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2020-03-02

 最近振られたので、野外で全裸になりたい。

 もちろん、合法的にだ。なので、海外で実行したく思っている。

 たとえば、今年の6月13日にはロンドンワールドネイキッドバイクライドなるイベントがあり、環境問題を考えるという名目で、全裸自転車に乗って疾走できる。このイベントロンドンのみならず世界中で開催されているのだが、自分語学力アクセスの便利さを考えると、ロンドンが適切だろう。

 あるいは、全裸ジョギングをしてみたい。しかし、その場所がわからない。一応、ミュンヘンのエングリッシャーガルテン英国庭園)やアムステルダム公園に、全裸日光浴できる場所はあるのだが、おちんちんぶらぶらさせながらジョギングできるコースがあるかまでは確認ができなかった。

 以前調べた時には、ベルリンアルテミスウィーンゴールデンタイムか、どっちかのFKK(合法風俗)にはスポーツジムが併設されていた気もするが、そこでは全裸で走れるかもしれない。とはいえ自分ブロンド美女セックスするのが目的ではない。いや、ちょっぴりセックスしたい気もするけれど、対人恐怖症な気分のときは、とりあえずすっぽんぽんで走るだけにしたくなっちゃうかもしれない。

 いちおう、美女との混浴全裸水泳は、オーストリア混浴サウナ経験済みだ。

 別にヌーディストビーチでも構わない。バルセロナにもあるし、ほかの地域にもある。ギリシアの島で全裸日光浴をしながら一日を過ごすのも素敵だと思う。南仏の全裸リゾートにもあこがれる。タイにもあるらしいが、とにかくそうしたところはアクセスが悪く、行くのがめんどくさい。バスに揺られているうちに、自分は野外でちんちんぶらぶらさせるためだけに、何でこんな長旅をしているんだ? ってアホらしくなるかもしれない。

 賢者タイムときには、お前ローマフィレンツェヴェネツィアは回ったけれど、ナポリミラノは行ってないだろ、そこに行け、で、ついでにどこか適当なところで全裸になれ、という声もして、それも悪くない気がしている。

 単純にまだ世界で行っていない地域があるのでそこに行きたい欲もある。北欧オーロラに興味があるし、東南アジア寺院には全然足を運んでいないし、台湾も再訪したい。友人からエチオピアにも誘われている。

 オーストラリアニュージーランドも悪くないが、これからどんどん寒くなる。オーストラリアニュージーランドにもヌーディストビーチはあるし、ニュージーランドには全裸洞窟ジョギングするイベントがあるそうだが、これもアクセスが悪い。ドイツには、ハル山地全裸ハイキングができるコースがあるそうだが、これもやっぱりアクセスがあまりよくない。

 それに、合法野外露出敢行のために海外に行くのもばかばかしい。何かサブテーマがほしい。絵画とか建築とか、それで時間が余ったら脱ぐ、そういう感じだ。

 単純に裸を見られたいんじゃなくて、全裸になって自然の風に当たりたいのだ。旅行だけなら、例えば琉球グスクだとか、那智の滝とか、国内でも行ったことないところもあるのだが、やっぱり素っ裸になりたい。

 東欧美女とのエッチ金髪デリヘルがあるかもしれないが、それだけじゃない気がする。まずは脱ぎたい。だから結論としてはさっさとコロナ終結してほしい。いや、ちょっと待て、調べたらフランクフルトにもミュンヘンにもFKKがあるのか、やっぱりブロンド美少女3Pしたいぞフィーヒヒヒ! みたいな気分にもなるぞ。ああ、どうしよう。

 なんて思ってたんだけど、昨晩ピンサロ動画で抜いたらどうでもよくなってしまった。

2019-10-20

anond:20191020012021

https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185837226946490368

ん?

適正と能力関係がない事柄で採否を決めてはいけないのでは?

https://mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm

そして、うちの今回の一件と僕の発言している事に関して、生徒は関係もないわけですが、そこを勝手に紐づけて採用の可否をすでに公言しているというのはどういうことですかね?

