「斎藤環」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 斎藤環とは

2018-08-21

anond:20180821104210

まあ元のツイートはこれ。

2018-05-28

岩波ブックレットひきこもりライフプラン 「親亡き後」をどうするか』の斎藤環氏が書いた部分に、

ひきこもりの子供に対して父親上から目線権威的に話し、母親ストレート批判はしないもの皮肉や嫌味が自然に出てくる傾向があるとあった。

ではどのように話しかければ良いのかというと、個人的に素朴にまっすぐ伝えることだと。

そのやり方が分かって実行できれば何の苦労もないわと、さらっとした書き方に対して一通り僻んで苛立ったあと、

自分は心の能力が低い、未成熟で貧しいんだという感覚に飲み込まれて悲しくなってしまった。

 

新庄耕『ニューカルマ』に、主人公と先輩社員の会話が出てくる。

子供が出来たのでエロ本編集を辞めて今の会社に来たという先輩社員の話を聞きながら、主人公モノローグがある。

「まだ知り合って間もないにもかかわらず、自身過去を明け透けに伝えられる素直な態度と、それを足下で支えているだろう潔白さに、引け目を感じてしまう。」

「思わず頷きたくなる共感と、同じくらいの反発がない交ぜになって胸に去来する。」

主人公に対して、架空人物への距離感を失い、お前は俺かとなるモノローグだった。

「素直な態度に対する共感と引け目と反発」。自分の中にある感情言語化を代行してもらったみたいだ。

それが自分の中に起きているときは、とてもメタ視や冷静な言語化ができない。

胸の中に渦が生まれて息が詰まる。相対的剥奪感や被害者意識、暗くて攻撃的な気持ちに飲み込まれる。

同僚が「人に気持ちを聞いてもらうだけで違うようなところあるから」と自然に言っただけで、

気分が異様にざわついて喉がこわばって言葉が出てこなくなる、ということもあった。

同僚は職能の持ち主である前に人であり、私も人である、話を聞いて欲しいものだ、という一般的なはずのことにざわつく。

 

ここで書くと「腐かよ」と吊るされそうだけど、中村明日美子同級生』の草壁くんがとても好きだ。

支配的でも厭味ったらしくもない、私の欲しい素朴のイデアみたいなところが草壁くんにはある。

生きるために衣食住のほかに何が必要かといったら「草壁くんの素朴の概念」だ。

欲しく、取り込みたく、千尋に執着するカオナシのような情動があり、読んでいて泣いてしまった。

でも欲しいというのは支配に近くて、コントロールされた時点で私の欲しい素朴を失っている。

カオナシ×千尋のような、片方が片方をコントロールしようとする関係カップリングとしても推せない。

でも千尋に執着して、偽物を差し出して釣ろうとして、飢えてヤケクソになってなんでもかんでも食べようとするカオナシにはかなり自己投影やすい。

自己投影やすキャラクターはどこか、カップリングになって欲しくないと思う。

人とかかわるのに必要ものが足りてないから、人間関係において害を生み出す。

 

自分気持ち悪さや欠損感を問題視し『アサーション入門――自分相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)』を読んだ。

物語を伴わない、私の思う「素朴」の「技法」のようなものがそこにはあった。

長年のコミュニケーションの手癖を矯正していく作業は地道なもので、ショック療法一発で治るようなものではない。

アサーティブでないコミュニケーションをしてくる上司の持つ、強烈な巻き戻し力に抗えないときもある。

子供の頃からうつ状態の再発を数年おきに繰り返している身でもある。未だに父親には脅迫まがいの言い方で人生コントロールしようとされる。

しか筋トレのように地道に自分を改良していくことを決めた。支配欲は本当に気持ち悪いものからだ。

無防備な素朴さに対する、引け目と反発と愛おしさと憎しみと、足下に「自分自分を許しているかのような」支えがあることへの僻み妬み、

そういう感情にかき乱されるのなら、もう自分自身がそうならない限り、技法として身に着けてそれが一時的な演技でなく本質・血肉にまでならない限り、

いつまで経っても人や概念に縋って不安定になり、近しい大事な人にほど害をもたらす。

オープンダイアローグとは何か』も読むべきかもしれない。

2017-12-26

私のオタク

最近聞かなくなってきた、ヤンキーマイルドヤンキー論。2014年くらいに一時期関連本がでて、斎藤環さんの言葉鵜呑みにしていた自分。我ながら滑稽。後出しじゃんけんっぽくてズルいんだが、この「ヤンキー論」ですらオタク達の一時の清涼剤に過ぎないんじゃなかろうかと、何処かでは思っていた。私も立派なオタクから言わせてほしいが、オタクはまず興味関心の占める範囲が、ヤンキーの人たちと比べて、狭い。物理的な意味視野が狭い。私の好奇心、私の興味関心、私の本棚、私のプレイリスト、私のベスト10など。あらゆる「私の」を所有しようとしている。私は例えば好きな作家のひとりの中島義道さんを、「私の先生」という意味付けを行っている。私だけの、というtagをつけて初めて安心して作品鑑賞に移れる。では自分中島さんの哲学領域であるカント哲学や、時間論が好きかと言われればそうではない。私は、私の先生というtag付けされた、特殊中島義道の語る「カント哲学」や「時間論」が好きなだけだ。もう一例上げると、町山智浩さんの映画評もそうだ。例えば私はターミネーターシリーズが好きだったが、町山さんの映画評を読んでから、私の好きな町山さんが好きなターミネーター、という特殊tagけがされたターミネーターが好きになってしまった。要するに、このtag付けという行為、私の所有であるという意味付け行為のものが、オタク的と呼ばれる要素なのではないだろうか。好奇心の向くものはすべて「私」という意味がなければならない。そんなmission自分に課して楽しんでいるのが、案外オタクの生態なのかもしれない。

