はてなキーワード: 政治経済学部とは
もっともらしいこと言ってるつもりかもしれないけど、比較しているのはたとえば「偏差値69の早稲田大学政治経済学部の人間と偏差値49の大東文化大学法学部」で、49の方は大学のボリュームゾーンなんだから偏差値のばらつきは小さい。
そもそもの20というのも雑な数字なわけで、細かい差は本質的じゃない。
科目の話も見当違いで、別に英語の能力が違うと英語の話が合わないと言っているわけではなく、会話を成立させる諸要素と相関する変数として「偏差値」と言っているんだから、個別の科目より数科目総合の方が妥当。
話の本筋を考えずに目についたところだけ見て揚げ足を取ろうとするやつは、頭が悪い。
「偏差値が20違うと会話が成り立たない」
こういう話は上げればキリがないが、この件についても同様のものだろう。
この「偏差値が20違うと会話が成り立たない」という言説については、各々賛否があると思うが、僕はもっと丁寧に言葉を使えば行き違いは減るのではないだろうかと思う。
会話が成り立たないと考える人々は、何も「そこの醤油をとってくれないか」といった単純な日本語が通用しないと主張したいわけではないだろう。
しかし、同偏差値帯の人間と話す場合と比較し、自身より低偏差値帯に属する人間と話題の共有が著しく困難であることや、彼らの論理的な思考の欠如(それについても比較としてだが)について主張したいのだと思われる。
また本来偏差値についてもどの時点のものであるかを正確にすべきであったのだが、私が体験した中学受験と大学受験についてはこの「偏差値が20違うと会話が成り立たない」という言説を用いるのには適当であろうと思われる。
話を戻し、自身より低偏差値帯に属する人間と話題の共有が著しく困難であるとする件について考えるのだが、例として偏差値69の早稲田大学政治経済学部の人間と偏差値49の大東文化大学法学部の人間の話題が合うだろうか。
分布の問題もあるので、数値をもう少し下げても良いだろう。偏差値59の立命館大学法学部の人間と偏差値39の名古屋経済大学法学部の人間の話題が合うだろうか。
勿論絶対に合わないということでないだろう。もしかしたら共通の趣味を持っているかもしれない。しかし、多くの場合において話題の共有が困難であることは想像に難しくない。これらは勉学の良し悪しという面だけではなく、ライフスタイルなども含まれる。
つい先日話題になっていたように、世の中には「学歴フィルター」などもあり、高偏差値大学の卒業者とそれ以外のものは就職についても一定の開きがある。そのため、所得にも違いがあり、異なるライフスタイルを形成する。
ライフスタイルが異なることによって、話題が完全に異なるとは思わないが、一定程度の乖離について想像は容易である。
中学受験についても、受験中は偏差値によって厳格にクラス分けされ、受験後も上位層は無試験で鉄緑に入塾出来たりする。これらからも話題の共有が難しいことは分かると思う。
次に、論理的な思考の欠如についてだ。これに関しては、同偏差値帯においても密度に開きがあり、偏差値が離れているとその差はより大きくなることが多い。最悪の場合、論理的な思考は存在せず、ただ感情のままに喚く人間すらいる。
また、ある事柄についての当否を論じることを、自身への攻撃と捉える人間もおり、これらは偏差値の高低を問わず困った存在である。
話を纏めると、「偏差値が20違うと会話が成り立たない」という雑な言葉を使うのではなく、「偏差値が20違うと話題の共有について著しい困難を伴う」といったような、より限定的で丁寧に言葉を使おうということだ。そうすれば無意味なレスバトルを少しは減らすことができるのではないだろうか。
https://togetter.com/li/1698356
キャンパスは同じでカリキュラムも概ね社会科学・人文科学系なので多少は共通項もあるはず
国際教養は1学年600人くらいで、政治経済は1学年800人くらい
https://waseda.app.box.com/s/mm9excnx8y4qfd92ls95bqzbtx5lpm51
https://waseda.app.box.com/s/6jfnkx02vtydrgbxm8xrzb7mdshufppc
あと「留年」という言葉で誤解されがちだが、早稲田の学部は基本的に年度取得0単位でも進級はする。その代わり、5年生以上を「延長生」と呼称する。俺は詳しいんだ。
→定員分を吸収できるだけの講義数があっても、多くの人が取りたがる特定の人気講義に人が集中したら抽選にせざるを得ない。それは早稲田に限った話ではない。
→選外となった希望者にオンライン聴講権限を付与するような制度はあっていいと思うが(あるかどうかは知らん)、
いくらオンライン講義とはいえ質問への対応や課題の採点、単位認定等は担当教員が行うわけで、限度がある。
その辺は大学教員の多忙さに理解のあるはてなブックマークユーザーの皆さんならご理解いただけるかと思いますが…
・定員が多すぎるのではないか
→定員が多すぎるから抽選になるのではなく、募集数を超えて人が集中している講義のみが抽選になる。
・必修が抽選なんてひどい
→例の学生は必修の抽選に落ちたなんて書いてないように見えるんだけど、どこかにそう書いてあった?
