はてなキーワード: 撤収とは
例の「同人女」の最新話を読んだ。
自分と似た感情を抱えた登場人物につい感情移入してしまい、これは同人あるあるなんだなと胸を撫で下ろすと同時に自分もアンチになってしまっているのだろうかと不安になった。
今の感情を整理するためにここに書いておくことにする。
数年前、いくら探せども自分の萌えに合致する創作がなかったので活動を始めた。
ちなみに今まで大きな版権ジャンルにいたがずっとオン専で、アンソロに誘われることはあっても自分でサークル参加して同人誌を発行するなんてことはなかった。自分でオフ活動をしなくてもたくさんの神たちが様々な物語を紡いでくれるだけで満足するたちだったのだ。
しかしこの創作ジャンルではそうもいかない。オンでいくら探してもみつからない。
それならオフで探すしかないと考え、初めてサークル参加を申し込み初めて同人誌を作った。
自分のジャンルが創作の中のオンリーワンジャンルだということに気づいたのはその初めてのサークル参加時である。お隣さんは全く縁もゆかりも無いジャンルだった。どう配置するか悩まれたんだろうな。
通りがかる人に物珍しい目で見られる度に、見切り発車で参加してしまったことをちょっと後悔した。あれって結構恥ずかしい。
後日SNSでエゴサしていたら「〇〇(自ジャンル)描いてるサークルあったwww」って書いている人がいてそういう扱いなんだ…って少し悲しい気持ちになったが、それもやる気に繋がった。ネタで描いている訳じゃないと見返してやる、そういう感じだった。
同人誌は数冊しか捌けなかった。でも自分以外に需要があることが分かって嬉しかった。初めにあった恥ずかしい気持ちはどこへやら、撤収する時は清々しかった。
それから何度もサークル参加していくうちに段々捌ける部数が増えていって、大変ありがたいことに固定ファンもついた。我ながら気持ち悪いが、もらった感想は何らかの形で保存している。自分以外にこのジャンルで萌えてくれる人達がいるのが嬉しくて嬉しくてしょうがない。
まだまだ物珍しい目で見られるが、イベント中はほぼずっとサークル前に人がいるので気にならなくなった。
いつしかこのジャンルの第一人者、みたいな自識が出てきてしまっていたのだと思う。これこそ「わしが育てた」だ。だってひとりしかいないし。
見てくれる人が増えるにつれ、「自分も描きたい」という人が出てきた。
別ジャンルで仲良くしていたフォロワーである。私がひとりでせっせと楽しく自家発電している様が気になっていたようだ。
初めは私の所謂「うちの子」の二次創作をしていたが、段々彼女なりの世界に落とし込み、自ジャンルの創作にシフトしていった。
明らかにこちらの創作の影響を受けていて、しかも上手い。めちゃくちゃ可愛いんだ、これが。
私があんなに悩んだデザインも設定も、その由来になった諸々を知ってか知らずか見事に使われている。
私はそれが私だけのものだと勘違いしていたのだろう、自ジャンルの創作が増えることに喜ぶよりも先に愕然とした。
私のフォロワーは挙って彼女をフォローした。私の固定ファンになってくれたこの人もあの人も。宝物をみつけたかのように彼女の創作を褒めちぎる。
私の友人というのもあるのだろう、私のものと似通っていても私がそれを嫌がっているとは誰も思うまい。むしろ私がそれを喜んでいると受け取っているのだと思う。自ジャンルが増えたんだから当たり前だ。
でも題材が同じとはいえ解釈が違う。違うのだ。私は自分の創作をベースに新たな世界観を提示する彼女の創作を受け入れられない。
自分の手から完全に離れた彼女の創作に自分の創作と似た点をみつけるだけで苦しくなる。
ジャンル(題材)が同じなんだから仕方ないしそもそも私だけのものじゃないのだから。
彼女をフォローして自分をフォローしてくれない人、あるいは彼女の方を先にフォローする人にまでむっとするようになった。やばい。
彼女は「あなたが素晴らしさを教えてくれた」「隣のスペースになるの楽しみ」と言ってくれるが、私は嬉しさと嫉妬とでおかしくなりそう。
なんだかんだでオンリーワンジャンルは楽だった。創作のことだけ考えていればよかった。
続き。
先日のことがあり、即刻撤収を申し入れたがお情けで今週末までになった。
そして、最後の週定例の進捗会。
向こうのマネージャー、人を呼び出すだけ呼び出しておいて、時間通りにきた試しがない。
むしろ会議開始時刻になってやっと執務机から会議室に向かう有様。
筋を通せない人としてはそんなもんかなと思うけど。
そんな時間にルーズな発想だからいつも仕事が炎上してんじゃないの?
と言いたいけど、もう関わりたくないので、こちらが果たすべきことやってさっさと撤収するし、あとは知ったこっちゃないしな。
私が彼らのようにならないよう、部下を持ったらそうさせないように気をつけるのみかな
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
6 戦史叢書第006巻 中部太平洋陸軍作戦<1>マリアナ玉砕まで
8 戦史叢書第008巻 大本営陸軍部<1>昭和15年5月まで
13 戦史叢書第013巻 中部太平洋陸軍作戦<2>ペリリュー・アンガウル・硫黄島
14 戦史叢書第014巻 南太平洋陸軍作戦<1>ポートモレスビー・ガ島初期作戦
20 戦史叢書第020巻 大本営陸軍部<2>昭和16年12月まで
21 戦史叢書第021巻 北東方面陸軍作戦<1>アッツの玉砕
27 戦史叢書第027巻 関東軍<1>対ソ戦・ノモンハン事件
28 戦史叢書第028巻 南太平洋陸軍作戦<2>ガダルカナル・ブナ作戦
31 戦史叢書第031巻 海軍軍戦備<1>昭和十六年十一月まで
32 戦史叢書第032巻 シッタン・明号作戦―ビルマ戦線の崩壊と泰・佛印の防衛―
35 戦史叢書第035巻 大本営陸軍部<3>昭和17年4月まで
36 戦史叢書第036巻 沖縄・台湾・硫黄島方面陸軍航空作戦
37 戦史叢書第037巻 海軍捷号作戦<1>台湾沖航空戦まで
38 戦史叢書第038巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで
39 戦史叢書第039巻 大本営海軍部・聯合艦隊<4>第三段作戦前期
40 戦史叢書第040巻 南太平洋陸軍作戦<3>ムンダ・サラモア
42 戦史叢書第042巻 昭和二十年の支那派遣軍<1>二月まで
44 戦史叢書第044巻 北東方面陸軍作戦<2>千島・樺太・北海道の防衛
45 戦史叢書第045巻 大本営海軍部・聯合艦隊<6>第三段作戦後期
49 戦史叢書第049巻 南東方面海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで
52 戦史叢書第052巻 陸軍航空の軍備と運用<1>昭和十三年初期まで
54 戦史叢書第054巻 南西方面海軍作戦―第二段作戦以降―
56 戦史叢書第056巻 海軍捷号作戦<2>フィリピン沖海戦
58 戦史叢書第058巻 南太平洋陸軍作戦<4>フィンシュハーヘン・ツルブ・タロキナ
59 戦史叢書第059巻 大本営陸軍部<4>昭和17年8月まで
61 戦史叢書第061巻 ビルマ・蘭印方面 第三航空軍の作戦
62 戦史叢書第062巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降
63 戦史叢書第063巻 大本営陸軍部<5>昭和17年12月まで
64 戦史叢書第064巻 昭和二十年の支那派遣軍<2>終戦まで
65 戦史叢書第065巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<1>
66 戦史叢書第066巻 大本営陸軍部<6>昭和十八年六月まで
67 戦史叢書第067巻 大本営陸軍部<7>昭和十八年十二月まで
68 戦史叢書第068巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<2>
69 戦史叢書第069巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<3>
70 戦史叢書第070巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<4>
71 戦史叢書第071巻 大本営海軍部・聯合艦隊<5>第三段作戦中期
72 戦史叢書第072巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで
73 戦史叢書第073巻 関東軍<2>関特演・終戦時の対ソ戦
75 戦史叢書第075巻 大本営陸軍部<8>昭和十九年七月まで
76 戦史叢書第076巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5>
77 戦史叢書第077巻 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで
78 戦史叢書第078巻 陸軍航空の軍備と運用<2>昭和十七年前期まで
79 戦史叢書第079巻 中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降
80 戦史叢書第080巻 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和17年6月まで
81 戦史叢書第081巻 大本営陸軍部<9>昭和二十年一月まで
82 戦史叢書第082巻 大本営陸軍部<10>昭和二十年八月まで
83 戦史叢書第083巻 南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで
84 戦史叢書第084巻 南太平洋陸軍作戦<5>アイタペ・ブリアカ・ラバウル
86 戦史叢書第086巻 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで
89 戦史叢書第089巻 支那事変陸軍作戦<2>昭和十四年九月まで
90 戦史叢書第090巻 支那事変陸軍作戦<3>昭和十六年十二月まで
91 戦史叢書第091巻 大本営海軍部・聯合艦隊<1>開戦まで
92 戦史叢書第092巻 南西方面陸軍作戦―マレー・蘭印の防衛―
93 戦史叢書第093巻 大本営海軍部・聯合艦隊<7>戦争最終期
94 戦史叢書第094巻 陸軍航空の軍備と運用<3>大東亜戦争終戦まで
100 戦史叢書第100巻 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯<1>
101 戦史叢書第101巻 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯<2>
かなり昔の話だけど、取引先の外資系会社の部署が突然解散して大混乱させられたことがあった。
うちの会社はその会社の基本ソフトを使ってアプリを開発していたから。
そこの部長は解散の理由を「本社の意向による解散でどうして解散させられるのかわからない」と意味不明な説明をしていた。
うちの会社の開発計画が大幅見直しになって大迷惑を被っているのに何だそれ?って感じだった。
その会社の社員と一緒にその基本ソフトから撤収するための後始末をしていた時、社員がふと実情を漏らした。
それを聞いて「あれじゃあ当然かもな」というのが正直な感想だった。
現地調整でその会社で作業した時も、別の部屋から例の部長の怒鳴り声がずっと聞こえていた。
と聞いてみると社員は
「ボスは外国だし、日本の他のチームは干渉して来ないのでパワハラはやりたい放置なんですよ」
と諦めた感じで言っていた。
人格攻撃も酷かった。
などなど、よくもこんな人格攻撃パワハラができるよな、という物言い。
と「頑固な性格」というレッテル貼りをして取引相手である自分達に対しても
「彼の頑固でどうでもいいことに固執する性格には困ってるんですよ」
と繰り返し言い続けるのが慣例だった。
そんなこと言われても返答できるわけないし、誰がどう見ても頑固なのはその部長だったんだけど。
そんな人格攻撃パワハラが本社に発覚したのは社員がずっと録音していた人格攻撃パワハラ音声とその翻訳テキストを本社に送ったからだという。
日本語音声を理解できないという本社のボスにもさすがに異常さが伝わったんだろう。
本社は部長は必ず辞めさせるが後の処理をどうするか社員の意向を聞いたそうだ。
社員自身も含めて部署全員クビとなる解散については全部ぶっ壊すべきだと言っていた。
まああの人格攻撃パワハラを知っているので気持ちは理解できなくもない。
本社に部長には「部署解散の理由はあなたが考えなさい」と言うように要求したのは社員はいつも身に覚えてのないことで
「自分の胸に手をあてて考えてごらんよ」
と言われて禅問答のようなやりとりをずっとさせられたからだそうだ。
うちの会社に部長が解散理由をまともに説明できなかったのは本当にパワハラが本社にバレていないと思っていたのかもしれない。
うちの会社はあれほどの人格攻撃パワハラがやれるようなおバカな体制ではないけど、役職者が部下に少しでも人格攻撃やパワハラっぽい物言いをしたらあの時のことを反面教師としてすぐに対処するようにしている。
私はおけパになりがちな人間だ。
世におけパへの怨嗟が渦巻いてるのが腹立つのでお気持ち表明しに来た。
腹立つといってもいたわ~おけパみたいな人、寂しかった~みたいなくらいの人はいいんだよ、むしろわかる、おけパにだって仰ぐ神はいる。
おけパ滅すべしみたいになってる人が腹立つ。
あのな、なんで被害者面なのよ。
あー神さんのお友だちなんですか!Twitter?ぜひぜひ!わーい仲良くできるといいなー!でリプしようとしたらブロックされてたりする。なんでだよ………会場ではニコニコしてたじゃん……。
表では言わないけどメチャ傷付いてるからな!推しについて語れる人が増えたと思ったのに!
