はてなキーワード: コールセンターとは
起きたことをそのまま書く
この文章は推敲もしてないし見直しもしてない、最後の決死文のつもりで書く
三島由紀夫は最後にあんな名文を書いたのに自分の最後の文章はこれか
三宅香帆はあんな適当な文章でベストセラーになったのに自分の文章はこれか
今週2回もマッチングアプリでぼられそうになった
マッチングアプリと言ってもPair〇とかwit〇みたいなメジャーなやつじゃない
①アパレルの女
「西武新宿にいるね」
「カラオケ館の前にいるね」
「ごめん、仕事終わんない」
「家近いから一旦家帰るね」
なぜ?
待ち合わせ場所過ぎてるのに家に帰る?
21時
やっと現れた
なんだ、このハーフみたいな女は
遅れてきたのにやっほーだと?
「先週、友達のインスタに面白そうなバーの写真が流れてきてそこ行きたいです」
②コールセンターの女
この女とは1週間前からやり取りしていた
11/16当日
GUCCIの前で待ち合わせ
案の定30分遅刻(この間に監視班に見られている!!!!!!!!!)
20:15現れた
紀伊国屋書店の前で合流
新宿三丁目の店を提案すると「新宿3丁目は先輩が飲んでいるからいやだな」
無印良品の上の番屋に入ることにした
席につくなり「あ、電話が」と女出ていく
正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家は生活保護だったと思う。
父親と母親は離婚しており、シングルマザーで姉妹で育ててもらった。
私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまり言わず従っておりそのたびに母親に褒められていた。
母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。
母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。
保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。
そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。
アパートに暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。
姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。
私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。
地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由で農業高校に入った。
家から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。
小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。
そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。
高校二年のときに大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。
最悪の出会いだった。
医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。
この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存だけが残った。
母親にお金のことは気にしなくていいから大学に通って良い、と言われた。
底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたから奨学金を借りなかった。
入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。
そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。
もう大学に入学してしまったからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。
利子が60万ついた。
私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。
親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。
しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族は生活保護を抜けて生活をしていた。
短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。
この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。
ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。
学校のカウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。
栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。
考えなしの馬鹿だった。
勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。
なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業に就職した。
実家からどうしても離れたくて地元以外の場所の店舗の希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。
実家から店舗への距離が10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパートに引っ越した。
その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。
ここまで話には出してこなかったが、母方の実家の祖母は気狂いだ。
宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。
昔の人だから働いたこともなく、祖父のお金だけで暮らしてきた人だった。
私は祖母に友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母がたまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手に友達の家に侵入してきたことがあった。
ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。
こういう人だから、いつ学校に不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。
中学の時に祖父が亡くなり、母の精神がさらに不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。
母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。
そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。
だから祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。
話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラとセクハラが横行するブラックだった。
ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。
エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。
また、登録販売者の資格を入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。
その結果は上司に送られる。
そこで結果が悪いと、休憩時間、休日も店舗に強制出勤させ、勉強をさせられた。
家に帰ってもずっと勉強をしていた。
私は馬鹿で記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。
仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイトの大学生と比べられることが多かった。
店長は2つの店舗を兼任しており、ほとんど私のいる店舗にはいなかった。
店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。
出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑だから休むなら休むで帰って」と言われるようになった。
後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。
期待するな。
あまり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。
こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。
「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。
院内でいじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。
辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。
生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。
実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒で暮らしてるだけになってしまうから。
生活保護は案外すんなり通った。
その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。
しかしメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。
ここで生活保護を抜けた。
2年ほどだった。
父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。
毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。
叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査で統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病か判断する検査をした。
うつ病だった。
その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。
希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手にベランダから落ちようとするのだ。
流石にそのことを姉たちに打ち上けた。
ひどく失望された。
これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親が女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。
通った。
生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。
色々あって、結果的に新卒の会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。
メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持の状態が続いていた。
外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホでyoutubeを流して横になっていた。
最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモートの営業を二ヶ月だけやった。
何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。
全部メールとチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。
下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保や医療費を払っている。
ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。
ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。
猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病で治療費がちょうど9万だった。
たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。
偶然に助けられた。
正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。
だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。
不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用は人間に比べたら大したことなかった。
でも働いていなかったら?どうなっていたかわからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。
話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。
欲が出た。
ルームシェアをしたいと思った。
ただそのためには生活保護ではいけないし、貯金も100万以上ないと引っ越しは難しい。
私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。
どこも受からなかった。
クローズ就労がほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。
でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。
色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。
このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。
今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。
だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。
7年の空白期間はでかすぎた。
正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブで喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。
そもそも精神不安定な自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。
田舎なのでまともなB型、A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。
もう諦めるしかないのかな。
就労支援事業所はバスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神が不安定になる。
それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。
フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。
生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態で病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。
ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。
障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。
13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。
何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力も勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。
駄目人間だ。
だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。
親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。
というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか?未来のことを考えると憂鬱になる。
隣の芝生は青いというが、
せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。
ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。
糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。
正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。
本当にどうしよう。
恐らくここから辿った未来が少し前ネットで流行った「美緒48歳」なんだと思う。
誰か教えてくれ
https://anond.hatelabo.jp/20241028152204
在宅でできる副業、短時間だけできる副業、お小遣い程度で良いから稼げる副業
そういうのは基本、世の中にほとんど無いんですよ
俺も在宅で副業みたいなことしてるから、よく聞かれるんだけどさ
なぜ無いか?
