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2021-07-08

次回のアサシンクリード

Hagex暗殺するまでの道のりを描いた壮大な叙事詩になる予定。

2021-07-07

20〇〇年月間〇〇PV達成! 月収〇〇万円達成!

みたいな事書いてあるTwitterアカウント良くみる。大体がひたすら意識高い系な事をつぶやいてるんだけど。

ふと気になって、ドメインの取得日を調べてみたら、タイトルにある日付よりも後に取得されてて、なるほどなぁって感じ。

しかしたらドメイン変更をしたっていう可能性もあるかも?っと思って過去記事とかをさかのぼってみたけど、そういった履歴確認出来なかった。



実際には無い実績を謳う「虚勢ブログ」って感じなんだけど、こういったブログ運営している人って何が目的なの??

アドセンス?それとも成功体験を綴ったNoteとかを売って儲けるの??「虚勢ブログ」で得られる収益なんてアフィも含めてマジでたかが知れてると思うんだが


んで、大体こういったブログはやってる事がほぼ同じでまさに「テンプレート

かに描いてもらったアバターが載ったプロフィールページいか自分一般人か、もしくは過去に辛い経験があって社会的弱者だったかを書き

ブログ」を始めた事で人生が変わった的な、いわば進研ゼミ付録漫画のようなサクセスストーリー

実際の記事はというと、最初のほうは収益化までの道のりを書き綴り、後半は内容の薄い生地が量産されている。

で、気づいたんだけど

「こういったブログ運営すると副収入が出来るセット」っていう形で販売されているんだろうなって思った。

いわば、こういったブログ運営している人達は"被害者"側の人間なんだなって。情報商材といって良いんだろうか?

とりあえず、プロフページから掲載する記事まですべてがテンプレートであって

購入者は、販売から指示をされひたすら記事を書く。

書く内容も販売からすればテンプレートなので、書いてきた内容に同じ解答をするだけだ。その一連の中に、Twitter自分ブログを虚勢で発信し続けるっていうTIPSも含まれてるんだろうな。

おそらくざっと予想だけど、この一連の「クソブログ運営」は50~100万以上で販売をしていると思われる。

もしこれからブログビジネス」を"とりあえず"やりたいと考えていて、こういった商材販売コミュニティサロンに入ろうとしている人は

おそらく月2~3万円稼ぐのも難しいと思うので、やめたほうがよいと思う。

自分に明確に「発信するモノ」があるのであれば良いと思う。多くの人は「発信するモノ」が無いまま始めようとするからこういった販売者にただただカモにされるのだ。

ツイッターでひたすら嘘の実績と、経験も無い意識の高い事をつぶやき続けるのは逆にメンタルをやりそうである

昨日はツイッターで「月間4500万PV達成!」というとんでもないパワーワードを見た。4500万PVだぞ。その数字がどんなレベルか分かってプロフ欄に書いているのか?

2021-06-07

封筒の留め方知らんやつ多すぎ

封筒なんてオワコンなのは重々承知

からってまだ現役でやり取りされてるものなんだから封筒の留め方くらい知っておけ。

封筒を糊付けするときには必ずカッターを入れられるスペース1cmくらいはのりをつけないでおくという暗黙のルールがある。

そうしないと無理に破らないと開けられなくて相手に手間取らせたり、ハサミで開けようとして中の書類ごと切ってしまうなんて事故につながるから

最近になって、それを知らずにぴっちり糊付けしてしまった封筒がたくさん届くようになった。

文化が失われるとまではいわないけど、未だに封筒を使わねばならん職種ならそれくらいは知っておけよ。

2021-06-03

お茶漬けが小さい頃から好きだ。

小さい頃にキャラクターものお茶漬けパックのお茶漬けを食べたこからお茶漬けが好きだったと思う。いい塩梅の塩加減の出汁と白米がスルスルと食べられて、ほのか緑茶香りも感じて、なんて美味しい食べ物なんだと思った。

小学生の頃はお茶漬けにハマって、市販お茶漬けパックでは物足らず、母が焼いた鮭をお茶漬け用にもらい、のりを刻み、粉末の出汁をかけ、緑茶を淹れてオリジナルレシピお茶漬けをつくるのが特に好きだった。とんかつうなぎを具にしてみたり、わさびネギなどの薬味を変えてみたり、ときには烏龍茶お茶漬け作ってみたりして、至高のお茶漬けを探していた。

今は、塩じゃけ、わかめ、あごだし、お湯のお茶漬けが手軽で好きだ。

しかし、この日はわかめが切れてしまったので、ごま昆布を代わりに入れる。

お湯をかけると、ごま昆布から醤油が溶け出して香ばしそうな色合いになっていく。

浮遊する昆布。かきこんで食べると、いつもとは違った味わいで美味しかった。

けれど、ふと、気がついてしまった。細切りの黒い何本もの昆布蜘蛛の足にみえしまうことに。

私は蜘蛛が大嫌いなのだ

食欲が半減してしまった。怖い、と思いながらも、「これが蜘蛛の足なわけがないじゃないか」と自分で冷静に問いながら食べていった。

しかし、次の連想がおきてしまう。

私はどうも、気に入ると何日でも何食でも平気で同じものを食べ続けてしまうきらいがあるのだが、何年か前に1ヶ月以上も毎晩のように鮭の鍋を食べていたことがあった。

そして、何食も何食も食べているうちに、ふとある日、鮭の鱗が蛇の鱗のように思えてきてしまったのだ。蛇は嫌いではないのだけれど、なんだか爬虫類を捕食して、鍋で煮て食うという原始的自分の姿を妄想してしまった。妄想を膨らませては打ち消すをくりかえすそのうちに、ますますその鮭の切り身に、銀色の鱗をまとった大きな全体や、太古の彼らの深遠なつながりを見出ししまって、土鍋の中に入った切り刻まれて茹でられたその鮭が、美味しそうに見えなくなってしまった。私はその日を堺に連日鮭鍋を食べるのをやめた。

お茶漬けの中には、新入りの蜘蛛と、かの蛇がいた。

2021-05-17

娯楽や嗜好品でない範囲自炊

こども向けの無料食堂やってたらタカりにきた特に困窮していない人がいるときいてほんとしょーもないとおもった。

無料食堂では原価少なめ栄養十分の給食的なご飯をおいしく加工するのを標準としたらいい

タンパク質

 ・卵たっぷりチーズ少なめのチーズオムレツ鶏肉ピカタ高野豆腐親子丼など安くてタンパク質が多め

 ・魚肉ソーセージなどでDHAも多少補うとよい

主食

 ・白ごはん醤油につけたのりをのせて。型抜きしてあるとなおよいか

・やさい

 ・基本人参小松菜もやしキャベツ

ごま海藻ヨード)、きのこビタミンD)はビタミンD強化ふりかけ

 

ほっともっと結構考えてるのかなぁ。

商売だとどうしても外で働く人のためにデンプンと揚げ物が主眼になっちゃうんだろうけど

無料から揚げ物なし」という建前にしたら魅力的でないかゴミみたいなタカリがよりつかなくなる、といいのにな。

2021-04-19

Twitter庵野美術教科書に乗ってたってのを見た

すげーなーって思ってウィキペディア見てたらエヴァ放送が95年らしいんよ

から26年前?

26年前の26年前が69年?

で、69年にサザエさん放送されたらしいかサザエさんからエヴァまでと、エヴァから現代まで一緒なんだって!!!

すごー

人類サザエさんからエヴァまでの道のりをエヴァから現在までに同じだけ進めてるんかな?

2021-04-04

炊きたてご飯の熱々おにぎりというのもおいしいものだ。

具があってもいいし、具がなくてもうまい

のりをまいて食う。葉っぱを巻いて食う。

ごはんですよを具にして食う。

うまい

2021-03-22

シグナ

「ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  さそりの赤眼あかめが 見えたころ、

  四時から今朝けさも やって来た。

  遠野とおのの盆地ぼんちは まっくらで、

  つめたい水の 声ばかり。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  凍こごえた砂利じゃりに 湯ゆげを吐はき、

  火花を闇やみに まきながら、

  蛇紋岩サアペンテインの 崖がけに来て、

  やっと東が 燃もえだした。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  鳥がなきだし 木は光り、

  青々川は ながれたが、

  丘おかもはざまも いちめんに、

  まぶしい霜しもを 載のせていた。

 ガタンコガタンコ、シュウフッフッ、

  やっぱりかけると あったかだ、

  僕ぼくはほうほう 汗あせが出る。

  もう七、八里り はせたいな、

  今日も一日 霜ぐもり。

 ガタンタン、ギー、シュウシュウ

 軽便鉄道けいべんてつどうの東からの一番列車れっしゃが少しあわてたように、こう歌いながらやって来てとまりました。機関車きかんしゃの下からは、力のない湯ゆげが逃にげ出して行き、ほそ長いおかしな形の煙突えんとつからは青いけむりが、ほんの少うし立ちました。

 そこで軽便鉄道づきの電信柱でんしんばしらどもは、やっと安心あんしんしたように、ぶんぶんとうなり、シグナルの柱はかたんと白い腕木うできを上げました。このまっすぐなシグナルの柱は、シグナレスでした。

 シグナレスはほっと小さなため息いきをついて空を見上げました。空にはうすい雲が縞しまになっていっぱいに充みち、それはつめたい白光しろびかりを凍こおった地面じめんに降ふらせながら、しずかに東に流ながれていたのです。

 シグナレスはじっとその雲の行ゆく方えをながめました。それからやさしい腕木を思い切りそっちの方へ延のばしながら、ほんのかすかにひとりごとを言いいました。

「今朝けさは伯母おばさんたちもきっとこっちの方を見ていらっしゃるわ」

 シグナレスはいつまでもいつまでも、そっちに気をとられておりました。

カタン

 うしろの方のしずかな空で、いきなり音がしましたのでシグナレスは急いそいでそっちをふり向むきました。ずうっと積つまれた黒い枕木まくらぎの向こうに、あの立派りっぱな本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、今はるかの南から、かがやく白けむりをあげてやって来る列車れっしゃを迎むかえるために、その上の硬かたい腕うでを下げたところでした。

お早う今朝は暖あたたかですね」本線のシグナル柱は、キチンと兵隊へいたいのように立ちながら、いやにまじめくさってあいさつしました。

お早うございますシグナレスはふし目になって、声を落おとして答こたえました。

「若わかさま、いけません。これからあんものにやたらに声を、おかけなさらないようにねがいます」本線のシグナルに夜電気を送おくる太ふとい電信柱でんしんばしらがさももったいぶって申もうしました。

 本線のシグナルはきまり悪わるそうに、もじもじしてだまってしまいました。気の弱いシグナレスはまるでもう消きえてしまうか飛とんでしまうかしたいと思いました。けれどもどうにもしかたがありませんでしたから、やっぱりじっと立っていたのです。