「なんであなたが神と仲良くするのよ」ってアフターで泣かれた日の神と私の気まずさがわかるか。女子に睨まれるのすごいキツイ。ていうか憎悪!みたいな感情向けられるのキツイ。私そんなに悪いことしたの…?
結局その神とはそれで疎遠になったよ。そりゃアフターしたよ飲んだよってやるたびに鬱空リプされりゃあこっちも気を遣うわ。私も神も推し語りする人が減ったよ。それで満足なのか?
まず「お前には仲良くする資格がない」ってナチュラルに見下されてるのが腹立つよね。
嫉妬ってつまり「神>>>自分>おけパ」だと思ってるから出る発想でしょ。
おけパ、神ほど文章や絵がうまくないかもしれないが、それなりに努力して生きてきてるんだけど????なんで初対面の人にいきなり格下認定されないといけないの?????それも同じただの腐女子同士で????推しすら同じなのに?????まず推しどこいった??????
これ顔とか見た目でもよくある。ブスだと職業とか学歴とか恋人の有無(またはそのスペック)とかで突然「なんであなたが?!」みたいな態度取られたりする。無礼だな。
おけパをけなすのも同じ精神回路なんだよな。神と仲良くしたいのにできない寂しさや嫉妬心はわかるけど、それで相手を当然の権利のように刺すなよ。ひたすら無礼。おけパも人間だぞ!!
絵でも文章でも顔でもコミュ力でも、まあなんとなくジャンルや格付けができるのはわかるけど、「人付き合い」もまた別の価値観だし、価値観は人それぞれでしょ。誰と仲良くするかを筆力で決めているのは、あなたであって神ではない。
少なくとも私というおけパは神字書き・神絵師だから仲良くしたいわけではない(仮にうまい友達がいる~ってマウント取りたいならプロ作家とか狙うわ)
仲良くしたいなって話しかけた人がそういう価値観で「ちょっとおけパくらいの筆力の人とはお話ししたくないです(^-^;」みたいなオーラ出されたらはい撤収~ってするし。ていうか神がそんな性格悪くて良いのか…??
あ、おけパの私に感謝しろのあれはまあちょっとどうかとは思った。ギャグとはいえニコイチ感出しすぎててキモいというか、中学生かと思う。
でもそれすら場合による。先の話と別の神と、お母さん元気?w元気元気wwみたいな話をぽろっとして疎まれたことがあるけど、そもそもその子とは小学生からの幼馴染みで実家にも行き来する仲だった。
仲いいアピしてんなよってヤンデレDM送ってきた子Skypeに呼んで神とそう説明したら謝られたけど、まずそれならいいっていうのもなんなん…仲良くなった順序が先ならいいの…?BSSかなにか……?神とは幼馴染みなので仲が良いだけです!!!って逐一説明してまわらないといけないの???だから格下の私も付き合ってもらってるんですよ安心してね!って?まぢやむぴえん。
Twitterのオタ垢という公の場???でプライベートなこと話したのはこちらの落ち度だったと思うけれども別問題かな…
おけパだって話しかけるのに勇気いる。図々しいかもなーうっとうしいって思われないかなーって何度も文面直してメッセージ送るよ。食べログぐるぐるまわってアフター幹事したりするよ。そのなかで仲良くなる人もいればならない人もいる。一概にコミュ強扱いされるのも心外。
仲良くなった神が他の人と通話してると寂しいなーって思うときもある。でも神は神の人間関係があるからしゃあないなって飲み込む、というか飲み込まないといけないじゃん辛くても。誰か他人の人間関係に口だしていいのなんてせいぜい家族相手くらいでしょ。神、私の家族でも恋人でもないからね。
でも寂しい、そういうときの選択肢は「他の人と遊ぶ」か「混ぜてって声をかける」でしょうが。「神と遊んでる人を憎む」にしちゃいかんでしょ。浮気相手の女を刺す妻か?夫を刺せよ!いやまず妻ですらないし!!
宗教戦争なのは承知だけど、そのうえで神は、おけパは人間なのだと言わせてもらいたい。
神は大抵プロですらないし、芸能人でもないのになぜ有名税を払わないといけないのか。ただ筆力のあるだけの子を祭り上げるな。絵を文をTwitterにのせたら褒められたうれしい~ってだけの女の子の交遊関係を呪ってやるな。
性格の良い神はどう対応したらいいんだろう…って悩んでたし、まあまあ強い神はまじ勘弁して!!って愚痴ってたよ。
おけパへの呪いを腹の中にためてるぶんには良いんだけど、実際に攻撃してくる人もままいるのを私は知ってるので、そういう人に大義名分を与えてはいけないと思ってわざわざはてなで書くことにした。
あとやっぱりおけパを呪うのもやめてやったれよ。おけパがなにもしてないのもわかってるんでしょ、と、おけパの私は思ったりもするけど、これは本当にただのお気持ち。
一般に鏡は透明な板に金属層を形成して作られる。この層はしばしば弱く、化粧鏡のような普通の鏡は光の入射面と逆側に鏡を形成することで層を保護している。英語ではこの透過面側を第二反射面などと呼び第二面鏡などと称する。
透過面を設けることによるデメリットとしてはたかだか透過率4割だか6割だかの余計なガラスを通るので至極当たり前に画質が低下しガラス表面での余計な反射による干渉まで発生する。そこで反射面保護より画質が優先する場合や金属層側を反射に用い逆側を余計な光の放出先に使う場合など金属層に直接光を入射させる使い方がありそのような鏡を第一面鏡(ファーストサーフェスミラー)などと呼ぶ。
いわゆるマジックミラーやビームスプリッタの類は当然どっちから見ても銀色に見えるわけだが使い方としては第一面鏡として設置する場合が多い。
というのも実はマジックミラーは効果が対称な光学素子なのである。光が電子的ダイオードのように一方向にしか通らない特殊な加工というわけではなく単に反射光:透過光の比が7:3もあれば人間の眼の能力では暗くて見えないだけなのであった。従って超高感度デジカメとかで見れば普通にシコってるオッサンは見えるし「見えない側」の光量が強く比が3:7とかになると普通に肉眼でもただのサングラスへと成り果てるのだ。
それを防止するため観察側の部屋は徹底的に暗くし見える範囲で反射率をギリギリまで上げ(膜厚を厚くするだけだからむしろ簡単である)又マジックミラー号はお天気の悪い日や高感度一眼レフを持って歩いてるキチガイオタクが発見された場合は撤収となるのだが「暗く」するためには先に書いた「余計なガラス層があり6割とか4割も光が吸収される」のは好都合である。
この辺が分かってしまっているプロが盗撮用マジックミラーを設置すると第一面が被害者側に来るのでペンを当ててみるなどして簡単に判別が可能である。第一面鏡は反射面の前に何もないので鏡に手を置いたときにどうしても5mmばかり浮いて見える現象が起こらないのである。
しかしそんなものはセオリーであって技術的に金属膜が形成されている方からしか光が入らないわけではない。単に素材の分だけ逆側が暗いだけである。別に第二面側を明るい側にすることは可能だし結果的に明るさの差が十分縮まれば両方見えるのだった。
コンビニでバイトしているというと、馬鹿にされるか尊敬されるかの両極端なのだけど、実際どんな感じのことをしているのか、粛々と書く。
コンビニのシフトは、早朝、昼、夕、深夜の四つにざっくりと別れている。仕事は、共通のものと、それぞれの時間帯に特有のものがある。
隣接した勤務時間帯を掛け持ったシフトにも出来ないことはないが、大概は特定の時間帯プラマイ1~3時間勤務。
そのため、コンビニバイトは自分の勤務時間帯以外の時間帯の仕事は知らない場合が多いと思う。コンビニ店員はマルチタスクだというが、実はそんなに多くの仕事を受け持っている訳ではない。
各種受付業務含む
商品を綺麗に並べること
はたきをかける、床をモップで拭く
この4つだけが共通の仕事で、あとはシフトによっては覚えなくて済んだり、お店によっては、オーナーや店長がやっていてバイトには委されていない仕事もある。
一日の中で一番きっちり掃除する。
接客業務メインで、他はオーナー夫婦がやってたりもするのではないだろうか。
夜勤はがっつりとやる。
店によっては、夕勤はほとんど接客業務しかしないかもしれない。
カフェマシンの掃除は、以前は夜勤の仕事だったが、夜勤は仕事量が多いので、今は前倒しで夕勤がやる店が多いと、コンビニ専門派遣の人から聞いたことがある。
責任者しかやっていない店もあるようだ。バイトにもやらせている店では、部門ごと(米飯、サンドイッチ、お酒、タバコ、お菓子など)に担当させられる。
マメにやる店とそうでもない店がある模様。
普通は責任者がやることだが、バイトが委されていることもある。
写真プリンターの用紙とインクが3ヶ月に一回くらい切れるのだけど、その時に当たると結構面倒くさい。
もしかすると、他にもなんか色々仕事があるかもしれないけれど、私は夕勤なので知らない事が結構ある。
④夕勤
たぶんダントツに楽。そこそこ混むけど。
③早朝勤
②昼勤
12時くらいがとにかく忙しい。
面倒くさい客がよく来る。
受付業務が多い。
でも五人くらい体制でやれるので、苦手なことは出来る人に巻かせられる利点あり。
①夜勤
何しろ、全部一人でやらなければならない。
納品量が膨大。
力仕事が多い。
しかも当店は運送業のお客さんが多いので、午前五時にピークがあって、それを独りで乗りきらないといけない。
接客力よりも体力と防御力が求められる。
センター試験で不正行為があっただとか試験時間が短かっただのというニュースを見て、大学在学中に試験官バイトをしていた頃を思い出したので色々書いてみようと思った。
当時は某私立大の大学生で、夏だったか秋だったか、学内掲示板に試験官(正確には試験監督補佐)バイトを募集している旨の張り紙があったので興味本位で応募した。
センター試験監督と自身が在学している私大一般入試の試験官バイトどちらも応募できたが、個人的な都合もあり一般入試のみ応募。
試験当日の朝は試験中、試験前後の動きだとかを細かく説明され、試験開始数十分程度前に待機所から教室へ移動。問題用紙・解答用紙を配布して試験開始時間を待ち、開始時間・終了時間になれば試験監督が合図をして、終了後にまた問題用紙・解答用紙を回収して撤収。このルーティンを何回か繰り返すだけの非常に楽なバイトだった。
確か数学の試験の時間だったと思うが、明らかにカンニング行為をしている受験者がいた。試験会場は広さにもよるが試験監督(大学の場合は大体教授だとか准教だとか)と大学職員やバイトの試験監督補佐が数名程度。自分が配置された教室は試験官(補佐含め)4人程度だった。
試験が始まり教室前方の端の椅子に座り試験会場を見渡していたり、音を立てぬようにゆっくり歩いたりしてカンニング行為をしていないか見回ったりしていたのだが、事件が起きたのは開始から十分程度あと、教室前方の椅子に座っている時。比較的前方に座っていた受験生が随分と挙動不審な動きをしているのに気が付いた時。顔は伏せながらも明らかに自身の問題用紙に目を向けず、左右に顔を傾けまくっている受験者がいた。当然最初は緊張をほぐすためちょっと首を動かしている程度なんだろうなと思っていたが、かなりの頻度で首を振っている。最終的には近隣の受験者で最も近い左側ばかりを向く(目を向ける)ようになっていた。
試験官自体初めての経験でありなおかつ補佐程度の役割なので特段の権限はないが、あれは不正行為だろう…と判断したため、別の試験監督(補佐)にメモと耳打ちで状況を説明してその方にも確認してもらった。その方の判断も黒。しかし問題なのは、その受験生の行為が絶対に意図した不正行為であるという確証が無いという点。
先述の通り緊張をほぐすために首を振っていただとか、もしくは体調だとか身体的特徴の影響からうっかり左側ばかり見ていただとかの可能性も0ではない(※まぁ今でもあれは隣の受験者の答案用紙見ようとしていたんだろうと思う)。
