はてなキーワード: アラブ人とは
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
常識的には、紀元前600年頃にあったパレスチナのユダヤ国家から説明を始めるのが一般的だ。
そこら辺からは「歴史」に残ってるから事実だということだが、これは本当に正しいのか?
現代ユダヤ人のほとんどは、遺伝的に同族と見られる要素は何一つ持っていない。
では何なのか。
一言でいえば、欧州のマジョリティが元々ユダヤ教の一派であるキリスト教の信者になったように、ただ正統派のユダヤ教徒に改宗したヨーロッパ人を、今「ユダヤ人」と呼んでいるに過ぎない。
日本人はキリスト教についてはよく知っているつもりでいるが、実際その歴史を断片的に暗記しているに過ぎない。
・ナザレのイエスによって紀元30年ごろにローマ帝国のユダヤ地方で起こった新宗教である。
・紆余曲折を経てローマ国内に浸透し、国教化されて、晴れて現代にも繋がる欧州の統一宗教になった。
特に最後のあたりの流れは非常に曖昧で、なんでそうなった? という感じだ。
我々はユダヤ教コミュニティがヨーロッパに点在するようになった経緯について何を知っているだろうか?
実は私たちは(ユダヤ人のイメージを損なわないために)歴史的に確定している事実すらあまり知らされていない。
その事実をひとつひとつ紐解きながら、間違ったイメージを訂正していこう。
ユダヤ教のディアスポラの歴史は、実はローマ帝国によるユダヤ国家の解体よりも前から始まる。
もともと「ユダヤ人」というものは、ローマ帝国だけでなく地中海地域に進出して、近世のヨーロッパでそうであったように、コミュニティをつくり異教徒相手の商売をしていたのだ。
ユダヤ人の戒律は、異教徒相手に商売をするのにとても都合の良いものであることは有名だ。
当然、これにあやかろうと改宗ユダヤ人になる元異教徒も出てくる。
こうして作られたビジネスのためのコミュニティが、現代に繋がるヨーロッパの「ユダヤ人コミュニティ」の本当の始まりである。
本来はユダヤ教と同じく、ユダヤ人のための新興宗教だったのがキリスト教だ。
キリスト教の本来の教義には、人種を越えた人類の平等などというものは書かれていない。
政治情勢の混乱した当時のユダヤ地方のために、文字通りの「隣人」愛を説いただけのものがキリスト教だ。
欧州にはまず「ユダヤ人のコミュニティ」があり、それに対するカウンターとして、ユダヤの新興宗教であるキリスト教も広まったのだ。
皇帝ネロによる「キリスト教の弾圧」は、イエスの活動と死の、たった20年ほど後のことだ。
それだけの間に大きなコミュニティができるほど、既にユダヤ人社会の基盤は欧州にあったということだ。
これは最近では割と知られてきたことだが、イスラム教には「ユダヤ教」という異教のくくりがない。
イスラム教の信じる神はユダヤの神であり、教義においてはユダヤ人のモーゼやイエス・キリストも預言者と認められている。
イスラム教はあくまで中東地域におけるユダヤ教の新解釈、新興宗教という立ち位置に過ぎない。
これが意味することは、彼らこそ中東におけるユダヤ国家の正統な子孫だということだ。
「ユダヤから追い出され、ヨーロッパ各地に離散したユダヤ人」というストーリー自体が、根も葉もない嘘なのだ。
その「欧州で生まれた自称ユダヤ人」が今、中東を侵略し、本当のユダヤの子孫を虐殺している。
欧州はパレスチナ人にanti-semitismなどというとんでもないレッテルを貼ろうとしている。
semiteとは「セム語を話す人」、アラビア語やヘブライ語を話す人という意味だ。
アラブ人の命を弄ぶ鬼畜白人が、殺されるアラブ人を「反セム」として悪魔化する恐ろしい現実。
1984のニュースピークの世界は、欧州に既に完成していたのだ。
この質問は非常に複雑で、多くの感情的、政治的、歴史的な要素が絡んでいます。
ユダヤ人は歴史を通じて迫害を受けてきましたが、現在のイスラエルとパレスチナの衝突は、単に「大昔の仕打ちをやり返す」というものではありません。この地域の緊張は、宗教的な違い、地政学、歴史的な主張、民族主義、国際法、外国の影響力など、非常に多くの要因によって形作られています。
第二次世界大戦後、ユダヤ人の国家を建設する動きが加速し、1948年にイスラエルが建国されました。これは、国際連盟とその後継者である国際連合によって支持されたものです。しかし、この決定は、すでにその地域に住んでいたアラブ人、特にパレスチナ人にとっては、自らの土地に対する主権が無視されたと感じるものでした。それ以来、イスラエルとパレスチナ人の間には、土地、国家の正当性、安全保障、移民、資源などに関する衝突が続いています。
「いじめられた引きこもりが犬猫を虐める」という比喩は、この衝突の複雑さと重大さを正確に表しているとは言えません。それぞれの側には、自分たちの行動を正当化する物語があります。イスラエル側では、国家の安全保障とユダヤ人の歴史的な土地への返還が重要な要素とされています。一方、パレスチナ人は、自分たちの土地と自己決定権を守るために戦っています。
