はてなキーワード: 電光掲示板とは
たまーに行くレストランの日替わり定食を久しぶりに食べに行ったら
私のテーブルにもやってきて、
お料理持ってきてくれたの。
ただただ、
四角い箱の中身が4段ぐらいの棚になっているようなロボット。
って言ってもこれは正確に言ったら
テーブルの前までやって来て
おのおのでお客さんがトレイごと取らなくてはいけないって仕組みっちゃー仕組みなんだけど、
私がわーい!ってロボットお利口!って思って言った矢先、
お食事楽しんでください!って
言い終わらないうちにクルッと向きを変えて、
そう言いながら立ち去る後ろ姿を見送りながら、
こいつ……動くぞ!?の勢いで言いたい、
こいつ……あだち去ぞ!って
去っていく後ろ姿の背中と言っていいのかしら?その背中がシュールだったわ。
あだち去り機能搭載。
あれ人間がやったらちょっと失礼しちゃうわってな感じするけど、
これロボットだと、
なぜか全然気にならないし、
なんならお会計の時にレジの人間にあのロボット可愛いわね!って言ったら、
昨日から一緒に働いてるんです!って言うじゃない。
ふーん。
つまり新入りさんだったのね。
同じセリフしか言わないお料理持って行くロボットはにゃんにゃん鳴いていて、
微かにビートを響かせながらズンチャズンチャズンチャって声帯ではなくてスピーカーから鳴ってやって来るのは感慨深いわ。
でもこれ本当に店員さん何人分かのぐらいな働きって本当にしているのかしら?
人が運んだ方が早いけど客寄せパンダ的な感じもあるのかしら?
でもなんだか、
それだけでまたそのお店に足を運んじゃうかも知れないわよ。
あと、
背中には新幹線の車内で流れているようなニュースの電光掲示板の文字が流れる仕組みで、
いらっしゃいませって流れ続けているのが、
そんでちゃんと曲がるときはウィンカーみたいに矢印が出て曲がる方向を示していたし。
人間みたいに気の効かないところが逆に気が効いてる感じがして
本来ならこのぐらいなマイルドな接客でもいいんじゃないの?って我に返ったところよ。
まあ、
味は一緒って言うところが
うふふ。
なんだか
また寒くなってきたのか?
朝肌寒いかったので
かなり温めのホッツってところよ。
この時期の気温の寒暖差は
たまらないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う
しかしそれ(膨張・威圧・非人道主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う
理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う
胡錦濤は中華人民共和国国務院総理に指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会で問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差の是正と安定成長に努めた。胡錦濤が最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪や上海万博に代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業の民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有・公有経済の管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。
胡温体制で中国のGDP(国内総生産)は世界2位となり、2008年の世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国の高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))を断行して世界最速のV字回復で金融危機を脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界のGDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策は人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政や箱物行政のような無駄な公共投資と地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍の廃止に地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部と都市部を統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。
就任当初多くのヨーロッパやアメリカの為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道が規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道は国内外問わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。
しかし、胡はインターネットの監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年のチベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定でインターネットの遮断も起きた[77][78][79][80][81]。
なお、2010年2月21日には人民日報が運営するミニブログ「人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言もメッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またこのとき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。
2006年3月、中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉と不名誉」として知られている代わりに、良き国民が名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代の中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤のイデオロギーで解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準から、マルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。
北京オリンピックと上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。
2008年8月、ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ(中央)と
2007年、ウラジーミル・プーチン(右)と
