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はてなキーワード: 家族サービスとは

2021-05-30

昨日できたこ

休日仕事

昨日は休日返上で仕事したよ。〆切近いし、仕方がなかった。家族サービスが午前に予定されていたがむすこが紛失騒動を起こしたので

延期となった。それで午前中は職場仕事。午後も仕事。夜もむすこの寝かしつけと称して仕事。だいぶ進んだわ。執筆

2021-05-08

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今週は祝日出勤して週当たり4日働いた。そのせいかしらないが今朝はダルイ。ずっとカフェインテアニン投入しているけどダルイ。暇さえあれば横になっている。そのうち家族サービスで出かける必要がある。外で体動かしてれば少しは目がさめて だるさが ふっとぶか?来週は週五日労働だ。月曜の午前も金曜の午後も埋まってる。金曜なんて午後六時までだよ。テヘ。ピエン。水曜に休むかといっても午後一にくだらない仕事あるんで。

2021-05-07

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今日実質的に3時に終わり。なぜなら3時から会議があったから。人によっては会議仕事に入れるだろけど、本質的ではない。業績に結び付かない。こんなの実質的には仕事じゃない。ということで夕方になり帰宅。家で仕事するわけでもなくサイクリングカロリー消費。再び帰宅したら夕食。晩酌。それが終わって8時半か?そろそろ子どもを寝かしつける時刻。そして寝落ちか?一日終了!明日から週末。家族サービス

2021-05-02

弱者男性って

弱者男性非モテ男性達は女性をずっとブスとかババアとか中古とかマンさんとか言ってて、結婚負債からするやつは愚かまで言ってたのに、ここになって急に自分達は弱者って主張し始めたの何?

中高年になって1人が寂しくなってきたのかな。

結婚なんてしたら嫁にオタク趣味取り上げられて、家族サービス休日が終わる。そんなつまらない人生なんて選ばない。これからオタク友達と一緒にオタクとして生きていくのが正義って話だったよね。

それが低所得から結婚もできず、彼女すらできずセックスできない俺たちは弱者だって言われても「ほーん」としか思えないと言うか、それこそあなた達の大好きな「自己責任」では?と思う。

散々小馬鹿にしてた女性に今から向き合ってもらえると思うの虫が良すぎ。あまつさえ救ってなんてよく言えるなと。

女性にも感情とかプライドとか、バカにされてるって気がつく知性はあるから。そこわかってるのかな。

2021-04-26

今も大学時代の友人と遊んでるよ

鬱で会社を辞めて、今は公的支援で復帰を目指しているA、

正社員毎日夜遅くまで働いているBとC、

自営業自分の店を切り盛りしながら配信業に勤しむD、

フリーター仕事転々としながら愛妻家家族サービスに精を出すE、

公務員で土日の仕事によく駆り出されるFとその嫁、

仕事、住んでる場所結婚子供などの家族構成

ありとあらゆるもの千差万別だけど、今も気楽にチャットしたりゲームしたりして遊んでいるよ。

  

大人になって、遊び=外のレジャーや飲み食いといった、

強制的時間場所が拘束される選択肢しかなくなったのが、疎遠になる原因なのでは?

2021-04-18

anond:20210418121626

お前さ

そんなに差別意識持っててそれを恥じることすらしないってヤバすぎだぞ

生きてる価値ないだろ

ネットトロールやってる暇あったら家族サービスでもしろ

日曜日だぞ

2021-03-24

anond:20210323212240

気分転換かな。

嫌なことがあった時ほど大股で早く歩いて、嫌な気分から切り替えるってことはあるよ。

行動と感情はそれなりにつながっているから、行動を変えることで感情を変えるってこともあるよ。

行きは仕事モード自分を切り替えるし、帰りは家モード自分を切り替えないといけないよね。家族サービスもあるしさ。

2021-03-19

コロナ禍で正直メリットの方が多い

飲み会 → 全員と話せない5人以上の飲み会なんてナンセンスだと思ってたし、打ち合わせのついでに飲み、みたいのも大体クソなので全部無くなってよかった。友人とはたまに飲むが、必要最低限に最適化された。やたら人数呼ぶアホや、二次会三次会までダラダラ飲み歩くアホも淘汰されて素晴らしい。

