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はてなキーワード: 武装解除とは

2020-12-20

anond:20201220005836

ソビエト連邦ロシア北方領土返還を渋る理由として、サンフランシスコ講和条約うんぬんを持ち出したことってあったっけ?

奴らは、大祖国戦争で血を流して獲得した土地から自国領土だと主張していたんだと思ったが

千島戦闘では日本武装解除するまで負けてないぞ

anond:20201219234041

そもそもソビエト軍千島に侵攻したのは8月15日降伏以後

降伏武装解除した後に侵攻して占領地と言われてもなあ

2020-11-03

ウーマンリブで勝ち得た権利と放り出された弱い女性

女性権利が与えられて責任が生じ、責任に耐えられない女性は、潰れるしかないのかな?

媚びる事は性犯罪に繋がるからさなフェミは、弱い女性を殺したいのかしら?

弱い女は女を利用して強く生きたにのに、それを否定してくる強い女が怖い。

性的搾取?とか強い言葉で、

攻撃力のない女に魅力という武装解除要求する奴らこそ女性大多数の敵なのではないのかと思ったりした。

2020-10-25

[]

37,「耐えられない」は恐怖の拡大解釈

49,うつ病者は自分評価に値するものを持っていないと信じ込む

49,貧困自己イメージ欠点を拡大する

53,自己否定する時こそ自己認識

54,自己否定する時に多いのが「全てか無か」思考

58,カタルシス洞察は役に立たない

59,自己否定の考えをはっきり見て記録せよ

64,二週間、自動思考を書き出すこと

64,自動思考の記録は、自分に対する客観性を鍛える

65,トリプルカラム法は、情緒危機にも効果がある

65,カウンター法(精神バイオフィードバック

75,絶対的自己批判は、自分無能力にする

77,ネガティブ思考は頭の中でいじらずに書き出すこと

79,うつ意志力麻痺させる

84,「やり残した仕事」がある時に浮かぶ考えをチェックせよ

85,行動→認知感情

87,ぐずぐず主義感情リスト

90,コントロールできるのは、結果でなく過程のみ

90,成功への恐れ=詐欺師自分を思う

91,「ねばならぬ」はプレッシャーを生む

92,フラストレーションは、無理な理想との比較からまれ

94,スケジュールは、行動への迷いを封じ込める

114,時間制限法で、仕事を分割せよ

115,いちばん適った時間を、仕事に割り当てよ

117,無気力バランスシート

118,武装解除法は利益になることを鼻持ちならない仕方で押し付けてくる相手有効

120,習慣は、嫌子でなく、好子で変えよ

124,典型的な「できない思考

125,ネガティブな見通しは、行動でテストせよ

125,あらかじめネガティブな予想を立て、そこに「認知の歪む」を見つけて、対処しておくこと

126,ぐずぐず主義は、気力と行動の混同から

132,対応が分からいから、批判を恐れる

133,批判対処には、練習必要

134,批判された時に生じる否定的な考えを同定せよ

134,批判が間違っているなら動揺は不要

135,批判が正当でも圧倒される必要はない

136,他人承認必要だと、批判が恐怖になる

137,批判者の目から事態を見れれば、怒りはおさまる

138,正確な質問問題限定し、全面的否定を避ける

143,ロ-ルプレイで備えるか、予想会話を書き出すこと

143,不当な責めから自分を守る傾向は間違い、相手を余計に強くする

144,事実に基づき自分立場表現せよ

147,激怒の後には、抑うつに苦しむだろう

148,言語技術の結果は保証できないもの

151,行動が正しかろうと間違っていようと、人間としては正しい

160,自尊心を守る戦いは、自尊心を高めない

161,もう待てない、我慢できないは、拡大解釈

164,怒りの原因の多くは、希望道徳基準混同

168,怒りの損得分析(下に行く程、長期的な利害を)

175,考えをとめること=ストップと自分にいう、他のことをする、別の考えに集中する

178,「~であるべき」は「~ならすばらしい」に置き換えよ

182,効果のある操縦=罰するかわりに良いところを誉めよ

187,交渉戦略=1.ほめる 2.おちつかせる 3.はっきり言う

189,感情移入=他人動機自分動機のように知ること

195,認知リハーサル階層表ごとにイメージでのリハーサル

199,怒りは重要ものではない、そのエネルギーに見合う程には

2020-09-01

憲法改正論議における安倍晋三の華々しい業績

改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。

ここにその輝かしい業績を記したい。

 

まずは安倍晋三以前の状況から

WWII以後も熱戦の時代は続き、世界民族自決植民地独立冷戦下での大国介入に伴う戦争経験してきたが、敗戦武装解除された日本関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。

その冷戦下で9条改正を目指すのが自民党護憲革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新護憲派だった。

 

ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり憲法は良いものから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである

その為護憲=お花畑空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦終結により日本立場は流動的となった。

そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本戦争への協力を求められる事になり、世論右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界である多国籍軍国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。

 

湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジア民主選挙監視である

また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である

 

先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。

憲法法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権自由主義的な思想意味が延々とこね回されたりする。

国民主権主権は元は絶対王政国家正統性の為のフィクションであって、統治権外交権交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権思想的に称揚されるばかりだったりする。

一言で言うと左翼神学的な評価がされていたのである

 

例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権国家に対する対外的権力だ。

統治問題主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATO軍事介入理由人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。

 

コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。

 

改憲問題エポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである

西部改憲派テーブルに座り「憲法9条や前文の精神日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神浄化され理想的市民国民が出来ると言う考えだ。

それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。

これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。

 

それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃん改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。

当初から戦争理由疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISIS勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。

これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線留保すべきという流れになるのは当然だ。しか国連の影響を抑える為の政策米国しまくった。この為に国連路線を旨としていた日本国際貢献イマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である

 

そこに颯爽と現れたのが我等が安倍晋三閣下であった。

改憲旗艦となった彼は新右翼学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。

彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。

すると2007年にコバセツは自民党憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである

ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。

例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。

日本会議の中枢に居るような新右翼学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。

吉田茂は後に吉田ドクトリン撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。

徴兵海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識希薄若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為から戦争従事させろというだけだ。

 

またいつのまにやら立憲主義否定されて憲法国民が守るべき事柄になっていった。

コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである

何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである機械ばらして直せなくなるガキかよ。

それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである

まり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。

これは左翼神学的で実学接続しないので憲法学者微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。

そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通立法プロセスが付いていないのである

 

こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺朝日新聞捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似コンテンツとなってしまった、

 

安倍閣下の華々しい業績はこれだけではない。

南スーダンPKO日報破棄はその最たるものだ。

南スーダンの情勢が悪化自衛隊PKO活動をしている地域危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。

今回は撤収するにしろしないにしろ国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法PKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である

なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったか自衛隊憲法問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田閣下前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。

 

更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。

だが隠蔽責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。

まり自衛隊に後ろから刺されたのである制服軍人スーツ政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。

だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。

しか自衛隊活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。

だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。

ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族大事とか良い事が書いてある憲法朗読しましょう」という流れは保護された。

アイドルのような還暦女性ポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子ロリポップを舐め続けることができた。

 

安保法制憲法解釈変更問題本来なら改憲問題だ。

だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議国民に投げかける事はしなかった。

この理由時系列を辿ると判る。

2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末靖国神社を参拝したところ、日米関係戦後最大の冷え込みとなった。

太平洋地域戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである靖国参拝英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんであるバカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。

因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。

こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である

議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本憲法改正させて米国戦争サポートさせるというのは共和民主わず共同認識になっていたのだ。

こういう経緯なので改憲論議という手順を踏まずにやったのだ。

集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法合法としてしまったのだから改憲カードは無くなった事になる。

 

カンボジア独裁化に関しても何も言っていない。

PKO歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本軍事的国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。

尚、日本民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権承認していた。あの虐殺国民の半分近くを殺しまくったポルポト国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。

 

こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。

護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派憲法学者も全て護憲派に寝返った。

一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。

そんな情況空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味判らんかった聖帝閣下友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達稲田防衛大臣制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。

統計公文書も無くなった国に護憲の要石を深く打ち込みやがて聖帝閣下も去る。

2020-08-17

トランス女性武装解除せよ

anond:20200816105223

悪くないところをついているな

正確に言うと、トランス女性シス女性にとって武装解除できていないことが問題なんだよね

要は男性生物学腕力はそれだけで女性生物学的肉体にとっては武装しているに等しいわけ

もちろん個人差はあるにせよ、一般的には1.5倍程度の腕力差がある

これは一般人プロ格闘家くらいちがうんで、ほとんど勝ち目がない

格闘技がどうやっても男女別なのはそのためだ

たとえばムスリムテロリストがいたからといって、ムスリム一般空港から締め出すのは差別

ただし、これはムスリムに限らず全員が持ち物検査をして武装解除しているから成り立つ話だ

ところがトランス女性武装解除できない

シス女性暴力で向かってこられるとどうしようもない

皆ズレた議論をしてるが、問題の要点はそこなんだよ

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-07-25

メロス激怒した。

必ず、アベ政権を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、∃xist🧷🦐🌈/最近政治腐敗に非常に不満を感じています/ #アベ政治を許さない 普通の日本人/3.11きっかけに情報収集を開始/れい新撰組/肉球新党/安倍やめろ/フェミニスト/反ミソジニー/反ネトウヨ/日の丸君が代強制を許さない/脱原発/憲法改悪を許さない/沖縄基地はいらない/自衛隊武装解除/消費税撤廃/me too #ネット市民連合 #BlackLivesMatter である。それっぽいネット論客RTし、人格批判と総括で遊んで暮して来た。けれども自公言動に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスネットニュースサイトを出発し、特に越える物もなく、感情のままにTwitterにやって来た。メロスには思慮も、知識も無い。マトモなフォロワーも無い。国籍年齢不詳の、反アベな取り巻きと二人暮しだ。このフォロワーは、反アベの或る過激ネット論客と、近々、ネット署名運動をすることになっていた。革命も間近かなのであるメロスは、それゆえ、賛同者やら活動家やらを買いに、はるばるTwitterにやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからTwitterトレンドをぶらぶら歩いた。

飽きた

2019-12-22

トランス女性イスラム教徒

イスラム教徒テロリストいるからといって、イスラム教徒テロリスト扱いするのは差別

これはわかる

じゃあ女装痴漢いるからといって、女装男性女子トイレにいれないのは差別か?

