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2024-08-04

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2021-04-04

anond:20210404101727

そもそも網野自身が「国民物語」を必要と考えていたってのも疑問だし

疑問どころか、網野氏の史観は「国民物語」との格闘の結果と言ってもいいくらいだよ。

それが形を変えて「日本とは何か」や「天皇とは何か」に繋がっていく。

この辺は最晩年の対談集「日本をめぐって」の最終章小熊英二との対談でかなりあけすけに語っているので、是非。

https://www.amazon.co.jp/dp/4062110237

国民歴史学運動については、同じく小熊英二の「<民主>と<愛国>」の第8章に詳しい。

あと呉座氏や亀田氏が、ベタに「国民物語」を希求している訳はないけど、トータルヒストリーの語り口としての「国民物語」に、関心がないはずはないと思うんだよね。

いずれにしても、歴史家はそう単純ではないと思います

2020-09-22

ジョブ採用になると東大進振りを維持できない

ビジネス界ではジョブ採用バズワードになっている。

なんでも屋としての総合職ではなくて、専門家として人を雇うやり方だ。

メンバーシップ雇用と言われる日本とは違い、アメリカヨーロッパではジョブ雇用一般的だと言われている。

採用時に仕事内容が決まっていて、仕事内容に対して給料が紐付けられている。


日本でも医療世界ジョブ採用で、医学部を出たら医者仕事に就く。

医者として採用された場合医者仕事だけやって、総務や経理に回されることはない。

年功序列というものは薄く、転職したら給料が下がるわけでもない。


ジョブ採用場合学校で学ぶ内容と仕事が密接な関係を持っている。

小熊英二著『日本社会のしくみ』に詳しくあるが、欧米だと、経理の人を募集する場合経理学士または実務経験3年以上とかが条件になる。

日本みたいにポテンシャル学部関係なく採用するわけじゃない。

から、当然、大学で何を専攻するかで就ける仕事給料が大きく変わってくる。

一流大学を出てても、「食えない」分野だとタクシードライバーしか仕事がないとか普通にある。


日本場合日大医学部を出て医者になると、多くの東大生よりも高収入になる。

医者より稼げる東大卒は少数派だ。

日本ジョブ採用になった場合、これと同じことが全学部で起きる。

まり日大経営経理(あるいはその他の「食える学問」)を勉強した人のほうが、東大哲学歴史学勉強した人より、高収入になるってことだ。


東大入試は科類別で、何を専攻するかは入学後に決まる。この制度が維持出来ているのは、どんな専攻に回されたとしても、東大卒ポテンシャル評価されて、就活でもその後の人生でも、大きく不利にならないからだ。

しかし、ジョブ採用になれば、何を専攻するか次第で、東大卒収入社会的地位が、日大卒よりも低くなるのである

そうなったら、入学後に専攻が決まるなんて悠長なことはできなくなるだろう。

今の大学制度全体も、メンバーシップ雇用を前提として組み立てられていて、ジョブ雇用にするならば、産業界だけでなく、大学などの教育機関も大きく変革することになるだろう。

でも、そんなことは無理だから、この先もメンバーシップ雇用と、就活する年に不景気だと人生終了氷河期世代理不尽永遠に続く。

2020-08-10

anond:20200810122723

追記ありフェミニストによる「一人一派実例

このフェミニストを騙る輩は無知なのか歴史修正主義者なのか。

自分観測範囲ではそもそもフェミニスト自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニスト自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
フェミニストの中で明示的に「一人一派理論採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である

フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)上野千鶴子×田房永子上野先生フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)

フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年感想

フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )

上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミ批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?

そしてこういった汚れた輩から高潔フェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます

追記

あなた理解力が著しく欠けているので、質問義務教育を終えてから。まずは学校勉強に専念しましょう。

第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。

これらは全部あなた観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。

第一に、上野氏ほかの主張は彼女自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。

総意なんて存在しないもの議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分正当性固執するあなたの姿は醜い。

自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくま最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うからフェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。

あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます

「ザ・フェミニズム」p.303(上野によるあとがき)

第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だってわたしわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。

トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)

一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。

Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載

でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者アクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性男性と同等の権利尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミ一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。

大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2

フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。

プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明

論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236

204 ページ

フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口フェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという

ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7

文字数制限で略)

上野千鶴子氏の社会活動に関する Wikipedia記述

上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワークWAN理事長古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究フェミニズムのツールです」と自身研究運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹上野自身運動不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市批判し、研究者且つ社会運動である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。

2020-01-06

anond:20200106133050

そう思う。

小熊英二の本、例えば「社会を変えるには (講談社現代新書)」とか読むと、そういう空気になっている理由が書いてあるよ。

あと、個人的に、教育課程で、個人意見ユニーク意見尊重しつつ議論する、という力が削がれているから、こうなっていると思う。

2019-10-02

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2019-08-22

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クラス 猪瀬直樹坪内祐三中沢新一御厨貴橋爪大三郎鷲田清一北岡伸一池田清彦中西輝政立花隆山本七平宮台真司桶谷秀昭宮崎哲弥司馬遼太郎古田博司市川浩東谷暁苅谷剛彦秋山駿関岡英之加藤尚武浅羽通明松原隆一郎東浩紀

