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はてなキーワード: 演目とは

2024-09-17

今だと炎上案件かな?

既に亡くなって久しい日本人指揮者が、英語圏某国オーケストラを振ったとき経験した話。

あるとき演目で、オケパートとしてピアノが加わる曲があり、その練習エキストラピアニストが参加した。

なお、そのピアニストは今で言うところのLGBTに当たる属性が、その国の音楽業界では有名だったそうな。

それで、ピアニストは元々用意されたパート譜の書き方に不満があるとかで、自筆パート譜だけを現場に持参してきた。

しか間抜けなことに、この自作パート譜の内容に思いっきり不備があり、曲の途中から演奏開始するタイミングで、必ず指揮者スコアを覗きに来る始末。

ちなみにプロオケ練習通称リハーサルというのだが、内容的には練習というより「申し合わせ」に近く、しかも基本一回のみ実施

その一回の時間も限られているので、とにかく一分一秒が惜しいのだ。

からこそ、件のエキストラの下手というか、時間の浪費でしかないアホ過ぎる言動に、指揮者はもちろんオケも苛立ちを募らせていったと。

そんな中リハが進んだところで、とうとう指揮者がキレた。

そこで思わず怒鳴ったセリフというのが…

"I don't know how about your part!!!"

途端にオケ全員がワァーーーーッ!!!と大歓声を上げて拍手喝采、大爆笑の大ウケになってしまった。

その後ピアニストは妙にシュンとなってしまい、実に大人しくなったと。

なお日本人である指揮者が、なぜそこまで自身の叱責がオケにウケたかを知ったのはリハ後の楽屋(個室)で、コンマスだか誰だかが代表して来室し事情説明してからだったとのことで、英語の難しさを痛感したらしい。

ということで、読者諸兄はなぜ現場がこんな大盛り上がりになってしまたか、おわかりいただけただろうか??

結論から言うと、間抜け楽譜についてオケ気持ちを代弁した叱責を行い、かつ彼の性的指向からかう、ネイティブだったら天才的な洒落になってしまったというわけ。

まり上掲のセリフ日本語にすると

「お前の書いてきたパート譜のことなんか知るか!」

「お前のチ◯コのことなんか知るか!」

というダブルミーニングになってしまったのだ!!

それで問いたいんだけど、今だったらこ発言は、日本人であっても許されない暴言扱いになるのかな?

LGBT当事者にとっては許しがたいハラスメントですかね?

読者の皆さんのご意見をぜひ伺いたいです。

2024-09-16

歌舞伎の末摘花

歌舞伎演目に末摘花がある。

この末摘花は顔は醜いが賢くて心が美しい、盲目受領宮家の姫なのに身分の低い受領に別け隔てなく接してくれ、賢く心の美しい末摘花に惚れてプロポーズするが、末摘花は源氏を待つ為に断る。

その後源氏から引き取って世話すると手紙を送られたのに、花散里宛を間違えたと言われ、その後会いに来たけど花散里の所に行くついで等々、度重なる仕打ちを受けた末摘花は、受領の元へ行く決意をする。

歌舞伎結構キャラ崩壊をしている。

原作のようにどこまでも愚かで醜く一途な末摘花のままで幸せにしてやれなかったのか。

賢くキャラを盛っても、かなり身分差がある盲目男じゃないと無理だろって男目線リアルな改変を感じる。

2024-09-11

歌舞伎ファングロいと思うこと

1 歌舞伎ファングロいと思うこと

数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。

いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれ子ども特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。

思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいか言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実評価基準として、第三者にすぎないいちファン勝手判断して評価しているから、だと思う。

もっと踏み込んで言うと、無限職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子もの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるしろものすごく高慢に見える。

この所感は、古典演目を、比較若い役者が、過去の大役者確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎とあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去演者比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。

(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファン意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)

2 世襲制度がこれからどうなるか

いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司かわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。

もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。

まりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。

個人的に、初報が発表されたとき刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観親和的で、既存ファンの方の数が多くて、しか観劇抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファン殆ど刀剣乱舞入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)

一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家御曹司座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。

(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記権力構造再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者バックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)

さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率DISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)

じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司弟子キッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスター名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験幹部昇進で区別するとか。)。

もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも歌舞伎名家権力(私から見えるのは、歌舞伎古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれ自分にはピンと来ない。)。

3 終わりに

最近御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。

そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロ感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメントマウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。

――最近研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかいから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化継続自体がかなりマズい? それはそう。

2024-09-01

anond:20240901072655

グロ制度が残ってる状態のままどんだけ演目を新しくしようが、若者は入って来づらいよな

ちょっと良いなと思って詳しくなろうとしても、そこに明らかに人権侵害があるとうわってなるよな

中村獅童の父みたいに名家の子どもたちも将来を考えた時に役者になる、ならないが選択できりゃあいいと思うけど、役者一人一人のではなくその家丸ごとの後援会とかタニマチがいたりして自分一人の意志歌舞伎やめます!とかはできないんだろうなと思う

小さい頃から弟子?になる部屋子システムから歌舞伎に出入りしてる役者から愛之助みたいなスターは出てるけど、幼い頃からやらせないとダメみたいなシステムは結局自分意思かそれ?ってなる

2024-08-19

フェスで友人なくしそう

15年以上付き合いある友から誘われて初参加したんだがFOする。10回くらいキレそうになったが頑張って耐えた。短くまとめたかったのにクッソ長くなった。

予め断っておくと気になった時点で指摘しない私も悪いと思うだろうが、友は指摘すると言い訳+機嫌悪くなるタイプに見受けられたので心健やかに2日間過ごすため我慢を選んだ。

とにかく段取りが悪く、待たせてくる

宿泊先のホテルで出発前のトイレに行かず会場着いてから混んでるトイレに行き出す。

・ほぼ同じタイミングで入ったトイレでは日焼け止めと化粧直しで10分以上待った。

・私の観たい演目が迫る中、友は長蛇のご飯列に並ぶ。ちなみに私は移動や演目中に全食事を済ませた。

・物販は整理券的な取り組みがあったのにやらない。

気遣いゼロ

※ 観たい演目時間被りがなく当初は一緒に回る予定にしたがこれが全ての失敗。

しかも私の風呂上がりに始めた風呂準備が私の風呂と同時間かかる始末。

  • 朝の準備で洗面台使う時間が被らないよう私が早めに諸々済ませた後、こちらの気遣いを全く感じ取らずのんびり洗面台を使う。流石にそろそろ出た方がいい時間になっても友が洗面台で髪セットしてたから私はロビートイレで用を足した。

からしたら勝手にテキパキしてるお節介な人って認識なのだろうか...

