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2021-12-21

母のことをやっと許すことができた

とあることをきっかけに、母とは事務的な会話しかしなくなった。

理由は、わたしは母に嫌われていたからだ。

そのことを自覚した最初に思い出せる記憶幼稚園ときだ。

お迎えの時間、他のお友達は皆が母親に抱き上げられたり手をつないで楽しそうに帰っていく中で、わたしはいつも黙って母の後をついていくだけだった。

幼稚園であった沢山のことを母に聞いてほしくてずっと母の後頭部を見つめていたが、母が振り返ることはなかった。

食事洋服も、洗顔も入浴も困ったことはない。

何も会話がないままに、母は黙々とわたしの世話を繰り返した。

はじめの頃は、わたし自分が悪い子なのだと思っていた。

から身の回りのことは言われるよりも先にやったし、怒らせないように何でも完璧にやろうとした。

ある日、母が起こしに来る前に自分で目覚めて身支度を始めてみた。

絶対に褒められる自信があったが、母はわたし存在確認すると何も言わずに振り返って自分の身支度を始めた。

次の日から母がわたしを起こしに来ることはなくなった。

父はわたしのことをこれでもかとかわいがったが、忙しいせいか家にいることはほとんどなかった。

母のことを相談しようとしたことがなかったわけではないが、わたしが眠っているとき普段の父から想像ができないような剣幕で母に怒鳴りつけている姿を見てしまたことがあり、それを思い出すと躊躇してしまった。

泣きながら謝る母を前に怒りが収まらない様子で手当たりしだいにものを投げつける父の姿は、鬼にでも乗り移られてしまたかのように恐ろしく、心の深いところに爪痕になって残った。

小学校に上がっても、やはり母に褒められるようにと学校のことは何でも頑張った。

最初テストですべての科目で満点をとった。

幼稚園では人と比べられることは少なかったが、これならわたしは誰よりも優れていることが証明できる。

いくらだって認めざるを得ないだろう。今までで一番ワクワクした気持ちで家に帰った。

そして溢れんばかりの笑顔でこれまでにないテンションで両手に持った満点の答案用紙を母の前に広げて見せた。

その瞬間母は、まるで道端に轢かれた小動物を見るような目でわたしを見て、声を上げてえづき出した。

何が起こったのか理解できずわたし呆然としていた。

しばらくして呼吸が落ち着いてきた母が、喉のそこから絞り出すような声で一言「あてつけか?」と言った。

何のことかさっぱりわからないわたしは、黙って立っていることしかできなかった。

すると母は、急に怒り出したかのように叫び始めた。

「あてつけなのか!私が母親としてあんたに接せられないことに対するあてつけなのか!」

呆然と立ち尽くすわたしに母は近づいてきて言った。

わたしあんたが嫌いだ。でも、死なれたら困るから世話を続けてきた。頼むから余計なことはしないでくれ。あんたが嬉しそうに近づいてくる度に、わたしは胸が苦しくなって死にそうになる。」

それだけいうと、母は玄関から出ていってしまった。

現実にまったくついていけていない自分を、視界のずっと奥から見つめているような不思議感覚だった。

わたしというかわいそうな子を別のわたしになって頭の中から覗いているような感覚で、わたしというかわいそうな子が表情も変えずに立ちすくんだままただひたすらに涙を流している様子を、別のわたしとして頭の中からずっと眺め続けていた。