 雲の縞しまは薄うすい琥珀こはくの板いたのようにうるみ、かすかなかすかな日光が降ふって来ましたので、本線シグナルつきの電信柱はうれしがって、向こうの野原のはらを行く小さな荷馬車にばしゃを見ながら低ひくい調子ちょうしはずれの歌をやりました。

「ゴゴン、ゴーゴー、

 うすいから

 酒さけが降ふりだす、

 酒の中から

 霜しもがながれる。

 ゴゴン、ゴーゴー、

 ゴゴン、ゴーゴー、

 霜がとければ、

 つちはまっくろ。

 馬はふんごみ

 人もぺちゃぺちゃ。

 ゴゴン、ゴーゴー」

 それからもっともっとつづけざまに、わけのわからないことを歌いました。

 その間に本線ほんせんのシグナル柱ばしらが、そっと西風にたのんでこう言いいました。

「どうか気にかけないでください。こいつはもうまるで野蛮やばんなんです。礼式れいしきも何も知らないのです。実際じっさい私はいつでも困こまってるんですよ」

 軽便鉄道けいべんてつどうのシグナレスは、まるでどぎまぎしてうつむきながら低ひくく、

「あら、そんなことございませんわ」と言いいましたがなにぶん風下かざしもでしたから本線ほんせんのシグナルまで聞こえませんでした。

「許ゆるしてくださるんですか。本当を言ったら、僕ぼくなんかあなたに怒おこられたら生きているかいもないんですからね」

あらあら、そんなこと」軽便鉄道の木でつくったシグナレスは、まるで困こまったというように肩かたをすぼめましたが、実じつはその少しうつむいた顔は、うれしさにぽっと白光しろびかりを出していました。

シグナレスさん、どうかまじめで聞いてください。僕あなたのためなら、次つぎの十時の汽車が来る時腕うでを下げないで、じっとがんばり通してでも見せますよ」わずかばかりヒュウヒュウ言いっていた風が、この時ぴたりとやみました。

「あら、そんな事こといけませんわ」

「もちろんいけないですよ。汽車が来る時、腕を下げないでがんばるなんて、そんなことあなたのためにも僕のためにもならないから僕はやりはしませんよ。けれどもそんなことでもしようと言いうんです。僕あなたくらい大事だいじなもの世界中かいじゅうないんです。どうか僕を愛あいしてください」

 シグナレスは、じっと下の方を見て黙だまって立っていました。本線シグナルつきのせいの低ひくい電信柱でんしんばしらは、まだでたらめの歌をやっています

「ゴゴンゴーゴー、

 やまのいわやで、

 熊くまが火をたき、

 あまりけむくて、

 ほらを逃にげ出す。ゴゴンゴー、

 田螺にしはのろのろ。

 うう、田螺はのろのろ。

 田螺のしゃっぽは、

 羅紗ラシャの上等じょうとう、ゴゴンゴーゴー」

 本線ほんせんのシグナルはせっかちでしたから、シグナレスの返事へんじのないのに、まるであわててしまいました。

シグナレスさん、あなたはお返事をしてくださらないんですか。ああ僕ぼくはもうまるでくらやみだ。目の前がまるでまっ黒な淵ふちのようだ。ああ雷かみなりが落おちて来て、一ぺんに僕のからだをくだけ。足もとから噴火ふんかが起おこって、僕を空の遠くにほうりなげろ。もうなにもかもみんなおしまいだ。雷が落ちて来て一ぺんに僕のからだを砕くだけ。足もと……」

「いや若様わかさま、雷が参まいりました節せつは手前てまえ一身いっしんにおんわざわいをちょうだいいたします。どうかご安心あんしんをねがいとう存ぞんじます

 シグナルつきの電信柱でんしんばしらが、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍やりをぴんと立てながら眼めをパチパチさせていました。

「えい。お前なんか何を言いうんだ。僕ぼくはそれどこじゃないんだ」

「それはまたどうしたことでござりまする。ちょっとやつがれまでお申もうし聞きけになりとう存ぞんじます

「いいよ、お前はだまっておいで」

 シグナルは高く叫さけびました。しかシグナルも、もうだまってしまいました。雲がだんだん薄うすくなって柔やわらかな陽ひが射さして参まいりました。

 五日の月が、西の山脈さんみゃくの上の黒い横雲よこぐもから、もう一ぺん顔を出して、山に沈しずむ前のほんのしばらくを、鈍にぶい鉛なまりのような光で、そこらをいっぱいにしました。冬がれの木や、つみ重かさねられた黒い枕木まくらぎはもちろんのこと、電信柱でんしんばしらまでみんな眠ねむってしまいました。遠くの遠くの風の音か水の音がごうと鳴るだけです。

「ああ、僕ぼくはもう生きてるかいもないんだ。汽車が来るたびに腕うでを下げたり、青い眼鏡めがねをかけたりいったいなんのためにこんなことをするんだ。もうなんにもおもしろくない。ああ死しのう。けれどもどうして死ぬ。やっぱり雷かみなり噴火ふんかだ」

 本線ほんせんのシグナルは、今夜も眠ねむられませんでした。非常ひじょうなはんもんでした。けれどもそれはシグナルばかりではありません。枕木の向こうに青白くしょんぼり立って、赤い火をかかげている軽便鉄道けいべんてつどうのシグナル、すなわちシグナレスとても全まったくそのとおりでした。

「ああ、シグナルさんもあんまりだわ、あたしが言いえないでお返事へんじもできないのを、すぐあんなに怒おこっておしまいになるなんて。あたしもう何もかもみんなおしまいだわ。おお神様かみさまシグナルさんに雷かみなりを落おとす時、いっしょに私にもお落としくださいませ」

 こう言いって、しきりに星空に祈いのっているのでした。ところがその声が、かすかにシグナルの耳にはいりました。シグナルはぎょっとしたように胸むねを張はって、しばらく考えていましたが、やがてガタガタふるえだしました。

 ふるえながら言いました。

シグナレスさん。あなたは何なにを祈っておられますか」

「あたし存ぞんじませんわ」シグナレスは声を落として答えました。

シグナレスさん、それはあんまりひどいお言葉ことばでしょう。僕ぼくはもう今すぐでもお雷らいさんにつぶされて、または噴火ふんかを足もとから引っぱり出して、またはいさぎよく風に倒たおされて、またはノア洪水こうずいをひっかぶって、死しんでしまおうと言うんですよ。それだのに、あなたはちっとも同情どうじょうしてくださらないんですか」

「あら、その噴火洪水こうずいを。あたしのお祈りはそれよ」シグナレスは思い切って言いました。シグナルはもううれしくて、うれしくて、なおさらガタガタガタガタふるえました。

 その赤い眼鏡めがねもゆれたのです。

シグナレスさん、なぜあなたは死ななけぁならないんですか。ね。僕ぼくへお話しください。ね。僕へお話しください。きっと、僕はそのいけないやつを追おっぱらってしまますから、いったいどうしたんですね」

だってあなたあんなにお怒おこりなさるんですもの

「ふふん。ああ、そのことですか。ふん。いいえ。そのことならばご心配しんぱいありません。大丈夫だいじょうぶです。僕ちっとも怒ってなんかいしませんからね。僕、もうあなたのためなら、眼鏡めがねをみんな取とられて、腕うでをみんなひっぱなされて、それから沼ぬまの底そこへたたき込こまれたって、あなたをうらみはしませんよ」

「あら、ほんとう。うれしいわ」

「だから僕を愛あいしてください。さあ僕を愛するって言いってください」

 五日のお月さまは、この時雲と山の端はとのちょうどまん中にいました。シグナルはもうまるで顔色を変かえて灰色はいいろの幽霊ゆうれいみたいになって言いました。

「またあなたはだまってしまったんですね。やっぱり僕がきらいなんでしょう。もういいや、どうせ僕なんか噴火ふんかか洪水こうずいかかにやられるにきまってるんだ」

「あら、ちがいますわ」

「そんならどうですどうです、どうです」

「あたし、もう大昔おおむかしかあなたのことばかり考えていましたわ」

「本当ですか、本当ですか、本当ですか」

「ええ」

「そんならいいでしょう。結婚けっこんの約束くそくをしてください」

「でも」

「でもなんですか、僕ぼくたちは春になったらつばめにたのんで、みんなにも知らせて結婚けっこんの式しきをあげましょう。どうか約束くそくしてください」

だってあたしはこんなつまらないんですわ」

「わかってますよ。僕にはそのつまらないところが尊とうといんです」

 すると、さあ、シグナレスはあらんかぎりの勇気ゆうきを出して言いい出しました。

「でもあなたは金でできてるでしょう。新式でしょう。赤青眼鏡あかあおめがねを二組みも持もっていらっしゃるわ、夜も電燈でんとうでしょう。あたしは夜だってランプですわ、眼鏡もただ一つきり、それに木ですわ」

「わかってますよ。だから僕はすきなんです」

「あら、ほんとう。うれしいわ。あたしお約束くそくするわ」

「え、ありがとう、うれしいなあ、僕もお約束しますよ。あなたはきっと、私の未来みらいの妻つまだ」

「ええ、そうよ、あたし決けっして変かわらないわ」

結婚指環エンゲージリングをあげますよ、そら、ね、あすこの四つならんだ青い星ね」

「ええ」

「あのいちばん下の脚あしもとに小さな環わが見えるでしょう、環状星雲フィッシュマウスネビュラですよ。あの光の環ね、あれを受うけ取とってください。僕のまごころです」

「ええ。ありがとういただきますわ」

「ワッハッハ。大笑おおわらいだ。うまくやってやがるぜ」

 突然とつぜん向むこうのまっ黒な倉庫そうこが、空にもはばかるような声でどなりました。二人はまるでしんとなってしまいました。

 ところが倉庫がまた言いいました。

「いや心配しんぱいしなさんな。この事ことは決けっしてほかへはもらしませんぞ。わしがしっかりのみ込こみました」

 その時です、お月さまがカブンと山へおはいりになって、あたりがポカッと、うすぐらくなったのは。

 今は風があんまり強いので電信柱でんしんばしらどもは、本線ほんせんの方も、軽便鉄道けいべんてつどうの方もまるで気が気でなく、ぐうん ぐうん ひゅうひゅう と独楽こまのようにうなっておりました。それでも空はまっ青さおに晴れていました。

 本線シグナルつきの太ふとっちょの電信柱も、もうでたらめの歌をやるどころの話ではありません。できるだけからだをちぢめて眼めを細ほそくして、ひとなみに、ブウウ、ブウウとうなってごまかしておりました。