モラル...

撮影してる人がモニターに映ったり演者撮影okと言い出したりと撮影禁止ルールがザルではあったものの、著作権侵害だし注意して回るスタッフさんを目の前にして撮影できる神経の同行者はキツイ

一緒にいる間は大好きなアーティストでさえ全然盛り上がれず、別行動した途端元気に飛び跳ねてたから本当に友の行いが嫌だったんだと思う。1人で行けば良かったし向こうも私の異常に悪いノリに誘ったの後悔してると思うwww

ちなみに友はティーン可愛いお馬鹿さんじゃないんだよ。30代も半ばの独身ドルオタだよ。ここまでされると友に嫌われてる?って思うレベルだが独身中年ドルオタって地雷率高そうだし嫌われてても気にしないことにした。

2024-08-13

シャーマニック・エレクトロニカ・翁

[話] [アイディア]

マチュピチュシャーマン末裔がエレクトリカル・面を装着してサイバー・能を舞う

ドレッドヘアードレッド部分はサイバーケーブルでもいい。ケーブルはエレクトリカル・面の付属品でもいい。

・常に面をしている。ジャパニーズ構成された能の継承団体は彼を正式構成員としていない。彼に何も教えていない。

・彼は完全に面のヒストリーシミュレートする=民族を超えた普遍的・超常的シャーマニズムの発現

・能の継承団体にとって失われた演目すら再現する、非ジャパニーズである彼の完璧所作リスペクトせざるをえない

・彼はそこまでジャパニーズ文化理解していないし、若者特有の不遜な態度で接する。しかし、物語理解度、所作については欠点がない

・彼が面を外すのは完全秘匿楽屋、あるいは「エレクトロニカ・翁」の舞台上で「翁」の面を機構装着するまでの間のみ

・500年後の能の継承団体2024年現在の能から見ると、色々な文化資料喪失している

・完全な「エレクトロニカ・翁」が執行されると13世紀ごろに戻るとされている

参考

「能」ではリスペクトに欠けるので「NO(飾り字)」(Nohだと英訳になってしまい、普通フォントだと否定のNoになってしまう)

「能にして能にあらず」 https://www.the-noh.com/jp/trivia/039.html

翁を1.75倍速で見よう(提案)(参考 https://www.youtube.com/watch?v=2pH-0tAcARI

2024-07-10

anond:20240710191602

演目「恐怖!はぐらかし蛇男の叱責!!」

2024-06-24

anond:20240624155356

ChatGPT

まんじゅうこわい」を知っていますか?

はい、「まんじゅうこわい」は古典落語の有名な演目の一つです。この物語は、ある男が「まんじゅう和菓子)が怖い」と嘘をついて、他の人たちがその嘘を信じてまんじゅうを彼のところにたくさん持ってくる話です。彼は実はまんじゅうが大好きで、この嘘を利用してまんじゅうをたくさん手に入れます。この話は、欲張りや嘘の愚かさを面白おかしく描いています

まんじゅうこわい」と同じ意味英語ことわざ言い回しはありますか?

まんじゅうこわい」に完全に一致する英語ことわざ言い回しはありませんが、似たような概念を持つフレーズとして「Reverse psychology(逆心理学)」があります。これは、人が望んでいることを手に入れるために、あえてその逆のことを言う技術を指します。

例えば、「I don't want any chocolate, it's too sweet for me」と言って、本当はチョコレートが欲しいことを暗に伝えるような状況です。「まんじゅうこわい」の場合も、主人公まんじゅうを怖がるふりをすることで実際にはたくさんのまんじゅうを手に入れるので、逆心理学の一例と言えるでしょう。



Claude

まんじゅうこわい」を知っていますか?

はい、「まんじゅうこわい」という言葉を知っています。これは日本の有名な落語演目タイトルです。

この落語は、まんじゅうが怖くて食べられない男性の滑稽な物語です。主人公は、子供の頃にまんじゅうを喉に詰まらせた経験からまんじゅうに対する強い恐怖心を持つようになりました。

物語の中で、主人公はさまざまな状況でまんじゅうに遭遇し、それを避けようとする姿が描かれます。この落語は、不合理な恐怖心や固定観念ユーモアたっぷりに描いており、聴衆を楽しませると同時に、人間心理についても考えさせる内容となっています

この演目は、恐怖症や偏見といったテーマを軽妙に扱っており、日本の伝統的な話芸の魅力を示す良い例として知られています

さらに詳しい内容や、この落語が持つ文化的な意義についてお話しましょうか?



Gemini

まんじゅうこわい」を知っていますか?

はい、「まんじゅうこわい」を知っています

まんじゅうこわい」は、古典落語演目の一つで、広く知られた噺です。あらすじは以下の通りです。

長屋若い衆が集まって、「怖いもの」の話をしていました。へび、たぬきクモこうもり、毛虫、アリなど、様々な怖いもの話題に上がりますしかし、松つぁんだけは、怖いものが何もないらしいのです。

ところが、松つぁんには、なんと「まんじゅう」が怖いという秘密がありました。名前を聞くのも、見るのも、言うのも、触るのも、全てが怖いというのです。

この話を聞いた若い衆たちは、松つぁんをからかおうと、まんじゅうを使って様々ないたずらをします。障子に穴を開けてまんじゅうを見せたり、まんじゅうを投げつけたり、まんじゅうを枕元に置いて寝かせたりと、松つぁんを次々と恐怖に陥れます

しかし、松つぁんは必死我慢し、ついにまんじゅうを食べる決心をするのです。そして、一口食べてみると、まんじゅう想像以上に美味しくて、松つぁんの恐怖は消えてしまます

こうして、松つぁんはまんじゅうの恐怖を克服し、若い衆たちから尊敬されるようになったというお話です。

まんじゅうこわい」は、ユーモラスな語り口と意外な展開で、多くの人々に愛されている落語作品です。また、克服できない恐怖心を持つ人間心理コミカルに描いた作品としても評価されています

まんじゅうこわい」について、他に何か知りたいことはありますか?

