はてなキーワード: アジア女性基金とは
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3) 格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題は Permalink | 記事への反応(1) | 18:32
ちょっと見てくれよ
1950年 朝鮮戦争において日本の特別掃海隊が連合国軍(韓国側)の要請で掃海作業に当たり56名が死亡
1965年 日韓基本条約により日本から韓国へ11億ドルの経済援助(日本の朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄し、韓国は対日請求権を放棄することに合意)+日韓請求権協定により8億ドルの経済支援 (参考)当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度
1993年 河野談話(従軍慰安婦問題に関し「お詫びと反省」)
1995年 村山談話(第二次大戦に関し「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」)
1995年 アジア女性基金設立(日本国民の拠出約6億円と政府からの5億円で韓国他5カ国に償い事業+内閣総理大臣のお詫びの手紙)
1997年 アジア通貨危機により日本は韓国へ100億ドルの支援を行う
1998年 日韓共同宣言(2001年韓国議会により破棄を全会一致で決議)
2015年 慰安婦問題日韓合意「日本軍の慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決」日本は韓国へ10億円供出
1948年 大韓民国が建国され初代大統領李承晩は対日戦勝国としての地位を国際社会に要求したが認められず
1948年〜南朝鮮済州島(現韓国)で韓国軍による島民虐殺が行われ多数の難民が日本へ脱出する
1950年 朝鮮戦争(このとき日本の特別掃海隊が連合国軍(韓国側)の要請で掃海作業に当たり56名が死亡)
1950年 北朝鮮に対し敗戦濃厚になったため山口県に亡命政府の設立を日本政府に要求(戦況好転のため立ち消え)
1950年 日本は密入国した犯罪者等の韓国人を強制送還しようとしたが韓国側が拒否
1952年 李承晩ラインを一方的に設定し対馬・竹島の領有権を主張するがアメリカ・イギリス・フランス・中華民国からの抗議を受ける
1952年〜竹島周辺で300隻以上の日本漁船を襲い4,000人近い漁師を韓国に拉致し44人を死亡させた
1953年 日本の漁船が韓国軍により銃撃・拿捕され民間人一人が殺され他の乗組員へも非人道的扱いが行われた(第一大邦丸事件)
1959年 在日朝鮮人の帰還事業阻止のため韓国特務機関による新潟日赤センター爆破未遂事件
1961年 済州島周辺の公海上で韓国警備艇が日本の漁船を不法に銃撃・拿捕する事件が複数発生
1965年 日韓基本条約等により日本から約20億ドル(参考:当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度)を得た+日本の朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全ては放棄したほか日本から約25年に渡る経済面や技術面の支援を受け大きく経済成長した(「漢江の奇跡」と呼ばれるがこれが日本の支援によるものであることは韓国内でほとんど周知されていない)
1973年 韓国の民主政治家で韓国中央情報部KCIAに命を狙われていた金大中(のちの韓国大統領)が日本滞在中に拉致され韓国に連れ去られる
2005年 反日法を制定し親日派と認定された人物およびその子孫が所有する財産を没収(法の不遡及に反するのではないかという見解がある)
2011年 「外交関係に関するウィーン条約」に違反して韓国日本大使館前に慰安婦像設置
2012年 李明博大統領が竹島に上陸し天皇への謝罪要求を行う
2013年 日韓間による犯罪人引渡し条約を無視して靖国神社に放火した刑事犯の中国人を日本への引き渡さず「政治犯」として中国に送還
2015年 慰安婦問題日韓合意「日本軍の慰安婦問題を最終かつ不可逆的に解決」日本は韓国へ10億円供出
2017年 文在寅大統領が「日韓合意には内容及び手続き面で重大な欠陥があるとして、日韓合意では問題の解決がなされないとする」とする声明を発表
1950年 朝鮮戦争において日本の特別掃海隊が連合国軍(韓国側)の要請で掃海作業に当たり56名が死亡
1965年 日韓基本条約により日本から韓国へ11億ドルの経済援助(日本の朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全てを放棄し、韓国は対日請求権を放棄することに合意)+日韓請求権協定により8億ドルの経済支援 (参考)当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度
1993年 河野談話(従軍慰安婦問題に関し「お詫びと反省」)
1995年 村山談話(第二次大戦に関し「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」)
1995年 アジア女性基金設立(日本国民の拠出約6億円と政府からの5億円で韓国他5カ国に償い事業+内閣総理大臣のお詫びの手紙)