やりたい人があまりにも多すぎるんだよね
在宅ワークって言えば聞こえは良いけど、要は内職なんだよね
内職の平均時給知ってる?500円以下だよ
これは内職の法律が家内労働法っていう、バイトとかとは別枠で存在してるから
工賃の例
https://jsite.mhlw.go.jp/tokyo-roudoukyoku/jirei_toukei/chingin_kanairoudou/toukei/t-saitei.html
なんで安いかといえば、まあ法律が単に古いっていうのとか、それ以上上げたらビジネスが成立しないとかあるけど
安くてもやりたい人が多すぎるからなんだよね
俺のかーちゃんも昔内職やってたけど、あれ思ったよりハードワークな上に品質にうるさいんだよね、ちょっとでも雑なら買い取りされない
相当にしんどいよ
ここ10年くらいクラウドソーシングが流行ってきたけど、PCの中で完結できる仕事なんてほとんどが自動化できるんだよね
当たり前だよね
で、残るものと言ったらほんとにまだ自動化出来てない一部のタスクと、専門性が高いものと、コミュニケーションの類、あと人が居てようやく成り立つものとか?(チャットガールとか?コールセンターは自動化が進んでるし)
全体のパイが少ないし、専門性や特殊スキルでもなければほとんど残らないわけ
で、やりたい人は多いから買い叩かれて、時給がどんどん落ちる、500円は普通に割る、下手すりゃ300円も割る、個人事業主だから労働基準法は無視される
それでもやりたい人がいるから酷いことになる
じゃあインターネットで渡せない、物理的なものはどうなん?となると、それは内職になるわけ
内職という形じゃなくても、相場はそこら辺に落ち着くんだ
結果、地雷8割本物2割となると、市場が成立しなくなって壊れる
最悪なのは、唯一まともそうに見えた仕事が地雷や詐欺と言うパターンで、こうなると人はそこで諦めてしまう
一部のコネがある人や、運が良い人はのぞいて
専門性がある人ですら、土日だけ働きたいとかそういうのは成立しづらい
例えば、フリーランスフルタイムの時給4000円級の仕事の場合、土日のみ副業者は時給2000円くらいが相場になったりする(在宅に限らずね)
これはやはりやりたい人が多すぎるからだと思う
あとは週2日で雇ってくれるのが少ないんだと思う
(普通の儲かってる会社はそんなの募集しなくていいんだよね、業態によるけど)
結果薄給になるんだけど、正社員や専門家という安定職業に慣れた奴らはその労働環境と賃金に耐えられず「割に合わない」と言ってやめていくんだ
一応これ攻略法としては、週3と週4の2つの複業すれば解決するんだけどね、できるもんならな(俺はやってる)
一度在宅ワークや副業をやると、普通のバイトってなんて素晴らしいんだろうとなる
「そこに居てそれなりの仕事をするだけで金くれる」のパワーってすごいんだよね
そう考えると、UberEatsとか、あとは一部のタイミー系みたいな
ちょっとだけ働けるシステムってのはそれだけで貴重ですごいと思う、もちろん貧テックであり闇深なんだけど、闇か無かみたいな話だし
(あ、これも一種の副業だから、こういう副業はできるよね、タイトル詐欺になってる。まあパイは小さいけど)
ただし在宅のギグワークはほぼ無いんだよね、やっぱ無理なんだと思う
あと地方にもない
「学び」って言う時点で未経験な部類でしょ?無理に決まってんじゃん
やるなら「無料でもいいから学びたい」か「強い専門領域で小銭稼ぎ」かのどっちかしかない
そしてそのどっちも割ときつい
ーーーーー
ないと言ってるくせに自分ではやってるとか矛盾したこと言ってることに気づいた
あと、本当は成立する副業はあるんだと思うんだけど
そういうのって募集するほどのものでもないから見つからないんだよね、市場に出ないというか
体内リズムの変調による睡眠障害、慢性疲労、情緒不安定、高血圧、糖尿病、心臓病、脳卒中などの生活習慣病やうつ病のリスクが高まる
・家族や友人との予定が合わせにくい
・日光を浴びる機会が減少する
・食生活の乱れ
夜勤によって睡眠不足に陥ると、体調管理が難しくなり、生活リズムが乱れます。また、体内時計に影響するため、正常なメラトニンの分泌が行われないことで浅い眠りや慢性疲労を引き起こします。
夜勤の仕事を選択する場合は、これらのデメリットを理解した上で、健康管理に力を入れる必要があるでしょう。
清掃員
工場勤務
よくインターネット掲示板で夜勤はやめとけと言う意見を聞きます。現在夜勤をやってる方は、夜勤についてどう思いますか?体に不調など現れていますか?