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クラス 糸井重里加藤典洋中上健次勢古浩爾北田暁大藤原和博小熊英二佐々木俊尚西條剛央玄田有史城繁幸茂木健一郎岩田温千葉雅也、岡田斗司夫

クラス 小林よしのり宇野常寛勝谷誠彦荻上チキ鈴木謙介勝間和代伊坂幸太郎濱野智史赤木智弘坂本龍一いとうせいこう上杉隆酒井順子

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2018-12-19

anond:20181218071938

10年くらい前に何かの雑誌で読んだ小熊英二雨宮処凛の対談の中で

若者デモに参加すると他のデモへの参加を促されるので定着しにくい、みたいな話は出ていた。

例えば労働問題に関心があってデモに参加すると年上の参加者から原発問題に関心はあるのか?基地問題はどうだ?憲法は?」と迫られるみたいな具合。

かなりうろ覚えなので違っていたらスマン。

2018-10-10

anond:20181010083204

なんか新人は大変そうだなって。

年いったら年功序列が良くて若い頃は成果主義がいい、でも自分業界では年功序列会社ばっかり、みたいに思わないのかな。

私がその増田で話していたのは「著書」の話です。ふつう論文ではない。著書を出してる時点で既に何本か業績があるのは前提。

そんなん常識だろって思って文系キャリアパス説明しなかった私も悪かったと思うので詳しく説明します。分野によって違うけど、私の分野では、

院生時代査読つきも含めて論文を何本か出す→博士号取得→前後して博論を元にした著書を書く

というのが「最初単著」に至る流れです。

さて、学術書というのは分厚いですね? 基本的文系学術書というのは論文を何本も積み重ねてようやく書けるサイズのものです。というか博士論文の時点で学術書として出版できるくらいのボリューム要求されたりします(まあここは院によりますが、しかし薄い博論学位を取れたとしてもそんな論文は本として出版できないかマイナー出版から出版するほかないので、評価されるちゃんとした書籍を書こうと思ったらめっちゃ書き足す必要があったりして、要するに「書籍出版」を業績とみなすのも故なきことではないのです)。なので、実質的論文を何本も書いたことがないと単著なんて出せません(私の院では、博士論文の提出に際して既発表の論文数などは問われません。なので発表した論文ゼロ状態博士論文を提出することも理論的には可能なのですが、実質的にそんなの無理です。私の周囲の博士号取得者は何本も論文書いた上で博士号獲ってます)。

まり単著出してる時点で論文デビュー済みのことが多いわけです。

(ちなみにこの辺は国によって違ってて、日本だと博論は既発表論文を寄せ集めて書いても問題ないけど、たとえばドイツだと博論に既発表の論文を組み込まずに書き下ろす必要があり、なおかつ博士論文には出版必須なので、ドイツ最初単著を出した人のその時点での業績は日本基準では少なかったりします。そのへんの話はこちらのまとめを参照→https://togetter.com/li/9904

もちろん、最初の著書が新書です、みたいな人もいます院生時代研究成果をもとにした新書書いて、そのあと博士号取って分厚い単著しましたみたいな(『パンダ外交』)。むっちゃ分厚い修論書いてそれを単著にしちゃう猛者もいます小熊英二)。ただそういうのはレアケース。また、博士号取得→別のテーマ単著出版→その後に博論に基づいた単著出版という流れもありえます。こっちは割とよく見るかな。講談社選書メチエの『湾岸産油国』とかそうじゃなかったっけ。

んで、良い論文を何本も書いたり、単著出したりしてると、インテリ向け商業誌とか権威のある学術誌とかからお呼びがかかります。「お前、うちの出版社が出してる商業誌に書いてくんね?」とか「お前、うちの学会で今度組む特集号に書いてくんね?」って感じです。これが例のセンセが言ってた「招待論文」。「依頼論文」と呼ぶ業界もありますね。当たり前ですが、程度の低い研究ばっかりしてると呼ばれません。

査読がなくても良い論文が有り得るってのはそういう意味です。最近だと院生向けの紀要にも査読つきが増えてるけど、そういうマイナー誌の査読論文よりも商業誌に載った論文の方がよく読まれていたりする。当たり前だけど紀要の無査読論文とかよほど内容が良くない限りめったに読まれませんし参照もされません)

要するに、昔はどうだったかは知りませんが、最近では査読誌の論文新人登竜門として使われ、ある程度実績が増えると査読なしの論文を書く機会が増える、というのが私の周囲での割とよくあるキャリアパスです。それまでの実績がない若い人にも当然チャンスはあります

2018-10-09

anond:20181009025322

しがない人文系研究者だが、被引用数ってどうやって数えりゃいいの?