1997年 アジア通貨危機により日本は韓国へ100億ドルの支援を行う
韓日市民団体、軍慰安婦の解決策の提案…'法的責任'に柔軟性 (Naver翻訳)
'政府賠償'求めるものの、'法的責任の認定'は明示的要求しない
(東京=連合ニュース)、チョウ・ジュンヒョン特派員=軍慰安婦問題の解決に向けた韓日両国政府間の交渉が停滞状態となる中、韓日市民団体が論争の核心である日本政府の'法的責任'認定と関連した創意的な折衷案を盛り込んだ解決策を提示した。
軍慰安婦問題の解決に努力してきた韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)など、韓日市民団体関係者と被害者であるキム・ボクドンさんなどが23日、東京で開かれたシンポジウムで提示した同法案は、まず4項目の'事実'と、その責任を認めることを日本政府に要求する。
4項目は'日本軍が軍の施設として慰安所を立案・設置して、管理・統制した事実'、'女性たちが本人の意思に反して'慰安婦・性奴隷'になって慰安所などで強制的な状況に置かれた事実'、'被害が甚大、現在もその被害が続いているという事実'、'当時の国内法および国際法に反する重大な人権侵害だったという事実'などだ。
これをもとに'覆せない明確かつ公式的な方法で謝罪すること'、'謝罪の証として被害者に賠償すること'、'日本政府の保有資料の全面公開などを通じた真相究明'、'学校教育や社会教育科の追悼事業の実施など再発防止措置'などを日本政府に要求する。
この案は、まず、日本政府の'賠償'を要求することで、1990年代日本側の解決策として推進されたアジア女性基金と差別化した。 アジア女性基金は民間募金の形を取った上、基金の性格を賠償と明確に規定していないという点で、多数の韓国、台湾の被害者からそっぽを向かれた。
ただ、市民団体案は違法性の認定を前提としている賠償を求めるものの、日本政府の'法的責任の認定'を要求事項に明示的に含めなかったという点で、日本政府が収容できるようにハードルを下げたような印象を与える。
軍慰安婦問題は1965年の日韓請求権協定によって'完全に、最終的に解決された'は立場を繰り返してきた日本政府は、韓国側の要求事項のうち'法的責任の認定'に最もひどいアレルギー反応を見せてきた。
戦後賠償に対する'パンドラの箱'を開くことになるという認識のためだった。
結局、今回の市民団体の提案は双方の立場が一番厳しく当たる法的責任の認定問題で被害者側と日本政府がそれぞれ立場に解釈できる曖昧性を持った折衷案であるわけだ。
提案に参加したヤンジンジャ'日本軍慰安婦問題の解決、全国行動(日本の市民団体)'共同代表は"法的責任の認定が必要ないというわけではない"と前提した後、"加害国が過去、軍がどんな仕事をしたかどうかについて具体的に認めるならば、それ自体が法的責任を認めたこと"とし、"賠償という言葉に(法的責任が)集約されている"と紹介した。
挺対協のユン・ミヒャン常任代表も"法的責任の内容を提言(要求事項)に放しておきたと理解できる"と説明した。
昨年6月、日本軍慰安婦問題アジア連帯会議で初めて設けられた同方案は何より被害者側の声を代弁する挺対協が同意した案という点で関心を集めている。
日本側関係者は、軍慰安婦問題解決協議に積極性を示さない背景の一つとして'政府間で合意が行われても、挺対協が拒否すれば白紙化される'は認識を表明してきたという点で、挺対協の同意は交渉を進行中である韓日両国政府に示唆するところが少なくないそうだ。
この対策について、アジア女性基金に関与した和田春樹(和田春樹)東京大学名誉教授は"軍慰安婦問題解決の基礎になる案だと思う"、"朴槿恵大統領と安倍晋三(安倍晋三)首相の首脳会談前に両国がこの解決策によって行動すればいい"と話した。 (取材補助:岩井リナの通信員)
23日、日本東京の参議院議員会館で'軍慰安婦問題の解決可能である'いうテーマでシンポジウムが開催された。 右から和田春樹(和田春樹)東京大学名誉教授、尹美香(ユン・ミヒャン)韓国挺身隊問題対策協議会常任代表、軍慰安婦被害者であるキム・ボクドンさん、ヤンジンジャ日本軍慰安婦問題の解決、全国行動共同代表、林博史(林博史)関東学院(關東學院)大学教授。
http://b.hatena.ne.jp/entry/256573813/ で話題のこれ、買ってきたよ。
ところが、韓国や日本の支援団体や人権団体の一部が、アジア女性基金を「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔的手段だ」なんてめちゃくちゃ批判した。彼らも「リベラル派」と呼ばれるのかもしれないけど、こういう人たちがいるから「リベラル嫌い」がふえても仕方ないと私は思います。
(p.34.)
ドイツと日本は、同じファシズムとか軍国主義の過去をもつけれど、ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を、日本よりもずっと立派におこなった、という「神話」がある。これが、いかに神話か、ということですね
(p.35.)
日本軍の南京虐殺があった。あれがなかったという主張はひどいにせよ、中国がいう犠牲者三〇万人というのは大げさだろうと私も思います。
(p.38.)