2024-05-30

anond:20240530143006

で、実際のところ本当に行っているの?

行ってるならその演目感想は?

行ってないならド田舎と変わらないよね

anond:20240530140820

演奏家楽団名前演目名前出さずに「クラシック」とかいうとこがすでに嘘くさい

わかる人にわかればいいんだから書けばいいじゃん

N響とか東フィルの会員になってて定期演奏会に通ってるとかいう話だったら「東京すごいなー」って思うけど、

たまに有名どころの海外楽団来日したの見に行くぐらいだったら地方民も普通に上京するし、なんなら地方公演だってある

2024-05-25

はるかぜちゃんママリツイートしてるこれ

https://x.com/azukinoanko/status/1794005063658361101

高校生はるかぜちゃん弁護士費用安全管理タクシー費用などをアルバイトで工面しながら開示請求したり、ご家族生活犠牲にしたり、せっかくの舞台出演も脅迫行為から守れないと降板され

どさくさにまぎれて歴史改変してるな

荒れてる時だけ現れるよく知らナイトうろ覚え適当なこと書くのは仕方ないが、ママがこれをリツイートする意味

はるかぜちゃん降板された舞台は、前張りをつけずに乳首性器も出すような演目で、

はるかぜちゃん自身17歳だったから脱ぐのは免除されたもののちんぽ出してる大人たちの中で一緒に演技するのはヤバイ警視庁から警告を受け降板された

https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0604/blnews_180604_1234753050.html

ヌード表現舞台未成年春名風花出演で児童ポルノ強制通報 警察から要請で公演差し替え

>「偏執短編IV」は、実在した偏執狂をモチーフ創作された短編演劇ヌード表現を含む内容を、「エログロナンセンスホラー猟奇的表現披露する内容は演劇業界では類を見ない過激表現を多分に含むオトナのエンターテイメント」と紹介している。この舞台には、はるかぜちゃんこと女優春名風花17)も出演。その稽古の様子を共演者が、「ヴァイヤンループ稽古段階で全裸といったら全裸。男女一糸まとわずセックスシーンは、そのまま絡み合う。今回サドを僕が演じ、主人公ジュリエットはるかぜちゃん。この上もなく背徳感がある」とTwitter投稿していた。

爆破予告されたことはあったが、その際には降板に至らなかった

降板されたのはヌード舞台なのに、すり替えを図っている

爆破予告の時は降板されなかったというのは削除された本人ブログにも書かれている

https://web.archive.org/web/20180603223124/https://lineblog.me/harukazechan/archives/1094295.html

>上演予定だった池袋劇場にも「春名風花降板させろ。さもないと劇場に爆発物を仕掛ける」と連絡がありました。

>当時も警察から降板はできないか、と聞かれましたが事務所と座組の皆に助けてもらい「劇場前にパトカーをとめ警備体制をとった中での上演」という条件で何とか無事に舞台に立つことが出来ました。

はるかぜちゃんが脱ぐかもしれないぞとほのめかして警視庁召喚する事態引き起こし俳優は常川博行

彼は後にこんな発言をして、その後削除した

https://web.archive.org/web/20240521101454/https://archive.md/JQpgn

>わかる人にだけ

>あの時、あのまま上演されていたら彼女キャリア人生はどうなっていたでしょうか?

演出は、逮捕される気だったんだよ。

彼女のことを考えずにね。

>「社会正義」の仮面を被ったアンチヒーローたちが暴れてくれて助かったよ。

>狙い通り

>以上

警視庁通報したのがアンチだったとしても、「17歳が脱ぐようなことを共演者がほのめかしている、脱がないとしても18禁猥褻舞台未成年が出演するのは違法じゃないか」と通報をした者と

「裸はアート性器アート、一夜の芸術のためならあなたキャリア人生もどうなってもいい、我々が逮捕されてもいい」となだめすかす大人たち

前者を支持する

ママはそうではないのだろう

2024-05-01

ハンサム落語」に失望した愚痴

けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。

推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真衣装も素敵で、落語俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。

舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台のものはとても楽しめたし行って良かった。演出音楽美術もすべてが最高だった。

ただ、共演者に何人かへっぼこ役者いたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。

彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。

古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。

とにかく落語登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。

そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。

古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。

リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。

私の推し初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。

そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまいしか企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者役者でもちゃん落語として見られる仕上がりになる。

真面目に演じればそれだけできちんと面白ものになる舞台だ。しか落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。

へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。

から推し活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。

舞台のコンセプト、企画演出脚本美術音楽衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるとき演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売スタッフまで感じが良かった。

からこそ、悲しい。

へっぼこ役者たちはこの舞台常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。

私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ

あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。

どんな漫画ドラマ小説舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。

多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。

今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。

2024-04-29

レイヤーさんがコンパニオンやってた件

元増田Japan IT Weekだが、自分が見たのは国際工作機器店というやつ。

ここで、コスプレイヤーさんがコンパニオンをやっていたのを思い出したので書いてみる。


コスプレイヤーさんがいたのは、某工作機器専門メーカーブース。ただ、いつでも出てくると言う訳ではなく、だいたい1時間に1回ぐらいずつ説明タイムが設けられていて、その時に絵に描いたようなSFチックなスーツを着て登場するのが基本のようだった。

Youtuberでもあるコスプレイヤーさんだそうで、プロフィールが置いてあった。自分は正直知らなかったが、相当に有名なコスプレイヤーさんだった模様。

そして、説明無茶苦茶上手い。ステージ上ではもう一人相方となる人(この人はコスプレっぽいけど普通制服だと重う)を着ていて、その人と演劇じみたやりとりをしながら、新製品工作機器説明していく。

