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はてなキーワード: 寮生活とは

2019-09-27

anond:20190927174443

食べられる限界量って結構才能なんだよね

野球強い高校に行った同級生寮生活で一番苦しかったのは食事時間っていってたわ

自分限界以上に食べないと罰則 食べると苦しい 地獄だっていってた

2019-09-23

お前ら全員アイドルやめろ

アイドルの熱愛発覚、匂わせ発覚でいつも思うこと

例えばだけど、聖書に書かれていることだけがイエス様の全てではない(と思う)けど、キリスト教徒聖書に書かれているイエス様信仰している訳じゃん。

聖書に書かれてないところで仮にイエス様教徒が幻滅するようなやべえことしてたとしても、それを知る必要性が無いのよ。教徒は。

まして礼拝中に信仰対象が自ら「聖書に書かれてることの裏でこんなことしてたよ!聖書とか全然ウソ!」って半笑い暴露してきたら発狂するでしょ。

アイドルだって人間なんだから恋愛くらいするよ!」とかそんなの分かってるよ。

だけど、そこらにいるただの人間では無いじゃん。

特別人間から推すんじゃん。

普通よりちょっと可愛い程度の見た目で歌もダンスも中の中だけど、恋愛を隠す努力しないどころかSNS彼氏の匂わせしまーす!みたいなアイドル特別な子だと思わないよ誰も。

なんていうか、変な言い方になるけどもっとみんな教祖や神としての自覚を持って欲しい。

普通女の子普通男の子と同じ事がしたいなら普通女の子男の子になってからすればいいし、アイドル立場を使って恋愛するのなら、それは普通の子と同じ普通恋愛ではないじゃん。

から例えファンに見えないところでそういう恋愛をしていても、それを隠し通すのがプロでは?と思ってしまう。

なんでアイドルだけって話にもなるけど、アイドルじゃなくたって、普通の人よりも私生活にも制約が生まれ仕事なんていっぱいある訳で、その制約がアイドル場合恋愛ってだけじゃんと思う。

化粧しちゃいけない、香水つけちゃいけない、市販の薬飲めない、SNS禁止寮生活必須、とか、どんな仕事だって大小様々制約はあるよ。でもそれを分かってプロになるんじゃん。仕事にするんじゃん。

仕事の為に恋愛を自制や自己管理できないのなら、普通アイドル向いてないと思うし、そのまま続けても大成することは無いんじゃないですかね。

アイドルやめな。

2019-09-10

検索したら死んでいた

高校とき学校の寮暮らしで同室だった友人が居た。大学に進学したあと、すぐに彼女ができたと聞いてリア充死ねと思った。

お互い企業研究者になって、ときどき特許公報名前を見かけていて活躍しているのだな、と思っていたが連絡はとらずにいた。

久しぶりに検索してみたら、なんと死んでいた。5chのスレッドにあったのでひっかかった。

子連れで40人くらいで海水浴にやってきたらしい。ビーチボールを取りに行ってわずか沖合10mで溺れたらしい。

結婚していて、子供も居たらしい。

結婚していて子供もいるのに、昼間なのに、まわりにたくさん人はいるのに、わず10mなのに、あっさり人は死ぬものなのだな。

死ぬ時までお前はリア充なのだな。

機会があれば、線香でもあげにいって、寮生活で彼と話したバカ話を彼の奥さんに話してあげたい。

2019-09-07

温泉、独り旅、そして濃霧

休暇を取ってください、と職場から言われた。

休めるのなら迷わず休むのがポリシーなので喜んで三日ほど休んだ。

さて、どう休もうかと悩んだ。引きこもりお盆で味わい尽くしたし、

予定を入れなければうっかり自宅で仕事をしてしまいそうだ。

そうだ、温泉へ行こうと思い立って旅行サイトで予約した。

さて、車で二時間ひたすら山を登る。

残暑が厳しいだろうから高地へ行って涼もうと思っていたのだけど、麓も涼しくなっていた。

山を登りきると、そこは涼しい温泉地。どこか浮かれたような雰囲気が漂っていて好き。

ホテルへのチェックインにはまだ時間があったので、スーパーへ寄ってビールつまみを購入。

口コミサイトにはフロント対応が最悪と書かれていたが、妙齢マダム淡々手続きをしてくれただけだった。

雰囲気が良ければあまり接客態度は気にしない。チェックインを済ませると部屋へ行った。

事前にわかっていたとは言え畳にベットは味がない。ベットだと布団の上げ下ろしがないからないから安いのか。

まあ、旅館の部屋につきものの「あの部分」があるからいか。早速「あの部分」の椅子腰かけくつろぐ。

瞑想くらいしかない。景色は開けているが、山しか見えない。夕食まで時間があるので、温泉に入ることにした。

事前に純粋温泉を楽しみたい人におススメとあったので、ワクワクしながら温泉に向かう。

ああ確かに温泉はしっかりしている。酸性度が強いので傷口が痛い。全身で温泉を感じた。

温泉に入ったから、何かが変わるわけでも魔法がかかるわけでもない。ただコンクリートの壁を前にして身体温泉に浸す。

なんとピュア温泉体験なんだろう。そうか、温泉っていうのは絶景とか解放感とか

そういう非日常こそが温泉だったんだなという気づき

ゆっくり風呂に入ったら、もう夕飯か。夕日を見る間もなく夜になっていた。事前の評判では冷食バイキングと聞いていたが、

実際に得られたモノもそう表現するしかない。宿に泊まっている全員の食事時間が90分しかない

というのが何となく窮屈に感じるけれど、その正体がわかった。コレ寮生活みたいなんですわ。

行列に並ぶことが何よりも嫌いなので、15分ほど遅れていったら部屋に内線電話がかかってきた。

現場に向かうと、部屋番号の指定席。なんかさらされているようで気恥ずかしい。

料理は大しておいしくないが、別に文句を言う理由もない。そんな食事なのに、

ビュッフェスタイルだったか無駄に食べてしまって2泊3日で2kgの大増量。

バカなことをしてしまった。

食事にはお酒がついてきた。あまり食事時に酒を飲むのは好きではない(回るのが早いから)が、

セットでついてきたのだから、ついつい飲んでしまう。欲張りモノは損をする。

酔いが回ってくると、気が大きくなってくる。隣席は同じく独り旅と思われる中年男性哀愁漂う晩餐を取っていた。

ものすごく、話しかけたくなった。目的もなく一人で来たからやることがないのだ。どうしようか。

どこか観光地について聞こうか、このへんにはおいしいものがあるのか、そんなことも知らずにここにいたから知りたかった。

しかけるのは簡単なんだ。でも、相手が会話を望んでいないときどうやって終わらせるかがむずかしい。

そういう責任取れない会話は辞めとこう、という気持ちがわいてきたので彼に結局話しかけることはなかった。

食事を終え、部屋に戻ると「あの部分」に腰かけビールを飲んだ。ああ、なんでこんなことしてんだ。

カーテンを開けると眼下には、昼間には森だった暗闇が広がっていた。何にもねえや。

いよいよアルコールがキツくなってきた。ドキドキと鼓動は早くなり頭はぼーっとする。そして気づく。

ああ、実は酒なんて好きじゃないんだな。

普段酒が好きだと思っていたのは、飲酒で気が大きくなって会話を楽しんでただけだったんだ。

無音の部屋で畳にゴロンと横になり、座布団を二つに折って枕にする。天井の木の模様を観察して、微妙な気分になる。

畳のにおいが心地いい。何も考えない、楽しい訳でもなく悩むわけでもなくただ時間が過ぎていく。

そうやってどれくらいの時間が過ぎたのだろう。酒が抜けてきたので再び温泉に入った。

いつ行っても風呂場がバラバラだけど、大丈夫だったのか。お湯の中で瞑想する。

風呂から上がると、ロビーは消灯していた。ほとんど真っ暗なロビーで放心状態だった青年が一人。

彼は何を思っていたのか。そんな彼を横目に部屋へ戻る。どうも隣室がうるさい。酒盛りだ。

ホテル入口にXX大学OO部と書いてあったけど、ひょっとしてこいつらか。でも、体育会系キチガイじみた盛り上がり方でもなかったので、仕方なしと思って布団に入った。その後もドンドンバンバン隣室からは音がしていたが、朝飯の時間は決まっているので彼らもじきに寝たようだった。

朝飯も同じ。何も語ることはない。卵やきをたくさん食べた。部屋に戻るとカーテンを開けた。濃霧で真っ白で視界ゼロだった。ふと、若い時に行った東北旅行で遭遇した吹雪を思い出す。バスの窓はすべて白く染まり飛行機が遅れて大変だった。吹雪の中にいると、建物の中にいても現実感が失われる。果たしてここはどこか、私はだれか、そんなことを疑いたくなる。次は吹雪が吹く冬に来ようという気持ちになった。

特に何もなかった。でも、何もないって贅沢だな。

2019-06-17

anond:20190617111931

1、男には死ぬまで懲役がある

2、女には、懲役の代わりに一定年齢までに子供を一人以上産む義務がある、また強い子供をたくさん産むために筋トレ義務もある

3、子供が生まれたら、まず障害がないか確認し、障害があれば即座に殺す

4、子供が3才になったら、親から引き剥がし全寮制の教育施設に入れ、国の管理の元で育てる

5、結婚はしても嫁とは基本的に住めない、全員寮生活、国に対して貢献度が高い場合だけ自分の家を持ち嫁と住める

6、ホモ行為レズ行為は推奨される

7、子作りセックスは子作りセックスで、恋愛は同性と行うことが正しいと国策で決める

ギリシャにあったスパルタ、という国の政策。 結構成功していた

2019-04-20

きっと甘いみかん / 一定甜的橘子

中国語勉強していたら、「一定甜的橘子」という文章に遭遇した。

内容は、一休さんのようにとんちを聞かせて上手いこと言い訳して難を逃れるというたわいもない話。

けれども、このテキストを読んでいると不意に他のことを考えてしまう。

ぼくの両親の実家愛媛で、母の実家瀬戸内海に面する小さな港町だった。

出身を言うと「みかんだよね」と、得意そうに、とき申し訳なさそうに言われる愛媛県民のどれくらいがそうしているのかわからないのだけれど、ぼくの家には子どもが生まれたらみかんの木を植えるという習わしがあった。種からではなく、苗から植えて、遅くとも小学校入学までには自分みかんを食べる。一つの通過儀礼だったのだ。

みかんを植えたのは母がたの祖母である祖母は、無口で芯を持っていて、彼女を知る人から言わせると、珍しい人、であった。ぼくが物心つくころには祖母祖父仕事退職しており、いつも家にいた。だから、ぼくと兄は、よく遊びに行って、いろんな場所に連れて行ってもらった。魚市場、港、砂浜、そしてみかんの木のある山へと。

みかんの木の植えてある山までは歩いて30分ほどかかる。それに道は急勾配だった。それでも還暦を超えた祖母は、ぼくたちを連れて山に登った。祖母の畑は頂上に展望台がある山の中腹にあり、海が綺麗に見える。天気の良い日には、猫のほうが人口より多いという島が見えるが、当然のごとく猫は見えない。

少しだけ耕された土地と、植えられた数本のみかん。鍬やはさみなどの農業道具を保存する小さな小屋土地自体は広いのだけれど、管理されている土地はそれくらいで、他は好き勝手雑草が伸びている。

祖母の話では、2週間に1度ほどこの山に登り、ぼくたち兄弟の木の周りに生えた雑草を抜いているらしい。体調を心配する母に「この子らはまだ弱いけん、守ってあげなね」と言い、行く頻度は実がなるまでの間、ずっと一緒だったそうだ。

山に行ったことは覚えているのだけれど、初めてみかんを食べた日のことは覚えていない。母曰く、「あまり甘くなくて美味しくなかった」とのこと。それから毎年、雪が降りはじめる少し前に「あまり甘くないみかん」を食べるようになった。クソガキだったぼくは、祖母の苦労など知らず、甘くないから、あまり食べなかった。

数年後、ぼくは高校に無事入学して、少し遠くの学校寮生活を始めた。家に帰るのは数ヶ月に一度になり、祖母の家に行くのも同じくらいの頻度になった。祖母の体調が優れないと聞いたのが夏のこと。秋にはステージ4のがんが見つかり、ホスピスに入り苦しんでいた。そして、春を迎えることなく、年末に、みんなに看取られて亡くなった。

「〇〇なら大丈夫だよ。かしこいけんね。」

最後に交わした言葉は今でも覚えている。というより、忘れられない。

祖母が亡くなり、祖父は持病の腰痛が再発して、買い物に行くことも、もちろん、山に行くこともできなくなった。山には誰もいかなくなり、土地権利を売るかどうかという話になったとき、「ああ、そういうのもあったね」と言われるほどには忘れられてしまった。

誰に言われたわけでもないが義務のように毎年草刈りに行く父は、年末年始にぼくたち兄弟に対して山の話をする。

「〇〇の木はまだ残っとったぞ」

心の中で「当然だ」と思う。

祖母が、強くなるまで大事に守ってくれた木なのだから

その木に実るみかんは甘いのだろうか。

そもそも、今でも実るのだろうか。

それは自分次第なのだろう。

祖母が育ててくれた木を豊作にするのも。みかんを甘くするのも。

ばあちゃんGWには帰るよ。

2019-03-03

自衛隊オタクポスターを見て一般人は入隊を止める

実際俺の学校でも「俺、自衛隊入るわ」と言ってた奴がオタクポスターが街に張られてそれを同級生からかわれたのをきっかけに止めたりしてた。

ミリオタだけなら耐えられるけどアニオタと一緒に寮生活は無理だと言って止めた人もいる。

マジで止めたほうがいい。

2019-02-14

anond:20190206125826

高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レア存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.

お前誰

中堅高専→Bラン大卒リーマン

15年前に卒業化学学科情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.

メリット

①進学が容易

 後述する.

②早期から専門教育を受けられる

 高校1年次から専門教育を受けられる.全過程専門教育ではなく,高校大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養比率が高く,年次が上がるにつれ逆転する.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.

デメリット

①進路が固定されやす

 大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の9割はメーカにいる.世界技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやす視野を広く持つことも難しい.教員普通研究員なので,理系アカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろコースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.

ドロップアウトやす

 専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.

恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的重要だろう.女性が少ないので競争は激しい.勿論立地や当人キャラ次第でもある.化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.

教育課程

授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間レポートだけで費やしていた.科学文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.

また,数学が難しかった.入学後すぐに三角関数確率,2年次に上がる前に微積線形代数.2-3年次で重積分偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論ラプラス変換ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気化学,熱力,固体物理・・・気分が悪くなってきた.

進路

就職

就職率100%.求人倍率10~20倍.県内の有力企業大手現業職現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業業態研究をせずに適当就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生技術バカが多く,経済的リテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネット情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.

②進学

大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.

専攻科:

自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか卒業後は旧帝や技術大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレア存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.

進学(3年次編入):

ここが最大のうまみであろう.

①いくつも受験可能大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.

受験科目が少ない.例えば東大数学英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題奇天烈ものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である

高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学提携私立大学関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではない下位層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験研究発表においては経験の差が歴然学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけなくてすぐ辞めたというオチ

レベル

ピンキリトップレベル明石高専豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料土木環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.

寮生活

全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地から学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.

さすがに今はもうないだろう.今の価値観だとありえない.しかし,中学校を出たばかりの小僧大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭負担をかけられないため多数は我慢選択する,という構図だった.私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力揶揄した称号があり,1年次から奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止テレビ閲覧禁止風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,異常に陰湿日本文化如実に体現しており,乾いた笑いが出る.私は上級生になった際このシステム廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.

今私は何をしてるか

メーカを何社か転職し,現在ITデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてから収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.

所管

総合すると高専おすすめ.ついていければ就職には楽にありつける.ただし癖が強いので人を選ぶ.

2019-02-09

宇野常寛善良な市民)さんの歴史(1/5)

今私が非常に面白がっている人物宇野常寛さんという人がいます

この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在SFマガジンという雑誌評論ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人東浩紀敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています

要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。

その主張は苛烈で痛快です。「評論世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業自分仕事だと宣言しています。上の世代評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます

この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。

北海道にて全寮制の男子校に入る。ここでの経験がその後の宇野さんの方向性を決定付けます。元々オタク率が高い田舎進学校、加えて異性がまったくいない寮生活という住環境……。それは寮生の九割がキモオタという地獄絵図。ここで宇野さんは大嫌いなファンタジー小説新刊が出るたびにむりやり読ませられて感想を聞かれる、などの地獄のような責め苦を受け続けます富野信者サブカル系宇野さんには美少女ビキニアーマーを着て大冒険をするような話は耐えられなかったのです。

なぜ宇野常寛があれほどまでに萌えオタを敵視するのか? それはこの寮生活でのトラウマがすべての原因なんです。宇野さんが萌えオタを攻撃するのはこの頃の復讐なのです。

寮生の半分は卒業後に「引きこもりギャルゲーマー」になったそうですから相当屈折した人たちが集まっていたことが覗えしれます。そして、「恋愛したくてもできないかギャルゲーに逃げるオタク」をいっぱい見た宇野さんは「性愛コンプレックス」にこだわるようになります

同じ嗜好性を持つ人間がまったくおらず、一人で古本屋に行き「アニメック」のバックナンバーを買い集めていた宇野さん……。この時に趣味を共有できる仲間に出会えていればその後の人生は大きく変わったでしょう……。

この辺の話は旧惑星開発委員会コンテンツ「善良な市民のオタク黒歴史」というエッセイに詳しいです。

高校卒業し、宇野さんは寮生活から解放されて浪人生活に入ります。ここでどんな風に過ごしてたのかはあまり語られませんがPLANETS第四号によると「楽しすぎてさら浪人した」と書いてありますので、キモオタ軍団から解き放たれたのがよっぽど嬉しかったのか勉強せずに遊んでいたようです。

しかし、そこはやはり浪人生。二年間もの浪人生活でキャンパスライフへの憧れはどんどん膨れ上がっていきます。未だに「大学生活」や「サークル」に拘るのはここに起因があるとみて間違いないでしょう。

ところで思春期男子校で過ごし、その後二年間浪人……ってことは宇野さん、ヤラハタですか?

