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はてなキーワード: 養老孟司とは

2024-07-23

https://anond.hatelabo.jp/20240723094424

    やっぱりさー、あんたは、Z会もやっていたしね、北予備里見先生から聞いたら、テキスト東大のなんだっけ理系過去問を糞真面目に解いていたらしくて

  相当クソ真面目にやってきたみたいだねぇ。それでさー、あんた、永山悟っていう人と一緒の部屋にいたでしょー、その永山悟が、あんたの机には大量の本が積んであって、

    段ボール2個くらいにZ会の冊子が大量に入ってて、養老孟司の本も10冊くらい並んでいたって聞いたんだけど、本当ですかー

  だからあんたは平成時代に相当、最初からやって文Ⅰに入ったっていうことでー

   それでさー、あんたを担当した、鈴木秀行っていう裁判官いたじゃない、あれはーあんたが東大法だからさー、嫉妬して実刑判決を書いたって5年前も電話で言ったでしょー

2024-07-18

    

   衛星電波使用し、この2年間、位置特定など数々の悪事を働いてきた新宿駅交番の50代警部補で、養老孟司の手下で、すぐに転倒するクズが、令和6年6月27日午前5時、

   新宿駅はさみを持った50代ホームレスに突き刺された。

2024-07-14

https://anond.hatelabo.jp/20240714043445

   俺も、この文章を、最高裁判所長官に今度なる、 今崎幸彦が読んで何らかのコメント実施していないし、先だって裁判官を解任されたブリーフ判事の他、finalventも特段の反応を

 示さない以上、クズであると思う。 なおマンションは、  

    賃貸マンション・・・  家賃が、5万円~13万円程度のもので、実質は、分譲住宅である  ①

    分譲型マンション・・・  上記と同じもので、購入して所有権を取得するもの

    賃貸+分譲型マンション

   の3種類があるが、 晴生が、 ウィステリア桜小路の①に住んでいた場合の住居内の実質として、 ニートは奥の部屋でネットで遊んでいて、次男ニートは、リヴィングで寝ており、

 父親テレビを見て昼間は会社に出る、 母親は奥の部屋で寝ている、たまに食事を作りに台所に出る、という生活態様だったこからときわ台メリーガーデン内も、中身がみられないだけで同じように

   なっていると思う。 平成22年頃の状況であると、①のマンションの婆が Amazonがあるのね、という感じで、しめしめ、という感じだった。

   最近は、  誰も言わないだけで、  養老孟司+安野AIバクサイ+枯れた母親+クソガキ+魔女おっさん+飽きたババア性格不詳のジジイ、という家族構成全国的に浸透している

  と思う

2024-07-11

  早崎稔が着任する少し前の平成5年頃の西階中学校には飛行機が置いてあって飛行機で、西階のグラウンドサッカー部が行って帰って来たとかいうような夢を14時30分頃に見た。

    陣野先生漢字も教えていたなどという、わっぱ、こわっぱー、あつあれーと言っている。 養老孟司が ドクターヘリ搬送されるような身なのでここではコメントできませんと言っている。

   利幸が鍋の料理をしている夢。 ケースワーカーになったゆきの長男の何かが、 ママ~、指がちぎれた~、などと言っている。

     この種の積極的な夢は3,4年ぶり。

2024-07-08

  養老孟司昭和56年に解剖学教室教授になってからの有名な発言: 解剖学教室掃除をなんでするか?掃除は終わるのが楽しみである。だから、せっせと掃除をする。

                                中国人女性助手に手伝わせる。あんたはね、中国から下放されたんだよ。

    平成時代代表作  唯脳論青土社): 昭和63年2月10日に、警察補導係の当時の悪事その他を見て、スクウェアエニクスが、ドラゴンクエスト3を発表し、

                       「日本全土がハルマゲドン(終了)」というコマーシャルであった。唯脳論は、昭和64年に書かれたもの刷新されて、平成10年に有名化

                      した。  

     内容類似有名人     立花隆:  R3.4.30に80歳で死去。  肺がんなど。

養老孟司人生

    昭和12年11月11日   出生

    昭和30年3月10日    名門高等学校を経由して東京大学理科3類に合格

    昭和35年         基礎医学解剖学教室助手になる

                  その後、次第に昇格し、解剖学教授となり、脳剝ぐ、脳出しなどの技術習得

    昭和40年代~50年代   解剖学教室教授時代学内紛争が発生しそれに巻き込まれたと書いている。

    平成元年以降        唯脳論涼しい脳みそなどのエッセイでヒットし、愛読者が増加。  例  私の教室ヤクザが来たことがあった。そのときに私はヤクザの前に人体の

