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はてなキーワード: スケッチブックとは

2019-04-10

anond:20190410214219

「よくご存じですね。委員会の人ですか?」そういう言い方をされるのは腹立たしいです。俺のほうが何か不当な振る舞いを先にしていてたなら教えてください。もちろん一般的ネット関係者ではないという証明はできません。直接当人じゃなくても家族かもしれないし、恩人かもしれない。だから信じていただくしかないです。唯のファンです。

なるほど。いや「その可能性に委員会は賭けたんです」と断言されてたので、何か委員会に関する情報があるのかなと。

それはそうです。提示して、居心地の悪さを与えてそこで止めた。この手法にどれだけの効果があるかは未だわかりませんが、印象を残せたとは言えるのでは。

提示だけして居心地を悪くすることは、作品に悪印象を残すことになり、悪い印象の作品から何かを学ぼうとすることは人間はあまりしないので、負の効果があるでしょう。それを超える正の効果がある、とする根拠はないように思われます

SNSなどでの行動が必ずしも売上につながらないだろうとの説明を以前いただきましたが、それには説得力を感じました。商業的な基準で動いていない部分はたしかにあります。「だとすると」で対象限定するのは論理的でないと思います。先に善意合理的でありうる理屈を付けましたが、一期ファンへの悪意が合理的、という理屈はまだ与えられていません。

商業性を捨てた善意合理性を見るなら、商業性を捨てた悪意にも同程度の合理性は出てきます。まぁ悪意はさておくとして、商業性を捨てた善意を追求している、という過程は、かなり蓋然性が低い、とはいえるかと。

個人的には逃走を促されたときに「このまま行こう」としたのが、解り合おうとした、に入ると思うのですが、充分ではないと感じていらっしゃるのですね。

危険で、恐ろしいビーストから逃げず、敢えて解り合おうとする」ことをやりたいのかもしれませんが、暴れまくるビーストをどうやって船に乗せて連れてきたか、なぜみんな無事なのか、等がわからないので、危険さも、それを乗り越えようとする意志や行動も見当たらないのです。

キュルルちゃんは気にかけていた、と思います。パークの他のメンバーは全くそうでないので相対的に浮き立っているのでは。消えたビーストに気づいておらず、ビースト自身は神出鬼没なので探さなくても薄情というほどではないと感じました。

セルリアンに、けしかける」は相手のことを思った行為でもなんでもないですよね。ビースト自分の都合で利用するだけして、その後も、何も気にしてない。キュルルちゃんにはキュルルちゃんで考えてることがあるのかもしれませんが、それが示されてないので、薄情にしか見えないのですよ。

承服できませんが、反論する材料の持ち合わせもありません。

世の中には色々な人がいて、一人一人異なる意見を持ってます。それのどれが正しい、間違いというわけではないですが、全体の平均を取ると、「初見面白くないと感じる作品の、考察は、されにくく、されても特に人気に繋がらない」ことになります。もちろん例外はありますが、例外には例外理由があるわけです。

仮にそうだとすると、海に落ちたときに「ざまあ」と言われたのは、視聴者の多くがキュルルちゃんの行動にはイエイヌに対して責任があったと判断した根拠になりますね。俺が彼女の行動を責められないと思う理由は既に述べました。

視聴者の多くというか「ざまあ」と言った人の多くは、ですね。まぁ視聴者の多くは、イエイヌに対するキュルルちゃんの行動・言動問題があったと判断しているでしょう。あなたから見てキュルルちゃんが責められないとして、制作者は、それをきちんとわかりやすく示すべきです。キュルルが、とっさにイエイヌにお礼を言うことを思いつかなかったのなら、他のキャラなりに、うながさせるとか方法はいくらでもあるのです。

いいえ、フィンクション的でない書き方を目指したのではと申していますドラマ的にすると全体の流れは合理的でも各イベントはどうしても発生を偶然に頼るところがあります。もちろんそれでも潤沢にリソースがあれば両立できるでしょう。

すいません、よく意味がわかりません。ドラマ的にすると、各イベントの発生を偶然に頼るというのは、どういうことでしょうか?

けもフレ2の方がフレンズ同士の会話量は多かったと思います

量より質ですね。

ヒト型セルリアンに吸収されそうになったフレンズは描かれていません。必死さが必要なほどは恐ろしくはなかったと判断しています。緊張しているからこそ笑いは活きるのでは。

気を抜くとヒト型セルリアンに吸収される危険な状況であることは変わりません。そんな状況で、のほほんとしてると、セルリアンの存在危険自体茶番に見えてしまって、リアリティを失うのです。

緊張してる時にこそ笑いが生きる場合がありますが、それは、危険な状況の中で、敢えて、笑おうとする場合の話です。キャラクターが、危険理解したそぶりもなく、漫才めいた会話をやってることではありません。

文学作品というか純文学? その辺りのものは内容が予め示されないでしょう。書き逃してしまったのですが、実際にはけもフレ2はカレーでもエンタメ小説でも文学作品でもありません。どのようなものと捉えるか、どれほどを期待するか。これは許容範囲問題です。

エンタメ的な価値観でない、文学的価値観から評価可能でしょう。ただエンタメ商業作品次回作で、エンタメでない純文を目指したら、そりゃ客は低い評価を下します。それも覚悟で作ったのなら、それでいいでしょうし、そういう覚悟がなかったなら、アホだなぁと思います。でまぁ、別にエンタメ否定した純文を作りたかったわけではないと私は思います

同意できません。最後の一ページの行方とキュルルちゃんの正体が最後のたったワンカット解決されるのはエレガントでしょう。”おうち自体位置”は眼目でないと思います。一行はおうちの手がかりを追って旅したのであって、おうちの場所は一度も問題にされていません。

おうちを捜してたんだから、おうちに着かなくてもいいけど、おうちが何だったかを明らかにしてください。

蛇足かもしれませんが、ミステリ観点についてもう少し説明させてください。個人的には「フレンズのみんなが大好きだからここをおうちと決める」のは合理的だと思っていますが、そもそも「大好きなんだーっ」に至る理由が足りてないとは思っていました。作中全体のドラマでキュルルちゃんフレンズを好きになったという話が見当たらない。発想を転換して、キュルルちゃんはもともとフレンズを好きだった、だが気づいていなかったと捉えるのはどうでしょう。「フレンズを好きだということに気づいていく」というお話だったんです。フウチョウとのやり取りで、「これはもともとおうちを探すために描いたんじゃないから」と言ってました。そこで初めてスケッチブックの絵の理由に思い当たった。最終話EDでこれ見よがしにスケッチブックの絵が流されますけもフレ1ではフレンズの影と旅した風景でした。ED表現はヒントだったのではないでしょうか。今まで絵は散発的に出てきましたが、まとめて並べられたことはなかった。あれを見せられた観客はスケッチブックの絵にはほとんどフレンズの姿がないことに気づくわけです。ゴリラは後ろ姿だし、ペパプはいるけど荒野のはなんかわからない影だし。キュルルちゃんが描いてきた絵はすべてフレンズが楽しそうにしている。そういうものフレンズに渡してきた。スケッチブックにはそんな画風のがなぜ無いのか。要するに全部フレンズにあげてしまたからです。イエイヌの持っていた最後の一枚は当時描かれた絵の行方を示していました。昔も今と同じようにフレンズを好きだった。視聴者最後カットでそれを発見するんです。

キュルルは(イエイヌとかビーストの件を除くと)最初からフレンズに親切ですし、特に自分フレンズを好きだと気づいていない」ようにも見えないので、「自分フレンズを好きだということに気づいた」と言われても、盛り上がりがないんですよ。

ちなみに、キュルルの正体って、一話のキュルルが出てきたところに、サンドスターがあって、ラストで、パークが無事な時からいたことがわかるから、キュルル自身フレンズだろうという話ですか?

anond:20190410195734

「よくご存じですね。委員会の人ですか?」そういう言い方をされるのは腹立たしいです。俺のほうが何か不当な振る舞いを先にしていてたなら教えてください。もちろん一般的ネット関係者ではないという証明はできません。直接当人じゃなくても家族かもしれないし、恩人かもしれない。だから信じていただくしかないです。唯のファンです。

「単にテーマ追求をやめる」ことには意味がないです。

それはそうです。提示して、居心地の悪さを与えてそこで止めた。この手法にどれだけの効果があるかは未だわかりませんが、印象を残せたとは言えるのでは。

もし、けもフレスタッフ商業以外の目的のために、エンタメ基本的面白さ、そこから来る売り上げを捨ててるというのなら、彼等は要するに、商業的な基準で動いてないわけです。だとすると、彼らが一期および一期ファンへの悪意で作ってるという推測も同程度に合理的ということになります

SNSなどでの行動が必ずしも売上につながらないだろうとの説明を以前いただきましたが、それには説得力を感じました。商業的な基準で動いていない部分はたしかにあります。「だとすると」で対象限定するのは論理的でないと思います。先に善意合理的でありうる理屈を付けましたが、一期ファンへの悪意が合理的、という理屈はまだ与えられていません。

「解りあえなかったとしても、解ろうとするのは別にいいじゃん」から来てるのに、全然解り合おうとする様子も、解り合った様子もないところが、まず肩すかしです。

個人的には逃走を促されたときに「このまま行こう」としたのが、解り合おうとした、に入ると思うのですが、充分ではないと感じていらっしゃるのですね。

ビースト場合特に何とも誰とも繋がってない

キュルルちゃんは気にかけていた、と思います。パークの他のメンバーは全くそうでないので相対的に浮き立っているのでは。消えたビーストに気づいておらず、ビースト自身は神出鬼没なので探さなくても薄情というほどではないと感じました。

初見面白くないと感じる作品の、考察は、されにくく、されても特に人気に繋がらない

承服できませんが、反論する材料の持ち合わせもありません。

そいつに全く責任がなくても、あまりにも疫病神キャラに対して「酷い目に遭ってほしい」と思う場合もありますが、そういう場合は、そのキャラ自体が嫌いになっています

足引っ張り系ヒロインみたいなやつですね。

不快感を与える行動をしたとしても、そいつ責任がないと同情できるキャラは、酷い目にあってほしくありません。

仮にそうだとすると、海に落ちたときに「ざまあ」と言われたのは、視聴者の多くがキュルルちゃんの行動にはイエイヌに対して責任があったと判断した根拠になりますね。俺が彼女の行動を責められないと思う理由は既に述べました。

主人公キャラ不快感を感じると、作品全体の評価が下がるんですよ。

必ずしもそうでないと思いますが、これも反論できません。

わざわざ伏線放棄してつまらないと思わせる必要はないのです。現実の厳しさを描くからといって、面白作品を作ろうと思えば作れるのに、わざわざ、つまらない作品制作者が目指した、というのは、私から見て悪意のある解釈です。

いいえ、フィンクション的でない書き方を目指したのではと申していますドラマ的にすると全体の流れは合理的でも各イベントはどうしても発生を偶然に頼るところがあります。もちろんそれでも潤沢にリソースがあれば両立できるでしょう。

もっと全く違う印象のものにしたほうが良いでしょうが、さておいて「これはけもフレ1とは違う作品で、違う切り口で作っているんだな」と視聴者に心構えをさせ、けもフレ1と違っても、単なるミスではなくて、何か意図があるのかなと考えさせる効果があります。つまりけもフレ2をけもフレ2として評価やすします。

うーん、個人的にはけもフレ2の事前の印象は異なっていると見えていてギスギスは十分許容範囲なのですが、一般論としては理にかなっていると思います。どこかのコメントでもナンバリングタイトルにしない方が良かったと言ってる方はいました。

けもフレ1でも、これまでのフレンズが、これまでのかばちゃんとの思い出を生かす形で大勢出てきますし、フレンズとの交流を絡めることと、緊張感を保つことは両立します。

けもフレ2の方がフレンズ同士の会話量は多かったと思います

「恐ろしい敵との生死を賭けた戦闘中に、緊張感のない漫才をやる」は、両者の良いところを打ち消しあってます

ヒト型セルリアンに吸収されそうになったフレンズは描かれていません。必死さが必要なほどは恐ろしくはなかったと判断しています。緊張しているからこそ笑いは活きるのでは。

商品内容をはっきりさせて誤解させない」ことは商売原則倫理であり

文学作品というか純文学? その辺りのものは内容が予め示されないでしょう。書き逃してしまったのですが、実際にはけもフレ2はカレーでもエンタメ小説でも文学作品でもありません。どのようなものと捉えるか、どれほどを期待するか。これは許容範囲問題です。

ミステリなら、「謎の存在であるキュルルが、スケッチブックという手がかりを追って、おうちを捜す」という話で、キュルルの正体もおうちも見当たらない時点で、零点です。

同意できません。最後の一ページの行方とキュルルちゃんの正体が最後のたったワンカット解決されるのはエレガントでしょう。”おうち自体位置”は眼目でないと思います。一行はおうちの手がかりを追って旅したのであって、おうちの場所は一度も問題にされていません。

蛇足かもしれませんが、ミステリ的観点についてもう少し説明させてください。個人的には「フレンズのみんなが大好きだからここをおうちと決める」のは合理的だと思っていますが、そもそも「大好きなんだーっ」に至る理由が足りてないとは思っていました。作中全体のドラマでキュルルちゃんフレンズを好きになったという話が見当たらない。発想を転換して、キュルルちゃんはもともとフレンズを好きだった、だが気づいていなかったと捉えるのはどうでしょう。「フレンズを好きだということに気づいていく」というお話だったんです。フウチョウとのやり取りで、「これはもともとおうちを探すために描いたんじゃないから」と言ってました。そこで初めてスケッチブックの絵の理由に思い当たった。最終話EDでこれ見よがしにスケッチブックの絵が流されますけもフレ1ではフレンズの影と旅した風景でした。ED表現はヒントだったのではないでしょうか。今まで絵は散発的に出てきましたが、まとめて並べられたことはなかった。あれを見せられた観客はスケッチブックの絵にはほとんどフレンズの姿がないことに気づくわけです。ゴリラは後ろ姿だし、ペパプはいるけど荒野のはなんかわからない影だし。キュルルちゃんが描いてきた絵はすべてフレンズが楽しそうにしている。そういうものフレンズに渡してきた。スケッチブックにはそんな画風のがなぜ無いのか。要するに全部フレンズにあげてしまたからです。イエイヌの持っていた最後の一枚は当時描かれた絵の行方を示していました。昔も今と同じようにフレンズを好きだった。視聴者最後カットでそれを発見するんです。

anond:20190410171528

そうでない理由はないでしょう。その可能性に委員会は賭けたんです。

よくご存じですね。委員会の人ですか?

医者に出来ないことはありますが、医者行くのやめたら健康になる可能性に賭ける、という主張に合理性はありません。

よくできたアニメ、よくできた物語は、ある程度人の心を動かす力があります。それで足りないと思うなら、それ以外の方法論を捜すことはできますが、「単にテーマ追求をやめる」ことには意味がないです。

作品のゴールが、売上やエンタメ作劇論でいう面白さ以外にあるとしたら、けもフレ2が失敗だったのかさえまだ判断できないでしょう。

私は前に「商業作品なのだからファンへの悪意で作品を作るわけはないだろう」と主張しました。

もし、けもフレスタッフ商業以外の目的のために、エンタメ基本的面白さ、そこから来る売り上げを捨ててるというのなら、彼等は要するに、商業的な基準で動いてないわけです。だとすると、彼らが一期および一期ファンへの悪意で作ってるという推測も同程度に合理的ということになります

他の目的もあるけど、商業的な目的も重視してる、というのなら、商業的な面では失敗ですね。

すいません。アイデアの語を選んだのが誤解を招きました。「一般的な作劇として...そこに意味を持たせるわけです。キュルルが人類の罪深さを知って、それを贖罪しようとするとか」について言ったつもりです。

「とか」と書いた通り、キュルルが贖罪する必要はないのです。意味を持たせろと言っています

俺も生死は問題視していません。けもフレ2作劇の方向性がみてとれる判断材料として取り上げたつもりです。

なるほど。それはそれとして、ビーストの生死を隠す作劇のために、キュルルを薄情に見せたら、作品評価が下がるという点は変わりません。

そうでしょうか。意思のない怪獣が大暴れするとか… 観念的な代理役がアクションを行う作品はあると思います

お話の流れ的にはキュルルの「解りあえなかったとしても、解ろうとするのは別にいいじゃん」から来てるのに、全然解り合おうとする様子も、解り合った様子もないところが、まず肩すかしです。

次に怪獣人格がない場合は、「家族怪獣のせいで失って復讐鬼となった男」とか「怪獣によって故郷を失った人々」とか、そういった感情移入要素を起きますビースト場合特に何とも誰とも繋がってないので、感情移入が、ほとんど、できません。

必要がある”とまで言える理由がありますか。俺のようなネット考察班が表立って声を上げにくいのは、養護即悪の空気があるからです。

必要」と書いたのは書きすぎかもしれませんね。初見面白くないと感じる作品の、考察は、されにくく、されても特に人気に繋がらない、と、訂正します。

不快感を与える行動をしたヤツが酷い目に遭うのが気持ちいいわけです。

違います。「酷い目にあって当然だ、と、思えるキャラが酷い目に遭う」のが気持ちいいのです。「酷い目に遭って当然だ」と思えるのは、悪いやつ、嫌いなやつだったり、悪いことに対して責任があるキャラクターです。

不快感を与える行動をしたとしても、そいつ責任がないと同情できるキャラは、酷い目にあってほしくありません。

より細かい話をすると、そいつに全く責任がなくても、あまりにも疫病神キャラに対して「酷い目に遭ってほしい」と思う場合もありますが、そういう場合は、そのキャラ自体が嫌いになっています

ところでキュルルちゃん評価下落はある程度は、けものフレンズ全体として問題ないのではないでしょうか。売りたいのはサーバルカラカル・ペパプといった動物擬人化キャラクターでしょう。人気アンケートをやったらけもフレ2が生み出したイエイヌは、かばちゃんサーバルと二位を争えるレベルの人気になるのでは。

前にも述べましたが、主人公キャラ不快感を感じると、作品全体の評価が下がるんですよ。またイエイヌ相対的に人気が出たでしょうが、「イエイヌは好きだが、けもフレ2という作品は嫌い」という人は、イエイヌグッズとかを買う可能性が低いので、ダメです。

区別がつかないのはそのとおりだと思いますしかしもともとのお話は”悪意”かもしれないが”無能説明がつく”だったでしょう。どちらでもあり得るわけです。「いい加減な脚本ではない」と説得はできませんが、「現実的な厳しさを描いた」で説明可能と申し上げています視聴者の悪意説を推していますが、確かに、退屈だったから説にも説得力を感じました。実態は両方なのかもしれません。

ですから現実の厳しさを描く」ために、わざわざ伏線放棄してつまらないと思わせる必要はないのです。

現実の厳しさを描くからといって、面白作品を作ろうと思えば作れるのに、わざわざ、つまらない作品制作者が目指した、というのは、私から見て悪意のある解釈です。

「また会おうね」「約束だよ、かばちゃん」。これは通常のドラマであればどちらかが旅立つときに言うセリフではないでしょうか。でもこの後は両者ともパーク内に留まるわけで、これは作劇的にはおかしいといえるのでは。「遊びに来てね」「行くよ… 絶対」などのほうがふさわしいように思います素人でも秒で思いつき、しかも尺も取らず演出も変わらない。制作無能では説明するのは厳しくないですか。

そのセリフについて制作者が無能だと言ってるわけでも、現実の厳しさを目指すのが悪いと言ってるわけでもないです。単に、現実の厳しさを目指しながら、伏線を処理して、面白物語を作れるでしょうという話です。

ポスター的な告知絵(なんていうんでしたっけ?ああいうの)は楽しそうにしてるサーバルカラカルですが、あれを例えばカラカル腕組みさせるとか… そのような感じでしょうか。でもそれはどれほど効果があるのでしょう。

もっと全く違う印象のものにしたほうが良いでしょうが、さておいて「これはけもフレ1とは違う作品で、違う切り口で作っているんだな」と視聴者に心構えをさせ、けもフレ1と違っても、単なるミスではなくて、何か意図があるのかなと考えさせる効果があります。つまりけもフレ2をけもフレ2として評価やすします。

アンチするやつはするでしょうが、そういう層の数や説得力が減るでしょう。

そうでしょうか。けもフレ1の最終戦リピートする視聴者はそんなに多いと思わないです。

けもフレ1の最終戦闘は、感情的にも、アクション作画的にも非常に盛り上がるところであり、かなりリピートされてるかと思います

そのため前期では戦闘の期間を一話くらいに短く収めた。今期では長くして多くのフレンズ交流を絡めた代わりに、緊張感を抑えたのでは。ホテルでのパンダの振る舞いやペパプへの妄想など、戦闘中にさえ気を抜ける掛け合い漫才が入ってきます

けもフレ1でも、これまでのフレンズが、これまでのかばちゃんとの思い出を生かす形で大勢出てきますし、フレンズとの交流を絡めることと、緊張感を保つことは両立します。

戦闘中に長い掛け合いや、ほのぼのとしたコントはやりにくいですが、戦闘中にやらなきゃいいだけの話です。

エンタメドラマ的には失敗。そのご意見には納得できました。これはエンタメドラマではなく… ミステリを目指したと考えるのはどうでしょうバラエティ漫才ミステリの間の子です。視聴者タイプを A.漫才で和む B.ドラマを楽しむ C.考察する の3つに分けて考えて、A,C を重視したためにBへのフォローが疎かになってしまったのでは。

ミステリなら、「謎の存在であるキュルルが、スケッチブックという手がかりを追って、おうちを捜す」という話で、キュルルの正体もおうちも見当たらない時点で、零点です。

漫才で和むのはいいんですが、「恐ろしい敵との生死を賭けた戦闘中に、緊張感のない漫才をやる」は、両者の良いところを打ち消しあってます

Bだけがおろそかなのではなくて、AもCもダメなんですよ。

アニメ料理に例えるのに躊躇はないけど、それぞれで想像しているものが違う。これを面白いと思いました。でも看板にハッキリ”優しい世界”ですと書かれてはいなかった。観客側の受け入れられる間口が狭すぎるのが問題かと申し上げています(その狭さを作った責任が観客にないとしても)。

観客に問題があるとしても「商品内容をはっきりさせて誤解させない」ことは商売原則倫理であり、そっちはそっちで問題だというだけの話です。

anond:20190409151933

物語を使って視聴者特定の行動を促すというのは実は無理なのではないでしょうか。

物語に過大な期待をしすぎです。どんな集団にも過激な人はいるし、けもフレファン集団でも同じです。けもフレを見た過激な人が急に全員優しくなるようなことがあったら、それはもはや洗脳です。

からといって、テーマに絡めることを諦めて、中途半端エピソードにしておけば「人間が歪めた動物について考え」るかというと、そういうものではありません。

おっしゃったアイデアにあったようにキュルルちゃん人類の罪を贖罪してしまえば、見ている方はスッキリした気分になってしまって何か教訓を得ることはないということです。

キュルルちゃん人類の罪を贖罪するプロットを書いたつもりはないのですが、ともあれ、やりたいことが「人間が歪めた動物について視聴者を考えさせること」なら、それにそってテーマを展開してプロットを作れば良いかと。テーマに絡めることを諦めても、その点は改善しません。

俺は、ビーストは死んでないと思います

最終的に死んでるか死んでないかは、別に、どうでもいいんですよ。問題はキュルルが、「自分が呼んだビーストの無事を確かめもせず、喜んでる薄情極まりないキャラ」として描かれていることです。

キュルルちゃんの思いが言葉だけじゃなく行動になるまでに固まる。

「キュルルが身の危険を顧みずにビーストを説得してわかった」みたいなシーンが別になく、暴れるビーストが、素直に船に乗って(?)キュルルについてきたのか、さっぱり分からないので、特に盛り上がりません。

それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。

ビースト側の考えや動機意志が全く見えないので、ビースト感情移入しようがなく、大暴れが気持ちよくもないし、死んでも、さほど悲しくもないです。

一話の最後スケッチブックをめくり千切られたページを目にするシーンがあります。状況的にあそこでは手がかりを見つけるために捲っていたのであのページが最後になることはキュルルちゃんは判っていたと思いますホテルでリョコウバトに集合絵を渡すときに、観覧車の次のページに集合絵を描いていて、その次が白紙であることが一瞬見えます

なるほど、ありがとうございます

俺はけもフレ1・2・ケムリクサすべてで、伏線や回収、世界観の開示などを目を皿のようにしてさがし、それに理屈をつけるような見方をしています。それで楽しめています

それは一つの楽しみ方ですし、尊重しますが、たいていの人は初見感想判断します。初見面白いと思ったからこそ、見返して伏線を捜すわけで、つまらない作品を、わざわざ見直し伏線を捜したりする人は少数派です。

もし制作者がネット考察班を動かしたいのなら「初見でわかる範囲面白い」と感じさせる必要がありますけもフレ2は、それに失敗しているのです。

キュルルちゃん立場から見て、イエイヌ価値観尊重してああ言ってあげる、というのは悲劇トリガーには観念的にはなっていますが、無責任・悪意のある行動には思えないです。カラカルが介抱していて危機的状況から開放されて安心しているという状況です。みため年齢的に見ても致し方ないかと。キュルルちゃんは魅力的なキャラクターとして描かれていてそれは成功していると思っています。この扱いで好感度が下がる合理的理由はないでしょう。

仮にキュルルが、悲劇トリガーではあっても、本人に無責任・悪意はなく、年相応と理解されるのであれば、そんなキャラクターが海に落ちても、爽快感は生みませんので、それはそれで作劇として失敗です。

海に落とすことで爽快感を引き出したいのなら、キュルルが酷いやつと感じられる必要があります(そして主人公が酷いやつと思われたら、作品への好感度が下がります)。

しかし確かにセルリアンとの戦闘けもフレ2全体で退屈な仕上がりになっている印象は否めないです。制作なりに「優しい世界」を目指した結果ではと考えています戦闘けもフレ1に比してもピンチ感は少なくなりました。見返したときに緊張感が高くならないようにあえて戦闘テンションを抑えたということです。

クライマックス戦闘を、わざわざテンション抑えて緊張感が高まらないようにして退屈に仕上げたら、それは「優しい世界」ではなくて「盛り上がりにかけたつまらない作品」です。意図的ものではなく、制作側の技術リソースが足りなかっただけでしょう。

セルリアン集合シーンはけもフレ1の名シーンほどの決めカットではないです。先に申し上げたとおり、あの状況ではああいう絵にしざるを得ない、共通性を見出すのは無理矢理のこじつけですよ。

わざわざ似せようとしなくても自然と似るであろうというのは、その通りです。その上で、1,2で共通する「フレンズ軍団セルリアン」シーンである以上、視聴者共通性を捜します。そういうシーンであることを踏まえる必要があるのです。

けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。

伏線的な設定が明らかにならないことで現実的な厳しさを描いた作品」は「伏線処理に失敗した、いいかげんな脚本」と区別がつかないんですよ。

別にビーストイエイヌが救われなくても、キュルルがおうちを見つけられなくても、いいんですが、このままだと単に「破綻した脚本」にしか見えないんですよ。伏線をきちんと解消してもビターエンドはできます

いえ、今はまだ固まっていない段階です。その正体をつかめない段階で用語意味を固定してしまうと先へ進むことができなくなるでしょう。必要ときにその都度「この作品のこの部分は優しい世界か?」「優しい世界とはなんだ?」を繰り返して意味を掘り進めていくべきです。

それについてはお任せします。私は「優しい世界」という用語特に興味がないので、これ以上は控えます

絵柄が大きく変わっていることは初見でわかりますSNSで憤慨しているファン監督交代騒動は耳にしていたはずです。

私は絵柄は前作を踏襲したもので、さほど大きくは変わってないと思います。少なくとも、ギスギスさを予感させる変化ではないですね。キービジュアルも仲良しフレンズで、交代した監督も「 前シリーズリスペクトし、面白いと思ったところは全部入れてます」と言っている。

総じて、ギスギス、ダークを予感させるものでは全くないです。

けもフレ2も最初からスギスしていたわけでなく、センちゃんアルマーさんの実態ジャングルメンバーなど、段階を追っての開示になっているとは思います

段階を追って開示するのではなくて、一番最初から「今回のけもフレ2は、前回と違うぜ、ギスギスだぜ」ってやらないといけないんですよ。途中からスギスしたらかえって混乱します。

スパイスの効いた辛旨なカレーで有名になったお店が、【店長スタッフが変わって】、でも看板はそのままだった。それでも気になってお店に入ってみたら、全然違う甘々な、しかも不味いカレーを出された

辛旨カレーだった店が、看板そのままで甘口カレーを出したら来た客は混乱しますわな。店主が替わったのは知ってても、店の名前が変わってなくて、特に告知がなければ、同じような味を期待するでしょう。カレーの味を変えるのはいいんですが、辛口カレーの中でバリエーションが変化した、とかではなく、甘口カレーハヤシライスビーフシチューなりに変えるなら、看板に大きく「甘口カレーetcの店になりました」と書いておくべきでしょう。それは、客がどうすべきであったか、悪質な客がいたかどうか、とは全く別の話です。

2019-04-09

anond:20190409045845

人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

しかに。フレンズの選定や居心地の悪さ、フウチョウの問いかけも含めると、制作意図があったのは反論しようがないです。ならば、それをテーマに絡めることを諦めたというのはどうでしょう。ここ最近の界隈の雰囲気を見ると、けもフレ1でさえ信者とまで言われるほどの熱心なファンに「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」「のけものはいない」のような世界観を教える事はできなかったわけじゃないですか。結果論ですが、船長ワカバが休んでれば赤い木の騒動なんて起こらなかったのに、それを作ってるたつき監督自身が過労気味なわけじゃないですか。物語を使って視聴者特定の行動を促すというのは実は無理なのではないでしょうか。おっしゃったアイデアにあったようにキュルルちゃん人類の罪を贖罪してしまえば、見ている方はスッキリした気分になってしまって何か教訓を得ることはないということです。制作サイドに人間が歪めた動物について考えてほしいという善意があって、それをエンタメ物語に乗せて実現させるための方法として、示唆で止めておく手段を選んだ。いかがでしょう。

俺は、ビーストは死んでないと思います。そこにけもフレ2の作劇の方針がみてとれる気がするのです。個人的にはビースト周りのドラマはなかなかに心揺すられました。パークの重鎮のかばんさんさえ”アイツ”よわばりする厄介者イエイヌを追い詰めサーバル撃退されたけど、スケッチブックの集合絵に入れてあげた。「解りあえなかったとしても、解ろうとするのは別にいいじゃん」、ボートに現れたビーストから逃げることを促されてもこのまま行くと言い切る。キュルルちゃんの思いが言葉だけじゃなく行動になるまでに固まる。それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。このドラマ普通に決着させようとすると、うーんたとえば、瓦礫の中にビーストを探したが見つからず、足跡がパークに続いてくのを見て「いつかまた会おう」とひとりごちる、とかになるでしょうか。でもそうせずに瓦礫に埋もれて消える描写にした。ホテルメンバーの救済のために尺が足らなかったのかもしれませんが、俺は刮目してみていたので気づいていました。ホテル屋上のあの位置は頭上に障害物はなく、瓦礫に埋もれたのはカメラのほうだと。つまり誤解させる演出になっているわけです。多くの視聴者初見で、ああビースト死んだのか可愛そうやな、とおもってSNS悲鳴を流します。それで解析班が動いて「ビースト死んでなかった!」という記事ホットになる。木村監督は交代時に、けもフレ1の魅力は散りばめられた伏線、のようなことをおっしゃってたと思いますネット考察版が動くことを期待して放映後に爆発する仕掛けを組んだというわけです。エンタメ作劇的には王道ではないでしょうが、このような狙いがあったのでは。

俺はけもフレ1・2・ケムリクサすべてで、伏線や回収、世界観の開示などを目を皿のようにしてさがし、それに理屈をつけるような見方をしています。それで楽しめていますけもフレ2では話の途中に掛け合い漫才みたいなのが頻繁に入ってくるので、その部分もニコニコながら見ていました。確かにドラマとして登場人物紆余曲折が一つのテーマ収束していく様はあまりけもフレ2にはないですが、その部分に多くを期待しない鑑賞スタイルには合っているような気がします。

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーン

一話の最後スケッチブックをめくり千切られたページを目にするシーンがあります。状況的にあそこでは手がかりを見つけるために捲っていたのであのページが最後になることはキュルルちゃんは判っていたと思いますホテルでリョコウバトに集合絵を渡すときに、観覧車の次のページに集合絵を描いていて、その次が白紙であることが一瞬見えます

キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります

キュルルちゃん立場から見て、イエイヌ価値観尊重してああ言ってあげる、というのは悲劇トリガーには観念的にはなっていますが、無責任・悪意のある行動には思えないです。カラカルが介抱していて危機的状況から開放されて安心しているという状況です。みため年齢的に見ても致し方ないかと。キュルルちゃんは魅力的なキャラクターとして描かれていてそれは成功していると思っています。この扱いで好感度が下がる合理的理由はないでしょう。

強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

けもフレ1では仲間に呼びかけるために、野生解放宣言していますけもフレ2の該当の戦闘ではそのタイミングで一対一だったので言う必要がなかったのもあると思います。突然漫画演出になるのはリアリティが下がって興ざめするので、盛り上がるためだけに叫ぶのは良い方針ではないと存じますしかし確かにセルリアンとの戦闘けもフレ2全体で退屈な仕上がりになっている印象は否めないです。制作なりに「優しい世界」を目指した結果ではと考えています戦闘けもフレ1に比してもピンチ感は少なくなりました。見返したときに緊張感が高くならないようにあえて戦闘テンションを抑えたということです。最終戦での野生解放が叫ばれなかったのを考えていたんですが、する必要がなかったというのが答えだと思いますホテルメンバーが囲まれたのがおそらく最大の危機的状況ですが、そのときにおいてもホテルに現れるペパプを妄想していました。いよいよとなれば解放する気だったのでしょうが、ペパプ本物が登場して救われる流れになります

最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

セルリアン集合シーンはけもフレ1の名シーンほどの決めカットではないです。先に申し上げたとおり、あの状況ではああいう絵にしざるを得ない、共通性を見出すのは無理矢理のこじつけですよ。信用がないと言うより、悪意があると信用されていた、というほうが実態に近いと思います監督交代騒動のツケを支払わせるために問題表現を探したというこです。たしか結果的には新体制が信頼を積み上げることに失敗した、というのは同意します。しかしその責任制作側にあったとまでは言い切れないです。ところで、けもフレ1でたつき監督が序盤で信頼を積み上げるような何かをしていたか、というのはずっと考えていました。一話で退屈と断じて切り捨てたという視聴者はよくいるし、伏線-回収のループを重ねていけば意味のあるシーンを作れる作家だとわからせることができるけど、そういうのってしてましたっけ?

キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。けもフレ1へのアンチテーゼというか、ご都合主義的ではない、よりリアル世界観フレンズ同士の親切心を浮き立たせたかった。一話を見てパーク内にキュルルちゃんのおうちがあるような気はしないわけです。家族の元に帰ってENDは想定しにくい。案の定見つからない。イエイヌは救われない。ビーストはどうしようもない。でもそれぞれに現実的な進展が与えられるわけです。エンタメ文法でみるとドラマとしては盛り上がりに欠けるでしょうがスッキリとしない視聴感がビターな感じはあると思いますケムリクサでの最終話EDの、りりが救われた風の描写は俺に、感動したけどこれ結局お話に過ぎなかったんだな、という思いを与え、肩透かしでした。

ところで、けもフレ1のテーマは何だったのでしょう。かばちゃん成長物語と捉えると、1話では彼女は頼りないですが、11・12話で存在感を見せつけたという感じであまり変化がない。ミライさんのフレンズ生存理由になったり細かい伏線の繋がりは合ったのはわかります。それぞれの話でドラマが見事だったのも異論ないです。でも全体としてのドラマどうでしょうケムリクサは逆に全体としての物語性が強いです。けもフレ2は両方のフレーバーを持っている。その話での起承転結と「おうちテーマ」のための全体の流れが合わせて練られている。イエイヌが”おうちにお帰り”といって拒絶されるのは全体のために必要だけど、イエイヌ回単体ではキュルルちゃんサーバルカラカルの在り方を見せられて自分との違いを見て挫折して去る、くらいでよいわけです。ただ各話においてフワッと見ているだけではドラマとして盛り上がりに欠ける、というのは改善余地は合ったかもしれませんね。

批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

いえ、今はまだ固まっていない段階です。その正体をつかめない段階で用語意味を固定してしまうと先へ進むことができなくなるでしょう。必要ときにその都度「この作品のこの部分は優しい世界か?」「優しい世界とはなんだ?」を繰り返して意味を掘り進めていくべきです。

スギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

絵柄が大きく変わっていることは初見でわかりますSNSで憤慨しているファン監督交代騒動は耳にしていたはずです。ファン必要以上にセンシティブになり、前と寸分違わず同じもの要求した、そのように見ていますけもフレ2も最初からスギスしていたわけでなく、センちゃんアルマーさんの実態ジャングルメンバーなど、段階を追っての開示になっているとは思います(話がずれるかもしれませんが、「危険きわまりない溝ができています!」は、好き嫌い分かれるネタを初っ端から突っ込んできたな、と思いました)。

付録

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。

面白いので http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52307013.html 及びその次の記事より引用します。

別の場所コメントでは「カレーを頼んだのにXXXが出てきた」といっている人もいました。俺は「カレーハヤシライスビーフシチュー」くらいの印象です。

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

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点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

2019-03-31

けものフレンズ2の最終話を当てに行く

ケムリクサでは悔しい思いをした。最終話の内容を推理することは十分可能だったはずだ。種が赤霧で成長しない。にもかかわらず離脱したあとニョキニョキ生えてくるミドリの木、「たぶん発芽まではうまくいく」。そして記憶の草にはロックが掛かっていた。このあたりを重く捉えていれば、メモを書き換えた「存在しない7人目の姉」を探して時間を浪費することもなかった(むしろ6人である証拠がたくさん集まってしまった)。2つの謎は有機的に絡み合い、シンプルだが残酷な起点に至るのだが、答えを観て「なるほど!」と思ったときに初めて、伏線が浮かび上がった。すべては目に留まっていたはずだったのにも関わらず、気が付かない。パズルピースはすべて事前に提示されていた。アニメ小説ではないから、そういうもんかと軽く流しても気持ちよく観続けられるのが気楽だけれど、しかしそういう態度でいて失うものもある。りな達がブワッと消えて一人に戻るのはコミカルでまるで手品みたいだが、ここを見落とすと桃ちゃんを手放して覚醒する「りなむ」の含意をスルーしてしまう。ありとあらゆる表現意味がありえるのだ。この意識でもって視聴しなければならなかった。

けものフレンズ2の最終話が目前だ。同じじゃないかでは済まない。次は全力で当てに行くぞ。

今期の監督ミスリードを狙ってくるということに気をつけなければならない。俺は伏線管理はしっかりされていると判断している。前期の細かいところまでフォローされてる。かばちゃんが「おうち」を知ってたのはスナネコ意味を教えたからだし、サーバルに与えた砂時計図書館にあったものだろう。アライさんが命の恩人といったのは、掛けた橋で救われた経験を受けてのこと。今期はさらに異なるフレーバーが加わる。襲ってきたセルリアンをいきなり現れて一蹴して去っていった謎のフレンズヒーローは味方でなく実は「ビースト」。誰彼構わずいかかり、フレンズに怖れられる強力なバーサーカーだった。アリツカゲラが再登場したと思ったら、サーバルとも初対面の反応でかばちゃんとも面識が薄い、すなわち別個体だった。かばちゃんから手渡された四角い筐体のラッキービーストは、「三人での旅、楽しかったよ」とつぶやいた後沈んでいった”あの”ラッキーさんか? そうかもしれないが、ひとつの端末に過ぎないって線が濃厚だ。居なくなったヒトを想いだして月を見上げるイエイヌフレンズ… ならば人類は月に消えたのか? なんのことはない、ただの人工衛星だった。未発掘の伏線の絡み合いの中に、ミスリードが混ぜられている。注意して潜るとしよう。

今期最大の謎は「キュルルちゃんは何者か、どこから来たのか、どこへ行くのか」ということだ。ここに焦点を絞って推理する。

キュルルちゃん一行の旅路は「復路」だろうか。パークの廃墟施設の中で目覚めたこども、キュルルちゃんは、カラカルサーバルを連れて施設に戻る。「ボクは長い間ここで眠っていたみたいなんだ」。温かい「おうち」を思い浮かべ、「帰りたい」という。キュルルちゃん自分が眠っていた岩の殻のようなものの中にあった自分の持ち物のスケッチブックを開く。最初の一ページ目には施設の前の池の様子が描かれていたーーただし、池のモニュメントは健在で周りには風景にない建物が建てられている。「ボクは獣じゃないよ、たぶん」というキュルルちゃんに対して、カラカルは「この子もヒトなんじゃない?」と言い切る。3人はモノレールの駅にたどり着く。キュルルちゃんは言う「ここ来たことあるような気がする、あの乗り物、多分ボクもあれに乗ってきたんだと思う」。ここまでの描写で、キュルルちゃんはパークに来た観光客で、何らかの理由施設コールドスリープし、いま目覚めた。そう読み取っていたが、よくよく考えると違和感がある。最初の1ページが池だったのはよく考えるとおかしい。

まっさらスケッチブックを思い浮かべてみて。そこに旅の風景を絵に次々に描いていく。だけど突然に旅は中断してしまう。さてこのとき最後に描いた絵はスケッチブックのどの位置にあるだろう? キュルルちゃんスケッチブックには以前に描いてきたと示唆されるたくさんの絵があった(一連の絵の最後のページは破られていて、その先は白紙が続いている)。もしパーク内の施設に至る往路の過程で絵を描き連ねて来たというのなら、最後の絵の先は白紙のページが続くはずだ。最初のページにはならない。スケッチブックの表紙は裏表とも同じようなデザインだが、キュルルちゃんはページの片面にだけ絵を描いていたので逆さにめくっているという可能性はない。これにより、キュルルちゃん一行の今回の旅路は、実は、おうちに向かう復路ではなく、二度目の往路であるという推測が成り立つ。

最初の往路をなぞるように、旅をする。ケンキュウセンター(廃墟施設をそう呼ぼう。モノレールの次の駅は「アズアエン」だが、列車の行き先表示が切り替わるときに表れた直前の駅の表示が「ケンキュウセンター」だった)を出て池を描き、花畑に囲まれ風車を描き、竹林の中で公園施設を、海に浮かぶ観光施設、闇夜に輝く蟻塚、ジャングルの奥で玉座に座るゴリラフレンズ荒野をかけるなんだかよくわからない影、ステージでショーをする5人のアイドルたち。最後に、観覧車のある遊園地風景。絵に描かれた風景を順に追う道のりで、キュルルちゃん一行は最後にジャパリホテルにたどりついた。ホテルの窓からは今は水没した観覧車が見えていた。ホテル支配人によると、”うみのごきげん”が悪くなったときに、遊園地は水没してしまったらしい。ホテルも半分は水浸しである(ところでホテル最上階にはヘリポートがある)。

まりこういうことではないか観光客だった女の子ケンキュウセンターの池を描くために新しいスケッチブックを開き、モノレールに乗ってパークを旅した。しかセルリアンが止められなくなる流れで、観光客はまず退避しなくてはならなくなり、ホテルヘリに乗り込む。セルリアンは宙に浮くものがいる。離陸時に襲われてヘリの飛行能力障害が出て、荷を軽くするために物を捨てなければならなくなった、女の子スケッチブックから最後に描いた家族の絵だけをちぎり、バッグもろとも泣く泣く海へ投げ捨てた。時がたって、防水のスケッチブック(今期の11話より。スケッチブックは海に落ちても平気だった)は海流に乗って海底火山へたどり着く。海底火山からは大量のセルリウムサンドスター流出している。サンドスターに包まれスケッチブック溶岩に飲み込まれ、そこで海底火山が大噴火する。噴石となった岩は遠くサバンナちほーのケンキュウセンターに落下し、廃墟となりかけていた施設にとどめを刺す。

この仮説を裏付け証拠がある。一話のケンキュウセンターの描写でキュルルちゃんの居た岩の卵のようなものの周りには同じように前面が破壊された同じ大きさの卵のような物が並べてあった。これらをコールドスリープ装置と捉えてしまっていたが、これがミスリード。並べてある方はよくよく見ると表面がツルツルで、サンバイザーのような覆いがあり、中には椅子が備え付けてあった。いわゆるゴンドラのような見た目だ。キュルルちゃんの岩はそれと異なり、表面がゴツゴツしていて、中はサンドスターと思しきキューブで満たされていて、そして床が砕けている。ゴンドラの方は台座に載っている。この二種類はじつは違うものなのだ。暗い施設のなかで岩の卵は陽の光で照らされていた。つまり天井は空いている。ケンキュウセンターは遊具研究施設だった。コールドスリープではなく。噴石としてケンキュウセンターに落下した岩の卵は殻が崩れ落ちる時を待つ… なかでフレンズ化→飢えて死亡→フレンズ化→飢えて死亡… を繰り返しながら。まあそれは残酷だが、あるいはサンドスター空気に触れて初めて機能する、のようなことがあるかもしれない。

以上が仮説「スケッチブックちゃん説」である研究施設スケッチブックのめくり方などを伏線としての帰結としてフィットしていて、破られた最後のページに説明がつけられた。キュルルちゃんは絵をフレンズに渡すとき、丁寧にページを切り取る。最後のページが破られていたのは火急の状況下で焦っていたからです。皆さん納得できましたか? ボクはできません。なぜなら「ペパプが5人いる」から

一連の絵の中でライブステージで描かれたものを思い出してほしい。そこにはステージで歌う五人のペンギンアイドル、ペパプが描かれていた。しかし前期のペパプ復活祭ライブの話によると、初代ペパプは4人、二代目は3人、三代目が5人になった。三代目を結成したフレンズプリンセスは以前に居なかった五人目であることを気にしていたんだった。だからパークに来ていた観光客がペパプを見ていたとして、その人数が5人なのはおかしい。かつて観光客で賑わったジャパリパーク廃園し、パークガイドミライさんも職員を引き連れパークを去った。時が流れ、彼女が遺した帽子サンドスターが降り注ぎ、かばちゃんが生まれた。そんな時代になって初めてペパプは5人になった。実はペパプはコピーバンドだという可能性はありうる。開演時代にはオリジナルたる5人のペンギンアイドルがいて、閉園後に彼女らをパクってペパプが結成された、でもコピーバンドを人数減らしてやる意味があるだろうか? あるいは初代ペパプは5人だったということもありうる。プリンセスがパークの異変の中で夭逝し、だがその後の4人で長い期間頑張っていたので後世の記録には4人として残った。期せずしてプリンセスが救われる結果になりましたね。でもこの仮説、理屈は通るが、当たっていたとしても些末すぎて、説明されないだろうことが予想される。

時代に幅のある絵の内容。これを説明するうまい理屈はないだろうか。キュルルちゃん過去世界から来たのではないか。前期でミライさんが説明した、山頂のサンドスターロウフィルタリング装置の「四神」は説明の感じからすると、パーク職員が作ったものではないらしい。四神を作った古代人がそのサンドスター制御技術を応用してタイムトリップ装置を作った。これがケンキュウセンターの岩塊である。キュルルちゃんはそれに乗って過去からやって来た。しかし… なんのために? かばちゃん一行は四神位置を直すことでフィルタ機能正常化した。だが海底火山から漏出するセルリウム制御する装置は、おそらくあったのだろうが機能をなくしてしまっている。もし四神装置の修理のために過去からキュルルちゃん派遣したとすると、かばちゃんの奮闘のときに何もしなかったのはおかしいし、未来幻視できるレベル古代文明が、将来の位置のズレを考慮して装置保全するつもりなら、修理要員を派遣する前にまず固定装置を充実させるべきだろう。というかキュルルちゃんエンジニアには見えない。年齢が低いし、そも記憶を失ってしまっているではないか。ならばキュルルちゃん未来から来た。しかし… なんのために? 考古学者にも見えないので、パンフなどの資料を読んで好奇心をそそられたキュルルちゃんタイムトリップしてきた線は考えられるが、タイムマシンセキュリティが気になる。強固に利用者制限されているなら、キュルルちゃんはどうやってセキュリティ突破したのかということが引っかかるし、逆にガードがゆるいなら、なぜ一人しか来ないのかが疑問になる。並行世界から来た可能性はどうだ。しかし… なんのために? 絵に描かれていたペパプは楽しそうで、パークの様子には廃墟感はまったくない。なぜわざわざ廃墟の方の世界線に移動してくるのだ? 納得行く説明はつけられそうにない。

うまくいかないが、一連の絵は風景を実際に目で見たものではない、というアイデアはまだ活かせると思う。ジャパリパーク世界に、エリアを超えて通信する無線技術はなかった。そういうものがもしあったなら、かばちゃんがキョウシュウエリアを出立するときに、ボスが先の情報を教えてくれただろう。イエイヌが見上げた月を背後に人工衛星が浮かんでいた。この衛星最近打ち上げられたものだとしたらどうだろう。これを使って、ある職員がパーク内のラッキービーストネットワーク侵入し、パーク内の写真を入手した。父のディスプレイの映る写真を見て、幼い娘はスケッチブックに絵を描いた。写真に今昔が入り混じっているのはそのためである。この想像面白いが、写真があの道のり上に並んでいたことが解せない。ネットワークから引き上げたパークの風景写真を見ていたなら、それは時系列に並ぶか、ランダムになっているかするのではないか。なんでケンキュウセンターを起点とした特定ルートにそった並びになる? だめだ。わからない。

しかしわかることもある。けものフレンズ2はイエイヌ物語でもあった。探偵の二人、センちゃんアルマーさんはイエイヌの命を受けてヒトを捜索していた。捜査が強引なところもあってイエイヌは悪の黒幕のように描写をされたことがあった。キュルルちゃんイエイヌちゃんストーリーラインは二人が邂逅することで交わり、しかし結局二人は別れてしまう。別れは両者の納得したものではあったがすれ違い感は強かった。これが「おうちにおかえり」回である最終話タイトルは「ただいま」だ。イエイヌはキュルルちゃんの元へ向かうかばちゃん一行に加わってはいないが、ポッと出のゲストフレンズではない。

イエイヌはキュルルちゃんを見送ったあと、夜空を見上げ、ひとりドアを開けて自室に戻った。ドアには耳を模した飾りがついており、まごうことなイエイヌのための部屋であることが明示される。このシーンは驚いた。これは一体全体、どういうわけだよ? 「イエイヌの自室にドアノブがある」だと?

(続く)→ anond:20190318002745

2019-03-28

ありがとうけものフレンズ2

一期は1話しか見てない状態けもフレ2の1話10話、11話を見た。色々と考えた結果、感謝したくなって忘備録も兼ねてこれを書くことにした。

ゴマちゃんイエイヌなどネットでは脚本被害者を救おうとする風潮がある。二期主人公すらリデザインののち、ともえちゃんという新しいキャラクター誕生している始末だ。個人的には二期主人公よりともえちゃんキャラデザの方が好きだ。

アニメ版と比べると、漫画版の二期主人公はあまり嫌われていない印象がある。二期が無くともアプリ版で存在していたカラカルを始めとする二期新キャラクターとは違って、アニメが初出でファーストインプレッションに失敗した二期主人公もある種脚本被害者と言えるのだろう。

10話、11話通して見た感想として、脚本構成12話終了アニメにしてはひどいと思った。二期主人公自分のおうちを探して、サーバルカラカルに手伝ってもらうと1話を見て解釈した。けれど11話になっておうちは本当にあるのかという話を持ち出され、スケッチブックの中に本当に二期主人公のおうちの絵があるのかもわからない状態じゃないのかと思ってしまう。内容としては悪くないと思うが、残り1話でやる内容だろうか。11話ではスケッチブックは取り戻しても、二期主人公の描いた全フレンズの絵という敵たるセルリアンに渡ってはならないものの回収はできずに談笑するところで終わる。その間二期主人公所在のわからないフレンズを探し続ける。おそらくライブ最終回にやる以上、もう少しやるべき内容はあったのではないだろうか。

また、フレンズとして登場したキャラクターがそのキャラクターである必要性がわからないところが一つあった。10話、11話冒頭のフウチョウコンビだ。11話では二期主人公に、「人間によって迷惑したもの(動物)もいるかもしれない」などと夢の中で揺さぶりをかけて退場する。10話でも暗い森の中で登場するなど物語として割と重要ポジションにいることは明確であるしかし、それがカタカケフウチョウとカンザシフウチョウでなければならない必要はないのではないかと思ってしまう。極楽鳥の由来は視聴後調べて、運搬のために足を取られた標本を見た人間によって天国いるから足が必要ないと解釈されたこから天国の鳥と名付けられたと出てきた。精度の甘いネット検索ということもあり、フウチョウ全般極楽鳥と指すと理解したが、フウチョウの中でカタカケ・カンザシが選ばれた理由としては11話の黒さ自慢を入れても甘い気がしてしまう。10話、11話にリョコウバトが出てきていることで、人類の犯した罪としてはリョコウバトの方に重さを感じてしまったのだ。コンテンツ看板たるサーバルはともかく、フウチョウコンビは入れたいからと我を通すべきポジションだろうか。元ネタのあるキャラクターが多くいる中でフウチョウコンビにするだけの理由説明付けられるのか。

さてけもフレ2になぜ感謝したいのかとしては、シナリオ重要性を改めて考えることができたかである出会った作品に対し自分だったらどんな表現をするかを考えたりする中でけもフレ2を視聴した。キャラデザ声優が悪くない中でなぜここまで酷評されるのか。様々な解説動画を見ていくうちに、シナリオに対する表現や引き算の重要性に辿りついた。例えば11話では急な方向転換で車からフレンズが落ち、走って追いかけるそのフレンズを別のフレンズが手を差し伸べて助けるというシーンがある。ワンシーンとして入れてもいいかもしれないが、重要度は全く高くない。色んな書きたいものを詰め込んで構成不足等で終わるより、こうした必要性重要性の低いシーンは創作上削るべきなのだと思い知らされた。一期の構成のどこがすごかったのかや二期はなぜ受けないのかの解説動画など創作をしようと考える上で非常に役に立っている。ありがとうけものフレンズ2。おかげで面白いものに少しでも近づける気がする。

無駄に長くなってしまったが、創作をする上で教材として良質なアニメでした。けものフレンズ2ありがとう。それだけです。

あと最終回の内容次第ではけものフレンズ2だけの謎を全て明かされる可能性があるから世間評価が変わるかもしれない。二期主人公の正体や1話で眠っていたポッドの謎、フレンズセルリアンの強さなど2が終了し、二期主人公が主役でいるうちに解決しなければならないものはできれば知りたいし、単純にサーバルカラカルは他のフレンズに比べてどのくらいの強さだとかそういうのを約23からopedライブシーンを除いた時間でやってくれたら素直にすごいと思う。評価駄作から現場無茶振りをされた超低年齢向けアニメになれるかもしれない。そうなってもやっぱりけもフレ2は良い教材にできるから、やっぱり感謝することになるだろうな。キャラ萌え以外に面白いところを見つけられない自分反省するかもしれないと思うから、全ての評定が下される最終回が待ち遠しいです。

2019-03-26

SexyZone LiveTour2019 PAGES 個人的記録

気持ちがまとまってきたので文章にする。思ったこバーッて書くだけだから文章的なまとまりもクソもないほぼ自分用まとめ。sexy言葉感想が書けなくてごめんね。


大学受験の真っ最中当落発表で見事に落ちたので病みに病んだ。第一志望校にも落ちた。

受験が終わった後は一般にも電話をかけまくったけどこれまた見事に落ちた。ので、チケットを探すことにした。

超人見知りの陰キャコミュ障キモオタクだし取引は初めてだったから凄く不安だったけどそんなことよりも去年のツアーぶりのsexy達に会いたい気持ちの方が何倍も強かった。そして、ありがたいことに静岡の一日目に同伴させてもらうことが決まった。

そこからはもうずっとウキウキで何を着ようどんメイクをしようどうやって行こう何時くらいに着こう何を準備するにも楽しかった。アルバムが発売されてどの曲をどんな演出披露するか考えるのも楽しかった。当日までチケット保証は無いけれど取引が決まる前と後では世界の見え方が違った。

仙台のプレ販でペンラの画像が流れてきた時にはちょっと泣いた。聡ちゃんも一緒にツアーを回るんだと思ったら胸がじんわりとあったかくなった。そして風磨くんのうちわの顔が最高だった。風磨くんの顔が世界一可愛くてかっこよくてエッチ。最高。この世に生まれてきてくれてありがとう風磨くん。こんなにも顔がいいうちわが一週間後には自分の手元にあるのかと思うとニヤケが止まらなかった。キモオタからネタバレ見るのを防ぐためにtwitterログアウトした。

当日、念願の風磨くんのうちわを手に入れて、無事取引する方とも会えて安心して会場に入った。席はスタンドの上の方であまり良くなかったけれど私はメインスクリーンさえ見られればどこでもよかったので十分だった。(去年はメンステ真横の上の方でラブマニのフィンガータットが全然見れなかったので)

席についてびっくりした。私の周り、キンブレまみれ。

通路挟んで隣の席にキンブレ2本持ち2連、後ろの席も公式ペンラとキンブレ1本持ち、前の席に公式ペンラとキンブレ2本持ちとキンブレ5本持ち、そして私にチケットを譲ってくれたお姉さんも公式ペンラとキンブレを一本ずつ持っていた。

もちろんキンブレを持つオタク一定存在することは知ってたし会場でキンブレを持つオタクは見たことがあったけれど、幸運なことにガイシで一昨年去年と参戦して自分の席の周りにキンブレ持ちがまったく居なかったのでいきなりキンブレに四方八方を囲まれてめちゃくちゃ驚いた。こんなにおったんかキンブレ持ち。なんとなく都市部より地方の方がそういうオタクは少ないと思ってた。そしてクソコミュ障の私はお姉さんにキンブレの事を言えるはずもなかった。

ジャニーズ現場のキンブレがめちゃくちゃ嫌いだった(シンプルに眩しいのと悪い意味でクソ目立つから)ので中々モヤモヤする始まりだったけれどライブが始まってしまえば全部吹っ飛んだ。登場から最高だった。SexyZoneは天才。と思ってたら前の席のキンブレ複数持ち2連が腕上げてキンブレ降り始めてまたモヤった。

でもやっぱりすごく楽しかった。正直4人だけのライブを見るということに不安はあったけれどでも今できる一番のライブだと思った。

問題は私だ。声が全然出せなかった。今までは友達や妹と来ていたから気兼ねなく声を出していたけれど今回は周りに他人しかいなくて周りの迷惑にならないかなとか余計なこと考えて全然出せなかった。メンバーがたくさん煽ってくれるのに全然出せなかった。会場全体でもSTAGEやリペの時よりも全然盛り上がらないように感じた。メンバーがこんなにも頑張っているのに声が出せなくて悔しかった。風磨くんが少し不満そうで寂しそうな顔と声をしている気がして申し訳なかった。どうせ自分は変な人なんだから周りから浮いたっていいやと思える気持ち自分にあればよかったのに、周りを気にする自分が嫌だった。

アンコールの外周の時、周りのキンブレたちが一斉にうちわ取り出してキンブレ振ってた。前の人にいたってはスケッチブック取り出してた死ね。お前はADか?

凄く嬉しかったのはメンバーががっつり干してくれたことだった。全然上見なかった。私の方に来た時にこっちを向かないのはやっぱり少し寂しかったけれどキンブレを構うことと比べれば5000倍くらい嬉しかった。SexyZoneに会うたびにSexyZoneへの信頼が増える。すごい。

SexyZoneへの大好きという気持ちと罪悪感をかかえてライブは終わった。

その日は家に着いてふまけんらじらーで死んですぐ寝た。次の日、パンフレットを読んだ。泣いた。

風磨くんがどう考えて今回のステージ構成にしたかを知って、昨日の比じゃない罪悪感が襲った。ほかのメンバーに対してもそうだ。声を出して欲しいと、何度も言っていた。メンバーファンをこんなにも信頼してくれているのに私は一ミリたりともその信頼に答えられなかった。

また別の公演のチケットを探すことにした。次は声を出すために。自己満足なのは十二分にわかっているけれどこれで終わりたくない気持ちが勝った。沢山声を出したい。

受験中心の支えになってくれたSexyZoneに今度こそ恩返しがしたかった。Sexy Zoneへ感謝を伝える方法公式お金を落とすか直接声を届けることしかいから。

次行くときにはキンブレが全部折れてますように。

2019-03-18

anond:20190331000659 (続き)

イエイヌはキュルルちゃんとのやり取りの中で、このおうちには「ずっと昔」何人ものヒトが居た、彼らと一緒遊んでいたと言っていた。ある日居なくなった彼らを待ってずっとお留守番していたんだと。かつての経験をなぞるように、フライングディスクを投げるさまを指示したり、紅茶をよく飲んでいた、とも言ったりした。俺は今期9話を観たとき、なるほど、イエイヌは飼い犬だったんだな、と読み取った。博士曰く、サンドスターを奪われてフレンズ化が解かれたら、再びフレンズ化しても、前にフレンズだった時の記憶は戻らない(といっても少々の例外はある。ミライさんとともにいる先代サーバルの声を聞いて涙したり、ともに旅したかばんちゃんの後ろ姿を思い出したり)。しかし、フレンズ化したときに、どうぶつ時代記憶がどうなるのかは明言されていない。飼い犬が飼い主が去ったあとにフレンズ化して、むかしを回想しているのだと、勝手にそう考えていた。だがこれはミスリードだった! 飼い犬だったならあるべきは犬小屋で、人間の手の位置にドアノブがある部屋が自室のはずがない。そのようなドアはヒトか… フレンズのためのドアだ。だから結論は明白だ。イエイヌフレンズはヒトと共に暮らしていた。「ずっと昔」と言ったが、カラカルサーバルかばちゃんと旅していた時期を「むかし」と表現している。フレンズの言う「むかし」はせいぜい10年・20年というオーダーではないか。この伏線はパークに割と最近までヒトがいたことを意味している。

三代目ペパプ結成の後にヒトがパークに来ていたとすると、どうなる? イエイヌかばちゃんを知っていたが、ヒトと再び会ったのはキュルルちゃんが初めてだったようだ。キュルルちゃんがパークに現れたときイエイヌただちに探偵派遣した。ペパプ復活後にヒトがパークに来ていたとすると、彼女イエイヌが捕捉しなかった理由はなんだ? そのときにはイエイヌの村にはまだヒトが居たのだ。満足していたなら更に求める理由はない。つまり三代目ペパプ結成 → パークへのヒトの来訪 → イエイヌの村からヒトが消える → 十数年経過? → 今、という順になる。しかしペパプ結成後に村からヒトが居なくなったとするのは無理がある。当時パークではかばちゃん率いるセルリアンハンターが巨大セルリアンを退治するという事件があって、そのとき四神サンドフィルター装置を修理したのだった。それでセルリアンの騒動は一旦は収束したはずである。ふたたび大型セルリアンが出るようになったのはかばちゃん助手博士らと共に研究するようになった、最近のはずだ。イエイヌは飼い犬ではない。考えてみてほしい。一緒に暮らしていたヒト同様の知性を持つ家族であるべきフレンズ放置して、当の飼い主だけが逃げなければならないのはどれほど切羽詰まった状況だろう。セルリアン強襲以外に考えられるのはもうひとつ、”うみのごきげん”の悪化、すなわち海底火山噴火だ。遊園地が水没するほどの大災害、逃げられる人数が限られてる、だから家族であるフレンズを置いていかざるを得ない。その判断は… かなりキツイが、ありえないとは言い切れない。しか安心してほしい。この結論おかしいからだ。リョコウバトは以前にもジャパリホテルに来たことがあると言っていた。パーク中あらゆるところを旅するリョコウバト。前回の来訪が最近であるはずがない。リョコウバトは言っていた。「これほど変わったホテルは他にない」。ジャパリホテルの変わっているところはもちろん、支配人のオオミミギツネが売りにしているように、水没した風景が美しいというところだ。すなわちリョコウバトが前回ジャパリホテルを訪れたときにはすでにホテルは水没していた。海底火山の大噴火最近ではない。飼い主だったヒトが消える理由はなくなった。すなわち前提が間違っているということだ。ヒトはパークに来ていないのだ。

しかしここで推理頓挫してしまっていた。時系列バラバラだがルート上に並んだ絵(写真?)。しかしヒトはパークに来ていない… これら矛盾して見える伏線を結びつけるラストはどのようなものなのか… 本当に可能なのか? わからない。だが信じろ木村監督信じろ


そうやってウンウンうなりながら過ごしていた休日だった。前置きが長くなったが、俺が支持する仮説はこれである。「ラッキービーストフレンズ説」。

キュルルちゃんはヒト、これが最初から仕組まれた罠だ。キュルルちゃんガイドするラッキービーストに、ヒトとして認識されている。だがラッキーさん達は何を基準にヒトを判定するのか。前期でかばちゃん初見からヒト扱いだった。かばちゃんとキュルルちゃんの見た目上の共通点はなにか。帽子である。羽をつけた帽子画像認識して、ラッキービーストはパークの客だと判断するのではないか。赤と青の羽をつけたかばんちゃんを暫定パークガイドとして認定したシーンを思い出してほしい。イエイヌはヒトを求めたが、アルマーさんによるとかばちゃんでは駄目だと言っていたらしい。かばちゃんフレンズ命令対象ではなく対等の存在として扱うからだ、というのは聞こえの良い理屈だが、しかし現状の助手博士助手博士助手の扱いはほぼほぼ従僕であるジャパリパークは実際には厳しい世界だった。パークの掟の元で自律するフレンズ達は親切ではあるがエゴイスティック振る舞うことがある。危険ビーストもいる。フレンズたちと渡り合い、パークの長を従わせるためにはある程度強い態度をとっていく必要があったのだろう。イエイヌかばちゃんの相性は良いように思われる。なぜかばちゃんでは満足できないのか。かばちゃん自分が「ヒト」そのものではなく「ヒトのフレンズ」だと公言していると思う。だがキュルルちゃん情報イエイヌの耳にどのように届いたのかを考えていて気がついた。キュルルちゃん本人は自分がヒトだとは実は一度も宣言してない。最初にそういったのはカラカルだった、カラカルは推測でそう言った。ロバはそれを聞いていた。カルガモも。うわさはパークに広がりやがてイエイヌの耳に届いただろう。パークにヒトが現れた、と。

キュルルちゃんは「おうちを探すためでなく、フレンズが好きだから絵を描いている」と言ったが、スケッチブックに元から描かれていた絵には、しかし奇妙にフレンズの姿がない。キュルルちゃん本人は楽しそうにしているフレンズを描くのが画風であるジャングルの絵の中のゴリラ背中を向けてさえいる。画風の違いは何が原因か。ラッキービースト有事でない限りフレンズ積極的にはかかわらない。ヒトをガイドする仕事や配給、各種設備保守管理以外には。「生態系の維持が原則からね」は前期最終話ラッキーさんのセリフである最初旅路での荒野の絵はなんだかわからない残像だった。残像でぶれて映るのはシャッター速度の遅いカメラの特徴であるラッキービーストは高速で接近するフレンズを察知するセンサーレーダーのようなものを備えている。メインカメラの性能に頼る必要はない。

あるラッキービーストは持ち場を離れ、ふたたび旅を始めた。かつての任地、ジャパリホテルへ向かって。風車写真を撮った、竹林公園写真を撮った、ジャングルゴリラ写真を撮った。シッポを振って歩いていくゆっくりとした旅の間に、いろいろなことが起こった。過剰に放出されたサンドスターの影響で気候が変わり、パークの荒廃が進み、海底火山噴火ホテルが沈む。ペパプが再起し、かばちゃん達が旅に出る… ようやく桟橋にたどり着くも、ホテル海水の向こうだ。ラッキービーストは足を滑らせ、海に投げ出される。やがて海底火山に至り… サンドスターの温かい光に包まれる。ラッキービーストの旅の写真ランダムに吸い上げられて、スケッチブックとして顕現した。

2019-03-16

けものフレンズ2』9話のダメな点&俺ならどういう話にするか

けもフレ』も『けもフレ2』も5分で切った俺だが、2の9話がまた物議を醸してると聞いて興味が湧き、今回はじめてちゃんと見てみた。あーこりゃダメだなと思った。イエイヌ不憫すぎる、ボロボロになるまで守ってくれた彼女を放っておいてサーバルと談笑に興じるキュルカスまじキュルカスなど既報どおりの印象を持ったが、単純にクオリティが低いとも思った。

イエイヌに対して無関心なのが単純に物語としてダメ

イエイヌに対して登場人物みんなが本当に無関心だ。なぜキュルルをさらったのか、その後どうしたかったのか、どうしてボロボロになってまでキュルルを守ろうとしたのか聞きもしない。その無関心っぷりはイエイヌと別れた後、存在のものを秒で忘れるんじゃねーのと思うほどだ。

その象徴が「おうちへおかえり」という言葉を望んだイエイヌに対し、首を傾げながら表情をまったく変えずにオウム返しするキュルルである

キュルルは間違いなくイエイヌがそう望んだ理由理解していない。それどころか「なぜそんなこと言わせようとするんだろう」とすら考えない。本当に、一ミリも、イエイヌに興味を持たずに終わる(その証拠に、イエイヌ目的事情彼女一方的説明するだけでキュルルから尋ねることはついぞなかった)。

これはキュルルがカスだとかbotだとかの以前の問題で、ここまで感情のやり取りがないと物語が成り立たないレベルで致命傷だ。だから必然的視聴者として感じ入ることができない。これは例えばたった一言ボロボロになってもキュルルを守ろうと立ち上がるイエイヌに対し「どうしてそこまで……」と声をかけるだけで話が違ってくる。それがあれば例えば「だってそれがイエイヌですから!」と信念を示すこともできる。いや、画面ではまさにそういう意味合いを持ってイエイヌは戦っているわけだが、それに対するキュルルの興味・理解共感がないからただただ虚しいシーンに成り下がっている。意味ある物語を作ろうとするなら相手への無関心・無理解絶対に避けなければならない。

イベントとその結果がつながってない

ついでに言うなら「ビーストに襲われる」ことと「イエイヌが別れを選んだ理由」が直接つながってないのも出来が悪い。イエイヌがキュルルとの別れを選んだ理由は「キュルルさんを引き離すような真似をしてすみません。仲間を失う気持ちはよく知っていたはずななのに」にあらわれているが、これはビーストと戦ったことやボコられたことと直接関係ない。ビーストボコられたところからつなげたいなら、「私ではキュルルさんを守れませんから」を理由にすべきだし、キュルルとサーバルカラカルの絆を理由にしたいならキュルルと仲違いしたカラカル(&サーバル)が戻ってくる理由スケッチブックの返却ではなくビーストの唸り声を聞いたからにすべき。ケンカしたのにキュルルに危機が迫ると知るや取って返すふたり、キュルルを守るために傷つきながらも強敵撃退する、という流れにすればあの3人の絆をイエイヌ理解でき「引き離すような~」というセリフにつなげることができる(その布石としてキュルルを悪く言うカラカルイエイヌが不満を持つ、外は危険からと言うイエイヌに「ふたり危険なのに家でじっとなんてしてられないよ」とキュルルが言うなどあれば尚良い)。

実のところ似たようなことはどれもやってるのだが、必要セリフ演出をことごとく欠いているためそれっぽいけど全く違う醜悪ななにかに成り果てている。

俺ならどうするか

創作者のはしくれとして俺ならどうするかについても述べておく。

まずイエイヌのやっていることは代償行為である。キュルルはヒトだが本当の主人ではない。彼女には帰りを待つべき主人が別にいる。しかし主人が帰ってこないため、キュルルに偽の安らぎを求めており、そんな「弱さ」を彼女は抱えている。1人&2匹との出会いによってイエイヌは主人の帰還を信じる「強さ」を手に入れ、キュルルたちとの別れを選択する――という点を軸にする。1人&2匹との出会いイエイヌ心の問題解決するのがポイントだ。

具体的には以下のような流れ(※筆者はガチでこの9話しか見てないのでキャラに違いとかあるかも)。

ところでこれはまったくの余談

けもフレ』5分切りを豪語する俺がひとつだけちゃんと見た『けもフレコンテンツがある。それはJRAとのコラボ動画『けいばじょう』。

内容は他愛のないもので、「おおきなたてもの」のそばを通りすがった一行は、その中でサラブレットのフレンズ出会い、「おおきなたてものであるところの「けいばじょう」を案内してもらいつつ最後はかけっこ勝負をする。時間にして3分半ほどと短いが、俺はこの動画が好きである

その理由の大部分を占めるのが3:10から流れるたった5秒の映像だ。

サーバルのかけっこ相手であるあおかげは、その直前、客席(スタンド)に視線を向け、耳を澄ませる。聞こえてくるのはかつてこの競馬場を埋め尽くした大歓声だ。今は失われてしまった、華やかで賑やかだった頃の残響感傷に耽るあおかげの後ろ姿に胸が締めつけられる。彼女は何も語らないし表情すら画面に映らないが、この場所が或るいはかけっこが彼女にとっていか大事か、そのワンシーンで伝わってくる。

向き直ったあおかげの顔にセンチメンタルな色は微塵も残っていない。「本気でいくよ」「負けないんだから」。完璧である

2019-03-15

けものフレンズ2」9話の感想やぞ

以下の記事を受けて。

けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。 - けものつれづれ

https://ironyart.hatenablog.com/entry/2019/03/14/090915

3%のフレンズ愉快犯ではなく実在していたことに驚きつつ、その感想視点イエイヌの扱いという一面からしかなかったので、より多方面にわたる、わたしの9話に対するツッコミを書き記したいと思います

唐突にキュルルを閉じ込めていた檻の台車が壊れてるシーン

いつ壊れたの?何が起きたの?ピエール瀧がやってきて壊してくれたの?2話でも同じ過ちを犯してたよね?

自分で歩いてくれたらじゃぱりまんあげるから

まーたギスギスした挙げ句取引・・・

「依頼主をここに連れてくるしかないですね」

最初からそうしろよwww・・・という当然のツッコミに、どうあらがおうというのか。

サーバルが足元に落ちてるキュルルのかばんとスケッチブックを見つける

「キュルルー!」とか言ってる時点で見えてるだろ。遠目に発見しろよ。足元だったらせめて「あっ!」って言ってから見つけろ。

トラクターダイナミックに旋回

こういうときこそFPS上げとけよ...

トラクターに対してカラカル「おっそ」

もうちょっと遅さを強調するカメラアングルと「間」を入れてから言わせたほうがおもしろかったのでは。

キュルルから依頼主について聞かれたアルマちゃん

なんで「イエイヌ」って直接言わないのか、恐そうに紹介しちゃうのか、さらにはこれまで暴力的手段も辞さなかったのか。せめて「視聴者のドキドキを高めるため」以外の、あとですっきり納得できる理由を用意しておくのが脚本仕事では?

イエイヌデザイン

ご主人様をけなげに待つイエイヌとしては、強そうなオッドな黒縁おめめは合わないのでは?このデザインイエイヌアプリ時代からいたのだとしたら、この外観のキャラにこのエピソードがそぐわないのでは?

お礼のじゃぱりスティック

唐突やろ・・・。手に取ってすぐ退場しちゃうから余計視聴者が置いてけぼりになる。せめてその場ですぐ開けて食べてくれ。

キュルルを探すサーバル推理

天真爛漫なサーバルちゃんの割に、わかりやすきっかけや手がかりもなしに、深い推測が走りすぎてない・・・

トラクターの「LB」

電池アイコンにバッテンとかならまだ「お子様」視聴者にもわかりやすかったのでは・・・?お子様を無視するにしても、オトナ目線からそもそもユニバーサルデザインにしとけよと思う。

じゃぱりスティックを食べるセンちゃんたち

遅い。でも食べるシーンがあって本当によかった。唐突ものを登場させたら、すぐ説明

サーバルたちに問い詰められるセンちゃんたち

センちゃんたちは、なんで意味もなく敵対的なんですかね・・・自分たちにも依頼主にも悪気はないのに、敵対する意味なくない・・・

ヒゲじいのオオアルマジロ紹介

かわいい(´ω`)

ニシツノメドリの紹介

ニコニコ民「前回やれ」の大合唱wwwww

イエイヌフリスビーを投げ合う

「口にくわえて持ってくるのは不自然から・・・かな・・・違和感あるけど・・・まあしょうがないのかな・・・」と、いうような妥協感を読者に与えないような工夫はできなかったのかな?

イエイヌ平和的なのに嫉妬深いカラカル

個人的には「カラカル小学生道徳教材に出てくるような(後に改心する)子なんだ」と理解したけど、顧客が求めていたものとは違うよね。そこは善意解釈すれば、監督承知の上のようだけど。

突然キレるキュルル

「ボクのほうこそ心配かけこそごめんね」だろそこは。しかももっと早いタイミングで。このあたり、とにかく登場人物たちの感情の流れがめちゃくちゃ。誰にも感情移入できない。

キレてさよならちゃうキュルル

完全に道徳教材やNHK教育のちびっ子番組の流れ。でもな、オレらが求めているものとは違うんだ。

キュルルを引き受けようとするイエイヌ

大胆すぎない?そういう提案はもうちょっと状況を飲み込んでからにしたら・・・

カラカル気持ちがわかると語るイエイヌ

いや、そういう優しさ持ってるなら、カラカルの話をもっと聞いてあげなよ・・・

唐突ビーストの遠吠え

イエイヌセリフとの繋がりがご都合過ぎてひどい。「中にはその逆もいますけど」まではもっと普通テンションで話した上で、遠吠えを聞いてから「あっ、噂をすれば!」と驚くべき。

ビーストの遠吠えを聞いても落ち着き払ってるイエイヌ

侵入してくるんじゃないか心配する視聴者をよそに平然としている。だったらもっともっと遠くの方で聞こえる程度の遠吠えにしてほしかった。

遠吠えとの位置関係も気にせず家を出るキュルル

近くにいるならサーバルたちにも聞こえるやろ。サーバルに聞こえてないなら、少なくともいま家を出ちゃうキュルルのほうが危険やろ。せめてそういう疑問や不安について納得できる材料視聴者にくれよ。せめて、遠吠えが複数回聞こえた上で、「サーバルたちが歩いて行った方向に移動しているようだ!」とか。そして、(とっても強いという話の)イエイヌをいっしょに来るように連れ出す、とか。

平和そうに歩くサーバルたち

BGMも相まって、直前の緊張感がいったん解きほぐれてしまう。このシーンは、遠吠えよりも前に挟むべきだったのでは?

唐突に「あっ、もしかして」とキュルルの忘れものに気付くサーバル

いや、善意解釈すれば、サーバルが「カラカルがキュルルと仲直りするきっかけはないかなぁ・・・」と考えていたら思い出したと解釈できるけど、単純にトラクターまでたどり着いてから目で見て発見するほうが自然じゃろ?意味のない不自然さは罪やぞ。

イエイヌ「あの2人のことは忘れてください!」

イエイヌ擁護派多いけどワイはこのセリフは許さんよ。そして「キュルルの身の安全のために、敢えて思ってもないことを言っただけ」という擁護は通じない。逆に、そこまで言わせるなら、もっともっとせっぱ詰まった極限状況まで緊迫感を作っておかないとダメだ。

ピロピロピロピロ「キケン、キケン

もっと警告らしい音出せ。

ビーストにやられるイエイヌ

一撃でダメージ受けすぎやろ・・・。あそこまでボロボロにするならもっと格闘させろ。作画しんどいならせめて「激しい格闘の末に・・・」と伝わるシーンを挟め。

カラカルたち登場後のBGM

あのさあ・・・。これまでのシリアス感はなんだったわけ?コミカルにしたいの?まさかずっとコミカルのつもりだったの?

ビースト撃退

強敵感の無さよ。ゴリラなどの精鋭揃いだった5話でもみんなで逃げ出したビーストなのに、カラカルサーバルだけであっさり追い払えるの?少なくともセルリアンよりはるかに強い、ひょっとするとラスボス級かもという認識だったけど、今後ビーストの怖さをどう捉えたらいいの?

また倒れてるイエイヌ

さっき起きてたやん。倒すなら倒れるシーン挟めよ。

イエイヌの心変わり

急すぎる。子供はもちろんふつうのオトナでも共感が追いつかない。(高尚な3%のオトナにしかさらない)

「おうちにおかえり」

イエイヌちゃんのこれから不憫すぎない・・・?せめて、せめて、イエイヌの心情変化やキュルル側の心情ももっと描いてあげて、「心にしみる別れ」をもっともっと演出してあげないと、急すぎるイエイヌの涙だけじゃ、とても報われない。

かばんとスケッチブックをなくしちゃったことにキュルル「もぉ、なにやってんの?」

冷たすぎる。そりゃ大切なものだし失望するのはわかるけど、届けようとしてくれた善意に対する感謝気持ちがあれば、そんな第一声は出てこないやろ・・・。ましてそっからスギスし始めるなんて論外オブザ論外。せめてせめて、語尾や言い回しを少し変えるだけで、コミカルケンカに仕上げることもできていた気もするが、そうはなっていない。

以上です。

ちな1話感想過去に書いてます

https://anond.hatelabo.jp/20190122230012

2019-03-12

けものフレンズ2の9話のみを見た人間感想

 まず、本編途中でやべえな…と思い、ツイッター検索をした結果イエイヌ不憫などという話が持ち上がっていたが、突っ込みどころが多すぎてそこにしか焦点が向けられないのってすげえアニメだな…

サーバルちゃんが連れ去られた後に突然おうちを見つけた~のくだりを話し始めるのがよくわからなかった。何の脈絡もなくそこにたどり着けるだけの知識サーバルちゃんに備わっているわけもない。例えばかばちゃんとの記憶を失ってなんちゃら~というのも今調べて発覚したが、おうちという知識かばちゃんとやりとりしたわけでもない。それと、サーバルちゃん友達自分より家を優先させる人だと思っているドライな所が悲しかった。一緒にここまで冒険してきた(見てないから知らんけど)筈のキュルルちゃんがおうちを見つけて、だからもういいんじゃないかなくらいの割り切り方…けもふれ1話のさ…かばちゃんについてきたあげたサーバルちゃんじゃない…声が一緒なはずなのに抑揚の付け方が、台詞回しのせいで今の方が淡々としていて優しさが現れなくなっている…

サーバルちゃんならいなくなった後「どこ行っちゃったんだろ。でも、頑張って二人で探そうね!きっと元気にどこかでやってるだろうし、ボスいるか大丈夫なはずだよ!」とか、カラカルを元気づけるくらいしただろ…

ますだろ…いくらでもそういう言葉選びが出来たんじゃないか…おうちというワード固執させたかったんだろうけどそれだったら「もしおうちが見つかってたら、やっと帰れるんだね、キュルルちゃん!でも心配だし、早く探してあげたいな」とかで充分いけただろ…

キュルルちゃんがさ、サーバルちゃん呼び捨てしているのも強烈に違和感があった…サーバルちゃんって、呼び捨てちゃん付けも色んなフレンズにしているけど、かばちゃんにはかばちゃんだし、サーバルちゃんサーバルちゃんってお互いに呼んでいて。キュルルちゃん呼び捨てにしてたら自分もキュルルって呼び捨てにしたんだと思うんだ…その微妙な二人の距離感がすごくどちらとも可哀想…と思ってしまった

カラカルがキレている所らへんも、イエイヌに対しての言い方とかもう少しあったと思う。いや怒るのは正論なんだけど「遊ばない」とか、言うにしても…というかけもフレ一期ならキレるキャラとしてツチノコとかが居たけどアレは知識が無い事と勝手に色々かき回すってところにキレていたわけで性格とかそういう考え方を否定してたわけではないので、嫉妬しているから怒っているという風に見えるカラカルがとてもメンドクサイ女子のように表現されているのがモヤモヤする…ただ単に心配してて上手く言えなくて、だったらそれをサーバルちゃんがそこで…賢いなら…察してほしかったのと、追いかけ回してた子たちは関係ない悪くないって言うなら、イエイヌに対しての態度がただ悲しい…カラカルがあそこで一緒に遊んでたらあそこまで胸糞悪くなかった…キュルルちゃんはただほんともっとかばちゃんより幼いってことでもあるのかもしれないし、能天気だし、おうちを探すってこととかそう言うのが意外と希薄で、カラカルが一番真剣に考えてあげてるのに空回りで伝わってないのも悲しい…カラカルが悪いわけじゃないので…

 キュルルちゃんが勧められたお茶を飲まないのを見ていて気がついたけど今回だけかわからんけど「~しない」っていう行動の拒否否定ものすごく多いよな…けもフレ一期は「わからないことがあっても、それにみんなで立ち向かう」だけの団結力とか、こういう否定をするときも「ごめんね、今気持ちが一杯で…」みたいな表現で言うと思うんだ…そもそも一期なら紅茶飲むと思うけど……

そんでここまででいったん中断して調べ回ってから本編を見始めたらサーバルちゃんが「これでよかったのかな、ほんとうのおうち…」って言い出すの「は?」としか言えない。いや最初におうち見つけたんじゃないって言ったの自分だよね?というか何でそこはカラカルに言わせないの?ここサーバルちゃんなら「寂しいけど、キュルルちゃん幸せになってくれるなら…」とかっていうタイプなのになぜカラカルに問いかけるんや…それと、サーバルちゃんはここでカラカルに行くって言わせないで「カラカルも一緒にいこ!キュルルちゃんと仲直りしたいでしょ!」って連れていくタイプだと思うのにそこをカラカルに言わせてどないすんねん…「ちょっと、私は!」って言えたならそこで「さ、サーバルが無理矢理!」っていうカラカルちゃんの心の中の体裁を保てたんだよ……

なんでそこまで助けてくれたのに「イエイヌさん」なんだ…何でさん付けしてるんだそこ…

「頼りないわね!」って言うよりもキュルルに対して「もう、弱いのになんで外に出てるのよ!」って言えばまだよかったな…って…結局イエイヌ嫉妬していることがわかってしまうこの台詞悲しいわ…

わかったことがあるんだけどキュルルちゃんは多分5歳くらいなんだと思う…(あくまでも小学校に入る手前の年齢という解釈なので何となくで5歳というしかないだけだけど)…だから守ろうとかそういうワードになってくる…けもフレ一期のかばちゃんの成長と違って、キュルルちゃんは目の前で見たことに対しての反応しか出来ない…だからイエイヌに対しても煮え切らない態度しかとれなかったし…

 今回の序盤の「鋭い爪~」とかそういうくだりがあるせいでイエイヌがそういう特徴があるのに実はたいしたことないみたいな描写しているのがすごくやるせない…目に迫力があってすごいんです!とか言わせておいて、その最後泥だらけになっている所でビーストを睨みつけて撃退してたらすごくきれい伏線も何もかもまとまっていたんだけどな…

イエイヌが一人で自己完結してしまうところで5歳児のキュルルちゃんに何も言える筈はなかったんじゃ…それはそうとしてカラカルちゃんが嬉しそうってなってるところがまたイエイヌちゃんがいなくなってよかったみたいに捉えられかねないやり方やめろ…もうここで一期の人間は一期におかえりって言われてるのと同じだから何とも言えない、もうけもフレ2は一挙放送があっても見ることはないでしょう…この量の文字数だけ毎回違和感出るんだなってわかったし苦行以外の何物でもない…

イエイヌを汚れたままにしてるのもキツイあんなに可愛いのに薄汚れたままにしておかえりはないでしょ…水浴びとかちゃんとさせるかあそこまで泥だらけにする必要がない…イエイヌちゃんがまるでおうちを無理矢理キュルルちゃんに押しつけて結果役に立てずに汚れて戻っていくっていうストーリーをこんだけ嫌味にして引き延ばして一回の登場だけで終わらせるの勿体ないとしか言えない…

なにやってんの?」ってスケッチブックの事忘れてたのに怒る五歳児…仕方ないね五歳児は幼稚園鞄を持ってもらうことが前提なので怒るしかない…

 ココに出てくるキャラみんなご都合展開で喧嘩して仲直りということがさせたいしワードをいくつか出して終わらせておけばみたいなのが見え透いているのが耐えかねる…キャラクター自体はいいのにそれの使い方が全部間違っている……キャラは悪くないと思う。問題は動かし方と考えさえ方…っていうかビーストを早く解放してあげて…かばちゃんサーバルちゃんなら「フレンズを助けなきゃ!」ってなるでしょうが……今まで一回も観なくてよかったし感想だけ読んでればいいよ皆…

2019-02-05

久しぶりにスケッチブックひっぱりだして真っ白な紙みたらオラわくわくしたぞ

まだそんな気持ちが残ってたことが嬉しいぞ

2019-01-22

けものフレンズ2」1話感想やぞ

2019-01-11

お絵描きコンプレックス

匿名ダイアリー初心者なので、不備があったらごめんなさいと初めに言っておきます

私は小さなからお絵描きが大好きだった。筋金入りのオタクであり、家庭もオタクとして受け入れてくれたので、好き放題お絵描きしていた。私は発達障害なんだけど、星のカービィが大好きで、ずっとカービィカービィに出てくるアドレーヌリボンちゃんチュチュを描いてた。後に知ったが発達障害あるあるとのことでビックリした。

幼稚園小学校低学年あたり。私は誰かと遊ぶよりお絵描きを選んでいた。同じようにお絵描きを一緒にするクラスメイトがいたので、その子達と教室でひっそり、時には熱の篭った語り合いをしたりと、オタクながらそういう楽しみがあった。まぁオタクだとバカにされいじめられてたけど、それでも漫画が大好きで、お絵描きが好きだった。それだけで生きてた。ゲームして、お絵描きして、本読んで、漫画読んで、おやつ食って、寝てた。我ながら、マイペース過ぎると思うが、幼い頃の私にとってそれが当たり前だった。

お絵描きをしていて、20数年間、一度も褒められたことはない。これは誇張でも何でもなく、本当に誰からも褒められたこと、上手だね、と言われたことが、これっぽっちもない。親からも「あんたは絵の才能ないよ」と言われるほど、絵の才能というものは無かった。

褒められないのに描き続けるって、すごいと思う。幼い頃の私は自我が余り芽生えていなかったせいか他人賞賛に気を取られることがそこまで無かった。ていうか、褒められたことがなかったので、そういうもんだと思ってた。その頃の私は、とにかく、絵を描くことが大好きだった。お話を考えるのが好きだったので、将来は漫画家になるんだと勝手に決めていた。

私の同じクラスに、とても絵が上手い子がいた。

イラストオタク的なことを踏まえても、クラスから「上手いね」とワラワラ集まってくるほど、上手だった。その子と私はそんなに仲良くなかったけど、親同士が仲がよかったため自然距離が縮まっていった。そうなると、自然な流れでお絵描き仲間になる。

私はその子が好きだった。イラストも上手だし、性格大人びていて、何事もスマートに済ませるタイプだった。ドン臭くてオタクいじめられがちな私とは全く違う子だった。

大好きだった。けれど、ドン臭い私だけど、直接面と向かって比較されるのは、流石に堪えるものがあった。

悔しくて夜は泣いてた。私は私の絵が好きだったから。絵を描くのが好きだったから。好きでやってんのに、勝手にその世界に踏み込んできて「あなたの絵はあの子に比べてあんまり上手くないね」と値踏みしてくる。その無神経さに、私はだんだんコンプレックスというものを覚えるようになった。

傷付くだけでは癪なので、バカの一つ覚えみたいに描いていたスタイルを変えた。絵柄を研究したのだ。当時大流行りだったありなっちには絶大な影響を受けたし、他にも「こういう目の描き方はどうだろう」とか「もっと手や足のバランスを考えなくちゃ」とか、おバカなりにも頑張ったのだ。もがいたのだ。私の世界を踏みにじられないように。

私の努力は余り実らなかった。まず第一声が「絵柄が変わりすぎて、変だ」と言われたこと。その時は、その言葉が重すぎて、自分の絵柄ってなんだろう、ていうか褒めたこひとつもないくせに絵柄がどうとか今更なんなんだ、と思った。

一番心に残っていることは、まだ幼稚園とか保育園あがりの下級生に言われたこと。

の子供たちは件の絵の上手い子のイラストを見て「この人!すごい!じょうず!きれい!」とはしゃいでいた。その次に、私の絵を見て「この人の絵は好きじゃない」と、ハッキリと、何の悪意もなく、見ず知らずの私の絵に向かって、そう言ったのだ。私はそれをドアの向こうで聞いてしまったのだ。

あ、私、絵が下手なんだ。

ハッキリと理解出来たのは、多分、その時が初めてだったと思う。

同時に、やんわりとだけど「絵が下手ということは、他人不快感を与える」ということが心にずっしりのしかかってきた。

の子に対するコンプレックスは、結局消えることがなかった。拗らせまくった私はその子イラストをパクっちゃうようになった。上記バックボーンを読み解けばお分かり頂けるだろうと信じる。ただ教師からすれば、私は他人の絵やアイディアを盗む問題児だった。何度も注意された。他のクラスメイトたちの前で注意されたので、ビックリするくらいの速さで「記事主(私です)は絵が下手だからパクってる最低のやつだ」と情報が出回った。つまり子供ながらに、こいつはコンプレックスに溺れてる奴なんだ、ということが知れ渡ってしまったのだ。その通りなんだから、私は何も言わなかった。口数は減り、絵を描くことへのコンプレックスや、その子に対するコンプレックスはどんどん膨らんでいった。

話はトンと変わる。

私はそんな小学校生活が嫌すぎて、私立中学へ進学した。心機一転し、お絵描き仲間もいたので、アホみたいにずっとオタク話をしつつ絵を描いて手紙交換してた。相変わらず褒められることは特になかったけど、絵を描く楽しさは少し取り戻せた。

進路を決めるとき、なぜだか分からないけど、当たり前のように美大進学をする流れになった。オタクだし、いつも落書きしてるし、じゃあ美大でしょ?みたいなノリでみんな美大進学を決めていた。

私は、その"ノリ"に、ある種の嫌悪感を覚えた。

だって、誰からも褒められたことの無い人が、なんでその手の専門分野にノコノコと踏み込めるの?コンプレックスが心の底で燻っていたんだと思う。私は絵が下手だ。好きだけど、下手なんだ。いくら勉強しても、努力しても、ダメなもんは、ダメなんだ……。

「いつも絵かいてるなら任せてもいいよね?」と勝手に頼まれ文化祭の表紙絵。部活のチラシ。頑張って描いた。オタクっぽさを抑えたつもりで、なおかつ、見栄えするように色んなイラスト雑誌を参考にして、描いた。「オタクっぽくないやつってお願いしたんですけどね」「え?マジでこれ、人前に出すの?」どれもこれも、散々言われて、却下された。ねぇそれ、寝ないで描いたんだけど。下手なのは分かってる。でも、そんな一蹴されてもね、私は、どうしたらいいんだろうね。そんな言葉を言うくらいなら頼まないでよ。好きで下手なんじゃないんだよ。好きで描いてんの。何時間も構図考えて装飾も書き込んで細いペンガリガリ描いたの。わかんないよね、だってあなた達はジャッジする側の人だから。絵が下手だと、気持ち悪いと、判断を下すのは、至って簡単ことなんだ。

学生なんだから仕方ないよ、と、思った方もいるでしょう。子供だし言葉選びが出来ない面もあったと思うし、私自身好かれてるわけじゃなかったのかもしれない。

3年ほど前だろうか、私はあるジャンルにおいてとても活発に活動していた。

学生の頃の対人関係は断ち切って、趣味に打ち込んでいた。その一環で、少しだけだがイラストを描いていた。ほんの少しだし、やっぱり評価はなかった。でもそのジャンルで、初めて、褒められることがあった。初めてだった。そのおかげで私は一次創作が大好きになったし、今でも感謝している。だからイラストよりも他のことで満たされていた。とても幸せな日々だった。充実していたし、ここにいていいんだ、と思えた。

そのジャンルで、とても過激な人がいた。ビックリするほど過激だった。言いたい放題言いまくり形容し難いがともかく人格に異常があるんじゃないか?ということが多々あり、私は彼女と険悪であった。というか私が一方的に嫌っていた。その人は要するに絵描きで他のジャンルでも活躍している方だった。

私がその方を嫌っているということが知れ渡った途端、数人が「ブログ主は、絵が描けないからね」「絵が描けないからって、嫉妬丸出しで恥ずかしい」と言っている、ということを、人づてに耳にした。その悪口を言っている人達は、普段、私と懇意にしている人達だった。

サーっと血の気が引いて、ガラガラと積み重なっていたものが崩れていった。どうやって辿り着いたかからないが、病院に行き、過呼吸を起こし泣き崩れた。あまり覚えてないが、安定剤を投与され、しばらく横になっていたのはうっすら覚えている。

まだ言われるんだ。

いつまでもイラストが下手だって、描けない人間なんだってカテゴライズされるんだ。

気持ち悪いとか不快とか怒ったとか、そういうのは、あまりなかった。

カテゴライズされることは、子供からとかそういうわけじゃなくて、大人になっても、こびりついてくるものなんだ。イラストを描ける、描けない。上手い、下手。こんなことで、人間仕分けるんだ。ニコニコ笑って遊んでても、心のどこかで「こいつは絵が下手だから」こうやって思ってんだ。

ぶん殴られた気分だった。ゴルフクラブフルスイングされたくらい、衝撃だった。結論から言うと、絵が描けなくなった。絵だけじゃない。創作物全般が、だめになった。絵描きさんが、怖くなった。

たまに見かける、絵師絵師だけでしか交流しないという愚痴。私は愚痴すら出てこない。そういうもんだろ?ってもう決めつけてるから技術を持った者同士が仲良くなるのは当然のことだし。ただ上記のことで分かったのは絵師同士でも裏側ではバチバチ険悪な場合があるってこと。あと、私の子供の頃みたいにコンプリスペクトが混ざりあってごちゃごちゃになって結果絵柄やストーリーはてには日常生活までパクっちゃう人もいること。悪意があるにしろないにしろ、そういう人々も、結構いた。

なんで私が突然こんな自分語りを始めたかというと、おそらく5年振りくらいにペンタブに触ったからなんです。結論から言うと、楽しかった。ここ数ヶ月スケッチブックに絵を描いてたんだけど、やはりコンプレックスが強すぎて画像載せても消してしまってた。界隈にはイラスト激ウマ人間ゴロゴロいるし、比較されたくない一心だった。

余りデジタルは触ったことなく、ペンタブもホコリ被ってたけど、手探りでペンタブを弄ってたら、楽しかった。語彙力皆無で申し訳ないんだけど、楽しかったの。お腹も空かなかったくらい、熱中した。もちろん下手くそなので評価とかはない。でも楽しい自分なりに上手く出来たんじゃな〜い?みたいな自己肯定感が生まれた。

お絵描きへのコンプレックスは消えることないと思う。でも、やっぱり私はお絵描きが好きなんだ。誰から評価されないけど、私は私の絵が好きだ。下手だなって思うけど、自分なりに上手く描けたなってとき、それは宝物になるよ。ぜったいに。

2018-12-16

ファーウェイはどこまでファーウェイ

ルール

ファーウェイらしきものGoogle検索していく

検索1位で「ファーウェイ」と認識されたら◯

・それ以外は×として、誤認されたもの掲示していく

・1位ではないが検索結果の中でファーウェイ認識されているなどの例外は△

 

■結果

ファーウェイ→◯ファーウェイ

・ハァーウェイ→◯ファーウェイ

・ヒァーウェイ→◯ファーウェイ

・ヘァーウェイ→×理容新聞 ヘァーウェイ

・ホァーウェイ→◯このままHuawei排除すると日米にとって嫌な事態Yahoo!ニュース(先日はてブ話題になったやつ)

 

・ハアウェイ→◯ファーウェイ

・ヒアウェイ→×cazusa on Twitter: "スケッチブック……ノンノンノン!!! スタイルブック ...(2位以降はリシケシュ・ヒアウェイという人物記事ファーウェイとは全く認識されない)

・フアウェイ→◯ファーウェイ

・ヘアウェイ→×ヘアウェイ(HAIR WAY)|ホットペッパービューティー

 

・ハアエイ→×株式会社ハマエイ

・ヒアエイ→×ヒアリ東京都環境局「気をつけて!危険外来生物

・フアエイ→◯ファーウェイ

・ヘアエイ→×ヘアウェイ(HAIR WAY)|ホットペッパービューティー

・ホアエイ→×効果を上げるホエイカゼイン【混ぜると効果的になる理由

 

・ハャーウェイ→◯ファーウェイ

・ヒャーウェイ→◯ファーウェイ

・フャーウェイ→×FAIRWAYフェアーウェイ認識される)

・ヒャーウェイ→◯ファーウェイ

・ホャーウェイ→◯ファーウェイ

 

・バァーウェイ→×(「バーウェイ」と認識されていろいろなバーウェイが出てくる)

・ビァーウェイ→×(BWAY(ビーウェイ)と認識されていろいろなビーウェイが出てくる)

・ブァーウェイ→◯ファーウェイ

・ベァーウェイ→×(タイヤベアウェイ、ヨット用語としてのベアウェイなどが出てくる)

・ボァーウェイ→×(床の清掃および研磨のためのボアウェイ床研磨機、木村拓哉の「What's up SMAP!」(ワッツ)レポ2008.6.27など。4記事しか検索されない)

 

・パァーウェイ→◯ファーウェイ

・ピァーウェイ→◯ファーウェイ

・プァーウェイ→◯ファーウェイ

・ペァーウェイ→×Pair Way(ペアウェイ)滋賀県草津雑貨屋さん

・ポァーウェイ→×ポーウェイ(カリフォルニア州地名

 

・はぁんウェイ→×あはぁん | ぽぽぽぽーん個人ブログ

・ファッウェイ→◯ファーウェイ

ファッ!?ウェイ→×『ファッとして桃源郷てーきゅう4期 OP - YouTube(2位にファーウェイを間違って「ファッウェイ」と記述してしまったらしい人のTwitter投稿

・はぁん♡ウェイ→×Ceron - 【茅原実里】「SUMMER CAMP4」ライブBlu-ray Disc ダイジェスト(Ceronが1位は珍しいように思う)

 

・ふわえい→△フワエイから探した商品一覧【ポンパレモール】(表記ゆれ。2位以降はファーウェイとは全く認識されていない)

ファーウェイウェイ→◯ファーウェイ

ファーウェイウェイウェイ→◯ウェイウェイウェイウェイウェイ? - Yahoo!知恵袋 - Yahoo! JAPAN(一応ファーウェイに関する質問

ファーウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイウェイ→△(これだけやっても地図ファーウェイカスタマーサービスセンターを指し示す)

・フファーファーイウェファーイウェファーイウェイウファーェイウェイファファーーウェファーイウェイウェフファーァーイウェイウェイウファーェイウファーェイウェイウファーェイファーウェイウェイウェイ→×ソニーホームシアター向けのスピーカー/サブウーファーを発売 - PHILE WEB

 

・ウェイ系ファー→◯ファーウェイ(意外)

・ウェイウェイ系ファー→△戦慄!ウェイウェイ族との遭遇 - Togetter(4位以降はファーウェイ

・はあ!?ウェイ→◯ファーウェイ

中国スマホ→×(ファーウェイを含む記事は返ってくるが、ファーウェイ単体を指す言葉として認識されない)

・あのーこないだ禁止になった、ほら、中国のさ、何だっけファーなんとかってスマホ→×(上に同じ。2位は、口ぐせ中国語6「あのー何だっけ」)

 

ファンウェイ→◯ファーウェイ

ファンスマホ→×剣ファンスマホ版 - YouTube

スマホウェイ→×店舗一覧 | 北海道No.1パーソナルトレーニングジム スマートウェイ

 

ウォンファーウェイ→◯ファーウェイウォン・カーウァイと誤認しない)

ファーウェイカイテル→◯ファーウェイハーヴェイ・カイテルと誤認しない)

ファーウェイ青果→◯ファーウェイ

ファーウェイ農場→×(農業IT記事+関連記事の「ファーウェイ」という語句を拾ってくる模様)

 

・ハヮーウェイ→×(Your search - ハヮーウェイ - did not match any documents.)

・ヒヮーウェイ→×(Your search - ヒヮーウェイ - did not match any documents.)

・フヮーウェイ→◯(表記ゆれ検索結果2件)

・ヘヮーウェイ→×(Your search - ヘヮーウェイ - did not match any documents.)

・ホヮーウェイ→◯(表記ゆれ「フアウィイ」を検知。検索結果6件)

 

・ベイベー→×RIP SLYME - 楽園ベイベー - YouTube

・ベイベースマホ→×(個人ブログで「ベイベースマホ」という謎の語句を使っている人の記事検索される。検索結果5件)

・ファーウェッセン→×(「ファーウェイ」も「シャウエッセン」も検索されない。二兎追う者は一兎も得ずか)

・ファーウェンツ→×(検索結果が完全にウェンツ瑛士に独占される)

 

チャレンジして成功したもの

・プァーウェy→◯ファーウェイ

・ファァーエェイ→◯ファーウェイ

・ファァエェィ→◯ファーウェイ

・ファァァァァーエェイ→◯ファーウェイ

・ハァァーエェィ→◯ファーウェイ

・プァァーエェィ→◯ファーウェイ

 

・huァーェイ→◯ファーウェイ

・ファuei→◯ファーウェイ

・ファuえi→◯ファーウェイ

・ファーえei→◯ファーウェイ

・フuaーえwei→◯ファーウェイ

・ブァーヴェイ→◯ファーウェイ

2018-09-24

anond:20180923163749

いろいろなところをぼっちで巡ったが動物園おっさんぼっち率はかなり高い。

おっさんっていうか結構年齢層高めのおじいさん層まで男一人はいっぱいいる。

写真や絵目的の人もいるけど普通に動物見てる人いっぱいいるぞ。

気になるならスケッチブックでも持っていけばいいし動物園はかなりハードル低いよ。

2018-05-26

本当に気にくわない絵描きがいるんだけどマジでなんで評価されてるのか意味がわからない。

そいつ自体フォロワー200人いるかいないかぐらいのぽっと出アカウントだし、私のいる界隈自体がどマイナーで激せまだからほんとに小さい世界の話なんだけど、それでも気にくわない。

だってそいつの絵、いつもスケッチブックかにペンで雑にちっちゃく描いた子供落書きみたいなものばっかりなんだよ。たった数分程度で描ける落書きをひたすら量産してるだけ。ネタ子供でも思いつくような何の捻りもないものばっか。よくTwitterバズるようなシュールでゆるい流行キャラたちの便乗じゃないのとしか思わない。

それなのに可愛いーほのぼのするーほっこりするーとか言われてほぼしょっちゅうリツイートいいねでまわってくるのを見る。pixivuser入りタグ付くようなうちの界隈ではかなり有名な絵師さんですらそいつ幼稚園児みたいな絵リツイートしてほんと癒される天使とか言ってんの。

極め付けで気に入らないのはそいつ画力。前そいつメディア欄覗いたことあるんだけど、少しだけ混じってた普通イラスト見てみたら人体描けてない、デッサン狂ってる、ポーズキモい、骨格おかしい、パース狂ってる、バストアップだけ、左向きの顔ばっかっていう下手くそ定番オンパレード。ああこいつろくに人物イラスト描けないかあん作風に逃げてるんだなってすぐわかったよ。

正直、普通の頭身のイラスト描いたら私のほうが圧倒的にうまい自信ある。なのに私が何日もかけて描いたイラストより、そいつの描いた子供落書きみたいな下手クソ絵が可愛い可愛いってちやほやされていっぱいいいねされててさ。基礎もまともに描けない奴が。本当に萎えるんだよね。味があるとかほっこりするとかみんなに言われてるけど、ただ手抜いてるだけじゃん!そんなん子供でも描けるし、擬音からから全てにおいてウケ狙ってるの丸わかりであざとすぎ痛すぎ。

最近描いてる奴とか明らか媚びてるのバレバレからね。たくさんリツイートいいねしてもらうためになりふり構ってないなって見た瞬間からすぐわかったから。好きに描いてああなったんならまだ許せたけど、ただの承認欲求の塊だったんだね。痛々しいよ。

私が好きな同じ界隈の有名な絵師さんがそいつ名前出して〇〇さんの絵本当に好きでーなんてツイートした時なんかもうムカついて仕方ないし、そいつそいつで下手のくせに神絵師さんたちと平気で絡んでてもう無理意味からなすぎる。なんでフォロワー200人いない実力も皆無のクソ下手がちやほやされてんの?あんな雑で汚いイラスト量産してるだけのくせに自分も同列だと思ってんの?気持ち悪い。ちょっとは身の程弁えたら?謙虚さってものを知らないの?本当に何様なんだろう、あい

2018-03-27

神がジャンル移動した話

最高の同人誌を作ってくれていた神がジャンル移動した。

理由簡単、次のジャンルの方が「ここにいて、ここで本を描いて欲しい」と言われたからだという。

私はずっとロム専だったけれど、神の描く自カプの話がとても好きで、どれもツボで、一冊目からずっと買っていた。

二冊目か三冊目の本を出したとき感想のお手紙をだして以降、新刊がでるたびに感想手紙を渡していた。

私の感想を神が本当の意味でどう思っていたかは知らないが、毎回手紙を渡すと嬉しそうに笑ってお礼を伝えてくれるのがとても嬉しかった。

私は神の作品はもちろん神自身のそんな対応がとても好きだったのだ。

そんな風に神自身の人柄が好きだったのでもちろんツイッターフォローしていた。

神が自カプの同人誌をだす少し前、ウェブ活動し始めてからそのアカウントを消すまでの数年間私はフォローし続けていた。

「この本が最後のAB(自カプ)本です」そういって新刊サンプルと共にツイートされたときちょっと凹んだ。

凹んだけれど、神が決めたことだ。寂しいけれどみんなジャンル移動していくし仕方がない。

私は神がだす最後のAB本をイベントで買うために列に並び、いつもと同じように前回出した本の感想手紙を渡した。

毎回手紙を持ってくる私のことを神は認識していてくれたらしい、手紙を受け取ってお礼を言ってくれたあと「あとでもう一度、落ち着いた頃にスペースに来ていただけませんか」と言われた。

理由はわからないが、神に声をかけられて断る理由もない。むしろから声かけてもらえてラッキーみたいな気持ちだった。「じゃあ買い物が終わって、列が落ち着いた頃に来ますね」と返した。

そこから他の自カプ本を買いに走り、ツイッターフォロワーと会っておしゃべりをして、いつもどおりのイベントを楽しんだあと、神のスペースに顔をだした。その頃には列もなくなり、机の上には既刊も新刊もない完売状態だった。

神は私の顔をみると少し頭を下げて、お友達?売り子?にスペースを任せてから荷物を持ってスペースからでてきてくれた。

他の人の邪魔になるといけないか場所を少しだけ移動したあと、神が呼びだすようなことをしてすみませんと謝った。

そのあと神の話を要約するとこうだ。

私を呼び出した理由はどうしてもちゃんと今までのお礼を伝えたかたこと。

毎回持ってきてくれる手紙が心の支えだったこと。

ずっと手紙に返事をしようか迷っていたが、返事を書いて渡すことで「次も感想手紙を持っていかなければならない」みたいな義務感を与えてしまうのが怖くてできなかったこと。

手紙は本当に嬉しくて最初の物から全てちゃんと保管して何度も何度も読み返していること。

それらをすごく緊張した様子で紙は私に必死になって伝えてくれた。

そのあとスペースから持ってきた紙袋を私に渡してくれた。

こんな風に一方的に懐かれて気持ち悪いと思われるかもしれないけれど、これが最後から勇気をだして声をかけたと。今までの感想のお礼として受け取って欲しいとプレゼント紅茶お菓子)を用意してくれていた。

そんな風に感じてくれていたとは思わず私も恐縮しながらこちらこそ今まで素敵な本をありがとうと伝えてプレゼントをありがたく頂戴した。今しかねぇなって思って普段は受け付けていないスケッチブックを駄目元でおねだりしてみたら神は笑って私のわがままを受けてくれた。

じゃあ後ほどスケブ取りにいきますね、と約束した時間にスペース受け取りに行くと神めっちゃイラストを描いてくださってた。

最高。今でも宝です。

他のスペースも撤退し、人も少なくなっていた。私はスケブのお礼を伝えた後なんとなく、「なんでジャンル移動するか聞いてもいいですか?やっぱり飽きちゃったとか、移動先の方が熱があるとかですか?」と聞いてみた。

神は少し迷ったような顔をしたあと「砂かけだと思わず聞いてほしい」と前置きをしたあと話してくれた。

神の移動先より自カプのほうが規模も大きいし、本もこちらのほうが手に取って貰えるらしい。

だけど、買いに来る人はほとんど誰も声をかけてくれないのだという。

移動先は今の半分も刷れないし、本が売れる数ももちろん半分以下だけど、求めてくれる人のほとんどが「楽しみにしてました」とか「本を買えて嬉しいです」と言葉にしてくれたらしい。

移動先ジャンルツイッターアカウントは作っていないし、描きたい話があるから一冊だけだそうというつもりで本をだしたそうだが、そこで予想外にも求められたのだという。

「規模が小さいから私なんかでも求めてもらえるとわかってはいても、優しくされて自分もびっくりするほど嬉しかった」と「数年間ABで欲しくて欲しくて堪らなかった言葉が移動先のジャンルでポンと貰えてしまった」と神は教えてくれた。

ABではジャンル規模のおかげもあって本は売れるけれど、声をかけてもらえることはほとんどなかったのだという。

この一年は私の手紙が心の支えだったとも神は言った。

「もし、それと同じ反応がABでもあったら移動しなかったですか?」と重ねて聞いてみた。

それには神は「わからない」と答えた。

私は優柔不断だし、人の反応が気になるし、お調子者だから求められるとすぐいい気になってしまう。

ABでもし移動先みたいな反応が貰えていても、熱のあるジャンルで同じだけの反応が貰えたら移動すると思う。

一言一句すべて同じではないけれどこんな感じの事を言っていた。

ただそのあと付け足した

「でも、欲しかった反応がもらえていたらこ一年こんなにしんどい思いで原稿していなかったとは思う。」

と答えたのがとても印象に残った。

そのあと少し話して神との接触は終わったし、私は最後のAB本の感想を奥付のメールアドレスに送っておいた。(ありがたいお返事とイベントで話した内容で気分を害していないか気遣ってくださった。神よ、私の中で神は永遠です)

そのメールを送って3日ほどたったころ、神は「数年間ありがとうございました!本はもうださないけれど、ABはこれからも大好きです」とツイートしたあとアカウントを消した。

私の書いた感想が、神を一年を支えたのだと思うと手紙を書いてよかったと思う。

私は感想手紙を書くのがとても好きだし、これから応援したい人にはきっと手紙をだすと思う。

でも、私一人の手紙所詮一人分でしかなく、数には勝てないんだなぁとも思った。

神も人なんだよなぁ。そりゃ反応欲しいタイプの神もいるよなぁ。

それ以降列ってるサークル見ると、あそこに並んでる何人の人が声をかけるんだろう、と思うようになった。

みんな、自カプに長くいて欲しい人がいるなら手紙じゃなくても、声かけていこうな……

私も割合的には無言で買っていくこと多いけど、それから意識して声かけるようにしている。

自分にとっての神は自カプにいるうちに大事にしような……

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