 シグナレスはこの時、東のぐらぐらするくらい強い青びかりの中を、びっこをひくようにして走って行く雲を見ておりましたが、それからチラッとシグナルの方を見ました。シグナルは、今日巡査じゅんさのようにしゃんと立っていましたが、風が強くて太っちょの電柱でんちゅうに聞こえないのをいいことにして、シグナレスに話しかけました。

「どうもひどい風ですね。あなた頭がほてって痛いたみはしませんか。どうも僕ぼくは少しくらくらしますね。いろいろお話しまからあなたただ頭をふってうなずいてだけいてください。どうせお返事へんじをしたって僕ぼくのところへ届とどきはしませんからそれから僕の話でおもしろくないことがあったら横よこの方に頭を振ふってください。これは、本当は、ヨーロッパの方のやり方なんですよ。向むこうでは、僕たちのように仲なかのいいものがほかの人に知れないようにお話をする時は、みんなこうするんですよ。僕それを向こうの雑誌ざっしで見たんです。ね、あの倉庫そうこのやつめ、おかしなやつですね、いきなり僕たちの話してるところへ口を出して、引き受うけたのなんのって言いうんですものあいつはずいぶん太ふとってますね、今日も眼めをパチパチやらかしますよ、僕のあなたに物を言ってるのはわかっていても、何を言ってるのか風でいっこう聞こえないんですよ、けれども全体ぜんたい、あなたに聞こえてるんですか、聞こえてるなら頭を振ってください、ええそう、聞こえるでしょうね。僕たち早く結婚けっこんしたいもんですね、早く春になれぁいいんですね、僕のところのぶっきりこに少しも知らせないでおきましょう。そしておいて、いきなり、ウヘン! ああ風でのどがぜいぜいする。ああひどい。ちょっとお話をやめますよ。僕のどが痛いたくなったんです。わかりましたか、じゃちょっとさようなら

 それからシグナルは、ううううと言いながら眼をぱちぱちさせて、しばらくの間だまっていました。

 シグナレスもおとなしく、シグナルののどのなおるのを待まっていました。電信柱でんしんばしらどもはブンブンゴンゴンと鳴り、風はひゅうひゅうとやりました。

 シグナルはつばをのみこんだり、ええ、ええとせきばらいをしたりしていましたが、やっとのどの痛いたいのがなおったらしく、もう一ぺんシグナレスに話しかけました。けれどもこの時は、風がまるで熊くまのように吼ほえ、まわりの電信柱でんしんばしらどもは、山いっぱいの蜂はちの巣すをいっぺんにこわしでもしたように、ぐゎんぐゎんとうなっていましたので、せっかくのその声も、半分ばかりしかシグナレスに届とどきませんでした。

「ね、僕ぼくはもうあなたのためなら、次つぎの汽車の来る時、がんばって腕うでを下げないことでも、なんでもするんですからね、わかったでしょう。あなたもそのくらいの決心けっしんはあるでしょうね。あなたはほんとうに美うつくしいんです、ね、世界かいの中うちにだっておれたちの仲間なかまはいくらもあるんでしょう。その半分はまあ女の人でしょうがねえ、その中であなたはいちばん美しいんです。もっともほかの女の人僕よく知らないんですけれどね、きっとそうだと思うんですよ、どうです聞こえますか。僕たちのまわりにいるやつはみんなばかですね、のろまですね、僕のとこのぶっきりこが僕が何をあなたに言ってるのかと思って、そらごらんなさい、一生けん命めい、目をパチパチやってますよ、こいつときたら全まったくチョークよりも形がわるいんですからね、そら、こんどはあんなに口を曲まげていますよ。あきれたばかですねえ、僕の話聞こえますか、僕の……」

「若わかさま、さっきから何をべちゃべちゃ言いっていらっしゃるのです。しかシグナレス風情ふぜいと、いったい何をにやけていらっしゃるんです」

 いきなり本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらが、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方とほうもない声でどなったもんですからシグナルはもちろんシグナレスも、まっ青さおになってぴたっとこっちへ曲げていたからだを、まっすぐに直なおしました。

「若わかさま、さあおっしゃい。役目やくめとして承うけたまわらなければなりません」

 シグナルは、やっと元気を取り直なおしました。そしてどうせ風のために何を言いっても同じことなのをいいことにして、

「ばか、僕ぼくはシグナレスさんと結婚けっこんして幸福こうふくになって、それからお前にチョークのお嫁よめさんをくれてやるよ」と、こうまじめな顔で言ったのでした。その声は風下かざしものシグナレスにはすぐ聞こえましたので、シグナレスはこわいながら思わず笑わらってしまいました。さあそれを見た本線ほんせんシグナルつきの電信柱の怒おこりようと言ったらありません。さっそくブルブルッとふるえあがり、青白く逆上のぼせてしまい唇くちびるをきっとかみながらすぐひどく手をまわして、すなわち一ぺん東京まで手をまわして風下かざしもにいる軽便鉄道けいべんてつどうの電信柱に、シグナルとシグナレス対話たいわがいったいなんだったか、今シグナレスが笑ったことは、どんなことだったかたずねてやりました。

 ああ、シグナルは一生の失策しっさくをしたのでした。シグナレスよりも少し風下にすてきに耳のいい長い長い電信柱がいて、知らん顔をしてすまして空の方を見ながらさっきからの話をみんな聞いていたのです。そこでさっそく、それを東京を経へて本線シグナルつきの電信柱に返事へんじをしてやりました。本線ほんせんシグナルつきの電信柱でんしんばしらはキリキリ歯はがみをしながら聞いていましたが、すっかり聞いてしまうと、さあ、まるでばかのようになってどなりました。

くそっ、えいっ。いまいましい。あんまりだ。犬畜生いぬちくしょうあんまりだ。犬畜生、ええ、若わかさま、わたしだって男ですぜ。こんなにひどくばかにされてだまっているとお考えですか。結婚けっこんだなんてやれるならやってごらんなさい。電信柱の仲間なかまはもうみんな反対はんたいです。シグナル柱の人たちだって鉄道長てつどうちょうの命令めいれいにそむけるもんですか。そして鉄道長はわたし叔父おじですぜ。結婚なりなんなりやってごらんなさい。えい、犬畜生いぬちくしょうめ、えい」

 本線シグナルつきの電信柱は、すぐ四方電報でんぽうをかけました。それからしばらく顔色を変かえて、みんなの返事へんじをきいていました。確たしかにみんなから反対はんたいの約束くそくをもらったらしいのでした。それからきっと叔父のその鉄道長とかにもうまく頼たのんだにちがいありません。シグナルもシグナレスも、あまりのことに今さらカンとしてあきれていました。本線シグナルつきの電信柱は、すっかり反対の準備じゅんびができると、こんどは急きゅうに泣なき声で言いいました。

「あああ、八年の間、夜ひる寝ねないでめんどうを見てやってそのお礼れいがこれか。ああ情なさけない、もう世の中はみだれてしまった。ああもうおしまいだ。なさけない、メリケン国のエジソンさまもこのあさましい世界かいをお見すてなされたか。オンオンオンオン、ゴゴンゴーゴーゴゴンゴー」

 風はますます吹ふきつのり、西の空が変へんに白くぼんやりなって、どうもあやしいと思っているうちに、チラチラチラチラとうとう雪がやって参まいりました。

 シグナルは力を落おとして青白く立ち、そっとよこ眼めでやさしいシグナレスの方を見ました。シグナレスはしくしく泣なきながら、ちょうどやって来る二時の汽車を迎むかえるためにしょんぼりと腕うでをさげ、そのいじらしいなで肩がたはかすかにかすかにふるえておりました。空では風がフイウ、涙なみだを知らない電信柱どもはゴゴンゴーゴーゴゴンゴーゴー。

 さあ今度こんどは夜ですよ。Permalink | 記事への反応(0) | 22:29

2021-03-19

ADHDひとりごと

ちょっとだけフェイクを入れてます衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。

何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。

ADHD特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身ADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそもこちから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である内密な話を勝手に打ち明けた担任担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。

我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に

父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。

自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。

これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。

どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。

ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身ADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないかダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。

ADHDというのは脳の障害一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害であるドラえもんにおけるジャイアンのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。

ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。

「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。

「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。

から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活クタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。

それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。

「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。

父は「その経験大人になれば必要スキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。

学校宿題を終わらせても、自分時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強強要された。

この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明たかった。

虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれ自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽まりなかった。

「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。

しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。

思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。

少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。

母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。

そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。

父と母はよく喧嘩していた。

変な始まりから喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。

見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。

母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。

私は子供喧嘩責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。

父は「お前の教育(しつけ)がなってないか子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。

しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ

おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。

そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。

母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。

正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたか20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。

母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。

父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。

おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。

暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。

他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。

「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。

私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。

今なお人生目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってから迷惑をかけっぱなしで自分能力の低さに愕然とした。

からはいつも努力過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。

しろ店長から憐れみ嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。

いつしか私に対して店長は呆れ、何も言わなくなった。

いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るもの勝手に出るし、出ないもの努力しても全く出ない。

私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。

「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。

馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。

ひたすら耐えるだけの人生だった。

こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。

もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてもも頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。

どうせ何やっても失敗するというのに。

2021-03-09

死んだ飼い猫との思い出

時々ふと思い出す、数年前に死んだ愛猫のこと。思い出すたびに胸の底が冷たくなる。

先に書いておくが、飼い主としてとかではない。私は猫は好きだけど飼い猫にイマイチ愛情を持てなくて、他の家族が可愛がっているのを遠目に見ているくらいだ。

数年前に死んだ猫は私が小学低学年の頃に母が知り合いからもらってきた猫で、大柄で毛が長くて臆病な子だった。

先住猫が既に1匹いたが、結局最後まで仲良くはなれなかった。

若いから晩年まであんまり活発的に動くこともなく"ネコ"の名に相応しいくらい寝てばっかりだったし、そのくせ食い意地だけは張っていて、人が何かを食べていると結構確率で起きてくる。あと人馴れもしなかったんだけど、亡くなる少し前には何故かとても人懐こい猫になっていた。

私は飼い猫が嫌いってわけではなったけど、他の家族が飼い猫のことをずっと可愛がっていたから、ほっといても誰かがやってくれるし世話もしなくて良いや〜っと思っていた。事実、母が頻繁に餌をやっていたし、父は凄く凄く溺愛していた(+トイレ掃除)し、妹は散歩に連れて行ってあげていたので、私の出番は殆ど無い。別にやりたいというわけでもないので、特に何も気にすることはなかった。

飼い猫が亡くなる数ヶ月前、家族で行った買い物先から帰ったところ、キッチンの床に血が付いていた。みんなビックリして何の血かと探したら、飼い猫の口周りに血が付いていた。痛そうにしてるとか怪我してるとかもなくて、本当にいつも通り座っていたものから「鳥とか生肉とかでも食べた?」と考えたりもした。

