はてなキーワード: 新人公演とは
一応、ちょっとだけ宝塚にハマってた時期があったから補足したいけど、みんながみんなこうじゃないし
全部のFCがこういう感じでもない。ジェンヌさん性格とかFCの体質にもよると思う。でも「こういうとこあるだろうな」とも。
自分は友人がFCに入ってたからそこからチケ回ってきたけど、そこは運営メインはジェンヌの親御さんだった。大変そうだったけど。
年間動員300万人らしいけど、FC枠のチケットと一般チケットの比率ってどのくらいなんだろうね。自分の体感だと半々くらい?
もしかしたら2:1かもしれない。誰か知ってたら教えて欲しい。
あと、ジェンヌさん側も「世間知らずのいいとこのお嬢さん」が外を知らないまま特殊な世界で育ってしまう不幸もある気がする。
宝塚に残れる人たちが良家の子女が多いのは仕方ないことであって、音楽学校に入る時点でバレエや声楽の素養があるというのももちろんだし
宝塚には新人公演っていうのがあって、今やってる公演の演目をそのまんま新人がやるんだけど
これが将来トップになれるかどうかの試金石なんだよね。でもトップの役をやる子はチケットノルマが200枚とからしい。
つまり「この数くらいさばけないと将来のトップは無理だよ」と劇団から言い渡されるも同義。
それが可能なのは「その時点で200枚さばけるほどの人気がある新人か」か、「親の経済力と人脈でなんとかするか」。
これを20歳そこそこで突きつけられるのはきついよなーっていつも思う。
劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。
便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。
固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。
でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。
まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。
もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。
該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。
いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。
自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。
明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。
毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...
会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。
無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。
睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。
・入出立ち会い
よく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。
毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。
それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。
毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。
大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。
お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。
ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。
あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。
それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。
三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。
・チケット取次・配席
ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。
が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。
それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。
そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。
こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。
データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。
・グッズ作成
お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。
ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。
しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。
結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。
しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。
グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。
ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。
そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。
しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。
ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。
朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...
大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。
上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。
2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。
それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。
劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。
ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。
会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。
全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。
無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。
妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。
仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。
そんなことがあるわけないだろ。
平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。
盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。
急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。
社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。
周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。
