はてなキーワード: 湾岸戦争とは
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
ザ・クリエイター観た。
スターウォーズをひとつまみ入れたサイバーパンク世界で、火の鳥の語り口で湾岸戦争をやるような……
冒頭の世界観説明のニュース映像は皮肉っぽくて、アメリカの映画でもこういう描き方するんだな〜って思ったけど脚本監督の人アメリカ人じゃないんですね。AIロボットを潰すためにはAIロボットを使うのも辞さない。アメリカだね〜と思ったけど適性言語とか言って洋服着てた日本軍も似たようなもんか。
脳みそスキャンしてロボットに降霊させる唯物論的なイタコ芸をするのは面白かった。逆に人間のコピーであるロボットは身体が鉄でも信仰のようなものを持つし、死人を悼むし自殺もする。JDワシントンが義肢使ってるのも「人間の定義とは?」的な要素なんだろうか。
メカは最近のスターウォーズ作品のドロイドっぽくてかっこよかった。特攻ロボットはなんかかわいかった。
アイスの配達かと思って開けたら爆弾だった所で「マジか……」みたいな感じで死ぬ(?)とこがなんか良かった。警察の投げた爆弾を犬が返しに行く所もなんかコミカルで良かった。あれが人間だったらやはりもっと神妙な空気になってしまうんだろうか。
ただブレードランナーみたく人間とロボットの境目みたいなのが軸にあるというよりは、あくまで最終兵器のブチ壊し合いというエンタメ的物語が本筋で見やすい作品だったと思う。ブレードランナーの方も別に作中でハッキリと何かを断言する事はなかったしな。
AIに聞いてみたよ。
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社会的な変化
90年代は、冷戦の終結や湾岸戦争など、世界的な政治・経済情勢が不安定な時代でした。そのような時代背景の中で、社会への不満や怒りを表現するアーティストが台頭しました。しかし、2000年代以降は、世界的な経済成長や平和な国際情勢が続いたことで、社会的な不満や怒りの感情が薄れてきた可能性があります。
音楽シーンの変化
音楽シーンにおいては、EDMやヒップホップなどのジャンルが主流となり、怒りを表現するような音楽は相対的にマイノリティとなっています。また、インターネットの普及により、誰でも簡単に音楽を制作・発表できるようになったことで、アーティストの音楽性も多様化しています。そのため、怒りを表現するアーティストが減少したという見方もできます。
アーティストの変化
アーティスト自身が、怒りを表現することに消極的になっている可能性もあります。近年は、SNSやマスコミなどの影響力が大きくなり、アーティストの私生活や発言が過度に注目されるようになりました。そのため、アーティストが自分の意見を表明することに慎重になっているのかもしれません。
もちろん、Rage Against the Machineのようなバンドは、今でも存在しています。しかし、そのようなバンドが主流になることは、今後も難しくなると考えられます。
個人的には、Rage Against the Machineのようなバンドが今の時代には必要だと思います。社会に不満や怒りを感じている人は少なくありません。
ガザの病院の爆発は誰がやったのか、いまだに決着がついてないらしいが、そんなことはどうでもいいんだよ。
湾岸戦争以来、いろんな戦争やら紛争やらをニュースで見てきたけど、確かなことがひとつある。それは、武力行使には必ず民間人の死傷者が伴うということだ。悪者だけをピンポイントで殺せるような攻撃ができると思ってる人がいるかもしれんが、そんな都合のいいものはないんだよ。だから、戦争反対で平和を願うのであれば、武力行使があった時点で全員が負けなの。戦闘員じゃない人が必ず死ぬんだから。人が死んで悲しいと思うのに、ユダヤ人もパレスチナ人も関係ないでしょ?
それなのに、イスラエルが悪いとか、ハマスはテロリストだとか、そんなことにこだわって、お前たちがやりたいのは悪者を吊るして意趣返しをすることだけだ。それで、死んだ人が帰ってくるか?遺族の悲しみが晴れることがあるか?中東問題の解決に資するものが少しでもあるのか?