                                               切り落とした腕を置いた。そうしたらヤクザは黙って帰って行った。切り落とした

                                               腕は自然であるヤクザもそれには勝てないというわけであろう。

    平成18年度末の3月31日以降に精神状態悪化し、有名ラジオ番組で、後ろの方から喋るといった状況。それ以前の書籍は具体性があったが、バカの壁の第2弾辺りから

    同じことの繰り返しが増加して現在に至る。

    麻原彰晃についての見解: なぜあん風体の者についていくのであろう。あのような風体のもの信仰すること自体おかしいであろう。

  養老孟司(86)が発狂してるかどうかはともかく、令和3年4月30日に、知り合いの立花隆が亡くなった後に、延岡市プリンスホテルの前に、立花隆動画で、6月23日に、

  尾崎正和が出てきただろ。あの時に明らかに立花隆動画を使っていたし、何を言ったかと言うと、 弱い者だから調子こきやがって、出てこい、ぶち殺してやる、傷害罪で捕まってもかまわん、

  と言ったんだよな。

2024-07-07

  現在40歳の者が若いときに散々有名だった者が次々に亡くなったと報じられているが、立花隆が、R3.4.30に亡くなったと報道されたことは知らなかった。立花東大卒

  脳研究で有名のルポライター、猫ビルというビルの中に本を大量に詰め込んでそこの中でアイマスクをして寝ているを繰り返して研究に没頭していたことで有名だった。

  似たような著名人養老孟司がいるがこちらは86歳でまだしぶとく生き延びている。自宅に本が大量にありそこの中できちっていたことに関しては、立花隆養老も同じである

  立花場合は猫ビルの中が5階くらいに分かれており、その3階に研究室があった。

2024-07-03

   世間的に使えないとされている文書課の警察官学校教諭を統括している86歳の養老孟司という糞ジジイがいて、こいつが監察課に対して解除命令をしないと学校教員

  警察幹部は家で寝ていて出て来ないようになっているから。検事総長マンションにいるが、殆ど寝ているし、解除命令があったときだけ仕方なく出勤している姿をたまにみる。

   出勤するときは、高橋功の家からサンハイムから文系サラリーマンが出勤するが、解除命令が発動しないときは家から出て来ない。ということで、養老孟司くらいのクズはこの世にいない。

  警察東大の現況で、女子供無差別に襲ってもいいと考えている、斯界の権威であり、完全無欠な存在

2024-07-02

   事情を熟知している理由として、地方検察庁検察官は、賃貸マンション分譲マンションに住んでいることが多い。高検検事検事総長になるとマンションを買って住んでいる場合

  あるが、検察庁から帰宅するときは単にマンションエントランスから背広で入ってエレベータ自分の部屋がある階層に上がり、玄関から部屋に入るだけであるから自分のすまいに住んでいる

  だけで、検事が、密閉された秘密基地に住んでいるわけでもない。しかも、平成24年時点で警察署留置内で寝ている暴力団から検察官はやる気がないという言動があることから

  高検検事最高検検事はともかく、地検検事犯罪者匿名SNSを通じて共謀している可能性が高い。平成18年に東京全体で、ままん集団から必要性がないと言われてやらなくても

   捨てられたものの例として、警察官養老孟司があるが、富澤佳代子は、検察官裁判官に対しても必要性がないか死ねと言った形跡はない。確かに平成22年ごろに、Youtubeで、

  裁判所がなくなった理由として、サイバンサイバン、という動画がアップされた時代があるが、裁判所は、平成25年から復活したため、前記動画は都合が悪化して削除されている。判例を見ると、

  平成24年以前の判例は確かに枯れて死んだような文章もあるが、平成25年から人工知能で書いているため、ほとんど何も変わらない文体で、判例ウオッチというサイトに10年間も、

  誰も読まない状態でアップされている。

2024-06-29

  有名なPtt_kr語録として、6年前は、 僕の葬式に誰が参列してくれるんだろう、といったものもあったが、かわいいTweetに関しては、その後に、 もうそこに出し尽くしているから出し切ったということ

  ですね、といった腐ったTweetがあって以降に、 最近は、うるせえ糞、というつぶやきしか出て来なくなったので、養老AIに寝ている間に処分されたことに関して、いつまでも他人に根をもっている。

    この、養老孟司と、伊藤もえを比較した場合に、養老が糞というのは理解できるが、もう段々言っていることが的外れになってきているし、実物実存をみたら、熊谷とか戸田かになってきていて

  どんどん劣化して正体がクズであることが判明してきている。次に実定法の内容とか体系だが、40歳になるまでひた隠しにして今更になって出そうとしている、養老の糞ジジイを支持している無線車に

