はてなキーワード: アテネとは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ヘミングウェイ
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・05 [何県]沖縄(県
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・23 A
つむじ(を曲げる
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・26 [3択]6 7パーセント
・29 官報
・30 スクラッチ
・31e 冬瓜 トウガン
元増田よ。英語の国名はあくまで「英語読み」に過ぎないのであって、日本語読みが現地語に寄せてるものまで英語でジャッジしようとするのはどうよ。
ウクライナ語ではУкраїнаと綴って「ウクライーナ」と読むので日本語読みは現地語に忠実です。何でもかんでも英語読みを基準にすんのやめろ。っていうか英語ならユークレインだろ。
スイスには4つの公用語があるけど、そのうちフランス語ではSuisseと呼ぶので日本語の「スイス」はむしろ現地語に近いぞ(4つの公用語のうち1つに基づく呼び方を採用しているのは中立的ではないのでは? という異論はあってよい。ちなみにスイスでは4言語で国名を併記するけど、切手とかで4言語を併記するスペースがないときにはラテン語の「ヘルウェティア」を使う。日本もヘルベチアって呼ぶべきなのかもだけど今更無理だよね……)。
ドイツ語だとDeutschlandと綴って「ドイチュラント」と読むので、「日本語読みは英語読みよりマシ」とドイツ人にも好評だったぞ(n=1)。
ロシア語のМоскваを綴りに忠実にカナ表記すると「モスクワ」になるんやで。まあ発音は「マスクヴァー」だけど(アクセントのない母音оはаのように読まれるから)。
いや、メヒコはスペイン語読みでメキシコが英語読みだからね!?
ついでにブコメにも。
モスカウってなんだったんや…
ドイツ語のMoskauでは。
北京(ペキン)はそのうちに、Beijing呼びになるかも。
東アジアの固有名詞については相互主義が取られている。韓国では日本語の固有名詞を日本語に即して発音するので我々も韓国の固有名詞は韓国語読みを取り入れているが、中国では日本語の漢字を中国語読みするので、日本でも中国の漢字は日本語で読んでいる。だから金大中は「キム・デジュン」だけど習近平は「しゅう・きんぺい」なのよ(中国語なら「シー・ジンピン」になる)。
ギリシャ→エリニキ
フィンランドではフィンランド語とスウェーデン語の2つが同格の公用語で(『ムーミン』を書いたのはスウェーデン語系フィンランド人の作家)、フィンランド語での呼称がSuomiでスウェーデン語の呼称がFinland。なので「フィンランドは現地語ではスオミ」と「フィンランドは現地語でもフィンランド」は両方正しい。
ギリシャの正式国名はΕλληνική Δημοκρατίαで、これは「エリニキ・ジモクラティア」と読むけども、「エリニキ」は「ギリシャ」という意味ではなくて「ギリシャの」という形容詞なんだよね(後ろにある「ジモクラティア=共和国」を修飾して「ギリシャ人の共和国」という意味)。なので「エリニキ」を単独で国名として使うことはできない。単独で使うときは「エラザ(Ελλάδα)」。
国名が形容詞になってる例としては、他にもチェコがある。正式名称はČeská republika「チェスカー・レプブリカ」で「チェコ人の共和国」。要するに、もともとギリシャやチェコという国があったわけではなくて、近代以降に民族主義が芽生えてギリシャ人やチェコ人が住んでるところを1つの国にしたという順序なのでこういう国名になっているのね。
同じ反ロシア仲間のウクライナではフルジヤ(Грузія)、ポーランドではグルジヤ(Gruzja)、リトアニア&ラトヴィアでもグルジヤ(Gruzija)なのに、日本語でわざわざ変える必要あったの? ってなるよね。ウクライナがフルジヤって呼んでるんだから日本でもグルジアのままでよくね?
(キリル文字のГはもともとガ行を表すんだけど、ウクライナ語とベラルーシ語ではハ行を表している。スラヴ語圏の真ん中に「gの音がhの音に変わったエリア」(チェコ・スロヴァキア・上ソルブ・ウクライナ・ベラルーシ・ルシン)があって、そのエリアでは本来ガ行だった音がハ行で読まれるんだよね。たとえばスロヴァキアにある世界遺産のスピシュ城はSpišský hrad「スピシュスキー・フラト」って綴るけど、後ろのhradは語源的にはgrad、つまりベオグラードとかスターリングラードとかと同じ。だからロシア語の「グルジヤ」をウクライナ語やベラルーシ語では「フルジヤ」って読むんやね)
ミュンヒェン、ワルシャワは英語読みよりも日本語の方が原音に近い事例。「アテネ」は結構面白い事例で、まず古典ギリシャ語ではἈθῆναι「アテーナイ」。ギリシャ語は長い歴史を経て発音が変わって、Ηの文字は古典語では「エー」を表す文字だけど近代語では「イ」に変わった。さらに、θの文字も、古典語だとタ行で表されることになってるけど、近代語では英語のthに近い音というか、要するにサ行で表すのが相応しい音になっている(Θεσσαλονίκη「セサロニキ」がキリスト教関係文献では「テッサロニケー」と表記されてるのは古典語読みだからなんだよね)。で、現在ギリシャで使われてるジモティキの語形はΑθήνα「アシナ」……あれ? 「アテネ」の最後の「ネ」ってどっから来たん? 現代ギリシャ語ではαιと綴って「アイ」ではなく「エ」と読むので、古典語(あるいはカサレヴサの)Ἀθῆναιを古典語と近代語のちゃんぽんで読むと「アテネ」になるのかな? それとも西欧人の読みをそのまんま取り入れたん?
