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2022-06-28

ライビュで推しにこれからも生きていこうと言われ頷けなかった

みなさんこんばんは今日も元気に不元気な24限界労働者女子です!!!

土日は毎週泥のように眠って起きたらあれ19時?あと5時間で一日終わる?みたいな自堕落範疇を超えた限界生活を送っているわたしですが先週末は待ちに待った某ミュージカルの大千秋楽で。

参加してきました。ライブビューイングで。

や、ね、もちろん現地参戦であれば彼らと同じ空気を汗を涙を共有し、そこにいたという単純明快事実が何に例えようもない素晴らしい遺産になる。そんなことは確実にわかってるんですよ。

でも、でもね。

JR札幌駅から東へ向かう特急列車に揺られること4時間半、最果ての地に降り立って3年。野を耕し羊を飼い漁船に乗りパソコンを叩き鹿を撃ち殺す日々を過ごしている社畜系北の大地女子にとってイベント現地参加は夢のまた夢。地獄チケット争奪戦に完全勝利Sをぶちかましたとて脱北こそが最難関。

そんな辺鄙な地に住むオタクたちを救う言葉がそう!

「全国の映画館ライブビューイング上映決定」

 

キターーーーーー!!!!!完全勝利S

この神のひと言でどれだけのファンが救われたことか。脱北せずともお近くの映画館に行くだけでいいだなんて。推し活躍を大画面高音質で見届けることが出来るなんて、前世で徳積みすぎたんちゃうかくらいの幸福度に包まれながら、いざ映画館レツゴー!

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上映開始から終了まで、ずっと泣いていました。

日本刀ゲーム原作にした某ミュージカルの公演で、お芝居ほぼなしひたすらキャストさんたちが歌って踊る読んで字の如く乱舞祭だったわけですが。わかりやすく言うとジャニーズコンサート2.5次元キャラクターがやってるみたいなそういう感じです。

初めてのライビュで、ペンライトとかうちわとかそういう装備も何もなくめちゃ手ぶらで参戦してみたのですが、とめどなく流れてくる涙をハンカチで拭くのと応援のための拍手をするのでグッズなど何もなくとも両手がとても忙しかったです。

セトリの良さとか、活躍ぶりとか、彼らの健康身体未来にあふれた眼差しを見ていると、もう、なんていうんですかね親心?いや親にやったことない身分で何を言っても説得力など御座いませんがつまりその!

この瞬間を冷凍保存したい。

強靭ゴムでもってゆっくり丁寧に時間を引き伸ばしたい。そしてもう二度と忘れることのない日々としてわたしのもとに存在していてはくれまいかと。

目に映る全ての煌めきが奇跡のようで、しかしその奇跡の裏側にはたった1人の人間の地味で冴えない仕事ごまんとあってそれらが集まることによって、圧倒的なパワーへと変換されてゆくその、まさしく奇跡。某ミュージカル千穐楽は本当に、奇跡の様な3時間でした。

それでね、カーテンコールキャストさんによる挨拶があるわけですよ。日替わりで。

千穐楽挨拶は2名。カンパニーを率いてくれた座長、そしてカンパニーの創世期から演者として前に出てくれていたキャストさん。

座長挨拶は「つらくなったら、前を向かなくてもいい。そのときは横を向いてほしい。俺たちがいつでもそばにいることを思い出してほしい」 

もう1人のキャストさんは「僕たちの見えないところ、僕たちの知らないところでみなさんが頑張ってるの、よーーーーーく知ってます。初めは僕たちがみなさんを癒さなきゃなって思ってたけど、気がついたら僕たちが元気をもらってました。頑張れないときは頑張らなくていいんです。ただ、一緒に、精一杯生きていきましょう」

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今回のライビュでは、大体のお声がけには両手が痛くなるほど打ち鳴らして拍手で精一杯応えてきたのですが。

最後

「生きていきましょう」

この部分。 

ごめんなさいわたし約束を果たせる自信がなくて、素直にうんって頷けなくて、それでもう座席うずくまって泣くことしかできなくなってしまいました。

彼らはこんなにも、そう2.5次元の演じているキャラクターとしても、あるいは生身の、俳優というご職業に就かれているひとりの人間として、こんなにも観客に対して「生きていてほしい」という祈りを込めて、歌い、踊り、舞い、笑顔を見せ、パフォーマンスをし、そして最後に語りかけてくれたわけです。

