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2020-10-21

anond:20201021171152

当時ちゃおコラボしてたよ

https://natalie.mu/comic/news/185657

あと子供由来情報

授業参観の時に子供自己紹介カード貼られるんだけど、当時高学年のクラスだと「好きなものおそ松さん」って書いてる子も数人いた記憶

勿論今の鬼滅ほどのブームじゃないけどね

2020-10-17

高齢出産メリットってあるの?

初産で高齢出産ですって聞くと素直に喜べない自分がいる。

でき婚しちゃいました!のと同じで、おめでたいのだけどなんか引っかかる。世間高齢出産ブーム(?)なので絶対こんなこと言えない。

そもそも高齢出産メリットってあるの?地獄案件しか見えないんだけど。

お金

40近くまで働き続けたんなら貯蓄たんまりあるんだろうなと想像してたけど、共働きでもそこまで貯蓄ない世帯普通に多い

不妊治療してたら家購入する資金もなくなったり、あるいは庶民から想像できないほど贅沢しまくってたりとか。

さらに両親の介護問題にも直面してると本当にお金ないらしい

(彼らの言う"お金ない"は自分自由に使えるお金が少ない、という意味であり生活が困窮してるわけではないと思う)

高齢出産リスク

そもそも流産率が高い、ダウン症ちょっと多い。これについてはいろんな人が言ってるから割愛する。

メンタル

ほとんど一人っ子ベタベタ甘やかし育ちが多い印象(私の周りだけかもしれませんが)

更年期精神的に不安定な中子育て大変なのは同情するけど、子供にあたってるの見るとほんとしんどい

いい子だなと思ってたら、急に叩かれたり、ご飯なかったり、お母さんが怖いから言うこと聞いてるって子もいて。

でもそれなりの服着させてたり、ちゃんとした習い事などさせてるからパッと見そういうのわからないんだよね。殴った後とか、そういうのもない。精神虐待?が多いのかも。

40にもなれば精神的にも成熟してるから広い心をもって子育てができる、とネットのご意見をみたけども

広い心をもって子育てしている高齢出産の方いたらぜひお話伺いたいものです。超レアでは。

あと、40前後のご夫婦だと母親主導の子育てが当たり前という価値観を持ってる旦那さんが多いらしく、夫は子育てに非協力的な面も目立つ。(共働きでもそんなの関係ないようですw)

たまに勘違いイクメンもいるけど、あれは形だけだからなぁ

若いカップルの方が一緒に子育てしてる印象がありますね。わからないことも素直に聞いてくれるし、変な先入観がないのがよろしい

子供気持ち

イベント授業参観の時とかにお母さんがおばさんに見えるから(老けてるから)来てほしくないって子、やっぱりいるんですよね

産前は若作りできても産後一気にメッキがとれて老け込むから仕方ないんだけど

子供からしたらおばあちゃんに見えなくもない親ってちょっと嫌なのかもね わざわざ見に来てくれたのに早く帰って!とか言っちゃってる子もいるし。

キャリア

ある程度職場でのポジションを築いてから産もうと思ってる人、よく考えてほしい

子供が小さいうちは呼び出されたり急に休まなければならない時がある 仕方ないことです 周りも子供事由で休むことに何も文句ない

でも要職についてると代わりが少ないし責任のある仕事も多いことでしょう

から「ある程度」なんて思わずにさっさと若い時に産んでしまったほうがいいです

高齢出産しました!ってイキってるバリキャリアラフォー多くて、それに感化されてる若い子いそうで恐ろしい 見習っちゃだめな例ですよw

あとお金にも絡んでくるけど、40前後で産んだら、自立する65歳くらいまでは働き続けなきゃならないということも考えてほしい

院まで行ったら70近くまで稼がなきゃならないのです もちろんアーリーリタイアなんてできない

体力もモチベーションもない頃にそこまで前線で働き続けられる??窓際社員文句なく稼げるポジションがあればラッキーだけど今の状況考えるとそんな夢のようなポジションは将来なさそうじゃん

高齢出産ブーム去ってほしいし適齢期に産んでバンザイな流れになってほしい

2020-07-29

給食マスクで思い出すこと

給食マスクと聞くと、小学生だった時の担任のM先生を思い出す。

M先生は30歳前後女性で、2年間自分担任だった。小学生ながらに「この先生ちょっとヤバイ」と思っていたので、M先生について思い出せたエピソード客観的に書いてみる。別に変じゃないエピソードもあるかもしれない。もう自分では何が普通で何が異常なのかよくわからなくなっている。

給食当番は、家からマスクを持ってこないといけないルールだった。M先生は、マスクを忘れた生徒を怒り、黒の油性マジックで顔にマスクを書いた。口の周りに大きな四角を、それから耳まで紐の部分を書いた。さすがに四角を黒で塗りつぶすことはしなかったが、四角の中に大きくバッテンを書いていた気がする。そしてそのまま生徒を下校させた。

授業参観の前日、M先生は「明日授業参観なので、みんなで1本ずつバラの花を持ち寄りましょう!教室が華やかになりますよ」と言った。「反対の人は手を挙げて」と言うので手を挙げた。手を挙げたのは自分だけだったので理由を聞かれた。「今月のお小遣いがもう残っていないので買えません」というと、「自分で買えなんて言ってないわよ、みんな親御さんに買ってもらいなさい」と笑った。帰宅し、母親バラを買いに行った。田舎だったので町に花屋さんは1つしかなく、バラはもう売り切れていて買えなかった。

M先生結婚した。相手は他校の教師らしい。結婚式準備や新婚旅行で何日か学校を休んだ後、生徒の家にハガキが送られてきた。二人が肩を組んでいる幸せそうな写真入りで、「私たち結婚しました」と書いてあった。母親が苦笑していた。

ある日、M先生の発案で、授業間の10分の休み時間がおしゃべり禁止になった。最初の何回かはみんな守らず、ひそひそとおしゃべりをしていたが、M先生がついに本気で怒った。その次の休み時間、本当に誰一人声を発しない、静まり返った教室となった。するとM先生は「なんか誰もしゃべらないのって気持ち悪いわねぇ!やめましょやめましょ!!」と笑い、そのルールは一日でなくなった。

やんちゃ男子3人組がいた。何か物が壊れていたりすると「あの3人がやったに違いない!!!」と騒ぎ、3人を呼びつけ怒っていた。3人は反論せず呆気に取られていた。

やんちゃ男子3人組のひとりが何か悪いことをしたらしく、M先生に怒られていた。M先生は、「先生の言うことは絶対なんです!先生が死になさいと言ったら死ななくてはならないんです!今すぐあのベランダから飛び降りなさい!」と言っていた。※ちなみにその男子は先生の話を全く聞いておらず、いつものようにケロっとしていた。その後落ち込んだりとかはしていなかったと思う。