そして、立命館大学入学関西移住大学に入った宇野さんはサークル自己紹介名簿を見るのが趣味となり、サークル内での「立ち位置」や「キャラ設定」について考察するようになります。おそらくは自慢のコミュニケーションスキルを生かしてサークル貴族となり、カーストの下位にいる人間宇野さんによると「毎日辛いけどサークル抜けると友達がいなくなるから抜けられない人間」)を苛め抜いていたんじゃないでしょうか。

そして在学中、おそらく三年生か四年生の頃に「善良な市民」というハンドルネーム2002年1月に「惑星開発委員会」というウェブサイトを開設します。それまでのテキストサイト(単なる日常を痛々しいほどの過剰な修飾で必死面白話に仕立て上げようとするサイト)に違和感を持っていた宇野さんは一人ではなく友人を誘って複数人運営

主なコンテンツアニメ漫画作品複数人レビューする「クロスレビュー」、90年代サブカル文化人事件考察を加えて紹介する「惑星開発大辞典」、宇野さんが出会った痛いオタク面白おかしく描くエッセイ善良な市民オタク黒歴史」などです。

複数人運営していること、宇野さんの広範なサブカルチャーへの知識、ひたすら萌えオタを攻撃する芸風、まったく洗練されてないごちゃごちゃしたサイトデザインなどで話題になります

特に萌えオタへの強烈な煽りは当時のオタクたちを刺激し、某掲示板スレッドが立ち「萌えオタは現実逃避してるのか?」と論争が巻き起こるほどでした(当の宇野さんは萌えオタ批判は「過剰な方が面白いかエンターテイメントでやってる」と掲示板ネタバラシしていました)。

しかし、おそらくは就職メンバープライベートが忙しくなり、クロスレビュー更新することが難しくなります。また、萌えオタ批判マンネリ化し、一本調子になってしまい、読者にも飽きられ始めてしまいました。そうして宇野さんは更新への意欲を失っていき、更新を止めてしまます活動停止、実質の閉鎖です。最終更新2003年4月になっています

続き

https://anond.hatelabo.jp/20190205070002

2019-01-29

anond:20190129165206

未成年には特殊な状況じゃないと会いに行けないだろ。

寮生活だろうが何だろうが、

普通に女には会えるわ。一緒にすんなボケ

別に特殊な状況じゃなくても会えるが?

一緒になるような定義を組み立てたのは君だよ?擦り付けないでもらおうか。

で?数ある性的シコウの中でロリコンけが殊更に「歪んでる」と言える理由が君の主観以外にあるのかな?

anond:20190129164638

未成年には特殊な状況じゃないと会いに行けないだろ。

寮生活だろうが何だろうが、

普通に女には会えるわ。一緒にすんなボケ

anond:20190129164145

年代も同性も、何処にでも居るだろう。

ただ、「未成年」に関しては出会える場所が限られている。

一般的に、普通社会人には出会う機会はねーーよ。

なるほど、君の言う「歪んでる」とは「出会う機会の限られた相手を好きになる」ことなんだね?

だったら防大生や寮生活のながい自衛官警官などはその期間は異性を好きになるだけで「歪んでる」といわれなきゃならんのか

理不尽ダナー

2019-01-28

体調悪くなりすぎる増田さん、

どこか、寮生活でも出来るといいですね

お勤め先に独身寮でもあれば

そういうので、ごはんは皆と食堂

みたいな規則正しい生活したら

ひょっとしたら体調治るのでは💦

飲み過ぎとか

冷えとか

運動不足とか

バランス悪い食事とか

そのへんがあいまって

きちゃってるんじゃないのかなー。

心配です。

2019-01-03

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

2018-11-26

anond:20181126010330

絵に描いたような短小包茎な俺だけど、それについてあまり羞恥心を感じないのはわりと得してるんだろうな

たぶん思春期寮生活を送ったのが大きいんだと思う

風呂とかで他人にチンポを見られるのが当たり前の環境だったもんで

まして部活とかで疲れてると隠すとかどうでもよくなるし

2018-10-05

寮生活大学受験危機感を感じ東進に通った話

社会人になって3年が経った。

自分大学受験ときに思っていたよりも大学というものは一生ついてくるのかなと思った。

日東進にこもった甲斐があったので書いておこうと思う。

高校受験をして、トップ阪大専門学校に行く子もいる、なんちゃって進学校入学した。寮生活面白そうだったから…

しか入学してから気づいたのは、受験に対する意識が甘さ。公立大学付属校なので、先生も進学指導に対しそこまで気力もなく、さら田舎なのであまり経済的に恵まれた人もいないせいか実家から通える地元公立を目指そうというレベルだった。

受験対策は、高校3年になって塾に通う人がいるくらい。

周りの甘っちょろい受験への姿勢が恐ろしく、高2から、土日は東進ビデオ学習自習に充てた。

その間に寮生活友達は、親の目もないのであまり勉強していなかった。

テストで同レベルや私より上位だった子も、私よりかなりレベルを落とした地方国立大学を受けるか、浪人していった。

あの時東進に通っていた土日に勉強しておいて良かったなと思った。

就活でも社会人になってからも余程の技能がない限り出身大学のことは言われ続ける。新卒採用もあからさまに区別される。大学受験では上位の大学に行くに越したことはないなと思った。

2018-09-07

親にカムアウトできない

 自分両性愛者だ。 

 性的指向意識し始めたのは中学ときだった。

 当時は同性を好きになるのはおかしいんじゃないかと本気で悩んだ。その際、インターネットで調べまくったが不安は収まらなかった。(寮生活だったために図書館しか本が読めなかった。そして参考になる本はなかった)

 夜も寝つけなかったため、母に一度だけメールをした。同性を好きになるのはおかしい? と。

 返ってきた答えは、思春期中高生はそうなりやすいというものだった。

 結局、思春期が終わっても自分両性愛者のままだ。

 同性愛者は生産性云々という文章を見たときガツンと殴られたような気がした。

 当の議員同性愛の子供は自殺やすいんですってと笑いながらいっている姿を見た途端、動機が激しくなった。

 ちょうど夜だった。

 ホモきもいあのレズ気持ち悪いと口にする同級生そばにいた時間が戻ってきたみたいで、怖くてたまらなかった。

 もうとっくに慣れたと思っていたがダメだった。涙が止まらなかった。

 数日後、家で生産性云々が話題にあがった。

 さすがにあの発言肯定しないだろう。内心怯えながらも話を聞いていた。

 しかし、問題ないというのが母の意見だった。間違った発言ではない。いつもの顔でそういっていた。

 耐えきれずに、口論をしてしまった。

 傷つくだけとわかっている。それでも何もいわずはいられなかった。

 またしばらくして、今度は両親とその話をした。

 母の意見は変わらず、父は黙って聞いていた。どうしてわかってくれないんだとムキになってしまい、そんな言い方だと同性愛者の理解者なんて増えないと思うけどといわれた。父は笑ってその話を聞いていた。

 もう何をいっても無駄だと感じた。

 母から同性愛者は気持ち悪い存在だといわれて、喧嘩になったことがあった。急にLGBTを語るめんどくさいやつだと揶揄されることもあった。

 それでも懲りずに話題には参加した。

 自分異性愛者ではないことを薄々感づいているのではないかと思っていた。だが全く違った。それを今日になって気づいたのが本当馬鹿げている。

 母はあの議員が好きだそうだ。生産性がないのは事実なんだそうだ。加えて、なんでそんなに同性愛者を擁護するの?とまで聞かれてしまった。

 自分は、母にだけは味方でいてほしかった。あなたあなたのままでいいよといってほしかった。他人両性愛者でいることを罵倒されても仕方がない。だけれど、差別に対して一緒に怒ってほしかった。慰めてほしかった。望みすぎかな。

 グチグチごめん。

 あーあ。

 

 

 

2018-07-09

から愛されたくてしかたがない。

投稿です。

から愛されたことがない。

そして人の愛し方が分からない。

からも誰からも愛されたことがない人間なのだから仕方がないのかもしれない。

そもそも、私が、性同一性障害他者から恋愛対象として見られず、また、女性に惹かれることが多いため、女性として過ごしてる私は、出会いがないからなのか。

私が機能不全家族の出であることがいけないのだろうか。

私が発達障害やBPDの症状を軽度ながら持っていることがいけないのか。

死ねば楽になるのかな?

精神崩壊しそうだ。すでに崩壊してるのかもしれない。

助けて欲しい。


=====

以下は、乱文であるが、私の過去を書かずにはいられなくなったので、ここに書こうと思う。(多少のフィクションは含んでいるが。)

私は男→女の性同一性障害の現役大学生である

日常生活女性として暮らしていて、初対面の人と話したり、ショッピング空港等で元男性と見抜かれることはほぼ無く、また容姿もそこそこいい方であるという自負はある。(ガタイ無駄にいいのはコンプレックスだが。)

幼稚園児のときに母と父が離婚した。その時の母と父の喧嘩記憶していて、私にとっての一緒に暮らしいたこのろの父親像は母親に向かって怒りをぶつけているところと、仕事で疲れて寝ているところしか残っていない。そして、離婚後、親権母親に移った。

そして、仕事に一辺倒になった母からは面倒を見てもらえず、妹と共に子供会保護者祖母に面倒を見てもらっていた。

祖母は優しい人ではあるものの、愛情表現をする人ではなく、また同じ家にいたわけではないので一緒にいる時間は限られいた。

私はこの頃、植物に興味があり図鑑をよく読み漁っていた。また、ピーターラビットシリーズを好んでいたことを記憶している。

小学生に上がったときピアニカの色やランドセルの色が"私の望む色"出なかったことを記憶していている。

小学生2年生になると強迫性障害の症状を起こすようになった。ともかく、家の外のすべての物が不潔に思えた。1度病院に連れて行かれた記憶がある。幸い、小2のうちにだいぶ良くなり日常生活に支障をきたさなレベルには回復した。ただし、潔癖症自体中学生くらいまで強い意識が残った。

また、この頃から学校オカマとヤジされることが増え、友人は決して多いとは言える状況にはなかった。

この頃でも父親とは電話を通して時々話しており、またたまに合うことがあった。(よく上野国立科学博物館鉄博に連れて行ってもらった。)

ただ、一度、ファインディング・ニモに連れて行ってもらった。はじめての映画館で見た映画だったのだか、個人的に楽しめなく、父はそれに対して非常に怒っていたのを記憶している。

また、この頃から母親父親の間で伝言を伝えるような役割となり、お互いの悪口を聞かされ、また経済状況についてと揉め事を聞く立場となっていった。

小3になった時、母親再婚した。

相手子供が3人いたが1人はインフルで亡くなっていた。(ただし、継父に親権はなく未だに継姉・兄と顔を合わせたことはない。)

母はTVを厳しく時間を決める人であったが、継父はそうではなくよく妹や従姉妹テレビを見せていた。それについて、母親と揉めることが多く、私がママっ子であったため母親側についた事により、私は継父から見せてもらえなくなり、次第に顔を合わせるだけで睨まれるようになった。

小4になると母と継父の間に子供が生まれ、何もしない継父と仕事しかしない母の代わりに祖母と私と妹がよく面倒を見ていた。

そして、この頃から、継父と私の関係は更に険悪になり、私が継父から身を隠すように家で過ごすようになった。

幼稚園児のころから高いところから飛び降りたらどうなるのだろう、という気持ちはあったものの、この頃には明確に死にたい、という気持ちがあった。

また、夢の中で継父を刺し殺す・絞め殺す夢を見るようになるようになった。(この夢は大学生1年の頃あたりまで続いた。)

小5になると母親仕事軌道に乗り始め、経済状況は一気に良くなるが、継父との関係は最悪になり、一度私が勉強机の下に逃げたところを継父に顔を蹴り飛ばされたことがあった。(ここらへんの記憶曖昧で正確な時期を覚えてない)

また、私は元々書物を読む子供であったが、学校男子からオカマや(容姿を指して)キツネと呼ばれ、女子から女子の中心グループ犬猿の仲だったため、更に書物を読み漁るようになった。(ハリーポッターを1日の放課後で2冊を読みきる勢いだった。)

小6では学校はだいぶ落ち着いてきたもの、継父との関係は相変わらずだった。

また、妹もこの頃から継父との関係悪化してきており、不登校気味となっていった。

中学では寮生の少人数の学校に入った。これにより、家族とも同級生とも離れることができ、私にとっての人生の転換点てなった出来事であると思う。

ただ、男子野球部に、女子バレー部強制的に入部であり、内心でバレー部に入りたいと思っていたが、叶わぬ願いであった。(幸い丸坊主は避けれた。)

中2になると寮の中で私が最年長となったためリーダーシップを取ることとなった。

完璧主義だったため自他ともに厳しく、今では後輩にもっと優しく接すればよかったなと感じる。

中3では男子として野球することが嫌で地元中学に戻り、そこで小学校の時の数少ない友人と家庭科部をしていた。

またそれ以外については受験勉強をする日々であった。受験に関してはもともと勉強はできていた為もあってか、地域公立高校の2番めに良いところに合格できた。

家での生活はこの頃、継父は単身赴任であったため、実家が一番平和な時期となっていた。(また、妹も私のいた寮にはいった。)

寮で過ごしたことにより、色路学べたおかげもあってか、継父と小学校の時ほどは酷い関係ではなく、お互いに最低限以外の会話をする程度にはなっていた。

高1では理系クラスであったため、いわゆるオタクが多く、私にとって天国のような環境であった。また、寮の時の後輩と文通をよくしていた。(寮は電話メールは基本禁止だったため。)

また、中学生の頃から留学に興味があり、そのための準備をし始めた。

高2で、海外高校に転校し、海外生活が始まった。

高2,3ともそれなりに優秀な成績で学校生活も楽しめたが、学校福音派学校でありLGBTに対して差別を行うというほどではないものの、聖書引用して厳しい態度をとったこと、食事が不味いこと、男子寮で生活すること(アメリカ大学では基本寮生活)にストレスを感じ、アメリカ大学受験はしなかった。

進路は迷ったもの帰国した年度中に大学工学部合格しそこに入学することとなった。(親元にいたくなかったので実家から通えない距離大学のみ受験した。)

大学学業については、アメリカの授業の進度が遅く苦労はしたものの、なんとかついていくことができそこそこの成績を収めることができた。

ただ、1年目に男子寮に入ることとなり、それで精神病み、このままでは学業に支障が出たり自殺しかねないという事で、精神科(ジェンダークリニック)を尋ねた。

また、この頃に同じ性同一性障害彼女遠距離であるができた。(ただし、どちらかというと共依存のほうが近い関係であったと思う。)

B2になるとアパートぐらしに移り、またホルモン注射をするようになったため、見た目も女性的になりつつあったため、精神的に非常に安定するようになった。

学業についても学科の上位1割に入っており、勉強の遅れを鑑みれば非常に良い結果出会ったと思う。

ただ、この頃に彼女との関係共依存に近いものであったこともあり、それが崩壊し分かれることとなった。

大学3年生の現在自己労働力頭脳以外の"人間としての価値"を自分自身で見出だせなくなってしまった。

他大の友人との交流もあり、より良い環境の院に行きたいし、自分のやりたい研究仕事もある。けど、それ以外の人間的な将来について何も想像ができないし、強い希望を持つことができない。

自分自身の事なのに自分だけではにもできない事でつっかかかってしまった。

来年までに戸籍の変更もできるだろう。だいぶ恵まれている方だ。

けど、戸籍を変更したら私は結婚という選択肢を捨てることとなる。(そもそもパートナーなぞできないが)

変更しなければ就活で奇異の目で見られ苦労し、キャリアに影響が出るだろう。

なのにどうしたらいいのか分からない。

ホルモンバランスの崩れのせいもあるのだろうが、また自殺願望が湧いてきてしまう。

薬物への知識も多少あるため合法な乱用の仕方も知っている。そこに逃げてしま可能性が否定しきれない自分が怖い。

精神科・心療内科に行ったところで薬が出るだけだろう。それで一体何になる。

根本解決はできないじゃないか

肉体的快楽に身を任せりゃどうなのかと思ってしまう。

どうしたらいいのか。

助けて欲しい。

2018-06-12

今ままでエアビありがとう。これからよろしく

今まで3年ほどエアビをやって来たけど、率直な気持ちは「今エアビまでありがとう」ってこと。

 

留学帰りの友人が、自分が住んでるマンションでエアビ使って赤の他人と一緒に暮らしてて、自分もできるなって思って始めた。

その友人曰く「寮生活ルームメイトと住むの慣れてるし、東京家賃全部払うなんてバカらしいでしょ」ってことだった。あ、なるほどなと。

 

ちなみに自分は、一人暮らしはやっていたが、海外旅行行かないしもちろん留学経験もない。英語ダメ

 

もちろん最初は怖かった。誰が来るのかドキドキした。

1泊2000円で安すぎてヤクの売人とか来るんじゃないの?って思ってた。

それでも、まあいいやと思えるくらいの楽観も持ち合わせてたのは事実だが、普段差別しちゃいけないって頭の中で思ってる自分が、最初に来る人が香港人だとわかった瞬間に「本当にヤクの売人くる」って思ったのには参った。

日本人からなのか?人間皆そう思うのか?はたまた自分だけなのか?

 

で、最初に来たその男は、待ち合わせの駅で会った瞬間「あ、コイツ絶対いいヤツ」とわかるほどの好青年だった。

「こんばんは」と綺麗な日本語挨拶され、あとから聞くと英語マンドリン日本語韓国語もできる超高学歴なヤツだった。

ご飯食べに行って、家帰って一緒に64でマリオをやった。すぐ友達になった。

 

でも、まあそんなのビギナーズラックだろって思ってたんけど、次に来たのは、台湾から女子大生2名。可愛かった。その次はドイツからバックパッカーの大男3人組が土産持って来た。その次はタイからの新婚のカップルなどなど、とにかく来る人来る人が礼儀正しくフレンドリー

 

もちろん全くトラブルがなかったわけではない。鍵をゲストが持ち帰っちゃったとか、自分ゲストが来る日を間違えていた、とか。

そういえば、3人で来るって言ってたのに6人で来た人たち(しかもおばちゃん6人)がいて、拙い英語同士通じなかったし、心の中では怒っていたが、黙って泊めた。

 

よく言われる近隣とのトラブルは本当に少なくて、同じマンションの人に一度「君のウチガイジン来てるよね」って言われたくらいかな。

でも「ガイジン日本人って何か違うんですか?」って言ったら、「いや、ほら肌の黒い人とかさ…(これより先は自分の口からは言いたくない)」

と言われて、あ、これが日本人感覚なのかと愕然したこともある。まあ、自分もエアビやってなかったら、その発言クレイジーさに気づけなかった側だったと思うが。

 

敢えて一つあげるなら、家に来るまでに迷うゲストたちが一定確率でいて、それはいくら詳細に案内しても間違う人は間違う。率直に言って全く準備してこない本人たちのせいなんだけど、赤の他人に道聞きまくって、挙句の果てには家まで一緒に連れて来てもらったりする。それは連れて来てくれた人に対して申し訳ないなって思ってた。

でも、こういう時って日本人ってとても優しいんだなって思う。相手外国人で何も知らないことは明らかなので、逆に騙すことも簡単だと思うんだけど、そんなことされそうになったゲストは一人もいなかった。日本って、やっぱりいい国なんだなって思った。

 

と、まあこんな感じで3年間ほど都内の2Kマンションでエアビ使って楽しんでた。旅人だけじゃなく企業インターン生や大学研究者とかもくる。経済的にもめちゃくちゃ助かった。家賃分くらいは収入になるし(都心2Kなのでそこそこいい収入)。

 

なぜ「いい人」だけが来るかってのは、もう途中からは気づいてた。

わざわざ個人宅に泊まりに来るような人って、原則として相手を信じられる人たちばかりだからコミュニケーション能力高い人。だっていきなり他人と住むことになるんで。なので、コミュ障ななんて絶対に来ない。

まあ、あるとしたら善人の顔した極悪人が怖いな。まだ会ってないけど。

 

でも、とりあえず一旦終了。

6月以降の予約分が強制キャンセルなっちゃった。(もしくはなる予定)

自分は黙ってやってたわけでもなく、大家さんから同居人許可もらってやってた。でも、これからは国に許可もらわないといけない。知ってたけど、自分はあまりに気楽にやっててのんびりしてた。いつか許可もらえばいいかくらい思ってたんだけど。

 

まあ、でも本当に楽しかったな。「今までエアビありがとう」って言いたい。

そして、これからよろしくちゃんと国にお伺い立ててやります

 

2018-05-29

世間的に見たらわりとやばめの彼女と付き合い始めてしまったが,割となんとかなると思ってる

雑多に並べていく.

20前半フリーター

喫煙する.飲酒もそれなりにする.

・専門卒

・専門時代に過食と拒食を繰り返す

・専門卒業後は就職して一人暮らし

仕事ストレスで心を壊す

睡眠薬ODして救急車のお世話になる その後仕事をやめて自宅でしばらく療養

体重が激減するが,その体型を維持しようと食事制限を始める

エステにて高額プラン・拒食の方向け商品契約,今も通っている

現在バイトで月10~15万ほどの収入

実家通い

家族との仲が悪い

実家での療養期間中家族自身の状況を猛プッシュで批判される(よくあるうつ病患者にかけていけない言葉をだいたいフルコースで言われたらしい)

・そのストレスきっかけでリスカ.何度か繰り返しており,そこそこ酷い跡が残っている.

リスカしたことは覚えていない,あるいは別の視点から傍観しているような感覚らしい

・初対面とのコミュニケーションは苦手.(なのだが俺は違ったらしい)

・6人以上からは本人にとっては大人数らしく苦手らしい.

仕事愚痴が多い.

・陰口多い.

共感を求める会話が多め.

メンタルヘルスの話になると食いつきがすごい.

実家とある宗教に入信している.両親のバックグラウンドとしてしっかりと根づいている.

家族としての活動彼女が一人で請け負っていた.最近は参加していない.

・本人は脱会できるなら脱会希望

ニコニコや実況動画等のアングラにハマりがち.

・過集中するタイプ.熱中したものにはものすごい才能を発揮するタイプ

・頭の回転は早い.

生理不順.最近は月2回が多いらしい.

運動不足.なのに体型維持はしたいらしい.

男性経験無し.(現在進行系で俺と一緒にステップアップ中だが,卒業には至っていない)

・本人曰く,同性との恋愛に抵抗は無い.

告白は俺から.初対面なのに恐ろしいくらい話しやすいし,話してて楽しかった.何回かデートしてから告白

その時にリスカだけ見せてもらった.まぁそういう人もいるよな~くらいの感覚タバコ彼氏彼女の付き合いなら俺はそんなに気にするタイプではないのでOKだった.

1通りの話が出揃ったのは付き合いだしてから宗教の話は正直なところ面食らった.おそらく俺の両親はいい顔しないだろうから

たまーに不安定な時があるが,100%受け入れモード適当に相槌打って,話だけは聞いている風を装っている.

あと批判基本的にしないことにした.

自惚れかもしれないが,付き合い始めの頃と比べると日に日に彼女メンタルが落ち着いていっているのを感じており,それがなんとなく嬉しい.

普通に遊ぶぶんにはとても気が合う.一緒にいて心地よいと感じるし,一緒にいたい,会いたいと思う.

今はお互い別々に暮らしているが,一緒になるような事になるかもしれない.

たまーに彼女の口からそんな言葉がでてくる.自分は今は寮生活なので,まぁその時はその時かなと思っている.

で,タイトルにもどり

自分史上最も重めの女が来たなぁと思ってるが,ぶっちゃけ恋愛結婚もノリだろーという信念なので,意外となんとかなるんじゃね?とか思ってる.

ただ結婚となるとな…結婚は2人だけでできるものって考えは今は俺の中に無いので…

結婚に至るまでに色々と壁があるなぁといったところ.

ちなみにワイは27歳院卒3年目,年収500万くらいの地方メーカー勤め.

大丈夫かな?結婚しても?

2018-03-21

anond:20180321135459

東大行けるようなひとはいバイトもあるだろうし、(家庭教師とか)

独り暮らしマンションくらいは大丈夫じゃないのかな?私立みたいに授業料かかんないんだし。

女子寮ってありがたいけど、実際寮生活してた後輩とか先輩は、すぐにマンション借りてたよ。

2018-03-06

私は西園寺世界にはなれなかった

スクールデイズというゲーム、或いはアニメを知っている人は多いと思う。

ドロドロの三角関係の果てにまつバッドエンドが有名だろうし、アニメ最終回については放送されないと言う事態にまで発展した。無論、放送されなくて良かった代物なのは言うまでもない。

当時はその衝撃的なニュースに多くのネットユーザーが関心を寄せたもので、例に漏れず私もその一人だった。

スクールデイズでは、3人のキャラクターが主要登場人物と言える。

まずは、主人公である伊藤誠

彼はどこにでもいるような少年で、後述する桂言葉片思いしている。

性根は優しいものの、優柔不断かつ、面倒臭がりと言う面もある。

因みに性豪だ。

次に桂言葉

内向的大人しい黒髪ロングの美少女だ。そして巨乳言葉遣いも丁寧で、育ちの良さが伺える、まさに正統派ヒロインと言ったところだ。

まあ、アニメにおいてのエンディグがアレだったためヤンデレ四天王の一人となってしまったが。

最後西園寺世界

このスクールデイズにおいては、彼女が一番の立役者であり、一番のヘイト役になる。世界アクションを起こさなければ誠も言葉も上手に進めないのだ。故にこそ、世界一挙一動足が肝要となる。

この3人による愛憎劇が中心となって物語が展開されてゆき、加速し、最終話nice boat.へと駆け抜けていく。

ここで本題に入ろう。

私は西園寺世界にはなれなかった。

私には自覚なき片想い相手がいた。便宜上『誠』とする。

誠は私の友人であり、趣味コミュニティ出会った存在だった。時には愚痴を、時には趣味の話を、時にはぐだぐだした政治語りを共にできるような気楽な関係だった。

そんな誠に彼女が出来た。

当時の私と言えば「やったじゃん!幸せにしてやれよ!」などと宣い上機嫌だった。

彼女さんは趣味コミュニティにいた私の友人でもあり、(便宜上言葉』と呼称する)ブログでも幸せそうな様子が見て取れた。

それが狂ったのはいつだっただろうか。

私が進学して寮生活を始めた頃かもしれない。当時、家の事情で私はミッション系の学校に通い、その付属寮で暮らしていた。

それまで当たり前にやっていたインターネットも、何もかもを絶たれ、スケジュール詰めの毎日、土日も早朝から行われる礼拝、恐らくストレス過多だったのだと思う。

自宅から通う学生に、頼み込んで住所を借りて、宿泊届を出しては、毎週のように夜に遊び歩くようになった。

そんな私を心配してか、誠はよく気にかけてくれていたように思う。時々、他県なのにこちらに出向いてくれたり、私から会いに行くこともあった。

誠は時々、「言葉が重い」と相談する。

かに言葉は、生真面目な性格で、思い込んだら一直線なタイプだった。

から趣味コミュニティでは頭角を顕している程だったし、愛も深かった。

本来ならば、私は誠にはフォローを入れながら言葉との軌道修正を入れるのが正しい対応だった。

だけれど、私はそんな誠を許した。

深まる依存依存だったと思う。初めはそんな感じで私は誠に惹かれていった。

だが、誠には言葉がいる。どちらともの友人である私が壊す訳には、と自制をしようとしたが時既に遅し、私は誠の初めてを食べた。

勿論私だって初めてだった。だから、私はもう死んでも良いと思っていた。

でも誠は違った。極々当たり前の話だ。

誠は正直に言葉告白し、関係を終わらせたのだ。

まあ、誠は誠で3股だったのだが(笑)

そして、誠はコミュニティでもそれを告白し、メンバーにも謝罪したのだ。浮気相手のことは伏せたまま。

私は誠に守られてしまった。

結果、誠はうつ病に、言葉メンヘラになった。なのに私はピンピンしていた。いやまあ、かなりダメージを喰らったが、病まなかったと言うべきかもしれない。

あれから10年近くが経つ。

誠は私の彼氏になり、言葉は私の友人になった。

私は西園寺世界にはなれなかった。

私を断罪する人はもういない。

から、私は一生この後悔を抱えて生きていくのだろうと思う。誠と一緒に。

見る人が見れば、わかるかもしれない。だから書いた。そんなところです。

2018-03-02

anond:20180302000615

それで生活できちゃうってのは、お育ちがいいんですね。

実家から仕送りがおありになる?それか寮生活

院生の知り合いいたけど、凄い高額バイトしてるんで遊ぶお金はあるっす!ってココア奢ってもらったけどなぁ。

たぶん家庭教師などのジャンルココアのお礼はちゃん会計後にクッキー買って渡しましたよ(貰いっぱではありません。)

2018-01-07

anond:20180107000407

自炊するようになってかれこれ10年以上になるけど、俺も不思議だった。

あるとき1か月少々の間食事つきの寮生活みたいな環境になって、もともと大食いの気のある身としては食事足りるかなという心配をしてたんだけど、意外と大丈夫だった(おかわりはしてるんだけど)。

で、普段より明らかに食べる量少ないのに何でこんなに違うのかなと考えていたところ、そういえば毎食味噌汁がついてたなと思い至った。

寮生活のようなものを終えて、家でも味噌汁飲むようにしてみたら、食後の満足感がかなり違った。

自炊当初から実践してたらいろいろ違ったかもなと思うぐらい。

なので、食事の量をセーブさせてくれるものではないかなと考えている。

飲みすぎると塩分取りすぎになるのでその辺は結局バランスなのと、水でいいじゃんというのはそれはそれでもっともではあるけど。

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