(近代ギリシャ語には2つの正書法がある。1つ目が、現在広く使われている「ジモティキ/民衆語(Δημοτική)」で、もう1つが「カサレヴサ/純正語(Καθαρεύουσα)」。近代ギリシャ語の標準語を作り出すときに、古典ギリシャ語を参考にして古文っぽさを残して作られたのがカサレヴサで、20世紀前半までは公用語として用いられていたんだけど、話し言葉からかけ離れすぎててわかりづらいわ! ということで、より言文一致(当社比)したジモティキが作られて、現代のギリシャではこちらが「現代ギリシャ語」として流通している。まあ、明治時代の日本語と現代日本語の違いを想像してもらえれば)。
そもそもカタカナで表記できない発音があるのにそれを使って記載するのが間違っている。外国語教育がそもそも問題だろうけど日本語読みで役に立つ場面なんかほぼないよね。全部現地語で表記、現地読みすべきだと思うんだけどなぁ。
「საქართველოは、Україна侵攻後のРоссияに対する経済制裁には参加していません」っていうニュースを流すことが日本人のためになるとはまったく思えない。多少厳密さを欠いたとしても、「グルジアは、ウクライナ侵攻後のロシアに対する経済制裁には参加していません」って書いたほうが日本人の外国理解に資するんだから、日本語の媒体では基本的に日本語の文字を使って表記すべき(だいたい、英語圏の連中だってニュースで日本の固有名詞を漢字や仮名で表記せずにラテン・アルファベットで書いてるんだから、当然、我々も日本語のニュースでは英語圏の固有名詞をラテン・アルファベットではなく日本の文字で書いてよい。真に公平な世界というのはそういうものじゃないだろうか)。
BBCラジオを聴いていると非英語圏の人名をわざわざ英語読みしていてそのまま現地語読みすればいいのに…と思うことがよくある。
これはしゃーないと思う。我々にはカナという便利な文字があるから、Richardをリチャードとリシャールとリヒャルトに訳し分けることができるけど、英語母語話者はラテン文字しか知らないんだから、そりゃ英語読みしかできないよ。我々だって、たとえば「『マイケル』と綴って『まいこー』と読んでクダサーイ」って言われても困るっしょ? 「いや、『マイケル』って書かれたら『まいける』としか読めんだろ」って思うっしょ? Michaelをミヒャエルと読めと言われた英語母語話者の気持ちもそれと同じだと思う。だいたい、我々もDonald Trump「ダナー・トランプ」を「ドナルド・トランプ」と書いて恥じないわけで……
えー、我々だってMcDonald’sを「まくだーのーず」じゃなくて「まくどなるど」って発音してるんだから、英語母語話者がIKEAを「いけあ」じゃなくて「あいけあ」って発音しててもよくない? 悪いのは 「英語では『あいけあ』と読むんだから日本人の『いけあ』っていう発音は変!」みたいなデタラメな理屈を振りかざす英語かぶれの名誉白人どもであって、英語母語話者が身近なものを英語ふうに発音すること自体は何も悪くないよ。彼らが身につけた綴りの規則からはそう読む方が自然なんだから。
英語中心主義が悪いのであって英語自体が悪いわけじゃない、という精神でいきましょう。へぇ、ヨーロッパの隅っこにある島々で話されてるローカル言語には変わった発音の規則があるんだなぁ、面白いなぁ、程度の受け止め方をするのが一番適切な付き合い方だと思う。あのへん、デンマーク語とかアイルランド語みたいに発音と綴りの関係が複雑な言語が多いからね……
ドナウ川の語源はラテン語のDanubius「ダヌビウス」だから英語Danube「ダニューブ」の方がドイツ語Donau「ドナウ」よりも語源に忠実だよ! あんまり英語を馬鹿にするのはどうかと思うぞマジで。
ちなみに、チェコ語・スロヴァキア語・ポーランド語・上ソルブ語でドナウはDunaj「ドゥナイ」っていうんだけど(ウクライナ語でもДунай「ドゥナイ」だね)、スロヴェニア語のDunaj「ドゥナイ」はウィーンって意味なの面白いよね(ドナウはDonava「ドナヴァ」)。
ほぼ現地語読みを尊重してるのに「ドナウ川」だけ語源で語るのはブレでは。現地語読み>>慣習読み≒英語読み≒語源くらいのウエイトでよいような。
まるで英語が変わった呼び方をしているかのように書かれていたから、いやいや英語読みは語源に沿った呼び方であって変な呼び方というわけではないのよ、と書いたのであって、英語読みが現地語よりも尊重に値するとは書いてないっす。ところでドナウ川は国際河川なわけだけど、「現地語」ってどの言語のことだと思う?