M先生親族が亡くなった次のお正月父親が「M先生喪中から年賀状ではなく寒中見舞いを出しなさい」と言ったので、その通りにした。学校が始まると、M先生年賀状を出してしまった生徒が集められ、「あなたたちはとても失礼なことをしたのよ」という旨のことを怒られた。寒中見舞いを出した自分も一緒に怒られた。親に報告すると、母親が「だから寒中見舞いも出す必要なかったのよ、余計なことはしなくていいのよ!」と父親喧嘩していた。

2年間、平日は毎日顔を合わせていたから、他にもたくさんあるはずだけど、これしか思い出せなかった。もう20年くらい前の話なので、印象に残ったこしか覚えていないし、詳細も確かではない。ただ、もうすぐクラス替えというタイミングで、「来年先生担任がいい人~?」と自ら生徒に聞き、誰も手を挙げなかったときのことは、今でも鮮明に思い出せる。

2020-07-22

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く①

6月頃に一回自殺未遂したけど死ねなかった女の話です。

したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。

休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います

クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。


私について

北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ

きしょいオタク文章書くのは割と好き。漫画アニメソシャゲ全部好き。乙女コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ

母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。

記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)

両親も親戚もみんなオタク父親ラムちゃんアイマスプロレス母親最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。

弟2人はFPSとかモンハン兄弟二人ともゲーマーガチ世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーボドゲに目覚めた。

実家は村に近い山奥のドドドドド田舎同級生農家酪農やってる子がいっぱいいる。


小さい時

育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん

保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。

イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。

ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……


物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。

保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃん長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。

母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待

ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。

後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。

当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。

あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。

かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。



小学生時代

全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態

入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。

家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。

教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃんありがとう……

あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。


3年生ぐらいか普通に社交的になったと思う。クラス委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。

この頃、休み時間教室以外にも図書室で本を読む女になってた。

同時期ぐらいに父親仕事をクビになってニート引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。

ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。


高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親から評価めっちゃ高かった。

勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子

実際、3年からは毎回クラス委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟同級生同士で仲良し~とかあった。

ちなみにこの頃はちゃお少年Aジャンプ、母方の祖母の家でガンガンGファンタジー読んでた。


ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。

多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。

祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。

弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男からしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。


小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。

祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。

その後、親が離婚して一軒家から団地引っ越した。離婚父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。


これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。

母親はい祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態仕事に行ってたらしい。それでも授業参観運動会も学芸会絶対全部来てくれた。



中学生時代

田舎あるある小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。

半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんいじめを受け始める。

ゆみちゃん堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由野球部所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安から……」と頼まれ野球部に入った。

まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。

私はゆみちゃんいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。

彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。


結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか

私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめ相手が居なくなったから仲良かった私になった。

ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。

なんでか自分ノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。

当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。

そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。


中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。

私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。

休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。

それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。

おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。

ただ、学校担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。

母親はその日のうちに学校電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。

後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。

どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。

家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。


ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。


そのフォロワーたちもいじめ経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。

なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。

クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。

修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校先生マンツーマン勉強した。凄い有意義時間の使い方だったなと思う。

卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲プリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。

高校は女で嫌な思いをしたので男子比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制高校へ行く気でいた。

卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書アルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。



高校時代

ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ体罰普通にあったし、クラスメイトの男子教室内でデカデカ万引を自慢するようなクラスだった。

担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。

ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。

後々、クラス男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。

担任露骨わたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校ちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。

他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネット検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。

学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラス女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。

の子と出席番号が前後だったジャニヲタまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんまなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女であるマジで強い。

ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当AOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。

この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部BLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう

適当単位取って適当卒業した。これが私の高校時代の思い出である


専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ

ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社入社した。そしてこの後、地獄を見る。



2年間の社畜時代

前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。

上京してから半年横浜警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎地獄を見る。

警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。

入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み

休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。

休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。

心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。

私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。

そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。

無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。

元々寮で暮らしたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。

私は初めて、会社を休んだ。そしてそのまま退職した。

その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいか自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。



文字数制限引っかかったので適当に続き別の記事にでも書きます

2020-07-13

32歳腐女子オタク増田で母と喧嘩した話

感情のままにこれを書く。

つい先ほど母と喧嘩をした。発端はツイッター話題の32歳腐女子独白を私が母とシェアしようとしたことだった。

同じくオタク腐女子の私は母にひたすらその文章を読んで聞かせた。読み終わった後に「やばくない?」と聞こうと思っていた。共感を得ようと思っていた。だが母はファッションのくだりで遮った。こっちは興味ないの、と。なんで延々と読み上げるの、あんたは何が言いたいの。

なんで?そんなのこの内容を聞けばわかると思った。20歳になったばかりのお洒落初心者オタクの私にとってこれがどんなにゾッとすることか、普通ならわかるはずなのだ

私はすっかり失念していた。母が自分容姿自己投資無頓着なことを。50代の母はメイクほとんどしない。使うもの免税店で売るようないいものだが、ファンデーション口紅、それだけだ。育児で忙しいとかそういうことではなく、昔からそうなのだ。服だってユニクロの服を着たりする。私と服をシェアすることだって日常的にある。母はそういう人なのだ自分のためにお金を使うことはあまりなく、かといって特に趣味があるわけでもない。ただの50代のおばさんだ。しかし、母は、美人なのだ

自慢ではない。思い込みでもない。母はどうにも、美人なのだバランスの良い輪郭、ぱっちりとした二重で上品さをたたえた目、知的眼差し、天然ものにも関わらず落ち着いた印象を与える整った眉、しっかりと通った鼻筋、大きすぎず、薄めで形のいい唇、笑ったときの頬も大人成熟さが感じられて素敵だ。私はそんな母の顔が好きで、母に似ていると言われるのを待ち望んできた。しかし、そんな機会は一度もなかった。いや、嘘だ。一度だけある。授業参観で私の母を目にした同級生が、「〇〇ちゃん、お母さんに似てるね!雰囲気が!」と満面の笑みで言ってくれたことはあった。倒置法で期待をへし折られるのはなかなか辛かった。

