「集団就職」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 集団就職とは

2024-02-09

anond:20240208212649

統一教会信者集団就職世代なので高齢化自然消滅しつつあった

しろ老人デイケアとして機能してた教団の解体迷惑

山上の功績は努力教を嘘だと立証した点にある

2024-02-08

anond:20240208162755

金の卵集団就職してた時代からジジババなんて遠くの田舎に住んでて頼れない人は普通に多かったぞ

2024-01-21

子供の頃、市川ジュンの「陽の末裔」って漫画を読んだ

当時はあまり思想とかわからなかったけど、バリバリフェミニズム漫画

咲久子ちゃんと卯乃ちゃんという女の子二人の戦前から戦後までの話で12歳ぐらいか40代ぐらいまでが描かれるんだったか

東北?のど田舎から女工になるため家出同然で集団就職する二人

超絶美女の咲久子ちゃんは将来的に愛人にすることを予定して、工場経営者ブルジョアジーおっさん養女として引き取られる

おっさんは死に、その後華族花嫁となり顔と体のみでのしあがっていく

卯乃ちゃん新聞社で働く職業婦人となり、女性参政権を求める活動家になっていく

活動家のわりに卯乃ちゃんはわりとおっとり優しい子で、咲久子ちゃんはオラついてギラギラしている

オラついた咲久子ちゃんが卯乃ちゃんには弱くてたまに会うとべったり甘えて百合百合している

お互い結婚したり子供産んだりするけど、動乱の中で男たちは死んでいき、いつでも心のど真ん中にお互いがいる

特にきっかけなくさっきふと思い出したエピソード

ある時卯乃ちゃんは、活動家が次々と登壇して政治演説する集会みたいなのに行く

女の活動家女性人権について語っているのを見て卯乃ちゃんは感銘を受けて聞き入る

その演説の後で、周囲にいた男の活動家雑談をしていた

「今の女、いい女だったな」「白い肌が汗ばんでてたまらんな」と女活動家容姿品評会をしていた

彼らは女活動家の話した内容については全く論じなかった

卯乃ちゃん封建的農家の子で、リベラルな都会にきたつもりでもなにかと女のくせにと言われ、活動家の集まりでようやく男女平等な場を得たつもりだった

同志だと思ってた奴らですら女相手にしたらそれかよ、と卯乃ちゃんはめちゃくちゃショックを受ける

こういうのは現代でも、性別を入れ替えても、性以外の属性に置き換えてもよくありそう

2024-01-19

anond:20240119203546

70代は団塊だろ

上位20%は学生運動手榴弾投げたり共産主義仲間をいじめ殺したりしている

下位80%は集団就職上京した田舎者創価学会幸福の科学統一教会を栄えさせた

彼らの家庭からは大量のアダルトチルドレン生産された

狂った世代だよ

創価学会についての三世幽霊信者からの雑な印象

自分20代創価学会三世信者活動はしていない。

60代の両親は創価集会出会い結婚

一族簡単歴史は以下:

九州から集団就職で都会に出てきた母方の祖母創価学会の会員となり、母方の祖父、彼らの2人の子供も会員となる。

父親は元々別の宗教の家に生まれたが、大学入学上京した際に勧誘され会員に。

父は地元に帰ってから活動を続け、そこで出会った母と結婚。姉と俺が生まれる。

そこまで極端な教育を受けた覚えは無いが、子供の頃(3歳ぐらい?)からの毎朝15分ぐらいの唱題という名のお経上げと地域学会イベントへの強制参加はあった。

ただそのような創価公式イベントにおいても、また両親の口からも、創価についての体系的な教え、つまり世界はどのようなものである創価学会は考えており、毎朝唱えている意味不明漢字ばかりのお経には何が書かれており、我々がそれを唱えるという行為はどのような意味を持ち、またそのような営みを支える背景にはどのような宗教歴史があるのか、といったことは全く教えられなかった。ここら辺は俺がまだ子供だったから教えられなかったという可能性もあるが、理屈っぽく素直で無かった俺には自分のしている行為意味不明さが子供ながらに大変苦痛であったのを覚えている。

で、だいたい俺と同じ創価体験を受けた姉は両親の言うことを良く聞くとても良い子だったので熱心な信者となり、創価大学までいった。俺は中学ぐらいから唱題をあげるのを拒否するようになり、たまにある地域イベントなどにはなんとなく参加したが創価との関わりはそれぐらいで大学のに進んでからはそれも辞めた。