ジョージア州はジョージ2世にちなんでつけられ両方現地言語読みだからOKと思えば、グルジアも由来の聖ゲオルギオスの現地読み風に読めば良いのでは。
いや、現地語の名称サカルトヴェロは「カルトヴェリ人の国」という意味であって聖ゲオルギオス何も関係ないんよ……素直にサカルトベロと書くべきだよねぇ、やっぱし。
それを言ったらそもそもはカナク人の土地をフランスが植民地化したんだからカナク語でKanaky「カナキ」って呼ぶべきじゃない? 英語もフランス語もどっちも侵略者の言語でしょ。
新カレドニア、いいと思う。アルバニア語のKaledonia e Re「カレドニア・エ・レ」とかトルコ語のYeni Kaledonya「イェニ・カレドンヤ」ももろに「新カレドニア」だし。ただ、そうすると、カナダのノヴァスコシア州は「新スコシア州」にするのかとか(ちなみにアルバニア語ではSkocia e Re「スコツィア・エ・レ」、トルコ語ではYeni İskoçya「イェニ・イスコチヤ」)、プリンスエドワードアイランド州は「エドワード王子島州」にするのかとか(アルバニア語Ishulli i Princit Eduard「イシュリ・イ・プリンツィト・エドゥアルド」、トルコ語Prens Edward Adası「プレンス・エドワルド・アダス」。なお中国語だと愛德華王子島省)、ニューファンドランド・ラブラドール州どうするんですかとか(トルコ語だとNewfoundland ve Labrador「ニューファンドランド・ヴェ・ラブラドール」って日和ってるけどアルバニア語はToka e Re dhe Labradori「トカ・エ・レ・ヅェ・ラブラドリ」で「新しい土地とラブラドール」になってて強い。日本語化するなら「新疆・ラブラドール州」とか「新開地・ラブラドール州」は……駄目?)、色々と楽しいことになるので……
いいよねウェールズ語Seland Newydd「セランド・ネウィズ」とかエストニア語Uus-Meremaa「ウース=メレマー」とかソルブ語Nowoseelandska「ノウォセーランツカ」とかバスク語Zeelanda Berria「セーランダ・ベリア」とかハンガリー語Új-Zéland「ウーイ=ゼーランド」とかマダガスカル語Zelandy Vaovao「ゼレンディ・ヴァウヴァウ」とかラトヴィア語Jaunzēlande「ヤウンゼーランデ」とかとか……ところでニュージーランドは本来マオリ人の土地で英語は侵略者の言語なんだからマオリ語Aotearoa「アオテアロア」に統一で良くない?
節子それフランス語読みちゃう、単に自分らの言葉で「低地の国」って呼んでるだけや(英語でthe Nederlandsっていうふうに定冠詞+複数形になるのは、もともと「低地」っていう普通名詞だから。the United Statesと同じやね)。イタリア語Paesi Bassi「パエシ・バッシ」もカタルーニャ語Països Baixos「パイズス・バシュス」もスペイン語Países Bajos「パイセス・バホス」も全然フランス語Pays-Bas「ペイ=バ」とは違うじゃん?
ちな、ウェールズ語だとYr Iseldiroedd「イール・イセルディロイズ」、ギリシャ語だとΚάτω Χώρες「カト・ホレス」、クロアチア語・スロヴェニア語だとNizozemska「ニゾゼムスカ」、チェコ語だとNizozemsko「ニゾゼムスコ」な。どれも「低地の国」って意味。
なお、沖縄語の「ウランダ」は「西洋」という意味だったりする。沖縄語をしゃべるオランダ人の動画おもしろいから観て(「ウランダ出身だけど、国の方のウランダね」って断ってるの草)>https://www.youtube.com/watch?v=SB1x8iqqSto。
増田にしつもーん
・コートジボワールの象牙海岸表記をやめたような変更したほうがいいなと思う国名ある?例えば中央アフリカをサントラフリケーヌにするみたいな
クロアチアは別にクロアチアでよくね? ただ世界史の教科書とかで「クロアティア」って書いてるのは無駄に煩雑だから高校生のためにもやめてあげた方がいいと思う。現地語がCroatiaならそこにこだわるのもわかるけど、それ現地語でもなんでもないじゃん、ってなるので。現地語を尊重してフルヴァツカと書くか、大人しく慣用に従ってクロアチアと書いておけばいいんじゃ。
変えたほうがいい国名はまさに「ジョージア」だわw 既に日本語で定着した複数の固有名詞(アメリカの州、コーヒー)とバッティングしてややこしいことこの上ないので、「グルジア」に戻すか、先方がどうしてもロシア語読みは嫌というなら現地語を尊重して「サカルトベロ」にすべき。
kohakuirono 始まってもいないのにと言うけど公式サイトで「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」とか書いて極めて軽いノリでキラキラ吉原にしてるのはちょっとなあ。そりゃ怒る人も出るだろうて。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749010497224107936/comment/kohakuirono
porquetevas ほんとにイケてる等のコピーがあったのか疑ってる人がいるけど、あったよ。公式サイトの「みどころ」ページに書かれていた。今はページごとそっくり消えてる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749020844342773120/comment/porquetevas
ということなのでwayback machineから発掘してきた。2/6時点のキャッシュ
元は「見どころ」というページ。トップにはリンク用の文字は残っているがリンクは外されている( https://daiyoshiwara2024.jp/ )。元URLにアクセスしてもNOT FOUNDになる( https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html )。
見どころ
幕府公認の遊廓、江戸の吉原。本展では、他の遊廓とは違い吉原だけに備わっていた公界としての格式と伝統に注目しています。武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。
約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心でもあったのです。3月にだけ桜を植えるなど贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人たちが吉原を訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎らの出版人、文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸の文化と芸術について、ワズワース・アテネウム美術館や大英博物館からの里帰り作品を含む、菱川師宣、英一蝶、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、酒井抱一、高橋由一などの、国内外の名品の数々で、歴史的に検証し、その全貌に迫ります。
エンタメ大好き!