2017-08-25

思春期が終わらない

最近持病の睡眠障害がよくなくって就寝時間がどんどん後ろにズレていってしまっている。もう空は白み始めて居てミンミンゼミが鳴き始めている、朝だ(今年引っ越してきたこの家は間取り関係なのか新聞配達カブエンジン音が聞こえないかいまいち昼夜逆転してしまったという感じがしないのだけど)

10年くらいは不定期でこんな生活をしている、なぜってそういう時は定職についてないからだ、引きこもりをしたり働いてみたりの繰り返しの人生って訳だ。

しかしここ数年は少し特殊な状況だ、結婚してパートナーが出来たのだ、きっかけはうつ病院生ネットのクソみたいなメンヘラカルチャーに触れてロクでもない処方薬遊びと自傷行為をしてて親も兄弟も手がつけられなくなってたところにたまたま入り込んでとりあえず刃物を取り上げてきちっと治療するために処方通り薬を飲ませるようにピルケースに詰めたりしてあといろいろ面倒を見てたらいつの間にか結婚してたっていう話だ。

運が良いことに相手の家はそこそこ稼げる仕事で、間をとりもってあげれば無理させることなパートナー治療に専念されられるし、さらにその間私に何か勉強させる余地があるというボーナスがついていた。

しかし、世の中そんなトントン拍子に物事は進まないもので、順調に回復していたパートナーうつ病は今年の夏は悪化に転じ、もとより勉強する習慣がなかった無気力学生(高卒)だった私は受験用のカリキュラムについて行けず、なんとなくお茶を濁した程度の勉強しかしないという状態に陥っている、腐敗の2文字そのまんまの生活のような気もする(一応まだ勉強してどうにかする方面は諦めてないのでそんな自分自分を腐したりはしないが)

ひきこもりを疾患として概念化した斎藤環社会的ひきこもりの副題は「終わらない思春期」だったがまさに今の私たちはそろってそんな感じでこのままだと親が働ける間はそうやって終わらない思春期を続けて、働けなくなったら撤退して親の持ち家に住んで最大限使える社会保障に頼りながら小遣い稼ぎ程度にバイトして……といったところが放っておけば来る未来だろう。

正直抜け出したい、やはり経済的に自立しているということは自由であることと同義だ、けれど色々戦略は練り直してはいもののその放っておけば来る未来から抜け出すだけの加速度を生み出すエネルギーが私にあるのだろうか。なんて思いながら33歳の夏休みは終わって行くのだった。

追記:本筋に上手く入れられなかったので分けて書くが最近パートナーが「学生の頃は私に本当に優秀だったのに」と愚痴っていてどうにもつらい、つらいというか自分はもう全盛期を過ぎた人間という思考に囚われてるのをみるのはあまりいいものじゃない。

その点私はずっと人生パッとしなかったしパッとしないなかで良いことがたまにあるみたいな生き方をしてきたからそういう悩みとは無縁で楽なのかもしれない(あれはあれで私なりの青春だったと思えることはいくつかあるけれど)

2015-05-27

いち「弱者男性」予備軍(?)が望むもの

「弱者男性」は何を望むのか? - キリンが逆立ちしたピアス

私は、35歳手前、職歴なし、交際経験なし、友人なし、Webでの交流なし、親にパラサイトしてる異性愛指向男性

頼れる親がいるので恵まれてるがタイムリミットがあるし、将来的には自殺ホームレス(大変そうだ><)だと思ってる。

何歳から「オッサン」なのかわからないが、少なくとも議論の発端の「キモくて金のないオッサン」予備軍としては認めてくれるよね?(認めたくない場合はタブ閉じて下さい)


ということで質問に回答する。

望むものは「苦しまずに死ぬ薬」に一票を入れたい。「生きる生きないは私が決める」

(日々そういうことに向き合われてる方が不快に思われたとしたら、ごめんなさい。フェミの方ももじってごめんなさい。)

ベーシック・インカムも考えたけど、斎藤環社会参加とセットじゃないと反対みたいな見解を述べてたので却下した。「BIと社会参加」は望んでない。

みなさんは何を望んでるのでしょう?ブコメ推理されてたのをいくつか上げて、反論してみる。

パートナー」 相手の意思があるから強制的にどうにかするのは難しい(恋愛経験者が恋愛を語る!)

