「二酸化炭素」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 二酸化炭素とは

2024-07-17

anond:20240717013111

温暖化二酸化炭素が増えることで海が酸性化するっていうのも相当やばいと思う。

サンゴや貝は炭酸カルシウムを基礎としているから大ダメージを受ける。

2024-07-16

anond:20240716103507

いや失礼だけどマトモな男なら迷わないだろ……… 訴訟リスクなんてありとあらゆるところにあるし、女性だけピックアップするのがもう性差別的だ。訴えられたりゃ戦えばいい。冤罪で信じずに離れていく知人なんてロクでもねー、最初からいない方がマシ。冤罪自体民主主義コストから不満を抱え必要な反抗をしつつも、コスト自体は飲み込むのが器。

ピーチ姫 v.s. マリーザ の話は、ユーザー短期的に求めてるものとは真逆選択肢を取る勇気の話だと思うね。ゲームを通して社会全体の性を作り上げていく積極性カプコンにはできた。任天堂ピーチ姫は引き継ぎなのでよしとすれば、全体的にはやれている。中小メーカーが隙をついてステロタイプ女らしさを使役して人気作を作れば台無しになる構図は、発展途上国二酸化炭素排出と相似。

2024-07-06

anond:20240706231731

同じ投稿を2回すると同じ内容で2倍の記憶容量を取る。二酸化炭素排出量も2倍以上だ。

娘の嘘を暴く

小3の娘には俺の部屋に入るなと言ってある。

帰ると部屋に違和感がある。

娘を問い詰める。

「お父さんの部屋に入っただろ」

「入ってない!証拠はあるの!」

娘を部屋に連れて行き、co2モニターを指さす。

「何これ?」

「これは二酸化炭素モニター。人がいるとランプの色が変わる」

1100PPMでオレンジ色のランプがついてる。

「いつの間にそんなものを~」

悪役のようなセリフをどこで覚えたんだか。

co2モニターの新しい使い道を見つけた気がする。

2024-07-01

樹木を「本」で数えるな

神宮外苑の件は、正直あまり興味がない。都民じゃないし。

でも「本数がちょっと増える」などと言っているのは少し、悪意がないのだとしても作為を感じる。樹齢数十年の樹木と数年の若木とでは、全く違うものだ。二酸化炭素の吸収量、木陰が作るヒートアイランド現象の軽減能力、近隣の人たちが一緒に育んできた時間。そういったものは、取り返しがつかない。どうしても数値が必要なら、樹木は「トン」単位で語るべきである

もちろん、老齢の樹木が弱って突然倒れたりする危険があるので、都市部街路樹は定期的に若くて元気な木に更新していくことが望ましい。だから切手を加えるべきではないなどとは、もちろん思わないけれども。

「○○トンの木を切ります。代わりに○○トンの木を植えるので、少し増えます」と何故言えないのか。どうしても、そこに欺瞞を感じざるを得ない。

すみません。トン単位言及している記事があったら私の見逃しです。ご指摘いただければ幸いです)

2024-06-27

〇〇っしー

アホくさくて全然調べてなかったけど、まあ糞非効率二酸化炭素固定化する置物みたいなもんかな? と思ってた

でも実際はエネルギーを投入して二酸化炭素を回収する=投入エネルギー生成にかかる二酸化炭素排出が回収量を上回るただのゴミ

ということらしくてビビった

いやこれも自分で調べて裏を取るべきなんだけど、それすら抵抗があるくらいアホらしい、というか見てらんないんだよなあの人...

無邪気な馬鹿ってより、悪意の塊じゃん

2024-06-23

二酸化炭素を吐き出して おれが発狂しているよ

2024-06-20

anond:20240620185105

普通死なない健康な人がポックリ死んでたら検死するだろうし、そうしたら二酸化炭素中毒はバレるのでは

ドライアイス完全犯罪出来るか

ちょっと前に棺桶ドライアイス吸って亡くなる人がいるってやってたけど、寝てる人の周りをビニール張った段ボールとかで囲って、大きめの袋にドライアイス入れて溶かした二酸化炭素を流し込むと終わりじゃない?