夏の野外フェス?!「俄」
wayback machineのURLは↓だけど重いので注意。画像などもキャッシュされている。
https://web.archive.org/web/20240206095007/https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html
( ^ω^ )
「現代に続くハイヒールの起源の説はいくつかあり、定説は定まっていない。
紀元前400年代、アテネで、背を高く見せるハイヒールが遊女間に流行した。これは男性も履いていた。
15世紀からイタリア、及びスペインで、チョピンというファッション用オーバーシューズが貴族の女性や高級娼婦で流行する。
ルイ14世は背を高く見せるために愛用していたなど、前近代から近代初期にかけては男女を問わず履かれていた。しかし、ナポレオン戦争が始まり各国で国民軍が創設されると、戦場を駆け回るために男性は機能的な靴を選ぶようになったため、ハイヒールは女性の履物と見なされるようになった。」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AB
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・1-01 [3択][ChatGPT](3)intelligence
・1-06 [3択][ワールドカップ](1)トム・ ホーバス
・1-07 [3択][歌手](2)4 人
・1-08 [3択][ハリー・ポッター](1)『ハリー・ポッターと 賢者の石』
・2-01 [3択][WBC](1)吉田正尚 よしだまさたか
・2-02 [3択][藤井聡太](3)永瀬拓矢 ながせたくや
・3-01 [3択][ヒット曲](2)金輪際
・3-03 [3択][チャールズ](2)第 5 代
・3-04 [3択][漫画](3)ヒンメル
・3-05 [近似値]1億2447万7121人
昔作ったデータ。Excelの作成日付が2004年なのでたぶんアテネのだろう。ギリシアは開催国で有利。
追記: でもよく見たら人口の少ない国は省略してるっぽいので、どんな条件で絞ってるかわかんないなこれ。あれれ、ロシアの獲得数もだいぶおかしいな。修正の必要がありそう。これ、ワンチャン開催中の途中経過かもwwwすまんwww
金銀銅を含めて夏冬10大会合計くらいで計算するともっとよいかもしれない。
1 | 🇦🇺オーストラリア | lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll 65 |
2 | 🇬🇷ギリシャ | lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll 47 |
3 | 🇷🇴ルーマニア | lllllllllllllllllllllllllllllll 31 |
4 | 🇫🇷フランス | lllllllllllllll 15 |
5 | 🇺🇦ウクライナ | lllllllllllllll 15 |
6 | 🇰🇷韓国 | llllllllllll 12 |
7 | 🇮🇹イタリア | llllllllllll 12 |
8 | 🇯🇵日本 | llllllllllll 12 |
9 | 🇬🇧イギリス | llllllllllll 12 |
10 | 🇩🇪ドイツ | llllllllll 10 |
- | 🇺🇸アメリカ | llllllll 8 |
- | 🇷🇺ロシア | llll 4 |
- | 🇨🇳中国 | ll 2 |
ワイ:
人の躰はテセウスの船と言えるでしょうか。
ChatGPT:
「テセウスの船」は、哲学的な問題や議論において使われる概念です。これは、ある物が時間の経過とともに部品が交換される場合、それは本当に同じものであるのかという問いかけを扱います。
テセウスの船の物語は、ギリシャ神話に由来しており、テセウスがアテネからクレタ島への航海中に乗っていた船を例にしています。この船は長い間の航海の間に何度も修理や部品の交換が行われ、最終的にはすべての部品が新しくなりました。したがって、テセウスの船は完全に新しい船になったという問いかけが生じます。それでも、それはまだテセウスの船と呼べるのでしょうか?
人の体やアイデンティティに関して、同様の議論が存在します。たとえば、細胞の入れ替わりや細胞の寿命に関連する生物学的プロセスにより、私たちの体は時間とともに変化します。また、精神的な成長や経験も私たちのアイデンティティに影響を与えます。したがって、人の体やアイデンティティが一貫して不変であるのか、それとも変化するものであるのかについての議論が存在します。
この問題は哲学的な興味深い問題であり、異なる哲学者や学派からさまざまな意見が提唱されています。一部の哲学者はアイデンティティの連続性を強調し、他の人は変化を重視しています。従って、人の躰がテセウスの船のようなものであるかどうかは、哲学的な視点によって異なる結論が導かれる可能性があります。
「東京2020オリンピック SIDE:A」を観に行きました。個人的には良い体験だったと思うのでシェアをしたいと思います。皆さんも観に行くと良いのではないかと思います。ただ、すごく良いかというと、少しモヤっとするところもあったので、それについてもここに書きたいと思います。
わたし自身について書きますが、映画を劇場に観に行くのは年間5本か6本ぐらいで、平均と比べるとやや多いのかもしれませんが、映画が趣味とかそういう人間ではありません。河瀬直美については、代表作の名前や作風や人となりと噂については知っていますが、実際に作品を見たことはありませんでした。ドキュメンタリーを劇場で観るのは多分初めてです。こんな私がわざわざ好き好んでこの映画を見ようと思ったのは、いろいろなところで書かれている、この映画の評判について興味深いと感じたからです。私は基本的に暇なので、ネタ探しのためにゲテモノ喰いくらいの気持ちでした。