さすがに学歴(といっていいのかどうかすら怪しいプロゴミラミングスクールだけど)差別コンプラ違反に結び付けるのは

結構無理筋だと思う。

それはそれとして、さんざん「コンプラなんか関係ねえ!儲けたもんが勝つんや!」

って主張しておいて、「まずいのでは?」って、

マジでだっせえな、かずきち尊師

2018-11-13

森田ほとり(25)の人生選択の時

今日ちょっと個人的なことを書こうと思う。まぁいつも個人的なことだけど。

目的は書き出すことでの整理。それに付随して派生するかもしれないけれど、今は控えておく。

私は現在25歳。性別は女。

都会の大学卒業後、地元Uターンして就職した。

付き合っていた彼氏(まぁ今も続いているのだが)がいたが、大学私立だったので親孝行のためと、やっぱり地元が住みやすくて好きだったので、めでたく遠距離恋愛となった。

この彼(けいし君といいます)は、同い年で同じ学年だったのだが、1年休学留学をしていたので、卒業は1年遅れ。まだ学生

まぁそんな感じで地元企業営業として働いていたのだが、半年で辞めた。

辞めた理由はいろいろあるような気がするし、全部書くと長くなるのでやめておくが、一番大きな原因は

「生きることが面倒になったから」。

大学3年くらいからこんなことを考えるようになっていって、ついにそれが爆発した感じ。

この時私は本当に死のうと思っていた。

鬱だったのかと言われればそんな感じといえばわかりやすいかもしれないが、精神科先生には鬱なんて診断もらわなかった。

(時期はずれているが二人の先生に診てもらった。一人目は「また死にたくなったら来てください」と言われた。二人目の先生には安定剤睡眠導入剤を処方してもらった。)

やりたいこともわからないし、何を指針に、何に向かって生きていけばよいのかわからないし、生きる意味なんてわからないし、生きるのってとても煩わしくて面倒だな、と思った。

けいしには話をしていた。彼はもちろん私を助けようとアドバイスをくれたが、当時の私には何の救いにもならなかった。今になってみれば、彼のアドバイスが間違っていなかったことはわかるのだが、生きることに面倒になってしまった私は、自分の現状から抜け出す意味も、そんな気力さえもなかった。

多分、彼はそこをわかってくれていなかったのかもしれない。聞いてないからわからないけれど。

そんな感じだったのだが、まぁいろいろあってまだ生きている。残念ながら自殺未遂もしていない。

単に逃げたかっただけなのかもしれない。

親とか、兄弟とか、彼とか、友達とか、会社とか、そういった社会のつながりから

こうしてまたそういうつながりに戻ってきているのだが、時々逃げ出したくなる。

とりあえず話を先に進めよう。

そして職を失った(自発的に辞めたんだから、失った、てのは変な感じもするが)私は、少しだけニートになった。

それから遊ぶ金欲しさバイトを始めた。

お金はないけど時間はある中で、自分と向き合って、何に興味を持って生きていけるのかを探る期間にしようと思った。

私には、趣味らしい趣味も、好きなこともなかった。得意なこともないし、自分には何の価値もないと思っていた。あ、これは今も変わらないか

何もない自分が、どうやって価値を生み出してお金を得て生きていけばいいのかわからない。

世の中の人間なんて、自分価値がないなんて思っている人はたくさんいるはずなのに(だからあなたには価値がある」って声高に叫んでいる人が人気を集める)、みんな何がしかお金を得る手段を持って生きていけてる。そうなるにはどうしたらいいのか、どうして誰も教えてくれなかったんだ。

夢はあった。パティシエになりたかった。

そんな中で、私の中で価値があって、人生の指針になってくれる人が一人だけいた。彼だった。

付き合いも長くなっていく中で、自然結婚意識し始めた。

アルバイトを始め、ニートからフリーターとなった私は、もうひとつジュニアスイミングスクールのコーチとしても働き始めた。こちらもアルバイト。泳ぐことは昔から好きだった。子供はそんなに好きじゃなかったけど、かわいかった。1年ほど勤め、やっと慣れてきて、もっと勉強せにゃあ、と思っていた時だった。

から同棲の話を持ちかけられた。

もともと2人で、結婚の前に同棲したいよねという話はしていた。

そして遠距離が始まって2年。お互い遠距離に疲れてきていた。

でも、時期が悪かった。話を持ちかけられたのは夏だった。せめて年度末までスイミングスクールコーチとして働きたかった。

そしたら彼が言った。

「今すぐ来てくれなければ、別れる」

普通に考えたらありえない。これがもし私の友達の話だったら、私は間違いなくそんな彼氏殴ったれ、と言うだろう。

しかも彼はまだ大学生だったのだ。卒論を期限内に書き上げられず、ゼミの出席日数が足りず、卒業できずにいた。休学しながら自分バイトをして学費を貯めて大学に通っていた。

そんな生活を続けていくうちに、大学卒業する意味がわからなくなってきたと言っていた。

彼のことが好きなのか問われると、正直今はよくわからない。

私は好きじゃない人ともセックスはできる。生理的に受け付けない人とか除いたら、そりゃずっと一緒にいたら愛とか情とか湧くんじゃないの?

