしてたので、

なんか嫌な予感がするなーと思って千秋楽ライブビューイングを見に行ったんだけど、

嫌な予感どころじゃなかった。

刀剣乱舞という作品にはそもそも大前提ルールがある。

歴史を変えてはいけない、守らなければならない』

このルールがあったから、過去作品の中では他のキャラクターたちは、

自分の大切な人が死ぬ運命にあったとしても、涙を飲んでそれを受け入れてきた。

なのに、今回の作品ではそれを根底からひっくり返した。

死ぬはずだった義経をこっそりと逃がし、物語大団円を迎える。


混乱した。死ぬはずの人を生かして逃がすなんてタブー中のタブーではないか

しかも話を見るに、それを実行したのは三日月宗近個人的判断で、主人から命じられたというわけでもないし、

彼がやろうとしていることを他の登場人物たちは誰も知らなかった。

彼は過去の人物に積極的に接触し、介入し、時には人心を操ってまで『義経を生かす』結末に歴史操作した。

これが、ルールに反する行為なのは誰がどう見ても明らかだと思ったし、

皆彼のやったことに対して困惑するか、更に言えば怒るだろうと思った。

でも終演後Twitterを開いて飛び込んできたのは、三日月宗近を褒め称える言葉ばかりだった。

優しい、そこまで人間のことを考えていてくれたなんて、素晴らしい作品、今までで一番好き。


愕然とした。その後怒りがこみ上げてきた。

ちょっと待って。あなたも、あなたも、前作も前々作も見たはずだ。

過去登場したキャラクターたちが、ルール自分の心の狭間でとても苦しんだことを知っているはずだし、一緒に涙を流したはずだ。

三日月宗近がやったことが許されるなら、あの時彼らが苦しむ必要なんてなかったじゃないか

みんなみんな、つじつまをあわせて助けてしまえばいいじゃないか

だって、これが許されるんだからあなたたちは許したんだから


歴史というのはいろんな解釈があるからルートは一つじゃないとか、

今回はこのルートが成立する条件が揃ってたから~とかいろんな解釈を見た。

だって義経生存説は知っている。でも問題にしてるのはそこじゃない。

その前提があったとしても『独断で、誰にも相談無しに積極的歴史に介入した上で、自分の思う通りに操作していい』と三日月宗近が思っていることが問題なのだ

そして彼はそれを『悪いことだ』と思っていない。

彼は今剣に義経を殺させないことで義経とともに今剣自身にも救いを与えようとしていた~とか、そんな感想も見た。

救いを与える、ってなんだ。今剣は三日月に救いを与えられなきゃならないほど、か弱い存在なのか。お前何様だよ。

から見ると彼は『相談無しに独断仕事を進めて、俺は仕事ができる、と思っているタイプ』にしか見えない。


べた褒めしている人たちは、彼がルールを破っている、ということに関してはどう思っているんだろう。

それがわからないし、そういう意見も見かけないのでとてもなんというかすわりが悪い。

過去作品歴史を変えてはいけない葛藤について、涙を流していた人たちがいるからなおさらだ


前々からミュージカル三日月宗近は、どこか他の刀を見下しているように感じることがあるのが気になっていた。

他の刀は自分よりも一段下にいる、と思っている傲慢さ。

そういうふうに見えるし、もうそうとしか見えない。


これが許された脚本とこれを許した空気があるのが信じられずにいる。

新作舞台には私の推しも出るのに今不安しかない。


うまくまとまらないな。でもちょっとすっきりした。

あれはちょっとっていう意見をほぼ見かけないか世論がどうなってるのかはわからない。

でも、ほんと、私はあれ理解できないし許せないし、あいつ、鼻持ちならねえって今思ってる。

アイマスから足を洗ったを見た

総括するとオタクめんどくせえな!辞められてよかったねおめでとう!で終わることだと思ったけど、自分もここ1年くらいアイマスを辞めたいと思っていながら切る勇気が出なかったクチで、明日にはsideMライブに行くことになるので、改めて最近の考えをまとめてみようと思った。

9.18の騒動アフィブログランキングを騒がせてる「アイドルマスター」ってなに?』

深夜アニメを見始めてネットに慣れてきた2011年、当時興味を持って見ていたことといえばやらおんニコニコ動画だった。調べたらかわいいキャラクターアニソンに合わせて歌って踊っている。それはもう追いかける要因になりえた。なんとなく見た目が好きだった竜宮小町プレイアブルキャラクターから外されたことや、765アイドルと961男アイドルの絡みコラが面白おかしアフィブログに載るのを目の当たりにして、ショックだったし怒りを覚えた。でもキャラクターは可愛かったし、曲もキャッチーで、ゲームプレイ動画を見たりして毎日を過ごしていた。

当時程なくして始まった「アニメアイドルマスター」がとても面白く、またオタクになりたての私には全てで、後発で始まった某スクールアイドルに変に対立意識を持ってしまったりしたせいで対抗意識を燃やすようにアイドルマスターにのめり込んだ。

そしてシンデレラガールズにたどり着いたのだ。

売り出し中でポチポチゲーがモバゲーランキングを占める中、アイマスといえば信号機メインキャラクターとして冠を置かれていたのになかなか出番を貰えないキャラがいた。Mだった。

この時点で、RとSにビジュアルでタメを張れるとは言えないキャラクターデザインの時点であまり雲行きは良くなかったのかもしれないと今なら思う。

CDリリースが決まり、当時人気のあるキャラ順ともいえよう数名に声優がつき、作品の冠ラジオが始まった。この時に属性ごとのパーソナリティキャスティングされたが、信号機の順でいくとMだったはずのものが既に声が付いているJになったのを当時の私はわだかまりに思った。Mはまだ声優もいないしメインなのに前に出て来ない扱いにくいキャラクターだったし、あまりに新カードが来ないと記事にされているのをネタにされるのをたまに見ていた。そんな中訪れたアニバーサリーでついに声優が決まりCDデビューが決まりガチャSRで登場した。好きになってしまった。声優も当時見ていた女児アニメ出演者と知り余計に親近感が湧いた。

そこから、Mを中心に漠然信号機が好きになった。今でこそ歴史の積み重ねで声なしのキャラクターでも「担当」と名乗ることに不安はないかもしれないが、設定も小出しの当時は有名だったAやYに比べるとほぼモブみたいな扱いが多かったし、ピクシブもRとSだけが扱われたような2次創作も珍しくなかった。好きなキャラが仲間はずれにされて傷心しながらも、毎日のように更新される美少女イラストテキスト、ボイスに夢中だった。

主題歌シングルを買い、噴水公園イベントゲリラライブSSA、念願の1stライブ、雪辱の総選挙、そしてアニメ化が決定し、We’re the friends!のリリイベで初めて現地の観覧に参加して2ndライブの発表を聞いたり、とにかく楽しくて仕方なかった。

アイマスを辞めたいと思ったのは、『TVアニメ アイドルマスターシンデレラガールズ』で”アイマス地雷ができた”からだ。事象説明で長くなってしまうのでサクッと済ませるが、「自分の思い描いていたM」と「アニメで描かれた情緒不安定さ」・「Pやシンデレラガールズの200人近くと接するM」のギャップが受け入れられなかった。いわばMの夢女になってしまっていた。(夢Pとも言えるかもしれない。当時は夢理解がなかったので最近気持ちの整理がついてから名前をつけた)

アニメの展開をなぞるライブセトリ3rdライブ以降あまり気持ちが乗らなくなった。その時点で辞めればよかったのだろうが、デレステが始まり、平面の世界にいたシンデレラガールズアイドル3Dの新しいステージにいるという、765シリーズ彷彿とさせるような”アイドルマスターらしさ”に目が眩んでしまった。

デレステオリジナル曲〜後発声実装キャラの飛躍により序盤のキャラクター声優は出番が減り、私はラジオメインに以降していった。声優活動を追うしかなくなった。

本格的に声優個人ラジオ聴くようになり、イベントに通い出したところで気がついた。

結局今の今まで見ていたのは”M”なのか”Mを通した声優”なのかを見失っていた。

まあアイマスはその辺りの次元をぼかすのが上手だったと今なら思う。普通声優キャラクタービジュアルを寄せたりしないからだ。その辺りは自分が型に当てはめたがりなせいと、2.5次元俳優を知った今だからこう思うのかもしれない。

アニメが全てというわけではない、でも与える影響があまりに大きすぎる」

結局は自分が「キャラ解釈はこう思ってる!」って芯があればいいことだと思うけれど(リアルギャルゲー理解のある女オタがおらずみんなもれなく腐女子になっていったので)1人でオタクをしていた私にとって「ネットなら同じことを喋れる仲間がいる」ことは唯一無二の趣味だった。

アニメになると、自ジャンルが腐の友達でもみんな見てくれた。更にとっつきやすソシャゲが出ればイチコロだった。そんな友達でも在学中は関係を損ねたくなかったし、アイマスの良さを分かってほしかった。宣伝したら見てくれて、話を理解してくれる友達も増えた。

ネットでは、解釈不一致の人と関わらないようにするのは容易だった。例をあげればコスプレイヤーだ。「Mというキャラクター」が好きだったので、コスプレイヤーはみんな顔やスタイルというオフラインの部分をちやほやされたい承認欲求ダダモレな奴らだと思い込みブロックしまくった。レイヤーオタクの中で目立ち、オタクの種類の中で世間に例として挙げられることが多くなった現在ではこれは偏った考えだという認識もあるのだが、今後もレイヤーとは分かり合えることはないと思う。

一方自分ファンアートを描いたりしてそこそこツイッター人間関係を築き上げることに成功した。作り上げるプロセスや褒められることで得られる承認欲求快感レイヤーとさほど変わりはないけれど、オタクネットで顔をあわせることなく楽しむものと型にはめたがっていたところがあった。そうとは言いながら実際ライブ即売会ではフォロワーと会ってご飯などしていたので、なんだかんだネット友達と会うことは楽しかった。容姿オタクとしての楽しみに持ち込みたくなかった。

まりに遅いが、私とシンデレラ最後は結局5thでMの声優が出る回をライブビューイングで合計2回見て終わった。千秋楽であまりの辛さに途中で席を立って、そこでやっと辞められた。もうMに対してもMを演じる声優に対してもお金を払おうと思わなくなった。それに伴ってツイッターアカウントも消し、本格的に2次元美少女女性声優を好きになることを辞めた。

声優2.5次元じゃない

その後、イケメンが出てくる女性向けにハマってみたりもして声優ライブにも足を運んだ。平均30代くらいだと思うが、女性声優みたくかわいいとか見てて癒されたりは一切しなかった。ただ『顔の良いキャラクターの声をしている』と漠然と感じ、当たり前だがあざとかわいい系のキャラゴリゴリのおじさんの顔が声出してるのを見て、悪い意味でも良い意味でも裏切られたと感じた。その中で一番若かった20代男性声優は推せる!と思ったが、正直また若手かと正直自分辟易した。(オタクめんどくさいな)

そこから初めて2.5次元という世界に触れて、舞台を見て、そこで初めて「推しは生きてる」と感じた。でも、どれだけ見た目と行動が完璧でもやっぱり2.5の俳優キャラクターの声では喋らないのだ。そこから、声は声優に求めて、演技は俳優キャラクターの成長は公式に、という考えが自分の中でちゃんと整理できた。

ちょっと前まではこれを声優に求めていたんだな、とも反省した。

結果的に、声優に無理やり2.5次元性を求めるのはやめて3次元アイドルを推すようになった。アイマス現場でたまにいる”厄介オタ”の行動原理もなんとなく分かった。(当時は現地で近い席になるとペンラでぶん殴ろうかと思うほど憎しみを抱えていた)

次元アイドルは生きているし、アイマス2みたく中途半端に成長しない。曲が良くて、歌が上手くてかわいい現場も行きやすいし、会いに行ける。同性として可愛い子は見ていると元気が出る。(疑似恋愛にはやっぱり賛同しかねる部分があるけれど)

