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はてなキーワード: ポリープとは

2019-09-12

からないことだらけ

有意義にうんちしよう^^って勤務中にトイレへ行ったら便器が真っ赤に染まった。

人生で初めて下血した。

びっくりしてその日の仕事終わり職場近くのクリニックに駆け込んで検査の予約をする。

検査したら炎症おこしてるポリープのせいでしょうってとってもらった。

少し経ったらまた下血した。

ストレスないですか?と聞かれたのでたまたま仕事で忙しい時期だったのを話すと、

じゃあストレスのせいでしょうって言われて薬をもらった。

薬を飲みきる少し前に忙しいのを乗り越えて穏やかな生活に戻った。

それなのに、次の週もその次の週も下血した。

なんだか疲れてしまった。

放っておこうかと思ってたけど、まわりに心配されるので通いやすそうな家の近くのクリニックに行く。

検査した日は少し休憩した後に胃カメラもしたみたいだけど、

胃カメラしますよ~って台に移動して注射されてから記憶がない。

から入れたのか口から入れたのかわかんないや。

小さいとき胃カメラが鼻から入らないって言われたから今回も口からだったのかな。

それとも鼻から入るようになったのかな。

大変でしたねって看護師さんに言われたけど記憶にないからなにも大変じゃない。

なにが大変だったんだろうね。

なんで下血するのかもわかんないし、世の中わからないことだらけ。

2019-08-13

フジファブリックと僕

フジファブリックと僕

フジファブリックが大好きだった。中学生高校生の頃にCDを擦り切れるほど聴いた。2008年RIJFレイクステージのトリだったフジファブリックを観たことは数あるライブ経験の中でも、楽しくて忘れられない経験だ。B.O.I.P.のライブアレンジが、たまらなく楽しかった。ポリープを取った?直後だった志村の声はあんまり出てなかったけど、1000回聴いた銀河ライブで聴けて、ティーンの僕は幸せだった。

クロニクルというアルバムが出て、「このアルバム消化するのに時間がかかるな」と感じていた頃、志村正彦は居なくなってしまった。当時フジファブリックを好きだった人と同じように大いに悲しんで、志村以外の3人で続けて行くという事を応援しつつも、曲をチラリと聞いて、違う と思ってしまたから、追いかけなくなった。新譜は買わず大学フジファブリックが好きという人に出会っても、当時の大好きな気持ちは表に出さず、ヘラヘラしながらやり過ごした。

そうこうしながら社会人になって、フジファブリック聴くことを忘れていたのに、Mステ出た映像ツイッターで見てしまった。お涙頂戴の演出だなぁと思いながらも、繰り返し見た。ふとした拍子に思い出す様になった。

今年のRIJFの最終日のチケットはもともと取っていたけれど、フジファブリックを観るつもりはなかった。お笑い第7世代Creepy Nutsを頭から観るつもりだったし、2008年とは別物の彼らを観る必要はないなと思っていた。当日の朝までそう思っていた。

a flood of circleフルカラープログラムカバーを聞いて、The chef cooks meが目をウルウルさせながらライブしているのを見て、tricotの爆裂パニエさんを聞いて、初めてポルノグラフィティの変な踊りして、ティーンの頃の僕と音楽をこの日で総括しないといけないという気持ちになった。勝手エモい気持ちになっていたのだ。

そうして自己中な気持ちをもって、パークステージのトリのフジファブリックを観た。二曲目のSugar!!から泣いた、号泣した。志村正彦が居なくなったこと、僕は何も消化してなくて、目を背けていただけだったと気付かされた。そうして泣いた次は、山内総一郎金澤ダイスケ加藤慎一の3人で演奏していることが、余計に志村がいないことを強調していることに気づいて泣いた。彼らの楽器の音とかプレイは2008のライブで見た時と地続きにあったから。そして、山内総一郎MCで泣いた。きっと僕が抱いている様な身勝手な思いを一身に受け止めて、それでもバンドを続けていたのだという事実に。

これからきっと僕は追いかけなかったフジファブリックの曲をリリース順に聴いて行くのだと思う。あと、フジファブリックで泣きすぎてCreepy Nuts見に行く気力無いだろうとライブ中は思ってましたが、撤収の際にThe BeatlesHere Comes The Sunがかかって、佐久間宣行のann0を思い出して、気力を回復して見に行けました。ありがとう佐久間宣行さん