そう、私はなかなかのブスなのだ。額が狭いくせに見まごうことなき面長顔、ふっっっとい眉、一重で笑うと目が消滅するひきわり納豆並みの小粒目、ほこりを取るという本来機能すら果たせないレベルの短い睫毛、ヴォルデモートよりはましレベルの低い鼻は団子鼻のおまけ付き、ゴボ、黄歯、タラコ三重苦を備えた口、ろくに対策をしなかったせいで顔中にはびこるしみ・そばかす、手は小さく爪は短く指は太い。加えて大根足。主張の激しい尻。別にスマウントが取りたいわけでもないし、私よりましですよ!なんて言ってほしいわけでもない。これが、私の顔、しいては体型を構成しているのだ。さらについ昨日自分の頬骨がだいぶ横に出っ張っていると自覚した。死にたい

私は自他共に認めるブスだ。空港パスポート確認する係の職員が私のパスポート写真を見て軽く噴き出した時、私は笑われるレベル顔面なんだと実感した。それ以来写真には極力写っていない。

話を戻そう。母は問うた。なんであんたがこの話をそんなに気にするの。あんたは周りの人を顔や容姿判断するの。なんであんたは周りからの印象や意見に過剰に反応するの。大学に入ってから服だの髪だの化粧だのそんな馬鹿馬鹿しいことばかりじゃないの。偏りすぎてると思わないの。お母さんを見なさいよ。私なんて50過ぎてるのにろくに化粧もしないで安い服着て仕事に行くんだよ。

いかけは次第に説教へと変わっていった。こういうことは今に始まったことではない。今までにもこんな議論は何度もあった。私がダイエットをすると言って食べる量を減らしたとき、私が整形をしたいと言ったとき、私が汚い男爪をなんとかしようとして爪を長く伸ばし始めたとき私たちは同じことを繰り返した。そして私は決まってこう返すのだ。

「お母さんは綺麗だから

綺麗であれば装備は少なくてもなんとかなるのだ。元々のスペックが高いのだから美人な人は他人から評価なんて気にする必要がないのだ。その顔や容姿でこれまでに不利益を被ったことがないから。美人は皆言う。人間顔じゃないよ、中身だよ。

うるせ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

わかってる。美人でも自分磨きを怠らない人がたくさんいるのも知っているし、逆にブスでもデブでも自分の外見に無頓着な人がたくさんいるのも知っている。ブスだとか美人だとか関係ないのだろう。母が言いたいことの一つはそういうことかもしれない。でも私が気にしてるのはそう言うことじゃないんだ。なんで「ただしイケメンに限る」みたいな言葉があると思ってんだ。幸せお金で買えないって言うけどそれなりの幸せお金で買えんだよ。それと同じだ。私は何も小松菜奈とかアンハサウェイみたいになりたいなんて言ってない。それなりの美貌がほしいんだ。あわよくば美人自分磨きサボってるレベルの美になりたいんだ。写真で撮られても怖くないように、ちゃん笑顔で笑えるようになりたいんだ。褒め言葉をお世辞じゃないかって疑うんじゃなくて、素直に受け止められるようになりたいんだ。

私みたいなブスがそこに追いつこうとしたらもっと努力を重ねないといけない。だから歯のホワイトニングを始めた。全身脱毛カウンセリングを予約した。インスタでファッション美容、いろんなアカウントフォローした。爪のケアや二重にする練習も頑張っている。朝をオートミールに変えた。初めて万超えの服を買った。メイク勉強も始めた。イエベブルベ骨格も自分なりに把握したし、ファッション用語勉強も始めた。コテも買った。ちゃんとした美容院で髪を切ってもらった。シンプルアクセサリーも買った。毎日顔のマッサージをしているし、前より姿勢に気を使うようになった。

母はそんなのまだ早いと思っているのかもしれない。だがそれらはみんな大学受験が終わったらやりたかたことで、みんな今より綺麗になるためにしたかたことで、それは自分から見た自分のためでもあり、他者から見た自分のためでもあった。他者から見た自分は醜くて嫌いだった。だから自分から見た自分のことも嫌いになった。そこからずっと抜け出せなくて、歳を重ねても自分でかけた呪いから離れられなくて、ずっと苦しかった。私は中身もできた人間じゃない。幼稚だし飽き性だし教養もない。可愛い子には嫉妬するし、僻んだりもする。心の狭さ、浅さもなかなかクズだ。承認欲求もすごい。強欲すぎて我ながら引く。

異性や芸能人は顔で判断したりもするし、正直に言うと現実の友人の中にも私よりもブスだと思っている子がいる。もっと言えばブスだし性格もよくないしで救いようがねえなって思っている人もいる。今の私と同類だ。

今よりもう少し綺麗になれたら、自分と周りの目に怯える必要のない心の余裕が持てるほどの美人になれたら、世の美男美女が言うことの意味もわかるような気がする。そしたら私は母のような素敵な人になれるのだろうか。

見た目が全てではないのは分かっている、が、中身が全てでないことも分かっている。

私は今見た目に、そして自分自身に完全に意識が向いている。母から見て私が足掻いている馬鹿馬鹿しいことは全て、私が中身にも、そして他者にも目をきちんと向けられるようにするためのステップなのだ。私は見た目を諦めてまで中身の段階へ行きたくはない。そこそこの美貌に満足できるその日を現状のゴールとして、私は私のやりたいようにやろうと思う。

2020-07-10

授業参観

コロナの影響で、教室には入れない。

廊下から覗く。

の子もの時は怒られてるか、窓の外を見てた記憶しかない。

の子なんだからそんなに集中なんか出来ないよなと思いながら見てたけど、案外真面目にやってた。

でも時々注意はされる。鉛筆で遊んでて「鉛筆は置いてください」前の人に続けて数字を言う時に言えなくて「注意してください」とか。

授業に集中できないのは努力2割、遺伝8割だな

2020-06-21

私の父は優しい人だと私は知っている

私の父は世界一不器用でだめで、それでも脆いほどに優しい人だと私は知っている。

物心ついた頃から親父が苦手で苦手で、喋るのが苦痛だった。

眼力が強く、冗談も言わない、笑わない、話しかけても会話は返ってこない、それから1度怒ると暴れ出し、弟と私をよく殴った。社会で上手く馴染めず仕事から帰る度に私たち八つ当たりはザラで

とにかく触ってはいけない人間なのだと、小学一年生で悟った。

自身の父ながら、父の家族兄弟に友人、父の昔話や人となりの話も聞かされたことはなく、親父の趣味や好みも年齢もどこ出身であるかも小学六年生になるまで知らない、そんな未知な父親であったように思う。