立ってる人は多分無事だし、後で換気すれば証拠も残らない。

ドライアイスなんて氷店で普通に買えるっぽいし、同居人殺意持たれたらどうしょうもない気がする。

2024-06-19

anond:20240618170245

歌の歌詞人類と猿の関係性をベースに書かれてるので、MVに猿を出す案を燃えそうと予測しつつも外さなかったんだろうけど、案の定燃えてんだから世話ないなー。

しかしまぁ、失敗こいてるMVはともかく、歌詞コカ・コーラ社への批判みたいにも読めるもので、作詞した人はすごい度胸あるなと思った。


炭素」をDNA構成要素の炭素と、地球温暖化を起こす人為的に産み出された二酸化炭素現代人の享楽的頽廃生活象徴コーラ炭酸にかけてるセンスは嫌いじゃない。

2024-06-12

炭酸水かうのばかばかしい

なんか家で吐いた二酸化炭素自転車空気入れみたいにして水道水に注入したら炭酸水が作れるグッズとか誰か売ってないの?ねえ🙄

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


2024-06-01

anond:20240601153900

人間が生きてるせいで二酸化炭素が増えてまーす

よって全人類は悪でーす

せーーーのーーーーー

論破!!

2024-05-19

anond:20240519175417

不動産=換金できないみたいなイメージがあるんだろうけど、問題なく売れるよ。

買うほうは大変で、住みたい街に予算どおりの家が売りに出されてることはなかなかないんだけど、売る時は相場どおりの値段をつければすぐだよ。

そりゃ、株みたいに今日売りたくなって今日ってのは無理だけど、何年も売れ残るなんて値段設定を間違えなければまずないよ。

値段が全てで、たまに相場より高く売れる場合も、安く売れることもあっても、ほとんど誤差。バラついてるようで、状態が悪いから安いとか、状態がよいから高いとか、そういうこと。市場効率性は賃貸とかわらないよ。

急ぎたければスーモあたりで相場より100万くらい安く値付けすれば即日問合せがくるよ。

売買の諸費用と、短期譲渡所得は税額が高いとか、そっちの問題短期売買は不利ってだけ。

それでも今は相場がいいから、短期でも利益がでる。買った人は勝ち組だよ。

俺も悔しい。

だけど、相場が悪くなっても、よっぽどなことがない限り、長期住むなら買ったほうが得だよ。

例えば、車で考えてみてよ。

毎日使わないかカーシェアレンタカー、乗り換えたいからサブスクなわけで、そりゃ、同じ車を20年とか乗れるなら、整備費含めてもそれが1番安いよ。

行政二酸化炭素とか排ガス問題で買い換えを促す政策をとってるから、サブスクや買い換えても差は僅差だけど、住宅に関しちゃ行政が持ち家有利になる政策を取ってるんだから賃貸の方が得ってのはないよ。

もちろんケースバイケースで、転勤が多いとかなら賃貸のほうが得だろうけど、長く住んで賃貸と持ち家がトントンはないわ。

俺、どっちかといえば賃貸派なんだよ。新入社員が1日でやめる時代に、一生同じ会社とかないだろうし、引越しはあるだろうし。

でも、それはそれとして、ここ10年以内に家買った人たちは勝ち組だよ。

コロナ禍に全力で株を買って含み益の人たちに、

「今はバブル所詮は含み益で、絶対に得しないよ!」って言っても酸っぱい葡萄じゃん。

2024-05-13

anond:20240513111032

いまさら聖闘士星矢の話をするようなジジイの俺らは、地球環境の話とかするより先に自分健康の世話をするべき 

 

寝た切り入院している間につかうコストでも二酸化炭素は増える

2024-05-06

子供部屋用意できんの?

東京って土地がさ、高いじゃん。

こないだの文化資本ホットエントリーじゃねーけど、今の都心の子は、狭いし忙しいしかわいそうだと思う。

俺はどちらかと言うと友達とワイワイなほうじゃなかったけど、それでも子供の頃は、小学校は、帰ったら玄関ランドセルぶん投げて友達と遊びに出かけた。父親は19時には帰ってきていた。一家団欒があった。

中学校に入ると、15インチテレビVHSミニコンポがある狭い部屋に同級生4人が肩寄せ合って遊んだゲームCD持ち寄ってさ、兄貴姉貴がいるやつは重宝されたな。

都心小学生は原っぱはおろか、遊べる路地も川もない。みんな監視が行き届いた学童保育

父親母親が早く帰ってきて迎えにくる家庭は、一家団欒のためじゃなくて塾や習い事の送迎。

都心中学生には個室がない。みんな一人っ子で、3人兄弟なんかほとんどいない。いたらいたで、個室あてがってもらえないしな。

そろそろ子育て環境として限界なんじゃねーかなとは思う。

給付金やら減税でどうにかなるレベルじゃないきがする。江戸時代なんかもっと過密な長屋暮らしでも子供は育ったんだから別に大丈夫なんかもしれんけど。子供はしたたかだから、勉強してるふりしてスマホ友達とつながってよろしくやってるんだろうけど。

いや、でも大人限界とおもわん?