これは必ずしもそうではない

ポイント武装解除

イスラム教徒であろうがなかろうが、テロリスト排除することは差別ではない

から飛行機に乗るときには区別なく武装解除させられる

ところが女性にとって男性の力というのはそれ自体凶器に近い

平均的には男性女性の1.5倍程度の腕力があるらしいが、これは男性なら一般人プロ格闘家くらい違う

男性の肉体は武装解除できないため、トイレのような無防備場所においてはトランス女性だろうが女装男子だろうが一般女性にとっては脅威なのだ

とすると解決策はおのずと見えてくる

トイレを誰にとっても安全システムにするしかないわけだ

2019-12-15

[] #81-11AIムール」

≪ 前

AIムール』は社内の事業機械ほとんど担っている。

からトラブルが発生した場合、その原因と是非は機械に求められるだろう。

ひとつ機械が起こした問題だとしても、人々は同社の製品全てに不信感を抱く。

それを解消するために全ての機械を作り直す、なんてのは大きな損失だ。

再発防止の強化にしたって新たなコストが発生するし、作業効率性も落とす。

リスクヘッジのために、そこまでやるのは割に合わない。

ましてや、『AIムール』は出来立ての企業だ。

この会社を作るだけでも莫大な金がかかっているだろうし、できれば余計な出費は避けたいはず。

そのためには“最小限の犠牲”が必要だ。

「つまりトカゲの尻尾切り”さ」

いや、この場合は“スケープゴート”といったほうが正しいか

からさまに尻尾の形をしていては逃げられない

スペアの頭”が必要だ。

「そのためにワレを“リーダー”に……“名ばかりの重役”にしたというわけか」

規格外派遣アンドロイドであるムカイさんは、『AIムール』にとっては都合がいい存在だろう。

派遣させた『256』にとっても、今は亡きメーカー中古品管理しているだけ。

あわよくば処分したい位に考えているのかもしれない。


「うへえ、えげつな~」

酷いやり口に、しばらく沈黙していたクラスメートたちも思わず声を洩らした。

だが、それを最も酷いと感じているのは、当事者のムカイさんに他ならない。

「ヤツラめ、どこまでコケにすれば気が済むのだ!」

ムカイさんは声を荒げ、勢い良く立ち上がった。

表情こそ変わらないが、そこから読み取れるものは難しくない。

次に繋がる行動も、誰の目から見ても明らかだった。

タントウシャはどこだ! ワレをリーダーに任命した、あのタントウシャだ!」

そう言葉を繰り返しながら、ギシギシと音を立てて歩き出す。

今にも暴れだしそうな勢いだった。

ムカイさんは“戦わない理由”をプログラムすることで、戦闘行動を自主的に抑えている。

言い換えると、“戦う理由”があれば歯止めがきかないってことだ。

「ど、どうしよう、マスダ」

このままムカイさんを行かせるのはマズい。

いくら武装解除しているとはいえ本来スペック戦闘用のそれだ。

その気になれば、この会社なんてひとたまりもないだろう。

「マスダの母さんを呼ぼう! 昔はムカイさんとよく喧嘩してたって聞いたぞ」

「それだ! 彼女なら止められる」

クラスメートたちはよほど混乱しているらしく、とんでもないことを提案してくる。

うちの母を荒事に介入させようとするなよ。

バカなことを言うな。そんなことしたら、なおさら収拾がつかなくなるだろ」

そりゃあ、母ならムカイさんを止められるだろうが、それはあくまで“物理的な仲裁”だ。

それでは大事になるし、みんなも無事じゃあ済まない。

血もオイルも流させないことが肝要だ。

「ムカイさん、ちょっと待ってくれ」

俺は回り込んで、ムカイさんの進行を遮った。

「マスダ! ワレに命令する気か!?

「違う、これはお願いだ。ひとまず座ってくれ」

ムカイさんとは家族ぐるみの近所付き合いだ。

母とは和解したし、弟はムカイさんのことを気に入っている。

こんなことで斜向かい空き家を作りたくはない。

次 ≫

2019-12-11

[] #81-7「AIムール」

≪ 前

リーダーに後ろから近づく。

まさかとは思っていたが、やっぱりだ。

至近距離で見てみると、その大きさがますます分かる。

アメフト選手相撲レスラーを足して、2で割らなかったような体躯だ。

もしも、ここで勢い良く振り向かれたり、抱えている荷物を落とされたりしたら大怪我は確実だろう。

客観的に見れば剣呑としているが、俺は気さくに話しかけた。

「やあ、調子はどう?」

「ん?……よもやワレに聞いているのか?」

リーダーは首だけ180度回転させ、こちらに顔を向けた。

俺の予感は確信に変わる。

「うぬ……マスダ、の長男

「そんな気はしてたけど、やっぱりムカイさんか」

「なぜ、こんなところにいるのだ?」

「それはこっちも聞きたいな」

漠然とは思っていたが、まさか本当にムカイさんだったとは。

…………

俺の知り合いだと分かるとクラスメートたちも会話に参加し始めた。

「怖くて近づけなかったとは、オマエラも薄情なヤツだな」

「ははは……ムカイさんに指摘されると、なおのこと申し訳なくなるね」

ムカイさんは戦闘用の兵器で、今は無き企業によって作られた。

AI戦闘用に作られているはずだが、感情表現は人並みに豊かだ。

現在武装解除され、『256』という会社が名義上ムカイさんを管理しているらしい。

しか実質的に放逐状態で、俺の家の斜向かい普通に生活している。

「ワレの戦闘プログラムをいじれる技術者が見つからなくてな。仕方なく、自ら“戦わない理由”を新たに規定することで抑えているのだ。そのせいで行動に大きなラグが生じてしまう」