国際コミュニティでは、この問題に対するさまざまな見解があり、この衝突を終わらせるための解決策が長い間模索されています。平和を実現するためには、両方の側の合意と相互の譲歩が必要とされています。
→全く違うと思う。ガザ地区には200万人以上の人口があり、今のペースではあと200倍の期間を同じ火力で攻撃し続けなければならない。それに執拗かつ徹底的な爆撃でもその地域の人々が全滅しないことは、何よりも日本人がよく知っているはずだ(ベトナム人もよく知っているだろう)。この人数を殺害するにはそれこそナチスドイツが行ったように収容して一か所に集めて殺し、焼却して埋葬する設備を用意してシステマチックな殺害のための機関を作る必要がある。ナチスのホロコーストは単なる瞬間的な殺害を超えてシステムとして熱量なく淡々とユダヤ人を集めて殺し続ける点において他と一線を画しており、軽々に持ち出すべきではない。
→これも違うように思う。パレスチナ(ハマス)とイスラエルの軍事力は相当な差があり、人質の救出だけなら得意の暗殺や単なる地上部隊の投入で済みそうなところを空爆まで仕掛けるのは明らかにおかしい。ハマスもハマスで人質の用途が拘留されている同胞テロリストの解放だから空爆された程度で人質を殺すことはないだろうという読みかもしれないが、いくらなんでも乱暴すぎるように思える。一連の攻撃には政治的動機による報復とハマスのインフラ破壊に伴う占領地域の再支配の意図が透けて見える。アメリカも1000人殺されたらそりゃ報復は必要だろうと支持した後で無茶苦茶な攻撃ぶりを見て慌てて態度を変化させたのではないだろうか。
→これが一番近いと思っている。ハマスはガザ地区に突然湧いた悪のテロリストではなく、革命後のイランから影響を受けたパレスチナ住民からなる武装集団である。イランのイスラム原理主義を引き継いでいるのでハマスの目的は「イスラエルからの弾圧に対する抵抗運動」などではなく「イスラエルの完全消滅」で、西側陣営から見るとちょっと対話がキツい集団である。この点でかつてイスラエルに何度もテロを仕掛けたPLOとは立場が明確に異なる。PLOとイスラエルの和平が中途半端な形で止まりアラファト議長が死に、影響力が弱まるにつれてハマスがパレスチナ住民の支持を受けて勢力を拡大、ガザ地区を実効支配するに至った。
そんなわけでイランの影はあるもののハマス自体はパレスチナ内から生まれたもので、他所から現れて無辜のパレスチナ住民を支配している連中ではない。そんなだから国連から送られる支援資金の何割かはハマスが中抜きしているし、支援物資は武器に転用されている(過去にその件でガザ内でデモが起きたが、逆に言えばそれができるぐらいに行政機関もどきとして機能しているわけだ)。というわけでパレスチナ住民=ハマスではないがパレスチナ住民≠ハマスという訳でもない、しかもハマスは(本人らの自認はともかく)国家として成立していないし住民を守ろうという気もない(イスラエルを攻撃することが最優先だ)ので、平気で民間人に紛れるし自爆テロもやる。自爆テロに関しては歴史が古く80年代からパレスチナ住民に神の国に行けるだの殉教すれば殺されても実質勝ちだの言って教化し自爆テロを指示してイスラエルの軍人・民間人問わず殺傷しまくっている。
先述した通りハマスは正規の国家でも軍隊でもないし、その目的はイスラエルの消滅なので軍人も民間人もなく殺す。そんな奴らが無辜のパレスチナ住民に紛れて活動している。そんな状況でイスラエル側の指導者が右派リクードのパレスチナのアラブ人なんて全部テロリストだろみたいな奴らとなると報復攻撃の在り方はガザ地区のパレスチナ人の全滅まではいかなくても「ハマスを攻撃する上で現地人が何人死のうと知ったことか。パレスチナ人の犠牲がいくら出てもハマスに損害を与えることが最優先だ。あそこにいる時点で大なり小なりハマスに与しているんだろう」という態度になり、今回のような惨状を引き起こしたのではないだろうか。
首相のネタニヤフは右派のリクード党首でありながら敵のハマスの攻撃を許し、イスラエル側に空前の死者と捕虜を生み出してしまった時点で大幅な失点がある。そしてその失点を補うべく現在の過激な報復攻撃に出たと思われるが、当然そんな殺戮は右派の多少の留飲を下げても既にイスラエル国内でデモが起きているように左派が強い拒否反応を起こす。紛争が続くにつれて200人以上の捕虜達も無事とはいかないだろうし、その結末が知らされる度に左右から「先制攻撃を許した間抜け」と「大量殺戮でイスラエルの地位に泥を塗る悪党」のWバッシングは避けられないだろう。
イスラエルの政治は戦争とテロを軸に左右に揺れているので、今回の紛争を機にネタニヤフは退陣し総選挙で中道のカディマあるいは中道左派の労働党らが政権を取るのではないだろうか。カディマはガザ地区からの完全撤退を掲げているし、ガザ地区をPLOに引き渡して今度こそオスロ合意が履行される…期待が少しは持てるかもしれない。