母が原因で涙を流したのは、今まで生きてきた中ではこれが最初最後だった。

この日を堺に、わたしは母が嫌いになった。

わたしを嫌いだという母を、どうしたって好きになることはできなかった。

世話になりたくないから、自分のことは何でも自分でやった。

母が理由で道を踏み外すことも違うと思ったわたしは、思春期に湧き上がる特有の苛立ちも、母に見下されたくないという理由自力ねじ伏せた。

母を見返したいという気持ちはなかった。

ただ、趣味習い事時間を使うことで、母よりも劣っていると思われることだけは嫌だった。

その結果、自分に残されていたのは誰のためでもなく黙々と勉強を続けることだけだった。

母はわたしに無関心な代わりに、わたしが持っていくお願いについては基本的に何でも聞き入れてくれた。

そうはいっても父の金であるが、予備校受験費用私立学費も、渋られたことは一度もなかったおかげで、割と良い大学まで進むことができた。

大学に入ったら家を出る。

そう決めていたわたしは、地元を捨て都内大学に進学した。

距離は母の存在を忘れさせてくれた。

忘れることが許すことなのかも知れない。母の顔にモヤがかかるように記憶から薄れていくのと同時に母から呪縛から解き放たれるような気がした。

年に数回、父からの連絡があるついでに思い出す以外、母のことは考えなくなった。

そんなわたしも、人並みに恋をして結婚してもいいと思える人に出会った。

しかし、そう思えたと同時に、突然心の底の方から恐怖が湧き上がってきた。

「もし娘が生まれときに、わたしは母と違って娘を愛することができるのだろうか。」

その瞬間わたしは、あのとき頭の奥に押し込んだわたしに、再び覗き込まれているような感覚に陥った。

そんな目で見ないでくれ。

わたしだって嫌われたくて嫌われたわけではないのだから、嫌いたくて嫌うのではないかも知れないなじゃないか

そのことを彼には相談できないでいた。それが理由で手に入れた幸せを手放さなくてはならなくなることが怖くて仕方なかったからだ。

その日からというものわたしはいつも頭の奥からわたしに覗かれているような感覚が消えなくなった。

不安を抱えながらも、話は順調に進んでいった。

実家への挨拶をどうしようかと父に連絡をしてみると、わたしが聞くより先に父が一人で東京に出てくると言い出してくれた。

母は今どうしているのか聞こうとも思ったが、父からも何も母の話がでない中で切り出せないままに会話は終わった。

もともと友達の少ないことを理由に親を呼ばずに数人の友達と二人だけでの挙式をしたいと彼に願い出た。

普段からこだわりのない彼は特に抵抗もなく、わたしにすべてを任せてくれた。

妊娠がわかったのは挙式の少し前だった。

検査薬に反応が出た瞬間、わたしは素直に嬉しかった。

その嬉しさが、今までの人生の苦しみから、ほんの少しだけ開放してくれた気がした。

相変わらず不安は大きく残っている。でも、少しでも嬉しさを実感できたことは自分にとって大きな救いになった。

式も滞り無く終わり、写真を持って彼の両親に報告に行ったときに、あわせて妊娠を報告した。

お義父さんは無神経に「絶対に男で頼む!」などと要らぬプレッシャーをかけて来たが、わたしも内心男の子を生みたいと思っていた。

娘だとわかったときに、妊娠した嬉しさごと消えてしまう恐怖が、まだ心の底の方にあったからだ。

言葉にはしなかったが、彼は早く性別を知りたがっていた。

産婦人科医も最近では聞かれるまで性別を答えないらしく、知るための選択権はわたし一人に委ねられていた。

いよいよお腹も大きくなって、もう準備を始めないと間に合わないという段階になって、意を決して聞くことにした。

断定はできないと前置きされた上で、「おそらく女の子ですね」と言われた。

心臓が大きく一度どくんと脈を打った。

喉の乾きを感じたが、うまくつばを飲み込めずに喉の入り口に痛みが走った。

頭の奥から視線を感じる。冷や汗が出た。

遠のきそうになる意識の中で、必死の思いでお腹に手を当ててみる。

でも、そのぬくもりはかけがえのないほどに愛おしかった。

涙が溢れた。

大丈夫わたしはこの子を愛することができる。心からそう思えた。

突然の涙に驚いたのか、何かを言おうとして喉をつまらせている夫がいた。

やがて涙目になって抱きしめてきた。わたし気持ちも知らないで声を上げて泣き始めた夫を見て、少し冷静さを取り戻した。

後で聞いたところ、夫は娘が欲しくてたまらなかったらしい。

それが言い出せないままここまできて、わたしが嬉しそうに泣いているのをみて堪えられなくなってしまったそうだ。

彼も彼で抱えているものがあったのだ。そう思うとおかしくなってきて、バツの悪そうな彼を前に大きな声で笑ってしまった。

「そんな大きな声で笑うことがあったんだね」

驚きと喜びが混じったような不思議そうな彼の顔がおかしくて、さらに大きな声で笑いだしてしまった。

その瞬間、まさに雷に打たれたかのように、わたし自分が母を許せたかのように思えた。

母は、何も自分から好き好んでわたしを嫌っていたのではないのかも知れない。

母がわたしを好きになる努力をしたかどうかはわからないけど、好きになれなかった自分を誰よりも責めていたのは母本人かも知れない。そう思えたのだ。

好きも嫌いも、自分意思でありながら、自分ではどうすることもできないときがある。

わたしたまたま自分の娘に愛情を感じることができただけで、それが当たり前かどうかなんて誰にも決めることはできないはずだ。

それならば、わたしわたしが嫌いだという理由だけで、母を嫌う必要はなかったのではないか

わたしを嫌いだという母を、そのままの姿で受け入れることだってできたはずではないか

これは決して同情ではなく、そして、娘を愛することができた自分から優越感でもない。

これこそがわたしを苦しめ続けてきた呪いの正体なのだ

あのとき自分がそれに気がつけなかったことを責めるつもりはない。

今、わたしはそれに気づくことができて、許すことができた。ただそれだけの話だ。

わたしは、わたしを嫌いだと言った母を嫌いと思った日から、母を嫌ってしまったわたしを許せていなかったのだ。

娘を嫌う母以上に、母を嫌う娘が許せなかった。嫌われていることを言い訳に、嫌うことを正当化する自分が、誰よりも許せていなかったのだ。

もちろん嫌わないに越したことはない。

でも、何かの手違いや神のいたずらで嫌ってしま可能性がゼロではない以上、それが許されない世の中ではあまりにも窮屈だ。

それと同時に、母から嫌われてしまった子供が不幸だなんて、誰一人として決めつけることはできないはずだ。

この日を堺に、わたしわたしを嫌いである母とも、普通に接することができるようになった。

久々に見た母はただただ老けていた。でも、命あるうちに気がつくことができてよかった。

孫娘を抱く母の顔は、わたしが一度も見ることのなかった嬉しそうな顔をしていた。

その顔を見たとき、頭の奥から覗き込んでいるわたしと、今ここに立っているわたしが一緒になれたような気がした。

母を許せたことで母が許されたことを実感できたと同時に、自分自信も許されたような気がしたのだ。

何かを許さないということは、その何かから許されないことと同じなのだろう。

から、たとえわたしがこの娘から嫌われようとも、わたしはその”嫌い”という気持ち尊重し許し続けようと思った。

こんな大切なことに気づかせてくれて、ありがとうおかあさん。

2021-10-26

anond:20211025225533

お母さんが赤ペン先生だよ。

昔は「かにまる」かくの上手だった。赤い万年筆憧れたな。

当時は全部手書きから答案用紙ごとにそれぞれの赤ペン先生の絵の癖が出てて面白かったよね。

なお今はパソコン。現役で頑張ってるよ。

2021-08-19

女子高生の私が大好きな家庭科先生に裏切られた話

潮井エムコ

2021年2月14日 20:22

家庭科の授業ではいつも先生に驚かされる。

その日も私たちは週に一度の楽しみとして家庭科室へやってきた。体験的な授業を多くされる先生だったため、座学は久々だった。今日は何をするんだろうと期待に胸を膨らませながら筆記用具を手に席に着くと、先生は言った。

「今からテストを始めます。」

先生のその一言は、これから始まる楽しい時間の終わりを宣言したも同然だった。

テストという単語は我々学生にとって、条件反射嫌悪感を抱いてしま存在である。筆記用具だけを持って来させたのはこの為か、と授業を楽しみにしていた私は深いため息をついた。