今の彼が例外かと言われたらよくわかんなくなってきた。

そんな奴だったが、私の人生においては一番大切にしてきた人だった。私の羅針盤だった。彼がもし死んでしまったら、私も間違いなく後を追って死んだだろう。

そんな人の言うことだから、私はこの条件をのんだ。

…私は彼に流されすぎなのだ。仕方がないことではあるけれど。

私は彼を完璧人間だと思っていた。(あほちゃうか、と思うだろう。私もそう思う)

彼の考えを聞くと、一見理論立っているように見えるのですぐに納得してしまう。私の悪いところだ。

私自身が彼を完璧人間だと思って、すがっていたかったのだ。

お互いの両親に挨拶をした。彼の両親は自己責任でどうぞ、と言ってくれた。私の両親(特に父親)には反対された。でもその反対を押し切って、同棲を始めた。

アルバイトは両方辞めた。

私の人生2度目の就職活動が始まった。

私が前職の営業を辞めてすぐ就職しなかったのは、前述した通りやりたいことを探したいから、ということと、もうひとつ理由があった。

自信がなかった。

正社員という立場で、アルバイトより責任ある立場で、仕事を続けていく自信がなかった。壁にぶちあたったら、また「死にたい」と逃げるのではないかと思った。逃げない自信がなかった。

でも、状況は変わった。これから家賃も食費も水道代も電気代も全部払っていかなくてはならない。

人は働かないと生きていけない。自給自足不可能ではないが、現在システム自分ができることでお金を稼いで、そのお金で誰かが代わりに作ってくれた野菜を買うというものになっている。賢い生き方だと思う。でも、その働くというハードルは、おそろしく高い。

いや、私が高くしているというものもちろんある。バイトでもお金は稼げるし、私がしたくないと切り捨てている仕事もたくさんある。

だけども、やっぱり高い。

転職では即戦力が求められ、半年営業経験責任感がなくて楽だと思いながらやってきたアルバイト経験だけでは、何が即戦力になるというのだ?

まだ、見いだせていない。

そもそも志望動機聞かれても答えられない。

やりたいこと?3年近く探してもまだ見つからないんですが。

本気で探してないだけかもしれない。でも本気で探す理由がわからない。

死亡動機なら答えられるのに。

けいしに流されて生きてきた人生だな、と振り返って思う。

流されてきた、というか、私の判断材料に常にいるな、こいつ、と。

そう思ったので聞いてみたのだ、彼に。

お主の人生判断材料に、私はいるのか?と。

そしたら、いない、って返ってきた。

そういう考えをしていた時期もあったけれど、そうすると、ちゃんとした仕事に就いて、養っていけるという状況を作らないといけない。それじゃダメだと。丸くなってると。

前に二人で言ったよね、お互い自立して、それぞれが見てきた世界を共有しあえたらいいよね、って。

お互いなにがしか武器を持てたら、二人で協力した時、お互いの欠点カバーしあえて最強だよね、って。

そう、言われた。

正直、私はショックだった。

私はけいしがちゃん大学卒業してちゃん就職して、私を養えなくてもちゃん収入を得て、そして結婚して、子供ができてお金必要になってもちゃん暮らしていける。そんな未来を思い描いていた。

だってもう25だ。そろそろ子供産んでおきたいのが正直なところだ。まだ全然子供を育てられるような人間じゃない。そんな人間できていない。育児ストレス自分の子供に暴力振るう自信だってある。(そんな自信はいらない)

だけど、そろそろ、そういう時期だって思ってた。

同棲始めたし、同棲長期間するつもりもないし、いずれ近々籍も入れるだろう、と。二人で同じ未来を思い描いて、お互いがお互いの人生責任を持ち合いながら生きていくのだろう、と。

そろそろ、ちゃんとしてくれるのだろう、と。

その反面、けいしの言うこともすごくよくわかるのだ。

お互い自立して、自分人生責任自分で持つ。だけれども、パートナーとして、一緒にいる。助け合う。お互いの見てきた世界を共有しあう。人生2倍。

なんてキラキラしていて、楽しそうなの、と。

どちらを選ぶかは、私たち二人次第だ。

ただ、もし後者を選ぶなら、レールから外れて生きていくことをきちんと自覚しなければならない。

(まぁ正直すでに外れている二人だが、まだ修正はきく位置はいるだろうと思っている)

現在経験資格目的もない私が就職活動に難航している。

転職アドバイザーの人からは、これ以上非正規を続けたら、正規になるのはとても難しいだろう、と言われた。

その道を突っ走るのか。

けいしの将来だって保障されたものじゃない。向こうが稼いできてくれると思ってはならない。

子供を作れないかもしれない。

でも、人生謳歌できるかもしれない。

いつか後悔するかもしれないが、やりたいことやりたいだけやって死ねる。

そもそも私はこの道を選んでどうしようもなくなって死ぬしかなくなってもいいのだ。だっていつ死んでも一緒なのだから

長くなりましたが、そんな感じで人生選択の時なのです。今。

年上の人にこういう話をしたら、みんなレールに乗るように、って言ってくる。

それが「正解」だからですか?「賢い生き方」だからですか?