打ち合わせ → 全部リモートになって超楽。そもそも対面の打ち合わせってすぐにググったり出来ないし、場所によってはその場の空気に飲まれることもあるしでデメリットしかない。リモートでの会議セットアップは割とめんどくさいらしく、そもそも打ち合わせの頻度も減った。これでいい。

出社 → フルリモートになって毎日時間以上時間が空いたので部屋を整理したり家族サービスできるようになった。

散策 → リモートかつフレックスなので平日に出歩けるようになった。どこも空いてていい。もうコロナ前の休日繁華街とか歩けないかもしれない。

病院 → 持病があるのだが、採血以外ほとんどリモート診療可になった。できるから最初からやれよクソが。

その他 → ブランド品の先行予約とかラーメン屋行列とか、整理券を導入する所が多くなった。こいつらは元々「人が集まってる風」を演出したいからこうしなかっただけで、クソ。

こんな感じで、コロナ禍で正直メリットしかない。コロナ収束してもリモートは辞めないでくれ。オフィスで働くなんてのは二十年くらい前に終わっておくべきだった。

2021-03-10

anond:20210310114426

この年になると、セックスめんどくさいって気分は、正直あるよ。

普通だ。男子高校生のころからやりてぇみたいな気分が薄かったタイプなら、生まれてこの方そうかもしれん。

 

女側から求められたらそりゃ嬉しいが、たとえ恋愛関係でもそんなことがそうあるはずもなく。

まりちゃんとしようと思ったら、自分が気使わねばならんしね。

オナニーが気楽。わかる。

 

しかしそれも家族サービスみたいなもんなんだろう。

給料を家庭に入れるように、互いが満足するセックスを用意するのも甲斐性なんだろうな。

2021-02-20

コロナ禍が終わってほしくない

ワクチンの接種が始まったり、COVID-19 の実際の脅威の程度が理解されてきたりで、流石に来年度には今年度のような混乱は続かないのだろうという雰囲気が出てきた。

コロナ禍にともない、飲食店がたくさん潰れたり世の中の不幸が増えているという事は理解している。

ただ、俺に限って言えばよいことも多かった。


コロナ禍が終わって、この静かで祝祭のない優しい日々が終わってしまうんだろうなと思うと、それはそれで憂鬱になってしまうんだ。

2021-02-15

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昨日家族サービスで妻子とスキー場に出かけた。現地まで乗用車運転した。気温が高いので雪質最悪だったけど小学生低学年のむすこは喜んでいた。なぜなら自分スキー板ブーツセットのデビューからこちらは雪道を歩いたが、雪質最悪でなんどもかんじきが脱げてめちゃくちゃ運動になった。おそらく日ごろ使わない筋肉を動かすことになり効いたのでは?今朝太もも筋肉痛。

2021-02-08

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昨日、妻子と一緒にリフトがない県内スキー場子どものご機嫌を取るために乗用車で出かけた。家族サービスともいえる。リフトはなく、ロープトーという手で握りしめることで運搬するタイプ。息子だけスキーした。スノーシューで雪道歩きした。今日筋肉痛