2019-06-18

腹痛だと思っていたら胆石があって検査の結果は胆のう癌だった

胆のうの摘出手術を行った。

深夜3時くらいになるとみぞおち右手側の痛みで目が覚めて痛みに苦しんでた。

タイミングよく人間ドックを受けたら、大きめの胆石ポリープが見つかったため精密検査送りとなった。

面倒なので放置していたら、ある日、今までより強く、長い痛みがきた。

そして、今まではなかった吐き気がでたのですぐに病院に行って受診した。

MRICT超音波レントゲン採血胃カメラなどいろいろな検査を受けたが「胆石発作」と言うことになり胆のうを取ることになった。

心配なのでセカンドオピニオン会社お抱えの産業医などに相談したが、全員一致で「胆のうを取った方がいい」と言うことになり観念した。

手術自体は、2時間程度で終わった。単孔式腹腔鏡下手術と言う手術法で手術されたようで、本当におへその中にしか傷口がないのは驚いた。

3cm弱の楕円形の胆石きれいな小瓶に入れられて渡された、この胆石のためにここ数カ月苦しんでいたんだな、と思うと変な感じだった。

術後の経過は順調で、さすがに手術当日は痛みがあったが、鎮痛剤がよく効いてくれたのでよく眠ることができた。

寝返りが打てないのは辛かったが、睡眠薬も飲んでしまえばあっという間に寝てたので、きっと楽な方だったのだろう。

手術3日後に退院退院後は腹筋を使う動作は凄くゆっくりだが、何もかもが元通りの生活だった。医療技術進歩感謝感激した。

だが、1週間後にちょっと嫌なことがあった。

摘出された胆のうに、病理検査実施してもらったところ、癌だったと言うのだ・・・

「上皮内癌」だから転移などはなく胆のう摘出で、治療終了と言われたがちょっと信用できない。そういうものなのだろうか。

そもそも担当医もセカンドオピニオン医も画像を見て「良性のポリープ」と言ってたじゃないか

と思ったが、確認したところ「実際問題、胆のうを取ってみないとわからない」と言うことらしい。

単純な腹痛だと思っていたら、胆石があって、その先は胆のう癌だったってお話し。

あ~あ、この先長生きできるのだろうか。。。と思ったが、別に長生きしても楽しくなかったりして・・・

2019/06/19追記

はてなブックマークコメントや、Twitterの反応も見ました。

みんな優しいですね、ありがとう。30代で癌になった方も居るようです、戦友として一緒に頑張っていきましょう!

とにかくラッキーだったと言ってもらって、運がよかったと感じています

で、お役に立てればと思って、追加の情報を書きます

胆石発作対策

「とにかく脂質を取らない」を徹底しました。草食動物のように野菜と、ご飯うどん炭水化物、そしてほんの少量の鳥のササミだけを摂取していました。

胆石発作とわかってから摘出手術するまでのおよそ2か月間、上記食事をすることで発作は起こりませんでした。

(このことで、自分の中でも原因がすんなり飲み込めて、「胆のう取るしかないのね・・・」と覚悟を決めました。)

病気の経緯
ポリープ

大きさは、1.3 x 1.2 x 0.8cm らしい。乳頭状ポリープとの記載がある。

8年前の人間ドックから詳細な結果が手元にあるので確認したところ、ポリープは7年前からあった。ただし、とても小さいので経過観察とのメモ。なお、この時は結石は見つかっていない。

その後、毎年受けている人間ドックでは、ポリープについてのコメント特にない(見つからなかった?見落とした?)。今年になって急に再度ポリープがあるとの診断になっていた。

この1年で成長したのか、数年間見落としていたのかは不明

胆石

3年前から人間ドック結石が見つかっている、一度発見されてからは2年前、1年前、今年と毎年見つかっていて順調に成長していた模様。

今年は、「かなり大きくなったんで、ポリープの件と合わせて、そのままでいか精密検査をうけて」と言われている。

超音波検査見立てでは3cm弱。摘出後確認したところ、同じサイズだった。超音波検査のあの分かりにくい画面からよくわかるな。と感心した。

手術後

手術後、翌日から1人で歩ける。ただし、振動が来ると痛いのでおなかを抱えてゆっくり歩くことになった。

手術後、3日で退院。相変わらず歩くのは遅いがゆっくりであれば、長い距離歩ける。1kmくらい歩いて家まで帰った。

退院翌日から会社に出社。事務職なので椅子に座ってしまえばOKなので業務に特段支障なし。

 

コメントの中で、特に気になった・・・

> えっ昨日夜中の3時に覚えのない腹痛で目が覚めて小一時間うなされてたんだけどもしかして

すぐに検査を受けてください!

MRICT超音波検査を全部受けても1万円ちょっとだとおもいます。早めに対応できれば何度も苦しまなくて良いと思います

(一方で、「わからないまま」って事もあるのが、モヤモヤしますが)

 

セカンドオピニオンの助言などは、なるほどねーと思いましたので受けてみようと思う。病理検査に回された胆のうは残されているのだろうか。

今回の件は本当にラッキーでした、胆石からいただいたこの命、大切にしたいと思います

あ、そうだ、病院食はあまり堪能できませんでした。ちょっと好みじゃなかったです☺

最後に、五臓五腑仲間のコメント笑いました☺

2019-03-23

anond:20190323145606

悪いことは言わんから、消化器内科・消化器外科のある病院大腸内視鏡検査を受けた方が良い。痔以外で血便につながる可能性が高いのはポリープだが、それだけ出血しているんだったら(痔を含めて)ポリープ以外の可能性が高い。いずれにしても一度検査をしてすっきりじておく方が良いぞ。仮に痔だったとしても、放っておくべきではない。痔以外の病気との区別をつけ易くする為にもちゃん治療すべきだ。脅す気はないが、以下をリンクしておこう:https://dot.asahi.com/wa/2017090700029.html

2019-02-08

anond:20190208115224

それはすぐ病院行った方が良い。痔だろうとたかを括っちゃ駄目。大腸ポリープ、もしくはがんの危険性を考えるべきだ。内田春菊の闘病記をリンクしておく。

https://dot.asahi.com/wa/2017090700029.html

ちなみに俺の話だが、丁度一年前に、便に血が混じっていることに気付いて受診。大きさ 1.5 cmポリープが見つかって、一日入院でポリペクトミー内視鏡による切除)を行った。幸い俺の場合は良性だったが、悪性だったら放っておくと大変なことになるぞ。まじで病院行け。

2019-01-29

anond:20190129114811

お前の体質や病気は後でいいから、まずは身長体重体脂肪率書けよ

いか人間600kcalで運用できないの。でも出来ちゃっているのは色々削って運用しているの。今のお前は生きるブラック企業なの

医者も匙投げるよ。だって食べなくて身体省エネになっているだけで、なんか変なポリープ出来てるわけでもないし

正直、摂食障害だと思うよ?1年半で30kg?だから元は何kgだよ!運動頑張った?どれくらい?