最近、いわゆる従軍慰安婦問題について、韓国政府やメディアの報道で安倍首相が叩かれている。しかし、具体的に何が論点になっているのかさっぱり分からない。ちょっと調べてみてもネトウヨとブサヨの煽り合いしかでてこないので、参考になる冷静な議論に辿り着くことができない。なので、結局のところさっぱり分からないままである。
安倍首相にしても「河野談話を踏襲する、それを見直さない」という方針を打ち出している。それで、何が問題なのか。おそらく首相の内心では色々と思うところがあるのだろうと個人的には察するところもある。だが、公に表われてくる行動で大きく問題になる点はないように思える。
安倍首相は慰安婦問題に関する歴史認識を歪曲しているという報道がされることがあるが、具体的には首相として彼が行なったどういう行為が歴史認識を歪曲する行為なのだろうか。「歴史を歪曲するな」という批判がされているが、河野談話の踏襲が歴史の歪曲なのだろうか。
韓国政府や一部のマスメディアは、具体的に日本政府が何をすれば「謝罪」とみなされるのか曖昧なまま要求をしているようにしか見えない。具体的な要求をせずに誠意を見せろとだけ言うのはヤクザの手法であり、あまり良い印象を抱くことができない。かつて、日本政府は、河野談話で元従軍慰安婦へ謝罪をしている(という認識でいる)。また、政府が主導でアジア女性基金を設立し、金銭的補償と謝罪を行なった(という認識でいる)。それでは、なぜ不十分なのだろうか。それ以上に何をすれば、元従軍慰安婦は満足するのだろうか。
こう書いていて、自分自身でもまったく人の気持ちが分からない人が吐露するような文章を書いていると気付く。そして、まさにこれこそが最初の疑問なのだ。つまり、「従軍慰安婦問題に関して安倍首相の何が問題なのか?」さっぱり分からないという不安だ。
こういう論調はホント呆れるね。どんな組織でも国でも一枚岩じゃないんだから足を引っ張るヤツが居るのは当然でしょ。足を引っ張った奴らが居るのは日本だけじゃなく韓国も。韓国の連中は元慰安婦へ金を渡すのを妨害するという明確な足を引っ張る行為をしたのに、この記事はそんな連中を責めずに日本が悪いという論調にすり替えるばっかり。十分なリソースをアジア女性基金に与えなかったとかどんな勝手理論だよ。リソースが足りなかったというなら、何故韓国以外の国では金を受け取ってもらえたというんだ。和解はお互いに歩み寄らないと絶対に成し得ない。韓国だけが歩み寄れなかったのが問題でしょ。それを日本のせいにばかりする論調でお互い歩み寄れっていうのが無理。日韓の関係改善で一番足を引っ張ってるのはこういう論調だということを自覚したほうがいい。
慰安婦問題が女性の人権問題であるという「本質」は誰も否定できないと思う。
つまり「旧日本軍に特有だというのが違っていた軍の直接的な拉致」があったかどうかはそもそも本質ではない。
旧日本軍慰安婦が女性に対する著しい人権侵害の事例であるというのは明らかな事実であるし
それと同様に、この「軍による強制的拉致」ではなく「強制性」というのが本質であれば
韓国軍慰安婦、米軍慰安婦、国連軍慰安婦もそれと同様に人権を著しく毀損した事例である。
もちろん、日本がやったように少なくともアジア女性基金や首相の謝罪の手紙のような謝罪と賠償がなされるべきだと。
しかしながら、明らかに共産党は他国の事例は人権侵害に当たらないと考え、日本だけが特殊であると、他国の被害事例を抑圧している。
これは、「他国もやっているのに問題化されてないと言い訳するな、日本だけが責められていたとしても、まずは他国に先がけて日本が完璧な謝罪と賠償を行うべきだ」という、はてサが言っている主張とはまったく違う。
はてサの主張に同意するかどうかはさて置き、共産党が行っているのは、そもそも「他国は日本と同じことをやっていない、米軍・韓国軍慰安婦は人権侵害ではない」という主張だ。
例えば、今日の新報道2001で共産党の小池晃は、橋下徹が他国の事例も人権侵害であると述べた際、
「日本は国が関与してやっているんです。軍の指示のもとにやってるんです。そんなことやってるのは日本だけなんです」と明確に述べた。
https://www.youtube.com/watch?v=xPJky9qI16Q
また、共産党の吉良よし子は2014年2月19日参議院総務委員会で
「軍による慰安婦制度は、旧日本帝国とナチスドイツ特有のものであるというのは世界の共通認識」と言葉を強調しながら述べた。
https://www.youtube.com/watch?v=6z7NtJnzZv8
「世界の共通認識」というのが本当なら大変なことだと思うが、どうやら共産党の「共通認識」であるのは間違いない。
そして、この日本だけが特殊というのが世界の共通認識なのであれば、「ガラパゴス的議論」などと主張している小熊英二とも真っ向から反する。
それとも小熊英二も日本だけが軍による強制性の伴う慰安婦制度を用いたと考えているのだろうか。
とにかく、共産党は慰安婦問題に関して、日本以外の国を絡めることを断固として拒否している。
韓国軍・在韓米軍による人権侵害について言及するのを殊更に拒んでいる。なぜなのかは分からないが。
これは、はてなブログで日々慰安婦問題で厳しく日本を追求している人たちの意見とも、全く反している。
彼らのほとんどは殊更に批判することはないが少なくとも韓国軍・米軍慰安婦も「強制性」という意味で間違いなく人権侵害に当たる事例だということを認めている。
「他国とは違って、特殊な例が旧日本軍である」という立場を崩していない共産党とは、真っ向から反している。
しかしながら、寡聞にして慰安婦問題においてはてサが共産党をこの点から批判しているのを聞いたことがない。おそらく共産党がここまで強硬な姿勢とは知らないのだろう。
「他国もやっていたと言い訳するな」という言い分はさておいて、
まず、他国も同様の人権侵害をやっていたことは認めるのか。問題視すらされていない他国の人権侵害には耳を塞ぐのか。
「日本だけが特殊だ」という姿勢を崩していない共産党は、この点をはっきりさせないまま90年代のような既存のパターンの批判を続けていても、今後日本人の誰も耳を貸さないだろう。
「左派的な言動主に極右を対照させる詭弁("極右の反応と全く変わりはない")は、inumash氏がkyo_ju氏に放った"ヘイトデモの参加者と同レベルの言動である"でも見た」
「極右」を「ネトウヨ」に変えました。確かにid:yoko-hiromは「極左」ではなく「バカサヨ」だと思ったので。でも「ネトウヨ」「バカサヨ」は侮蔑的なニュアンスがあるでしょ。だからできれば使いたくない。「左派」「右派」は正しい感じがしてそれも嫌い。
