はてなキーワード: 中頭とは
・霞ヶ関基準だとよくあるレベルの、気の回せないウスノロに相応の注意しただけで、ぬるい県の地方公務員を国家公務員に引き上げてやろうとしたのに。むしろ県民には有益だろ。
・お土産持って帰ったから何やねん?別にそれで変な便宜をはかったり、官製談合した訳でもないし、県の実務に影響してないだろ。今までおこぼれもらってた職員の単なる嫉妬だろ。
・キチガイがアジビラなんて作って撒いて自殺して、精神病んだ奴の迷惑行動だし、統失の奴なんかよくいるんだから。
・東大出て総務省官僚やって激務微妙な給料で国に尽くしてきた俺が、何で1000人以上いる県職員の中で精神病者の1人2人が自殺した程度で人生狂わされなきゃいけないんだ、それくらいの割合で病気の奴なんているし死ぬやつだっているだろ。俺のキャリアが潰されるのは国の損失だし極めて理不尽。
こういう事なんだろう
合理的に考えれば言いたいことは結構分かるんだが、世の中頭よりも感情で動く人間が多いんだしそれを表に出しちゃあ終わりだろと思う。
やあ、アラサー人生初一人暮らし一ヶ月の日記でけっこうブクマいただいた増田だよ。
二ヶ月前は色々なアドバイスや温かいコメントをありがとうございました。
とくに同じような境遇の人からもコメントをいただけたのが嬉しかったです。
その方は元気に一人暮らしをしているだろうか? していたらイイな。
私は残念ながら精神を病んで、メンクリ通い&休日は頻繁に実家に避難する生活になってしまいました。
端的に言えば、一人暮らしが自分の気質に合わなかった、それだけ。
家事はそれなりにちゃんと回せているので汚部屋になっているとかではないし、独身男性としては健康的な生活ができている方だと思うし、仕事はちゃんと行けてるので、おそらく傍から見たら何がそんな辛いのか分からないような状態だと思う。
なのに、精神的なモノ──内側から来る不安や苦痛が際限なく湧いてきてメンタルがダメになった。
医者からは不安障害の傾向があると言われて、薬を出され、カウンセリングに通ったり、認知行動療法をやったりしている。
「一人暮らしが合わない、嫌い、辛い」っていうのはあるんだけど、個別的な問題については別に耐えられないようなモノではないんだ。
内容自体はたぶん、一人暮らしなら仕方のないことや、一人暮らしビギナーなら多くの人が直面するような、その程度のモノだと思う。
ただ、そこから「今の合わない生活をいつまで続ければ良いんだ?」、「結婚もできず両親も亡くなって天涯孤独になったらこの寂しい暮らしが死ぬまで続くのか?」、「日々の暮らしはちゃんとできているようだけど、実はなにか致命的な見落としがあって数カ月後にそれが噴出するんじゃないか?」みたいな長期スパンの問題を考え出すと、四六時中頭の中で不安が渦巻き出して、今の暮らし全てが辛く感じるようになってくる感じがする。
さらに、ずっと不安や苦痛が積み重なっていくと、そこから派生して、今の暮らしで目に映る自分の部屋や周囲の街にまで嫌悪の感情が張り付いて、「ここにいること」そのものが嫌で嫌でたまらなくなっていく感じ。
もともとけっこう気質に偏ったところのある人間なので、まあ完全に内的な要因なんだよね。
だから、外的な要因から改善を図ってもあまり効果がないのも辛い。
例えば、苦痛の一つに「孤独感」があるんだけど、それに対処するために、旧友に声をかけて縁を繋いだり、婚活イベントに申し込んだりはしたんだ。
でも、やってる時は気分が良くなるし、確実に現状改善の方向には進んでいるハズなのに、だけど結局、活動が終わって家に帰れば不安が蘇って来てしまう。
そんな感じで、内側から半ば無根拠に無限に湧いてくる負の感情に耐えられず、医者にゴーすることになった。
個別的な問題については耐えられないようなモノではないといったが、せっかくなので自分にとって一人暮らしで合わなかった点を書いて行こうと思う。
基本的には二ヶ月前に書いた辛かった点と同じだけど、三カ月も暮らすと何が嫌かの解像度が増すね。