以前、英語論文ネットの片隅に載せたんだよね。査読つきのやつ。そうしたら外国の人から引用された。1回は英語査読誌で、まあこれはいいとして(しか引用されても別に俺に通知とか来ねえんだよな)、残り2つは、ヨーロッパのそれぞれ別々の国で発行された論文集に載った現地語の論文。私が執念深く自分研究と直接関係のない国での研究まで調べてなければ気付かなかった(イタリア研究者ポルトガル語論文見つけた感じだと思って。もしくはイギリス研究者ノルウェー語の先行研究見つけたみたいな)。うち1つはネットにアップされてないやつを現地の書店ゲッツしてようやく引用されてることを知ったレベル

文系で被引用数とか本気で数えんの無理っすわ。そういうのを評価対象にするのは理系の皆さんだけで頑張って。

後の査読なし論文、著書の執筆、講演、紀要などはレジュメの賑やかしでしかない。無価値

文系では、日本語だろうが英語だろうが、博士論文を著書として出版したり、既発表の査読論文をまとめて+@して著書として出版したりすることが普通にあって、それは業績としてカウントされるわけだし(英語圏でも既発表論文継ぎ接ぎの不格好な著書なんて普通にあるわボケ)、なんなら日本学術書海外翻訳されて海外研究者に読まれたりしてるわけですが、そういうの全部スルーですか、そうですか。

柄谷行人世界史構造』の英訳https://www.dukeupress.edu/the-structure-of-world-history

小熊英二『〈日本人〉の境界』の英訳https://www.amazon.com/Boundaries-Japanese-1818-1972-Inclusion-Exclusion/dp/1920901485

お前の分野のローカルルールを他分野に押し付けるのやめよう、な?

2018-10-06

最近話題になった社会学者

2018年に100ブクマ以上を集めた記事の著者だったり主役であった社会学者

URLを一杯貼ったら記事投稿できなかったのでURLはないが、名前の下は記事タイトル

女性学

千田有紀

社会学者千田有紀キズナアイ批判の悪質な印象操作日本社会学惨状に対する、社会学者太郎丸博氏の危機感表明

牟田和恵氏

社会学者牟田和恵氏、LGBTラノベ表紙を殺人と入れ替えて青識亜論に噛みつくも炎上 

痴漢が生きやす社会、なぜ SNSで「し放題」投稿

永吉希久子氏 

ネット右翼検証、新たな存在も 東北准教授ら、8万人アンケート

上野千鶴子

フェミニスト上野千鶴子「不利なエビデンスはもちろん隠す、それが悪いことだと思ったことは無い」

河合薫

無責任なヤツほど出世する残念な職場の正体

男性学

田中俊之氏

「『女性のほうが賢い』は新たな女性らしさの押し付け男女差別問題社会学者が指摘「おじさんを叩いて批判した気になるのは危険

岸政彦氏

「街」を歩き、声を聴く――『沖縄アンダーグラウンド』(講談社刊行記念対談 岸政彦×藤井誠二

橋本 健二氏

格差貧困に背を向けた結果、日本は「階級社会」に突入していた

小熊英二

(論壇時評)福祉の逆説 充実を支持する層は 歴史社会学者小熊英二

女性研究者仕事AIには奪われない

女性研究者思考回路筋道立てて正解に至るAIでの再現性は期待できそうもない

https://anond.hatelabo.jp/20181006184120

2018-04-21

法律に詳しくない法学博士別におかしなことではない

三浦瑠麗の件。

https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/

東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。

なんか「法学博士なのに法律知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。

まず、日本大学の多くでは政治学法学部で教えられている早稲田大学明治大学には政治経済学部があるが、東京大学京都大学慶應義塾大学北海道大学名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。

まりそれらの大学政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる学位も「博士法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学たからといって法律教育を受けているとは限らない。

なので、法学」の学位を持っている人が全て法律専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治研究者かもしれないし、ドイツ近代史研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。

学部学位名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学哲学心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、博士文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学知識がないのに「博士文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本大学学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士法学)」も同じことだ。

もちろん、デタラメな法知識知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人twitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗擁護余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。

だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。

あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。

なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。

2017-11-01

anond:20171101111939

古市の出した本で「日本代表する社会学者」とされている12人。

小熊英二佐藤俊樹上野千鶴子、仁平典宏、

宮台真司大澤真幸山田昌弘鈴木謙介

橋爪大三郎吉川徹、本田由紀開沼博

「『社会学』という学問分野ごと葬り去っても誰も困らないのではないか」と思える。

2016-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20160630165732

当たり前じゃん。戦後日本最初に「愛国」と「ナショナリズム」という言葉を使って政治活動したのは、日本共産党だよ?