プロ仕事である時間ごとに説明演目……じゃなかった、品目が異なるようで、話を進めていく。司会も自分でやる。

そのたびに人だかりができて、説明が終わると、それでキャッチした人たちがブースに散っていって、結構打率は高いのでは無いだろうか。


また、この展示会は政府も絡んでいる事などから、近隣の国からVIPの人もやってくる。そういった人は基本的にあらかじめ予約されていたコースを回るのだが、その時にも出てきて個別説明をこなしているようだった。

展示会の帰りに旧Twitter(𝕏)を見ると、そのコスプレイヤーさんは間の時間ちゃんSNSに様子をアップしたり、自分なりに他のブースにも足を運んだりと、色々とやっているようだった。


後で聞いた話。

工作機器展みたいな展示会では、説明員はコンパニオンや雇われ営業という人から更に一歩進んで、劇団員の方が寸劇のようにして、プレゼンテーションと言うより説明ショーみたいにやると言うことがあるのだそうだ。

恐らくレイヤーさんはその方面の人脈で助っ人として参加していたのではないかと思われる。

もちろん、工作機器店にも、工作機器の隣で扇動的な服を着てレースクイーンよろしく立ってるおねいちゃんとかもいたけれども。

色々な商売があるものだ。

2024-04-21

ゲームは好きだけど運営が嫌い

そういうことって意外と多いよね

ドラクエは好きだけどスクエニは嫌いとか

ガンダムは好きだけど監督が嫌いとか

宝塚演目は好きだけど宝塚歌劇は嫌いとか

問題はこれが人や企業の側を愛したパターンはもうやばい

その人の作ってるものとかその人が主演しているからという理由コンテンツ肯定し始めるのは、ストーカー気質になって厄介な人間になる人が多い

コンテンツの良し悪しを人や企業基準にしちゃうから周りと軋轢が発生してその人の周りだけ空気が異様になってる

2024-04-06

ストリップ劇場で働きはじめた

スタッフの方

問題に感じてるんだがエッチという感覚自分の中にない

もともと動物の体が綺麗と思って好きでショーも動物の体として見てる

お客さんやってるだけならそれでもよかった 好きなもの見出してるだけでもよかったけど

なんか働くとかい自分社会的立場とか肩書を得るにあたってちゃんと考えようと思って

あと特にいま働いてる系列AV女優さん多いか

好きな系列劇場はそうでもないんだけど そのぶん踊り子さん自身感覚とかついてる客層も違うのかもと考えた

なんもわからんけど あと仕事に照明があるからできるならちゃん演目解釈をしたいか

それでストリップ歴史とかをいろいろ調べてるんだけども…

まず男性女性感覚が違いそうというのと

社会的に性産業がどうとか そういうのを考えなきゃいけなくて

すごいよくわからなくなってきた わからんという日記

2024-03-19

概要】many screens

概要

283プロの5人組アイドルユニット放課後クライマックスガールズ」(通称「放クラ」)が出演しているラジオ番組で、数週間後に予定していたゲストが来れなくなり、その穴を埋めるため、プロデューサーは放クラの5人による古典落語死神」の生朗読劇でその穴を埋めることを企画した。

個人仕事も増え、同じ場所に集まるのも難しくなっていた放クラの5人は、オンエアの日までオンラインミーティング形式練習することにした。

オンラインミーティングは忙しい5人を再び繋げてくれた。練習後にお菓子を持ち寄って雑談したり、メンバーが出演する番組を同時視聴したりと楽しい日々を過ごした。

生放送日、放クラが披露した「死神」はSNSでも大きな話題となり、好評を博した。

死神」において死神役を演じた小宮果穂は、事務所自分宛てのハガキが届いていることに気づいた。

それは果穂より年下の幼いファンからハガキで、自分の憧れだった果穂が、死神という悪役を演じたことに対する失望の思いが書かれていた。

放クラのメンバーである園田智代子と有栖川夏葉の2人は、果穂が事務所の近くの公園にいるのに気づいた。

何をしているのかと聞かれ果穂は、猫が花壇でいたずらをしていたので注意しようとしたが、怯えて逃げてしまった。猫を怖がらせてしまった自分悪者なのだろうか。

死神も、よくない主人公を注意する役だったのに、それが悪いことだと思う人もいて、どうしたらいいのかわからなくなってしまったと言った。

大事な話だと察した智代子と夏葉は、放クラメバー全員を集めたオンラインミーティングを開催した。

果穂からハガキの内容を聞いた放クラのメンバーは、死神という演目をを演じたのは我々全員であり、果穂だけの問題ではないと伝えた。

凛世は、死神をただの悪役と決めつけることはできない、キラキラした美しい神様ではなく、意地悪で不気味な神様が罰を与えることで、主人公をただの悪者にしないという意味を担っていると語った。

主人公を演じた智代子は、主人公最後の瞬間、生きよう生きようと考えていたのではないかと言った。

夏葉はハガキをくれた子くらいの年齢では、なかなか理解し難いかもしれないと言った。

樹里は、果穂に死神をどのように演じたのか聞いた。

果穂は、動画落語家が演じる死神が魅力的で、演じてみたら皆がたくさん褒めてくれて嬉しかったが、自分を見てくれている人の気持ちまでは、考えることができていなかったと言った。

5人は、もう一度自分たちなりにアレンジした死神をやりたいと思い、プロデューサーの力を借りることにした。

5人が企画したのは、オンラインミーティング形式視聴者参加型の死神だった。

前半はラジオ版の通りだが、主人公燃えさしのろうそくに火を継げようとする時は、視聴者応援してもらい。

最後は火を継ぐのに成功するというハッピーエンドアレンジした。

配信の前、果穂はハガキの子に返事を出していた。

それは、何も分からずに死神を演じてしまたことに対する謝罪と、自分たちなりの死神に再挑戦するので観て欲しいということ。

それでも悲しませてしまったら、もっと修行するという内容だった。

人物

プロデューサー

性別男性 / 年齢:XX歳

芸能プロダクション283(ツバサプロダクションに所属

アイドルプロデュースおよびマネジメント業務を行っている。

ゲームにおいてプレイヤー操作する人物

小宮 果穂(こみや かほ)