私より長く生きているから、視野も広いだろうし、知識もあるだろう。”知り合いにこういう道を選んで失敗した人がいるから、私にはそうなってほしくない”とアドバイスしてくれてるのかもしれない。

でも、自由に生きている人も少数ながらいる。多分その繋がりで、ホームレス若い男の人が結婚した、なんて話も聞いた。

こういった少数派の人たちは言う。普通大人意見を求めるな。普通になるようにアドバイスしてくるはずだ、と。なりたいものがあるなら、それにもうなってる人にアドバイスを求めよ、と。それは確かにそうだよな、と思う。

少数派で生きていくなら、覚悟必要だ。

でも、それが自分が心から求めているものならば、叶えられるんじゃないのかな、とも思っている。

とりあえず、けいしと話をしなければならない。

お互いにお互いの人生を、と考えている彼は、自分の思いを聞かないと話してくれないし、わざわざ私の相談にも乗ってくれないのだ。

ほとりの人生は、ほとりの生きたいように生きればよい、と。

私は本当にこいつに一生付いて行ってもよいのだろうか。

今ならまだ、地元にいる銀行マンセフレが、嫁にもらってくれるんじゃないだろうか。

2010-03-31

セカイカメラ事業縮小のお知らせ

元ネタ : http://sl.magsl.net/notice/9254

3月 31st, 2015 | Author: Inu Link

日頃より MagSC のセカイカメラサービスをご利用いただきましてまことにありがとうございます。

本日は大切なお知らせがございます。

株式会社グスクは、平成27年4月1日より、セカイカメラ事業を大幅に縮小いたします。弊社に期待して応援してくださった多くのお客様セカイカメラユーザーの皆様のご期待に添えない結果になりましたことをここに深くお詫びし、今後についてご説明させていただきます

(中略)

株式会社グスクは、企業存続に関して問題があるわけではございません。その点におきましてはご安心ください。今後もセカイカメラにこだわることなくARコンサルティング事業を継続し、またいずれ取り組むべき拡張現実プラットフォームと出会うことがあれば挑戦したいと考えております。

この度はご利用いただいているみなさまに大変ご迷惑をおかけいたしますことを重ねてお詫びいたします。

株式会社グスク 代表取締役社長 瀬海果美 (Inu Link)

以下は、私個人の思いをつづったものであり、蛇足ですが、ご興味がありましたらご一読いただければ幸いです。

グスク平成22年11月より株式会社エアサービスの事業部として始まりました。当時、セカイカメラに大きな将来性を感じ、来るAR時代への橋渡しとなるであろうと考えて取り組みました。その年の年末セカイカメラ日経新聞の1面に大きく取り上げられたことにより、コスタリカに続き日本でもセカイカメラブームとなりました。その後、株式会社エアサービスより事業を移管することで平成22年6月に株式会社グスク誕生いたしました。

当時はまだ、一般の方々が拡張現実(AR)を処理できるモバイル端末をもっているケースは非常に少なく、セカイカメラを利用しようと考えてもなかなか難しい状況でした。にもかかわらず多くのマスメディアセカイカメラを特集し、見たことのないセカイカメラ想像することによって記事が企画され、先入観を元に取材され、それを元にお金が儲かる次世代プラットフォームとして歪められた情報となって世に広まりました。

私も多くの取材を受けましたが、こちらが一通りの正しい情報を伝えても、それが番組や記事になるときには、取材の内容からお金が儲かる部分だけが抜粋されていました。たしかにセカイカメラの中にはいろいろなビジネスのチャンスがありました。同時にビジネスとは無関係のもっと楽しい部分もたくさんありました。

テレビ雑誌の記事を見られた多くの方々が、しかも100万人をゆうに超える人々が、セカイカメラビジネスチャンスを求めて参加されました。しかし、おそらく9割の方のケータイARに対応していなかったために、まともに起動する事すら出来なかったと思います。それほどセカイカメラブームは当時には早すぎるものでした。

私たち、ブーム以前のセカイカメラ企業は5年先の時代を見据えていました。販売されるすべてのケータイARに対応し、ゲーム広告、ナビゲーションがARになる時代です。そのときセカイカメラのようなサービスは当たり前のものとして利用されるであろうと考えていました。また、多くの同様のサービスのなかで、セカイカメラは恐ろしく秀でていました。