2018-10-19

anond:20181019172213

ダメダメ

下痢酸性消化酵素もあるから肛門ダメージを負っちゃうんだよ。

ちょっとした亀裂が出来て血が出てしばらくして治るけど、かさぶたみたいな突起は残ってだんだんそこが溝みたいになって

肛門周囲膿瘍とか痔瘻なっちゃうから場所が悪いと結腸がんとかポリープになるし。

うどん食べるなら家で柔らかくしたやつにしなよ。はなまるのは固いし。

食物繊維が少ないのが良いよ。野菜ミキサーかけたりして食べてたよ。

マジで痛いんだってー!急に来るから!朝起きてオナラしたと思ったらお尻が真っ赤で痛すぎて死ぬと思ったわ。

2018-10-15

バリウム検査で要再検査がでた

今月頭に会社健康診断あってバリウム飲んで。

こないだ結果来たらタイトル

ポリープ?と形成異常が見られる???

今まで過去三回飲んだけど所見なしだったから怖い

正直今迄大きな病気したことなかったから怖い

悪い病気だったらどうしよう

よく聞くネット検索する暇があったら、病院行けって言うから胃カメラ飲める病院行ったけど検査は二週間後w

ちょw長いwww

あと二週間こんなモヤモヤした状態で過ごすのか…

年齢四十も超えるといろいろ病気でてくるんかな

まだまだ手のかかる子がいるんだよー

なんともありませんように。

胃カメラ飲むのも怖いわー

別の病院って思ったけど

から内視鏡やってるとこが二つしかなくて…そうかまず電話で初診後すぐ予約取れる方にすればよかったのか…

2018-10-04

ポリープ胃カメラで切ったときも痛いとかなかったけどそんなもん?

2018-02-05

大腸がんだった

40歳本厄でバツイチ猫と同居中のおっさんです。

飲み屋で知り合った外科医から40過ぎたら毎年大腸スコープ入れた方が良いと言われて軽い気持ち人間ドックへ。

結果、大きめ(15mm)のポリープが見つかる早急な切除を勧められたのでビビってスコープを勧めてくれた外科医相談して速攻内視鏡で切除へ。

切除はすごくうまくいったとのことで気をよくしていたのだが、病理検査の結果どんぴしゃ大腸がん。初期の初期で幸い上皮内新生物で他への転移無しのステージ0だった。成長が早いのでほっておいたら転移してた可能性が高いと言われてほっとするのと同時に背筋が寒くなった。

気分的には5年に一回でもやればいいかと思ってたけど本当にやってよかった。

みんなも検診を受けよう。後ろからスコープを入れるのなんてがんが進行して開腹手術になるくらいなら安いもんだ。

2018-01-15

去年の6月ごろに大腸の不調を訴えていた私。パニック障害になり電車も車も苦手になったのは数年前の話だ。

大腸ポリープを手術した父、内視鏡検査をした家人の影響を受けて「自分もそろそろ病院にかかった方が良いのかも知れない」と懸念していた私よ。おめでとう。この度めでたく肛門科デビューしました。

待ち時間2時間大河ドラマを観つつ待機し、問診の後ヌッと肛門に器械を入れられた。

パシャパシャと写真を撮るような音が聞こえた。初めての直腸健診を受けた時は恥ずかしくて泣いたけど、覚悟して行ったから何の事はなかった。

全国でも有数の肛門科。イボと弛みがあった程度で問題はなかったし、機会があればまた診てもらおうかな。

2017-12-19

anond:20171219174731

健康診断超音波検査エコーはいいよな。

俺が行くとこはなぜか若い女医さんが多くて(そういうキャリアパスなのかな?)、薄暗い部屋で二人きり、相手白衣の女医、こちとら半裸、ヌルヌルのローションまで塗られ。

しかも俺は内臓ひとつポリープ飼ってるせいかこの超音波検査に人よりだいぶ時間がかかる。じっくり診られる。

けっこうきわどいところまでズボン降ろされたり四つん這いにされたり、人によってはかなり上半身密着させてくるドクターもいたりして。

なのだが。

しかし実は俺脇腹が急所で、器具を当てられると全身痙攣するくらいくすぐったいのよね。興奮に結びつかない、刺激されたらムカつく系の急所なので、この検査中はずっと体が防衛的になっていて、悲しいか100%そのシチュエーションを楽しむことができない。

残念である

2017-10-07

婦人科へがん検診に行ったら子宮の入口に3mm大のポリープがあると言われた

二年前はなかったのに。

乳がん検診も残ってる。こちらは触診を選択したら超音波の方が良いと母に言われた。懸念事項は、左胸のしこり。5mm程度で大きさに変化はなく、痛みもなく、境界はハッキリしていて、動く。

口には親不知と舌炎があるし、検査すればするほど何かが見つかる連鎖が嫌だな。

とりあえずビタミン剤でも買っとくか…

父親大腸がんになった

父親大腸がんになった

まだ正確なことは何も分からない。

父が大腸検査のためにクリニックにいった。内視鏡カメラで様子を見ようにもポリープがS字結腸のところで5cm程度に膨らんでいて詳しくは見れなかったらしい。

結局そこの小規模クリニックでは検査を受けることができなくて私立の大きめの病院で無理やり検査をして貰った。

ポリープは1cmを超えるとほぼガンらしくて、今がステージ3か転移しているステージ4なのかはまだ分からない。週明けに入院をして詳細な検査をするらしい。

 

父の自営業のことやら、親が死ぬのか?とか、自分は今年から無職をしているので今度を継ぐのかとか、別で就職するかとか、考えることがいっぱいだな

たぶん継がないけど、いや、今は上手く考えが纏まらない

 

 

2017-10-18追記:

追記してコメントをくれた人に通知が行くのかとか、よくわかりませんが追記します。

検査の結果としては、他の箇所への転移はありませんでした。一部肺に怪しい箇所もあるそうですが、腫瘍かどうかは分からないそうです。職業柄で粉塵を吸ったりするのでその影響でしょうか・・・わかりませんが。とりあえずは静観して後の抗がん剤治療で無くなるかもしれないとのことです。

