はてなキーワード: 日本国憲法とは
TRAに混じってトランスという盾を使って女性を叩きたいミソジニー男が多数存在するというのがまず1つ。
彼らはトランスがいかに女性の脅威となるかこちらがどれだけ訴えてもそれを無視し続けることによって自らのミソジニーを正当化している。
そして結論をはっきりさせておくよ。女性には「差別する権利」が本来存在する。そしてそれが家父長制社会によって抑圧されているのだ。
女性は男たちがオナニーしながら夢想するような心の綺麗な美しい存在ではない。そんなものを否定するのがフェミニズムだ。
ホモソーシャルの構成員たちは伝統的な「娼婦か従順な妻」の枠に閉じ込めて「女性はそんな汚いことをしちゃやだやだ!」と駄々をこねているだけなのだ。
女性にとっては、MtFのトランスジェンダーという生き物の実存そのもの、やつらが息をして日々女性の安心できる領域を侵犯しようとしていること自体が女性差別なのだ。
単に安心できる領域を侵犯しようとしているというからダメだということにとどまらない。繰り返すが「トランスジェンダーという実存」そのものが女性性への侵犯であり加害だ。
英語圏のフェミニズムでは”Sex is Binary"というスローガンがある。性分化疾患などの病気を抱えている方々でも彼ら彼女らは最初からはっきりとした性自認を持っていることは常識だ。
トランスジェンダリズムの名のもとに跋扈する変態たちはその原則に違反してエゴを膨らませたモンスターなのだ。
生物学はあなたのご機嫌をとらない。女性の領域は高貴で神聖なものであり、何人たりともそれを犯してはならない。
私達は、その尊厳を守る限りにおいて、私達の神聖な女性性を侵犯する獣を「差別する」権利がある。
ミソジニー社会では、差別するのは男の特権、女たちは男に仕えるか、聖人のように振る舞ってろという規範に縛られていた。これこそ家父長制の呪いだ。
もっとぶっちゃけて言っちゃうけど、私達は「マイノリティ」の中ではパワフルな存在だ。私達に聖人であれと要求するような規範などこの世にない。
どんなフェミニズムのテキストにも「どんな卑しい臭い生き物でも差別しちゃだめだよ!」などと書かれてない。
フェミニズムは抑圧された女性たちのための権利運動だ。汚い化け物に気を使ってやる必要もないし、そいつらのママでもなんでもない。
そしてなによりも女性にも言論の自由があることを忘れた?表現の自由、言論の自由はアニメ絵で自慰行為をしながら死んでいく男たちの特権ではないんだけど。
という前提で話をしている事が多いですね。
吉本興業などに様々な口実で金を出しているんですね。
東京スカイツリーでも約400億円なのに高すぎると
できるのですが、日本人には金を出さず、留学生とか難民とか言えば
海外には金をばらまく。
反日政権はありません。ほんの少し前までは
今は似たようなものです。
持ち上げる者がツイッター(X)などでは目につくけれど
百田も安倍崇拝者、その次は河野太郎などと発言している人物です。
というのはおかしな事ですよ。駄目な点を全てそのまま受け継ぐのだから。
対立は茶番で、ネットで持ち上げられてるのは全員工作員くらいに
思っておかないと危ないです。
山本太郎は移民推進派なので、実際は移民優遇の自民党と変わりません。
「参政党は駄目と分かったから百田保守党」と3パターンくらいで絶賛するのだ
と思われます。
志位さんの事はよく言わず、小池と交代すべきなどと言う事が多いです。
ところが、池田大作は母親が池(チ)姓で父親は成(ソン)姓だ、
ソン・テヂャクだという話があるんですね。(リチャード・コシミズ説。2008年頃には
統一教会と創価学会とオウム真理教のつながりの危険性などを指摘。)
小池百合子とか、小池晃もそういう人物ではないかと思われます。
晃という字も、日本人より在日の方が多く使ってるように見受けます。
そういう風でないと持ち上げられないように見受けます。
バズってる所に乗っかればよいと思ってると危ないかと。
まず、保守政党のバラ撒く情報はデマだと思ってないと危ういです。
工作員は、まるで革新政党がパチンコ推進してるみたいに言いますが
推進してるのは保守政党ですよ。共産党などは批判しているのです。
