はてなキーワード: 武装解除とは
日本の自称リベラル勢はこれに呼応してる感じっすね。次は東アジアで台湾有事なので本番に向けた連携強化には良い予行演習的な。
id:[IDなので伏せる]「日本の自称リベラル勢はこれに呼応してる感じ」それ屏風から出してほしい。維新とれいわしかいないでしょ、こんなの。
私は最初のコメントを書いた人物ではないが、おそらくこの人たちのことだろう。
ウクライナ侵攻、政府に仲裁求め学者ら声明 報道陣から批判的質問も
「G7首脳が今こそ停戦仲介を」ロシアのウクライナ侵攻 識者有志がサミット前に訴え
この声明を出した時点では中国が領土放棄型の声明を出してはいないが、取材した記者からこのような質問が出ている。ロシアが撤退しないでの停戦はロシアの利益になるという指摘は当時からあったと言えるだろう。
記者会見では、ウクライナで現地取材した記者らから「現状での停戦はプーチン政権による侵略と占領の固定化につながりかねない」「ロシア寄りの提案ではないか」などと批判的な質問も出た。
具体的に誰が声明に賛同しているのかは、東京新聞が紹介している署名サイトに載っている。
伊勢崎 賢治(東京外国語大学名誉教授・元アフガン武装解除日本政府特別代表)
内海 愛子(恵泉女学園大学名誉教授、新時代アジアピースアカデミー共同代表)
金平 茂紀(ジャーナリスト)
全国の同胞たちよ、
全ての人はみな、平等な権利を持って生まれています。創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権、自由権、幸福追求権があります。
この不滅の文言は、アメリカの1776年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族も生存権、幸福権、自由権を持つということを意味しています。
1791年のフランス革命における人間と市民の権利の宣言(※人権宣言)も、「人は生まれながら自由であり、平等な権利を有し、常に自由であり、権利について平等でなければならない」と言っています。これは、誰も否定することはできません。
それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由・平等・博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。
統治において彼らは、私たち人民に自由・民主を僅かでも与えることはありませでした。
彼らは野蛮な法律を施行しました。彼らは中部・南部・北部でそれぞれ異なる制度を作り、私たちの国家統一を妨害し、私たちの民族団結を妨げました。
彼らは学校よりも数多く監獄を建てました。彼らは、私たちの国を愛し民族を愛する人々を斬り殺しました。彼らは、血の海に私たちの蜂起を沈めたのです。
彼らは、アヘンとアルコールを使って、私たち民族を衰弱させました。
経済において、彼らは私たち民族を骨の髄まで搾取し、私たち民族を困窮、欠乏させ、私たちの国をずたずたにし、不況に導きました。
彼らは数百の理不尽な徴税を行い、私たち民族、特に農民と商人を貧困に陥れました。
彼らは私たちのブルジョワ台頭を許しませんでした。彼らは私たちの労働者を情け容赦なく搾取しました。
1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本に私たちの国を明け渡しました。そのときから、私たち民族はフランスと日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから、私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞が餓死しました。
今年の3月9日、日本はフランス軍を武装解除しました(※仏印処理)。フランス帝国主義者は逃げる者もいれば、降伏する者もいました。
つまり、彼らは私たちを保護するどころか、5年の間に2回も私たちの国を日本に売ったのです。
3月9日以前に、ベトミン(※ベトナム独立同盟会)は何度もフランス人に対して、日本に対抗すべく同盟しようと呼びかけました。フランス帝国主義者はこれに応じず、より一層ベトミンを迫害しました。更には、敗走の際、彼らはイエンバイとカオバンで政治犯を多数虐殺しました。
しかし、フランス人に対して私たち同胞は依然として寛大で人道的な態度を保ちました。3月9日の変動後、ベトミンは辺境へ逃れた数多くのフランス人を助け、日本の収容所から多数のフランス人を救出し、彼らの生命と資産を保護しました。
実際、1940年の秋から私たちの国は日本の領土となり、もはやフランスの領土ではありませんでした。
日本が連合国に降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。
実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。
フランスは逃げ、日本は降伏し、バオダイ帝は退位しました。私たち民族は独立したベトナム国を建設するために、100年近く帝国主義者たちと戦いました。私たち民族は、何十世紀も君主制と戦い、民主共和制を築いたのです。
ですから、私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム全国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています。
私たちは、テヘラン及びサンフランシスコの会議で民族平等の原則を認めた連合国が、ベトナム民族の独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています。
ある民族がこの80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族は自由を得なければなりません! その民族は独立を得なければなりません!
これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。
ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。
これを以て「ベトナムは日本のファシストから独立した」って喧伝してる人がいるけど、
ですから、私たち新ベトナム国の臨時政府は、ベトナム全国民を代表して、フランスとの関係を離脱し、フランスが署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム全国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています。
私たちは、テヘラン及びサンフランシスコの会議で民族平等の原則を認めた連合国が、ベトナム民族の独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています。
ある民族がこの80年以上にわたりフランスの奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族は自由を得なければなりません! その民族は独立を得なければなりません!
これらの理由から、私たちベトナム民主共和国の臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。
ベトナム国は自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由で独立した国となりました。ベトナム全国民は、この自由と独立を維持するために、精神、軍隊、生命、そして財産のすべてを持つ権利があります。
原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。
ゼレンスキー大統領のオンライン国会演説のテーマが米では911と真珠湾だったが、日本では原爆だろうなと予想が盛り上がってる件。
第二次大戦は8/15の日本の降伏で終わったと思ってる人ばかりだがソ連に関してはそうじゃない。
時系列は
8/14 ポツダム宣言受諾、日本軍は全軍に攻撃停止命令、英米軍攻撃停止
8/15 玉音放送
8/18 占守島の戦い
8/22 三船殉難事件
と、連合国のうちでソ連軍だけが停戦せずに攻撃を続けた為に戦闘が継続し軍民に被害が発生した。
日ソ中立条約破棄は日本を降伏に追い込んで戦争を終結させる為だからまあいいとしてもだ。
だが8/15以後も攻撃を続けて避難民を殺したりしたのが是認できる訳が無い。
8/22 三船殉難事件というのは樺太(サハリン)の大泊から逃げる避難船をソ連潜水艦が留萌~増毛沖で3隻撃沈したっていう事件だ。
2隻は魚雷、もう一隻は浮上して機関砲を執拗に撃たれたものだが、この時撃たれた避難船は白旗を上げていた。でも攻撃は止まずに結局撃沈されて3隻で1700人くらいが死んでいる。
ゼレンスキー大統領が米議会で真珠湾を出したのが気に入らねぇとか言ってる奴等は馬鹿じゃねーの?アメリカじゃ卑劣な奇襲攻撃の代表格としてポピュラーだろ?という立場だが、8/15以降のソ連の行動は是認できるものじゃない。
米ソでヤルタ会談が行われ、千島列島はソ連にあげるってな密約がされたのな。
その上でソ連は釧路-留萌ライン以北の占領計画を勝手に立ててこういう行動をしていた。
占守島の戦いで膠着状態になっていた所にトルーマン大統領がスターリンに「北海道占拠するな」と釘を刺したので計画は頓挫されたが、それが無かったら北海道に上陸されて占領されていた可能性が高い。
無条件降伏した日本は第二次大戦の獲得領土だけじゃなくて明治以降の獲得領土も全部失うことになった。
でもそれに戦後納得が得られて「朝鮮台湾や青島は日本のモノだ!」みたいな意見が大きくならなかったのは連合国の方も領土を獲得しないっていう原則で戦後処理がされたからだ。
サンフランシスコ講和条約は日本の近代以降の武力や武力を背景とした干渉で得た領土を手放させ、過去の穏当で文化的な占有範囲を基準にして領土を決めている。
だがその例外が千島列島で、ここだけはヤルタ会談の密約が根拠になってるわけよ。ソ連だけがプチ帝国主義許されてる訳だ。更にそのうえで北海道ゲット計画もあったわけだ。
レーニンさん、帝国主義って資本主義の必然だったのでは?ソ連のこのざまは一体…?