今週手術をして、もう翌日には歩く訓練をするそうです。今は手術後歩かせるみたいです。

今後なんどか通院する必要はあるそうですが、早ければ今月末~来月初に退院予定です。

とりあえずは、無事のようです。

 

もちろん、開腹手術中に何かあるかもしれないし、大腸部分の転移侵食?が強いかもしれない。まだ分かりませんが、とりあえずは一安心というか落ち着けます

 

検査の結果が出るまで短い間でしたが、色々考えました。

事業を継ぐ気は元々ありませんでしたが、癌といってもすぐに死ぬわけではないので、事業収縮・廃業するのか、もしくは父の遺志を継いで仕事をするのか。

継ぐというのは会社従業員の事とかもありますが、父が病魔に侵されながら最後の、何か形に残せる、もしくは目に見えないけど本当に遺せるものだとしたら、継いだ方が良いのか?とかも考えました。

親は死ぬんだ、それが改めて感じられたと言いますか、僕らが成人した時には親は50~60程度だと思いますが、そこで突然死しても「そんな、まだ若いのに。早かったね」程度でいつ死んでも可笑しくないですからね。

 

困ったときに神頼みと言いますが、本当に祈ってしまった。

何もできないし、結果を待つことしかできなくて、祈ったところで検査の結果なんて変わらないと分かっているのに祈るしかありませんでした。

 

手術の成功と、術後の転移がないように。

健やかに人生を過ごして欲しい。

もっとしっかりしないと。しっかりします。

 

 

 

2017-11-03追記:

手術は成功しました。

ステージは2でした。ですが大腸がん以外にも膀胱がんも見つかりました。他の部分にも癌があるのにステージ2なのか?と疑問が沸くかもしれませんがリンパ経由で癌が増えると?ステージ4となるそうです。今回は大腸がん細胞が侵出して膀胱がんになったのでステージ2とのことです。

実は術後すぐの報告の際に膀胱がんあるのでステージ4ですと伝えられました。その後大腸がん細胞病理に出してリンパ転移がないと判明した訳です。

これは医者側の話術というか、希望を持たせて落とすよりは、一度落として上げてからの方が本人や家族安心するからだと納得しています

 

あとは人工肛門ストーマ)を設置することになりました。腸の手術をすると一時的ストーマを設置する事があるようですが、父の場合永久ストーマになります

2日に一度程度の周期で糞便が収納される袋を交換する必要があります死ぬまでです。何とか人工肛門を外せないかとも思いましたが神経に触る?て間違えてしまうと糞便垂れ流しになってしまうようで、自己排便は難しそうな雰囲気を出していました。

 

今後は放射線治療抗がん剤の投薬で残った膀胱がん寛解させていきます

最初の一ヶ月は入院をして、その後は容態を見て入院して治すか通院で治していきます

 

父は大酒飲みで毎日お酒を飲んでいました。その結果がコレです。もしかしたら膀胱がん駆逐できずに他に転移して死ぬかもしれません。もしくは膀胱がん寛解した後に再発するかもしれません。膀胱がんは再発し易いそうなので。

自分は大酒飲みではありませんが飲み過ぎることがママありました。今後気をつける、というよりお酒を飲みたくなくなりました。翌日残りますし。

 

 

これを最後更新します。

以降は放射線治療抗がん剤投薬で治していくので辛そうとか、癌が小さくなった・ならないとかの報告しか出来ませんので。

コメントをくれた方々、ありがとうございました。

2017-09-03

初めての衝撃体験全身麻酔ポリープ除去手術した話

◼️ポリープあるってよ◼️

健康診断婦人系項目でいつからか必ずといっていいほど、ひっかかるようになり、早数年。

自宅に届く健康診断結果に、さらりと書いてある「E判定 要精密検査」に最初ビビっていたものの、ここのところはすっかりあーはいはい、またね、といった具合に慣れてしまった。

ぶっちゃけ、あの流れ作業的な中で行われる健康診断検査項目は、数値で計れるもの(体重血液、○○値みたいなもの)以外は、人によって見方が違うから専門医でない限りアテにならないと聞いたことがある。

確かに、Aという項目でひっかかって再検査してるのに、いやBの方が問題ですよ、といわれることもしばしば。

そんなこんなで、今回も右卵巣がなんやらで判定が出てしまったので、不妊治療でゆるく通っているかかりつけ医に診てもらうことに。

そしたら、まさか健康診断結果とは違う左の方が腫れてると言われるし、左腫れてるけど基準値内、周期のホルモンバランスの影響でしょう、と。。

そして、むしろ子宮内膜にポリープが3つ程あると!まじかーい!