そこからは教室中の試験官全員に異様な緊張感が走り始めてた。教室の前方真ん中に座っている試験監督も受験者名簿(顔写真付き)を見て当該の生徒について確認したり、試験監督内で決めていた不正行為対策のための見回りのルーティンもぶち壊して、カンニング行為を働いているであろう受験者をなるべく悟られないように常時監視したり。一般入試特有の試験途中退出(休み時間の間に他大の合格が分かり現在受けている大学の試験を放棄してそのまま帰宅する人)だとか、そもそも出席していない欠席者分の解答用紙に欠席の手続きをするのも試験官の仕事。自分が担当していた試験会場では試験官全員が欠席手続きをする(解答用紙に受験者名や受験番号を記入して用紙全体に"欠"と記入する)のだが、今回は緊急で試験監督補佐を一人、例の受験者をメインで監視する目的で欠席手続きの役割から外された。その外された人物が私だった。
結論から申し上げると、その生徒はカンニング行為をしていたと認められなかった。認められなかったというより、カンニング行為をしていたという絶対的な確証がないため認めることができなかった。
後ほど聞いた話では、その教室にいた試験監督も試験監督補佐たちも、全員あれは恐らくカンニング行為であったという認識であった。だが、確証はない。ただ首を振っていただとか、隣の解答用紙なんて見ておらず全く別のところを見ていただとかと言い訳をされてしまえば正直それまでである。電源の点いたスマートフォンを使っていただとかカンニングペーパーを持ち込んでいたなど物的証拠があれば一発アウトなのだが、"近隣受験者の回答を覗いていた"という行為に関しては、カンニングをしていたという絶対的な証拠が残らない。いざあの受験者を不正行為として取り上げていたとして、もしも本当に不正行為を働いていなかった場合、試験監督は取り返しのつかない行為をしてしまったことになる。下手したら受験者の一生を左右する行為にもなりかねない行為である。かといって目の前で行われていた不正行為に目を背けてよいのかという正義感にも苛まれつつ、試験時間が終了して、いつも通り問題用紙・解答用紙を回収して撤収した。
今でも当時の判断、試験監督に件の受験者がカンニングを行っているので不正行為のため退出させるべきだと進言するべきか否かという相談をしなかったことが正しかったのか、正しくなかったのか分からない。ただ先述した通り、試験監督も受験者のカンニング行為については試験時間中に認識していた。それでも監督は実質黙認していた。当然試験監督も、"もしも不正行為ではなかった場合"を想定していたのだと思う。その結果試験官全員が、受験者がカンニングをしているのを認識しつつも黙認してしまうという空間が生まれてしまった。
ちなみにその受験生は残り時間30分程度になるとカンニング行為をパタリとやめてしまった。試験官が怪しんでいることに気づいたの、はたまた解答が終了したのかは定かではないが…。
センター試験も終わってこれから一般入試も始まると思うが、受験生にお願いしたい。頼むからカンニング行為はしないで欲しい。行為をしている本人も精神をすり減らすだろうし、それ以上に試験官も精神をすり減らしてしまう。最悪の場合お互い最悪の結末を迎えてしまいかねない。不正行為は一切せず、自身の実力を全力でぶつけた真剣勝負でお願いします…。
初投稿
女性とまともに話せない、目を合わせれないアラサー童貞デブ男の僕がこの度勇気を出してヌード個撮できるお店を使用してみました。
いわゆる風俗店(女性とえっちなことをするお店)を使う勇気は無く、だけどこのムラムラをどうしようと考えに考えた結果なんですけどこっちの方がチャレンジャーだった感 is ありまつね…
そのお店は素人女性からAV女優さんまで色々な方がモデルをやってくれるお店なのですが、人気のあるAV女優さんは予約がすぐに埋まってしまっていて突撃できず…ってことで素人の女の子を選ぶことに。
予約フォームに名前とか生年月日とかを入力していざ予約。この時点ではなんか実感もなんもなく、あっさりと終わりました。
予約した日まで3日ほどあったので毎日予約した娘の顔写真を見つつ「どんな人なのだろう」とか「ちゃんと撮れるかな」とか考えてました。この時点ですっげえ童貞臭いっすね…
そして迎えた当日。
カメラをいつもより気持ち念入りに整備してバッテリーも交換用を持ちメモリーカードも入れたことを確認して(たまに入れ忘れて買ったりしてるので)出陣。
雑居ビルの1フロアを丸々使っているお店なのですがとにかくわかりにくかったので危うく遅刻しかけました。
受付で事前にもらっていた会員番号を確認して注意事項のレクチャーをされいざ部屋へ
1時間ほどの枠なのでそこまでまったりはできないなと思いつつ女の子が来るまでカメラ出したり照明いじったりして暇を潰すわけなんですけど、この時点で発汗量がエグい。夏か?ってくらい汗が出る。ミートテックのせいだ。
かと言って僕がヌードになるわけにもいかないので汗を拭いつつ我慢…してたらノックされるドア。
「はじめまして~」と明るい声で挨拶してきてくれたのは予想してたよりも可愛らしく小柄なお嬢さんでした。テンションはこの時から上がりっぱなしなのですが体温も上がる汗はまだ出る
お互いに挨拶を交わして、スタッフが時間制限を伝え終わったら二人っきりの世界へ。心臓がバックバクしてるし変な震え出てきたけど平気な顔をしていざ撮影開始。
いきなり「脱いでください」なんて言う度胸は残念ながら僕には実装されていないのでとりあえず着衣のままいくつかポーズをお願いしつつ撮影。
なんも言ってないのにスカートたくし上げておパンツ見せてくれたりするので吃りそうになりながらも時間は過ぎていく
15分ほど雑談混じり(ほとんど女の子が気を使ってくれてた)で撮影してた僕ですが「今日はヌードを撮りにきたんだ」と使命を思い出したので一言!
「あ、あの…上半身から徐々に脱いでいってもらってもいいですか…」
言い直したらちゃんとブラウスはだけてブラ外して~と脱衣してくれている女の子を僕は無心で撮影。こんなん初めてだからどんな反応が正解なのかもわからない。
無心で撮影してたら目の前には全裸の女の子が。モザイクも同人でお馴染みの黒い線も謎の光も湯気もなくて、生まれたままの姿の異性が目の前に立っていました。すげぇ…
その場で回ってもらったりして撮影してるんですけど目の前で弾む胸とか初めて見たしどこをどう撮ればいいんだろうと思考しながらひたすらシャッターを切る僕。
ぶっちゃけ脱いでもらったあたりから終わりの方まで記憶が薄い。なんかライブ後みてぇだな…
でもメモリーカードの中には確かに全裸の女の子写真が16GB分入っているし(RAWで撮ってるので容量デカい)、時間は過ぎてた。夢じゃないんだ。
時間が来たことをスタッフがドアノックで教えてくれたのをきっかけに撮影は終了。お互い挨拶とお礼を済ませたら女の子は撤収、僕はお片付け。
雄として欠陥なのではという疑念を抱きつつ、初めてのヌード撮影を終えた夢心地で退店しタバコを一本。死ぬほど美味く感じたけど喉がカラッカラだったので辛かった…
何が言いたいかわからない文才ない童貞の記事を読んでくれた人はありがとうございます。
なんかクセになったっぽいので予定見てまた予約入れたいと思うのでもしかしたらリベンジ記事を書くかも。
ありがとうございました。
ただの愚痴だ、聞いてくれ。
私は腐女子で、文字書きだ。文字書きといっても大したものは書けないのは自分が1番わかっている。
ただそんな私でも支部にあげた小説がたまたま少しばかりウケた時があった 。それはジャンルが盛り上がっている時でタイミングがよかっただけだけれど、ランキングに乗ったりなんかしてTwitterで同じジャンルの人をフォローすると「○○書いた人ですよね」と言ってフォロバしてもらえたりするようになった。嬉しかった。
すると、ある時フォローしていた1人の絵師さんにフォロバされた。その方は頭身低めの可愛く、ほのぼのテイストなイラストを描かれる方でとてもファンが多い方だった。
対して、私はほのぼのからは遠い、年齢制限のあるような話をよく書く。マニアックなネタも多い。そんな私の作品なんて読むのだろうか…と思いつつ挨拶すると「○○読みました、好きです。仲良くしてください」と返ってきた。嬉しかった。
絵師さんの絵を見られるだけで満足だったけれど、好きと言われ、仲良くしてくださいといわれ欲が出てしまった。仲良くしたいと思った。社交辞令だというのに。
ある時、ジャンルのイベントがあった。その絵師さんは相互のフォロワーだけ本の取り置きをするとTwitterでいっていたので私は取り置きを頼み、当日イベントに参加した。
イベントでは私も本を出していた。自分のサークルで本を頒布し、少し手が空いた頃に私は差し入れと手紙を持って絵師さんのスペースに向かった。すると開口一番、絵師さんは差し入れは全て配ってしまったと目を逸らし気まずそうにいった。別に差し入れを貰いに来た訳では無いのだ。気にしないでくださいといえば、後で本買いに行きますねと彼女は言った。なんとなく、もやもやした。
彼女がよくRTしたり好きと発言する作品はやはり彼女の描くようなカワイイ系やほのぼの系だ。
きっと彼女は興味が無いと思いつつスペースで来るかなあと思っていたけれどやっぱり彼女は来なかった。
私が帰った後に彼女は「買いたかった本買い逃した〜 やっぱり一人参加はダメだ〜」と呟いていたけれど、きっとその中に私の本は入ってないんだろう。
それから暫く、なぜだか今まで反応がほとんどなかった私の何気ない呟きにいいねが彼女から何回か飛んできた。買いに行く、といって行かなかったからその後ろめたさからだろうかそれは分からないけれど。
それからちょっと経って、彼女が呟いていた言葉にリプライを送ってみた。「私を〜に例えるなら何ですか?」みたいなよくある構ってタグだ。他の人にはありがとうございます〜!なんて返信があったけれど私にリプライはなかった。
今更何しているんだ、という感じではあるが、返信来るかなあと期待してしまったのだ。彼女と似た雰囲気の可愛い絵や文を作る方には返信してわちゃわちゃと楽しそうにしているのを羨ましいなぁとTLで眺める。
見てるだけで満足だったのに、フォロバしてもらえて、好きですと言われて、仲良くしてくださいと言われたから。期待してしまったのだ。
そうしてこれとは別にもうひとつ。馬鹿で滑稽な私の話を聞いてくれ。
彼女もイベントで取り置きをします、と呟いていたので私は取り置きを頼んだ。
彼女は私のことをフォローしていなかったが、当日スペースで取り置きを頼んでいた〜と差し入れを渡しながら名乗ると、あぁ○さん!といわれた。彼女は私のことを知ってくれていたのだ。
そうして彼女は「私も○さんの本欲しいです〜 」といった。 名前を知ってもらっていた上に欲しいと言われて嬉しかった。
しかしその時私の本は完売してしまっていた。もう完売して…というと彼女は「余部、ないですか?」と聞いてきた。
確かに自分の分と何か不備のあった時のための交換用に2冊は残している。今思えば馬鹿な話だな、好きな絵師さんに欲しいと言われて舞い上がっていた私は、いいですよと言ってしまった。おそらく彼女は私がいいですよと言うとは思わなかったのだろう。
じゃあ後でスペースに取りに行きますね、と言われて私はスペースに戻った。頒布するものはもうないわけだから彼女だけをただ座って待った。
1時間以上待ったけれど彼女は来なかった。TwitterのDMに○時に撤収したいと送ったけれど既読はつかなかった。あともう少し待とう、そう思った時彼女はやってきた。隣のスペースに。
隣のスペースの作家さんのご本を購入した彼女は私のスペースを通り過ぎてどこかへいった。
彼女たちのイラストは好きだからいいねもするし、本も出たら買う。けれど、もう取り置きは頼まないし、声もかけない、期待もしない。
ただの愚痴だ、聞いてくれ。
私は腐女子で、文字書きだ。文字書きといっても大したものは書けないのは自分が1番わかっている。
ただそんな私でも支部にあげた小説がたまたま少しばかりウケた時があった 。それはジャンルが盛り上がっている時でタイミングがよかっただけだけれど、ランキングに乗ったりなんかしてTwitterで同じジャンルの人をフォローすると「○○書いた人ですよね」と言ってフォロバしてもらえたりするようになった。嬉しかった。