必修が自動登録されて、空いたところに教養科目とかを入れるのがよくあるパターンだと思う。
同じ必修でも担当教員を選べるタイプの科目であれば、当然教員や内容によって人気の差は出るので抽選は発生し得る。だとしても全員を受け入れきれない必修科目なんてまずないと思うけどなあ。
→申請した科目が抽選ばかりで、それに落ちまくったらそうなる可能性はある。
ただ科目数自体は確保されているはずなので、本来は2次や3次登録でそういう学生を吸収しきるという仕組みになっている。
件の学生の場合、1次で半分以上落ちたとはいえ2次で十分挽回できる範囲のはずなので、なぜベストを尽くさなかったのかという気持ちもある。
https://www.waseda.jp/fire/sils/assets/uploads/2021/03/Schedule_Spring_CurrentStudents_J.pdf
n次登録が終わった時点でまだ空きのある講義の情報(現在の履修者数/定員)が掲示板やポータルサイト(全学共通)で提示され、学生はそれを見て次の登録申請を行うのが基本的な流れ。
全てが抽選というわけでもなく、担当教員が選考を行うこともあるが、そこは人による。
自分のいた頃は3次登録が終わってもあぶれてる人はかなりレアケースだった記憶があるし、全登録期間が終了して全講義の定員が埋まってるなんてことはあり得ない(必修科目なら尚更)のでどこかしら滑り込めた。
そもそも人気講義は選外になることを織り込んで「取りたい講義」「取れそうな講義」を組み合わせて申請するものなので、件の学生は不運とはいえその辺もちょっと不器用だったのかなという印象。
ただ…推奨17単位で、3次登録の申請が全て通っていたとしても合計18単位というのはちょっと履修計画に余裕がなさすぎると感じた。
窮状を訴えるのに2次登録の結果だけ触れてないのが引っかかるんだけど…申請忘れてたりしないよね…?(他人のことなのに止まらない冷や汗)
先行:0(1科目限定)
1次:9/19
2次+3次:5/9+?
大体の人は1次で落とされまくっても2次で半期20単位分くらいの履修を確定させる。(年間取得上限は必修込みで40)
1次よりも2次や3次の方が通る可能性は高いだろうに「1次の登録数>2次+3次の登録数」になっているのはさすがに2次+3次の申請自体が少なすぎるような気がする。
これだけ見ると典型的な「人気講義ばかり申請して抽選で爆死する人」のようにも見えるが、今年の講義実施状況が分からないのでそこは何とも。
とはいえこういう人は少数ながら毎学期必ずいる。自分がいた頃も、履修登録を忘れていて自動登録の必修以外ゼロ単位になった奴がいるなんて話も聞いたことがある。(真偽不明)
件の学生は期間内に登録自体はしてるようなので憤懣遣る方ないというのは分かる。なので問題は抽選云々というより救済措置の方にある。
定員が多すぎるというブコメが多いが、普通に定員を吸収しきるだけの講義数はあるよ。履修登録の度に全講義が定員いっぱいになる学部が回るわけないじゃん。
だから登録期間終了後にあぶれた学生を定員に余裕のある講義に受け入れるくらいの融通はきかせてあげてほしい。
個人的に優先してほしいのは
って感じ
自分がいた頃は学部事務所に行けば誰かしら履修相談に乗ってくれたが、今のご時世でそこのバックアップがうまくいってない、行き届いてない、周知されてない可能性は大いにある。
特に「抽選で選外になる可能性を織り込んで履修計画を立てる」のは基本のキみたいなものなので、各学部はそこをもっとフォローするべきだと思う。
(選外になる可能性を考慮しろという注意書きはシラバスに明記されていたし、今もされているとは思う)
国際教養の細かい事情は分からないが、一般的に1年生は必修が多いのであぶれることはさほど多くない。
(必修科目が定員超過することはまずないし、そもそも自動登録されることが多い)
件の学生は新2年生とのことなので、去年と同じ感覚で取りたい科目を申請していった結果、抽選で爆死したのではないかな~と思った。
従来は2年次に1年間留学する学部だと思うけど、コロナで留学できてない分国教で履修登録する学生が例年より増加している可能性もあるのでは。学部内履修学生数の増加に対して開講科目は増えているのだろうか。
国際教養学部というのは早稲田でも少し特殊な学部で、学部生は原則として2年次に海外留学する必要がある。
ところがこのご時世で留学生の行き来が殆どなくなってしまっている。
これは推測だが、
・本来であれば留学で国外にいるはずの日本人学生が、学部内の講義に集中して抽選が多く発生してしまった
・コロナ禍において、急に学部内の講義を増やすことができなかった/オンライン対応で定員を増やすことができなかった
この辺りは要因としてあり得るのかなと思う。
Add-Onlyというのはおそらく国際教養学部独自の制度だと思うが、これがコロナの影響でなくなったというのはよく分からない。
https://twitter.com/naataso_wsd/status/1382293955446902792
ただまあ、政経には元々そんな制度なかったので、救済措置として登録期間終わった後も空きの残っている講義にぶち込める制度作れや!というのは賛成。
1次でどれが抽選になるか分からなくて選外いっぱい出るのは仕方ないし、自分も経験がある。ただ2次以降は充足状況が公開されるので、それを加味して計画を立てるんやで。
2次は…?
