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ダークソウルっていったらあれだ。俺にPS3を買わせた作品だ。
当時、自分は「PS2で十分でしょう。PS2の方が面白いゲームいっぱいあるし。」とか言っていた。てか、当時はそういう奴がいっぱい居た。
俺がPS3をはじめて触ったのは大学生になって大学の友人が大学の近くに居を構えて、働きたくないと考えて進学したバカ5人が20歳を越えて、そのワンルームで毎日のようにくだらく集い、馬鹿騒ぎをしていた頃だ。
友人が「めちゃくちゃおもしれぇゲームを買った。」といった。それが、今年の二月に惜しまれながらオンラインサーバーが閉じたデモンズソウルというゲームだった。
4人はその友人のプレーを見つつ「何回も同じ死に方してるんじゃないよ」だとか、「お前ほんとゲーム下手だな」と笑いながらプレーをしていた。
彼は、ガンダムVSガンダム NEXT PLUSで5人の中で自分の次に強かった。なのでアクションゲームは得意なのはずなのだが、彼が操るキャラクターは慎重で、おおよそスタイリッシュとは言えない動きをしていた。
彼は「なら、増田くんがやってくれ。このゲームがどれだけ難しいかわかる。」と言われ、夜中の1時、酒も廻りに回って周りがグダグダしていた時刻に自分は友人からノーアドバイスでキャラメイクを開始した。忘れもしない。
選んだのは「貴族」だ。レイピアを持っているのが気に入った。自分は当時の2chコピペで「レイピア」を「レイパア」というのが流行ったせいでレイピアが好きになっていた。
ゲームを開始する。説明を読みながら進める。青目の騎士を戦う時、友人はなにも言わない。拡散の尖兵と戦う時、友人は「お前はこいつに負ける」と言い出す。自分は「馬鹿なこと言っちゃいけない。このゲームの本質はわかった。モンハンのようなアクションにみせかけたターンバトルだ。」といううちに自分は尖兵に一発を喰らって負けたのだ。友人は笑っていた。
そこから、酒の酔も冷め、起きているのは自分と友人で金曜日の夜から日曜日の昼までひたすらにナビ友人、プレー自分でデモンズソウルをして、一周終わらせたのだった。
その友人から「デモンズソウルの続編がでる」と聞かされたのは社会人になったばかりの頃だった。
働きだして初任給を貰った時、「これだけあればPS3とダークソウルが買えるのではないか」と考え、働きたくない思い全てをこのダークソウルに託して初仕事をこなしていったものだ。
サービス開始したダークソウルは、まさしく「ダクソ」であった。
デモンズソウルの良さが全て失われたオンラインシステムに憤慨した。
まず、オンラインプレイなんてできないレベルでサインが見えない。そもそも発売後1週間はオフラインプレイ強制だったはずだ。間違いない、自分は2日目あたりでオーンスタインとスモウというダークソウルの難関と呼ばれるボスで、レイピアと弓を巧みに使い、いや、実際はスモウが倒れた後のオーンスタインが柱に引っかかり、遠距離雷しかしてこなくなったおかげで、弓でチクチクとダメージを与えて勝った。「オンラインプレイさえあれば」と何回も思ったものだ。このオーンスタインとスモウに3日間進行をストップさせられたのだ。友人はその頃「病み村が越せねぇ、しかも戻れねぇ、詰んだ」と言っていた。
友人に「手伝ってくれ」と言われてレベルをあわせたキャラを再度作り、サインを書くがマッチングまでによくて15分かかる。
それでも、自分がダークソウルをひたすら何周もしたのはストーリーが良かった。
一周目は楽しむことすらできなかったストーリーだが、情報が揃ってきて、NPCの腹の中がわかると、自分の作ったキャラクターの世界が広がったようでワクワクした。
ちなみに一番好きなNPCはローガンだ。彼はおおよそオビ=ワン・ケノービめいた賢者として書かれるが最後は神の智慧を身に着けて、服を脱ぎ去り狂ってしまう。しかし、主人公に分け与えた神の智慧により一撃で討たれてしまう。可愛そうで一番ダークソウルらしいキャラだと思う。ダークソウルでは、主人公に友好的であればあるほど狂人となってしまうのだ。悲しいね。
全く飽きる事もなくやりこんでいたらその一年後、DLCがでた。いや、まずは先行でPC版(DLC内包)がでた。
日本ではおま国で変えなかったが、ロシアのシリアルをロシアの販売サイトで買い認証させて無理やり始めた。PCでは、慣れないXBOXのコントローラーを使い、☓と○が逆なのを有志が作ってくれたmodで解消し、これまた有志が作ったmodで画質を上げてプレイした。
正直言って震えた。DLC部分だ。正直に言うと、オーンスタインとスモウは、上述の経緯から完全に自分のトラウマであり、敵であった。四騎士の物語は考察を読むが「シフがかわいそう(小並感)」ぐらいの感想しか抱かない程度に敵視していた。
深淵歩きのアルトリウス。DLCは彼にスポットが当たった。DLCをやり終わった後、自分にあったのは深い四騎士への愛情だった。
あんだけ敵だと思っていた四騎士も、結局は自分がいいと思うことをしているに過ぎなかった。アルトリウスはウーラシールを深淵から救うため、オーンスタインはそうやって得た平穏を守り、グウィン王の意思に従った。キアランとゴーはなんかしてた。
よく考えたら無数に借り続けたオーンスタインとスモウ。オーンスタインが死んだ時、スモウはためらいなくオーンスタインの力を吸い自分を強化するが、オーンスタインはスモウが倒れた時、そっと駆け寄り、兜で顔は見せないが悲しむようにうつむく。そして、意を決して力を奪い取るのだ。王女の間へ行く資格をプレイヤーがもつか試すために。
アルトリウスは主人公が相対するとき、完全に深淵に取り込まれ、左手を失った狂人として戦う。その強さは凄まじいもので、今まで属性武器や呪術に頼った人間ほど苦しめられる耐久と素早さをもっていた。オーンスタイン以上である。しかし、彼とシフの関係。深淵歩きの逸話、そして、DLCをクリアした後のシフとの戦いでプレイヤーの心は「フロム許せねぇ」という域まで生き身体は闘争を求め、ACの新作が出た。
完全に四騎士、特にオーンスタインとアルトリウスに心を奪われた自分はコスプレキャラを作り、わずかに拾われる可能性がありそうなDLCエリアにサインを出しまくったものだった。
ダークソウル2のファンには申し訳ないが、自分はダークソウル2が受け入れられなかった。
四騎士、特にアルトリウスとオーンスタインの扱いが「お前らコイツら好きだろ?サービスして提供してやる」といったような雑な扱われ方されたのが一番うんざりしたが、自分が思想を巡らせたダークソウルの世界が完全にフロム側にいいように利用されたような気がした。
ゲーム内容は面白かった。多くの武器に多くのアクション。大味で迫力のある魔法と、ステータス重視のアクション性ははっきりいって面白い。ダークソウル2は好きな人がいるのも頷けるほどゲーム内容はよいからだ。
でも、ブラッドボーンは好きだ。ダークソウルと共通点を見出すなら、ブラッドボーンもダークソウルと同じく、主人公に友好的であればあるほど後半にひどい目にあうのだ。正直、主人公以外救われていない。これがフロムのやり方なんだなと安心した。
ダークソウル3は2よりマシだ。
まだ、四騎士が匂わせる程度で済んでいる。なんというか、自分みたいなめんどくさいファンに配慮してか、批判を避けるためか、四騎士はフレーバーとなった。しかし、ダークソウルにガッツリと関わる「火継ぎ」の続きが書かれていて、ダークソウルをプレイすればしているほど、自分が冒険した結果が隅々に表れていて心を打たれた。
最後のボスのBGMがグウィンアレンジなのは今思えばあからさまかなとおもったが、ゲージを終わらせて、火継ぎの歴史と戦ってる前半では流れず、グウィンのような力を手にしたボスと戦う後半で流れるのはそんな事考える余裕もなく、感動でしかなかった。何百回とパリィで殺してきたグウィンはパリィを拒否してきたがまさしくグウィンだった。
はっきりいって最高だ。多分、2や3をしたあとに全くプレイしていなかったが、2や3をプレイした後だからこそ、このダークソウルの物語はまるでダークソウル内では歴史に確実に残るような大事な演出がされているが、3からみるとたったちょっとのことなのだ。たったちょっとだが、無ければ3の世界はなかった重要な事なのだ。ダークソウル全体の世界で見ればものすごくものすごく小さな事。
そして、戻ってきたのだ。
アノール・ロンドのソラールが座っている篝火に到達した時、びっくりしたのはそのサインの多さだった。そして、サインを書くと数秒で拾われる活気。P2P方式のオンラインからサーバー方式のオンラインになり、ダークソウルが完成したのだ。
もうなにも言うことはない。完璧なダークソウルだ。自分がダークソウルに不満を持っていたことが解消された。
今後、SWITCH版がでる。
SWITCH版ではじめてダークソウルに触れる人もいるだろう。