しかし中東に和平の兆しが生まれる度にイスラエル右派は自らの政治生命のために挑発行為を行い、パレスチナ過激派勢力(とその後ろにいるイラン)もテロによってイスラエルの憎悪を煽るのだった。人間はクソっすね。
現在はクソ外道として名の知れたネタニヤフ首相も、若き頃は軍の精鋭として大規模なハイジャック事件解決のための突入部隊として活躍し、一方で別のハイジャック事件では同じく軍に入った兄を作戦で亡くしている。いずれもパレスチナの過激派勢力によるテロだった。ハマスらテロリスト達が何の背景もなくハマスをやっているわけではないように、イスラエルの右翼も右翼をやっているだけの壮絶な理由がある。平和を実現するには右手で握手しながら左手でナイフを払いのけ、あるいは刺されても握手を継続しようとするとてつもない覚悟が必要なのかもしれない。
>イタマル・ベン-グヴィル (ヘブライ語: אִיתָמָר בֶּן גְּבִיר; 1976年5月6日生) はイスラエルの弁護士であり政治家であり、極右政党のユダヤの力(オツマ・イェフディート)の党首である。
>ベン-グヴィルは、アラブ人に対するヘイトスピーチでの何十件もの告発に直面してきており、ユダヤ人テロリストであり、マクペラの洞窟虐殺事件として知られる、1994年にヘブロンで29名のパレスチナ人イスラム教徒を殺害し、125名以上に傷害を負わせたバールーフ・ゴールドシュテインの肖像を自宅の居間に保有している。彼は政界に入った後でそれを除去した。1995年には、彼は当時のイスラエル首相のイツハク・ラビンのキャデラックのエンブレムを盗んだ後で、彼を脅迫して、こう発言した。「我々は彼の車を入手した。次は彼自身を入手するだろう。」その2週間後にイツハク・ラビン氏は暗殺された。
>第25回イスラエル議会総選挙において、ベン-グヴィルの党は史上最大の成功をおさめ、得票数を2倍以上獲得し、第25回クネセトにおいて第3番目の政党になった。ベン-グヴィルと彼の党は、ベンジャミン・ネタニヤフが率いる内閣と連立して政権入りする見通しである。
>2022年10月13日には、東エルサレム近隣のシェイク・ジャラー(英語版)において、ベン-グヴィルは、イスラエルのユダヤ人入植者と現地のパレスチナ人住民との衝突に参加し、銃を見せびらかし、その場で石を投げていたパレスチナ人を撃つように警察に言い、彼らに向かって大声で「我々がここの土地の所有者だ、忘れるな、私がお前の土地の所有者だ」と叫んだ。第25回イスラエル議会総選挙の翌朝に、彼がツイッターで勝利のツイートをした際に、何回もこの発言を繰り返しツイートした。
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/publications/mers03/mers03_fulltext.pdf
1915/01 H.サミュエル「パレスチナの将来』メモ一一英国保護下ユダヤ・コモンウェルス
ttps://en.wikipedia.org/wiki/The_Future_of_Palestine
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Balfour_Declaration
ttps://en.wikipedia.org/wiki/San_Remo_conference
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Churchill_White_Paper
パレスチナをユダヤ人国家にするとは言ってない。移民は経済が吸収出来る範囲で。
1929/08/23-29 西の壁事件 J133人、Ar.116人死亡
ttps://en.wikipedia.org/wiki/1929_Palestine_riots
嘆きの壁をめぐるデモからアラブとユダヤ人が衝突。ユダヤ人にとって第二神殿の遺跡、アラブにとってアルアクサ・モスクの一部。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Passfield_white_paper
1931/02/13 マクドナルドの BlackLetter
ttps://en.wikipedia.org/wiki/MacDonald_Letter
1936/04/25 アラブ高等委員会結成、全Pスト委員会設置 ゼネスト開始、ゲリラ戦広がる
ttps://en.wikipedia.org/wiki/1936%E2%80%931939_Arab_revolt_in_Palestine
太字じゃないけど重要なので。
1937/07/07 ピール報告書公表 -JA執行委員会「検討する」
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Peel_Commission