「どれくらい?」

「平均0.2秒だ。以前は0.1もかからなかったというのに」

「いや、十分早いじゃん……」

「オマエラ基準で言われても慰めにすらならん。何をするにも戦闘プログラムと紐付けられているから、その度に処理が発生するんだぞ。この煩わしさはシェア不可能だ」

とはいえ現代社会に溶け込むためには色々と不便もあるらしい。

この『AIムール』で働いているのも、『256』に言い渡されて渋々やっているようだ。

「つまり、ムカイさんは派遣社員ってわけか」

なるほど、会社が未完全の状態にしては、アンドロイドだけ妙に揃いすぎていると思った。

足りない部分は、そうやって穴埋めしてたってわけか。

ムカイさんにチェックを必要としないのも、『AIムール』の管轄外かつ規格外からだ。

下手にいじれば改造行為にあたるため、コンプライアンス的にマズいのだろう。

ただ、未だ疑問も残る。

そんな派遣アンドロイドに、なぜ『AIムール』はリーダーを任せているのだろうか。

いや、なんとなく分かるような気もするが、その“可能性”はあまり考えたくない。

次 ≫

2019-07-18

社民党支持者だけど山田太郎に票を入れたほうがいいんだろうか

 

原発放射能問題には目をつむるとして、こんな政治的考えの持ち主なので当然票を入れる先は社民党日本共産党に絞られる。

しか日本共産党の最終目的資本主義制度の全破壊共産主義国家の樹立である

共産主義国家(特にソ連)の崩壊、強欲資本主義に飲み込まれ中国のように共産主義は失敗した制度である

結局日本共産党も支持できないとなると、必然的社民党に票を入れるしかなくなる。

今度の選挙も近所の投票所社民党に票を入れるかな…と思っていた。

 

ところがどっこい、今日京都アニメーション工場テロが発生。少なくとも10人以上の尊い命が失われた。

メディアに対するテロ行為は赤報隊による朝日新聞阪神支局襲撃事件彷彿とさせる。言論の自由を揺さぶテロ事件ではなかろうか。

かくいう私も昨日までは「ユーフォニアムとか言うブラック部活肯定作品を作って私腹を肥やす京アニは恥を知れ」と思っていた。

しかテロ事件を目の当たりにした今日、昨日と同じような京アニに対し批判的なことをいう気持ちにはなれない。

そんな中ツイッターを見ていたら山田太郎という自民党政治家が「京アニ事件は許せない。表現の自由は守る。」みたいなことを書いていた。

ツイッターフォローしている人の中に山田太郎の支持者が何人かおり、その人がリツイートしたのだろう。

今回の京都アニメーション事件で改めて痛感したのは表現言論の自由重要だということだ。それが暴力で踏みにじられることは絶対にあってはならない。

そう感じているときに「京アニ事件は許せない。表現の自由は守る。」という発言を迅速にする政治家候補がいれば、そっちに投票してしまいたくなる。

 

とはいえ山田太郎自民党政治家である自民党エネルギー問題のぞき全く支持できない政党だ。

自民党政治家による朝日新聞社や毎日放送などへの攻撃のように、表現言論の自由だって難癖付けて規制する気満々だろう。

とはいえこのタイミングで「表現の自由を守る」というとくらっときしまう。

はてさてどうすればいいか

2019-06-02

アジア安全保障会議中国国防相が米に反発

中国が脅威じゃないならなんでヒロシマナガサキ謝罪して核兵器放棄しないんですか

なんで被爆者平和団体中国武装解除要求しないんですか

2018-10-07

anond:20181007104309

逆に九条を強化して自衛隊武装解除させたり解散することだって原理的には可能なのに

なんで左翼の人たちはそっちの方向を目指さないの?現実見てるの?

2018-09-11

anond:20180911150045

虐待はともかくブラック労働は「法律違反」という明確な壁があるんですがそれは..

というか、「個別検証したり議論」もせずに「あいまい評価が分かれる」モノを一方的攻撃してんのフェミ側だろ。

まずは武装解除して出てこいや

2018-08-02

anond:20180801234555

アメリカに期待するのは間違い。

彼らは、江戸時代から日本人差別してるし、いまさら変わると考える方が変だ。

嫌だったらアメリカを出て他の国に行けば良い。

事情があって、アメリカにいるしかないなら、アメリカ感謝して生活した方が良い。

アメリカにも探せば良い所や学ぶべき点はある。

アジア人連帯するのは間違い。

モンゴル人、香港人台湾人日本人連帯するのはアリだけど、残念ながら多数派中国人朝鮮人

香港中国だけど、貨幣が違う事と、クール気質中国と別だと感じる。

中国朝鮮国家ぐるみ反日教育し、反日プロパガンダロビー活動スパイ活動犯罪行為をしている奴らだ。

連帯しようとしたら、数で負け、暴力で負け、彼らに支配されるのがオチ

中国一党独裁でないと国がなり立たないのは、武力しか中国人がまとまらないという現実を表している。

連帯という言葉には、日本人中国人と対等という意味を感じるが、それは夢でしかない。

中国人中国人が一番だと思っているし、日本を利用するもの、国、国土技術、金を搾り取る対象しか考えていない。

連帯が実現するとしたら日本人だけ武器を持って中国人武装解除させた時だけ実現する。

もしアメリカ刑務所にいて腕に自信が無いのなら、チカーノメキシコ)と連帯するのは、選択肢の一つだと思う。

アメリカ中国を敵と認識した今、日本人中国人連帯する事は、犯罪者に加担する黄色しかない。

日本人中国人と同じく迫害対象になるだろう。

その憎悪は、あなたが考えているよりも深くて、恐ろしい事態を招くだろう。

中国人悪事を働き過ぎた。

これからますます黄色迫害されていくだろう。

現実を見て、賢く立ち回る事が最善だと思う。

2017-11-02

アメリカの銃規制が進まないのには3つの原因があると思うという話

表題の件について、自分が納得できるだけの解説をしている記事があまりない、というか、前々から日本一般の人々にはあまりこの問題認知されていないような気がしていたので、需要があるかは分からないが個人的見解をまとめる私的メモという意味も含め、ここに記載しておく。