次の日に大事な親戚の集まりがあって、どうしても欠席は出来なかった。まー普通にしてるし、大丈夫でしょ。みたいな雰囲気になったけど、私は心配で仕方なかったので、飼い猫を壊れかけのキャリーケースに詰めて、検索して出てきた遠くの夜間病院まで行った。

もう終電間際だったから途中で電車が無くなったので、深夜の住宅街をひたすらに歩いてやっと着いた病院。結果は何にも無かったんだけど、何かあったらいけないからということで獣医さんが紹介状を書いてくれた。

それから紆余曲折あって、数ヶ月後に突然死してしまった。今回の話とは関係ないので端折るけど、良い死に方はしなかった。厳密に言えば母のせいではないんだけれど、母が発端となり亡くなってしまったので、母は一時期とても落ち込んだ。

で、初めて飼い猫が死んだので知らなかったんだけど、火葬用の車が家の近くまで来てくれて、一応葬儀らしきものをしてくれるらしい。私は暇だったから参加することにした。父と妹はどうするんだろ?と思っていたところ、二人は「欠席する」との事だった。

???父は元々冷血漢だから別にだけど、妹はイベントか何かがあって行かれないとかで???ん??あんなに可愛がってたのに????世の中にはペットが死んだ場合有給申請が認められてるらしいが、我が家では誰も取る人がいなかった。この記憶が、私の中の心がヒヤッとする思い出の一つである

葬式は、母が終始大号泣葬式を取り仕切ってた人(?)もつられて大号泣、安っぽい小サイズスピーカーから流れる安っぽい音のG線上のアリア。私はこういう"ほら、泣けよ"という演出(捻くれててすまない)が昔から苦手で、気持ちが冷めて二人の雰囲気にどんどん置いてかれて居心地が最高に悪かったことを覚えてる。あと当たり前なんだけど、死後硬直した猫って人形みたいな感じで、死体がすごい苦手なので触らなかった。生前は触れてたのに。

大体1時間くらい近所で骨を焼いて、戻ってきた。母はまた泣いてたけど、私は何も感じなかった。死んだと聞いた時も、葬式の間も、骨になって帰ってきた時も、今もずっと。

何も無いというか、10年以上居た飼い猫が死んだことよりも、その周りのことの方がよっぽど感情を揺さぶられるというのが近い。

あんなに可愛がってたと思っていたのに、飼い猫の死をきっかけに"みんな実は言うほど可愛がっているわけじゃ無いのでは?"と考えるようになった。いや、勿論、世話をたまにしかしない私より、世話をしてるみんなの方が愛情はずっと深いと思う。

でもたまに、あの葬式前夜のモヤモヤ感や、夜間病院の道のりを思い出しては、何とも言えない感情が湧き上がる。

葬式の当日、父は様子を尋ねることもなかった。妹は聞いてきたけど、上記の通り私は完全に気持ちが離れていたので、母のことを中心に伝えた。それ以上のことは聞かれなかった。

夜間病院の時、冬間近で小雨も降っていて、寒くて心細かったけど、今考えてみれば飼い猫との唯一の思い出だ。壊れかけのキャリーケースの中でたまに細く鳴く猫の声を頼りに歩いた暗い道を、今でも覚えている。ちょっとスタンドバイミーみたいだとも思う。

もし飼い猫に何かあった時、真っ先に立ち上がるのは自分じゃなくて誰かなんだろうなーと自覚してたし、他の家族にも「アンタは飼い猫に興味ないよね」言われた。きっとあの日までは事実だった。愛情って何だろうね。私が何かあった時、家族に同じ対応されたら、そして手遅れになってしまったらどうだろう?と時々考える。

因みにここまで書くと母が一番猫のことを思っているように見えるけど、多分母が中でも特にヤバい。私よりヤバい。詳しくは書けないけど、猫の対応見てると「あ、この人はやっぱり毒親なんだな」と再確認させられる。

2021-02-20

anond:20210220003923

女性には約束された勝利への赤絨毯の道のりを用意しないといけないんですよ。

2021-02-06

「正しさ」にこだわり続けるのは止めた方が良いと思う。

世の中を良くしたい、平和に過ごしたい、平等社会であってほしい……

常日頃から起こる問題を目の前に自分達の理想を実現すべく色々な人達が日々活動している。

特に社会問題解決という大きな問題に取り組む人々も少なくなく、様々な人が沢山の問題を取り上げ、理想を叶えるべく動いている姿も多々見かける。

しかし、そんな姿ですら、そんな理想ですら、近年は妙に歪に感じてしまう。

何故なのだろう?

各々の想う理想こそが「正義」であり、その理想どおりの形が「正しさ」であり、それを実現するために「正義」と「正しさ」が原動力となって動いていて、それでもって「正義」と「正しさ」の規範から外れたものを淘汰し、正す行為が目立つからそう感じるのだろうか?

多分そうかもしれないと強く思う。

各々にとって「理想」とは意識的にも無意識的にも「正しい」こととしてインプットされており、その「正しさ」で「正す」ことが「正義」となっているのかも。

から理想」の通りにならない状況に『正義が怒りを呼んでいる』のかもしれない。

理想どおりにいかない、そうならない人が世の中には多すぎるから、故にその人らを「間違った存在」として淘汰して、定められた「正しさ」で正すのが「正義」であって、それで「理想」を実現させようとしているのかなとも。

──でもそれは正直言って危険だと思う。

おそらく「人を(或いは人の思想を)正しい方向に正せばまともな人間になってまともな世の中になる」的な認識原動力となっているのだと思うがちょっと待て。

その「正しさ」は、自分自身にある「正しいと信じているもの」は 、自分達の理想が叶った姿である「結果」に結び付く行為かどうかを考えなければいけないのではないか

理想正義を持つことは決して間違いではない。間違いではないのだけど問題理想を叶えるためにどのような手段を使っているかだと思う。

人を「理想通りにするための正しさ」で統制したって「理想通りにするための正しさ」で「理想どおりの姿が描かれているか」に疑問を持つ人間は必ず現れる。

理想を叶えるために「正しいこと」が絶対視されるとしたらその疑問を解消する猶予も無くなれば、視点を変えることで更なる解決に繋がるであろう意見封殺されることになってしまう。

それどころか「正しいこと」と違う考え、意見等を「間違い」として淘汰する人間も必ず現れてしまう。

結果的に争いの火種を大きくしてしまうことになりかねないのも想像し難く無い。

要するにたった1つの視点である「正しさ」にこだわり「正しいこと」で統制しても『理想どおりの形にはならない』のではないかと、私は考えている。

1つの事柄でも沢山の視点で見る必要があり、解決の為に必要なことを丁寧に分割した上で纏めて手段と手順を組んでいく。

そして『目指すべき結果』にたどりつく為には様々な人の考えとアイデア意見から多岐にわたる多彩なプロセスを組んでいき個人の現状、境遇課題個性等を把握して柔軟に対応できるようにノウハウ及び目的の達成、問題解決の為のフローチャートを構築していくことが必要だと思う。

その為にも沢山の人の沢山の視点による沢山の意見必要であり、個々で考える必要もあれば人の力を借りることも必要になってくる。

たった1つの視点だけで問題解決と言う「結果」に結び付けることはまず不可能に等しい。

多種多様視点から見て、多彩なプロセスを組んでいけば、それらの視点を潰す必要も無く必ず問題解決と言う「結果」に結び付けることができるのでは無いだろうか?

もちろん、これは決して容易ではなく、視点によっては懸念点、別の問題点も中には存在する。そんな不安は当然ある。

もし、懸念点、別の問題点があるとしたら、更に深く、細かく情報手段を見据えていき、「懸念の原因」を解決させマイナスな結果に行き着かせる必要が無い手段方法等を見出していき、懸念点も払拭できる道筋を組むこともできる。

しかしたら誤りかけたとしても修復の効く内に修復できる道筋も作ることができるかも知れない。

同じことを繰り返し申し上げると決して容易ではないことであることは重々承知である

だが、本気で問題解決したいと、ましてや平等社会の実現と言った大きな理想社会問題と言った大きな問題に至っては「正しいこと」で正すと言うような短絡的な手段では決して解決できるような問題では無いことだけはハッキリと言えてしまう。

そんな簡単問題では無いからこそ、問題の「原因」を見つけて、プロセスステップを細分化パターンごとに分岐して多彩な状況に柔軟に対応できる形作りを行うことで道のりは険しくとも最終的には問題解決と言う「結果」に結びつき、各々が望む「理想」を形作ることができる。

からこそ「正しいこと」にこだわる必要は無い。「正しくない」からと言って一方的に全てを否定する必要も無い。

「望む結果にたどり着く為の手段を、ステップを多彩に作っていく」べきであると、そして望むスタンスを、望む道のりを個性否定等せずとも「懸念点も問題点も解決できる方法存在する」し「過ちを犯さずに済む道も必ず存在する」。また「取り返しがつく内にリカバリーを効かせれる手段」も考えていく必要もあるだろう。

視点を変えれば如何なるパターン問題解決に繋げれる方法形成することができるし、理想を叶える結果にも繋げることができるはずだ。少なくともそうだと私は信じている。

私も理想を叶えるべく、それに繋げるための道筋模索し、ノウハウを構築していく1人となり、様々なことを考え何をすべきかを見極め、行動しなければならない。

──その道は険しいが、それでもやるしかないのだ。

2021-01-20

不妊治療終わったら、私は鶯谷園に行く

そろそろ終わろうとしている。

足掛け4年、治療期間でいうと3年間。掛けた金額年収2年分。

不妊治療だ。

肝心の原因は省くが、私たち夫婦はクリニックに行ったら「自然妊娠は限りなく難しく、さまざまなレベル治療のうち、一番最後の一手『顕微授精』しか取れる手はありません」と言われた。

「顕微授精」とは、卵子を体内から取り出して、精子を1匹、針で注入して受精させる方法だ。まさしく試験管ベイビー。手術も伴い、1回1回の治療が高額なのが特徴だ。

医師説明素人計算によると、自然妊娠可能性は・・・

0.00002%~0.00007%くらいだ。

数学が苦手な私でもわかる。

これは天文学的数字だ。

ハッキリ言って、その事実だけで十分に打ちひしがれる。

私たちも打ちひしがれた。

でも、打ちひしがれてばかりでも年を取るばかり。今が、人生のうちで一番若い

私たちも、そして私たち卵子精子も、どんどん年を取る。治療に取り掛かるなら早い方がいいのだ。

いくつかの不妊専門クリニックを訪ね、とあるクリニックで早速、顕微授精のための治療を始めた。

流れは主に以下。

月経が来たら、受診治療計画を立てる。この時、ホルモン補充のための服薬や注射スケジュールも組む。女性ホルモンあの手この手ガンガン入れて、本来1か月に1個しか取れない卵子大量生産する。