そんな人が、自分が勝手に思惑して、勝手に魅了されて、勝手に妄想を爆発させた(俗に言うフロム脳)世界を初見で、しかも最高の環境でプレイできるなんて羨ましすぎる。
きっと自分みたいにオーンスタインを恨みに恨んで心が壊れる寸前まで行く人はいないだろうが、あんな思いはしなくてもいいのだ。最終的には自分はオーンスタインを愛しているし、きっとしゃべるNPCであったならローガンを越えて一番好きなキャラと言うほどだろう。まぁ、でもやっぱローガンが好きだ。
最後に、ローガンについてフロム脳を爆発させてこの増田を終わらせたいと思う。
再び見て思うのは、多分、ローガンはプレイヤーの時間軸の人間ではないということ。小ロンド遺跡に鍛冶屋のリッケルトがいるが、彼は「100年前にヴィンハイムにいた爺さん、ビッグハット ローガン」の話をする。
いや、このダークソウルの世界の人物は全員不死なので、爺さんが不死になり、100年間正気を保ったまま冒険をしていた事で辻褄は合うが、リッケルトやグリッグスが100年間生きているような器に思えない。また、ソラールが白サインを「100年前の伝説がいたかと思えば」というような話をして、その時間軸を合わせるために白サインがあるという話をする。一見すると、ゲームシステムを保管した説明に思えるが、実際はダークソウル世界では伝説的な人物なのだと思う。
事実、ダークソウル3ではローガンの残した影響は大きい。結晶魔法はローガンが作り出した魔術だが、結晶の古老はローガンのように結晶魔法を使い、しかもビッグハットをかぶる。ローガンのスクロールには結晶魔法について書かれている。
ダークソウル3ではダークソウルの四騎士は匂わせる程度といったが、下手をすれば名が忘却の彼方へ行ってしまっているのに対して、ローガンだけははっきりと残っている。つまり、ダークソウルの時点で彼は伝説的、または伝説的偉業を残した事が伺える。そんな人物が正気を保っている時の話を聞けるなんてものすごいことではないだろうか。最も、ダークソウル3の時点で名前を残しているキャラは結構いるが…(ハベルや、ファンサービスではあるがパッチなど)
この間あるアイドルコンテンツのツアー行ったんですよ ライブビューイングなんですけど
キャラじゃなくて声優の方 コンテンツ自体はあんまり興味ありません
というか曲もキャラクターも好きだけどゲームとなによりオタクが好きじゃない
というか2次元のオタクほんとめんどくさいなって思いますがその中でも特に理解できない
歌って踊ってファンサービスしてアイドルの真似事してる推し世界一好きだけど絶対コンテンツのオタクに囲まれたくないし向こうもそうだと思う
だってわたし推し見に行ってるから キャラクター可視化できないから
ステージに立ってるのは推し1人だし歌って踊ってるのも1人 「○○役の××」ってそれだけ
推しは「○○」ってラベルを貼られることは一切ない なにもない空間にもつけられない
「キャラが見えた」「完全にキャラ」って言ってる人がよくわかんない
推しが「○○」ってキャラと一緒に歌おうとするとき、いつもとおんなじ顔だしおんなじ声だけど違う人な気がする
元々完全に裏方の職業だったのにライブが増えて、アイドルものが戦国時代に入って、声優に顔面レベルが求められるようになったから立ち位置がすごく曖昧になってるのではと思う
キャラクター厨の人ってこういうライブどうやって楽しんでるんですかね
だって自分がつけてる缶バッジとかラバーストラップについてるキャラクターはそこにいないんですよ スタイルも顔も全然違う、声だけが同じ人がそこにいる
声優ってキャラ厨にとってどういう存在ですか?推しの声帯、ただそれだけですか?じゃあライブ中って目瞑ってるんですか?それとも声優も好きとかそういうこと?
キャラ厨は声優に、こういったライブでどういうパフォーマンスをして欲しいと思うんでしょうか
キャラの真似事して欲しいんですか?それともただキャラの声を出してくれればいいんですか?
好きなキャラと推してる声優が違うって人も結構いますし全員が並んだときどっち見るんでしょうか
不思議ってまず2次元のオタク大体が好きキャラいるとは思うんですけど謎 だって供給少ないじゃん
一時期キャラ厨やろうとしたけど供給の少なさに耐えられなかった
それと比べて生きてる推しって毎秒新規書き下ろしだから恵まれてるよね
むしろ2次元のオタクってそこを二次創作で補完するのかな そういう目的?
なるほど
てかほんとそもそも声優のオタクしたことなかったから常識すらわかんない
2次元好きじゃなきゃダメなんですかね どう頑張っても推し以外に興味持てないんですが
推しの声がするからってソシャゲ走ったり缶バッジとかラバスト集めたりしなきゃダメなんですかね
イベント出るなら全部行くけど
でもイベント行くにもコンテンツの勉強するのが常識らしいですよ ただ「推しが出てるから」で行くのは失礼なんだって
声優厨って興味ないものにも興味持たなきゃいけないんですかね 大変だね
別に名指しでこのスタンス叩かれようが他人に強制される謂れないし変える気もないですけど
というか一応全部一回手は出してみるけど大体飽きてしまう 1つ以上のもの好きになれないんだわ
コンテンツのライブに推し見に行くことってほんとはダメなことなんですかね
推しの出ない時間が長いと飽きてきちゃうんですけど他のオタクに殴られるんですかね
わかんないな〜なんかこういうスタンスの違いって今までのジャンルが2次元か3次元かで違いそう
楽しかったんだけどとても残念だった。
そもそも声優個人にあんまり興味がないからそう思うのかもしれないけど、キャラクターを演じきれてない声優がとてもとても残念だった。それが自分の推しが顕著だったのが特に残念だった。
まず歌声がほとんど声優自身の地声。時々キャラクターを意識してるような時もあったけど殆どが"声優の歌"で推しの歌じゃなかった。
これはステージの上に長時間立つことで難しくなるのは分かる。全部が全部作れとは言えないけど、全部を作るなとは言ってない。最初の1曲目ぐらいもっと意識をして欲しかった。
次にファンサービスなどの演技。演技って言うのはおかしいけど、歌やダンス中での仕草やファンサービスが全くキャラクターを意識してない事。
特にファンサービスがひどかった。投げキッスやセクシーさを前面にしたものばかりで普通のファンサが少なすぎた。推しは別にセクシー売りはしてないし、投げキッスばかりするキャラクターじゃない。たまにするのは意外性が出るかもしれないけど、常にされたらただのキャラ崩壊。それでキャーキャー言われて本人は楽しいかもしれないけど、推しを見に来た自分はただただ残念だった。
声優がステージに立つ事がそもそも大変なことだと思うし、全てを完璧にできるとは思わない。それでも、作品とキャラクターを背負ってその場に立っている事は少しでも意識して欲しかった。推しのライブをして欲しかった。
原作ではゼノンが自ら宣戦布告して人類にデーモンの存在が明らかになる流れだったが、crybabyでは了が自ら権力を駆使してデーモンの存在を知らしめるためにあの手この手滅茶苦茶やる。その行為に必然性が感じられない。
露骨なまでにデーモン優位になるような状況を作り上げ、嬉しそうに「これで人類はみんな死ぬぞーアハハハ」と明に演説するのは一体何がしたかったのだろう。
「今作の了は最初からサタンの記憶を持っていた」ぐらいじゃないと、これらの了の奇行に納得のいく説明を付けられないと思うんだが。
でも明が「デビルマン軍団を作って戦う!」宣言したとたん「や・・・やめろ!!!」と途端に焦りだす。「裏目にでやがった」なんて原作台詞まで飛び出す。いや当たり前だろ、そうなるに決まってんだろ普通。マジで何がしたいんだよ了、馬鹿かよお前。
この後原作通りサイコジェニーにサタンの記憶蘇らせてもらうわけだが、そんな事しなくても最初からサタンモードだっただろ今回の了。
原作では了が完全に人類を裏切ったと判断したから了を捕えるために覚悟の出撃をする、その間に牧村夫妻の救出もしなくちゃならなくなったので、牧村家に戻って美樹を守る機会を失ってしまう。
crybabyでは、その前の話数ですでに牧村夫妻と太郎(原作でいうところのタレちゃん)はあっさり処理られるように死んでしまってる上に、きっと何かの間違いだから了に話聞きに行くわ的な感覚で牧村家を離れようとする明は正気か???状況分かってんの?????と言わざるを得ない。で、途中悪魔狩りを諌めたり(これがまた説得力が感じられない)ゼノン達に襲撃された挙句、了に会いに行く事なく「美樹、戻るよ!!」お前何しにいったんだよ!!!!!馬鹿かよ!!!!!!!!!!
んで、「地獄に落ちろ人間ども!!!!!」をやって次の回(最終回)では何の説明もなくまた「人類はデーモンに屈しねー!!!」お前本気で馬鹿だろ!!!!!!!!!!!
・ミーコのコンプレックス何も解決してなくない??何で良い感じに浄化された風になってんの???
・明に守られたのに速攻裏切って速攻殺されて何のフォローも無い幸田。ゲイ設定いる?海外にいい顔したいだけ?