都会人が都会の生活を手放せないのもわかる。

洋の東西を問わず、死罪の次に重いのが島流しだったわけで、文明人に取って文化を取り上げられるのは死の次に辛い。

でも、都民っていよいよ限界じゃないの?

電車通勤はその間寝れるとか勉強できるとか、かなり言ってることおかしいよ。

刑務所だって足くらい伸ばして寝れるし、17時には作業終了でしっかり8時間寝れると言うのに。

週末に美術館に行けたってさ、割に合わない気がする。

大人は命削って働いて発狂しながら子育て子供子供の時しかできないことを我慢させられて、その対価が美術館だとか博物館かいわれてもさ。

追記

製糸場の女工就業時間12時間かいうけど、休憩含めた拘束時間通勤時間含めたら現代人はすでにそれに近いと思うんだけど。

結核で死なないのは、栄養状態がいいからで、昔ならとっくに死んでる。

夏、冷房で部屋を冷やすと外はもっと暑い美術館に行けて幸せか?暑すぎて命を守る行動をとテレビが叫ぶ土地なのにさ。

冬、人が多い屋内施設らいつも空気は淀んでて二酸化炭素濃度が高い。レストランもそうだ。他人の吐いた息を吸うんだから、当然臭い病気うつる

こないだのパンデミックでわかったように、ひとたび感染爆発したら誰も止められない過密状態

家の中だって、各人の個室なんかなくて雑居房みたいな感じ。

2024-04-14

anond:20240414191005

微生物発酵の餌をあたえてるんだから微生物の作り出す二酸化炭素でそうなるのは避けられない。

2024-04-08

anond:20240408150209

無重量下では対流が発生せず呼気に含まれ二酸化炭素が滞留してしまうため、宇宙船内部の風速は換気システムによって一定に保たれている。従って宇宙船内部で宇宙飛行士おならをしたとしても即座に風にかき消され、屁の成分は空気中の不純物としてフィルタかなにかに取り込まれしまうだろう。

2024-04-06

EVについて議論するのがよくわからない

EVからって目的地に早く到着できるわけじゃないし、なんか生活変わるの?

スマホのおかげでポータブル音楽プレーヤーデジカメ駆逐されたみたいな生活の変化あるんかな?

5Gで世界はこう変わるみたいな話みたいに、充電インフラが整備されたらなんか生活変わるの?

ガソリン車では月に1回給油してた人が、車検の時に充電すれば2年くらいノーメンテで乗れる的なわけじゃないんでしょ?

二酸化炭素問題はわかるんだけどさ、消費者に訴えてくるようなやつがもっとこうないわけ?

追記

トラックバックブックマークコメントを読むと、家で充電できればちょい乗りには便利、排ガス蓄電池として利用、加速等の運転性能あたりが利点らしい。

目新しいネタがないな。

もっとこうないの?」ってのはさ、スマホ的なイノベーションがないのか?って聞いてるの。4輪車をモーターで動かしたら、すごいことになんかないの?

個室浴場と接待を合体させたらソープランド爆誕みたいなやつってないわけ?

ガソリンで走る車が電気で走るようになったとかより、車にエアコンがついたとか、パワーステアリングがついたとかの方がらよっぽど画期的じゃねーかなと。

あんま興味ない人からすると、3Dテレビみたいな感じ。3D元年とかもてはやしたけど、モノクロからカラーになったのに比べればみたいな。

そんなんよりデカテレビがうれしいよ。

トラバブコメで唯一、アリかなと思ったのは、蓄電池としての利用くらいかな。

太陽光で発電してBEVに蓄電、そんで夜は蓄電池生活、最高じゃないっすか!

でもさあ、昼間に車で出ちゃったら蓄電できないし、夜に蓄電を使い切ったら車として乗れないじゃないと思うんだけど。

まあ、夜使った残りでも街乗りくらいできるのかもしれない。都民は車所有者でも1日に10kmも乗ってないっていうからアリなのかな?とか考えたけど、じゃあ、車所有しないで自転車生活したほうがエコだと思うんだよね。

EV推進派、なんか嘘臭いんだよ。

ガソリンスタンドに行かなくてよくなるとか言われてもね、時計マニアに「自動巻きだから電池交換不要」って言われてるような感じ。

加速が凄いとか、振動がすくないとかも、「このオメガは水深何メートルでも使えて」みたいな自慢聞いてるような感じ。

都市に住む車を必要としない生活をしてる金持ちが、無知田舎民をバカにしてるような感じで、どうも胡散臭い

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