はてなキーワード: コンマとは
間(ま)は笑いの命である。
適切な間がないと笑いは生まれない。
その笑いの命とも言えるのが「間(ま)」である。
誰かの発言に対して「間髪入れず」に適切なワードを「素早く」ツッコむというシーンだろう。
よくこんなに早く一番面白くなるようなワードを放り込むことが出来るものだ、と感心するわけである。
瞬間的に笑いになるワードを思いつくことが出来るのか?
それとも台本通りに行っているだけなのか?
あるいは、そのどちらでもなく編集の賜物なのかもしれない。
デジタル技術の進歩は動画の編集技術をそれまでのアナログ編集と比べて異次元に高めた。
動画を早く繋ぐのも遅く繋ぐのも思いのまま。
不自然さは微塵もなく、もともとそういった動画であると視聴者を騙すことは朝飯前である。
つまり素材は素材でしかなく、その素材を面白くするのもそうでなくするのも料理人、カットマンの腕次第なのだ。
かつての編集は面白いところを如何にして「つなぐ」か?という部分に注力されていた。
面白くないところを「切って」、面白いところを「つなぐ」、さらにつなぎの工夫によって現場では生まれていなかった編集による笑いも生み出すこともする。
しかし、時は令和。
もはや、そのようなアナログ時代の残滓まみれの雑な編集では「仕事」として認められなくなっている。
もっと1秒1秒、あるいはコンマ単位での編集を求められる時代。
逆に言うと収録の現場では、現場は素材である、ということが強く意識されている時代だ。
現場では面白くなくても編集の力で笑いを発生させることはできる。
しかし、素材としての動画で面白くない笑いに対して、そのまんまの面白くないという反応をしていると
そこのところは編集でもどうにもならない。
だから、タレントは面白くないギャグに対してもオーバーリアクションで笑顔を作る必要がある。
そうしておけば、編集での間の調整による笑いの変換が行われた動画からスムースに繋ぐ事ができる。
番組収録に観覧者として参加したことがある人は不思議に思ったことがないだろうか?
現場ではリアクションに困るようなスベった笑いがあとから番組を見ると爆笑場面に変わっている。
そういうことに思い当たることがあるのではないだろうか?
同じギャグでもコンマ数秒違えば、面白さは2倍にも3倍にもなる。
このことは誰もが気づいていたが、それを編集作業で調整するということを最初に行ったディレクターは誰なのだろうか?
しかし、その結論を下せるのは散々素材を弄り倒したあとなのである。
ああ、これは無理だね。まるごと切ろう。そう結論づけるまでの時間は苦行である。
つまり、ゴミと判断してから家から無くなるまでにタイムラグがあるんだ。
どれだけ頻繁に片付けしても次のゴミの日まで家の中のどこかにある状態だ。
店舗で商品を仕入れて、倉庫に在庫を確保して、販売するイメージとほぼ同じだ。
ゴミが出しにくいというのは、売れにくい商品を抱えているのと同じだ。
まず、倉庫つまりゴミをためておけるスペースを確保しろ。これがバッファになる。
それから販売量。毎週どのくらいのゴミを回収日に出しているか記録しろ。
ゴミを出す量以上に物を買わない。これはよく言われる。
すると見た目には片付けたのに汚いままに見える。
それが片付かない原因であり、モチベーションを下げる原因だ。
PFUの高級キーボード、Happy Hacking Keyboard(HHKB)だが使い方を間違えている人が多い
一応、Fnキーを押しながら使うことはできるが非常に使いにくい
なぜこんなことになっているか、というと、そもそもプログラマー(ハッカー)は基本的に矢印キーを使わないからだ
Vimの人はhjklでのキー移動、EmacsはC-BPNFでのキー移動
シェルを使う場合もEmacs風にキー移動できるしショートカットを使うので基本的には使わない
ちなみに知らない人も多いがTwitterもVim風のキーバインドで移動可能
Macの人は例えばメモアプリなんかがEmacs風のキーバインドで移動可能
Windowsを使う場合もアプリなんかでキーバインドを入れ替えて矢印キーを使わないようにする
こんな感じで矢印キーを使わない人が多いから、矢印キーが無くても問題ないのだ
のではなく
「ハッカーが矢印キーを使わないからHHKBには矢印キーが無い」
ということだ
矢印キーはホームポジションから離れた場所にあるため、使うためには一旦ホームポジションから指を離さなければならない
