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はてなキーワード: 道標とは

2018-05-28

嫉妬と戦い続けて勝った話

気づくまでが遅すぎた、傷つけるまではいつも早すぎて、取り返しのつかない別れもあった、それでも私を囚え続けた、嫉妬あるいは独占欲と、泣いて怒って無理に笑って、何年も戦ってようやく勝ち取った、悟り未満のちょっとした救いの話は、少し説教臭く聞こえるかもしれないし、何を今さら当然のことをと言う人もいるかと思うのですが、要は相手精神も肉体も、過去未来現在さえも、性欲の矛先も恋の宛先も安心の拠り処も、自分はそのどれについても排他の権を持たなくて、これは幼稚でロマンチック(=小説的)な恋愛観では受け容れ難い、しかし動かぬ真実で、親の死や自分の死と同様に、いつか受け容れないといけないものなのだと、本当に今さら説教ですが、これをどうか昨日までの私へ、今もなお嫉妬に苦しんでいる人へ、つらいね、その葛藤は正しいし、トンネルは思いのほか長く、思いのほか唐突に終わり、その先はきっと、おどろくほど明るく啓けていますよ。

記 迷ったときここに帰ってくるための道標として。

2018-05-09

キャラ必殺技台詞必殺技を決めた後の台詞
ヴァルキリーその身に刻め 神技「ニーベルン・ヴァレスティ貴様に救いの道などない
アリューゼてめえの顔も見飽きたぜ 奥義「ファイナリティブラストわりと楽しかったぜ
ジェラード我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁「イフリートキャレスこれは神罰じゃ
ベリナス心の痛みを知らぬ者め奥義「ボイドエクストリーム神の裁きを受けよ
ラウリィ神の名のもとに 奥義「レイヤーストームやったぞ、あはは
ロウファこの一撃で全てを断つ奥義「ジャストストリーム僕は自分で道を切り開いて見せる
ジェイクリーナこれが俺の最強の技だ 奥義「ギルティブレイク別れの言葉でも言っておこう
那々美(ナナミ)奉霊の時来たりて此へ集う、鴆の眷族幾千が放つ漆黒の炎「カラミティブラスト那由他の果てにお還りなさい
洵(ジュン)無限の剣閃、貴様に見えるか 神宮流剣技「千光刃」浄化など生易しいことは言わない、消えろ
シェルここは俺が決めるぜ 奥義「ファンネリアブレード」はっははー、こりゃあご機嫌だぜ
夢瑠(ユメル)汝は知るだろう、幾何なりし封縛が如何なる訃音を告げるものか「デルタストライク魔物さん、穴があったら入りたいですか
エイ身体が熱い、力が目覚める 奥義「ドラゴンドレッドあっははは、快感
ロレンタ汝、美の祝福賜らば我その至宝、紫苑の鎖に繋ぎ止めん「アブソリュートゼロこの場には静寂こそが相応しい
メルティーナ天の風琴が奏で流れ落ちるその旋律凄惨にして蒼古なる雷「ブルーティッシュボルトあんたらに存在価値なんてないのよ
ルシオヴァルキリー! 今一度俺に力を!奥義「ラウンドリップセイバーどうだ、思い知ったか!
バドラック悪いがとっとと死んでくれや 一撃必殺「スフィアデサイド」必殺とか言いたくねぇんだけどな、オトナの事情でよ
グレイ冷厳なる氷剣の儀式 奥義「アイシクルディザスター貴様たちに未来など必要ない
ジェイこれが我が師直伝の技 奥義「エターナルレイド」この技の前に立ってられる者などいないさ
詩帆(シホ)汝、その諷意なる封印の中で安息を得るだろう永遠に儚く「セレステアルスター魔は消え去るが道理
蘇芳(スオウ)肉体、魂、精神の全てを討つ! 奥義「氷葬方陣これぞ天意
ガノッサ我は命ず、汝、悠久の時妖教の惨禍を混濁たる瞳で見続けよ「ペトロデストラクション我が魔力は神をも屠るのだ
リセリア我、招く無音の衝裂に慈悲はなく、汝に普く厄を逃れる術もなし「メテオスウォーム」さらなる犠牲者を出すわけにはいかないか
フレイ浄化してあげるわ 神技「エーテルストライク何も残らないだけ、ゴミよりマシよね
レザード・ヴァレス其は汝が為の道標なり、我は頌歌を以て汝を狂宴の贄と捧げよう「カルネージアンセムこのような感じでよろしいのでしょうか!?ヴァルキュリア様……ふっははは
ラム轟然たる我が魔力の胎動奥義「ブラッディカリスさらばだ、脆弱なる者よ

2018-02-22

昔の恋

僕はある恋をした。去年の1月の末頃の話だ。

相手マッチングアプリで知り合ったカザフスタンから来た女性だった。

初めて会った時はラーメン屋に連れて行った。来日したての彼女自分勉強したという拙い日本語を使って、自分のことや、カザフスタンのことを頑張って話していた。

ただ純粋に1人の女性として魅力的だった。彼女日本大学大学院に進学することを目的来日して、日本語学校に通っていた。カザフスタン日本企業で働いていた彼女は、日本での進学に向けて頑張っていた。そんな彼女に、僕は恋をした。

彼女友達と3人で東京ドームシティ遊んだ。寮を出て先の友達と住む家を探す、という時には通訳、というと聞こえはいいけどどちらかというと家に関する説明日本語でする、ということもした。

彼女のことが毎日頭に浮かんでいた。2歳年上の彼女大人に見られたくて、彼女が好きなタバコをもらってふかしてはむせたりもした。

最後に会ったのは、だいぶ前になる。スカイツリーかすみ水族館に行こう、と話していたが、まだバイトをそんなにしてない彼女にはどっちも値段が高くて、ソフトクリームを食べることになった。その後彼女は具合が悪くなって、すぐに帰ってしまった。

それ以来、彼女からは連絡がなかった。僕はてっきり、何か失礼なことをして、嫌われてしまったのだと思っていた。何度かメッセージを送ったけど、一向に既読がつかないから、それこそブロックされてしまったのだと思っていた。

それからの僕は、普通に暮らしていた。勉強バイト趣味。全部、それなりにやって。9月には彼女もできた。今も付き合っている。彼女と恋に落ちた、それだけだった。もちろん、付き合う前、恋に落ちる前に、一瞬カザフスタンから来た女性、好きだった人のことが頭によぎった。でも、嫌われてしまったのだとしたら、どうしようもない。そう思って諦めた。