フレームワークを変えずに勝手に都合のいいように解釈をしてダブルスタンダードを用いる左派は、単なる「左派」ではないでしょ。左派に失礼。それを「左派的な言動主」というマイルドなニュアンスにしてるのも詭弁だよ。
こういう大人げない対応をする僕も僕だが、これ全く不毛な論点でしょ。他のブクマもそうだが、「塩村都議がクソだと塩村が受けたクソな言動が薄くなると思っているなら間違いだし」とかどういう解釈なのだろう。
右派のレベル低下もさることながら、左派のレベル低下も甚だしい。しっかりしてほしい、本当に。
またまったくの蛇足であるが、集団的自衛権の話もそうだけど、手垢まみれの右の議論に手垢まみれの左の議論で答えてたら、本当にしょうもない言論空間ができあがってしまう。
若い世代はそうだと思うけど、党派性のみで出来上がる議論にうんざりしてる。
「てか20万は韓国被害者ではなく慰安婦総数なんだが、自ら基本を誤認したままドヤ顔はどうなの。韓国の訴訟は旧軍元慰安婦も支援していて、加害主体は施設運営してた韓国政権だし、色々と問題把握の根っこがおかしい。」
欧米に出回ってる誤解の説明ですよ。「20万人(主に韓国・中国人)が性奴隷にされた」という説明が多いです。あと、「中国人も入れると40万人にもなると中国人研究者は推定している」という説明をWSJでつい最近見ましたね。
「韓国の訴訟は旧軍元慰安婦も支援していて」その指摘はどういう意味ですか。当然そうだろうね、という感じですが。それを否定すること僕は一切書いてないですけど。
「加害主体は施設運営してた韓国政権」最初の文に書いてあります。知ってます。だから、アメリカは関係ないと言いたいのでしょうか。韓国軍・アメリカ軍慰安婦の話になると、急に日本軍慰安婦批判のときとトーンが違ってくるのが面白いけど。
この文章に対して揚げ足取ろうとするのは左翼の人が多いのはなぜだろう。
左翼の人って「私は従軍慰安婦に対して中立的に人道を擁護する立場で客観的に見てます、知識豊富です」って自負があるから、違うフレームワーク持ってこられると批判したくなるんだろうとは思っているが、その批判によって、何を訴えたいのかよく分からない。
僕の主張は詰まるところ「欧米メディアはちゃんと報道しろ」なんだけど、この文章を「問題把握の根っこが」「左派は極右とは違う」と批判することで左翼の人たちは何を主張したいのだろう。
まさか「日本軍は韓国軍、韓国政府、アメリカ軍より酷いことをした」とか「だから日本軍の方が悪いから、文句言うな」とか「米軍慰安婦は報道するに値しない」とかそういうことなんだろうか。
「↓誰も言及しないが、この「米軍慰安婦」と「日本軍慰安婦」には大きな違いがある。日本軍慰安婦制度は自国民(日本民族)だけでなく植民地や占領地の女性に売春を強制したという特殊性がある。」
これは正しい視点ですね。つまり、日本軍慰安婦は「自国」と「敵国」で慰安婦制度を利用したということです。
ただ「自国民(日本民族)だけでなく植民地」というところがやはり違うと僕は思います。「日本民族」という概念をここで持ってきていますが、それは単一民族を謳う戦後右翼的概念であり、なんか皮肉だなぁと思います。
「自国」「他国」の区分で言えば、植民地(韓国・台湾)は自国に入り、占領地は他国に入ります。この論点は朴裕河の指摘です。
例えば「日本軍慰安婦」と言った時に、韓国での事例と、インドネシアやフィリピンなどの事例を切り分ける必要があると思います。
それは「自国」「敵国」の違い、地域による事例の違い、未解決かどうかの違いという意味で切り分けるべきだからです。(韓国のみがアジア女性基金を拒絶した事実をここでは確認しておきます)
朴裕河の指摘も同じように、自国民を慰安婦にした事例と、敵国を慰安婦にした事例を切り分けて把握すべきだ、というものです。だからこそ、「韓国人慰安婦はいわば同志的関係」という表現を使った訳ですが、誤解によって大バッシングを今韓国で受けています。彼女は米軍慰安婦の人権侵害も早くから指摘しています。と、ここまで書いたところで、そういえば朴裕河もやはり左翼から批判されることの方が多いなと思いました。
なので、日本軍慰安婦を語るときに「韓国における」という言葉をつけるか、つけないかは大事な点だと思います。白馬事件などと韓国の慰安婦制度をごちゃまぜにされた議論を海外のネットでも日本でもよく目にするので。
韓国を訪問したオバマが「慰安婦はとんでもない人権侵害だ」と発言した。
それに対して安倍総理は「筆舌に尽くしがたい思いをされた慰安婦の方々のことを思うと本当に胸が痛む思い」だとし、
「20世紀は女性を始め、多くの人権が侵害された世紀であった。人権侵害が起こらない21世紀にするため、日本も大きな貢献をしたい」と述べた。
これはちょっと意外な発言で、日韓のメディア、右派左派ともにちょっと戸惑った感じがしたように思える。
安部首相の真意がどういうものなのか、これからの行動を見ないと分からないが、
これは、慰安婦に対する人権侵害を認めつつ、「慰安婦制度をやっていたのは日本だけでなかった」という文脈を作ろうとしているのかなと思えた。
それはオバマの発言に対して、「米軍慰安婦はどうなんだ」「朴正煕の韓国軍慰安婦管理はどうなんだ」という反応が多く見られたものを反映していると思う。
「20世紀」という一般化といい、正直なかなかうまい手というか、慰安婦問題に対して右左をなだめる、これまでにないスタンスになるかもと思った。
そうなってくると、戦後の韓国の慰安婦制度が本当にあったのかという話になってくる。あったなら、慰安婦像を海外に建てるキャンペーンが別の意味を持ってくる。
別に「あいつらもやってから、俺らは悪くない」という意図ではなく、
実際問題として、日本が謝罪もし、アジア女性基金も設立した一方で、韓国自身が実は同じ問題を抱えていたのに黙殺するという事態は、事実を明らかにする上でも好ましくないと思う。
まとめサイトではソースがあいまいなものも含めてよく目にするが、いくら内輪で盛り上がっても意味は皆無で
海外でどのようにどのように研究されているか、というのが重要になると思う。
残念ながら、メディアという点では海外では概して「20万人の韓国人が日本に性奴隷にされた」「日本はその歴史を否定しようとしている」という文脈で報じられているのがほとんどだ。
しかし、アカデミズムの分野では、ここ最近韓国自身の慰安婦制度に目を向けられているものも増えているように見受けられる。
おおよそ中立的な立場であると見受けられるC.Sarah Sohという研究者の2009年に出版された"The Comfort Women"という本は海外でも評判が高いようなので、色々調べようと思った。
http://www.goodreads.com/book/show/6068978-the-comfort-women