回答
人間夜は寝ないとだめだとのことです。体内時計が狂うと体を壊しやすくなるそうです。
あとその時間帯は外国人留学生や、ダブルワークのおじさんおばさんが多いと言っていました。留学生はともかく、そんな時間帯に働くのだから訳ありの人ばかりだったそうです。
つまり夜勤をするという事は人間構造に逆行している間違った行動をしていると言え
そのための弊害として様々な健康被害が出てしまうという事です。これは同然の代償です。
ですので、いま夜勤を続けて健康だと主張しているにもう一度言いますが
人間の基本構造に逆らいこれからも夜勤を続けますか?と強く言いたいです。
夜勤は劇薬です。一時的に稼げる、採用されやすい、自分には合っている
この様に言っている人がいますが必ずこのツケは、あなたの身体で支払う事になります。
これは例えではなく命を削って仕事をしていることを決して忘れないでください。
そしてここまでの話を聞いて夜勤の仕事に疑問を持っていた、いつか辞めようと思っていた人は
この記事をキッカケに本気で考えてみてください。そして、できるだけ早いうちに転職して昼の仕事に就きましょう。
健康第一です。ぜひ本気で動きましょう。
もうこれ半分人権侵害だろ
https://jp.quora.com/コールセンターで勤務しているのですが-怒鳴られる
これ読んでコールセンターはやっぱり辛いって改めて思ったけど、怒られてる原因作ってるのは必ずしもコールセンターの担当者じゃないってことが唯一の救いだと思った。
だけど俺は本社と系列店舗向けの業務システムを一人で構築運用してコールセンターも兼務している。
なにか問題があって怒られるとコルセンター兼開発者の俺が原因ということになるので逃げ場がない。真正面から謝り続けている。そのうえで不具合の原因調査と説明、バグ改修、テスト、本番環境へのリリースまで一人で行っている。
よくあるのが、足りない機能があるから早く用意しろと散々叩かれて、俺がやっとのことで開発して運用にこぎつけて不具合がなくても、結局何も言われない。問題があるときだけ俺が怒られる。面白いくらいにワンパターン。
俺の構築したシステムは運用を開始して既に5年以上経過しているが、曲がりなりにも一度もシステムダウンを起こしていない。
前の他社で構築したシステムは年に数回システムダウンがあって業務が止まることが多々あった。
それでも、前のシステムより改善したことについては何一つ良いことを言われたことがない。
前のよりも使いづらい、前のシステムに戻せ、お前の作ったものに金なんか払いたくない、いまだに言われる。
その一方で、本社の営業担当や役員、スーパーバイザーなど、別の立場で系列店舗と接する社員は関係が概ね良好だ。中には、うちの社員に、あのエンジニアどうにかなんないですかねーみたいな愚痴を言う人までいる。
辛いのは最初だけで、だんだんなれるだろうと思ってたらそうでもなく、最近、体が微妙に不調になってきた。
こんな状況で、どうやって良いモチベーションを保った魔まま心身健康に続けることができるのか、気持ちを保ち続けることができるだろうか? よくわかんなくなってきた。どうしよう?
ただし辞めるという選択肢はナシで
【追記】
辞めるという選択肢はナシでって言っても辞める話する増田ばっか出てきて辛い。
理想を言えば、俺が完全無欠なシステムを提供維持してユーザーと対等な立場でにこやかに日々のやり取りができればいいのだが。そのスキルも根性もなくて辛い。
ユーザーから感謝されることも全く無いわけではない。しかしそれはほとんどの場合、俺のせいで不具合が生じてユーザーから指摘を受けて直した後だったり、こちらの至らなさで操作方法が紛らわしいために質問を受けて回答しただけだったりするので、なんだかマッチポンプみたいで罪悪感を感じる。
また、ユーザー側のシステムに対する期待度、できて当たり前の水準が高すぎるのも辛い。こんなのもできないのか、とかExcelでやればちゃちゃっとできるだろ、みたいな叱責を受けることもあるが、お前がやってみろよって何度も喉まで出かかって耐えた。
プログラミングのことを知らない人間にプログラミングの難しさを説明することができないがために、プログラミングを知らない人間との信頼関係を構築できないでいる。
怒られる原因作った人間と怒られる役割の人間分けたほうがいいというブコメの指摘あったけどそうなったら楽かもしれないけどそれは無理。
実際は、怒られる役割を俺の代わりに少しかぶってる人もいるけど、当人にとってはあまりにも理不尽でやってられないし、怒る側はおこる側で「悪いのはあなたじゃなくてあいつ(つまり俺)だけど」って前提で怒ってるんで結局同じことになってしまう。
ブコメで、「他人(同僚、顧客)に期待しすぎ」ってコメントがあったが、なるほどこういう視点もあるんだね。俺としては、他人に期待してないからバグ修正や機能追加を地道に続けて、口よりモノで不満を黙らせ続けるしかなかったんで。