②クリニックの方針によって、その都度予約しての院内注射自己注射を選ぶ。(高くても自己注の方が、圧倒的な気楽さが私はあった)

③再び指定の日に受診し、卵子を包む袋が増えているか、大きさなども測り、採卵手術の日を決める。予定通りの大きさ等になってない場合は、ここで何回か受診をして様子観察を繰り返す。(これが仕事のある身には辛い。そんなカンタンに予定を開けることなどできないのだ。)

④採卵手術の日が決まったら、指定時間病院に行き、手術を待つ。麻酔は使うクリニックと使わないクリニックがある。使い方さまざま。針を打つ箇所にに限定的に使うところもあるし、希望により静脈麻酔を使うところもある。

(手術自体10分程度だから、あまり強い麻酔を使って麻酔が覚めるまで院内で休憩しても、お互いあまりいいことがないのだ。)

毎回50万近く払って、私が得たもの

それは、ホルモン補充によるひどい副作用

孫悟空の頭のわっかを締め付けられるようなひどい頭痛吐き気。脂汗。気持ち悪さ。

布団から起き上がれない。仕事に支障が出る。

ただでさえ、当時はフルタイム勤務と土日の家業の手伝いで疲れがたまっていた。

そこに、追い打ちをかけて不妊治療

夫も夫で、こんなに副作用がひどいとは露ほどにも思わず、「土日は休ませてくれ」とお願いする私をずいぶん怠け者扱いした。

今は時が進み、治療期間の私を放っておいた方がいいと理解している。

また、ホルモン補充の注射自己注射に切り替わったので、夫が見てる前で注射儀式

注射の針を見せては、「これをお前にぶっ刺す!そしたら、具合悪くなって私みたいに布団から離れられなくなるんだからな!笑」と脅している。

ちょっとかわいそうだけど、仕方がない。

採卵手術は採卵手術で、手術中の気絶を経験

採卵手術では、ながーい針をあそこにぶっ刺して、子宮から卵巣まで貫通させる。で、針をぐりぐり動かして、卵子を吸い取る。人によって痛みの差があるらしいが、私は最初の手術で意識を失った。

採卵後には。ホルモン補充により卵巣が膨れ上がり、1週間絶対安静。1日3回ウエストを測り、腹水がたまらいか確認する。尿の出が悪くなったり腹囲が大きくなったら、即連絡。

注意書きが山ほど書かれた紙を持たされて、疲労困憊で帰宅する。

この症状は「OHSS(卵巣過剰刺激症候群)」といい、ホルモン補充療法の一番の副作用だ。

悪化すると、血液が濃くなり電解質の異常が起こったり血栓症を引き起こすこともある。

何十万もお金払って、そんなことになるなんて・・・

私は安静だけで、事なきを得たが、本当に色んな事が辛すぎる。

以上の症状は毎回ではなかったが、私を打ちひしがせるのに十分だった。

もはやフルタイム仕事を続けるのが無理だと思われた。

実際、無理だった。たびたび仕事に穴をあけ、仲間のフォローを受けながらも、フラフラだった。

でも、不思議なことに治療の回によっては、全然大丈夫なこともある。

から、元気な時は体調もいつもどおり。

「次もこのくらい大丈夫だといいな」と思うし、でもひどい時は目が当てられないくらい体調が悪くなるので、自分でも自分の体調が読めない。

すべての治療を事細かに周囲に説明するのも気が引けた。

説明すればするほど、自分の状況が克明になるし、人に言われるまでもなく「この治療を続けても、授かれるのか?」という難問にぶちあたる。

この問題真剣に向き合う気にはなれなかった。今もなれない。

距離に住む義両親に打ち明けたのは、今からほんの数か月前だ。毎週のように会っているけど、絶対言いたくなかった。

ガッカリさせるのも嫌だし、気を使われるのも嫌だ、不妊の原因を話すのも嫌だ、今月は治療だというのも嫌だ、詳しい治療の結果を話すのも嫌だ、全部が嫌だった。

それでも、打ち明けたのは「もう治療を終わらせよう」と思ったからだ。

0%と0.00002%~0.00007%の間には、毎回体調を奪われるような副作用と数十万円のお支払いが待っている。

考えれば考えるほどバカのようだし、実際バカにならないと、こんなこと続けられない。

そして、バカなりに色々考えながら、3年間治療に取り組んできた。

ドクター相談しながら、治療の順番を変えたり、今できる最善を尽くしてきた。

0%と0.00002%~0.00007%の間には特に何もないようにも思われたし、

今吸っている空気から二酸化炭素だけを素手で取り出すのと同じくらい、困難があるようにも思われた。

そして、今この文章を書いている。

この3年間、不妊治療について何か書こうなんて夢にも思わなかった。

でも、「書こう」と思ったのは「治療を一旦卒業する」ことを決めて、振り返ってみると、

「あぁ、なんだ。私ってすごい頑張ってきたなぁ」と思えたからだ。

私はこの3年間ものすごい困難と向き合い、あるのかないのか分からない0%と0.00002%~0.00007%の間を、行ったり来たりしながら、歩いてきた。

治療の結果は最初から最後まで奮わなかった。

私たちは、治療の度に1つか2つの受精卵を冷凍しながら、ここまで来た。

液体窒素冷凍された卵たちに、特に何の思い入れもないが、得られた結果といえば、

このいくつかの受精卵。

これを身体に戻せば妊娠できるのか?

ハッキリ言って「神様すら知らない」領域だ。

何回か体内に移植はしているが、結果がいつだって(ー)だ。

そして、妊娠したとして、それは継続するのか?

私の親族には、「妊娠悪阻」で長期入院歴を持つ者と、「子宮妊娠」を繰り返した者がいる。

私もそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、なんだか確率は高そうだ。

こういう分かりきった結果をや推論、不安を重ねながらも、1回1回の治療を着実に積み上げてきた。

そんな中で、言った本人は心配しているつもり。だけど、心をえぐられるような言葉にも出会った。

「顕微授精は止めた方がいいよ。身体ボロボロになるよ。」

ありがとう、うっせー死ね。もう既にホルモン補充で独特の太り方をしているよ。

妊娠したくて治療を頑張っているかも知れないけど、産んでからの方が大変だからね。」

ありがとう、うっせー死ねあんたんとこも不妊治療たからって、土足で踏み込んでくるな、ばーか

気持ちだけ受け取って、言葉ゴミ箱に捨てる。

しろ宇宙に放り投げる。二度と地球に帰ってこないように、大気圏燃え尽きて死ね

こういう黒い気持ちになることもある。

いつも気持ちベクトル自分になってしまう。

一人で打ちひしがれて、誰にも当たれない。相手も悪気0%だ。

無茶を承知治療継続しているから、涙が出てくることもある。

それが辛い3年間でもあった。

そろそろ最後の採卵手術を迎える。

このあと移植が控えているけれど、特に期待はしていない。

この3年間で得たもの

それは、副作用、期待薄な結果、それでも向き合い続けながら、生活構成する全てに中途半端になりながら生きてきた証。

こんなことを言うのは大げさだけど、今までやりたいことは努力ほとんど叶えてきた。

行きたかった高校大学海外留学、取りたかった資格、それを活かした仕事に就いてきたこと。

でも、この不妊治療ばっかりは、体調・仕事・休養・家業金銭などなど生活の根幹をなすことがら全てが思うようには進まず、身体メンタルボロボロになった。

倒せないものがあること。

努力が何の成果にも結びつかないこと。

それでも、それに向かって進んでいくこと。

そういう今までにない道のりを味あわせてもらった。

別にありがとうを言うつもりは毛頭ないが、この3年間はそれを味わい尽くした期間だった。

また今日も、ホルモン注射を打つ。

私は、注射より焼肉に行きたい。

同じホルモンなら、注射より食べる方が断然いい。

カルビハラミホルモンシマ・・・思い浮かべるだけで美味しそうだ。

さあ!全部終わったら、5年ぶりに鶯谷園行くぞ。

(断っておくが、鶯谷には鶯谷園だけのためにしか行ったことがない。)

そう決意すると、

あぁ、よだれが出てくる。

2021-01-19

音ゲーに対するセガ姿勢は正解

シリーズ物メジャーバージョンアップでは当たり前になった旧曲の削除。

今回は特にKONAMI曲の一斉削除があり、両者の関係性がどうのだの、パクリ疑惑(疑惑っていうかパクリだわな。これについてはもう少し後述記載したい)で怒られただので半ば一方的セガ悪者にされてる風潮があったので、視点を変えて反論したい。

・金にならんなら要らん。だから消す。

これはKONAMI曲以外にも当てはまりますね。流行りの曲を収録してコラボイベントとかやって限定アバターなりを貰う事により売り上げが伸びてユーザー優越感も感じたりする。

流行ものなんだから当然流行りが過ぎればよっぽどの好き物でも無い限りは飽きてプレイ回数も減り、別の流行り、新曲をやり始める。

これは当たり前であり、そうでなきゃバージョンアップする必要性が無くなる。

なのでKONAMIとの関係性の良し悪し以前に

あのエレクリが移植!すげーw

とか

エヴァンスも入れるのかよwバカじゃないのww

で盛り上がる話題性が昔ほど無くなったのである。飽きたとも言える。

移植によるインパクトが無くなり、ただただ他社移植による契約手続きなり契約更新料なりで金ばかりかかってインカム増えないんなら、契約切って削除するよね。金にならんのだから

パクリだろうがなんだろうが初期費用が安くて金になるなら使う。要らなくなったら捨てる。

んで、こっから最初に書いたパクリ疑惑曲の話題ね。

これも話題性という意味では手段として多いに有り。

ホントだwまんまパクリじゃんwダメだよこれw

怒られるぞwいい加減にしろw

こう反応させてあーだこーだ言って広めた時点でセガの勝ち。なんにもしなくてもユーザー宣伝してくれてるんだから

これでどんなもんなんだ、どんだけ似てるんだよでインカム増えれば良し。やり過ぎだなんだで炎上するようなら削除すれば良し。

自体BMSというグレーすぎるグレーな界隈から持ってきたもんだし、アマチュアないしプロ手前の作曲者が作ったもの契約料もプロに頼むよりは安いと思う。

自社で作る手間が省け、安くあがって話題になってインカム増えれば良し。ダメで叩かれて炎上して、巡り巡ってやっぱりBMS曲はアカン。グレーな界隈だったけどこれをきっかけにKONAMIが本腰入れてBMSに対する扱い方を変える(最終的にはBMSを潰す)となったとしても、その費用時間手続きで苦労するのはKONAMIなのだ