両親と姉は当然今も熱心な信者で、家庭内で俺だけ完全に無宗教といった感じだが、家族中は大変良好である。両親とも創価大学学会幹部といったガチガチの家庭でない限り、まあだいたいそんなものではないだろうか。周りの3世を見てもそう思う。

俺が創価学会に関して思うのは、よく言われることだが創価学会本質的な役目は戦後日本解体された地域互助組織の都会における再構築であったということである。両親や姉、周りにいた学会員の方々を見て、とても善人が多いとは思うが、特に宗教的な人間が多いとも思わない。教え自体日蓮宗ベースだろうが、キリスト教ベースだろうが、浄土真宗ベースだろうが彼らにとっては本質的には変わらないのでないだろうか。本質池田大作というカリスマ信仰に基づく強固な人間関係組織の構築である

創価学会の教えのとても特徴的な点だと思うことは、極端とも思える現世利益主義である創価学会の教え(あるいは日蓮宗の教え?)では、宗教成功世俗成功は同一であり、このことは学会イベントでも何度もよく聞いた。難解な宗教教義を多くの人間理解させることは難しいが、世俗利益のことは誰もがよく理解しているため、創価学会はこんなに会員がいるんだろうな〜と大人になって気付いた。

あ、あと体系的教義説明がないとは言ったが、ある程度の大人になると教学試験などを通してそこら辺は勉強することになるし、家庭によっては親が教えることもあるかもしれない。だけどその場合でも日蓮宗歴史よりは創価学会歴史に重きが置かれていることは間違いない。

2023-11-20

anond:20231119081534

はてな世代創価嫌いの理由はこの2つ

  1. 創価学会が流行ったのは集団就職世代折伏された経験のあるパパママ創価ダメと言ってたから、よく知らないけどダメって思ってる。
  2. 昭和時代科学が普及し、新興宗教事件の数々で叩いてもいい対象となった。バカでも安心して叩ける対象新興宗教ということで叩いてる。

ネトウヨ弱者男性自然派などを叩くのと同じ

自分の頭では何も考えてないしまともなデータも論拠も持ってないよ

2023-10-21

anond:20231017005537

生活不自由になる→子供産まないとやべーってなるっていうのはどういうことなんだろ

世の中の風潮としてそうなるってこと?

じゃあ労働力がほしいか子供作るってこと?

途上国とか昔の日本だったら分かるけど、現代日本子供作ったところで将来ただのサラリーマンになるだけじゃないの?

集団就職貧乏実家仕送り…とかもうなくない?

2023-08-19

anond:20230819092256

増田民の親世代大学進学率は14%あたり。

地方ではさらに低かったはず。

農民漁民大人兄弟で中卒集団就職マジョリティだったことを考えると元増田家は貴族だね。

2023-07-21

英語覚えてるソフトウェアエンジニアなんだけど

通貨安だからカナダオーストラリアで働きたい

同じこと考えてる人いっぱいいると思うんだけど、みんなで集まって集団就職しない?

2023-05-23

anond:20230523080054

昔の人は兄弟が多く、親と同居して家を継ぐのはその中の一人だけで残りは職求めて都会に出ていくのが普通だった定期

集団就職とか知らんのか

2023-04-10

anond:20230410204557

もし戦後にそうなったとするならば、それは集団就職大阪に来た人たちが形成したものなのか、マイノリティーの方々が関係しているのか。

2023-02-17

anond:20230216135656

ブコメ見てるとまた昔は祖父母と同居だから楽だったと言い張る人が出てるが

田舎から職を求めて都会に出る人が多数いたのは、集団就職金の卵だと言われた時代からの話なんだが…

彼らの多くはそのまま都会に居ついて都会で結婚子育てしてたわけで、当然親は田舎いるから同居なんか出来ん

何でサザエさんみたいな世界現実でも多数派だったと思ってんだろ

あれ「実家金持ちお嬢様結婚後も家を出ず親と同居、で母親自分専業主婦だけど金には一切困らない」と言う

現実じゃほとんどあり得ない状況だから幸せ家族として描けるわけで

しか子供も3歳児とは思えないあり得ないくらい手がかからない良い子だもんな、タラちゃんみたいな3歳児現実にいてたまるか)