2021-02-07

昭和の終わりごろの父の日曜日の過ごし方

 僕が小学2年だった、昭和の終わりごろの、僕の父(団塊世代、3年前に他界)の日曜日の過ごし方を、記憶をもとに書いてみます

なお、これは、家族サービスをしない日の過ごし方です。


・朝からテレビを見る。関口宏サンデーモーニング教育テレビ将棋対局→アッコにおまかせ新婚さんいらっしゃいアタック25の順。

家にテレビリビングに1台しかなく、テレビは父に占領されていたため、日曜日の午前中に見たい番組を見せてもらった記憶がない…。


テレビが終わったら繁華街へ1人で出かける。本屋電気屋レコード屋を回る。帰りに行きつけの立ち飲み屋で1杯飲む。


・夕食は鍋が多かった。鍋はいつも父が仕切っていた。


・夕食後は、ビールを飲みながら、プロ野球大河ドラマを見ていた。


 こんなところでしょうか…。でも、今の自分が、この時の父と同じくらいの年齢になって思うことは、日曜日の過ごし方を見ても、やっぱり全然違うなあ、

ということです。朝のテレビだって、今でも見ようと思えばこの順番で見られますけど、全く見る気が起きないし…。ていうか、テレビ家族占領されてるので、

仮に見たい番組があっても見ることは難しいですね。


 まあ、この時代と比べると、時間つぶしの手段がかなり多様化しているので、その辺りが影響しているんだろうなあ、と思います

現代であれば、ネットゲーム無限時間がつぶせるし、わざわざテレビを見なくても、と思うので…。


 でも、こういうお父さんって、現代でもいるんでしょうか…。僕と同世代40歳くらい)の人で、こういうお父さんって、少なくとも

自分の周りには全然いませんし、すでに絶滅危惧種じゃないか?という気がするんですよね。

2021-01-04

anond:20210104125806

妻は「子ども冬休みが短すぎる」とか苦言。しかし今回長々と家族サービスさせられた俺の身にもなってくれや!25日の夜にヒイヒイ言いながら年内の仕事を片付け、翌朝、6時過ぎに出発。電車新幹線電車送迎車乗り継いで山の中へ連行。そしてそり滑りみたいなことやらされて。。それが終わったと思ったら、妻の実家へ送迎車電車新幹線電車送迎車乗り継いで。。。だよ!!そのあと毎日することないし。。室内でもマスク着用とか言われるし、。。。マクドくらいしか行くところ無いし。。しかも夜は床ががたがたするからかいって拒絶。結局自家発電。そういう時に限って大量に発出されて布団を若干汚した

2020-12-22

……家族持ち男性労働現場での楽の仕方を見るにつけ腹が立って辞めたくなる……クソ野郎が……クソ番いが……そうですね……家族サービスと言う名の無償労働男性にもあるんですよね……すいますでした

2020-12-20

結局なにもプログラミングしなかった。

日曜だからしかたないとはいえ家族サービスして戻ってきたら5時前。なんだかんだで晩御飯の始まりと同時に飲酒。今に至る。8時半か??ああああああああ!やっちゃった。明日から頑張りましょう。

2020-11-30

結婚ってそんなに良い物なんだろうか?」と思ってしま理由

結婚に対して、思った事を思うまま日記に書き記していきます

はじめに、私は今現在誰かと結婚している訳ではありません。

結婚という物に憧れがなかった訳ではないけれど、ある時期に「あ、私にはきっとこれは無理だ」と自然と悟るようになりました。

人間が最も身近に知る結婚している人間というのは、自分の親だと思います。私にも両親が居ました。

両親は夫婦として数十年生活を共にして、離婚こそしてはいなくてもお世辞にもあまり夫婦仲が良好だったとは言えませんでした。

私が小さい頃に私は良く知らない理由家庭裁判所のお世話になった事も、数年別居していた事もあったそうです。

世の中には様々な事情で片親だったり親が居ない家庭で育った方も居ると思います

そういう人達の中には、自分が親の愛情を知らないからこそ誰かと幸せな家庭を築きたいという強い願いを持つ方も少なくないと聞いた事があります

私は両親のどちらも欠ける事の無い家庭で育ちましたが、両親の姿を見て結婚夫婦が素晴らしい物だとはとても信じられませんでした。

父は私の目から見ても父の母、私から見れば父方の祖母とべったりでいつも伴侶より自分の親を思いやり大切にしているように見えました。

母はそんな父の事が嫌だったらしく、性格の合わない姑と時には掴み合い殴り合いの喧嘩までする事もありました。

から見れば父も母も祖母も皆大切な家族なのに、三人にとってはそうでもなかったようでした。それでも、三人とも私には優しかったです。

父は変則的勤務形態関係で、毎日家に居るという事がありませんでした。朝に家を出て、次の日の朝に帰ってきた父は疲れて良く自室で寝ていました。

休日自分習い事旅行に使って、自分パートナーに対する家族サービスを行う事はあまり無かったと思います

時々父と母が二人で旅行食事に行ってもどうしても意見性格の不一致から喧嘩を始めてしまうので、もう関わる事が嫌だったのかもしれません。

母は父に対する恨み言をいつも言っていました。私は母と過ごす時間が長かったので、その母の恨み言を疑う事なく受け止めていました。

その恨み言の真偽は私が生まれる前の事や記憶曖昧な幼少期の物も多いのでよく分かりませんが、概ね母の言う通りなのだろうと思っています

母は結婚してから何度も父に裏切られたと言い、父と結婚した事を後悔しているように見えました。別居の事もそうですが、離婚真剣に考えていたようです。

私は母に「もう父さんと離婚したいけどどう思う?」と聞かれた時、「お願いだから離婚しないで」と泣いて言いました。私は家族は仲良く暮らす物と信じていて、離婚したらもう父とは会えなくなると思ったからです。