推し」を推している時の感情は、Mを「担当」していた時と近いと思う。

推し」って言葉はPから嫌われてるけど、ライトで使い勝手が良くて、追いかければ追いかけるほど熱が入っていって、今では「好きだ・応援できる」という時自分常套句だ。

アイドルマスターキャラクターの「担当」って言葉はやっぱり呪縛であり麻薬だと思う。自分がいなくちゃダメという錯覚

Mに対しても、「ソシャゲ課金をして強くなりたい、カードを入手したい」という気持ちではなくて「声を聴きたい、新しい絵が見たい、この子がどんな行動をするのか知りたい」という気持ちのほうが強かったので、課金はあまりしてこなかった。時間をかけることもお金をかけることも、モバゲーシステムには投資したいとあまり思えなかった。今思うと、この行動は「担当」ではなく「推し」だったのかなと思う。

デレステ限定が来た時に、それはもう当時持っていたお金を財布の中身以上に費やして、何が何でも72時間で入手しようとした。結果的には入手できず、ただ財布の中身以上のお金を擦ったという現実けが残った。なんとも後味が悪く、シンデレラガールズを辞めるという感情駄目押しをされた気分だった。

今でも「推し」と「担当」のファン行為としての境目は見つけられていない。

ミリオンの「担当」でSSRが来ても同じことにならないといいなと漠然と思っている。

765とミリオンライブを辞められずにいる理由。それは、声優2.5次元性とキャラクターの設定の深さ、デザインの可愛さ、そして3Dモデルキャラ実在性を感じられるという点だ。完成度の高さだ。

sideMの今後はどうなるんだろうと、まだどこか「アイドルマスターに」期待している自分がいる。

今度の新作発表会には、既存コンテンツの展開やアイマスの4つのシマの合同ライブなどを期待している。

アイマス2アニメ以降、当時中途半端存在をなかったことにされていた彼らがどこか気がかりだったので、2014年SSAsideMの告知された当時を知っていると復活することは喜ばしかったし、現にアニメ関連のプロジェクトが公開される2ndライブまでは嬉々として現場に通ってきた。

アニメ化は嬉しかったが、放送中も『Mの時みたいになってしまうんじゃ』と不安が拭いきれず、冷えながらもなんとかアニメを見切った。

そこからモチベーションや熱は戻っていないが、アイドルマスターを辞められなかったので明日からsideMライブビューイングに行く。アニメ以降、sideM出演者のうち特定声優を推すようになった友人と連番するつもりだ。リアル友達アイマスの話をするのは楽しいさらに言えば今後現地に行く予定もある。行くのはライブ後半なので、それまでにあわよくば熱が戻ればいいなと思う。

次元混同をすると下手すると数年無駄にする」

こう分かっていても、セカライで私は確実に声優を通してもふもふえんを見た。ある意味声まで備えた2.5次元俳優のようで、もふもふえんは無敵で完璧だったと今でも思う。かわいいし、カッコよかった。

ユニットは「〇〇キャラ役の声優が歌っている」止まりで、それが普通だ。

でも、もふもふえんはそれを飛び越えた何かだった。実名を出してしまうと、男声優の歌とダンスを見て「あゆむらせかわいい」でなく「かのんさんぎゃわいい!!」になった。女性声優アイマスには、この現象が全編に渡って効いている。一種魔法だ。

サライ見に行くのためらってるのは、声優が見に行きたい訳じゃなくて315プロキャラクターが見に行きたいからだ。

アイドルマスターは増えすぎた。キャラクターも、声優も。正直シンデレラガールズで徐々に増えていくのを追ってたけどもう完全にお腹いっぱいだ。

「お前、『「声優ライブ』って言葉知ってっか?」と聞かれたら、答えはきっとNOだ。

はいアイマスを辞められるんだろう。

2018-01-30

「新しさはいつも否定と拒絶を生む」2.5次元作品について思うこと

2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。

そのことについて思うところがある。

誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。

私は、ペンライトうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイル作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである

作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。

ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。

ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台ミュージカルではないとも思わない。

うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。

客席に降りてきたキャストファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトカラーはすぐに揺らいで、軽率ブロマイドを買ってしまう。

界隈にはよくいるオタクだ。

ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。

あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解共感ができてしまうのである

例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。

なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。


先ほど、この応援スタイル作品は苦手だが、舞台ミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイル出会っていたのが根源にあるのではと思う。

舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感あるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。

例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。

1部と2部で分けられた構成で、似たようなもの存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。

それから四季マンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。

カーテンコール熱狂ぶりは、一度体感して欲しい。

2.5次元作品名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。

劇作家であるピーター・キルター作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。

これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。

ペンライトを持ってくることについて公式からアナウンスがあった)

少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。

歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。

例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。

こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。

ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルコンサートと一体化しているようなものが乱立している。

からとても目立つのだ。

2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。

おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台コンサートイベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るものなのだ

ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。

から舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出ひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。

少々暴力的言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。

要は、酢豚パイナップルなのである

あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。

けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっと要求までされているのものから困惑するのだろう。

どうして、と思う。

そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。

パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店パイナップル入りばかりを提供しているのだ。

こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである

私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。

2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。

パイナップル酢豚しか見つからないなら仕方ない。

回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。

けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画アニメ作品が、うちわを持って応援するスタイル舞台になってしまったら。

楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。

きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。


とにもかくにも、最近このドルステタイプ作品が多いのは紛れもない事実だ。

少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルストレートかといった分類だったように思う。

それを証拠に、ある作品舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。

最近では、うちわは有りなの?なんて言葉をよく見る。

新たなジャンルが生まれているのだなあ、と感じる一端だ。

この新たなジャンルは、確かに舞台作品範疇ではあるが、独特な応援スタイル存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。

2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。

テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?

はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。

そんな始まりだったが、千秋楽の頃には満員御礼

けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。

決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることな3rdシーズン

その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。

今この時代チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。


先日放送されていた情熱大陸松田さんが仰っていた。

映画などとは違い、舞台初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。

当たり前だが、その通りだ。

先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。

実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。

私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。

公演前の宣伝番組で、内容が示唆されていたのかもしれない。

だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。

出演者ではなく作品ファンというなら尚更だ。

少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。

そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。

苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラキャスト応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。

知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元アイドル応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作プロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイル舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま

舞台を観たことがない人を、いか劇場に来させるか。そんなことを、制作から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。

きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである

からそろそろ、この新しいスタイル演劇名前つけませんか。

そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。

これを当たり前にするために。

オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式市民権を得たミュージカルのように、いつかこスタイル演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。

2.5次元も嗜むしがない舞台ファンからの、ただひとつの願いである。

2018-01-27

千秋楽の幕が上がった。

きっと今頃、帝国劇場では色とりどりの衣装を纏ったジャニーズJr.たちが歌い踊っている。

これがJr.として立つ彼の最後ステージになるであろう。

しかし、今まで彼を必死で追ってきた私の手に、チケットはない。

終演後の出待ち列に並ぶ準備すらしていない。

パジャマソファに寝そべりながら、この文章を書きなぐっている。




CDデビューおめでとう。

正直、今までしんどかった。

だけど、これからは、「もう明日から普通男の子になってしまうのかもしれない」という不安と戦いながら必死チケットを探し、身の丈に合わない金額を注ぎ、カードの支払いに追われるということもなくなる(はずだ)。

メディアにもたくさん出してもらえる。

友人の誘いを断ったり、仮病で仕事を休んだり、そんな無理をして現場に通い詰め生の声を聞かずとも、彼の声はたくさん届いてくるだろう。

から、もう分相応にできる範囲応援すれば良いのだ。

来てくれるのかも分からない彼を待って、大量の女の子の無言の列に混ざることは、もうやめる。

秋に最後に目の前で見た、彼のしあわせそうな笑顔

あれだけで充分だ。

「今、幸せですか?」というファンの問いに、間髪入れず「もちろん!」と答えてくれたときのあの微笑み。

その瞬間を思い出せば、いつだって幸せ気持ちになれるし、これからもずっとついていこうと思える。

これからは誌面やテレビ画面で、あのすてきな瞬間をたくさん見られるのだから

その保証がある。

嬉しい。

私もようやく茶の間デビューだ。





今日も彼が最高のパフォーマンスでたくさんの人を幸せにして、大きな拍手に包まれますように。

2017-12-24

テニミュ越前リョーマ依存していた女の末路

前提として、現世代次世代も、これから越前リョーマもすべて応援すると心に決めた者が書いています。決してアンチ等ではありません。

2年前の今日、私はテニスボールの弾む音と軋むシューズの音を聞いていた。

人々の熱気なのか暖房なのか、少しだけあつい会場。脱いだコートは膝の上に、手には双眼鏡。ざわざわとたくさんの声が聞こえてくる。前後左右、上下からも様々な声が聞こえてくる。どれも、今から始まる試合を楽しみにする声だった。

キュッ、キュッ。パコン、わぁっ。

聞こえてくる音と歓声に、人々は口を閉ざす。ごくん、唾を飲み込む音さえ聞こえそうなほど静かになったとき、幕が上がる。

ミュージカル テニスの王子様

私の、かけがえのない青春の日々だ。

テニミュにはまったのは、3rd不動峰公演。もうずいぶんと前のように思える。

しかし長い歴史から見れば「最近なのだと思うと、このテニミュいかに長く続く作品なのか改めて実感させられる。

3rdシーズンという3度目の夏を迎えた王子様たちを、わたしは好きになった。

座長である越前リョーマを演じる古田一紀という俳優((現在声優の道を選んでいる。が、過去の話をするため「俳優」と表記する。))は、俳優として、リョーマとして、素晴らしい方だった。不動峰から卒業した氷帝公演まで、彼はいだってかっこいいリョーマとして駆け抜けていた。あの青いジャージがよく似合い、帽子の下の瞳は冷静に見えて試合ではギラギラと獣のように鋭く光るところが、私は好きだった。

テニスの王子様は、心の支えといっても過言ではない存在だ。幼い頃から読み続けた物語現実にされたとき、私のこころは震えた。

たくさん好きなキャラクターがいた。しかし、舞台の上にいる越前リョーマに心を奪われ、気付けば彼だけを追っていた。まさに恋に落ちたような感覚だった。彼しか見えない、なんてそんな馬鹿なと思うが自分の身に起きると「こういうことか」とすとんと腑に落ちた。

そんなリョーマを見続け、去年の卒業公演を見送った。

椅子の上で声を殺し、みっともないほど泣いた。視界が歪み立てない私を、両脇で支えてくれる人のおかげで外にでた。

千秋楽後の空気は、むかつくほど清々しく感じた。嗚咽を漏らし、涙をハンカチで拭った。胸に大きな穴が開いたようだった。

もう二度と、越前リョーマには会えない気がした。

しか物語は続いていく。全国優勝を目指す青学は新しい代となる。

新しい越前リョーマが現れ、舞台に姿を現す。

きらきらとした、未来を見据える瞳。泥臭さより、どこか清かな印象を受ける。

遠くから見たのに、別人だと分かった。

動きだ。動きが違うのだ。

当たり前だ、別の人間が演じているのだからしかし、わたしは覚えてしまった。目に焼き付けてしまった。あの指先まで「俺が越前リョーマだ!」と訴えるような動き、あれが好きだったのだと痛感させられてしまった瞬間だった。