1つはアメリカ建国理念から来ていて、もし政府民衆に圧制を強いるとき民衆には武装して蜂起する権利憲法で認められているためである

もともとアメリカという国自体が、イギリスをはじめとする欧州圧政から独立してできたものなので、国家民衆が作るという意識が強い。そのためアメリカ合衆国は、政府暴走した場合対処法を、憲法公式に認めている。これが有名な「合衆国憲法修正第2条」である政府民衆国家権力で押さえつけ、搾取するような事態になれば、国民武装して現政府を打倒し、新たな政府を打ち立てることができる。(もちろん、他国から侵略に対する抵抗の意味もある)

そして最も重要な点は、そうするために国民武装することを、政府制限してはならないということだ。銃の所持を規制することは、すなわち武装することの規制に繋がる。これは国民のための権利であるから政府主導で銃規制をすることに対して、「そうやって武装できないようにして、俺たちに圧政を敷くんだろう?」という反発が生まれる。から規制は是か非かについて、明確に政治的正しさを持つ答えがなかなか出ないのである。極端な話、トラ○プが本当に危険独裁体制を築いたとき、現憲法下であれば銃規制を叫ぶリベラリストたちでも平等武装蜂起する権利を有している。

2つ目はより現実的市民生活に関する問題で、アメリカの広大な土地に起因する。

アメリカ田舎は、日本人には想像も付かない規模で広い。隣家まで車で何十分というケースはざらだ。たとえばワイオミング州鳥取県両国において最も人口が少なく、約56万人とほぼ同じだが、人口密度はおおよそ70倍以上にもなる。そんな地域でもし何か起こったとき警察保安官が到着するのを30分とか1時間、悠長に待っていられるだろうか?

こういった背景からアメリカでは田舎に行くほど、セルフディフェンスとかホームディフェンスと呼ばれる概念が浸透している。異常に治安が良いと言われる日本でも、ご近所同士のいさかいが原因で刃傷沙汰に発展するというのはよくある話だし、痴話喧嘩もあれば家庭内暴力もある。野生の危険動物だっているだろう。そういった事態に陥ったとき自分の身を守れるのは自分だけだ。だからみんな銃を買う。西部開拓時代、多くの人が傍らに銃を置いて眠っていた頃と、根本的には変わっていない。

なお、アメリカでこういった田舎に暮らす人たちは、人口の1割である3000万人ほどもいるという。3000万人と言えば近年急速な発展を遂げたメガティ中国重慶市と同じくらいだ。メガティ1つ分の国民安全自衛に委ねられているという、ある種異常な状態なのだ

3つ目はもっと単純で、ここまで広がってしまった銃を今さら回収するのが非常に困難な点にある。

アメリカでは1億丁以上の銃がすでに流通販売されており、およそ国民の2人に1人は銃を持っていると言われている。これほどまでに庶民の手に広まった銃を没収していくのは、そもそも物理的に難しいし、誰が何の権限でどのように回収するのか、抵抗に遭わず安全に回収できるのか、回収した大量の銃はどう保管あるいは処分するのか、これらのコストは、回収に応じない場合罰則は、などといった行政上問題も山のようにある。

ちなみに例として、戦後日本で行われた武装解除の際に提出された刀剣類の保有数は、平均して大体3軒に1軒くらいだったらしい。しかしもちろんそれがすべてではなく、未だに先祖の持っていたものが蔵から出てきたというニュースもあれば、土中に埋めるなどして隠匿したなどの話も聞こえてくる。またこの中に近代火器は含んでいない(登録された刀剣類の数を参考)。しかもこれが実行できたのは、敗戦という歴史的大事と、それに伴う武装解除のための占領政策GHQによる外圧という側面が大きい。平時にこれ以上の規模の銃規制を実現するのがいかに難しいか分かっていただけるだろう。

ここまで記したように、アメリカ国民にとっての「銃」とは何よりもまず自分自身安全保障するための道具なのである政府侵略者犯罪者、敵意を持った隣人たち、危険な野生生物などから自分生命財産家族、そして自由権利を守るための唯一にして最強の道具だ。

これが決して建前ではなく、国家の根幹と現実に即した実態であるというのが、今回私の言いたかった見解だ。これを読んだ方の、この問題に対する理解一助にでもなればと思う。

なお、一部の人たちが馬鹿ひとつ覚えのように諸悪の根源として扱ってしまうので、ここでは敢えてNRA=全米ライフル協会に関する記述は控えさせていただいた。ただ、誰もが銃を規制したいのに一部の頭おかしい人によって阻止されているという構図が正しくないということは、これを読んだ方になら分かっていただけると思う。