「シン・ゴジラ」の中で、ヘリからの俯瞰の視点でゴジラと白煙を吹く街を、ニュース映像のように描いた場面を観た時、この映画は震災を経た2015年の我々日本人にしか感じることのできない気持ちを「いま」与える映画だと思い、震えるような感動を覚えました。「東京2020オリンピック SIDE:A」はそのような映画だと思います。
オリンピックが始まる1年ほど前から、オリンピックに対する気持ちは冷めきり、オリンピックなんてどうでもいいだろ、とわたしは思っていました。世の中にはオリンピックや競技の勝ち負けよりも大事なことがある。この映画では、そのことが選手自身の口から何度も発せられます。藤井風の唄うエンディングのテーマ曲の歌詞にもそのような意味が込められているように思います。世の中にはオリンピックより大事なことがあり、選手個人にも競技より大事なことがあります。その中でもあえてオリンピックに挑み、それぞれの立場で高みを目指す美しさや厳しさがそれぞれのエピソードによく描かれていると思います。そして、オリンピックをそのような、やや冷ややかな目で見ている、2022年現在の私たちの気持ちに寄り添った映画として私には感じられました。
Yahooのオリンピック期間中のアンケートでは「日本にいくつ金メダルを期待しますか」という質問に対して、もっとも多かった回答は「メダルの数は気にしない」だったと記憶しています。そして、この映画はオリンピックをそのような目で眺める私たちの気持ちをよく代弁しているように思うのは先に書いた通りです。しかし、そう考えた時に、私たちはなぜオリンピックというものを見てしまうのか、なぜそこに感動をなお感じるのか、というところに対する疑問に、作者(河瀬直美)はあまり答えてないように私には思えました。この映画のいくつかのエピソードの中では、目標に向かって努力をし、力を出し切って勝利する瞬間のカタルシスを描いているのですが、そのようなある種古臭いスポーツの良さを正面から肯定はしない姿勢を繰り返し見せられてきたので、わたし自身、「なぜスポーツを私は見るのか。スポーツ観戦で得られる感動とはなんなのか」ということを、映画の後半ずっと考え込んでしまいました。
振り返ると、時代の雰囲気として、国別対抗戦としてのオリンピックで無邪気に騒ぐことができたのはシドニーやアテネぐらいまでで、東京オリンピック前のコロナ禍が仮になかったとしても、私たちのオリンピックの向き合い方は以前と同じではなかったと思います。とはいえ、我々は(或いは少なくともわたしは)オリンピックが好きで、それを見て分かりやすく「感動」するのであり、作者自身にもその目線はあるように思うのですが、その「感動」ってなんなのか、が置いてきぼりなのです。すみません、あまり上手く書けていないのですが、モヤモヤするところ、というのはこういうところです。このモヤモヤ感自体が時代の雰囲気で実は河瀬直美はそこも含めて描きたかったのか、とかそんなこともボンヤリ考えたりもします。
他のところでも書かれていますが、この映画が、IOCの公式として製作され、公開がされているということが驚きではあります。とはいえ、私個人の鑑賞後の感想として、いろいろな価値観を内包しつつも前に進むオリンピックという存在は、以前のようなシンプルに善な存在ではないが、全体として好ましいものだと感じたので、あからさまな問題作とかそういうものでもないと思います。オープニングとエンディングには木下グループのクレジットがかなり大きくでていて、この、やや微妙な位置付けの映画のスポンサーとして彼らの力が大きかったんだろうなあ、と思ったんですが、そうしたサポートを引き出すのに、一部で言われるような河瀬直美のステージ外での政治力みたいなものがあったのかななどという思いを馳せたりしました。
繰り返しになりますが、オリンピックとそれを取り巻く時代の雰囲気をよく反映している興味深い映画なので、もし誰かに行くべきかと聞かれたら観ることをお勧めすると思います。この映画を仮に50年後の人たちが見ても、いま私たちが見るときの独特の想いは得られないと思うので、そういう意味において旬の映画なのではと思います。
映画の意味や位置付けのようなものではなく、映画自体についてあまり書いてないと思いましたので追記をします。
全体を通じて、映画の中での音のあり方が印象的でした。例えば私たちはリアルタイムでは、開会式の聖火点灯をテレビ中継の中での厳かな興奮として見ていたと思うのですが、映画の中では静寂の中で大坂なおみが階段をトコトコと駆け上がる音が強調されていたように思います。このシーンは、無観客開催という非常事態性やメディアを通じたイベントとその向こうにある現実とのギャップの象徴として感じられました。また、緊迫した試合のシーンでは、選手のフッと吐く息の音を際立たせていたり(どうやって録音したんだろうって思いました)、試合中の映像の背後に練習中の音声を重ね合わせたりといった、細かい工夫をしているのも場面を盛り上げるために効果的な役割を果たしていたと思います。
映像としての美しさという点では、冒頭の雪を被った桜の花の光景は、シンプルに美しいと思いました。また、競技会としての東京オリンピックの思い出の映像、という意味でカタルシスに欠けるかというとそういうわけでもなく、たとえばソフトボール決勝に関しては、試合展開がほぼわかる形で比較的素直に描かれていたりもします。上映時間はやや長く感じたのも事実ですが、退屈というわけではありませんでした(鑑賞前は実はかなり退屈なのではないかと覚悟をしていました)。普通に映画やドキュメンタリーを普段から見ている人なら、相応の楽しみ方ができる映画だと思います。しかし、繰り返しになりますが、スポーツをいわゆる感動ポルノ的に消費するような映画ではなく、観終わった後に、ちょうど今の私のように、意味を考え込むようなそういう映画でした。
