はてなキーワード: 基地問題とは
辺野古の座り込みに行った。ちょいちょい身バレ防止のためフェイクを入れるが行った時期はひろゆきが行った以降とはしておく。
自分のスタンスとしては「基地も軍もそりゃない方が良いだろうが、警察や税金が嫌でもあるように存在するのはしかたないことだし、ましてや沖縄は要衝であり普天間の危険性を考えれば移転やむなし」というもの。
まあ比較的保守(彼らの言い方を借りれば右翼)にあたると思う。
結論から述べると今あるような基地反対運動は彼らがこの世を去る時同時にほぼ消滅していくだろうと感じた。三点理由を挙げる。
朝早くから高齢者たちが常連感を出しつつ(これはまあいつも来ているのだからそうではあるが)ニコニコしながら集まってきて、「時間になったから始めます」と言いながらどこかで聞いたような声のあげ方をし、予定通りに機動隊に排除され、昔の学生運動を紹介する映像で見たような動きをする……はっきりいってめまいがする思いだった。何もかもが古いのだ。
全ての情報媒体は新聞、テレビ、個人が作る新聞めいたチラシ。以上。そしてそれを継続していることに誇りを持ち、新聞やテレビを見ない若者は不勉強だくらいの雰囲気をひしひしと感じた。
私は一日や二日しかいなかったため全てを見たわけではない。ないが若者を取り入れようとしているなら、比較的若い私が来たときくらいは率先して「ネットで、You Tubeで、インスタ、ツイッターでこんなことやってるよ!」と取り込みを図るくらいの気概は見せてほしかった。
そういった姿勢は全くなく、それでいて若者が来ないと嘆かれても「そりゃそうでしょ」としか言いようがない。
たとえば基地反対のデモのはずなのに、土砂搬入ゲート前で行われた最後の主張は「シュプレヒコール!」と数度叫んだ後に「基地建設反対」「岸田政権を許すな」「戦争反対」「きれいな海を返せ」「ロシアは侵略を止めろ」「軍は出ていけ」「自衛隊の共同利用反対」などなどこれでは収まらないほど沢山のことを言い募るものであった。
まず出だしから古い。シュプレヒコールって……まあそれは良いとして基地建設反対の集会・デモじゃなかったんかとこの時点で言いたくなった。
その後(正直行きたくなかったが)テントの中まで付き合って主張を聞かされたが「天皇を許すな」「マイナンバー反対」「アベ政治は未だに禍根を残してけしからん」などと口角泡を飛ばす。これで新規参入ねらいは厳しすぎる。
まず論点を一つに絞って間口を広げないことには新しい風は入ってこないだろう。
基地反対、米兵の非道は許しがたい、普天間は危険だ、戦争は繰り返してはいけない。こういったことは確かに真であるし、私もそういった部分は直していかなければならないし、また戦争反対の意見はまっとうだと思う。
だがそれに対して「どうすれば戦争は起こらないのか」とか「基地や安全保障とは何なのか」といった視点は皆無であった。ただ反対、ただ怖い、ただ嫌だ。それだけがあった。
それなのに「私は基地移転もやむなしかなと思うんですよ」などと言おうもんなら話を聞いてくれる雰囲気でもなかった。議論をする気はないのである。
もっと言えば、彼らは基地と駐屯地の区別もついていないし、若者がこの現代において過激なデモに参加することへのリスクも解っていないし、台湾問題は中国の国内問題だから日本には関係ないと本気で信じている。
反対運動は尊いものであろうし、平和を希求する心は評価されるべきだ。しかしそこに軸足を置きすぎるあまり彼らには基地建設以外の何もかもが見えていないように思えた。
これはあくまで個人の感想であり、私が実際に行って思ったことでしかない。これを読んで「ああ、やっぱり辺野古って、沖縄ってこんなもんか」と思うより前にぜひ沖縄へ実際行ってみてほしい。
沖縄県民にも賛成派と反対派はいる。だが基地問題はどう言いつくろってもそこにあるのだ。それをどう表現するかの違いでしかないが、私には少なくともこの活動はこの世代以降にはつながっていかないだろうとしか思えなかった。
そしてこの手の左派運動は全国的に終焉を迎えていくだろう。なぜなら同じ雰囲気はどの左派運動にも感じられるからだ。
成人式の会場に到着するや否や DQN のような集団を見掛けたが、よく見ると出身中学の人々だった。
我々は足早に会場を去り、ドミノピザに向かった。ドミノピザは新成人にMサイズピザを無償で提供する太っ腹なキャンペーンを実施していたので、お昼代が浮いて大変助かった。雲ひとつない青空の下、多摩川の河川敷で食べたピザは格別の美味しさであった。
YouTube のアーカイブを見て後で知ったのだが、成人式ではねずっちが謎掛けを披露していたようだった。
謎に沖縄の基地問題を題材に謎掛けをしており、センシティブな問題を扱う姿勢に感銘を受けた。ネタは滑っていた。
その後、同窓会を欠席してぼざろ一気観試聴会をした。日を回る頃には散解したが、微妙にアルコールも回って気分が良かったので、そのまま天一に行った。更に気分が良くなったので、その後もう一本飲んだ。駅前の商店街は治安が終わっており、日常の再来を感じさせた。
Colaboが保護対象者を沖縄に連れていった件について、"「公費は使い込んで沖縄に行った」も明らかにデマ"との指摘があった。
本当にそうなのか見ていこう。
自分も仁藤氏の私費だと思っていたので事実なら団体の姿勢として大いに問題と思う。一方で「公費を使い込んで沖縄に行った」も明らかなデマなのに問題視する人が皆無なのは残念。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Colabomamorukai/status/1606952982461186053
Colaboによると以下の通りの運用をしているようだ。
都に報告義務があるのは委託経費の上限である「125,000円」です。それを超過した金額は委託経費からは支出せずColaboが自主財源から支出している
つまり、委託事業と自主事業の内容・経費の切り分けが外部(もちろん東京都も含む)に全く見えない状況ということだ。
そして、Colaboの支出では自主事業と委託事業について、どうも案分がなされていないようだ。
(例えば、車を委託事業以外に用いているのであれば委託経費から○割、自主財源から✕割と案分が必要だが一切なされていない。また車検費用や定期点検費用などが計上されてもいないようだがこれは自主財源から?)
したがって、委託事業用に整備した備品消耗品等々を自主事業部分で一切使っていないのか、という疑義が残ってしまう。
以上のことから、少なくとも現時点で、「保護対象を沖縄に連れていったのは公費か否か」について、Colaboの内部の人以外には結論付けることはできないと考えている。
費用面に加えて、Colaboが沖縄に保護対象者を連れていき、政治活動に参加させていることについて、以下の点に疑義があると考えている。
拒否したら追い出されるのではないかという恐怖などが考えられる中で、自由意思など担保できないのではないか。
これは、結果的に「勉強になった」「参加してよかった」と述べることとは何の関係もない(そもそもその言説が本心からかどう担保するというのか。)。
参加者によると「参加して初めて基地問題や慰安婦問題などを知った」とのことであり、参加時にどこまで説明がなされていたのか疑問が残る。
上述のとおり、Colabo外部には委託費用と自主財源の区分が見えない体制であるため、どこまで自主財源で支払ったのか不明である。都の監査が明後日までに出るそうだがある程度はここで分かるのだろうか。
(自主財源としても、寄附から出しているのであれば寄附をした人への説明は必要(活動報告書には記載なし)だとか、その会計上の処理はどうなってんのとかあるけどね。)
以上、文責が不明な「Colaboと仁藤夢乃さんを支える会」ではなく、Colabo・仁藤夢乃さん・弁護団いずれかの見解が聞きたいところだ。
ColaboがPDF文書「Colabo及び仁藤夢乃さんに対する誹謗中傷について」(以下「説明文」とする。)との文書を公表している。( https://colabo-official.net/kaiken2211/ )
一通り目を通してみたが、個人的に説明が不十分かなと感じたことを列挙してみる。
※これをもって不正不当とするのではなく、個人的にもう少し詳細な説明が欲しかったなという部分です。
※勿論、誰にも、私個人に説明する義務も義理もないので、裁判を静観します。(双方ともに明らかにしていない事実はたくさんあるでしょうし)
※暇空茜氏の告発等と見比べて、現時点で不正不当と断定する根拠は足りていないと思われます。仁藤氏とColaboの今後の活躍を期待します。
(説明文3ページ。文中のスペースは原文まま。)
都からの若年被害女性等支援事業の受託金、DV等被害者支援交付金、自主事業としての収益 が含まれる。従って、都からの事業委託を受けている関係でColaboが東京都に対して行う報告は、(1)~(6)それぞれのうち、東京都からの委託事業として行った部分についてのみである。
このとおりだとすると、Webでの活動報告は常に都への報告よりも数字が大きいか同じでないとおかしいのではないか。
実際はWebでの活動報告が大きいこともあれば、都への報告が大きいこともあるようだが、理由はなんだろうか。集計期間が微妙に違ったりするのだろうか。(年度と年とか)
(説明文14ページ)
Colaboと繋がった女性が、仁藤やスタッフとと一緒に辺野古に行ったことはあるが、それはその女性たち自身が自らの意思で参加を決めたためである。
(略)
それとも、表にはでてきていないだけで参加者の自由意思を担保する何かがあるのだろうか。
https://mobile.twitter.com/erishibata/status/1579847848740663297
仁藤夢乃さんの新刊を読んだけど、支援対象の「女の子」たちを政治活動に巻き込むのはかなりダメだと思うわ。様々な要因で追い詰められて、支援者・団体を頼らざるを得ない状況の被支援者と支援者では、権力が非対称すぎるから、きっぱりNOが言えるかかなり怪しいと思う。
また、仁藤氏の著作によると、少女のコメントとして「沖縄で、辺野古に行って、基地の問題を初めて知ったり」とある。つまり、基地問題を知らない人に対して、ろくに説明もせずに辺野古に連れていったように読める。もちろん口述なので、正確には参加前に行く場所や活動の趣旨はきちんとつたえていたのかもしれないが、ここからは読み取れないので疑念を抱かせることになっているように思う。
(説明文15-16ページ)
このデマは、「Colaboが産婦人科医に対し支援対象女性の自己負担相当額を支払い、それを東京都からの委託経費でまかない、その金額相当額を医師が寄付金として団体に寄付している」という、事実と異なる決めつけに基づいている。実際には、上記に述べた通り、連携する産婦人科医の「無料プロジェクト」対象の診療の場合には、都の委託経費は使用していない。
バズフィードの記事によると、自己負担部分を団体が負担し、同額を団体に寄付しているようだが、これはキックバックとはいえないのだろうか。
説明文では、自己負担分を「それを東京都からの委託経費でまかない」という部分しか否定できておらず、「そもそも自己負担部分の減額等は違法(療担規則違反)ではないか?」との批判に答えられてないと思うので、更に詳しい解説を聞きたい。
(できれば厚労省か地方厚生局からのお墨付きが欲しい。参入したい事業者・医療機関は多いはず。)
つまり、この説明文では「都の委託経費を不正に取得しているのではないか?」という問題には回答できていても、「そもそも医療機関からの自己負担部分の寄付は違法では?」という問題には回答できていないように思えた。
https://www.buzzfeed.com/amphtml/naokoiwanaga/free-pill-project-drsong
保険診療の場合、患者さんの自己負担部分は団体に支援していただき、後程同額を団体に寄附するという形で医療を提供しています。
(説明文19ページ)
バスは、他の車両と異なり長距離を走行していない上、夏タイヤと冬タイヤを季節ごとに交換して使用しているため摩耗が遅く、2014年製のものでも現在も十分使用できているというに過ぎない。
確かに違法ではない、が極めて危険であり安全のためにも速やかに交換した方がいいと思う。
一般に、タイヤの耐用年数は使用開始から4~5年、製造年から10年(ただし、保管環境が良好な場合。本件の場合は路上駐車なので、10年はもたない可能性が高い。)程度である。
タイヤ購入費用を計上しているのであれば、当該バスを新車で購入したとしても、まず優先的にこのタイヤから交換する必要があるのではないかと思う。
(説明文22ページ)
一般論として、車を運転していたら記憶にない傷(植え込みの木々に擦ったり)があることは珍しくない(バスなどのように大型車両なら尚更)が、「何者かが故意に車体を傷つけたことは明らか」と断定する根拠が書かれていないように感じた。
つまり、暇空茜氏の主張(昔からあった傷ではないか?)と弁護団の主張(故意に付けられた傷である)の双方が誤りの可能性を捨てきれないように思う。
(説明文35ページ)
当然毎年作成しており、現に委託事業の申請の際に毎年都に提出してきたが、公告について問題意識が乏しいままになっていた。このたび都から指摘を受け、取扱いを確認検討し、また過去の決算も点検した上で公告することとした。なお現在はホームページに掲載する電子的方法としているが、今後は合理的な公告方法のあり方も含めて検討したい。
ならば批判者による指摘は正当だったのでは?と思う。
(説明文1ページ)
弁護団は、このような、女性差別に根差す卑劣な嫌がらせを断じて許さず
(説明文5ページ)
このような支離滅裂な言説を繰り出し続けるのは、真実は何かなどには一片の関心もないまま、ただColabo及び仁藤を貶め、集団で嘲笑することに興じる、侮辱的で女性蔑視的な態度
少なくとも形式的にはColaboによる不正不当の告発の体裁を取っている相手に対して、「女性差別」「女性蔑視的」と言える根拠はなんなんだろう(説明文には入っていないが、会見では「リーガルハラスメント」「女性全員への攻撃」であるとの主張もあった。)。
法律には詳しくないが、これは名誉毀損にはならないのだろうか。その場合、暇空茜氏が行ったとする(弁護団が主張する)名誉毀損があったとして、相殺(お互いさま)になったりしないのだろうか。
仁藤氏のためにももう少し穏当な表現で事実に反するところを指摘していって欲しい。
(追記)
ここ数週間「沖縄の民意が無視されているのが問題」と言っていたブクマカたち
この週末で沖縄で選挙に負けて、どういう気持ちでいるんだろう。
ただ単に、「民意」がもはや自分にないと考えて打ちのめされているのだろうか。
そもそも選挙っていうのは、民意を自動的に反映する素晴らしい道具などではない。
選挙とは、むしろ多数決で民意の繊細さを切り落として、オミットして、本来の民意全体からかけ離れた結果を想像するためのものである。
民意とは、そもそも不可知なものだ。量子の波の動きのように観測できないものだ。
奴らは、アホなので過去の選挙結果を受けて、「基地反対が沖縄の民意である」などとヌかしていたが、絶対にそんなことは断言できなかった。今回もデニーが負けたからって、基地賛成が民意に転じたわけではない。