・ラッパーのチビが裏切るのはミーコに友達食われてんの察したからなのはわかるけど、その結果他の友達もみんな殺されてんのに悪魔狩りとウッホウッホやってんの何それ
・リンチして殺したりしてんのに、ガキが明をぎゅっしただけであっさり改心する悪魔狩り。お前ら死ねよ本当に。
・あんだけ魔改造したミーコにしときながら、それとは別に原作通りのミーコもチョイ役で出すのはファンサービスのつもりの嫌がらせか。
・扉に666のプレートってそれはひょっとしてギャグでやってんのか
・太郎(タレちゃん)がデビルマン化したのは数少ない良い改変だと思ったし、これでデビルマン軍団に加入して最後のハルマゲドンも明と一緒に戦って散る展開なら燃える流れになったのに、実際は明に救出されたと思ったら次の瞬間お墓に入ってて盛大に吹いた。それはひょっとしてギャグで(ry
(結局子供の首チョンパがネッフリといえども無理だからデビルマン化させてサクっと処理しただけのように思える。牧村夫妻もその煽りを食っただけのようにしか。)
crybabyが酷いのは了が原作を凌駕する勢いで馬鹿だからとしか
原作だと了は明の心情も痛いほど伝わるから最後の戦いも悲壮を強めたのに
今回は人間どころか明の気持ちすらちっとも理解できていない始末。
「えっ、明死んじゃったの?うそっ;;そんなの聞いてないよ;;何で死んじゃうんだよ;;;;まさか死ぬとは思わなかった」ゴゴゴゴゴゴゴ(完)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿か。
別に原作と違ったりするのは全然良いんだけどさ、こんだけいじくり倒しておいて中途半端に都合の良い時だけ原作なぞったりしてんのがすげえ気持ち悪かった。
登場人物の知能を軒並み下げる事が現代の空気に合わせるリメイクって事なんですか。
電化製品を解体して、元通りに復元できもしないのにとりあえず繋ぎ合わせたフリして収拾つかなくしたのがデビルマンcrybabyというアニメ。
「物語・・・・・・・ストーリーとはなんだ・・・・・・?――それは時間の表現なのだ!"時"の流れを表すことだ。"マンガ"も"小説"も"映画"もストーリーを表現するものは時間の流れを表していくものだ・・・・・・時間を表す以上・・・そこには因果関係が描かれる、それはマンガの架空の物語でも同じことだ!原因には結果が必ず起きるという因果に支配される、それが"自然の流れ"必然性というやつだ!『デビルマン』をたんなるヒーロー物にはしないと編集長に約束した時からこうなる必然性が生まれていったのだ!」
crybabyではこの"因果"というものがとてもじゃないが描けてない。
強いて言うなら、"原作"という因果に縛られて何がしたいのかよくわからなくなっている。
牧村夫妻をあんな所で勇み足的に殺してしまったり、シレーヌとソープで童貞捨てたり独自の展開を盛り込みながらでも結局は原作と同じ流れに無理やり戻そうとして相互作用の不備を招いてしまっている。
作り手が、自分流のデビルマンを創ろうしてるのに最後は原作に頼ってなんとかしてもらおうとしているのは、なんだかとても志が高いようで低く見える。
ファンサービスってところだけ見えてて、勝手に録音の部分を誤読してました。ごめんなさい。
そういうしょうもない奴らに向けたファンサービスだから仕方ない、で強引にその場しのぎで終わらせることもできるけど、
相手がわかったのなら人格権の侵害で損害賠償モノにすることも可能かも。
だからまぁ、いざとなれば訴訟も辞さないんだぞ、ということを理解させなければ表舞台でキャッキャやってる人達は付け上がると思う。
とにかく先ずはそのページの管理人とかに音声の削除をお願いするのからかなぁ。
本当にしらみつぶしになるけど。
男というか、偏執的な連中はそういう部分があるからね。その音をサンプリングしてあなたを半端に知ってる界隈からニヤニヤされることを快楽にしてるし。
だからファンサービスだからこうしちゃダメだよ!っていうあなた側のルールは男というか、音声を聞いた側は全く理解してなくて、新しいおもちゃが来たとしか思ってない。
この、ファンと、男と、偏執的な連中と、音声を聞いた側って全員一緒の人間の場合もあれば、全員違う人間の場合もある。
だから、ファンサービスだからって音声を渡す場所は全員が全員を特定出来る場所にするか、公の場に残すならやっぱり不正利用は許さない旨を述べた文とおもちゃにされてもいい覚悟だけは持っておいた方がいい。
友人に誘われ、アイドルマスターsideMの幕張ライブのライブビューイングに行った。
最初に言っておくと、私自身は知識がなさすぎて、なぜ誘われたのか謎なレベルのオタクだ。しかし祭やイベントは好きなのでとりあえず行ってきた。
友人達がはまっているのは知っていたのでアニメは見たが正直名前も何もかもあやふやなまま行った。
ライビュの後に肉を食べたせいかもしれないが今も興奮で寝れない。
ライブで歌う彼らの本来の仕事は声優であってアイドルでも歌手でもないのだと言う認識が覆された。すごい。
言い方は悪いが、見るまでは正直舐めていたというか、手を振って歌うくらいのイメージだった。
だって声優ってダンス踊る必要のない仕事じゃん?世の中ダンス踊らない仕事の方が圧倒的に多いし、踊れない人がいてもおかしくない。どうでもいいけど私は体育の創作ダンスがトラウマレベルに踊れないから踊りの才能がないやつは世の中一定数はいるはずだ。
だけど、彼らは踊れた。
当たり前だが曲によって歌詞と踊りが違う。全員で歌う曲とグループごとの曲で、多分最低でも5曲くらいは覚える必要がある。
しかも踊りながら歌ってやがる。
もうアイドルじゃん。そうだよ私アイドルのライブを観に来たんだった。すごい。
ちなみに途中で数秒だけ歌詞が飛んじゃったのか、音源だけ流れたりしたから、口パク疑惑が沸く余地もない。すごい。
本当すごい。だって本業しながらだよ?全員揃うのは今日だけって聞いてたから、多分本業がべらぼうに忙しい人がいるんだと思う。そしたら必然的にグループで集まって練習する時間とかも少ないじゃないか。何曲もできないだろ普通。でもそれぞれのグループに出番があったし、新曲も沢山あったらしいしすごいと思う。
何がすごいかどこまで説明したか、だんだんわからなくなってきたから順を追って話す。
最初46人に圧倒された。すごい。全グループのペンラを持つ友人の隣の私はキンブレ1本のみの装備だった。
キンブレは色が変えられるライトなんだが何色に変えたらいいかわからないくらいアイドルがいた。とりあえず隣近所を見てカチカチ色を変えてライト振ってるだけで楽しかった。
ライビュだと視覚情報が限られているから盛り上がりに欠けるのでは?と思ってたけどそんなことはなかった。
カメラさんが上手いのかもしれないが、切り替えやアングルがよかった。それと、ファンサービスが画面いっぱいに見れるのがライビュのいい所かもしれない。
うちわ持ってないのにこっちに向かってウィンクしてくれた。すごい。
多分その後にドラスタが出たと思う。知ってる曲だった。ドラスタのすごい所はキャラ声で歌ってるだけじゃなくて表情もキャラに合わせてる所だと思う。翼くんの天然っぽい笑い方とか元医者桜庭のクールなキメ顔とか輝さんのパワフルさとか意識して歌ってる感じがした。色で覚えてた部分もあったけど歌い出した時に誰が誰の役を演じてる人なのか確信が持てた。すごい。
次がBeitだった。これは自身ある。
めっちゃキラキラした衣装で出てきたと思ったら、手袋をクイってやったり、曲や見た目だけでなく仕草まで王子っぽいことをやって会場の悲鳴をかっさらっていった。隣の友人が泣いた。
人形持って歌ったりとかグループのコンセプトを大事にしてファンサをしてる感じがした。すごい。
多分次がカフェパレード。ダンスが面白かった。曲のイメージに合わせてダークファンタジー要素が強い振り付けだったんだけど、途中で機械仕掛けみたいに周り始めて、時計の針を表現してる?みたいなやつをカメラさんが上手に上から映してくれてた。この動き合わせるの大変だったと思う。すごい。MCでもグループ内でパス渡しみたいにつなげてたから仲がよさそうな印象を受けた。
セトリのあまりの長さに曲ごとにコメントするのを早々に諦める私。ここからは友人と肉を食べながら話したこととか印象に残った所を書くことにする。
というかこんなことをしているよりライブを見に行った方がいいに決まっている。現地は当然完売だから映画館で当日券を買って、みんな一度はライビュを見るべきだ。すごいぞ。
神速一魂は、腕をクロスさせて相手のマイクで歌ってるのがよかった。爽やかヤンキーすぎて距離近くても邪な目で見れない感じの燃える演出だった。あと掛け声が楽しい。
彩は完全新曲だったらしく最初ざわざわしていた。友人の叫び声で新曲だと情報を得る私。和のイメージのバラード曲で良い曲だった。メンバー全員がエクステつけてるのも可愛かった。普段は明るく楽しい曲が多いらしい。今度聴いてみようと思う。
あと何かジュピターの脚本がすごかった。アイマスで男キャラ参入で叩かれてた頃の曲を披露してた(初代アイマスの公式映像と彼らが披露したダンスが一緒だ。再現度高い。すごい)。
つまり前のブラックな事務所でアイドルやってた時の曲。そこを辞めて地道にファンのために活動して315事務所に入ったのはアニメで見た。
と思ったら次の曲で315事務所でデビューした時の曲を持って来た。早着替え付き。ストーリー演出がやばい。
衣装といえば全員すごい衣装の量が多い上に、それぞれの個性を出しつつ原作に忠実に再現されていて素晴らしかった。展示してほしいという話を友人にしたら、偶に某アニメショップでやっていると教えてもらった。アフターサービスまですごくて、最後までチョコたっぷり感ある。