一度話してまた元に戻るという、このコンマ数秒レベルの遅延が鬱陶しくて仕方が無い
なのでホームポジションに指を置いたままキー移動したい、という考えに至っている
とはいえ、全く矢印キーを使わないかというとそういうわけではなく、そりゃたまには使わざるを得ないし使った方が早い場面もある
なので矢印キーを右下の空いてるスペース(通称、猿が辻)に置いておけばいいし、HHKB Liteだとそこに矢印キーがある
なぜそれでも置かないかというと、そもそもが持ち運び前提のキーボードであって、少しでもキーを減らしたい、という哲学があるからだ
はっきり言ってしまって持ち運ばないならRealforceを使えば良く、HHKBを利用する利点は持ち運び前提であるという一点だけと言っても過言では無い
これの大きな理由は、昔はサーバルームでの作業のようにキーボードを繋いで利用するような使い方が前提であった、というのもあるがそもそもの哲学によるところが大きい
アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。
和田先生のこの談話に代表されるように、キーボードは人間がコンピュータと関わるうえで重要なインタフェースであるという設計哲学がある
なのでキーボードはコンピュータに備え付けられているものではなく、持ち運んで自分の好みのものを使う、ということを推奨している
そのためにもキーボードは使いやすさや打鍵感だけでなく持ち運びやすさを重要視してバランスの取れた設計を目指している
その結果、矢印キーを排除するデメリットよりも、排除することで得られる持ち運びやすさのメリットの方が大きいと判断したのだ
左右の猿が辻があるお陰で持ち運びしやすいというのも使ったことがある人なら分かるポイントだと思う
この辺りは賛否あると思うが、馬の鞍であるという哲学に基づけば、PC毎にHHKBを用意したり、自宅と会社で2つ置いている、などは使い方として間違えている
全く同じキーボードであっても、物理的なモノが違えば慣れ親しんだものではなくなってしまうだろう
キーボードを生涯のインタフェースとするなら1つのHHKBを持ち運び使うということを体現して欲しい
ただ最近はBluetooth接続が増えたことや、HHKB BTの出来が良くないことなどもあるため、複数持っている人も多いとは思う
ちなみに、BTモデルには充電池が内蔵されておらず電池駆動なのも生涯使うことを考えているのだろうと思う
これはHHKBに限らない余談になるが、キーボードの裏面にある足は基本的に出さない
手首に角度を付けるよりも水平の方が使いやすいのは人体の自然な原理だ
なぜあの足が付いているか、というと実は「キートップを見やすくするため」だ
なのでHHKBの無刻印モデルに足が付いている理由は全く理解できないし、HHKBを使うような人がキートップを確認するとは思えないのでそもそもいらない
とはいえ、昔から足を出して手首に角度を付けてタイピングすることに慣れてしまっている人もそれなりにいるだろうから
自分の好みで出したり引っ込めたりすればいいとは思う
なんかコンマ1秒で6000回思い付ける浅い話を今ごろされてもな
靴下を洗ってタンスにしまう時に、収納スペースの都合上、左右揃えて片方の内側からクルクルと丸めたりして圧縮したたたみかたをしていた。
ただ、そうしていると履こうとして取り出す時に、お気に入りの靴下も丸まった状態で、なんというか生気を失ったような、萎びたような印象を受ける。靴下を買ったときに感じていたウキウキする気持ちや、靴下そのものが持っていたはずのファンタジーのようなものが失われている。
この失われた差分が、コンマリの言う「Tokimeki」なのかもしれない。モノがもつ魅力の力と、使い手の間に発生する磁力、ファンタジー、何らかの物語。
結局、収納棚の中の靴下のスペースを増やして、丸めずにそのまま置いておけるようにした。丸まらずに背筋を伸ばした靴下の束の、1番下に洗ったばかりのものを置いておく。そうすると、上の靴下の重みで、下の靴下の背筋も伸びる。ファンタジーも長続きする…気がする。
監視されてる時に政見放送見てると上司からの信憑に👺政治への関心が高い+2点でボーナスが入るらしいので政見放送ずっと垂れ流してる。
自作映画研究会の1年生が作ったようなクソ動画の乱射に精神が参りかけながらも漠然と感じたものを書くぜ
みたいな主張が得意技だぜ。