性別女性 / 年齢:12歳 / 出身地東京都

283プロアイドルユニット放課後クライマックスガールズ」のメンバー

大人びた容姿と高い身長が特徴の女の子。何にでも興味津々で純粋な様子は、まるで子犬のよう。特撮モノが大好きでヒーローに憧れている。小学6年生。

園田 智代子(そのだ ちよこ)

性別女性 / 年齢:17歳 / 出身地千葉県

283プロアイドルユニット放課後クライマックスガールズ」のメンバー

クラスに一人はいるごく普通女の子。明るく親しみやす性格で、甘いものが大好き。名前にちなんで、チョコ好きアイドルを売りにしている。高校2年生。

西城 樹里(さいじょう じゅり)

性別女性 / 年齢:17歳 / 出身地神奈川県

283プロアイドルユニット放課後クライマックスガールズ」のメンバー

ボーイッシュクール女の子言葉遣い乱暴なので人に怖がられることが多いが、根は純情で、素直になれないタイプ高校2年生。

杜野 凛世(もりの りんぜ)

性別女性 / 年齢:16歳 / 出身地鳥取県

283プロアイドルユニット放課後クライマックスガールズ」のメンバー

落ち着いた佇まいの大和撫子。常に礼儀正しく、一歩引いて相手を立てる性格少女漫画好きという意外な趣味を持つ。高校1年生。

有栖川 夏葉(ありすがわ なつは)

性別女性 / 年齢:20歳 / 出身地愛知県

283プロアイドルユニット放課後クライマックスガールズ」のメンバー

裕福な家庭に生まれ社長令嬢。家名に誇りを持ち、自らもその肩書に恥じぬよう日々鍛錬を積んでいる。スタイルがよく、引き締まっている。大学2年生。

紹介者コメント

・様子のおかしい果穂に気づき真剣に話を聞く体勢に入る放クラがよかった

落語に疎い自分は噺を勝手に改変して大丈夫なのかと心配したが、このようなアレンジ一般的に行われていものだと知って安心した

各話リスト

話数サブタイトル
オープニング入室者
第1話おしえてやろうか?
第2話長屋onスクリーン
第3話many skies
第4話大入御礼
第5話夕やけオフライン
第6話わるい神様
エンディングあげサゲ!!!!!

関連リンク

アイドルマスターシャイニーカラーズのコミュのあらすじ紹介

google:many screens シャニマス

アイドルマスターシャイニーカラーズ(外部リンク)

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2024-03-05

Tverアメトーク過去回を色々上げているんだが、そのうち「女性役やってる芸人」回が面白かった

中でも「別れ話をされた女性の反応」という演目で、チュート徳井の演技が異次元級で凄まじかった

一部の間を除き、完璧な演技だと思った

本当になんでも巧くこなすなあ

天はこの人に何物も与えている

2024-02-12

anond:20240211232908

> 小澤征爾演奏を聴いてもそこには指揮技術の巧みさは感じるが、音楽表現個性が感じられない

まったく同感です。

きっちりしている、とは感じますしか小澤さんの音楽には引き込まれものがありません。

メカニカルというか、ハートがないというか、そんな感じでしょうか。聞いていて苦痛になってきます。また聴きたいと思えません。

同じ日本人ですし、応援したいという気持ちもありますから小澤さんの指揮はいろいろ聞きましたが、他の指揮者作品よりいいと思ったことが

ほとんどありません。比較的いいなと思ったのはレスピーギローマ三部作くらいですが、それは他の指揮者があまり取り上げない演目から

というだけのことかもしれません。

正直なところ、演奏が立派な人ではなくて、経歴が立派な人、という印象です。

まあ実際、小澤さんの紹介文はどれを見ても経歴しか褒めてませんからね...あの作曲家作品解釈をこう変えたとか、

この演奏が物議を醸したとか、音楽解釈について褒めている人はいないように思います

聴いても良さがよく分からないということの裏返しではないでしょうか。

2024-01-16

anond:20240116073712

ショー・マストゴーオン意味は、

どんな状況になってもショーは行われなくてはいけないって意味であってるよね?

主役が睡眠薬一家心中未遂しようが、

準主役が飛び降り自殺しようが、

脇役が舞台装置で胴体を真っ二つにされる事故が起きようが、

代役を立てたり、演目を変更してでも、ショーは行われなくてはいけない。

その覚悟関係者は持つべきだ。

なぜなら、ショーというのは、その裏で働く人達チケットを売る人から駐車場の整理係まで多くの人が関わっていて、

その仕事に彼らの生活が懸かっているので、演者の都合であっさり中止するなんてもってのほか

という考えに基づいている。

と思ってたけど違うん?

2023-12-31

スキーム】青

青はしばしば罪人の利用を意味する。

 

文春砲を被った松本日生学園卒業だそうだが、高島屋下請工場一般企業歌舞伎猿之助伝統業界人物医者殺人を「委託され」てした、法律無視で無実の敵を勾留中死亡させた司法職員、逃げ果せているのが多い(裏金自民政治ぶり)。

一方、ケーキ崩れ事件障害者雇用施設スワンベーカリーにはとんだとばっちり

 

ところでリン酸塩はカルシウムの吸収を阻害するが、だからといってビタミンDサプリを取ると内臓蓄積のリスクがある。

このことからすれば、大資本からモノを買えばカッコは良いが負ける、という可能性は想定できよう

自分もついつい事件報道に釣られるという意味で負けているのだ(日本軍がそうであったように)

2023-12-28

役不足」と「役者不足」の誤用について調べてみた

はじめに

一般に「役不足」と「役者不足」の誤用については以下のように説明されると思う。

役不足」とは「能力に対して役が不足している・地位が低すぎる」という意味だが、逆に捉えて「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」と誤用されることが多い。「役に対して能力が不足している」ときは「役者不足」と言うべきである

こうした言説について少し検証してみたい。

役不足

まずは「役不足」の辞書的な定義を見てみよう。

精選版 日本国語大辞典

やく‐ぶそく【役不足】〘名〙 (形動)

