はてなキーワード: 混浴とは
外国にはヌーディストビーチとか、みんなが素っ裸になって過ごす場所がありますね。
普通の人でも、暑い夏は裸に近い恰好をして、涼しく過ごしたいと思ってる人が多いと思いますよ。
夏でも背広を着ているサラリーマンも、メッシュ素材で風通しの良い上着を着てますね。
オシャレと実用性を兼ねて、夏はメッシュ素材の服を重ね着して使うのは有りだと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20230718175634
これはエロですか?
https://www.harpersbazaar.com/jp/fashion/how-to-wear/g44529585/no-pants-trend-230714-hb/
自分が日本とイギリスのブルマーについて調査してからすでに3年以上が経過したが、自分の興味関心というか性癖がほぼぶれていないのには笑ってしまう。pixivのお気に入りを見返してもそれは同様だ。ブルマ、CFNM、CMNF、混浴、ヌーディズム、野外露出と、十年単位で一貫している。
このうちの野外露出、野外で裸になりたい衝動は継続していて、合法的に実現するために混浴サウナだとかヌーディストビーチを訪れている。裸になって海で泳いだときには、もうこれだけ裸になりまくったのだからもう飽きただろうと思ったのだが、どうもそうでもないらしい。
困ったもんだ。
ブルマー姿の女の子といちゃつきたい願望もあり、かなり願望の再現度が高いプレイを5年以上前にイメクラだったかM性感だったかでしたことがある。その時は先に脱がされてCFNM願望も叶えた。そのときの記録をネットのどこかに放り投げたのだが、それは消えてしまっている。書き直してもいいのだが、増田に書いたところでしょうがないだろうと自分にツッコミを入れたい気分だ。
また行けばいいのではという意見もあるだろうが、風俗には飽きている。嬢は皆親切だったが、もう十分に楽しんだ。
先ほどヌーディストビーチに行ったと書いた。
実はこの夏、地中海をあちこちうろついていた。その際に、現地のへそ出しファッションをいろいろと見た。シャツが短い物、ほとんどブラトップのもの、へそだけ露出しているもの、前だけを覆って背中は紐だけ(びんぼっちゃまみたいなスタイル)、さまざまだ。同じへそ出しと言っても色々ある。他にも、レオタードの下にズボンをはいて腰の部分の素肌が見えている格好の人も見かけた(アニメ版攻殻機動隊の少佐みたいなスタイル)。
面白いのはモデル体型どころか、ふくよかであってもためらわずに着ている点だ。良い意味で、日本よりも人の目を気にしていない。
確かに欧州のリゾートはおばあちゃんでもビキニを着るし、トップレスも多い。
教会であってもへそ出しで入ってくる人は多い。一応ドレスコードが看板に書かれており、男性でもノースリーブはやめてくれとガイドラインがあるのだが、観光客はほとんど気にしていない。
これが地中海のむこう側のイスラム圏になると、異教徒の女性にはモスクの中でまとうスカーフを貸してくれる。短パンの男性も腰に布を巻かないと入れない。
好きなものを着るファッションの自由・権利と、伝統への敬意との衝突を目の当たりにしたわけだ。
地中海を越えてイスラム圏から出たときには、その温度差に風邪をひきそうになった。
そのへそ出しファッションについてだが、英語版のウィキペディアにMidriffとして記事がある。他にも西洋やインドの文化でのへその立ち位置を詳述した記事もある。ここから抜粋して記事を書こうとも思ったのだが、なんだか面倒くさくなっている。どうせウィキペディアを訳すだけなら、個人的に斜め読みをすればいいのだし、なんだったら自動翻訳にかけたっていい。まとめる必要もない。