小熊英二民主愛国』って本読んでご覧よ。

2016-03-20

ショーン・マクアードル川上 ラストコメント書き起こし

報道ステーション 2016年3月9日放送より


保育園落ちた…」で直訴”2万7000人”の署名大臣



保育士給与は全職種の平均より10万円ほど低い。

保育士不足は慢性的で来月には結婚出産理由に4人いなくなる。

新たに確保できたのは一人だけだという。

園長言葉

保育園は作ったが保育士がいない

これは大きな問題ですよね。

国を挙げて、県を挙げて、市町村を挙げて、取り組まないといけないでしょうね。



(VTR終了)

古館

ショーンさんね、あのー、切実な声として直接大臣に訴えた方々なんていうのは、

たとえばですよ、今後、今、政府が言っていることは、ある程度仮に、楽観的に、

その手当が進んでいったとしたって、あぶれる方々ですよね

ショーン

そうですね

古館

いま、急には救われないから

ショーン

そうですね、ええ

古館

これ、緊急措置必要なくらいだと思う

ショーン

テロップ差し込み)

企業戦略コンサルテンィグに従事/テレビラジオ経済番組に出演多数/

経営コンサルタント ショーン・マクアードル川上

そうですね、もう、喫緊課題の解決ってことと、これから、中・長期で見た時の解決って

やっぱり、変えてく必要はもちろんあると思いますけれども

あのー、直近で、私も、一億総活躍加藤大臣とですね、あるシンポジウムとご一緒させて

いただいて、

あのー、この一億総活躍とは、ということで、あのーホームページにもですね、出てるんですが

その、社会的包摂という言葉ですね

古館

ああ

(「社会的包摂」と書かれたフリップを上げる)

ショーン

あの、政府も使っているわけなんですね。

包摂って耳慣じみがあまり無い言葉かと思うんですけど、

ようは、その、年齢や性差や、あるいは障害難病を抱えてらっしゃるかた

あるいは、失敗を一度経験した人も社会に取り込まれる、

取り込まれて、活……、一緒になって参加できる、活躍できる社会を、ということで

包摂」という言葉が使われているんですけど

この保育の問題も、包摂的に解決してゆかないと、なかなか一点改革では難しいのではないかと

いう気がいたしま

あのー、保育所の数を増やすというのももちろん、重要ではありますし、

一方で保育士労働環境、あるいは条件を改善するというのもそうですし、

あるいは、その、保育をする、育児をする方々が働いてらっしゃる企業側も、

あるいは自治体も一緒に改革しないといけないと思うんですけども。

古館

ああ、ああ(何度もうなづく)

ショーン

私、企業現場にいると、企業側も、もっとできることはあるのかなという気はするんです

古館

あっ

ショーン

やっぱり、その、育児休業の制度を持っている、規定を持っている会社でも、やっぱり

育児休をとれている人は40%と、規定のない会社だと5%未満ということもありまして

なかなか思い切って、その、育児にといくのは、なかなかいかない

で、企業から論理からいきますと、これ、コストとかって、託児所作るのは非常に

コストがかかることだと。

え、休業の間にも給料を払うのも、コストだと考えがちですが

古館

はい

ショーン

そういう労働環境のある会社というのはい人材が集まってくるんですね

古館

うーん

ショーン

したがって、いい人材が返って集まってくる、リターンのことをしっかり考えて

そして、介護問題も非常に大きな問題があって

古館

まったく底通してます

ショーン

そうなんですね、介護なんていうのも、今240万人といいますけども、

働きながら介護に行っている、その中で7万人弱ぐらいの方が、いわゆる介護休業

というもの取れているということなので

ま、このあたりのことに対して、もう、本当に、一体に、包摂的に解決をしてゆく

という覚悟

古館

(「社会的包摂」のフリップを置きなおす)

ショーン

本当に必要時代になったなという気がしま

古館

本当にこれ、私の大反省なんですけどね、いろいろ調べてみると、このノルウェー

はじめとして、各国で、

ショーン

はい

古館

もう、全員が、保育所の入ることができているところは、根本的に給料いいわけで、

ショーン

はい

古館

なぜ、給料がいいかっていったら、教職員先生と同じ、基本。

なぜかって言ったら、教育立場にある職だと

ショーン

うーん、はい(大きくうなづく)

古館

でも、日本場合だと、福祉である

ショーン

うん

古館

から私なんか考えてみると、ついこないだまで、子供の面倒をみてくれる人、保育士さんは

で、子供と遊んでくれる人。

そんな考えだったら、これ、今と待遇変わんないって

ショーン

そうですね

古館

もっと根本的な保育士さんの仕事のありようということを

ショーン

そうですね

古館

理解しないと、本当に、社会的包摂フリップをあげる)

ショーン

そうですね

古館

から、それぞれの立場で、深さ深さ含めて、全部を理解しないと

ショーン

はい

古館

だめですね

ショーン

そうですね

古館

一点突破は無理なんですね

ショーン

そうですね、もう、全体で、考えてゆく必要絶対にあると思うし、

私はもう、何度も申し上げておりますけど、あの、企業だけではないです、

ただ、企業の中でも大企業の中で、非常に大きな企業ではやれていることだけども

日本の95%以上の産業構造を支える中小零細企業ではまだまだ、それは難しいよと

古館

(おおきくうなづく)

ショーン

そのあたりの格差是正させていく、ということは非常に必要なことだと思います

古館

いやあ、本当ですね。そしていま、ふと思ったんですけど、次のニュースにもこの

フリップあげる)考えがすごく重要だなと思いました




「NEXT 広島中3男子自殺 父親が思いを語る」


------

自殺した広島 中3男子の父「自分を責めることも…」

(VTR終了)

古館

ま、このことを本当、今後のために教訓にしないといけない部分もあります

ショーン

そうですね

学校の責(せき)は本当に大きいと思います。本当に、まずは非行歴に関する事実確認ということでも

これは文字通り、致命的な不備があったということ。

それからこの非行歴が仮にあったとして、いかなるその、進路への影響があるのか、

ことの重大さが分かっていれば、もっと慎重に、かつ丁寧な対応、態度がとれたはず、という

こともあるんですけど

古館

はい

ショーン

やっぱり、その、教育現場ということはありとあらゆる可能性を排除しない、

ありとあらゆる、その、選択肢排除しないというのが教育現場ではないかなと

思うんですよね

といいますのは、もし、仮に非行をしていたとして、もしそれが専願できなかったと

したらだったらこういう道もたくさんあるんだよって、

えー、落ちないでね、ということも言えたはずです

それから、その言葉を受けた子供がどういう印象や心象を持っているのか、という

選択あるいは可能性ですが、

ある子供にとっては死というものは、ある問題の解決の方法手段として身近にある

かもしれないというところに対する、想像力というもの

古館

はい(やや話をせき止めるかのように)

ショーン

はいえ、ま、いかなる問題の解決にも、死の選択はあってはならないという社会全体から

の支えというものが私はなにより重要かな、というのは思います

古館

ああ、そうですね。いま、ショーンさんがおっしゃってくれた前半部分でいうと学校側に

必要なのは寛容さだと思うんですね

ショーン

そうですね、ええ

古館

今回は、間違って万引きしたと

ショーン

そうですね

古館

いうことになっちゃったんだけど、それ以前の問題として

このケースじゃなくって

ショーン

はい

古館

仮に中一のとき、一回こっきり万引きしちゃった子がいたとして

ショーン

はい

古館

それを時間をかけて

ショーン

うん

古館

教育していって、反省しているとか、そういううことになった時に

なんで、願書とか、あの、内申書なのか

ショーン

うんうん

古館

推薦状だか知りませんけど

ショーン

はい

古館

そういうところにもっと寛容さを持ってね、いい事を書いてもらいたいと思います

一方で、その先生と親っていうだけじゃなくて、その以外に、なんか煮詰まったと

とき相談できる相手というのが

ショーン

そうですね

古館

社会存在すると

ショーン

そうですね

古館

さっ、と救われますよね

ショーン

そうですね。社会全体が子供の駆け込み寺になっていなきゃいけないというのも

そう思います

古館

いまのありようがまったくそうじゃないから。痛切に感じますね。

ショーン

そうですね

古館

いろんなことが世知辛すぎて

ショーン

うん、はい

古館

ねえ、優勝劣敗の競争社会ということが強くなりすぎて

ショーン

そうですね、うん

古館

(正面を向いて)次、参ります

「NEXT 米。共和党 トランプ氏 新たに勝利 勢い止まらず」

(略)

人口知能はどこまで進化? 囲碁の”世界最強”に勝利」



「対局前、イ・セドル九段言葉

イ・セドル九段

「私は負けるかもしれないが”碁の価値”がなくなるわけではない」

コンピュータは”碁の美しさ”を理解しているわけではないからだ」

スタジオに笑い声で入る)

古館

敗北を予期していたんでしょうかね

女性アナ

囲碁界での魔王と呼ばれているイ・セドルさんです、ふふふ

古館

ああ、そうですか。ショーンさん、ちょっとどうですか、このAI

ショーン

はい

古館

台頭ぶりは

ショーン

そうですね、AIといえば、AI脅威論というのが必ずでてくるわけですけど

古館

はいはい

ショーン

AIというのは人工知能で、目的を与えれば最前の策を得……、出してくるのが

AIなんですけども

古館

ええ

ショーン

勘違いしちゃいけないのは、目的のものは持つ……持ち得ないですから

人間のですね、あの、能力を全部を置きかえるみたいな話があります

古館

ええ

ショーン

それは安心してくださいということで、いつも申し上げてます

古館

そうですか。やっぱり立派です。僕なんかはすぐ飛んじゃうんですよ。

AI感情を、人工知能感情もっちゃってって

ショーン

はい

古館

また、すぐ、その大丈夫なのみたいな

ショーン

大丈夫です。AI目的を設定するのが人間、であります

古館

あくまでのそれは大丈夫なんですか

ショーン

大丈夫です

女性アナ

人間AI支配されるということは

ショーン

映画世界では必ずそれは出てきます

女性アナ

出てきますよね

ショーン

ま、これからITは、もう、AIと物のインターネットIoTと、それからロボティクスと

三つですので。これからの動きは、非常に、こう、え、注視していますはい

古館

そうですか

ショーン

はい

古館

でも、今の話を聞いてまた納得しかかったのだけど

ショーンさん自身AIという可能性だってあるわけでしょう

ショーン

(苦笑)