人気講義が既に埋まっている段階ではもはや公平もクソもないので
選外になった講義の資料を融通してもらうくらいええやろがい。皆大体同じ額払ってんだろ
(このご時世でアレだがメールだけでなく直談判も意外と通ったりする)
(この時期は履修専門のアドバイザーがいた気がするけど今もあるんだろうか…?)
「戦略が悪い」という話にしてしまうと「人気のない講義に余裕を持って申し込んだけれど、本当に運が悪く低確率で全部落ちてしまった」人も自己責任になる。あなたは運悪い0.01%だから留年ね!で納得できるか…
そもそも人気のない講義は抽選になりません!!!!!!!!!!!!ストレートインです!!!!!!!!!!!!!!
人気がなさすぎてマンツーマンみたいになることもあります。(胃痛)
だからこそ「取りたい科目」を軸に「人気や日程を鑑みて取れそうな科目」を組み合わせて申請すればほぼ問題なく単位数確保できます!!!!
オンラインの授業なら物理的に講義室が足りないってこともないはず。何故対応できないのか/調べたら毎年600人以上入学してるのね。それは確かにオンラインでもパンクするわ。でもだから対応できないはおかしいよね。
確かにオンラインでもパンクするわ→だからといって対応できないはおかしい
「パンクするから対応できない」は成り立つだろ???何が言いたいんだ???
上でも書いたけど、聴講生としての視聴権限を与えるのは良いと思うしやるべきだと思うよ。
受講生として受け入れるのであればまた別の話だけど
獲得した科目数の少ない生徒を優先的に当選させればこういう事は無くなりそうだが何故そうしないのか?
履修科目数までは考慮してないと思うが、年次が高い方が優先になるというのはあったと思う(うろおぼえ)。4→3→2→1か4→1→2→3
より良い、より偏りの少ない抽選システムがあり得るのではないか?というのは同意するし、件の学生もそういう主旨の発信だと思う。
授業料ほしさに、教えられる分以上に定員増やしすぎたのかな。
定員100名の人気講義を希望者全員が受講できるように学部定員を100名にしました!
かくして不人気講義は廃止され、それに伴って学部の研究領域も縮小し、研究能力も低下しましたとさ。めでたしめでたし。(これは皮肉です)
総合大学を選ぶメリットはカリキュラムの選択肢の多さで、カリキュラムの選択肢は多ければ多いほど履修希望者の偏りが「人気」という形で生じるわけ。
だから登録期間終了後の救済措置や聴講制度の導入には賛成だけど、抽選が発生すること自体はある程度避けられないんですよ。
人気講義なら増やせばいい!って言う人もいるけど、ぶっちゃけ講義の人気なんて楽単か教員個人の人気に拠るところが大きいので、例えば同じ「政治学」をA先生とB先生がそれぞれ受け持ったところで、結局教え方の上手いA先生の講義に人が集中するだけなんだよね。
沢山の授業を開講し、管理する立場からすると、「人気科目だけでカリキュラムは作れない」「カリキュラムは学問の体系の表現である」から、全体として万遍なく履修登録されて学問を身に着けて欲しいとは思う。
そう思います。人気科目だけでは学部、ひいては学問も成り立たない。
救済措置云々とは別の話としてね。
マイルストーンなんか見て、楽単、人気講義だけ取っていったら、抽選外れまくった時はこうなるよね。過度の集中を促すマイルストーン誌が元凶のひとつ。
学生の有志団体がアンケート等を基に集計・出版している「マイルストーン」という情報誌があって(毎学期周辺の書店や大学生協に平積みされている)、
シラバスと見比べながら大体どういう講義があって、どれが人気で、どれが楽単で、どういう試験方式で…といった口コミ情報を新入生でも入手できる。同学科の友人が少なかったので大変お世話になりました。
ただその一方で、楽単や人気講義への過集中を促した面も否めないとは思う。
今はそれに加えてSNSの発達が一部講義の人気先行に拍車をかけている面もある…かもしれない。
自分の時代も人気科目とそうでないのがあって、落ちた科目は他で我慢して、最低限の科目数は確保できたのに、今は違うのか?/ドラフトではないが、ある程度抽選で落ちたら、他を優先的に選択できるようすべき。
昨年の後半から当店で働き始めた女子大生アルバイトさんは凄く可愛い。元から凄く可愛い女子大生アルバイトさんが、先日は髪を縦ロールに巻いて来たので凄く可愛いの二乗となり、いつも以上に男性客から構われていた。
そんな男性客の中にはかなりの割合で、女の子を誉める時に当店の他の店員や他店の店員をdisって女の子をアゲる奴がいるのだけれども、そういう誉められ方をすると誉められた女の子当人はかなり気分が悪い、ということは知られていない。そういう悪い誉め方は女の子にとっては心労のもとでしかない。
女子大生アルバイトさんが午後2時から夜の8時まで、みっちり六時間働いていることをAさんがいぶかしがっていた。大学生ってそんなに暇なんですか? と。その言い方に、客から可愛がられはしても理不尽に怒られることの少ない女子大生アルバイトさんへの妬みとか僻みがモリモリにこもっていて哀れだ。