さてチョコといえばタケノコダンスである。カラオケで何回かタケノコダンスは参加したから新鮮味はないかと思っていたが、これは面白い。すごい、タケノコダンス楽しい。周りのファンと会場でやる楽しさを一度は味わうのが吉。他にもライブでしか味わえない虎牙道のタテは超かっこよかったし、ハイジョやフラッグスはゴンドラで移動した。やっぱりアイドルはワイヤーで吊り下げられたりゴンドラで移動するものだもんね。あと今回はじめての試みだったらしい、出べその効果もすごい。
眠さで文章力が限界に来てしまった。しかしまだ半分も話してないし、語ったグループに関しても我ながら中途半端すぎる。
もし万が一にも最後まで読んでしまった人がいるなら、すまないが続きはライビュ会場で見て欲しい。
そこにアイドルがいる。
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。
私はずっと何かを「追いかける」人生だった。アイドルや俳優、常に心の中には大好きな存在がいる。
そんな憧れの人も時には入れ代わりがある。好きがなくなる瞬間がある。
私にとってそれは、どうやら遠く離れた存在になる事とイコールで結ばれるようだ。
小学生の頃から大好きだったジャニーズのアイドルグループは横浜アリーナなんかで会えなくなってしまった。その後好きになったジャニーズJr.も、デビューと共に私の中にあった何かがスッと冷めきってしまった。
彼らにお熱だった頃の友人に会うと、「あんなに好きだったのに!?」とよく言われる。自分でも不思議でならないが、辛うじてメンバーの名前は言えるけど、曲名も歌詞もメロディーも記憶から抜け落ちているし、今どんな活動をしているのかなんて興味はない。
遠く離れることは寂しい。元々近いわけではないが、横浜アリーナの、代々木体育館の空気とホーム感を味わってしまった。
あとこれは私のおかしな性癖だが、みんなが好きじゃないものを好きな自分が大好き。「えーかっこよくない」「そんな人たち知らない」と言われる中で自分だけが良さを知っているファンであることが、たまらなく気持ちいい。
もちろん彼らの顔も歌もトークもパフォーマンスも好きだった。でも人気がでて大きくなると、それらは私にとって価値のないものに変わってしまうのだ。
冷静に思い返すと、実にファンとは名乗れない人間だ。応援している人が売れていくことを拒むのだから。
そんな私に、代わりがないものができた。カテゴリーで言えば役者。それもテーマパークに勤務している方。
今まで好きだったアイドルとは違い、極端に人気が出ることはまずない。して、ずっと心の中に留まる。
一度退園されたときも「じゃあ次代わりに」とはならず、ただ増えることのない思い出を何度も何度も掘り返した。会いたいと強く思う毎日、夢には何回も出てきた。
結局その人はまたパークに戻ってきた。でも、いない間ですら留まった大きな気持ちが消えた瞬間があった。
ファンの用語で言うと「干された」。認知されている出演者から、故意に反応やファンサービスがなかったことを示す。
初めてだった。私を見つけた瞬間に反対を向く。私には目線も合わせない。ショックだった。
アイドルはもともと認知なんてないから大きくなることで離れていく気がしたが、テーマパークの出演者の場合は認知されてしまう分、今までよりも明確に私から離れていったから辛かった。
食事も取れなくなるほど落ち込んでどうしようもなかった。何日間も泣き続けた。
同じ趣味で知り合った友達は、「たまたま気分だよ」とか「私もいつもそうだよ」だなんて励ましてくれる。その気持ちは嬉しくとも、素直に受け止めることはできない。
もし気分なら、そんなのに巻き込まれたこと、巻き込んでもいいファンと思われたのが悲しいし悔しい。もしかしたら嫌われたのかもしれない。私もだよ、だなんて言われても私はずっとずっと待っていたんだから同じにしないでとさえ思った。励ましの言葉を贈ろうという気持ちだけをすくってありがたく頂戴した。
今でもその出演者が大好きだし、今までも本当に大好きだった。でも、それより不信感が強く出てしまったから、私はもうその出演者に会いにはいけない。私の中から好きがなくなる瞬間が訪れたから。
結局のところ、好きがなくなる瞬間は自分自身で決めているのだろう。向こうからしたらなんのタイミングでもないが、私の中で、ある日突然突っぱねてしまうようだ。ベルリンの壁か…。
こんな話を友人にしていると、「元カレかよ」と言われるけど「もはや離婚だよ」と返す。
好きになる瞬間も、好きがなくなる瞬間も、ある日突然訪れる。
タイトルにもある通り、今日推しと距離を置く。勝手に距離置いてろだとかまず距離が近いも遠いもねえだろって感じだろうけどそこら辺はスルーしてほしい。
まずなんで担降りではなく距離を置く、という表現をしたかについて。正直な話まだそこまで決心がついていないというのが大きい。私の中で担降り=お金をかけなくなる、という考えがありまだそこまでには達していなくて、今後も成長を見ていたいからだ。あとまだまだ推しのことがベロベロに好きで目どころか口に余裕で入れられるくらい可愛いとか思ってるので…
そして本題
なんでそんなベロベロに好きな子から離れようと思ったか、推しへのアンチ発言を目にするのがとてつもなく辛いからである。2、3年前はあまり目にしなかったがある時を境に増えてきた。パブサをすればわんさか出るわいらす○ややセー○ームーンのアイコンで推しへのアンチ発言、新人で売れていないにも関わらず存在するアンチスレ。ぶっちゃけパブサをするのが怖い。
確かに推しは嫌われやすいタイプだとは思う。急にとんちんかんなことを言い出したり、トークでビシッと決めなきゃいけないところで決められなかったり、ファンサービスが過剰なところがあったり、新人ゆえ演技力があるとは言えなかったり。他にも理由はあるだろうが、ファンである私からすると別にいいじゃん!そういうとこも含めて愛おしいんだよこっちは!っていう感じなのでよくわからない。
パブサをしてアンチ発言を見るのが怖いのも距離を置く理由だが、アンチ発言を見ると数時間は活動不可能なくらい体調崩してしまうのももう一つの理由だ。私はメンタルがティッシュと同レベル(友人談)なくらい弱く、昨年は推しへのアンチ発言を見すぎてしまったりリアルがなにも上手いこといかなかったりしてうつ病になり、今でも向精神薬を飲んでないとやってられない時がある。イェーイメンヘラです。
そういったこともあり自分より推し、ではなく推しより自分の生活にしていこうと決めた次第である。
さっきも言ったけど推しは今でも大大大大好きでこれからも健やかに育っていってほしいと思っている。あと今年はアニメのレギュラー増えるといいなあ、だったり朗読劇もっとやってくんねえかなとかも思っているけど、嫌いじゃないけど、一旦距離を置かせてほしい。そしていつかわからないしそうなるかもわからないけど、私がアンチにも寛容な大人になったら諸手を挙げて応援していきたい。
キモオタクソポエムで締めたところで蛇足。ここでは推しをAくん、他メンをBくんCくんとする。
あのさあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜不仲説とかあるけどさあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜そういうのやめな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い?????????
推しことAくんは(主にAアンチから)Bくんとの不仲説がある。まあ大抵はBくんからAくんの話題が出ないから(別にそんなことはない)だとかAくんが喋ってる時Bくんが嫌そうな顔していたから(別にそんなことはない)だとか今時女子高生でも言わないようなことが理由だそうだ。へえ〜〜〜〜!!!
あとあまり関係ないがAくんとCくんの不仲説も唱えてるオタクもいてびっくりした。AくんとCくん一緒にカラオケ行ってデュエットしたりすんのに…?嫌いな奴とデュエットなんてしたくないしまずカラオケ一緒に行かなくない…?ていうかAくん嫌われすぎじゃない…?
大体人の好き嫌いなんて顔合わせる度露骨に舌打ちとか無視してない限り好きや嫌いを口に出さないとわからない、と個人的には思う。私自身高校生の頃友人から「○○のこと嫌いなの」と聞かれたことがあるが、私はその○○のことを嫌いだとか口にしたこともない上別に嫌いでもなかったので驚いた記憶がある。
なにが言いたいかというと
はっきりと言葉や態度に出されてないのに不仲説とかほざくのやめろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
自分が嫌いだからって推しも嫌いだと思うな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
以上になります
[追記]
正体不明の連中を集めて組織票させるよりも、一人の人間が独断と偏見で決めたほうが正しい結果になるのではないだろうか
そんな思いつきから増田を代表して俺が今年のアニメランキングを付けることにした。
客観的評価+個人的評価を独自の計算式に当てはめ独自の方法で算出。
点数は未公開のため傍から見ると100%個人的趣味で決まっているようにしか見えない。
1 メイドインアビス
2 少女終末旅行
3 宝石の国
4 サクラダリセット
7 けものフレンズ
8 キノの旅 -the Beautiful World- the Animated Series
9 エロマンガ先生
10 ID-0
11 正解するカド
12 GRANBLUE FANTASY The Animation
13 ノラと皇女と野良猫ハート
14 有頂天家族2
15 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
17 プリンセス・プリンシパル
18 天使の3P!
19 アリスと蔵六
20 武装少女マキャヴェリズム
21 カブキブ!