単なるARサービスとは異なり、非常に自由度が高く、ARオブジェクト(エアオブジェクト)の作成ツールを備え、UGC(ユーザジェネレイテッドコンテンツ)のプラットフォームであり、巨大なクラウドサービスであり、全世界ユーザ同士で利用できる手数料なしのマイクロ決済機能をもち、誰もがコンテンツビジネスに参加することができました。有料のをエアサーバ契約することで、独自ARサービスを作ったときと同様にサービスを提供したり、ゲームを公開したり、エア広告を提示することができました。そしてそれをカメラを通してリアルタイムARを体験しながら共有することができました。

セカイカメラログインできた10万人ほどの日本人は、上記のような本当のセカイカメラを楽しむことが出来たと思います。そしてこれからも楽しむことが出来ると思います。多くの友達と毎晩エアシャウトやエアポケットを楽しみ、共同でいろいろなエアタグを投稿したり、エアショットでそれと一緒に撮影したり、ARイベントを楽しんだり、エアカンバンでから新しいお店を開拓したり、家で家事をしながらエアペットと戯れたり。普段の生活の中ではまったくできない、新しい体験がセカイカメラの中にはあり、誰もが自分アイデア次第で新しいことを発明することができ、世界中の人と楽しみを共有できます。

しかしながら、多くの日本人はそれを知りません。忙しい人は、セカイカメラをそこまで知るほど利用しません。セカイカメラの奥の深さは他社を突き放すすばらしい点でもあり、同時に理解しがたいという弱点でもあります。その結果、残念ながら世の中は理解せぬまま批判的な見方をする人が多数となってしまいました。インターネットにはセカイカメラはもう終わったという記事があふれています。それを書いた人はろくにセカイカメラを見てもいないのに。

今後のセカイカメラは、世界レベルではコスタリカ好景気に押され、個人ユーザはまだまだ増えていくことと思われます。また、日本でも徐々にその楽しさが知られ、ユーザーを獲得してゆくと思います。エアタグ市場セカイカメラに限らず、世界的に盛り上がっていくことは疑いなく、今後も発展するでしょう。セカイカメラを運営する頓智ドットはすでに黒字化しており、多くのARサービスのように存亡の危機にあるわけでもなく、皆様が利用する限り続くと思われます。

私がセカイカメラからの撤退を決心したのは、セカイカメラの発展を疑うからではありません。私とセカイカメラの方針の齟齬が埋められなくなったためです。当初、セカイカメラオープンソースを標榜し、我々ユーザー権利を守り、コミュニティとのエコシステムを構築してゆくことを方針としていました。そして私たちビジネスユーザーはその方針のもとでセカイカメラの支援を始めました。しかし、今はすでに頓智ドットに創設者たちは居らず、方針は大きく変わりつつあります。マグスクビジネスはいまや日本同業他社ではなく、運営元である頓智ドット自体と競合しており、日に日に協力しあうことが難しくなっています。

これはマグスクにとっては残念なことですが、セカイカメラ全体にとっては、より安全で管理された世界をつくる上で必要な変化なのかもしれません。答えは今すぐにはでませんが、現在の状況から考えるとマグスクのような事業形態では長期的に取り組むプラットフォームではないと判断した次第です。

今回、MagSC はゆるやかながらも撤退という道を選びますが、引き続きセカイカメラの行く末をみながら Inu Link個人はセカイカメラを1ユーザとして楽しむつもりです。

セカイカメラユーザーの今後のご活躍とご発展をお祈りいたします。

MagSC Inc. Inu Link

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081029224650

あるいは外遊びが嫌いで運動神経が鈍い子をスイミングスクールなんかに通わせたりとか、そういう親はいくらでもいる。

幼稚園小学校とと通っていたけど、あまり水泳が出来ることと運動神経の鈍さに関係はなかった。そんな目的で入れるかな。ちなみに体操とセットだったので、運動神経が鈍くなることもないか。

元々幼稚園のサロンと化してていたので、目的が何か子供にはよくわからなかったけどなあ。

娘が不細工なのを心配する親はそんなに非道か

小町が炎上しているらしい。

幼い頃から本人が興味を持ったことは習わせたりしましたが、これまでなにか特別秀でた才能は見つかっていません。

学力普通です。

こつこつと努力するタイプでもありません。


中高一貫の地味な女子校に通っているので、たぶん高校卒業までは自分の容姿をさほど悲観することなく過ごせるのではないかと思っています。

娘には「姿勢をよくして、人にはにっこりわらって接すること」を心がけるよう言い聞かせていますが、現実問題として、容姿が平均以下の女の子はどういう心がけで日々過ごしているのでしょうか。


容姿以外で自分が輝けるもの・ことを見つけるのが一番かと思いますが、それはどういう風に見つけましたか?