「生きていてください、生きていきましょうよ」と。

ただそれはわたしが唯一果たせない願い事でもあって、こんな自堕落自罰的で見通しもない、生きるしかないゆえ生きてきたけれども生きてゆきたいと思ったことがない、なんて、そんなこと。

ミュージカルはただの2.5次元ミュージカルではなかった。それはきっと映画館で見ようと現地で見ようと家の10分おきに通信が切れるゴミWi-Fiで観ようとも同じことで。某ミュージカルは、確実に人の命を救わんとする、そういう作品だったのです。

感動の涙ではなく、不甲斐なさの涙。

こんなわたしに語りかけてくれる作品がこの世にあるということへの申し訳なさの涙。

いつか、いつか前向きな気持ちでこの素晴らしい作品を鑑賞できたら、わたしの目に映る世界は少しでも良いものに変化しているでしょうか。生きていきたいと思ってもいいと、自分を赦せるのでしょうか。

2022-04-12

伝説の1日のダウンタウン漫才、どこがおもしろいのか?

吉本興業創業110周年 特別公演 伝説の一日 千穐楽 参回目(4/3 15:10

あれ配信終了ギリギリで購入して見たけど・・・うーん。

どこが凄いのか、何が面白いのか、全然ピンと来なかった。

そりゃ芸人たちにとっては憧れの存在が久しぶりに漫才やったということでだいぶ気持ち入っちゃってたんだろうけど、正直過大評価だよ。

素人から見ると全然面白くない、グダグダの内容だった。

浜ちゃんが「全然打ち合わせしてくれない」と愚痴ってたそうだが、まさにその通り。


サッカーで言えば、中高年になってブクブクに太った往年の名選手リフティングしてる姿を見て感動するようなものだよ。

2020-04-10

【続】「ぼやき酒屋」はもう古典落語として扱われていいのでは

「六代目神田伯山真打昇進披露興行」の新宿末廣亭(10日目)千穐楽ゲスト桂文枝(六代目)だったのだが、その日の

楽屋桂竹丸三遊亭笑遊が遊びに来ている(桂文治に「(今日は用も無いのに)何しに来たの?」と不思議がられている)

後に目的は「この日のゲストである桂文枝挨拶して『落語を教えて貰う』=伝授して貰う」事だと判明するのだが、その

際のやり取りがとても興味深い。

https://www.youtube.com/watch?v=DT9EIEO96qU&t=376s

 

桂竹丸「あの師匠、恐れ入ります。あの~落語を教えていただきたいんですけれども」

桂文枝「あーいえいえ、なるほどなるほど…」

桂竹丸「(三遊亭笑遊と)この二人で、「ぼやき居酒屋」を…」

桂文枝「あー、どうぞどうぞ…じゃ、お二人に、送らして…書いた物と…家から送らしていただきます…」

桂竹丸「あーありがとうございます…」

桂文枝「(付き人マネージャーに)じゃあ(お二人の宛先)きいといて」

 

三遊亭笑遊師匠、「ぼけてたまるか」の枕を、使わせてもらっても」

桂文枝「あーもちろんもちろんもちろん、どうぞどうぞ、どんな枕でした?」

三遊亭笑遊老人ホームの…」

桂文枝「え?」

三遊亭笑遊病院の…」

桂文枝「あー病院のね…わかりました(どうぞどうぞ)」

 

