はてなキーワード: 人権問題とは
柳原白蓮(1885年10月15日 - 1967年2月22日)、本名は燁子。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
1910年11月、上野精養軒で燁子と九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門との見合いが行われた。
燁子は当日、それを見合いだとは知らされていなかった。
伝右衛門は50歳、親子ほどの年齢差・身分・教養ともあまりに不釣り合いであり、
地方の一介の炭鉱主が「皇室の藩塀」たる伯爵家から妻を娶るのは前代未聞のことで、「華族の令嬢が売物に出た」と話題になった。
異例の結婚に新聞では、柳原家への多額の結納金や媒介者への謝儀、宮内省への運動資金など莫大な金が動いたことが書き立てられた。
背景には貴族院議員である兄義光の選挙資金目的と、一代で成り上がった伝右衛門が後妻に名門華族の家柄を求めたことがあったと見られている。
翌1911年2月22日、日比谷大神宮で結婚式が行われ、帝国ホテルでは盛大な披露宴が行われた。
『東京日日新聞』では結婚式までの3日間にわたり、2人の細かい経歴などを書いた「燁子と伝ねむ」というタイトルの記事が連載され、“黄金結婚”と大いに祝福された。
燁子は遊廓に入り浸ることの多かった伝右衛門に病気をうつされ大きな屈辱となり、夫婦の間の亀裂は深まった。
そんな歪んだ結婚生活の懊悩・孤独を燁子はひたすら短歌に託し、雅号「白蓮」の名で、竹柏会の機関誌『心の花』に発表し続けた。
1917年暮れ、福岡鉱務署長・野田勇に炭鉱主から贈収賄が行われた疑いで大規模な検察の調査が入った「筑豊疑獄事件」が起こる。
1918年4月初頭、野田夫人の友人である燁子は贈賄側の証人として出廷した。
公の場に現れたことで話題となり、『大阪朝日新聞』は4月11日から「筑紫の女王燁子」というタイトルで10回にわたる連載記事を載せ、大きな反響を呼ぶ。
この連載記事がきっかけで「白蓮」が燁子であること、「筑紫の女王」という呼び方が全国的に知られるようになる。
1919年12月、戯曲『指鬘外道』を雑誌『解放』に発表する。
これが評判となって本にすることになり、打ち合わせのために1920年1月31日、『解放』の主筆で編集を行っていた宮崎龍介が別府の別荘を訪れる。
龍介は7歳年下の27歳、孫文を支援した宮崎滔天の長男で、東京帝国大学法科の3年に在籍しながら新人会を結成して労働運動に打ち込んでいた。
新人会の後ろ楯となったのが吉野作造ら学者による黎明会であり、『解放』はその機関誌であった。
両親共に筋金入りの社会運動家の血を引き、時代の先端を走る社会変革の夢を語る龍介は、燁子がそれまで出会ったことのない新鮮な思想の持ち主であった。
別府に2晩宿泊し、打ち合わせを終えて日豊本線に乗る龍介を、燁子は小倉まで見送った。
その後、事務的な手紙の中に日常の報告と恋文が混じる文通が始まる。
燁子の上京の機会は伝右衛門に同行する春秋2回で、京都などで限られる逢瀬の中、2人は頻繁な手紙のやり取りで仲を深めた。
やがて龍介の周囲で燁子との関係の噂が広まり、華族出身のブルジョワ夫人との恋愛遊戯など思想の敵として、
1921年1月に龍介は『解放』の編集から解任され、4月には新人会を除名された。このことは燁子の心を一層龍介に傾かせた。
燁子は秋の上京の際に家出を決行する準備のために、伝右衛門のお気に入りで博多花柳界で名高い芸妓であった舟子を、
自分の身代わりの人身御供として舟子を伝右衛門の妾にしたのである。
龍介は新人会時代の仲間である朝日新聞記者の早川二郎や赤松克麿らに相談して、燁子出奔の計画を練り、決行した。
1921年10月20日、伊藤伝右衛門は夫婦で滞在していた東京府日本橋の旅館「島屋」から、福岡へ帰るために車で東京駅へ向かい、
妻・燁子は親族を訪問する予定で東京に残り、伝右衛門を見送った。しかし、燁子はそのまま日本橋の旅館に戻らず、行方をくらませた。
22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫の女王』伊藤燁子 愛人宮崎法学士と新生活?」と失踪の第一報が伝えられる。大阪朝日の単独スクープであった。
伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。
その頃の燁子は東京府下中野の弁護士・山本安夫の元に、伊藤家から伴った女中と共に匿われていた。
山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。
22日夜、山本は新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者に対応する燁子の写真が掲載される。
朝日のスクープは、姦通罪を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿や朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、
マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔を正当化するために仕掛けられたものだった。
女から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会的反響は大きく、
大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。
柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否の手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。
10月24日に福岡に戻った伝右衛門は親族会議を開き、友人の炭鉱主らも同席する。そこで宮崎龍介・赤松克麿らの思想的背景が問題となる。
伝右衛門ら炭鉱主は当時頻発していた米騒動やストライキに神経をとがらせており、彼らによって労働争議の標的にされる恐れがあった。
また姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、宮崎側に関与する事は避け、問題は柳原家と伊藤家の両家の間のみに絞られた。
11月1日夜、東京丸の内の日本工業倶楽部の一室に伊藤・柳原両家関係者が招集される。
この席で燁子を伊藤家から正式に離縁する事が決められ、伊藤家に残した燁子所有の調度品や衣類・宝石類を柳原家に託し、
燁子名義の土地・家屋・株券などは名義を変更して伊藤家に返還する事などが決められた。
11月2日、仲介役の奥平伯爵が築地精養軒で新聞通信社に燁子と伝右衛門の離縁を発表し、3日付の新聞に掲載される。
事件からわずか10日後、伊藤家側は極めて寛大な処置で迅速に身を引いた。
伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元の血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。
福岡天神町の銅御殿落成の翌日、11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立する。
駆け落ち騒動の最中に生まれた長男・香織と共に宮崎家の人となった燁子は、それまで経験したことのない経済的困窮に直面する。
弁護士となっていた龍介は結核が再発して病床に伏し、宮崎家には父滔天が残した莫大な借金があった。
裁縫は得意であったが炊事洗濯は出来ない燁子に代わり、姑の槌子が家事と育児を引き受けた。
燁子は小説を執筆し、歌集も出版、色紙や講演の依頼も引き受け、龍介が動けなかった3年間は燁子の筆一本で家計を支えた。
この頃、吉原遊廓から脱出した花魁の森光子が宮崎家に駆け込んで助けを求めている。
その後も娼婦の救済活動は続けられ、1928年にも吉原から子持ちの娼妓が宮崎家に駆け込んでいる。
この活動は暴力団に狙われる危険なものであったが、燁子にはかつて伊藤家で舟子ら同性を
身代わりの人身御供にした罪の意識があり、娼婦の救済はその罪滅ぼしもあったと見られる。
1944年12月1日、早稲田大学政経学部在学中の長男が学徒出陣し、
翌1945年8月11日、所属していた陸軍・鹿児島県串木野市の基地が爆撃を受けて戦死した。
龍介の手厚い介護のもと、娘夫婦に見守られ歌を詠みつつ暮らした穏やかな晩年であった。
1967年2月22日、心臓衰弱のため西池袋の自宅で死去した。81歳没。戒名は妙光院心華白蓮大姉。
遺骨は長男と共に神奈川県相模原市石老山の顕鏡寺に納められた。
職場だったら、女子社員が特定の弱者男性を嫌って、むやみに遠ざけようとしたり、口をきかないのがハラスメントになる。
あるいは女子社員が同僚のイケメンと手をつないだり、じゃれ合って、それを周囲に見せつけたら、「環境型セクハラ」だろう。
女性はイケメンの彼氏と仲良くすればいいし、キモメンとのお付き合いは断ってよい。嫌いなやつを無視することだって自由だ。
無論、カップルで手をつないで街を歩くと、非モテ男性たちに不快感・屈辱感を与えるかもしれない。だが、それは人権問題ではない。
ーー私はずっとそう考えてきた。ところが、近年には萌え絵とか、漫画とか、広告表現のゾーニングが問題になっている。
フェミニストいわく、「女性への配慮が足りない」とか、「性犯罪・セクハラを助長している」とのこと。
それならば、カップルが街中で手をつなぐ行為も、(一部の)弱者男性に不快感を与えてはいる。それに女性が自身の好みにもとづいて男を選別するのは、裏を返せば弱者男性を排斥することだ。女のそういう欲望は、自分が嫌いな相手を排除してもいいと、イジメ・差別につながっていく可能性がある。
いずれにせよ、性的欲望に基づいて人を選別したり、そのさまを周囲に見せつける行為は、職場のハラスメントとして禁止されている。これは当人同士が納得していたとしても、まわりの同僚に迷惑になるから禁止なのだ。
それにも関わらず、街中で男女が手をつないでいいのだろうか? また、カップル描写のある広告は、ゾーニングせずに世の中に出していいのか?