セガは金になりそうな物と手段を使ってみただけ。

・じゃあBMS無くなったら溢れたコンポーザーはどうすんの?セガ恩恵受けてたじゃん。

BMSが無くなるとなるとまあ行き着くところはここになりますね。某Bから始まるイベントとかの優秀者もここからスタートしてプロになったりしてますからね。

建前上ではイベントプロになる為の足掛かりではありませんとか将来的に企業製品に収録されるのが目的ではありませんとか綺麗事書いてますが、本音の部分では曲なりMVなり作る人にはプロになりたい、これでメシを食えるようになりたいと考えて動いている方が少なからずいるはず。

なんでそう思うって近年のBMSイベントがただのプロデビュー予選会になってるから

BMS、それを取り巻く環境が好きだから曲を作ってて、結果的プロになった。そういう素晴らしい道のりを辿った方もいるでしょう。

それとは逆に、プロになりたい、曲を作りたい、だから宣伝手段としてBMSイベントを使う。曲の話題性企業の目に止まりオファーが来たら目的達成。

汚いやり方とか不真面目だとか言われるかもしれませんが、これも一つの手段です。なりふり構わずに使えるもん使って勝てれば良いんです。

からなりふり構わない人はたとえBMSが無くなったとしてもすぐ様別の手段で売り込みを始めるだろう。各種配信手段しかり、元々企業が用意している公募フォームを使うなり。

結局は金になる事、金を稼ぐ事が企業プロに求められる。一つのやり方に固執する事なく、なんでもやり、汚かろうがなんだろうが使えるもんは使って金にし、失敗したとしても被害は最小限に抑える。

セガ過去話題性となり無駄になった他社曲とその費用を削り、少ない費用と新たな話題性に力を使って金稼ぎを試みた。

失敗するかもしれないが、最終的に最も労力を費やすのはライバル社だ。セガはその間にまた別の話題性に試みるのだ。

2021-01-12

寒さも早く春になれ増田まれ何ル履くやはも寒さ(回文

私の雪国に対しての類義語雪国まいたけしかない昨今いかがおすごしかしら?

おはようございます

雪が降ったり寒くなったりすると

雪国まいたけって言いがちなんだけど、

ここでマイケルジャクソンさんばりにポーとか言わないところがまだ理性があるところだわ。

本当に寒くって、

お友だちの家に行ったら頼みの綱のボイラーがまさかの凍結っっ!

って思わず小さい「つ」の大渋滞が起きそうなほどで、

ああ言うのって凍結した管に熱湯かけたりしたら、

爆発するらしいので、

自然解凍に任せていたら自然解凍されていて、

翌日には凍ったのがディナーの前の謎と共にとけたんだけど、

なんでも10年に一度の未曾有湯のお味噌汁味ってなわけなのよ。

まあ珍しいときに珍しい体験をしたなぁーって。

途中そのお友だちの家に行くときに、

雪でバスも全滅だったので、

そこはネットで調べたら一目も瞭然なんだけど、

情報インフラのないお年寄りの方が、

情報を持たずにずっとバス停に立って待っていたのを見ると

あの日本昔話であるじゃん、

雪で可愛そうだから

売りに言った傘をお地蔵さんかぶせて上げる話し。

ここまで来て思い出せないあの日本昔話を地で行くように、

バス停でただ立ち尽くしているバス待ち村人に、

私は情報バイアスなんて言わないで確実に確実にバス運休情報をゲットしている持っている情報の強みを活かして、

待ってる人が気の毒だったので教えてあげたの。

そのあとそのまんが日本昔話ばりの恩返しはなかったんだけど、

バス待ち村人は寒いバス諦めてくれたのかな?って

それだけが気がかりよ。

寒い中突っ立ってるのって辛いじゃない!

から私も雪国対策で、

これが一番雪に対抗できる運動靴かも!と思ってハイテクシューズを履いてくんだけど、

まあ足もと慣れない歩きだけど、

なんとか本来バスで行くはずの道のりを歩ききったわ。

雪中訓練みたいなかんじで

重たいリュックを背負って行く感じがベッソンよ。

辛かったけど、

到着したら一入。

かいお汁粉が迎えてくれたの!

疲れているから一塩つまんで入れて、

甘いのアンド塩辛いのを同時に舌にのせて遊んでいたわ。

味わいそのものダイレクトに舌に伝わるお汁粉の味だピュアよ。

目を閉じればノー雪国まいたけノーお汁粉

タワーレコードばりに自信をもって温まれわ!

こんなことは滅多中の滅多にはないだろうけど、

楽しい思い出の1ページ的なページとして

記録に残る積雪より記憶に残る積雪としてのオリンピックイアーを今年はどうしても開催したいところ!

また夏どうなるか分からないけど、

雪中切に思ってやまない、

この思い届きますよに!って

帰りの新幹線で思ったわ。

帰りの新幹線も雪で徐行遅れが発生!なんて言ってたけど

ヨーロッパ鉄道と比べたらなんてこと無いわよね。

ヨーロッパ鉄道なのだ遅れてるのしょっちゅうだし

500kmの道のりを2時間ちょっとで本当は着くTGV的なものでも

まあ時速100キロで走れば5時間で到着するからいいじゃん!って心の持ちようなのよ。

のんびりしてるわーって思いながら、

それを日本のとに比べたら、

5分遅れただけでも申し訳ございませんって、

ホテルドラマ高嶋政伸さんばりの謝りはいらないし大袈裟だと思わない?

ちょっとやりすぎだと思うわ。

ってそのドラマは観たことはないんだけど、

おかげで遅れると言っても

早くに到着しちゃうからルービーを開けるどころか、

漫画1冊だって読み切れない秒で到着なんだから

時間お金で買うか、

お金時間で買うか、

本当に迷うところよね。

この昨今車内は行きも帰りも人1両に対して私含め4~45人ってところだったから、

車内販売の人の上がりも歩合制なら本当に気の毒よね。

私が一杯水飲んだところで

ペットボトル3本としても、

その車内販売の売り子さんの歩合のさ上がりがさ20円ぐらい上がるだけじゃない。

本当に世知辛い世の中なのかどうだか分からないけど、

少しでも売上に貢献できたらと思って、

お水4.4ガロンサンドイッチ1人前を頼んだわ。

少しは貢献しているはずよ。

うふふ。


今日朝ご飯

正月休み流通はどうなってるのと心配なぐらい、

ミックスサンドしか置いてなくてというか作ってなくって

選択肢ミックスサンドしかないのも仕方なく、

ミックスサンドイッチにしたところよ。

苦手なツナから食べるわ。

苦手じゃないけどあえて言うならってことよ。

デトックスウォーター

寒いのでホッツ白湯ウォーラーインほうじ茶ヒーパックを浸けておけば、

ホッツほうじ茶ウォーラーにはなるでしょう。

本当に寒いわ。

乾燥してるから水分もしっかり摂ってね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-12-25

4℃の思い出

何度かホッテントリ4℃記事があり、その度に、自分過去を思い出す。

話題になっているのはCanal4℃のことらしいが、それはどうでも良い。

特にオチもなく、びっくりするような話もないので読む人はあまり期待するな。

 

なぜ思い出すかというと、結婚指輪婚約指輪を買ったブランドからである。遠い昔だが何年前かは言わない。

結婚約束したのは、今から思っても大好きだったからとかそんなことじゃない。

からなかったのだ。

こればっかりはどう説明して良いのか本当にわからない。

3年ほど付き合い、私も彼女も適齢期というか、結婚を考えざるを得なかったというか、惰性と言えば惰性でもあるが、特に悩んだわけでもない。

ごくごくよくあるように、お互いの家族相手を紹介し、私は彼女出身地まで出向いて相手の親に挨拶をし、といったどこにでもある普通しか言いようのない流れ。

プロポーズとかはあまりよく覚えていないが、別に何の雰囲気もない車の中で、

「俺でいいか?」

と言ったら

「うん」

と答えてもらっただけである

ただ、彼女は私にとっては面白かった。

怒ると、ドライブ中でも車から降りて、自分で歩いてどこからでも帰って行く。

こちらはそれでも心配から、こっそりつけるのだけど、彼女絶対に振り返ったりなんかしない。

一度は、十キロくらいはあるかと思う道のりをバス停まで歩いていった。全然違う方向のバスに乗ったのに、彼女は気にしてる様子もなく、無事に自宅に辿り着いていた。

あるいは、待ち合わせで渋滞に巻き込まれた私は十分遅れてしまった。

すると、彼女は待っていたものの、激おこだった。

いくら説明しても納得しないのでだんだん腹が立ってきた私ととうとう喧嘩になった。

その日は彼女誕生日だった。

馬鹿馬鹿しいと思いつつ、でかいクマぬいぐるみプレゼントしようと後部座席に積んであったが、喜ばせようと思ってたのに台無しだった。

そして、喧嘩になっていたので私は車をそのまま彼女の自宅そばまで走らせ、

「ともかくこれを持って帰れ!」

と無理矢理でかいクマぬいぐるみを持たせたが、彼女は持ち帰るふりをして、私の目から見えなくなると粗大ゴミ置き場に捨ててしまった。

行動が見えていたので、私はそのぬいぐるみ粗大ゴミ置き場から撤収自分の車まで運び自宅へ持ち帰った。

すると、彼女から連絡があり、また怒っていた。

「どうしてぬいぐるみを持って帰ったの!? 捨てたんじゃなく、他に行くところがあったからあそこに置いていただけだ!」

みたいに、予定が狂ったからと、本当に激おこ

そんな風に、喧嘩もよくした。

 

思い出した。

一つだけ彼女結婚した理由があった。

彼女は三人姉妹末っ子だった。

そして、三人とも私の地元である都会に出てきた。

とても仲の良い三人姉妹だとは聞いていた。

一番上のお姉さんは既に結婚して子供もいた。

真ん中のお姉さんは、看護師をしており、一番頼りになると彼女が言っていた。

だが、その真ん中のお姉さんが、癌になった。

私が知り合った時には癌と診断されたばかりだったが、進行が早く一年も経つと全身のあちこち転移し、末期になってしまった。

数回、私もお見舞いに行ったが、その度に丁寧に挨拶してくれたけど、会う度に痩せているので見るに耐えなかった。

そして、そのお姉さんと最後に会った時に、

「妹をよろしくお願いします」

と深々とお辞儀をされたのだ。

その一週間後に亡くなった。

彼女と急いで病院に向かうと、ちょうど医師心臓マッサージをしているタイミングだった。

お姉さんのベッドのそばで泣き崩れる彼女そばにずっといてやりたかったが、彼女は帰って欲しいと懇願してきたので私は彼女病院に置いてその場を立ち去った。

多分、その帰り道だと思う、彼女結婚しようと思ったのは。

 