すると、ある時フォローしていた1人の絵師さんにフォロバされた。その方は頭身低めの可愛く、ほのぼのテイストなイラストを描かれる方でとてもファンが多い方だった。
対して、私はほのぼのからは遠い、年齢制限のあるような話をよく書く。マニアックなネタも多い。そんな私の作品なんて読むのだろうか…と思いつつ挨拶すると「○○読みました、好きです。仲良くしてください」と返ってきた。嬉しかった。
絵師さんの絵を見られるだけで満足だったけれど、好きと言われ、仲良くしてくださいといわれ欲が出てしまった。仲良くしたいと思った。社交辞令だというのに。
ある時、ジャンルのイベントがあった。その絵師さんは相互のフォロワーだけ本の取り置きをするとTwitterでいっていたので私は取り置きを頼み、当日イベントに参加した。
イベントでは私も本を出していた。自分のサークルで本を頒布し、少し手が空いた頃に私は差し入れと手紙を持って絵師さんのスペースに向かった。すると開口一番、絵師さんは差し入れは全て配ってしまったと目を逸らし気まずそうにいった。別に差し入れを貰いに来た訳では無いのだ。気にしないでくださいといえば、後で本買いに行きますねと彼女は言った。なんとなく、もやもやした。
彼女がよくRTしたり好きと発言する作品はやはり彼女の描くようなカワイイ系やほのぼの系だ。
きっと彼女は興味が無いと思いつつスペースで来るかなあと思っていたけれどやっぱり彼女は来なかった。
私が帰った後に彼女は「買いたかった本買い逃した〜 やっぱり一人参加はダメだ〜」と呟いていたけれど、きっとその中に私の本は入ってないんだろう。
それから暫く、なぜだか今まで反応がほとんどなかった私の何気ない呟きにいいねが彼女から何回か飛んできた。買いに行く、といって行かなかったからその後ろめたさからだろうかそれは分からないけれど。
それからちょっと経って、彼女が呟いていた言葉にリプライを送ってみた。「私を〜に例えるなら何ですか?」みたいなよくある構ってタグだ。他の人にはありがとうございます〜!なんて返信があったけれど私にリプライはなかった。
今更何しているんだ、という感じではあるが、返信来るかなあと期待してしまったのだ。彼女と似た雰囲気の可愛い絵や文を作る方には返信してわちゃわちゃと楽しそうにしているのを羨ましいなぁとTLで眺める。
見てるだけで満足だったのに、フォロバしてもらえて、好きですと言われて、仲良くしてくださいと言われたから。期待してしまったのだ。
そうしてこれとは別にもうひとつ。馬鹿で滑稽な私の話を聞いてくれ。
彼女もイベントで取り置きをします、と呟いていたので私は取り置きを頼んだ。
彼女は私のことをフォローしていなかったが、当日スペースで取り置きを頼んでいた〜と差し入れを渡しながら名乗ると、あぁ○さん!といわれた。彼女は私のことを知ってくれていたのだ。
そうして彼女は「私も○さんの本欲しいです〜 」といった。 名前を知ってもらっていた上に欲しいと言われて嬉しかった。
しかしその時私の本は完売してしまっていた。もう完売して…というと彼女は「余部、ないですか?」と聞いてきた。
確かに自分の分と何か不備のあった時のための交換用に2冊は残している。今思えば馬鹿な話だな、好きな絵師さんに欲しいと言われて舞い上がっていた私は、いいですよと言ってしまった。おそらく彼女は私がいいですよと言うとは思わなかったのだろう。
じゃあ後でスペースに取りに行きますね、と言われて私はスペースに戻った。頒布するものはもうないわけだから彼女だけをただ座って待った。
1時間以上待ったけれど彼女は来なかった。TwitterのDMに○時に撤収したいと送ったけれど既読はつかなかった。あともう少し待とう、そう思った時彼女はやってきた。隣のスペースに。
隣のスペースの作家さんのご本を購入した彼女は私のスペースを通り過ぎてどこかへいった。
彼女たちのイラストは好きだからいいねもするし、本も出たら買う。けれど、もう取り置きは頼まないし、声もかけない、期待もしない。
さて、会場には駅メモのキャラクターである「でんこ」のコスプレをした人が、結構な人数いる。同人イベントはコスプレの発表の場でもあるのだ。
「え?駅メモキャラのコスプレって、女の子のキャラでしょ?なのに男がコスプレしてるの?え??」
と戸惑ってしまうかもしれない。ましてや、そのマコのコスプレをしている男性はそれなりの歳月を歩んでこられている、というか、まあ直接的に表現させてもらうと、それはもう完膚なきまでにおっさんである。疑う隙が存在しない、完全無欠のおっさんだ。
わかりやすく伝えるためにあえて直接的な表現をさせてもらったが、僕は決して完全無欠のおっさんが女装コスプレをしていることを馬鹿にしていたり不快に思っていたり否定しているわけではない。
実際僕は、おっさんがコスプレをしているキャラクター「マコ」が駅メモのキャラクターの中で割と好きなキャラである。しかし、その衣装をきたおっさんがいたところで不快な気分にはならない。むしろ、自分の好きなキャラが、衣装を再現して身にまとってしまうほど他の人にも好かれていることに喜びを感じるほどだ。
これはどうしても本当にオタク文化に触れてきていない人には理解しがたいものだと思う。だけど、そういうものなのである、としか言いようがない。
もちろんオタクの中にも女装コスプレやクオリティの低いコスプレを嫌悪するような過激派もいる。しかし色んなレイヤーさんが存在するのがオタク文化であり同人イベントだ。それすら楽しんでしまう度量がオタクには必要なのである。
(過度な露出やムダ毛のケアをしていない女装などは、規約違反になる場合もありますのでご注意ください)
そんなおっさんマコが本を買いに来てくれた。せっかくなのでおっさんマコに話しかけてみた。
おっさんマコ(以下、マ)「はい、そうです。マコ好きなので…」
僕「すごいですね!自作なんですよね?」
マ「ええ、半月前に思い立って、何とか間に合いましたよー」
僕「へーすごいなあ。僕もマコが好きなんですよ。見た目から入ったんですけど、性格も可愛くってどんどん好きになっちゃいました」
マ「そうなんですね!」
とまあ、なんとも心温まる駅メモer同士の交流を繰り広げたんですが、会話している最中、おっさんマコの「え、でも出してるのうららの本じゃん…」って視線が少し痛かったです。
そんなこんなでイベント時間は過ぎていき、ソロ参加となった僕はそれまで短時間、トイレに駆け足で行くことはあっても、他の方のスペースを見て回ることはできないで状況だった。
貴重品を持って、スペースも離席中とわかるようにしていけば問題ないだろうけど、ひょっとすると買いに来てくれた方が「何だいないのかー」で帰ってしまうかもしれない、という不安があったからだ。
でもまあ、イベントも後半に差し掛かり、そろそろちょっとくらい席を外してもいいだろう、と思いたって近所のスペースだけでも見て回ることにした。
先に挨拶を済ませていたフォロワーさんのスペースでキーホルダー買ったり、僕は人の駅メモ旅の記録を見るのが好きなので、そういった本や漫画をいくつか、足早に購入した。
もしも次また機会があれば、もう少しゆっくりと見て回ってみたいものだ。
さあ、いよいよイベントも佳境。ツイッターには撤退報告が散見されるようになり、近所のサークルさんにも店じまいを始めている方たちがいる。
即売会終了時刻は15時半だが、僕も15時15分くらいから片づけを始めた。
なんでもそうだが、お祭り騒ぎのあとは、いつもどこか寂しい。喪失感というか虚無感というか、「終わっちゃったな」って感覚が達成感とともに襲ってくる。
特に同人イベントは、即売会後すぐに撤収作業が始まり、あんなに人がいっぱいいたスペースがどんどん片付けられていってしまう。
本も、ポップも、ポスターも、タペストリーも、そして机も椅子も。そこにはもう、島中とか誕生日席だとか、壁サークルだとか流刑地だとかは、跡形もなくなってしまう。
僕は、少し感傷的過ぎると思いつつも、そういう状況がいくつになっても苦手だ。でも多分それは僕だけじゃなくて、誰でも少しは感じていることなんだと思う。
両替目的丸出しで入ったゲーセン、エナジードリンクにかすりもしないゲーム、会場までの道が不安なとき頼もしかったキャリーケースを引く人、ボカロ・スプラトゥーンの参加者と比べて年齢層は高くリア充感は低かった駅メモエリアのみんな、段ボールを見事にボールペンで開封するテクニック、本になってちょっとだけ上手に見えた自分の絵、センスのないサークルスペース設営、悲壮感のあるヤマト運輸の受付のような壁サークル、イベント開始前に「絶対買いたかった」と言ってくれたフォロワーさん、開場のときに沸き起こった拍手、「今は大手タイム…」のつぶやきに距離を開けられた両隣のサークルさん、見本誌を見ないで即買いしてくれる人、うららなら全部買うやべー奴、本なら全部買うやべー奴、とにかく全部買うやべー奴、見本誌をみてフッと笑顔になってくれた人、見本誌を見てもらっている間僕はどうしてればいいんだろう問題、ストラップの売り切れを悔しがってくれた人、中学の野球部のようなピュアな力強さを持ったうらら推しの人、おっさんマコの「この大ウソつき野郎!!」という視線、ゲットした戦利品。
その時はとても印象的で楽しかったことばかりだ。でも祭りの後にそれらを思い返すとき、どうしても感傷的な気分になってしまう。だけどそれはきっと、仕方のないことなのだ。そして、だからこそ、お祭りは楽しい。終わらない祭りはない。終わらない祭りなんてあったところで、それはただの日常でしかなくなってしまう。それでは、きっと、あの楽しさを、興奮を、ワクワクドキドキを、感じることなんてできなかったんだ。
そして、またそんな楽しさや興奮やワクワクドキドキに出会いたいから、そうじゃない日常を頑張っていかなきゃいけないんだよな。
僕は、すっかり片づけが進んでしまってガランとし始めた会場で行われている、アフターイベントのジャンケン大会を見ていた。イベント主催者と、景品を狙う参加者たちが一斉にジャンケンをして勝った人だけ残っていき、最後は参加者同士でジャンケンをして勝てば景品をゲットできる、まあ普通のジャンケン大会だ。
勝った、負けた、主催者がジャンケン強すぎて誰も残らなかった、そんな感じで大いに盛り上がって、みんな笑っている。その笑顔にも少し寂しさを感じてしまうのは、流石に僕が感傷的過ぎるんだろう。
ジャンケン大会が終わり、色紙抽選の結果発表で、僕の描いた色紙が無事誰かの手に渡ったのを見て、開場を出た。
ほんの気まぐれで、何年かぶりに本を作ったけど、これからまた、漫画でも描いてみようかな、と思えた。
おわり。
東京都に住むようになって15年近く経とうとしているし、何度も来たことのある街だ。
思えば初めて経験したアルバイトでの初めてのお給料を全て落として、電車代もないから家に帰ることもできず途方にくれたのもこの池袋だった。
5回くらいだけ通って嫌になって辞めたボーカルレッスンの教室があったのも池袋だった。
人生で初めて浮気をした相手とラブホテルに入ったのも池袋だった。
きちんと思いだそうとすれば、きっとまだまだあると思う。
今回はお金を落として途方に暮れているわけでもなく、身になっている気がしないボーカルレッスンに来たのでもなく、浮気をしに来たのでもない。そもそも僕にはしばらく恋人がいない。なぜだ。
ともかく、今日はいわゆる「位置ゲー」であるスマホアプリ「駅メモ!」の同人誌即売会、「フットバーしま~す!!9」(以下、フットバ9)に、サークル参加するためにこの池袋にやってきたのだ。
なお、ここから先の内容については、僕個人を特定されないために所々にフェイクが…というかもうほとんど創作の域に達するレベルでフェイクが織り込まれております。レポートとは思わないでいただきたい。フットバ9に参加してないくせに参加した体で書かれた妄想日記と思っていただきたい。やばい奴である。
フェイクのための設定が、偶然当日参加していた方にマッチングしてしまった場合はご容赦ください。できるだけそうはならないようにしてはいますが、リアルな雰囲気も欲しいため、当日会場で耳にした・目にしたことや、ツイッターで見かけたことなどを参考にして構成しております。
