はてなキーワード: 文転とは
お前ら親の金とか借金とか無駄に使ってるヒマあったらさっさと大学やめるか文転しろ
2年生でPDFとかdocxとかxlsxとかの識別がつかないとか馬鹿なんか?
やっぱりクズだね。理系が教養だけで卒研まで行くとか許されないから。
お前らが卒研に行ったら絶対人の足を引っ張るどころか研究室がめちゃくちゃになるし、日本の大学の格がゴミ以下になる。
正直こんなやつらに日本の将来を任せたくもないし、こんなやつらが月に10万も20万も30万も他の有能の稼ぎから盗んでいっていい理由がさっぱりわからない。
こいつらは文系官僚がお似合いと言いそうになった。あぶねえ。こんなものにさせたらそれこそ日本が滅ぶ。もう外国送りでいいよ。
最近様々なことに悩みだした。大学4年生にして思春期の訪れである。世の中の様々なことに興味を持っては、大学を卒業するまでの期間の長さを嘆き、折り合いがつかないまま悶々とした気持ちで日々を過ごしている。
僕は今まで散々人生をサボってきた。最低点主義とでも言おうか、家族など周りの人の反応を見ながら自分である程度の基準を作り、それを満たしさえすればなんでも良いと思っていた。高校受験の際は、祖父・両親が通っていた高校に行くことが家族の中で当然とされていたためそれに合わせて合格することを目標としていた。中学校程度の勉強はそれなりにやっておけば志望校くらいは受かる頭の良さであったため難なく受かった。しかし、例えば部活動は自分の中の基準にまったくなく、練習をサボりまくり挙げ句そのせいで同じ部活の女子に泣かれた。僕の中の基準は高校に受かる一点に集中していた。高校に入ってからは、なぜかわからないが志望校を東大と言ってしまったために家族や先生を期待させてしまい(と勝手に思い)よくわからないことになっていた。端から東大に行けるとは現実的に思っておらず、勉強はしていなかった。それでも宣言してしまっているからにはある程度の「惜しさ」を演出しなければならない。高校3年生の頭には学年で半分以下の順位になっていた僕は、「文転」した。文転してからはある程度の順位は取れるようになりワンチャンあるかもという感じを出せていたがあくまで「ワンチャン」。そのまま受験に突っ込み、結果は惨敗した。我が家は浪人には寛容であったためもう一年やらせてもらえることになった。しかし僕の基準はもはや東大ではなく「惜しさ」の演出に移行していたのかもしれない。一年中遊び続け、昨年よりは改善したが結果はだめだった。それでも後期である程度の大学に滑り込めてしまったために「惜しさ」の演出には成功してしまった。大学に入っても最低点主義は言わずもがな変わらない。単位を取るだけだったら誰でもできる。何一つとして学問は身についていないが、あと卒論さえかければ僕は卒業できる。
こんな、最低点主義を人生を通して実践してきた僕も勉強だけをやっていたわけではない。絵を描いてみたり(才能が絶望的だった)、小説を書いてみたり(根気がない)、ギターを弾いてみたり(練習嫌い)、作曲を行ってみたり(世に出ているもののクオリティーにならないことが気に食わない)、いろいろなことを知りたいと思い最初の一歩だけ踏み出してみた。しかしどれもすぐに飽きたり萎えたりしてしまった。今でもこれらをある程度好きだという気持ちは持っているが、世に出るレベルには到底ならないだろうということを予期してしまっている。最低点など存在せず、最高点なら∞の世界の話に立ち入れない僕がいる。
社会に出てしまえば周りから求められる最低点などというものはどこにもない。それに、最低点を取れなくても、ある程度のセーフティーネットは存在する。僕がこれまで回してきたサイクルはほとんど無に帰す。僕はこの社会の中でどこまでもフラフラとしていくしかないのだろうか。
僕の「好き」は移り気で、小さく、根気がなく、僕を規定するものになってくれない。それでも今はこれを大事にせねばならないと芽生え始めた自我が言う。僕の「好き」はこれから最低点を求めず、自由に泳いでいけるか。22年間サボっていたからこそ、今、世界のすべてを手に入れたくなってしまった。領分をわきまえず色々とやることをこの僕が僕に認めなければならない。そして、世に花開くことを真に夢見なければならない。
何者にもなれないことこそ誇らしく、胸を張って生きていこう。