去年、四ヶ月ばかりで辞めてしまった男子大学生アルバイトさんを引合いに出して、女子大生アルバイトさんをdisり出すAさんだった。男子大学生アルバイトさんは、男であるが故に客からもオーナーからも集中攻撃されて疲れ果ててしまったのと、本人いわく「大学の授業が思ったよりも忙しくてバイトとの両立が難しくなった」のを苦に、仕事に慣れてきた頃に唐突に辞めてしまったのだ。
女子大生アルバイトさんと男子大学生アルバイトさんのいうことが何から何まで矛盾していて、女子大生アルバイトさんは大学生活を手抜きしつつバイトは顔で渡って、楽してズルばかりしているのではないか? とAさんが口角泡を飛ばして女子大生アルバイトさんを空想で批判しだす。空想でそこまで怒るかよ。
男子大学生アルバイトさんの通う大学は、当店から車で片道最短四十分もかかる大学で、そもそもそんなに長時間を通学にかけていて長時間バイトするのは難しい。
彼は確か政治経済学部だということだった。政治経済学部の忙しさはどれ程のもんだか知らないけれど、今の大学で特に面倒見のいいところは一年次からダラケないようにカリキュラムを組んでるそうなので、高校生の延長みたいな暮らしぶりをする大学生というのは、今や珍しくはない。
一方で、昔ながらに学生の自主性に任せている大学ならば、学年によっては必修科目がほんの数科目しかなく、自分で時間割を調整してある年度は死ぬほど多忙だがある年度はすごい暇、という風にすることができるだろう。基本的に、一二年と三四年に分けて、自分の就活の都合に合わせてどっちかに暇を偏らせるものではないだろうか。
こういう点、大学に行ったことのない人に解ってもらうのは難しく、私も大学生時代には両親に時間割のことであれこれ文句を言われて、説得するの大変だったなぁ、なんて思い出した。
オリンピックのボランティア検討委員会の座長の清家篤という人は、どういう人なんだろう、と思って検索したら、2009-17に慶應義塾大の塾長を務めた人だった。彼の後継の塾長選びで、2017年に騒ぎがあったようだ。
清家体制下で常任理事を務めていた長谷山彰氏がいまの慶應義塾長になったが、投票では負けていたのだという。
AERA dot. : 「慶應義塾」新塾長に得票トップは選ばれず! 2位を指名したワケ…(2017年5月)
https://dot.asahi.com/wa/2017050800016.html
清家塾長の任期終盤には、日吉記念館の建て替えや新たな学生寮建設などの計画が相次いだ。利権やカネが絡む話があるのでは、との臆測が広がっている。
週刊現代 : 慶應義塾の「疑惑の塾長選」そのウラ側をぜんぶ書く! なぜか二位が勝利して、会議が大炎上(2017年7月)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52156
細田氏の質疑応答の際、ある委員が『文部科学省の役人とうまくやっていくことが必要』などと語り、そうした経験の薄い細田氏では頼りないという印象ができた。
慶應塾生新聞 :【特集】塾生が、考える ー塾長選挙ー(2017年11月)
https://www.jukushin.com/archives/29365
上の塾生新聞にある「近年の塾長の実績」を見ると、選ばれた長谷山氏のところに書かれた「博物館の設立(所信表明から)」は、2018年1月末に発表された下記のミュージアムだろう。
慶應義塾が全塾的学術・文化資料施設「慶應ミュージアム・コモンズ(仮称)」を2020年度中に開設
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2018/1/31/28-41180/
プレスリリースを見ると、「立ち上げのきっかけとなったのは、一般財団法人センチュリー文化財団からの資料寄贈と 30 億円の寄付金です」とある。
このセンチュリー文化財団は、Wikipedia によると、旺文社創業者・赤尾好夫の美術コレクションや資産を保存するために設立された団体のようだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/センチュリー文化財団
ところで、Wikipedia の旺文社のページによると、「1963年(昭和38年)、英教に続く2つ目の外郭団体として日本英語検定協会が設立され、実用英語技能検定が開始された。旺文社は現在に至るまで英検の様々な問題集や受験参考書を販売」している、とある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/旺文社
また、旺文社サイト内の「売上ランキング」を見ると、9/17現在、10位中、6つが英検関連の書籍だ。旺文社にとって、英検関連ビジネスは主要な柱なのだろう。
https://www.obunsha.co.jp/ranking
ここで、関係あるかはわからないが、2018年11月、慶應大は「英語外部検定試験についても、2021年度一般入試については全学部で利用を見送る。」と発表した。
https://s.resemom.jp/article/2018/11/20/47787.html
一方、東大は民間英語試験について、2021年度から「「CEFR対照表のA2レベル以上に相当する英語力がわかる書類」の提出を求める基本方針を発表。」