いつまでもそんなこと言ってるから、彼の地がちっともおさまらないんだよ。お前らのお気持ちのために彼らの命が削られていっていることに早く気付けよ。
それがなにかわからない。
人間に対する信用みたいなものが自分の中から失われたような気がするんだよな。
フィクションに出てくる敵のステレオタイプは全員ハゲのロシア人になるだろう。
「老人になると人は狂う」ということがクローズアップされるし、
ロシアを批判するような言説が、そして自由と民主主義の重要性について説く言説が世の中に満ち溢れるだろう
と思っていたんだけど、
世の中の人にとっては別に大事件でもなんでもないみたいで、特になにも起こらなかった。
日常が普通に日常として続いていくし、自分ひとりの中で大事件だった。
世の中のことはなにも変わっていない。
第二次世界大戦の反省として、国家間の大規模な戦争はやめることにしたんじゃなかったのか。
朝鮮戦争とかベトナム戦争とかはあったけど、昔の話だろ、とは思っていたんだよな。
湾岸戦争とかも長期間続く感じじゃなかったし、領土獲得戦争じゃない。
「領土を奪うための殺し合い」ってもんが俺たちの時代においてもリアルに立ち現れていることがショックだ。
それはもうやめたんじゃなかったのかよ。
命は大切なんじゃないのかよ。
何十万人も殺して得られるものってなんなの?
農地がそんなにほしいの?
農業大好きかよ。
農業国は軒並み苦労しているだろうが。
たとえ仲が悪くなったとしても、隣にいてもらったほうがいい。
自分が併合しちゃったらもっと友好的じゃない国と接することになっちゃうじゃん。
特に理性ある人とは思ってなかったけど、そこまで無謀じゃなかった。
どうしちゃったんだよ。あまりにも独裁進めすぎて都合の悪い情報入ってこなくなっちゃったのかな?
アフガニスタンであれだけ苦労したことを思い出せよ。あのせいでソ連なくなったじゃんか。
俺たちはどうしたらいいんだよ。
でたらめにもほどがある。
創作物である以上、本当に「必要な戦い」は認めるしかない。この点が憲法9条や非武装主義を掲げる日本のリベラルとは相性が悪い
闘争を否定しないとネトウヨならば(ルフィのやってることは戦争ではない)、「三里塚闘争」「辺野古基地闘争」をしている人たちはネトウヨなのだろうか。
それにワンピースもガンダムも「国家」や「権力」を全く信用のできないものとして描いているんだが、なぜそこに触れないのか。
ガンダムのニュータイプ表現なんて当時の欧米のインテリリベラル層に流行したスピリチュアル思想の改変だろ。
あとワンピースは反権力反政府なのに反感を抱く左派がいるが、彼らはインテリの嫌う「任侠的な空気」に反発しているのであって、
「リベラル」がインテリ好みの世界観でない=右翼的と決めつける癖がある(そうして庶民を振り落とす)証拠でしかない。
エヴァが流行った90年代にもオタク層は反権力やリベラルの方にややシンパシーを感じる者が多かった。
宮崎事件でオタク叩きが激しかったから、一般社会に怨念を持つものが多くいた。権力による表現規制も含めて。
このあたりの流れが00年代以降に反政府ではなく反マスコミに回収されたことのほうが反「リベラル」の風潮には直接的に影響しているのでは。
そもそも「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」のどこに日本ホルホルにつながるものがあるのか。
ガチ左翼の網野史学を取り入れ、リベラル読書層が持ち上げた「もののけ姫」以前には日本称揚につながるような話はほぼない。
トトロの農村コミュニティへの懐古(それもインテリが「腰掛ける」対象としての)くらいではないか。
これだって「火垂るの墓」と併映で、セットでのキャッチコピーも「忘れ物を届けに来ました」で現代日本批判だったことを忘れてはいけないし。
加えて、90年代には「日本軍が米軍をかっこよくやっつける」話も流行したが、アニメオタク層とはズレたところでブームになってる。
「沈黙の艦隊」も「紺碧の艦隊」もオタク層の外側での流行。日本ホルホルの流れは宮崎よりは荒巻の方がずっと直接的で影響が強い。
荒巻が受け入れられたのも、今からは考えられないくらい日本が経済的に強くて全能感に社会全体があふれていて
なのに湾岸戦争で1兆ドル分捕られたとかで「反米」感情が高まっていたことが背景。中国も韓国も問題にもならない雑魚だったから。
90年代の世界的な反米ブームが忘れられているんだな。アメリカメディアが自分たちの嫌われっぷりにショックを受けて特集を何度も組むレベルだったのに。
現状の「反中反韓」をベースにした流れは教科書問題と日韓ワールドカップとどちらもアニメと無関係。