さらにそれを結構失礼な感じでいじっていたりするので、不快な気持ちになりたくない方はご覧にならないほう賢明です。
また、「駅メモ」や同人イベントはをご存じでない方にもできるだけわかりやすく書こうとは思いますが、キャラクターの名前などいちいち説明しているといくらなんでも大変なので、その辺はご容赦ください。
もちろん、フェイクがあるのは「ここから先の内容については」なので、僕にしばらく恋人がいないことは紛れもなく事実である。なぜだ。
朝家を出る前に、お釣りを用意するのを忘れていることに気が付いていた僕は、本来はダメなことではあるのだが、池袋駅から会場となるサンシャインシティの展示ホールまでの道中にあるゲームセンターで、両替をさせてもらおうと考えていた。どうもすみません。
立ち寄ったゲームセンターは開店直後ということもあってか、お客さんの数はごく僅かで、否が応でもキャリーケースを引きながら入店した僕は少し目立ってしまう。
同人イベントがよく開催されている池袋において、この時間帯にキャリーケースを引いて入店してくる人間は釣銭用の両替目的ですと自己アピールしているようなものだ。
僕は必死に取り繕おうと、UFOキャッチャーの景品のリラックマに顔をほころばせたり、エナジードリンクが景品になっているゲームの前で小銭入れを取り出して100円玉が入っていないことに気づいた振りをした。完璧な演技である。
もっとも、5000円札を入れ100円玉20枚と1000円札3枚に両替したのを誰かに目撃されていたら、
「エナジードリンクを手に入れるために2000円の投入を想定している男」
と思われてしまったかもしれない。同様の人を見かけた場合は、そっと優しくコンビニに行けば200円ちょっとで買えることを教えてあげて欲しい。
ともあれ両替を済ませ、退店する。本当にすみませんでした、ア〇〇ーズサ〇シャ〇〇店さん。
でも、一応何もせずに店を出るのは悪いと思い、エナジードリンクを狙ってみるかと2回ほどプレイしたのですが、1ミリたりとも惜しいと思える瞬間がありませんでした。この恨みは死ぬまで忘れませんよ、アドアーズサンシャイン店さん。
ゲームセンターを出て少し歩くと、サンシャインシティの入り口が見える。会場となるホールへはここからもう少し歩くので、初めて会場に向かう僕は迷わないか少し不安だった。が、僕の横を迷いのない様子で颯爽と通り過ぎて行ったキャリーケースを引く女性を見て、彼女についていけば安心だと確信した。オタク系のイベントに限らず、目的地までの道順に不安がある場合は明らかに同じ目的であろう人達についていけばいいだけなのである。同人イベントの場合、サークル参加者は高確率でキャリーケースを引いているのでなおさらわかりやすい。あと気持ち早足。
10時40分頃には無事に会場に到着。サークル入場証を2枚もらった。
本当であれば売り子をお願いしていた友人と一緒に来る予定だったのだが、友人の勤め先で集団食中毒が発生し、多くの社員が急な休みを取ったらしい。原因はどうも某社員の家で開催された飲み会が原因だったようなのだが、飲み会に誘われなかったため食中毒を回避した友人は、急遽フォローのために出勤することになってしまったのだ。飲み会には誘われないわ休日出勤することにはなるわで、可哀そうな友人である。
というわけでサークル入場証は1枚でよかったのだが、事前に引き換え用紙に必要数2枚と書いてしまっていたので、コミュ障な僕は何も言わず2枚受け取ってしまった。受付の人に「何コイツ。貰えるもんは貰っとくタイプの人?あさましい!」と思われてしまったかもしれない。
会場は思っていた以上に広かった。
同時開催であったボーカロイドのオンリーイベントとスプラトゥーンのオンリーイベントは、比較的サークル参加者も一般参加者も多い人気イベントの様で、3つのイベントの中で駅メモのイベントスペースは一番小規模だった。
しかし僕が入った時間はすでにサークル入場時間から1時間近く経っていたわけで、既に多くのサークルさんが到着しており、賑わいはボカロにもスプラトゥーンにも負けていませんでした。
(´-`).。o0(ボカロとスプラトゥーンと比べると年齢層が高くリア充度が低く見えるな)
おっと、すみませんなんでもないです忘れてください。
自分のサークルスペースに到着。俗に言う「島中」である。両隣のサークルさんはすでに到着していて設営もほぼ完了していた。
今日はよろしくお願いします、と軽く挨拶を済ませ、早速テーブルの下に届いていた段ボール箱に手をかける。今回僕が作った本が、印刷会社から会場に直接届いているのだ。
カッターを持って来ていないことに気づいた。段ボールを開封したり、不要となった段ボールを解体するためにも必要なアイテムだろう。今後機会があったら参考にしよう。
ひとまず、某倉庫でアルバイトしていた時に培ったボールペンで段ボールを開封するテクニックを駆使して開封。我ながら見事である。多分、今後機会があってもカッターは必要ない。
本はとてもきれいに印刷されていた。自分で描いた絵なのだから嫌になるほど眺めたはずなのに、きちんと本になっているとなぜだかちょっとだけ割増しでいい感じに見えた。
設営作業に入る。俗に言うサークル布を敷き、本を並べる。見本誌も用意する。そして、こちらも頒布するために用意した、駅メモのキャラクターをモチーフにしたバッジやストラップ、キーホルダーやシールを、ワイヤーネットを使って陳列する。ちなみにこれら、全部僕のハンドメイド品である。可愛い小物を夜な夜な生産するおっさん。絵的にはかなりきついものがあると思う。
いかんせんこういったレイアウトを考えるセンスがないので、自分でもだっさいなあと思いながらも、なんとか設営を完了した。
時刻は11時15分頃。ようやく少しだけ余裕ができたので、改めて会場を見回してみる。やはり、思っていたよりも広い。もう何年も前に某アニメのオンリーイベントに参加したことがあったが、その時の会場よりも全然広いような気がする。
サークルのスペースには、俗にいう「島中」「誕生日席」「壁」という種類がある。詳しい説明は省略するが、「島中」<「誕生日席」<「壁」の順で、サークルの人気度や知名度などがある程度現れている。
もちろんこれは絶対ではない。僕の主観も入っているし、あくまでも「そういう傾向がある場合がある」程度に思っていただきたい。
その中で「壁」に配置されるサークルを「壁サークル」と言ったりする。人気度や知名度が高いサークルで、そうなると当然作品のクオリティも高い場合が多い。
この「壁サークル」は、「島中」に配置されたサークルと違って、背後にある壁にポスターなんかを掲示することができたりするというメリットがあったりするし、「壁」に配置されることは大変名誉なことなのである。
が、しかし。
フットバ9の壁サークルのエリアは、島中や誕生日席が集まるエリアから若干離れているのだ。さらに、壁サークルの半分くらいはそこからさらに離れた場所に存在していた。
一般参加者がまだ来場していない時間、いくら知名度や実力のあるサークルとはいえ、サークルスペースの前に人が集まることはない。閑散としている。壁に貼ったポスターすらどこか悲壮感が漂っている。なんだったらヤマト運輸の受付と勘違いされかねない。
案の定ツイッターでこのエリアに配置されたサークルさんがもの申しててそりゃそうだよなって思った。
さて、いよいよ一般参加者の入場時間5分前、つまりイベント開始5分前だ。
この時、一人の男性が僕のスペース前にやってきた。
この方も僕と同じく一人でサークル参加されているようで、いざイベントが始まるとなかなかスペースから離れられないので開場前に購入しても良いか、と聞かれた。実際のマナー的なものはどうなのかわからないが、僕はとりあえず本が売れる喜びでOKした。ついでにキーホルダーも買ってくれた。
「宣伝見て、絶対買おうって思ってたんで開場前に来ちゃいました」
そしてすぐに一般開場。イベント開始のアナウンスがあり、サークル参加者たちが一斉に拍手する。僕もドキドキしながら拍手する。
やはりボカロ・スプラトゥーンエリアが目的の人たちが多いようではあるが、駅メモエリアにも早速人が押し寄せる。人気サークルの新刊や新作は、開始早々売切れる可能性もあるのだ。一般参加者はあらかじめカタログやイベントの公式サイトで目当てのものを探しておいて、開場後一番にそのサークルスペースに向かう。「走らないでください!」とアナウンスもあるほど、この開幕時の争いはそれなりに熾烈なのである。
僕がその昔、初めてとあるオンリーイベントに一般参加したときは、カタログをチェックするとかそういうことすら知らずに、ただなんとなく好きなアニメの同人誌が売ってる、くらいの感じで来場してしまった。そのため、開幕後のダッシュを目の当たりにして何が何だかわからず「とりあえずみんな急いでるんだからついていかないと!」って思ってついて言ったら全然興味ない作品のサークルに行きついた苦い経験がある。爆笑間違いなし。抱腹絶倒のエピソードである。今これを読んでいる方たちもスマホやPCの向こうで腹を抱えて笑っているに違いない。
さて、開幕して駅メモエリアにも一般参加者が流れてきているが、僕はというと過去のことを思わず思い返してしまうほど、ただ静かに座っていた。
開場して10分、15分が経過するが、僕のスペースには未だ誰も訪れない。
しかし、僕も過去にオンリーイベントではないが同人誌即売会自体には何度かサークル参加したことがあるから、さほど焦ってはいなかった。
開始直後に人が訪れるのは、大手サークルや人気サークル、もしくは同ジャンルのイベントに何度も参加していて、参加者同士で交流が多い人たちである。
今回駅メモのオンリーイベントに特に何の繋がりも盛ってない状態で参加した僕のサークルには、大手サークルで目的の買い物をあらかた終えた人が「さて、ブラブラと見て回りましょうかね」となるのを待たなければいけないのだ。
「今は大手タイム…今は大手タイム…」と心の中で繰り返していたが、少し口に出てしまっていたようで、心なしか両隣のサークルの方との距離が開いた気がした。
しばらくすると、予想通りチラホラと僕のサークルにも訪れてくれる人が現れ始めた。本やグッズがちょこちょこと売れていく。ものすごく嬉しい。
本を買っていってくれる人は2つのタイプに別れる。やってきてすぐ、見本誌も特に手に取ることなく「新刊1部ください」などと言って購入してくれる人と、見本誌を見た上で買ってくれる人だ。
前者はさらに4パターンに分けられるように思えた。以下の通りだ。
カタログや宣伝などを目にしていて、最初から買うつもりでいてくれた可能性はある。
まず売切れたりする可能性のある大手や人気サークルを回った後に、僕のサークルにきてくれた、というわけだ。
うららが好きだから、とりあえずうららが描かれているから買う、というのは大いにあり得る話だ。内容はどうだっていい。そこにうららがいるから買うんだ。
(´-`).。o0(ちょっとやべー奴じゃん)
おっと失礼、なんでもありません。
③ もうとりあえず本なら買うって人
会場では色んなサークルが様々な駅メモに関するものを頒布している。
漫画や小説、イラストなどの本や、キーホルダーや缶バッジや色紙、タオルなんかも売ってたりする。
そんな中でもうとりあえず本ならすべて買ってるっぽい人がいた。もちろん稀なタイプではあるが、一人ではないと思う。
おっとこりゃまた失敬、なんでもありません。
④ とりあえず全部買う人
(´-`)<間違いなくやべー奴じゃん
しかし、僕のサークルスペースがある島で、おそらく端から端まですべてのサークルでなにかしらを購入していた。両手を本やグッズでいっぱいにしながら。
と、まあふざけてはしまったが、買ってくれる以上僕にとっては大歓迎な、感謝すべき人たちである。
そして、後者の、見本誌を見た上で購入してくれる人。
この場合は、中身を見た上で購入を決断してくれているわけだから、ある程度の評価をもらえたのだと思うと、ノールックで買っていってくれた場合とはまた違う嬉しさがある。