裏返しで回ってきたプリントをお通夜のような気分で後ろに回し、机に伏せる。

「今からするのは指示遂行テストです。しっかり問題をよく読んで、その通りに行動してくださいね。しっかりと、よく読むんですよ。制限時間3分です、はじめてください。」

まりに短すぎる制限時間を宣告され焦りながらプリントをめくる。A4サイズのその用紙にはびっしりと、1から20まで設問が並んでいた。3分間で終わるわけがないと絶望しながら私は慌てて鉛筆を握り、テストを始めた。

【1・まず始める前に、以下の指示を全部注意深く読んで下さい。】

もちろんである問題をしっかり読まなくては答えなど書けるわけがない。私はすぐに次の問に目を移した。

【2・右上の氏名欄にあなたの氏名をきちんと漢字で書いてください。】

テストでは名前が未記入だと0点になるのは常識だ。わざわざ注意を促すとはなんて親切な先生だろうか。

【3・ 1の文章のうち、「全部」という文字を丸で囲んでください。】

問3まで進んだのに指示の通り問1に視線を戻す。なんだ全部という字は一つしかないじゃないか。私は大きな丸でそれを囲った。

問の4.5.6は問3と同じような内容で、設問の文章アンダーラインを引かせたり特定文字を×印で消させたりといった奇妙なものが続いた。制限時間は残りどれくらいだろうか。クラスメイトのザッザッとした鉛筆の音が私を急かす。

【7・自分右手で左肩を2回叩いてください。】

急に毛色の変わる指示に驚いたが、私は鉛筆を置き右手で肩をぽんぽんと叩いた。私の後に遅れてクラスメイトたちの鉛筆を置く音と肩を叩く音が教室に響く。みんなももう同じところまでたどり着いたようだ。

その後も耳を引っ張ったり、机を2回叩いたり、さっき書いた氏名にひらがな振り仮名をつけたりと何の意味があるのかわからない問が続いたが私は完璧にこなした。

いよいよ15問目に差し掛かる。

【15・そろそろ終わりに近づいてきました。大きな声で「私は指示通りにできている」と言ってください。】

なんだこの問は。まだ誰の声も聞こえない。

もしや私が一番乗りか、と気を良くした私は教室中に響く声で「私は指示通りにできている!」と叫んだ。遅れてクラスメイトたちの同様の声が響く中、先生が言った。

「残り10秒です。」

まだあと5問もあるのにそんな。パニックになりながら次の問題を読もうとしたその時。

はい。これで小テストは終わりです。

答え合わせをするので隣の人と答案用紙を交換してください。」

全部解くことはできなかったが、まぁまぁの点数は取れただろう。隣の子答案用紙を交換してそれに目を落とすと、彼女は私よりも解けていなかった。私はまだマシな方だったのだと安心した。

先生ニコニコと、この場の私たちとは不釣り合いな笑みを浮かべたまま言った。

「さぁ答え合わせです。氏名はきちんと書けていますか?出来た人は手を挙げてください。」

私は元気にはーいと手を挙げた。クラスメイトたちも自信たっぷりに手を挙げている。先生ニコニコ笑顔を絶やさないまま、手を挙げた私たちを1人ひとり見渡し、そして言った。

「今手を挙げている人はみんな騙された人です。」

先生の予期せぬ発言クラスの至る所から「えっ」と驚きの声が漏れた。

何を言っているんだ先生は。

「問19、20を読んで下さい。」

困惑しながら最後の設問を読んだ私は、そこで初めて真実を知る事になる。


【19・さてあなたはこれまでの指示を読み終わったわけですが、1、19、20の番号の指示にだけ従って、その他の番号の指示は一切無視して従わないで下さい。】

20絶対に声を立てないでください。ここまで読んでしまっても、まだ書いているフリをしておいて下さい。】

やられた。一本どころか百本ほど取られた気分である

先生が「よく読んでね」と念を押していたのはこの事だったのか。周りを見ると手を挙げていない生徒が数人いた。彼女たちは先生の言った通りに、「しっかりと問題をよく読んで」いたのだ。

元気よく手を挙げたお馬鹿さんたちは、人の話をまるで聞かない正真正銘お馬鹿さんとなった。私たちはギャァと声にならない叫び声をあげた。

「世の中には人を巧みに騙してお金を奪う、悪徳商法がたくさんあります契約書は最後までしっかりと目を通す習慣をつけて、そういった危険から自分で身を守れるようになって下さいね。」

手を挙げた我々は先生言葉が、よく煮つけたがんもどきのように沁みに沁みた。

きっと悪徳業者たちはさっきの先生のように急かし、私たちに正常な判断が出来ないようにするのだろう。

先生はその後、悪徳商法の手口や困ったとき相談できる消費生活センターについて教えてくれた。

誰よりも早く、そして誰よりも素直にまんまと騙されてしまった私は自分馬鹿さ加減を文字通り痛感する事となった。そして自分の頭で理解できない事はどんなにうまい話でも信じるまいと胸に刻んだ。

大人になってからも「1発どでかい宝くじが当たらんかな」が口癖だった不届き者の私は、自業自得も甚だしいがその後何度もマルチ商法勧誘を受ける羽目になってしまった。

そのたびにきっぱりNOが言え、今も平和に暮らせているのは、やっぱりあの時の先生の優しい裏切りのおかげなのだった。

https://assets.st-note.com/production/uploads/images/59248718/picture_pc_3a24d111f32a8c364b1fd229f51c67f3.png

当時の家庭科プリントです

(騙されなかった友人のものなので綺麗)

https://note.com/mmmemko/n/n89c936a7d56c

潮井エムコ

@m_emko

私の本名は「亡くなったばあさんから貰ったんだよ」と言われてたんだけど祖母は全く違う名前だったので「ボケた爺さんが愛人名前を私につけたんだ…」と落ち込んでたけど、実は私の名前はばあさんが戦時中スパイとして活動していた時のコードネームだった事が判明してめっちゃ笑ってる