これは人生に絶望した若者の戯言です。今日話を聞いてくれたみんなへの感謝の一つの形として書きました。そしてCrazy Crazyに感じて星野源にドハマリしていた15歳の僕に捧げます。星野源の多才っぷりはとどまることを知らず、どんどんとかっこよくなっていくばかりです。この7年で更に距離は離れてしまったけれど、星野源はたしかに僕を構成する一要素です。一応結婚のことについて触れておくと、私は有名人の誰と誰がどうだ、みたいなことには全く無頓着で無関心です。しかし、星野源が結婚したことによって新たな面を見せてくれるかもしれないということには期待することもあります。これまでエッセイで見せてくれていた暗黒面もさわやかなライブでの姿にも、それを支える世界への愛のようなものが僕の心までも包んでくれているような気がしていました。これからは包み、包まれた愛が僕に触れることになるのでしょうか。それならば一層、僕も源さんの心を包むような愛を持って世界に向き合っていかなければなりません。世界のすべてを肯定することは難しくても、世界には素晴らしいことがたくさんあるとよく噛み締めたいです。そしてそれを表現にまで昇華できればこの上ないことと思います。
ありがとうございました。
それから半年弱経って、今すこし良くなった部分があるのであのとき話を聞いてくれた人と、今悩んでいる人に向けて報告します。
あの時ほんとうにありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20200703170535
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主にメンタルの部分においての話です。
いろいろ探したけど全然ヒットしないので、具体的な情報がわかる方はURLを教えてください。
味方がいるって、同じことに苦しむ仲間がいるって信じたいです。
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以下報告です。
1 投薬が効いた
私の投薬は半年間一貫していました。以下の通りです。
・セルトラリン(商品名 ジェイゾロフト、セルトラリン) ○日中
・クロナゼパム(商品名 ランドセン、リボトリール)※私はリボトリールでした。 ○寝る前
の2種類
まず、寝る前のクロナゼパムの話。
私は夢で被害にあった環境の再現のような、ストーリーをよく作ってしまい、寝ながら格闘したり必死な説明をしたりしていて、寝汗や起き抜けの精神状態がひどい状況でした。
それを就寝前のクロナゼパム(リボトリール)で抑えてぐっすり眠れるようになりました。これはかなり大きかった。あくまで私の場合ですよ。
リボトリールを飲んで30分くらい立つと身体が湯船に入った時のように、こわばりがとけます。脳みそでいくら考えても、身体がリラックスしている感じ。そうなると不思議と自然に眠くなります。そのまま寝て気づくと朝みたいな状況になりました。これは本当に救いでした。もう夢でこの件について戦ったり負けたりしたくなかった。
私は事が起きてすぐは比較的元気で、できる限りはやった。その事後である今はもう加害者に対して自衛する必要は無いんだよね。それでも全てうまく行った世界を夢で実現しようとしていた。我慢して、うまく立ち回った世界線を作ろうとしていた。
いまは過去は変わらないとわかってる。
それからもう一つのセルトラリン。血中濃度が飲むうちに安定してくる?みたいで、はじめは効いている?本当か?くらいだった。でも2週間くらい続けていると日中のフラッシュバック(当時のことを思い出して無力感に襲われる)が明らかに少なくなり、嫌になってしまったお風呂、シャワーが平気になった。それでもまだ一日一回風呂はきつい。痒くなったらくらい。人に合うときは入れる。なんでだ?見栄っ張りだからな〜私。
明るくなったと言われたのもこのセルトラリンが効き始めたと思われる2週間後くらいから。
希死念慮がなくなったのは3ヶ月後くらい。
薬のことは以上。
量や頻度は何回か変わったし、個人差大きいそうなので伏せます。よく効く人もいればたくさんでも効果出ない人もいる。最低の量でも効きすぎてしんどいひともいるらしい。
2 業界での出世を捨てて、在宅での下請け孫受けをやり始めた。
もともと一線を離れた後自宅で補助業務をする女性が多い業界なので信頼できる社外の人(社内で起きた被害なので)に拾ってもらえてアルバイトととして雇ってもらってる。本当にこれはたまたま。これがなかったら私は人間関係を気づく体力がなくなったのに今までのスキルを使うことを諦めていたと思う。そうなってたら今どうなってたんだろうと薄ら寒い。あんまり器用なタイプではないから。
対人関係が在宅でうすーくなると私が今までこの仕事で頑張ってきた理由がよくわかった。まあ、好きだし、だから無理もできる仕事だったんだよね。
一年くらい前はもっと大きな仕事を目指していた。責任者になりたかった。少ない女性の業界スーパースターを追いかけたかった。その助けになりたかった。しかし適正が足りなかったみたい。
その少ない業界スーパースター達に被害後複数会ったが、私より酷いこと、中々あったみたい。それを乗り越えてったんだね。私は本当に甘いやつ。はあ〜いや、でもおかしいんだよね。世の中。
ただ私は今はもう名誉とか尊敬だとかはもういらない。本当に諦めたから、今とても落ち着きのある感じで仕事が充実してるなと思う。仕事で関わる人の助けになるならそれでもういいや、という気持ち。