同じ理由で、トップレスとか世界の文化における全裸・女性器についても記事を書きあぐねている。
ウィキペディアから訳すだけなら各自で読んでもらえればいいし、それで閲覧数やブクマを稼ぐのも馬鹿馬鹿しい。何か新しい知見が欲しい。
例えばクレオパトラはカエサルと対面したときはトップレスだったのか。そんなことも調べたい。しかし、この辺はハリウッド映画によりつくられたイメージも強く、画像検索も難しい。そもそもプルタルコスの時点で裸のまま袋だか絨毯だかに入って寝床に忍び込んだという話があるが、実際当時のエジプトの服はどうだったんだ。
面倒くさいなと思う理由は他にもある。
あれだけブルマーに関する記事がバズっても、ネットの世界ではほぼ常に日本でのブルマーについての議論が中心で、自分が提起した 「学校体育でのブルマーは日本のみならず、英連邦・共産圏でも見られた」という主張はそれほど広まらなかったからだ。
ネットの議論など、結局は自分がどういう経験をして嬉しかったとか腹が立ったとかの感情が中心なのだから、当たり前といえば当たり前であろうが、一つの事実が広まらないのは幾分残念であった。
増田から外部のSNS・ネット文化圏に広がるには、全く別の内容で達成したように、1000以上のブクマが必要なんだろう。
はてな匿名ダイアリーというのが辺境のサービスだということなのかもしれないが、増田全体に特に広がった様子もない。あるいは僕も含めて読者は忘れっぽいのか。
それにブルマーについてのフェチは薄れなくても、それについて書く情熱は薄れつつある。情念が薄れたせいか、全く関係のない記事もバズりにくくなった。
ワニだらけの混浴みたいになりそう
5年ぶりに裸になりたくなった。
Playa de la Mar Bella。ビーチ全体ではなく、限られたエリアがヌーディストビーチ。ちゃんと看板でこの先が全裸ゾーンって書いてある。
カタルーニャ広場停車場(Pl Catalunya - Portal de l'Àngel)からH16のバスでPg. Calvell - Rambla del Poblenou停車場まで。徒歩の時間も込みで30分
バス停からは公園を横切って移動する。なんか途中にドッグランもあった。ビーチそのものは公園からは高台というか小山で遮られている。
小山を向けて海に向かって右側にまず行ったんだけれど、さっそく小山の上で全裸で仁王立ちしているおじいさんがいた。
でも、その時点ですごくトイレに行きたかった。で、近くの海の家的な店で聞いたんだけれど、トイレはお客さん専用だとのこと。
しょうがないので、近くにトイレはないかと小山の左側の店に行った。そしたらそこにトイレがあった。
用を足してあたりを見回す。一応ヌーディストビーチなので裸でシャワーを浴びている人もちらほらいたんだけれども、それよりは筋肉質のビキニパンツの好青年のほうが多かった。こっち側はゲイビーチらしい。皆さん概してマナーがいい。健全な出会いの場という印象だ。
こっち側の海の家の名前は「Be Gay」で、おそらく「ゲイであれ」と「陽気にやろうぜ」の掛詞だ。シャワー付近には裸の女性もいたが、着衣の人が多かったのでここで裸になるのはためらわれた。
さっきはトイレに行きたくて状況がよくわからなかった反対側はどういう雰囲気かと思って、戻ってのぞいてみると、こっちのほうが普通に裸になっている人が多い。ただしシャワーはない。ほとんどが男性で男湯っぽい雰囲気だけれど、カップルが数組いて、父と幼児が海辺で戯れていた。男女比は大体10対1くらいで、以前訪れたウイーンの混浴サウナとはだいぶ雰囲気が違う。それにウイーンのほうが夫婦連れが多かった。