① 振り当てられた役に対して不満を抱くこと。与えられた役目に満足しないこと。

滑稽本・八笑人(1820‐49)四「くじ次第にして、役不足(ヤクブソク)をいひっこなしだよ」

② その人の力量に対して、役目が不相応に軽いこと。軽い役目のため実力を十分に発揮できないこと。

※文科大学挿話(1926)〈川端康成〉一「人間の才能は役不足時代に衰へてしまひ易いものなんだ」

③ (誤って、役に対して自分能力が足りないの意と解したもの) 役割を果たす力がないこと。荷が重いこと。

※続一等サラリーマン(1952)〈源氏鶏太〉「続・三等重役」の撮影現場を見て「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社給仕の方が、いちばんピッタリだよ」

能力に対して役が不足している」は② の用法だ。ところが何故か① の用法と分かれている。日本国語大辞典は、古い順に語義を並べているので、つまり本来用法は①で、あとから②の用法が生まれた、ということだ。いったい役不足① と役不足② は何が違うのか。

結論を言うと、役不足①における「不足」とは単に「不満」の意味しかない。

ふ‐そく【不足】〘名〙

① (形動) (━する) たりないこと。欠けていること。また、そのさまやその箇所。不完全。不十分。欠点

② (形動) (━する) 満足でないこと。不平に思うこと。また、そのさま。不満足。不満。不平。

まり役不足」は不足①ではなく不足②の用法だということである。「もっと良い役をやりたい」というだけでなく「自分はこの役には向いていない」とか「こんな重い役はやりたくない」とかそういう不満もひっくるめて「役不足」なのである

たとえば明治22年加須屋寿賀蔵『花嫁』という小説

里吉は何を考へたるか、今更遅八刻(おそまき)の役不足

「アノ若 イゝヱ貢さん 妾(わたし)は萬の何テ、人にないから ヤッパリお岸にでもして貰へば好(よか)った、色気のある…」

これは『伊勢音頭恋寝刃』という演目をやる役者が「自分には万野の役は向いていないからお岸の役のほうがよかった」と文句を言っている場面である。万野は悪役だが重要登場人物であり、お岸と比べて端役だということはないので、これはただ向き不向きの話でしかないことがわかる。

明治23年の右田寅彦『垂氷の月』。

「何時までもお心易く交際(つきあっ)て妹を一人拵へたと思召して下さいましよ」

「イヤイヤ夫(それ)は不承知だ妹なぞと思ふのは些と此方で役不足からマア其気で交際(つきあ)ひませう」

女性が「これからは兄妹のように付き合いましょう」と申し出るが、男性はそれを断り「あなたを妹だと思うなんて役不足だ」と言う場面。このあと「そうですよね私ごときが妹などと迷惑ですよね」「いや妹ではなく妻だと思っているのだ」という少女漫画ばりの展開になるが。この「役不足」を現代的に解釈するとやや不自然で、ここは「兄のような立場には不満がある」とだけ理解すべきだろう。

明治40年の『慶應義塾學報』。

此創立五十年紀念理財学会に於て私は非常にむづかしい役目を言い付かつたので、少々困つて居る所でありますが、併し今更役不足を言つた所が追付かぬ、其役目は慶應義塾に於ける経済学研究の変遷に就ての講演をせよと云ふ、余程これはむづかしい事である

「非常に難しい役目」に対して「役不足」だと言っているので、現在解釈では誤用だと思われるだろうが、これも「役不足」を「役目に対する不満」と言い換えればすんなり意味が通る。

実は日本国語大辞典誤用例として挙げられていた以下のセリフも、

「僕は社長の息子なんてのは役不足だね。やっぱり、会社給仕の方が、いちばんピッタリだよ」

これは「社長の息子役には向いていないから演じたくない」という俳優の不満なので、本来の「役不足」の意味からすれば正しいのである

参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongonokenkyu/5/3/5_KJ00006039255/_pdf/-char/ja

ちなみに、現在誤用だとされている用法、すなわち「役に対して能力が不足している・地位が高すぎる」という用例は、いつごろから現れはじめたのだろうか。そもそも、どういうつもりでその語を用いているのか判断が難しいところだが、たとえば明治36年の月露行客『三百年後の東京』。

お話の男は貴郎に似ているやうじやありませんか、ホホホホ」

「爾(そう)だと結構ですが情けないことには私はその男に似てはいません誠に意久地なしで、併し貴嬢が能くそ婦人に似ていますよ」

「いいえ、妾こそ其役には適当(はまり)ませんが、貴郎はその役割に不足はありませんよ」

「ぢや拙者には荷が勝ていますが、無理に其役を務めたなら、貴嬢はその情婦の役を努めて下さいますか」

「妾しにその婦人の扮(いでたち)が出来ますものなら、真似て見ても可(いい)のですが……」

と口籠た、勝田ますます胸跳り、恍惚として我にもあらで、

「本統ですか、貴嬢それは、私の役不足を許して下さいますか、若(もし)もそれが真実であつたなら、私は此の世に他の望みがありません」

これは「役に不満がある」でもなし「役が軽すぎる」でもなし「役に対して能力が不足している」と解釈しなければ読めないのではないか

役者不足

現在のところ「役者不足」は「役者としての能力が不足している」と説明されることが多い。一方で、「役者不足」という言葉が多くの辞書に載っていないことを根拠として「役者不足などという言葉はない」あるいは「役不足誤用説明するために新しく生み出された言葉である」とされることも多い。

もちろん、単純に「芝居に出る役者の人数が不足している」という意味での「役者不足」の用例が存在するのは当たり前である。それ以外の、熟語としての「役者不足」の用法を探してみたい。

たとえば昭和6年六大学野球全集』。

これ等のチームが一枚看板たる以上の投手に配するに、力ある捕手をとらへ、しかして二三の力強き打者を加へたならばさういつまでも呉下の阿蒙たるべきものでないと思ふが、如何せん役者不足の憾みがある。

あるいは昭和9年『隣人之友』。

白井喬二といふ男は一時直木あたりが黒幕大菩薩峠の向うを張らせようとヤツキとなつて、身振りこはいろべたべたとすり寄つて見たものだが、そのうち黒幕の直木が舞台へ踊り出してしまつたので、ここもと少しテレた形だが、役者不足でこんどはヨタものどもが白井あたりを担ぎ出すの幕となる