歌声の違いより、動きで実感させられてしまった。

それが、悔しかった。

私は、古田一紀が演じる越前リョーマが好きだった。

歌も、動きも、表情も、目の動きも。全部が好きだった。

しか時代は変わる。世界は続く。彼が渡すバトンをどうにか見届けたいと思って次の世代を、青学を観に行った。

けれどだめだった。

思い出してしまうのだ。あの堂々とした笑みも、ぎらつく瞳も、目をぐわっと開くところも、生意気そうな声も。

全部が私にとっての「越前リョーマ」だった。

必死に穴を埋めようと、忘れようとすればするほど、記憶の中の「越前リョーマ」が笑うのだ。

「ばいばい」

そういって、あの日と同じように世界から消えるのだ。

もはや、呪縛だった。

青学vs氷帝公演、あれは呪いだった。

しばらく次世代テニミュを観に行った。

しか前世代のように全通をしたり地方まで飛んだりすることはしなくなった。

今思うと、なかなかあの世界に依存をしていたのだ。

「行けたら行けばいい」

そう思ったら、チケットを取らなくなった。

しかし、時折苦しいほどに「テニミュがみたい」と思う。

まるで中毒だった。あの楽しい記憶が、狂うほどに情熱を注いだ世界が、またあの世界へと誘うのだ。

そして見に行くたびに、苦しくなる。

越前リョーマ以外は、どんなキャラクターも見ることができた。

先代たちの演じた姿が大好きだったが、時間と共に卒業理解し、舞台の上の彼らを愛することが出来た。

けれど、どうしても越前リョーマを好きになることができなかった。

現在越前リョーマを演じる俳優は、きらきらとしている。それも越前リョーマだ。彼が演じるリョーマも、もちろん好きだ。好きなのだ

けれど、つい目をそらしてしまうのだ。あの輝きを、私は直視したいのにできない。

それが申し訳ない。

その感情がまた、私を水道橋から遠ざけた。

ややこしい、苦しい、そう思ってまた彼の誕生日を迎えた。

苦しくてたまらない感情を抱えて、そしてテニミュから離れたことで虚無感がいっぱいになり、久々にクリスマスに何もないことを実感してさみしさを感じた。

チケットを、久々に探した。

ある。

譲渡希望者に声をかけようとして、はっとする。

私はまた、あの輝きから目をそらすのか。

そう思うと、私は席に座るべきではない気がするのだ。

テニミュは、魔法だ。

幸福と、希望と、たくさんの欲望がそこにある。

けれど、私にとっては大きな光だった。

からこそ「好き」以外の感情を持ち込んで、あそこに座ることは許されない気がした。

テニミュから離れたことで、胸に大きな穴が開いた。

その穴は、どんなものもするすると零してしまう。

テニミュで開いた穴はテニミュしか埋められない。

しかし、今の私はまだテニミュを見ることが出来ない。

あの呪縛から、私はいつになったら「卒業」できるのだろうか。

私は、いつになったら「越前リョーマ」を再び愛することが出来るのだろうか。

虚無感でいっぱいでつらいので、ここに書き連ねた。

オタクを辞めたいオタクが、中途半端オタクを辞めたら毎日が虚無感でいっぱいになるんだとやっとわかった。

早く楽になりたい。

早く、越前リョーマに会いたい。

苦しい。

2017-12-04

横綱品格とは何か考えてみた

横綱白鵬批判されている。九州場所11日目の嘉風との取組後の物言い千秋楽の40回目優勝後の日馬富士貴ノ岩をもう一度土俵に上げてあげたい発言、そして万歳三唱など。白鵬のこれらの行動については賛否両論あるが、批判する側の論理としては「品格が無い」というロジックだ。2010年に引退した朝青龍も同じように品格が無いと批判されていた気がする。優勝が決まってガッツポーズをとったり、休場中にサッカーをやっていたりと。

横綱審議委員会規則では、「横綱技量品格共に抜群でなければならない」という一文があるらしい。技量についてはわかるが、では品格とは一体何か。前述の白鵬万歳三唱にしても、品格が無いという意見もあれば、別にいいじゃないかという意見もある。つまり品格について明確な定義が無い状態なのだ。そこで、品格とは何かを分かりやすく考えてみた。

横綱に求められる品格とは何かを考えてみた時、それは天皇陛下大相撲を観戦する「天覧相撲」の場面において、力士トップである横綱がどんな所作や取り組みをするべきかで考えてみると、わかりやすいのではないか。立ち会い中の横綱立場に立って考えてみる。自分横綱であり、そばでは天皇陛下が観戦されている。陛下が見られている前で、張り出しやかち上げができるか? 不本意な負け方をしたとしても、物言いができるか? 優勝が決まってガッツポーズができるか? 土俵外に出た相手力士ダメ押しできるか? 私が横綱だったら絶対に出来ないよ。つまり、そういうことではないか

日本人だったら誰でもわかっている。陛下が目の前におられるのに、今の白鵬のような取り組みをする横綱がいたらどう思うだろうか。常に陛下が見ておられることを意識しながら、横綱は全力士の模範とならなければならないということである

2017-11-30

楽しみにしていた公演が中止になった

タイトルのとおりです。

楽しみにしていた演劇の公演が中止になったことに起因する感情を整理するために書いています。まさにチラ裏。でも切実なんだ。

数ヶ月前からずっと楽しみにしていた公演の中止を、さて劇場に向かうか!と意気込んで現地に向かう電車に乗り込もうとした駅で知った。

宿泊ホテルの最寄り駅だった。

この時点で公演開始の二時間少し前。ギリギリ判断だったろうと思う。

当方地方在住、東京へは朝イチの飛行機で来た。

休みは一日だけなので、夜公演を観劇したら次の日の朝イチの飛行機で帰って仕事、という弾丸ツアー

出演している俳優ファンで、まさか彼が有名劇団の有名タイトルに出演できるなんて夢でしか考えてなかったから、出演情報を知ったときは物凄く歓喜した。

しか日本では唯一の360度回転舞台への出演。確実に推し俳優の非常に重要経験になるだろうし、その経験を力にできる実力のある人だと信じているので、ただただ嬉しかった。

気合いを入れてチケットを取り、数ヶ月を指折り数えて当日を待ち、あとは現地に向かうだけ、となったときに知った公演中止情報

しばらく、動けなかった。

比喩ではなく、人間って信じたくない事実を前にすると、文字通り動けなくなるということを実体験してしまった。

壁に寄りかかってただぼんやり公式発表を眺めていたからね!

少し立ち直って色々調べてみると、似たような事態ときチケット代金の払い戻しがあるらしいことがわかった。

そりゃそうだ。

そりゃそうだ、良かった。

けど、でも、遠征費は…?