委任統治は実行不能、分割勧告。分割内容の評価は色々な立場があるんじゃないでしょうか。
1937/10/01 アラブ高等委員会非合法化/ハッジ・アミーンSMC議長解任 ゲリラ戦再発
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Arab_Higher_Committee
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Supreme_Muslim_Council
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Woodhead_Commission
ttps://en.wikipedia.org/wiki/White_Paper_of_1939
バルフォア宣言のナショナルホームは国家ではない。マクマホン書簡にパレスチナは含まれない。10年以内にパレスチナ国家樹立。移民・土地購入制限。
1939/08/16 アメリカにシオニスト緊急委員会設立決定
American Emergency Committee on Zionist Affairs
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Biltmore_Conference
"that Palestine be established as a Jewish Commonwealth."ニューヨーク開催。無制限移民を求める。1939年白書を拒否。
1943/08/29-09/02 全米ユダヤ会議、ピルトモア綱領採用
ttps://en.wikipedia.org/wiki/American_Jewish_Conference
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-American_Committee_of_Inquiry
10万人の移民。土地譲渡規制撤廃。パレスチナはユダヤ人国家でもアラブ人国家でもない。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_Special_Committee_on_Palestine
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Ad_Hoc_Committee_on_the_Palestinian_Question
もう滅茶苦茶だよ。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Andrei_Gromyko#United_Nations
1947/11/29 国連総会181号決議 ⇒パレスチナ内戦勃発
ttps://en.wikipedia.org/wiki/United_Nations_Partition_Plan_for_Palestine
(ハマス)
・イスラエルを攻撃しイスラエルから攻撃されることが存在意義(ファタハとの違い)でそれをアピールしないと他のアラブ人から資金が集まらない
・よって反撃を受けやすいようにイスラエルを攻撃する際も軍民問わずに攻撃する。
(イスラエル)
・ハマスの軍事拠点が民間施設内部にある以上まとめて攻撃せざるを得ない(これ自体は戦時国際法上合法)
・それを口実にしておけば無差別に攻撃しても言い訳が立ちやすい(テロリストと誤認しての民間人攻撃はギリギリグレーだけど無差別は完全違法で)
うん両者の想いがかみあっててWin-Winだね
相思相愛とも言える
そもそも民間人に犠牲が出る(戦闘に巻き込まれるだけじゃなくテロリストと民間人の厳格な判断なんてできない)から戦時国際法上もテロリストは保護されないんだけど、その理屈を双方が活用しているとも言える
間違ってたら教えて
(エジプト、サウジアラビア、シリア、ヨルダン、イラク、レバノン)
大昔は割愛
1.第一次世界大戦
イギリスが三枚舌外交(ユダヤ人にイスラエル建国を約束、アラブ人にアラブ人国家の設立を約束、ロシアなどに分割統治を約束)
結果こじれる
イスラエルは帰還法を制定し、ユダヤ人であれば誰でもイスラエル人になれるようにした
イスラエルに有利だったので結果こじれる
後ろ盾がなくなったため
4.オスロ合意にてイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が和平合意
これが1993年
これが1995年
6.徐々にイスラエルがパレスチナの自治区を侵略し始め、壁が建設され、パレスチナ人が追いやられる
7.ハマスが暴走、応戦してイスラエルが地上戦を始めた(今ここ)
イスラエル:ガザ地区絶許、ただやってることがホロコーストみたいになってる、もちろん穏健派も居る
パレスチナ人:我々はハマスではない、とするもハマスを否定もできない(イスラエルへの鬱憤からか?)