午前11:56 · 2021年8月16日·Twitter for iPhone

https://twitter.com/m_emko/status/1427101953180327938



嘘判定プログラム文章いれてみます

ウィーン ガチャ

㌰.㌰.㌰.㌰.㌰.㌰

タダイマケイサンチュウデス

㌰.㌰.㌰.㌰.㌰.㌰.㌰

ハンテイガカンリョウシマシタ

ジージージー

       嘘100パーセント



ちなみに2年ほど前に似たような内容のテストを出されたというツイート話題になっています

先生からユーモアたっぷりな罠!入試前に配られた集中力テストにだまされる人続出」

https://ch.togetter.com/2019/08/02/70845

この人自己紹介

実際に経験した出来事に基づくエッセイを書き始めました。

と書いていますが、フィクションエッセイに含まれるんでしょうか

フィクション創作文ならそれは小説かになるんじゃないんでしょうか

「基づく」と書いているので「事実に基づいてはいるが事実だとは言っていない」、

という意味かもしれませんが、なんとも気味の悪い人です

2021-05-19

予備試験受験感想 2021

先日予備試験を受けに行ったので感想を書く。

普通に起きて普通に電車に乗って普通に会場まで行く。流石に最寄り駅の路線では受験生っぽい面々がチラチラいたけど、そこまで混雑してもいなかった。

受験会場最寄り駅では受験生に向けて伊藤塾辰巳スタッフパンフレットとか配りまくってるんだけど、今年は伊藤辰巳も帰りのタイミングですらいなくて、法科大学院パンフレットを配ってるグループしかいなかった。

会場は某大学だったんだけど、大学敷地に入るタイミング受験票の提示を求められた。大学内で売店なのは当然やっていないので何か食べ物飲み物を購入するとき敷地外のコンビニに行かされるんだけど、敷地を出入りするとき受験票の提示を都度求められた。試験が終わって毎回、大学敷地の外に出るとき受験票を持たないと戻れませんという旨を試験監督員が説明してた。セキュリティ対策なんだろうけど、おそらく去年の司法試験ナンパ事件の影響だろう。

試験監督員

試験開始15分前には毎回試験に当たっての注意事項を説明するのだけれど、相変わらずちょっと高圧的な物言いで同じことを何回も繰り返すので、なんか怒られてるみたいで聞いててちょっとしんどい

アドリブを交えて気の利いたことを言ってくれてもいいのになって思うんだけど、慣れない人が下手にアドリブ入れると本来説明がわけわかんなくなるので、そこら辺は致し方ないのだろう。それにしたってもうちょっと柔らかい言い方で説明してくれたらいいのにって思うんだけどね。聞いた話によると彼らは別に公務員でもなんでもなくどこかの派遣会社から臨時で雇われた人たちらしいけど、実際は知らない。試験監督員って書いてる名札を首から下げているので試験監督員かどうかは一応識別できるけど、これ試験監督員がなりすましだったらどうするんだろう。全く同じ説明を都合4回も繰り返すだけだったら、髪色明るめ肌色黒めネイルシマシの綺麗なお姉ちゃんに注意事項を説明してもらえる方がいいな。

コロナ対策

去年と同じように、受験生フェイスガードと手袋をつけることが許されているんだけど、誰もフェイスガードも手袋もしてなかった。机上にハンカチウェットティッシュ、消毒液を置くのは許されているけどカバンを地面に置かないといけないのが嫌なので新聞紙やシートを持参した方がいいだろう。ゴミ袋もあった方がいいと思う。

去年は1、2割ほど欠席してたけど、今年は2、3割ほど欠席してるイメージで、去年より欠席者数が多い気がした。あと心なしか若い人が少ない気がした。そりゃ緊急事態宣言中なので、大学生で記念に受験したい人とかはちょっと遠慮しちゃうかもね。

席については、大学講義室で数メートル5人がけの講義受けるあのテーブルで2人座る列と1人だけ座る列が交互だった。一応1メートルちょっとくらいなら距離は保ててたと思う。休んでる人も少なくなかったから、ある程度距離はあった。

試験

特にないです。盛大に声を出してあくびをするオッサンが同じ部屋にいてイラッとしたけど、最後の方は流石に試験監督員に注意されたのかあくびの声がちょっと省エネになってた。

終了後

過去やらかした人がいるからだろう、カンニング対策試験室内での電子機器使用禁止されてる。なので試験室の中ではスマホの電源を常時オフにしないといけない。

でもこれ去年もなんだけど、試験が終わって部屋を退出するときコロナ対策で部屋ごと別々に退出するんだけど、全部の試験が終わって答案用紙も回収されてあとは部屋を退出するだけ、っていうタイミングですら携帯電話を使わせてもらえないのよ。だからこの待ち時間がすごい虚無なんだよね。我々は今この時間何をして待てばいいのか?ちょっと困惑しながら今後のことを考えていた。今回は割とすんなり部屋から出れたけど、まあまあの人数が行列をなして密集してたから結局三密対策できてなかったし。

総括

宇都宮さんはオリパラ中止を訴えるよりも予備試験司法試験延期を訴えた方が効果的だったんじゃないかなって思うんだけど、試験関係についてはなんのコメントもなかったので、つまりそういうことなんだろうなって思った。