ひょっとしたら一番の理由は母が父と離婚したら、きっとこれから生活に困窮するかもと心配だったからかもしれません。まだ義務教育を受けている最中だった私は、学校を出てすぐに働く自信がどうしてもありませんでした。

私が強く反対した事で母も思い留まってくれましたが、それからも母は嫌っている夫と姑と同居する生活を送らなければなりませんでした。私の我が儘のせいであの時母の人生を棒に振らせてしまったしれない、と今でも思っています

私は物心が付いてから数年間、父が傍に居ない生活を送っていました。夫と別居をしている間母は地元に戻っていて、私にとっては母方の祖父が数年だけ父親のような存在だったのかもしれません。

どういう事情があってか母がまた父の元に戻って、そこで初めて自分父親意識した気がします。確かに自分父親である筈なのに、何故か少し距離を感じました。

「この人は自分父親なんだろうな」と思っているのに、どうしても「この人は本当に自分父親なんだろうか?」とも感じずに居られませんでした。

父は私の母はともかく、自分の子である私は可愛がってくれました。私に父から怒られた事はあまりありませんし、自分でも居心地が悪いと思うほど甘やかされました。

祖母自分の孫である私は可愛がってくれました。母と折り合いが悪かったらしいですが、私にとっては優しいお祖母ちゃんでした。その事が、母には私を取り込もうとしているように感じられてとても不愉快だったそうです。

父には母の他に好きな女性が居たらしく、その女性と遊びに行くのに幼い私を連れて行った事があったそうです。もし母と離婚したらその女と再婚する気だったのだろう、と母は言っていました。

私は幼かったので覚えていないのですが、父に連れられてその女性と遊んで家に帰って来た私が「今日知らないおばちゃんと一緒に遊びに行って一緒にお風呂にも入った」と言った時、家の中の空気は凍りついたそうです。

母も父が浮気している事は勘付いていたらしいのですが、まさか子供浮気相手の所へ連れていくとは思わなかったし、まず間違いないと思っていても疑惑確信に変わるのはとてもショックだったらしいです。

その事が原因で母は父と大喧嘩し、それが数年間別居する原因だったそうです。私は物心が付くか付かないかの時期にも余計な事を言って母を苦しませました。

母は父の元に嫁いでから、折り合いの悪い夫と姑と小姑に囲まれ精神的にとても追い詰められていたそうです。ある時パニック障害発症してからは、母は薬を飲まずには外出も出来なくなりました。

そこまで母を追い詰めた父と祖母は、少し前に亡くなりました。祖母は年齢相応に老衰で亡くなり、父は自分母親が無くなったショックからかその数年後に後を追うかのように癌で亡くなりました。

私は聞いた事が無かったのですが、本気か冗談か父は若いから母に「もしお母ちゃんが死んだら俺も死ぬ」と言っていたらしく、そこまで母親にべったりくっ付いている事も伴侶であるからしたら面白くなかっただろうな、と思います

父は進行性の癌でじわじわと弱っていきました。病院は嫌いだ、手術なんて嫌だ、延命治療なんて絶対しないという主張を曲げず癌が発覚した時からまり病院には行かず自宅で過ごす事を選びました。

体に癌が出来た父は固形物が喉を通らず、柔らかい物や液体以外は口から物を入れる事が出来なくなりました。体もどんどん弱っていき、最後は寝たきりで自分の力で喉に詰まった痰を吐く事も出来なくなりました。

母は、こういう事は子供には任せられないと、お風呂に入れない父の体を拭いてあげたりトイレのお世話をしていました。その時期になってから父はよく母に「すまんなあ」と言うようになったそうです。

その後父は日本人の平均年齢よりずっと若く、年金受給出来る年齢になる前に亡くなりました。本人の希望通り自宅の自室で穏やかに逝く事が出来ました。安らかな表情に見えました。

祖母が亡くなった時も、父が亡くなった時も、母は泣いていました。幾ら恨みがあっても長年一緒に暮らした人が死ぬとどうしても涙が出てくると、母は言っていました。

こうして私の母は数十年連れ添った夫とその母と死別しました。父は平均よりは大分早く亡くなりましたが、それでも自分の生きたいように生きられた満足な人生だったんじゃないかな…と私は思っています