検索すると、Google Readersで一部内容が見ることができ、その部分にちょうど韓国の慰安婦制度について記述しているところがあったので、メモ代わりに引用しておく。
もちろん、この本は、日本の慰安婦制度、および人権侵害にも厳しい目を向けているが、
この部分の結論としては、韓国は慰安婦生存者を日本の抵抗のシンボルとして英雄扱いする一方で、韓国自身の慰安婦制度含む性の人権侵害には目を向けてこなかったということを言っている。
「韓国が戦後慰安婦制度を使用してきた」という事実は、単なるネット右翼のデマではなく、海外の研究者にも裏付けられている事実であり、もっと注目されるべきではないかなと思う。
"The Comfort Women: Sexual Violence and Postcolonial Memory in Korea and Japan" by C.Sarah Soh
(p:211~)
After its liberation from Japanese rule in August 1945,the Korean Peninsula was divided into two: Soviet troops occupied the northern half and the US military the southern half. The ongoing US military presence in South Korea led to the formation and maintenance of “Camp towns” (kijich’on, in Korean) around the military bases, a development that has had a striking social impact on Korean communities. Kijich’on (literally, base or camp [kiji] village [ch’on]) refers to the civilian world of commercial establishments and residential buildings that have sprung up around the US military bases and cater to the needs of the American GI’s. It is “ a place where Koreans and Americans- mostly male military personnel- meet in an economic and emotional marriage of convenience”. As of the end of 1996, 37,000 American troops supported the economies of ninety-six kijich’on. The estimated number of kijich’on prostitutes over the first four decades of the American presence ranges between 250,000 and 300,000.
(中略)
The kijich'on sex trade consolidated and expanded during the second phase, which began with the Korean War. In her testimony, Pak Sun-i who had laboured at three different comfort startions in Japan 1944 to the end of the war, recalled:
"At twenty-seven years of age, I was having a hard time making ends meet in Tongduch'on (the largest kijich'on just outside Seoul). I ended up cohabiting with a staff sergeant of the USArmy for about two years... One of my friends from the days at a comfort station in Japan also worked as yang-gonju, but she passed away."
An American veteran who served in Korea in the 1950s after the end of the Korean War recounted that on Friday nights half-ton trucks would bring into the base a few hundred women to stay the night or the weekend with the soldiers. In 1958, five years after the armistice, the majority of about 300,000 prostitutes in Korea reportedly served American soldiers. Some of them, like their earlier Japanese counterparts(RAA), married and emigrated to the United States as wives of servicemen.
The fact that the Korean military also availed themselves of the "special comfort unit" during the Korean War has received little public attention even after the Korean women's movement in support of the "comfort women" began in the 1990s. Only piecemeal anecdotal materials on it had come to light from memoirs written by retired generals and generals and the testimony of soldiers who fought in the war.