女性アナ

(苦笑)その可能性はないかと

古館

そこは疑心暗鬼にならなくてはだめでしょう

女性アナ

ないです、それは

古館

ないですか、はい、わかりました

(正面を向いて)じゃ、気象情報のほう。AIじゃない林さん、どうぞ。

---

震災から5年”復興”の現実 見直せぬ事業と町民の願い




古館

うーん、これはショーンさん、重いお話だと思うんですね

何の、節目でもありませんよ、と。

われわれメディアが、五年たったとか

ショーン

うーん

古館

仰々しく言いますけど、やっぱ、地元の方々、現在進行形で行きつ戻りつですもんね

ショーン

そうですね。まさに、折り返し地点にも至っていないとおっしゃっておりましたけど、

これ、どこにむかって、どういう復興デザインを描かれているということ自体

住まう方々にとってもわからない状況だと思うんですよね

古館

うーん

ショーン

やっぱり、今見て、私たちがこうやって見るのは、グレイ灰色の復旧のほうで

まさに地方創生なんて言葉がありますが、それこそこの東日本、あるいは被災地

まずは適用されて、復興、その、本当の意味での住まい産業や、雇用を含めた、あの、

新しい何かが生まれてくると、そこに適用されて

やっぱりそのデザインが見えないという中で、これからどこにどう向かっていくのか

ということをまず、皆さんで共有されるという

古館

そうですね

ショーン

これが一番重要かなと思います

古館

それぞれみな違いがあると思いますし、あの、それこそ今日朝日新聞

慶応大学教授小熊英二先生が書かれていましたけど、

これは、高度成長経済ときだったら、もう、道路作るも

ショーン

はい

古館

なにもふくめて、環境を整備する

ショーン

ええ

古館

たとえば災害に対する激甚災害だって、古い法律から、まず、道路作る

復旧させるというのが第一義になっている。これはいいだろう、と。

ショーン

はい

古館

しかし二十歳の時の処方箋と、六十歳になった処方箋が違うんだから

ショーン

うんうん

古館

やっぱり、直接被災者への支援ということを反面で考えるべきだと

ショーン

はいはい

古館

インフラ整備も重要だけども、ピカピカの町を作ったらゴーストタウンだったなんて

ショーン

そうですね、ええ

古館

まったく皮肉なことになると。だから直接支援ってことを考えたら

ショーン

ええ

古館

それこそさっきのAIじゃないけど、年齢とか考えとか個々にあわせた形、

内陸に住みたい方、そうでない方

それでそれぞれの何か支援というものを出して

やっていくとか、その、とんでもないぐらい、とっぴなことすら考えないと

ショーン

うん

古館

なんか一様な感じじゃだめな感じがする

ショーン

そうですね。とにかく今は自治体で全体で本当に予算組み、消化で終わっている

気がしま

古館

そうですよね


所感

ショーンさんは相槌が非常にうまい。非常に小気味よく、若干早めにうなづくので、台本かもしれないが、古館さんはとても話しやすそう

 経済番組で何百人もインタビューしてきたのは伊達ではないのだろう

保育士不足問題で、さりげなく大臣シンポジウムで会ったなど、威光効果を発揮するような発言を入れている

・具体的数字積極的に出すことで説得力を増そうとしているように思える

保育士不足の話で、社会的包摂対象として「失敗を一度経験した人も」といれているが文脈上やや突飛。今となってみては気になる。

 その後の中3自殺事件のことが念頭にあって、先にテーマを入れてしまったとも取れるが。

・中3自殺事件では、そもそも事件のものが無かったという点が問題なのに、「仮に非行をしていたとしても」と、

 微妙問題となりそうな話の流れを作っている。ここも今となっては、どういう思いでの発言か気になる。

古館さんのコメントは、ショーンさんよりさらに薄い。無味なニュースに、時にはべらんめい口調や、いかにも同情してます

 といった抑揚で、無理に「感情」を付与しようとしているようにも見える。

古館さんのAI下り冗談はあまり面白くないが、その後のショーンさんのことを振り返ると皮肉にさえ聞こえた。

・なお、この日、巨人高木京介野球賭博に関する謝罪会見が長々と番組で放映された。ショーンさんはどのような気持ちでこれを

 見ていたのか、想像力がかきたてれられた。

2015-11-13

「今、民主主義について考える49冊」から除外された本

書名著者
SEALDs 民主主義ってこれだ!SEALDs
時代の正体神奈川新聞時代の正体」取材班
右傾化する日本政治中野晃一
社会を変えるには小熊英二
デモいこ!TwitNoNukes
私達は"99%"だ「オキュパイガゼット編集部
革命のつくり方港千尋
デモ!オキュパイ未来のための直接行動三一書房編集部
希望政治学布施
日本人民主主義を捨てたがっているのか?想田和弘
立憲主義について佐藤幸治
ぼくらの瀕死のデモクラシー枝川公一
政治はなぜ嫌われるのかコリン・ヘイ
日本国憲法新装学術文庫編集部
法とは何か長谷部恭男
憲法とは何か長谷部恭男
読むための日本国憲法東京新聞政治部
タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか小林節
憲法は、政府に対する命令であるC.ダグラス・ラミス
国家暴走古賀茂明
検証法治国家崩壊吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司
ソフトパワージョセフ・S・ナイ
リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください井上達夫
キング牧師辻内鏡人、中條献
I Have A Dream!マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
隷属への道F.A.ハイエク
世界を動かした21の演説クリスアボット
戦争プロパガンダ10法則アンヌ・モレリ
精読アレント全体主義起源牧野雅彦
ヒトラー演説高田博行
劇画ヒットラー 復刻版水木しげる
悪あがきのすすめ辛淑玉
独裁者のためのハンドブックブルース・ブエノ・デ・メスキータアラスター・スミス
輿論世論佐藤卓己
永遠平和のために 啓蒙とは何か 他3篇カント
アメリカデモクラシー(1上下・2上下トクヴィル
国家上下プラトン
自由ミル
一九八四年[新訳版]ジョージ・オーウェル
動物農場ジョージ・オーウェル
イェルサレムアイヒマンハンナ・アーレント
人間の条件ハンナアレント