これらのように、「役不足」よりは用例は少ないが、「役者不足」が「人材不足」「戦力不足」のような意味で使われることはあったようだ。

しか昭和12年『キネマ週報』。

妹尾「僕は凡て役者不足のやうな感じがさせられたんです。溝口監督メガフォン執って此のシナリオを用ひたら、まだまだいい映画が出来る筈だと思ひます。」

これはどう捉えるべきだろう。「実力のある役者が出演していない」という意味なのか「出演した役者能力が足りていない」という意味なのか。

昭和19年海音寺潮五郎『父祖の道』。

次には、久光公では役者不足である。かかる思い切った大経綸は、先君のやうなその力量手腕が天下にみとめられている人にしてはじめてできることで、久光公では荷がかちすぎる。

これは明らかに能力不足」の意味である

同じく昭和19年藤森成吉『太陽の子』。

対手がおひさでは風流話には役者不足だつたが、持ちまへの自然さとおほらかさで彼女は補つてくれた。

男が風景の素晴らしさを妻に語っている場面で、これも「能力不足」のほうか。

昭和24年1949年)『新日本経済』。

豪華舞台に淋しい役者不足

これは「財界人めぐり」と題したコラムタイトルだが、戦後財閥解体公職追放大人物がいなくなったことを嘆くものなので、「人材不足」の用例である

と、こうして見ていくと「役者不足」という熟語昭和初期から使われていたようであり、そして当時から人材不足」と「能力不足」で用法が並立していたようでもある。

まとめ

役不足

本来は「役に不満がある」という意味

・それが次第に「役が足りていない」と解釈されて「能力に対して地位が低すぎる」という意味限定されるようになった

・それがさらに「役に対して能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(明治末?)

役者不足

本来は単に「役者の人数が足りていない」という意味

・転じて「人材が足りていない」という意味で使われるようになった(昭和初期?)

さらに「能力が足りていない」という意味でも使われるようになった(昭和初期?)

・ただし「役不足」と比べると用例はかなり少ない

2023-12-04

秩父を謎に愛している

秩父に縁もゆかりもないのだが、今年の夏、仕事がやたら忙しく、週末になんとなくラビューにのって秩父にいったら、すっかり魅了されて5回も行ってしまった。


秩父のなにがいいかって、都内からちょうどいい距離感で抜けるような空と山と渓流があるところで、駅からちょっと離れたところにある道の駅に入るとポテくまくんの上りが上がっているすぐそばでみそポテトが売っていて、御花畑駅前の駅そばのはなゆうのそばのダシが美味く、長瀞にいくと最高な感じのロープウェイに乗れて、降りると山の中腹の意外と規模の大きい動物園で猿が大騒ぎをしており、秋になると紅葉が美しく、宝登山神社参道の道の脇に野菜やお風呂に入れる用の柚子無人販売されてたりして、自然を胸いっぱい摂取した後は西武秩父駅前の祭り湯で都内に帰る最終のラビューが出る21時ギリギリまで風呂に入れて色々最高なのである


参拝すると人生が変わるとまで噂の三峯神社最近やたら人気で、秩父市内から結構遠い上に、山の上の駐車場に参拝者の車が入りきらずに2時間駐車場渋滞が発生したりするのでちょっと注意だ。


秩父はこういった観光資源生活の場があんまり明確に分かれてなく、観光地ありがちな緊張感があんまりないのがいい。

神社ロープウェイ温泉も、そこにいくまでの特急も、実のところ箱根にあるし、よりちゃん観光地然としてるのはなんだったら箱根で、秩父ちょっとユルいのだが、そのユルさがいいのだ。

箱根海外でも有名で、最近外国人観光客でいっぱいなんだが、そこいくと秩父欧米外国人にはあまり知名度がないらしく、たまに台湾韓国から見た人を見かけるくらいで呑気なものだ。

秩父生活の場というのもあって、土地に「秩父LOVE」的な空気が流れており、それも心地いい。


秩父夜祭を見てきて興奮冷めやらなかったので秩父について書いた。

またそのうちわらじカツ丼を食べに秩父に行く。


追記

朝おきて夜祭と昨夜秩父土産で買ってお風呂に入れてゆず湯にした路上販売ゆず香りを思い出しながら、ささっと書いたエントリーがバズっててびっくりした。

みんな秩父一言あったりするのね。

嬉しい。


書くきっかけの夜祭についてちょっと書くと、ブコメで紹介した人の言うとおり、秩父夜祭は日本三大曳山まつりの一つで、昼に出発した山車が町内を周り、夜の帷が降りた後も、冬の花火が上がる空の下で男衆女性の引手がボンボリの赤い光で照らされた山車を引き廻す。


2日の宵祭に行った時には秩父神社神楽奉納されていて、演目日本神話で最も有名なエピソードの一つである天の岩扉開きでなんかラッキーだった。

演目クライマックスアメノウズメの踊りは神話に忠実にやると結構凄い事になってしまうんで、そこは榊をもってバタバタするコミカル表現になっていたりした。


で、山車の方なんだけど、夜になると照らされるボンボリの光源はLEDとかでは無く、トラディショナル蝋燭で、そういうモノとはいえすげーなと思った。


圧倒されたのが山車の方向転換で、秩父夜祭の山車には車輪に方向転換できるような舵がない。

なので、ゆるいカーブは大回りに曲がるけど、90度の方向転換が大仕事になってくる。

これをどうするのかというと、山車の側面に備え付けてある角材を抜いて、山車の底面にかまして、そこに20人ほどの男衆がぶら下がってテコの原理で持ち上げて、下部に方向転換用の軸を入れて水平に回すという「ギリ廻し」で山車を回す。


これが見もので、2階建ての家屋ほどある木造山車に角材突っ込んで上げるもんだから、乗っかった男たちが掛け声を上げる中、「ギギギ」とちょっと心配なるようなすごい軋み音を上げて山車が持ち上がるのだ。


この「ギリ廻し」は動画でも見られるし、実物を見たい人は来年12月秩父に行ってみてほしい。


読んでくれてありがと!