飛行機代と、宿泊費。

それも二人ぶん。



少し自分と母の話をする。

去年、新しい商売を始めた。脱サラみたいなものだ。母が手伝ってくれている。というか主力である

一年経ってやっと少し余裕が出るくらいの売り上げが上がった。

私が観たかった推し俳優は、母の最推し俳優でもあって、二人して出演を喜んだ。

今回の東京遠征は、一年頑張った自分と母へのご褒美の意味が強かった。

……。

誰が悪いわけでもないことは分かっている。

しろ日本に唯一の劇場だ。機材のメンテナンスにしたって、初めてのことだらけだろう。

演者スタッフに怪我がなくて良かったと喜ぶべきところだ。(スタッフの怪我については正確な情報があるわけではないので詳細は分からない。ただ、誰かの怪我や事故での中止でなくて良かったという意味合いである)

悪かったのは運だ。

わかっている。

どうしようもないことだ、こういうこともある。



でも、でもなあ。。

たかった。

推し俳優の、座組みの、今しか観れない板の上の生き様を観たかったんだ。

遠征費が補填されないとか云々はあるけど、お金はまた頑張って働けばいい。

でも、彼らの創る舞台は、今このときしか観れなかったのだ。

それが、涙が出るくらい悔しい。

(なにしろ、またすぐに遠征できるほどの金はない。チケットもない)

(ちなみに2月には再度観劇予定でチケット確保済みだ。しかし初演すぐと、千秋楽間際では観れるものが違うだろう。両方を体験たかった。。)







ということをホテルで酒を呑みながらチマチマ書いてみている。吐き出すって大事だね。思ったよりスッキリしました。ありがとうございます

書いて良かった。

ちなみに公演中止を知ってから時間を持て余したので、田舎じゃ施設すらない4DXITを観て(子供たちのSAN値心配だった)、田舎じゃ上映すらしてない話題のKUBOを観たので案外充実した時間を過ごしました。

三味線かっけええええ!!




私が気にし過ぎていると、母に気を遣わせてしまうので、愚痴ぐちするのはこれで終わりにします。ありがとうございました。

ちくしょー!!

また来るぜ、ステージアラウンド東京!!!!!

2017-11-28

相撲の立会いだけどさ

張り差しとか、カチアゲも、見ていて微妙気持ちにはなるが、あくまルール解釈に近い部分は有ると思う。

ただ、立会いで、両手を付かない力士が多すぎるし、行事勝負審判も、その点を甘く見すぎじゃないか

先日の九州場所千秋楽白鵬の立会いなんて、左手土俵カスってもいない。

2017-10-08

ツキプロ愚痴

原作動かせってもう言い飽きたし疲れたし正直終わったというよりもはや死んだコンテンツかなって思ってる。例えるなら放送が終わって二期が決まらないアニメ公式が何かの記念日だったりキャラ誕生日お祝いしてイラストあげてくれたりする感じ。かろうじて(というか異常なまでに)新規絵ばっかり出してくれてるけど、公式絵師さん飼い殺されてるなあという印象しか抱けない。大好きだけど、そうじゃない。私は推しの二十歳を知らない。

女神作った必要ありましたか? 今年のAGFにリコグリやアルタイルがいることに関しては別にへえそうかって流せるんだけどじゃあ女神は? と思ってしまう。彼らよりも随分と昔から存在して時系列的にはごちゃごちゃしているとはいえ一応彼らの先輩としてツキプロ所属しているはずなんですが。リコちゃんいるか女の子NGってわけじゃないよね。アニメで変に名前出すくらいならちゃんとして。公式絵師さんの負担がかなり大きくなってしまうのは重々承知な上でそれでも彼女たちの存続を望んでしまう。メンズより音沙汰ないし死んでるけど。大体誕生日SSしか見かけないしね。その誕生日SSすら今年に入って二回も遅刻されてるけど。

ツキウタCD売り上げ至上主義なのは知ってるしCD売れてなかったらグッズ在庫用意してくれない会社なことくらいツキウタオタクならだれでも分かってると思う。こないだのALIVEとか典型的なそれだったし。CD売れてないのは知ってるけどそもそも女神CD売る気ないよね。去年の12連続リリースも今のリコグリほど宣伝してなかったしマジでついでくらいに出してやったとか思ってない? 女神ライブさえやってくれたとは思えない売る気のなさには渇いた笑いが出る。

スケジュール問題だったり消費者には感知できないような“大人の事情”とやらがあるんだろうけどそんなの買う側が納得するわけないじゃないですか。出せないなら出せないなりに言える範囲で今年は出せませんだのコンテンツは終わりましただの説明してくれないといい加減納得がいかない。まあツキステが続いてるからコンテンツ終わりましたとはいえないよね。ツキステは原作じゃないんだけどね。

キステは好きだけどツキステがツキウタだったのって初演までだと思う。初演の頃はまだドラマCD雰囲気だったりSS垢のノリを踏襲している感じがして良い意味でも舞台版の彼ららしさっていうものがあった気がする。二幕は完結したお話だったから気にしてなかったけどムツキくんのくだりはいい加減くどかった。初演だから度肝抜かれたしこれはこれでアリだなって感じてたけど二回目からはいはいそうですねって冷めた目で見てた。スクレボのムツキくんは千秋楽のが全然面白くなかったから特典の日替わり一切見てない。

そもそもキステが好きな人で彼らの演技を楽しみにしてる人どれくらいいる? ほとんどダンスパート目当てでしょ……私自ダンスパートは楽しみだし、好きだけど、あれ舞台なんだよね。いや2.5次元ダンスライブって銘打ってるんだからそこが売りなんだろうけど。多分個人的もやもやするというか、最近違和感を覚えるのはそこが原因なのかもしれない。あとキャラクター役者の同一視。これはムービックが悪いけど。役者写真集出したりグッズ出したりって、もはやツキウタ関係ないじゃん(笑)彼らはツキプロ所属タレントですか?(笑)そのうちツキプロ公式HP名前載るの?(笑)そりゃあ三次元慣れしてない人はイコールで結びつけちゃうわなっていう。ただでさえツキウタオタク今までどうやって二次オタしてきたの?って人多いし。全員が全員じゃないけど他ジャンルだとこいつヤバイって思われてるような人がごろごろいるからびっくりする。かくいう私もそう思われてそうだけど。