24 AKIBA'S TRIP -THE ANIMATION-
25 ナイツ&マジック
27 異世界食堂
28 小林さんちのメイドラゴン
原作付きアニメの至上命題である『原作の良さの延長線上を歩いた上で限りなく先までたどり着く』を今の技術でやれる限りやり遂げたひたむきさの勝利。ハードな世界観に対して可愛らしすぎるキャラクターを生き生きと画面内に描き出していた事が強く印象に残っている。メルヘンの世界で暮らしていそうな少年少女をひたすら酷い目に合わせてその高低差エネルギーで気持ちよくなりたいという原作者、アニメスタッフの熱い思いを毎週ひしひしと感じさせていただいた。
雪と鉄に覆われた物悲しい世界と、その世界をそっと照らすような少女たちの明るさや緊張感の無さのコントラストが愛おしかった。「月は空に空いた穴だ」とは誰の書いた物語の言葉だったか、あの世界において2人の少女はまさに闇に覆われた世界に天の光を漏らす穴のようであった。少女たちの瞳というファインダーを通すことで観測者を失った世界に再び光が当たる。廃墟探索の醍醐味とは、意味の失われた場所に意味が再び与えられることにあるのではなかろうか、そんな気持ちになれる作品だ。
傑作アニメーションである。好き嫌いを抜きにして、純粋に今年のアニメで何が一番かを語るのならばこの作品を挙げていたかも知れない。とにかく映像として綺麗なのだ。身体が宝石でできた少女という設定と、3DCGという表現技法が完全に噛み合っている事も素晴らしい。この作品のアニメ化に際してこの表現の仕方を選んだという時点で既に勝っているのだ。そして、勝っている状態から更に何度も貪欲に、ここでこれを選んだ時点で勝っていると言いたくなるような手を打ち、それらを尽く完成させている。今の時代だからこそこのアニメは美しいのだろう。3DCGがもっと当たり前になった時代でも、3DCGがまだまだ未発達な時代でもこの感動はあるまい。執念とアイディアと幸運の結晶だ。
ハルキ、リセットだ。決め台詞と共に世界がグルリと巻き戻る。オタクアニメの世界ではもはや食傷気味とも言える時間ループ、その圧倒的すぎる力に対して改めて向き合った作品。大いなる力には大いなる責任が伴う。その責任を前にして、揺れ動く思春期の繊細な心模様。それらを描ききるには、作り手にもまた繊細な神経が求められる。この作品はその点においてしっかりと繊細に作られていた。ド派手なハッタリと、揺れ動きやすく夢見がちとも思える心の機微、この2つが揃ってこそのジュブナイルであり、ラノベアニメなのではないだろうか。ふとそう思えてくるようなアニメだった。
一作目のアニメでは4クールかかった道のりを2クールで消化という超特急アニメ化。それでありながら、見ていて不満になるような所はほとんどなく拾うべき所はとことんまで拾っていた。それを可能にしたのは原作や、旧作アニメへのリスペクトなのではないだろうか。OPの演出に見られるパロディや最終話での挿入歌など、グルグルというシリーズが持つ歴史そのものを受け止めるかのような作品作りだった。無理なく無駄なく完成された丁寧な作品でありながらも、メタフィクション的なギャグファンタジーに欠かせない遊び心も詰まったナイスリメイク。
(俺の)今年のアニメのおおまかなまとめ
1話以上視聴:約130作品
(ヘボットのような2016年から継続しているアニメがあるためある程度の取りこぼしが予想される)
日本のアニメはディズニーになれないのかも知れないけど、日本には日本なりのアニメ作りがある。作中の動画のクオリティが視聴者にそう語りかけてくるような入れ子構造の有言実行が良い。アニメを題材にアニメを作るとメタの絡み合いが起きるのが面白い。
うーん。この豆腐の白は現代社会の闇を描いてますね。追いかけてくるアライさんはモラトリアムの終わりを、カバンちゃんがヒトではなくカバンちゃんを名乗り続けたのは、現代社会におけるアイデンティティの本質が人種や門戸ではなく個々人に宿ることのメタファーですなー。うーんこの豆腐は白いぞー。
半分新作、半分同窓会といった印象。思い出補正抜きで見た人がどう感じたのかが気になる。あとがきの国とかは原作を知らないと完全に置いてきぼりだし、全体としてファンサービスに力を入れすぎてたような気もする。俺はそれで別に構わんのでこの順位だけど。
山田エルフ先生の完璧な負けヒロインっぷりが素晴らしい。エロマンガ先生ルートに分岐し終わっている所から遅れて幻想的な告白シーンをかますという手遅れっぷり。ifルートに分岐でもしたのかと時系列の歪みを感じるほどに、完璧に山田エルフ先生ルートの回想シーンが挟まれている。でも既に勝者は決まっているから逆転は無理。気合の入りっぷりと、フラグ状況のギャップに負けヒロインの有終の美が宿っていた。
オリジナルSFアニメを1クールで綺麗に纏めている。設定の説明もしっかりされていたし伏線の回収もばっちり。笑いあり涙ありアクション多めでバランスよく必須栄養素が揃って完成度が高い。こういう肩の力入れっぱなしでも抜きっぱなしでもないアニメが個人的には一番見やすい。
ガチガチのハードSFかと思いきや恋愛至上主義の如きオチに開いた口が塞がらない。じゃあ納得が出来ないのかというと、あの解法が間違っているとも言えないのでなんとも。やたら恋愛シーンが多かった時点でこうなる事に気づいておくべきだったんだろうね。
なんでこの順位なのか自分でも謎。ただ、映像はよく出来てたし、冒険譚として王道を進んでいたし、キャラは可愛いし、OPも魅力的だったし、偏見の目で見なければ普通に良いアニメだった。
ヤギ。あれでやられた。
テンポがいい。中でもヒキや場面転換が上手かった。見てる側が迷子にならないようにしつつ退屈もしないようにコントロールしてくれたので、こっちもテンポを合わせやすかった。
王道、いいよね。
語の上手さに尽きる。
打ち切りみたいな終わり方だけどあれで良かったのかは自分には分からない。個人的にはスパイアクションを楽しませてもらっていたのでストーリーの方はそのための舞台装置だったと考えればいいかなと。殺陣と百合を楽しむ作品だったんですよ。
小学生は最高だぜ!
小学生は最高だぜ!!
ポン刀は絵になる。そこに尽きる。
歌舞伎っていきなり言われても何のことだがよく分からんから、まずは今風に丁寧に解説してみましょう。を作中でやって作品自体でもやった入れ子構造。自分はこういうメタ的な要素に弱いのかも知れない。
女の子を酷い目に合わせまくったらこれ以上酷い目に合わせられなくなった。だから過去編をやったり奇跡的に治したりしてまた酷い目に合わせるよ。いいねえ。やりたい事がハッキリしてるのは大事な事。
異世界チーレムの解体ショー。段々失速したのは個人的にはいただけないのだが、それも計算の内なのだとしたらまことに恐ろしい作品である。
古さを懐かしさと感じられるかどうかが試される。どっちかというと、懐かしさの正体が古さだと直視した上でそれを良しと思えるかどうかが試された。
異世界で僕だけのロボを作って飛空艇を倒そう。シンプルだけどいいよね。やりたいことがハッキリしてる。
おいしそうだった(小並感)
別に無理せず前と同じようにやればいいってことをスタッフが理解してたので勝ち。平常心平常心
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
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ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
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■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
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順番に見ていってみると。
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先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
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さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
.
ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
.
■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
.
というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
.
例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
.
でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
.
■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
.
■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
.
そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
.
ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
.
するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
.
というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
.
さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
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Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
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F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
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(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
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Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
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Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
.
(間奏4小節)(以下同じ)
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メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
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最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
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また機会があれば。
、
ゲームをプレイしている自分からすれば、ハリウッド版ド〇ゴンボールと同レベルの原作軽視のクソゴミメディアミックス化だ。
もし、このアニメのおかげでゲームに新規ユーザーが増え、課金者も増えるなら存在は無駄じゃなかったかもしれない。
それでも、多分「ポチポチじゃなくなれば」→「ステはシステムが」と言ってプレイしなかった人がなんとなく観るか数話で切って終わってしまいそうだと思った。
あと、他マスPが我が物顔で乗り込んできて散々荒らすか、こんなクソアニメのことを「アイマス最高」「プロデュースのかたちはひとそれぞれ」という暴力で褒めちぎりSideMを踏みにじって、また愛する自マスに帰っていくだけなんだろうなと思う。
そのあとにのこるのは、それでも楽しめる・疲れ果てて傷ついたSideMPだけで、アニメ化前より環境が悪くなるだけだ。
担当プロデューサーたちがずっと時間とお金をかけて担当をプロデュースしてきたアイドル達。
15ユニットのうち、たった6ユニットにしかスポットが当たらない。
一般人にされた彼等と、そしてそんな彼等とずっと一緒に走ってきたその担当Pであるユーザーの存在は、なかったことにされてしまった。
彼等とその担当プロデューサーが共に過ごしてきた3年間を、公式は無下にしたのだ。
そしてやってることは、OPにSideMのための言葉を削って他マスの単語を捻じ込み、作中にはポスターやサインや施設や小物を捻じ込むことで、
SideMのユーザーの頑張りを、公式はいったい誰に、何に還元しようとしてるの?
315プロダクションという事務所は、15ユニットのアイドルが所属する事務所だ。
それを描けていない以上、これを「アイドルマスターSideM」のアニメ化だと、私は認めるつもりはない。
1年目の「ずっとずっとその先」
2年目の「夢の向こう」
そして、3年目にはなにが来るのだろう、今度は彼等とどこを目指せるのだろう?
と楽しみにしていた私にとって、OPに使われた
「輝きの向こう側」
という言葉が本当に受け入れられなかった。
これをSideMの3年目の全体曲にされたら、もう反吐が出るレベルに無理だ。
担当アイドルと私は、そんな他所の事務所のある場所をずっと目指していたの?
すごく、すごく失望した。
別に、他マスが嫌いというわけではない。
ただ同じシリーズなんだなという認識だけで、登場人物の性別も違うため興味がなく、勿論持つ必要もないと思っている。
それでも、「輝きの向こう側」は、余所の事務所の彼女たちの道であって、
315プロの道ではないはずだ。
それは、そちらの事務所にとっても「こっち来るな」と言われて当然のことだと思うし、
今更そんな設定を捻じ込まれても、私は受け入れられない。
だってもう3年目だ。
目指す場所は、その先は、他マスの追従だったなんて今更言われても、受け入れたくない。
新曲があるのはいいけれど、欲しいのは「担当の新曲だけ」ではなく、
「315プロそれぞれのユニットの新曲のうちのひとつとしての担当の新曲」だ。
担当の曲だけあればいいわけじゃない、他のユニットに新曲が与えられないなら、そんなもの素直には喜べないし喜んではいけないと思う。
最初に断っておくがネタバレ全開なので、未クリアの人は見てはいけない。あれは実際自分でプレイして最後まで見るべき。こんなどこの誰が書いたかもわからない文章で結末を知るなんてあまりにもったいない。
で、真エンディングまで見たんだけど、結局11の主人公っての何者なのよ?ローシュってのは?312の流れに11はどう絡んでくるの? てなって考察サイトをたくさん読んでみて、多分
11の真エンディング後の世界→ 312の下の世界(アレフガルドの世界)
セニカが時をさかのぼり、ローシュの命を救った世界→3の上の世界(アリアハンの世界)
てことだという結論に落ち着いたんだけどどう思う?