私は母に「お父さんと結婚した事を後悔していないの?」と尋ねた事があります。母は「結婚する相手は間違えたかもしれないけど、私は子供が欲しかったし、今自分分身がこの世に居るから満足している」と答えてくれました。

そう言ってくれる事は子供としては救われるような気持ちになりますが、私には父と連れ添った母の人生がとても幸福とは思えませんでした。物心が付いた時から、私は母の夫と姑への恨みを聞いて育ったからです。

私は父と祖母には甘やかされて育ったので、自分感情としてはどうしてもこの二人を嫌う事が出来ませんでした。ですが、母の視点から母がされた事を考えると、父と祖母は母にとって良い人では無かった事も分かります

母は一度友人や父の知り合いに自分の悩みを訴えた時、「まさかあんな良い人がそんな事をするなんて嘘でしょう?」と信じてもらえなかったそうです。父は人付き合いが上手く、外面もとても良かったらしいです。

私も父とは距離を感じながらも、自分に優しくしてくれる父の事は嫌いにはなれませんでした。何だかこの人に親しみを感じるな…と思ってしま男性はいつも、父と同じように煙草匂いがして眼鏡をかけている人でした。

子供が出来たから満足だ、と言ってくれましたが私には母が父と結婚した事で人生台無しになった人のように思えてなりませんでした。母は今でも、父は付き合い始めてから子供が生まれるまでは優しかった、とも言います

父に母以外に好きな人が出来たのは、性格の不一致だったり夜の営みだの相性だったり、何か事情があったのだろうな…くらいの事は思えますパートナーに不満が無ければ、簡単浮気などしないような気がするからです。

から見ると母も父も祖母もそれほど悪い人には思えませんでしたが、この三人が嫁と夫と姑という関係性になると途端にギスギスと険悪な関係になってしまう事が不思議でした。何で結婚したんだろう?といつも不思議でした。

ところで私には年の離れた姉が二人居て、姉達も結婚をそんなに良い物とは思っていないようでした。この姉達は私が生まれる前、父が一番血気盛んだった時期に生まれたからか、父に虐待のような事もされた、と言っていました。

何故末っ子である私だけが甘やかされたのか、父も年を取って落ち着いたのと、二人の姉が母と一緒に私の面倒を見てくれて相対的に私が一番手のかからない子供だったから、という理由が大きいのだろうなと思っています

私達は煙草の煙を吹きかけられたり煙草の火を押し付けられた事もあるのに一人だけ甘やかされて良いね、と姉達に言われた事があります。父が生きていた頃、私一人だけ贔屓されたという事に罪悪感を持っていました。

この姉達も結婚という物に不信感を持っていて、特に一番多感な思春期父親浮気していた事に酷く傷ついて、父親男性に対して強い不信感を持ったそうです。私達はきっと結婚なんかしないんだろうなぁ、とも話していました。

その姉が、父が亡くなる前後に二人とも結婚しました。「え?」と思いました。だってお姉ちゃん、二人とも結婚なんてろくでもないって言ってたよね…?何で…?と思いました。

二人とも数年間お付き合いしていたお相手が居て、アタック男性の側から行ってきたそうです。妊娠を機に籍を入れたとかで、今では二人とも子供が居ます。私にとっては甥姪になります

姉達のパートナー家事育児も手伝ってくれる優しい人のようで、そういう意味では父とは真逆の人だと思います。父以外の夫・父親を知らない私には、そういう男性が居る事が少し信じ難い気持ちでした。

結婚したって、どうせすぐに相手の事を嫌いになって、違う人の事を好きになって、それから離婚するなり仮面夫婦を続けるなりどっちにしてもも夫婦には愛情が無くて…結婚って、そういう物じゃなかったの?

自分結婚して欲しい」と言ってくれる人が居れば、結婚したくなる物なんでしょうか。私が結婚という物にどうしても肯定的になれない理由は、私には結婚なんて無理だよな…という諦めがあるからかもしれません。

2020-11-18

anond:20201118105216

いや、実際に「同一姓でなければ家族サービスを行わない」所ってある?

おばあちゃんと孫が来たとして、姓が違うから家族じゃない!という対応する店なんかある?