チョウやガは適切な葉を選び、卵を産む。間違った葉に落されるとふ化した幼虫は正しい葉まで移動するか、死ぬしかない。人間の魂だってそうだ。適切な場所に適切な状態で産み落されて初めて正しい生を歩める。オレの魂は今世は欠陥を持って産み落とされた。体や心の不調は医学の発展で治せるが、魂の欠陥ばかりは人の力では治せない。オレの魂には片割れが居る。魂が誕生してからオレの魂はその片割れと常に一緒だった。共に輪廻を繰り返した。前世はインディアンのショーニー族、前前世はベンガルの王、前前前世はアイルランドの戦士、その前はパルティアの貴族、その前はアテネ市民、その前はパラオの先住民、その前はエジプトの貴族、その前はアッカドの役人、その前は縄文人、人になる前はステラーカイギュウだったり、アデリーペンギンだったり、オオハクチョウだったり、スラウェシメガネザルだったり、タイリクオオカミだったこともあった。
のろけ話になるので余り詳細は話せないが、どうやらオレと片割れはずっと一緒だったらしい。魂の片割れは鍵と鍵穴なんてものじゃない。体の右半身と左半身だ。二つで一つ。こういう例は魂全体の割合で見ればごくごく少数派なんだが、歴史上の人物では例が少なくない。ダーウィン、ジョージ六世、大正天皇、J・S・ミル、フォードとその妻は魂の片割れだったらしい。二つの魂は基本的にずっと一緒。ずっと一緒に輪廻し共に人生を歩む。基本的に輪廻の周期は誤差はあれど、500年ほど。つまり死んでから500年後ぐらいに再び産まれる。面白い例が二つある。劉秀・スレイマン一世と唐の太宗・ジャハーンギルだ。劉秀の妻は陰麗華。美人で慎ましく、賢妃の典型例とされる。彼女は劉秀を支え続け、二人の絆が後漢の繁栄と平和を築いた。もちろん二人は魂の片割れ関係にあるのだが、この二人が偉業を成し遂げたのは、一世だけではない、この二人は来来来世でも偉人に産まれたのだ。スレイマン一世とロクセラーナだ。ロクセラーナは美貌と知性を兼ね備えたウクライナ人で奴隷としてスレイマンに売られた。スルタンはロクセラーナを気に入り、事実上の一夫一妻関係を築いた。その気になれば妻を何人もめとれたというのに。この二人は魂の片割れであったことは確かだ。劉秀夫妻の来来来世である証拠に劉秀の没年は57年。スレイマンの生年は1494年。ひくと1437年。ざっと1500年ほどだ。歴史上に名だたる名君二人に産まれたこの魂は最も偉大な魂と言えよう。もう一つの例は唐の太宗こと李世民だ。その妻長孫皇后は陰麗華皇后と並ぶ賢妃だ。太宗を支え、唐の繁栄に貢献した。この二人もまた魂の片割れある。二人の来来世はムガル帝国の皇帝・皇后だ。ムガル帝国4代目皇帝ジャハーンギルはかんしゃく持ち、アル中、病弱ととんでもないろくでなしだった。しかし、そこに美貌と知性の妻ヌールジャハーンが加わることでその治世は酷いものとならずに済んだ。彼女は夫を支え、かんしゃく持ちやアル中を改善させた。それでいながら夫を立てることも決して忘れなかった。太宗の没年は649、ジャハーンギルの生年は1627年。引くと978年。やはりこの二人は同じ魂だ。劉秀の次に偉大な魂かも知れない。このように魂の片割れ同士は共に輪廻することで凄まじいパワーを生み出し、当人に多大な幸福を与えるのだ。
しかし、片割れ同士が離れると絶望的な苦痛に繋がる。当たり前だ。自分の体の半分がないようなものなのだから。オレと片割れはずっと一緒で幸せすぎたのでばちが当たったのだ。しかし、それも酷いもんだ。片割れと離ればなれになるだけでなく、魂に欠陥を持って産み落とされた。まさに間違った場所に産み落とされた卵だ。無論、それは不幸な人生。強い欠乏と苦痛が伴う人生。しかし、希望はある。この人生に希望はないが、死後に希望がある。少なくとも霊界で片割れに再開できる。来世はきっと一緒に輪廻できる。そしたら、今とは似ても似つかない幸福な人生が歩める。今は辛抱だ。片割れだって、今どこかで苦しんでいるのだ。自殺したっていいが、自分だけ逃げるのは卑怯だ。それに楽しみはとっておくもんだ。今苦しめば、霊界や来世での喜びはそれだけ大きくなる。
終わってみれば、いくつかの伏線があった。
まず、自転車のロードレースは名目上は個人競技だが、実質的にはチーム競技である。エースとなる選手をチーム内の他選手がサポートする。しかしながら、今回オーストリアからは優勝した眼鏡っ娘数学者ただひとりだけの出場で、名実ともに個人の力だけの戦いをせざるを得なかった。これが第1の伏線。
空気抵抗は速度に比例する。速いけどすぐ終わる陸上短距離や、時間は長いけどゆっくりのマラソンとは異なり、車なみの速度で長時間長距離を走る自転車ロードはとりわけ空気抵抗の影響が大きい。そのため、空気抵抗を減らすための工夫が必要になる。それが集団走行。先頭となる数人が風を受け、大多数はその背後に隠れることで空気抵抗を減らす。先日のツールドフランスにおける大落車事故も、風よけのために意図して密集して走っていたからこそ起きたのであり、離れていれば巻き込まれずに済んだのになどというのは単なる妄言でしかない。
つまり、集団(プロトンと呼ぶ)のメリットを捨てて序盤から飛び出すというのは、本来なら無謀な戦略である。しかしながら、たとえプロトンにいても、誰からのサポートも受けられない孤独の選手がエースとサポートで分業できる他チームと張り合って勝てる見込みはない。万が一でも勝機を見出すのであれば、プロトンの中で埋没するのではなく、逃げて逃げて逃げまくって、後方のプロトンで何らかのトラブルが発生するのを期待するしかなかった。そしてそれが起きた。
