「支那事変」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 支那事変とは

2020-08-02

戦史叢書の巻名

1 戦史叢書第001巻 マレ-進攻作戦

2 戦史叢書第002巻 比島攻略作戦

3 戦史叢書第003巻 蘭印攻略作戦

4 戦史叢書第004巻 一号作戦<1>河南会戦

5 戦史叢書第005巻 ビルマ攻略作戦

6 戦史叢書第006巻 中部太平洋陸軍作戦<1>マリアナ玉砕まで

7 戦史叢書007巻 東部ニューギニア方面陸軍航空作戦

8 戦史叢書第008巻 大本営陸軍部<1>昭和15年5月まで

9 戦史叢書第009巻 陸軍軍需動員<1>計画

10 戦史叢書第010巻 ハワイ作戦

11 戦史叢書第011巻 沖縄方面陸軍作戦

12 戦史叢書第012巻 マリアナ海戦

13 戦史叢書第013巻 中部太平洋陸軍作戦<2>ペリリュー・アンガウル・硫黄島

14 戦史叢書第014巻 南太平洋陸軍作戦<1>ポートモレスビーガ島初期作戦

15 戦史叢書第015巻 インパール作戦ビルマ防衛

16 戦史叢書第016巻 一号作戦<2>湖南の会戦

17 戦史叢書第017巻 沖縄方面海軍作戦

18 戦史叢書第018巻 北支治安戦<1>

19 戦史叢書第019巻 本土防空作戦

20 戦史叢書第020巻 大本営陸軍部<2>昭和16年12月まで

21 戦史叢書第021巻 北東方陸軍作戦<1>アッツの玉砕

22 戦史叢書第022巻 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦

23 戦史叢書第023巻 豪北方陸軍作戦

24 戦史叢書第024巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦

25 戦史叢書第025巻 イラワジ会戦ビルマ防衛破綻

26 戦史叢書第026巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦

27 戦史叢書第027巻 関東軍<1>対ソ戦・ノモンハン事件

28 戦史叢書第028巻 南太平洋陸軍作戦<2>ガダルカナルブナ作戦

29 戦史叢書第029巻 北東方海軍作戦

30 戦史叢書第030巻 一号作戦<3>広西の会戦

31 戦史叢書第031巻 海軍軍戦備<1>昭和十六年十一月まで

32 戦史叢書第032巻 シッタン・明号作戦ビルマ戦線崩壊と泰・佛印の防衛

33 戦史叢書第033巻 陸軍軍需動員<2>実施

34 戦史叢書第034巻 南方進攻陸軍航空作戦

35 戦史叢書第035巻 大本営陸軍部<3>昭和174月まで

36 戦史叢書第036巻 沖縄台湾硫黄島方面陸軍航空作戦

37 戦史叢書第037巻 海軍捷号作戦<1>台湾沖航空戦まで

38 戦史叢書第038巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで

39 戦史叢書第039巻 大本営海軍部・聯合艦隊<4>第三段作戦前期

40 戦史叢書第040巻 南太平洋陸軍作戦<3>ムンダ・サラモア

41 戦史叢書第041巻 捷号陸軍作戦<1>レイテ決戦

42 戦史叢書第042巻 昭和二十年の支那派遣軍<1>二月まで

43 戦史叢書第043巻 ミッドウェー海戦

44 戦史叢書第044巻 北東方陸軍作戦<2>千島樺太北海道防衛

45 戦史叢書第045巻 大本営海軍部・聯合艦隊<6>第三段作戦後期

46 戦史叢書第046巻 海上護衛戦

47 戦史叢書第047巻 香港長沙作戦

48 戦史叢書第048巻 比島捷号陸軍航空作戦

49 戦史叢書第049巻 南東方海軍作戦<1>ガ島奪回作戦開始まで

50 戦史叢書第050巻 北支治安戦<2>

51 戦史叢書第051巻 本土決戦準備<1>関東防衛

52 戦史叢書第052巻 陸軍航空の軍備と運用<1>昭和十三年初期まで

53 戦史叢書第053巻 満州方面陸軍航空作戦

54 戦史叢書第054巻 南西方海軍作戦―第二段作戦以降―

55 戦史叢書第055巻 昭和十七・八年の支那派遣軍

56 戦史叢書第056巻 海軍捷号作戦<2>フィリピン海戦

57 戦史叢書第057巻 本土決戦準備<2>九州防衛

58 戦史叢書第058巻 南太平洋陸軍作戦<4>フィンシュハーヘン・ツルブ・タロキ

59 戦史叢書第059巻 大本営陸軍部<4>昭和178月まで

60 戦史叢書第060巻 捷号陸軍作戦<2>ルソン決戦

61 戦史叢書第061巻 ビルマ・蘭印方面 第三航空軍作戦

62 戦史叢書第062巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降

63 戦史叢書第063巻 大本営陸軍部<5>昭和1712月まで