SF条約に納得できても北方領土の方はおかしいと感じるのはこの為だ。SF条約の千島列島の扱い自体が領土不拡張原則に反してるからだ。
終戦後も海外領土から引揚てくる人が沢山居たのだが、地域によってその過酷さが違った。
資産は放棄せざる得なかったのだが、台湾とか米軍占領地では金銭の持ち出しは比較的緩かった。
でもソ連占領地では殆ど持ち出しが許されなかった。なので引揚船下りた後にどうしようもなくなってしまう人が多数出て、稚内とか新潟とか舞鶴とかの着地でそのままホームレス化してしまう人も沢山居た。
で、日本に土地もないので住居も農地も無く、持ち金もないスタートなので戦後復興や高度成長の流れにも乗れない人が大勢出て、高度成長期の末なのに未だ戦後を生きてる引揚者っていうのが1960年代に社会問題化したわけよ。
最終的に1967年に引揚者に対する特別交付金が支払われることになった。引揚者=苦労人の代表格だったのよ。
そんな風に引揚者への社会的同情が高くなっていた所に起こったのが成田空港建設問題ですよ。
当初の計画から変わって三里塚に決まったのだけど、その理由は満蒙開拓団引揚者の入植地で入植から日が浅いから多分おkって感じのなめた考えて、実際は満蒙開拓団引揚者入植地だから猛烈に開拓地に対する執着が強かった。戦後ゼロからやって来たわけやからな。
国が強引な舐めプで収用したもんだから新左翼が加わって国民的な引揚者への同情が高くなった直後だったので大紛糾したのはご存じの通り。
成田新幹線や接続高速道路まで頓挫したのは引揚者への同情が高くなった直後だったっていう事情ゆえで、これも新左翼のせいだと思ってる人居るが、んなわきゃない。
地主が抵抗したのが原因で千葉の広範囲の地主が左翼シンパなわきゃない。
成田新幹線用地を転用した線路を走るスカイライナー乗るとずっと住宅街の中通るが、実はあれは山林、農地を開拓したニュータウンの真ん中を通ってるのだ。ニュータウンの真ん中を成田新幹線が通るっていう一体化計画だ。
だから激不評な成田新幹線が通るとニュータウン関連の用地買収で地主が首を縦に振らなくなってしまう。なので自治体も成田新幹線計画に反対したのだな。空港本体と接続路線はちょっと事情が違う訳だ。
それもこれも引揚者の戦後困窮問題が元であって、特にソ連占領地で持ち出しを極限まで認めなかった事がルンペンプロレタリアート化の引き金になってるのだ。
だからゼレンスキー大統領とそのスピーチライターが日本の歴史良く知ってたら、多分原爆の被害と共にこういうソビエトロシアの行為を訴えるのではないかと思うのだ。
今のロシアがやってる事は満州国建設以後の日本の愚行そのもので、プーチンは変なヒッピー地政学みたいな本読む前に失敗の研究とか空気の研究読めよって感じなのだ。
その一方で戦後の時流を無視した領土拡張種主義の試みとか抑留の恐怖とか、ロシアのクソっぷりで共有できる経験がある。
…のだけど、例えば日本は悪くない史観なんかのせいで連合国の中でもソビエトロシアの為した理不尽さの線が埋もれてたり、単に忘れられていて、原爆ほどには日本人の心に刺さらないかもな、と思ったりもする。
Twitterやインスタみたいなツールでは書きたくない(責任を負いたくない)のでここに投げさせてほしい。
これを書いているのは日本にいる人間で、世界情勢にも軍事にも政治にも詳しくない、全くの素人なので、そういった正しさは期待しないでほしい。ただのお気持ちと日記。指摘はご自由にどうぞ。
戦争が始まってもう2週間になるらしい。
なんなら3週間も目前で、その前に終わるような見込みはあんまりなさそうだ。(叶うなら一日でもはやく終わってくれたほうがいいが)
自分の見ている範囲では、ニュースはともかく日常生活にはほとんど変わりがない。ロシアの知り合いもウクライナの知り合いもいない。
ニュースで見かける悲惨な町並みといつも通りの現状があまりにも一致しなくて、それはそれで恐ろしい。
ウクライナは遠くても、ロシアはすぐそこにある。海が隔てているとはいえ落ち着かない。
もしウクライナが負けたら、追い詰められたロシアが次に日本を標的としやしないかと思うと恐ろしい。
完璧な自己保身を動機として、ウクライナには勝ってほしいと思う。可能ならロシアも、プーチン大統領をなんとかした上で、程々に立場を残して終われる着地点があるともっといい。