現実は昔も夫両親と同居で嫁が嫁いびりされるか核家族ワンオペかの二択(かつ金もない)だよ

田舎の同居なら共働きが当たり前(嫁は労働力専業主婦なんて怠け者の嫁扱い)だし、育児どころか夫両親のお世話すら嫁の仕事

都会の中流以上の核家族なら専業主婦だったけど(子の預け先がないからそうせざるを得ない)

当然ワンオペだし夫は現代基準からしたらデフォで横暴で暴力モラハラ当たり前、離婚で逃げる選択肢もない

近所だって自分みたいなおのぼりよそ者ばっかだから子供の頃からの濃密な付き合いなんかなくて余所余所しいわけだし

育児ノイローゼという言葉が出たのは80年代、今増田でだべってるような連中の親世代もっと上くらいからの話だ

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-10-07

anond:20221007005637

めちゃくちゃ気が合わない実の親子の存在が大きく喧伝されかつ地価の高騰によって

違うよ

都会だと地方の子供が就職で都会に出てきてそのまま都会で結婚するケースが多かったか

親と同居したくても物理的に出来ないのが当たり前だっただけ

集団就職とか知らんのか

それがない田舎は同居当たり前だったけど(と言ってもそれは長男だけで他は核家族になるしかないが)

田舎で夫の家の奴隷させられるより都会のサラリーマンの嫁になりたい女と

息子には奴隷嫁が欲しいが娘は都会のサラリーマンの嫁にして苦労させたくない親が多くて田舎の嫁不足なんて言われた

2022-08-28

日中韓台に共通する東アジア思考

役人は偉い。批判はするけど心底羨ましい。

学歴(というより如何に難しいペーパーテスト合格たか)が全て。中国皇帝ですら科挙合格した官僚嫉妬名家に生まれ首相田舎まれ集団就職から一代で成り上がった首相ですら東大卒キャリア官僚コンプ医師尊敬されるのは世界共通だが東アジアでは仕事尊いからではなく、入試が難しいか尊敬される。

・施しは嫌い。

人助けや親切も嫌い。身近に親切な人がいたり、人助けが行われると居心地や気分が悪い。偽善者ということにして非難自己正当化

・損をするのは大嫌いなので国や地域のために何かをする気は皆無。だけど恩恵は受けたい。

プライドが高いということは人類共通だが、東アジアでは自分を高めるより他人を下げることで自尊心プライドを保つ。

・女は父親か夫の所有物。男は母親の所有物。

・人の長所を探すことはできない又はしたくない。人の粗探しは得意。

2022-02-02

石原慎太郎ってすごいね

あの世代で大手企業サラリーマンの息子に生まれ

181cm,一橋大卒,イケメン,陽キャ,ヨットマンかつ文学才能あり,日本最高クラス社会的地位,

小泉と親戚で一族みんな光っている

 

世代のうちの先祖は山奥の農家大人兄弟で生まれ

兄弟全員が150cm台,キモメン,陰キャ,中卒(小学校も遠すぎてあまり通っておらず読み書きできない),集団就職社会に出て

右肩上がり時代のおかげで仕事はあったがギャンブルとか酒にハマり一族みんなヤバい感じ

子孫で底辺脱出した者は1割以下で残りは介護士,ホスト,F欄など

2021-12-06

ガチャ田舎呪いは一生着いて回る

両方の引きが悪く生まれた。

ガチャ底辺の親で生まれて生まれた所は田舎だった。

まず親がどう底辺かというと、中卒で集団就職で色々苦労したらしい。

それで真面目に働く人なら立派と思うが、俺の記憶は何かにつけて怒鳴ったり物を投げたりそういう親だった。

なので家に居ても俺はビクビクしていて心が落ち着かなかった。根本仕事ストレスで怒りたいから怒る理由を探している、そんな感じだった。応援している野球のチームが負けただけでも物をいきなり壁とかに投げつける。自分反論されるとキレる。論破されるととにかく暴力解決して勝とうとする。今の法律ではすぐ捕まるレベル人間だ。声がデカいから他の部屋にいてもすごく聞こえる。やたら働く事が尊い説教する。とにかく罵声を浴びせてストレス解消する。手元の刃物を持って思い切り投げつけようとする。言う事もコロコロ変え自分が正しい事を要求する。束縛が強くて自分が出掛けるのを嫌がる。友達と遊んでいても不満をぶつける。俺は中卒で社会に出て働いた、だから偉いんだとやたら社会に先に出た事をアピールする。