死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。
入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。
鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。
もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。
携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。
会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。
何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。
社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。
亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。
その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。
巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。
彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。
溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。
このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。
自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。
もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。
かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。
助けてあげられなくて、ごめんなさい。
8
節目や変わったなと思う日が8なことが多い
遠くへいってみたり、なかなか買えないものを買ったり。動いてないと、お稽古とかをしてないと時間を使えないタイプ。5日間休んだらあとの5日は何していいんだろうって困ってると思う。
宝塚受験3ヶ月前にバレエや声楽を習い始めた。時間がないから毎日深夜まで、必死だった。
覚えてないけど、とても緊張する。ちょっと違うことを考えると手が遅れたり、みなさん一緒に早替わりしているとみなさんに迷惑をかける。この間の新人公演は冒頭に早替わりがあって、毎日壮さんの早替わり見てはいたが、本番は手が震えた。
雪組の上級生、同期、下級生。あたたかく仲が良い。しあわせ。これからも雪組でいっそうがんばりたい。
8秒62。これは、どうなんでしょう。ど、どうなんだろう。ちょっと、早まってしまいました。
ファンのときDVDなどでは90周年だった。今在籍できていて幸せだし責任を感じて、これからも宝塚がどんどんどんどん先に続いていけるように、微力ながら努力を重ねて精一杯つとめていきたい。
これ明日海りお氏のときはどんな風に書いてあったのか誰かご存知だったら教えてほしい
4月に宝塚歌劇団を卒業する雪組トップスター望海風斗。歴代屈指のシンガーでもある望海の2005年から直近までの歌唱曲を網羅した4枚組CD-BOXが1月29日に発売される。
裏切者は許さない、正義、革命、粛清、死を以って償いを…など、鉄の掟の中に厳しく生きる男が滲ませる情や深い愛を表現すると右に出る者がいない望海だが、この度も厳しい男の歌がふんだんに含まれている。しかし、それにとどまらず、ショーで披露したムーディーで小粋なスタンダードナンバー、ロマンチックなデュエット曲も収録されていて、望海の歌唱で曲の素晴らしさを改めて見直すほどだ。
2005年『マラケシュ・紅の墓標』新人公演のソロから始まるDisc 1は、新人公演、バウ公演やスカイ・ステージ出演を含む花組時代の曲で構成される。地道に努力を重ねてひたすら舞台を務める発展さなかの時代と言えようか。その努力が実り、バウ初主演の『Victorian Jazz』の頃には、発声、間合い等、今に劣らぬ見事な歌唱を披露している。
(中略)
Disc 3は2017年末の大劇場でのお披露目公演『ひかりふる路 〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜』の感動的な主題歌に始まり、2020年初春の大作『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』までの、相手役に真彩希帆を迎えたトップ時代の曲が並ぶ。宝塚愛を根底に真摯に重ねた努力の結晶である望海のソロ歌唱に加え、固い信頼と、音楽で結ばれた真彩との息の合ったデュエットはまさに天上の声。
(中略)
望海の舞台を見ていると、そのエネルギーに感応して涙が出るという人がいる。見る人に楽しんでほしいと願うサービス精神は究極のエンターテイナーの証。色があり、艶があり、華がある、望海風斗の集大成CD-BOX4枚組。ぜひ聴き惚れて、酔いしれていただきたい。
各記事のリンク張りたかったけど増田仕様?9個までしか張れない模様
祝 書籍化
※2020年上半期、cakesでもっとも読まれた記事 15位
第一声がそんなことはないだった。
3月上旬、いや中旬までの誰がどこでどんなルートで執念深く終えた時期ならばともかく今このような状況でできているとも思えない。
タクシー運転手が屋形船で……そんな道筋を執念深く追っている状況ではなくなったからだ。
正直なところ劇場から感染者が出ていないと私は思えない。出ているかもしれない。出ていてもおかしくない。もはや誰にもわからないのではないかと思う。
検査キットが足りない、保健所に電話がつながらない、そんなニュースを見る中で劇場での感染者は報告されていません。これは断言していい事なのだろうか。
毎日流れてくる情報には今や人数しかない。今日は何人。50人で多いと思っていた日から、もう3桁が当たり前になってしまった。男女比も年齢層も感染ルートも明記されていない。クラスターと呼ばれる集団的な感染があると、特集の様に報道される。このクラスターが劇場で発生したというニュースは確かに見ていない。ただ、それだけだ。
正直なところ、この後に及んで感染した人の行動経路の中に劇場が含まれてた人が0なはずがないと思ってしまう。が、そこで感染したとしても劇場だと断言する術はない。
ニュースでは専門家っぽい人が結果から逆算した推論を話す。あの時こうしていれば、この対策をしたおかげで、これは結果論だ。そしてあの記事も結果論のまとめだと思う。
その上でわたしは3月は全公演中止でもよかったのではないかと結果論を綴りたい。
劇場側は対策をした、しかし1番の安全策は公演を行わない事、である。
密を避ける。ソーシャルディスタンス。そんなことを守るにはそもそも劇場を開けなければいいと思ってしまう。
舞台が好きだ。エンターテイメントが好きだ。だからこそ、保守的に走ってもよかったと思ってしまう。
楽しみにしていた舞台があった。チケット代は既に支払っており、遠征に備え宿だけは抑えていた。足は詳しい予定が決まってから、まだ用意はしていなかった。そしてその舞台は幕が開かなかった。
まず最初。初日とされていた日が延期になった。初日のチケットは抑えていて、シフトも有給を取っていた。突然何もない休みとなってしまい友達とご飯を食べに行って残念だと話し込んだ。そして次の初日になりそうな日のチケットを慌てて探し、宿も取り直した。職場で新たな初日となった日に有給を申請した。この時、職場では全員マスクをしていて、遠征中気をつけてと何度も言われた。
そして、また公演延期が伸びた。慌てて有給を次の初日になる日に伸ばした。別のもう一つ行きたかった舞台と被りそうで、どっちに行こうなんて思いながら変更を申請した。
そして、また公演延期が伸びた。友達からは初日どうするという連絡で毎日明け暮れた。宿はキャンセルが相次いでいるからギリギリでも取れると思い、取り直さなかった。
そして、また公演延期が伸びた。再開の目処が3日後とか。本当に小刻みに初日となる日がズレていった。チケットを探すのも、シフトの申請を出すのにも疲れていていた。職場には休日も遠出を避ける旨のメールがきて、有給の申請の際目を瞑るからと言われた。
そして、また公演延期が伸びた。再開する。様々な対策を取る予定だと書かれたHPを見たその半日後には延期のニュースがあがる。
やるの?と何度も聞かれた。やるなら行きたいそう思っていた執念にも近い想いだけでずっと動いた。
初日は絶対観る!初日明けの平日も観たい!新人公演もある!中日前までには何回観ておきたい!