加担してないのが共産党なのです。
隠れ社民です。それで「野党共闘」の中心になっているわけです。
「オール与党」と「野党共闘」するようになる方がおかしいわけです。
そういった話を知らない初心者の方は、
変質する前のリチャード・コシミズさんの動画を
食い入るように見ておいた方がよいと思います。
コシミズさんも日韓併合賛成派なので
そうは言いませんけれど。
なかなか見かけません。皆無です。
日本国憲法はファシズムを抑止し日本人の人権を守る憲法なので。
北朝鮮と同じ事ですよ。
朝鮮民主主義人民共和国です。
中国の人は、中国政府は共産主義の政党じゃないと批判したりもします。
たまに産経などもうっかりそのまま報道してくれる事もあります。
「共産主義は悪」を盲信すると危ないのです。
本当の共産主義を実現してるのは
それはまぁ日本人にはどちらでもよい事で
当たり前の事をやってくれればそれで十分なのです。
小池晃などの一部をのぞけば、一番野心とか私欲のないのは
やらせてみてファシストが集まって来たら支持者が離れるだけです。
戻そうと必死なわけですから、共産党などたいした危険はありません。
長期的に見ると自民党と同じなのです。
そこが問題なのです。
皇室がどうのこうの言う方は
目が覚めるかなと思います。
幻想を見ていたいとかでなく
護憲政党は思想・信条の自由とか基本的人権を無くそうとはしていません。
改憲しようとしてる保守政党こそが、今の日本国憲法を無くそうとしている
「党内の人間をどう扱うか?」などというのは、実際
東京五輪誘致に官房機密費を使ったと事実を語ると問題にされるとか
一般の日本人には有害なだけで、いかに自己中心的に利権を図るか
政党政治では、党の方針に沿わない者は他の党へ行ってくださいは仕方ないのでは?
もちろん議論の過程で、不当に正論が切り捨てられるのはよくないですが
その辺はどこの党でもそんなものかと。
平気でデマを流しますが、パチンコ推進議員連盟で検索してみてください。
問題にしているのだと見えます。同和利権政党を「オール与党」と
批判していた共産党が「野党共闘」をはじめる方がむしろ問題なのですが
中心にいるのは小池晃です。
小池晃は「世界連邦」でも保守政党やエセ革新などとつながります。
日本国憲法第20条第1項の後段「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」を引き合いに、宗教団体が政治活動をしたら政教分離にならないのではないかという議論があるようですが、大変な誤解です。
この規定は、国から特権を受ける宗教を禁止し、国家の宗教的中立性を明示したものです。
憲法学の立場では「政治上の権力」とは「統治的権力」を意味します。
政治活動そのものではなく、法律を作ったり、人を裁いたり、税金を徴収したり、公務員を任免する「公権力」を意味しているのです。
現代の我が国においては「統治的権力」はすべて国や公共団体に独占されています。よってこの議論は最初から成り立たないのです。
愛国心っていうのはさ、生まれや育ちや才能や人間関係や運に恵まれた人じゃないと目覚めねーと思うんだよ。この国に生まれてよかったーってな。
んで、俺はそんな気持ち毛ほどもないワケ。このカスみてーな人生をすべて他人のせいにしたくてもできないが、だからって「日本に生まれたからこの程度で済んでる。まだ生きられてる」と思えるほど聖人じゃあない。
だから滅茶苦茶にならねーかなーって思ってる。もうこの人生で巻き返す機会も気力もないから、だったら普通の幸せを手にしてる人間がひとりでも減ればいいなーって思う。こっちに落ちてきてくれー。
って言っても能動的になにかしてるわけじゃねーから、誰も俺を裁けない。内心の自由は日本国憲法()で謳われてるからな。せいぜい、明らかにヤベー政党に投票してるくらいだな。
そんな俺のささやかな願いが神様に届いたのか、最近日本はどんどんイカれた方向に進んでる気がする。嬉しい嬉しい。
生活がさらに滅茶苦茶になって自分が被害を被ることになっても、上層の奴らを1人でも2人でも引き摺り下ろせたら大満足!みーんな地獄で苦しもうぜ!