もちろん、最初から買うつもりではいたけれども、一応流れとして見本誌をチェックしている人もいるだろう。中身が漫画なのかイラスト本なのかを確認しただけ、という人もいるだろう。
それでも、中身を見た上で買ってくれるというのは、なんだかちょっと嬉しいものなのである。
また、当然だが中身を見た上で買わずに去っていく人も多い。もちろん買ってくれるのが一番嬉しいが、意外と買ってもらえなくても、見てもらえただけで嬉しかったりもする。手に取って見ようと思える何かがあったのかな、と思う。
今回の本は、イラストを数ページ載せた後に4コマ漫画が数ページ、という構成であった。ペラペラとめくってくれている人の顔をこっそりうかがっていると、イラストのページを終えて4コマ漫画に至った後、少ししてふっ、と笑顔になってくれたりするときがあった。
勘違いの可能性もあるけど、4コマ漫画を読んで顔をほころばせてくれたのだろう。本の内容にリアクションをとってくれる人がいる、その事実が嬉しいのだ。
しかし僕は、見本誌を見てもらうことに、ちょっとした悩みがある。
僕のつたない画力が露呈してしまうということももちろんだが、個人的にはそんなの比べ物にならないくらいに、悩んでいる。
それは、「見本誌を見てもらっている間僕はどうしていればいいんだろう問題」である。
気まずい。とにかく気まずい。そしてやっぱり自分の漫画を目の前で見られていることが少し恥ずかしい。しかもつたない画力だし。
話しかけるコミュ力は持ち合わせていないし、そもそも見本誌をチェックしているのに話しかけられたら邪魔だ。かといって、何事もないようにスマホをいじっていたり何か作業をしているというのも感じが悪いように思えるし、あからさまにリアクションをうかがうようにじろじろ見ているのもなんだかプレッシャーを与えてしまうような気がする。
結果、僕はというと、「スッ…」である。
みんな、あの時間どうやって過ごしているのだろう。今度機会があったら気を付けて見てみようと思う。
そんなこんなで本もちょこちょこと売れていく。
僕程度の本でも買っていってもらえるのは、やはりオンリーイベントの恩恵だなと感じた。
そして、本よりも好調に売れていったのはグッズ類だった。
開始前にフォロワーさんが買ってくれたキーホルダーに続いて、本と一緒に買ってくれたり、グッズを単品で買ってくれたりで、初参加のサークルの割にはまあまあなペースで売れていたと思う。
「ストラップってここにある分だけですか?」と尋ねてきた方がいた。
「そうなんです、手作りで用意したので、数が少なくてすみません」と伝えると、ツイッターで見てリトのストラップが欲しい!って思ってきたんですけど…残念だ!と悔しがって、本だけ買っていってくれた。欲しがってくれたことがなんとも嬉しかった。
その後も、本もグッズも少しずつではあるが売れていった。
当日のイベント時間中もツイッターに写真を上げ宣伝をしていたので、おそらくそれを見て買いに来てくれているのか、まっすぐ僕のサークルスペースにやってきて、ノータイムで「○○ください」みたいな感じで言ってくれる人が多かった。
また、うららのバッジを買ってくれた人は本も一緒に買ってくれたのだけど、スペース前に来てまず「うららメインの本ですか?」と聞いてきた。「はい、うららメインです」と言うと、「じゃあ1部と、あとうららのバッジもください」とのこと。
思わず「うらら推しですか?」と聞くと、力強く「はい!うらら推しです!」と答えてくれた。中学の野球部かよ、と言いたくなるような、ピュアな力強さだった。
さて、会場には駅メモのキャラクターである「でんこ」のコスプレをした人が、 Permalink | 記事への反応(7) | 17:38
報道や各種メディア、個人が様々な媒体で伝えているこのイベントに対して、私個人のごく私的な見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、今年の事を書いてみる。
この条例は報道以上に効果があったと実際に現地にいると感じる。しかしこの条例は単に仮装者が羽目を外しすぎないようにするという印象とは異なり、数年来発生していたある問題を解決できたことが大きい。それは①酒の無許可販売②警備がなくなる深夜~早朝帯の乱痴気騒ぎ問題であった。
① 酒の無許可販売は2016年頃から見られるようになる。2018年のハロウィン当日には20名ほどの人が、テキーラやウオッカなどを販売していた。個人が勝手に販売する方が多いが、飲食店に雇われた売り子も、年齢など見境なく度数の高い酒を販売するのはよろしくなく、またルールなしの状況下では、酒の品質低下はもちろん、密造酒販売の可能性も発生する恐れがあるので、2019年に歯止めがかかったのはとても良かったことだった。
しかし2019年10月30日でも数名、31日当日では確認しただけで少なくとも5名が販売していた。仕入れたビールサーバーを背負い、仮装で隠した売り子は、マスコミのカメラの前で「規制の事実は知らなかった」と笑顔でのたまうずぶとさで、このような場でどうしても鬻ぎたい山師と企業は今後も出てくるだろう。
② 警備している警察官や警備員も人間なので、夕方から翌朝まで全力で雑踏警備を行うのは不可能である。大多数の方が帰宅した終電以降は警備人員もほぼ撤収するので、その時間帯に騒ぐ人々に酒を与えないという目的があった。2018年の軽トラックを横転させる事件は、深夜2時~3時に発生し、動画をよくよく見ると、トラックの周りで騒いでいる人は、誰も仮装をしていないという事が確認できる。毎年ネット上に上がる喧嘩の動画もそうだが、現地に行ったことのある人は「その喧嘩が起きている場所は、ハロウィンが発生している時間帯は人がすし詰めで、殴り合うだけのスペースはなく、これは人が少ない深夜に発生している」と直感として把握できるのだが、ネットや報道だけで情報を得て想像を膨らませている人々にとっては、四六時中喧嘩と乱痴気騒ぎが起きていると解釈になっている。
警察は「将棋倒し」への対策に苦心している。過去何人の人が圧死しているこの現象は、起伏が少ない渋谷の底である宇田川の上に集まった人々にも起こることで、仮に発生した場合は目も当てられない大惨事になる。2016年にホコ天を設置したのも、これが理由である。今年の警備は警察官と警備員が協力して、センター街に集まった人が撮影や雑談で滞留しないように、しつこく動くように声をかけ続けたことが大きな変化であった。結果は当日の19時までの人手であればこの方法が有効に機能していた(対応する人員の疲労は目に見えて明らかだったが)。当日に渋谷に集まる人々はすさまじく、19時には路上の収容人員がパンクしてしまい、そこから全てのホコ天が開く21時までは非常に苦痛な状況であった。
実は渋谷区としては、昨年の騒ぎがなければホコ天の先や、別にサテライト会場を用意し、混雑の分散や、「共感」という目的のために来た人々の一部マインドを消費に回すことを少しながらも実行に移せていた状況であったが、上記3点の安全のためと、マスコミのネガティブ方向への報道癖がついている状況下で、前進する対応が取れなかったのは彼らにとっても残念なことであっただろう。
ゴミ問題について毎年思うことを今回書こうと思う。今回はコンビニと名指しするが、自動販売機を除き、他にめぼしい外に持ち出せる飲料や食事を販売する店舗が見当たらないのにも関わらず、自店舗で出したゴミを回収させる為のゴミ箱を設置しない上に、
店舗の目の前で飲食した客が路上に落としたゴミを、「街が汚れたのはマナーのせい」で、
後始末を行政とボランティアに全て丸投げする納得できない状況が毎年続いている。
明け方でなく、ハロウィンのコアタイムにセンター街のコンビニの前で、コンビニから出たゴミを拾う警備員と、それを眺めるコンビニ従業員の様子をネットに上げてもいいぐらいである。普段から責任を全て若者と行政のせいにしている姿勢の店が一定数あるからの行動なのだろう。新しく出店しているケバブ屋やタピオカ屋にはあり、関係ないのにわざわざゴミ箱を出す店もあるので、そういう店の姿勢に客も合わせてやっているんだなと感じる。
今年の特徴は「ダイバーシティ」である。昨年は日本のあらゆる立場の人々が集まるヤミ鍋状態と表現したが、今年はその鍋にラグビーW杯の観戦に来た欧米の観光客が大量に押し寄せた、日本文化にリスペクトしてわざわざ来日したわけでない欧米文化圏の人、更に増え続けるアジア系技能実習生と、中国の大型連休が重なり、当日でも3割~4割は外国人の様相で、欧米文化における「ハロウィン」なる文化と日本の「はろうぃん」、アジア圏の方々が更に解釈した「ハロウィンのようなもの」の3つ巴の衝突が起きた。記号に頼らない私の考えるハロウィンの仮装だらけである。
ギャラリーも酒が入っていないので、それでも人が多いが、仮装した人同士で盛り上がる場に割り込んで、観光欲を満たす行為は多少減ったように見られる。
コスプレは、衣装やメイクを作りこみ、撮影による仕上げにより、世界観を作り上げる一連の行為とした場合、仮装は世俗における一瞬のなりきり、又は社会を風刺していく行為で、その出自がかなり違う点を理解したい。
参加した人々を傍観する人々
カラーギャングの時代から街の浄化作戦を街頭で行ってきた商店街からすれば、深夜に“ボボボ”とやってくるヤンキーは「またかよ」という気持ちだろうし、当時精力的に活動していた方々の年齢問題もあるだろうから、マスコミに叫ぶ気持ちはわかる。ヤンキーも、地域社会に受け入れられず、持っている力と金を余らせている上に、承認欲求が人一倍強いので、入り込める余地があれば求められなくてもやってくる。しかしヤンキー同士のコミュニティが強固な為、仲間を差し置いて仮装している集団に入れないし、クラブに行って踊ることもできないジレンマがある。さっさとコミュニティ変えろとしか言えない。パンチラスポットでパンチラを見ているような、下半身の欲求で来ている輩と存在感がどっこいなのに気づいていない。
ネットや報道で分かったフリをしている人々も厄介である。2018年に渋谷区へ来た抗議数百件の内、ほとんどが区民でない人の抗議であったという報道が示すように、自分の知らないところで楽しそうにやっている人を嫉妬する傍観者も多くいる、ニューヨークやロンドンと同列にして問題を語っているような国際的な街と、あなたが住んでいる町が同じでないのは当たり前で、そこで起きているイレギュラーな問題を必死に解決している人と、その大小様々な果実を受け取っている人をあざ笑っても、仕方がない。芸能界の恋愛事情に一喜一憂するぐらい不毛な事柄である。
現地にいると、さも当然のように、さまざまな人種・民族が、さまざまな年齢・性別が、
さまざまな社会的背景を持つ人が、それぞれの文化背景を元に、又はそれらから開放されるための仮装をしている。
資本主義が求めるダイバーシティである、(金をより稼ぐために)優秀な様々な立場の人が活躍(生産)できる都市ではないかもしれないが、実はその概念が最も実現できている環境がいまの渋谷ハロウィンにあるのは非常に面白いことである。都市は、生き物のように変化していき、日本の首都である東京でさえ、不意に訪れた雑踏の流れ、物事の速さに追いつけず、傍観者を大量に生み出しているのはとても味わい深い。
普段はオタクとしてワイワイと遊んでいます。そこそこに深い位置に来てしまい、同士のための「あれこれ」を作る側の人間にもなってしまいました。
コンテンツが人気になったこともあり、気が付けば「あれこれ」はそこそこ規模の大きいものになりました。県下で最も勢いがあって周りの同じような方とも仲良くしています。
そうした活動をせこせこと楽しくやっていたある日、「○○地区××コンテンツ協会」(仮名)ができました。公的なものではありませんが、当時の「名乗ったもの勝ちで活動する」という風潮もあり、○○地区でのコンテンツを広めようという目的のもとに活動をするようでした。
名前からは規模の大きさを感じさせましたが、できたばかりでもあり目立った活動はしていませんでした。「あれこれ」をしていた友人達も面白そうなものができたと見守るつもりでいましたし、この団体のおかげで私たちの「あれこれ」も楽しくやれたらと思いました。