また、早稲田大も「政治経済学部では、2021年度一般入試より、大学入学共通テスト、英語外部検定試験、学部独自試験の合計点により選抜する方式に変更」と外部検定を取り入れていくようだ。
国際派と評判で得票数1位の教授がなぜか落とされたことと、英語試験とは、特に関係はないだろう。
しかし形式的に、旺文社および英検と関係のありうる財団から美術品とお金を寄贈、寄付してもらうのは、慶應としてコンプライアンス的に大丈夫なのか気になった。
なお、大学入試用の英語は「2024年度からは民間資格・検定試験に一本化する方針が定められている。」
https://s.resemom.jp/article/2018/07/25/45840.html
いまの長谷山氏が2期8年間塾長を続けるなら、2025年まで塾長ということになる。その間に入試英語の民間資格のどれをどう使うか意思決定を求められるのだろう。慶應大は「国際化」できるか、見守りたい。
三浦瑠麗の件。
https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/
東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。
なんか「法学博士なのに法律の知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。
まず、日本の大学の多くでは政治学は法学部で教えられている。早稲田大学や明治大学には政治経済学部があるが、東京大学、京都大学、慶應義塾大学、北海道大学、名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。
つまり、それらの大学で政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる。学位も「博士(法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学したからといって法律の教育を受けているとは限らない。
なので、「法学」の学位を持っている人が全て法律の専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治の研究者かもしれないし、ドイツ近代史の研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本の実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。
学部・学位の名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学・哲学・心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、「博士(文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学の知識がないのに「博士(文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本の大学と学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士(法学)」も同じことだ。
もちろん、デタラメな法知識を知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人がtwitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗に擁護の余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。
だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大で政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女の責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。
あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部は農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。
なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
・矢口蘭堂:早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(現役)。在学中に一年間オックスフォード大学に交換留学。卒業後は発足したての国際協力銀行に入行。日本企業が関与する途上国のインフラ整備プロジェクト等に携わる。退職後政治家に。
・赤坂秀樹:父は財閥系商社マン。麻布中学校・高等学校卒業。東京大学法学部第3類(政治コース)卒業(一浪。現役時は慶大法に合格していた)。BCGに入社。在職中にノースウェスタン大学ケロッグスクールでMBAを取得。退職後政治家に。