回り回って当時の私と似たような状況の人にいい仕事してるなって思ってもらえるようなるべく頑張ってる。
本当のこと言えば、あれがなければなあ〜でも同じ状況はもう本当勘弁して〜っていう感じ。あー大きな仕事してみたかった。一人前未満から一人前まで上げてもらえるのは男の人が多かったなあ。まあ、まあ、そんな人生もある。
以上報告2点です。
もし、語ってもいいかなと思う人いたら、少しでも良かったやり方を話してくれると嬉しい。
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。
タイトルのとおりなんだけど
小学校はサッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。
普通の公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。
パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽な命令みたいなのも普通にあった。
最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど
なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。
もともとサッカーは特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後に小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。
未練はなかったし、
何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、
さらに先輩の上には先輩がいてさらにサッカー部顧問の先生がいる。さらにその上に外部から監督が来てて
その監督見た目はジーコみたいなんだけど、キレたら頭のテッペンから声が出る狂犬みたいなヒステリーおっさんだった。
まあ何が言いたいかというと、順当に順位を上げるのはムリダナと思ったわけです。
あまりに壁が高すぎる。とても正攻法では太刀打ちできない。と中1にして悟ったんですね。
くわえて以前から親父にも「お前は闘争心がない」とのご指摘を再三賜っていたので、その自覚はあったし特に悪いことだとも思わなかった。
幸いにしてそれほど頭は悪くなかったので、ぴゃーっと部活をやめて勉強にシフトすることにした。
で難なく進学校に進んで、今度は好きなことしようと思って
男女がいたからなのか、マイナースポーツゆえなのか、先輩後輩の関係もゆるく、待ち時間に漫画読んだり、ゲームしたり、夏休みに生徒だけで勝手に合宿したり、女の子に好きになられたり、そのまま仲良くなったり、楽しく過ごしました。
で、肝心のお勉強の方なんですけれども3年になると雲行きが怪しくなって来るんですね。1,2年時は強化クラスみたいなところにいたんですけれども、3年で普通クラスに落ちたんですね。
理系には有能男子学生が集まり、頭が悪くないくらいで勉強しない僕のような生徒が第一線張れるようなところではありませんでした。そういう環境では順当に行けば勉強頑張るか、となるんでしょうけれども、僕は戦いませんでした。そう文転です。
中学の経験から逃げが身についているのか、僕はさらに逃げます。そう私大です。
センター併用とかなんとかでごまかして、有名私大文系学部にするりと合格してしまうわけですね。下手に頑張って駅弁大学いくよか随分良い選択をしたと我ながら思うね。
これはもはや弱者の戦略と言って良いでしょう。勝敗が決する前に別の戦場に移るという画期的な戦法を身に着けてしまったわけです。その姿は強い相手と対戦しないように減量する計量前のボクサーのような美しさがあります。
でですね、大学でも難を避けて暮らして、今度は就活なんですけど、やっぱり理系企業に行きたいんですよね。ほんとはIT関連に行きたいんですよね。
無謀ですよね。競争ですよね。勉強してないのに。なのであきらめました。
じゃあどこいこうかなと思ったとき、僕が選んだのは女性が活躍できる職場(男性が誰も入ってこないくらいのブラック企業)でした。当時はブラック企業情報などもあまり溢れていない環境だったかと思いますが、親兄弟からも反対されるほど名のしれたブラック企業でした。
なぜそこに入ったのか。おそらくそこしか入れなかったのでしょう。規模が大きく、成長性があり、労働環境最悪―――というのは、なんとなく自分には向いてそう、という感覚がありました。実際その会社の労働環境は凄惨を極め、朝から夜まで働き詰めで1年めの年間休日は30日とかだったと思います。(もち全部サビ残だよ)
なんか書くの飽きてきたな。増田に長編書くモチベってなんなの?