日本:アラブ諸国への石油依存度も高く、当事者ではないのでかなり中立、実はパレスチナ人支援も割りとしてる
地上戦が数ヶ月続くと見られる(ガザ地区は地下が深いらしいのと、ハマスの今回の動きが計画的だから)
ゲリラ戦であるため、ガザ地区の一般市民もハマスに協力すると見られ、非戦闘員に多数の死者が出ると見られる
エジプトへの人道回廊が作られる可能性も少しあるが、エジプトにとってメリットがないのと、エジプトに入ったらガザ地区へ戻れない可能性が高いとのことで、どちらにせよ結局ガザ地区に留まる人が多いのではないかという予想がされている
なお人質救出は無理そう
ガザ地区:約200万人
イスラエル人:930万人
なおパレスチナは130ヶ国以上で国として認められている、日本は未承認
あまちにも詰んでる、本格的に地獄になりそう
ユダヤ人をヨーロッパの人々、特にキリスト教徒が長きに渡って差別し続けたからである。
特に、カトリックの主流派は、ユダヤ人がキリストを殺したとかなんとか言って、ユダヤ人を差別しまくった。
そして、キリスト教では卑しい仕事とされた金融業をユダヤ人がやるようになると、今度は金持ちになったユダヤ人を妬むようになったのである。
こうして社会的に何か不安なことが生じると、何もかもユダヤ人のせいだと言って、ユダヤ人を集団で暴行し虐殺まで行うようになった。
そして、これほどまでに差別されるのは限界だと、ユダヤ人は差別されないよう自分たちの国を持つべきであり、パレスチナの地に帰ろうと、シオニズム運動が起こったのである。
それでもまだ当初は、シオニストユダヤ人がパレスチナで元々いたアラブ人と半ば共生的に緩やかに暮らそうとしていただけだったが、第二次世界大戦が始まるとナチスドイツがユダヤ人絶滅を企んでホロコーストを引き起こし、600万人ものユダヤ人の命を奪う事態にまで発展してしまった。
だから、戦後、そのホロコーストの驚愕の事態に同情せざるを得なくなった国際社会は、シオニストユダヤ人の望んだイスラエルという国をさっさと認めてしまったのである、アラブの人々の同意も得ずに。
しかしホロコーストは、決してナチスドイツのみの責任にはあらず、ユダヤ人差別の土壌が欧州の多くの国で根付いていたから起きた出来事なのである。600万人ものユダヤ人の命をナチスドイツだけで奪えたわけがないのだ。
ユダヤ人たちはディアスポラ以降、各地に離散したが、特に聖地に戻ろうとしたわけでもなく、その各地で小さなコミュニティを作って、それなりに平和に暮らしていただけだったのである。
そのユダヤ人にシオニズムを引き起こさせたのは、キリスト教徒たちのユダヤ人に対する苛烈な差別が原因である。
キリスト教徒たちは、現在パレスチナの地で起きている惨劇は、ユダヤ教とイスラム教の争いだとしか思わず、自分たちに原因があるとは思ってもいないに違いない。
元増田は何か上手いこと言ったつもりかもしれないけど、歴史的経緯を無視して「2000年前はともかく、今のエルサレムはアラブ人が住んでいるからアラブ人のもの」って言いだすのはちょっとまずいんだよね。
そういうふうな、過去の歴史より今現在、そこに居住している民族の実効支配を優先させるような論理は、それはそれで問題があるんだよ。
なぜなら、それを認めると、今、エルサレムを支配しているのはユダヤ人だから、エルサレムはユダヤ人のものって言い分に正当性を与えてしまう。
もっと言うなら竹島は韓国が実行支配しているから韓国のものっていう理論も認めないといけなくなる。
パレスチナはもともとオスマントルコ帝国の領域で、多宗教混住の地