・孤独が辛い
なんか何をやっていても虚しくなる。
家で、誰も自分のために何かしてくれないし、自分が誰かのために何かしてあげることもない。
他愛ない雑談で「こんなことしたんだ」と報告することも、されることもない。
それが凄く生活を味気ないモノに感じさせる。
(医療費がかかったり、実家避難時の交通費がかかったり、逆に実家でタダ飯を食わせてもらったり、平常な一人暮らしなら発生しない+-があるのでアレだが)二ヶ月間、家計簿を付けてみた。
その結果として、やたらめったらドケチ生活を送る必要があるほど余裕がないわけではないことが分かった。
というか、わりと余裕はある。
特に食費。
理性と計算では「もっと良いモノ食っても大丈夫だよ」、「嗜好品とか買っても良いんだよ」と答えが出ているのに、感覚がそれを否定してくる。
……家賃なんかは出費としてはもっとも大きい項目だけど、精神的にダメージにはならないんだよな、日付や金額が決まっているから。
食費や日用品代みたいな、日々少しずつ財布の中身が削れていく感じがダメで凄いストレスになる。
生きていくのに金がかかるのなんて当たり前のことなのにね。
例えば、掃除をどのくらいの頻度でやれば良いのかみたいな話。
単純な綺麗・汚いの話で言えば、俺は特別、潔癖でも、大雑把でもないと思う。
ただ、どの程度までやれば問題ないか基準が分からず、こんなもので良いのかな? 不衛生じゃないかな? 逆に神経質になり過ぎではないかな? と常に不安が付きまとう。
もっと実家で家事をやっていれば、その時の感覚を適用するだけで良かったので、親に甘えていたツケが回ってきたんだろうなぁ。
その他、何につけても全部自分で物事を決めないといけないことが辛い。
昔、なにかの本で「発達障害傾向のある人間は一つ一つの決断に非常に精神エネルギーを使う」みたいな内容を読んだことがあったが、まんまそんな感じ。
実家にいたら「朝起きる」という行為に「朝起きて自分の部屋を出てリビングで家族におはようと言う」というようなプロセスがあってそれで目が覚めたけど、今は1K住まいなので、部屋の移動もほぼなければ、誰かにおはようということもない。
実家で飯を食べるなら時間が決まっていたけど、一人だとそういう強制的に時間を縛られることもない。
後者に関しては、それが自由でハッピーという人の方が多いのだろうけど、でも私は行動でも時間でも外的に区切りを与えてもらえないとなんか落ち着かないタイプだったりするので、家での生活がのっぺり続いていくのがけっこう苦痛だったりする。
……この中で一番辛いのは、圧倒的に孤独感。
これも短期スパンで見ると、「あ~、寂しいな~」レベルの話でしかないんだけどね。
少ないながら時々会って遊ぶ友人もいるし、LINEで連絡すれば応えてくれる家族もいるので、孤独から逃れる術は今はどうとでもなる。
ただ、何十年か先の未来、自分が天涯孤独になる想像がふと湧いてくると、耐えがたいほどに辛い気持ちになる。
私は兄弟も同世代以下の親戚もいないし、友人とだっていつかは疎遠になってしまうかもしれない。
結婚はしたいが、彼女いない歴=年齢の上、一人暮らし程度でこんなに精神がボロボロになるメンタルポンコツ野郎なんで、できる自信もあまりない。
だから、天涯孤独はわりと現実的な未来としてあり得るイメージだ。
そのイメージが頭にこびり付き出すと不安で不安でたまらなくなる。
今はそれが一番辛い。
不幸中の幸い、メンタルの方は、生活が立ち行かないとか、仕事にも行けないとかになるほどの重症ではないので、とりあえず薬やカウンセリングで騙し騙ししてこのまま一人暮らしを続けるつもり。
これもまた幸いなことに家族もメンタル系の病気に理解がある方なので、マジで生活できないほど重症になったらいつでも実家暮らしに逃げ帰って来て良いとは言われているけど、まだそこまでではないので。