   乗っているオヤジが最悪だってのも理解しているが、俺自身がそのオヤジトカレフで撃ちに行って実証するまで理解できないのか?くそがき。

                  

2024-06-28

   大分県くくりの日野初美(84)、 安野たかひろが開発した並列人工知能集合住宅に並んで座っている: 主要業務こちらの方で、都合が悪くなると、外に出て来る。

    原則: AIが主業務なので、 AIが稼働しているとき電気を消して寝ているし、絶対に外出もしない。

    警察養老孟司 : 上記AIが主要業務なので都合のいいときだけ出て来るだけで不都合になってきたら養老が自宅で寝るように指令していて出て来ないので

              絶対に信用してついていかないこと

2024-06-17

   人工知能を基礎とした、マクスウェルヤンバクスター電磁場方程式による、連結完全電磁誘導法によって、宮崎北高校の生徒の頭を、校長教頭教員犯罪者ではないかという

   電磁状態にしてしまえば、高校内でも、教員に対する殺傷事件は発生してしかるべきであると思う。 

    また、インターネット上に、鋭利で天を衝くようなわいせつ画像を大量にアップして全体を完全にすることで、ブサイク養老孟司がやっている、人工知能に勝てると信じられていた時代もあったが

  最近はそうでもない。 

2024-06-04

https://anond.hatelabo.jp/20240604203242

   民事訴訟法82条1項2項を制御しているファンクターは、民訴法の目的ではなく、憲法25条の福祉国家精神に由来していてなおかつ、民事手続の要点だけに絞った補完規定なので

   その辺で、finalvent説によれば、コンメンタールを読めば精緻に整理されたものが読めるので、コンメンタールを読めばいいというようなことを言われた。finalbent, ボツネタ養老孟司といえば、

   平成17年より前に大量に活躍していた文筆家で、 Finalventは文筆家ではなくプログラマーエンジニアで、Windowsの本を書いてその後にブログで文筆家に転向したが、今はどうなっているのか

   確認する手段がない。Twitterには、宮崎県知事、なども書き込みをしているのは理解できるが、記載内容の趣旨が分からないし、Twitterにいる者を巡査などが自転車が外観などから見ても

   どこに住んでいるのか確定することは困難であろうと思う。Finalventは、2005年より前にブログ晒していた変態を削除することな現在でも残存させているのは偉いと思うが、社会検索して

   発見したことはない。またそれに似た者が警察官の服を着て舟渡堤防いたこともあるが去年の話で何も申し立てなかったので本人かどうか分からなかった。

2024-05-27

   最近はもはや問題の諸様相が変化している。問題なのは寝ている間における無線電波を使った強制催眠映像が、令和5年7月15日以降、9月27日、11月27日、はじめとして

   殆ど連続している。インターネット利用者にズタズタにされて消えてなくなった東京大学を含む大学関係者怨念がひりついた、極めて悪質なものであり、そこに関係している裁判官検事

   関係している。大学自体一般的に使えなくなったことにより、人工知能AIと、バクサイSNSに集まっている若者を利用した、養老孟司の、老人は本気である、とか、老人は銃を持っている、

   といったような様相平成23年以降に次第に増大化してきた。2ちゃんねるや5ちゃんねるの場合にあっては、この、前田氏が、平成20年11月30日にはいざというときにはひりつこうと

   していた警察に対してそうでもないということだったが、平成23年9月までにブサイクが開発した人工知能に基づくスギ薬局全国的成功したので2チャンネルVIP一般で、これならブサイク

   任せるか、という判断になり、それまではブサイクと言われていた者が上級国民としてもてはやされるようになったのは、薬事関係成功たかである。それ以来5ちゃんねらーは、5ちゃんねるを

   意図的に伸ばさないという技術によって人工知能機能を阻害しない方向に走り、宮崎県知事小橋輝彦、白根真理雄、永山悟、木内満なども一致している。

  18歳、レストラン勤務、16時にスクーターで帰ってくる、永華と勇哉の自演、 悪人、 なにおまえ、やんの?しか言っていないから何言っているかからない。

    平成18年5月以降に2ちゃんねるで、当時の女子供首チョンパされた養老孟司とか、東大法学部知能指数だけを売りにしてきた、佐藤の、

   金が紙屑になった怨念にとりつかれている。レクセルガーデンときわ台に住んでいる糞女とかの使用している人工知能などが一枚かんでいる。分かりにくいところから

   指令が出て、付近にいる都合のいい奴が出て来るような感じでどうでもよかったら一切出て来ない。40歳キチガイドライバー延岡坂本春美。まだ自分時代だと思っている。

    人格自体理解できないから何を言ってるのか分からない。ブサイクで鼻が高い、小さいくせに有形力だけあってうざい。犯罪者で何もいいところがないし、何を言っているのか分からない。