たまに団体のSNSを見ると「明日はどこそこでイベント!」「こんな方が来ました!」とそれなりに活動はしており、同じコンテンツの他地区団体と比べても見劣りしないほどにやっているのがわかりました。
界隈の人間から見るとコンテンツの中でもとっつきやすいものが中心で、なおかつ地区の名前を掲げられるように目立ちすぎることはしない、というちょうどいい感じの活動でした。この界隈に入るにはまずその流れが良いだろうとそこそこの人間が思えるものです。
もちろん、これを見て私も「良い団体だ」と思えましたし、「この調子で行けばこの地区でもこのコンテンツは活発になるなあ」と期待もありました。
それを眺めながら私達は私達のものを、と真面目にやりました。仲間内だけで始まった企画ですが、手を貸してくれる方のおかげもあり、大きな問題になるような失敗はありませんでした。
そこに、件の団体が話を振ってきました。「ちょっと活動に遊びに行ってもいいですか?」と。もちろんOKです。
一応同じコンテンツ、そして地区名を冠する団体に興味を持ってもらい、もともと私達はこういう目的で、こういう手段でやっています、と直接伝えられる、かつ向こう側は何を考えているのか知る良い機会だと思いました。
当日、ひょろっと参加した向こうの方と少しお話をしました。発足の流れ、「あれこれ」のやり方、参加者サイドからの気持ちとそれを反映させる「あれこれ」。話せることは話しました。
あちらの方も自分たちの事情や考えについて話してもらい、なかなか興味深い内容でした。何度か個人的にも話す機会はありましたが、お互い新しい発見がありました。
一つ考え方が大きく違うとするなら「お金」についてでした。「あれこれ」ではお金はほぼ度外視、そこそこカツカツで楽しんでいます。何しろ私達が楽しむことを目標にしていたので利益はほとんどなく、私達と参加した方が楽しいなら、と追加でお金を出してマイナスになることもありました。対して、向こうの方はコンテンツを一つの産業として発展させたいために、お金を儲けられるなら設けていきたい様子です。地区の半公式団体になった以上はそのあたりも考えなければいけないようでした。私もこのコンテンツで儲けられればと思いましたが、現実はかなり難しいです。
ある日、団体から「うちのやつに協力してもらえないか」と声があり、私達が当初予定していた「あれこれ」を取りやめてそちらに向かうことにしました。「あれこれ」を大事にしたかったのですが、面倒事の期日が伸びてしまう、団体が行うものはどのようなものか知りたいという理由で取りやめました。この点は私達の判断によるものです。
・打ち合わせ不足
・それにより、「あれこれ」のためのレイアウトや流れが決められない
・前日に足りたはずのそこそこ高価な機材を要求(「あれこれ」のために買っているものを貸しました)
・当日にまだ不足していることが発覚(こんなこともあろうかと複数持って来ました)
・その他機材不足
・「あれこれ」以外のことも任せ始める
など。一応協力したために謝礼は出ました。
他にも、団体として行うべき活動ではない部分まで範疇にある、前に出ての発言に真偽不確かな部分がある、など。表側の見える部分はしっかりしていましたが、中の運用は微妙という印象でした。この先、地区の半公式団体としてやっていけるのか不安にも思います。団体からの評価は高かったようですが、この件以降は団体と距離を離す方針になりました。
直接関わることは無くなりましたが、同じコンテンツにあるものとして団体の活動は個人的に見ていました。
団体の情報発信源のSNSを定期的に眺めていました。しかし、徐々に活動報告以外のものが混じるようになりました。
いわゆる「中の人」が表に出たような投稿です。「飲み会!」「子供の学校行事!」といったものです。それらは団体アカウントに必要なものなのでしょうか。
一番目についたのは同じコンテンツの他団体に対する愚痴でした。「ウチはそれなりにやってる、あなた達は何かをして私たちに要求していますか?」という旨の発言がありました。確かに団体としてある以上、周りとの関係は難しくもありますが、この発言は多くの人間が見ています。愚痴を吐くためのアカウントですか?
そして団体公式アカウントがフォローする少ないアカウントに団体代表の個人アカウント。「今後、この話(コンテンツに関係はあるが個人的なもの)は団体アカウントでします」とのこと。やめてください。コンテンツに関係はありますが団体の活動には関係ないです。また、そこまで界隈に好評でもなくコンテンツに合わないような方々とつるんでいたり。権利とかお金が欲しいとかが見えすぎていると思います。もう少しうまくやれませんか?
実績や達成したことはともかく、内情も対外発信もあまりよろしくないこの団体が、この地域のこのコンテンツを代表すると思うと嫌になります。それはただ単に私がその団体を嫌いなだけなのかもしれません。この界隈の成長を止めてしまうのかもしれません。それでも、今までこれを好きでいて、私達のように楽しみの為にやってきた人間もいます。お金とか権利とか、そういう大人の事情で雰囲気が変わってしまうのが悲しいのです。
世の中には、絵を描くことは好きで幼い時より描いてはいたが、特にその道に進むほど情熱をかけているでもなく、かと言って、趣味の範囲で同人誌を出すアクティブ・タイプなオタクでもなく、ただ気の向いた時や萌えの気持ちを発散するためだけに描くことで満足するタイプのオタクも存在する事をご存知だろうか。そう、私のようなタイプのオタクだ。
描くことは幼い日々より続けていたものの、どうも絵がうまくない。うまくないのだ。高校生になる頃には自分の限界に気付き、同人誌を出すのは絵の上手な人の特権!私みたいな絵の下手なオタクは一生見る側なんだ!と即売会や中古同人誌ショップを巡り、描き手様たちの作品をいそいそ収集する日々だった。
一つ目の転機は、大学に入学してからだったと思う。友人が腐趣味に目覚めたのだ。今までこの友人はオタクでありながらも腐女子ではない、夢女子に近い立ち位置のオタクだった。当時、じわじわ人気が出ていた少年漫画に彼女は「腐女子」としてハマったのだ。わたしはひとまず、近くで同人誌を買うことができるショップを教えたり、それとなくネットマナーを教えたような気がする。一緒に即売会に一般参加などもした。そう楽しんでる中、ある日彼女から「pixivで小説を書いている。今度本を出してみたい。」と言う話を聞かされた。
私は、驚くと同時に、1年も経たないうちに生産者側に回ろうとする行動力に驚嘆した。もちろん応援することにしたし、最初の彼女の小説の表紙デザインを作ったり、売り子として即売会に同席するなどした。あっという間に生み出す側となり、その後も一人でサークル参加を続けていた。「絵を描くのに○○ちゃんは出ないの?もったいない。」などと言われたこともあったが、「私は絵が上手くないから」と言葉を濁した。
私はこの時は、「彼女は特に行動力があったただけ」と思いつつ彼女がやりたいことに真っ向から挑戦できる彼女が眩しく見えた。
二つ目の転機は、私がデジタルイラストを描くことができるようになったことだった。大学半ばから社会人になるまで、およそ4年近く忙しさで絵を描くことができなくなっていた。私は当時「もう社会人になるし、いつまでもオタクでいるわけにはいかないと思っていたしちょうどいいのかな」と思いながら過ごしていた。幼少の折より続いていた唯一の趣味が無くなりつつあるのには常に一抹の物悲しさが付き纏ってはいたが、それを上回る日々の忙しさがそれをも掻き消して行った。社会人になると、日々消耗し、毎日泣いて泣いて過ごしていた。そんな中、友人がとある2.5次元の作品の観劇に誘ってくれた。昔から好きな作品で、是非にと観劇しに行くと、それは素晴らしく楽しく、素敵だった。同時に今すぐ絵を描きたくなった。久々の感覚だった。スケッチブックを引っ張り出して、演者さんが演じていたキャラクターを描き殴った。その日から、毎日毎日スケッチブックに絵を描き、ふと思い立ちそれ専用のツイッターのアカウントを作り、イラストをアップした。その作品を好きな人とも繋がることができ、とても楽しかった。
ある日、彼氏が「お前、デジタルでは描かないの?」と言ってきた。私はどうもデジタル向きではなく苦手意識もあったが、ペンタブを貸してくれて、一からイラストソフトの使い方を教えてくれた。彼氏もオタクで、小説も絵も描けるハイブリッド型のデジタル人間だった。暫く私が絵から離れていたから、今までは提案しなかったそうだ。そしてそこから私はデジタルイラストを導入するに至ったのだ。
三つ目の転機。オタクとしての楽しさを思い出させてくれた前ジャンルで人間関係がゴタつき、私はジャンル移動するに至った。ちょうど熱も少し引いたタイミングに、原作を読んだことのあるアニメが放送となり見事にのめり込んだのだ。ポツポツイラストを上げているとアニメ化中の作品だからか、たくさん反応を貰えてとても楽しくなった。フォロワーもすごく増えて、毎日楽しく過ごしていた。所謂ROM専と呼ばれる人たちにもフォローされたり、何か少し絵師っぽいかもしれないと内心喜んでいた。
そんな中、好きなCPで萌え語りをしていると、よく反応をくれるROM専の方からリプライが飛んできたのだ。内心、ROM専の人も話しかけたりするんだな、と驚いた。内容は「最高です。ぜひ本を出してください。後、小説も書いてください」と。とても驚いた。私は絵を描いてはいるが、同人誌を描く側には一生行けない。本を出せるのは、だって、絵が上手い人だけの特権なのだから、と。私は絵を描くくらいはしていいが、出す側には行くことができない側の人間なのだから。嬉しいが期待に添うことはできない。その気持ちに感謝をしつつ、当たり障りのない文章を返した。「出せる機会があれば出したいですね」などと返したと思う。私はデジタルイラストを描くことは出来るようにはなっていたが、漫画は描くことができなかった。落書き程度ならまだしも、きちんと製本できるような規定を守ったやり方での描き方は知らなかったのだ。しかし時々、その言葉を思い出して、元気を貰っていた。フォロワー同士の付き合いではなくて、ROM専の方からのお言葉だからきっと本当に私に目をかけてくれたんだろうな、と自意識過剰になりながら。
四つ目の転機。仲良くなったフォロワーが、漫画ソフトを一から教えてくれる、という、何とも親切きわまりないフォロワーだった。私は悪いし、すごく迷惑かけるし、と言ったが、私と一緒にイベントに出て本を出してくれるなら一から教えるから!と息を巻いていた。私は、ROM専の方から声をかけていただいた言葉から、いつか機会があれば出したい、と思い続けていたこともあり、とりあえず彼女の使っているのと同じソフトを買い、通話で三日三晩迷惑をかけ時には叱られながら使い方をレクチャーされた。結果として、拙いながらも原稿が作れるようになった。マスターしていないので、基本動作しかできないが、デジタルオンチの私にしては上々だ。まさか、アラサーになってから同人誌を作るよう動くことになるとは思っていなかった。年甲斐がないとか、今から始めるのか?とか、たくさん悩んだが、家族や友人周りが肯定してくれた。
そして先日、はじめてのサークル参加をした。大学時代の字書きの友人も、○○ちゃんが出るなら、と同じ即売会に出てくれた。初めてのサークル参加に浮き足立ち、前日は寝れなかった。まさか、一生描き手には回らないと思ってた自分がサークル参加をするという事実に夜中に感極まり、号泣した。本を出してと声をかけていただいたROM専の方には迷惑を承知の上で、長文のDMで感謝の気持ちを綴った。「あなたの言葉があったから本を出せました。あなたが私を同人作家にしました」と打ちながら泣いた。気持ち悪いDMにその方から丁寧にまた返信をいただいて、また泣いた。
即売会当日、売り子はフォロワーさんに頼んだ。徹夜でむしろハイになっていたので、意外に現場に立つと緊張しなかった。道中の電車では、感極まって二、三回程半泣きになったが。