2017-09-24

武装難民についての発言麻生さんが叩かれてるが

武装した難民が押し寄せてくる事態への危機感って東京日本海東シナ海に面した沿岸部離島と内陸部や太平洋側で温度差あると思うんだよな

例えば対馬なんかはほんとに朝鮮半島と目と鼻の先

そして離島の例に漏れ過疎化が進んでる地域でもある

そこに万単位難民が押し寄せてきたら地元だけで対応するなんて無理

物も人も全く足りないからおそらく海岸に押しとどめておく事すら不可能だと思う

武装難民っていったらAKRPG持った元軍人みたいなのを想像する人もいるかもしれないけど、万単位素人が棒きれや石ころ持ってるだけでも過疎地離島じゃ十分な脅威だよ

武器を持っていても大人しくしてくれてるのであればなんとかなるかもしれないけど、腹ペコで気が立ってる状態なら何があってもおかしくない

言葉だって通じないし、食料も医薬品も毛布とかその他必要物資絶対足りない、きっとトイレも足りなくなる

ただでさえ追いつめられてる難民が余計に追いつめられてそれでも理性的に行動できる可能性の方が低いんじゃないかなぁ

射殺って言葉にひっかかってる人もいるだろうけど、数で負けてる側が数で勝ってる相手制圧しようとしたら究極的には殺しまくって数を減らすしかない

そして地元警察にせよ対馬駐留自衛隊にせよ数では絶対に負ける

そういう事態を防ぐには具体的な難民保護計画必要になる

単位武装難民武装解除して平和的に保護するには万単位自衛隊なり、警察機動隊なりが必要になる

その人員をどこから持ってくるのか? 人員必要物資をどう運ぶのか? 保護した難民をどこに収容するのか? その為の費用はどこから出るのか?

具体的な計画を立てておかないといざという時に対処できないまま、現場難民漂流先の住民殺害したり略奪したり、逆に住民自衛目的難民殺害したりという事が起こるかもしれない

計画があっても初動は防げないかもしれないけれど、それが拡大するのは防げるかもしれない

麻生さんの発言の仕方に関しては批判はあるだろうけど対処真剣検討する必要はあると思うよ

2017-09-10

もうヤルタやれよ、ここは勝者の世界分割やる場面だろ

北朝鮮情勢を見てると、世界史教科書に残るような歴史舞台が作れるのではないか妄想して、ワクワクが止まらない。朝鮮半島北部は、米国中国ロシアの利害が錯綜して、あたか火薬庫の如く状況となっているが、逆にいえば、この3大陣営の利害さえ一致できれば、朝鮮半島処分問題として、一挙解決可能だ。しか役者がすごい。米国トランプ中国習近平、そしてロシアプーチンだ。以下、妄想。 

場所は、黒海沿岸保養地とか、ベルリン郊外の森の中とか、オーストリアシェーンブルク宮殿とか、それなりに歴史に残ってもカッコいい場所

・3大陣営の首脳が、もっともらしい理屈をつけて、近辺諸国外交日程を組む。その合間を縫って極秘会談

テーマはもちろん北朝鮮処分戦後朝鮮半島北部の分割だ。

米国は、北緯38度線を超えての北朝鮮地域の大幅な占領にはあまり興味をもたない。むしろ韓国との関係を含め、徹底した軍事リスクの除去を求める。そのため必要な徹底した武装解除イムジン河以北数十キロ緩衝地帯化を行う。

中国は、人民解放軍中朝国境を超えて平壌にまで進軍。占領統治の中心をなす。核攻撃等で、汚染、荒廃した国土だが、中国にとっての緩衝国として傀儡政権樹立、枢要部を実質支配下に置く。

ロシアは、立ち位置が難しい部分はあるが、北朝鮮北部東岸ロシア入植地域のロシア保護名目に、朝ロ国境を超えて突如南下、不凍港を租借確保する。必要があれば、数万人規模で北朝鮮民をシベリア連行抑留し、極東開発のため数年間の労働資源としても良い。

合意成立後、直ちに3大国北朝鮮一斉攻撃だ。米国は、戦術核使用国境付近砲兵ミサイル基地への無力化攻撃空爆中国は、北京に北のミサイル照準が合わせられたことを名目に、平壌ほか主要都市への核攻撃。そして、もっと精神的打撃が大きいのが、友好国と考えていたロシアの参戦だろう。これで北朝鮮は、トップ金正恩以下、末端まで総崩れになる。

日本も、総理歴史的発言を用意しておかなくてはならない。インテリジェンス面で信用されていない我が国は、上記を米国から知らされるのは直前であるが、官邸でのぶら下がり取材ではこう言い放って内閣総辞職だ。「嗚呼極東の天地は複雑怪奇」と

2017-08-31

そんなに難しいか

どれも迷うほどの問題とは思えない。

(1)老夫婦

殺してはならない。このケースならば公的支援を受けられる可能性があるので、まだ最善の努力を尽くした状態とは言えない。「公的支援は受けたくない」というのは個人的趣味に過ぎない。

(2)新生児

殺してはならない。夫婦事情夫婦解決すべき問題であり、他者忖度することは許されない。もちろん、当該の子を生きながらえさせるために莫大な費用が発生する、その費用を捻出できる見込みがない、という将来はもちろん見えているかもしれないが、「それでも(夫の忘れ形見を)殺したくない」と母親が主張する可能性はゼロではない。いずれにせよ助産婦に「殺す権利」はない。

(3)凶悪

殺してはならない。速やかに、当該の自動車隔離できる施設を準備し(たとえば使われていない埠頭倉庫など)そこに自動車誘導、その後、催眠ガスを投入するなどして無力化し拘束するなどの方法が考えられる。そうでなくても、周囲から十分隔離した状況で、拡声器等により抵抗は無力であることを宣言し、武装解除投降を呼びかける。ただし、抵抗した場合は最悪射殺も視野に入れて配置を行う。凶悪犯を殺す場合でも「殺すしか選択肢がない状況」に至っていなければならない。

(4)凶悪犯2

殺すことはありうる。犯罪既遂未遂にかかわらず、人質の命が現に急迫の状況であることが明白ならば、状況を見て(人質安全を最優先に)犯人の射殺も視野に入れるべきである。これは「刑」ではなく緊急避難行為であるので死刑廃止している法にもその趣旨にも抵触しない。

なお「その司令官も彼に妻や子供をすでに殺されているし、対応している警察官の多くの関係者被害者である」→可能な限り事件関係者事件対応から外すなどの措置が求められる。行政行為執行に当たって利害関係者が関与する状況はただでさえ(人道的に)避けるべきであるが、まして行為が「敵討ち」にしか見えない状況であれば、その正当性への疑いを呼びかねないことから対応する管理者には十分な配慮が求められる。

(5)未知の奇病感染

原則、殺してはならない。もちろん、法的にこのような危険感染病の罹患者の権利制限されうる(数年前のエボラ出血熱の事例など参照)。また、病気理解した上で「感染を広げてやる」と主張し行動する行為は、普通に群衆対象とした無差別殺人と変わりがない(たとえば、AIDS感染を知りながらそれを告げずに感染危険のある行為に及んだ人間傷害致死の罪に問われることがあるのと同じ)ので、治安維持権限ある人には速やかな対処が求められる。この場合普通に爆弾を所持しテロを予告した犯人」と扱いは同じである。防護服を着用した警察官等により速やかに制圧しての逮捕妥当である

もしそれが「いかなる防護服も通用しない強力な未知の病気(?)」を想定しているのだとしたら、その場合可能な限り、遠隔から麻酔銃等により制圧して逮捕。その後は、法による対応起訴等)を進めつつ、他の感染者同様、残された時間範囲内で人道的な対応治療等)を施すことになるだろう。射殺は、それも不可能場合の本当に最終の手段である。「死ぬ可能性が高い」から「殺しても良い」という理屈は成り立たない。

「どんなことがあっても殺してはならない」という命題は、「どんな手を尽くしてもどちらかを殺さざるを得ない状況」にあっては実現不可能になるので、「場合によっては殺しても良い」という別の命題によってかえざるを得ない。これが緊急避難という考え方である。たとえば「正当防衛」など。人を殺しうる凶器をもち殺意をもって襲ってきた相手を殺してはいけないとなると、「自分」という人間を「殺してもよい」と判断したのと同じ事になり、明らかな矛盾が生じるためである。この場合相手を殺してしまっても殺人罪とは見なされない。(「カルネアデスの舟板」論)

ただし、正当防衛などの「緊急避難」が成立するためには、「どんな手を尽くしても~である状況」であることを証明できなくてはならない。もし安易にその拡大解釈を許せば、社会弱者を切り捨てることを安易に認めることにつながりかねず、危険である(例:大量の医療費を使うのは、別に貧困にあえいでいる人の生活を脅かすので、見殺しにすべき、など。昨今は政治家にもこの程度のレベル人間が多い)。

以上のようなことは、法理の基本を説く本にはたいてい分かりやすく書いてある。元増田(や一部の政治家)は、ネットに張り付いて小理屈をひねり回し得意がるより、少しは読書をした方がよい。

https://anond.hatelabo.jp/20170830204145

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

2017-04-26

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/katarenakaltutatoukyoudaikuusyuunosinjitu.html

戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカ日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。

 C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。

 「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。

 隅田川にかかる橋の欄干や、総武線ガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。

  東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。

 「戦争を忘れさせよ」 慰霊碑許可せぬGHQ

 D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。

 E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。

 地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。

 終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。

 D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書コピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。

 「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。

 70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。

 A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。

 C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷陸軍省参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑浜離宮上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。

 東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行三菱商事日本興業銀行横浜正金銀行東京銀行第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町霞ヶ関でも、内閣府国会議事堂警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界アメリカの盟友関係を裏付けている。

 軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。

 E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。

 B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。

 米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構

 A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。

 F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。

 A 終戦末期になると特高警察マークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。

 天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。

 B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。

 D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞正力松太郎朝日新聞緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。

 イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。

 E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。

 C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。

 都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。

 E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。

 B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。

 A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。

 F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。

 90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。

 A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省経産省防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。

 米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。

 財閥やメディアも米軍占領下で地位守る

 C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。

 F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一重光葵吉田茂近衛文麿などを「自由主義者穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。

 グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。

 のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。

 これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。

 A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。

 F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルン鮎川義介浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカ自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。

 A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。

 C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。

 もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカ共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。

 B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。

 F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。

 徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。

 A アメリカプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。

 C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。

 A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。

 しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。

 この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。

 分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義インチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。

 A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地自衛隊施設へ変わった。横田基地在日米軍司令部であり、すべての在日米軍自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。

 とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイグアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋東アジアを管轄する兵站補給基地だ。

 東京都港区六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。

 そのほかにも府中、由木、大和田硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。

 地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。

 B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県埼玉県神奈川県新潟県山梨県長野県静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。

 羽田空港成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。

 A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。

 B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。

 F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。

 司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる

2017-04-13

ファイアーエムブレム トラキア776攻略のためのヒント

ファイアーエムブレム トラキア776攻略のためのヒントを羅列します。

ファイアーエムブレムトラキア776任天堂公式ガイドブックでは、正攻法で攻めるような戦術を推奨していたと思います

ファミ通攻略本方が、良い戦い方を載せていた記憶があります

例えば、12章までにサフィの杖レベルをAにしてワープの杖を使うと楽になるのですが、

その戦術任天堂公式の方には書いていなかったような気がします。

うろ覚えですが。

FEトラキアは4章からしばらくがきついと思います。鉄の剣と傷薬の残りを気にする持久戦となります

・体格の低い人を丸腰にして、捕らえさせて敵のステータスを下げる。

・4章の地下牢獄には、書と勇者の斧を持ち込む(勇者の斧はダルシンが使えるはず)

