2020-09-01

憲法改正論議における安倍晋三の華々しい業績

改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。

ここにその輝かしい業績を記したい。

 

まずは安倍晋三以前の状況から

WWII以後も熱戦の時代は続き、世界民族自決植民地独立冷戦下での大国介入に伴う戦争経験してきたが、敗戦武装解除された日本関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。

その冷戦下で9条改正を目指すのが自民党護憲革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新護憲派だった。

 

ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり憲法は良いものから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである

その為護憲=お花畑空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦終結により日本立場は流動的となった。

そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本戦争への協力を求められる事になり、世論右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界である多国籍軍国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。

 

湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジア民主選挙監視である

また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である

 

先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。

憲法法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権自由主義的な思想意味が延々とこね回されたりする。

国民主権主権は元は絶対王政国家正統性の為のフィクションであって、統治権外交権交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権思想的に称揚されるばかりだったりする。

一言で言うと左翼神学的な評価がされていたのである

 

例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権国家に対する対外的権力だ。

統治問題主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATO軍事介入理由人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。

 

コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。

 

改憲問題エポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである

西部改憲派テーブルに座り「憲法9条や前文の精神日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神浄化され理想的市民国民が出来ると言う考えだ。

それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。

これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。

 

それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃん改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。

当初から戦争理由疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISIS勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。

これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線留保すべきという流れになるのは当然だ。しか国連の影響を抑える為の政策米国しまくった。この為に国連路線を旨としていた日本国際貢献イマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である

 

そこに颯爽と現れたのが我等が安倍晋三閣下であった。

改憲旗艦となった彼は新右翼学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。

彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。

すると2007年にコバセツは自民党憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである

ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。

例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。

日本会議の中枢に居るような新右翼学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。

吉田茂は後に吉田ドクトリン撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。

徴兵海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識希薄若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為から戦争従事させろというだけだ。

 

またいつのまにやら立憲主義否定されて憲法国民が守るべき事柄になっていった。

コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである

何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである機械ばらして直せなくなるガキかよ。

それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである

まり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。

これは左翼神学的で実学接続しないので憲法学者微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。

そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通立法プロセスが付いていないのである

 

こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺朝日新聞捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似コンテンツとなってしまった、

 

安倍閣下の華々しい業績はこれだけではない。

南スーダンPKO日報破棄はその最たるものだ。

南スーダンの情勢が悪化自衛隊PKO活動をしている地域危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。

今回は撤収するにしろしないにしろ国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法PKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である

なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったか自衛隊憲法問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田閣下前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。

 

更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。

だが隠蔽責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。

まり自衛隊に後ろから刺されたのである制服軍人スーツ政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。

だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。

しか自衛隊活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。

だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。

ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族大事とか良い事が書いてある憲法朗読しましょう」という流れは保護された。

アイドルのような還暦女性ポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子ロリポップを舐め続けることができた。

 

安保法制憲法解釈変更問題本来なら改憲問題だ。

だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議国民に投げかける事はしなかった。

この理由時系列を辿ると判る。

2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末靖国神社を参拝したところ、日米関係戦後最大の冷え込みとなった。

太平洋地域戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである靖国参拝英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんであるバカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。

因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。

こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である

議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本憲法改正させて米国戦争サポートさせるというのは共和民主わず共同認識になっていたのだ。

こういう経緯なので改憲論議という手順を踏まずにやったのだ。

集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法合法としてしまったのだから改憲カードは無くなった事になる。

 

カンボジア独裁化に関しても何も言っていない。

PKO歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本軍事的国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。

尚、日本民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権承認していた。あの虐殺国民の半分近くを殺しまくったポルポト国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。

 

こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。

護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派憲法学者も全て護憲派に寝返った。

一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。

そんな情況空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味判らんかった聖帝閣下友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達稲田防衛大臣制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。

統計公文書も無くなった国に護憲の要石を深く打ち込みやがて聖帝閣下も去る。

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