仕事で家に帰ってくる事が少なく、また学校行事には来た事がない。親子の関係は冷え切っていた。

だが小学六年生のある日、とうとう母親父親ってどんな人って思い切って聞いてみた。

父親=触れてはいけないもの、と思っていた私としてはかなり思い切った問い掛けである

「おまえの父さんはな、親に捨てられて学校にも行かせてもらえず、橋の下生活してた野生児やった」

と今ではありえない、漫画のような事を聞かされた。

最終学歴は中卒だが、厳密に言うと小卒レベル学力大人になってしまった子供だった、と母親は物思いに耽りながら答えてくれた。

借金を苦にした実の母親に捨てられ、近所の人に助けてもらうまで

アパートの一室で1人、それから大量のウサギ、犬、ネコニワトリ、虫また、動物の腐乱死体(なぜ動物に囲まれていたかについては謎らしい)と共に糞尿にまみれ、

非常に飢えた状態で救出された後、施設から逃走し橋の下で半ば野生児のように生きたと父親談。

だがその後また施設保護され、やがて青年になり父親作業員として働いていた中今の母親出会う。

母親は当時の親父とデートしてびっくりしたことが、まず服のセンスが壊滅的だったこと、また箸の持ち方やテーブルマナーが人並み以下だったこと、自分名前すら書けず足し算レベル計算もできず、学が無いため給料もちょろまかされている、感情の起伏が激しく癇癪をすぐ起こし警察沙汰になる といった親父の境遇環境に、こいつを人間らしくしなければいけない と母親は強く感じたらしい。

いままで学と無縁だった親父の躾に苦労しながら、なんとか識字や計算一般常識を覚えさせる事ができた所で、私が生まれたとの事。

私が産まれた時、滅多に泣かない(感情が乏しい)親父が泣いて私を抱き上げたのだ、と母親に聞かされた時、あの親父があの親父が泣いて喜んだのか、とかなりショックを受けた事を思い出す。

懸命に親父が母親スパルタ指導で様々な事を覚える中、どうしても親父が理解できなかったものがある。

いままで誰にも愛されたことも無く、実の親に育てられず、人を愛せたことも無い人間であったため、私が生まれて嬉しいことは嬉しいがどう愛していいかが分からないままであったとのこと。

小さい赤子を触れることさえも怖くなり、ある日とうとう赤子の私を床に落としてしまった事から、私が小学生になるまで私に触れることも話すことも、関わることもできなくなったのではないか母親が打ち明けてくれた事で、いままでの親父の素っ気なさと距離に対する違和感が繋がったような気がした。

親父の社会に馴染めなさ、おぼつかない字の書き方、下手な話し方、魚を食べるのが下手なところ、情緒不安定なところ、すぐ殴るところ 全てが親父の生い立ちに起因するもので、それらは未だに勉強であるものだと分かった瞬間、親父にもっと関わろうと思えたのだ。

ある日親父に授業参観きてよ、って言うと親父の元々大きい眼が更に開き、びっくりしたように「行ってもええんか」と呟いた。

授業参観の日、仕事抜け出して泥だらけの作業着で見に来てくれた時は泣きそうになった。おやじも照れてて泣きそうになってた。

元々絵が得意な私に、普段の拙い落書きでも絵で賞を取っても「お父さん才能ないからなぁ、おまえ凄いな」と手放しで褒めてくれたこと。

繰り返していた自殺未遂と、シンナー吸引をやめて前向きになってくれたこ

「おまえ、これ好きやろ」と、好きな漫画キャラが使う武器木材で本物同様に作ってくれたこと。(親父は不器用だが、手先や工作に関しては神がかり)

寒いやろ」と手袋を無けなしの小遣いで買ってくれたが、もう中学生なのにどれみちゃんの小さくダサい手袋を買ってきたこと、

夏休み工作を手伝ってくれるが、完成度が高すぎて親父が作ったという事がバレバレなこと、

私が生まれからも勉学でかなりつまづいていたが、とうとう一級建築士資格を取得できるまでに努力してきたこと、

自分の育ちが悪く、また貧困いじめられていたからこそ

子供の私達にはしつけを厳しくしてくれたこと、またどんな人にも優しくするようにおしえてくれたこと、

冗談が言えるようになり、人付き合いも上手く行き部下に慕われるようになったこと、

箸の使い方も魚の食べ方も綺麗になったこと、穏やかになったこ

私が大学に行き、一人暮らしすることになった時、涙を堪えようとするけど鼻水垂らしながら号泣して見送ってくれたこと、

バイクの修理まで手伝ってくれること、

私が世界一可愛いと素直に褒めてくれること

あの頃歩み寄って親父の事を聞いてよかったなって思います

あの頃逃げてばっかだったおやじも、私と向き合ってくれたからここまで分かり合えたのかなっておもう。

たまにバカで雑でアホだけど、努力してきた親父は不器用だけど世界一優しいと私は知っている。

本当の大人になれるまで、懸命に生きてきたそんな親父は世界一強いと私は知っている。

そんな親父をしばきながら根気良く育てた母親世界一強いと私は知っている。

2020-05-11

分かる。小学生高学年の時、親が授業参観の後、

友達の〇〇君、毎朝でワックスを使って髪をセットしてるんだって

 〇〇君のお母さんが言ってた。色気づいちゃって(笑)

と言ってきたのが、十数年以上たったいまでも記憶に残ってる。

(ああ、男が髪をセットするのは、クラスメイトの親に言われて、笑われるほど恥ずかしいことなんだ)

という図式が出来上がり、高校大学になっても、頑なに整髪料などを使わずにいった結果、

オシャレというもの無頓着になってしまった。

anond:20200511001339

2020-04-26

小学生なんだけど

コロナで今年は学校に登校しない日々が続くと嬉しい

授業参観ときに周りから若くないお母さんをバカにされなくていいか

なんで若い時に結婚しなかったの?

2020-02-02

anond:20200202115924

授業参観保護者会などで親子のルックスを見るとやはり遺伝だなと思うよ。

超美形俳優と超美形女優の子供の容姿が超美形ではなくまあまあという現象は起こるし、トップクラス美形は奇跡産物なんだけど

一般のそこそこ美形親からは順当にそこそこ美形の子が生まれがちだし、不細工な子の親はやっぱり不細工

2020-01-20

まーた非公開か

いつも思うけど、当時の児童ポルノ禁止法や都条例、昨今の著作権関連の知財会議とかでもそうだけど、この手の連中は会議自体を非公開にしたり、身内のみで結論ありきで押し進めたりしたがるのはそれこそ、自身が疚しい行為をしており、世間から非難を受ける行為をしている事を理解した上で規制を行おうとしているからだろうね。

女性差別反対とかプロフにもあるあの関係っぽい弁護士にも要約したら素案作った奴が頭おかしいみたいな事を言っていて草。

この辺にも毛嫌いされているとかマジでこの素案作った奴等誰向けに条例作ったんだ?