そうした流れが一般メディアの黙殺に反発する形でネットコミュニティ、とりわけ2ちゃんねるに流れ込んで、
同じくネットコミュニティを拠点としたアニオタ層と一部クロスオーバーするようになったって流れではないのか。
それがアニメオタクに受け入れられた(とするなら)その理由はまた別に考える必要はあるし。
やり直し。
さっきブクマで「いやー、そりゃ第二世代とちゃうんやないか」とちょっと書きかけたのだが、
そう思う理由は、当時は、銀英伝やパトレイバー以外にも、もっと他にいくらでも政治や思想が混ざったサブカルが溢れてたからです
パトレイバーに引っ掛かってたらZガンダムや逆シャア、ボトムズに引っ掛かってないはずがない
特撮ヒーローは仮面ライダーやウルトラマンのリアルタイム放映はなくても再放送しまくってて、
雑誌記事やケイブンシャ大百科など児童の頃から情報がいくらでも摂取できた
というか、銀英伝やパトレイバーにリアルタイムでハマってたら、その後の大学時代に「うわーあんな台詞言っちゃうのはずかしー」ってなります
なりましたよね
そんなもん、40歳、50歳にもなって、今さら蒸し返したくありませんわ
なので今頃に銀英伝やパトレイバーをネタ元に出来るのって、もっと下の世代が後から憧れてやってんだろうなーと思って眺めてる
やはり児童の頃はまだ冷戦真っ最中で核戦争の恐怖やスターウォーズ計画が真面目なニュース番組で語られてて
それが大学に入る前に冷戦終結、ソ連崩壊し、民主主義陣営は正しかったんだアピールをたっぷり浴びせられ、
もう未来はバラ色だ1999年に恐怖の大王は来ないんだと遊びまくってて、
そしたら湾岸戦争とかオウムとか就職氷河期とかあってアレ?って思いつつも
「まあ、そのうち何とかなるんじゃね?」とフワフワっとした気分のままネットとエロゲにハマって
気が付いたら今に至る
アメリカ、ウクライナ支援のため砲弾数万発追加要請… 政府の苦労
https://n.news.naver.com/mnews/article/020/0003481660?sid=104
ウクライナが自国再建に必要な費用を7500億ドル(約962兆ウォン)と推算した中、韓国政府は戦争後に行われる再建事業に参加する準備を始めた。
これも砲弾輸出の名分になることができる。政府消息筋は「米国輸出を通じて間接的にもウクライナに軍事的支援をある程度やらなければ再建事業で優先順位に出る資格が生じるものと見られる」と伝えた。
復興事業に参入するためには軍事支援のチケットが必要だという韓国紙のぶっちゃけ記事。
考えてみれば当然で戦後復興こそ日本の出番だ、とか能天気極まりない主張が何度も出てくるが
本当に必要な時に必要な武器を支援しなかったやつが戦争終わった後だけノコノコ出てきて復興事業させてと言っても
「あとからしゃしゃり出てきて何言ってんだこいつ?」ってなるに決まっている
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
まあ戦争なんて侵略するかされるかなんだから、単純にそのうちの半分を止められるってのはデカいよな。
あと一般に戦争の口実として「隣国が攻めてきそうだから対抗しよ」とか「向こうが攻撃してきたから応戦しただけ」みたいなんけっこうあるけど、日本に限ってはそういうときに絶対的に大義名分を取れる。
「憲法で禁止されてるのになんで攻撃できると思ってるんですか?」って話だ。
9条なかったら湾岸戦争だのイラク戦争だのアフガン紛争だのに絶対参戦してたよな。
まさに実際に「戦争を止めた」っていう実績になってる。
しかもアメリカなんかはそういうことやってるせいで全世界で嫌われてるわけで、その悪評に日本が巻き込まれるのを防いでもいる。
アフガンで亡くなった日本人医師も「自衛隊を派遣しないことで日本人は信用を得ていた」って言ってたし。
「うちは戦争をしない平和国家ですよ」っていうアピールをしとけば、もし侵略されても今のウクライナの比じゃないくらい支援をもらえると思うよ。
いわゆる吉田ドクトリンというやつだけど、昨今の軍拡増税に参ってる人はその効能がよくわかるんじゃないか。
それに日本の国際的な価値って、腐っても世界第三位の経済大国だというところにあるじゃん。
日本が侵略されたりしたら世界経済に大打撃だし、中国なんかに対してもそれが抑止力になってる面は大きいと思う。
逆に、ちょっと防衛費を増額したくらいで何の抑止力になるんだ?って思うんだよな。挑発の効果のほうが大きそう。
憲法9条って聞くと反射的に「お花畑」「理想だけ」「何の役にも立たない」って言う人が多いけど、少なくとも上記のような効果はあるよな。そこらへんどう思ってるんだろ。
1990年(平成2年)8月2日、当時サッダーム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にする。
政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。
これを追い風に、その後1992年(平成4年)7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)した。
40歳になった。ここまでの人生を振り返って思うのは、「人生観が変わるほどの衝撃」とか「人生を決定づける出会い」って俺には結局なかったし、これからも無いだろうな、ってこと。キルケゴールの「大地震」とか、安藤忠雄のガンジス川とか、ああいうの全部20代だしね。もちろん俺は彼等ほどの逸材傑物ではないけれども、俺の人生にだってああいう転換点があってもおかしくなかったはずだ。ということで年表見ながら振り返ってみるわけだが、
リクルート事件(1989)
⇒自民党って悪い奴らなんだな、という理解だったが、今じゃ贈収賄程度で総辞職なんてしないわけで、いま振り返るとよくわからない。
天安門事件(1989)
⇒社会主義って怖いんだな、という理解。戦車の前に立ってる写真は後から知った。
⇒社会主義は終わったんだな、という理解。世界史とか地理とか結局マトモに勉強しなかったので、今でも当時の解像度のまま、なんで露宇が戦争してるのかよくわからない。
湾岸戦争(1991)
⇒油田放火もったいねー、海鳥かわいそう、くらいの印象しかない。当時からハイテク戦争と言われてて、ベトナム戦争やアフガニスタン紛争みたいな人道危機の報道は少なかったんじゃないかと思う。普通に人も死んでたはずだが・・・
阪神淡路大震災(1995)
⇒高速道路が倒壊してる絵面はショッキングだったが、いま振り返れば単に大都市で起きた大地震という以上の意味はなかったと思う。手抜き工事疑惑はあったけど、復興利権みたいな報道は記憶にない。
地下鉄サリン事件(1995)
⇒犯罪どうこう以前に、ホーリーネームとかヘッドギアとか純粋に気持ち悪くて理解できなかった。カルトやべーな、という理解。
同時多発テロ(2001)
⇒その後、アメリカが大量破壊兵器の証拠とかナイラ証言とか捏造してイラクに侵攻してフセイン処刑してた。ブッシュやべーな、という理解。
⇒ひどすぎる、と思いはしたが、少なくとも今はもう拉致してないんだな、と安心もした。
ライブドア事件(2004)
⇒こんな若造でも金さえあればフジテレビ買えちゃうんだ、という発見と、出る杭は打たれるってマジなんだ、という理解。
オバマ大統領(2009)
⇒ブッシュから黒人大統領まで揺り戻した点にアメリカの強さを感じたが、当選後の印象は薄い。オバマケア? あとビンラディン殺害。
⇒当時勤めてた会社が潰れかけてて、リーマンショックの影響で業績悪いっすってみんな深刻そうに言ってた。もちろん全然関係ない。
福島第一原発事故(2011)
⇒日本は危機に弱い、という理解。その後のゴタゴタで、究極的には倫理/信念/信仰の欠如(保身と利益誘導以外の行動原理がない)、という理解。信仰とは必ずしも特定の宗教に帰依することを意味しないのだが、しかし日本社会には資本主義科学技術信仰への対立軸がなく漠然とした宗教への忌避感もあり・・・と、俺なりの総括を語ろうと思えば語れるんだが、このあたりはもう30がらみ、既に自己が確立してしまった後なので、あとはもう何を見ても偏見を補強していくばかりだし、ここから現在までの10年間のニュースもほとんど印象にない。あったねー、くらいの感じ。
参考:キーワードでみる年表 平成 30年の歩み|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB
振り返って思うに、転換点は1999年の東海村JCO臨界事故だったと思う。裏マニュアル作って核燃料をバケツで扱って臨界しちゃったアレ。日本は先進国で技術なら世界一とか、日本人は真面目で几帳面とか、そういう幻想が崩壊していく予兆を感じ取るべきポイントだったが、当時高校3年の俺にはそういった視点はなかった。作業員がチェレンコフ光を見て放射線障害で苦しみぬいて死んだことは印象に残ってるけれども、日本もうダメなのでは? みたいのは無かったし、世間の空気もそうではなかった。一部の不心得者による怠業、むしろ日本人の生真面目さが悪い方向に働いてしまった結果、みたいなことをみんな言ってた気がするけど、今振り返れば完全にズレてたな。80歳で死ぬとして残り40年、これからも重大事件は毎年起こるんだろうけど、俺はもう死ぬまで「人生観が変わるほどの衝撃」を受けることは無いんだろうと思うと、ちょっとさびしい。