池田大作戦関連のニュースでいくつか見かけたコメントとその感想について
>政教分離を生み出したのはローマ帝国時代のキリスト教なので、政教分離を語る時、実に我々はキリスト教を信じていることになる。ニーチェが言うように人権、博愛、ダイバーシティと人権の全てがキリスト教なのよ
意味不明。日本人がそれを語るときは、判例に基づく理解か、「政教分離」という用語に対する自分なりの適当なイメージ・理解で語るはずで、そこに一々キリスト教への信仰が関わってくるとは想像し難い
根拠不明(「宗教を大げさに排斥したがる」というのと「マルクス主義の影響」)。
>きっちり引用元を提示してて素晴らしい増田。サヨクの俺解釈では普通に考えて信教の自由とバッティングすることすら理解が及ばない馬鹿サヨクが多すぎる。あれこそ反知性主義
根拠不明(「馬鹿サヨクが多すぎる」「反知性主義」と断ずるためのコメント並びに根拠が見当たらない)。何らかの妄想に基づいてコメントしていたり、「反知性主義」の用語について理解していない可能性がある
>例えばドイツだとメルケル元首相の政党が「キリスト教民主同盟」だし、宗教が政治に関わるのは民主主義という観点から何ら問題ないのよね。
「民主主義」という言葉にもその社会ごとの理解(社会通念)があるので、一概に問題なしとは言えない。日本の問題に対してドイツの例を挙げることが必ずしも適切であるとも言えない
>憲法学の教科書を一冊も読んだことのない人が最高裁判例だけ読んで政教分離(特に何を禁止していないか)を理解するのは相当難しそうだが…(ブコメの感想)
「特に何を禁止していないか」というのが意味不明。こういう質問をするあたり、少なくともこの人と同調者にとっては言っても理解できないんだと思う。
>民主主義である限り大勢が信じている宗教に偏る危険性は避けられないわけで、それがおかしいなら民主主義を止めるの?参政権を剥奪するの?って話よね。公権力の行使のみを制限するのは妥当だと思う。
>連立する政党の支持母体のお偉いさんに弔意を表するのが国として特権を与えたことにならないのは明らかなことのように思うよ
多分最高裁が違憲とは言わないだろう、そもそも訴訟の対象になりえないだろうから、この意味では明らかだろう。ただし、批判の対象にはなりえる
>ルール上していいかどうかと、本当にするべきかどうかは別の話なんだけど、区別がついていない人の多いことよ。ルール上はOKだよ、っていうとその行為を称賛してるととらえる人も。
ルールがその行為を認めるかどうか、とその行為の合理性や当否は別の話
>間違った政教分離の解釈見るたびに『ドイツで大々的にキリスト教名乗る政党が普通に議席取りまくって活動してるやん』というツッコミしたくなるところはある
ドイツの例を持ち出してくると、日本国憲法がどうにかなるのだろうか?意味不明なツッコミだ
>民主主義国家である以上何らかの組織を構成する個人は選挙権という政治的な力を持っているので、政治的な力を持たない組織や集団というのがまず存在し得ないんだよな。
憲法の規定それ自体の曖昧さにそもそも問題があるのかもしれない
>どの宗教のトップだったら首相として公式に哀悼の意を表するのだろう。その基準があるならば知りたいところ。あまり他に見たことはないけれど。
国家元首でもなく、世界宗教のトップでもない人に対して、内閣総理大臣として弔意を示す合理性ってなんだろうね
>ないわー。欧州の一部や米国のような国教になっているような国ならともかく、現状の日本でカルト新興宗教に対して総理大臣が声明を出すのはありえない
アメリカ合衆国は憲法修正1条で国教を樹立してはならないと定めているので、この人が「国教」に対する理解を誤っている可能性がある
言うほどギリギリか?かすりもしないのでは?
