はてなキーワード: イェルサレムとは
イェルサレムは既にじゅうぶん難局だと思うがのう
http://d.hatena.ne.jp/flurry/18000920
「イェルサレムのアイヒマン」においてハンナ・アーレントは、ナチスの処刑者たちが自らの恐るべき行為に耐えた方法を正確に説明した。彼らのほとんどは全然邪悪ではなかった。彼らは自らの行動が犠牲者に屈辱や苦しみや死をもたらすことを知っていた。この苦境に対する彼らの逃げ道はこうであった。
「『私は人々になんと恐ろしいことを行ったのだろう!』と言う代わりに、殺人者たちはこのように言うことが出来た。『職務を果たすときに、なんという恐るべきものを私は目撃しなければならないのだろう! 私の肩に背負われた務めの、なんと重大なことよ!』」
このようにして彼らは、誘惑に抵抗するためのロジックを反転することができた。彼らの「倫理的」な努力は「殺さず、拷問せず、恥をかかせないという誘惑」への抵抗に向けられたのだ。こうして、哀れみや同情という自然な倫理的衝動に背くという、まさしくその行為こそが、倫理的に崇高であることを証明するものとなってしまった。職務を果たすことは、誰かに危害を加えるという重荷を引き受けることを意味したのだ。
書名 | 著者 |
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SEALDs 民主主義ってこれだ! | SEALDs |
時代の正体 | 神奈川新聞「時代の正体」取材班 |
右傾化する日本政治 | 中野晃一 |
社会を変えるには | 小熊英二 |
デモいこ! | TwitNoNukes |
私達は"99%"だ | 「オキュパイ!ガゼット」編集部 |
革命のつくり方 | 港千尋 |
デモ!オキュパイ!未来のための直接行動 | 三一書房編集部 |
希望の政治学 | 布施哲 |
日本人は民主主義を捨てたがっているのか? | 想田和弘 |
立憲主義について | 佐藤幸治 |
ぼくらの瀕死のデモクラシー | 枝川公一 |
政治はなぜ嫌われるのか | コリン・ヘイ |
日本国憲法新装版 | 学術文庫編集部 |
法とは何か | 長谷部恭男 |
憲法とは何か | 長谷部恭男 |
読むための日本国憲法 | 東京新聞政治部 |
タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか | 小林節 |
憲法は、政府に対する命令である。 | C.ダグラス・ラミス |
国家の暴走 | 古賀茂明 |
検証・法治国家崩壊 | 吉田敏浩、新原昭治、末浪靖司 |
ソフトパワー | ジョセフ・S・ナイ |
リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください | 井上達夫 |
キング牧師 | 辻内鏡人、中條献 |
I Have A Dream! | マーティン・ルーサー・キング・ジュニア |
隷属への道 | F.A.ハイエク |
世界を動かした21の演説 | クリス・アボット |
戦争プロパガンダ10の法則 | アンヌ・モレリ |
精読アレント「全体主義の起源」 | 牧野雅彦 |
ヒトラー演説 | 高田博行 |
劇画ヒットラー 復刻版 | 水木しげる |
悪あがきのすすめ | 辛淑玉 |
独裁者のためのハンドブック | ブルース・ブエノ・デ・メスキータ、アラスター・スミス |
輿論と世論 | 佐藤卓己 |
永遠平和のために 啓蒙とは何か 他3篇 | カント |
アメリカのデモクラシー(1上下・2上下) | トクヴィル |
国家(上下) | プラトン |
自由論 | ミル |
一九八四年[新訳版] | ジョージ・オーウェル |
動物農場 | ジョージ・オーウェル |
イェルサレムのアイヒマン | ハンナ・アーレント |
人間の条件 | ハンナ・アレント |
ソース:
http://pbs.twimg.com/media/CSmpHEIUwAAOfO2.jpg
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=10696
大手コンビニ・ファミリーマートオリジナルの菓子類に、「ぼくのおやつ」というシリーズがある。
率直に申しあげて大手の定番人気商品を潔さを感じる程モロパクリしたような品も多数あるのだが、
それを補って余りあるのがそれらがALL100円という、良心に苦しみながらもキャベツ泥棒を繰り返す
大多数の庶民を刺激する価格設定である。
なかでも私がとりわけ欲情するようになったのは、何を隠そう「無着色カリカリ梅(通称ウメ)」であった。
他の店の梅娘たちが客を取ろうと一心不乱に天然色素もしくは化学合成色素の赤色の化粧を施すなか、
ウメは青っ白い顔のまま口を開き宙を見ていた。かあいそうに頭が弱いのだ、と訳知り顔で囁く者もいたようだ。
いまさら何を恥じることがあろう。私は一目見た時からあの娘を奪いたかった。
紳士的な態度で舶来の菓子でも与えれば、白痴がかった娘をアパルトマンに誘い入れるなど容易いことだろう。
事実、その通りであった。
彼女の無防備な、しかし扇情的なセロファンの個包装を引き裂き、私は未成熟さを残した青い果実に歯を立て、
ゆっくりと舌で弄び、彼女が文字通り抜け殻になってもなお執拗にしゃぶり尽くし責め苛んだ。
私は朝な夕なファミリーマートに通ってはウメを半ば強引に連れ出し、白昼の公園、路上、オフィース,
食卓、衆人環視のなか所構わず彼女の果肉を貪った。ウメはいつも為されるがままであった。
しかし、私とウメの半ば一方的な蜜月関係は突如終わりを告げる。
ウメがファミリーマートから忽然と姿を消したのだ。店の者に問い質しても首を傾げるばかりで要領を得ない。
私は心当たりのある店をしらみつぶしに尋ねてまわった。
赤紙が来て紫蘇樽に連行されたのだという者。突如ラテン語を話しイェルサレムに向かったと言う者。
ウメの身を案じていたのではない。あの娘の不在のために刻々と溜まっていく己の欲望を充足させたかったのだ。