※「ぼけてたまるか」…難聴になった父親家族認知症にもなったのではないかと疑い、長男病院検査に連れて行く噺

枕で「最近耳が遠くなりまして、耳は近くにあるのですが、聞こえ難くなりまして・・・。」みたいな掴みがある。

元増田の「直々に稽古」キットなるもの100%妄想で書いたけれども、結構当たらずとも遠からずな感じがしている。のだが。

動画をよく見ると、竹丸・笑遊が共に「桂文枝」の名刺を手に持っているのが確認出来る。「ちゃん文枝師匠挨拶を交わした」

という証拠物証()という訳だ。

このやり取りが必要世界だという事は何となくわかる「人の創作落語を作者の同意なしに何勝手に口演してるんだ?」という

批判を封じておくに越したことはない。業界として、プロとして最低限の筋の通し方だと思う。

anond:20200405152245

2018-12-25

足りない事ばかり

推しが先日、初の主演舞台を終えた。

推しはいわゆる若手俳優だ。

規模はどんなものであれ主演というのはそう簡単に立てる場所ではないし、お話が彼のもとに来たということだけで喜ばしいことなのだと思う。

本当に素敵で素晴らしいことだ。

応援していてよかった!」

そう一度でも思えていれば、こんな記事は書かずに済んだのにな、と悲しい気持ちが溢れている。

単なる愚痴に近いものだし、努力を受け入れられないのは私の性格問題で、内容が特定されて、推しが見つかるのは不本意だ。とはいえ見る人が見れば分かりそうだけれど。

濁しながらにはなるが、お付き合いいただけると嬉しい。

今回の主演舞台は、

「主役がいろんな人からさな恨みをかって、殺されそうになる」

というのがおおよその内容だった。

人の気持ちがわからない。自分発言が誰かを傷つけるなんて思わない。言いたいことが言えないなんておかしい。

そんな風に生きてきた彼は「俺のしたことって殺されなきゃいけないようなことか?!」とそれぞれの動機を聞いて怒る。

言葉の受け取り方はひとそれぞれ」

些細なことだとしても誰かにとっては大切なことだったりする」

と正され、最後は殺そうとしていた人たちと和解し、今後は気を付けると謝罪

もちろん恨みだけで殺そうとしてない人もいたわけで、最後は……という話だった。

私はこの舞台を見たとき推しの当て書きだ」と思った。殺されるのに、恨みを買ってる役なのにそう思ったのだ。

役の職業性格推しのこれまで演じてきたキャラクターに通ずる部分があったこと。

とあるごとに発言する言葉言葉足らずであること。

その時ふと気が付いてしまった。「あっ、私こういう話知ってる、体感したことがある」と。

まりにも犯人である彼らの動機に、殺してしまいたくなったことの理由共感できる部分が多すぎて驚いた。

私は幾度となく推し発言で苦しみ、腹をたて、何度も好きでいることが難しいと感じてきた。

じゃあさっさとファンをやめろと言われればそうなのだが、そうスパッとやめられるほど軽く物事を捉えられないからこそ、言葉一つ一つに気持ちを揺さぶられてきたのだと思う。

とある大きな映像作品に彼が出演した際、ゲスト出演したイベントでなにか告知があればと促され、「すごく末端の役なのですが」と自らの役を(大袈裟表現だが)卑下するようなことを言っていて、私は幻滅した。

せっかく出演できて、役名までついてるというのに、末端の役なんて、どうしていえるのだろうか。誇りをもって仕事をしてほしいと強く思った。

出れることがすごく嬉しいこととは言っていたが、なんだかモヤモヤとした気持ちが残ったイベントになってしまって悲しい感情で終わってしまった。

それからとある舞台のアフターイベントゲストに呼ばれ、それも急遽での出演、なのに出る回数も多すぎて、出演者から冗談で、「暇なのか?」と弄られたことがあった。

「暇なので」と彼は答えた。あぁ、そうなんだ、私はお金を払ってあなたの暇潰しを見に来てるのね、と思った。仕事一つ一つに誇りを持ってるという発言がなぜ出来ないのだろうか。

まぁそんな些細なことの積み重ねでどんどんと嫌いになっていったわけだが、あるとき私が手紙に、こうした方がいい、ファンの人はきっと喜ぶから、私以外の誰かの為にしてあげてほしい、というアドバイスを書いたことがあった。

ブログでそのことを実践してくれて、ちゃんとお手紙読んでくれてるのだと嬉しくなった。だけどそのあとの内容にまるで私の手紙は嬉しくなかったようにも捉えられる言葉をかかれて、しばらく苦しかった。

「一番嬉しかった手紙は初めて舞台を見たという内容のもの

何て文章、きっと彼は「自分がその舞台を見るきっかけに携われて嬉しかった」と言いたかったのかもしれないのだが、あまりにも言葉足らずすぎるし、そう書きたかたかは彼にしかからない。