そんなん真面目に考えるだけ無駄、製作者の遊び心とかファンサービスに過ぎないという話はここではやめてね。わかった上で楽しんでるわけだから。
あと、聖竜が闇堕ちして竜王になるのはわかったが、命の大樹のもともとの存在であるというのが天空城を連想させ、そのあたり天空シリーズとも絡めたいのだろうなと思うが、11を見た限りではどうつながっていくのかはっきり分からないよね。
セニカがタイムスリップした後、勇者の剣も11のパーティーもそのままその場所に残っているので、勇者またはそれに準じる存在が時をさかのぼるたびにパラレルワールドができるということになるのだろうが、そうしてできたパラレルワールドに天空シリーズがつながってくるのだろうか。
78910でいちどロトシリーズからも天空シリーズからも離れたにもかかわらず11でこうやって大々的に戻ってきたわけだから、かする程度でもいいので全タイトルをうまくつなげてくれたらいいのになとファンとしては思う。
愚痴垢作る勇気も意見を言い続ける勇気もないからここに頼ることにしました。
ここ数年「2.5次元舞台」(以下2.5にします)っていわれるアニメや漫画を原作とする舞台が増えています。
知ってる人は説明要らないと思うけど一応ちょこっとだけ説明をさせてください。
<説明>
有名なのはテニプリをミュージカルにした「ミュージカル テニスの王子様」通称テニミュだと思う。
最近だと刀剣乱舞が舞台とミュージカル2つの形で舞台になって「刀ミュ」「刀ステ」と言われて
「チケット取れない!」と騒がれてる。
すごく話題になったローチケ詐欺騒動(実は虚言だった)が出たのもこの刀ミュでした。
ソシャゲの「あんさんぶるスターズ!」が舞台化されて「あんステ」なんて言われてこちらも「チケット取れない!」と騒がれてるのも自分のなかでは記憶に新しいです。
最近はチケット完売舞台をライブビューイングすることが増えてきました。
</説明>
前置きが長くなりました。
優しくない理由について話させてください。
①2.5が飽和してしまってる
7年前くらいまではテニミュが大きな勢力で後はポツポツと小さな劇場でやっていたイメージでしたが
2014年当たり「弱虫ペダル」通称ペダステが大成功したあと、かなり乱立してきたように思います。
毎日、日本のどこかで2.5やってると思います。なんせ2.5次元専用の劇場とかあるくらいなので。
最近は、漫画・アニメだけでなくソシャゲとかいろんなジャンルがあるので、素材はいくらでもあるんですよね。
素材に頼ってどんどん生み出した結果、今2.5はとんでもない数に膨らんで、ライトオタクは情報と金銭が追いつかなくなっています。自分も情報に追いつけなくなってやめました。
②「チケットが余る」舞台と「チケットが取れない」舞台への二極化がおきる
舞台って映画みたいにチケットが気軽に取れるわけではなく、何ヶ月も前に告知をしてその1ヵ月後にチケットをとり、支払ってまた一ヵ月後に発券して肝心の舞台当日はまた一ヵ月後。みたいなことしょっちゅうあるのです。
そうなると、ちょっと好きなものより一番好きなもののほうがほしいですから、
自分の好きなものを原作とした舞台・自分の好きな俳優が出演している舞台に注力します。
そうするとそもそものオタク(原作・俳優とも)の母数が多い作品におのずと比重がかかります。
割引・平日限定特典配布・リピーター特典… そうしたものがあると俳優オタク・原作オタクともに売れていない現実を突きつけられます。おまけにキャストからカーテンコールで「まだチケットあります!」みたいなことを言われると「身体一個しかないわ!」って言いようのない怒りとかこみ上げます。
まあ当たり前に見たいものが見れないんですよね。
おまけに見れる人が善意からか何からかレポートとか流してこられると余計につらくなります。
少し前はスポ根が流行していたのでテニミュ・ペダステなどが台頭してましたが、
今女性向けの2次元作品ってめちゃくちゃアイドルものが流行ってます。2.5もジワジワとその波に乗らされています。
そうすると2次元ではできなかったこと…つまりリアルライブのようなものが実現できてしまうんですよね。紙の中・画面の中だけだったものが3次元として認識できるわけです。(声優さんのライブとかはあくまで「声」のライブだと位置づけておきます)
演出家の方々もすごく上手なので巧みに「リアルライブ」を見せ付けてきます。その一環に客降り(客席にキャストが来ること)やファンサが自然とついてきてしまいます。
あくまで舞台・ミュージカルだぞ!とは思いつつも悲しいかな、楽しいんですよね。ファンサ。
ファンサされた人はうれしかったこと伝えたいからレポートします。
それを「すごい!」「よかったね!」と受け取れる人ばかりならいいのですが、
増してやファンサしてくれたキャラクターを演じている俳優のオタクって7割くらいは、気分が悪くなると思います。
(余談ですが自分には自己顕示欲と承認欲求の塊にしか見えません。
ましてや絵をつけてレポされてるとちょっと「うーん…」ってなります。
ひがみと思われるかもしれませんが、聖人ではないのでひがませてください。
できたらお友達と共有していただいて公開アカウントで呟かないでいただきたいです。
ツイッターは好きなことを呟くところなので、とめる権限もありません。
でもその呟きでだれしもが良い気持ちでいられると思わないでほしいです。)
「著名人が自分のファンを喜ばせるため、特別に行うこと。本来の仕事の外で、或いは仕事に追加して行われたことを指すことが多い。」
って出てきました。まとまってる。
これ、↑であげたファンサです。
「本来の仕事の外で、或いは仕事に追加して行われたことを指すこと。」
この方が詳しくわかりやすい意見を書いてくださっているのでリンクを貼らせていただきます。
http://zponpon.hateblo.jp/entry/2017/09/12/163120
たぶんこの「私物化」と言われている行動も、飽和によって一歩抜きん出ないと生きていけないと思っている人たちの行動だと思いますし、すごく合理的です。
でも、たとえ運営からの圧力だろうがその人の善意だろうが不快に思ってる人は少なからずいます。
それを喜んでくれる人がいることでどんどんエスカレートしていって喜んでいない人がどんどん意見を言えなくなっている現状があります。
正直、「ファンサ」がいきすぎて「余計なお世話」になってしまっていることが昨今増えてるのだと思います。
<結論>
飽和して、多数の中の1になってしまってチケットが余り、良さがわからないまま終えていく舞台があります。
そこに出演していた俳優オタクは「もっとたくさんの人に見てもらえる演技なのに!」と思います。
その作品が好きな原作オタクは「もっとたくさんの人に見てもらえる作品なのに!」と思います。
チケットが取れない舞台では、マナーの悪さが出て「あの作品のオタクは…」「あの俳優のオタクは…」と言われて「自分ならそうしないのに」と思うオタクがいます。
ファンサを見て、「あのキャラはあんなことしないのに」と思うオタクもいれば、
「○○君もやりたくてやっているわけじゃない」と思うオタクもいます。
そうしていつの間にかどちらも、不快な気持ちになって両者が激突してしまう、なんてことも出てきてしまいかねないです。自分は数年前俳優オタクでしたが、原作オタクになり、なんとなくどちらの言い分も経験してきました。どちらも悪くないからこそ、埋まらない溝ができつつあると思います。
※だいたい見た
※点数はつけない
※順番で何かを読まれないために五十音順(なんか微妙に違っても気にするな面倒くさくなったんだ)
※見なかったアニメの見なかった理由もだいたい書く
※だいたい