・カヨコ・アン・パタースン:ハーバード大学を飛び級で卒業。専攻は比較政治学。
・志村祐介:実家は京都の旧家。洛南高校卒業。京都大学法学部卒業(現役)。
・花森麗子:上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。卒論のテーマはロシアの対日政策。卒業後、大手保守系新聞社に就職。女性としては異例の出世をする。在職中に執筆した国防論に関する本がスマッシュヒット。TV等にコメンテーターとして呼ばれる機会が多くなり、保守系の論客として名を上げる。保守第一党の誘いを受け、政治家に。
・尾頭ヒロミ:桜蔭中学校・高等学校卒業。京都大学大学院理学研究科修士課程修了(生物学専攻)。
・泉修一:早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。在学中には早稲田大学雄弁会の会長を務めた。卒業後丸紅に入社。めっちゃ稼ぐ。退職後政治家に。
・間邦夫:大阪大学理学部卒業(一浪)。アマースト大学卒業。チューリッヒ工科大学にて博士号取得(生物学)。博士課程在学中から欧州分子生物学研究所に研究員として勤め、博士取得後も継続するが、人間関係が原因で退職。日本に帰国するも、日本での人脈づくりを全くしてなかったプラス学説の異端っぷりでアカポスを得ることは出来ず。長い間ポスドクや非常勤講師として糊口を凌ぐ日々が続く。50前にしてようやく城北大学にポストを得るも、准教授より上には登れないでいる。
7,8年ほど昔の話になるけれど。文章の練習ついでに投稿してみます。
当時中学生の自分は「ラグ○ロクオン○イン」というオンラインゲームに学校から帰った後の自由時間の大半を費やすほどハマっていた。
そのゲームの世界は、中学のクラスの狭いコミュニティとは違って、様々な人がゲームを楽しんでいた。そこでは、自分よりも一回り二回り上の社会人が多くログインしており、年が近いといっても高校生や大学生のプレイヤーばかりで自分と同じ年齢層の中学生は滅多に見かけなかった。
そんな世界だったので、自分が中学生であると告白するのはちょっと怖くて、リアルのことを気軽に話せるぐらいに仲良くなったギルドの人にしか伝えなかった。
一回りも上の社会人の彼らたちに伝えたところで、どのような反応が返ってくるかと不安だったが、彼らは物珍しい対象だと思ったようで、年上として可愛がってくれたりもした。(リアル女子中学生プレイヤーという重宝される存在なせいで所謂ネトゲギルドの姫みたいな状態にもなりかけたが)
一部の人たちは今でも親交があり、私が成人した後も年に一度くらいちょっと高めなご飯を奢ってくれる。
そんな中、当時仲良くしてくれたプレイヤーの一人にいきなり「自分と付き合わないか」とwis(1:1でできるチャット)で告白された。
今思えば、完全に年下の女の子を狙った下心見え見えの事案なのだけれど、当時男性と付き合ったこともない女子中学生の私は舞い上がってしまった。
ゲーム内の彼は多少横暴な所もあり、性格がキツいことで多少トラブルを起こすこともあり、恋愛的な感情を持たなければあまり好きではないどころか苦手な相手だった。
そんな彼に告白されると思わなかったけれど、人に厳しかった彼に認められたようで嬉しくて、交際関係を結ぶことを承諾してしまった。
匿名でも言えることは限られると思うので、深くは言えないが、彼は13個も年上で自分が住む地方とは新幹線と使っても3時間もかかるような遠いところに住んでいる人なのが分かった。
彼に私の住んでいる地方の話をすると、「それなら大学生になったら自分の住む所に来てよ!今は遠距離恋愛だけど、君がこっちに来たらずっとそばにいられるよ。」と頼まれ、大学生になったら自分の住む地方に来てほしいというお願いをされた。今思うとメチャクチャな頼みだし、これを実践しようと思って親に受験費や学費を出してもらったのは大変申し訳ないと思う。
当時の私は、ルックス、学力共にダメダメで、自己肯定感がとても低かった。そのせいで、会ったことがない人であっても、自分が求められることが分かるのが嬉しくて「この人が私を求めてくれるのなら頑張ってみよう」と一念発起した。
高校時代は彼に嫌われないように化粧やダイエットを頑張ってみたり、中学の時もネトゲ漬けでだいぶ低かった成績も、中三の時から頑張り始めたことで進学校に入ることができ、入学後も、学年順位の一桁をキープするぐらい頑張ることが出来た。年頃の女子高生ということで、クラスメイトの男の子に告白されたり自分と成績を競い合った男の子を好きになりけかたこともあったけれど、私を待ってくれている彼のことを考えると、どうしても裏切ることはできなくて、気持ちを抑え込めた。
そんな思い出を抱えながら、高校時代の3年間は、周りが初めてキスしただのセックスしただの話している中で何も経験をしないまま過ぎていった。だけど、その分勉強も頑張ったことで有名な私立大学の政治経済学部に受かることができ、親も褒めてくれたり友人たちも祝ってくれた。
だけど入りたかった理由が「ネトゲで好きになった会ったこともない男の人のために頑張った」なんて、はっきり言うことは最後までできなかった。