ソース

http://pbs.twimg.com/media/CSmpHEIUwAAOfO2.jpg

http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=10696

2014-08-10

はてサは、なぜ慰安婦問題共産党批判しないのか

慰安婦問題女性人権問題であるという「本質」は誰も否定できないと思う。

まり旧日本軍特有だというのが違っていた軍の直接的な拉致」があったかどうかはそもそも本質ではない。

そこに「強制性」があったかどうかが本質であると。

これは、はてサ同意するところだと思う。

旧日本軍慰安婦女性に対する著しい人権侵害の事例であるというのは明らかな事実である

それと同様に、この「軍による強制的拉致」ではなく「強制性」というのが本質であれば

韓国軍慰安婦米軍慰安婦国連軍慰安婦もそれと同様に人権を著しく毀損した事例である

もちろん、日本がやったように少なくともアジア女性基金首相謝罪手紙のような謝罪と賠償がなされるべきだと。

これは、はてサ同意するところだと思う。

しかしながら、明らかに共産党他国の事例は人権侵害に当たらないと考え、日本けが特殊であると、他国の被害事例を抑圧している。

これは、「他国もやっているのに問題化されてないと言い訳するな、日本けが責められていたとしても、まずは他国に先がけて日本完璧謝罪と賠償を行うべきだ」という、はてサが言っている主張とはまったく違う。

はてサの主張に同意するかどうかはさて置き、共産党が行っているのは、そもそも「他国日本と同じことをやっていない、米軍韓国軍慰安婦人権侵害ではない」という主張だ。

例えば、今日新報道2001共産党小池晃は、橋下徹他国の事例も人権侵害であると述べた際、

日本は国が関与してやっているんです。軍の指示のもとにやってるんです。そんなことやってるのは日本だけなんです」と明確に述べた。

https://www.youtube.com/watch?v=xPJky9qI16Q

また、共産党の吉良よし子は2014年2月19日参議院総務委員会

「軍による慰安婦制度は、旧日本帝国ナチスドイツ特有のものであるというのは世界共通認識」と言葉を強調しながら述べた。

https://www.youtube.com/watch?v=6z7NtJnzZv8

世界共通認識」というのが本当なら大変なことだと思うが、どうやら共産党の「共通認識であるのは間違いない。

そして、この日本けが特殊というのが世界共通認識なのであれば、「ガラパゴス的議論」などと主張している小熊英二とも真っ向から反する。

それとも小熊英二日本けが軍による強制性の伴う慰安婦制度を用いたと考えているのだろうか。

とにかく、共産党慰安婦問題に関して、日本以外の国を絡めることを断固として拒否している。

韓国軍在韓米軍による人権侵害について言及するのを殊更に拒んでいる。なぜなのかは分からないが。

これは、はてなブログで日々慰安婦問題で厳しく日本を追求している人たちの意見とも、全く反している。

彼らのほとんどは殊更に批判することはないが少なくとも韓国軍米軍慰安婦も「強制性」という意味で間違いなく人権侵害に当たる事例だということを認めている。

他国とは違って、特殊な例が旧日本軍である」という立場を崩していない共産党とは、真っ向から反している。

しかしながら、寡聞にして慰安婦問題においてはてサ共産党をこの点から批判しているのを聞いたことがない。おそらく共産党がここまで強硬姿勢とは知らないのだろう。

他国もやっていたと言い訳するな」という言い分はさておいて、

まず、他国も同様の人権侵害をやっていたことは認めるのか。問題視すらされていない他国人権侵害には耳を塞ぐのか。

日本けが特殊だ」という姿勢を崩していない共産党は、この点をはっきりさせないまま90年代のような既存パターン批判を続けていても、今後日本人の誰も耳を貸さないだろう。

2014-08-08

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2012-01-09

成人の日に - ソヴィエト連邦を知っているか

成人の日に - ソヴィエト連邦を知っているか

ああ、オヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。

キミが生まれた20年前、偉大なる社会主義国家、ソヴィエト連邦が消えた。ベルリンの壁崩壊から2年後のクリスマスに、かって革命を夢見た全共闘世代は涙したものだ。

新聞には「資本主義が勝利したのではない。アメリカの一極支配は必ずや滅ぶ」と投書が載った。

人民革命へと駆り立てたのは、資産家や資本主義社会への反発、不信、抵抗。ゆるやかな社会改良による解決がないわけじゃないのに、プロレタリア独裁を宣言し、ぶつかり、傷つく。

その心象が、若者共感を呼んだ。ロシア民謡小学校教科書にも採用されたほどだ。

ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。

全共闘運動に詳しい社会学者小熊英二さんは毎年、大学の授業で『共産党宣言』を読ませ、感想を問うてきた。ここ数年「暴力的なだけじゃないか」「私有財産何が悪いのかわからない」と、批判的な意見が増えているという。

教室に居並ぶのは、親や世の中に従順若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?

でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、国家ノルマを課したころよりずっとずっと生きづらい。

だけどキミたちは「自分スキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。

ソヴィエトはどこへ行ったのか。

全共闘世代の仙谷由人さんには「かつて若者暴力装置であった」と言われそうだ。

大学解体」と「自己否定」のスローガン機動隊と攻防戦を繰り広げたのは過去大学全入時代自己実現勘違いする若者に、暴力社会を変革するエネルギーはない、と仙石さんは語る。

革命を夢見るよりも、自己責任を受け入れて、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。

なるほどね。いくら「若者もっと立ち上がれ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。

でも、言わせてもらう。

私たちは最近社説でも、世界政治若者が動かし始めたと説き、若者当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。

から、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。

ともあれ、おめでとう。

2011-06-12

東北東京の分断くっきり 小熊英二

東北が「米どころ」の地位を確立したのは戦後だという歴史は、意外と知られていない。熱帯原産の商品作物であるコメは、東北では大正期まで収量が低かった。それが変わった背景は、農業技術進歩もあるが、東京市場の膨張、戦中と敗戦後の食糧増産政策、戦前コメ供給地だった朝鮮台湾の分離などである。こうして東北は、米・野菜水産物などの東京への供給地となった。

また東北は、東京への低廉な労働力供給地だった。高度成長期集団就職や出稼ぎだけでなく、高卒農村女性を始めとした低賃金非正規労働者存在が、下請け部品工場などを東北に誘致する力となった。

さらに東北は、東京への電力の供給地だった。コメ減反に転じ、過疎化が進んだ高度成長末期から原発と交付金が誘致された。沖縄基地が集中したように、福島福井には東京大阪に電力を供給する原発が集中し、他に産業のない地元の人びとが働いた。こうして穀倉地帯に原発が集中するリスクが生じた。

1990年代以後のグローバリゼーションの中で、一次産品労働力供給地としての東北は、アジアとの競争にさらされた。いっそうの過疎化高齢化、小商店公共交通機関の衰退が進んだ。点在する小集落から生活物資を買いに行くのも自動車に頼らざるをえなくなり、地域命綱となったガソリンスタンド過疎化による経営難で減少している。

今回の震災では、原発事故と電力危機、放射能による農水産物汚染、ガソリン不足と物流停滞、高齢被災者の多さ、部品工場の被災による部品供給網の寸断などが重なった。これらは上記のような地域震災がおきれば、必然的に発生しうる事態である。これを想定外の複合災害のように東京メディアが論じるなら、それは地震といえば関東大震災阪神大震災のような都市災害しか想定していなかった、無意識東京中心主義の限界というほかない。

復興も、関東大震災阪神大震災とは条件が違う。消費地である都市復興と異なり、生産地復興は、都市計画防災を中心に論じても限界がある。また神戸大阪に隣接して雇用もあり、経済活動の一時移転もできた。だが今回は、2030年までに人口3割減さえ予測されていた過疎地生産基盤を失った。

復興に水をさしたくはないが、懸念されるのはいっそうの過疎化だ。グローバル資本グローバルシティーにとって、食料と労働力供給地は東北である必要はない。20世紀国内分業で位置を定められてきた東北は、21世紀の国際分業競争の渦中で打撃をうけた。地震と電力供給リスクがある東北から工場海外へ移す動向も予想されている。町をまるごと失い、放射能におびえ、仕事と安全の未来もみえない状態が続けば、若者から先に東北を離れてゆく。この現実直視し、日本構造東北の位置を変える意志を東京側も含めて共有せずには、防災都市エコタウンの構想も新築過疎地財政赤字を残すだけに終わりかねず、原発に頼らない地域社会も作れない。

復興の前提は、原発事故の大局的対策だ。放射能漏れを伴う綱渡りの冷却が数ヶ月は続く。放射能放出3月より減ったが、再度の大放出の恐れは残っている。政府は矛盾だらけの暫定措置(飲料水放射能基準値が原発排水の7倍など)のつぎはぎを超え、さらなる避難拡大や経済的・国際的影響など、あらゆる事態を想定した長期戦略を公表して国民を納得させてほしい。何もしらされずに非常事態になれば、かえってパニックがおきる。「最悪の事態になれば東日本がつぶれる」と発言した菅首相なら、そうした戦略を立てる意志はお持ちと思う。少なくとも「想定外だった」という言葉だけは、世界中の誰も聞きたがってはいない。

震災後には、「がんばれニッポン」という言葉が躍った。だが震災が浮き彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するにはあまりに分断されている、近代日本の姿である

(おぐま・えいじ 歴史社会学)

朝日新聞4月28日 あすを探る 思想・歴史 ( via http://twitpic.com/4u59mv )

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