(中略)
Characterizing the Korean military comfort system as an "unfortunate offspring" of the Japanese colonial legacy, Kim Kwi-ok called for victimized women, civic organizations, and scholars to come together and confront the unresolved issues of this historical injustice. The media reports of Kim's work, however, have generated little response. There has been no public outcry regarding the Korean military's use of "comfort women" during the Korean War or its violation of women's human rights. Korean silence over these issues is reminiscent of earlier societal indifference toward survivors of imperial Japan's comfort system, It mirrors the reticence of many Japanese to come to terms with the history of their country's wartime comfort system. As in the case of Japan, many in Korea, including retired military leaders, apparently regard the women's sexual labour simply as the performance of gendered customary sex labour in order to meet the needs of fighting men. It is noteworthy that military authorities have acknowledged that the system of special comfort units contradicts the national policy of banning licensed prostitution. Nonetheless, they have insisted that the special units were created to fulfill an important strategic end.
(中略)
(日本人の韓国への売春ツアー、及び韓国人の東南アジアへの売春ツアーは看過されてきたが、という話の後)
However, when it comes to the issue of Japan's wartime "comfort women" system, which has been redefined by the international community as a prominent case of violence against women in armed conflict, no social critic or public intellectual in Korea would dare to take the customary masculinist position that such a system benefits the economy or promotes national security. This is because the comfort women issue has been redefiend as military sexual slavery and a war crime by the international community owing largely to women's collaborative movement for redress in Japan and Korea.
Still, little critical public discourse has occurred on the legacies of that historical institution or the social structural dimension of Korea'S comfort women tragedy. Few are willing to consider the unsavoury fact that, accustomed to indigenous public institutions that have granted customary sex rights to men, and licensed by the colonial government, many Koreans did not hesitate to collaborate in recruiting and runing comfort stations by trafficking in girls and young women. Rather than deal with the messy and unpleasant complications of the historical record, Korean public discourse has simplistically elevated the survivors to heroic symbols of national suffering under Japanese colonialism and its imperialist war of aggression.
By contrast, Japan, which is unavoidably seen as the perpetrator nation, has been in turmoil over contested representations of the comfort women phenomenon and its responsibility in the matter. Meanwhile, the international - as well as domestic - trade in public sex prospers in capitalist economies of Japan and Korea despite endless incidents of criminal abuse of women so employed by both foreigners and compatriots. The social historical legacies of masculinist sexual culture and political economic realities in the two countries continue to help construct women'S sexual labour as stigmatized yet customary care labour for masculine "need".
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140314/1394815420
要は国は法的責任をとって謝罪し、関係者を処罰しろ、てのがあちらさんの要求なんだけど、そんな要求は絶対にのめない。
過去の日韓協定で決着済みと言う理由もあるけど、それはのめない理由の一部でしかない。
ネトウヨは嘘ばっかりで嫌いだけど、一つだけ彼らの主張の中で擁護してあげたいものに
これをそのまま擁護するって事はないんだけど、これに近い部分で思うところはある。
韓国の要求通り国がその法的責任を認めて関係者の処罰なんてことになったらどうなる?
処罰の対象・・・俺たちの爺さんの誰がその対象になるかわからないのだ。
そんな事は考えたくもないし、いまさらそんなものに爺さんを引きずり出させる事態はまっぴらごめんだ。
もちろん中には「罪は罪だから」と、自分や知人友人の爺さんを差し出す人もいるだろう。(それが故人であっても)
慰安婦の方々にはもちろん補償はすべきだと思うし、その為の基金だって過去に日本政府は立ち上げた。
それで納得せず、国の法的責任を認め爺さんたちを引きずり出すべきだと言うなら、もうそれ以上の譲歩は支持しない。
そう生きたい奴は勝手にどうぞ、私はこの世のすべてが清く正しく美しく生きるべきだなんて全く思わない人間なので。
爺さんたちを差し出さない態度を卑怯だと罵るならどうぞ、こちらもその都度反発するだけだ。
一生、ずっとね、君らの抵抗勢力であり続けるよ。
昨日の記事ね。
"He and other nationalists still claim that the Nanjing massacre by Japanese troops in 1937 never happened."
http://www.nytimes.com/2014/03/03/opinion/mr-abes-dangerous-revisionism.html
これってソースあるわけ?