で何が言いたいかというと、女性が多い職場にうら若き男が入ると、めっちゃかわいがってくれるんですね。んでもって女性が多いからといって女性が出世できるわけではないので、大卒の男性なんて勝手に出世するんですね。女の人って大変ですね。
しかも、もともとが時代遅れのブラック企業なので、成功した他社のやり方持ってくるだけでポンポン成績が上がるわけです。面白かったですね。
そんなこんなで出世して20代のうちにちゃっちゃっと結婚して子ども生まれて、まさにヌルゲー人生を謳歌しているわけですけれども。ここでふと気づくわけですね。
なにか仕事でヤバいトラブルがあったとか、乗り越えられない壁があったとか、めっちゃすごい人物にあてられたとか、一切そういうことはなくて、ふと振り返ったときに自分の歩んできた道の軽薄さに恐怖するんですね。
今までは「戦略的撤退」だと言い聞かせてきたんだけど、今、退路を探してもどこにも見当たらないんですよ。スキルも積まず、努力もせず、社会の盲点みたいなところ一点突破してきた自分が、出世だけして家族を背負い、綱渡りしている事に気付いてしまったんですよ。
手に職つけず。年だけ食って。もう35だよ。転職するにも公務員試験も受けられないよ。
退路がないと言ったけれども、僕、前進する方法も知らないんですよ。
どうしたらいいですか?
僕は何を恐れてるんだろうか?
どうしたらいいんだ。
こんなオチにするつもりで書いてたんじゃなかったのに。
「嫌なら逃げればいいじゃん」っていう軽い感じで書いてたはずなのに。
なんだこれ。最悪じゃん。
もう寝よ。最悪だ。
自分は現在とある旧帝大に通う3年生だ。しかしオレは編入してこの大学に入ったのだ・・・
しかしなぜだかいまだに学歴コンプレックスが治らない。もうすでに旧帝大の学生なのだ。自他ともに認める高学歴なのだ。
高校の友達と比べても自分より上の大学に通っている人は10人いない。
それでもなぜかダメなのだ。いまだに劣等感に度々さいなまれる。
県内でも有数の進学校で常に成績上位だった自分がなぜこんなに偏差値が低い大学にいるのだろうか・・。大学に落ちた日からずっと思っている。
そもそもこの大学に入ってしまったのは自分が理系を選択してしまったからだ。
自分はもともと英語や国語、地理が得意だった・・。それにもかかわらず「ドラゴン桜」で理系がよいといわれ理系に進んでしまった
高校2年生の頃は順調だった。常に成績はTOP20で余裕で入っていた。ところが3年生の夏になってからおかしくなり始めた。どうやっても物理と数学Ⅲが攻略できない・・。常に勉強しているのに成績が上がらなくなってしまった。ついにはそのまま文転することもなく受験を迎えて落ちてしまった。
何度理系に進んだことを後悔したかはわからない・・。文系だったら普通に旧帝大に現役で行けただろう。それなのに理系に入ってしまったせいでこんな地方の帝偏差値の大学に行くしかなくなってしまった。自分には勉強しかない。
高学歴でないのは絶対に許せないことなのだ。異常なまでに学歴へ執着した。
自分よりも成績が悪かったやつが自分よりも高学歴な大学に行っている。自分は浪人が許されなかった・・。
そんな気持ちとは裏腹になぜかこの大学では 友達は多かった、勉強もよく出来たから非常に頼られた・・・
でもダメだったのだ。あまりにも自分が行けたであろう大学よりも低すぎた。理系で多少就職が有利なのかもしれない。大学は社会に出たら関係ないかもしれない悔やむこと自体時間の無駄 十分に頭ではわかっていた
でもどうしても納得がいかないのだ。自分が低学歴であることが納得いかないのだ。文系だったらはるかに高学歴な大学に行くことが出来たのだった。そう思い大学がスタートしてからはずっと仮面浪人か編入することしかやってこなかった。
編入が許されても常に自分の学歴にイライラしていた。中学生のとき自分より成績が悪かったやつが・・ はるかに高学歴になっている。
その後なんとか勉強を続けて見事旧帝大に編入学することができた。
最初はコンプも消えていた。でも今3年生になってあることに気づいた。自分は編入以外に何もやっていない。車の免許さえ取っていない。旅行にも行けなかった