第2の伏線はオリンピックのルール。通常のプロのレースでは、選手は無線機を装着し、それを使ってレース全体の状況や戦略が伝達される。しかし、オリンピックでは無線連絡は不可。詳しい状況を知るには、プロトンの後方を走っているチームカーのいるところまで下がって聞く必要があった。序盤から中盤にはできただろうが、終盤になってくるとそんな余裕はない。チームカーだけでなく、プロトンの前を先導している車両からも逃げ集団とのタイム差が随時伝達されていたはずだが、キーセンホーファー以外の逃げ選手が吸収された少し前ぐらいに伝達されたのがおそらく最後だったのではないだろうか(推測)。そのためプロトンをコントロールしていたオランダチームはすべての逃げを捕えたと判断してしまい、前方に注意を向けるのをやめてしまった。キーセンホーファーがどのプロチームにも所属しないほとんど無名の選手だったことも幸いした。有力選手だったらプロトンにいないことが気づかれないはずがない。誰も知らない選手だったから、集団にいないことが不自然に思われなかった。実は3位になったイタリアチームはまだ前で逃げていることを認識していたらしいが、プロトン内での争いになったと誤認していたオランダチームが先頭を追うことを許さず、差を詰められなかった。
そして何より、優勝したキーセンホーファーは強かった。プロではないが過去にはプロチームに1年だけだが所属していたことはある実力で、また、集団ではなく個人で走る種目であるタイムトライアルを得意としており、かなりの実績があった。また、今回は上り坂の多いコースだったが、キーセンホーファーはまさにヒルクライマーだった。つまり、上り坂の多いコースを集団ではなく自分の力だけで走るのは実は得意中の得意だったのだ。スタート直後から逃げるという戦略を選んだのはキーセンホーファーだけではない。彼女を含めて5人いた。この5人でかわるがわる先頭交代しながら逃げたが、他の4人はけっきょく脱落した。数人でもひとりよりは圧倒的に風よけの効果はあるが、それでも数十人の大集団に比べればたいしたものではない。体力の消耗は激しく、逃げ続けるなんて到底無理である。しかしキーセンホーファーは最後まで逃げ続けた。これはただの尋常の力ではできない。
こうやって後から振り返ってみると、偶然の要素はあったものの、ただ幸運なだけで掴んだ結果ではなかったことがわかる。ちなみにオーストリアが自転車競技で金メダルを取ったのは1896年アテネの12時間耐久レース以来だそうで。昔はそんなとんでもない種目があったんだ…。
水泳のライアン・ロクテ選手は「オリンピック選手の70%から75%が大会中にセックスをしている」と証言する。少し言い過ぎやしないかと疑いたくなるが、彼が世界記録保持者で、ロンドンが3大会目のオリンピック出場となる選手と聞けば、ある程度経験に基づいた数字のように思える。
では、なぜオリンピック選手は、大会期間中にこれほどまでにセックスに夢中になるのだろうか。
記事では、《選手村内は、窓には旗が掲げられ、バルコニーから音楽が鳴り響くようないわばお祭り状態》になるという。選手は、その特殊な環境の影響を受けると指摘されている。
加えて、そこに集まるのは当然ながら世界のトップアスリートである。
《選手村は、言ってみれば世界一の会員制クラブだ。入会には、最高の才能があればいい》
《選手は若く、極めて健康である上に、何年も軍隊みたいな練習をつんできている。そんな人達が、過保護な親や記者達から遮断された安全地帯に突然放たれたらどうなるか》
アテネや北京大会に出場した女子サッカーアメリカ代表のホープ・ソロ選手も、
「一生に一度の経験をしたら、思い出も作りたい。セックスでもパーティでも競技場でもね」と証言している。
世界の大舞台に立つ高揚感も、アスリートを開放的な気分にさせるようだ。では、選手同士はどうやって出会うのだろうか。
「バーとは違って、選手村で気になる相手に話しかけるのは簡単です。『なんのスポーツをしてるの』と話しかければいいだけだから」と選手村流のナンパ術を紹介。
節操がなさすぎるように思えるが、シドニー大会で銅メダルを獲得したアメリカの砲丸投げのジョン・ゴディナ選手に言わせれば、
「二度と会うことが無いと分かっているからね」。
さらに、スキーのアメリカ代表キャリー・シェインバーグ選手は、
「オリンピック選手は、冒険者で新しいもの好き。言葉の通じない相手と寝るような挑戦もしてみたいものなんだ」と語る。
選手村でも、実社会と同じようにやはりモテる選手とそうでない選手は出てくるらしい。
北京大会で体操の団体銀メダルを獲得したアメリカのアリシア・サクラモーン選手は、
「水泳選手と水球選手の肉体は最高。彼らはありえないほどトレーニングをしているから。陸上競技の男たちも可愛いと思う」と明かす。
さらに、2014年ソチ大会以降、選手村でもTinderを使って簡単に出会えるようになったというアメリカのスノーボード選手、ジェイミー・アンダーソンの証言もある。
Tinderは、写真と簡単なプロフィールを見て気に入った相手とチャットのやりとりを始められるマッチングアプリで、マッチングする対象との距離を設定出来ることが特徴である。例えば1キロ以内など設定しておけば、選手村内にいる選手同士でマッチングが可能なのだ。
共同研究しているギリシャ人の先生から、ギリシャでされている東京オリンピックに関する報道について真偽を聞かれたので回答したい。
全然ニュースみてないので、わかんないんだけど、大体こんな感じでいい?