2020-01-05

anond:20200105114656

シャネルだろうかシャムネコだろうが気にしねーよ

いや授業参観に猫がいたら流石に覚えてるわ

2020-01-03

anond:20200103185209

父親10歳過ぎた娘と風呂に入るとかね。

あと増田たち(男)は結婚後の生活が下記のような感じだったらどう感じるんだろう。

 

文化の違いというが、

もしも増田(男)は結婚後、奥さん

 

掃除…週1部屋を丸く履いて終わるだけ

食事…朝は牛乳コーンフレーク、昼は自分の小遣い(手取りの1割)でやりくりしてね、夜は冷食オンリーバラエティは3種類ぐらい)

洗濯洗濯乾燥機に入れたらスイッチは押してくれる

 

っていう生活、ただしもちろん料理が好きなら自分で凝るのはOKだしむしろやれ、

奥さん自分と同じぐらいの収入がある、

休日基本的夫婦で外出、

子ども幼稚園の送り迎えのどちらかは自分が必ず、宿題を見たり寝かしつけは夫の仕事

授業参観運動会自分仕事休んで参加、

奥さんはたまに出張で家を空けるのでその時の家事育児は全部自分(内容は上に書いた水準でOK)、

月1回ぐらい交互に夫婦お互いの同僚との親睦パーティ的なものがあり、そこで愛想よく如才なく振る舞うことが求められる。

 

…こういうのだと生活水準としてはどうだろう。

2019-12-12

離婚しなかった母が離婚を勧める

小学校授業参観で、母一人だけ老けていて嫌だった。

10年の差婚のため、父は老けていて初老老人に見えた。

そんな両親は不仲極まりなく、母が最初に手を上げてやがて耐えきれなくなった父が対抗する、

私は玄関ベランダの外に出される、かばんを捨てられる、

かなりの頻度で包丁を振り回されるという状況だったけど、両親は離婚しなかった。

父が亡くなってからしばらく経つと母は少しだけマトモになった。

手は出さなもの口論の多い夫婦仲を知らないにも関わらず、

母は離婚したらと言ってきた。ひどい毒親でもちゃん子ども本音はわかってる。

けれど、いくら第三者からアドバイスを受けても、大半は別れるという選択肢はない。

一番ひどかった平成元年の冬に戻って母にいいたい。

お父さんと離婚しないの? 私はパパと暮らしたい。




たぶん、令和5年頃に、このままだと娘にはっきりと同じことを告げられるだろう。

いくら学歴が上がっても努力しても、デジタル家電進化しても

毒親子どもを産み育てる不幸の連鎖は止まらない。

2019-11-28

クチャラーの親はクチャラーなのだろうか?

小学生の息子の同級生友達を家に招いて食事会を開催したんだけど、招いた友達の一人が酷いクチャラーだった

とても不快だったんだけど、角が立つし注意はしなかったんだけど、なんだか凄く腹が立った

きちんと挨拶するし身なりは清潔感あったからそれなりの家庭だと思うんだけど、何故にクチャラーに育ててしまったんだろうか

授業参観では残念ながらご尊顔を確認しなかったから、いずれはどんなツラしてるかみて、心の中で罵倒してやるんだ

2019-11-25

小1の息子がちょっと

口癖は抱っこして。

インフルエンザ予防接種ときに抱っこをせがみ、保育士に苦笑される。

夜は毎晩お父さん一緒に寝ようと言ってくる。

授業参観に行ったら、授業中ずっと指を舐めてるか、鼻くそほじってる。

休み時間に指舐めてんじゃねーと言ったら、隣の女の子に息子君ずっと指舐めてると告げられる。

授業中、先生が話してる教科書のページが分からず、先生にそっと教科書めくられる。

後片付けに時間がかかり、先生に引き出しを片付けられる。

引き算ができない。足し算も指を使わないと難しい。教えようとしても聞く気がない。

公園遊具に登り下りれなくなる。

美術館に行ったとき入り口の前にある池に足を突っ込む。

とにかく出不精でばあちゃんちに行くとき行きたくないと言い、帰るときは帰りたくないと言う。

運動勉強は苦手で得意なことは折り紙ブロック遊び。

妹と喧嘩ばかりして泣かせたり泣かされたりしてる。

3者面談でお母さんじゃなくてお父さんがいいと言って夫婦仲を険悪にさせる。

かわいいけど不安しかない。

2019-11-21

anond:20191120220832

抽選で決める時点でもう崩壊してる学校なのかな。

誰も希望者がいないって事だから

からガチガチ強制しないと誰もやらないから強制する→だから皆嫌がる、の悪循環だろうか。

うちの子学校場合、以前PTAとある学年全員の親を招集する行事役員やった事あったけど

何だかんだで一学年70人くらいのうち非協力的な親は3人くらいだったと聞いた。

普通にフルタイム共働き親も多い学校だけど(フルタイムでないと保育園入園不可能地域だけど、保育園出身の子多いし)

ホワイト勤務なんだな~と思った記憶

ホワイトでないならフルタイム共働きなんか出来ない、ってだけかもしれないけど。

授業参観も平日でもほぼ全員来てるし(来たら名簿にチェックするのですぐ分かる)。

元増田は他は全員専業主婦と決めつけてるようだけど、実際はホワイト勤務の正社員ママも多数混じってるだろうね。

そういうママからしたら「私は休んでるのに何でお前は休まねーんだよ」ってなりそうだし。

2019-09-16

低学歴の世界外圧・内圧の思い出

昔、田舎公立小学校(といっても地方中枢都市クラス住宅地だが)にいたことがある。

そこで授業参観理科の授業をやることになったのだが、俺は当時からちょっと浮いていて、

まあありていに言えば「少し変な奴」認定を受けていた。



そんな俺だったが、理科社会の授業はほとんど授業は真面目に聞いていなかったがなぜか成績はよかった。

俺は張り切って親にいいところを見せたくて、

先生の「シリンダーを押し込むと、スポンジが外に飛び出ました。なぜですか?」という質問に手を挙げて、

シリンダーが押し込まれたので内圧が上がり、外圧より高くなったからです」と、元気よく答えた。


そのとたん、教室爆笑に包まれた。


どうやらここは、授業で習った通りに『シリンダーの中の空気が押し込まれたから』と答えるべきだったらしい。


俺はなぜ笑われているのかわからなかった。小学生である同級生が、俺のことを笑うのはまだわかる。

だが、授業参観に来ている親のほとんども「何を言っているんだこの子は、バカなんだな」という顔で笑っているのだ!

なぜ笑うのか、まったく分らなかったが、結果としてその日から俺は「少し変な奴」から「バカ」保護者公認格下げされ、

いじめを受けることになった。

今ならなぜ笑われたかわかる。保護者ほとんども俺が言っていることが何となく理解できなかったのだ。

少数の仲のよかった(彼らも異分子扱いだった)友達は笑わなかった。その親もだ。

後で知ったが、仲の良かった友達の親は、大学職員行政書士パチンコ"メーカー"勤務など、

いわゆる高学歴の世界人間だった。

対してあざけりの表情をしていたのは───まあ、土地から察されるだろう。

彼らは、中学受験をして地元コミュニティから去っていった。

そして俺もある時点で地元中学から去ることになる。

もうすでに地元の"おな小"、"おな中"コミュニティとは10年縁切りだ。

大学の時は「大卒以外は人間とは思ってはいけない」などという傲慢な考えにとらわれたこともあった。

社会に出て、高卒でも俺より知識技能もあるおじさんに揉まれて、

一概に括れるものではないということも分かった。

だが、たまに。

時々思ってしまうのだ。俺の心の中の安全弁が壊れて圧力が上がった時。

低学歴の世界の住人は救えない。関わってはいけない。住む世界の違う生き物なんだ」と。

2019-05-22

体罰必要子供もいること

体罰による躾を肯定した記事を書いた増田ボコボコに叩かれてたのを見て、私も体罰による躾があったからこそ、こうして今がある人間として思うこともあるので、ここに書いておきたいと思う。

はてなには体罰による躾を一切認めない人たちが多い。それについて例の増田じゃないけれど私も疑問を覚える。

その理由は、体罰必要子供も本当にいることを、私は私自身の行動から骨身に沁みて知っているからだ。

幼稚園の頃から私は他人が苦しんだり悲しんだりするのを見るのが好きだった。

絵本でも児童書でも、いじめられてるシーンや恥をかくシーンを見て興奮する子供だった。

何をしたのかはあまり覚えてないが幼稚園の頃から、なんでお友達に意地悪するの!と母によく怒られていたことは覚えている。

小学生とき授業参観の日にクラス大人しい子の教科書を朝にこっそり盗んだ。

後ろに親が並んでるなかで教科書がなくて必死に探して泣き出した子を見て楽しかった。

でもなぜわかったのか、母に家に帰ったら問答無用ランドセルの中を見られてその子教科書が出てきて思いっきり叩かれた。

仕事から帰ってきた父も話を聞いて怒鳴りつけ殴られた。

それが私の受けた体罰最初記憶だ。そのあとから体罰が度々行われるようになった。

あるとき、AちゃんがCちゃん宛てにBちゃん悪口を書いた手紙捏造してこっそり教室に落とそうと考え、その手紙を書いてるところを母に見つかった。

母は号泣して私を殴りつけ父には何度も蹴られた。全身が痣だらけになるくらいで次の日は高熱が出た。

でもそのおかげで「痛み>快楽」の方式自分の中に根付き、他人嫌がらせをすることをやらなくなった。

私物はすべて管理され部屋も与えてもらえなくなったか自由もなくなったことも大きい。

父に自分が行ったことをすべて書かされてから学校に無理やり連れて行かれて、教室先生やみんなの前で読まされたことで、私自身がいじめられる側になり他人に何かを出来なくなったことも影響はあったとは思う。

ただそのすべてで私は私の行動を社会的ルール適応させることを学べたし、犯罪を犯さな人生を歩めた。

両親は私が中学生の頃に、父の兄、私にとっての伯父に当たる人が、女性強姦して逮捕されたことなどの影響で、夫婦関係も難しくなり離婚した(父は五人兄弟だが私が産まれる前にも一人逮捕されている)が、父はその兄と私が似ていると心配していたらしい。

私は女なので強姦逮捕される可能性は低いが、あの体罰がなかったら違う罪を犯してたんじゃないか自分ことながら疑ってしまう。

子供は好きなことをやってしまう。好きなことが社会的に悪いことな場合体罰必要だと感じる。

追記

anond:20190522204053

申し訳ないが反省や後悔はしていない。私がどう感じようと、その人に傷が残っているなら残り続ける。なので意味があるとは思えない。

anond:20190523034025

感情強制なんて誰にも出来るわけはないと思うので、問題なのは私が行為を繰り返すか繰り返さないかだと思う。

そして私は体罰による苦痛リスク嫌がらせで得られる快楽を上回ったのでその行為をやめたという事実がある。

内心の強制は出来なくても行動の強制は出来るということが大切なのでは?

2019-01-31

無敵

インセプションを久しぶりに見た。

一番好きな映画かと聞かれたらちょっと違うのだけど、

今までで一番面白いと感じた映画は、間違いなくこれだと思う。

インセプションには、ロバート・フィッシャーというキャラクターが登場する。

ロバートをざっくり説明すると巨大企業の二代目だ。

彼は初代社長である父親モーリスとの間に、大きな問題を抱えている。

ロバートが幼少期に母(モーリスにとっての妻)を亡くしたとき言葉

「話すことなんてなにもないな」。

やがて寝たきりになったモーリスロバートを呼び寄せ、言ったのは

「お前には失望した」。

父親からのこういった言葉は息子であるロバートの心に大きな影を落とした。

それこそ、夢に出るほど。

あとは映画を見てください。オススメ

自分にもロバートのような経験がある。

私は被虐待児だ。

父親(片親だった)と死別するまでずっと、私はあれに、ありとあらゆる暴力を振るわれた。

身体言葉、それらひとつひとつを浴びるごとに私は呪われていった。

お前はだめだ、お前には学習能力がない、お前はただのペットだ、お前なんかいらない、

お前は娘じゃない、お前は誰だ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ。

私が高校生とき、末期がんであることが判明した。

余命一年と宣告され、ちょうど一年で父は死んだ。

いまわの際に父が言ったのは、「こんなふうに育ててすまなかった」。

……。

は? いやいや、なんだよそれ?

こんなふう? 私のこと?