2008年、BRICsの首脳4人。左から、マンモハン・シン、ドミートリー・メドヴェージェフ、胡錦濤、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
胡は外交政策として、後述する日本や台湾の例にある通り江の外交政策の修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。
胡はアメリカ合衆国・中国・朝鮮民主主義人民共和国の三者協議とさらに近隣諸国の韓国・日本・ロシアも加えた6カ国協議を北京で主催するなど北朝鮮核問題に積極的に従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手で経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国に仲介を要請した米国に対して江は二国間の問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日は対話を拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和的解決を基調としつつ北朝鮮への圧力の必要性も理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。
胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和と安全に寄与することを国際社会に保証するとし、世界の様々な地域に中国人民解放軍などから部隊を派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国は国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国が国連への影響力を利用して台湾(中華民国)との国交断絶をリベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア沖海賊対策では中国人民解放軍海軍の艦隊を派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国の海洋進出を推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京の中国・アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案でアディスアベバのアフリカ連合本部は中国の資金と企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国は米州ボリバル同盟や南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラやエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスのラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の設立会議で議長のベネズエラのウゴ・チャベス大統領は米国を批判して胡の祝電を読み上げている[101]。
また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高を活用してアジア・アフリカ・中南米の発展途上国(G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ・欧州・日本などの先進国(G7)にも対外投資を行う走出去を推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国が世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。
近所の神社道を散歩していたら突然聴き覚えのある声が聞こえてきた。
どうやら近くでrebuild.fmの収録をしているらしい。
内容はゲストが最近会社を辞めたこと、本を出版したこと、イギリスでマクドナルドが「npmは悪なのか?」というアンケートを取った話題だった。
ふと前を見ると巨大な電光掲示板があり、まさにその「npmは悪なのか?」の広告が映し出されていた。
巨大なボードが3分割されて「Risk」「N/A」「Look good」と書かれており、そこにメモが貼られていて、そのメモの数で投票する仕組みのようだった。
「お、これじゃん」と思った瞬間にハッピーセットの広告に切り替わり、そこで夢から覚めた。
しかしどうしてもアンケートの結果が気になったので、夢の内容を忘れないうちに「npm 悪 マクドナルド」で検索してみたが、残念ながら何も出てこなかった。
無料版。シングルプレイヤー。マップは「The World」。時間は無制限。
電車が見える。駅のようだが壁も改札もない。
ホームがそのまま道路に繋がってる感じだ。どういう仕組みなんだろう。
ホームの電光掲示板に「Trondheim」と書いてある。電車の行き先か。
駅の近くの看板には「Oslo Sentralstasjon」とある。
誤差は356.7m。4999ptだった。
さらにその向こう側には緑の平原が広がっていてぽつぽつと建物が。
というわけでちょっと進むと先ほどよりも広い道に出た。
標識に「CORK」「COBH」と書いてある。
さらに進むと水辺に出た。向こう岸が見えるが川なのか海なのか。
この町の名前は「COBH」で間違いないようだが、地図で見ても探しきれない。
おっと、最悪だ。
イングランドの地図を見ているときに解答ボタンをミスタップしてしまった。
誤差は418km。3776ptだった。
路上販売の店が並ぶ猥雑な通り。こんな狭い道をストリートビューの車もよく通ったものだ。
看板の文字が明らかにインド語とかああいう系の言語だ。まったく読めない。
少し広い道に出た。
道の両側に屋台が立ち並んでいて、自転車に牽かれた人力車が走っている。
道路標識くらいは英語が添えていないか…と思ったら看板の社名のところに「Bangladesh」とあった。
ここはバングラデシュなのか。
案内標識どころか制限時速や止まれの標識なんかも無いんじゃないか。
これ以上は無理かと諦めて適当にダッカあたりを選択して解答ボタン。
誤差は141.8km。4546ptだった。
美しい庭園のようなところ。
屋外ではあるが敷地内で、おそらく観光客向けの説明書きが置いてある。
そこには「REAL ALCAZAR SEVILLA」とある。
セビーリャの地図を拡大してみると…すぐに「アルカサル」を見つけた。
後から調べたが世界遺産らしい。そりゃあ知らないほうがダメだ。
誤差は57.7m。5000ptだった。
どこかの町。舗装されていない道。
あたりを見回すと遠目に大きな建物が立ち並んでいる。大都市の郊外といったところか。
張り紙の文字がキリル文字っぽい。読めないから難易度が上がるんだよな。
都市部に出た。
けっこうあちこち「CTOП」みたいな標識が立っていて街の名前っぽいのだが…
地図で他の地名を見て推察するかぎり「C=S」で「П=P」だから「STOP」…止まれってことか?