面白いとは思うし原作読んでれば十分だとも思う。俺は原作読んでだいぶ時間立ったから見てるけどな。原作ちゃんと再現しすぎて少女漫画臭が強くなってるからニガテだった人は合わなくなってるんじゃねーかなと不安になる。なんつーかシャフトは根っこが少女趣味なんだよな。おっとロリコン共少女趣味の意味を間違えるなよ。でもモモちゃんは天使だ。3ヒロインの中で一番好き。声が原作と違ったけど、いい意味で完全に上塗りされてしまった。
コマ撮りで世相を切るって発想が和製サウスパークだな。褒め過ぎた。そこまで面白くはない。ネタに重ねが足りない。でも逆に元ネタ探しとかしなくてよくてユルい。短いし気軽に見られる。
腐女子版プリンセスプリンシパルと言われたから見たんだが、間違ってはないとは思う。でも微妙だった。合わねえ。プリプリは絵が黒星紅白だから面白かったんだよと大声で叫びたい。女性向けだろうと知ったことか全員黒星紅白にデザインしてもらってから出直せ。つくし卿とかでもいいぞ。
イテテテテテテテ。何だこの懐かしい痛みは。ちょっと才能があるヤツが書いた黒歴史ノートを回し読みしてるような感覚だ。武内崇も最初はこんな気分だったのだろうか。マジで同級生の邪気眼創作物を読ませてもらってるような感覚だよ。でもこれが現代学園異能伝奇ってジャンルなのさ。原点にかえってアクを取ってないままの闇鍋を飲み干す事に意味を求めているかどうかが視聴決定の別れ目。
ワロス。テラワロス。ギザワロス。変な笑いで顎が痛くなりたいならコレ。今期最高のギャグアニメ。天然こそが最強とはまさにこの事。狙ってやっている所もあるんだろうが、狙っていても出来ないような奇跡も起きてる。クソアニメ好きなのにこれを見てないならそれはちょっと耳が遠いぞ。
主人公の情緒不安定っぷりと中国社会の閉塞感がいい感じにマッチ。黎明期の深夜アニメが持っていた謎の熱が海の向こうで再誕したぞ。最初から美味いものを食い続けて舌が肥えた深夜アニメ入学一桁年生に見て欲しい。イッツ・深夜アニメだ。
たけしぃ~~~~~
ジャコス行こうジャコス。青春物としては悪くないが青春物過ぎる気もする。アニメでやるからこその何かが出せるのかが勝負だ。月がきれいの二毛作でいいならこのまま突き進め。
ガンダムじゃないけどビルドファイターズ。クラッシュしづらいルールギアとも言える。ロボコンやプラレスの魅力をどこまで出せるかだけど果たして。ハッタリを効かせるのが難しそうだけど、とことんリアルに寄せる気も無さそうなので様子見。期待はしてやる。
ほぼ見てない。ホモアイドル多すぎて録画潰していくうちに何かがプッツンして凄い早送りで見て速攻で消した。何か地味だった。面白くもつまらなくもない。
ネギま!2にするぐらいならもうスーパー赤松大戦でもせーよと思ってしまうのは俺だけでしょうか。今の所原作再現はそこそこオリジナル要素もファンサービスとしては悪くないじゃないでしょうかと。でもネギま!のファンってアニメにトラウマ持ってそうだし果たして好意的に見てくれてるのかね。俺は別にオリジナルエンドでもいいんだが。というか原作通りやったらマジで12クールとかになりかねんぞ。赤松が死ぬまでに完結できて全部アニメ化されればだけど。
UMEHARAだと思った。滑り具合の激しいローリングガールズだと思った。キャラは可愛いと思った。アニメとしてはつまらないと思った。
一度ばっちいヤマカン菌が付いちまったから見る気がでねーです。とか言いつつ前作は最後まで見たんだよ。それでオタクが泣きながらサイリウム持ってるの見てなぁ、ああWUGの物語はここで終わりでいいやと感じたんすよ。(つまらないと思いながら無理して最後まで見た反動も大きいがな)。だからもう見ない。
アイマスのアニメってあんまり好きじゃないので今回も多分途中で飽きて投げる。ストーリーは中の下ぐらいだからキャラの魅力ないと見てられんのだが、そのキャラの魅力があんまり分からん。俺ホモじゃねーし。
チキチキ元ネタクイズーーー君はいくつわかるかな~。すんません。もうちょっと難易度上げてください。ちょっとヌルすぎて楽しめないです。全員キモいオッサンみたいな顔の駄目人間男子高校生にして、白蛇伝やオネアミスの話で盛り上がってくれたら見ます。
ホモい。知ってたけど。
うーんとね。主人公その2の声がね。うーんなの。だからちょっと考えさせて。
他のアニメのレベルが低いのかこのアニメのレベルが高いのか。今期の中では凄い面白く感じる。微妙に当たり外れがあるんだけどそのバラつきを数でカバーしてくれるのがありがたい。ハズレ回20分見せられたりがないって本当に大事なのよ。
I'm NO TOKYO PEOPLE!ファッキン!センキュー!
僕は酒が嫌いだから楽しめないです。
なげーよ。流石にもうみねーよ。どういう展開になるか全部イメージし終わったよ。イメージしろってことだろ。もう知ってるわ。
キノちゃん大きくなったねー。おじさん久しぶりに見たら時間の流れを感じちゃったよー。エルメスくんも大きくなったね―。女の子を乗せるのに恥じらいとかムフフな事考える歳かなー。世界観の描き方は変わってるけどストーリーの方針は昔のままで相変わらず面白いわ。誰が演じてもキノはキノだね。あっ、今のちょっとエルメスっぽい喋りだった。
悪くねえな。面白いんだけど、こういう面白さは何か綻ぶと吹き飛んでいくので後々アンチに裏返らないために今はまだ高みの見物を決め込むぐらいのスタンスで見るに限る。でも悪くねえよコイツ。見どころがある。
NHKに入れた金を回収するために俺はお前を楽しみ必要がある。楽しませろ。今の所はいい感じ。
お仕事物に見せかけてすげー萌え萌え物な優しい世界と見せかけて無駄シリアスが入っててペロっこれはうらら迷路帖 +花咲くいろは。まあこういの好きな人は好きだよね。俺はイーブン。
俺はNHKから金を回収しないといけねえんだ。クラシカロイドと時間をかぶせてきたお前を見てる余裕はねえんだよ。何故ならうちのレコーダーは同時録画出来ないからな。
なんつうかーツーカーっていうかートップをねらえっぽいノリの中にーレシプロへの愛がー感じられるとチョベリグっすよねー。
1期の1話で切った。
能登麻美子 ああ能登麻美子 能登麻美子 なぜ能登麻美子 なの能登麻美子
原作で十分だと僕は思いました。
ブレンがドSってお前それモンスーノじゃん。
ラブライブを出禁になった所から新章スタートとかで良かったんちゃうか?
好きな人は好きなのでしょう。
見たら負けだと思った。
見た。負けた。
いいねちゃんとGAROだ。でも俺特撮のノリそんな好きじゃないからどうなんだろ。BLASSREITERの亜種だと思って見るか。でもブラスレイターもそんな好きじゃなくて。
えっ、お前もっと一部の人向けで合わないやつからしたらもっとつまらなかったじゃん。今回は結構面白いぞ。何かマイルドになったな。どうしようかな。迷う。
原作は読めるんだけどアニメで音読されると駄目になるタイプの作品だと思いました。
おそ松さんで十分だわ。
あそこからまだ続きやるんすかって気持ちが強すぎてまだ見れてない。見たいんだけどね。
なにこれ。技名叫んで敵を殴り飛ばしてて何か格好良くてドイツ語とか使って何かカッコイイだけのヤツじゃん。
字幕なしだと一部のネタが分からないので見るなら字幕をつけましょう。ツイてない事に言葉遊びに耐性が付いてないなら字幕ははずしましょう。
原作の絵がリッチになった事で面白さアップだー。他に言うことはないよ。大体他の人が言ってたから。
原作ごと飽きた。もうエロ漫画に戻っていいぞ。俺が許可した。
スマホ花子って一部で呼ばれてて笑った。スマホ太郎と比べて面白くないけど。
ぶっちゃけコレって女の子がかわいいだけのアニメなんじゃないのかと僕は思いました。女の子が可愛いです。
深夜アニメにちょいエロ求めてる奴!お前はこれ見てろ!俺は見ないからお前が代わりに見ろ!