ああ母方のおばあちゃんなんだな、と思ってスルーだろ。

別に父方かもしれないが、そんなのどうでもいいし。

病院の見舞いなんかも、姓が違う娘が親の見舞いに来てもああ既婚なんだろうなで終了だよ。同意だって書けるよ。

家族である証拠を見せろ!!なんて言う病院ないよ。

2020-10-18

父親との相似

ぼくの父はよく本を読む人だった。

過去形で書いているが、存命だし、わりに元気らしい。母からの便りでは、勝手になかなか高額の生命保険に入って、かつ元気ピンピンらしい。ただぼくの中では、父親はすでに過去の人間なのかもしれない。18で実家を離れ、年に数回しかさない。実家にいた時にも、自分についてもともと多くを語る人ではなかったが、余計に話すことは少なくなった。話す話題政治のこと。父の憧れる都会のこと。父親個人的な話は、ほとんどない。

父親はそこそこ裕福な家庭に育っているらしい。あまり詳しくは知らないが、不動産ももっているので、家賃収入がある。が、多額の借金をしていたこともあるようだ。車は常に外車だし、今でもファッションサイトラルフローレンなどを購入している。60にしては身なりというか世間体を気にしている。ぼくが古着に傾倒したときには怪訝な顔をしていた気もする。

よく父は本屋に連れて行ってくれた。割と硬派な父のお気に入り本屋が町にあった。田舎本屋だ。本屋は好きだった。紙とインク匂いがぼくを刺激した。いつも父は分厚い本をたくさん買って帰っていった。僕にも「何か買いたい本はないか」と聞いてくれた。当時は系統立てて本を読もうと思ったこともなかったし、今とも読書傾向も大きく違う。おそらく父からみたらどうしようもない本を買ってもらっていたと思う。

父はあまり家にいなかった。というか、父親母親夫婦で過ごしている姿を見ることはあまりなかった。自営業共働きで、母が日中仕事をして、父が夜仕事をする。ぼくが家にいる時間は、父親は家にあまりいなかった。ぼくとしても、父と何を話せばいいかからなかったから、気が楽だった。気が楽だったから、父親とは向き合わなかった。こうしてぼくの家族との距離感形成されていったのだろう。夫婦で楽しくしている姿も、父親家族サービスする姿なんてのも、ぼくの家族像にはない。もっとドライな、共同体だった。結局、父親は何を考えている人かわからなかった。

話はぼくの今の生活スライドする。今、妻と別居、ないしは離婚の話をしている。重くつらい時間だ。

ぼくなりにこれまで妻に尽くしてきたつもりだった。その「ぼくなり」の尽くし方が限界にきてしまった。しんどくなった。夫婦生活に疲れてしまったのだ。

妻には「急にあなた結論をいわれて困っている」と言われた。本当に我ながら自分勝手だなと思う。何を考えているのかわからなくて、結論けが出てくる。たぶん、父親もそうだったんじゃないかなと、今、想像する。

ぼくも父に似て浪費家だ。好きなことに、思いついたことにパッとお金を使ってしまう。そのことが原因で何人かの人を悲しまたこともあった。痛い目にあって多少の貯蓄ができるような大人にはなってきているが。そして、ぼくは本が好きだ。常に何かしらの本を持ち歩いているし、活字を読むことに楽しみを覚えている。

あんなにも訳のわからない生き物だった父親しかしぼくが見ていた父親と、今のぼくはそっくりだ。ぼくは父親が苦手だ。でもそんな苦手な父親に似てきていることに、がっかりする。でも今ならすこし理解できそうな感じがする。

こんなことを考えてもなんの足しにもならない。夫婦での話は今後も続く。妻をひどくがっかりさせることも増えるだろう。そういえば、父親母親をひどくがっかりさせていたな。幼い頃、母を泣かせて父が家を出て行った。母を慰めた覚えがある。木造の古い家でのことだ。

こう考えると、やはりぼくには結婚をする資格がなかったのかもしれない。大切にしたかったものと上手に付き合えない。つらくなると逃げ出したくなる。ダメ人間なのだ

2020-10-14

追記しました】子供全然かわいいと思えない

正直限界なので吐き出させてほしい。

私は現在M1で、今は土日も含め、ほぼ毎日のように研究室に通っている。

コロナの影響で思うように研究が進められなかった時期もあったので、今は毎日が充実していて楽しい

しか最近研究室行きたくないと思うようになってきた。

原因はわかっている。教授の息子である

教授は私の指導教官であり尊敬している相手ではあるんだが、ゼミ行事に何かと子供を連れてくる。

家族サービスのつもりなのだろうか?全く理解ができない。

私はもともと子供が苦手なので、学部のころのゼミ合宿などでは、先輩や同級生たちが子供の面倒を見ているのを遠くから眺めていた。

院生になってから教授研究室にも子供を連れてくることがあるとわかった。

頻繁に連れてくるわけではなく、2~3か月に1回ほど、両親とも仕事保育園にも預けられない日?(そのへんの詳しい事情はわからない)に仕方がなく…という感じなので、文句も言いづらい。