私はここで素っ裸になった。ウイーンとは違って遮るものがないし、着替える場所もないのでちょっと緊張したけれど、えいやと脱ぐ。まずは上半身裸で太陽を浴びて、それから下半身も脱ぐ。パンツと下着を同時に脱ぐ。お尻丸出し。やっぱり全身を太陽にあてると気持ちがいい。
ところで、バルセロナのビーチでは普通にトップレスの女性がいる。二人連れの女性がなんだか楽しそうにしていた。ヌーディストエリアの隣なので、それこそ全裸中年男性がたくさんいるのだけれど、まったく気にしていない。私がヌーディスト的な世界に憧れるのは、相手のことをじろじろ見たりせず、自然な姿をありのまま受け入れているからだ。相手だけが着衣、私が裸(あるいは逆)というプレイに結構興味はあるけれども、ここで感じる解放感とはまったくの別物だ。
何となくだけれど、ビキニパンツのトップレスってなんかユーモラスだ。ジーンズのトップレスのほうがセクシーだ。なんでだろ? ティーバックの水着もなんかお尻丸出しでなんだかセクシーよりも面白衣装って感じちゃう。服って脱ぎすぎて裸っぽくなるととユーモラスになっちゃう。そういえばここで見かけたおっぱいの大きなすっぽんぽんの中年女性、きれいだったけれども、バルセロナ市内で見かけたへそ出しファッションのほうがよっぽどエッチな印象だった。
へそ出しと言ってもブラトップみたいなもあるし、タンクトップみたいなのもあったし、おへそまわりだけ出ていて、その周りのお腹をレースで覆うタイプのもある。
ボディスーツっていう、ハイレグレオタードみたなトップスにジーンズみたいな恰好の女性も見たけれど、腰の素肌が出ているだけなのに、すっぽんぽんよりもなんだかエッチだった。十代もいたし、ぽっちゃりした人もいた。誰も気にしていないのがいい。さすがにパンツが見えそうなミニスカートにはびっくりしたけどね。
で、何でそう感じるか。たぶん素っ裸になると、身体にはどこにも境目がなくてひとつながりで美しいって感じるんだけれども、中途半端に隠すとかえって暴いて見たくなるというか、えっちな部分が強調されちゃうんだろうな。
さて、裸で太陽を浴びてうとうとしていると、水売りのおじさんが通るのが見える。アジア人は私だけだった。アフリカ系の男性が数人いた。でも誰も気にしない。バルセロナは日本人観光客が多いけれども、ここは私だけ。無名のままでいられるって素敵。よそ者の気楽さ。
十分に太陽を浴びた私は、ほかの泳いでいる人たちに続いて、素っ裸で海に飛び込んだ。頭まで潜ったり、波に乗ったり、大股を広げて背中で浮いたりした。すっぽんぽんで太陽を浴びると気持ちがいいし、何物も遮るものがない海に一糸まとわぬ姿で飛び込むと、なんだかいろいろな汚れが流れ去っていく感じがした。これは木々に囲まれたウイーンの混浴サウナでは味わえない感覚だ。途中で急に深くなっていて、一瞬足を取られたのには焦ったけれどね。海に飛び込んで、休んで。また飛び込んでを繰り返す。
で、すごく開放感があったんだけど、ウイーンのほうがマナーが良かったかな。おっちゃんがおちんちん一往復だけいじってたし。単に皮に砂が入ったからかもしれないけど。あと、小山の茂みの中でごそごそやっている人がいた。邪魔したら悪いからよく観察しなかったけど、あれはなんだったんだろう。きっと気にするのは無粋。
あと、ウイーンと違ったのは、こっちは陰毛処理していない人がほとんどだった。ヌーディストだから自然派なのかな?