ふざけやがって。
ノヴォシビルスクという街だったらしい。
誤差は643.6km。3248ptだった。
なぜか健常者に対しては電光掲示板でリアルタイムで誰でもその場で見れる状態なってる
健常者はJRに電話し「今日は遅延ありませんか」と事前連絡し聞き出す必要はない
一日の時刻表はあちこちの看板にあるし無料のペーパーを配ってるしネットにもあるアプリもあるのに
イギリスには、「電車」が少ない。たしか今でも国内の全路線の5割くらいは電化されていない。つまり「汽車」が走っている。
当然車体が古く、バリアフリー設備があるケースも少なく、電車の乗り降りの際は健常者ですら苦労する高さの階段を登ることもある。ハリーポッターとか古い洋画をイメージしてもらえばいい。あれのまんま。
近代的に改修がほどこされた駅にはバリアフリー設備が色々あるが、基本的にはエレベーターの設置は期待すべきでない。日本に帰って至れり尽くせりだなぁと感心したくらいだ。
ロンドンは地下鉄が多いのだが、当然地下への移動も階段なので、健常者でも普通に疲れる。あと地下鉄は全く携帯が使えない。
イギリスでは2階建てバスが一般的だが、エレベーターがある訳が無い。100kg超の電動車いすを運べと言っても手を貸してくれる人などいないと思われる。
バス自体はノンステップのものも半々くらいはあるので、1階に乗ればよくね?となるんじゃねえかな。2階が景色いいから好きだったけどね。
運転手は乗客が座ったかどうかを気にせずに荒く発進するので、健常者でもちゃんと手すりをつかんで昇り降りしないと転ぶよ。
あと、ロンドン以外では電光掲示板はおろか音声での案内すらないので、GoogleMapと気合いで停留所を判別してボタン押さないと無限に運ばれることになる。
乗客は基本、互いに無関心。日本のようで居心地が良かった。電話しても誰も気にしないのでその点は日本よりだいぶ良い。
極東の言語で会話をしていてもノイズにしか聞こえないというのもあるかもしれないが。
田舎のバスの2階では、学生が音楽流しながら友達同士で歌ってた。でも現地のDQNなのかも。
滞在中、そこそこな数の教会に行ったが、尖塔には当然ながら階段しかない。10世紀の建物にエレベーターをつけるスペースなどある訳が無い。
尖塔から見える景色は絶景だったりするが、自力で階段上れない人は1階でお祈りしてなさい、という雰囲気。
でかい観光地なら介助のサービスがあるかもしれんが使わないのでわからん。
美術館とか博物館が無料で見放題で写真撮り放題なのはスゲーと思った。ここだけは逆立ちしても日本じゃ敵わない。
体温計は持っていかなかったのでわからないが、明らかに熱出して咳しまくりの風邪をひいたときがあり、もうろうとする頭で薬局に行って薬を買った。
病気したら高額になりうるから一般人は近所の薬局に行く。医者なしの自己判断で薬を買って家で安静にしておくしかない。
風邪くらいなら薬すら飲まずに安静にして治すのが一般的。そこに「体力のない人はどうするんだ」とか「知識のない人はどうするんだ」とかいう議論は存在しない。
ただし薬局の薬は日本よりクソ安かった(イブプロフェンが1パック24錠で80円とか)のでそのへん良し悪し。
治安は世界中でもかなりいい方だとは思うが、それでもスリがいなくはないと聞く。(ただ、自分はバスで寝たりもしたがすられることはなかった)
海外は旅行に行くだけでも「日本より治安の良い国は皆無だから充分気をつけろよ」が常識で、ほとんどの人はそれなりの覚悟をもって国境を越えているはず。
だいたいは現地の人も不便を我慢したり愚痴ったりしながら生きている。
北欧なりイギリスなりヨーロッパなりアメリカなどにあこがれをいだくのは勝手だが、神々と天使の楽園みたいな国なんて世界中のどこにも存在しない。
逆にそんな国があるなら知りたい。
私にも家族にも、今のところ特に障害は無い30代ですが、車椅子の件を見ていてモヤったので吐き出しておく。
首都圏の人の多い駅で、電車が事故などで止まると、他社線での振替輸送の案内がある。
構内にアナウンスもガンガン流れるし、掲示板などで視覚的な案内も出るし、駅員さんに聞けば状況がすぐわかる。
振替輸送のときは、持ってる切符をそのまま使えて、追加でお金を出さなくても、当所の目的地まで行ける。
乗り換えの手間や時間は余計にかかるけど、復旧まで待つよりはマシなら利用させてもらう。
状況にもよるが、鉄道復旧までの間、その区間は代替でバスを運行しているケースをよく聞く。
鉄道側にトラブルがあっても、あの手この手で目的地まで運ぼうとしてくれる。とても有り難いことだと思う。
「JRで車椅子は乗車拒否」の元ブログの記事を読んで引っかかったのは、車椅子を持ち上げる手配をした「駅員D」が登場するまで、私のところには当たり前に伸びてくる、目的地まで運ぼうとする「あの手この手」が見当たらないことだ。
たとえば、私と隣の人が、どちらも東京から横浜までJR東海道線で移動しようとする時。