そして数ヶ月後、彼女が「あのクマぬいぐるみどこで買ったの?」と何かの拍子に聞いてきたので、たまたま近くにいたので、その玩具さんまで二人で歩いた。

そこは、同じ地元なら誰もが知っている有名な百貨店のある場所

ふと思いついただけだった、

婚約指輪、そろそろ買わなきゃな」

と。

でも二人とも、貴金属ブランドなんてよく知らないものから、その百貨店をウロウロあっちを見たりこっちを見たり、よく分からなかった。

たまたま彼女

「アレなんて読むの?」

と指さした先が4℃だった。

店員の人に、「なんて読むんですか?」と彼女は素で訊いたので、隣にいた私は少し恥ずかしい気がしたのだけど、店員

「よんどしー、です」

と言ったので彼女

「そのままか」と笑った。

それがなぜだか面白くて、私は腹を抱えてその場で笑った。

確か、結婚指輪婚約指輪で50万もしなかったとは思うが、金額は覚えていない。

 

今はもう、結婚指輪ははめていないが別に離婚したわけでもない。一度外れなくなって大騒ぎしたのではめるのをやめただけである

婚約指輪行方は知らない。

2020-10-26

うんこ漏らした

状況

夕食後に自転車帰宅中、ブレーキをかけた際に尻に力が入り、漏れた。

その後、サドルに尻を付けないようにして300mほどの道のりを帰宅

被害
対処
原因
対策

2020-09-24

エロい男が見つからない

最近エロい男を見ない。

※私はド異性愛者なのでここでは男と限定する。

ヤリチンとか性欲が強い男ではない。

セックスフュージョン化できるような、性に対して真摯情熱を持った男性のことだ。

私は何人かの真摯情熱を持った男性に、セックスとはどんなものかを教わった。

徹底的にのめり込め、愚昧な妄想を捨て、快楽になぶられろ、身を委ねよと根気よく指導してくれた。

もちろんプレイの一環としてインスタントセックスも悪くないけど、どうもそればっかりの男が多く感じる。

てかパートナーは物じゃねンだわ。

師曰く「お前の舌はなぜある?指はなぜ動く?全身の関節も、筋肉も、毛の一本までそれはセックスのためにある」そうだ。

これは極論だけど間違ってはいないと思う。

キトーぺぺっと出し入れするのに、全身の神経はいらない。

突き詰めれば司令塔である脳みそを磨けばいい。

脳イキも難しいことではない。感覚を反芻させればあとは惰性でイける。

ただ並々ならぬ集中力は要る。それはセックスも同じだと思う。

視線から犯しあって、指先や舌先など先端に意識を集中してれば触ってるがわも快感を感じる。

どうもその辺の集中力に欠けるというか、挿入至上主義というか。

ぶっちゃけセックスは挿入する時点で試合が終了してるも同然。

あとは射精までの道のりをあれこれ頑張るだけになる。挿入直前に最大の山場がある気がする。

その頂きを目指して、工夫と努力をするのが楽しいのに、どうも最近そこに対して別段何もしないひとが多い。

愛を囁くとかそういうのもアリだけど、それは一種ギミックに過ぎないし、なんだかんだもっと動物的なところ走らないと真の快楽には届かない。(派の人間なんだ、私は)

自称中イキ師とか育乳師とか、なんだかんだ自分快楽と向き合ってないやつ多いよね。

狂気セックスできるひとに中々会わない。もちろん信頼関係必要から最低5回は手合わせしないとなんともなんだけど。

誠実な男を見つけるよりエロい男見つける方がよほど難しい。どこかに落ちてないかなあ。

2020-09-12

車で送ってもらうのが苦手

東京からクルマ社会地方に来たら当たり前のように1人1台という世界で、免許すら持っておらずバス通勤なのを珍しがったり親切にしてくれたりするわけですよ

そんで雨の日とか「帰り送っていこうか?」って善意から言ってくれるんだけど、極力断っている

なぜなら「車を運転している最中の人に、自宅までの道のりをナビする」という高等技術を持ち合わせていないから…

ただでさえ方向音痴なのに運転もしないから、どのタイミングで「曲がって」とか「止まって」とか言えばいいのかマジでからないんだよ

しかも家の前はギリギリ行き違えるぐらいの細い道だし、自分説明のまずさで車をこすったりしちゃったら…と思うとありがたさよりお断りしたさが勝つ

タクシー乗るときですら説明やす大通り沿いのスポットしか言わないのに(そしてそこから数分歩く)、「いやいやいや遠慮しないでいいよ!家まで送ってくよ!」とか親切心から言ってくれるんだよね…

遠慮じゃないんだよ…

ガチで苦手なんだ…

どうか気にせず通り沿いのファミマに落としていってくれ…

2020-09-01

憲法改正論議における安倍晋三の華々しい業績

改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。

ここにその輝かしい業績を記したい。

 

まずは安倍晋三以前の状況から

WWII以後も熱戦の時代は続き、世界民族自決植民地独立冷戦下での大国介入に伴う戦争経験してきたが、敗戦武装解除された日本関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。

その冷戦下で9条改正を目指すのが自民党護憲革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新護憲派だった。

 

ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり憲法は良いものから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである

その為護憲=お花畑空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦終結により日本立場は流動的となった。

そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本戦争への協力を求められる事になり、世論右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界である多国籍軍国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。

 

湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジア民主選挙監視である

また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である

 

先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。

憲法法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権自由主義的な思想意味が延々とこね回されたりする。

国民主権主権は元は絶対王政国家正統性の為のフィクションであって、統治権外交権交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権思想的に称揚されるばかりだったりする。

一言で言うと左翼神学的な評価がされていたのである

 

例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権国家に対する対外的権力だ。

統治問題主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATO軍事介入理由人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。

 

コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。

 

改憲問題エポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである

西部改憲派テーブルに座り「憲法9条や前文の精神日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神浄化され理想的市民国民が出来ると言う考えだ。

それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。

これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。

 

それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃん改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。

当初から戦争理由疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISIS勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。

これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線留保すべきという流れになるのは当然だ。しか国連の影響を抑える為の政策米国しまくった。この為に国連路線を旨としていた日本国際貢献イマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である

 

そこに颯爽と現れたのが我等が安倍晋三閣下であった。

改憲旗艦となった彼は新右翼学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。

彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。

すると2007年にコバセツは自民党憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである

ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。

例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。

日本会議の中枢に居るような新右翼学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。

吉田茂は後に吉田ドクトリン撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。

徴兵海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識希薄若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為から戦争従事させろというだけだ。

 

またいつのまにやら立憲主義否定されて憲法国民が守るべき事柄になっていった。

コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである

何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである機械ばらして直せなくなるガキかよ。

それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである

まり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。

これは左翼神学的で実学接続しないので憲法学者微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。

そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通立法プロセスが付いていないのである

 

こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺朝日新聞捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似コンテンツとなってしまった、

 

安倍閣下の華々しい業績はこれだけではない。

南スーダンPKO日報破棄はその最たるものだ。

南スーダンの情勢が悪化自衛隊PKO活動をしている地域危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。

今回は撤収するにしろしないにしろ国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法PKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である

なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったか自衛隊憲法問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田閣下前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。

 

更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。

だが隠蔽責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。

まり自衛隊に後ろから刺されたのである制服軍人スーツ政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。

だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。

しか自衛隊活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。

だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。

ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族大事とか良い事が書いてある憲法朗読しましょう」という流れは保護された。

アイドルのような還暦女性ポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子ロリポップを舐め続けることができた。

 

安保法制憲法解釈変更問題本来なら改憲問題だ。

だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議国民に投げかける事はしなかった。

この理由時系列を辿ると判る。

2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末靖国神社を参拝したところ、日米関係戦後最大の冷え込みとなった。

太平洋地域戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである靖国参拝英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんであるバカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。

因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。

こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である

議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本憲法改正させて米国戦争サポートさせるというのは共和民主わず共同認識になっていたのだ。

こういう経緯なので改憲論議という手順を踏まずにやったのだ。

集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法合法としてしまったのだから改憲カードは無くなった事になる。

 

カンボジア独裁化に関しても何も言っていない。

PKO歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本軍事的国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。

尚、日本民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権承認していた。あの虐殺国民の半分近くを殺しまくったポルポト国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。

 

こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。

護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派憲法学者も全て護憲派に寝返った。

一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。

そんな情況空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味判らんかった聖帝閣下友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達稲田防衛大臣制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。

統計公文書も無くなった国に護憲の要石を深く打ち込みやがて聖帝閣下も去る。

2020-08-26

ドクターストップで球ももてないと言っても強制参加させられた部会ボーリング大会

トイレで効かない痛み止めをガブ飲み

半泣きで座っていただけのボーリング大会

参加費支払い済みの懇親会は直前で免除された

健康なら徒歩15分の道のりを1時間かけて歩いた

なんのために痛い思いをしてるのかわからなくて泣いた

全部あいつのせい

早く苦しめ一刻も早く

2020-08-18

anond:20200818164952

残り2kmの道のりを180秒でダッシュすることにより事なきを得ました。

2020-07-14

同人女が段々と精神的に追い詰められていく話(後編)

※この話は一応現実のものとして書いてありますが一部えっそれガチで言ってるの?と思われそうな箇所が多々あります

妄想現実かは貴方自身判断してください。まあなんか暇つぶしに下手な小説読むようなノリでどうぞ

※長いですし文章も下手なので読みにくいと思います記憶もおぼろげな部分もあります。ご了承ください。

いじめストーカーなど胸糞悪い話ばかりで救いがあまりないですがそれでも大丈夫という方はどうぞ

※元気な今書いてるのであまり追い詰められてる感ないかもです

登場人物紹介

私:かれこれ十数年以上オタクやってる同人女二次元から三次元までいろいろ手を出してる。BLでもなんでも好き。かわいくはない。

友人S子:高校の友人そのいち。かわいい。鹿の間ちゃんに似てる。

友人M:高校の友人そのに。ハロプロオタ。

友人Y?:M美の友人。一応友人(?)