「不審者扱いしないで」「放っておいて」 私も職務質問経験が何回かあって大変不愉快だったけど、女性男性に対して警戒しなきゃいけない社会では無くすの難しい。

アメリカ人の父親を持つラッパーomsbの1stで職務質問に怒ってるトラックがあるように、これに関して一番ヒドい扱いを受けてるのは外国人のように見える男性だと思う。

ちなみに私は黒髪ピアス刺青なし、ユ○クロのポロシャツにNBといった穏やかな格好ですが、されます


まぁ「苦しまずに死ぬ薬」も難しいよね。他殺にも使えるし

2014-08-08

知識人読書量・知識量ランキング

SSクラス 江藤淳柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎谷沢永一村上泰亮中村元

クラス 小室直樹浅田彰福田和也渡部昇一、呉英智蓮實重彦永井陽之助中村雄二郎すが秀実佐伯啓思高澤秀次筒井康隆小谷野敦菅野覚明養老孟司 見田宗介佐藤誠三郎大森荘蔵西部邁

クラス 丸山眞男吉本隆明長谷川三千子丸山圭三郎橋本治村上陽一郎佐藤優松岡正剛伊藤貫、猪木武徳坂部恵坂本多加雄大澤真幸中川八洋永井均野矢茂樹小浜逸郎飯田隆河合隼雄片岡鉄哉鎌田東二梅棹忠夫竹内洋山本夏彦山口昌哉、入江隆則

クラス 猪瀬直樹坪内祐三中沢新一御厨貴橋爪大三郎鷲田清一北岡伸一池田清彦中西輝政立花隆山本七平宮台真司桶谷秀昭宮崎哲弥司馬遼太郎古田博司市川浩東谷暁苅谷剛彦秋山駿関岡英之加藤尚武浅羽通明松原隆一郎東浩紀

クラス 中島岳志鎌田哲哉兵頭二十八内田樹森本敏村上龍西尾幹二仲正昌樹大江健三郎齋藤孝森岡正博富岡幸一郎小泉義之井沢元彦、桝添要一、中西寛中島義道鄭大均山内昌之村田晃嗣山形浩生林道義松本健一

クラス 斎藤環福岡伸一副島隆彦榊原英資梅原猛寺島実郎佐藤健志大塚英志五木寛之笠井潔潮匡人高橋源一郎岸田秀山田昌弘竹中平蔵池田信夫萱野稔人大川隆寛、大森望櫻田淳上田紀行手嶋龍一和田秀樹藤原正彦、中野剛志

クラス 佐々木中村上春樹三橋貴明田原総一郎木村太郎池上彰竹田恒泰切通理作島田雅彦酒井信、夏野剛苫米地英人上野千鶴子姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣小阪修平佐藤亜紀

クラス 糸井重里加藤典洋中上健次勢古浩爾北田暁大藤原和博小熊英二佐々木俊尚西條剛央玄田有史城繁幸茂木健一郎岩田温千葉雅也、岡田斗司夫

クラス 小林よしのり宇野常寛勝谷誠彦荻上チキ鈴木謙介勝間和代伊坂幸太郎濱野智史赤木智弘坂本龍一いとうせいこう上杉隆酒井順子

クラス みのもんた久米宏古舘伊知郎ハマコー太田光水道橋博士テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ森永卓郎、ホリエモン、津田大介ひろゆき中村うさぎ雨宮処凛桜井誠

異論がある人は修正版をトラバでどうぞ

2014-05-25

ヤンキーからマイルドヤンキー

全くの思いつきだけど軽くメモ

最近流行マイルドヤンキー、久しぶりにいくつかの記事やコメントを眺めたら全くわけがからなくなっていた。

どうやら僕が目を通していた斎藤環氏のヤンキー論と、原田曜平氏が提唱する「マイルドヤンキー」では内容が別、というか逆になってるようなのだ

シッカリ読んだわけじゃないけど、確か斎藤氏のヤンキー論は「日本にはヤンキー的なものが潜在していたのではないか?」という作業仮説のもと、ヤンキー文化リサーチするとともに丸山真男の「つぎつぎとなりゆくいきほひ」に代表される日本人論アクセスしていく……というものだったはず。

ここにはざっくばらんに言えば「日本人って昔からヤンキーだよね」「俺もお前も根っこはヤンキーだよね」というそ自体ヤンキー的な(?)直感があったはずだ。

他方、原田氏が唱える「マイルドヤンキー」では、地方在住で、酒・タバコ・車で消費を回し、地元や仲間を大事にする人々……といったように対象抽象的にせよ指し示されているようなのだ

これはどういうことなんだろう?

僕にとって、この斎藤氏のヤンキーから原田氏の「マイルドヤンキー」への移行はそれ自体興味深いように思える。

例えば(書いてていやになるくらいありがちだったけど)次のようなストーリーを考えてみるならばどうだろう?

近年、「ヤンキー的なもの」は僕たちの周りのあちこちに露出し始めている。橋下徹氏でもいいしワタミでもいい。

僕たちはこの動向を自覚的にせよ無自覚的にせよ不気味に思っている。

そこで一部の人間をピックアップして「マイルドヤンキー」とレッテルを貼ることによって、世界のあちこちに、あるいは自分の中にも潜んでいるヤンキー的なものをお祓いしているんじゃないだろうか?