64 戦史叢書第064巻 昭和二十年の支那派遣軍<2>終戦まで

65 戦史叢書第065巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<1>

66 戦史叢書第066巻 大本営陸軍部<6>昭和十八年六月まで

67 戦史叢書第067巻 大本営陸軍部<7>昭和十八年十二月まで

68 戦史叢書第068巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<2>

69 戦史叢書第069巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<3>

70 戦史叢書第070巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<4>

71 戦史叢書第071巻 大本営海軍部・聯合艦隊<5>第三段作戦中期

72 戦史叢書第072巻 中国方面海軍作戦<1>昭和十三年四月まで

73 戦史叢書第073巻 関東軍<2>関特演・終戦時の対ソ戦

74 戦史叢書第074巻 中国方面陸軍航空作戦

75 戦史叢書第075巻 大本営陸軍部<8>昭和十九年七月まで

76 戦史叢書第076巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯<5>

77 戦史叢書第077巻 大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和18年2月まで

78 戦史叢書第078巻 陸軍航空の軍備と運用<2>昭和十七年前期まで

79 戦史叢書第079巻 中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降

80 戦史叢書第080巻 大本営海軍部・聯合艦隊<2>昭和176月まで

81 戦史叢書第081巻 大本営陸軍部<9>昭和二十年一月まで

82 戦史叢書第082巻 大本営陸軍部<10昭和二十年八月まで

83 戦史叢書第083巻 南東方海軍作戦<2>ガ島撤収まで

84 戦史叢書第084巻 南太平洋陸軍作戦<5>アイタペ・ブリアカラバウル

85 戦史叢書第085巻 本土方面海軍作戦

86 戦史叢書第086巻 支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで

87 戦史叢書第087巻 陸軍航空兵器の開発・生産補給

88 戦史叢書第088巻 海軍軍戦備<2>開戦以後

89 戦史叢書第089巻 支那事変陸軍作戦<2>昭和十四年九月まで

90 戦史叢書第090巻 支那事変陸軍作戦<3>昭和十六年十二月まで

91 戦史叢書第091巻 大本営海軍部・聯合艦隊<1>開戦まで

92 戦史叢書第092巻 南西方陸軍作戦―マレー・蘭印の防衛

93 戦史叢書第093巻 大本営海軍部・聯合艦隊<7>戦争最終期

94 戦史叢書第094巻 陸軍航空の軍備と運用<3>大東亜戦争終戦まで

95 戦史叢書第095巻 海軍航空概史

96 戦史叢書第096巻 南東方海軍作戦<3>ガ島撤収

97 戦史叢書第097巻 陸軍航空作戦基盤の建設運用

98 戦史叢書第098巻 潜水艦

99 戦史叢書第099巻 陸軍軍戦備

100 戦史叢書100巻 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯<1>

101 戦史叢書101巻 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯<2>

102 戦史叢書102巻 陸海軍年表 付・兵器・兵語の解説

103 史料集 南方軍政

104 史料集 海軍年度作戦計画

2020-08-01

年表(近現代

関ヶ原の戦い日露戦争

1600-10-21 関ヶ原の戦い

1615-05-07 大阪城落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡

1853-05-23 アメリカ艦隊浦賀沖に来航(黒船来航)

1861-04-12 アメリカ南北戦争1865年5月9日まで)

1865-04-15 リンカーンアメリカ大統領暗殺

1867-01-30 孝明天皇崩御

1867-02-13 睦仁親王践祚

1867-11-09 大政奉還

1868-01-03 王政復古

1868-01-27 戊辰戦争1869年6月27日まで)

1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)

1868-10-23 元号慶応から明治に改められる。

1871-08-29 廃藩置県

1872-10-16 琉球処分琉球藩設置)