ただ、一人暮らしの当初の目的が、親が死んで天涯孤独になっても生きて行けるようにor結婚した時に奥さんに迷惑をかけないように、自力でも生活できる能力を身につけることだったので、(メンタル問題はともかく家事とかのスキル面で)十分な能力が身に着いたら、実家に帰りたいなぁとは思っている。
とりあえずの目標はオールシーズンの家事を経験するため、一年を乗り越えること。
本当はもっと一人暮らし続けなきゃ自立もへったくれもないとは思ってるんだけど、ひとまずゴールテープを用意しないとやってられないので、まず一年を乗り越えて、そこから先のことはまたその時に考えるつもり。
でも、この家や街にはもう負の感情が染みつきすぎているので、どんなに長くても二年後の賃貸更新までには今住んでいるところからは出て行くだろうな。
その時、まだ一人暮らしを続けることを選んだとしても、他の街に移り住むことだけは決めている。
結婚したいなら、一人暮らしを続けていた方が当然優位なんだろうなぁとは思ってるけど、ただ、本気で結婚したいならまずメンタルの健康を人並みに治さないと話しにならないと思うし、これも未来の自分の精神状況次第だなぁ。
客観的にみると、私はそれなりに優秀な人材だ。それなりの大学の修士卒で、かなり大手の企業に就職し、それなりの給料も得ている。
しかし、年々自分の自己評価と客観的な評価とのギャップに悩まされるようになってきた。「もっとあの時うまくできたんじゃないか」 「もう愛想つかされたんじゃないか」そんなことで四六時中頭の中がいっぱいであり、ここ数年、ぐっすりと眠れた記憶がない。
これは謙遜ではない。真に自分は仕事ができない。資料はどんなに時間をかけてもきれいにならないし、人前で話させれば噛みまくる。自分で自分が何を言っているのかわからないほど、筋の通らない話しかできない。準備すればするほどドツボにはまっているかのような感覚になる。
自分のやった仕事に一切自信が持てない。自信が持てないというより、全然いい仕事ができてないことに自信がある。そういったことを同僚や上司に正直に告白することができる年次はとうに過ぎてしまった。年々焦りが強くなる。
本当につらいのは、人事評価という点ではなんとなくごまかせていることだ。他人のやったことをさも自分がサポートしたかのように取り繕い、自分の実力をアピールする。ヒルみたいな性格だ。
大スーパー頭突きはガードされても少し離れた位置で-4Fでほぼ何も確定しないから、
届かない技で暴れてくるなら大スーパー頭突きでワンモアしたり、リターン重視でパニカン狙い大P降ったり、
遠い間合いから本体を直接潰す長い技をガードしたりインパクトするだけでそれっぽくなる
ドライブラッシュ大P>236K2P派生>大百貫>前ステで投げが届く距離且つ4F有利なので投げと打撃と投げ抜け狩りの理想的な攻めが出来る
ゲージあれば大百貫をOD百烈張り手からSA2か、大百烈張り手にしてSA3や!
スト6の戦い方は結構キャラごとに応用聞くことも多いので、とりあえず勝ち筋太い本田で気張るのおすすめやで
がんば!
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
今まで一度も彼氏ができたことがなく、まともに恋愛したこともない。
最近、友達に「アセクシャルなんじゃないの?認めなよ」と言われた。
その友達は会うたびに私にアセクシャルなんだから認めろと迫ってくる。
確かに私は自分から恋愛の話はしない。話すこともないし、もし好きな人がいたとしても自分からその人の話をしたくない。
理由は彼氏がいたことがない自分から恋愛の話をするのはなんだか気が引けるし、そういうのは自分の中だけの問題にしていたいタイプだから。
なのにその友達は、今まで好きな人がいたことがないのか?それはおかしい。性欲もないんでしょ?もうそれはアセクシャルなんだから認めろと毎度欠かさず言ってくる。
今まで受け流しているけれど、さすがにうざすぎる。デリカシーなさすぎだと自分で思わないのか?