そうそう、それに、財布も浜辺に置いてある。だからウイーンのほうが安心して裸になれたかな。持ってきたのは現金ちょっとだけだったけど、服も財布も盗まれたらどうしようもない。
でも、やっぱり海にはいろんなものを押し流す力がある。何か聖なる洗礼を受けたというか、生まれ変わった感じがする。何も恐れるものがない気持ちになる。これから生きていくこともいつかは死ぬことも、自然と一体になった私は恐れることはないと。水着で邪魔されず、海水が私の全身を撫でる。頭からつま先まで。無限に広がる温泉のような素晴らしさ。それはとてもやさしくてあたたかい。来世とはこんな感じではないか。個我が消えて宇宙に包まれているのはきっとこんな安心感だ。そんな宗教的な気持ちまでも出てくる。裸になるって神聖。
とはいえ、十分も泳いでいたら普通にオーシャンビューの温泉で構わない気もしてきた。このあたりで私の全裸徘徊願望は収まってきたらしい。温泉では髪の毛を水につけたり、泳いだりはできないんだけれどね。でも、なんだかこうやって心から裸になるのは、信頼できる人の前でだけのほうがいい気がしてきた。
気が済んで、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。やり残したことを終えると、すっきりすると同時に、なぜあんなにこだわっていたのかがわからなくなる。
罪悪感とは少し違う。やる必要はなくなったかなという気持ち。もう少ししたら気分も落ち着いてくるだろう。これは再確認だ。これは自分にはもういらない要素だということの。別に外で裸にならなくても、普通に暮らしていけるという感じ。
やりたいことをすべてやってしまったという感覚が、おそらく次のステップに必要なんだ。
現に、帰宅してからは、以前は家では裸で運動していたのに、旅行から帰ったら普通に着た方がいいなって感じられるようになった。
なお、小山の右側と左側をつなぐ浜辺は人がぎっしりだった。歩いていくのがためらわれるくらい。たぶん8月のハイシーズンなのと、潮が満ちてきていたからだと思う。
バルセロナはこの時期は日没が21時だ。私がカタルーニャ広場を出たのが18時で、ビーチに着いたのが18時半くらい、脱いだのが19時、だいたい20時ちょっと前くらいまですっぽんぽんで過ごしてすっきりして帰った。服を着た人のいるところまで裸で歩いてシャワーを浴びる気にはならなかったから、軽くタオルで身体をふいてホテルでシャワーを浴びてご飯食べて寝た。
上はトランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?より
下は「公衆浴場の男女別は身体的特徴で判断を」 LGBT法で厚労省が通知より
takeishi スルーされていいのでは/そもそもトランスジェンダーじゃなくても男性っぽい外見の女性もいるわけで/防犯対策はその場に出入り可能な全員を疑ってかからないと。
aquatofana それは「MtFへの恐怖」ではなく「シスヘテロ男性への恐怖」であり、「適合手術前MtFがシスへテロ男性ではないことを証明する適切な手段の不在」の問題ではないか。切り分けて考えないと、解決するものも解決しないよ。
aquatofana そも誤解されそうなレベルのTがどれだけ公衆浴場を使いたくなるのか。未成年で修学旅行とか、災害時に家で入浴できずとか、そういうケースしか思い浮かばない。
by-king 『差別』の辞書的意味は2つあり、①単なる区別の事を指す場合と、②特に不当なものを指して言う場合がある。この厚労省の文章は②だとすると意味は通る。https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91/content/8052_1798
taruhachi 子供の頃、黒人が怖かった。今でも身体がでかい人にの横では威圧感を感じる。ただ、だからといって彼らを排除するべきと言う考え方は恥ずべき考え方だと思う。
taruhachi ついでに今こそ混浴を見直すべき。そこに実際に女性が入るかどうかは別としてその存在を違法として規制するような文化じゃない。
opnihc 部落差別する人は同和の人は怖いと言うし、黒人差別する人は黒人が怖いという。怖いなどという偏見は差別を正当化する理由には微塵もならない。増田はこのあからさまな差別を恥ずかしげもなくよくやるなと思うわ