ないなら、相当まずいレベルだと思うんだけど。
前々から日本に対する知識を持つ記者が減ってるって話はあるけど、このレベルじゃ本当やばい。一定程度の知識があれば、確かめずに軽率に書かないでしょ。
「安倍はやばい右翼で、あらゆる歴史を否定してる奴だ!」って思い込んでないと、この文は書けない。
こういうのを日本の「知識人」たちが抗議せずに安倍への攻撃材料として使えるとばかりにはしゃいでるのを見てると力が抜ける。
アンネの日記事件でも、「安倍・日本の右翼化」と結びつける視点で書いてるし、
右よりでもなく、日本で割りと普通に流通してるような中立的でまともな意見を英語で発信するジャーナリストがいないとまずいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140224193549
いやいや、「普通に知られていたこと」みたいに済ませてるけど、海外で知ってる奴ほぼいないから。
慰安婦問題って国際的にどう受け止められるかってのをみんな気にしてるんじゃないの?だったら、海外で知ってる奴がいない、明らかな事実があったら、それを話題にすべきでしょ。
それが驚きだっていうの。なんで、海外で全く知られていない事実を「普通に知られていたこと」で済ませてしまえるのか。
ここら辺が右翼の人たちは、国際感覚を感じた上で広報活動した方がいいのにといっつも思う理由だわ。ズレまくり。
はっきり言って慰安婦問題で今国際世論の雰囲気を変えられるような「勝てる」ポイントはこの朴正煕の米軍慰安婦問題なのに、そこは「我々は昔から知っていた」とか言ってスルーして
「慰安婦とは売春婦だった」「狭義の強制はなかった」みたいな勝てないポイントにわざわざ突っ込んでいくのはなんなの。わざとやってるのかと。
ここまで書いて分かったわ!この「朴正煕の米軍慰安婦管理」っていう事項と「慰安婦とは単なる売春婦だった」「狭義の強制はなかった」ってのを並べて、同じくらい真実だと思ってるからか。
だから、前者をことさら取り上げないのか。だから、この朴正煕問題を慰安婦問題のワンオブゼムとして扱ってるのか。
全然間違ってるよ。
「朴正煕が米軍慰安婦を管理していた」ってのはハンギョレ新聞が取り上げるくらいだから、国際的に勝ち目がある日本が指摘すべき「真実」なんだよ。
対韓国を考えるうえでも、将校という意味で「親日派」だった朴正煕の嫌な過去をつくのは韓国の世論を二分する、圧倒的にクリティカルなポイント。
特に、その娘の朴槿恵が大統領である時期に、この問題の追求をするのが、日本の国益にとって重要。
彼女の任期が終わって数年経った後では「朴一族は親日派で、日本共々悪い奴らだった」でこの事項をスルーされる可能性がある。
一方、「慰安婦とは売春婦だった」「狭義の強制はなかった」ってのは、右翼は信じたくないけど、絶対に国際的に勝ち目がないポイント。残念だけど。
どう考えても、ここを突いても勝ち目がない。いい加減気づこう。
日本側としては、すでに賠償を行った「アジア女性基金」の成果を広報する一方で、この「朴正煕が米軍慰安婦を管理していた」という問題を「女性の人権問題」として徹底的に追求していくこと。
それしかないはずだし、逆に言えばそれをやれば、今の圧倒的不利な状況を変えられる。
今、圧倒的不利な状況にあるという認識すら、右翼の人たちが出来ているのか知らないけど。
やっちゃいけないのは、アメリカの新聞に意見広告とか言って「慰安婦は売春婦だった!」とかやること。こういうの見る度、負けたくてわざとやってるのかと思う。
とりあえず、これが事実だとして話進めるけど
相当びっくりするというか、慰安婦問題に対する見方が圧倒的に変わる事項だと思うんだけど。
だって、韓国自身がやってたなんて、驚天動地でしょ。普通に考えてよ。まじで。
なんか右翼はこれを韓国への攻撃材料の一つとしてるけど「洋公主を今更知ったのかよwww」みたいな感じで済ましてるし
左翼は「お前らもやってただろと責任逃れするのか」というケース(少なくとも日本はアジア女性基金を設立してるとは思うが)か、あるいは全然触れないかって感じなんだけど
そんな反応じゃなくて、もっともの凄いリアクションでこの事を受け止めるべきじゃないのか。
つまり、その時代における慰安婦の在り方を知る上で、最重要な事項じゃないのか。
韓国史上最も敬われている大統領であり、現在の大統領の父親にあたる人物が、慰安婦を管理していたということも当然絡んでくる。
これが事実であるのか、もっと大きく、というか何よりも最優先に扱うべきではないのか。
軽くググっても、英語圏で朴正煕と慰安婦の関連を述べているものが(プロパガンダっぽいの以外)ないので、おそらく全く知られていないだろうし
韓国でも虚偽だと今のところ言われている。でもハンギョレ新聞とかには出てる訳で。
で、それを信じれば、明らかに「(広義の)強制連行」にあたる管理の仕方な訳で。
なんか、左右のリアクションが薄いのも、海外でまったく扱われていないのも、これがやっぱりデマだってことなのか。
でも、そうじゃなさそうなんだよなぁ。謎。これから議論が広がるってだけかもしれないけど。
「謝罪なしに金だけだしてほっかむり」というのは、別に韓国だけがそう言ってるわけじゃない。
グレイフ氏は人権団体が国連欧州本部で開いた会合で「公式謝罪、国家責任の存在を認めないままの経済補償を元慰安婦は受け入れない」と主張。村山政権時の1995年に設置された「アジア女性基金」による元慰安婦支援でこの問題は解決していないと訴えた。
これが正しいか否かはともかくとして、主張として成立してしまう状態なのが、現状であり、問題なんです。