友達は私のような人の気持ちは理解できないだろうけれど、次に会った時のために言い訳を考える。
まず、私も人にときめいたりすることもある。
あの人かっこいいな、やさしいな、いい人だな、もっと知りたいな、と思う。
私が好きな人が私を好きにならないだろうし、周りから恋愛しない人だと思われているのを知っているので、誘っても「デート」だと思われないだろうなと思って気が引けてしまう。
また、都合よく自分がいいなと思った人から誘われるほどモテないので、発展しようがない。
「アプリを早く始めろ」とも言われるけれど、そこまで恋愛に対するモチベが高くないからやりたいと思わない。
好きな人と付き合いたいと思うけれど、付き合うための人をわざわざ見つけたいとは思わないから。
普通に一人の時間を充実させればよくない?まあそりゃあ、恋人と一緒じゃないとできないことはあるだろうし、そこでしか感じられない気持ちもあると思うよ。
でもその経験を得るために他人(彼氏)を巻き込むくらいなら私は一人でいいの。
あと疑り深い性格だから、アプリで写真とかプロフィール見ても「お前誰やねん」しか思えなくて会う気にならないんだわ。
きっと私は、傲慢で、なのに自信がなくて、恋愛に対するハードルを自分の中でめちゃめちゃ高く設定しているし、恋愛に幻想を抱いているんだと思う。
あとはお前らと違って人生の中で恋愛に対するウエイトが高くないんだよ。
彼氏ほしい気持ちはあるけど、別にいなくてもいいと思っているの。世の中にはそういう人もたくさんいるよ。
わかった?まあ年中頭の中が色恋であふれてるお前らには分からないかもね。
でもアセクシャルじゃない人の中にも多様性があるってことを分かってよ。
分かったらもう、私の恋愛のことはほっといて。
小生 22歳。今までの人生で何度か経験したことがある「その女性を好きすぎて苦しくなる」。これが恋心というものなのかは分からない。
その女性について調べまくる、片っ端から動画を見まくる、TwitterとかYouTubeのフィルター使って最新の情報を、最新の彼女を知ろうとする。
その女性が一番カワイイ、いつまでも顔を見ていられる、その女性が誰よりも輝いて見える。あぁ変顔もカワイイ。オンの時もオフの時もどっちも好き。
とにかく、うまく言葉に表すことができないこのモヤモヤ。四六時中頭の中にその女性が浮かぶ。寝付けない。仕事や勉強に集中できない。とにかくモヤモヤ。
時間が経って忘れる以外このモヤモヤを消す方法はない。忘れるまでどれくらい時間を要するか分からない。
忘れたいから見るのを避ける...だけど見たい...の葛藤。忘れてしまうのもまた辛い。
とにかくそのあいだずっとモヤモヤしてる。苦しい。ただ苦しい。「あのきっかけがなければ今こんな苦しい思いしなくて済んだのに」と後悔する。
”苦しいモヤモヤ”
時間を待つ他に、どうすればこの苦しいモヤモヤは消えてくれるのか。その女性の画像を見ても動画を見ても声を聞いてもいくら見聞きしても消えない苦しいモヤモヤ。
実際に会えば満たされるのか、セックスすれば満たされるのか、結婚すれば満たされるのかそれは分からない。
所有すれば満たされるのかな。
分からない。
この名状し難い苦しいモヤモヤ。
細かい状況は違えどあまりに私の心象体験と似ていてのめり込んで読んだ。読んでいたら当時を思い出して心臓がバクバクした。当時は本当にしんどかった。
違うのは私の場合はBさんに相当する人(以下Bさんモドキ)の下についた点。Bさんモドキは1年前から同じ仕事をしていて正社員。
私は非正規の立場(下の立場)で後から参加した形だ。ペアで仕事をするので本当にしんどかった。
Bさんモドキは同僚とはよく通る大きな声で明るく笑って楽しく話し、相手を攻撃するような事は言わないので印象がいい人だった。
仕事面では前年度の経験はどうした?っていうほど無知で、肝となる部分の素養がない上、知識もなければ勉強する気もないので、Bさんモドキが通った後はほぼ荒地となる。
あまりに色々知らなすぎて、小学生に無理やり大人の仕事をさせているような感じだった。
寧ろやらないでくれた方がいいが不適切な対応をするのでトラブルになる。Bさんモドキが起こした問題の尻拭いは全面的に私がやらねばならない。ペアだから。
その原因が自分だとは夢にも思っていない。私にとってはBさんモドキは「荒し」でしかなかった。
見ていると問題を誘発するような事をしており、最初はわざとかと疑うほどだった。
荒れた状況を私が走り回って頭を下げて収めても当然のような顔で平然としている。感謝や謝罪の気持ちなどというものは持ち合わせていなかった。
あまりにまずい仕事っぷりに私が手をつける範囲が広がり、最終的には全部私がやることになり仕事量も心も身体も本当に大変だったが、本人は全然気にしていなかった。
Bさんモドキは今まで一緒に仕事をしてきた中で最も仕事ができない&問題を起こす人で、私は半年後くらいから夜も眠れなくなった。
そのうち大きな問題を起こしたが、それに対応している時も本人にその自覚はなくガハハといつも以上に高らかに笑っていた。
でも元増田も言うように訴えても言葉では伝わらない部分が多く、周囲の理解を得られないのもしんどさを強めたように思う。
一方的に強烈な理不尽を浴びせ続けられるので四六時中頭から離れなくなり、胃とか胸の辺りに何かが蓄積していって爆発しそうになる。
あと、呼吸をするように嘘をつくという点も同じで恐ろしかった。Bさんモドキは「他人が見ていない」🟰「なかった」という認識のようで、自信満々で自分のストーリーをスラスラとしゃべる。
自分に都合のいい事が真実だと信じ込んでいるようだった。誰が考えてもBさんモドキの仕業の事も「えっ?全然知りませんでした!」と屈託なく即座に言える人だった。
あと、発達障害と言う人がいたが違うと思う。発達障害の人は人付き合いに難がある事もあるが、ごまかしたりしない。
予想外の方角から計算高い言動が飛んでくるのでいつも緊張感を継続して警戒していたが、あまりに自然に振る舞うのでいつも全面的にストレートを浴びてしまう。
とにかく私はBさんモドキから離れる事を目的に辞めたが、上司もBさんモドキの異常性を認識していながら何もしない事も原因だった。
しないというよりできないのかもしれない。皆私の大変さには同情してくれたが本人は何も変わらなかった。
Bさんモドキは翌年、起こした問題の影響が及ばない部署に移され再度非正規と組んでいる。
ちなみに前年度ペアだった人も辞めている。別の理由だったらしいが本当はBさんモドキから逃げたんじゃないかと私は思っている。
ここ数年で市民権を得た「虚無舞台」という単語だけど、正直「虚無舞台」の線引きって曖昧だと思う。
明らかにストーリーが破綻してる!とか、明らかに時世に合ってない!とかまでいくと
虚無とか通り越して感情が動くというか、もうなんかこれは炎上狙いなのかな?そういうパフォーマンスかな?と思うこともあるし。
観劇中頭の中にいくつか疑問符は浮かぶものの、「まあいっか…」と思考を放棄してしまう舞台が本当の虚無な気がしなくもない。
結果、虚無と話題にもならず、なんなら関係者はそれなりに褒めるし、キャストオタクはそれなりに通うし、キャストは再演したいとかいう、
ただいざ友人とカフェでお茶してみると、「脚本おかしくない?」「この辺納得いってないんだよね」「再演するんなら大幅に変えてくれ」みたいな話が延々できてしまう舞台。
まあどこまでいっても趣味だし娯楽なので、自分がお金を払ったものに対して(というか、クリエイターがそれなりに心血を注いで作ったであろう…本当に注いだんだよね???という物に対して)
「虚無」という判断を下すことって勇気がいるというか、そこまでオタクに権限ってあるんだっけ…いや虚無ってほどではないんだよな…堂々巡り、みたいな。
オタクも人の子なのでダサいグッズはぜひお手に取ってくださいと言われてもとらないし、SNSで舞台名を間違う公式とキャストが多すぎると萎えるし、
主演じゃない子が主演の扱いを受けているとなんだか悲しいという、まあそんな舞台に先日行きました。
飛び散る女性の頭、自らも死のうとした元従軍看護師戦後72年…激戦地で生き、戦後は助産師で赤子抱く
もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分に約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」
元従軍看護師の木村美喜さん(89)=桶川市=は激戦地のフィリピン・ルソン島で約1年、敵の爆撃機や砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。
生まれも育ちも桶川。日本赤十字社埼玉県支部の看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外の陸軍病院に派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。
9月、マニラ初空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院は解散。絶え間ない空襲の下、部隊はマニラから北に約250キロのバギオに移動した。
悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。
埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。
4月、バギオから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいつしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」
埼玉班の仲間も一人、また一人と病気や栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだいの手紙や写真、日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。
終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラの先住民の足跡を見つけるたびに背筋が凍った。
ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉に背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。
約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員。日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。
戦後は助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。
今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争を経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ。」
アマプラで007が色々来たから2週間に1本ぐらいのペースで見ていってるんだが、5作目ぐらいで既に飽き始めてきた。
プロローグ→アクション→メインテーマ→OP→カッコイイ=スパイ=カイギ→ダンディーアピール→ボンドガール→アクション→今作のバトルBGM→ダンディーピンチ→実は余裕→フンイキワルイ=スパイ=カイギ→ボンドガールえちえち→ダンディーサスペンス→ガチピンチ→爆発→ボンドガールえちえち~ん→スパイ=カイギ=オコラレ→ラストダンジョン突入→今作のバトルBGMアレンジ→ボンドガールピンチ→メインテーマ→ほい逆転→ほいボンドガールラブラブ~ん→ほいEDだぞ泣けよ
マジで!
ハンパねえ!
いやこれは飽きるわ。
世の中頭で考えた方がいいことは多いけど、頭で考えない(身体性や突発性的案件)ほうがいいものってあるじゃん。
拙速をたっとぶという言葉がある通りスッと動いた方が総合的にみて良い場合がある。
経験を積んで時と場合により使い分けたりブレンドさせて振る舞った方がいいんだけど、進学校出身のやつって頭でばっかり考えて勝手に可能性を想定しすぎてプレッシャーに押しつぶされてない?
例えば明日朝イチでメール見てから判断すればいいのを、前の日の晩に想定されるメールの内容と対応を何パターンも考えすぎて寝不足になるようなやり口で仕事するやつ多くない?
他にメールの内容では、何度かやり取りする中で意見のすり合わせを微調整していくところを一発で細かく正確な表現を決めようとして失敗してない?
だからこそ一発で決めないでやり取りの中で方向性を互いに掴んでいくべきなのだが、頭の中で完璧や理想を考えてばかりで、簡単なメール打った方が速いということに気付かない奴が多い。
お礼言われたついでにもう一つだ。
年収290万円。たしかにこれは、高いとは言えない。けれどな。日本人の所得の分布を見ると
〜100万円:6.2%
100〜200万円:13.7%
200〜300万円:13.7%
らしい。( https://kabu.com/kabuyomu/society/128.html )
「90万」の端数はよくわからないけど、200〜300万円が13.7%なら、200〜290万円は13.7×90%=12.33より、だいたい12.3%くらいだろう。
そうすると、290万より少ないやつは、19.9% + 12.3% = 32.2% ってことになる。だいたい3分の1だ。
小学校の時の同級生がもし30人だったとしたら、9〜10人くらいは、お前より年収が少ない。まぁもしかしたら地域差みたいなもので、本当の同級生でみたらもうちょっと微妙かもしれない。けれど、日本全国で見れば間違いなく、上位3分の2だ。
これは年収だから、貯金と違って実家暮らしがどうとかあんま関係ない。
お前の仕事は、日本人の上位3分の2に値するほど評価されている。
もちろん、年収があって貯金があっても頭痛が無くなるわけではない。俺の知ってる医者は一年中頭痛がするらしい。
けれども、頭痛があるからって、いや、増田は頭痛というハンデキャップがありながら、恥じることのない実績を残しているんだよ。
https://twitter.com/ChizuruA1/status/1380552865752616966
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ChizuruA1/status/1380552865752616966
東ちづるさんの上記の話題に関してだけど、業務上必要な作業をやって感謝されるとげんなりするというか、業務上の義務で給料もらってるからやってるんであって、おめーのためじゃねーんだから感謝なんかいらねーよってなってテンション下がる。
上のリプライ見ると業務上の作業に対してもお礼を言うって人がけっこういてうんざりした。
私みたいなのって少数派なの?
そりゃプライベートで善意を期待されて応えたらお礼があってもいいとは思うけど、業務でやってることに対してお礼とかいる?
障碍者の方も業務でやってる人に対してお礼なんてする必要ないんじゃねーの。
いや、横柄になれってわけじゃなくて、業務で義務としてやってる人と受けるべき当然の権利を享受してる人で礼の授受なんて必要ねーじゃん。
やるとしてもせいぜい軽く会釈の一つでもすりゃ十分でしょ。
ここ数ヶ月気持ちの低迷が酷い。
1年目は色々あった、学ぶことも多かった、失ったものも多かった。
2年目は色々やった。なんでもやってみた。
3年目は前の年から大した変化も無く終わった…。
成長もしてないないし、生きがいも感じられない。
暇を作って新境地を見つけるんだって思った3年目も、
あれもしなきゃいけない。
これもしなきゃいけない。
ただやってるいことは、今までやって来たこと焼き増し。
クライアントの御用聞き。
見知らぬ前任者の尻拭い。
部屋の隅にある埃をかぶった3Dプリンターと、通信教育の教材を見えるたびに辛さがのし掛かる。
フリーになったし、時間をやりくりして、3D造形をやりたいと思って買って。
最初のうちはやっていた。
でも、仕事の辛さが四六時中頭に残って、仕事以外の勉強が罪悪感に感じて手が伸びなかった。
生きていて楽しいのかな…って頭を過ぎる時間に毎日どこかの時間である。
こうやって迷っていても時間は止まってくれない。