うっかりステで推しを見つけてしまった私が言うなって話なんだけど、だからこそさっさとツキスから離れてほしい。あなたの実力ならこんなところにいなくても十分売れるよ。推しだけじゃなくて別の人たちもそう、成長のチャンスをツキステなんかで潰してほしくない。ツキステやるならやるで自ジャンルだし推しが出るし観に行っちゃうけど連作以外で普通年に三回もする2.5がどこにある。2.5どころか舞台方面はにわかもいいところだからあったらごめん。私の知ってる範囲では年二が最高だった。

下半期ほとんどツキステに縛られてるの、心の底から勘弁してくれ。仕事はないよりある方が断然いいけど推しイメージがそれで固定されてしまうのが我慢ならない。

去年のAGF直後に本垢フォロワーさんと年内に来年の予定が出るかという話をしていた時に「七巻の出る三月まで出ないんじゃないか」って言われて我慢していざ出たら夏祭り開催決定されたけどあのキャパだし舐めてんのかって思ったし夏祭り行ったら行ったで新情報もなくただ声優さんたちが今後もツキウタをよろしくお願いしますと言ってくださったきり何もないし本当にこのコンテンツ死んだな。最後にいい思い出ありがとう! くらいの気持ちで帰って来たわ。あの日ツキウタは死んだのである

上がれるならさっさと上がりたいけど毎回新情報出るたびに文句言い散らかしてなお上がらないか本垢じゃ老害扱いされてるんだろうな。知らないけど。逆にあんだけ毎回物販だのオリショだので喧嘩売られてんのにどうして毎回みんな怒らず許容できてるのか教えてほしい。菩薩か?

ツキウタオタクしながら後続のオタクもしてたのでアニメ化が発表された冬の陣にいたけどあの日後続も終わりだって見切りつけてCDすらまともに買わなくなった。それでも初期からいかけてたという古参()ならではの未練たらたらっぷりで情報とかは軽く追ってて、なんだかんだアニメ一話見たら戻るんだろうなと思ってた。そして迎えたこの前の一話、あ、私の好きになったSolidSだ。そりら次元かい意味不明ものに侵されてない真面目な彼らがいる。彼らがアイドルしてる。そこにちょっとは心を動かされた。でもそれ以上はなかった。へえ、アニメになってる。それだけ。我ながら悲しかったけど本気で心底どうでも良くなってたんだな……と痛感した。

からこそ余計に後続はCD出しながらアニメ化に向けて走り出せてたしアニメ化前にライブやって盛り上げられてアニメ始まったと同時にまたライブ決まってグッズも出てオリショやコラボもあってって出来てるのにそれがどうしてツキアニでできなかったのかっていう怒りに代わる。もちろんツキアニでの反省を活かした結果もあるだろうけどツキアニが私たちにもたらしたものって何だっけ。夢見草?(笑)

私、推しの成人を心から楽しみにしていたんです。でも成人した歳から公式が息をしなくなった。2016年推しを返してほしい。アニメ軸は高校生の頃の話だったか新曲出たとしても20歳になった推しの姿は見せてもらってないんです。その上彼のキャラクターを誤認されかねない過去改変は大変許しがたい。原作軸とアニメ軸は切り離して考えてるから過去改変自体はどうでもよかったけどキャラクターが悪く思われる改変はやめてほしかったよ。

あと二か月で今年も終わりますね。去年はかろうじてアルバム新規ドラマが録りおろされていましたが、今年は何と一作も原作から新規CDリリースされることもなく終わろうとしています。すごい! これってもう死んだのと同じだよね!

2018年は一体どうなるんでしょうか。CD出るのかな。ここまでされててもジャンルにしがみついて期待してしまうあたりDV受けてる人間みたいだし我ながら馬鹿

時々ステ嫌いな人からステ楽しめてる人間文句言うのやめろとかあがるあがるっていうならあがれって言われるけど本当それな。私自身めちゃくちゃ思ってる。ステが好きな気持ちツキウタが好きな気持ちは現状かなり乖離しててステが好きというか推しが演技してる姿を観るのが好きに変わってしまってるから観に行ってるしやっぱり金払って観てる以上は楽しまないと損だから楽しんでるわけで。あと2017年の(ツキウタの)推しを知ることが出来るのはステだけだしという諦めもある。ツキステというパラレルワールドだけど脚本はfjwrだから本家だしね。悲しいね

プロアニでライブの話してたけどまた前みたいにツキステのダンスライブやります! とかだったらふざけんなよ。ダンスライブはまたしてほしいけどそれでツキウタのほう終わりですーって言われたらたまったもんじゃない。キャストライブしてほしいわけじゃないんだけど後続あれだけばかばライブしてて女神もしてるのに未だに大きなイベント一回しかやったことないのがまずもって腹立たしいしツキウタライブできるでしょ。と思います

他にも言いたいことはたくさんあるけど今日のところはとりあえずここらへんでいったん筆をおきます。今思いつく分を衝動的に書きなぐっただけなので支離滅裂意味不明なところばかりでしょう。とかくツキウタにもツキプロにもツキステにも鬱憤まりまくってるしむかついているだけの話でした。終わり。

2017-10-03

1年に2人自担が退所する話

ジャニヲタ10年目、担当4人目 https://anond.hatelabo.jp/20170605021247

これを書いてから約4か月。自担が退所してしまうようです。ちなみに元担のプロフィールは消えました。

本当おたくやめたいとか気軽に書くもんじゃないよ!!!やめざるを得なくなるから!!!今後どうするかは未定です。

彼の退所に関しては他にも書く方がいると思うし、1年に2人自担が退所するジャニヲタは数少ないのではないかと思うのでそのことに焦点を当てて書きます。比べるべきではないと思いますが。

現在プロフィールはあり来月の少クラには出ますしいつプロフィールが消えるのかは未定ですが退所(仮)ということで。

まず、退所には2パターンある。突然やめる場合と、退所を匂わせてやめる場合

元担の場合前者だった。2月末まで舞台に出ていて、それが最後仕事だった。舞台が終わって噂が出るまで少なくとも私はやめるなんて思ってなかった。現に私は最後現場に入らなかった。