隣の人はJRから「東海道線止まってるんで一旦山手線で品川まで出て京急線に乗り換えて下さい、その切符で追加料金無しで行けます、ご迷惑をおかけいたします」みたいな対応されてるのに、私だけ「横浜行きは止まってます。外にタクシー乗り場ありますから自腹でどうぞ。あなたは乗せられないので。タクシー乗り場わからない?調べてください。タクシー拾えないかも?いやそこはご自身でどうぞ、こちらでは対応できないんで」って言われたら「は????なんで???(怒)」ってなる。
電車が止まってるのは仕方ない。JRが何もかも面倒みてくれるとは思っていない。でも、隣の人との対応の違いには怒るだろう。なんで私だけ、隣の人には求められないお金や労力を求められてしまうのだ。同じ電車を使って、同じ場所に行こうとしてるのに。
でも、私に「障害」があると、このJRの対応の違いが「正論」としてまかり通ってしまう上に、後でSNSに書こうものならあちこちから駅員の味方が出てきて、私がタコ殴りにされるのだ。
駅員C「来宮駅はお使いいただけませんので、熱海駅までで。その後はご自身でお考えになってください。」
私「どうやって?」
駅員C「タクシーなど」
ここのやり取りが特に、健常者を目的地まで運ぼうとする「あの手この手」感が全く感じられなくて震えた。
ああ、これが、差別か。
駅の設備(今回ならスロープやエレベーター)の不足で移動が制限されてしまう人がいる、ということは、残念ながらよくある。
制限される側から見たら、あっちこっちで災害による運休が発生しているようなものだろう。
しかもこの運休は、電光掲示板にも改札前のホワイトボードにも出ておらず、駅員に尋ねても15分待って「そこは運休です」しか情報が出ないレベルの、ステルス運休だ。ユーザー側で全部把握するのは無理ゲーだろうし、その無理ゲーをやる時間をもっと別のことに使いたいだろう。
JRの予算も無限ではないから、全駅にバリアフリー設備を導入するのは難しいかもしれない。
JRの都合で、一部のユーザーに対する運休区間を発生させているのだ。
バリアフリー対応をしたら運賃が上がる、という意見も見た。気持ちはわかる。JRはけっこう高い。
ということは、私が、あなたが、運休区間を発生させているのだ。
っていう意見を見た。
実際、熱海周辺はあの手この手でバリアフリーに取り組んでいるらしい。素晴らしいことだと思う。
なら駅員A〜Dは、なぜその提案をしなかったんだろうか。
もっと言うなら、もし、バスでバリアフリー対応をカバーしているつもりなら、なぜJRは「バリアフリー振替輸送システム」みたいなものを用意してないんだろうか。
「来宮駅は無人駅で、エレベーターなどの車椅子に対応できる設備もございません。申し訳ありません。代替手段として、熱海駅●●口からバリアフリーのバスが来宮駅前まで出ておりますので、そちらをご利用いただけませんか?来宮駅までの切符をお求めいただければ、そのままバリアフリーバスにご乗車いただけます。お連れ様もご一緒に。いかがでしょうか?」
健常者が大幅遅延や区間運休にぶち当たった時は、このくらいの対応をされている。と思うラインで、今回の伊是名さんへの対応を考えてみた。本来の到着時間には間に合わないが、今ある設備で対応でき、JR側の人員的にも無理が少なく、乗客に調査や予約の手間・過度な経済的負担を課さず、本来の目的地まで運ぶ提案。
これで丸く収まるかどうかはわからない。バスが本当にバリアフリーなのか、駅からバス停まで車椅子にとってどれくらい大変な移動なのか、バスの本数はどれくらいで来宮まで何分かかるのかも知らない。ただ、「隣の人と同じ程度の対応」として考えたら、これくらいになると思う。
箱に乗って柵のむこう側の景色を見ている、三人の人の絵を思い出す。
背が高い人、中くらいの人、低い人。
三人に同じ高さの箱を配ると、背が低い人は柵のむこうが見えない。これは悪しき平等だ。
それぞれに柵のむこうが見える高さの箱を配れば、三人とも景色が見える。
ところで、誰が柵を立てたのか。
現実には、箱を用意するコストがかかる。リソースは無限ではない。
ただ、柵を立てた者が、箱を用意するのが筋ではないか。と思う。
柵を金網に変えてしまえば、箱無しでも三人とも景色が見える。ユニバーサルデザインと呼ばれるものは、これだろう。
電車に限らずあちこちで、柵を金網に変えていければ、車椅子ユーザーにもベビーカーにも、順調に生きれば歳を取って足腰や認知が弱る私やあなたにも、同じ景色が見える世界になる。
頑張るなら、そういう方向で頑張りたいなと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210408225201
整理券について。
整理券方式が使われるのは、乗った距離(というか区間)にともなって料金が上がっていく従量課金・後払いのバス路線だ。
都市部以外の路線はだいたいこれだろう。なお、IC乗車券の人は必要なく、支払いが現金の場合だけだ。
簡単だろう?
もう少し詳しく説明する。
従量料金の乗車区間を確定するには「乗ったバス停」と「降りるバス停」の2点の情報が必要となる。
その2点のうち降りるバス停は自明なので、乗ったバス停を示すものがあればいい。
「私はここから乗りました」と証を立てるもの、それが整理券だ。なので整理券は握りしめてしわくちゃにしてもかまわんが、なくしてはいけない。
ということは、乗ったバス停は●●●ですね?
▲▲▲~●●●間の料金は■■■円です。
車内前方を見ると、みんなからよく見える場所に升目と数字の並んだエクセルの表みたいな電光掲示板がある。それが料金表だ。
整理番号と料金の対応が表示され、バスの進行につれて時々刻々と料金は上がっていく。ずっと見つめている必要はない。自分が降りるバス停の名前が表示された時にだけ見ればいい。
が、初めて乗る路線だと次から次に出てくるバス停の名前がいちいち面白いのでじっと見ててもいい。
さて、降りるバス停が近づいた。
整理番号と料金表を見比べて、料金もわかった。
ところが、財布を見たらぴったりの小銭がない!
困ったな?
ぴったり持ってなくて運賃機であたふたしてる時に車内から感じる顰蹙のムード。あれは誰だっていやだ。日常の足としてバスを利用している者だってあれはいやなものである(だから日常の足とするならIC乗車券や定期券回数券を使うのが賢い)。
もっとも、顰蹙ムードの半分かそれ以上は気のせいだ。よくあることなので誰もたいして気にしちゃいない。いいや俺はイラッとするからみんなもイラッとしているはずだ、というのなら、それはお前の心が狭いのだ。ぴったりの小銭がたまたまないことなんて当然誰にでもありえることだし、そのために運賃機には両替や釣り銭の機能がついている。万券しか持ってなくたってそこは開き直ってかまわない。
そして、顰蹙ムードを最小化する方法、というかマナーがひとつだけある。これだけは覚えて帰ってほしい。
「ぴったり持ってなかったら、降りる客の列の最後尾に下がってほかの客を先に降ろせ」
そのバス停で降りない客にとっては、お前が何番目でアタフタしようと待ち時間に変化はない(全員が降りきるのにかかる時間は同じ)。しかし同じバス停で降りる客たちにとっては、アタフタしてるお前より後ろだと余分に待たされて損をする。その人たちだけは先に降ろしてやってほしい。
凄く面倒くさい人々に絡まれそうだからTwitterには書けないのでこちらに書きたいと思う。
という部分に集約されるのではないだろうか。
もちろん障害者福祉は健常者にとってもセーフティネットであり、無関係の負担で自分が受益者でないと考えるのは不適切である。
だけれども、セーフティネットはセーフティネットであり、その本質は保険である。
保険とはリスクに対して相応の分をかけるものであり、分不相応な保険は必要ないと感じるのは当たり前のことだ。
コストの大きすぎるセーフティネットに対して、「果たしてここまでの福祉が必要なのだろうか」と感じるのは、これも当たり前のことだろう。
KAMEI Nobutaka
少数派による鉄道利用の要望に対して、特権だのワガママだの感謝しろだの言っている多数派の人たちは、駅の階段を一段ずつ歩み、改札を素早く通り抜け、車内のシートに座り、車内放送や電光掲示板で情報を手に入れるたびに、毎秒毎分のように深々と頭を下げて感謝のことばを述べ続けたらいいと思います
そのくらい、多数派は、常日頃から、本人たちもまったく気付いていないくらいのレベルで、圧倒的に優遇され、保護され、配慮され続けているのです。
なぜ?それは、ただ単に「数が多い」というだけの理由によります。
そういう自画像をきちんと手に入れてから、考え、ものを言いましょうね
以上
このツイートに代表されるように、JRに対して感謝の気持ちがないのは当たり前であって、伊是名夏子は自身の当然の権利を享受しているだけであり恥じ入ったりいちいち感謝したりする必要はない。という意見がある。
それは法解釈や人権思想的には正しくそうなのだが、現実にはその負担は健常者社会が負担しているわけで、障害者が望む高福祉社会は健常者なしでは存在し得ない。むしろ、障害者が増えれば増えるほど福祉は下がっていくだろう。
(これは要介護の障害者が50%いる社会を考えてみればわかると思う。1%であれば要介護者にヘルパーが数人つきっきりで介護することは可能であろうが、50%ではどう頑張っても無理なことは自明)
その事実を考えると、やはり障害者サイドは健常者にある程度の感謝と慎みを持って生活していくしかないのではないかと思う。
障害者が生活の全ての面であまりにも多くの負担を健常者サイドに求め、バリアフリー化の工事を全駅で行う努力が必要などと言えば、セーフティーネットの維持があまりにも高くつくと思い、健常者は冷淡になる。
一生BUMP OF CHICKENで気分を上げるし、YouTubeに転載されたおもしろFlashで爆笑するんだ。
「懐かし」「往年」「老人会」
うるせえ。俺にとってはずっと全盛だ。
パチンコ屋の電光掲示板からエウレカの声がして足が止まるのは音がデカかったから。
「懐かCM」なんてふざけたタイトルの動画で変な声が出るのはただ忘れていたから。
よつばと!のランドセル回に泣いたのはあれがシンプルにいい話だったからだ。
グロリアスレボリューションよりHAPPYに共感するようになったのは気の迷いだ。
シンエヴァで口元キュッとしてるおっさんおばさんの轍は踏まない。俺の10代はずっと10代だ。
押し寄せる新時代・新世代は勝手に先に行けばいい。誰がなんと言おうとずっとここにいるんだよ。
クソが。
ふと駅のホームを見ると、「がんばれ!受験生!」というポスターがあった。
そんな時期か…と思い、電光掲示板を見ると
「ガンバレ!受験生!●●駅は、受験生を応援しています!」という文字が流れていった。
頑張っている人に向かって「頑張れ」と言うのはダメじゃなかったか?
昔からそうなのだが、「なんとかなる」という気持ちひとつで上手く事は進んでいた。
もちろん受験するという問題が出てくるものの、「AO入試」の面接だけで突破した。
吹奏楽部を3ねん続けていたのが良かったのだろう。
大学受験は「AO入試」だった。他にも言い方があった気もするが、忘れた。
自分がやるべきことは、面接と、自分が学びたい事のプレゼンだけだった。
はーぁ、思い切り頑張ったことも無いし、頑張りたいとも思わないなぁ。
今春、東海道新幹線のニューステロップが廃止されるという報を聞いたときには、少なからぬショックを受けた。というのも、もう10年以上前の話だが、あの文字ニュースを書く仕事を担当していたことがあるからだ。
新幹線のニューステロップというのは、車両前方、ドアのすぐ上に据え付けられた電光掲示板に流れていく、50文字程度のあれである。当時はまだ、社会人となって日が浅かったことと、もともと鉄道が好きだったこととがあり、地味な仕事ではあるのだが、担当できていることがとても嬉しかったのをよく覚えている。業務の内実についてはあまり書けないが、それなりに長くなった社会人生活の中で、今でも思い出深い仕事の1つであることは事実だ。そうか、あの仕事はもう無くなるのかと思うと、ほんのりと寂しさがあった。
無くなる前に、最後にもう一度だけ、この目に焼き付けておきたいと思った。発表があったのが2月21日で、廃止は3月13日。1か月もない。そしてこの頃は、ちょうど新型コロナウイルスが徐々に国内でも広がり始めていた時期で、旅行に行こうという気分になれるものでもなかった。やめておこうかどうしようかと随分迷ったが、会社に午後だけ有給を取り、平日日中帯の比較的人が少ない時間帯で、東京から名古屋まで日帰りで往復することにした。他県にお邪魔することすら憚られたので、滞在は1時間程度の弾丸日程だ。もう少し遅い時期であれば緊急事態宣言のさなかであり、さすがの私も旅を躊躇したかもしれない。そう思うと、ギリギリの時期であった。
決行したのは廃止の直前にあたる平日だった。午前だけ出勤して、午後に新幹線に飛び乗るつもりでいたが、なかなか仕事の切りがつかず、本当に「飛び乗る」勢いで乗り込んだ。ニューステロップはまだそこに、きちんと流れていた。名古屋までは1時間半程度。往復するので3時間はある。食事がまだだったので、息を整えてから崎陽軒の弁当を開けた。弁当を食べるのにせいぜい15分。その後まだ悠々と時間はある。ニューステロップをただ眺めるだけの目的にしては、ずいぶんと贅沢な時間で、贅沢なお金の使い方をしたものだなと、このときになって初めて思いながら、筍を頬張った。
車内はそれほど人が多くはなかった。平日日中ならば、という見込みは当たったようだった。もうあと数日で廃止になる、というタイミングだったので、1人ぐらい同好の士が乗り合わせていないものかと、あたりを少し伺ったが、ニューステロップを凝視するような人はさすがに見当たらなかったし、この時間に乗るビジネスマンは、そんなものに興味もあまりなさそうではあった。そもそも、あのニュースが無くなることを寂しがる人というのは、どれだけいたのだろうか。インターネットを眺めていれば、そういう声は自ずと可視化されるものではあるが、多くの人にとっては大きな関心を呼ぶものでもないのだろう。緩やかに、少しずつ、静かに人々の記憶から消えていくだけなのだろう。そのことが特段むなしいというわけでもなかった。すでに私の手を離れた仕事に対して、むなしさを覚えてしまうこと自体がおこがましいとも思うし、メディアの仕事というのはインフラと同義であり、まるで空気のような存在であるということも自覚していた。いや、その「空気」が不要だ、ゴミだと強く批判されていた時期もあったか。最近はそういった批判も一時期よりは落ち着いたように感じているが、実際のところメディアが多くの「街の風景」を作ってもいるということに、自覚的な人はあまりいないのかもしれない。
名古屋に近づくと、中日新聞のニュースが流れるようになる。大相撲の本場所があれば、取り組み結果が流れることもあるし、プロ野球もまた同様だ。代わり映えのないように見えて、実は時や土地の影響をある程度受けるものであるのだが、そういったことにもあまり気付かれてはいないのかもしれない。このときはそういった定期的な変化のほかに、赤く毒々しい文字が定期的に踊っていた。新型コロナウイルス感染症に対する注意喚起である。新聞社が配信するニュースではなく、JRが独自に流しているメッセージだ。これはこれで特別感があってよかったのだが、ニューステロップが流れる数が減ってしまうではないかと、ウイルスに対して少しだけ、妙な怒りを向けた。
時間は当然のように余った。幾度かカメラを向けて,静止画と動画で撮らせてはもらったが、さすがにずっと撮り続けているのも不審者じみている。3時間の旅のうち、ほとんどの時間はただテロップを眺めたり、車窓を眺めたりして過ごしていた。ニューステロップの流れる新幹線旅はこれが最後であると思うと、それをただ普段通りに満喫したいという思いが、乗っているうちに徐々に強くなっていた。名古屋で降り、予定通り1時間ほど滞在し、折り返す。名古屋駅周辺を少しだけ歩いたが、まだ感染症に対するアンテナはそれほど高くないようで、思っていた以上に多くの人が街を行き交っていて、少々面食らった。あまり人混みの中にいるのもよろしくなかろうと引き返し、駅直結の百貨店地下で、妻へホワイトデーのプレゼントとして地元の洋菓子を買い、あとは駅の待合室で過ごし、予定通りの上り新幹線で引き返した。
帰りの車内にも、当然ながらテロップは流れていた。テロップのない新幹線というのはどういうものだろうか。もちろん、普段からずっと見ていたわけでもないのだが、ふとしたときに目を上げると、そこにニュースが流れていることが、新幹線における「自然」であった。それがなくなったとき、上げた目には何が映ることになるのだろうか。ニューステロップ廃止後のことについては、そういえば把握をしておらず、想像ができなかった。そしてこのとき以来、感染症予防のこともあって、新幹線には乗っていない。テロップが流れていない新幹線というものを、私はまだ知らない。私の頭の中では、まだあのテロップが流れ続けている。また大手を振って新幹線に乗ろうと思える日が来ることが待ち遠しくもあるし、どことなく、まだ来てほしくないような気もしている。