お前らのせいで色々アカンことになってるのにお前らに任せて大丈夫なのかよってツッコミが来る可能性を0コンマ0%考えていない。
圧倒的なまでのノーガードによって、「ガードする必要のあるような後ろめたさはありませんよ」アピールしてくるぜ。
こんな感じだぜ。
熱狂的な自民アンチって感じのコメントが多いがブーメランの本数はヤバイぜ。
その上で俺達だけが信用できるというアピールをかますのが凄いぜ。
勝ち馬に乗るのが当たり前になりすぎてそれが異常という感覚がもはやないぜ。
そもそも政教分離原則を破っていても大丈夫な人しか投票しないというかもはや信者しか投票しないから色々どうでもよくなってそうな感じだぜ。
言ってることは一見まともだけどコイツら自身がまともじゃないのがミソだぜ。
つうかコイツら実際に年齢見てくとマジで若い部類なんけどその若さでムーブが既に老人政治家のソレなのがマジで凄い。
昔と比べるとただただ頭悪い人がコピペで喋ってるだけって感じになってきてつまらん。
「とにかくめっちゃ金配るぜ!」
埋蔵金の話さえないけどとにかくどこからか金が出てくるらしいぜ。
多分。
「おらたちが~~~本物の政治家だっぺ~~」
「がんばっぺ~~~」
すまん。
いたはずなんだけど記憶にないわ。
https://twitter.com/crazyraccoon406/status/1443175558574006278?s=19
見れない→見られない
※「謝罪申し上げる」は「謝罪」単体は動詞ではない上に、「ご報告申し上げる」のように慣用表現ではないため不自然です。原文の内容を伝えたい場合、「ご報告と謝罪を申し上げる」が自然な表現でしょう。
時間がかかった→お待たせした
※駄目という訳ではないですが、「時間がかかった」というのは平仮名も相まって平たい表現に感じさせます。謝罪文である以上はもう少し硬い表現を使ってはどうでしょうか。
※慣用表現と言えなくもないですが、「謝罪させていただきます」は「許可を求める」即ち「相手にの顔色を伺って謝罪する」のようなニュアンスを伝えてしまい、「自身の意志で謝罪する」という意味合いを欠くと捉えられかねない表現です。
※明らかな誤用です。
3ヵ月の活動休止、公式イベントも欠場、VALORANTにて活動していた全アカウントの削除、活動再開後も、作成するアカウントに関して、一年間、調査委員会による管理監視を行う→?
※伝えたいことは単語から分かりますが、主述関係が全く掴めません。
知識不足でしたら申し訳ないのですが、「全アカウントの削除」まで名詞を並べているだけになってしまい、文になっていないようにしか読めません。語順や句読点の打ち方が英語のようになってしまっていますが、どのような事情があるのでしょうね。
再発防止のため、及び、今後のチームひいては→再発防止のため、及び今後のチーム、ひいては
※「ひいては」の前に読点を打たないのは不自然です。「及び」の後の読点は必須ではないので、こちらを削って「ひいては」の前に補うのが良いと思います。
あまり好きなタイプでない人が同じ職場にいたのだけれど先日退職した。
性格が合わないと言っても長年共に働いてきた仲間、いざ居なくなると思うと
さびしいものだし、実際に居なくなれば何か大切なのものがないような空虚感を感じた。
今日の昼、その退職者が手続き関係の用事があったようで会社に来ており
私の職場にも顔を出していた。
ちょうど私が昼休憩から戻ったところで出くわしたのだが
その退職者の顔を見た瞬間、
(なんで居るんだよ、この野郎……ぶっ、ぶち殺すぞ、おい!!!)
ああなんだ本当に嫌いだったんだなこいつのこと、
辞めてくれて良かった、と心から思えた。
さびしいとか完全に気の迷いだった。
気づけてよかった。
そういう意味では顔を出してくれてよかったのかもしれない。
でも、2度と来てほしくない。
なるほど、そもそも元からリスクが低い事象をわざわざ重要視しなくてもよくね?って話なのね。
それ自体には去年くらいまでは一理あったと思うけど、感染爆発してる今は分母がデカくなってそのコンマ数%が無視できない件数になると思うんだよな。
変な話、地震が全くない国で地震対策なんてしようと思わないじゃん。でも地震がボコスカ起こってる日本だったら「あれだけの頻度で地震が起きてれば大地震にヒットする確率は0じゃないし、備えとかないとなあ」って気持ちになるじゃん?
結局、国が若年層のワクチン接種を推進してるのも、若年層が自らワクチンを接種したがっているのもそういうことだと思っている。