misafusa 後は、身体が男なら性欲も男のものだってのもある。中高生なんかは「風が吹いても勃起する」なんて言われるくらい、男は簡単にその気になるんだよ。性的指向と無関係に男相手にだって立つときは立つわけよ。
misafusa そう。性自認がどっちでも関係ないという点が重要。これは判別する方法がないからじゃない。100%確実に判別する方法があったとしても変わらないということが大切。
econcon 便宜上マジョリティの都合を通してるだけって事が理解できずにドヤ顔で当然とか言ってる人の多さを見るにマイノリティの生きづらさは相当なものだと思う
marilyn-yasu T女性は男湯に入ることに嫌悪感があったり、T男性は女湯に入ることに嫌悪感がある。入るな我慢しろじゃなくて男湯女湯を半分にしてメインに誰でも湯を作るべき(まず湯浴み着ありでも)。
marilyn-yasu 当面この方針でもいいが、それよりも既存の男湯女湯を削りその分水着湯浴み着湯を作るべき。トランスだけでなくシングル家庭の異性親子も救われる。
beed LGBTとかも大事だろうけどさ。こういう女性の気持ちを尊重しないならそもそも男女分ける意味がないと思うんだけどね。
beed この判断はこれでいいのだけど、合理的な区別も差別だよ。国語辞典引いてみなよ。差別は「差をつけて扱うこと、分けること」であって、そもそも男女別自体差別だよ。公共の福祉のためにどこまでやっていいかの問題。
tokuniimihanai 差別とは不合理な区別のことなのだから「合理的な区別は差別ではない」は自明であり何も問題はないが。問題は差別主義者が合理性を判断する能力など持ち合わせていないこと。
wildhog マッチョなシスレズ女性が入ってきたらどうなの?一番ポリコレなのはやっぱり混浴だね。区別がなければ差別は存在できない。
wildhog これは訴訟覚悟の通知だと思うけど、このおかげで銭湯側は負けたときは賠償を役所に付け回せるので少し安心できる
WinterMute クズいなー/よりによって「気持ちはわかる」と言いながら違う例を出す奴、区別はできないと言って排除を正当化する奴、と最悪のブコメが人気でもうなんか笑える
WinterMute そうじゃなくて、身体的特徴で区分してよい、いずれにせよ区分の基準は事前に見える場所に提示すること、でいいじゃん。一律に基準を定めずに「これまで通り運用していいよ」ってお墨付きがあればいいでしょ
songe 国際的にはこれが差別なんだから狂っている世相だわ。ただ、リベラリズムを通すと自認する性別の風呂に入るとなる。
vkara 心が女でもボーイッシュな服装が好きな人もいるだろうし、分かりやすいように女らしくしろとも言えない。ただ嘘をついて入ってこれない仕組みはほしい。嘘つき男が入れる隙を作るのは怖い。怖いのは隙を伺う変態だけ
vkara 当たり前なんよ。男女で分かれてる風呂において内心は関係ない。/これを当たり前と思う人がTERFと呼ばれるおかしな社会。
y-wood 論理でマウントし、乗っかったのがトップブコメ。苦しんでる人を理解しない俺様に恐れ入る。人間の本音が卑しいなら中国式の総監視社会の方が幸せだと思う。(多くのトランスは無用なトラブル行動をしないと思われ)
xorzx 江戸時代の銭湯は混浴だったが風紀を乱す理由で男女別になって今に続いていると思う。施設側の主張として男女の浴場での身体的特徴が異なれば風紀を乱すとの理由なら許容されるのか?
ヌーディストビーチが最たるものなんだけど、あの人らは裸とエロ目線を切断することこそが真の自由みたいな考えなんよ。
未就学児や婆さんを風呂に入れてもエロく感じないだろ?母親や女きょうだいのパンツが干してあってもエロく無いだろ?
寝室で恋人と接する時以外は、そういう、姉のパンツを見るような態度で女に接せよ、っつー思想。
思想に過ぎないものではあるが、思想は習慣づけできる。かつて男女混浴が一般的だった時代の日本でも、いちいち風呂での女の裸に興奮しないような、そういう習慣になってた。ホモだって、良識あるホモは先頭でいちいち興奮しないしな。良識ない奴が目立つからあれだけど。
まぁでも今は自由主義の時代になって、そういう思想を強制することはできないから、混浴にはワニ野郎ばかりになったし、ヌーディストビーチはエロ目線での盗撮が跡を経たない。姉のパンツでオナニーするのが一般的になったっつーわけよ。