略すと『まほよ』になりそう。そこが一番気になる。
意外と面白いんだけど何が面白いんだろう。俺がいつか夢見ていたラノベ作家になってついでに女の子とちゅっちゅしたり貴方の本で人生救われましたと言われたい妄想が詰まってるからかな。
えー本クールはですねー、怪物級のアニメはないと思われますん。今年で言えばけものフレンズクラスの伝説的アニメです。ですがそれぞれのアニメオタクがそれなり以上に楽しめるアニメが2つぐらいはあるんじゃないかと思われます。豊作と言えば豊作なのかも知れません。見れるものや見て楽しめるものはそこそこありますが、見るべきと言えるほどのものは全くと言ってないとも言えます。自分のアニメとの付き合い方を見直すにはちょうどいいクールではないでしょうか。皆さん、無理せずにアニメを楽しみましょう。苦行を楽しむのも一興ですが、苦行を高尚だと勘違いすることはないようにご注意願います。アニメ本数の増加により選び放題とも言える今期アニメの数々に加え、歴代アニメの数も増え続けているうえにネットの配信なども活性化しており、古いアニメもまた選び放題の域をとうに超えていると言えますでしょう。数多くのアニメとどう付き合うのかは人それぞれであります。皆さんそれぞれのアニメライフをそれぞれに楽しみましょう。以上で終わります。
自分はいわゆる泣きゲー・名作・シナリオ重視といった作品がメインなので、萠えゲー・抜きゲーの経験は少ないがその中でも上位のおもしろさに感じた
直前にプレイしていた作品が「百奇繚乱の館」であったため、年上成分にお腹いっぱいの自分としてはロリ・少女系しかいない本作は天国だった
内容の評価としては、無条件にヒロインの妹達が好いてくれるので、展開に不安になったりせず安心して萠えられ、舞台の殆どが骨董屋とその離れの家のみで展開するため世界設定を考察せずヒロインだけを愛でていられる
ヒロイン毎の話は平凡かも知れないが妹達とキスをしまくるルールがある家庭の話はかなり異質でそこまで退屈でないように思える
Hシーン回想には妹視点があり、心の声もフルボイスなので声優および開発はかなり頑張っているのが伺える
気になる点は主人公の異常なテンションである。異世界転生モノのハイテンションな部分が多く見られるので人によっては厳しいかもしれない
また、システム周りが若干不自由に感じる場面が多く、キスをする・しないの選択がそこまでルートに影響ないのに多すぎるのが面倒
■さや
キスをするという家庭ルール上で積極的に動くので印象に残りやすい末娘
声優の演技と相まってキャラポテンシャルがかなり高く非常に萌える、立ち絵もキス顔も服装も可愛いものが多くかなり公式に愛されている気がしなくもない
一番年下のためかエロへの興味が強く抵抗も少ない、主人公との関係性に迷ったあたりではそわそわした一面も見れてGOOD
が、Hシーンの体位や内容はオールラウンドに見せている配分されておりやや微妙か普通といった出来
個別シナリオの展開はいまいちであるがそれ以外のシーンは悪くない、キャラ萠え特化されてるからこのキャラには十分っちゃ十分なのかも知れない
魅力…★★★★★ キャラデ…★★★★☆ シナリオ…★★★☆☆ CG…★★★☆☆ H内容…★★★☆☆
■まひる
お淑やかでショートヘアのキャラが好きな人はこの子一択!となりそうであるが、あまり個性が強くないのでそこまで惚れ込む事ができなかった
個別シナリオもそこまでひかれない、そもそも話が家の中だけで進むため広げようがないのであまり期待してはいけないのだが…
Hシーンもインパクトは薄め、私自信の好みでなかったもあってグッとくるものが多くない
魅力…★★★☆☆ キャラデ…★★★☆☆ シナリオ…★★☆☆☆ CG…★★★☆☆ H内容…★★★☆☆
■やよい
プレイ前には期待していなかったテンプレ系黒髪ツインテツンデレ三女
序盤の彼女はシナリオ絡みで非常に面倒くさい印象が強い、キスルールを素直に受け入れられないのが中盤まで引き伸ばされいつまでこの展開が続くのか…といった模様
しかし、デレはじめてからのキャラ魅力は作中最高と言っていい、ツンデレとは如何に至高なものかをプレイヤーに教えてくれる
Hシーンにおける構図や内容はかなりエロく声優の演技もキャラにマッチしているので完成度は高い、2回戦ある場合は若干尺が短いのは気になる
回想モードでは妹視点のHシーンが見れるのだが、こちらのモードでも一際可愛い彼女が見られるので必見
最後の最後までこれ大丈夫かって展開が続くものの、ある程度のラインで解決をしているので個別シナリオとしては普通
魅力…★★★★★ キャラデ…★★★★☆ シナリオ…★★★★☆ CG…★★★★★ H内容…★★★★★
■はは
選択肢があったので選んでしまったが…まあおまけやファンサービスとしては十分だと思う
正直経産婦と行為に及ぶのは2次元でも抵抗があるのであまりエロく思えなかった、結構ネタに走っていたように思えた
魅力…★☆☆ キャラデ…★☆☆ シナリオ…★☆☆ CG…★★☆ H内容…★★☆
■あさひ
しっかりものの長女
うーん…やよいで面倒な演出が見せられた後にこの個別シナリオは厳しかった
初Hからしばらくの流れは良いものの、終盤いっきにヒロイン側が悩み始めるので読み手のテンションも低まってしまった
声優が雨宮◯に似ているし、Hシーンの構図も良いので個別シナリオさえ良ければなあと
魅力…★★★★☆ キャラデ…★★★☆☆ シナリオ…★★☆☆☆ CG…★★★☆☆ H内容…★★★★☆
■ハーレム
次回作に繋がるらしく割りと真面目に読み進めたがあまり必要なかったかも知れない
兄を好きすぎた妹達の暴走により全員と肉体関係を結ぶ…まあ妥当なところなのではないか
僕はあまりヒロイン達を横に並べて全員に挿入するといったシチュエーションに興奮できないためHシーンは期待していなかった
あさひ&まひるの構図はえろく思えたが、やよい&さやはのものは現実的に難しそうで萎えてしまった
全シーン、妹視点モードもやよい・さやは見たのでひとまず攻略終了
新ブランド1本目でこの完成度を作るなんてやばすぎる…個別シナリオはたしかに弱いがキャラ魅力やシーンの豊富さ、妹視点のフルボイスといった作り込みを含めれば怪作である
ゲーム内コードを使った声優Twitterなのでの盛り上げも上手いと思った、ロリ・美少女系抜きゲーとして非常にオススメしたい
今日、応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。
できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。
けど、送れた。緊張した。
沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。
けど、それでいいと思う。
それでいい、という事にしたい。
私は、その声優さんに関してはライトなファンでいたいと考えているからだ。
私がその声優さんのファンになってから、まだ1年も経っていない。
中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。
ジャンルはぼかすが、お笑い・舞台・アイドル・バンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。
元々高校生の頃からそのジャンルのファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。
Aの規模は決して大きくない。
「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。
aさんと出会うまでは同じジャンルでももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。
距離の近さだ。
小さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。
Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。
そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手に自分を覚えてもらえる。
自分の存在が相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。
そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。
当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。
私は、チケットを取るのが上手かった。
なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。
座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。
そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというものが存在する。
決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。
Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。
本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。
どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである。
そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。
いじわるをされたりしないだろうか。
遮るもののない視界。
手を伸ばせば届きそうな距離。
やっべちょうたのしい。
こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。
それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。
公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。
地方の公演にも行くようになった。
出待ちも毎回するようになった。
そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。
そうなるともうやめられない。
結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。
どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。
1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトのシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。
キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、
地方公演に行った後空港で徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物で大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。
しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格の勉強をする道を選ぶことになる。
名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏で大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。
何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。
よく働いた。そして給料は全てaさんのために。
2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。
なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。
aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。
さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。
理由は色々ある。
誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。
それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。
中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。
それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌いな性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。
むしろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。
テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。
手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)
余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。
今でも実家を掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。
私が100枚買ってもチケットが完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。
おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。
まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。
その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。
「詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。
話を戻す。
私はaさんから、他のaさんファンと比較して1番良い扱いを受けていたと思う。
「相対的に見てまとも」
「他のファンと揉めない」
「毎回来てくれる」
「チケットを沢山買ってくれる」
これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。
当時の私も、その事は理解していた。
やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたからである。
私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。
チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。
差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者達からの評価も下げないように気をつけた。
出待ちで自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。
全部、最初は打算なくやっていたこと。
たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。
たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。
私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。
でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。
それでも、自分が特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。
けれど、
例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。
例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。
例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。
_______辛かった。苦しかった。しんどかった。
Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。
違うか。
私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。
(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からのファンが離れていったから)
自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。
幸いにも、5年間の間にAの他の演者のファンで、私と同じようなスタンスで応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたから孤独ではなかった。
これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。
1人でないことがどれだけ心強かったことか!
けれど、aさんはAで一番人気で一番ファンに問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。
事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果
「みんなはいいよね、私なんか……」
と思う事も一度や二度ではなかった。
その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。
元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。
そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……
「舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」
そう思って走り始めたはずだった。
それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。
けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。
道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。
手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。
同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。
そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。
他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所を理不尽に横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。
普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。
まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。
徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。
完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。
そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。
どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。
特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。
たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。
「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」
と言ったことがある。
しかし、そんなつもりはないと返ってきた。
それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。
最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。
そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。
こうして、私とaさんの5年間は終わった。
随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。
去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。
その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。
なのだが、そのアニメがきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんのキャラに惹かれることが多いことに気付いた。
あまりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものだから、その人の他の出演作を見てみたくなった。
その人本人にも興味が出た。
そんな感じでなんとなくその声優さんを気にかけるようになって、やがて
と思うようになる。
出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、
ついに自分がその声優さんのファンだと認めざるを得なくなった。
(そう、なんとここまで全て前置きなのである)
けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。
aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。
嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。
更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合、時間も費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。
300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。
イベントのチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。
リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。
この先その声優さんのファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。
理解しているのだが。
では、どうやってファンをしたらいいのだろう。
ファンであると自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。
元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである。
正直悩んだ。
イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。
間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。
けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。
悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。
「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」
というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。
その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、
どの程度必死なファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないか、ファンサービスをされているか……など。
つまりは、
「あっ、今あの人わかりやすくファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」
Aを見に行っていた当時は、
見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……
と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。
観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。
aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンがいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである。
そして、観察対象と自分を比較して不安になったり安心したりするのが常であった。
その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。
その声優さんのファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。
けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手に自分を卑下して、勝手に傷ついてしまう。
「好き」という感情を他人と比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。
またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。
こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。
けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんのファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。
そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。
なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。
先日、同じ声優さんのファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。
私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。
私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。
もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。
最近は二回連続イベントで最前列を取ることができたし(これは指定席や抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケットも普通に取れた。
美女だけど熱狂的アイドルオタのフリーター女性と、トップオタと呼ばれるアイドルオタのおっさんが、
おなじアイドルグループを追うオタ仲間としてだべったり仲良くしてる
おっさんは一番人気のある子が好き
肝心の人気のない子自身は、人気ない自分を一番に思ってくれる女性のことがすごく好きで友達になりたい・もっと仲良くしたいと思ってるんだけど、それをうまく表現できないし、そもそもアイドルとファンだから一線も越えられないし・・・でもどかしく思っている
人気のない子は女性をあまりに想うばかりにファンサービスが客観的に見ると塩対応といわれるレベルの冷たいものになってしまっていることに気づいていない
そのせいで女性との間に行き違いがあったり誤解が生まれたりしてしまって、女性はその子から塩対応されていると思ってしまっている
(でも繰り返すけどその子は女性が好きすぎてうまくファンサできないだけ)
ファンからしたら塩対応され続けていてよくファン続けられるねといわれるレベルの対応しかされなくても、それでも人気のない子が好きで応援し続けているのがその女性
見所は女性とアイドルオタのおっさんとかのオタ話(エロやシモはない)だったり、
女性とその子の百合っぽいけどそうじゃないような関係だったり、
ファン活動にお金使いすぎて金ないから普段着はジャージ(どこにいくときも)
絵がかなり好み
女性の顔の書き分けはできてないし表情も乏しいからキャラの区別がなかなかつかないけどみんなかわいい
どういう終わり方にするつもりなんだろう・・・