2021-02-24

anond:20210224141853

東大受験責任者から直接聞いたのだが、受験を男女混ぜたまま上から並べると男子が1人も合格しないのだという。だから答案用紙性別を書かせるのだと。

えーっと、マジレスするなら、東大入試答案用紙性別記入欄なんてありません。

anond:20210224023156

東大受験責任者から直接聞いたのだが、受験を男女混ぜたまま上から並べると男子が1人も合格しないのだという。だから答案用紙性別を書かせるのだと。

受験時で大いに男子にゲタを履かせてやっているのに、社会に出たら男しか出世しないなんて、日本女性悲劇はどこまで続くのだろうか。

2021-01-04

anond:20210104074706

答案用紙コピーしたら駄目というのとおんなじで

練習には模写は必要だが

商売で模写をするとトレパクといって、犯罪

というのと同じ

練習用に模写=トレース必要

2020-12-29

anond:20201229153348

頭脳明晰自慢の牟田口氏や辻氏や東条氏が最終的にどうなったか

馬鹿正直に答案用紙に書き込まず、トップ入りしないように目立たず甘い汁だけ吸っていれば幸福な余生があっただろうに

2020-12-23

息子がチートになった

https://anond.hatelabo.jp/20201223082652

ごくごく普通の家庭であった。一億総中流社会はもうとっくに終わったけれど、上流でもない下流でもおそらくない、そんな暮らしであったという感覚に近い。

普通に元気があり、どちらかというと内気だけど人並みにコミュニケーションは取れるし、頭も人並み程度ないい子だと思っていた。思っていたというか、今もそうだと信じたい。

あれは子ども小学4年生の時だった。テストが1000点だった。我が目を疑ったが、疑うまでもなく1000点の答案用紙であった。子どもに問うと「ああ」とだけ帰ってきた。まるでそれが当たり前だとでも言うように。トーンがマジであった。

次に、毎晩の夕食を作り始めた。絶品だった。私が作っていたほうれん草胡麻和えが豚の餌に思えるほどの出来栄えで、涙が自然と流れた。こんなに旨い家庭料理は食べたことがない。かと思えば、中華料理も卓越していて、私が苦手としている八角がこれほどまでに調和して旨い料理は、私のお気に入りの街中華料理屋でも食べたことがなかった。それについても「ああ」とトーンがマジであった。

私はこの家に自分の居場所がなくなっていくのを感じていた。それは妻も同じようであった。

中学1年の時、私にはよくわからないがインターネットの何かで私の年収を月収で稼ぐようになった。詳しく説明してもらったが、よくわからなかった。とにかく金は入ってくるので凄いんだろうなという感想けがそこにあった。私と妻は自分たちがとんでもねぇクズ野郎だという気がしていた。

高校には行かない、と言われた。さすがに反対したが、高校に行くのが無駄である理由を理路整然と語られ、納得してしまった。子どもにはそれなりの将来設計が明確にあるようであった。我々夫婦でき婚であったので、将来設計などなかった。

子どもは家を出る気はないらしい。今できることをしているだけ、と言っているが、私が必死に働く何十倍もの収入を得ながら、家事全般をこなしている。妻が動き出す前にあらゆる家事をしてしまうので、出る幕がないという状況である

息子、天才とかなんだろうか。本人曰くそんなことはないと言うが、我々にとってはモンスターである。我々が養うべき息子に家庭が支配され、蹂躙されているように感じる。妻は数年前からノイローゼであり、私もかろうじて正気を保っている。息子だけが元気溌剌だ。

どうしたらいいんだろうか。

2020-12-01

ケアレスミスを無くす方法が分からない

講師解説とか見ると答案用紙or問題用紙の横に補足みたいな感じで書いてるけどあれなら忘れないのだろうか

B/SとかP/L作成問題で、決算整理前T/Bが与えられてるのに未処理事項と決算理事項だけで見て、決算整理前T/Bの数字から足し引き忘るのをなんとか無くしたいのだが一箇所は足し引き忘れて回答が違う

商業簿記は1箇所違う程度なら最大でも4点引かれるぐらいだからいいけど、工業簿記でやらかすと芋づる式に引かれるから絶対やっちゃダメって分かってるけど

間違える度に溜息出るし、間違えた部分の要点だけまとめたノート作ってるんだがケアレスミスが圧倒的に目立つ

問題解いてる時に気づくならいいけど大抵は採点してる時に気づくんだよなぁ…。見直ししても見逃す

解き方は分かるし工業簿記なら勘定連絡図とか直材、直労、製間の区別は頭に入ってるから大丈夫なのに

肝心の製造間接費を集計する時に集計漏れとか起こるんだよなぁ。なんかい対策いか

過去問解いてる分には1時間ちょっとで解き終わる回もあるから見直す時間あるんだけど、この前の本番は見直してる時間なかったんだよなぁ…

2020-11-18

anond:20201118155904

東大受験責任者から直接聞いたのだが、受験を男女混ぜたまま上から並べると男子が1人も合格しないのだという。だから答案用紙性別を書かせるのだと。

受験時で大いに男子にゲタを履かせてやっているのに、社会に出たら男しか出世しないなんて、日本女性悲劇はどこまで続くのだろうか。

anond:20201118154756

東大受験責任者から直接聞いたのだが、受験を男女混ぜたまま上から並べると男子が1人も合格しないのだという。だから答案用紙性別を書かせるのだと。

受験時で大いに男子にゲタを履かせてやっているのに、社会に出たら男しか出世しないなんて、日本女性悲劇はどこまで続くのだろうか。

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-01-21

試験カンニング行為はわりと見逃してくれる

センター試験不正行為があっただとか試験時間が短かっただのというニュースを見て、大学在学中に試験バイトをしていた頃を思い出したので色々書いてみようと思った。

当時は某私立大の大学生で、夏だったか秋だったか学内掲示板試験官(正確には試験監督補佐)バイト募集している旨の張り紙があったので興味本位で応募した。

センター試験監督自身が在学している私大一般入試試験バイトどちらも応募できたが、個人的な都合もあり一般入試のみ応募。

試験当日の朝は試験中、試験前後の動きだとかを細かく説明され、試験開始数十分程度前に待機所から教室へ移動。問題用紙・解答用紙を配布して試験開始時間を待ち、開始時間・終了時間になれば試験監督が合図をして、終了後にまた問題用紙・解答用紙を回収して撤収。このルーティンを何回か繰り返すだけの非常に楽なバイトだった。

ただひとつ気にかかったのは受験者のカンニング行為

確か数学試験時間だったと思うが、明らかにカンニング行為をしている受験者がいた。試験会場は広さにもよるが試験監督(大学場合は大体教授だとか准教だとか)と大学職員やバイト試験監督補佐が数名程度。自分が配置された教室試験官(補佐含め)4人程度だった。