追い詰められて散り散りになった国がどんなにめんどくさいかは歴史が教えてくれる。
勝ってほしいとは言うものの、停戦交渉については碌な話を聞かない。
やれ非ナチ化だの武装解除や中立化だの。後者はともかく、前者はない屏風の虎を捕まえろと言っているようなものではないか?まず虎を用意するくらいは依頼人の責任だと思う。
ロシアの現実的な勝ち筋もウクライナの現実的な勝ち筋もわからない。このまま泥沼みたいな戦いを続けて何かが限界になるまで人を殺し続けるしかないのだろうか。
誰か双方の落とし所を知っている人がいたら教えてほしい。
なんのヤマも落ちもない。
1945年に日本が敗戦した後の台湾では、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために、中国大陸から蔣介石国民政府主席率いる中国国民党政府の官僚や軍人らが同地へ進駐し、失地回復という名目で台湾の行政を引き継いでいた。
当初、少なからぬ本省人が台湾の「祖国復帰」を喜び[要出典]、中国大陸から来た国民党政府の官僚や軍人らを港で歓迎したが、やがて彼らの汚職の凄まじさに驚き、失望した。大陸から来た軍人・官僚は、当時の国共内戦の影響で(人格的にも能力的にも精鋭と呼べる人材は大陸の前線に送られており)質が悪く、強姦・強盗・殺人を犯す者も多かったが、犯人が処罰されぬことがしばしばあった。
もし罰せられる場合でも、犯人の省籍をマスコミ等で報じることは厳しく禁じられた。また、台湾の資材が中国人官僚らによって接収・横領され、上海市の国際市場で競売にかけられるに到り、物資不足に陥った台湾では、相対的に物価は高騰、インフレーションによって企業の倒産が相次ぎ、失業も深刻化した。
日本統治時代の台湾では、厳しい同化政策(皇民化教育)などはあったが、不正は少なく、帝国大学も創設され、インフラストラクチャも整備した台湾の経済は、日本内地の地方都市を超えて東京市と同じ水準だった[2]。日本の統治を体験した台湾人にとって、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものであり、人々の不満は高まっていった。
当時の台湾人たちは、「何日君再来」を歌ったり、「犬去りて、豚来たる」(意味:犬〔日本人〕が去れば、今度は豚〔中国人〕が来た。)と揶揄した(犬〔日本人〕はうるさくても番犬として役に立つが、豚〔中国人〕はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味が込められている[3])。
私は自衛隊は合憲だと考えてるし、(個別自衛権に関しては)日本政府の公式見解を支持しています。改憲反対ですが稼業の都合で自民党員をやっていて、選挙では自民党に投票してます。という立ち位置から「自衛隊は違憲だから改憲すべき」論がいかに馬鹿げてるか説明します。
まず前提として、改憲が実際に起こるまでは日本国は現行の日本国憲法に従う必要があります。改憲は未来の話ですが、現行憲法の違憲は現在の話です。
さて、現行憲法で自衛隊が違憲だとすると、自衛隊はどういう存在になるでしょう?もちろん違憲ですよね。そう、違憲で違法、非合法な武装組織です。そんな組織が日本に存在していいと思いますか?なわけないですね。違憲で違法な武装組織として、即刻の武装解除と解体が必要です。改憲はその後の話です。改憲を発議して、国民投票も通って、新憲法で合憲な新自衛隊として再組織化する、ということになります。それを見据えても現行憲法が有効なうちは、武装解除と解体しかあり得ません。そして、改憲が成功して新自衛隊が結成されるまで、日本は自衛のための戦力を失います。このご時世に。
もう一度問います。自衛隊が違憲で改憲が必要だとすると、今そこにある自衛隊はどういう存在ですか?え?解釈合憲でそこに存在してても許される?じゃあ改憲の必要も無いですね。
わかりましたね。自衛隊が違憲だとすると今そこにある自衛隊が論理矛盾を起こします。違憲なら存在は許されないし、許されるならそれは違憲ではないので、改憲の必要もない。
まとめます。
自民党も旧民主党も私もこの意見です。国会議員の8-9割はこの意見だと思います。