ハシーム家の次男アブドッラー(シリア王国のファイサルの兄)がイギリスに建国を認めてもらって建国したヨルダン王国(当時はトランスヨルダン)が、第一次中東戦争でヨルダン川西岸(パレスチナ国家予定地)に侵攻・占領したのが問題の発端
増田も持ってないよな
"バラクは「ガザと西岸で、聖地や入植地、戦略的拠点を除いても、十分にアラブ人が暮らしていける土地は確保できる」と語り、あくまでイスラエルに有利な境界線と、パレスチナの非武装化のもとでの2国家併存策を主張し、「ユダヤ右派は一国家策で起きる問題への解決策を持っていない」としている。"
この数十年だけの問題じゃないんだよ、某放送局の掻いつまんだ説明を少しは読んでみてほしい。
...
パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ
どうしてイスラエルはこの土地で建国されたのか。それを知るには、2000年前に歴史を遡る必要があります。
イスラエル建国までの歴史
70年 |ローマ軍がユダヤ人の王国の神殿崩壊 2世紀前半 |「ディアスポラ」本格化 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1897年 |第1回シオニスト会議 1914年 |第1次世界大戦始まる 1915年 |フセイン・マクホン協定(アラブ人に独立国家を約束) 1916年 |サイクス・ピコ協定(英仏が中東を分割支配する密約) 1917年 |バルフォア宣言(ユダヤ人に国家建設を支持) 1933年 |ナチスが政権につく ホロコースト=ユダヤ人の迫害・虐殺 1939年 |第2次世界大戦始まる 1947年 |国連でパレスチナ分割決議採択 1948年 |イスラエル建国
パレスチナの地には、ユダヤ教を信じるユダヤ人の王国がありました。しかし、この国は2000年ほど前にローマ帝国に滅ぼされてしまいます。このとき、ユダヤ人は、パレスチナを追い出されて世界に散り散りになります。これを「ディアスポラ」と言います。
その後パレスチナの土地の支配者は、歴史に応じて変わっていきますが、アラブ人、今で言うパレスチナ人が住み続けることになりました。散り散りになったユダヤ人はヨーロッパや中東、アフリカで暮らすことになります。ただ、特にヨーロッパでは差別や迫害に苦しむことになりました。ユダヤ教の国で新しい教えを広めたのがイエス・キリストです。彼はユダヤ教の聖職者たちと対立し、十字架にかけられてしまいました。このため、のちにヨーロッパでキリスト教が広がると、ユダヤ人はキリストを処刑した人たちとみなされ、差別や迫害の対象になってしまいます。ユダヤ人はそれぞれの土地で、普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得ませんでした。その代表例が金融業です。やがて金融業の需要が増すにつれ、その土地土地で富を握るようになります。また、昔から自分たちの宗教を守るのに熱心で、子どもの教育にも力を入れてきました。識字率が高く、知識階級の中でも影響力を持つようになります。いろいろなことが重なって、疫病などの災難が起きるとユダヤ人を迫害する、という歴史が繰り返されてきました。
迫害が続く中、19世紀にユダヤ人たちの中で、かつて王国があったパレスチナの地に戻ろう、国をつくろうという運動が起こります。これを「シオニズム運動」と言います。それが現実化してくるのが第1次世界大戦の時です。イギリスが「ユダヤ人の国家建設を支持します」と約束して。ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドから資金援助を引き出そうという狙いです。
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