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はてなキーワード: 表現者とは

2018-01-19

安易な黒塗りのタブー化ってやっぱヤバいんじゃないの

もう何周遅れの話題だよって感じだけど書き留めておく。

差別とは思わない」が約5割、“浜ちゃん黒塗り”騒動での視聴者意識

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180116-00000322-oric-ent

【黒塗りメイク差別だと思うか?】

差別にあたると思う……7.9%

差別にあたると思わない……55.6%

・どちらともいえない/わからない……36.5%

明確に差別だと断ずる人は7.9%と少ないが、どちらとも言えないと判断を保留する人が36.5%もいるのを見て、これはと思った。両者を合計すると44.4%。過半数に近い。

こうなった以上、日本においても黒塗りは表現方法として「死んだ」と言っていいだろう。昨年の年末エディ・マーフィに扮する浜田を無邪気に笑っていた人たちも、今年も同じ画を見せられたとして笑うことができるだろうか。きっとできない。それは「これは差別表現なのではないか」という問いかけがノイズ」となって絶えずまとわりつくからだ。過半数の人はもう無邪気に笑うことはできなくなった。差別にはあたらないと強固に信ずる人であってもこの「ノイズからは完全に逃れることができるだろうか。日本人はもう無知はいられなくなった。

(「死んだ」と言ったが、もちろんこの「ノイズ」を知った上での表現は終わっていないし、そういうことをする表現者が出てくればいいなと思う)

コンプレックに根差すタブー

黒塗りは何故ダメなのか?ぶっちゃけるとそれって「コンプレックスから」だろ。

人種カリカチュアがいけないとか色々言うけど、白人の真似をして金髪にするのはOKで付け鼻をするのはNGなのはそういうことだろう。高い鼻に憧れがある日本人にはピンとこないかもしれないが、白人にとって高すぎる鼻っていうのはコンプレックスであり美容整形対象である。一方の金髪はもう説明不要だろう。

ティファニーで朝食を』のユニオシに我々日本人イラッとさせられるのは出っ歯が醜いという基準があるからだろうし、細い目を強調されて嫌なのは目はぱっちりしている方がいいっていう信仰があるからしかし、日本人であっても糸目が美しいと感じる人ならば、何怒ってるの?となる。

引用になるが(http://wezz-y.com/archives/51171)、黒人自身が黒い肌を忌み嫌っていることが実験で示されている。

Q:「醜い人形はどっち?」

A:「こっち」(黒人人形を指す)

Q:「なぜ?」

A:「黒人から

Q:「どっちの人形あなたに似てる?」

A:「……わたしに?……」

女の子はおずおずと黒人人形を指差すが、触ろうとはしない。その時の女の子の辛そうな表情。なんと残酷実験だろうか。

また随分前のことなので一体何の文章だか忘れてしまったのだが、「僕たちは君たちのように黒い肌を洗い流すことができないんだ」と黒塗りへの嫌悪感説明している人がいたのが衝撃だった。洗い流す…?

こうした背景で、黒塗りの安易タブー化って、むしろ黒い肌=醜いという刷り込みの再強化に加担するだけなんじゃないか?むしろ、黒い肌に扮することをセクシーもの、カッコイものとしてガンガン消費していくべきだ。実際に、美しい黒い肌ってあるだろう。

浜田の件だが、美肌でも何でもないおっさんだったのが運の尽きとしか言えない。メイクが雑だったのもあるかもしれないが、あれは美しくなかった。意図せず黒人コンプレックスを刺激してしまった。

海外では、褐色キャラコスのための黒塗りが差別的だと非難されるケースがあるとか。上記の通り、英米スタンダードに組み込まれつつある日本でもその日は遠からずだろ。

いやいや、我々は憧れとしての褐色キャラコス積極的にしていくべきなんですよ!

2018-01-11

増田や5chを眺めていると、世間の仕組みについて教えてくれてありがとうだけどさ。

秋元康先生表現者に、課金をしてるのか。それとも、秋本康先生弟子課金をしてるのか。

そこら辺りの意識は、ないのかな。

でもなー、乃木坂の子たちのお小遣いが増えるなら、まぁいっか。写真集とかカレンダーとか、買っちゃおっか。

2018-01-02

anond:20180102165925

黒人は実際に差別されてきた歴史があり、実際今だって差別はなくなっていない。日本人自分としては肌の色なんかに優劣はないし黒塗りを問題だと感じていなくても、世界認識あるいは建前としては黒塗りは差別だと判断されうるだろうということは容易に理解出来るという話かな。

雑に黒く塗りたくって面白おかし変装することによって、これが黒人なんだといって笑いを取る文脈個人的にはかなり相手侮辱してると思うし、それを差別だと受けとる黒人がいるのはべつにそんなに不思議なことでもないと思う。もちろん何も感じない黒人もいるだろうけど、一方で差別だと受け取る黒人もそれなりの数いるだろうということも当然予想ができる。

肌の色というのは黒人白人黄色人種わず生来染みついているものなので、簡単に洗い落とせる安物の塗料かなんかで雑に真似てみせるっていう行為は軽薄だと思うし、あまりリスペクトを感じないかな。雑な黒塗りをして、それを見て笑ってくださいって文脈では、黒い肌を持つひとたちが自分たちの背負ってきた歴史を軽いものだと揶揄侮辱されたと受け取るのは十分理解出来る。まあだから個人的には黒人感情忖度して、彼らが嫌がることはやるべきじゃないという態度を取るかな。なんというか、生まれ持ったものを笑い物にされるのはとても悲しいし屈辱的だし理不尽だと思う。自分はそんなことはしたくない。

ただし、文学でも芸術でもエンターテインメントでも差別的表現などは出てくるものだし、覚悟があって表現者としての信念を貫いてやってるんだというのであれば、どうぞという感じでもある。絶対的禁忌というわけでもない。ただ、絶対的禁忌というわけでもないというだけで、当然それで批判もうける。黒塗りをしてこれが黒人だぞ笑ってくれという表現をしても、「これは差別じゃない」「肌の色には優劣はない」「黒がダメというのはそいつが黒いものを下に見ているからだ」という主張があるなら、堂々とすればいいんじゃないかな。ただしその主張もかならず世間に受け入れられるというわけではなく、批判されたりもする。

でもとにかく現実問題として、黒人モノマネ(笑い物にする意図)として顔を黒塗りするということは、一部の黒人侮蔑的差別的だと解釈される可能性があるということ。それを分かった上でも、これは差別じゃないからといって黒塗りしたいなら自分責任でやってればいいんじゃないかな。

2017-12-24

anond:20171224172107

「公開SNS上ではしません」でいいのではないか

表現者としての舞台は著書でも他のメディア媒体でもいいわけだし、そっちに関しては読者と作家という立ち位置で「選べる」

2017-12-23

典型的セクハラ告発攻撃

triggerhappysundaymorning 火消し「だけ」の謝罪文なのにヘイポーしか書けないのは表現者としても下手糞なんじゃねえのか?セクハラおじさんに取り入って仕事恵んで貰ってる売文屋がmetooにいっちょ噛み企んだのが間違い.

taxpayers セクハラ伊藤狂言だった。こういう感性の持ち主が岸氏の「かわいがり」を性的不快認識していたはずがない。個人的確執社会問題すり替え復讐に利用しただけなのだ。小保方や村田マリと同種の詐欺師

redpants 岸氏のお気にい入りだったのがよくわかるオチで最高だな

hiroyuki1983 あまりの酷さにあの岸とやらも実はセクハラしてないんじゃないかとすら思わせるレベル

sionsou ほらなやっぱりなって感じしかない。見事に本を売りたいから出しただけ。TVに出てたときからずっとこういうクズだよ

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ha_chu/status/944102267505872896

 

ツイッターはてブだけでも、はあちゅうへの誹謗中傷は見られるし、

DMやメールでも散々送られてるだろう。

そういう中で、「批判誹謗中傷と言い換えるな」とか言ってる奴がいるのホントクソ。

2017-12-19

コミックマーケットは存続させるだけで良いのか?

もうすぐコミケですね。はい

ジャンル同人活動をしています

ジャンルという程の横の繋がりはないのですが。

今年の冬にコミックマーケットという有名な同人誌即売会があるのですが、一応書く事は書きます

この件はまた詳しく後述しますが、コミケに関する批判は余りにも少ないです。

私は最近、5ちゃんねるの同人板を見る事にハマっています。只、そこの記事オタク叩き(とも取れる言動)もあり、万人にはとても勧められない書き込みもあります

『男向けや男オタが嫌い』スレには、ツイッターレディースまなざし村と思われる、または近い書き込みもあります

かと言って、私はオタク文化が大好きだった身として、これだけは書きたい。

コミケへの違和感、それを中々言い出せない人に、この記事を贈ります

https://togetter.com/li/1144990

私がオタク文化に疑問を持ち始めたのは、真木よう子氏に対して、「コミケの掟を分かっていない」という人がいた事です。

これを聞いて、私は既視感しました。

連合赤軍ナマモノ赤軍(確かな根拠なくナマモノジャンルをやめさせようとする人々。ディズニー自警団酷似している)のそれと、変わらないからです。

更に言うと、真木よう子氏が「コミケを止めるまで」追い込むのは、スマイリーキクチ中傷被害事件加害者メンタリティが変わらない。

ここが私がオタク文化に疑問を持った理由です。

存続させることに偏りすぎている

先のTogetterまとめでもありますが、「コミケは何かあっただけで潰れる」とあります

果たして本当にそうでしょうか?

あの殺人事件を起こした革マル派中核派もっと言えばアルカイダタリバンですら、潰れてはいません。

もしコミケが潰れたとしても、『コミケ』は無くなるかもしれませんが、アンダーグラウンドでも何でも何らかの形で『同人誌即売会』は残るでしょう。

先の例で言えば、イスラム過激派が無くなっていないように。

都が建物を貸してくれないのなら、資本家に頼み込む、自分達で作るなど手法はいくらでもあります

何なら「ビルを丸ごと借り切る」、「無人島の仮設テント同人誌即売会」もアリかもしれません。

ところがそれを多くの人は積極的にはしません。

ぶっちゃけ、面倒臭いからです(多くの人は)。

コミケを、天から降ってきた表現の場か何かと思っている。

そんな表現者が多い様に感じる。

自分達で、コミケとよく似た即売会を作ろうとは思わない。

そこに疑問を覚えます

可能な限り全ての表現を受け入れる」と言いながら、「悪法でも従っていればいい!」とばりに表現規制に加担すること

ある表現者は言いました。

表現規制問題と、現行法下で無修正エロをばら撒く事は話が別」と。

まり、一部のオタクは、コミックマーケットにおける検閲は「検閲ではない」と言い張っている可能性がある、という事です。

考えてみてください。

オタク」を「中国国民」に変え、「コミックマーケット」を「中国」に変えると、凄くおかしなことになる。

完全に国の意向に従っているも当然ですよね。

コミケは元々日本漫画大会へのカウンターカルチャーとして生まれたのに、今は国家検閲に加担しており、それを「存続のため」と目を瞑る。

まるで薬害エイズ事件ミドリ十字のようです。

ミドリ十字は、加熱製剤が安全だと知っていても、厚生省の言う通り、非加熱製剤をずっと輸入し、HIVに多くの人が感染した。

私達はこの問題問題意識を持つべきです。「存続出来なくなる!」と騒ぐだけでは何も解決しません。

自分から、強烈に主張すべきです。

そしてこれは、韓国でもアメリカでもフランスでもやっている事です。

終わりに

私は「元」オタクでした。

只、今のオタク文化には失望せざるを得ません。

自分達で変えようとせず、他者に委ねるからです。

判断力自分達で潰して良いのか!?価値観をハッキリさせろ!

正直そう思います

コミケへの批判が少ない件ですが、個人的にはオタク叩き、差別的言説以外で(私はリバタリアンなので、ヘイトスピーチ含む差別的言説の規制には反対です)、コミケへの批判を少なくとも見た事がありません。

本当に少ないんです。

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Criticism_of_Apple_Inc.

上の記事Apple社への批判ですが、かなりしっかりとまとめられています

只の一企業であるApple社と、コミケを並べる事はおかしいだろう、そう思う向きもあるかもしれません。

然し、大企業ですら批判があるのですから、巨大化していったコミケ批判されるのは時間問題かもしれません。

私はコミケにはぶっちゃけ参加した事は無いのですが(すみません、参加する予定もありません)、これを機に、内部で変えていく必要があるのではないのでしょうか。

2017-11-22

anond:20171122145737

プロ表現者のくせに「頬の紅潮性的興奮の記号」くらいの認識しかないならまずそれを恥じなければいけないわけだが。

「白目は性的絶頂記号レベルのこと言ってるぞおまえ。

anond:20171122141956

表現の自由戦士が「あんなのエロく見える方がおかしい」と、表現物の表情や身体的特徴が意図する「記号」を正しく読み取れないふりをするのは

絵を描いて食べている私にとっては敵でしかない。

少なくとも表現者は同じ文化を背景とするのなら、この記号で通じると思ってやっているわけで、

それを否定するのって作品目的否定するのと同じだからな。

自分主義主張のために作品を踏みにじる真似をするなよ。

2017-11-05

19年ぶりの快挙 11年目の現実 星に願いを

音楽は最高だ、ライブ現実不安を吹き飛ばしてくれる!このバンドを聴き日々暮らすんだ、と胸に刻んだあの日から11

この度 バンギャ 卒業しま

横浜育ち、物心がつき始めた98年あの栄光はいまもここに

 中高生の時は野球にさほど感心がなかった、でも横浜は気になった種田の真似はしたし、TBS買収に驚いたし、WBCテレビ観戦をしていたけれどもあの頃は専らバンドお年玉CDバイト代ライブ遠征費に出演してるラジオ新譜MDに入れ悶えていた、まさに青春

そして中学3年生にして運命的なバンドと出逢いをしたのだ。

裸足で唄う姿や衝撃的な歌詞、一変して何処か懐かしい哀愁を帯びた音

雷に撃たれたのだ、心が震えた15の出来事。音だけでなく奏でる人物像が知りたい、その世界観もっと知りたい‼決してメジャーと言い難い彼らの情報必死に集めた。雑誌の表紙なんて飾らなかったから切り抜きを貰ってファイリングした。ライブ最前列で触れ、握手会番組観覧。増える黒いTシャツタオル。それはそれは痛いくらいに夢中になりました、神のごとし全てでしたか

 好きなメンバーが出来た、カープファンだった。

へぇ、丁度登場曲にこのバンド使ってる選手いるし応援しよ♪原初カープ女子であった、だがいつしかそんな誓いも忘れたのだ。ゴールデンウィークの谷間の日、仕事学校があるのにも関わらずデイゲームを行ったガラガラハマスタサヨナラホームラン

 人生二度目の落雷ヤバい楽しい

日米どちらのポストシーズンが終わった。やはり野球楽しいな。

話題cs制度についてお話ししよう。私が応援しているベイスターズは3位ながらも下剋上という形で日本シリーズ進出した。えっビール掛けもしちゃうの?風邪引かないでね、呪詛っぽい不吉なコメントは止めてね。選手の喜びが眩しかった、19年ぶりの乾杯。本当に嬉しく思ったが同時に驚き戸惑った。これでいいのかな?唯でさえ1位のチームと貯金10以上あるのに、他のチームの方がパ・リーグ相手善戦するのでは...

 そんな素人の余計な心配他所ベイスターズはあのホークス相手に見応えのある試合が出来たのではないかと思う、あのサファテにイニング跨がせたんだぜ! 次はセ・リーグ優勝して堂々と挑みましょう。お疲れ様でした、2月キャンプで会おう!しかし今後はcs制度見直し必要だろう。あとNPBは開催時間デイゲームにしてください、屋外球場は客も選手も辛いでしょうに。

さてシーズンも終わったしTwitterで新しい音楽の発掘するかー

飛び込んだ横浜を下げたツイート、おやどこから?あのバンドマンだった、やはり優勝チームファンはそんな思考になる人も居るよね、好きな人だけに複雑だなぁと思いつつ返信欄を覗いてみた。”○○倒せクソ不愉快““ビール掛けとか球団は敬意がない”  敬意?

いやいやいや~巨大なブーメラン刺さってます目には目を理論ではないですが、カープ球団にそんなのあったの?締め出しとか相手チームに嫌がらせグッズ作るのに?軽率発言は止しなさい、表現者であるなら尚更、失望したよ。それならば勝者にこそ敬意が向けられるべきでは?あなた発言侮辱だ。最近ネタがないからか演奏じゃなくボルダリングとかアイドル的な要素まで入れてきて笑ってたらこんな...炎上かい

恐らくはカープ選手に対する侮辱行為みえる、という事で発言したのだろうか。推測の域で語っても不毛なのでやめにする

カープファン選手は本当に情熱や実力もナンバーワンだと思う。カープファン選手すみません不快発言しょうが球団は無理です、運営が無理。あと○○倒せコールセ・リーグだとヤクルト中日阪神さんはチャンテ内に組み込まれていますし。そんなにカッカするなよおじさん。

そんなわけで11年間続けたバンドファンバンギャ卒業しま

メンバーみんな結婚してもやめなかったのにね

リーダーが一昨年何年経ってもリスナーが戻ってこれるようなバンドでいたいです。と発言していてしみじみ言葉の暖かさを感じていたのですが残念です。戦争の歌やら日常の歌、このバンドは沢山良い歌があります

ですが政治宗教野球は慎重な話題が多いのです。タクシー運転手さんはよく気をつけていると聞いたことがあります

もう私は純真気持ちで彼らの音楽は聞けません、ライブに言ってもどす黒い渦が巻いて楽しめないでしょう。たかだかそんな呟きでそんな失望するなよ、と頭の中ではわかってはいますが行き場のない思いを綴ったまでです。自分の幼稚さも陰湿さも重々承知です。だけどTwitter掲示板もそんな呟き話題にすらなっていないもの!完全に個人的な憤り。

ただのファンなら別に良かった、だが尊敬する大好きなアーティストの声がそれだぜ、笑えるわ


頭が冷えたらまた彼らの音楽聴くかもしれません

いや、ベイスターズが優勝したらかな?頑張れよ‼

長文失礼致しました、昨今のSNS発展によるこのような悲しみにふれる方が少なくありますように。


さよならもう会わない気がするよ グッズどうしようかな

2017-10-24

差別「的」表現を無くす必要は無い

多かれ少なかれ人を表現しそれをネタにするという事は差別的であり、誰かを傷つける可能性がある

それを気にして表現するのは自由だが、気にせず表現する事も自由である

それに文句をつけるのも自由だが、文句に応えるかも自由である

表現で傷つく事など生きていれば何度でもある

気に入らなければ二度と見なければいいのだ

見せようとする人がいたら、表現ではなくその人を凶弾すべきである

願わくば表現者判断に任せ、周囲の単に利害関係だけを気にする人たちの圧力によって強制的に辞めさせる事がない世界になってほしい

表現自由でなければならない

2017-09-23

とんでもなく美しい風景をみたんだがこの感動と昂りをどこにもぶつけられない

風景飛行機の中で、窓の外は一面の青空と真っ白な雲。夕暮れ時で少し黄色味がかったまぶしいくらいの光が後ろの方から差し込んでいて、

窓際には1歳になるかならないかくらいの男の子がお母さんに抱かれて眠っていて、お母さんもやわらかい顔で窓の方を向いてうとうとしている。

機内はとっても静かで、飛行機エンジンのごうごうという音だけが聞こえていて、

とにかくめちゃくちゃに美しくてやさしくて最高の世界だった。

ふと思い付いてイヤホンプレーヤー差し込んで小瀬村晶のLight Danceを流して小さめの音量で聴いたらもうあまりの美しさで自分がこれから死ぬんじゃないかとすら思った。

ただ文章じゃもちろん表現しきれないしでもなにかで表現しないとなんか気持ち悪くてスッキリしなくて感動と昂りにモヤモヤがかかってるようななんともいえない気分だ。

いわゆる表現者立場にいる人たちはこういうときに絵や音楽ダンスにするんだろうな。自分には無理。

2017-09-08

幸せだけど死にたい

私には、

ピアノお菓子作りと観劇趣味設計士の母と、海外起業してその国の偉いひとと仕事してる父と、いま4年生で某有名広告代理店就職決まってる美大生の姉がいて、自分も3歳からピアノ、4歳からバレエを始めてどっちも賞取ったりしたし、県内トップクラス高校行って生徒会やったりもしてて、休日には家族や友人と出かけたり、あとはよく図書館行ったり美術館巡りしたりなんかして、

経歴だけ見たらこーんなに綺麗なのに、どうして私は朝が来るたび死にたくなってしまうんだろう。

はてな村には色んな人がいるが、何故だかその内の半分くらいは何らかの理由しんどい状況にいて、その事について愚痴っている。「死にたい」という言葉を見かけることも少なくないし、実際そんな言葉を残していった増田たちの中には、今はもういない人も結構いるんだろう。

私もたまにここを覗いて彼らのエントリを読むと、辛い境遇に置かれている人間には普通に同情するし、そりゃ死にたくもなるよなと思う。だって彼らは客観的に見て「不幸」だし「恵まれない」人たちだから

でも私はそうじゃない。たぶん私は世間一般的にはかなり「幸せ」で「恵まれた」境遇にある人間だ。だから死ぬことは許されない。

それでも私は死にたいである

死んだら周りの人が悲しむよ、と誰かが言った。それでいいのだ。私は私の死をもって、誰かの心に深く深く私を刻み付けたい。「自殺したって何も美しくない年齢になってしまったなとぼんやりおもう。」なんて言葉ツイッターで見たけど、私はきっとまだギリギリ美しく死ねる年齢だと思う。美しくて、影響力があって、多感で繊細な時期の友人が多い今のうちに、何とか行動したいと思う。

はいつも"特別"になれない人間だった。部屋の隅に並んだ数多の賞状トロフィー、それらのどこにも優勝の二文字はない。本を読んだり絵を見たりは好きだけど、姉のようにオンリーワン表現者になることは出来ない。やること成すこと全部それなりで、周りの人は多才だと褒めてくれたけど、どれかに自分の全てを捧げる程の才能がないだけだ。私はいつでも"特別"になりたいだけの人間だった。

それなりの人生、それなりの幸福。喉から手が出るほどそれらを切望する人がいるのは知っている。でも私にはそれじゃ駄目だった。それだけの話だと思う。

タイムリミットが迫っている。今なら、いま死んだなら、もしかしたら少しは特別になれるような気がするのだ。JKで居られなくなったら、もう私にチャンスはない。決断しなければ。

その前に、こんな所にいったい何人存在しているのか分からないけど、いま幸せな人教えてください。

あなたは何故「自分幸せである」と言えますか?

自分人生には満足していますか?

死にたいと思うことはありますか?

2017-09-04

松江監督はダセえ

童貞。をプロデュースの件

あそこでしゃぶってれば伝説になれた

苦笑いしながら、まったくしょうがねえな、といってしゃぶればよかった

俺が悪かったすまん!でもいい映画になった。後悔はしてない。悪いことをしたとは思ってる。覚悟はしてる。とさわやかに言ってればよかった。

そしたら加賀さんもしゃーねーな、と許しただろう

あそこで嫌だとクビを降り続け、終わった後も、強要はなかったと言い続け

出演者に、みっともないまねをさせ、セクハラパワハラなまねをしてまで映画を作るからには、そのリスク自分も負え、というのが加賀さんの主張なんだろう

だが松江は、自分は痛い思いも不快な思いも一切したくないが、出演者には強要する、とあの態度で皆に示してしまった。

もう表現者としては終わりだ。

覚悟がない奴の作った物を、見る気にはならない

2017-08-29

真木よう子は何を頒布すればよかったのか

私見だが写真集がいけなかったんだと思われる。コミケ表現の場であるのに対し、交流がメインの目的で肝心の創作物写真集では片手間に作ったと思われても仕方がない。

もちろん写真集が何が何でもいけないわけではない。彼女SNSブログは詳しく知らないが、日頃から写真をアップしてたり写真について語ってたり、表現者として写真真摯に向き合っていたならまた違った反応があっただろう。創作物として写真を選んだのは、写真撮るの簡単から作る感があふれていた。

コスプレ写真ならどうか?という意見があったが、原作なりアニメを見てない叩かれるから駄目だと思われる。一般オタクなら作品を知ってて当たり前なのでわざわざ「その作品知ってるの?」などと確認は入らないが、外部の一般人コスプレしてたら確認が入るのは仕方がない。

写真撮るのだって簡単じゃないというのは分かるが、ここで問われているのは姿勢だ。交流してもいいけど創作物を発表する場なのだから、それをおざなりにしてはいけない。

https://anond.hatelabo.jp/20170829084959

「具体的な結論が先になければそれは表現とは言えない」なんてことは全くないよ
「皆で意見を出し合って何かを作りたい」とか「皆が好き好きにやった結果生まれカオスものが見たい」とかでもいいんだよ
「私が表現したいものは、皆が一丸となることで生まれるモノです。具体的にそれがどうなるかはわかりません。」
これが表現したいものとして受け入れられないんだったら表現多様性を支持なんて口が裂けてもいえないね
勝手表現者かくあるべしみたいな理論出されると困るんだよね

真木よう子コミケ参戦はコミケ目的に反している

https://anond.hatelabo.jp/20170828024450

上記の記事を読んでの反論です。

記事内の、オタ・非オタであるか、アマチュアプロ法人であるか、営利非営利であるか、などは本件に関係ない見当違いな意見だと思う。

真木よう子コミケ参戦はコミケ目的に反している。というより、全くの逆の考え方をしていると思うのだ。(目的理念については後述)


コミケ同好の士の為の場だと思う。自分の好きなもの表現したり、見つけたり、仲間を探したり、そういう場ではないだろうか?

しかし今回の真木よう子作品は、そこに当てはまるように思えないのだ。

理由は、彼女クラウドファンディングのページにある。参考:https://camp-fire.jp/projects/view/40020

ページトップ文章の一部に、

皆様と一緒にフォトマガジンを作ろうと、試みて居ります出版社を挟まず、皆様の御希望写真、ワタクシの本音。等、多数載せる予定で御座います

とある

まり皆様と一緒に、皆様のご希望写真+αをクラウドファンディング――出資者を募って皆様のお金で作ろうとしている。

先述した内容の通り、コミケ同好の士の為の場だとしたら、彼女は一体なにが好きなのだろう?

写真だろうか、それとも二番目のワタクシの本音だろうか、あるいは自分自身が好きでそれを表現したいと考えているのか。

自分自身表現したいなら正しいと思う。

究極的に創作はそういうもので、何らかの形式ジャンルを倣って表現するのは、その為の手段のはずだ。

彼女自分自身写真という媒体表現したいなら、写真という手法自分というオリジナルジャンル(或いは自分の好きなもの)を表現するとも解釈できる。

叶姉妹場合は、それに似た形ではなかったろうか。

しかし今回の件は違う。

彼女は、皆様をしきりに強調している。

皆様のお金で、皆様の御希望写真を、皆様と一緒に作りたい、と。

さて、最初に『全く逆の考えをしている』と述べたのはこの為である

まり彼女表現者として自己から他者へ好きなもの提供するのではなく、他者から自己へ好きなもの提供してほしいと言っているように思えるのだ。

クラウドファンディング使用は、この点をより顕著にしている。

当該ページのホームプロジェクト本文に、

より皆様とお近づきになりたく、この様な企画を思いつきました。

雑誌タイトル・内容も、未だ何も決まって居ませんので、是非、皆様の意見要望をお送り下さい。

とあるのもそうだ。

上記の文は明らかに、好きなものを外に出したい=表現したいとは書かれていない。

(もし自分本音やそれに類する表現したい内容があるなら、ここに書かないのは不自然だ。穿った見方をすれば、他者の好きなもの(或いは自己への好意)を内に取り込みたいようにも見える)

この根本的な表現の間違いが、"真木よう子コミケ参戦問題"の肝だと思う。

表現者としての内と外の優先順位が逆なのだ

自分の好きなもの(内)を他者(外)へ出す、のではなく、他者の好きなもの(外)を自分(内)へ入れる、という目的では、まるで読者(受け手)の目的である

例え結果的には同じ出版物であっても、コミケの、そして表現者目的に反しているという点が、この件の問題ではないだろうか。



記事への反論について

真木よう子氏は既に本件について謝罪しており参加中止を表明している。ネット上のコメントやまとめには、当記事と同じような発言も幾つか見られる。

それをわざわざ取り上げ反論したのは、記事の内容に不満があったからだ。

筆者に悪気があったとは思わない。コミケ文化を憂慮して書かれた記事だと思うが、結果として悪い印象を与えていないだろうか。

彼は真木よう子氏に問題はないとし、各々の批判問題のない理由を挙げている。

(なお、当記事への批判は以下が該当するように思われる。しか交流表現は別物であり、作家表現を前提に交流している。当記事反論はその表現目的に反しているというものだ)

参加目的に「(ファンの)皆様と会いたかった」と言ってる点を持ち出し、参加するなと批判している人がいるが、

同人作家で、「買ってくれる人や~~さん(同人作家)と交流が楽しみ」みたいな呟きをしている人なんて簡単に見つかるし、

彼のいうように、オタ・非オタアマチュア法人営利非営利コミケには関係ない。それには同意だ。

だが、最終的にオタが非オタ排除したような結論になっているのはどうなのだろう。

特に、オタというもの境界定義ますます曖昧になっていくであろうこれから時代に、

とあるにも関わらず、皮肉にもこの記事はその境界問題蒸し返しているように思える。

個人的な話をさせてもらえば、自分子供の時分は、まだオタク犯罪者予備軍という印象が強く、オタクというだけで世間から白い目で見られる時代だった。

だが、様々なメディアを介して有名になり人気も上がり色々な人が集まるようになり、現在は既にオタク一般人境界は限りなく薄く微かなものになったと思う。

そうした時代にあって、この記事は結局はオタク一般人(あるいはそれに類する言葉)の影に怯えているように見えるのだ。

彼にはそう思えたのかもしれないし、実際そのような考えの人もいるかもしれないが、オタクであるかどうかはこの問題を正しく捉えていると思えない。

そもそも自身も、

まず、コミケは、オタのためだけの、非オタは参加を許されない祭典ではない。

と言っているではないか

コミケの参加に関わる内容は、コミケ参加者とすべきで、不要言葉のくくりを認めるべきではないのだ。

これから時代に大切なのは曖昧境界に怯えるのではなく、境界を取り払い同じであると主張する勇気ではないだろうか。



目的理念について(補足)

最初タイトル理念と書かず目的にしたのは直観的なものでした。(タイトルを先につけた)

なんとなくコミケ理念なんて仰々しいものでなく、もっと単純で根本的なものだと思ったからです。

記事を書いている途中で見つけたのですが、http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn201401.pdf

コミックマーケット理念は、

コミックマーケット同人誌を中心としてすべての表現者を許容し継続することを目的とした表現可能性を広げる為の「場」である

とあります

記事は、その理念の前半の表現者について、表現目的に反している、延いてはコミケ目的を満たしてないと論じて、後付けですが一応タイトル回収?できているのではないでしょうか。

いやほんと、長々と失礼しました。

2017-08-28

真木よう子コミケ参戦はコミケ理念に反していない

かれこれ20年近く夏冬と連続当選してサークル参加してる身だが、真木よう子コミケ参戦は別に問題ないと思ってる。

真木よう子の参加は、コミケ理念に照らし合わせると、何の問題もないからだ。

私のようにコミケに長く参加している古参でさえも勘違いしている人がいるのだが、

まず、コミケは、オタのためだけの、非オタは参加を許されない祭典ではない。

そして、今のコミケは、「非営利」の、「アマチュア」に限った場ではないのだ。

2013年に、申込書等、コミケ準備会側の公式文書に書かれている「コミックマーケット理念」の記述から、「営利目的としない」などの一連の文言が消えたことを知る人は少ないんじゃないだろうか?

営利目的としない」の等々の文言が消える前は、

コミケットアマチュア営利目的としない団体サークル)、個人のための展示即売会です。基本的法人会社)あるいはそれに準ずる方の参加はお断りします。

と、なっていた。参考 http://wanda.hatenablog.jp/entry/20100418/1271549068

長らく「営利目的でない」「アマチュアの」イベントであり、「法人」は原則ダメですよー、という理念を掲げていたが、

こうした理念がとっくの昔に形骸化していたのは、コミケにそれほど詳しくない者の目にも明らかであっただろう。

そして、最も新しいC93(今年の年末に行われるコミケ)の申込書に書かれているコミックマーケット理念には、

コミックマーケット同人誌を中心として

すべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした

表現可能性を広げるための「場」である

と、書かれており、続いて、

コミックマーケットは、法令と最小限にとどめた運営ルール違反しない限り、一人でも多くの参加者を受け入れる事を目標とする

とも書かれている。オタじゃないと参加はダメとか、オタク文化系の頒布物じゃないと参加はダメ、とも書かれていない。

有名人ダメ、とかもない。

このコミケ理念に照らし合わせると、真木よう子の参加希望を、現時点で全否定する理由は無い。

個人として、事務所を通さず好きに作りたいのなら、本人がコミケを選んだって構わないだろう。

クラウドファンディングで本を作るのだって別にいいと思うし、これから時代同人活動での一手法になりうると思う。

自分の金で作らないなら、参加は絶対に認めないぞ!なんてルールは、どこにも書いてないのだし。

また、「コミケでやる必要がないかコミケ以外でやれ」というのは暴論すぎる。

それこそ、よく知られている「一般的な」同人活動だって

委託店等の販路が多くある昨今なら、「コミケでやる必要はない活動」となってしまう。

参加目的に「(ファンの)皆様と会いたかった」と言ってる点を持ち出し、参加するなと批判している人がいるが、

同人作家で、「買ってくれる人や~~さん(同人作家)と交流が楽しみ」みたいな呟きをしている人なんて簡単に見つかるし、

混雑しそうだから参加ダメ!なら、そもそもサークルや島中の大行列を生んでいるサークルはどうなんだ?となる。

禁止されている徹夜等を含め、そういう混雑を生んでいる大人サークルは、コミケに参加するべきでなく、大手委託店等で通販のみを行うべきなのだろうか?



私が参加したこの20年近くの間に、オタとオタを取り巻く環境、そしてコミケも大きく変わった。

90年代には、アキバビルの薄暗いフロアスチールラックをおいただけ、という裏ビデオ屋のようだった同人委託店が、

今や全国に複数店舗を擁するようになり、販路も拡大し、

同人だけで食っていけるような人も(参加者全体の数からすると割合は少ないが)見受けられるようになった。

まり、明らかに営利目的収益目的だなってとこも珍しくはなくなった。

サークルのような大手や有名どころは法人成りしてる例も見受けられ、限定グッズを売り出す企業ブースは毎回長蛇の列で大盛況だ。

企業人間がブレーンとして関わって制作された、商業流通している本に顔負けの同人誌だってある。

コスプレ広場コスプレイヤーには、芸能事務所登録しているような子も増え、

芸能界へのステップアップを目指す子もおり、現役グラドルすら来るようになった。

現役プロ漫画家イラストレーターが参戦する例だって、ずっと前から枚挙に暇がない。

そうしたコミケに参加するプロアマチュアが、コミケを通して知名度をあげたい、広告宣伝効果を得たいという思いだってごくごく普通のことになっている。

コミケに参加したこと無い人でも、コミケ等大イベント前の怒涛の頒布広告宣伝ツイートはよく目にするだろう。

好き嫌いはあるだろうが(私自身はこうした一連の変化は苦手だが)、こうして世とともに変わっていったのもコミケ現実だ。

私は今の言葉で言うところの陰キャなので、キラキラした芸能人や、リア充と言うのかパリピというのか、

なんというのかそういうある種の言葉でくくられる人が来て多数派になっていくのは嫌だ。

しかし、それは私の好悪に過ぎず、そうした好悪の感情をもとにある参加希望者を叩き、拒むことは、コミケ理念に間違いなく反している。

極端な話、コミケ理念に反せず、法令と、準備会が定めた運営ルールを守っているならば、

「オタなんて大嫌い」という人が、「オタ大嫌い論」という本を評論情報ジャンル頒布するために参加したっていいのだと思う。

コミケ準備会側が、搬入計画懸念を示したりして参加させないと判断するならまだしも、

私のような一人ひとりのコミケ参加者らが、コミケ理念に反していない者を、

「こいつは参加するべきではない」「コミケに不慣れなこいつは問題を起こすに違いないから来るな」として叩き、

参加を断念させることになったら、ただただ禍根となる。

特に、オタというもの境界定義ますます曖昧になっていくであろうこれから時代に、

オタ的でないからと叩いて参加を断念させ排除するのは、悪用される恐れのある前例にもなろう。長文すまない。

2017-08-27

叶姉妹を受け入れた人間が、真木よう子氏を叩くのはおかし

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cinra.net/news/20170825-makiyoko

この記事ブコメに、叶姉妹ときとはうってかわって

彼女の参加に対して懐疑的な反応が集まっており、それが心底意外だった。

http://news.livedoor.com/article/detail/13524106/

そうした反応をまとめた、こんなニュースも。


コミックマーケットの開催趣旨

http://www.comiket.co.jp/info-a/WhatIsJpn201401.pdf

公式pdfにも書かれているように、

コミックマーケットは「自分たち作品の発表の場として編集発行する雑誌」を

頒布するための場として開かれている。

あくまで「個人サークル作品の発表が目的」の、文化的支援趣旨の場であり、

コミケ側も、サークル側も、「営利目的でやるのは違うよね」というスタンスである


実態

前項で書いたように、営利目的で参加するのは違うよね、とはされつつも、

実際には、営利目的で参加しているサークルも少なくない(とみられる)。

けれど彼らに「君ら本当は表現目的じゃないよね?お金けが目的でしょ?」なんて

問いただした所で水掛け論なので、特に出来ることもすべきこともない、という状況である

(界隈では、そういったサークル存在は「同人ゴロ」と呼ばれている)


叶姉妹真木よう子の違い

はっきり言ってしまえば、

お金儲けや話題作りへの下心を感じる」とバッシングされている真木よう子

それから叶姉妹小林幸子らの間に、サークル参加者としての明確な差異は全く無い。

かにクラウドファンディングお金を集めたり、「皆さんにお会いしたい」と語るなど、

真木よう子氏のコミケ参加に、強い「ビジネス臭」がするのはわかる。

しかし、振り返って考えてみたときに、小林幸子叶姉妹は、

真木よう子氏とは違い、純粋作品頒布目的だったと言える証拠はあるだろうか?

新規市場に攻め込む際、市場文化を前もってよく調べるのは、マーケティングの基本だ。

彼女らはコミケ出展たことによって、当日の売上以外に利益享受してはいないだろうか?

彼女らは、目立ったり、好感度を高めることがビジネスの一部である芸能人」だ。


私が危惧すること

叶姉妹小林幸子いかビジネス成功しようが、個人的にはどうでもいい。

別に彼女らのことが嫌いでこれを書いているわけではない。

オタクのチョロさに気づき、味をしめた存在

たとえばその他の有名人なり、諸団体なりが大量に流れてきたら、どうなるか?を心配している。

コミケという場の文化理解せずに流れてくるのは、サークル参加者側に限らない。

有名人に釣られて入ってくる一般参加だって、きっと増えるだろう。

それ以前に、スタッフ負担だって増える。待機列とは関係ないところに人だかりができる。

何かとヘイトを集めがちな有名人だ、トラブルリスクだって無視できない。

会場内が「一般人」の目に触れる機会が多くなりうるきっかけは、本当に是とすべきだろうか?

しかコミケ運営は「どうせ表現目的じゃないだろ」と「同人ゴロ」を弾けないように、

今回の真木よう子氏を含め、

そのようにして流れてくる連中もまた、受け入れざるを得ないし、そうするべきなのだ


真木よう子氏の参加に対してあるべき声

コミケ運営が「同人ゴロ」の参加申し込みを弾くことができないのと同じように、

今回も、コミケ側は真木よう子氏の参加申し込みを、他の申し込みと平等に扱うべきだし、

我々一般参加者も、叶姉妹小林幸子ときと同じ視線を向けるべきだ。

から、「コミケである必要性」とかの話ではない。

自分表現をどのような場に出そうとしようが、表現者自由であり、

また同時に、どのような表現も受け入れてきた広い受け皿でこそ、コミケはここまで発展してきた。

いかビジネス臭のする表現だろうが、それが自己表現だと言われればそれまでである

とは言いつつ、単に「ビジネス臭がする」という印象上の批判に収まらない、

コミケという場を文化的に最大限意義あるものにしようとする態度を含んだ批判はしていくべきだ。

個人的には、そのような批判は、外堀から埋めていく形をとる気がしている。


叶姉妹賞賛する人々は、こうしたことを少しでも考えたことはあるだろうか?

コミケは、作品頒布のための場」であることを、我々は思い出さなくてはならない。

2017-08-21

ポリコレ棒を避けながら創意工夫を重ねてこそ表現者

誰もあなたが語ることを求めてないので、代案を示せは無意味

差別することでしか場所を保てないなら退場せよ

2017-08-09

自分史上最高な作品出会ったときにどうするべきか

アニメだったり漫画だったり音楽だったり、そういうもの趣味というのは基本的に新しいものキャッチしてそれを

自分の中で評価付けてまた新たな作品を探し出すことの繰り返しだと思うんだけど

そのなかで「実はずっとこれを探し続けていたのかもしれない」と思えるような作品出会ったときどうするべきか

1. しばらく同じジャンルに触れない

2. さら貪欲キャッチしつづける

3. その趣味ピリオドを打つ

4. 自分表現者を志す

5. 咀嚼時間がかかるた最初は何も感じない



どうしますか

2017-08-02

作風が変わってダメになったという評価は必ず揺り戻しがある

瞬間風速的に変わった大衆迎合だやっぱ売れたらこうなったウンコ製造機に成り下がり等の罵詈雑言を受けまくるが

時が経てば大抵再評価されてまあいんじゃね?新しいアプローチだ以前と変わった?馬鹿を言うなよなどと肯定的意見が占めてくる

歴史は流れてみないとどこに辿り着くかわからない表現者は只々前に進むのみで軌道をどう評価されるかを気に留める暇はない

2017-07-14

https://anond.hatelabo.jp/20170714083840

hanyan0401のコメント 2017/07/13 11:10

id:zatpek 再三申し上げているように「事実上強制と仄めかして」はおりません。/ はあ。では自主規制当事者は唯一表現者出版社)だけであり、同様に「一方的決めつけは当然」となるのではありませんか?

zatpekのコメント 2017/07/13 18:18

id:hanyan0401 http://b.hatena.ne.jp/entry/341645160/comment/hanyan0401 非公開を言論上の円満解決とは見ていないから「都合がよろしいですね」と書かれたのでは?//たぶん私の言葉足らずが原因ですが、後半の文意がわかりません。

hanyan0401のコメント 2017/07/13 18:32

id:zatpek なぜ自主規制円満解決「とだけ」みなさなければならないのですか? / 「セクハラ暴力」なる決めつけが許されるなら、「事実上強制」という決めつけも許されるということです。貴方論理に倣えば。

zatpekのコメント 2017/07/13 19:46

id:hanyan0401まり、実際はケースバイケースと知っているけれども、対抗言論として「事実上強制」という体をとる、ということですか?//(ところでなぜかスマホだとidコール通知が飛んできませんねこれ)

hanyan0401のコメント 2017/07/14 12:26

id:zatpek いえ。ケースバイケースだからこそ、言論の自由市場表現への批判があるなら批判への反論存在すべきであり、後者だけを一方的に「批判の封じ込め」とみなすのアンフェアだということです。

zatpekのコメント 2017/07/14 13:23

id:hanyan0401批判自主規制事実上強制」という図式を暗に想定されることに対する危惧が「批判の封じ込め」ですから、この図式を暗黙の前提とする「反論」こそアンフェアでしょう。ずっと言ってますが。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 13:32

hanyan0401 id:zatpek ケースバイケースなのだから事実上強制」の可能性も内包するのは当たり前で可能性の存在を前提とした想定と断定は異なりますそもそも貴方論理では「当事者ではないから決めつけは当然」な筈ですが?

zatpekのコメント 2017/07/14 13:49

id:hanyan0401きちんと書くと「先方の事情を十全には知りえない以上、先方の批判が『一方的決めつけ』に見えるのは仕方ない」という諦観ですね。でも論理として反論はできるので。サーキシアンとか全然評価しない。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 14:06

id:zatpek はあ。では批判側が「性暴力」「セクハラ」と決めつけて見えるのも、批判への反論側が「事実上強制」と決めつけて見えるのも、どちらもやむを得ないが反論可能である。ということでよろしいでしょうか。

zatpekのコメント 2017/07/14 14:19

id:hanyan0401ええと、それ主体は「私」でいいんですよね?まあ、現にもうやってますよね。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 14:31

id:zatpek そうなると貴方論理に倣えば、貴方批判なり反論なりは「印象操作扇動」以上の意味を持たないことになりますが。以下引用。「印象操作扇動以上の意味があるんですか?」

zatpekのコメント 2017/07/14 14:48

id:hanyan0401あなたに逐一文意確認しているのに、扇動印象操作余地があるんでしょうか?//あなたブコメスターは、ケースバイケースなんて想定してないんじゃないかな。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 15:03

id:zatpek 対象意味確認すれば例外となるということでしょうか。であるならば、「セクハラ」「性暴力」等の批判を行なっている側はその確認を行なっていない。当該批判印象操作扇動しかないことになります

zatpekzatpekのコメント 2017/07/14 15:24

id:hanyan0401特に性の事情に関しては、確認行為自体デリケート問題をはらむ、という点をかんがえてください。(というかそこにデリカシーがないから揉めるんだよなあ)

hanyan0401のコメント 2017/07/14 15:53

id:zatpek はあ。問題とは性に限らず全てデリケートなのでは。また「印象操作または扇動に該当する」という指摘への反論に全くなっていませんがデリケートから印象操作扇動正当化されるというご主張でしょうか。

zatpekのコメント 2017/07/14 16:56

id:hanyan0401私の確認行為デリケートな部分が傷ついたのなら申し訳ないですね。(要するにこうやって揉めるんですよ)//基本、確認が難しいから「安全係数を大目にとる」という運用しますね。ゾーニングって奴です。

hanyan0401のコメント 2017/07/14 18:17

id:zatpek 私の内心の話はしていません。表現への批判貴方論理に倣えば決めつけであって、印象操作扇動以上の意味を持たない。この点については特に反論がないという理解で正しいでしょうか。

zatpekのコメント 2017/07/14 19:22

id:hanyan0401あなたの「反論」は、です。最初にケースバイケースと言わなかったでしょ?排他律なのに。芸術わいせつの両立はチャタレイ裁判で結果が出てますけども。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 02:27

ジャンプ編集部でつい最近、「トイレマークを扱った漫画」が非公開とされたばかりなのに、「批判であり規制要求ではない(から反論批判を封じるな)」とは、批判側にご都合がよろしいですねとしか言いようがなく。

zatpekのコメント 2017/07/12 10:30

id:hanyan0401非公開にした主体批判を受け入れたジャンプ編集部ですね。//つまり言論の枠内で片づいた話でしょう?そこで規制の話を絡めてくるのが「ヒステリック批判封じ」だってことですよ。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 10:59

反論なき批判暴走しますよ? / id:zatpek そうですね。私はその決定自体特に否定しません。表現への批判のみが顕在化して素通しされることがないよう、批判に対する反論存在重要であるということです。

zatpekのコメント 2017/07/12 12:32

id:hanyan0401そもそも「素通し」が生じるとして責任はこの場合反論しなかったジャンプ編集部」なので、あなたジャンプ編集部批判的でないのは筋が通らないのでは。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 12:55

id:zatpek 元より責任を問うてはおりません。非公開も編集部判断であり自由でしょう。素通しされないよう批判への反論可視化されるべきだと私は考えますし、批判への反論もまた自由であるということです。

zatpekのコメント 2017/07/12 13:51

id:hanyan0401それはそもそも批判が不当であるしか出版社は不当な批判反論しない」という前提の論理ですよね。出版社側が妥当批判と受け止めた、という筋はないわけですか。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 14:15

id:zatpek いえ。批判に対する反論を「封じ込め」とすることが批判側に都合が良い論理だという指摘なので、批判正当性出版社側の判断論点ではありません。批判に対し反論すべきではないとお考えなのですか?

zatpekのコメント 2017/07/12 14:29

id:hanyan0401批判の封じ込め」とは、必ずしも法的規制を望まない意見表明まで一括りにされる危惧表現されたものですね。自主規制言論上の解決ではなく抑圧とだけ捉えるならば、その危惧妥当でしょう。

hanyan0401のコメント 2017/07/12 17:41

id:zatpek 「一括り」とありますが「法的規制を望まない批判」は規制を求める批判とは異なり、反論対象とすべきではないということでしょうか? 自主規制円満事実上強制かはケースバイケースでしょうね。

zatpekのコメント 2017/07/12 17:56

id:hanyan0401事実上強制」と見なしたから例に上げたんですよね?だからあなたはすでに「一括り」にして反論してしまっているでしょう?

hanyan0401のコメント 2017/07/12 18:28

id:zatpek いえ、そうではなく。規制要求の有無に関わらず、表現への批判表現と同様に、自由反論批判)される対象と思われますが、規制を求めていないという理由反論すべきではないとお考えなのですか?

zatpekのコメント 2017/07/12 19:29

id:hanyan0401ケースバイケースであるはずの自主規制一方的に「事実上強制」と決めつけた「反論」に、印象操作扇動以上の意味があるんですか?

hanyan0401のコメント 2017/07/12 21:10

id:zatpek 答えになっていません。条件付けではなく、まずは原則として規制求めない批判反論すべきではないとお考えなのか、お答えください。また「事実上強制と決めつけた」の主語は私を指しているのですか?

zatpekのコメント 2017/07/12 21:54

http://b.hatena.ne.jp/entry/341691185/comment/hanyan0401 あなたのこのブコメは「事実上強制」とみなしているのでは? ならば原則論無意味でしょう。あなたの中では批判顕在化は「単により狡猾な規制」に過ぎないのだから

hanyan0401のコメント 2017/07/13 04:16

id:zatpek批判顕在化だけで自主規制に至る」は外形的事実の指摘であり、「強制」とはそのブコメでは評しておりません。顕在化による自主規制が「事実上強制」かどうかはケースバイケースだということです。

1hanyan0401のコメント 2017/07/13 04:25

id:zatpek ちなみに貴方論理を踏まえてお尋ねしますが、必ずしも一意ではない多義的フィクション一方的に「性暴力」「セクハラ」などと決めつけた批判には、印象操作扇動以上の意味があるのでしょうか?

hanyan0401のコメント 2017/07/13 11:10

id:zatpek 再三申し上げているように「事実上強制と仄めかして」はおりません。/ はあ。では自主規制当事者は唯一表現者出版社)だけであり、同様に「一方的決めつけは当然」となるのではありませんか?

zatpekのコメント 2017/07/13 18:18

id:hanyan0401 http://b.hatena.ne.jp/entry/341645160/comment/hanyan0401 非公開を言論上の円満解決とは見ていないから「都合がよろしいですね」と書かれたのでは?//たぶん私の言葉足らずが原因ですが、後半の文意がわかりません。

hanyan0401のコメント 2017/07/13 18:32

id:zatpek なぜ自主規制円満解決「とだけ」みなさなければならないのですか? / 「セクハラ暴力」なる決めつけが許されるなら、「事実上強制」という決めつけも許されるということです。貴方論理に倣えば。

zatpekのコメント 2017/07/13 19:46

id:hanyan0401まり、実際はケースバイケースと知っているけれども、対抗言論として「事実上強制」という体をとる、ということですか?//(ところでなぜかスマホだとidコール通知が飛んできませんねこれ)

2017-06-21

ブラックボックス展、悪いのは誰だ

この騒動、まるで自明のことであるかのようになかのひとよの責任を問う声があるのが怖い。

例えばキャンプ場でキャンパー同士が暴行したとしたとしてキャンプ場に責任があるのか?結局なかのひとよが気に入らないか拡大解釈して罪をかぶせようとしている風にしか見えない、まるで共謀罪のようだ。

なかのひとよは典型的な「出る杭」であり和を尊重する日本では粗を探されがちだ。そしてまた「表現者」であり「見えてる人間」であり「口先だけでなく動く人」である

そういう人が活動すると望むと望まざるとにかかわらず多くの人を巻き込み、手の平にのせてしまう。

気付いたのは、世の中の大人たちは手の平に乗せられた、と感じると激怒する人が多い、特にプライドの高い人間はそうであるようだ。なんとなくネットで叩かれる理由理解できた気がする。

ブラックボックス展には連日長蛇の列が出来ていた。ネットで杭を打つことに必死な人たち、ご立派な価値観を持つ彼らが企画を立てたらどれくらいの列をつくることができるのかな、なんてことに思いを馳せたりする。

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