教授仕事をしている間、その日に研究室にいる学生スタッフで息子の面倒を見るんだが、これがかなりしんどい

この息子は学生を完全に舐め切っている。

学生たちが教授の目を気にして息子に強く出られないことを理解しているため、嫌いな学生に対しては教授が同じ部屋にいるときに、こちらにだけ聞こえるように嫌味を言ってくる。

多分学生子供相手に本気で怒るなんて大人げないと思って我慢することも理解したうえで陰湿攻撃をしてくる。

先述したとおり私は子供が苦手なため、他の学生のように息子のことをチヤホヤしないのが気に入らないらしく嫌われている。

この間会ったときには「またお前かよ」などと言われて絶句してしまった。

教授は一応学生子供の面倒を見てもらっていることを申し訳なく思っているのか、たまに夕飯をご馳走してくれる。

この夕飯はご自宅に招待していただくかたちになるので、もちろん息子に会うことになる。

直行きたくないが、この先の進路のことや研究室での立ち位置を考えると、断ることはできない。

初めてお呼ばれした日には、息子に「どうして帰らないの??」と何回も言われた。別にこっちだって好きで来ているのではない。

先輩が一度教授相談したことがあるらしいが、教授自分の息子がそんな陰湿なことをしているとは想像もしていないみたいで、軽く注意して終わってしまうらしい。

息子も教授の前ではかなり大人しくしているので、そこがまた腹が立つ。

教授が息子を連れてくるのは不定期で、いつ来るかわからない。

正直息子に会いたくないので研究室に行くのが億劫になってきた。

そんなの気にしなければいいというのはわかっているが、子供とはいえ他人理不尽な悪意を向けられることや、それに傷つく自分大人げの無さに自己嫌悪するのが嫌だ。

教授もどうかと思う。私は研究するために大学に通っている学生である教授ベビーシッターではないのだ。

子供がいる人間、周りの人間に鈍感になりすぎてないか??

子供全然かわいいと思えない私が悪いんだろうか。子供相手イライラしている私が悪いんだろうか。

自分で産んだ子なら多少はかわいいと思うかもしれないが、他人の子供、それも私に明確に悪意を向けてくる相手に対してかわいいなどと思えるわけがない。

こんなバカなことで大学行きたくないと思う日が来るとは思わなかった。






追記10/14)】

たくさんご意見ありがとうございます

自分視野が狭くなっていて、大学側に報告するという当たり前の選択肢が見えていなかったことに気づかされました。

研究室内はもう子供のやることは目をつぶろうという空気で、先輩方にもやんわりと我慢するように言われたり、同期には先生に協力しようという気持ちがないのかと叱責されたりしたので、もう私が泣き寝入りするしかないと思い込んでいました。

とりあえず今日生活課にこんな時期に研究室部外者が入り込んでいることについて大学側はどう考えているのかと聞きに行きました。コロナが完全に落ち着くころには私も研究室を出ているはずなので、とりあえず数年間息子の出入りがなければいいかなと思いこのような理由つけました。

生活課の方は一度事実確認しますと言ってくださったので、何かしらの対策はとってくださると信じています

もし解決しなかったら学科主任教授相談してみます

情けない話ですが、教授や息子に直接言えるほどの勇気がなかったので、教授より上の人間に言ってもらう方向で解決しようと思います

いろいろと諦めてしまっていたので、吐き出してみてよかったです。ありがとうございました。

2020-10-04

今日家族サービスしてる間に宿題解決してた

今朝、日曜日にもかかわらずプログラミングをしてて、(こういうのを怠け者の節句働きというらしい)動かなかった。動かないのは私の体ではなく、コード

MWE

MWEこしらえて「グエー。。。動かんゴー」って呟いといた。そのあと家族サービス。終わったこ解決案がどこからともなく出ていた。スゴイ。

ドラえもんみたい

寝てる間に宿題やってくれるドラえもんガジェットみたい!!!

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