始まるとお隣さんの同CPのフォロワーさんが初参加で年も近いこともありたくさん話してくださり楽しかった。
早めに撤収し、売り上げは、30弱程。いいのか悪いのかわからなかったが、友人に「そんなもん」と言われたので多分そんなもんなのだろう。何より、「貴方が出るから来るのを決めました!」と言って貰えたり、「pixivでサンプル見てほしくて…」と言って貰えたり、差し入れを貰ったり、とにかく、嬉しかった。こんなに幸せなことが世界にあっていいのかとも思った。
そして帰り道、気付いた。「あぁ、私も同人誌出す側になったんだ…」と。
同人誌の在庫は自宅郵送したが、一冊だけ手元に持って帰ってきた。何度も何度も読み返した。自分が描いたものが本になるのは不思議で、奇妙だった。その夜は、枕元に自分の同人誌を置いて寝た。なんだか自分の本がとても可愛かったのだ。
友人にイベント終わりに、「初めてのサークル参加はどうだった?」と聞かれた。私は、「今まで、同人誌って絵の上手い人だけが出していいと思ってたけど、違うんだね」と言った。友達は「そんなの、やる気の問題だよ」と言っていた。そして全く、その通りだな、と思った。
同人は、何歳から始めてもいいし、誰がやっても良かったのだ。それに気付くのに、何年もかかったが。そして私は、人生二回目のサークル参加をするべく、今もせっせと二冊目の同人誌の原稿をしているのだった。
フジファブリックと僕
フジファブリックが大好きだった。中学生、高校生の頃にCDを擦り切れるほど聴いた。2008年のRIJFでレイクステージのトリだったフジファブリックを観たことは数あるライブ経験の中でも、楽しくて忘れられない経験だ。B.O.I.P.のライブアレンジが、たまらなく楽しかった。ポリープを取った?直後だった志村の声はあんまり出てなかったけど、1000回聴いた銀河をライブで聴けて、ティーンの僕は幸せだった。
クロニクルというアルバムが出て、「このアルバム消化するのに時間がかかるな」と感じていた頃、志村正彦は居なくなってしまった。当時フジファブリックを好きだった人と同じように大いに悲しんで、志村以外の3人で続けて行くという事を応援しつつも、曲をチラリと聞いて、違う と思ってしまったから、追いかけなくなった。新譜は買わず、大学でフジファブリックが好きという人に出会っても、当時の大好きな気持ちは表に出さず、ヘラヘラしながらやり過ごした。
そうこうしながら社会人になって、フジファブリックを聴くことを忘れていたのに、Mステ出た映像をツイッターで見てしまった。お涙頂戴の演出だなぁと思いながらも、繰り返し見た。ふとした拍子に思い出す様になった。
今年のRIJFの最終日のチケットはもともと取っていたけれど、フジファブリックを観るつもりはなかった。お笑い第7世代のCreepy Nutsを頭から観るつもりだったし、2008年とは別物の彼らを観る必要はないなと思っていた。当日の朝までそう思っていた。
a flood of circleのフルカラープログラムをカバーを聞いて、The chef cooks meが目をウルウルさせながらライブしているのを見て、tricotの爆裂パニエさんを聞いて、初めてポルノグラフィティの変な踊りして、ティーンの頃の僕と音楽をこの日で総括しないといけないという気持ちになった。勝手にエモい気持ちになっていたのだ。
そうして自己中な気持ちをもって、パークステージのトリのフジファブリックを観た。二曲目のSugar!!から泣いた、号泣した。志村正彦が居なくなったこと、僕は何も消化してなくて、目を背けていただけだったと気付かされた。そうして泣いた次は、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一の3人で演奏していることが、余計に志村がいないことを強調していることに気づいて泣いた。彼らの楽器の音とかプレイは2008のライブで見た時と地続きにあったから。そして、山内総一郎のMCで泣いた。きっと僕が抱いている様な身勝手な思いを一身に受け止めて、それでもバンドを続けていたのだという事実に。
これからきっと僕は追いかけなかったフジファブリックの曲をリリース順に聴いて行くのだと思う。あと、フジファブリックで泣きすぎてCreepy Nuts見に行く気力無いだろうとライブ中は思ってましたが、撤収の際にThe BeatlesのHere Comes The Sunがかかって、佐久間宣行のann0を思い出して、気力を回復して見に行けました。ありがとう佐久間宣行さん
この台詞について考察をした。自分なりの考えを書く前に、軽く人物について整理しておく。
江戸川コナン:みなさんご存じ主人公。本当は17歳の高校生探偵だが、「黒の組織」が開発した毒薬を飲んで小学1年生まで縮んでしまった。
工藤有希子:コナン(新一)の母。元女優。変装術が得意。ベルモット(後述)の親友?
(コナン界での)FBI:ベルモットを追い来日。日本では違法捜査中である。(→注1)
赤井秀一:スナイパー。組織に追い詰められ殺されたことになっているが、現在は沖矢昴として工藤邸に潜伏中。
ジョディ・スターリング:赤井の元カノ。ベルモット(後述)と因縁があり、憎んでいる。
アンドレ・キャメル:ドライビングテクニックに優れている。
ベルモット:表の顔はハリウッド女優。バーボンに秘密を握られている。ジョディの両親を手に掛けた。
NOC
安室透(バーボン):本名・降谷零。公安(警察庁)から送り込まれたスパイ。スコッチ(後述)の死をきっかけに赤井秀一を憎んでいる。公安では多数の部下を率いる立場で、上司もいる。(→注2)組織では「探り屋」として活動中。
スコッチ:本名・諸伏景光。公安(警視庁)から送り込まれたスパイ。組織にスパイだということが露見し、家族や同僚の事を守るため、胸ポケットに入れたスマートフォンごと心臓を打ち抜き自決する。安室の同僚で幼馴染みで親友。
水無怜奈(キール):本名・本堂瑛海。CAIから送り込まれたスパイ。弟・瑛祐の保護を条件に、FBIに情報を渡す約束をしている。(→注3)
(注1)
FBIはベルモットの身柄を確保するまで日本警察に捜査のことを伏せる方針でいる。つまり、日本での捜査に関して許可をとっていないことが判明している。
だが、高木刑事のこの台詞「困りますよジョディさん…いくらFBIの捜査官だといっても、ここは日本!しかもあなたは休暇を使って来日してるだけでしょ?」(81巻)から、現実世界と同様に、許可のないFBIの捜査は日本で認められていないことが分かる。後に、赤井は「日本警察が組織の存在をつかみ、捜査を開始している」ことを認識していた事実が明らかになったが、それをチームメンバーには報告していない。
(注2)
85巻(緋色シリーズ)で工藤邸の前に集まっていたいかつい男達は部下。その後の安室の台詞「撤収してください…上には僕の方から話しますので…」から、赤井秀一およびFBI捕獲作戦は公安の上から許可が下りた作戦だったことが分かる。
赤井秀一は公安のこの作戦を「俺の身柄を奴らに引き渡し、大手柄をあげて組織の中心に食い込む算段だった」と言っているが、「黒の組織」に赤井秀一を売るために「公安の仲間」を連れてくる行為は矛盾している。
更に、赤井秀一を始末した(ことになっている)水無は、始末前と代わらず監視が厳しくメール1本送ることすら困難な状況にいることが窺えるので、例え安室が赤井を組織に売っても「大手柄」になることはあり得ず、赤井のこの推測は成り立たない。
「組織の中心に食い込む算段」に関しても、安室は現在ラム(組織のNo,2)から直接指令メールをもらうほどの立場にいるので、わざわざこのような危険を冒す必要がない。(95巻)
なお、「赤井およびFBI捕獲作戦に関する推測」に安室側からのアンサーはないので、赤井の推測を事実として扱うことには疑問が残る。
(注3)
96巻現在、瑛祐が証人保護プログラムを断って以降FBIが彼を保護・護衛している描写はないので、水無から一方的に情報を貰っているというアンバランスな構図になっている。
赤井秀一の「目先のことに囚われて…狩るべき相手を見誤らないで頂きたい」という主張について整理していく。
狩るべき相手を見誤らないで頂きたい…ここでの赤井は、「(安室が)狩るべき相手を見誤っている」と認識している。
赤井は、「(緋色シリーズにおいて)安室が狩ろうとしている相手」を、来葉峠で公安とカーチェイスを繰り広げている「赤井及び来日中のFBIメンバー」のことだと言っている。
以上を整理するとこうなる。
赤井秀一「(安室は)FBIを狩ろうとしているが、それは間違いだ」
つまり、「(安室が)狩るべき相手はFBIではない。」→「(安室が)狩るべき相手は別にいるはずだ」
更に、現在安室が潜入捜査中であることを踏まえると、赤井は「(安室の)狩るべき相手は黒の組織だ」と伝えたいのだと推測できる。
つまり赤井秀一の主張は、「安室の狩るべき相手はFBIではなく黒の組織だ。」になる。
上で、「(赤井秀一の考える)安室透の狩るべき相手」について触れたが、ここからは「(安室から見た)安室透の狩るべき相手」について整理していく。
人物紹介に書いた通り、安室透は公安である。コナン界で公安は以下のように認識されている。
江戸川コナン「ゼロっていうのは「存在しない組織であれ」と付けられたコードネーム…日本の安全と秩序を維持する為に存在する…公安警察の俗称…」(84巻)
では、「日本の安全と秩序を維持する為に存在」している公安警察・安室の「狩るべき相手」は誰なのか。
先程のコナンの台詞を裏返せば、安室の敵は「日本の安全と秩序」に害をなすものだと考えられる。赤井の言う通り、安室の潜入先「黒の組織」も、敵であることに間違いはない。
つまり「(安室から見た)安室透の狩るべき相手」は「日本の安全と秩序を脅かす人物・組織」である。
上の2点を整理した上で、「狩るべき相手を見誤らないで頂きたい」について考察していく。
(注1)で述べた通り、赤井たちFBIは日本で捜査する許可を得ていない。だが、FBIの面々は、緋色シリーズを見るだけでも
拳銃の所持・発砲(来葉峠カーチェイス)、道路交通法違反(同場面)、公務執行妨害(同場面)、遺体損壊(遺体すり替えトリック)、観光ビザで来日しながら違法捜査を行っている
など、かなりの違法行為をしている。特に、拳銃の所持・発砲は「日本の安全」を、違法捜査は「日本の秩序」を脅かしていると言っても良い。
まさに、来日中のFBIメンバーは「日本の安全と秩序を脅かす人物・組織」である。
当然、安室透の狩るべき相手に「黒の組織」が含まれていることに間違いはないが、彼は公安である。「狩るべき相手」は、全ての「日本の安全と秩序を脅かす人物・組織」なのであって、黒の組織だけを捕まえればその使命を全うしたことになるわけではない。
もし、現実に
「テロリストを捕まえるのに必死で、他の事件の犯人は逃がしてしまいました。」
という発表があったとして、果たして警察のその言い分は通用するのだろうか?…通用するわけがないと言い切ることが出来る。
もし、現実に
警察「それもそうだな、じゃあ君釈放ね」
ストーカー、詐欺集団、泥棒、どれか1つを追いかけている間は、他の犯人達を放っておくのが正解なのか?違うだろう。
公安にとって黒の組織は「解決すべき事件の容疑者集団A」、違法捜査中のFBIは「解決すべき事件の容疑者集団B」、その程度の違いであり、まさに違法捜査真っ最中の赤井に「狩るべき相手を見誤」っていると言われる筋合いはない。
本当に赤井秀一が組織を壊滅させることを目的としているならば、脅しや既に破綻している約束で現役スパイのキール・バーボンに負担を掛けるのは悪手だと言わざるを得ない。そもそも、本来「脅し(をすること)」や「破綻している約束(を一方的に守らせる)」といった方法は、相手を陥れたいときに使うものだ。
赤井本人にその意識はないようだが、状況だけ見れば、キール・バーボン両名は赤井の「自らの手で組織を狩り尽くしたい」という非常に個人的な「狩り」に巻き込まれているとも言えるだろう。