先に挙げた本の一冊には、実はまともに賠償してないドイツが「謝罪した」と言われる理由が書かれてる(本当を言えば、実は「謝罪」すらしていないし、日本に比べると「反省」の程度も怪しい)。世界では、「賠償」よりも「謝罪」が重い。そして、日本ではまさにその「謝罪」に関する議論が、ヒステリックに成立しない。そしてまた、もう一冊の本には、日英間で捕虜虐待問題に関する「謝罪」が成立したという事例がある。これも一つの参考になるはず。要は、朝鮮半島への「謝罪」というのは、朝鮮半島の人だけでなく、世界のマスコミを意識してやらねばダメだということですね。
「両国の友好のためなら現地で謝罪を述べることも、やぶさかではない」
http://news.livedoor.com/article/detail/6963714/
賠償でなく「謝罪」というのは、そもそもコレで終わる話でもあるわけです。これがあれば、上のグレイフ氏のような論は成り立たない。でも、それが絶対に飲めないという人たちがいて、そしてこの話はどん詰まり。元首の謝罪がなく、国家としての謝罪もなけりゃ、そりゃ「謝罪してない」と言いがかりのように言われても、返す言葉はないんですよ。
慰安婦問題は、日本の一部では勝手に問題を超限定して証拠証拠と鼻息荒げるムキがあるが、政府が認めてる事象だけでも、充分批判には晒され得る。ただ、個人賠償を「日本」がするのか、それぞれの政府がするのかは、また別の問題。
『戦後和解――日本は〈過去〉から解き放たれるのか』小菅信子(中公新書)
「慰安婦関連歴史資料」アジア女性基金(http://www.awf.or.jp/6/document.html)など
尖閣諸島については、双方が「棚上げ」してきたことは事実なわけで、石原の茶々入れで国有化に踏み切った民主政権の行為が、まんまと介入の口実を与えただけ。現時点で「棚上げ」は、双方にとってのベストなオルタナティブで、それを邪魔するのは、日本の利益でなく、とにかく日中間に楔を入れることから利を得る人。
参考:『記録と考証 日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』(岩波書店)
なお、
「国家ぐるみの窃盗」は、単純に韓国の不法行為だと思うね。泥棒を泥棒と知りながら、その上前はねるヤツは泥棒の親玉。泥棒を処罰するなら仏像は日本に返還すべきだし、仏像を日本に返さないなら、自ら泥棒の親玉と認めているのだから泥棒を処罰する理由がない。泥棒は処罰しましたが仏像は返しません、という現状は、あきらかに全く筋が通っていないね。
あと、スポーツへの八百長云々は、それこそ「決定的な証拠」無しにいくら騒いでも、それは騒ぐ方がちょっとアレなんじゃないか? と思う。
自分が右か左か?と聞かれれば、迷わず左だけど、右だろうが左だろうが、言論を極端にしてあえて色眼鏡をかけ、それによって自分の歪みや空虚を他者に投影することでストレスを解消するような流行は、なんだかずいぶん危うく感じる。たぶん、それだけみんな、寄って立つ基盤を見失っているということなんだろうね。
※先日、「インターネットからニセ科学を減らすたった一つの簡単な方法」http://fm7.hatenablog.com/entry/2013/06/07/140130で、「ソース上げようぜ」という提言があり、なるほどと思ったので実践してみました。
オレは左翼だけど、下みたいなことは一度も言ったことない。慰安婦に関する資料は、既に政府が行った膨大な調査結果がアジア女性基金のサイト(http://www.awf.or.jp/6/document.html)で公開されてる。
日本の左翼は、「慰安婦の強制連行を示す証拠」について、左翼は「見つからないが、無かったとはいえない」と抗弁して、無かったことをあったこととして認めろと日本人に強制する。
そもそも「強制連行が広義か狭義か」にこだわっているのは右翼のごく一部だけど、「狭義でなければ許される」という発想が既にフィクショナルなものなので、右翼の言う「(狭義の)強制連行を示す証拠」なるものを探す意味がない、と思ってる。そして、公開されている資料だけを見ても、これが個人対個人の域を越えた人権侵害であり、「当時の国際的な条約から見ても違法」状態であったことは明白である。
そもそも、「狭義の強制による慰安婦」よりずっと悪い「戦時の婦女暴行」は枚挙にいとまが無く、「広義の強制連行」もあったことがハッキリしてるのに、「(狭義の)強制連行」を示す書類がないから謝罪は必要ない(キリッ)とか言ったり思ったりするとすると、本当に馬鹿馬鹿しい限りだ。
このように都市部や軍の駐屯地につくられた業者が経営する慰安所に送り込まれ、慰安婦とされた人々のほかに、東南アジアでも、前線の部隊が、農村部の女性たちをレイプして、部隊の宿舎に連行し、屋内に一定期間監禁して、レイプをつづけるケースがあったことが確認されていいます。もっともはげしい暴力にさらされたこの被害者たちも慰安婦被害者と考えることができます。フィリピンではとくにこの形態がひろくみられました。(アジア女性基金Webサイトより http://www.awf.or.jp/1/facts-06.html)
先頃、どこかの馬鹿な党代表が「進駐軍だって慰安所を作ってた」とか涙目で言っていたが、残念ながらあれ(特殊慰安施設協会=通称R.A.A)は進駐軍が日本に来る前に日本の方で勝手に設置したものだ。しかも、半年後には進駐軍の要請で廃止になった。また、その際には事務員募集とか嘘をついて人集めをしていたという話だ。「広義」の強制というわけだが、
ある素人の新人がRAAではじめて働いた日の恐ろしい記憶をつづっているが、それによると、彼女はその日だけで二三人の米兵の相手をさせられた。ある推計によれば、RAAの女性が一日に相手にした米兵の数は、一五人から六〇人であった。元タイピストで一九歳の女性は、仕事をはじめるとすぐに自殺した。精神状態がおかしくなったり、逃亡した女性もいた。
(以上、いずれも「敗北を抱きしめて」J.ダワーより)