何かスキルを身に着けようにもなにもない。気づけばもう就職だった。
俺の大学生活はどこにいった・・? このまま就職して卒業したら思い出は何が残るんだ・・? 俺の人生何だったのかな・・
しかも自分が編入したとはいえ結局自分が地方大学にいたという経歴は残るのだ。
いまだに自分が京大に行けなかったことにはくやしさが残る。編入して旧帝大に在籍しているにも関わらずいまだに なぜ○○大学に行ったんだ・・ という気持ちがずっとある。高校に合格を報告に行ったがなぜかむなしい。現役で受かることが大事なのだ。自分に低学歴の時間があることが許せないのだ。
最近副業を頑張っている。副業を頑張って収入を自動化すればまた再受験が出来るからだ。まだ2万円ほどしか自動で入ってこないがあと少し頑張れば20万円程度まで自動化できるのだ。
そうしているとまたふと疑問に思う。またその大学に入ったことで何があるのだろうか・・。
Twitterの編入界隈を見てももやもや思う。やっぱり自分たちは負け組なのだ。一般で俺は入りたいのだ。またもう一度挑戦したいのだ。
私自身が理系萌えで工学部に進んだものの、憧れと自分がそれになりたいかは違うことに在学中に気づいて就職時に専攻から離れた人間なので、他人事とは思えなくてね…
とりわけ情報系の男性が好きだったが、私の場合はお付き合いとか結婚とか、増田よりもう少し推しに近づきたい願望があった。
そうなったときに専門が同じだと、お互いの専門への思いの熱さが災いして、どの実験手法を採用するかとかで軋轢が生まれ、離婚の危機とかになったら嫌だなあ…と妄想して、
非情報系の専攻にしたのも良くなかったと思う。(方向性は違うけどかなり拗らせていた)
大学の専攻も学問としては面白かったが諸処の事情で仕事にしたいとは思えなくなってしまった。
で、いくつかの転職を経て叩かれがちな所謂職業プログラマになったけど、これが思ったより自分に向いていて、
今は理系男子よりも、とは言わないけれど理系男子と同じくらいプログラミングが好きなので充実した日々を送っている。
同時に、18のとき妙なことを考えず、普通に大学で情報系の専攻に進んでおけばどれだけ良かっただろうと後悔したし、情報科出てないコンプレックスは今も消えない。
思えば、普通に自分自身が好きなものと向き合って極めようとする過程で挫折することへの恐怖心が強く、
「理系男子萌えが理由で自分も理系になっちゃう私マジヤバイ女~」というメタ的視点に立つことで自分を守ろうとする意識もどこかにあったと思う。
別に増田がそうだとは言わないけれど、私はそれで自分が本当に好きなものを見つけるまでに30超えてしまって人生遠回りしたので、もし増田にもそういう部分があるなら自分を省みるのは早い方がいい。
親に頭下げて転科/文転が可能ならそれもいいし、学生やり直すのが現実的じゃないなら、就職時は分野を変える大きなチャンスだし、第2新卒ぐらいまではまだまだ全然やり直しもしやすい。
増田は人生を楽しむ力が強そうなので、別に今のままでも上手く生きていけそうな気はするけれど、ちょっと似ているババアからの小言でした。
というか増田は、勉強と違って仕事なら楽しめる可能性も大いにある。研究職は知らないけど、一般的な仕事なら良くも悪くも大学の勉強とはベクトルが違うから。
(大人がいったってろくに動かないのに)。
ハリーポッターにも描写されてるけど中学生ならまだ義務教育の範囲内だけど
高校生に体力と時間が無限にあるとおもいこんでる教育者が多い。
夏休み冬休みにまで「補習」と称してボロボロのクタクタになるまで子供を使い果たして実質休息日が3日しかない学校がある。
親が校風あわないからあわてて転科(文転など)や転校させたくても「制度上無理です」。
体調くずして休むと教科書渡さない上でテスト受けさせるいじめみたいな場合もある。
モーレツ社員募集したブラック企業じゃないんだからせめて連携とって整合性をとれと思う。
(=すきなところにいかせるのに親の送迎をつけなくていい)
自主的になにかやろうと思う暇をこどもにつくれよまず。