友人G:高校の友人そのさん。実家が元レストランパン屋。この話では影が薄い。

友人O:高校の友人そのよん。アパレル店員

その日車京都に出かけた、私祖母父の三人はサービスエリアそばを食べていた。その次のサービスエリアでは、おいしそうなせんべいが売っていたのでせんべいを買うことになった。途中トイレに立ち寄ったり、たぬきを買ったりとのんびり観光を楽しんでいた。のだが。何処かおかしい。知らない店員お疲れ様ですと言われたりいろいろ変なところはあった。のだけれどそう考えるのもきっと疲れてるからだろうと思い、全部流した。

それもホテルに着いてからは流し切れなくなった。

また短期派遣職場の人がいたのだ。でもまあいるくらいならいいかと思った私はそのままぼうっとし、父はロビーで受付を始めた。そのホテルの受付の男は何故か私に向き直るとお疲れ様ですと悪意たっぷりに笑った。またか無視をして父と立ち話をしていると無視するなよおい、と言われた。客にそんな口調をするホテル従業員がいるのか?これは幻聴か?幻覚か?めんどくさくなった私はそのままスルーした。

そして夕食を食べに行こうと三人で夜の街に繰り出した。途中、キスがどうとか大声で喋る不審な三人を見かけたがまあいもの不審者だなと流した。

不審な人たちはデパートまでの道のりを一緒に歩いてきた。デパートに着き、エスカレーターを上っている最中もねえほらあの人いるよ!と猿女が騒ぐのも無視した。あっねえ無視?、とぼそっと言ってるのが小さく聞こえた。ちょっと面白かった。

上がった先のレストランオムライスを食べた。美味しかった。

そのあとはホテルに戻り眠ろうとしたがなかなか寝付けずにいた。深夜にコンコンノックをされだいぶ追い詰められてきた私は「集団ストーカー 県名」で検索し出てきたホームページ電話番号電話した。深夜に。

当然出ないものだと思った電話は繋がり、後日謎の担当者と話をするのだが、最後捨て台詞のように特に男女の仲についてはみたいなことを意味深に言われる。なんやねん。いつも思うけど意味深に笑ったり喋ったりお前らはアニメ漫画登場人物か何かか?

次の日朝から厄払いをしてもらいに寺へ行こうと変な道を歩いていた。辿り着いた先であ、来たよーと言われたのでとりあえずこの写真だけ撮って別の場所へ行くことにした。

お土産阿闍梨餅を買いに駅前売店へ出かけたとき、売り切れていたそれを前に後ろの方で大爆笑が聞こえてきたが無視をした。

適当饅頭を選び買いに行くと売店のおばちゃんちょっと訝し気に?こちらを見た気がしたが気のせいと思うことにした。

父が阿闍梨餅を買おうと本店に向かう途中、駐車場に車を置いた私たちは歩いて本店まで向かっていた。途中中学生の群れやまた例の職場の人たちの群れがいた気がしたが気のせいということにし、(途中の喫茶店で私と祖母が言った言葉を復唱される。そこで祖母がえっていう顔をする。)阿闍梨餅を買って京都を出発することにした。

途中のサービスエリア中華料理を食べていた私たちはすぐ後ろで「こいつLINEがどう~いじめがどう~」などと語っている男がいたが無視をした。あれこれ考えるのもめんどくさかった。めんどーい。

車で留守番しているときに枕にしようと上着を脱いだら横の車の中にいた男に目を剥いて驚かれ、そのあとすぐ父に「裸になるかと思った、だってよ」と言われ(おそらく彼らにそう言われたらしい)とりあえず基地外なんだなと思った。

そんなこんなで京都旅行は終わり、とりあえず家に帰った。

悪夢はまだこれから、次は東京旅行についてである

旅行当日、早朝から奴らは一般車降車場に現れた。荷物を抱えてついてくる気満々らしい。とりあえずスルーして新幹線に乗り込む。この後駅のホームからすべて後をつけてくることになる。

東京に着き、同人誌を買うついでに売ろうと思って池袋駅に降りたが売る本を忘れた私はそのまま別の駅に移動することに。(何でこの駅降りたんだ?(笑)とのちにいじられる。)

丸の内ショッピングをしようとしたが、案の定迷って目的地にたどり着けない。しょうがなく早めの昼食を取る。そこで〇〇さんがさぁ~と名指しで言われる。とりあえずスルーしてお茶づけを食す。確か美味しかったはず。

その後うろうろと目的地を探したがやはり見つからず(お茶漬け屋さんはおそらく奴らが群がりめちゃくちゃ繁盛していた。私様様である。)とりあえず銀座あたりに移動することにした。夏なのでめちゃくちゃ暑いのだが休憩なしで歩き続け(グーグルマップが何処かの社屋に導いてくれたのでそこへ無理矢理入ってエスカレーター下り出口に出ると奴らが待ち構えて待ってたよ(笑)みたいな感じで笑ってた。とりあえずスルーして外に出た)(奴らの一人の女の子?はバテながらフラフラロフトに入っていった)ついでにとロフトに行くことにした。ロフトに入ったが、特に欲しいものもなかったのでそのまま別の場所に移動することにした。

好きなブランドアパレルショップがあったので入ってみることにした。

欲しい服が買えてホクホクしていると、店員さんに話しかけている、見たことあるような気がする人がいた。何を言われたのか、店員さんはえっと顔を曇らせこちらを見てきた。

そんなこんなでライブ会場に辿り着き、グッズ販売の列に並んだ。後ろからアーティストの声が幼稚だわ子供みたいだと散々似たような悪口を言う奴らが後ろから来ていた。グッズの販売状況が放送流れる中、売り切れたら面白いのになとか散々言ってた。

グッズを普通に買えて地面に座ってて、急に立とうとしたら立ち眩みが起きて地面に戻るんだけどそれを見てめまい勘違いした人が「頑張れ~」とにやにやしながら声をかけてきた。スルーした。

チケット心配になった私は交差点リュックを脇に抱えて確認していると盗むかと思った?と笑われた。

ホテルに戻りシャワーをして着替えると会場内の席のすぐ近くまで奴らがいた。(コンビニチケット発券する際、後ろに元職場の人がいたからか、店員のおばちゃんが何かしたかどれか)が、まあ無視をして楽しんだ。天使かよと思った。泣いた。

そんなこんなでホテルに帰り、廊下に彼らが(部屋にも入らずに)いたときもめんどくさくてそのまま無防備に部屋に入りすぐ寝た。(風呂にも入らずにと笑われたので部屋の中を覗かれていたとあとで知ることになる)

次の日、母と合流しディズニーランドへ行くことにした。

ランドでは

お土産物屋さんでノートペンを買っているとこんなもの何に使うんだよとぐちぐち言っていた

・並んでいるときにすぐ後ろでコンタクトがどうとか言い出して(私は普段眼鏡でたまにコンタクトである)こっちをじっと睨むこともあった

とまあおとなしくて私は普通に漫喫していた。

帰りの電車内で男が椎名林檎きらきら武士を歌いだし、(これがのちのフラグ?になるのだが、歌詞の遠回しな諷喩が未だによくわからない。死ぬほど嫌いってこと?)子供がどうとか言い出す男たちがいたり、せまいショップ入口をぞろぞろとドラクエのようについて来て、やっぱりいいと母が出ようとしたときもついて来た。

ご飯を食べようと入った店に奴らがいてげらげら笑われたり店員さんにじっと睨まれたり座ってた椅子を見たらちょっとだけ赤く染まってて(生理でなかった。タバスコと思われる)それを見た奴らにまたげらげら笑われたけど皆無視しました。

あとは知らないスーツの男に睨まれたり。大丸東京店ついったーにも食べたいと載せてたレモンパイを買おうとするとお疲れ様ですと言われたり、土産を買おうとすると何故か無言になり暗い顔されたり(部下?がどうしたんですかと聞いていた)したけどまあそんなこんなで東京旅行は終わる。

次はMとS子とYと私で飲み会に誘われた話。

怪しんでいた三人(と二人)との飲み会だというので嫌な予感がしながらもついていった。

バーではやはりというか例の人たちが後ろにいてバイがどうとか言っていた。(?)まあそれはいいとして、三人で話していると意図的に会話に入らせないようにしているのがわかった(例:私の知らないMの職場?の話などをする)やがてトイレから帰ると私の携帯を覗いていたような発言をチラッとされた。チラッとだったのでそれもスルー。見られて困るようなものはなかった。次に歩くには距離のあるカラオケに行きたいとせがまれ(おそらく最後に行った合コン場所だったからだろう)なんで?と聞くと途端に機嫌を悪くするY。面白い。普通に近くのカラオケに行くことになった。

カラオケではきらきら武士を目をにやつきながら歌うS子に、大嫌い(曲名)歌ってもいい?とか聞くYにうれしい楽しい大好きっを歌おうとするMがいたのでまあそうなんだろな(?)と思う。

途中S子と二人きりになり、「〇〇さんさぁ、ストーカーされてるんだっけ?」と聞かれ「あーやっぱり何でもないよ」と答えるとにやにやと微笑まれた。うーん。S子恐るべし。確かここでもトイレに行っている間に携帯を見られ、AimerとYが連呼していた。まあ普通に私はスピッツの醒めないを歌った。何も考えずに曲を入れたが、今思えばあの場にぴったりの曲だったかもしれない。最後土産を渡そうとするとこんな物いらないとYに突っぱねられた。

そんなこんなで飲み会は終わり、何故か無言でコンビニへ駆け込むS子がいた。(謎)(離れたかったのかな?)最後手を振って永遠の別れをした。ぐっばい。

その一週間後、うずうずした私は五人のライングループを作り、S子にこう問いかけた。「なんでお土産受け取ってくれなかったの。怒ってる?」質問の答えは返ってこなかった。返って来ないだろうことは予想していたのでその代わりに語ることにした。ストーカーのこと。職場のこと。病気のことを。S子がいじめの首謀者であり、その原因が、私がLINEブロックする直前に自己愛性人格障害のことをアドバイスし、それが原因で(彼氏自己愛に似た性格だったのだろう)別れることになった、にあることは言わないでおいた。かわいそうだったので。というよりS子が何をやらかすかわからなくて、怖いのでやめるね的なことを言った。むしろ病気になって薬飲んで楽になって感謝してることを伝えた。もっと仲良くしたかったけど無理そうだからやめるね的なことも言った。Mが何か言ってきたけどはいはいと返した。正真正銘のお別れをした。

その後も変な輩はたくさん出没し、本屋で本読んでるー!と猿女に叫ばれたり〇〇さんがボールペン買ってる!何書くのかな!?とか言われたり映画館映画の格闘シーン中ずっとマッサージマシーンのように背もたれを蹴られたり(無視すると無視すんなよ、とキレられた。あと疲れていた(笑))別の職場で私がLINEで言った言葉を反復されて睨まれたり駐車場の料金支払い所で子供みたいだなと言われたり(そのあと駐車スペースまでブツブツキレながら着いて来られたり)(車に乗り込んだらそのままエレベーターへ帰って行った)(なんだったんだ)休日ごとにコンビニから後をつけられたり(ナンバープレートが毎回一緒だった。たぶん社用車コンビニオーナーからじっと睨まれたり(これはあまり関係ない)友達プリン食べてたらカラオケから尾行されててあいプリン食べてるよ(笑)と食べてるのを実況?されたり入った店に偶然?S子が来て(謎のめちゃくちゃ暗い顔をしていた)たりとまあいろいろあったけど今は元気だから問題なし!S子もお幸せにね!

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