1875-06-28 讒謗律太政官布告)及び新聞紙条例太政官布告公布

1877-02-14 西南戦争1877年9月24日まで)

1877-05-26 木戸孝允死去

1878-05-14 紀尾井坂の変(大久保利通暗殺

1879-04-04 琉球藩廃止沖縄県設置

1888-03-09 ヴィルヘルム1世プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御

        フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1894-07-25 日清戦争1895年4月17日まで。宣戦布告1894年8月1日台湾平定終了は1895年11月30日)

1898-07-30 ビスマルク死去

1901-01-22 ヴィクトリアイギリス女王崩御

1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)

1904-02-10 日露戦争1905年9月5日まで) 

.

日露戦争終結太平洋戦争勃発

1905-09-05 日露両国講和条約ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)

1909-10-26 伊藤博文暗殺

1910-08-22 韓国併合ニ関スル条約調印

1910-08-29 韓国併合ニ関スル条約発効

1912-07-30 明治天皇崩御皇太子嘉仁親王践祚元号明治から大正に改められる。

1914-07-28 第一次世界大戦1918年1111日まで)

1921-11-25 皇太子裕仁親王摂政就任

1922-02-01 山縣有朋死去

1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印

1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効

1925-04-22 治安維持法公布

1925-05-05 普通選挙公布

1926-12-25 大正天皇崩御皇太子裕仁親王摂政)が践祚元号大正から昭和に改められる。

1927-03   昭和金融恐慌

1927-04-05 鈴木商店破綻

1928-06-04 張作霖爆殺事件

1929-10-24 大恐慌

1930      昭和恐慌

1930-10-02 日本ロンドン海軍軍縮条約批准

1931-09-18 満州事変柳条湖事件に始まる)

1932-03-01 満州国建国

1932-05-15 五・一五事件

1936-01-15 日本ロンドン海軍軍縮条約を脱退

1936-02-26 二・二六事件

1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効

1937-07-07 日中戦争1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称

1939-05-11 ノモンハン事件

1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告

1939-09-01 第二次世界大戦ドイツポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)

1940-01-26 日米通商航海条約失効

1940-03-30 中国汪兆銘政権成立

1940     アメリカ、対日石油輸出を制限

1940-09   アメリカ、対日屑鉄全面禁輸

1940-09-23 北部仏印進駐

1940-09-27 日独伊三国同盟調印

1940-11   日本アメリカの各種交渉1941年12月まで)

1940-11-30 日本中華民国間基本関係ニ関スル条約日華基本条約)調印

1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達

1941-04-13 日ソ中立条約調印

1941-06-22 独ソ戦ドイツバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)

1941-07-26 アメリカ在米日本資産の凍結を実施

1941-07-28 南部仏印進駐

1941-08   アメリカ、対日石油全面禁輸

1941-08-28 近衛首相ルーズベルトアメリカ大統領に首脳会談提案(結局、沙汰止みとなる)

1941-11-26 アメリカ日本に対しハルノート提示

1941-12-08 太平洋戦争日本英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)

        1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。

1941-12-16 戦艦大和竣工

.

太平洋戦争

1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲東京空襲

1942-06-05 ミッドウェー海戦

1942-07   日本軍、フィリピン全土占領

1942-08-07 米軍ソロモン諸島ガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸

        (ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)

1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官ブーゲンビル島上空で戦死海軍事件)。

1943-05-12 米軍アッツ島上陸5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。

1943-09-30 御前会議絶対国防圏構想を決定。

1943-10-01 在学徴集延期臨時特例(勅令)の公布

1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。

1943-11-22 エジプトカイロ英米首脳会談カイロ会談。26日まで)

1943-11-28 イランテヘラン英米首脳会談テヘラン会談。同年12月1日まで)

1944-03-08 日本軍、インパール作戦開始

1944-04-17 大陸打通作戦(同年1210日まで)

1944-06-19 マリアナ海戦日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋制海権制空権喪失

1944-07   ブレトン・ウッズ協定

1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。

1944-07-18 東條英機内閣総辞職

1944-07-22 小磯国昭内閣成立。

1944-08-02 テニアン島日本玉砕テニアンの戦い)

1944-08-11 グアム島日本玉砕グアムの戦い)

1944-09-11 米軍ペリリュー島上陸ペリリューの戦い

1944-10-20 米軍フィリピンレイテ島に上陸レイテ島の戦い)

1944-10-23 レイテ海戦始まる。

1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29マリアナ諸島より東京を初空襲

1944-12-10 日本軍、大陸打通作戦完了

1945-01-06 ルソン島の戦い(同年8月15日まで)

1945-02-04 クリミア半島ヤルタ英米首脳会談ヤルタ会談11日まで)

1945-02-18 硫黄島の戦い(同年3月22日まで)

1945-03-10 東京空襲

1945-04-01 沖縄戦(同年6月23日まで)

1945-04-12 ルーズベルトアメリカ大統領死去。トルーマン副大統領アメリカ大統領に就任

1945-05-02 ベルリン陥落

1945-08-06 アメリカ広島県広島市原子爆弾を投下

1945-08-08 ソ連日本に対し宣戦布告

1945-08-09 アメリカ長崎県長崎市原子爆弾を投下

1945-08-14 日本ポツダム宣言を受諾

1945-08-15 玉音放送

1945-09-02 日本政府ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争大東亜戦争終結

1945-09-09 日本政府中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結

.

戦後占領バブル崩壊

1945-09-10 国共内戦

1950-06-25 朝鮮戦争

1950-08-10 警察予備隊設置(後身は陸上自衛隊

1951-09-08 日本国との平和条約サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

        (日米安保条約)調印

1952-04-26 海上警備隊設置(後身は海上自衛隊

1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効

        日本占領状態が終了し、独立国

1952-08-05 日本国と中華民国との間の平和条約発効

1952-10-15 警察予備隊保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1953-03-05 スターリン死去

1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催

         (於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーホテル

1954-06-01 保安隊臨時松島派遣隊編成

1954-07-01 自衛隊法施行自衛隊成立)

        陸上自衛隊保安隊から改組)、海上自衛隊海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置

1954-12   高度経済成長1973年10月まで)

1955-11-15 自由民主党成立(保守合同

1955年11月  1975年4月30日 ベトナム戦争

1956-07   昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)

1956-12-12 日ソ共同宣言発効

1956-12-18 日本国際連合に加盟

1958-08   大躍進政策

1960-06-23 新日安全保障条約発効

1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。

1962-10-15 キューバ危機

1963-11-22 ケネディアメリカ大統領暗殺

1964-08-02 トンキン湾事件8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)

1964-10-01 東海道新幹線開業

1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年1024日まで)

1966-05-16 無産階級文化大革命文化大革命)(1976年10月6日まで)

1971-01   世界経済フォーラムダボス会議を開催)設立

1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)締結

1971-07-15 ニクソン訪中宣言

1971-08-15 ドル・ショック

1971-12-18 スミソニアン協定

1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)

1972-09-29 日本政府中華人民共和国政府共同声明

1973-10-06 第四次中東戦争

         勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。

1973-10-21 日米欧三極委員会の初会合(於東京

1975-04-30 ベトナム戦争終結

1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)

1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)

1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印

1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効

1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱

1985-09-22 プラザ合意

1986-12   バブル景気1991年2月まで)

1987-10-27 1987年大韓民国国民投票

1987-12-08 中距離核戦力全廃条約INF条約)発効(2019年8月2日失効)

1989-01-07 昭和天皇崩御元号昭和から平成に改められる。

1989-04-01 消費税導入(当初は3%)

1989-06-04 六四天安門事件

1989-12-03 マルタ会談終了(冷戦終結

1989-12-29 日経平均株価取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。

1990-03-27 総量規制バブル崩壊の始まり

.

現代バブル崩壊パンデミック

1990-10-03 東西ドイツ統一

1991-01-17 湾岸戦争

1991-12-25 ソ連崩壊

1993-07   衆院選自民党が敗北し、非自民連立政権誕生する(55年体制終焉

1993-11-11 欧州連合条約マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)

1995-01-17 阪神淡路大震災

1995-03-20 オウム真理教による地下鉄サリン事件

1995-11-23 Windows95日本国内で発売される。

1996-03-23 台湾民主化総統民選となる)

1997-04-01 消費税率が3%から5%に上がる。

1997-07-01 香港返還

1997-07   アジア通貨危機

1997-11-03 三洋証券経営破綻会社更生法適用申請する)

1997-11-17 北海道拓殖銀行経営破綻公表

1997-11-24 山一證券経営破綻公表

1998-10-23 日本長期信用銀行、破産国有化

1998-12-13 日本債券信用銀行、債務超過国有化

2001-01-06 中央省庁再編

2001-09-11 アメリカ同時多発テロ事件

2003-03-20 イラク戦争201112月15日まで)

2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行

2008-09-15 リーマン・ショック

2009-09-16 鳩山由紀夫内閣総理大臣に指名される(政権

2018-08-01

anond:20180801184347

イエズス会による侵略を察知した日本鎖国へ向かう。西洋人たちは地球破壊しながら技術力を付け、ついに日本開国させる。日本人の知的水準の高さや、労働者としての素質を知っていた彼らは、植民化する代わりに、富国強兵殖産興業によって日本から利益を得ることを選ぶ(野麦峠蟹工船足尾銅山公害などをもたらしたのは西洋人)。日露戦争勝利もまた国際金融家たちの胸先三寸で決まったこと。支那事変日中戦争)では、国民党資金提供して戦いを長引かせることで利益を得、真珠湾には使い古しの戦艦を再配備してほとんど実質的な損害なしに、日本を叩けという世論を盛り上げる、実際の歴史を知ってみれば、西洋人たちのやり方は、まさに「汚い」の一言。それにも関らず、学校教育マスコミ真実を見えなくさせ、日本人に罪悪感を植え付ける。

ついでにいえば、法による支配は、国際金融家たちの都合に合わせてできている。そのせいで、私たち私たち土地を守ることを違法とされ、(外資系企業による開発活動を否応なく受け入れさせられている。そんな世界に順応させるのが、このスレ学校のような場所なのだ

2017-10-29

ネトウヨ粘着クソリプブロックされて当然

あいつらこんな粘着して何が楽しいんだろう?

なんというか情けないというか、気持ち悪いクソ親父だな。

2017-05-23

毎日新聞皇室報道を見て、歴史が繰り返される理由が分かった

1923 関東大震災

1925 治安維持法制定

1940 東京オリンピック日中戦争などで開催権を返上

1941 太平洋戦争

2011 東日本大震災

2013 秘密保護法制定

2020 東京オリンピック

一時期こんな書き込みネット流行った。

俺は、この書き込みのことは、正直馬鹿にして見てた。

ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法治安維持法」に見立てるのは無理がある。

ただ、最近皇室関係報道を見ながら、考えが変わった。

見方を変えると、確かに歴史は繰り返されている。

この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。

一番重要ポイントは「戦前軍部」の役割を、誰が担うかだ。

俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。

戦前軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。

今の自衛隊は、国民から支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。

文民統制規定もあり、自衛隊暴走不可能に近いし、その動機もない。

三島由紀夫切腹した頃から自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。

じゃあ誰が「軍部」になるのか?

戦前軍部」の特徴には、以下の三つのような特徴があった。

1.他者に対して攻撃

2.メディア一般人批判できない、しづらい存在

3.政府予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない

この3つの要素を、今持ってるのは誰か?

俺は、現代においては「高齢者」が、戦前軍部役割を担うんじゃないかと思った。

そう考えていくと、辻褄が合い始める。

歴史が繰り返される道筋が見えてくる。

まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。

高橋是清が、4度目の大蔵大臣就任した際に行った金融政策だ。

高橋是清は、井上蔵相が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。

1931年の話だ。

この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。

要は、震災対応財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。

これに反抗したのが、当時の軍部だ。

軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。

こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。

世に言う、二・二六事件だ。

高橋是清殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。

あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。

結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。

これが契機になり、東京オリンピック返上される。


話を現代に戻そう。

つい最近毎日新聞天皇陛下のお言葉を一面でリークした。

陛下 退位議論に『ショック』 宮内庁幹部生き方否定』」

こんな見出しが、全国紙の紙面に踊った。

次の日、宮内庁取材した産経新聞が、

宮内庁毎日陛下 公務否定に衝撃』報道否定 有識者会議意見に不満のご発言事実ない』」

という記事を出したことから、事の真偽は正直不明だ。

ただ、ここで重要なのはマスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。

陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。

こんな、戦前軍部の「皇道派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。

俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。

安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。

Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。

安倍政権支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。

俺には、現代安倍晋三が、戦前高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。

安倍晋三高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。

これからマスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合日本は、戦前二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。

選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。

膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。

国内だけでは財政課題解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。

みんな、安倍晋三が「ヒトラー独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。

そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。

じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?