>素人目にはこれに突っかかるのはどうかなと思う。人が死んだら公の場では(公人なら尚更)悲しみを表明すべきだし、言葉も『尽力・重要な役割・足跡』と、事実を述べるにとどまるものを選んでいるように読める。
ところで、大先生に対して日本政府が叙勲しないのはなぜなんでしょうね。内閣総理大臣が態々弔意を表す程なのだから、きっと国民栄誉賞、文化勲章や旭日大綬章程度の勲章はとっくの昔にもらっているかと思ったが
>いやはや。創価学会は公称800万世帯を擁する日本最大の宗教団体で社会的影響力も極めて大きい。そのトップの逝去に哀悼の意を表するのは社会的儀礼の範囲だろう。政教分離原則の目的効果基準にも反しないのは明らか。
その理屈だと、他の宗派(例えば真宗)のトップに対して一々哀悼の意を示さないのは不公平ということになる。ことさら大先生に対してのみ弔意を示す合理性は見いだせない。俺が知らないだけで、歴代の内閣総理大臣は哀悼の意を示しているのかもしれないが。そして、この考え方だと、歴代の会長が亡くなった際には、一々内閣総理大臣が弔意を示さなければならなくなってしまうのでは
>生きてたのか。空海と同じく、このまま120歳とかこえても、生きてる設定で神に近くなっていくと思っていた。/今日(11/18)は創価学会創立記念日らしい。あえて、発表を18日にしたんかな。
>トップブコメたちがトップブコメがどうこう言ってるけどどれがどれを指してるのか分からんくてカオス
>公明党は創価学会の指示の元動いてるのに、公明党が政府にいるの「宗教団体が、政治上の権力を行使すること」に当たらないのがよくわからない。票欲しさの屁理屈だよな。トプコメ批判してるブクマカは学会員だろ。
>憲法第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。/コレが日本国憲法における政教分離。
>「憲法の名宛人は国家である」。例えば国民の三大義務が憲法に書かれているが、あれは国民に憲法上の義務があることを意味しない。国民は憲法違反できないし、宗教団体も憲法違反できない。
それは私人間効力を認めるか否か(憲法の条文それ自体には「憲法の名宛人は国家である」とは書かれてない)で変わってくるので、一概にそうであるともないとも言えないのでは。まあ、直接に適用することはないけどね
好きにしろよ
>浅はかな rub73 のための説明: "「政治上の権力」とは立法権・課税権などの統治的権力のこと。政治活動そのものではない。" (芦部信喜「憲法」) ※憲法学の教科書読め https://anond.hatelabo.jp/20231118203326
「憲法学の教科書」という言い方だと玉石混交の中から石を探り当ててしまう可能性があるから、最新の憲法判例百選+最近の判例を読んだ方が適切な気もする
>トップブコメを浅はかな知識で指摘してる奴にスターつけてる奴はやばい。憲法20条の1項後段では、「宗教団体が、国から特別優遇措置を受けること」と「宗教団体が、政治上の権力を行使すること」を禁止している。
これだけだとわからないよ
>政教分離を理解してない人、はてなでもこんなに多いんだね。欧州で連立政権の一角によく「キリスト教○○党」みたいなのが入ってるのさえ知らないのかねえ。
日本国憲法とその運用の例に対して、欧州を持ち出してくると、どうにかなるのだろうか?頭がパーンとなるとか?
>トップコメも勘違いしてるけど政教分離は国家が特定の宗教を優遇や弾圧するなってことであって宗教者の政治参加は否定してないからね(棒読)/建前論だけど戦中宗教団体を政府が好き放題弾圧した反省って奴がある訳
だから誰に対して言ってるんだ
>トップブコメとスター押してるやつは、政教分離を勘違いしてる。恥ずかしいぞ。宗教が政治に関与するのを排除するのではなく、政治が宗教に影響与えないという原則。統一教会解散命令の方が原則に抵触してる
だから誰に対して言ってるんだ
言いたいことはタイトルで全て書いたので、以下補足にゃーん
まずは、国と宗教団体の関係について日本国憲法第20条第1項後段には次のように規定されている。
これを誤解 (または曲解) して宗教団体が政治活動することにイチャモンを付けてる人が多いが、「政治上の権力」は政治活動ではなく国や地方公共団体の機能としての統治的権力を指すのが通説である。これは勝手に言ってるわけではなく、憲法学者が書いたまともな本であれば同じように解説してある。念のため、図書館に寄って調べてきたので以下に引用する。
「政治上の権力」とは本来国が行うべき統治権力をいい、たとえば課税権の行使や、江戸時代の宗門改帳 (現在の戸籍にあたるもの) の作成のような職務を分担することが禁止される。
また、これは憲法制定時にも触れられており、金森徳次郎 (国務大臣) は以下の答弁をして特に異論は出ていない。つまり、この解釈は制定当時から何ら変わっていない。
○松澤(兼)委員 其の次に「いかなる宗教團體も…政治上の權力を行使してはならない。」と書いてあるのであります、是は外國によくありますやうに、國教と云ふやうな制度を我が國に於ては認めない、斯う云ふ趣旨の規定でありまして、寺院や或は神社關係者が、特定の政黨に加はり、政治上の權利を行使すると云ふことは差支へがないと了解するのでありますが如何でございますか
○金森國務大臣 宗教團體其のものが政黨に加はると云ふことがあり得るかどうかは遽かに斷言出來ませぬけれども、政黨として其の關係者が政治上の行動をすると云ふことを禁止する趣旨ではございませぬ
○松澤(兼)委員 我が國に於きましてはさう云ふ例はございませぬが、例へば「カトリック」黨と云ふやうな黨が出來まして、是が政治上の權力を行使すると云ふやうな場合は此の規定に該當しないと了解して宜しうございますか
○金森國務大臣 此の權力を行使すると云ふのは、政治上の運動をすることを直接に止めた意味ではないと思ひます、國から授けられて正式な意味に於て政治上の權力を行使してはならぬ、斯う云ふ風に思つて居ります
1990年代初頭に起きたバブル経済の崩壊とは一体何だったのかを、ずっと考えてきた。
ようやく到達した結論として、あれは「女性の社会進出潰し」だったのではないかと思っている。
戦後の日本の歴史は、一貫して女性が権利を獲得していく歴史でもあった。
1946年に公布された日本国憲法で女性の人権が明記され、女性の国会議員が初めて誕生した。
60年代の学生運動、70年代のウーマンリブ、80年代の男女雇用機会均等法成立と、ここまでは順調に女性の権利獲得は進んできた。
1984年の男女雇用機会均等法成立によって女性労働者(もっと言えば総合職女性)が増えていく流れになるはずが、バブル崩壊後の平成大不況によってこの層の女性たちが深刻な就職難に襲われてしまったのだ。
学生運動・ウーマンリブ運動は団塊の世代の女性たちが担ってきたものであるが、その土台の上に、次の世代となる団塊ジュニア世代の女性たちが社会を動かす指導者的な地位を目指す流れは完全に破綻した。
平成大不況が落ち着いた2003~2004年にかけて当時の小泉政権は「女性管理職の増加」を政策の一つとして掲げたが、その時点で各企業・役所には幹部候補となりえる団塊ジュニア世代の女性が全くいない状況になっていたのだ。
結果論かもしれないが、バブル崩壊と平成大不況によって女性の社会進出の流れは完全に断ち切られ破綻したのではないか。
その後の第二次安倍政権の2020年までに女性管理職30パーセントを目指す2030問題も結局実現しなかった。
バブル崩壊によって当時の男性側も深刻なダメージを受けたが、女性の社会進出を阻止するための自爆攻撃みたいなものだったと理解している。
(事実関係)
○最高裁判事の枠や各団体(裁判所・弁護士・検察官)からの一名を推薦し、内閣はそれに従うという慣例が成立したのはここ50年ほどで、法的根拠はない。
○慣例ができるまでは内閣も最高裁も各団体も枠にとらわれず、内閣の任命権は実質的なものであった。
○現行の慣行については賛否がある。(利権ではないか/バランスが取れている)
(所感)
○そもそも最高裁判事の任命権は三権分立の趣旨からすると内閣から最高裁への牽制機能であり、それが形骸化していることは制度の趣旨に反するのではないか。
以下の記事のブコメにおいて、「最高裁判事の任命を慣例に従って日弁連の推薦の通りとしなかったのは間違っている」という前提のブコメが大半を占める。
安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASRC65HZXRC2UTIL03S.html
○このレベルのことが6年かかる。公文書改ざん、不誠実な答弁などのモラル崩壊や倫理欠如が「彼」以前のレベルに戻るまでどのくらいかかるのか
○本当に本当に酷い政権だった。「無能による社会の衰退」より更にタチの悪い「卑劣さによる社会の破壊」が続いた。まだ与党内にその残滓は残っている。
○法学的な顕著な実績もない加計学園学園関係の弁護士が最高裁の裁判官になったり、安部政権はめちゃくちゃだったよね。亡くなって本当によかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%BE%A4%E5%85%8B%E4%B9%8B 典型的お友達人事
○今でもできないはずなのだが、ペナルティがないのが問題。政治が司法に干渉できる余地が絶対ないように、干渉が犯罪化できるように法律を整備しなおすべき。
○幼稚で未熟な政権がおよそ10年続いた事を考えれば司法の失われた10年はあまりにも長かった訳だ。
○どこが元通りなんだ。何の反省も改善もない。つぎはぎを当てただけ。また別の悪が現れたらすぐ崩される。
○「人事によって政権の意に沿う方向に物事を動かすのは安倍・菅義偉政権の特徴だった」司法だけでなく、教育機関や公共放送・日銀・内閣法制局など、独立性が重視される機関で尽くやった。
だが、それは果たして正しいのだろうか。条文を見ていこう。
(日本国憲法)
第六条(略)
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
(略)
なるほど、6条2項からは、最高裁の長官の指名は内閣に権限があり、天皇の任命権は形式的なものと理解できる。
そして、79条1項から最高裁裁判官の任命権は内閣にあることが一目瞭然だが、この任命権が6条2項の天皇による任命権のように形式的なものなのか、それとも指名権まで含む実質的なものなのかは実はどこにも規定されていない。
最高裁裁判官は、現在概ね裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、学識経験者(学者や行政官など。検察官もここに入る。)5名で構成されている。
そして、退任者が出た場合、退任者と同じ出身母体(裁判官/日弁連/検察庁)が自分の枠に誰を当てはめるかを内閣に推薦する。
内閣は最高裁長官の意見を聴取した上で決定するとされているが、出身母体からの推薦は一名であり、最高裁はその推薦を尊重し、内閣はその通りに任命している。
1970年代はじめ頃までは推薦された者について内閣と最高裁で議論が交わされ、内閣が最高裁に従わないこともあった。
更に、検察庁と日弁連両方から別の者が推薦され、内閣で判断することすらあった(例えば日弁連から4名、検察庁から2名の推薦があり、内閣で1名を決定するなど)。
それ以降は、各団体は枠を意識して推薦するようになり、内閣は各団体からの推薦のとおりに任命するようになっていった。
実はこれは一切根拠がない。元々戦後5:5:5でスタートし、その後5:4:6となったり4:5:6となったり5:3:7となったり様々だ(前述の通り複数の枠からそれぞれ推薦されることもあったので、内閣の判断で枠が動くこともあった)。
しかし、概ね1970年代はじめから、ある枠の後任者は当然にその出身母体から推薦するという慣例が取られるようになった。また、推薦される者が一名に限定されたのもこのころで、内閣の任命権が形骸化されたと言って良いだろう。
そして、この枠については二通りの評価がある。なお、これらの意見は安倍内閣による任命への評価を避けるために00年代以前のものとしている。
「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由だが、この習慣は是非続けて欲しい」(最高裁長官 裁判官出身 矢口洪一)
「既得権益。秘密裡に行われ、少数の人のみによって進められる。」(朝日新聞記者 野村二郎)
以下は私見だが、宮川判事の「特殊日本的な状況」という意見が非常に興味深い。宮川判事は肯定的な意見としてこれを述べているが、「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い(実に日本的だ!)だろうから、今となっては肯定的に受けとるのは難しいのではないかと思う。
別の論点として、三権分立の制度趣旨としてこの任命権がどういうものか見ておきたい。
三権分立の説明において、最高裁から内閣への牽制機能として違法性の審査があり、内閣から最高裁への牽制機能として最高裁長官の指名と最高裁判事の任命がある。
ここからは再度私見となるが、最高裁判事の任命権が形式的なものであるならば牽制機能としては意味がない(小学校のときに習った三権分立の図が誤り!)ため、制度上は(天皇による各種任命権と違って)実質的なものととらえるべきだと考える。
また、上述の矢口長官も「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由」と述べているように、少なくとも当時の関係者は既得権益などではなく単なる慣例であり、実質的な任命権は内閣にあると考えていたようだ。
従って、最高裁判事の任命権は実質的にも内閣にあり、安倍内閣の行った慣例破りが正しいかどうかはその人選が適切であったかどうかで判断されるべきではないだろうか。
弁護士枠の判事は、まず日弁連が候補者の推薦リストをまとめ、最高裁がその中から数人を選んだ上で、最終決定権を持つ内閣が決めるのが近年の慣例だった。
(2023.11.1 決議)
『風呂は性器の見た目で決める』法、是非作ってみてほしい。でも、それってかなり筋の悪い立法で新たな争いが見れそう。
そら、ほとんどのトランス女性は法律ができたら従順に従って女湯に入らないだろうけど、
「ワイ、トランス女性。銭湯で女湯に入ったらペニス付きという理由で追い出される。ワイの戸籍は女性なんやけど? これ法的にワイは女性という意味なんやが。同じ女性なのに生まれつきの女性には当然ある女湯に入る権利がワイには無いんか? ワイは差別される二級市民か何かか? 『風呂は性器の見た目で決める』法って日本国憲法の『法の下の平等』に反してない? 知りたいから裁判起こすわ。ワイを追い出した銭湯さんは裁判が続いてる間ずっと『差別主義者』と叩かれ続けるやろうけど我慢して付き合ってや。ワイ小金持ちの暇な一般人やから最高裁まで争うやで。対戦よろしくやで」
義務教育とは親が子どもに社会で自立して生きていけるよう教育を施すことです。学校は親の教育権を補完するものとして存在しているだけ
親は子どもに教育を受けさせるだけでなく、その内容や方法についても自分自身で責任を持ち、人格形成や生涯学習の基礎を培う重要な役割を果たすべき
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
日本国憲法第26条第2項:すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
教育基本法第4条:国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。
教育基本法第10条:父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
あと、DQN親ってはてブは出来るのに、ChatGPTほかAIを使えない理由、CheckMath(https://www.checkmath.net/ja)などの丸付けアプリ使えない理由、
もっともそんなんはどーでもよく、まずは生きる力を身につけさせることだと思いますけどね
砂の上に家を立ててどうするんだ?って話です
親と子供に丸投げが過ぎると思うけど、仕方ないのかなぁ…
小1から勉強の癖つけさせずに親任せは真面目な親の負担大きいだろうなあとは思う。
これ書けるのマジであたおか
こういう人たちって学歴(高等教育)とか機会均等とか以前の問題だと思うの
さすがコロナの時も家に子どもがいると大変ってわめいてただけある
宿題が無くなるなんてとか丸付けがーとかコメントしてる自称子持ちブクマカおよび兼ねてそうな増田みんな頭がおかしい
たぶん、低所得か毒親育ちだと思うんだけど見事に負の再生産がされそう
義務教育とは親が子どもに社会で自立して生きていけるよう教育を施すことです。学校は親の教育権を補完するものとして存在しているだけ
親は子どもに教育を受けさせるだけでなく、その内容や方法についても自分自身で責任を持ち、人格形成や生涯学習の基礎を培う重要な役割を果たすべき
国からの社会的な要請ですし、それ以前に自分の子でしょ?自分の子どもと過ごすのが楽しくないの?って話なんですよ、どうして子ども作ったの?
日本国憲法第26条第2項:すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。
教育基本法第4条:国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。
教育基本法第10条:父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
あと、DQN親ってはてブは出来るのに、ChatGPTほかAIを使えない理由、CheckMath(https://www.checkmath.net/ja)などの丸付けアプリ使えない理由、
もっともそんなんはどーでもよく、まずは生きる力を身につけさせることだと思いますけどね
砂の上に家を立ててどーすんだ?って話です。学力・学歴以前の土台がどーにもなってなきゃ、お勉強出来ても、事故や病気のトラブルがなくても、高学歴無職かワープーですよ
こういうのって、極端に頭が悪くて楽な方に流れた軽薄なDQNを毒親が放置した結果、
毒親に自己肯定感をバッキバキに折られたために『自分にはなんとする力がある』って経験を子どもが積めなかった結果だってことを自覚してどうぞ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231029203433
X(旧Twitter)で趣味を通じて交流が始まり、色々あって交際して結婚、今年で四年目だ。
嫁は高校の頃か絵を描いていて同人誌も出してるクリエイター型のオタクで、俺は特に絵を描いたりしないから消費者側のオタクかな。
で、本題。嫁が去年の末頃からおかしくなって、そろそろ限界になってきたって愚痴。
絵描きのはしくれの嫁にとって画像生成AIは憎悪を抱く対象なのは理解できる。できるんだけど、パートナーの認知が歪んでいくのを目の当たりにするのは精神的に辛い。
絵描きアカウントにAI学習禁止とか生成AI反対とか書き始めた頃は絵描き界隈がそういう雰囲気になってるな~くらいの認識をしてたんだけど、
ネット上・リアルを問わずに言動が過激化していく経過を一年間かけて見せつけられるとなると、本当に辛いんだ。
認知の歪みというか、エコーチェンバーというか、なんというか…。とにかく、嫁がおかしくなった。
結婚した頃のネット上の発言内容が「オタクネタ:日常ネタ:仕事の愚痴」=「5:3:2」くらいだとすると、
最近は「AIへの愚痴:その他」=「5:1」って感じだ。しかもそのツイートの時刻からすると、仕事中にスマホポチポチして熱心に活動してるっぽいんだ。仕事しろよ。
嫁のオタク垢を見るとAI利用者の不祥事情報拡散botみたいになってた時はちょっと引いたんだよ。
怖くて深入りはしてないけど、裏垢愚痴垢も複数使って、表では書けないような事も書き込んでるっぽい。ラブひな作者やら、先日不倫でニュースになった人やら、ああいう議員への憎悪も酷かった。
頼むから誹謗中傷や殺害予告だけはしないでくれよと戦々恐々だ。ある日開示請求通った通知が我が家に届いたりしたらどうしようって思ってる。
今年になってから発言の過激化が酷いなと思って話をしたのだけど、被害者バイアスが酷くてまともに話が出来なくてつらかった。
嫁が「AIは人権侵害なんだよ!」と主張した時に「……基本的人権の何権なんだ?」とスマホで日本国憲法を検索しながら聞いた時は「憲法じゃなくて人権!」と叫んだり、
「AI絵師はすぐ犯罪者になる。今投稿してるAI絵師は全員逮捕される」と主張した時に「法律には不遡及原則があって…」と説明をしても聞き入れなかったり、
「AI絵には著作権が無い」「AI絵を鉛筆でトレースしてアナログ偽造する裏切者がいる」の主張をされたときに俺が「著作権が無いイラストをトレースしても著作権違反じゃなくね? 誰が著作権違反で訴えるんだ?」と聞いたらヒステリを起こしたり、
スレイヤーズの人の絵にAI使用疑惑が出た時に「推定無罪の原則」やら「疑わしきは被告人の利益に」を説明しても聞き入れず決めつけたり、
と、まあ、そんな具合だ。
嫁よ、嫁よ。お前が反AIインフルエンサーのアカウントを熱心にリポストするのは自由だと思う。
でも、お前が熱心に信仰している反AIインフルエンサーの主張を見る時は、もう少し眉にツバをつけてから見た方が良いと思うぞ。
人には立場ってものがあって、人は自分の立場を有利にするためなら脚色やごまかしや嘘を平気で混ぜるんだぞ。
俺はAI推進派も反AI派も外野から見てると、両方とも先鋭化したヤツは口汚く相手を罵る&結論ありきで主張する&間違いを指摘されても訂正謝罪しないバカタレにしか見えないんだ
というか、どちらかというと推進派の方が中央省庁の作った資料や根拠の法律を出してくるだけ理屈が通ってる風に見えてるんだ。
俺が仕事でそういうスライドを良く見るから、とりあえず理屈優先で考えちゃうんだ。
蚊帳の外から双方の主張を見てると俺からすると、どうも反AIインフルエンサー達の主張は「気持ちは理解できるけど理屈が通ってないし法的な裏付けもない」んだ。
もちろん、AI利用者に酷いヤツがいるのもわかるんだ。分かるけど、絵描きだって酷いヤツはいるし、俺からすれば割とどっちもどっちなんだ。