良性のものが多いけど、妊娠を望む女性にとってやっかいものらしく、

着床障害を起こし、不妊の原因の可能性の1つらしい。個人差はあるけどとったら妊娠した、という事例もあるそうなので、ポリープを残しておく理由はない。

であれば、とってしまえ!!と思い、手術予約をとったのでした。

◼️初めての全身麻酔手術◼️

まあ、書き方おおげさなんだが、、局所麻酔経験あるのだけど、眠らされる経験は初めてなので、記念に書いておこうと思い、今に至るのである

まず、手術タイミングについて。子宮内膜の厚さが周期によって変わるため、手術時期が限られているとのこと。

生理開始から1週間後の内膜が薄くなっている時期が、ポリープがしっかり見えるのでその時期なんだとか。

手術前日、21時以降は絶飲食

しかし、仕事帰宅が間に合わず、22時前に夫が買ってきてくれた焼き鳥を食べノンアルコールビール飲んだのはここだけの話。。

水は24時頃までなら少量okとのことで飲む。なんとかなるでしょ。

当日。午前9時に自宅にて事前に処方された、痛み止めの座薬注入。

予約していた10時に病院に到着後、程なくして診察室に呼ばれる。

手術はすぐ行われるわけではなく、まずは子宮を広げる薬と布?みたいなものを入れられる。

うぅー、ちょっと痛いよ、先生。。あの、パッカーンの診療台での診察、何度やっても慣れないわ。。

そのブツが、入った状態で2時間程ベッドで休みブドウ糖の点滴も打ってもらう。

あぁ、病院のベッドで点滴なんて何年ぶりだろ。仕事大丈夫かなー(その日は金曜日で、仕事がかなり忙しい日)とか色々考えながら過ごす。

13時くらいに看護師さんが呼びに来る。

点滴つけたまま2つ隣くらいの部屋に移動し、パッカーン診察台に座らせられる。

よくテレビで見る、心電図と指にはめる脈測るものを装着し、医師が3人くらい登場。おいおい、まあまあ本格的やないか、、と心配になりながらもなされるがまま。

そして、女医さんが点滴から何かを入れ、次第に眠くなりますよーと言われたのが最後記憶となるのでした。

◼️気づいたら、、◼️

最初にいたベッドの部屋の景色。手術終わったっぽい!

意識朦朧としているんだが、下腹部の激痛と、車酔いみたいな気持ち悪さで頭がクラクラする。。

下腹部の激痛といっても、冷静に今思えば生理痛のもう少し重い時くらいの感覚なんだけど、なんせ、麻酔により本当に眠らされてショック?だったのと、何が起こったかからないプチパニックになり、思わずナースコールを押してしまった。

30分ほどで落ち着きますよ、といわれ耐え続ける。

ん?パンツがはかされて、ナプキンもつけられてる。。まじか。記憶がない。

看護師さんに聞いたけど、手術時間は15分から20分くらい。手術後車椅子でベッドまで運んでくれたというではないか

くそ記憶がない。パンツはかせてもらったことも、運ばれてきたことも。。

初めての経験の衝撃と痛みと気持ち悪さで動けないのでしばらく横になって休む。痛みがだんだん落ち着き、軽い生理痛くらいになった時看護師さんが来てくれた。

無理しないでもう少し休んでもいいですよ、と言われたが、タクシーで帰るだけだし、早く家に帰りたいし、お腹すいたし帰る準備を始める。

最後に、薬を4日分処方され、経過観察のため1週間後にまた来てください、お風呂シャワーのみで、といわれ、その日は終了。お会計20000円弱でした。

病院をでた頃はすでに16時をまわっていた。

◼️最後に◼️

今回色々調べてわかったこと。

子宮内膜ポリープ不妊の原因の一つの可能性がある、ということ。

まだ、手術終わったばかりでその効果はわからないけど、不妊治療の色々な検査をしても異常がないのに、なかなか授からなくモヤモヤしていたので、やってよかった。

1週間は断酒だけど、また頑張るかな!

ポリープとともにモヤモヤしたネガディブな感情も削ぎ落とされた、初手術体験でした。

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170801012726

排卵痛は意識したことないけど(ゲーリー体質で365日常に腹が痛いので区別がつかない)、昔から排卵前後はオリモノがめっちゃ増えて不快なのでパンティライナーを使うようになりました。

あとここ1年くらいで機能出血って言うんでしょうか、

排卵前後不正出血するようになってしまって憂鬱

婦人科受診済み、子宮頸がん子宮体がん検査も受けて異常なし。

経腟エコー子宮内膜症子宮筋腫ポリープなども無いことを確認

排卵前後出血は何も心配はいらないと言われて一安心したけど、生理が終わったあとも排卵前後でまた色々気をつけなきゃならないのは精神的にやや負担がありますね。

2017-06-11

肛門科なんて行きたくない

最近また方向性が分からなくなっている

海外が好きだった自分SEを通過してパニック障害になって。

電車も車も苦手になった。

自分に出来る事、したい事が良く分からない

仕事したいのか、したくないのかすら。どこに向かいたいのか。

父が以前大腸ポリープ手術したらしいけど、自分もそろそろ病院にかかった方が良いのかも知れない

2017-03-18

もし処女子宮内膜ポリープ疑いになったら

婦人科エコー受けてきました。

処女は経膣エコーじゃなくて経肛門エコーでいいみたいですね。

最初、経膣エコーしようとしたんですが、硬く尖った細い棒で肉が切り裂かれるような、鋭く強い痛みを覚えたのでギブでした。

肛門エコーはやや違和感があるだけでほとんど痛くなかったです。

よく尿道カテーテルは痛いって聞くので、もし男性処女喪失の痛みを体験するなら、肛門ではなく尿道で試したほうが近いものが得られると思いました。

2017-02-19

父が拗ねた

兄が家族4人で食事に行くことを計画したらしい。

私が家を出て数ヶ月、切り詰めて暮らしているであろうから食事をおごってあげたいのと、

もうすぐ誕生日なのでそれを祝ってやりたいと企画してくれたとのこと。

父と母は、妹の誕生日が近いし今日は妹が行きたい店に行くがよろしいか最初から確認してくれていて

母は勿論快諾(というか、母は普段から基本的に私の食の好みを優先してくれるので)

父も一応、うんと言ってくれてはいた。らしい。

が、蓋を開けてみれば父は当日どうしてもワンカルビに行きたくなったらしい。

私が帰る予定の時間に到底間に合わないというのに、ワンカルビの予約が○○時にしかとれないので予約をとるか、としつこく兄に聞くので、

兄は「増田誕生日なのに、増田がいない時間から予約をとってどうする?」と返した。

非常に残念なことに、母は胃にポリープがありあまり肉を食べることができないので食べ放題だけは絶対に避けたい。

私も普段焼肉が大好きだが、今日はどうしても違うものが食べたい気分だったので、

実家に帰った瞬間父と兄に同時に「増田は何が食べたい!?」と詰め寄られワンカルビ以外の店名を答えてしまった。

一応、その店も小さい頃から家族でよく利用していて父も好きなお店なのは間違いない。

ただ、今日はどうしても焼肉の気分だったんだろう。

それに対して父は「あんな店!この時間は道が混んでて片道30分ぐらいかかるかも!」「絶対焼肉のほうがおいしいのに!!」と非難轟々だったが

兄は「今日増田の行きたい店に行く!」としれっとワンカルビスルーして私の行きたい店に行ってくれた。

道中、勿論父は一言も喋らず、店についても「なんでも良い」「食えたら何でもいい」と不機嫌全開で、

終始ぶすっとしながら食べていて、とても気まずい食事になってしまった。

1時間もしないうちに、食べ終え皆がまだ水を飲んでいるのに「明日、朝早いから早く帰るぞ」とそのまま店を出て車でタバコを吸っていた。

途中から、私は諦めて目の前の料理をとにかくおいしいおいしいと食べていたが、お金を出してくれた兄からするととても不愉快だったと思う。

兄は「もう絶対、4人で食事なんかしない。親父は誘わない」と怒っていたが、その台詞はもう成人して数年、何度も聞いたんだけどなぁ。

多分、数ヶ月後また忘れて家族4人でって言うんだろうなぁ。

もう諦めてはいるけれど、父もも還暦近いのだから、思い通りにならなくても少し我慢するということを覚えてもらえないかなと願わずにいられない。

小学生の頃、欲しかったお菓子を買ってもらえず帰りみち拗ねていた私に

「周りが不愉快になるから、ぶすっとした顔をするな!周りのことを考えろ!!」とげんこつで殴ってきた父の姿を思い出しながらこれを書いている。

元増田です。追記。

もともと、頭がよくないのと、文章書くのが下手なのと、イライラしているままに書きなぐってしまったので

すごく読みづらくなってしまって申し訳ないです…。

読み返していて何か恥ずかしくなってきました。すみません

家族構成は父、母、兄、私の4人構成であってます

あと店名の件ですが、あまり関西地方から出る機会がないもので、

まさか関西ローカルってことを知らなくて…

何じゃそれ?と混乱させてしますみません(´・ω・`)

よく「歳取ってまるくなった」とかよく言うので、

いつかマシになってくれるのかなぁ、とずっと期待していたのですが

やっぱり歳を取るごとに頑固になっていくのですね…

からとてもわがまま自分ルール押し付けがすごかったのですが

(一汁三菜の徹底、緑黄色野菜毎日、だがもやしなど色が鮮やかでない野菜野菜と認めない、などなど)

これからもっとひどくなっていくのかな…と思うと少し憂鬱です…。

2016-02-04

身体に違和感があるのに検査すると何も異常がない

半年くらい前からのどに違和感があってな。

風邪などでのどが腫れたのとは明らかに違う違和感があり、声を出しにくかったりものを飲み込みにくかったりすることが続いている。

寒くなってきたことが関係しているのか、ここ1ヶ月ほどの間はさらに痰が絡んだり、鼻詰まり感があったりもする。

そこで耳鼻咽喉科に行って内視鏡で見てもらった。

すると、鼻ものども何も異常がない。

膿がたまっているということもなく、声帯扁桃腺ポリープや異常があるということもなかった。

実際鼻詰まり感はあるが鼻をかんでも何も出てこない。

しかし鼻の通りは悪いし、呼吸は苦しいし、日常会話をすることさえ負担である

カラオケも以前通りには歌えなくなり、そんな自分にまたさらイライラする。

医師からアレルギー効果があるとされる薬を処方されたが、効果はあまり実感できていない。

なんだこれ。

歌は俺の数少ない特技だったのに、これを気分よく歌えないストレス尋常じゃない。

2015-09-05

胃カメラオブスキュア

胃カメラ飲むことになった。

ポリープがあるの

2014-11-28

母ちゃんが入院した話

母ちゃんが、胃腸検査に引っかかり、大腸カメラ?で検査をした際に、ポリープがみつかりその場で切断した

日帰りで帰宅したが、その後、血便というか、血液のものが排便されるという状態で、翌日病院へ行ったら即一泊入院となった

恐らくは、ポリープ切断の際に処置ミスったんだろうと思われる

結果的には大したことはなかったが、検査に2万、入院で4万取られた

医療費かかりすぎだろ・・・

2013-03-27

父が癌になって思ったこと

http://1024.hatenablog.com/entry/2013/03/26/195249

うちの親父も癌になった。発覚時ステージ3で、手術からそろそろ五年経つがいまのところ再発はなし。まぁとりあえず一安心というところか。

最初に見つかったのは歯肉癌。本人気づいていなくてなんか痒いな、腫れてるなということで歯医者に行き、歯医者も炎症起こしてる程度だと思って大きめな病院を紹介しただけだった。その後ふた月くらいは全く危機感がなかったのでほったらかしてた。昔親知らずで異様に腫れたことがあったのでそんなもんだろうと思っていたらしい。で、気づいたときステージ3。リンパにも転移していた。会社の定期診断では大腸への転移の疑いありとも出ていたが、それはシロだった。

この時親父は59歳、3月生まれなので翌年に定年退職の予定だった。

癌だっつーことで速やかに休職。すぐ手術するのかとおもいきや、意外に検査時間がかかるのね。保険ガンガンきいたのと、でかい企業だたので病気での休職などの制度もしっかりしてて、子どもはまだみんな学生だったけどとりあえず困らなかった。

別に嫌な親父だったわけではないが、自分と一番下の妹以外は何故か見舞いに行かず、いろいろ日頃の関係が出るなぁと思ったりしていた。自分はこの時躁うつ治療中&大学院生だったので割と暇ではあった、というのもあるが、手術の立ち会いも自分がいった。母はなぜか切れていてろくに見舞いに行かなかった。病気になるのは本人が悪いらしい…基地外である

手術と治療東京歯科大でやった。総合病院じゃないのに手術とか(リンパの切除もあったし)大丈夫なんだろうかと個人的にはちょっと思っていたが、口腔がんセンターになっているだけに治療スムーズで、特に不安に感じることもなかった。病床少ないので静かでいいし、がん患者が少なく、入院患者もだいたい元気に退院していく(親知らずとかだからね)ので、逆に本人にとってはよかったようだ。病院としてもアレルギーなし、他の病気もなし(昔胃にポリープが出来たくらい)、なんでも食べるしとくに落ち込むこともない親父は割と扱い易かったもよう。

こちらとしては切除した顎やリンパを見せられるのは勘弁していただきたかった。医療系じゃないんだから免疫ないんです。ここが患部だとか言われてもハイそうですか、としか

なお家族の絆とやらはうまれなかった。なのでそんなに感動的な話はない。

一ついい事といえば悲劇のヒロインになったつもりの母親が、親父が最初にかかった歯医者女医さんに「きっとうつなっちゃったのよ!」などと言われ、病院に連れて行かれて今もなおうつ病だとおもっていることだ。もともとボーダーなんだが、薬を飲んでるとみんなちやほやしてくれるのを学習したようで時々貧血が…とか動けないの…などと病弱なふりをしつつもちゃんと薬を飲んでくれている。出ている薬にリーマスが混じっているので、医者はたぶんボーダーであることを把握していると思われる。薬が効いてるおかげか昔より性格が穏やかになった。相変わらず人の悪口は多いが、まぁいじわるばあさん程度だ。

癌は不治の病というイメージがあったが、どちらかと言えば母親のほうが不治の病にかかっているような気がしてならない。

ま、母親は置いといて、当人はそんなに深刻な感じではなかったが、同時期にやはり癌(ただ部位は異なる)になった同僚がいて、その人が焼身自殺した直後だったので、どちらかというと現実逃避をしていたっぽい。えんぴつでなぞる徒然日記とかイラストロジック差し入れを喜んでいた。なんにも考えたくなかったんじゃないかなーと今になると思う。病院暇だしね。

手術直後は気力がなくなったのか、気にしない振りをしていてもやっぱり怖いのか、ボケっぽい症状があらわれて鉛筆でろくになぞれなくなっていたりした。あと算数どころか一から百まで数えるのができなくなった。

会社休職後には元の業務に戻さず新人教育とか、後方支援とかなんとか名目を付けてあまり重要な業務はさせなかったようだ。それでも置いてくれているだけましだと思うくらい、ぼけた。幸い今はボランティアにいける程度には回復している。

あのボケ方をしていたにもかかわらず、定年まで退職勧告をしなかった会社には感謝をしている。ずっと夜勤のある仕事だったが配置転換夜勤をなしにしてその代わり日勤と早朝勤+出勤をタクシーにしてくれたのもありがたい(事故があると困るからだろうが)。退職金も一割減だったけど出たのでその後の治療心配せずにすんだ。でかい企業だったので労組から見舞金もかなり出た。親父が退職したその次の年の年度末に会社更生法を申請しているのでかなり余裕が無い時期だったに違いないが、そういう対応をしていただいたことには本当に感謝している。あの会社のおかげで自分病気持ちだが大学院まで出ることができたし。色々悪く言われているし、問題もあったことは知っているが、でもやっぱり職を奪わず金を払ってくれる存在があるというのはありがたいことだ。

癌は不治の病というイメージがあるし、昔はそれこそ家を潰して治療費にあてなければならないほど治療にはお金がかかったらしいが、実際にすぎてみると「あれ、そんなもんか」という程度ですんだような気がする。しかしこれはうちの親父がでかい企業に勤めてて、その企業が先回りして色々と保険をかけてくれてたりとかしたからだ。これはたぶん幸運なことだったのだろう。幸運ではないかもしれない俺やあるいは俺と同じ世代の人々は、癌になったらまず経済的なところで問題がないかをおさえるべきだと思った。

あと思ってたよりずっと医療は進んでて、患者にはそれほど負担がかからないように医者も日夜研究をしてくれてるんだなぁと思った。一番ネックになるのはたぶん本人の恐怖心だと思う。これは個人の資質にもよるので本当にどうすりゃよいかわからん。恐死の恐怖は肩代わりできないしね。

しかすると恐ろしさのあまりボケるかもしれない。変な宗教にハマるかもしれない。騙されて医療を拒むかもしれない。そういうところに点け言ってくる奴はたぶん必ずいて、それに利用されることは大いに有り得る。出来る限り完治後も継続して安定した生活が送れるように変な情報シャットアウトして、本人の逃避の方向を問題ない方向性に向けてやるしか、周りで見てる人間にはできないんだろうなぁ、なんてことを思った。そゆう意味でも親父は手のかからないひとだった。ありがたい。

2012-01-25

職場でのディスコミュニケーション病気になった話

胃が痛い。今また、あの頃のことを思い出すような状況で胃が痛い



新卒正社員として就職した会社中小だったけど、ひょんなことから経営陣との距離がとても近い部署に配属された。

お偉い上司と二人きり、ほぼマンツーマンのような状態で仕事を行なう。まさにバディ状態。

新入社員が突然お偉方を相手にする訳だから縮み上がった。やっていけるのか自信もなかった。不安で一杯だった。

でもマンツーマンからこそなのか、上司の人柄か仕事への姿勢の所為か、

何をするにしても報・連・相、それに確認からかい指示に至るまで、

あれやれこれやれと口頭でギャーギャー言われる。それに答える形で自然とこちらの口数も多くなる。

気付けば上司とは密にコミュニケーションするようになっていた。

時にはどうでもいい世間話無駄口も。

上司とはお互いそれなりに心を開けていたのではないか、と思う。

そのうち偉い立場からこそ苦労している上司の素顔も知った。懐の深い人だった。



そんな日々も長くは続かず、会社が業績不振に陥った。

上司は何とか改善しようと思いつきで新しい要求を押し付けてくる。

誰も使い方のわからない、機能しない新しい提出書類の種類だけが増えていく。

そんなその場凌ぎの思いつきに応えられるほどこちらの余裕もスキルもなく、

また忙しい為にゆっくり話し合う時間も減っていった。

軽口のつもりかもしれないが、上司自分の同期のことを悪く言うのも許せなかった。

今にして思えば、この時一度きちんと話し合うか、他の部署の上司にでもいいか相談するべきだった。



結局堪忍袋の緒(とはちょっと違うけれど)が音を立てて切れ、

誰にも相談せずに一人会社を離れる決心をして、飛び出すようにして転職した。

でも後悔先に立たず。この会社での仕事の仕方は自分に合っていたのか、染み付いているのか

結局この会社、この上司自分にとって一番だったのだと後々思うことになった。



転職先は大きな会社の子会社だったが、前の会社に比べるとかなり堅い会社だった。

制服有り、5分前着席。始業時と終業時、休憩時にチャイムがなる。

インターネットも閲覧規制がされていた。トイレ休憩すら気軽に行き辛い雰囲気だった。

学校みたいだな」という感想を持った。

そして自分はかつて学校が苦手な、いつも学校から浮いているような生徒だった。

派遣社員が多かったこともあり、正社員ということも大きな足枷となった。

○○さんは正社員なんだから頑張ってもらわないと、この仕事もやってもらわないと、

ということが結構ストレスになった。

引き継ぎは直に辞める派遣社員からだったが、その人から教えてもらった仕事の細かいノウハウ

「貴方は派遣ではなく正社員なのだから」ということで通じないことが多かった。



配属された班はあまり口数が少なく、そもそもこの子会社そのもの親会社に引け目を感じて

小さく小さくなって仕事をしている感じだった。

無論、社内(社内は親会社と繋がっている)での自分立場も小さくなって過ごさなければならなかった。

上司や周囲からの指示はポストイットでの伝言や、メールで行なわれることも多く

無駄口や世間話一つするのも妙にこそこそとしてしまい、周りの目が気になった。

総じて会話が少ない職場だった。生のコミュニケーションの不足を感じた。



年末を控えたある日、一つのミスを犯した。

取引先に配布するカレンダーを巻く向きが表裏逆になっていたのだった。

そもそもカレンダーを巻いて取引先に配布すること自体、自分には初めての経験だったので

何度も周りの人にやり方を確認して注意を払ったつもりだった。

でも、何故か表裏の向きを間違えたまま自分一人で山のようなカレンダーを次々に白い筒状に巻いて行った。

「やっと全部巻き終えた!」一仕事終えた次の日、机にメモが載っていた。

隣りの席の営業から、「カレンダーの向きが違うから全部巻き直してほしい」との伝言が書かれていた。

隣りの席の営業とは、それなりに親しくしているつもりだった。

カレンダーの配布も既に始まっていた。

ならば何故、もっと早くに、直接口頭で言ってくれないのだろう。

そう思うと何とか堪えようとしても、どうしても涙が止まらなかった。

途方に暮れながらも、半分泣きながらも、全部のカレンダーを正しい向きに巻き直して行った。

心の中にぽっかり穴が空いたような気がした。



それから

会社にいても、始終極度の緊張状態にいた。

緊張し過ぎておしっこが近かった。行ってもまたすぐ行きたくなる。

誰かに監視されているような気がして、常に気が抜けなかった。

常に息苦しく、ゼエゼエハアハアと呼吸をしていた。

全身がコチコチに緊張して、胃痛がひどかった。

毎日なんとか耐えて、8時間座りっぱなしの時間をやり過ごした。



そのうち胃にポリープが出来て、身体は極度の緊張状態が毎日続くものから

背中筋肉肉離れを起こしたり、座骨神経痛で夕方まで座っているのが難しくなった。

筋肉疲労性のぎっくり腰まで度々起こす状態になった。

腰が痛くて、ただベッドから動けず横になっていることしか出来なかった。

繊維筋痛症という病名が付き、今も通院・治療を続けている。



もうこの会社にいても自分が出来ることは何もないだろうと思い、結局会社を辞めた。



今。フルタイムでの勤務はもう自分には体力的に出来ないだろうと思い、

ある会社アルバイトをしている。



けれど、この会社ポストイットメールでの指示や伝言が多い。

伝言で「○○、間違ってます」とだけ書かれたメモを見ると、

それはそう教わったのだけれど、とかそもそも違う人が作業した部分なのだけれど、と心の中で思う。

そして、何故目の前の席にいるのに面と向かって話をすることが出来ないのだろうか、と思う。

別に友達にまでならなくてもいい。

小さなことでも声を掛け合い、コミュニケーションの積み重ねで互いをより理解し、円滑な作業に生かす。

それはそんなに難しいことなんだろうか。嫌がる人の方が多いのだろうか。

いつも賑やかで活気のある職場は夢やフィクション世界だけなんだろうか。



今は頑張り所なんだろうか、それとも早めに見切りをつけるべきなんだろうか。

2012-01-05

被爆二世

増田メモ代わりに投げておく。

原爆ですら残留放射能の影響は数十年単位で確実に存在する。

特に地面に近く内蔵機能の完成していない子供に強く作用する。

<事例 : 現在50台の女性

幼少期に爆心地近くの公園で遊んでいた。

20代に卵巣腫瘍を患い摘出、40台後半でもう片方の卵巣にも腫瘍が見つかり摘出。

現在子宮、小腸周辺にポリープ等多数。

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