要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。

みんな、軍(自衛隊)と独裁者首相)に注目しておけばいいと思ってる。

でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。

俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。

俺は、東京オリンピック2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。

この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。

たぶん、真正から高齢者悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。

実名で書いても、すぐに社会生活ができなくなる。

からこうやって増田に書いた。

今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。

2016-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20160315041443

いやいや、あんたも間違ってるよ。第二次大戦極東方面においては支那事変から拡大した者だし、日VS中じゃなくて日中VS中だよ。しかも初期は米国はさんざん日本挑発してたけど戦争しだしたのは日本攻撃し始めてから

2013-11-29

戦争について知ること、勉強すること、考えること

戦争について、学ぶことはなんの意味があるのだろうか。ふとそう思った。そして、それをいくつかの切り口に分けて考えてみた。

私が生まれたのは平成がはじまってすぐのこと、ちょうどソ連崩壊した時期だ。

もちろん、私にとっての戦争は、まったくもって身近なものではない。

ただ、平和とか戦争について考えているうちに、あえて書いて、いまのところの自分の考えを残してみたくなった。

特にここでは、日本が直接関わった直近の戦争であり、当事者が生存している第二次世界大戦もしくは大東亜戦争について書きたい。

それでも、もう70年も昔のことだ。もう30年過ぎて、あっという間に終戦から100年くらい経ってしまうだろう。


1) 戦争とはどのようなものだったのかを学ぶ

戦地に赴かない限り、また時代を遡らない限り、戦争経験するというのは不可能である。そこで、戦争とはなんだったのかというアプローチが一番初めにくる。その方法は、博物館に行く、写真をみるなどなど様々である特に昭和のひと桁年代に生まれた方々が生きている間は、彼らが直接経験したその記憶から学ぶという方法が可能だ。国民の高揚もしくは虚脱、戦争の残虐性を生の声で聞くことができる。ただ、これはあと10年もしたらほとんど不可能になってしまうかもしれない。

2) なぜ戦争が起こったのかを学ぶ

なぜ人は戦うのか、なぜ領土拡大を目指したのか、なぜ支那事変は起きたのか。戦争という歴史的事実の起点に対して、なんで、と問いかけてみるのは素朴ながら、ものすごく頭の回転を必要とする。当時の国際情勢はどうだったのか、リーダーたちはどのような野望と認識を持っていたのか、国民はそれにどのように反応したのか。様々な要素が重なりなって、奇襲や宣戦布告へと結びつく。今後、自分たちの国を戦争に巻き込まないためにも、なぜ戦争は始められたのかという視点重要だ。

3) なぜ戦争に負けたのかを学ぶ

戦争は悪だという考えで、考えることそのものを停止するのは簡単だ。負けてしまった戦争の敗因を考えても仕方がない、という声もあるだろう。ただ、同じ過ちを繰り返さないという意味でも、その分析意味を持つ。たとえば、地図をみながら、その伸びきった補給線に嘆息するのもそうだし、インパール作戦など、個別の作戦の是非を問うてみることもできる。ミッドウェー海戦ひとつの転機とするならば、ガダルカナルなどその後の日本軍の行動をチェックしてみるのもいい。失敗から学ぶ、その絶好の材料がここにあるはずだ。

4) 戦争のあとに何が起こったのかを学ぶ

玉音放送を流したのが8月15日日本降伏文書に調印したのは9月2日である敗戦を迎えた日本はどのような戦後処理を受けたのか。それは戦争によって決められた勝者と敗者の間における、責任と今後の関係性の規定だ。東京裁判はじめ戦争犯罪人断罪や、大日本帝国憲法の破棄と日本国憲法制定のプロセス国体及び皇室制度政治責任に関する議論など、その射程は広い。もちろんサンフランシスコ平和条約も外せない。戦争の前と後でどのような変化があったか。それまでの常識非常識になり、非常識常識になったその転換を捉えることは、私たちが生きる時代のはじまりを知ることができる。

5) 戦争の裏で何が起きていたのかを学ぶ

戦争から何十年も立ち、研究も進んだいま、私たちひとつのできごとをいろんな視点から見ることができる。日本必死になって戦争していた裏で、連合国はその後の戦後秩序についての議論を重ねていた。その反対側のやりとりを見ることは、面白くもあり、悲しくもある。例えばカイロ会談、テヘラン会談、ポツダム会談では、その後の大国による世界秩序の土台がどのように作られていったのかを知ることができる。往々にして、物事は知らないところで決定されているものだ。

6) その後の人びとは戦争をどのように捉えたのかを学ぶ

最後に、後世に生きる人びとはどのように戦争を捉えたのかを考えることは、非常に重要だ。戦争を知る世代はそれをどう形容したのか。戦後歴史おいて、知識人市民がもがきながらその形容詞を見つけていく過程から戦争日本、そして市民との関係を考える際のヒントが眠っている。もちろん、戦争のもの完璧見方で統一することは出来ないし、しなくてもいい。だけど、その議論をときに批判的に、とき肯定的に見つめ直しつつ、あえて自由に考えてみよう。戦争の総括というものが不在だからこそ、自分で考えることが必要になる。

6つ項目をあげて書いてみた。もちろん諸外国から視点、人道的な視点など、まだまだ様々な切り口がある。

戦争について知ること、勉強すること、考えること。

平和世界希求する、実現するためにも、そうでなかった時代もっともっと知っておいたほうがいい。

今まで書いてきたのは、全て日本の話だけ。あらゆるところで紛争は起きているし、その火種はどこにだってある。

このような問題に対して、目をそむけるのは簡単だけど、目を見開いて、向き合っていたい。

2012-03-10

南京事件初心者の疑問

これみた。

たかじんのそこまで言って委員会」の南京事件検証動画が秀逸すぎる。 | ねとうよ速報

http://netosoku.net/blog/others/takajin_nankin_kensyou/

南京事件否認論の恐怖。 - Something Orange

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20120308/p1

捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、でも戦争なんだから規模はともかくやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もあるだろとか、これを全部正しいとしても関東軍虐殺動機がよくわからない。たとえ数万人でも虐殺は軍の指示がなければ無理だ。関東軍は何か深い民族的恨みでもあったのか?

南京事件 (1937年) - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)

南京事件なんきんじけん)は、日中戦争支那事変)初期の1937年昭和12年)に日本軍中華民国首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍投降した便衣兵、一般市民などを殺した事件。



でも、この前に満州事変とかで国作ってるんだよね?

満州国 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E5%9B%BD

1932年から1945年の間、満州現在中国東北部)に存在した国家

満洲国は建国にあたって自らを満州民族漢民族モンゴル民族からなる「満洲人、満人」による民族自決の原則に基づく国民国家であるとし、建国理念として日本人漢人朝鮮人満洲人・蒙古人による「五族協和」を掲げた。




とすると、傀儡政権日本人優位とはい中国人(満州族)とも一緒に暮らしてたわけだ。その後国を運営しながら5年かけて南京まで領土を拡大。ならなおさら軍命令で虐殺する意味わからん南京の人とも一緒に暮らすだろうし国民国家労働力ではないのか?

と思ったら、詳しい解説サイトがあった。

南京事件 初歩の初歩

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

まずよく誤解されるのですが、南京事件」というのは、例えば数万人なり数十万人なりを一箇所に集めて、まとめて機関銃なり銃剣なりで殺した、という事件ではありません。基本的には、数多くの中小規模の「事件」の集積です。

 また、民間人巻き込まれの責任便衣兵戦術をとった中国側にある」との暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。

秦 南京事件場合日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウィークポイントなんです。

秦 捕虜資格あるかないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。

秦 捕虜としての権利がないか裁判抜きで殺していいということにはならない。自然法に照らしても不法でしょう。古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。


中村粲

武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。

 軍司令官には無断で万余の捕虜銃剣刺殺された。それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。

原剛氏

しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。

松本健一

捕虜でないからという理由で捕まえた敵国兵士戦場裁判にもかけずに勝手に処刑することは国際法からも容認されていないはずです。

北村稔氏

筆者の見るところ、「ハーグ陸戦法規」の条文とこの条文運用に関する当時の法解釈に基づく限り、日本軍による手続きなしの大量処刑を正当化する十分な論理は構成しがたいと思われる。


私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思いますもう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。虐殺」だと感じれば、普通感覚でしょう。



南京事件 初歩の初歩、了解。

ひとつ思いついたけど、この国際法を守る「普通」の感覚があれば、中国軍世界を支配できる簡単な方法がある。10億人中の数十万人を各戦場投降させたらいい。そしたら敵軍はその「捕虜」を戦時中に食べさせて管理して働かせても、食料を作る時間的な差で補給がままならなくなり、暴動が起こらないような高度な管理にも相当な軍人を割かなければいけない。その間に本隊で攻撃をすれば勝てる。相手が国際法を守るなら。

当時の中国ちょっと普通」じゃないのは、ケタ違いの人口を誇るのに日本と比べて近代的な武器を持ってないこと。

満州事変 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89

戦力

国民革命軍160000

大日本帝国陸軍30000 - 66000

16万の軍隊が、3万から6万6千の関東軍に負ける。ランチェスター戦略ではまずありえない。

捕虜」の感覚も「普通」だと人数の少ない軍隊が負けて、戦いに生き残った少数が「捕虜」になるという感覚なんだが中国相手だと

南京事件 初歩の初歩

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/shoho.html

 「南京事件」中、最大規模の「捕虜殺害事件」として知られている事件です。

 十三師団山田支隊は、南京城北部を進軍中、大量の投降兵に遭遇しました。その数は、当時の公式発表に従えば一万四千人余りと伝えられます。この捕虜はいったん幕府山周辺の建物に収容された後、12月16日から17日にかけてほとんどが殺害されてしまいました。

12月13日、日本軍南京占領しました。逃げ場を失った中国軍兵士は、大挙として軍服を脱ぎ捨て、難民避難していた安全区に逃げ込みました。

 14日から16日にかけて、日本軍は、避難民の中から兵士とおぼしき人物を選別し、そのまま揚子江岸などに連行して殺害しました。歩兵第七連隊戦闘詳報によれば、その数は七千人弱、と伝えられます。その選別方法はアバウトなもので、その中には大量の民間人が混入していたものと見られます

 さらに17日の入城式後も、「安全区掃討」は続きます佐々木到一少将によれば、1月5日までに、さらに二千名が摘出されました。



結果、数万人虐殺してるんじゃないかという予測ですが、普通感覚なら戦時中はいえやはり全員ちゃんと食わせて、ひとりひとり裁判にかけて、きちんとした管理の中、この数万人を戦争が終わる8年間(1945)まで捕虜として扱うべきだったのでしょう。虐殺するほど軍人最低限のモラルもなくなるでしょうし。

たかじん動画でありますが、台湾攻撃した時は虐殺なんかしてない。満州事変ときも、満州族とその地域を一度に支配したのでその必要がなさそう。南京陥落のとき戦闘継続中の「中国軍」だったので一気に中国を支配できなければ投降は「捕虜」にするかその数万人を扱う余力がなければ虐殺するしかないということでしょうか? 日本軍には「投降」という概念がなさそうで、なおさら大量の捕虜を信用出来そうにもないという文化の違いもありそうですが。


南京事件の初歩の初歩までの理解ですが、右の言う捏造写真や被害誇張が多すぎるとか、中国が国をまとめるためのプロパガンダとか、動機がないとか、虐殺する弾薬や労力が無駄とか、左の言う、でも戦争なんだから規模はともかく心壊れてどこかでやってるに違いないだろとか、外国人が書いた一次証拠もたくさんあるだろとか、これは結局、関東軍が対人口比の極端に多い中国に勝ち進んだという「普通」じゃない状況が大量の「捕虜」を扱いきれず一般人も巻き込んで虐殺したことで、「普通」の時代の人から批判されまくってるという解釈で初歩の初歩はOKですかね?


あの当時、数十人の管理人でも数万人の「捕虜」が暴動起こさないような設備システムを作って、人権も守りながら低コストで、食料もすぐに自給自足管理させ、ひとりひとり裁判もできたら良かったんでしょうけどね。

2008-02-02

関川 夏央曰く、明治維新後と戦後日本は同じ軌跡を辿ってるそうな。

世界恐慌もはじまったっぽいし。

つーと、そろそろ支那事変かね。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん