はてなキーワード: すっぽんぽんとは
大阪旅行に合わせて3回目の飛田新地に行ってきたんだが、今回も心から楽しむことができなかった。
楽しめなかったのは前回と今回で、前回はそういう日もあると思って割り切っていたが今回も楽しめず、初回補正もあるのだと思うが初めての娘があまりに良すぎた結果なのだろうと思う。
始めては友人と卒業旅行に行った時で、女の子は(座っているときは気づかなかったが)そこそこ小柄で、青いネグリジェみたいなものを着ていた黒髪の娘だった。少しツリ目がちで整った顔をしていたのもあってところどころ近所に住む少し年上のお姉ちゃん(幻覚)みたいだと思う瞬間もあった。
満面の笑みとか、全身ですごいアピールしてこっちに来て!という感じを出していたとかは無かったが顔がド好みで選んだ娘だった。
部屋への案内は手を繋いで行った。3月のまだ少し低い気温の中、彼女の手のぬくもりが童貞の自分にはとてもうれしかったのを覚えている。
時間を決めて料金を払ったらお金を渡しに行く間に脱いでおいてと指示されすっぽんぽん待機、そこからの流れは特筆することはない。童貞であることを伝えるとバックの方がやりすいからと、騎乗位からバックでフィニッシュした。
ナニをキレイにし終えたところで「卒業おめでとう」と微笑みながら小さく拍手された。
余った時間で茶をすすりながら談笑(向こうが明るく話をしてくれたので楽しかった)して、時間が来たところで席を立った。
部屋から出るとき手を広げてきたのでハグをして、「今日はありがとう」と言いながら軽く頬にキスされた。
顔も良ければサービスもいいし最高だな!なんて思いながら笑顔で飛田を後にしたのを覚えている。
その経験を引きずって、2年くらい空けて久しぶりに行った時は制服を着たロリ系の子だった。大学生という設定だったがたまに年上っぽい話をされたりと(それでも2~3個程度だろうが)、年齢が行ったり来たりしていることに気を取られて会話はそこまで楽しめなかった。
行為はまずまずだったが入ってから出るまで、流れ作業ですという感じがぬぐえなくて前回との落差に驚いた記憶がある。
どちらがイレギュラーだったのか気になりすぎて数か月でまた大阪の地に降り立ったのがこの前。
浴衣にそそられて選んだ娘は近くで見ると思ったより年上っぽかったがショートカットが似合っていて可愛かった。
行為はこの娘が一番良かったが、総合してすごく良かったとは言えなかった。
オチも何もないが、2回目は行く前の期待値を超える経験ができなくてちょっと残念だったという話。
もし次行くことがあったとして、着衣でできるところがあるならそれでやってみたい。
自分は仕事がある日は毎日に2、3度、眠気がピークに達したときトイレで10分程仮眠を取りに行く。
この時、仮眠を取るだけなら下は脱がなくて良いはずだが、必ず脱いでいる。
大きな理由は無いし、単純に「トイレだから」というだけで脱いでいるのだと思う。トイレならば「寝に行く」という行動が既におかしいのに。
自分はその10分程度の睡眠でも80%は夢を見る。そのうち40%は覚えている。
世界最小の自転車「モルダン・エルコ」 というワードが出てきたときは余りの具体性にデスクに戻った後に検索してしまった。もちろんそんなものは存在しないのだが…
こういった漠然としていて具体性のあるモノが、日常から得たたくさんの知識を寄せ集めて脳の中で出来ていると思うと人間の凄さを思い知る。 ありそうだもん、モルダン・エルコ。
今日見た夢は今までで最も壮大だった。その夢の中で、自分は地球の衛星軌道に乗っていた。
宇宙の外側に目を向けてただ廻っていた記憶がある。そこには自分の下半身を咥える大蛇とその尾を咥える大鷲がいた。さながらウロボロスである。変なウロボロスだなぁ。
宇宙を廻りながら、悠久の時を旅していた。今思えばその旅のビジョンは完全にネオ・ジオングの時間逆行である。これも知識の寄せ集めに過ぎない。
「夢」の面白いところに、明晰夢にならない限りその現状を難なく受け入れているところがある。当たり前とすら思っている。 その夢の中で、自分には何億年も前から宇宙で時間を旅している記憶があった。 その記憶が朧気ながら今でもあるのだから夢と現実の境界はなかなか難しい。
その所為で「いまから大蛇と大鷲と一緒に衛星軌道上で時間旅行をしてください。」と言われた場合、世界一の適任は自分になるだろう。来月のコンサート行きたかったなあ。
その夢は、大蛇と目を合わせながら「次はどこに行こう」と考えている途中で醒めた。先ほどまで大蛇に咥えられていた下半身はすっぽんぽんでトイレに座っていた。ウォシュレットをつけてみると、大蛇の面影を感じ…ることは無かった。
不思議なことに、こういった面白い夢は大体10分仮眠の中で見る。家で見る夢は不穏な夢が多い。熊に襲われたり、交通事故に遭って歯が全て抜け落ちたり…。
トイレの個室という閉鎖的な空間がそれを成しているのか、睡眠時間の長さが成しているのか…学者らしいことは判らないが、何かの違いが成しているのだろう。
5年ぶりに裸になりたくなった。
Playa de la Mar Bella。ビーチ全体ではなく、限られたエリアがヌーディストビーチ。ちゃんと看板でこの先が全裸ゾーンって書いてある。
カタルーニャ広場停車場(Pl Catalunya - Portal de l'Àngel)からH16のバスでPg. Calvell - Rambla del Poblenou停車場まで。徒歩の時間も込みで30分
バス停からは公園を横切って移動する。なんか途中にドッグランもあった。ビーチそのものは公園からは高台というか小山で遮られている。
小山を向けて海に向かって右側にまず行ったんだけれど、さっそく小山の上で全裸で仁王立ちしているおじいさんがいた。
でも、その時点ですごくトイレに行きたかった。で、近くの海の家的な店で聞いたんだけれど、トイレはお客さん専用だとのこと。
しょうがないので、近くにトイレはないかと小山の左側の店に行った。そしたらそこにトイレがあった。
用を足してあたりを見回す。一応ヌーディストビーチなので裸でシャワーを浴びている人もちらほらいたんだけれども、それよりは筋肉質のビキニパンツの好青年のほうが多かった。こっち側はゲイビーチらしい。皆さん概してマナーがいい。健全な出会いの場という印象だ。
こっち側の海の家の名前は「Be Gay」で、おそらく「ゲイであれ」と「陽気にやろうぜ」の掛詞だ。シャワー付近には裸の女性もいたが、着衣の人が多かったのでここで裸になるのはためらわれた。
さっきはトイレに行きたくて状況がよくわからなかった反対側はどういう雰囲気かと思って、戻ってのぞいてみると、こっちのほうが普通に裸になっている人が多い。ただしシャワーはない。ほとんどが男性で男湯っぽい雰囲気だけれど、カップルが数組いて、父と幼児が海辺で戯れていた。男女比は大体10対1くらいで、以前訪れたウイーンの混浴サウナとはだいぶ雰囲気が違う。それにウイーンのほうが夫婦連れが多かった。
私はここで素っ裸になった。ウイーンとは違って遮るものがないし、着替える場所もないのでちょっと緊張したけれど、えいやと脱ぐ。まずは上半身裸で太陽を浴びて、それから下半身も脱ぐ。パンツと下着を同時に脱ぐ。お尻丸出し。やっぱり全身を太陽にあてると気持ちがいい。
ところで、バルセロナのビーチでは普通にトップレスの女性がいる。二人連れの女性がなんだか楽しそうにしていた。ヌーディストエリアの隣なので、それこそ全裸中年男性がたくさんいるのだけれど、まったく気にしていない。私がヌーディスト的な世界に憧れるのは、相手のことをじろじろ見たりせず、自然な姿をありのまま受け入れているからだ。相手だけが着衣、私が裸(あるいは逆)というプレイに結構興味はあるけれども、ここで感じる解放感とはまったくの別物だ。
何となくだけれど、ビキニパンツのトップレスってなんかユーモラスだ。ジーンズのトップレスのほうがセクシーだ。なんでだろ? ティーバックの水着もなんかお尻丸出しでなんだかセクシーよりも面白衣装って感じちゃう。服って脱ぎすぎて裸っぽくなるととユーモラスになっちゃう。そういえばここで見かけたおっぱいの大きなすっぽんぽんの中年女性、きれいだったけれども、バルセロナ市内で見かけたへそ出しファッションのほうがよっぽどエッチな印象だった。
へそ出しと言ってもブラトップみたいなもあるし、タンクトップみたいなのもあったし、おへそまわりだけ出ていて、その周りのお腹をレースで覆うタイプのもある。
ボディスーツっていう、ハイレグレオタードみたなトップスにジーンズみたいな恰好の女性も見たけれど、腰の素肌が出ているだけなのに、すっぽんぽんよりもなんだかエッチだった。十代もいたし、ぽっちゃりした人もいた。誰も気にしていないのがいい。さすがにパンツが見えそうなミニスカートにはびっくりしたけどね。
で、何でそう感じるか。たぶん素っ裸になると、身体にはどこにも境目がなくてひとつながりで美しいって感じるんだけれども、中途半端に隠すとかえって暴いて見たくなるというか、えっちな部分が強調されちゃうんだろうな。
さて、裸で太陽を浴びてうとうとしていると、水売りのおじさんが通るのが見える。アジア人は私だけだった。アフリカ系の男性が数人いた。でも誰も気にしない。バルセロナは日本人観光客が多いけれども、ここは私だけ。無名のままでいられるって素敵。よそ者の気楽さ。
十分に太陽を浴びた私は、ほかの泳いでいる人たちに続いて、素っ裸で海に飛び込んだ。頭まで潜ったり、波に乗ったり、大股を広げて背中で浮いたりした。すっぽんぽんで太陽を浴びると気持ちがいいし、何物も遮るものがない海に一糸まとわぬ姿で飛び込むと、なんだかいろいろな汚れが流れ去っていく感じがした。これは木々に囲まれたウイーンの混浴サウナでは味わえない感覚だ。途中で急に深くなっていて、一瞬足を取られたのには焦ったけれどね。海に飛び込んで、休んで。また飛び込んでを繰り返す。
で、すごく開放感があったんだけど、ウイーンのほうがマナーが良かったかな。おっちゃんがおちんちん一往復だけいじってたし。単に皮に砂が入ったからかもしれないけど。あと、小山の茂みの中でごそごそやっている人がいた。邪魔したら悪いからよく観察しなかったけど、あれはなんだったんだろう。きっと気にするのは無粋。
あと、ウイーンと違ったのは、こっちは陰毛処理していない人がほとんどだった。ヌーディストだから自然派なのかな?
そうそう、それに、財布も浜辺に置いてある。だからウイーンのほうが安心して裸になれたかな。持ってきたのは現金ちょっとだけだったけど、服も財布も盗まれたらどうしようもない。
でも、やっぱり海にはいろんなものを押し流す力がある。何か聖なる洗礼を受けたというか、生まれ変わった感じがする。何も恐れるものがない気持ちになる。これから生きていくこともいつかは死ぬことも、自然と一体になった私は恐れることはないと。水着で邪魔されず、海水が私の全身を撫でる。頭からつま先まで。無限に広がる温泉のような素晴らしさ。それはとてもやさしくてあたたかい。来世とはこんな感じではないか。個我が消えて宇宙に包まれているのはきっとこんな安心感だ。そんな宗教的な気持ちまでも出てくる。裸になるって神聖。
とはいえ、十分も泳いでいたら普通にオーシャンビューの温泉で構わない気もしてきた。このあたりで私の全裸徘徊願望は収まってきたらしい。温泉では髪の毛を水につけたり、泳いだりはできないんだけれどね。でも、なんだかこうやって心から裸になるのは、信頼できる人の前でだけのほうがいい気がしてきた。
気が済んで、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。やり残したことを終えると、すっきりすると同時に、なぜあんなにこだわっていたのかがわからなくなる。
罪悪感とは少し違う。やる必要はなくなったかなという気持ち。もう少ししたら気分も落ち着いてくるだろう。これは再確認だ。これは自分にはもういらない要素だということの。別に外で裸にならなくても、普通に暮らしていけるという感じ。
やりたいことをすべてやってしまったという感覚が、おそらく次のステップに必要なんだ。
現に、帰宅してからは、以前は家では裸で運動していたのに、旅行から帰ったら普通に着た方がいいなって感じられるようになった。
なお、小山の右側と左側をつなぐ浜辺は人がぎっしりだった。歩いていくのがためらわれるくらい。たぶん8月のハイシーズンなのと、潮が満ちてきていたからだと思う。
バルセロナはこの時期は日没が21時だ。私がカタルーニャ広場を出たのが18時で、ビーチに着いたのが18時半くらい、脱いだのが19時、だいたい20時ちょっと前くらいまですっぽんぽんで過ごしてすっきりして帰った。服を着た人のいるところまで裸で歩いてシャワーを浴びる気にはならなかったから、軽くタオルで身体をふいてホテルでシャワーを浴びてご飯食べて寝た。
娘のはいているオムツが汚れたので、「おしっこで汚れたオムツ代えるね!このあとオムツはく?布パンツはく?(微妙なトイトレ中)」と話しかけたら
下半身すっぽんぽんの娘が座っている私(母親)のレギンスの上に座ってニコニコ笑いながら股間をすりつけつつ放尿
娘は母親をからかおうと、いじわるしようとして、こういうことをしているのだが
もう私ドン引き
今月出産予定の妊婦の私は体が疲れすぎていて、怒りもわいてこない
ただただ、ドン引き
「こんなことしたら汚いよ。お母さん、服がおしっこで汚れたらすごく困るよ」と諭すように言ったけど娘の心に響いてないのは明らか
ニコニコしている
そのあと、娘は私に抱きついて「ママ、大好き。ママはやさしい。ママはわたしに○○も◎◎もしてくれる。ママ、大好き」と言った。
うん、ありがとう。ママ、未だに娘への叱りかたよくわかってないし、甘やかしまくりだし、娘からしたらとても優しい母親だよね
最近、疲れすぎて怒りも沸かないし
そんなママももうすぐ出産のために病院に入院しちゃうから、しばらく会えなくなるよ
なにが言いたいのかわからなくなったけど、とにかく娘の叱り方がわからないし(怒りと叱りは違うから大声で怒鳴るのは教育じゃないよなと思ってる。じゃあ、どうすればいいの?って思う)、疲れすぎて怒りもわいてこないし、「母親」ってなんなんだろって思う
育児ってなんだろな?って思いながらもうすぐ二児の母になる