試験が始まり教室前方の端の椅子に座り試験会場を見渡していたり、音を立てぬようにゆっくり歩いたりしてカンニング行為をしていないか見回ったりしていたのだが、事件が起きたのは開始から十分程度あと、教室前方の椅子に座っている時。比較的前方に座っていた受験生が随分と挙動不審な動きをしているのに気が付いた時。顔は伏せながらも明らかに自身問題用紙に目を向けず、左右に顔を傾けまくっている受験者がいた。当然最初は緊張をほぐすためちょっと首を動かしている程度なんだろうなと思っていたが、かなりの頻度で首を振っている。最終的には近隣の受験者で最も近い左側ばかりを向く(目を向ける)ようになっていた。

試験自体初めての経験でありなおかつ補佐程度の役割なので特段の権限はないが、あれは不正行為だろう…と判断したため、別の試験監督(補佐)にメモと耳打ちで状況を説明してその方にも確認してもらった。その方の判断も黒。しか問題なのは、その受験生の行為絶対意図した不正行為であるという確証が無いという点。

先述の通り緊張をほぐすために首を振っていただとか、もしくは体調だとか身体的特徴の影響からうっかり左側ばかり見ていただとかの可能性も0ではない(※まぁ今でもあれは隣の受験者の答案用紙見ようとしていたんだろうと思う)。

そこから教室中の試験官全員に異様な緊張感が走り始めてた。教室の前方真ん中に座っている試験監督受験者名簿(顔写真付き)を見て当該の生徒について確認したり、試験監督内で決めていた不正行為対策のための見回りのルーティンもぶち壊して、カンニング行為を働いているであろう受験者をなるべく悟られないように常時監視したり。一般入試特有試験中退出(休み時間の間に他大の合格が分かり現在受けている大学試験放棄してそのまま帰宅する人)だとか、そもそも出席していない欠席者分の解答用紙に欠席の手続きをするのも試験官の仕事自分担当していた試験会場では試験官全員が欠席手続きをする(解答用紙に受験者名や受験番号を記入して用紙全体に"欠"と記入する)のだが、今回は緊急で試験監督補佐を一人、例の受験者をメインで監視する目的で欠席手続き役割から外された。その外された人物が私だった。

結論から申し上げると、その生徒はカンニング行為をしていたと認められなかった。認められなかったというより、カンニング行為をしていたという絶対的な確証がないため認めることができなかった。

後ほど聞いた話では、その教室にいた試験監督試験監督補佐たちも、全員あれは恐らくカンニング行為であったという認識であった。だが、確証はない。ただ首を振っていただとか、隣の解答用紙なんて見ておらず全く別のところを見ていただとかと言い訳をされてしまえば正直それまでである。電源の点いたスマートフォンを使っていただとかカンニングペーパーを持ち込んでいたなど物的証拠があれば一発アウトなのだが、"近隣受験者の回答を覗いていた"という行為に関しては、カンニングをしていたという絶対的な証拠が残らない。いざあの受験者を不正行為として取り上げていたとして、もしも本当に不正行為を働いていなかった場合試験監督は取り返しのつかない行為をしてしまたことになる。下手したら受験者の一生を左右する行為にもなりかねない行為である。かといって目の前で行われていた不正行為に目を背けてよいのかという正義感にも苛まれつつ、試験時間が終了して、いつも通り問題用紙・解答用紙を回収して撤収した。

今でも当時の判断試験監督に件の受験者がカンニングを行っているので不正行為のため退出させるべきだと進言するべきか否かという相談をしなかったことが正しかったのか、正しくなかったのか分からない。ただ先述した通り、試験監督受験者のカンニング行為については試験時間中に認識していた。それでも監督は実質黙認していた。当然試験監督も、"もしも不正行為ではなかった場合"を想定していたのだと思う。その結果試験官全員が、受験者がカンニングをしているのを認識しつつも黙認してしまうという空間が生まれしまった。

ちなみにその受験生は残り時間30分程度になるとカンニング行為をパタリとやめてしまった。試験官が怪しんでいることに気づいたの、はたまた解答が終了したのかは定かではないが…。

センター試験も終わってこれから一般入試も始まると思うが、受験生にお願いしたい。頼むからカンニング行為はしないで欲しい。行為をしている本人も精神をすり減らすだろうし、それ以上に試験官も精神をすり減らしてしまう。最悪の場合お互い最悪の結末を迎えてしまいかねない。不正行為は一切せず、自身の実力を全力でぶつけた真剣勝負でお願いします…。

2019-11-22

数学人生を総動員して理解すればよいと

数学科所属していた頃に理解できずに落ちこぼれた素材なのだ

今でも忘れられないは、テストときだ。たしか2時間ぐらいのテスト時間にもかかわらず、まったく何もわからず、ただただ答案用紙トーラス(ドーナツ形)の絵を描いて時間が過ぎるのを待った。早々に答案を(白紙のまま)提出して退出する勇気はなかった。あれほどの退屈な時間と、あれほどの屈辱時間は、他に経験がない。

ゼミで輪読をしたとき、それがほとんど最初のほうである

にもかかわらず、何も理解できないまま、夜な夜な英語の文面を呆然と見つめていたものだった。可換環論が当然の前提知識となっており、それを理解しようとすると、その前提にはもっと初歩の代数系集合論が利用されており、それを紐解こうとすると、「無限後退」に陥るような気持ちになって、目眩がした。

「生まれ直すしかない、いや、生まれ直しても間に合うまい

という悲観が心に渦巻いた。このようにして、ぼくは、数学科落ちこぼれになった。

このときのぼくの認識大間違いだったことがわかったのだ。

当時のぼくがいけなかったのは、「数学を、目の前にある本や、講義ノートの、そのままの字面から理解しようとする」ことから一歩も外に出ようとしなかったことだった。ぼくは、「数学理解する」という行為限定的に閉じ込めてしまい、もっと広い外界にアクセスしなかったことが災いしたと気付くことになった。数学を(いや、どんな学問でもそれを)理解する、という行為は、人生を総動員して行うべきものであり、そうしさえすれば、(それへの愛と欲求がある限り)理解不可能なことでもそんなに難しいことでもない、ということだとわかったのだ。

 実際、ぼくには、理解するための作業が、数学科だった頃と大きく違う

ものとなった。例えば、数学的なアイテム理解しようとするとき、専門書に書いてあることをそのまま受け入れようとする努力を捨てるようになった。それが抽象的すぎて、とても自分感覚ではついていけないと感じたときは、そこに書いてあることを自分によくわかる別の言葉記号に置き換えていく作業をすることにした。

2019-04-11

ハンバーグの作り方

実家の片づけで学生時代家庭科テスト用紙が出てきた。

ハンバーグの作り方の問題で「肉を①が出るまでこねる。」の①のところを埋める問題

答案用紙に「汗」って書いてあった。

当然間違い。

しかし正解も分からない・・・

2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

2018-12-15

学校でまだ教えてないことをやったらなんたらとかいうやつ

学校で少しだけそろばんやる授業があったときに私はすでに3級持ってたし、

学校英語の授業が始まる前から習ってたから授業内容はすでに知っていた。

授業内容が簡単だなと思ったけどそれでムカついたり、

教わってもいないテクニックを使おうともしなかった。

教わってない方法答案用紙を埋めたらバツになるだろうなと思うし、埋めようと思わないし

仮に教わっていない方法で解いてしまって、それで「まだそれは教えてないから」って怒られても、減点されても、

単純に悪いことしたな、とか、(自分が)ミスったなと思うだけだろう。

最近そういう話題で憤慨している人たちを見かけるたびに(この人たちバカなのかな)と思う。

そして、こんなことで突っかかってこられる教師は大変だなぁ、と同情。

2018-07-04

国語担当教員を慕っていた頃の話をする

□ふと、唐突中学の頃の国語担当していた先生について思い出しました。3年間国語の授業の担当をしてくれて、学校教員という職業にそぐわない皮肉な笑みが印象的な先生でした。

□簡潔にいうと、私はその先生性的な魅力を感じていました。容姿は「がまくんとかえるくん」のがまくんを想像してもらうといいでしょうか。声は嗄れていて、私はその声で音読しているのを聞くのが好きでした。やんちゃ男子たちをその嗄れた声で困った風に諌めるところが好きでした。年齢は一回り以上違ってたはずです。

□きっと、その先生は私なんかのことは覚えていないでしょう。なにせ、先生は私のクラス担任になったわけでもありませんでしたし、私は飛び抜けて秀でている生徒というわけでもなかったのですから

□その先生によく声をかけられている優秀な生徒がいました。私はそれがとても羨ましかった。その子のことはよく知りませんでしたが、陸上が得意で、勉強もできて、異性同性ともによくモテるということだけは知っていました。それぐらいその子有名人だったんです。なぜモテるのかは最後まで話すことがなかったのでよくわかりませんでしたが。

□その先生に言われた言葉でよく覚えている言葉があります答案用紙を返却するときに呟いた「増田はなあ……」という言葉です。こんな取り柄もない私のことを頭の片隅においてくれていることが嬉しかった。私についてその先生発言したのはそれ一回ぽっきりでしたがそれでもよかった。

□今も昔も私は読解力というものがあり得ないほど欠如しており、国語テストは最高で80前半をとるくらいでした。ほとんどの国語テストは70を切っていました。とはいえ、国語のものが不得意というわけではなく、アウトプットはそれなりに得意でした。

先生が一番最後の年に返却してくれた、私が書いた読書感想文。どこにしまったのか今ではもう思い出せませんが、点数は38/40でした。これはかなり採点が厳しい先生の中では高得点の部類であることは明白で、私は飛び上がるほど嬉しかった。だからこうして点数だけは記憶しています

□何が嬉しかったって、きっと私の文章面白がって読んでくれたであろうことが点数から伝わってきたから。題材にした本はその頃ラジオで紹介されていた「まさかジープで来るとは」。

□すでに読んだことがある方はご存じだと思うのですが、自由律俳句と散文が大量に収録されてる本。優秀なメモ書きが大量に並んでるような本で、私はこれを読んで感想文というかエッセイもどきを書きました。

母親は選んだ本がよかったのよ、と私を褒める素振り微塵も見せませんでしたが、それでもよかった。国語のその先生からもらった38/40という点数はいつまでも私の胸の奥で輝き続ける勲章になったのですから

□思った以上に下痢が止まらないままこれを書き続けています

□本当はあの嗄れた声で私のことを嗜めて欲しかったし、笑いかけて欲しかった。私のためだけに朗読をして欲しかったし、もう少し何か話せていたらと今でも思います。でもそれ以上に憧憬的な意味合いが強すぎて踏み込めなかった。今思い返してみれば性的なことができるくらい好きだったけど、当時はそういうことすら考えるのが申し訳いくらい憧れてた、尊敬していた。だから、そんな不純なことは考えないようにしていました。

□あの気持ち初恋だったらいいなあと今でも思います

□気がついたら二十歳になっていましたので、なんとなく懐かしくなって書き込みました。

□ここまで読んでくれてありがとう

2018-06-26

anond:20180626103924

田舎底辺暮らし(id:pokonan)ことにーにー(‪https://twitter.com/00kate22)

東大関係者に聞いたけど、東大入試答案用紙から性別を書く欄を無くすと男は一人も受からない。それだけ男は下駄を履かされている」とかい

誰が読んでも馬鹿馬鹿しいデマツイ(実際の東大出身者にソッコー軒並み否定されている。だいたい答案用紙性別書く欄などない)を嬉々としてRTしてたり

ディカプリオの映画「レヴェナント」を観た感想が「最初の方で男はがいっぱい殺されたのは楽しかった」、

他にもNetflixで色々映画やらドラマやら見るが決まって感想は「女がもっと残酷に男を殺しまくるスカッとするシーンを入れるべきだった」

「女が男を許すようなシーンがあったのが納得いかない。男に暴力制裁するシーンを入れるべき」

こればっかり。

とにかく男が残酷に殺されるシーンさえあれば高評価、それが無ければストーリードラマ性など問わず評価

女叩きのためのクソみたいなデマツイを拡散しまくり「女が性暴力を振るわれる場面をもっと見せろ」ばかり言うキモツイッタラーと何が違うんだ?と思う

男(やそれ以外の性別人間も)がそういう創作を楽しんだり願望を垂れ流すことは「それ自体が女への暴力だ!脅迫だ!規制しろ!」と吠えるくせにな

しかもこの人の憎悪対象は男に限らず、男と付き合ったり結婚してる女も憎んでるんだよね。

そのうち「男と付き合うクソ女とその子供を殺せ」って言い出すのが目に見えてる(てか、もう言ってる?)

フェミニスト名乗らないでほしいわ。

ちゃんプロフィールミサンドリストって書きな。

2018-04-26

anond:20180426113332

https://twitter.com/deeply_sharply/status/956224068344164357

東大受験責任者から直接聞いたのだが、

受験を男女混ぜたまま上から並べると男子が1人も合格しないのだという。だから答案用紙性別を書かせるのだと。

受験時で大いに男子にゲタを履かせてやっているのに、

社会に出たら男しか出世しないなんて、

日本女性悲劇はどこまで続くのだろうか。

実際は入試の解答用紙に性別記入欄は無かったという

2018-03-28

私の数日は彼女の数分に負ける

※この場合彼女恋人を表すのではなく、三人称彼女

何でもひょいひょいとこなす人だ。おそらく、というか確実に地頭が良い。対して私は、鈍臭くて不器用。平均より下。

平均以上の彼女と平均以下の私。

当然その差は大きく、努力で何とかなる範囲じゃない。比べるまでもない。

そうわかっていても、何度も彼女自分を比べては何度も泣いている。

テストの日だった。

私はテストが行われることが発表されてから、この日のために休みも削って勉強して、ギリギリまで復習して挑んだ。結果は6割。

沢山勉強していてもダメだった。前日まで何も見ずに書けていた単語も書けなかった。対して彼女は、テストがあったことをすっかり忘れていて、テストが始まる5分前くらいにプリントにサッと目を通しただけ。結果は満点。

何で点数がわかったかというと、この日は隣の人と答案を交換して採点する日だったから。彼女の満点を見てから返ってきた自分答案用紙。余計にショックだった。

時間の使い方が下手なのだろう。

他にもこんな感じで、勉強に限らず「私が苦労してやっとできたことでも、彼女は何もせずにすぐできる」ということが頻繁にあった。

学校にいる時は「すごいね」と言えるしそう思えるが、家に帰って途端に悲しくなる。つらい。悔しい。

親は比べないで素直にすごいと思えばいいじゃんと言う。それが1番だと思うよ私も。でも、隣にいると自分ができないことが浮き彫りになって、どうしても比べてしまう。もうこの時点で嫌な予感はしていた。いつかもっともっとショックを受ける日が来るんじゃないかって。

いよいよ就活が始まった。

自分不器用なことはわかっていたため、何度も就職課に通って、自己PRや学チカを練った。面接練習写真が良くないと言われたので、写真館に行って写真も撮った。

1ヶ月かかってようやく「これでいこう」のサインを貰え履歴書が完成した。

説明会に行き、これからエントリーシート履歴書を出すところだ。またエントリーシート対策も練らなければならない。

そして昨日、その間彼女は2次面接合格していたことを知った。

あとは個人面談を通れば内定だそうだ。

私がもがいていた間に彼女面接テストをこなしていた。

履歴書対策なんてしていない。面接練習も。写真スピード写真業界研究志望動機も。

就活解禁前に面接を進めていたのでエントリーシートを書く必要もなかった。

彼女に限らず、やらなくていい人はやらなくても内定を貰えるのだと思う。私は一体何をしているのだろう。

学校にいる間は素直におめでとう!と言えた。家に帰っても、すごいという想いは変わらない。

だけど目覚めたらまた比べて泣いた。今はもう嫌だ。会いたくない。またこんな比べる日が続くのだろうと思うと、消えたくなる。

そして今日エントリーシート書きに学校に行ってきます。はぁ。

2018-03-20

動物いじめ

高校友達八木くんという活発な男の子がいました。

サッカー部レギュラーだったが、

八木って名前だけで、いつも紙を食べさせられていました。

いつも明るい八木くんは、

無理やり紙をたべさせられても

うめぇーーー」といって、みんなを笑わせていました。

その高校も3年になり、クラスグループごとに卒業アルバム

写真を撮ることになりました。

八木くんといっしょだったグループは当然のように

つん這いになった八木くんにテスト答案用紙を食べさせているところを

撮ってもらおうとしたが、八木くんが突然

「なんで、オレが紙をくわなきゃいけねーんだよ!!」とマジギレしました。

事態が飲み込めないクラスのみんなはぽかーんとしていました。

みんなは「だってお前八木だろ?いつものように紙を食べろよ!?

と思いました。

「いつもいつも紙をくわさせやがって!!ふざけるな」

八木くんはどんどん怒りを増幅して、さらに怒りました。そしてどこかへ消えました。

みんなは、ようやく「ああ、八木くんは紙を食べるのは嫌だったんだ」と気が付きました。

仕方がないので、みんなは八木くん以外で写真を撮りました。

まだ、八木くんは帰ってこないので、探しました。

しばらく探すと、八木くんは屋上のフチに立っていました。

誰かが「やっぱりあいつはヤギだったんだじゃーねか」とふざけて言いました。

周りは失笑していました。先生も笑っていました。

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