それからは、あまりその人のことを考えることはなかった。第一彼女がいるわけだし、考えるタイミングもなかった。

そうして、半年弱が過ぎた今日、突然その人から連絡が来た。その人は、昔と変わらない感じで、連絡をしてきた。僕はびっくりして、てっきり何か家に関して問題が起こってしまったのかと思った。でも、違った。

その人は、僕と連絡が途切れた頃、東京ドームシティ遊んだ友達と仲が悪くなってしまい、引っ越ししたことや、それこそ大学院について色々調べることで忙しかったのだという。

僕は、ああ、嫌われた訳じゃなかったんだな、と思った。とりあえず、久々に近況報告を兼ねて通話をすることにした。

そこでその人は、1年間の日本語学校で学ぶ留学ビザが切れるので、カザフスタンに帰るのだと語ってくれた。そこでお世話になった人、日本で会った人に連絡を取っているのだという。

大学院試験は落ちてしまったらしい。でも、その大学院教授と話すことができ、「日本での就職にはその分野の修士課程を修了したことがあまり役に立たないこと」「もし研究職に就きたいのなら、入るのも一つの道だということ」を教わったらしい。

そして、彼女は帰ることを決めた。僕が日本就職するのはどうかと訊ねると、試験が終わってからではもう遅く、前に就職活動した時には日本語能力試験のグレードN2をまだ取っていなかったので、就職もできなかったのだと教えてくれた。

僕は、どうしようもない寂しさを感じた。好きだった、というだけであり、今恋心を抱いているわけではないのに、ただ、寂しかった。

彼女はこうとも言った。せっかく日本語を1年頑張って勉強したけど、帰ってしまったら忘れてしまうだろう。少し、もったいなく思う、と。

何故だか、落ち込んでいる自分がいる。ただただ、寂しさを感じている自分がいる。これが何の寂しさなのかはわからないが、とても孤独感に苛まれている。

実を言うと、僕はその人に好きだと言ったことがある。しかし、彼女日本に来る時に、カザフスタンでの彼氏と別れたばかりで付き合う気にはなれない、と言って断られた。

きっと彼女は、特に覚えてないだろう。ただ、それでも、僕はしっかりと覚えていた。

彼女彼女なりに考えた結果が、カザフスタンに帰るということなのだろう。僕は彼女の何でもないし、止める権利もないだろう。

でも、何故だろうか。いざそう告げられると、まるで自分が1人になってしまうような感覚になってしまう。

これが恋でないことは確信できる。何故なら、前とは全く違った気持ちでその人のことを考えているからだ。それでも、不思議もので、やはり寂しさを感じてしまう。それこそ、もったいないなぁと思う気持ちや、残念だなぁといった気持ちが大きいが、それでない「寂しい」という気持ちが湧いて出て来るのである

僕は、彼女が帰る前に一度会ってみようと思う。どうなるかはわからないけど、それが僕の、僕がどうするか、ということの道標になる気がするからだ。

2017-12-21

そろそろ高学歴ニートが決定する

小生、そろそろ大学院中退が決定する。

そう、修論を一切書いていないのだ。

正確に言うと書けないのだ。書くネタもない。

決して怠惰からくるものではなくて、精神的な何かだと思っている。病院にも行った。

だがしかし、診察の結果鬱ではないと言われた。

問題は鬱ではないのに学校に行くことはおろか作業フォルダを開くことさえできないことだ。

怠惰と言われればそうなのかもしれない、自分客観的相談を受けたとしてもそれは怠惰だよと片付けるだろう。

からこそ誰にも相談できない。

おそらく誰に相談しても「頑張れ」「怠けるな」「鬱じゃないんでしょ」と言われて終わりだろう。

相談するだけ無駄、というか相談するほどに失望され評価を落とすだけだろう。

いわゆる放置タイプ研究室自分には向いていなかった。

自分ではもがき苦しんだつもりだ。

ただ何をすればいいかからなかった。

今まで必死に海うち際で砂の城を作っていたような感じだ。

砂の城を作っては波が来れば崩れ去るような作業永遠と繰り返していた気分だ。

そしていつしか砂の城を作る気力がぷっつり途絶えてしまった。

「どうせまた波が来て壊れていくんでしょう。」

問題中退後の人生だ。

内定は決まっているのだが、大学院中退でも受け入れてもらえるか、それが心配だ。

正直学生はもうこりごりだ。学生になんの未練もない。

今はただ早く働きたいという思いしかない。

社会人として社会で自立しているという身分に憧れしか感じない。

働けるなら最大限にコミットするつもりだ。

やり場のない焦燥感や矛先の見えない努力道標を与えてくれるのならそれは全力で受け止めたいと考えている。

今週あるいは来週あたりに人事の方に相談しようと考えている。

世の中はクリスマス幸せ気分に浸っているその時に、だ。

返事次第では晴れて高学歴ニートの出来上がりだ。

人生最悪のクリスマスと年越しになりそうだ。

親や親戚に会わせる顔がない。

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170805221741

其の彼とは別れなさいって、水子道標だよ。

まぁ、別に赤の他人がどうこうできるもんでもないけど。

しかし、文中に彼氏デカチン情報を織り交ぜるのはなんかのギャグか?

ふざけてるとしか思えないので、もっとトラバブコメでディスられると

あなた幸せになれるかもね?

2017-06-09

人の心とはメタフィクションではないのだろうか

人間の感じる感覚感情の大部分は、肉体を生き延びさせるために流される電気信号しかない。

それらに対して好意嫌悪感を示すべきは、本来本能であって心ではなかったはずだが、いつからか人は心を中心として電気信号を感じとるようになっていった。

そして、「何故自分は生きるのか」「何故苦しまなければいけないのか」という悩みを持つようになった。

元々、人の感情というものは、肉体を上手く動かすための道標であり、いわば作り話、フィクションにすぎない。

その事実に半ば気づきながら、その事への決定的な言及を避けるようにしながらも、己の存在に思い悩む人の心のありようは、さながらメタフィクションの如きである

2017-05-20

一本プレーヤーへの道標

40歳になった。もはやアラフォーどころじゃなくて、ホンモノのフォーティ

22歳くらいの時に40になったら年収一本くれー余裕っしょ!なんて思ってたけど現実には思った以上に困難だな。

年俸880万(基本給×16ヶ月がベースで、あとはインセンティブなど)

自主運用株式利益は今のとこ60万位

これが現在自力。やっと940万。あと60万をどうやって稼ぐかが喫緊課題

近道としては株式累積投資か。

制約多いけど、自社株式購入でプレミアム付与される制度があるのは大きい。

毎月30万を株式累積投資拠出すれば20%プレミアム付与されるので理論利益は年間で

72万で、更に売却益が付与されれば手数料を引いたとしても80万程度には届くはず。

ここまでしてやっと1000万超え。オッサンになった今の自分には、仕事モチベーションとか

キャリアよりもお金第一。ちなみに時計G-SHOCKお小遣いは3.8万円/月だけどな。

2017-03-17

オープンワールドが目新しくなかった

洋ゲーってノリが合わないからずっと避けてきたけど、最近国内ゲームでもRPGオープンワールド前提みたいな雰囲気になってみたから仕方なしに有名洋ゲーRPGを発掘してプレイしてみた感想

みんな騙されてると思うんだけど、こんなの今まで散々遊び尽くされたJRPGフィールド三次元化しただけだよね。

しかも見た目が変にリアルからよっぽど真夜中の遊園地っぽくて気持ちが悪い。

これからゲームってどんどんこうなっていくのかと思うと憂鬱

普通世界でさえ自由すぎて行き先を見失うのに、ゲームの中くらい道標をしっかり作っておいてもらいたい。

2016-06-17

復興道標・5年の歴史顧客減少、風評だけか 福島県外し「東北5県」

 「風評って一体何なのか。原発事故があったからこそ応援してくれる人がいて、大口取引につながった」

 東京電力福島第1原発から半径30キロ圏内広野町で、2012(平成24)年にコメの作付けを再開した新妻有機農園代表新妻良平(57)は語る。

 震災から収穫したコメ独自に獲得した顧客に直売してきた。原発事故顧客が減ったのは事実だが「米価の下落や後継者不足は原発事故から根底にあった問題だ」。そう割り切り、県内外のイベントへの出展顧客への丁寧な情報提供など、新たな販路開拓する活動に力を尽くしてきた。

 新妻応援する顧客は着実に増え、昨年の農業収入黒字に転換した。「やってみなければ分からない」。事故後5回目となる作付けにも自信を深める。

 一方、品質が安定し、値ごろ感のある県産米は業務用としては好評価を得ているが、原発事故による負のイメージは確かに残る。

 東京都大手流通業者担当者は「小売店には福島県産米を薦めているが、復興キャンペーンと銘打ったイベント以外は売れる保証がない。消費者放射線への理解は十分でなく、まだ福島県産米の取り扱いを控える小売店は多い」と明かす。

 復興応援をうたいながら、差別助長につながりかねない事態も起きている。福岡市本部を置く生活協同組合連合会グリーンコープ連合」が製作したカタログギフトで、東北6県のうち本県のみを除外し「東北5県」として紹介されていた問題が13日に発覚。同生協連は「福島県商品と出合う機会がなく、取り扱いが少なかったから」と釈明。今後は"東北6県"と明記し「福島商品カタログで案内していきたい」と話す。

 他方、一見風評が根強いとみられる教育旅行では、県外の学校は必ずしも原発への不安だけで本県を選択肢から外しているわけではない。

 「交通費が何とかなれば福島に戻すことも考えられるのだが...」。震災後、スキー学習旅行先を猪苗代町から長野県に変えた熊本県のある県立高校教頭は悩む。高速バスツアー事故を受けた運転手労働環境改善の一環で値上げされたバス代は予算を圧迫。別の高校では旅行日程を1日削減したほどだ。

 教育旅行の質も問われている。県内旅館ホテル関係者と全国で誘致活動を展開する県観光物産交流協会観光部長佐藤敬(49)は「福島教育現場ニーズに応えられているのか。他県に勝る素材がなければ選んでもらえない」と差別化模索する。(文中敬称略

2016-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20160323210254

非っ常によく分かる。自分も何年も何年も同じような思考ルートでハマっていたし、今も油断するとハマし、ある部分ではまだハマってるところがあるかもしれない。

この現象については、技術書の積み本している初心者への指針について書いた内容が結構参考になると思う。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n156280

ハマりそうになったとき自分道標としてるのは、

「今自分とり得ることが可能な手段を使って、ボロボロでもいいので、最低限の目的(ソフトの振る舞い)を達成するにはどうすればいいか?」を考えることだ。

一番有名で情報豊富そうな開発環境デフォルト設定のままで使い目的を達成するために近いコード前例ネットで散々探して、近いコード記載されてれば有り難くコピペコードする。

もし目的とあるライブラリを使って関数1つでできるって情報を得たならば、そこで初めてライブラリの取り入れ方を調べる。分厚い入門書1冊をあらかじめ写経しておく必要はない。あとで目次からライブラリの使い方」が辿れれば十分だ。

のもの必要になったら、その都度必要な道具を追加するし、ついに開発環境の設定を弄る必要が出てくる時があるかもしれない。でもそれはその時だ。今ではない。

どうしても分からないことがあれば、散々馬鹿にしていたyahoo知恵袋に恥を忍んで質問を投げる場面があるかもしれない。女子小学生を装って有名プログラマーに@を投げてみろ。最速で返事が来るはずだ。

トップレベルソフトウェア開発者ならレイピア+10が最強だと常識のように知ってるけど、こっちはそもそも手持ちのクラブしか存在を知らないし、持ってないが、まぁ小さな冒険はできるはずだ。

こういう必要になったらその時やろうって態度はソフト開発だどYAGNI原則って奴らしい。世界のみんなも悩んでるんだよ。心強いわ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/YAGNI

目的の達成」それだけが最も大事約束で、他はすべて余計なフレーバーだ。

エレガントなコード書き方や最新のテクニックベストな開発環境、新しい言語の利用などは全て目的達成するためのただの道具だ。初手から天才の振る舞いに惑わされてはいけない。

コピペコードオンパレード冗長ミスの発生しやすい古い表現方法、今では話題にもされない開発方式言語自分が知っている小さな手段

今の装備で目的が達成できる見通しがあるならまずはそれでいこう。見通しでわからない部分・足りない部分に気づけば、そこを明るくする方法を探すことをまずは一歩目にしよう。

ボロボロ状態目的が達成できたそのあと、じっくりとエレガントにすればいい。そして納得の行く仕上がりになったら、さも最初からエレガントだったように振る舞う(重要)

古い増田だが、事務方の人がエロサイト作ったケースが初心者の振る舞いの参考になるかもしれん。http://anond.hatelabo.jp/20101203150748

そして最短距離の測り方・とり得ることが可能な手段技術力が上がるに連れて変わってくると思う。ソウルレベルが上がってくると、天才の振る舞いが最短距離に対しての合理だと気づく部分がある。

最先端ツールを使えば、人的ミスを減らし、使用するリソースを最小限に抑え、変更しやすく、また問題特定も早い。それら全てに伴い、なによりやる気が削がれにくくなる!なんと素晴らしい。

Gitのおかげで破壊的な変更も気楽に試せるし、新規プロジェクトフォルダ(7)が何だったか思い出す作業から開放された!(※)

とにかく初手から最新の道具が必要かどうかと言われると恐らく必須ではないし、むしろ単に学習コストの支払いが上積みされて、目的達成への道を遠ざけるだけだろう。

そして支払いの負債が積み上がって行くにつれ、諦める率が上昇していくことを恐れないといけない。そしてついには諦めて亡者化する。

諦めに取り憑かれないためには自分が走り抜けられる最短距離を常に気にしないといけないし、実は回り道して当初気にかけていた天才が紹介してたツールを使いこなすことが結果的距離を短くする方法だったかもしれない。

回り道するか否か、このバランスの取り方は常に難しいし、自分も未だに失敗することが多い。これどうしたらいいんですかねえ。

まぁ締まらない終わり方ですが、元増田の良き冒険が始まることを期待しています

so the world might be mended...

※個人でやる分にはGitソース管理煩雑で開発効率が落ちてきたなと思ったら入れてもいいし、もちろん入れなくても良いと思う。(でも個人的には入れたほうが良いと言いたい。が、これにも惑わされるな。自分絶対必要かを判断しないと亡者化が近づく

2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151211164543

サディズムマゾヒズムが強すぎるんだよなあいつら。

自分の根源的な快楽を禁じて、信仰の強さを我慢することで実感するのが喜びって言うマゾ性と、

その教義倫理の名のもとに他者容赦なく裁くっていうサド性が両方強い。

このサド嗜好とマゾ嗜好は、結局正義への偏愛ってことにまとめられるのかもしれない。

あいつら正義っていう旗印が大好きすぎて、潰れそうになりながら旗印を支えることも、その旗印で他人完膚なきまでに叩きのめすことも異常に好んでる。

なんでそんなに正義を求め、その元に集い、その名のもとに行動したがるのかはわからんけど……。

ありがちな考察だと、過剰に正義たらんとするのは、劣等感不安が強いことの裏返しである、つまり劣等感が強いから正義の一員になることでマトモな自分というのを得たくなるし、不安が強いから正義という確固とした道標に従いたくなる、なんてのは言えるかなあ。

2015-11-25

夜道で妻の元彼に出会った

http://anond.hatelabo.jp/20151120141725 の後日のこと

仕事帰りに自宅近くの路上で妻の元彼を見かけた。

俺「こんばんは」

妻元彼「あそこにハヤブサがいる」

彼は5階建てのビル屋上を指差した。見上げると、なるほど屋上の角に大型の鳥のようなシルエットが見えた。

俺「例のハヤブサか」

妻元彼「道標をくれた」

彼は手の中にあった綿毛のようなものを俺に見せた。

俺「ハヤブサの羽毛か?」

妻元彼「水鳥のフェザーだ。獲物の残骸だ。そこの駐車場で見つけて、見上げたら、いた。」

俺「カラスが戻ったから、もういないのかと」

妻元彼「昼にはハヤブサの近くに若いカラスがいた。互いに攻撃する素振りもない。他のカラスあいつを恐れなくなった」

俺「平和共存。それは賢明かもな」

妻元彼「合理性ばかりでもない。あいつはセキレイを襲わないし、セキレイあいつを恐れない。他の小鳥容赦なく狩るのに」

俺「奇妙な選別だ」

妻元彼「君主エゴだ。奇妙といえば、ムクドリが1羽きりでハヤブサ必死攻撃するのを見た。群れるのが大好きなあのムクドリが。あいつの周りでは皆おかしくなる。」

彼はどれだけの時間ハヤブサの観察に費やしたのだろう。

妻元彼「飛んだ」

見ると屋上にいた影は消えていた。

俺「こんな夜にコウモリでも捕らえに行ったか

妻元彼「ここらのコウモリは狩り尽くされた」

いつから彼は見ていたのだろう。

俺「俺はもう帰る。妻に会っていかないか?」

妻元彼「ここに残る。狩りの結果を見届ける」

すっかり帰宅が遅くなった俺は心配した妻に怒られ、遅れた経緯を説明しなければならなかった。

2015-09-02

遠ざかる黒

20歳の頃、黒い服ばかり着ていた。

モノトーンファッション流行していたこともあって、黒い服は無難な選択だった。

黒を中心にグレー、白などをあわせて少しおしゃれな大学生を気取っていた。

そんなある日、確か雑誌の表紙だったと思うが、全身黒い服をまとった緒方拳さんの姿を目にした。

黒で統一しながらも、質感の違う黒を見事に組み合わせて着こなす、その姿に私は釘付けになった。

当時、緒方さんは60歳くらいだっただろうか。髪は全体的に白くなっていたが、経験と自信とほんの少しの茶目っ気を感じさせる彼の魅力を最大限に引き出しているのは間違いなくこの黒い服だった。

これだ、と思った。

これこそが自分の目指すべきスタイルだと、私は天啓に打たれたような気持ちになった。

と、同時に思った。

これからずっと死ぬまで黒い服を着続けるのだろうか。それはそれで何かつまらない。

そうだ、黒い服は自分の中の北極星にしておこう。昔の船乗り道標としたように、自分も道に迷ったときはこの黒い服を思い出したらいい。そして年齢を重ねた頃に戻ってくればいいのだ。

こう考えると、今、黒い服を着ていることがなにやらもったいないようなことをしている気持ちになってきた。どうせいつかは黒い服を着るのだから、今は様々な色合いの服を着たほうがいい。

こうして、私のクローゼットにはベージュやカーキや紺の服が徐々に増えていった。一方、黒い服はどんどん減っていき、やがて一枚もなくなった。

あれから20年が経った。

今、私のクローゼットは赤や緑や黄色の服で溢れ返っている。先日は赤地に白のストライプスキニーパンツ古着屋で買ってしまった。

私の北極星はどこか遠くに行ってしまったようだ。

夜空を見上げても星の姿はどこにもない。

目に入るのは色とりどりのネオン

「グワシ!」とポーズを決める楳図かずおの姿だけである

2015-03-16

日本自殺者が多い理由精神疾患に対する不理解があるのではないか

ネットの影響で精神疾患に対する情報が広まって、

心を病む人への道標は増えてはいものの、逆にそういう精神を病んだ人の症状や奇行などの暗部までも浮き彫りになってしまい、

メンヘラ(笑)馬鹿にしたり、酷いのになると穢多非人のごとき賤民扱いするような人も少なくない。

メンヘラになったら見下される」こうした観念がこびりつくと、

人は病んだ心を医者に見せることを恥じ、診療を選ばず一足飛びで死を選んでしまうのではないか。

メンヘラは恥ずかしくない、医者にかかるのは恥ずかしいことじゃないってことがもっと世間認識として増えるといいと思う。

ただ経済的苦痛など、精神疾患治したくらいじゃどうにもならない問題からの逃避としての自殺はどうにもならないが…

2014-10-29

HTML5は、終わった。

HTML5がやっと勧告とか良く分からない言葉になったが、ちゃんと現状を認識しておこう。

そもそも、HTML5目的は、新しいHTMLなんかじゃない。

正確には、新しいHTMLなるための道標だったのだ。(過去形

君たちは、window.alertという関数を知っているだろうか。

この関数HTML5定義された最新の関数だ。

え?と思うかもしれない。でも、これこそがHTML5役割だった。

HTMLは、昔、ドキュメントだった。

ドキュメントにalertなんて在るはるがないのだ。

そうやってHTMLは分断されていた。

HTMLというドキュメント操作するAPIとしてDOM。そして、それ以外のAPI黙殺

XHTML1.xでも、それは繰り返された。

XHTML2.0が失敗したのは当然ともいえる。分断されたままアプリケーション拡張しようとしたのだ。

現状を省みずに、ただ夢を追った。

しかし、カウンター存在した。

HTMLの現状を認識することこそ大事であると。

既にHTMLドキュメントではなくアプリケーションであると。

アプリケーションとして見たHTMLには、windowというオブジェクト存在している。

それは”標準仕様”という名前を持たないだけの標準だと。

彼らは現状を定義した。HTMLを再定義した。

次に進むのに必要なのは新しい夢などではなく、現状の再認識だ。

認識さえすれば必要なモノは勝手についてくる。

そう、それがW3C採用され、君たちの知っているHTML5になった。

HTML5の次のバージョンは何ですか?」

HTMLからバージョンを消すことです。バージョニングなんて考えは古い。HTMLは常に更新されるものです。」

彼らはそう語っていた。

HTML5は新しいモノだと勘違いされたが、そうではない。

それは1つの側面でしかない。

大切なのは定義だ。だから勧告なんて待つ必要も無い。

window.alertがクロスブラウザで使える。それがHTML5だった。

君たちは、気付いてるだろうか。

以前よりもクロスブラウザで悩まされることが減ったことに。

最近はまたカオスになってるけどな!)

それこそがHTML5意味だった。

だが、それでも道を踏み外した。

また夢を盛り込もうとした。アプリケーションならアプリケーションなら。

そして、HTML5は、HTMLの再定義という意味を奪われて

新しいアプリケーションプラットフォームという肥料でまるまると太った豚になった。

豚は、そのままでは動かなかった。

HTML5の次のバージョンは、何ですか?」

HTML5.1です。」

HTML5は、終わった。

2014-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20140913003832

お前の意見あくまでもお前の立場視点から出た一方的ものしかないから自分に対しては甘く見て、相手に対しては厳しく見る。

からそんなことで優越感を覚えるのは間違いだよ。

まあ、お前の言葉を借りるなら。向こうもこんな風に思ってるよ。



俺の高校野球部別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。

俺はこの夏で野球部引退し、大学受験のために塾に通い始める。

入塾にあたって面談の為に塾を訪れることとなった。

簡単なあいさつがあって、そこから塾長と俺による面談が続く。

得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活ことなど、なんてことな普通面談だ。

塾長の声は穏やかで、淡々としていた。

それに対して俺は「はい!」「はい!」と元気よく返事していたが、具体的な事は何も答えられなかった。

「行きたい大学は?」「……特には決まってないです。」

「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」

もちろん、高校の3年間を部活に捧げることはすばらしいことだ。

何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちも多くその行いを賞賛する。

しかし、だからといってそこから引退してしまったら何も残らない、というのは間違いである。

夢も目標もそこから前に進むための道標となるものは何も無いが、少なくともオレには、三年間を部活に捧げた実績、そしてそれをやり抜いた成功体験がある。

体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」なんて事を口にするけど、

後に残るものはそれだけだ。そして、それだけで十分なのである

オレは体育会系だった。活動の中で将来やりたいことも見つからなかったし、今何をすべきかもわかっていない。

文化部の連中のことはよくわからないが、少なくともオレには進路や将来のことを知ったかぶりしているだけのようにしか見えなかった。

部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎること、それだけで得られるものもあるのだ。

どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。

彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ……という、意見もあるだろう。

しかしオレには物事をやり抜くだけの精神力があるから、何でもやり通す事が出来る。

目標さえ決めれば、そこへ到達するだけの精神力は既にある。

目標を達成する事と目標を決める事、どちらが楽だろうか。

文化系の連中はいつも目標や進路を明確に定めて努力している風の顔をして、しばしば体育会系の俺らの努力を見下すが、はたして奴らに奴ら自身の定めた目標への道筋を完走するだけの精神力が本当にあるのだろうか。

俺にはある。

そして後は、志望校という目標を、数ある大学の中から選ぶだけである

それがどんな険しい道であれ、完走する自信は既にある。

どんなに暑い日も、どんなに寒い日も、グラウンドでしごかれ汗を流していたあの日々に比べれば、正直どのような困難も恐れるには足らない。



ってな。

精神力を育てるという部活なるもの

わたしの高校野球部別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。


その日わたしはいものように塾で自習していた。

塾長はここ最近続く新しい塾生との面談のことで忙しそうだ。

しばらくすると、一組の親子が来て面談が始まった。その声を聞いてすぐに、自分同級生だとわかった。

彼はこの夏で野球部引退し、大学受験のために通い始めるそうだ。

簡単なあいさつがあって、そこから塾長とその生徒による面談が続く。

得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活ことなど、なんてことな普通面談だ。

塾長の声はいつもどおり穏やかで、淡々としていた。

それに対して生徒は「はい!」「はい!」と元気よく返事するが、具体的なことは何一つはっきりしない。

「行きたい大学は?」「……特には決まってないです。」

「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」

高校の3年間を部活に捧げることはすばらしいことだ。

何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちもさぞ彼を賞賛することだろう。

だがそこから引退してしまった今の彼には何があるのだろうか。

夢も目標もそこから前に進むための道標となるものは何も無い。

体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」などと言うかもしれないが、

たとえそうだとしても、果たして後に残るものはそれだけなのだろうか。

わたしは文化部だった。活動の中で将来やりたいことも見つけたし、今何をすべきかもわかっていた。

から運動部のことはよくわからないが、少なくともわたしには部活引退した彼らが抜け殻に見えてならなかった。

部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎることは案外危ういことなのかもしれない。

どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。

彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ。

2014-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20140220141948

繰り返しの説明になるが、

“己の心と正面から向き合う”というのは何も、自身の精神性や魂の存在に対して定義しようという試みの事ではない。

現実に際して直面した問題に対し、折れそうになったり投げ出しそうになったりする己の心と戦う」という意味だ。

さすがに説明するまでもないが、現実において自らに降りかかる問題にきちんと対応するという意味である

心理学の話ではなく精神方向性の話であり、そして机上の学問ではなく実生活の話だ。


また、余力があるすなわち精神的余裕があるという事であれば、わざわざ信仰を求める必要もない。

辛い時悲しい時に自らを救ってくれた信仰を、困難を乗り越えた後も持ち続けておきたいという気持ちは自然ものだが、

持っていれば繰り返し頼ってしまう。その過去成功体験が、依存心を生んでしまう。そして信仰は万能ではない。

そしてここは最も大事なところだが、信じるものがどれだけ尽くしても、信仰は万能たり得ない。

重い信仰はやがてスロットマシンジャックポットのようなものとなり、いずれは「こんなに信じたのにこんなに尽くしたのにこんなに祈ったのに、どうして何もしてくれない」となる。

信仰が深まれば御利益はいずれ釣り合わなくなる。信仰を次第に深めてゆけば究極的には必ず裏切られるという事でもある。

運命を左右すると思われがちな恒常的な存在、それに祈りを捧げ続けるという事は、見返りを求めているという事である

いい事が起きるように祈る人間ばかりではなくても、悪い事が起きないようにと祈る人間は非常に多い。

神が人の造りしものかどうかはわからないが宗教は人が作ったものであるように、

仮に神が万能だったとしても人の信仰は万能ではない。

信仰疲れた時に背を預けるべき大樹であり、立ち直ったら背を向けて歩き去るべき道標でもある。


元記事が読めなくなっているので概要しかからないが、

お守りはお守りである

信仰心のない人にはただの布切れと板切れであり、信仰心のある人には自らを守る護符だろう。

心が弱ってる人にあげれば有難い贈り物であり、加護必要としない人にあげればいらない貰い物だろう。

ハサミで切るのはお守りなんてもう必要ない人であり、ハサミで切らないのはまだ必要な人だろう。

人それぞれだ。


善行には必ずしも良い結果が伴うものではない。世の中はもっと理不尽だ。

因果などというもの存在しないし、応報なんてもの被害妄想の一種に過ぎない。

強く生きられる人間はそのまま強く在るべきだ。

ただ弱い人間や、少し弱ってしまった人にとっては、宗教の説く優しい嘘がとても暖かい光となる。

その嘘を一時信じて、安らぎの中でやがて強さを取り戻して、そして、いずれはその嘘から目を覚まして、再び現実に立ち向かうべきである

また弱ったらまた信じればいい。また立ち直ったらまた目を覚ませばいい。

宗教はそうやって利用するべきサービスであり、心のセーフティーネットだ。人は詐欺師にさえ癒される。

いっとき癒される事はあっても、長々と依存するべきものではない。



このツリーの頂点はこちらが書いたものではなく、またエントリ聖職者への質問コーナーでもないため、

できればまだ続きがあるのならばブログの方で聞いてもらいたい。

2014-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20140218062823

それを個人的な、私的な信仰定義する事はできない。

なぜならば、戒律教義が明確かつ厳密には存在せず、その代わりに、“広義における社会正義”を標榜する宗教法人群というもの存在するのであって、またそれらは、滅多にお目にかかれない珍しい存在という訳でもない。(定義が広いためにかなり曖昧表現だが)

そういった団体が何を追求するのかというと、ある種の“健全さ”、“清浄さ”を追求する。

あえて言うが、そこに所属する聖職者達はつねに不健全さというものを決して容認する事なく、そして健全さをこそ理想形・到達形として求める。例を挙げれば、それぞれの家庭における子への教育も厳しい。時代錯誤ささえ覚える程だ。

から、「自分の足で立たねばならない」「自ら歩き出さねばならない」という、何よりも自然さを追求する姿勢は、ごく個人的かつ私的な信仰である定義できるものではない。そもそもこちらに信仰心などない。一番最初に書いた事だ。

ときに、弱っている人にとって、宗教という存在特に優しく見えるものだ。神という存在に縋り救いを求める気持ちもわかる。しかし神に癒され、信仰に癒されて、元気を取り戻した後もなお宗教にべったりと寄り添ったままでいるのは、不自然なことでしかない。

それは、信仰の有無に関わらず理解できる論理的帰結であって、そしてここで今一度前述の夫婦の話に立ち返るならば、数年もの長きに渡り定期的にお参りに来る彼らに対しては、職場聖職者達全員が「いつか神恩感謝の祈願に来るといいね(※願い事が叶った御礼を申し上げる祈願のこと)」と共通した感想を抱いている。

しかし、その聖職者達はあくまでも、意思決定の結果として提示された「祈願依頼」を忠実に誠実に遂行するのみであり、意思決定に至るまでの相談を受ける事はない。そもそも相談される事もない。

それはなぜかと言えば。宗教が迷える人の道標になる事はあっても、聖職者が迷える人の手を取り導いて都合のいい未来へと連れていく事はできないからだ。

そこに自らの意思が介在しない決定は、ただの他人任せの結末にしか辿り着かない。

からこそ、一番最後自分の判断で方角を決めて、自分の足で歩いていって貰う為にこそ、良く考えてから職場へ来てもらい、祈願を受けるか否かを自分の手で決めてもらうのだ。

一見、どうでもいい手順に思えるかも知れないが、これはとても重要な事だ。

一番最初の選択を自らの手で行ったかどうかは、後々尾を引いてのしかかってくる。

弱っている人は迷いやすい。頼りやすい。自らの意志を投げ出しやすい。

祈願依頼者の意志を左右する事は分を超えた行為であるために、カウンセラーの真似事は誰もやらない。

物語最後舞台の上からゴンドラに乗って降りてきて、登場人物達の結末を一人で決めてくれる、デウス・エクス・マキナの様な存在実在したら楽だろう。心が弱ってる時、苦難に直面した時、そんなもの夢想するのもやむを得ない事だ。

だが現実にそんな都合のいい存在はなく、仮に自分の選ぶべき道を他者が全部決めてくれた事があったとしても、それはもはや自分人生とは言えないのではないだろうか。

自らの事は自らで決める事に意味があり、それが自然である。そういった社会正義全般を尊ぶような信仰を持つ人々が、世の中には大勢いる。

2013-12-04

虚数時間は我々の予測臨界を超え

虚数時間は我々の予測臨界を超え、絶対明度を保ちながら半翡翠系の償却を反芻している。自己と飼猫の因果杞憂より出づる撲滅世界混沌瞑想神経の齎す瑕疵とを綯交ぜに茫漠とした紗紗と蚕を行き来する。熱烈なる過保護によって朴念仁生産する孤高なる過程は、明滅する光束の結び目から漏れ出す蒸散による化天を誘い、露光による庶子の影を永遠に棒状の壁画に内在せしめる。既知の文書が未知の閲覧者と邂逅した時、戦前の見開かれた鉱山での惨劇を三度繰り返しながら、双頭の獏が絶命の折に嘶くのと同期して、別離による救済を市井同胞に振りまく真似事をする。叙勲されし数多の草魚が道標を尽く薙ぎ倒し、その後釜に座る極小なる淫らな猩々が紅の印鑑を倒れゆく少女像に拭い絡ませる様は、恰も冷静なる貴族が病状をひた隠し越冬の危機を乗り越えるのに似る。時々刻々と謀殺されし護摩壇の姫君の肢体が腐敗と熟成の報奨に狂おしく同調している折に、微細なる裂傷を結合しながら徒歩にて断崖を捻る未練がましい使徒が手にした免状を衣と引き換えに八つ裂きにする。傍若の限りを尽くした赤児と液状化した母親が手を繋ぎ目真苦しく螺旋を描きながらもう一人の裏切り者足跡を舌で滑らかに擦り、その呪縛に素っ頓狂な声を上げた隣人が悪鬼と冒険した凡人と化して急襲しながら霊山の内部構造に激突した。唖然とする七匹の蛙は幕間に喇叭を回転させながら右側だけでタンゴ祭り、渦を巻いた板状の貝殻の上で割譲される順番を望んでいる。早朝に深淵より点在せし顔面が、虹色に曇った延髄を海面に落とし、塗り固められた臍帯を蛇腹にしながら浄化槽で探索する二連の秘部を必死に灯台に繋ぎ止めようとするが、監獄より返納された御影石の売人達による秘密組織が泣き声を追跡しながら別居中の蓮根畑の先端に波及してくれと請願したため、橋の開閉により眼球が飛び出して乳白色の絵画侵蝕し、慈愛と連想ゲームから成る仏の荒野に自ら至った。

2013-10-22

やべえまだキルラキルみてないよ

http://anond.hatelabo.jp/20131022021346

個人的に、創作が好きなら2次創作でなくオリジナルでやってほしいと思ったりする

ほんとそう思う。

そうやってどんどん作品の5W1Hを転がしていっても、変わらないのがそのキャラ、その世界観本質だ。

ここまで出来ると、キャラクター世界観自分の血肉になる。

監督とか声優だとかそういう次元をどんどん取り払って、そういった作り手の元からすらはなれて、作品は完全に自由な存在として自分の中に存在する。

血肉になってる作品の5W1Hをいじるのは、創作関連のHow toにもよく見かける

ちなみに、ちょっと好きな流行モノでやると安易パクリに見られやす

借りた猫を動かすには手間がかかる

で、そこまで行ってるなら、もうオリジナルでいいじゃない

まあでも、二次創作でないと無名のオリ作品なんて見向きもされないので

作ったからには見てもらいたいので二次創作になってしまうよなあ

その辺ボカロ周りってミクさん辺りのアイコンさえ揃えておけば

オリジナルでも比較的見てもらいやすいので創作者が集まったのかなとも思う

あと、監督とか声優とかチェックするのはまだ見ぬ名作になるべく早めにアクセスする道標から

自分にとっての名作に出会った時、それがレンタルとかで遅れて見たやつだと

感動の後に、なんでコレをもっと早く見ておかなかったんだ!って後悔がどどっと来る

まどかマギカとか、オンエア録画で10話見て泣いて震災来て

これから日本世界まどマギラストはどうなってしまうんだろう

って経験できたのは、自分に放映前「新房×虚淵血だまりスケッチ」で

クスリとする程度の蘊蓄があったからで

グレンラガン大好きで、パンストも好きだけど今石監督だけだとFLCLみたいな

オサレバカアニメになるんだなあ、あ、やべえ、まだキルラキルみてないよ

2013-10-07

気づいた

あんなに体に付いて離れなかったギザギザが平坦な毎日を転がって均されていた。

昨日に置いていった破片は脱皮した皮のようにも、二度と戻らないキラキラした粒にも見えた。

明日の方向に見えるあの星は、何者にもなれなかった何かが作り出した幻か、

ポケットに忍ばせたハンカチから拵えた夢なのか。

誰も教えてくれない明日に向かって誰が道標を作ってくれる?

自分にはそんな権限や、実力や、言い訳が備わっていないのに、道標自分で作れと叫ぶ未完成品たち。

パーツが欠けたまま今日が終わる。昨日と明日、どちらに向かえば良かったんだろうと思いながら。

2013-05-07

管楽合奏の謎

アマはい弦楽器奏者の自分にとって、合奏は割と日常的な話だったりする。

それで、基本的なノウハウはどんな楽器だろうが大して変わらないと思ったら、管楽器は正直かなりトンデモに見えることをやっていたという。


まず驚いたのが、何でもかんでもチューナー頼みという話。

まあ個人練習やオケオーボエのAのときくらいはいいけど、合奏最中までいちいちチューナーと睨めっこして「私の音は合ってます」とかどうなのよ。

合奏において、チューナーとピッタリという程度で「音が合っている」とか「ちげーよ!」としか言いようがない。

発音体や共鳴体の組み合わせで音が大きく異なる楽器同士を、綺麗な響きで合わせるという非常に難しいことをやっているのに、チューナーを持ち出したところで全然解決策にならないと思うけど。

というか、チューナーばっかり見ていたら合うものだって合わねーよって、そんなことも分からないのだろうか。


次に驚いたのが、指揮者がいるときに棒だけを命綱にする合奏態度。

別に指揮者を当てにするなとは言わないが(まあ弦は基本あんまり当てにしてないんだけど)、お互いが自発的に聞き合って連携しているところに棒が介入し、グランドデザイン的な道標になるのが順序じゃねーの?

というか指揮者からしてみたら万が一の振り間違い→アンサンブル崩壊とか、恐怖以外の何者でもないだろう。


というわけで、ここまで「そう見える」だけで書いてみた。

やはり弦と管では、同じ器楽というジャンルであっても、音楽の捉え方が大きく異なるのだろうかと思わされる。

2013-04-25

目白夜明け前

 目白駅のあたりまで来ると、景色下町とはずいぶんと様相が変わってくる。

 どちらも古い家が点在していることに変わりはないが、このあたりの家々は門構えがしっかりとしていて、古いというよりは貫禄があるといったほうがしっくりとくるだろう。空間的な余裕を持って家は建てられ、太くたくましい植木がうっそりと枝を広げて街灯の光を遮っている。

 駅の向こう側にぽっかりと黒い空間があるが、あれは大学だろうか、それとも病院だろうか。目白駅のそばになにがあるのか、私は思い出せなかった。

 日暮里から延々と、私は山手線沿いを歩いてきたのだった。ほとんど気まぐれに歩き始めた道は意外に入り組み、ともすれば線路を見失いそうになる。夜中であるために電車も走っておらず、道標となるあの特有の音が聞こえないのが余計に道を困難にしているようだ。それでも、目白あたりまで歩いて来れば、線路伝いに歩く要領は覚えてしまう。

 私は早足に暗闇を歩いた。夜の街はひっそりとしていて、大きな通りですらもほとんど車が走っていない。首都高にはトラックが走っている影が時折見えるが、静寂から鑑みれば、とてもここが東京だとは思えなかった。

 月はもうとっくに沈んでしまっていたが、街灯の明かりが届かないところまで来ると、かわりに星明りが私の足元を照らす。星明りを明るいと思うことなど、山奥の空気の澄んだところまでいかねばないのだと思っていた。でも、私の足元にできているのはまさしく影だった。

 私は外を歩いているのだった。ここは光の入らない函の中ではなかった。空の色は黒というには少し薄く、まだ夜が明けていないというのに、カラスがもうどこかで鳴いている。その体が闇とほとんど同じ色のせいで、私からはどこにいるか認識することはできないが、いつもは恐ろしく思える風切り音を、今は無性に聞きたかった。たしかにそこに呼吸するものがいて、かすかな光を享受しているのだと、その生き物とわかちあいたかった。

 混乱を混乱として頭の中にとどめたまま、時折私は空の色を確かめるために足を止めて背をそらした。仰ぐたびに空の色が変わり、目に入る明るい星の位置が少しずつ動いている。空気晩秋のように冷え込み、私は両腕を抱いて白い息を吐いた。息を吐くたびに、体の中の淀んだ空気が掃き清められていくような錯覚をした。

 うっすらと白み始めた東側の空は徐々に濃い色に変わり、まだ西側に残る夜に溶けている。深い藍色の空は弧を描き、靄のようにうっすらと筋雲が線を引いているのが見えていた。夜と昼の継ぎ目はどこにもなく、朝に追いつかれつつある星ぼしが姿を消そうとしている。夜明けが近づいているのだ。その光景はいかにも静かで、そして整然としたさまを保っていた。ただひたすらに、美しかった。

2013-03-02

webフレームワーク王道としての役目を終えつつあるRails

そろそろRails4が出るらしいが悲しいほどに話題にならない。webフレームワーク代名詞存在メジャーバージョンアップにしては寂しい限りだが、そんな現実に正直納得してしまう俺がいる。

8年前に生まれたRailsバージョン0.*で世界中に衝撃を与え、1.*で数多の模倣フレームワークを生み出し、2.*でその名声を確固たるものにし、3.0で完成した。

2から3.0にかけては大規模な変更を伴ったがいずれも素晴らしい変更だった。今見ても3.0は素晴らしい出来だった。

しかし3.1以降のRailsはどうだろう。改善と呼ぶにはあまりにも実験的な変更が多いのではないかバージョンが上がる度に失われて行く互換性とノウハウ。変更をキャッチアップするだけでも一苦労だが、キャッチアップするメリットを見いだせないのがさら苦痛拍車をかける。もはや10分でブログが作れるとセンセーショナルな印象を与えたあのシンプル実用的で敷居の低いRailsは無くなった。

現在Railsの動向についての開発者DHHの発言をボクなりに解釈するとこうだ。「Rails実験的なプロダクトで、より良いwebテクノロジーを生み出す道標」。今のRailsは確かにそういう道を歩んでいる。先進的ではあるが実用性に疑問符が付くような技術でも積極的に取り入れる姿勢を貫いている。

確固たる位置を築いた後は保守的な道を歩まざるを得ないプロダクトが多い中でRails真逆の路線を進み出したが、しかしその結果Rails学習コスト新人でも中堅でも等しく高いままだ。なぜRails精通したエンジニアが首を傾げながら新しいバージョン勉強をしなければならないのか。その新機能は誰のための変更だろう。より良いwebのため?そういう実験が適さないほどRailsは大きくなりすぎたように思う。

次の4がDHHが直接関わる最後バージョンになるのではないかとすら思っている。もう彼自身webフレームワークというものにあまり熱意を抱いていないのは明白だ。

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