あんた、死ぬ直前になってまで私を全否定するんだな。

あの言葉によって、呪いは完成した。いまも私は呪われ続けている。

私を突き動かすのはいだって怒りだ。

話がちょっと逸れるけれど、目に見えて不良になるわけでもなく

親に対し逆ギレ出来るのは、ある種の強さなんだそうだ。

私はけして「いい子にするから家に置いて」タイプではなかった。

小学生とき

私は娘じゃないらしいので授業参観にも運動会にも父を呼ばなかった。

そうしたら教師が親を呼んだ。

親に「出てけ」と言われたので本当に出て行った。

そうしたら警察の世話になった。

人生うまくいかないものだな。

もちろん、それができないひとを弱いと言いたいわけではない。

私が根っから変人というだけのことだ。特に強いとも思わない。

話を戻す。

カウンセラーにそのこと、つまり「こんなふうに育ててすまなかった」と、

言われたことを話した。カウンセラー首をかしげた。

「それはそういう手段虐待)を取ってしまってすまなかった、という意味ではないの?」

へー、なるほど、そういう解釈もあるな。

だが死人にくちなしだ。あの言葉の本当の意味など誰にも分からない。

とはいえ、あの言葉真意を知りたくないといったら嘘になる。

できることなら父には生き返ってほしい。

生き返った父に、あれはどういう意味だったのか聞きたい。

だがそれは、ついで。

生き返ってほしい本当の理由は、私がこの手で、あれを殺したいから。

いままで受けた暴力をそのまま返す。

こんなことを考えているから、私もいつか誰かに殺されるんだと思う。

運よく殺されなかったとしても、

がんの家系であることが判明したので、肺がん咽頭がんあたりで、

誰にも手を握ってもらえることなんかなく、ひとりでみじめったらしく死ぬんだろう。

私を殴り続けたあれみたいに。

私はロバートじゃない。

ドリームマシン存在しない。

でも構わない、

私は無敵だからだ。

それにしてもディカプリオはどうして、一緒にいても幸せになれなさそうな女をヒロインにあてがわれてしまうんだろうな。

インセプションもそう。それとタイタニックシャッターアイランド華麗なるギャツビー

2019-01-23

20年近くの自分人生を整理したい。

何となく、今ここで自分人生文章に起こして整理をするべきだと思った。

かなり長い文章になっているかもしれないので、とてつもなく暇で好奇心旺盛な人だけ読んでくれ。

公開する必要性は無い気はするけど、鈍感な私に誰かが何かを気付かせてくれるかもしれないと期待して公開することにした。

とはいえ身バレすると面倒なので所々フェイクは入れさせてもらう。

そして、私やここに出てくる登場人物が、貴方の周りにいるあの人だと勘付いたとしても何も言わず、仄めかしたりもしない事を約束して欲しい。


前置きはさておき、出来るだけ時系列にそって思い出しながら書いていこうと思う。

私は物心付いた頃には母と祖母と一緒に暮らしていた。

この頃は何も知らない純粋子供で、毎日を楽しく生きていた。

母や祖母と一緒にお出かけをしたり、クリスマス誕生日の時はケーキを食べたり、多分その辺の家族と何ら変わりない幸せな家庭だった。

今の私にとってもこの頃の思い出はかけがえのない大切な宝物だ。

でも、この頃から周りとの違和感をずっと感じていた。

母は毎日沢山の薬を飲んでいた。

幼稚園友達は爪が綺麗なのに私だけ真っ黒だった。

それを見た先生ちゃんと綺麗にしなさいと言われて、ちゃんと一週間に一回お風呂に入ってるのにって思った。

私の家は床がゴミで埋め尽くされていたから、夕方テレビで映る綺麗な家や友達の家が羨ましかった。

周りの友達と同じお稽古に通う度に、先生ちゃんと家でも練習しなさいと言われる。でも、ゴミだらけの家でどうすればいいかからいから何もしなかった。

書き出してみると私は何も知らなくて、何も出来なかったのだと改めて実感した。

知らないのは子供から当然だとしても、行動くらいは起こせたのではないかと思う。

もし、そうしていれば私が今こうして整理する必要もなかったかもしれない。

小学校に上がってからはその違和感がより強くなってきた。

いじめにあったからだ。

一部のクラスメイトから臭い、頭の上にフケが積もってると言われ続けたけど、何故自分けが言われているのかわからなかった。

仲の良い友達先生も誰もそんな事を言わなかったから、私が気に食わなくて傷つけたかったのだろうと思っていた。

でも、悪いのは自分だった。

当然だ。一週間も風呂に入っていない奴が同じ教室に居て耐えられる訳がない。

臭いと言われて当然で、それを指摘しない仲の良い人達はあまりにも優し過ぎた。

今思いだしたが、お稽古先の講師でさえ「私ちゃんって、ちょっと臭くない?」と私の影で言っていた。

それでも、この頃の私は皆と同じで、何故か自分だけ不当な扱いを受けていると思っていた。

気付けよ、鈍すぎるだろ。

それか、心の奥底で幼い自分にはその現状を変えられないと諦めて思考停止していたのかもしれない。

結局、そのいじめは学年が上がるに連れて収束していった。

イジメっ子も気付いたのだろう、コイツは訳ありなんだと。

もう一つ、小学校時代に思う所がある。

母が私をアーティストライブに連れ回すようになった。

毎週何処かしらのライブイベントに連れて行かれ、気付いたらファンクラブにも入っていた。

それについてよくクラスメイトと話していたら、授業参観の時にその子の親に「どうしてそんなにお金があるの?」と聞かれた。

私は上手く答えられなかった。何故なら、知らなかったから。

大人お金事情はきっと子供の私には理解出来ないだろうと思って一切考えて居なかったから。

でも、母がお金をかなり切り詰めていたのはわかっていた。

母がその事で祖母に怒られたり、よく家の電気が止まったりするのを何度も見ていた。

働いても居ない母が何故あんなにお金を使えるのかは大人になったらわかる事と思い、考えるのは先回しにしていた。

そして、段々とライブイベントに行く頻度はどんどん落ちていき、一年後には全く行かなくなっていた。

そういえば、何故母に連れて行ったのかと聞いたら、辛い思いをしている私を元気付ける為と言っていたのを覚えてる。

それは違う。きっと私を自分繋ぎ止めて置く為なのだろうと、今の私は思う。

中学時代は素敵な青春を送ることができた。

いじめにあう事もなく沢山の友達純粋に向き合う事が出来て、良い先生にも恵まれてかなり充実していた。

とはいえ、何度か辛い思いをした。

一つ目は学校休みがちだった。

中学の頃になるとちゃん毎日風呂に入っていた。家の風呂が壊れるまでは。

直す為には金と家のゴミ掃除が不可欠だった。

でも、家族全員働いていないし、私は学校生活で忙しく、祖母と母は体を悪くしているので、あのゴミ屋敷を掃除できる人間は誰も居なかった。

から、一番近い銭湯で体を洗わなければならない。