ましてフェミニストが主張するごとく、街中や新聞広告にも公共性があるという話をするならば、そこでは職場と同様、「カップルでつるむな」「恋愛はよそでやれ」という規範が適用されるべきではないか。
「弱者男性」は、男性にあいまいな弱者性を被せただけの概念なので、
その弱者性=キモさ、収入の低さ、遺伝的劣等、能力の低さ、喋りの下手さ、社会不適合性……を攻撃した瞬間、
その攻撃は同じ弱者性を持つ女性や障碍者を攻撃したことになってしまう。
反リベラリズムに堕すことになる(リベラリズムは弱者を庇護するための思想だ)。
弱者男性を攻撃しただけで、即座に自己矛盾に陥って、レスバに負ける。
もともと明確にそういう狙いの話なのだ。
だから最初にこの話が「KKO」という単語で出てきたときは、識者たちが「うーむ、確かにKKOはこれからの人権問題だなあ」と言っていたし、そうするのが正しいしぐさなんだが。
識者では到底ない不勉強なツイフェミやパヨクは、バカだから、簡単に弱者男性を攻撃して簡単にレスバに負けていく。
今は、"弱者男性など存在しない"、みたいな流れにもっていきたがってるけど、KKOは現に存在するの皆も本人も知ってるしな。
無理がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/32abe6f028cf709e0b0f7a39bb9d97842eb17690
「対ロシア大盤振る舞い外交方針はプーチン大統領を助長させた」
続けて蓮舫氏は「特に安倍政権時代の外交を振り返りますとね、ソチ五輪、ロシアの人権問題、大変、アメリカでヨーロッパで大きな問題になって、オバマ大統領を始め英国やフランスのトップも大会への出席を見合わせたのに、安倍総理は出席をしました。その翌月、ロシアはウクライナのクリミア半島を軍事併合しました。各国が制裁を科す中、日本は経済協力を続けてきた」と話した。さらに、「安倍総理は、新しいアプローチとして4島ではなく歯舞、色丹の2島、返還交渉を進めるとして、地元山口にプーチン大統領を招いて歓待をした。2019年、『ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている。ゴールまでふたりの力で駆け抜けよう』と呼びかけましたが、これゴールにたどりついたのでしょうか」と、19年にウラジオストクで行われた東方経済フォーラムでの安倍氏の発言を例に、対プーチン大統領への対応に疑問を投げかけた。
岸田首相は「ゴールまでたどりついたか、という質問でありますが、わが国はロシアとの関係において、北方領土問題を解決して、平和条約を締結する、という目標を立て、努力をしてきました。残念ながら、その目標は達成されておりません」と返答。蓮舫氏は「ゴールどころか、ずいぶん後退したと思ってるんです」と皮肉を込めつつ、2020年にロシアが憲法を改正して主張する領土の割譲を禁止したことを「これまでの日ロ交渉をほごにした」と指摘。さらに今回の侵攻で、日本がロシアから「非友好国」のひとつに指定されたこともあげ「安倍内閣の『対ロシア大盤振る舞い』外交方針は、プーチン大統領を助長させちゃったんじゃないですか」と厳しい姿勢を示した。
近年小学校でも男女平等を学ぶ授業が行われるようになったが、人権問題系の授業は教師個人の思想が強く反映された内容になりがちである。文部科学省から配布されたテキストを読み上げるだけでも授業が成り立つようになっているのに、教師がかなり偏った思想を披露するだけで授業が終わることがある。
約10年前、小学校中学年の頃の担任は真面目で厳格な30代の男性教師だった。男女の人権問題に対しては疎いどころかかなり敏感だった。現在のように男女平等や人権問題がよく議論されるようになる前の時代である。ただ、この男性教師は非常に独特な思想を持っていた。
男女平等を学ぶ授業では、教材は完全無視で、過去の自分のエピソードを語り始めた。ざっくりまとめると以下のような内容である。