予定していた観劇がどんどんずれて、それでも初日は観たいと自分の予定もぐちゃぐちゃだった。
この頃、世間は賛否両論で他にもその日のうちに再開と中止が二転したり、公演当日の○時間前に中止が発表されたり、様々な舞台がいろんな対応をしていた。
それを見ながら、普段から舞台を観ない人もたくさんの意見が飛び交っていて、保守的な私は間違った対応をしないで欲しいと、これ以上叩かれたくない、そればかり考えていた。
その公演は今、幕が開かないまま延期となっている。
次もしも初日の日がまた決まったとして、確実に行きたいか、あの執念はもうないかもしれない。
エンターテイメントを好きになった上で、それ以外のことでエンターテイメントを嫌いなることが1番怖かった。
他人の感想で、隣の席の人の態度で、劇場であったこんなことで、チケットのトラブルで、そういうことを極力避けてエンターテイメントをまっすぐ観れるようにしてきた。
でもこの事態ではそうも行かず、様々なことをみた。
いろんな事をした。そして、疲れてしまった。
一つの記事でこんなブログを2000字も書くほどには疲れてしまっている。
ある役者の方の記事を読んだ際、稽古に集中する事でどこか現実的に捉えていなかった、とあった。
わたしも舞台を観にいくに付随することに必死で現実的に捉えていなかった。でも、結果として舞台は行われなくてよかった、と思う。
全ては結果論であり、今は劇場で確認できるほどの集団感染が起きなくてよかったと思う。
それしかない。様々な対策を取って幕を開けようとしてくれた劇場は素晴らしいと思うが、出なかったことは不幸中の幸いであり、行わなかった英断が最も素晴らしいと思う。
あの時、正解の対応はわからない。未曾有の事態に対し、逆算の推論で褒めちぎらなくともエンターテイメントは素晴らしい。そう思っている。
愚痴というか呪というか晴れることのない胸の内を整理させてほしい。
それまでも観劇していたが、演目を楽しんでいるだけで他の舞台や映画の趣味と変わらずに見れる時に見る。その程度だった。それが1年ちょっと前にAllforOneという公演がはじまりよくわからないまま惹きつけられ複数回見るファンになった。組ファンになりスカステに加入しぐんぐん知識を蓄えて地方ツアーも複数回見た。本拠地の小箱公演はチケットが取れないので行けなかったけれど、ポスターは素敵だなと思った。
2月からの本公演は芝居はともかくショーが熱かった。まだ終わって数か月なのに、万が一タイムマシンが発明される瞬間まで長生きしていたら預金も年金もねじこんであの時間に帰りたいと思うくらいに重症ではある。
AllforOneも鳳凰伝もBADDYも、真ん中のふたりが大好きだった。
群衆芝居でも真ん中にすっと立ち、努力の跡が芸事の極みとして上塗りされて洗練されたたまきさんと
孤高の存在のようでいて、血が通って暖かく、時に激しく、あふれる涙をたまきさんにぬぐわれて笑うちゃぴさんが
書いてて泣くくらい今も大好きだ。
有難いことに1月からその事情は発表され、演目も発表になり、製作会見もあり、こちらが冷静になる時間は存分にあった。ただ冷静になるのと実際その時が近づくのは人間が出来てないせいもあって乖離しがちではあるが。
今は組子にもたくさん好きな子がいるので、組ファンとしてトップコンビを愛せることのありがたさを漢字で書いて丸めて飲み込みたいくらいではある。有難い。そう、有難い。
難しいことなのだ。トップコンビが大好きというのは。宝塚という組織の人事と自分の好みが合致するというのは並大抵のことではないのだ。
特に、路線と言われる分野にあまりひかれない自分のようなファンにとっては。
じわじわと、そうじゃないのかなと噂されていたとおり、組内からの抜擢となった。
自分が関与できることではないので、比較的冷静に受け止めつつも軽く貧血になったりもして、この件に関する大喜利を見て笑って心を落ち着かせたりしつつ、あぁでもしんどいな。というのが今も晴れない心の底の本音である。
ごめん。
なんか、ごめん。
応援するとか組ファンとか自称しといて一度の人事で打ちのめされるとか100年以上続く宝塚舐めてんのか、ってなる。うん。
なので、ごめん。
AllforOneでは、複数回見るうちに姪っ子ーズの中で面白い顔芸の子がいるなぁっていう程度でまぁ面白がって見ることもあった。
小箱公演は見てないのでわからないけど、特に気にすることもなかった。
因みにそれ以前の公演については全然把握していなかった。
もちろん新人公演というのがあることも1年前に知ったくらいなので見ていない。
2月からの本公演の芝居で、彼女の役はアイドル的アスリートだった。演出の指示なんだろうが相当アホっぽくて見ているのがつらかった。なのに子供ができて引退を決意するところではじっとり重い雰囲気芝居で、あれ?二重人格???え?なんか怖い。とうっすら思った。別に見なくても芝居は進むので見ないことにした。相手役のまないくんが見れないのは非常に残念だったしなるべくかぶらないところで見るように心がけたけれどほぼ見ていなかった。他に見るべきところもあったので仕方ないと思っていた。
ショーでは、悪役チームの二大美女であった。こちらもほかに見るところがあったのであまり見なかった。ショーは本当に観客それぞれで見ている視点が違いすぎるそれもまた面白いみたいな感じだったので、気にしないようにした。だが実はちょっと気にしていた。
なんかしんどい。
けど、好きな人もいるしわざわざ言い立てることでもない。心に仕舞った。
梅雨時に、季節柄というか雨をモチーフにしたミュージカル公演があった。
退団を発表しているちゃぴさん(現娘トップ)は本拠地小箱で主演をされるので、たまきさんを単独で見るのははじめてになる。
(スカステや映像ではちゃぴさん以外の娘役と組んでるものもたくさん見た)
相手役が、ちょっとしんどいなと思っていた彼女だったので内心ドキドキしていた。
予想は悪い意味で的中した。
真ん中が見れなかった。
彼女に思いを寄せるたまきさんが信じられなかった。笑。
複数回見ても、何も変わらず、たまきさんを見れないのがしんどいな。。。ということに気づきつつも、相手役を脚立に見立ててみたりするのもしんどかった。脚立って。無機物。
ひたすら彼女じゃありませんようにと願った。できることならあの子がいいという対抗馬も特に掲げず、彼女じゃなければ誰でもいいと思った。
脚立再び。
別組の子でもいいし、路線じゃない子だっていい、なんだっていいから彼女じゃありませんようにという非常に失礼で勝手なことを思う自分が嫌で疲れた。
しんどいと思いながら見ていると、自分自身がしんどくなってくる。
だったら見なきゃいいじゃん。正論です。
真ん中で輝く(んだろう)彼女を見て「うちのナンバーワンですよ!かわいいでしょ!」って言える日が来るのだろうか。
今んとこ難しい。
でもいつかなってるかもしれない。
その日にこのエントリーを思い出して笑えるといい。
前向きになるには一度吐き出さないとならない、面倒なファンで申し訳ない。1年目だから一喜一憂の高低差についていけてないのか、いやたぶん宝塚のファンに向いてないんだよねってことはうっすら自分でも気づいている。
舞台に出ているそれが全て。
その舞台を見てムリだったらたぶん全部ムリ。
(戻っちゃった)
ショック療法でたくさん見たら慣れるかと思って
おめでとう!なツイをいろいろ見てみたけど、ニュースに使われてるおとめの写真の耳たぶが気になり過ぎてもうダメだと気付いた。
やっと気づいた。
目指すは解脱。これっきゃナイ☆
知人に天海祐希のファンがいたのだが、驚いたことに彼は宝塚時代のエピソードはほとんど知らなかった。
天海は、宝塚ではかなりの伝説を作り上げてしまった人なので、これを知らないファンがいるのはもったいないなぁ、と思った。
なので、ざっくり彼女のジェンヌ時代の伝説を書いてみようと思う。
これは男役としては異例の速さだ。
新人公演というのは、本公演と同じ内容の演目を、入団1年目から7年目までの新人達だけで演じる公演のこと。
トップ路線に進む男役の子は普通、この新人公演で良い役をもらいながら、7年目までに一度は(新人公演で)主役をやる。
その後本公演でも、徐々に良い役をもらうようになってゆき、所属する組の三番手、二番手を経て、トップになる。
(ただしこれは天海在団当時のルールで、新専科が出来た今は、多少異なる)
とは言え、いくらなんでも1年目で新人公演主演は早すぎだ。
さらに新人公演が7年目まで出演可能なことを見ても分かるように、入団7年目では普通まだ新人から卒業する程度の段階。
この段階でトップになった者は、現在のスターシステムが出来たあとの男役では、他に存在しない。普通は十数年かかる。
(娘役の場合は、いきなりトップをもらうことがあるので、この限りではないが)
ちなみに彼女がトップをやっていた時の二番手であった久世星佳、三番手の真琴つばさは、天海の上級生である。
これは、他にも早い人はいるので、異例とは言えないのだが、トップ就任2年そこそこで辞めてしまうのは、やはり早い方だ。普通は5年くらいはやる。
トップになるのも早ければ、辞めるのも早かった、まさに彗星のように表れ、去っていったトップスターさんなのである。
宝塚を余り知らない人でも、でっかい羽根を背負って、大階段から降りてくるタカラジェンヌの姿は、ご存じの方が多いだろう。
あれは公演の最後のフィナーレでの姿なのだが、あそこではトップに近い人ほど大きな羽根を背負うのが通例。
ところが、トップになった天海は普段の公演から、かなり小さい羽根ばかりを背負っていた(当然周りはもっと小さい羽根になる)
どうも彼女が、仰々しい羽根を背負うのは嫌だと、劇団側に通させてしまったらしい。
基本的に劇団とジェンヌさんの力関係は 劇団>>>>|越えられない壁|>>>>ジェンヌさん ってくらいのものなので、例えトップでも普通はこんな要望は通らない。
のだが、彼女は通してしまった。天海だから許されたのだ、と言われている。
圧巻は退団前の最後の公演で、完全に羽根をなくしてしまったということだ。こんな公演、羽根が通例となった以降には、そうそうない。
ジェンヌさん達の行動基準は普通「劇団の通例>ファン>仲間達との絆>その他」みたいな感じなのだが、天海の場合は「仲間達>ファン>通例>その他」みたいな順番だった。
分かりやすいのが公演のフィナーレで、幕が下りるまでの間、普通は客席に向かって手を振るのだが、天海はどちらかというと、一緒に練習してきた仲間達をよく見る傾向にあった。
お茶会というのは、ファンの融資でジェンヌさんを呼んで開かれる、アンオフィシャルな会。
普通はまぁ、ジェンヌさんはお人形さんじゃないが、ファンのみんなに囲まれて、色々お喋りの中でいじられる感じなのだが、天海はガチのトークに入ることが多かったらしい。
退団時もファンクラブからの融資で色々やる。普通は良い車を借りて、スターさんを乗せてパレードしたりするのに多くの金を使うのだが、天海はファンクラブの人全員にワイングラスを贈ったようだ。
実は女社会の常というか、ファンクラブでも(ファンが自主的に作った)序列みたいなものがあり、幹部さんと、ファンクラブ入り立ての人では、受けられるサービスの度合いが違ってくるのが普通なのだが、天海は全員に全く同じワイングラスを贈ったらしい。
色んな意味で、序列社会の習慣を無視しまくった、またそれを可能にする実力があった人だったのでした。
歌って踊れて芝居できて、何より華があるという、本当にパーフェクトなジェンヌさんでしたからね。