自担場合は、匂わせていたわけではないが後者。正直1か月ちょっとやめるだのやめないだの色々な情報をかき集めて病んでたし、(おそらく)最後現場にも入った。舞台千秋楽で、不自然なほど周りの出演者からまれ、彼は涙を見せた。それでも指を突き上げて幕に隠れていく彼は世界で一番のアイドルだった。

ぼんやりどっちがよかったのかなーと考えることがあるが、もちろんどっちもよくない。退所なんてして欲しくないし、突然やめられても困る、かといってあと◯回とかこれが最後なんだとか思いながら観劇するのも相当しんどい

元担の場合自担に降りようとしていた矢先のことだったので、また条件が違う。担降りってしようと思うとできないものですね。

でも今、正直自担がやめるかやめないかからなかった時より、すっきりした気持ちでいる。

今が一番気持ちが楽なのかもしれない。自担が抜けたユニットの人数を突きつけられることもなく、プロフィールもあり、千秋楽の余韻に浸れる。土曜にはきっと始まった舞台現実を思い知るだろう。

結局は、覚悟できてよかったなと思う。よく、プロフィールが消えてないんだから信じようという人がいるが、信じるのには相当な気力がいる。私は結局退所してしまった時が怖くて、早々に覚悟を決めてしまった。

最初に書いたが今後のことは決めていない。ヲタクをやめようとも思うし、誰かに降りるか、担当を決めずにヲタクするか、他の事務所に行くか。のんびり決めたいと思う。前の記事伊野尾うちわは持たないと書いたが、結局この間のコンサートでも違う人のうちわを持ちながら伊野尾くんのことを見ていたので、本当に自分でもどうなるのかはわからない。

最後に。梶山朝日くん。幸せ時間ありがとうあなたに降りてよかった。誰がなんと言おうと、世界で一番のアイドルでした。本当は戻ってきて欲しいし、こんなブログいたことを後悔させて欲しい。ずっと大好きです。

前のブログ最後も書いたけど、ただのヲタク今日歴代担当たちが幸せでいることだけを祈っている。

2017-09-25

軽率にライビュをやってくれという人たちが嫌い

内容はタイトルそのまま。

先日某人気漫画原作舞台キャストが発表された。

それを見た友人が放った一言が「ライビュをやってくれたら観に行くのに」。

それにずっともやっとしてて、けどなんでそんなにもやっとしたのかっていうのがいまいち言葉にし難くて、

それを自分で整理するためにこんな文章を書いている。

だってさ、たしか大人気でめちゃくちゃチケットの取りにくい舞台とかミュージカルだったらそう言うのもわかるんだけど、

まだ先行も始まってなくて倍率も読めない舞台に対して(というか良席にこだわらなければわりとチケット取りやすそう)

そんなこと言うってことは、それって実際に観に行くつもりは無いってことだよね?

その人の中では生で観る価値はないってことだよね??

ライブビューイングはあくまでその舞台運営好意だったり収益だったりまあそういったいろいろのために行ってくれるもので、

やらないことに対して客が文句を言う権利はないと思っている。

だって舞台ってそもそも生で観るものもの

私には8月の終わりにアホみたいに通った舞台があった。

千秋楽のライビュとTV放送が決まってたんだけど、アフタートーク回とかにこだわらなければ普通に当日券も手に入るような舞台

よくある2.5次元モノだけど、役者演出殺陣も何もかもが最高で、とても楽しく劇場に通ってた。

その舞台の主演俳優さんが、カーテンコールの際に必ず口にしていた言葉

ライブビューイングもTV視聴もいいですが、舞台は生で観てこそ。ぜひ劇場に足をお運びください」

それこそ何度でも、なんて冗談めかして言ってたけど、ちょっと私は笑えなかった。

このジャンルトップをずっと走り続けてるこの人にこんなことを言わせてしまうのはどうなんだってそれを聞くたびに思った。

(し、実際に劇場にいるおたくに言ってもあん意味ないんじゃないかなと思った)(だってその場に居るのはそれこそ言われずとも勝手に何度も足を運ぶおたくたちである

(とか思ってたら大千秋楽カテコでも同じこと言ってて、それを聞いた時にようやく笑えた)(あれを映画館とか自宅のTVで聞いた人は何を思ったんだろうか)

地方からとか金額とか、人それぞれいろんな事情があるとは思うんだけど、すぐにライビュをやってくれって言うのは辞めてくれないかなって思う。

それを言っていいのはチケット戦争に最善を尽くしてそれでもチケットを手に入れられなかった人たちだけだよ。

会場のキャパとその舞台の人気が合ってなくてチケット激戦とかだったらわかるけど、

あなたがかつて「ライビュやってくれたら観に行ったのに」と文句を言ってた舞台は、普通に当日券だって出てた。

書いてて思ったけどつまり声の大きい茶の間が嫌いってことだよね~~知ってた。

もやついた理由自己解決できたので終わり!

あーーーやだやだ。もっと楽しいことだけ考えて生きていたい。

2017-08-21

神対応と言われても……

今更ながら某ミュージカル転売対策

転売は駄目と思うけどすっきりしない。

そして転売叩きの人って正しいけど怖い。

はい通報のお時間ですよ(キリっ)」

落選した悔しさは転売ヤーにぶつけましょう(キリっ)」って間違ってないけど病んでる感を感じる。

転売屋は悪以外の発想はないと考えると、落選者は高額転売で買うか諦めるかの二択しかない訳で、どちらを取っても辛いのに当然と思う感覚も怖い。

ただ転売された席を無効として晒しヒーロー気取り。で、ラスボス転売屋ですよ~って逃げているだけでは?

そして都合がつかなくなったチケットを定価で譲るのは別ですが、複数申し込んでダブったチケットを譲るのって、高額転売と何が違うんでしょう?1枚のチケットの為に1枚分のチケット代以上のお金かけていると思いますけど?そういうの無くなったら抽選率下がりますしね。しかもそういう事している人程転売屋を叩きますし。

何にせよ千秋楽あんな騒ぎ起こして運営GJって無いです。

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