 

一般的に「かわいいよ??かわいいよ??」と言って育てるのがいいとも聞きますが、それは小さいうちのことで、中学生になったらある程度現実直視したほうがいいのではと思っていますがどうでしょうか。

容姿が平均以下の女の子の生きる道を教えてください : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

だが、これが「考えさせられる」というのはわかるけど、「これはひどい」攻撃の対象になるほどひどいとも思えない。

特に俺は自分自身が不細工で、しかも服(に限らずありとあらゆる流行)に全く興味がないという性格のまま育ってしまって、そのことで特に学生時代までは大いに苦労しただけに、親がこういう心配をする気持ちもわかる。


実際、「世の中顔じゃない」なんて建前はそう簡単に通用しないよ。確かに「顔がよくても性格がよければ」ということはある。だが問題は、顔が悪いせいで性格を屈折させられてしまうという例がままあるのだ。一番典型的な例が「いじめ」だ。

あるいは女子校なんかでマイペースで育つと(女子校に行ったのは正解だけど)、大学生になってから悲惨な思いをするかもしれない。大学生の男のガキ、特に新入生なんてのは大抵はなんだかんだ言って顔しか見ていない。サークル活動なんかで顔がいい女の子がいかにちやほやされるか、そして口下手な男と不細工な女の子がいかにハブられるか、そしてハブられた人間がいかに「コミュニケーション能力」に自身をなくして就活で損をしているか、逆にちやほやされた連中が自信をつけて「勝ち組」路線を邁進するか、いいか悪いかはともかく、そういう傾向は多少といえど確かにあるよ。

これでもし学歴とかがなければ、本気で「ニートになるしかない」と思い詰めてもおかしくないよ。実際、東大生の三割は本気で「自分がニートになる」と心配しているなんて話もあった。だとすれば、東大でもなければ本当に悲観が昂じてニートになってしまうことは十分考えられるんじゃないか?(他人事みたいに言ってるけど余り他人事じゃないからこう書いてるわけだが)


小町では「大学生になったら化粧もおしゃれもするよ」なんて意見が大勢を占めているが、とてもそうは思えない。服や外見に何の興味も持てない人間というものは存在する。そして、私学の男女別学校なんかで生きてこれば、「それでいいんだ」という確信ができあがってしまう。そして、「人を不快にさせない程度の服や化粧はマナーだ」と言われても、「お前が勝手不快になることに責任なんか取れるかボケ」いう反発しかできない人間ができあがる。まあ要するに俺のことなんだが。こういう反発が間違っているとは俺自身微塵も思わないが、しかし正しいことだけを貫き通して、外見しか見られない馬鹿どもが跋扈する世の中(まあだいたいいつの世もどこでもそうなんだが)をサバイブするってのはそう簡単なことじゃないぜ。


そういう視点から見ると、この親は客観性と先見性があるとも言えると思うんだよな。実際、外見以外の部分で似たようなことをしている親は多いじゃないか。たとえば、真面目にこつこつ勉強できないような子供エスカレーター校に入れたり、あるいは外遊びが嫌いで運動神経が鈍い子をスイミングスクールなんかに通わせたりとか、そういう親はいくらでもいる。そしてそれは金図示も非難されるべきことではないと思われている。後者の場合なんか子供がいやがっていることも多いんだけどね。


どうして外見の場合だけここまで本音と建前が乖離するんだろうね?「人間性格だ」といいながら「※イケメンに限る、美人に限る」という但し書きが付いている状況は世の中決して少なくないじゃないか。それに目をつぶれという奴は多分その辺で苦労したことがないんだろうけど、「俺はそれでうまくいったからお前もそうしろ」というのはかなり横暴な気がするのは俺だけなんだろうか。

2008-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20080824184248

いやほんとにそうだよね。スイミングスクールで泳げるようになる奴はいても、学校水泳の授業で泳げるようになる奴なんていなかったよな。学校水泳の授業は泳げるようになりたい奴には何の役にも立たなかったよな。泳げる奴はひたすら泳ぎ続け、泳げない奴はひたすらバシャバシャやってるだけの何も授けてない授業。

2007-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20071023193632

身体能力は逆相関でも無いと思うんだけどな。より絶望的になるだけだけど。

学歴高い人間にもいろいろいるけどさ、親が子供の為に金使えるってこともあるわけで

例えばスイミングスクールなんかのスポーツさせることも考えられるからな。

2007-05-29

登り棒的な思い出

小学校3年ぐらいの時にスイミングスクールに通っていた。そこではスクールの終わり5分ぐらいの時に遊具(デカい竹輪みたいな)を水中に

放り込んで遊ばせてくれるのだけど、ある日その遊具にまたがっていると突然股間に快感が訪れた。その日以来スクールの終わりごとに遊んでいるふりをして快感を味わっていた。やがてスイミングスクールは止めてしまい、他の遊びでその快感を味わうこともしないまま小学生として過ごした。