そして大学入学後、彼からすぐに「桜を見に行こう」とデートに誘われ、初めて彼に会った。
写真で顔は見たことはあって、やっぱり年齢通りオジさんだったけど元々顔立ちは綺麗な人だった(と思っている)事は分かっていたので、ネトゲのオフ会や出会い系でよくあるような初対面の相手の見た目に対して嫌悪感を持つこと等はなかった。
デートの道中では、今までずっと電話やメールでしていたような何気ない話をすることができて、それができるだけでも幸せだと感じられた。
帰り際には不意に深いキスをされてびっくりした。今まで異性とキスすらしたことがなかった自分にとって刺激の強い体験だったのだけれど、それを友達に話したら「桜の散る中でキスするなんてすごくロマンチックだね!」なんて言われたりもして幸せな気分のまま初デートの日を終えた。
だけど、確実に違和感を覚える出来事が増えたのは、それからだったと思う。
初デートの日の後に彼からメールがきた。「○○(私)の家に遊びに行ってもいいかな?」という私の家に行きたいという旨のメールだった。「でも引っ越したばかりだから何もないよ?」と返信すると、「いいよ、○○(私)がいるんだから!」とかなりクサい文面が返ってきて、当時純粋だった私は喜んで彼を家に招いてしまった。
そこからは、エロ漫画の展開のように、服を脱がされてあれよあれよと処女を捧げてしまった。クジラックスのエロ漫画で女子中学生が和姦で犯されてる漫画が最近LOで載ってたけれど、まさにそんな感じだった。
そんなことを思ったけれど、すぐに忘れて彼を見つめる事しかあの時の私は出来なかった。
ここでかなり驚くことが起きる。Facebookのメッセンジャーアプリを利用したメール機能から、彼のセフレを名乗る女性から彼の裸寝顔写真付きで「私は彼とセックスしてヤリ捨てされました。あなたはこれを見てどう思いますか?」と川本真琴もビックリの暴露メールが送られきた。たぶん彼女は、私や彼のTwitter等のSNSを監視していて、私の存在を既に大学入学前から知っており、私と彼が家でデートしたタイミングでこのメールを送ったのだと思う。
私はさすがに初めての彼氏とセックスして数日で浮気暴露メールが送られてきたのは衝撃的過ぎて、最初は涙を流すことすら出来なかった。とりあえず彼に伝えると「え!?これはなんだよ!?オレはヤリ捨てなんかしてねーよ!なんなんだこれ!?」と困惑するだけの様子で何が起こったか分からない模様だった。まず否定するのはヤリ捨ての方なのかよ。
その後彼は長文メールで謝ってくれたが、しばらくした後に彼の共通の友人に彼とのメールを見せると「なんかナルシスト男のポエムみてーだな」とバッサリ切られた。(このメールを人に見せる私も大概酷い人間であるが、当時は浮気されたショックが抑えられなく、知り合いに相談しまくっていた。)
普通ならこれがきっかけで別れているのだろうが、当時は彼の事を「処女を初めて捧げた運命の人」のように見ていたので、「これを乗り越えなきゃ、きっとこれからも続かない!」とダメな方のポジティブシンキングの発想で関係を続けることを決意した。
だが、その後も試練は続き所謂「デートDV」や「モラハラ」だと思えるような発言や行動を彼は繰り返すようになり段々心を蝕んでいった。
例えば、ここで言える限りだと私が泣きかけても身体を痛めつけてきたり(彼が言うには『プレイの一環』)、私に対して暴言や「もっと可愛らしい口調で話せ!今のお前は可愛くない」「ちゃんとダイエットをして40キロ切らないと
別れる」などと、今の私を否定するようなモラハラ発言をするようになった。
その後交際を8か月程続けたが、結局彼から別れを切り出されて気づいたらフラれていた。
理由は、「お前の入っているサークルが男ばかりのオタクサークルでそこでお前がチヤホヤされてると思うとイライラする」といった私のオタサーの姫疑惑(実際はもっとほかにかわいい子がいたのでそのようなことはなかった)と「俺の命令通りにダイエットをしなかったからムカつく」といった終始ずっと私の体重の対する注文だった。ここは彼の頼み通りにしたかったけれど中々思い通りにダイエットできず体重を大幅に減らすことはできなかった。
今思い返してみると分かるのは、出会いからして、彼は私自身を見つめて好きになったというよりも「自分の言いなりになってくれそうな年下の女の子」を彼女にしたかったのだと思う。
だから、結局は彼は私のことが好きなわけではなかったのかなぁ、とも思う。最後まで彼の思い通りの女の子になれなかったのは悪かったと思うけれど、私の口調や体型を彼の思い通りに変えることは果たして彼のためになっても、私のためにはなったのだろうかと考えてしまう。
そう考えてしまった時点で私はもう彼のことより自分のことの方が大切に思えるようになってしまったのだろう。
そんな経験を経て、人のために何かをするより自分のために行動した方が人生うまくいくな、と考えるようになったのは彼のおかげもある気がする。
彼からは別れた後も何度か「会わないか」とセックスの誘いを匂わせる連絡は来たが、自分のために生きることを決めた私は彼に振られた後、大学内のサークルのかっこよくて優しい先輩と距離が接近するように行動し、交際を始めていた。