2024-05-26

    民事訴訟法伊藤眞は、既に79歳で、どこに住んでいるのか分からない。 平成18年に本郷東大法学部教室の黒板の前に立っていた。背広を着ていて体格ががっちりしているが

  講義はつまらず、  民訴法の相殺規定は、 対等額ではなく、対当額です、司法試験をやると、対等額と書く受験生が多いんですが、対当額です、の他に、民訴法の本質目的だと

  思います、という講義のほかに内容がなかった。  私は、PDAという小さいパソコンノートを取っていたので、そのデータも消してしまったので残ってないですね。シグマリオンⅢノートをしていたので。

    そのノートを捨てたのが、志村署の向こうの橋の向こうの、おふね、という食堂の近くにある、佳代子に似ている母親か何か知りませんが、 平成18年3月31日末で、その女性が、

  早く捨てなさい、といって養老孟司が、きっつ、といって、警察官がそこに並べられて、退職せよと命令されたということです。

    だからそうやっていってんだろ。 それからなんか、れっくでも、民訴法の論点は大量にやったので、しかし、平成18年のれっくは流行っていなくて、そこに書いている論点も、昭和39年までに

  流行っていた奴を、れっくの柴田がまとめた奴だから、 既判力が事案に応じて問題になるとか、そういうような問題が大量にあるということです。

    

2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

2024-03-06

路地、旅の本懐

そんなん好きにしたらええがな(終)

 いや、終わらない。

 かれこれ前のこと、航空機座席に備え付けてある冊子で、養老孟司が「脳に旅をさせよう」のようなタイトルで2〜3ページ書いているのを読んだ。

 機内誌への寄稿なので、「移動」して脳を刺激を与えることがいか必要かが書いてあったんだろう。氏なりに脳が移動することの意味を巧みに解説してあった気もする。特定班でもいるなら調べてほしい。

 人はなぜ旅をするのか。やんなきゃ心が死ぬからかな。人によれば、一心不乱に専門領域知的探究に埋没し、象牙の塔で生涯を終えてなんの過不足もない、ということもあるだろう。けれどもなんてことのない日常で、思惑の合間に、何か必要物資を買いに行く馴れた道すがら、普段見かけない渡り鳥河川に見るかも知れないし、季節の草木を見て心に揺らぎを感じるのかも知れない。それで停止していた何かが始動したり、爆ぜていた衝動を和らげたりするなど、回復やら安定やら向上の時を得てしまうことだってあるだろう。むしろそれが、意識すらされないほど日常には繁多にあって、捉えようによっては旅とも言い得るが、あまりにも当然のことで忘れ去られるために意識にも刻まることもない、流れる風景の瞬きのような。そんな旅ならざる旅もあるだろうさね。

 令和、旅すらも他者自己宣伝するためのバエ文化手段なので、とりあえずその場所に行って、所定の写真撮影し、あのインフルエンサー投稿していたレストランのあのメニューもバエて、無事帰国/帰宅することに尽きる。土産話は、多数の嫉妬心を催すために聞かれるまでは答えるべからセンシティブ事項なのか、主要なトピック以外の、壁の亀裂や石畳の隙間の土に生える雑草のようなディテールを知らせてくれる人は稀有USSR。ウルティメットスパースペシアルレア

 作業用にね、よく喋る演者YouTubeの旅動画を流すんだけど、調べの不足や誇張、思い込み、「世間イメージと違う」も違うだろ問題などなど、「こ、これが再生回数の力か…!?」となる。勿体ない。そんなものを見ている自分時間が勿体ない。

 そもそもの、それなりに時間を要する旅をすると、常に快適にとはならない。汚れた下着をすぐに替えて換気の良い浴室の脱衣カゴに投げ込めない。ポリ袋やチャック袋に密封して一緒に旅するんやんな。糠床を携えて明るい未来へと突き進むんや。エアコンがない、シャワーも出ない。Wifiない。くさい。我くさい。我くさい、故に他人視線が気になる。

 洗面台とは別のメイク用の鏡の前に化粧品領域展開して精巧意匠造作しちゃえるようなラグジュアリな旅行なら出来るかもよね…

2023-12-05

anond:20231205225713

ピュアチンピラ

自分お金貯めていつかでっかいことするッス!!

とか言ってるアホと何の話するの?

もしホストクラブ養老孟司とか平坂寛とかいたら行くよ

話は絶対面白いだろうしね

2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-16

養老孟司「放っておいたら育つ」存在社会は許容できない

忙しい人間ゴミ拾わせようとゴミバラまく薄汚い干渉主義者頭痛の種だ

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