・その女の子は背が低かったのできっと背が高い僕に対する差別意識があったのだろう。言われたわけではないがそれ以外の理由が見当たらないので間違いなくそうだ。
また、ある日の休み時間に「日本人の平均寿命は男より女の方が長いんだって!」と友達にうんちくを披露したところ、近くで会話を聞いていた担任が男のほうが早く死ぬなんて言ってはいけないことだとブチ切れたことがある。放課後、この件で親に電話されたことを覚えている。
数年前、この男性教師は公共交通機関内での痴漢容疑で逮捕された。一応真面目な印象の教師だったので元生徒の親たちは冤罪ではないかと話していたが、あの激しい思い込みと偏った思想持ち主なので、個人的には本当にやった可能性が高いと思う。
これの話題ね。
https://anond.hatelabo.jp/20220216132940
生理の貧困を理解できない男はやばい的なブコメをつけてたんだけど、反応なんかを見てよくよく考えてみたら、確かにおかしいわ。
おかしいっていうか、男女ともに、相手の立場や困難については理解できないんだなって印象。
成人前と成人後に分けて話をするね。
成人前の児童はお金が自由にならないから、生理について親の理解が足りないと詰むよね。それはわかる。
仮に生理関連に3,000円とかかかっていたとしても、男子児童と女子児童の基礎代謝の差を埋めるにはもっと多くのお金がかかる。
それに、生理関連に毎月3,000円もかかる子って、そんなに多くないでしょ?基礎代謝の差は平均してだから、男子児童ならだいたいそうなるという話。
そこで問題なのは、家庭の可処分所得の差は、子どもの教育格差に直結するということ。
現状、教育支出額は女子児童>男子児童となっていて、女子児童のほうが多くのお金を教育に投じてもらえている。
このうえ女子児童に対してだけ補助を行うことになると、この差が更に拡大する。
今でさえ、高校の定数も大学や短大の定数も女子>男子なのに、更にそのうえ教育格差が拡大する。
これって人権問題じゃない?
健康についてだってそう。生理用品のような衛生用品は健康に関わる〜とか言われているけど、食事はもっと直接的に関わっている。
でも、元増田への反応では、男子児童の食費についてはメロンパン食ってろとか、便所にチーズバーガー置けとか、軽んじるようなものばかりなんだよね。
成人後については言わずもがな。
30代ごろになって男性が管理職につきだすまでは、男女の賃金差なんてほとんどないでしょ。
自己の裁量でお金が使えるなら、男性よりも食費が少ない分を生理用品に当てればいい。
平均して毎月7,000円も浮いているのだから。
そんなわけで、生理の貧困って、女子児童の親の無理解くらいしかないんだなって話と。
女子児童に生理用品を支給するなら、男子児童には食費の補助を支給しないと、男子児童に対する差別が拡大するんだなって話でした。
はてなー「おいおいおい。保存食だけで2週間とか塩分過多で死ぬわ」
「何を言ってるんだ?俺は野菜ジュースやビタミン剤も使ってるぜ」
『ベースブレッド。それは1食で1日に必要な栄養素の1/3を補える完全栄養食である。3食ベースブレッドを食べれば1日に必要な栄養素の1/1が補えるのだ」
はてなー「異議あり!ベースブレッドの消費期限は1ヶ月程度!備蓄してループを組もうとすれば毎日の食事の半分はベースブレッドだ!現代児が耐えられるはずがない」
「その意見は半分正しいな。だから俺は糖分を控えたシリアル食品、缶詰、冷凍野菜、王道のカロリーメイトや野菜スープなども組み合わせることでベースブレッドの割合は半分以下に抑えている。10食程度の備蓄なら朝食代わりにベースブレッドを食べるのを習慣にするだけで十分だからな」
はてなー「嘘だ!2週間分の食料備蓄強制は非人道的行為!出来るはずがない!だって人権問題だから!」
「だから俺は出来たんだって。引きこもってるだけだとカロリー消費も少ないしな。」
はてなー「うるさい!うるさい!出来たらおかしいんだ!出来るはずがないんだー!コイツは魔女だ!きっと食わなくても死なないんだ!」
「おいおい^^;」