だから、彼には「あなたと会うと今の彼氏が心配するだろうから、会えない。ごめんなさい。」と送ったところもう返信は返ってくることはなかった。
彼が何しているかはもう分からないけれど、私が幸せに生きるためにはこれでいいんだと思う。
今でも親交のあるネトゲの友人にこの話をしたところ、「まぁあぁROではこんな出会いがあったけど次やるToSでもきっとまた新しい出会いが…」と言われたが『いや、ネトゲの出会いはもういいです』と即返答した。
オンラインゲームで大人と関わることは悪い事だけではないです。だけど、良い意味でも悪い意味でも人生を変えるような出会いをしてしまう経験をする羽目になる可能性もあるので、今ゲームにハマっている中高生には気を付けてほしいです。1回大怪我した方が人生上手くいくこともあるかもしれませんが。
都内のSI屋に勤めている。ありがたいことに今年も6人の新人が入ってきてくれた。ここ10年くらいかな、コンピュータに興味のない人が入ってくるようになった。採用するほうの問題なのだろうけど、やっぱり興味がない人ってのはすぐにわかる。作業を説明したときにその仕組みまでは考えないから。いったん手順通りに作業をする。ここでまた別れる。なんか自信のある人は、手順外のことが発生したときに、かなり無理な操作をする。予想外が発生したら連絡してください、というのだけれど、どうにも連絡したら負けだと思ってるようだ。
話がそれた。
コンピュータに興味がない人が多い。新人もそうなのだけれど、上司はほぼ興味がない。昔はあったのだろうけど、いつの間にかついていけなくなって、拗ねてしまって、男は現場じゃなくて人の上に建つ仕事をしてこそ、35にもなって現場で使われる立場なんて我慢できない、なんて言い訳を済ませて、リーダーやらになっていくのだろう。私は興味があるから吸収し続けて、ついていく、という感覚ではなく、そこにいる、感覚になっただけなのだが。結果的にフルスタックエンジニア(笑)になっただけだ。あと、フルスタックエンジニア、なんて、使う側が便利だからつけた名前だよ。そりゃ専門家数人使うより、1人にやらせたほうが安いからね。単に金の問題だ。フルスタックエンジニアなんて幻想だけれど、なかにはそういう人「も」いる。で、雇う側にしてみたらそういう人が都合がいいから、フルスタックエンジニアじゃないとこの先生き残れない、なんていう。選ばれないんだから生き残れないよ。でも、そんな人は東京にしかいなくて、何人いるんだろう。
また話がそれた。
政治経済学部卒で入ってきた男性がいた。どうしてこの業界、わが社を志望したのかさっぱりわからないのだけれど、ありがたいので研修してOJTとなる。すぐOJTとかヨコモジの名前を付けて現場至上主義になるのは中小の悪いところだけれど、こればかりはどうしようもない。すまない。で、OJTを始めるとすぐに判る。興味ないんだな、と。だから手順が判らない、とか、研修で聞かなかった、とかいう話になる。だから、説明する。自分で作業したほうがはやい位の時間をかけて説明する。その上でやっと手順を解ってもらえる。仕組みはわかってもらえない。興味がないんだ、とこちらが判ってからは「こないだ説明したように」なんて言わなくなった。興味がないから仕組みが判らず、だから以前の説明と今回の作業が結びつかない。毎回毎回あたらしいロボットが職場にやってくることになる。
でも、そのうちなんとか判ってきて、それなりになっていくのをずーっとみてきた。でも、興味がないから「知らないからやってみたい」にはならない。
長いうえに駄文。
http://www.news-us.jp/article/415730627.html
早稲田大学政治経済学部の学生読書室は韓国人の名前を冠している。
「早稲田はもう韓国に染められている、危険な大学だ。売国奴の陰謀を疑う」
という機知に溢れたコメントを残している。
ところで大学の施設に、大学へ多額の寄付をなした者の名をつけることそれ自体は珍しくない。
今回のケースもただ韓国人が日本の早稲田大学へ寄付をしたために、その名を永久に記念するべく読書室に問題の名がついたに過ぎない。
もし日本人が寄付をしていれば日本人の名が用いられただろうし、寄付者が中国人でもフランス人でもトルコ人でも同様である。
だからそこに韓国人の陰謀だとか、早稲田と韓国の黒い関係などといったものを見出すのは勇み足というものではないだろうか。
偶然、韓国人から寄付を受け取ったというだけのことであって、早稲田大学は韓国人の寄付しか受け取らない、というのではない。
それを踏まえた上で、良識保守派ネットユーザーは次の点を問題にしているのであろう。
1.早稲田大学が韓国人の寄付を受け取ったこと――日本人や他国の国民の寄付ならともかく、韓国人の寄付を受け取るべきではない。
2.韓国人の名をそのまま施設の名称にしてしまったこと――日本人や他国の国民の名ならいいが、韓国人の名前を用いるべきではない。たとえ韓国人からの寄付金が多額に及ぶものであっても、韓国人の名のみは使ってはならない。
3.韓国人の寄付の金額が、日本人その他国民より多かったこと――韓国人は多額の寄付をするべきではない。あるいはそれを上回る金額の寄付を、日本人や他国人は行なうべきである。