[自分の回答] 今オリンピック中止のデモやってる奴らは、極々少数で、400人とか。無視できるレベル。こういう連中はデモをするのが仕事または趣味で、年中なんらかのデモをやってる。普通の人間はオリンピックを中止すべきと思っておらず、好意的に受け止めてるよ。
[自分の回答] 7/23時点では、2回の接種が完了した人が全人口の23%で、1回以上の人は35%やで。まぁ全体から言ったら全然すくないけども。日本は他国に比べて接種が遅れてるんやで。ワクチンの国内での治験を日本向けにローカライズして独自にやったから、承認に時間がかかって、結果として接種も遅れてるんやで~。日本は65歳以上が世界一多くて、それらの人が政治的な基盤を形成してる。そういうわけで、めちゃくちゃ保守的な国だから、遅れてるのはしゃーないやで。
[自分の回答] 激震なんて走っとらん!w以下は俺の個人的な意見だけども:政府関係者は1300人程度なら想定の範囲内だとおもうで~おそらく2500人とか3000人程度までなら想定内じゃないかな?これが東京だけで感染者数が10,000人/日とかいくようになると、ロックダウンとかやるかもな~。ちな日本は未だに強制力のある移動制限とかはしたことないよ!8月のなかばに日本のホリデーシーズンがあって、そこでみんな故郷に帰ったりするから、感染拡大する見込み。本番はオリンピックというよりお盆終わりの9月からや!コロナ先生の次回作にご期待ください!
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This email may come as a surprise to you, as it is irrelevant to research or fellowships. In Greece we try to understand the situation with the Olympic games in Tokyo and the pandemic, but the reports on Greek media is fuzzy. Once my colleagues found out that I have some communication with a Professor in Tokyo, they asked me if I could possibly contact you and ask you what exactly is the situation there. So, with all the respect to your valuable time, whenever you have some spare time, could you please inform me about the following points that our journalists reporting from Tokyo only confuse us further?
Is it true that people organize demonstrations in the streets to stop the Olympic Games, because they are afraid that the games will spread the coronavirus in Japan? We do not understand this, as the games are held with no spectators (unfortunately) and the athletes are isolated in the Olympic Village, anyway (even with no pandemic).
Is it true that only 7% of the overall population in Japan is vaccinated against the Coronavirus? If yes, how is this possible, knowing that the Olympic Games are going to be held there ?
Today, they said on the news that 1300 new infections have been reported in Tokyo and that caused some "vibrations" to the government. Is this number significant for the Japanese people? In Athens alone (that is only 5 million people, 3 times less than Tokyo) we count that many infections every day for the past month.
As you can see, everything that is reported from Tokyo is unclear and contradicting: demonstrations for the cancellation of the Games due to the pandemic, vaccination level, infection rate. Today I heard on out national radio straight from the head of our Olympic Team that everything is calm and under absolute control in the Games. So could you please shed some light to all this, please? Again, if you are busy I will understand if you do not reply, as this is just curiosity and not urgent at all.
Is it true that people organize demonstrations in the streets to stop the Olympic Games, because they are afraid that the games will spread the coronavirus in Japan? We do not understand this, as the games are held with no spectators (unfortunately) and the athletes are isolated in the Olympic Village, anyway (even with no pandemic).
[My opinion]
The people who is engaging the demonstrations are very few such as 400 and they could be ignored. These people always participate in the demonstrations as a work or just enjoying their free time. They don't have any political ideology. General people is enjoying the Olympic Games as usual on TV.
Is it true that only 7% of the overall population in Japan is vaccinated against the Coronavirus? If yes, how is this possible, knowing that the Olympic Games are going to be held there ?
[My opinion]
As of July 23, 23% of the population had received two doses of the vaccine, and 35% had received at least once. Japan is behind other countries in terms of vaccination. Japan government took a long time to approve the vaccine produced outside of Japan, and as a result, the vaccination has been delayed. Japan has the largest rate of people over 65 in the world; about 30% is over 65 years old. These people form the political base of the country, so it's no wonder it's so conservative.
Today, they said on the news that 1300 new infections have been reported in Tokyo and that caused some "vibrations" to the government. Is this number significant for the Japanese people? In Athens alone (that is only 5 million people, 3 times less than Tokyo) we count that many infections every day for the past month.
[My opinion]
The following is my personal opinion: I think 1,300 new infections in Tokyo in a day is not big deal for the government. Maybe 2,500 or 3,000 is still within the expectation. If the new infections in Tokyo become over massive amount such as 10,000/day, we might need to go into a lock-down. Japan has yet to impose any enforceable movement restrictions. Japan has a holiday week in mid-August, and people go back to their hometowns, so the infection is expected to spread.