……とはいえ、今の俺にとって大事なのは増田くねくねすることなんかじゃなくて自分研究だ。

先行研究を読んで、実験やって、パワポ作って論文を書く。シンプル実力主義世界

今日ラボに顔出さなきゃ。その前にレッドブル買ってくるか。

2014-02-05

匿名ダイアリー斎藤環を批判とかワロスwww http://anond.hatelabo.jp/20140204071818

承認欲求じたい馬鹿にしようとは思わんが、パクツイでファボもらって喜べる精神構造は全く理解できないんだが誰か教えてくれないか

2014-02-04

匿名ダイアリー斎藤環を批判とかワロスwww

承認欲求承認欲求うるせぇよ最近。腹にずぅんとくるような形で人を小馬鹿にするような概念もちだしてんじゃねぇよっておもう。なにかにポジティブな印象を抱いたり誰かのことばに共感したり納得したり感心したりしたらそっと本人にその旨つたえたらいいじゃん。なにもしてないのに承認欲求ばっか肥大してるのは不健康だけど、承認自体コミュニケーションて言うかコネクトっていうか(「繋がり」「ネットワーク」という言葉は語感と使われ方が嫌い)、基本的にいいことじゃん。他者承認、あたえましょうよ。ただしあんま人目につかないところでね。みんながみてるとこであんまりクネクネ(仲良く)してるとひがむ人が出てくるのは実際のとこそうだし、それ批判しても仕方ないし、隠れ気味になるよう気を付けながらお互い嬉しくなるような承認を与えてはたまに承認を受けたりすれば生産的だとおもいますね。

まり抽象化していえば、ひとさまの役に立ったりひとさまの気分よくしたりすることをよそさまの気分を害さないよう気を付けながらやりましょうよって話。他に言いたいことは、それやめろじゃなくてこうやろうぜってノリでいくのはいかがですかって話。

2013-11-24

反原発」という怪物と戦うために。

生まれてから福島県で生きてきて、これほど郷土愛というか、県民ナショナリズムを実感させられることはなかった。独立が脅かされる中小国もこんな感じなのだろうか。

元々震災前は影の薄い県(バカ日本地図では「謎」)だったし、福島を離れることになっても特に郷愁以外には感じないだろうと思っていた。

けれども、震災原発事故が起きて、福島が「フクシマ」と呼ばれる事態に至って、私は、私と私の家族と、私の愛する人を守るために、いろいろなものに悩まされ、そして戦わなければならなくなった。

本来味方であるところの(急進的)反原発派も含めて、だ。

私はあのお手紙事件があろうとなかろうと、山本太郎議員を支持していない。原発代替手段があればこだわらないし秘密保護法は現行では反対だが、彼の言う「脱被曝」とそれにまつわる政策、あと数々の陰謀論とその支持者には賛同しかねる。

未だに彼を支持する福島県民と話したことはないが、きっとそれは私の交友範囲の狭さに起因するということなのだろう。震災後に福島を離れ東京暮らし街頭演説を直に見た知り合いですら嫌っているのだから、私の見方は偏っていると思っていただいても構わない。けどまあ、反原発デモ東京ほど盛り上がらないこと、福島市で「自主避難者が安心して帰還できる」ことを政策に掲げた候補(非自民)が市長になったことは知ってほしい。

勿論、山本議員には情報開示やネット活用など評価すべき点もあるとは思うが、それが政党に属さない彼らの取り得るべき戦略なのだろうし、それを通してみた上でも、彼が東北国民ではなく杉並の支持者の方を向いているのだなとしか感じられない。

しかしながら、Togetter2chで素っ頓狂な発言をする急進的反原発派を嗤い、議員の言動をスクラップしているうちに、嫌いな奴のために一日の数時間を費やすのも阿呆らしくなってきた。

言動や政策をまとめサイトに粛々と更新したところで一銭にもならないのだし、それに斎藤環氏の「外傷性の絆」の話を持ち出すまでもなく、事実を述べたところで簡単に考えを変える人がいないことを痛感した。ただの燃料にすらならないのだ。

私は「反原発」という怪物を目の当たりにして、初めは理性的に振る舞おうとしながらも、結局は自分も怪物になりつつあった。

震災以後わかったことは酪王カフェオレの美味しさで、お手紙事件で再確認させられたのは海外から見た福島の評価だった。

これからどうするべきかと考えていて、「応援してます」と福島県産食品を送ったらナイフ銃弾のように扱われるのかと夢想するが、こんなに美味しい物をわざわざ金まで出して食わせてやるものかと思いとどまっている。

2013-05-07

リア充という概念について今なお

 はじめて聞いた頃はただルサンチマンを募らせたような非モテ側が勝手に作り上げた幻想のような気がして、自分で「リア充」という言葉を使うことをさけていたし、『リア充幻想』というような本が出ていたのを見た時も、「そうだそうだ、ありゃ幻だ」なんて考えていた。だけど、最近になってどうもこいつは意外と根深い問題なのではないかと考えるようになって来た。自分の中で考えが未だまとまっていないし、思考が浅い段階であるからこそ増田に書いているのだけれど、自分は「彼ら」を嫌悪していることは間違いない。それは妬みからではなく、彼らに思慮というものが全く欠けているように見えるから。とりあえず仲間内だけで突っ走って、周りに何が起きても最後自分たちだけでネタにして笑い合う、というようなあの感じ。マスメディアとか見ててもリア充的発想でおめでたいなあ、と思うことも多々あるし。ああ、まとまらん。斎藤環さんのヤンキー論に近いのかな、なんて思うけれど、どうなんでしょうか。

 なんだかんだいって、これもただのルサンチマンなのでしょうか。たぶんそうです。駄文失礼しました。

2013-03-22

アニメ評論家には、そんなにアニメ作画は批評するに値しないものと思

われているのだろうか?(タイトル入りきらなかった)

http://toshinoukyouko.hatenablog.com/entry/2013/02/05/013220

 それにしても、と僕は思う

日本には、アニメに関する批評存在しない。批評家存在しないだけでなく、批評の場そのもの存在しない。

(「庵野秀明はいかにして八十年代日本アニメを終わらせたか東浩紀

 東浩紀が上のように記したのは1996年で、それから17年が経った今日におけるアニメ批評のややうんざりするくらいの百家争鳴、玉石混交を伴う興隆ぶりは周知の通りだが、然るに未だに日本には、アニメ作画に関する批評存在しない、という一抹の事実には素朴に驚かされる。とはいものの、作画について語るという文化自体が、せいぜいここ十年くらいの間に醸成されてきた、というこれまた意外に思われる史実と突き合わせてみれば、それほど驚くべきことでもないのかも知れない。

中略

 ゼロ年代アニメを含むサブカルチャー批評史と作画史は並行して進みつつも交わることはついになかった。大塚英志斎藤環東浩紀やその取り巻きアニメ作画を完全に無視したし、作画オタク東浩紀界隈を完全に、気持ちいいくらいに無視した。例えば伊藤剛は2005年に「テヅカ・イズ・デッド」を上梓して、漫画批評の側から手塚治虫神話の精算を図った。ところが一方で、アニメ作画の側ではほとんど同時期にウェブアニメーターを介して一種の手塚治虫への回帰が見られていた。

本当になんでだろうね。

作画系に強い氷川竜介ですら、作画マニア的な"紹介"に留めて批評の域には持って行こうとしない節がある。「20年目のザンボット3」でも、金田伊功だけで1章割いてかなり詳細にデータやら作画の個性やら文章を連ねても結局は「金田作画、たまんねえ」で終わる内容だったりする。それはそれで悪いことでは決して無いけど。

小黒祐一郎は?小黒は編集者であって評論家ではない、しかアニメ制作者にその辺を積極的に語らせようとはしている。

アニメスタイル第1号のロングインタビュー「庵野秀明アニメスタイル」はその結集だ。

アニメと作画の密集した関係性をあそこまで徹底的に語った記事は未だかつて存在しなかったしこれからも無いと思う。間違いなく論の域に達していた。

語ったのは庵野秀明本人だが、ここまで語らせたのは小黒祐一郎の手腕によるものだろう。これが竹熊健太郎とかその辺だったら絶対に聞き出せなかったと言い切ってもいい。

それでなくとも旧アニメスタイル1号、2号はアニメと作画の関係性をがっつり語ってみようぜ!!というエネルギーに満ちあふれていた本だった(アプローチには異論反論ある人もいるだろうけど)。

これは当時作画オタが絶滅しかかってた事を危惧して・・・というよりも、「昔みたいな作画おたくもいなくなっちゃったし、そろそろここらで語ってみるか!」みたいなノリだった、という気がするんだけど・・・

今は当時より作画オタ(というかニワカ含めて俺も作画をかじってみたいよ的な奴)が増えた状況なので、リニューアル後のアニメスタイルは作画オタ啓蒙寄りな本になっちゃったと思うな。

なんつーか。作画オタなんて下らねえ→したがって作画を論じる事も下らねえ→作画語りは作画オタだけでやってろ、その辺で「たまんね」ってホザいてろカス

という空気は形成されつつあると思う。

関連記事

■作画オタク界隈のジャーゴンについて

http://anond.hatelabo.jp/20130320200411

2010-09-17

ひきこもりだしニートだし

世間から見たら危ないキチガイみたいなもんだと思われてるだろうし、俺もたまにそうなんじゃないかってなんとなく直観してるからそうならないように、街出たら必ずといっていいほど叫んでる。機械的に。別にいらついてるわけでも精神が重篤な危機に陥ってるわけでもないけど、こういう境遇だからさ、いつそういう風になるかわかんないじゃん。

だからとりあえず大袈裟に叫ぶ。怒る。狂ったりする。本当にそうしなくてもいいように。ぎりぎり犯罪にはならない、あらゆる迷惑をかけ尽くそうと今も企んでいる。それらを計画どおり冷静に淡々とやってることすら気づかず、本気で憤りを感じたり、見下したりする全ての人間たちがいかに滑稽か、みるみるうちに分かってくるから。

いかなる悪も、この自分が実際に行っている悪のように、本来一つの冷徹な視座とまなざしに支えられてるかもしれないものだということを自身に焼き付けておくためには、これからも自らの思う悪をそうやって徹底させていくしかないのだと思ってる。

ところで悪とは何か?

自分にとって最も相容れない他者の究極的な形こそ悪というものなんじゃないかって俺は最近思うようになった。

そしてひきこもりニートたちにとって、現実社会でまともに生きていけるように自己改革するためには、そのような、自分が最も拒絶する現実や形式を受け入れ、克服しようとする気概を持ち、さらにはそれらを維持し続けるために、自ら悪という「自分には到底受け入れられない異物」になりきる他ないんじゃないかってのを一当事者として痛切に感じるわけだ。ね?斎藤環より良いこと言ってるっしょ?なーにがひきこもりのオーソリティー(笑)だ、せいぜい Oh!sorry!ってぇとこでしょう?謝れ職業人!!

2010-02-20

家族コミュニケーション基本法則

コミュニケーションにおいて重要なのは「会話」であり、会話以外は問題にならない。

また、会話は正攻法でわかりやすく、単純なものであることが望ましい。

例えば父親はしばしば、権威的な物言いが癖になっている。

あたかも世間の代表であるかのような表現

たとえば「世間ではこれがあたりまえだ」「そんなことは社会では通用しない」などと言った言い回しは、

それだけで本人を不愉快にさせてしまう。

あくまでも「お父さん個人はこう思うんだけど」といった個人的、かつぼかした表現のほうが、ずっと心に届く。

また母親に多い問題としては、皮肉、嫌味などが自然に出てきてしまいがちであること。

これらの悪い刺激は、しばしば家庭内暴力を誘発しているのだが、

本人はそれに十分に気付いていない。

こうした、不適切なコミュニケーションスタイルもまた、

両親の協力態勢のもと、徐々に改善を図りたい部分ではある。

最終的な目標である、理想の家庭内コミュニケーションイメージは、

本人と両親との間で冗談がかわされることである。

その過程はどうあれ、冗談日常的に言い合える段階に至ったら、

それまでの対応は正しかったと考えていいかも知れない。

---------------------------------------------------------

以上、斎藤環さんの文章が素晴らしかったので転載しました。

http://www.sofu.or.jp/hikikomori.html

http://www.sofu.or.jp/violence.html

2010-01-28

[]最高に弱まった無職が薦める百冊より少なめの本

http://anond.hatelabo.jp/20100127001517

さらにヴァージョンアップさせるとこうなる。

差し替え
  1. 『私とハルマゲドン竹熊健太郎
  2. 『檻の中のダンス鶴見済
  3. 『翔太と猫のインサイト夏休み永井均
  4. 『アストモモンガ橋本治
  5. 因果鉄道の旅』根本敬
  6. 超芸術トマソン赤瀬川原平
  7. 自転車旅行主義』 香山リカ
  8. 天使王国浅羽通明
追加
  1. 『立志・苦学・出世受験生社会史』竹内洋
  2. 1968年スガ秀実
  3. 日本の思想』丸山眞男
  4. 現代詩の鑑賞101』大岡信
  5. 『「知」の欺瞞』アラン・ソーカル
  6. アナロジーの罠』ジャック・ブーヴレス
  7. 『「世間」とは何か』阿部 謹也
  8. 『一九七二』坪内祐三
  9. ストリートの思想』毛利嘉孝
  10. 数学ガール結城浩
  11. 虚数情緒吉田
  12. 『無産大衆神髄』矢部史郎山の手
  13. スカートの中の劇場上野千鶴子
  14. 日本文学史序説』加藤周一
  15. リベラリズムの存在証明稲葉振一郎
  16. 自我起源真木悠介
  17. 『知恵の樹』ウンベルト・マトゥラーナフランシスコバレーラ
  18. イスラーム思想史井筒俊彦
  19. トンデモ本世界と学会
  20. 自殺直前日記山田花子
  21. 東京いい店やれる店』ホイチョイ・プロダクションズ
  22. マクロ経済学スティグリッツ
  23. ミクロ経済学スティグリッツ
  24. 社会学』ギデンズ
  25. 文学とは何か』イーグルトン
  26. 日本史山川出版社
  27. 世界史山川出版社
  28. 『辞典・哲学の木』
  29. 岩波文庫解説総目録
  30. 社会学文献事典』
  31. 『BOOKMAPPLUS』
  32. 学問がわかる500冊』
  33. 『「テクノ歌謡ディスクガイド
  34. ミニコミ魂』串田努
  35. 山崎浩一世紀末ブックファイル山崎浩一
  36. 『いかにして問題を解くか』G. ポリア
  37. ゲーデルエッシャーバッハ - あるいは不思議の環』ダグラス・ホフスタッター
  38. 四次元冒険』ルディ・ラッカー
  39. 論理学をつくる』戸田山和久
  40. 倫理問題101問』マーティン コーエン
  41. 想像博物館荒俣宏
  42. 魔法使いの丘』ソーサリー
  43. 『変体少女文字の研究山根一眞
  44. 『グラモフォン フィルム タイプライター』キットラー
  45. フラジャイル松岡正剛
  46. アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
  47. 東京大学ノイズ文化論」講義宮沢章夫
  48. 文学賞メッタ斬り!大森望豊崎由美
  49. ライトノベル「超」入門新城カズマ
  50. 現代思想1997年5月号『特集・ストリートカルチャー
  51. ユリイカ2007年6月号『特集・腐女子マンガ大系』
  52. モダンガール論』斎藤美奈子
  53. 『今月のフェミ的』あくまで実践 獣フェミニスト集団FROG
  54. 利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス
  55. 『100台のコンピュータスタパ斉藤船田戦闘機
  56. 死刑全書』マルタン・モネスティエ
  57. エロスの涙』バタイユ
  58. 流行人類学クロニクル武田徹
  59. プログラムはなぜ動くのか』矢沢久雄
  60. エミュレータのしくみ』某吉
残しておく本
  1. ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀
  2. 『逃走論』 浅田彰
  3. 『寝ながら学べる構造主義内田樹
  4. ゼロ年代の想像力宇野常寛
  5. 『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫
  6. おたく精神史』 大塚英志
  7. 『よいこの君主論』 架神恭介
  8. 戦前少年犯罪管賀江留郎
  9. おまえが若者を語るな!』 後藤和智
  10. 『現代マンガの全体像』 呉智英
  11. カノッサの屈辱小山薫堂
  12. 『生き延びるためのラカン斎藤環
  13. ニッポンの思想』 佐々木敦
  14. 洗脳原論』 苫米地英人
  15. 『青いムーブメント外山恒一
  16. チベットモーツァルト中沢新一
  17. 自分探しが止まらない』 速水健朗
  18. 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら
  19. 電波男本田透
  20. 貧乏人の逆襲!』 松本哉
  21. サブカルチャー神話解体宮台真司
  22. 趣都の誕生森川嘉一郎
  23. 『たかがバロウズ本。』 山形浩生
  24. 『超クソゲー箭本進一
  25. 日本映画史100年』 四方田犬彦
  26. 『シミュレーショニズム』 椹木野衣
  27. 恋愛小説ふいんき語り』 米光一成
  28. 戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博
  29. 日本の10大新宗教島田裕巳
  30. 『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林
  31. 映画の見方がわかる本』 町山智浩
  32. アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

2010-01-27

強くなりたい新大学生が本当に読むべき本100冊

この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。

あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。

ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。

こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。

原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。

歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。

難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。

そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。

これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。

この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。

飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、

黙考はずいぶんと深くなるし、ブログネタに応用すれば必ず一目置かれる。

選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。

この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。

ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!

新大学生が本当に読むべき100冊

存在論的、郵便的東浩紀

動物化するポストモダン東浩紀

ゲーム的リアリズムの誕生東浩紀

アナーキズム浅羽通明

ナショナリズム浅羽通明

右翼左翼浅羽通明

構造と力浅田彰

『逃走論』 浅田彰

『反芸術アンパン赤瀬川原平

東京ミキサー計画』 赤瀬川原平

ギャルギャル男文化人類学荒井悠介

ディズニー魔法有馬哲夫

テヅカ・イズ・デッド伊藤剛

マンガは変わる伊藤剛

ヤンキー文化論序説』 五十嵐太郎

オカルト帝国1970年代日本を読む』 一柳廣孝

『寝ながら学べる構造主義内田樹

ゼロ年代の想像力宇野常寛

『二〇世紀の批評を読む』 大谷能生

『ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫

オタクはすでに死んでいる岡田斗司夫

アメリカン・コミックス大全』 小野耕世

教養としての〈まんが・アニメ〉大塚英志

おたく精神史』 大塚英志

サンデーマガジン大野

キャラクターとは何か』 小田切博

『よいこの君主論』 架神恭介

『完全教マニュアル』 架神恭介

映画は撮ったことがない』 神山健治

『ポケットは80年代がいっぱい』 香山リカ

戦前少年犯罪管賀江留郎

スペイン宇宙食菊地成孔

東京大学のアルバート・テイラー』 菊地成孔

おまえが若者を語るな!』 後藤和智

封建主義者かく語りき』 呉智英

賢者の誘惑』 呉智英

『現代マンガの全体像』 呉智英

『定本日本の喜劇人小林信彦

カノッサの屈辱小山薫堂

お厚いのがお好き?小山薫堂

虚人のすすめ』 康芳夫

『生き延びるためのラカン斎藤環

ニッポンの思想』 佐々木敦

『シミュレーショニズム』 椹木野衣

ロックミュージック進化論渋谷陽一

日本の10大新宗教島田裕巳

ヒーロー正義白倉伸一郎

『箆棒な人々』 竹熊健太郎

『定本気分は歌謡曲近田春夫

完全自殺マニュアル鶴見済

洗脳原論』 苫米地英人

スピリチュアリズム苫米地英人

苫米地英人宇宙を語る』 苫米地英人

『青いムーブメント外山恒一

マンガ哲学する』 永井均

チベットモーツァルト中沢新一

ベストセラー構造中島梓

嫌オタク流中原昌也

『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書西寺郷太

前衛の道』 根本敬

『花咲く乙女のキンピラゴボウ橋本治

アーキテクチャ生態系濱野智史

タイアップ歌謡史』 速水健朗

自分探しが止まらない』 速水健朗

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書ばるぼら

NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』 ばるぼら

ロマンポルノと実録やくざ映画樋口尚文

70年代日本の超大作映画樋口尚文

アダルトビデオ革命史』 藤木TDC

ワンダゾーン』 福本博文

『ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ』 ブルボン小林

ゲームホニャララブルボン小林

電波男本田透

喪男の哲学史本田透

世界電波男本田透

セカイ系とは何か』 前島賢

映画の見方がわかる本』 町山智浩

ブレードランナーの未来世紀町山智浩

『なぜ宇宙人地球に来ない?』 松尾貴史

貧乏人の逆襲!』 松本哉

サブカルチャー神話解体宮台真司

『14歳からの社会学宮台真司

『定本アニメーションギャグ世界森卓也

放送禁止歌森達也

職業欄はエスパー森達也

趣都の誕生森川嘉一郎

『興行師たちの映画史柳下毅一郎

殺人マニア宣言』 柳下毅一郎

『新教養主義宣言』 山形浩生

『たかがバロウズ本。』 山形浩生

訳者解説』 山形浩生

『超クソゲー箭本進一

戦後SFマンガ史』 米沢嘉博

戦後少女マンガ史』 米沢嘉博

戦後ギャグマンガ史』 米沢嘉博

漫画原論』 四方田犬彦

日本映画史100年』 四方田犬彦

日本文学ふいんき語り』 米光一成

恋愛小説ふいんき語り』 米光一成

2009-12-05

ゆるーい危機感

 マズいなぁ、って思うのは、ここ最近人に会いたくない気分が続いてるから。

 だったら誰にも会わずに一人で暮らしてりゃええやん、という話になるがそう単純な話ではない。

 なんとなれば僕は、僕自身人に会いたくない気分であることを望んでいないから。

 だってヤベェじゃんそれって。ひきこもりじゃん。いや、家から出たいとは思ってるよ。図書館にはよく行くし。

 でもニートじゃん、ワープアじゃん、って焦る自分がいる。

 僕は未だに幼児的な全能感を捨てきれていないのではないか。だから夜中にパソコンいじってネットアクセス、お手軽な全能感に浸ってるのではないか。

 なんてなことを思うのは、そういった類の本を最近読んだからなんだけど。

 僕に必要なのは社会に出ることではないか。人と交わって、精神分析的な意味での「去勢」が必要なのではないか。

 なんてなことを思うのは、斎藤環を愛読してるからなんだけど。

 ほんで、今しがた「ネットスター」を見たらもうこの日記の事なんてどうでもよくなってる。そういう意志の弱い自分に嫌気がさす。そういう自分もどこかにいたりいなかったり。

 本当は誰かに助けを求めたいんだけど、やっぱり誰とも関わりたくないからこんな日記書いてる。本当はmixiに書こうと思ってたんだけど。

 大学四年なんだから自分のことぐらい自分で決めなあかんやん。でも僕のメンタル高校生から変わってない。恐ろしい。

 みたいなことを考えながら町田康ばかり読んでる。辛くも苦しくもない。何もない。虚無。ほんまあかんなぁ。

2009-11-26

その苦しさには訳がある。



その苦しさには訳がある。

私は性格的に暗くはないけど、何だかいつも固定の友達って出来ている確信が無かった。

友達とカラオケも行く、いじめはない、学祭で派手なこともしてたし馬鹿なこともやってた。でも何処かで何か人とは違う頼りなさみたいなものを薄々感じてた。

高校入学当初クラスに誰1人知り合いがおらず1ヶ月ぐらい普通に人と話せなかった。

ある時パーンと普通に戻れたけれど今思えばこれが一番最初だったんだと思う。

大学4年の時就職が恐いのと卒論不安とで初めて鬱々と3ヶ月くらい引きこもりうずくまって泣いていた。

当時友達は訳を聞かずに代わるがわるアパートに来てくれた。

卒業だけはしたが就職活動はしなかった。

その後5月入社で他県へ出て大学から同棲してた彼とまた同棲しながら働き半年ぐらいは会社でも酷かったがある時また普通に戻れた。

人も環境も慣れた2年目の秋に5年越しのその相手と別れと同時に会社が自主廃業し、縁あってとても大きな会社上司同僚と一つの部署として転職した。

だがその絡みで派遣先に独りで行くことになり、そこで一番酷く苦しく潰れそうな日々が続いた。

何とか期間が終わった後初めて精神科に診療し鬱で退職して実家に戻った。

環境のせいだとその当時は考えられていた。

更に半年後地元再就職したが始めから鬱になり再び退職しその後はバイトも恐くて出来なかった。

一時親戚のところに勉強名目で行くことになったが、そこでインターネット自分で探したある大学院生心理学関連のレポートを持って自分の状態を初めて人に訴えた。その頃からやっと「原因」というものを自分漠然と探り初めた。

それから更に半年後の友達の一言で以前の精神科カウンセリングを始めることになる。

引き受けてくれる心理療法士が居てくれたことが幸運だった。以前希望して自立訓練法を指導してもらったのが良かったのだろう。そうでなければ私の判断材料はその人に前情報として無かったから。それからは親とのバトルが酷くなった。

喋らない、接触しない、繰り返される侵入と言い合い。噛み合わない平行線。ある時は母親を思いきり平手打ちしたこともある。

体が痛くなるくらい只々眠った時期もあった。

具体的病名の解釈と仕組み、症例論文を求めて探し自問自答を繰り返しカウンセリングを続け、ある公園よく独りぽつぽつ歩いていた。それから2年半後ようやく今のような状態が訪れた。

親の会に母が私に黙って行っていたことを知った時こういう現実が他の人にもある事を初めてまのあたりにし真剣に受け止めはじめた。

その時やっと分かってもらえた気がした。するとその数日後の夕方、バッと現実感が急に戻ってきた。 私の場合は突然の変化だった。

驚いたことにキーボードを打つ手が早くなり車の運転がスムーズになり、やる事がやたらと早くなって自分が「倍速」で動いているような気がした。

周りは恐くなくなっていき母親の話が非難に聞こえず、自分でさっさと考えられ、興奮した。

カウンセラー躁状態かと心配したが今ではこれが私の普通になっている。

自分でも元に戻るのではと心配したが。そうなれた日に初めて斎藤環さんの本を手にし例の公園で一気に読んだ。

「良く書けてるな〜(笑)」が感想だった。

今振り返ると「ああ、私って頑張ったんだなあ」と本当に言える。

これが「元々一つのこと」と繋がったのは変われた最近の話。

人や働くことが恐かったり目の前の些細なことの動きが遅かったり身につくのが遅いようなのも、全部自分のせいじゃなかった。

変われた私だから言える、それはあなたのせいじゃなくてちゃんと訳があること。

2009-10-30

フロイトラカン式の下品な)ジェンダー論。

斎藤環氏の「おっぱいファルス男根)ですぜ。」が気になって仕方が無い。

マジですか?出典どこ?

それがホントだったらホントに無条件でおちんちん大好きだなみんなして。

因に「女は存在しない」そうです(汗)

                  〜T.H.

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん