知人子持ち女性に何人か、まだそんなに年でもないのにくしゃみや咳で肋骨を折ったという人がいて、私はそうならない為に毎日カルシウム摂取を欠かさぬ様に努めていたが、どうやらそれは功奏しなかった模様。
若い頃は鉄骨みたいな骨密度を誇っていた私だったのに、こうなってしまった……。
骨と一緒に心まで折られた感。
進む病状、日常を蝕む痛みと苦悩、なぜか読むのをやめられなかった。
日記の最後は医師からの深刻な診断結果の受け止めで終わっている。
自然とその後を想像してしまう。最後の記事が2015年だから、きっと日記はネット上の遺品なんだろう。
こんなの読んだら寝れないよ。いつか私も死ぬ、それがわかっていても怖い。怖い。
まぁ、そうなのかもしれない。
仲介しちゃうと、延滞が出た場合に中間でのやりとりが発生して面倒くさいのかもしれない。
でも、例え延滞の実績がある人間相手でも、一方的に断れる権限がないのかもしれない。
だから、許可を得ようとしてきているのであって、増田が”嫌です”って言えば、それで終わる話なのかもしれない。
でも、自業自得で原因がはっきりしてるわけで、モヤモヤするポイントないじゃん。
君もう、モヤモヤ病じゃん。
お前がもりもりちゃんだったらよかったのにな
お前なんかヨッシーと一緒に穴に落ちればいい
ちょう親切。
28歳の後輩が言う仕事への苦情とかがなにもかもありきたりで、昔似たようなことを自分もいってたけど結局自分のが間違ってたって知ってて、
あー、今時の若いもんは、というか若いもんはたいしたことねぇなー
と思う。
世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。
オタク・陰キャ・非リアなどと呼ばれる人々と、それ以外だ。
後者は前者と対比して、ウェイだの陽キャだのリア充だのと呼ばれてきた。
さらに、最近のネットではもっと乱暴に「社会不適合者/健常者」という呼称で区別されることもある。
今やオタクとは「ある分野に異常に詳しい人」とか「趣味に異常に没頭している人」といった意味を超え、
「ある種のコミュニケーション・行動を示す者」全般を指すようになったのではないか、と私は考える。
そして恐らく、陰キャや非リアと呼ばれる人々もまた、この特有のパターンを共有している集団の別名に過ぎないのではないか。
彼ら特有の言動の根底にあるもの、それは「コンテンツ主義」である。
オタクのコミュニケーションや行動は、「コンテンツ」に重きを置いたものであることが多い。
言い換えれば「コンテンツに関わる何らかの目的が存在し、その手段としてコミュニケーションや行動がある」という状態である。
要するに、オタクは「自分の興味のあるコンテンツ」について話したり、アクションしたりする修正を持っていて、
逆に「中身のない話・興味のないこと」に時間やエネルギーを使いたがらないのである。
・友達は少ないが、共通の趣味をもつ友人とはやたらと話が弾む。
・人間関係よりもモノに興味がある。もしくは「特定の個人そのもの」に異常なまでに興味を持つ。
・恋愛は「恋愛という行為そのものに対する憧れ」、あるいは「特定個人への執着」のどちらかになりがち。相手との関係は二の次。
・旅行に行く時は、目的地/移動手段/旅先の名物など、「モノ重視」で旅程を組む。
・職場の懇親会や、大して親しくもない人との飲み会を毛嫌いする。
・誰もが知っている曲しか歌われないカラオケには何の価値も感じない。自分の好きな曲、面白い曲/パフォーマンスこそがカラオケに求めるもの。
・身だしなみは、人から何も言われない限りはかなり適当に済ます。あるいは逆に超個性的なファッションに走る。
「コンテンツ主義」とも言うべきオタク的思考の対極にあるのは「雰囲気主義」ではないだろうか。
これは「中身そのものより、盛り上がってる空気が好き」「会話の内容よりも、会話のやり取りそのものが楽しい」という考え方、というか感性である。
・知り合い同士の人間関係に興味がある。何かと「誰かと誰かの関係」について噂話をしている。
・恋愛とは関係性である。「友達として仲良くなって、いつの間にか恋愛関係になってました」パターンが基本。
・旅行の面白さは「誰と行くか」「何を話すか」「どんな体験をしたか」で決まる。言い換えると「コト重視」。
・大して中身のない話、当たり障りのない話を続けても苦にならない。
・カラオケは「みんなで盛り上がること」が重要なのであって、好きな曲でも盛り上がらなければ意味がない。
社会の中では「雰囲気主義者」が多数派なので、少数派である「コンテンツ主義者」は肩身の狭い思いをすることになる。
少数派の立場に甘んじる彼らは、半ば蔑みの意味を込めて「オタク」「陰キャ」「非リア」と呼ばれる。
厄介なことに、「雰囲気主義者」も「コンテンツ主義者」も「互いの感性が世の中のスタンダード」と思い込みがちなので、
両者のコミュニケーションはしばしば噛み合わず、深い溝が生まれることとなる。
目に見えない「空気」を巧みに読み、協調性に優れる「雰囲気主義者」は、往々にして「オタクは協調性がない」とのたまう。
オタク自身もまた、「雰囲気主義者」のそういう一般論を鵜呑みにして、「自分たちは協調性のない人間だ」と評価することも多い。
確かに、「コンテンツ主義者」は、コンテンツを共有しない=前提知識、文脈、興味関心を共有しない相手とは協調することが難しい。
その反面、共通のコンテンツの下に集まった時、「コンテンツ主義者」は「雰囲気主義者」を超えるほどの連帯を発揮する。
ネット上、特にTwitterで何らかのコンテンツが急激に拡散される時、「コンテンツ主義者」の恐るべき協調が垣間見える。
それはある時には爆発的なヒットの原動力となるし、ある時には過剰なまでの炎上騒動を引き起こす。
こんな長文を気まぐれに投稿するような人間は大抵「コンテンツ主義者」の仲間だろう。
間違ってないんだけど平面なやつで頼む