その快感は数年後に味わうオナニーとも、そのまた数年後に味わうセックスの快感とも違う、股間からはじまって腰全体を覆われるような快感だった。おれが思うに、女性が性行為の時に味わう快感に近いのかなと思ったりする。特にオチは無いです。でも自分でも性欲強い方になった

のはあのスイミングスクールの体験のせいかな、とは思う。

anond:20070529105430

2007-02-18

"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか

障害者といえば、障害者天使だのなんだのとやたら美化する人々を思い出すが、彼らは実在するんだろうか。どうも都市伝説の風味がある。「数十人で手を繋いでゴールする小学校」が嘘だったように。いや、まあ、そういう掲示板を見ると、そういう書き込みがあるので、完璧な虚像とは思ってないけども。

んで、人権擁護団体と聞くだけでうさんくささを感じて忌避しようとするほど彼らは嫌われてるわけだが、下手に障害者をかばったら自分も彼らと同じに思われると感じて自衛的に障害者を嫌うってのもあるのかなあ、と。人権擁護団体のせいで人権侵害が拡大してるという、不条理な構図になるわけだ。

そもそも人権ってなによ、と言われてきちんと答えられる人がほとんど居ないのも要因か。定義っぽいものの暗誦ならできそうだけど、理解してるかというとそうでもない、みたいな。そのへんの漠然とした認識に、障害者天使だとか同和とかが植えつけられて、人権うさんくさいって意識ができあがる。義務教育における人権教育って、実務的には差別の見本市なだけだし。

人権とかポリティカリーコレクトなことを楯にされると、学校とか行政とかスイミングスクールも反対しづらいみたい。そこらは役所お得意の毅然とした対応しろよ、とも思うが、波風立てたくないんだろう。立ってるけども、そういうんじゃなくて、圧力とか。ああ、タブー視されるのもこれか。

そのへんの不満とか、わだかまりなんかが、知的障害者へ向けてたぶん放出されるわけだ。

知的障害者犯罪

http://anond.hatelabo.jp/20070218013048

誰だって、知的障害者だから犯罪をしてもいいなんて思わないだろう。

被害者にならない限り、微罪なら「知的障害者だから許してあげて」と言ってしまうだろう。

自分の事でも無いのに全力を尽くしてくれるのは過保護保護者くらいだ。

知的障害者普通学校に入れなくて「差別だ、なんだ」と言って裁判起こしたりで無理矢理入れる親もいるみたいだが、実際それはどうなんだろう。

知的障害者の子が強く「普通学校に行きたい。駄目なところがあったら努力して直していく。」という志があるなら、入れてもいいような気がしないでもないが。

大概は親が、「この子はみんなより知能の発達が少し遅れてるだけで、他はなにも問題ない」とかなんだで、入れる親だと思う。私は知的障害者の運動大会ボランティアスタッフとして参加したことがあるが、運動能力ならそこら辺の凡人よりも好成績を残せる人がたくさんいたと思う。

障害者向けの施設とは、障害者を指導し、社会にでても問題ないようにする場であるはずだ。普通高校の教員や同級生・保護者に比べれば、施設のスタッフは優秀な人だと思う。だってスペシャリストだもの。

それをわざわざ普通高校に行かせたら、学校の負担は大きくなり、結果として障害者の子は社会に出るための指導を受けられずに卒業してしまうんじゃないかと思う。

知的障害者犯罪を起こした人が、普通学校に行かされた等という統計は取ってないし調べても居ないからこのエントリーは憶測の域を出ないのだけれども。

話はずれてしまったが、スイミングスクールに関しても同様だと思う。

知的障害者専用のスイミングスクールとは言わなくても、施設のスタッフみたく知的障害者に詳しい人たちが居れば、痴漢はいけないことだと教えることが出来ただろう。

知的障害者は、知能の発達が遅れている。だから、何度もしっかり教えることが大事なのだ。それをスイミングスクールのスタッフは「知的障害者だから許してあげて」と言ってしまった。