前述の通り、金が無くて毎日なんて行けないから2日に1回だけ通っていた。

それもまた異常だと気付いているから、また臭いと言われて苛められないか友達不快な思いをさせないかとずっと心の底で怯えていた。

たまにどうしても疲れて銭湯へ行けなかった次の日は母と適当理由を考えて学校を休んだ。

ベタベタ臭い身体学校に行けるはずがない。

二つ目友達を家に招けなかった事だ。

休日は仲良しグループの皆の家に行ってパーティをしていたけれど、私だけは人を家に入れられるような環境じゃないから、何とか理由を付けて断っていた。

友達は行きたいのにと少しはゴネていたけどすぐ引き下がってくれた。

本当は皆と同じように自分の家に人を招いてパーティをしたかった。

"皆がしているから"じゃなくて、皆が楽しそうなのが羨ましかたから。

三つ目は身バレするので詳細は書けない。

言えることは、母の衝動的な行動によって私の心が大きく傷ついた事だけ。

今まで点と点だったものが線になったのは高校の時。

きっとここまで長ったらしい文を読んでくれた人の何人かは気付いているだろう。

私の母は呪われている。

急にファンタジー要素が入ったと思うかもしれないが、ただのフェイクを交えた言い回しだ。

具体的な呪い名前が浮かんだとしてもそっと胸の中に閉まっておいて欲しいし、詮索は控えてくれ。

きっかけはふとエゴサしている時に、SNSで母を探しているといった投稿を見かけた時。

名字名前普遍的から違うだろうとは思ったが、読み進めていくと自分の母の事だとはっきりわかった。

何故あの時あんなに金があったのか。

答えはそこら中の金融機関や知り合いに借金をしていたから。

そういえばと思い、ポストを見ると弁護士から封筒が沢山入っていて内容は全て借金

私があの頃楽しめたのは母が返せもしないのに人から金を借りたから。

裏切られた気分だった。

今まで家族とは絶対的な物だと思っていて心から信頼していたのに。

世界が崩れ落ちたような気がした。

からといって、問い詰める勇気は無いし、その後の居場所が無くなるからととりあえずは様子見する事にした。

そして、その数週間後母の友人から相談が来た。

「母が私の部費が足りないかお金を貸してくれと言われた。どうすればいい。」と。

例年同じ時期に部費を徴収する習わしで、顧問に言われる前からわかっていたので予め母に伝えておいた。

流石にきちんと取っておいてくれているだろうと信じていたから、徴収する前に母とちょっと良い外食をしたり買い物をしたりした。

でも、そうしなければ余裕で払えた額を借りようとしていた。

母は何の計画性も無く、後の事なんて一切気にしない人間だと気付いた。

それから、別の母の友人から相談された事もある。

「母が金を返さない。問い詰めればその場しのぎの理由を作りだしたり、逆ギレする。」と。

その人への申し訳無さと母に対する呆れしかなかった。

そういった出来事がいくつか重なった後、母は自分呪いについて初めて打ち明けた。

そして、今まで悩み苦しんできた出来事根本的な原因は母にあった事に気付いた。

とはいえ、私は母を悪人だと、巷でよく聞く毒親だとは思わない。

ただの他人迷惑をかけ続けて生きる種類の生き物だと思った。

生きているだけで周りの人間を不幸にする生き物なのだと。

からといって、今すぐ縁を切れるような状態では無いから、それなりに努力しなければならない事にも同時に気付いた。

このような出来事が立て続けに起こる度に、今までぼんやりとしていた輪郭がはっきりしていくかのような気分だった。

私の家は異常なんだ、人と違うのだと。

そう気付いた瞬間、心にずっとあった霧が晴れた。

でも、霧が晴れた先に見えたのは茨の道だけだった。

自分は人と違うから人と同じようにレールに乗る事は出来ない事がわかった。

自分は人よりも辛い思いを乗り越えて生きなければならない人間だとわかった。

それに絶望して私は何もかも出来なくなり、高校不登校になった。

幸い環境に恵まれていたか卒業は出来たけど、かなりギリギリだった。

今は何となく無気力でぼーっと生きている。

一回精神病院に行こうかなと思った事はあるが、別に頭痛もしないし健康体だから行かなくても良いかなと思う。

とはいえ、やりたい事は沢山あるし、その為にやるべき事も頭の中ではっきりわかっている。

から、もうウジウジ悩んで足踏みするのを辞めようと思い、この文章を書く事で全て自分の中で終わらせる事にした。

実際問題は何一つ解決しないけれど、一度何がしたいか、どうするべきかを自分の中で明確にさせる為に、一度全て振り返って決着を付けたかった。

そして、私は決めた。

もうこの事で悩まないと。

暫くはそういう事が付き纏う人生を送らなければならないけど、これは私の人生から絶対にその邪魔はさせないと。

努力して、ゆくゆくはそれを全て消し去ってやると。

これでもう全て終わりだ。

追記➝沢山の人が読んでくれて凄く嬉しいけど、まさか創作扱いされるなんて思わなかった。

それくらい私の人生普通の人とかけ離れた物なのだろうと改めて自覚させられた。

からといって傷付いた訳では無く、もっとこの現実味の無い人生を大切に楽しんで生きていこうと思うよ。

2019-01-05

全校生徒数1人、飛島中学校ホームページ面白い

毎月発行される学校だよりをホームページで読めるのだけど、唯一の生徒「Aくん」の活動報告と化している。

例えば学校だよりの第1号なんか、時候あいつのあと、「さて、Aくんの義務教育も残すところ1年となりました。」なんて文から始まるのだ。

全校集会授業参観、持久走大会など、通常の中学校で行われるイベントも大抵行われている。

でも授業参観ではAくんとその両親の早解きレース、持久走大会では島の郵便局員なんかも呼んでいっしょにレースしている。

かにも、国際交流でAくんがアメリカ短期留学したり、合唱コンクール本土中学生と一緒に出たりしている様子がわかる。

こんな中学生活にも憧れる。

2018-12-03

anond:20181203102614

授業参観の時に「好きなものを紹介しよう」ってのがよく掲示してあるんだけど

アニメ(低学年なら普通の子アニメだが高学年だと深夜アニメだったりする)紹介する子が

1クラスに低学年なら数人、高学年なら1人くらいいる感じだった

妙にオタクっぽい絵描いてたりして将来黒歴史になりそうだな…と思う

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-09-27

anond:20180927131156

授業参観学校行事夫婦そろって参加するんだけど人前では会話すらしない人たちが

家ではメッチャ激しくセックスしてると思うと興奮するな

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