そんな親元で暮らして今自分がどうなったか

友達も居ないし勉強する事自体有意義さを感じなく学歴も低く人も信じられない精神不安定と言う子供部屋おじさんが育った。

ついでに育った環境も不便な田舎仕事が多い都市まで一時間以上掛かる。

おかげで仕事を探すのも通勤するのも毎回片道1時間以上掛かると言うハンデを背負った。

土地柄も田舎人間は人の足の引っ張り合いのような環境だ。

子供時代ヤンキー漫画流行ってイジメが多発した。

当時はそこまで考える力も無く、努力する事が無駄に思えて勉強も疎かになった。自殺も考えていた。

一つ一つなら努力で乗り越えようとも思うがここまで重なると、もう呪いしか思えないレベルで嫌なしがらみが付いてくる。

もしそこから抜け出すのならやはり勉強して良い大学に入ってそれを機に都会で一人暮らしして全てから脱却するまでやれてたら良かったのだろう。無理だった。

金持ちはその資産子供教育を受けさせたり、自社の仕事を継がせたりする。金持ちはより金持ちになり貧乏人はより貧乏になる。嫌ならそれを乗り越えていくしか無い。

金持ちに生まれたかったまでは言わないけど

せめて普通の家に生まれたかった。

クソ安い給料で人に不満をぶつける訳でもなく働いているけど、入っている会社ブラック差別されながら働いている。黙って働いているがそれでも不満らしい。

上司仕事も与えられず会社を抜け出してパチンコ行っているが天下りの出向社員で皆何も言わない。それでいて給料はきっちり高い。

最近物騒な事件が多い。

無敵の人化している人もニュースで見かける。

ストレス溜まっているのだなと思う。

2021-11-03

文化の日エヴァンゲリオン考察

キャラクターには綾波(あやなみ)やアスカなどの名が見える

これは古墳時代後期、飛鳥時代より前、高句麗日本朝鮮半島覇権を争っていたころ、

大陸より伝来した、漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)を暗喩していると思われる

派遣争いのあった時代言葉引用は、現代部民制派遣会社の繁栄示唆していよう

一方、クレハと呼ばれている呉羽紡績呉羽化学の後裔は、現在福島県派遣会社を持っているが、福島はこれまでも、集団就職原発誘致など、国策実施の先鋒となってきた地域

エヴァンゲリオンという名称自体戦争を推進してきた独逸協会の後ろにいた福音派プロテスタント教会東京横浜ドイツエヴァンゲリオン教会ロイツキルヒェ『Die dritte Kirche』第三教会暗喩していることからすれば