私には私の手紙が嫌だったから、そう書いたのだろうと被害妄想的にしか読めなかった。

これは書いた私にしか届かない否定で、だからこそ、他のファンからは「今までのファンはもういらないんだ」と捉えられていて、そこもまたその要因を作ったのが私なのかと思ったし、なんというか、いずれにせよどんな形でも、言葉足らずも大概にしろと思った。

言葉足らずなのはいつだってそうで、

「この作品キャストスタッフ、たくさんの方に支えられて成り立っています

「この作品に関わってくださった皆様のおかげです」

これは彼のよくいう言葉だ。

捉えようによってはそこにファンが含まれてるようにも含まれてないようにも見える言葉だと、私は思う。

しっかりと話してくれないと、伝わらないんだよ、言葉足らずだ、と私は常々そう思っている。

そしてどんどん彼の言葉をすべて真っ直ぐ受け取れなくなった。信用できない。どこまで本心か分からない。

全て前向きにとらえられるのであれば、彼はい役者さんで、ファンを大切にしてるんだと思うから、いつか、その表現の部分が改善されればと願って、今までしがみ付いてきた。

そして今回の舞台最後千穐楽カテコを聞いて、私は「もう彼を応援しなくてもいいな」と思った。

「この作品キャストやここにいないスタッフさん、たくさんの方に支えられて成り立っていて、自分一人じゃできなかったのだと痛感しています

「この作品に関わってくださった皆様のおかげです」

いつもの言葉に少し残念な気持ちになっていたら、彼は少し客席に体を前のめりにして「関わってくださった皆様の中には今日この舞台を見に、ここにいらっしゃる皆様も含まれていて、皆様がいなければ成り立たなかった」と補足した。

言葉足らずが消えた!

成長したのだ。

ももう本当は心が離れてたらしくて、全く何も思わなかった。

いや、正確には「ああ応援していてよかった」とは思わなかった。

今更前向きに、真っ直ぐ受け取れなくなっている捻じ曲がった私の心には全然届かなかった。

まるで私の、私たちファン意見を全て掬い取ったみたいな、取り繕った言葉だと感じてしまった。

かなしい話だ。しがみ付いてしがみ付いて、無理をしていた結果。

悪いのは彼じゃなく私の方だろう。

私は彼に対し「ここが嫌だなぁ」という気持ちを濁しながら手紙に書いてしまうような悪いファンで、「もう手紙書くのはしばらくやめます」と記してみたり、リプライで「最後まで見届けられて良かった、悔いはないです」とか送っちゃうし、とにかく捻じ曲がっている最低なファンだ。最低。ほんとに最低。

私がそう書いてきてもう居なくなりそうだったから、安心してそういったのかも、私はいらないファンだもんね、と思ってしまう。

そんな厄介思考の持ち主なので、成長を見ても「そっか!」という清々しい気持ちになってしまったのだろう。

好きでいさせてほしい、好きでいたい、だから、つなぎとめる何かが欲しかった。

はずなのに、一つも受け取れず、私は推しから去る。

手紙に対してのレスポンスブログ、あのときは大きなコンテンツの2.5に出て、新しいファンがたくさんついた後だった。

からお節介だけど、今新しくついたファンたちがいなくなってほしくなくて(ただでさえ前からファンは離れていたので)、こうしてみたらいいっていうことを書いたのだ。

実際その新しいファンの人たちは喜んでいたし、好きになって良かったというコメントを見かけたので間違えてなかったのだと思う。

そんな反応で喜ぶ人ではないから、きっと推しからは「お節介でうるさいファン」と思われてただろうと思う。

この挨拶で私以外の人はきっと幸せになったはずだ。

応援していてよかった、見に来ていてよかった。

そう思った人が多かっただろうと思う。

彼の足もとに座る私は顔を見れず、目を逸らして真っ直ぐに前だけを見た。それが私の最後の視界。

本当に当て書きなのかは分からない。

そんなはずはないと思うが、この作品メッセージを受け取って推しが変わるのなら、出会うべき作品だったのだろうと思う。

内容は酷評されていたりしたが、そういう意味で意義のある舞台だったと私は強く思っている。

物語最後、実はまだ犯行に及んでなかった人に殺される主人公

千穐楽が終わって、1日疲れて休んで、手紙を読んでからはいつもブログを書いていると思っているので、きっと今日明日にはブログが来るはず。

それが終われば全部終わってしまう。

最後の結末が違う形になるのかはそれ次第。

しかった、さようなら。大好きだった。

2018-03-05

客寄せパンダ舞台は2度と行かないと思った訳

今回私が観劇した舞台アンフェアな月について、眠れないので長くなるが感想をまとめたい。

アンフェアシリーズと言えば、やはり篠原涼子イメージが強い人が少なくないのではないかと私は思う。

今回舞台化に際して主演の雪平夏見にキャスティングされたのは篠原涼子ではなく、元AKB篠田麻里子だった。

私はドラマ版が好きだったが篠田麻里子が演じることに特に嫌悪感がある訳でもなく、原作舞台化するんだ!面白そうだなー!と思っていた。

そして、チケットを取った。

友人が私の観劇の5日ほど前に同舞台に行っていたが、感想を聞くと、まあ、面白かったよ。と微妙な反応だったのが気になってはいたが、推理サスペンス物なのでネタバレを気にしてるのかと思っていた。

しかし、いざ舞台が始まると友人の薄い反応の意味が分かった。

舞台はまるで小説を読んでいるかのような演出で、ページを繰る表現や場面説明文書合唱など魅入られるものがあった。(この合唱シーンは某自転車競技舞台を思い出させた)

演技について上から目線になってしまうのが申し訳ないが、役者の演技も緊迫した様子がストレートに伝わってくるような迫力のある表現だった。

そして、主演の篠田麻里子TVで見ていたアイドル時代の可愛らしい姿とは打って変わって、クール合理的なカッコいい雪平夏見を演じていた。そのギャップに驚いたし、好印象を持った。最初は。

しかし、物語が進むにつれて、ん?と思う部分が見え始めた。

篠田麻里子滑舌の悪さだった。

台詞も多かったが、スピードに任せたような喋り方で所々言葉が潰れ、台詞がきちんと聞き取れないことが幾度かあった。

小説を読んでいるかの様な演出からこそ、滑舌の悪さを感じる度に思考が止まってしまうのでとてもストレスに感じた。

私のよく行く界隈でも、台詞が聞き取れない事や滑舌の悪い役者はいる。贔屓目に見てもこれは…と思うこともある。

(実際、引退して米国留学した某戦隊俳優や某大手音楽タレント事務所ストイック筋肉トレーニング俳優は見返してもやばい)

けれど彼らの多くは素人なので目を瞑ろうと思う。しか彼女は人前で話す、歌うことに関して場数をこなしているはずである

稽古以前はもっと酷い状態で、指導によって改善した方なのか。

はたまた気を遣って演技指導も控えめにしたのか。

なぜこのクオリティで本番を迎えてしまったのか甚だ疑問である

加えて、後半になるにつれて台詞合唱が揃わなくなり、他の演者も噛むようになりと余計に残念な印象を受けた。

ちなみに私が観劇した日は公演9日目、翌日が大千穐楽だった。そして友人が観に来た時も噛み噛みだったらしい。

ここで一つ言っておくが、私はアイドルが嫌いなわけでは決してない。

アイドルだって演技が上手い人は素直に上手いと思う。元super girlsの前島亜美は凄かったし、乃木坂の三人姉妹は観たいと思った。

素人目に見ても役者の実力差は歴然で、篠田麻里子滑舌の悪さは悪目立ちしてしまっていた。

から私はきっと彼女はただの客寄せパンダで、制作側はこの舞台クオリティにさほど関心がないのかもしれないと考え悲しくなった。

舞台エンディングを迎え、3度目のカテコになった。ここで驚いたのがパラパラとスタオベが始まった事だ。

内心、この出来でスタオ!?ましてや大千穐楽でもないこの回にスタオ!?と思っていたので立たなかったが、周りに合わせるように立つ人も見られた。

私は、スタオベは本当に良かった、感動した、この想いを舞台上の彼らに届けたいと思うからこそのものだと思う。

そして、この舞台からそこまでのものは貰わなかった。

と、まあこれはただの個人的感想なので、とっても良かった!また続編があれば観にいきたい!と感じた人も絶対にいるはず。

これはただの感想愚痴と、明らかに客寄せパンダ舞台には近づかないぞという決意表明です。

 
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