・前の章でリフィスの経験値を90以上にして、次の章始めにレベルアップ。体格が上がらなければリセット(俗にリセットトレーニングと言われる)。

・売る・捨てるができないアイテムは盗むで敵に押しつけることができる。

ネールの書でリフィスを育てるとき盗むで、アイテムを盗む、押しつける(盗むコマンドでできる)を繰り返す。ただし、この運任せの体格上昇では体格19まで行かない可能性が高いので、計画的リセットトレーニングは行いたい。

ネールの書が手に入ったらその章でレベルアップしてクラスチェンジまでする。ただし、この時点でシーフファイターレベル20までにすると、

体格が上がりきらないので、レベルはほどほどに。ボディリング使う前提で良いので、18章までに体格19異常になることが望ましい。

※18章はアーマーを無力化すると楽になるので、ハンマーを盗むため。

・4章外伝でアスベルレベルをいくつか上げる。5章のマージ部隊はアスベルグラフカリバー対応すると楽らしい。

5章開始直後に自軍左の壁にアスベルを隣接させて戦わせる。

※私はこの戦術を実際に試していない。

・杖レベルを急いで上げて、11章外伝と12章と13章で敵将のところまでワープを使う。

・シーフでレイピアを盗み、活用する(レイピア特攻なら、銀の剣より少し低いくらいの威力があり、そして使いやすい)

レベルアップはなるべく書を持たせて行う。(書の具体的な効果攻略サイトに載っているので、キャラクターの成長率と見比べながら書を選択する)

・12章でウィンドを何冊も買って、アスベルの風レベルを上げてブリザードを使えるようにする。

・リペアは主にスリープに使う

・途中分岐は森を通るルートの方が簡単だったと思う。

・扉のカギが必要になる場面があるので、盗賊の鍵は優先的に使って構わない。

武器はあまり温存しなくて良い。見切りのあるマリータは最終章用に残したい。ドラゴンランスは優先的に使ってよい。専用武器で、野外で無いと使えないため、意識的に使わないと残る。

・敵から武器を盗んで、Sドリンクは余分に買いたい。

・指揮レベル活用をする(指揮レベルのあるキャラクター戦闘に参加させる)。

カリスマ武器スキルのあるおうじゃの剣や、カリスマ持ちのユニット戦闘に参加させる。

最終章エルフスキルが驚異なので、見切りの武器スキルを持つマリータの剣は10回くらい?温存する。それとトルードもいれば心強い。

トラキアでは、配置を自由に設定できないため、エルフの前に誰が配置されるか分からない。その為、トルードも育成しておく。

・リワープは沢山奪えるのでどんどん奪って、杖系ユニットレベル武器レベル上げに活用する。

特にサフィは最初ライブなど無駄遣いして武器レベルをAにしたい。

特攻系は優先的に使って良い。前述の通り、レイピアはがんがん奪って、アーマー系ナイト系にはガンガン使う。

・第8章外伝で手に入るネールの書(体格が少し上がりやすくなる)をリフィスに持たせ、レベルを上げて、シーフファイターにしてレベルをある程度上げたら、

その後はリフィスに敵の武器ガンガン奪わせる作戦にする。

敵を武装解除したらその敵は撤退するしか無くなるし、奪った武器を売ればお金になる。

・移動力を上げるレッグリングを使用するのは、輸送要員のカリンが良いと思う。

マジックリングも非売品なので、最後の方まで取っておいて、誰に使うかよく考えた方が良い。

ラーラは、シーフ→シーフファイターダンサークラスチェンジさせる。

武器屋が近くにあるところでは、無限お金を稼げることがある。

から武器を盗むと、敵は武器屋武器を買いに行き、また盗みの繰り返し。

17章B 5月の雨(東か西かで言えば東だっけ?)でやりやすかったと思う。

ただし、リフィスのリセットトレーニング計画が崩れないように注意。

強調するが、18章でレンスター兵を説得するとき、楽にするためにハンマーを奪いたいので、リフィスの体格を19にしなければならない。

・ほのおの剣は魔力+5なので、敵の杖攻撃避けに残しておく。

エリートの剣を装備すると、盗むも杖も経験値が2倍となる。

・「いかり」と「まちぶせ」を同一ユニットが持つと、いかりの方が出なくなるので注意

・誰か毒を受けたキャラがいると、ライブなど杖を使った経験値稼ぎがしやすい。

うろ覚えだが、馬、ペガサスドラゴンから降りている時は、経験値が多く貰えたような気がする。

2017-03-18

歴史に学ぶということ

教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。

経営者管理職自己組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。

桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人時代に再び戻された。

今でも、兵士民間人区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しか現実には、民間人普通に兵士として使われる。

大東亜戦争」では、通称赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵軍事工場普通に空爆しても、そこで非戦闘員労働している。学徒動員かいうのは、職業学生軍事産業就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである

国民一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)一般人犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代戦争までさ。

前近代戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道知行するという補填が行われている。そうして大名移住して開拓したり、下級士族屯田兵転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。

絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人ビビったんだが、ビビたからなおさら無差別殺戮してきたさ。そいで、広島長崎原爆実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。

歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公時代から変わっていないしな。丁稚奉公時代から未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑

景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。

2016-06-19

memo

2016/06/18日経より

2016参院選 各党の公約

民進党
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