2023-11-16

anond:20231113020407

一応、ちょっとだけ宝塚にハマってた時期があったから補足したいけど、みんながみんなこうじゃないし

全部のFCがこういう感じでもない。ジェンヌさん性格とかFCの体質にもよると思う。でも「こういうとこあるだろうな」とも。

自分は友人がFCに入ってたからそこからチケ回ってきたけど、そこは運営メインはジェンヌの親御さんだった。大変そうだったけど。

年間動員300万人らしいけど、FC枠のチケットと一般チケットの比率ってどのくらいなんだろうね。自分体感だと半々くらい?

しかしたら2:1かもしれない。誰か知ってたら教えて欲しい。

あと、ジェンヌさん側も「世間知らずのいいとこのお嬢さん」が外を知らないまま特殊世界で育ってしまう不幸もある気がする。

宝塚に残れる人たちが良家の子女が多いのは仕方ないことであって、音楽学校に入る時点でバレエ声楽素養があるというのももちろんだし

宝塚には新人公演っていうのがあって、今やってる公演の演目をそのまんま新人がやるんだけど

これが将来トップになれるかどうかの試金石なんだよね。でもトップの役をやる子はチケットノルマが200枚とからしい。

まり「この数くらいさばけないと将来のトップは無理だよ」と劇団から言い渡されるも同義

それが可能なのは「その時点で200枚さばけるほどの人気がある新人か」か、「親の経済力と人脈でなんとかするか」。

これを20歳そこそこで突きつけられるのはきついよなーっていつも思う。

2023-11-06

ミリオンライブ北九州ライブを見ての感想批判のみ)ライブ運営オタク

どんな内容だったかざっくりと説明すると、

ミリオンの10thツアーの3公演目テーマは「アニメ

当然、現時点で5話までテレビ放送が終わったミリオンアニメ通称ミリアニを主題に於いたライブが開催されるかと思いきや・・

セットリストの約半数が765AS組のカバー、1日目は大トリにマスピを持ってくるという、

まさかの765のアニメ通称アニマスを大々的にフューチャーした内容だった

アニメテーマとは言ったがミリアニだとは言ってない!って事だそうだ。

いやいやいやその理屈おかしいだろ。

なぜこのタイミングアニマスを大々的にフューチャーする必要があるのか??

12話でのこけら落としライブではきっと曲が足りないから765の曲を沢山カバーしたはず!」

「それをイメージしたセトリからこうなった!」

いやいやいや、頭おかしいだろ。

12話ではカバーやってないしミリオンソロ曲バンバンやっとるがな。

もし仮にあのこけら落としライブASカバーがやってたとしても、

それをリアルライブで、セトリの半数をカバー曲にする理由になるか?

そんなライブが見たいか??

ライブ運営の頭のイカれたセトリにもムカつくけど、それ以上にムカつくのが

そんなセトリを叩きつけられて絶賛してる頭のおかしオタクがあまりにも多すぎる。

エクストリーム擁護にも程があるぞ

高騰するチケ代グッズ代、花道トロッコも何もない代わり映えのしない超絶見にくいステージ

せっかくのアニメリスペクトライブになるかと思いきや、謎のアニマスリスペクトライブをやるライブ運営

しかも2日間で適当に曲順をイジって、それでも別にアニメ演出再現するわけでもなく、雰囲気でイジるのみ。

こんだけ雑に扱われてるのに、「あー、でもいいライブだった!」って絶賛しちゃう

DV彼氏を謎に擁護するDVサレ女と一緒で、依存しちゃってるのかと思えてきた。

こんだけメチャクチャセトリまれてそれでも絶賛するオタクちょっと怖くなってきたもん。

フラットな会場でギュウギュウ詰めで花道トロッコもない見にくいステージなのにコロナ禍で値上がりしたままのチケ代にも

何一つ文句わずに、クソダサいグッズをクソ高い値段で売りつけられて、

挙げ句アニメ準拠ライブかと思ったらまさかアニマス準拠カバーライブ見せつけられて、

それでも・・・それでも絶賛するオタクたちは常軌を逸しているよ。

価値観はそれぞれだし、面白いと思うものは人によって違うと思うけど、

今回のライブミリアニをテーマにしてると嘯いて、その結果765ASカバーを大量にぶつけるという、

正直、意外というレベルを超えて詐欺を受けた気持ちになってるまである

半数765ASカバーをするライブだったら北九州まで見に行くことは無かったよ。

ミリアニをテーマにしていると思ったから参加したわけで。

このライブを見てなお楽しめるのは、もうある意味の才能かと思うが

批判の声を上げない限り状況が改善されることはないだろうな。

ここで厄介なのがライブなどを批判的に論じることを極端に避ける傾向のオタク文化。

自分推してるコンテンツとはもはや自分自身と言っても過言ではなく、

コンテンツへの批判は即自分自身の存在価値まで毀損されることと思いこんでいる、という厄介なマインド

ミリオン以外のアイマス界隈や他のジャンルなど全く知らないかオタク文化と言い切るのはやや不安ではあるが、

少なくともミリオン界隈ではこういった同調圧力を強く感じることが多く、特にライブ直後に批判的なツイートをすること自体

しかった気分に冷水を浴びせる行為、翻って自分自身を否定されたと感じるミリオンオタクが多い印象だった。

しょうもないライブを見せられてもJUNGO最高!と叫んで自分自身を慰めるしかない。

DAY1のあとのJUNGOコールは本当に寒気がした。

JUNGOもご満悦な表情してて本当に気持ち悪かったわ

こういうのもアレだけど、中川さんやディレ1はライブ後にこういう声かけされても、

「いやアイドルたちを褒めてあげて」ってオタクに返してたのを見たことは1度や2度ではない。

JUNGO体制になってからミリオンライブは本当に悪くなる一方だなと思う。

このノリの延長線上に源Pが登場したのかと思うと、悪い意味で腑に落ちる部分はある。

もう本当に潮時かな・・って気分になる2日間でしたけど

せめてこの感情をここに書き記しておく。

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