はてなキーワード: パンダ外交とは
で、でもパンダ外交に乗ることには反対したし…
なんか新人は大変そうだなって。
私がその増田で話していたのは「著書」の話です。ふつうの論文ではない。著書を出してる時点で既に何本か業績があるのは前提。
そんなん常識だろって思って文系のキャリアパスを説明しなかった私も悪かったと思うので詳しく説明します。分野によって違うけど、私の分野では、
さて、学術書というのは分厚いですね? 基本的に文系の学術書というのは論文を何本も積み重ねてようやく書けるサイズのものです。というか博士論文の時点で学術書として出版できるくらいのボリュームを要求されたりします(まあここは院によりますが、しかし薄い博論で学位を取れたとしてもそんな論文は本として出版できないかどマイナー出版社から出版するほかないので、評価されるちゃんとした書籍を書こうと思ったらめっちゃ書き足す必要があったりして、要するに「書籍の出版」を業績とみなすのも故なきことではないのです)。なので、実質的に論文を何本も書いたことがないと単著なんて出せません(私の院では、博士論文の提出に際して既発表の論文数などは問われません。なので発表した論文がゼロの状態で博士論文を提出することも理論的には可能なのですが、実質的にそんなの無理です。私の周囲の博士号取得者は何本も論文書いた上で博士号獲ってます)。
つまり、単著出してる時点で論文デビュー済みのことが多いわけです。
(ちなみにこの辺は国によって違ってて、日本だと博論は既発表論文を寄せ集めて書いても問題ないけど、たとえばドイツだと博論に既発表の論文を組み込まずに書き下ろす必要があり、なおかつ博士論文には出版が必須なので、ドイツで最初の単著を出した人のその時点での業績は日本基準では少なかったりします。そのへんの話はこちらのまとめを参照→https://togetter.com/li/9904)
もちろん、最初の著書が新書です、みたいな人もいます。院生時代に研究成果をもとにした新書書いて、そのあと博士号取って分厚い単著出しましたみたいな(『パンダ外交』)。むっちゃ分厚い修論書いてそれを単著にしちゃう猛者もいます(小熊英二)。ただそういうのはレアケース。また、博士号取得→別のテーマで単著を出版→その後に博論に基づいた単著を出版という流れもありえます。こっちは割とよく見るかな。講談社選書メチエの『湾岸産油国』とかそうじゃなかったっけ。
んで、良い論文を何本も書いたり、単著出したりしてると、インテリ向け商業誌とか権威のある学術誌とかからお呼びがかかります。「お前、うちの出版社が出してる商業誌に書いてくんね?」とか「お前、うちの学会で今度組む特集号に書いてくんね?」って感じです。これが例のセンセが言ってた「招待論文」。「依頼論文」と呼ぶ業界もありますね。当たり前ですが、程度の低い研究ばっかりしてると呼ばれません。
(査読がなくても良い論文が有り得るってのはそういう意味です。最近だと院生向けの紀要にも査読つきが増えてるけど、そういうマイナー誌の査読論文よりも商業誌に載った論文の方がよく読まれていたりする。当たり前だけど紀要の無査読論文とかよほど内容が良くない限りめったに読まれませんし参照もされません)
要するに、昔はどうだったかは知りませんが、最近では査読誌の論文が新人の登竜門として使われ、ある程度実績が増えると査読なしの論文を書く機会が増える、というのが私の周囲での割とよくあるキャリアパスです。それまでの実績がない若い人にも当然チャンスはあります。
中台の文化交流というが、パンダ外交と寸毫も変わらないのでは?
中国五千年の歴史と文化の粋がまとまって展示されている(昨師走、玄関の看板をみたら「中華八千年」と誇示されていて、その隣は法輪功の座り込みデモがあったが)。
言うまでもなく、蒋介石は中華民国の正統な権力継承を象徴する「三種の神器」として、中華伝統の宝物を夥しく軍艦に載せて、兵隊よりも大切に台湾へ運んだ。
台北に鎮座まします数万点の宝物は、換言すれば中国大陸のもの、独立主権国家台湾としてはありがた迷惑でもある。台湾には独自の文化と伝統と習俗がある。
そして故宮博物院の宝物の一部が北京で展示されることになりそうである。
14日に故宮博物院の周館長を団長に三日間の日程で北京へ赴き「交換展示」の詳細を協議するという(『台北タイムズ』、2月13日付け)。
北京がつけてきそうな条件は「以後、台湾の故宮博物院を『台湾故宮』と改称せよ、と言われるかも」。