そこがいけないんだと思う。

知的障害者は、しっかり社会に出られるまでありとあらゆる場所で適切な指導を受けなければいけないのだ。

なにがよくてなにがいけない事なのかをしっかりと伝えるべきだったのだ。

結局、犯罪を起こしてしまう知的障害者たちは、そういった適切な指導を受けきれなかったのだと思う。

つまりは、差別差別と一方的に騒ぐだけでなく、しっかりとした知的障害者への指導が知的障害者たちの犯罪率低下にかかわるのではないだろうか。

知的障害者はなに考えてるか分からない、特徴のある顔の人が多く、健常者には知的障害者を嫌う人が多いと思う。

知的障害者を嫌って、知的障害者たちへの指導を怠ったばっかりに、犯罪に巻き込まれる。という悪循環

知的障害者を嫌わず、相手の事も知ってあげ、適切に指導していければ犯罪抑制にもつながるのではないだろうか。

当時小学生だった彼女たちも単に「痴漢こわい」「クラス変えて」というのではなく「これはいけないこと」と何度も教えてあげればきっと知的障害者の人も分かったのではないだろうか。

確かに小学生には難しいことかもしれないが、それはこの社会が未だにそういうことを出来切れてないから不安なだけだと思う。

一方的に知的障害者を嫌うのではなく、ちゃんとした知識をもってしっかりつきあえば彼らも分かってくれる。その知識を一般の健常者がもっていないだけなのだ。

相手は知能の発達が遅れているわけなのだから、知能の発達している私たち健常者があわせていかなければいけないのだ。

"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか

私は"知的障害者"が嫌いだ。

と言ったら、遅れている人だとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。

私は小学生の頃に通っていたスイミングスクールで"障害者"に痴漢を受けた。

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背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。中学生に見えたが実際はどうかわからない。

プールでは順番に泳ぐので壁沿いに並んで待っている時間があるのだが、

奴は後ろに並んだ時、そっと尻の割れ目に指を這わせた。

この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。

水着なので布一枚しか隔てるものがない。

物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。

プールの中、プールサイド、挙句の果てには泳いでいてコース越しにすれ違った時まで。

痴漢は続いた。

ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。

「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃんが生まれます」

それだけ習っていたので、自分は

「もしこの男が這わせている指にセイシがくっついていて自分の体に入って赤ちゃんができたらどうしよう」

と本気で心配していた。そう考えていたことは誰にも言わなかったが。

本当に幼かったんだと思う。

痴漢にあっていたのは自分だけではなかった。

同じクラスのひとつ年下の女の子たち((確か当時自分は小学四年生くらい))もみんな被害にあっていた。

親やコーチに訴えたら話を聞いてくれた。それは恐かったねと同情してくれた。

だけれどなかなか状況は変わらなかった。「話はしたんだけどね」の一点張りだった。

母から耳打ちをされた。「あの子あの年になってお母さんと手を繋いでいたんだって。ちょっと"障害者"かなにかみたいよ」

そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。

その少し後のある日、私はいつもの火曜日クラスに用事があって出れなくなって金曜日クラスに振り替えた。

そしたらそこにはあの男が平然といた。

そして警戒していたもののやはり尻を触られてしまった。

何も変わっていなかった。何も解決していなかった。悔しくって涙が出た。

「"障害者"だからしかたないよ」という言葉が響いた。

「言ってもわからないんだから仕方ないじゃない」「可哀想な人だから許してあげようよ」

"障害者"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか?

今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。

だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。

社会に出る以上、どんなハンデを背負っていても社会ルールは守らなくてはならないし

ルールを破ったならばルールを知らなかったとしても罰せられなければならない。

そして例えばそういった人の親や保護者も、社会に出す以上責任を負う義務があると思う。

普通学校での教育が適さないならその人に合った学校に入れて

その人に合った教育を受けさせなければいけない。

人間は誰だって欠点を持っている。

障害じゃなくたってコミニュケーションが苦手だったりするのはざらにある。

だけども「設計図」つまり例えばDNA的な点などで

どうしても治らない本人にも誰にも非のない障害があるのはまた別の話だと思う。

努力ではどうしようもないものがある。しかしそれは過ちを犯す言い訳にはなりえない。

自分が将来子供を授かったとして、もし堕胎可能な時期にその子が障害を持つとはっきりわかったら

私は間違いなくその子を堕胎する。育てて行く自信がない。

自分や自分の子供が傷つくだけならまだいい。苦労しようとかまわない。

だが、自分以外の見知らぬ誰かの人生を狂わせてしまうのではないかと思うと怖くて仕方ない。

匿名だからこそ言えることだが、自分は「社会に出るのに不適切な人間隔離されるべきだ」と考えている。

もちろん、社会に出る訓練をしてそれでもどうしようもないとわかった後に。

例えば一月の男児突き落とし事件も、男性には前科があったはずだ。だが繰り返された。

わかっていたのにどうして防げなかったのか。

知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。

しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。

まだたった17年しか生きていなくて知らないことのほうが多い自分だが、いま思うのはそういうことだ。

 
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