かつての日本人の政治への無関心ぶりを確かめバルーンとしてのアニメでもあったと思われる

そしてメディアエヴァ一種カルトとして扱い、背景たる文化歴史を語らないのであり、そのことは、今でもプロテスタントの影響が相当にあるということを示している

そして暗喩暗喩と気づかないバカバカにしつつ、かつ統合失調症バカにしながら、メンヘラ的な理性を欠いた思考による忖度文化誘導したと言えよう

このように理性がないもんで纏まらないし、オチもない

2021-10-17

結婚子供も諦めろって言うけどさあ

かつての集団就職組は結婚して子供作って、あまつさえの子供を大学にまでやってるのが普通なんだよな

何かやりきれねーわ

都内じゃないけど、俺より仕事できないおじさんも皆結婚して子供いるしな

2021-10-07

豚汁作りながら思ったこ

豚汁けんちん汁って何が違うんだろうなぁと考えてた。

たぶん歴史的には

山梨あたりの武将が戦に行って迷ってしまった時に

匿ってもらったお百姓さんが根菜やら何やらを

煮込んで作った汁物が大変美味しく感じて城に帰った際に広めた

というのもいいな。

いや、それだとなんか、ほうとうっぽいか却下

からもっと集団就職とかそういう時代でいいにしよう。

田舎で先輩ともめて、逃げるように東京に出てきたにいちゃん

同棲中のスベタ系の彼女

ゆりっぺ今日はオイラ料理すっから。とか宣言して

ご飯を作るのね。

要領はあんまり良くないけど一生懸命作って

晩御飯を一緒に食べるわけだ。

「けっこう美味しいじゃん、これぇ」

彼女感想言うと

「ばっかじゃねぇの。普通だこんなの、かぁちゃんの作るのとおんなじにしただけだべ」

とか照れながらいうわけ。

そしたら彼女が、

わたしもそんな優しいおかあさんに会ってみたいなぁ、けんちん」

なんて言っちゃって

その年の冬には、二人で実家に帰るわけよ。

おなかがおっきくなった彼女連れて、結婚の報告に。

このきっかけになった料理

けんちん汁なんて言って嫁さんが周りに作り方を教えて広まるわけよ。

まぁ、その後けんちんと嫁さんは、

実家父ちゃんのやってる葡萄畑を継ぐわけで

あの放蕩息子が帰ってきてよがったな。

なんて父ちゃんが周りに言われた所まで考えてたら

やっぱり料理ほうとうになってた。

とっぺんぱらりのぷぅ。

2021-06-19

父の日によせて

父のことを思うとき、いつも思い出す光景があります

それはある週末、スーパーから自転車で、自宅までの帰り道。

当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。

スーパーから家まで自転車10ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。

あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。

身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中丸めママチャリをこぐ姿は、食卓ビールウィスキー焼酎ちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。

父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。

その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社ひとつに、運良く入れていました。

そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネット会社役員として送りこまれてくるわけです。しか親会社セミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネット御社ビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。

そこで私がやってた仕事ひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータ相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。

そんな、ニワカな私がニワカな役員サポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベント出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います

大企業出身エライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女からということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社お金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。

そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要ときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。

それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれ家族旅行で伊豆ホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラチョコレートストロベリーアイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。

そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。

でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。

しろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。

岩手県の奥地でだいたい10兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校卒業すると集団就職上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから家族会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。

祖父会社オイルショックかいろいろありながらも、高度成長期バブル景気でそこそこに拡大、多いとき社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父会社仕事より、地元運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。

でも90年代バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行から貸し剥がしを受け、頻繁に資金ショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。

これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社ITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネ会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います

なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロ自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。

大きくて、小さくて、でもやっぱり大きくて温かい、父の背中

高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落レストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。

西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。

…こういう話って普通結婚式のときかにするんですよね。

照れくさくてなかなか言う機会がなかったんですが、このコロナ下でなかなか会えないので、今やっと言葉しました。

直接言えよって感じなんですけど、まあ、こういう人たちもいるよってことで、この場所に置かせていただきます

2021-05-02

anond:20210502222503

🐈ネコチャンの親せきみんな目大きいよ。

お墓まいりいったらほぼ電車の客が

なぜか縄文系?というか眼が大きい人ばっかだったよ

地域性はあるだろうが兵庫です。

神戸はね、九州から集団就職で来た人たちが結構多い。親年代かな

何故か大阪じゃなく神戸なのね。

結構九州から来た人も整ってるね。

2020-12-06

anond:20201205155542

東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます

私は昭和高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸から明治大正戦前昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。

まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方なまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。

平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラーベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーション潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意解釈すると、そこまでシャイ内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺

因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル日本暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街はいちいち挨拶なんかしないけど、郊外住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたヤバイ人じゃないよね、安全普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌からまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。

米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化女性ニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。

私は特に今の日本悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊おんぶ犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます

昔は良くも悪くも男尊女卑時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性権利時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代電子記録に、残しておきたい思いです。

2020-10-31

anond:20201031140626

今はね、事実上高校生どころか29歳ぐらいまでは半分子ども扱いで親の庇護の下にあると見なす時代だよ。

20代でも親の虐待から抜け出せない子もたくさんいるし、20代結婚した40代のおじさんが児童婚に似た扱いを受ける。

中卒集団就職が当たり前だった昭和価値観からアップデートしなきゃ。

2020-09-10

古谷経衡山本一郎のどちらかが嘘つきであることが確定

まじかよ令和新選組最低だな〇ロシアエー。



対消滅してほしいコンビだけれど、とりあえずこれでどちらか片方が消えると思うと「これでアバロンダニが一匹減ったな」的な皇帝陛下様のほほえみが頭をよぎる……

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん