はてなキーワード: 電化製品とは
今年は西の窓の内側にアルミのレジャーシートを貼り付けてみましたが窓ちょい開け・ドア全快・扇風機強で今年も無事35度を達成しました。PCとかの電化製品全部消してたし部屋を出ていたから熱源は扇風機以外はないはずよ…
あーあーあー次はなんだよー
流石にサーモグラフィーなんて買えないよ。スマホでみせろや!カメラの性能あげるならサーモグラフィー機能ぐらいつけてよ!アプリで良い感じに可視化できるように魔改造してよ!
あーあーあー
サッシに断熱テープか?サーキュレーターで熱い空気を窓から追い出せばいいのか?
てか窓を開けて熱した空気を追い出すのと窓の断熱って相反してねーか??????
断熱がクソザコのせいか冬の電気代ヤバかったし値上げが続く今クーラーに頼りたくねー
一度つけたら二度と消せないクゾザコ根性の俺なんだよぉおおおおおおおおお
PC付けて書いてたら35.2度になってたよおおおお
人体くそあちいいいいなんで36度も発熱してるんだクソザコ高温生物がよぉおおおおおおおおおおお
夜も暑いとかどうなってんだよおい!
部屋に熱が溜まってるんだろおい!
じゃあ動かしっぱなしの扇風機は何をしてんだよ!
部屋の35度の空気を窓から追い出して廊下から28度の空気を負圧で取り込んでるんじゃないのかい????
立ち直れる気がしないぞ~~
そもそも太陽に抗うことがおろかだと思わないかねという本間先生の啓示かい?
窓への直射日光をなんとかすれば室温が30度程度に収まるというのは希望的観測すぎるかい?やせた考えかい?
1:100均に行って次の物を買ってくる。
・折りたたみのプラスチックコンテナ(紙を入れる用。畳める事・積み重ねられる事、が重要)
・一番サイズが大きなランドリーバッグ(雑貨を入れる用。ダイソーなら40×20×53とかのサイズのものがある)
それぞれ10個ずつくらいで良いだろう。多い分には困らない。
2:スーパーに行って、最大のサイズのゴミ袋(可燃ごみ・プラスチックごみ用)と、乾燥剤(タンス用)を買ってくる。コンビニで買っても良い。
3:見つからなくなったら困るもの(財布・スマホ・鍵)をまず絶対に無くさない場所に退避する。
4:床の上にあるものを、「ゴミならゴミ袋に入れる」「紙なら折りたたみコンテナに入れる」「衣類なら洗濯機に入れる」「それ以外の雑貨ならランドリーバッグに入れる」
ここで重要なのは、整理は考えない事。紙については、1か月以内に必要な物とそれ以外とで、入れるコンテナを分けるだけで良い。雑貨なら、電化製品(コードも含む)とそれ以外とで、ランドリーバッグを分けるだけで良い。
床の上にない物は、何もする必要はない。
5:床の上から物がなくなったら、それ以降の事は明日やれば良い。
以上。
※本が本棚に入りきらないなら、本棚をAmazonで買うか、本を捨てろ。Bookoffに売っても良いが、面倒くさければ可燃ごみで良い。
■物が捨てられない場合。
・使用頻度の低い衣類なら、デカいポリ袋に乾燥剤と一緒にぶち込んで押し入れにでもしまっておけ。必要なら取りだせば良い。1年ポリ袋から出てこなかった衣類なら、どうせ使わん。そのまま袋ごとゴミ捨て場に持っていけ。
・雑貨が捨てられないなら、捨てた後にやっぱり使いたくなった場合に、どの程度困るかで判別しろ。大して困らないなら捨てていい。『もうだめだ取り返しがつかない』と泣き崩れるほど困りそうなら、捨てなくていい。
・「物がある」というのは重要な事だが、「空間がある」というのは同じくらい重要な事だぞ。
以上。
家事育児に協力しすぎた結果、妻が社会人的に無能になってしまったかもしれない。
なんか、子育て周りの増田記事があふれてて、ちょっと書きたくなった。
若干、年齢周りをぼやかしてるので、年数換算がおかしくなってるところがあるかも。
私も妻も40代。結婚もうすぐ20年。子どもは二人で下の子は中学生。
妻はもともと手に職系の仕事をしていて、僕と結婚前後は会社に勤めていた。ただ、この時期、景気や雇用環境の悪さもあって、正社員にはなれず契約や派遣の形態のほうが多く、収入は安定していなかった。
そんな感じだったこともあり、妻は妊娠を機にいったん仕事を辞めて家庭に入ることにした。
産前産後の体調があまり優れておらず、疲れやすくなっていたこともあり、おそらくこの判断は間違ってなかったと思われた。
子どもも保育園に入れるのではなく、幼稚園に入れて専業主婦として暮らすことに。とはいえ、別にお受験などに夫婦ともども興味はなく、学校はふつうの公立小学校だが。
下の子も小学校に入ってしばらくたち、ある程度余裕ができたため、妻は仕事の復帰に向けて準備を始めた。
最初は、復帰に向けた慣らしと新たなスキル取得のためにアルバイト的に仕事に入り、数年前に正社員登用に向けて就職活動をはじめ、エージェントも使って、いったん正社員登用もある契約の形で入社した。
しかし、最初のところで人間関係があわず、パワハラ的なことに遭遇し、1年程度、僕に毎日1時間程度の愚痴を言いながら働いた結果、仕事を辞めて転職することに。
ところが、次のところも上と人間関係の折り合いがつかず(どうも、間に10年くらいブランクがあるので、いわゆる年下上司になっているようだった)やはり、数か月、僕に愚痴を毎日1時間半程度吐き続けて、最終的に退職した。
そこから、さらに都合3社ほどに就職したものの、全部退職。しかも、就職からやめるまでにスパンが徐々に短くなっていて、一番直近は、試用期間が終わったところで、先方と話し合って退職してしまった。
おそらく、ここまでの間に私が彼女から聞き続けた愚痴はLINEで原稿用紙100枚分、ヒアリング時間で累計3か月分くらいになるのではないだろうか。まあ、それはどうでもいい話だが。
いずれも、基本的には人間関係の折り合い、特に上司や先輩との折り合いがつかないというパターンのようだ。これには、致し方ないところもある。彼女が出産前に仕事をしていた時代は、派遣や契約ばかりだった(団塊の世代でつっかえていて、人余りになっていた)のが、その後10数年の間に雇用環境が変わり、その期間に粘って仕事を続けていた人は正社員になり業務の中で上になっていった。つまり、今、正社員でいる人たちはサバイバーであり、スキル的にも10年以上磨き続けてきた人なのだから、ブランクがある妻とは仕事の仕方や仕事に対する認識に差が生じることもある。その一方で年齢は妻と同等か少し若いくらいがほとんどなので、上も妻も関係をうまく作るのが難しかったのかもしれない。業界に関する掲示板などを見ると、職人的な人が多く、パワハラに近いことをまかり通りやすい職場もあるらしい。
そういう意味で、妻は引きが悪かった、もしくは職場を見る目がなかったのかもと思い、毎度、愚痴を聞きながら(最長で2時間半となっていた)応援していたのだが、ある時、たまたま、妻の担当エージェントと話をする機会があった(妻の不在時に自宅に電話がかかってきた)かなり色々苦労もかけているので、申し訳ないと思いつつ、彼に軽く聞いてみた
「色々ご迷惑をおかけしておりますが、正直、なんでいつもこんなにトラブルに巻き込まれやすいんでしょうね、時期が悪いみたいなのもあるんですかね」
そうしたら、彼の返答が僕の想定外すぎるものだった。それは、社会人経験の長い自分からすると、あ、これ、職場での関係悪くなるわ、自分の職場にこういう人がいたら、ちょっと厳しいわ、というものだった。
彼の返答をそのまま書くわけにもいかないので、箇条書きで要点を書くと
・謝罪ができない
といったことがあるらしい。常に全部が発露するわけではないが、いずれか複数が発露することで、職場内でトラブルが生じるらしい。
その結果、妻の転職回数がどんどんと増えていくらしい。逆に言えば、エージェントさん本当に苦労かけてたんですね、よく妻に付き合って新しい仕事を持ってきてくれてましたね。俺だったらもう紹介できないと言って、数年前に見限ってましたわ。申し訳ない。
ただ、妻は出産前の仕事の仕方はこんな感じではなかったように思う。その時代の仕事仲間とは今も付き合いがあって、電話したり、コロナ前なら外で飲み会をしたり、今ならリモート飲みをしたりしている。ところが、出産後の職場では、まったくそういう友人はできていないようなのだ。多少付き合いがあるのは、仕事で直接の利害関係のない部署のみ。
で、なんとなく、思ったのは、育児中の僕の彼女への協力の仕方が悪かったせいで、そういう風になっていったのではないだろうかと思うのだ。
妻の愚痴の中には、明らかに上司に対してなめてかかってるところがあった。例えば「○○さんは、ずっとこの仕事しかやってきてないから、狭い世界しかしらなくて人への当たり方がきつすぎる」とか「××さんは独身だから、子どもがいる人が都合を振り回されることがわからない」とか…
あ、書いてみるとひどいなこれ。で、これをさすがに直接は言わないものの、そう見える態度や言い回しですることで、上長との関係が悪化することが少なくなかったようだ。
でも、こういうのを「そういう属人的な属性で否定するのは良くないと思う」とたしなめられなかった自分がいる。なんとなく妻のストレス発散を愚痴をきいてやることで解消できるなら、それでいいと思って聞き役に徹していた。
そもそも、妻がいわばママ友や隣近所くらいの世界で暮らさせず、もう少し早めに社会復帰させた方がよかったのではと思わなくもない。また、妻はステレオタイプへの偏見がどうも強いようで、「■■は□□でないといけない(orで当たり前)」みたいな言動をよくやるタイプで、子どもも最近(というかこの数年)辟易して疎ましく思うことがあったようなので、子どもとの関係もやや悪化気味なのもよくない。
例えば、有休のとり方は職場によって違う。2週間前に申請しないとならないところ、比較的緩く取れるところ、人員のメンバー調整は各人でやってから申告するところ、上長が調整するところ、、、 それを妻は割と緊急の用事とか体調不良とかで、他者に配慮なく消費するらしい。子どもの何とかとか理由をつけて。そのほか、仕事上のこまごまとしたルールに割とルーズだったらしい。
その辺も僕が割と家事・育児ができるのと、有休が仕事上取りやすい、リモートワークで調整がつけやすいといったことが増えたので、彼女が体調が悪かったり、仕事が忙しかったりしたときに僕が変わって家事や育児をやってしまっていたので、その辺の他者への配慮の仕方を忘れさせてしまったのかもしれない。(その割には、彼女、PTAとか全部断りに断りまくってたんだが)
これは10年程度のブランクがあったのでしかたないかもしれない。
職種を特定されたくないので、すごくぼかして書くと、AからDを作る場合、A→B→C→Dの手順が多いんだけど、Bはしなくても良くてA→C→Dのところも普通にある。Bは正確性を期すためには必要くらいの感じだが、やるとコストがあがるし、B→Cのロスが出るのでやらないところが多い。でも、職場によってはBをやらないとならなくて、Bをやってエビデンスを残すことが求められてるところもある。逆にBをやってはいけないと決めているところもある。
妻はこういうのを割と無視して、経験ノウハウとかに準じてやってしまうらしい。その結果、A→B→C→Dのところでは、Bが無いと怒られるのに、なんで、そんないらないものをやるんですかと逆切れしたりするらしい。そして、業界的に10年進んでいるのに、その間のスキルアップが追いついておらず、なんか、仕事のやり方が雑であまりよくならないみたいな評価になってしまうらしい。
これも、何気に自分の家事サポートの仕方に問題があったようにも思う。妻は割と説明書とかを読まないで使いながら覚えるタイプなので、新しい電化製品とかは僕がまず説明書を読みながら使い方を覚えて、それを妻に手取り足取り教えるみたいなやり方が多かった。それでも、覚えてくるとどこか使い方が適当になってくる。けれど、まあ、後で僕が戻したり治したりすればいいかというので、僕としてはそれについてどうこう言ったりしなかった。細かい話だが、シャンプーとリンスが切れたときに、両方を詰め替えたら、間違えてあべこべにいれてしまったので、僕が後から上にマジックでシャンプーのところにリンス、リンスのところにシャンプーと書いたこともある。こういう間違いをやっても、妻はあまり気にしない。逆に指摘すると、自分は忙しいんだとか自分はわかるからいいんだみたいな怒り方をする。なので、いつからか僕の方で間違いを指摘することはなくなって、淡々と治すようになっていった。
もしかしたら、これが一番よくないかもしれない。妻は仕事でわからないことがあると、人を呼びつけて尋ねるらしい。それを聞いて、正直、僕は引いた。おもわず、なんで?と声に出てしまった。
どうやら、手元で操作しながらわからないことが出たなら、そのまま教わりたいかららしいのだが、別の人は別の人で作業してるんですよね、それをなんで呼びつけるんですか? そりゃ、いくらやさしい先輩や上長でも何度もされたらむかつくわ。で、逆に先輩や上長が妻を呼びつけると明らかに「○○の作業を中断してるんですが…」みたいな不満を言ったり、言わなくても顔に出すらしい。ああ、ダメだわ。それ。
でも、それ、実は心当たりがあるんだ。産前産後の体調が芳しくなかったので、なんとなくその時期、妻が自分のところから動かないで、○○をして、××をとってみたいなお願いを聞いて僕から動き回るみたいなことをやっていたのが、今も続いているんだ。例えば、寝室のベッドにいて、居間にある何とかを持ってきてと言うのも、僕を寝室に呼びつけてお願いする感じ。僕がごはんを作ったときには、妻のところに呼びに行くけど、妻がご飯を作ったら、大声で出来たよーというだけで、その声が聞こえたのかどうかは特に気にしない感じ。子どもに対しても同じで、子どもの部屋にいって、何をしろとオーダーせずに呼びつけてオーダーする。たぶん、これが癖になってるんだろうなあ。良くない。
・謝罪ができない
そして、なんとなくわかってたんだけど、やっぱりかというのがこれ。自分に否があるときも彼女の場合、1割謝罪9割弁解みたいな感じなのだが、それが職場でもそうらしい。社会人の場合、逆のほうがいいんだよなあ。家庭だったらまあ、それでも何とかならなくもないんだが、そろそろ、子どもたちの信頼もさがってきてるから、どうにかしたい。
上記の要因を見ていくと、なんとなくこの10年程度の家庭での育て方みたいなのが、悪く表に出てきてるきがするんです。とはいえ、これを僕が普通に指摘するの妻は聞き入れなさそうなんだよなあ。
なにせ、妻の口癖は「増田くんは、私の業界の慣習やルールはわからないだろうから」なんだよ。なので、最初のころはいくつかそういう要因はないのかと尋ねてみたんだけど、聞く耳なかったんだよな。
はあ、どうしようかねえ。
へぇー
WorldWideWebを発明したティム・バーナーズ=リーも、数々の電化製品を発明したトーマス・エジソンも、スマホを発明したスティーブ・ジョブズも君にとっては凡人なんだ
https://anond.hatelabo.jp/20220214143039
の続き
いま育休中。
いまの仕事
①洗濯物・皿洗い・床掃除 →いつも簡単で適当。電化製品だのみ。
②ごはん → 余裕ができたので凝るようになった。凝った料理は夫が喜ぶので、揚げ物とか、魚捌いて刺身にしたり、楽しいものを作っている。1日平均45分くらい。面倒なときはホットクック。
③買い物 → 時間を気にせず、散歩とか含めて2時間くらい目安。寒いけど、気持ちよくて楽しい。
④風呂掃除・トイレ掃除・台所周りの掃除 → 相変わらずの頻度。
⑤部屋の整理整頓 → おおむね整理整頓完了した。スッキリ。最後の1つがすごい作業量なので半年計画。
いつ戦争が起きて、逃げ出す必要があるかもなので、金融関係の書類整理・思い出をスクラップ・アルバム作成を急いで終わらせた。遺品作り。
(大変)
赤ちゃんは夜中に1回起きる。4時間ごとの睡眠は、あんまり寝た気がしない。4時間、3時間、2時間→で1日合計9時間くらい寝てるんだけど、全然寝た気がしない。
また、週1回の頻度で、授乳してる最中に目が覚めてしまって、寝られなくなる日がある。23時~2時に起きて、そのまま寝られず5時まで起きてるとか。
そういう日がたまにあるのが辛い。
就業中は6時間睡眠で6時起床してたのになあ。①④を圧縮したぶんだけ睡眠に充ててるってかんじ。
(大変その2)
30分以上、赤ちゃんの泣き声が続くと疲れる。ウンチが出なくてお腹が痛いのが原因です。草。
そういうときはネムリラにぶちこんで、布団もぐってツイッターする。気づいたら眠ってるか、きゃあきゃあ笑い声になってる。草草。
(総括)
とりあえずいまの時期も順調。いま仕事系の書籍を買いこんで授乳中に読んでいる。
賃貸によくある混合栓のやつで想定してね
(赤と青で温度調整するやつで、ほかに温度調節する機械はないものとする)
あれさあ、温度調整めちゃくちゃ面倒くさいじゃん
特に今みたいな寒い時期だと出始めの冷たい水があたると死を覚悟したりするし賃貸でお湯はることそうそうないから身体全然あったまってないし
それが嫌でシャンプーとかボディーソープとかで体ガシガシしてるあいだもお湯出しっぱなしにしてるんだけどさ
こないだガス代がスゲー額になってて、これは節約しないとな…と思ったわけよ(コンロはIHなのでシャワーかキッチンの洗い場でしかガス使わない)
そういや食器洗うときも冷水があったけーお湯になるまでながしっぱにしてたなとか(水道代は毎月一定なのであんまり考えてない)
でもこれこまめに止めるのスゲーめんどくさくない?みんなちゃんと止めてんの?
ひねる式の水栓だと洗剤だらけの手でひねるのも一苦労(滑るし)で水漏れ防止のために強めに閉めてるから極力触りたくないし
あとこれは全く関係ないかもしれないんだけど電化製品ってスイッチのオンオフで一番電気食うっていうじゃん、あれと同じでお湯出したり止めたりするよりだしっぱにした方がいいのかなとかいろいろ気になったわけよ
温度調節はさておきひねる式の水栓をレバー式みたいな手の甲で軽く押せるやつにしたいんだけどこういうのって大家さんに相談したらOKでるもんなんかな?
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
近所にテチさんというばあさんが1人で暮らしていた。
私が生まれる前から仕事をしていなく、一間しかない茶室みたいな家に住んでいた。
子供の頃に家に遊びに行っていたが、入ってすぐにこたつでいっぱいになる部屋に隅っこに台所とトイレがある。
風呂はなかった。銭湯に通っていた。銭湯も歩いて5分のところに2つあった(その銭湯がつぶれたからどうしていたかは知らない)。
子供に唄とか教えてた時期もあるらしいが私が覚えているのはいつも近所の居酒屋でいい感じに酔っ払って、歌いながらふらふらと夜の道を歩いてる姿だ。
おれを見かけると「こんばんわ」とご機嫌な様子でいった。
祖母や近所の同年代のおばちゃんらは、テチさんのことを嫌っていた。当然だろう、働いてないのだから。近所の女性はみんなせっせと働いていたし祖母などはくわえて畑で野菜も作っていた。「憎たらしい」とはっきりいってたころもある。
(ただ、後に和解したのか、飲み仲間にはなっていたみたい)
テチさんは恩給で暮らしていたのだとあとで聞いた。軍人におりる年金だ。
テチさんは芸姑をやっており、そこで軍人に見初められて結婚してたが、早くに戦死したらしい。以来ひとり暮らしだそうだ。
あまり快適とはいえないあばら家というのがふさわしいしテレビなど電化製品がほとんどない家であったが楽しそうであった。家の前を通り過ぎると唄を歌ってたり、家の前にベンチを引っ張り出して蚊取り線香を焚いて扇子をあおぎながらぼんやり座ったりしていた。
橋本環奈を大人っぽくしたような要するに絶世の美女をみてると、なんとなくテチさんを思い出したので書いてみた。
テチさんは平成も終わり頃に本格的に黄昏の国に旅立って、いつもニコニコしていたのとは真逆になり、誰にもあいさつしなくなり私なんかをみてもにらみつけるだけになった。そのうちに顔もみなくなる。それでも祖母よりだいぶ長生きであった。
そいで遠くに住んでいるであろう娘に引き取られて近所にあるらしいケアホームにいれられたらしい。たぶん、もう生きてはいないだろうとは思うが調べる術はない。
https://anond.hatelabo.jp/20211103073410
上方婚は女性の本能じゃない、というのは実のところ正しい気がするけど、理由が全く完全に間違ってる。
実際には豊かな先進国の福祉社会ほど、女は上方婚しかしてない。
逆に経済的な必要性が大きく、家事も育児も畑仕事も女の仕事で、甘やかされきった日本の女みたいに便利な電化製品さえない第三世界の方が、女は自分より稼ぎの少ない男とも結婚してる。
違いは?
マスゴミだよ。
メディアの違い。
大体、女みたいな顔した男が好きなら、女でいいわけで、それってレズ願望じゃん。
それを男色ホモ豚マスゴミが、「中性的イケメンの方が強い! 女みたいな顔した男と付き合え! それ以外の男はブサイク!」と洗脳してる。
でも女の本能は、本当ならメディアがブサイクと呼んでる男の方を好むんだよ。
ところがそれだと男色ホモ豚には都合が悪いわけで、それを拒絶するように生理的嫌悪感を植え付けてる。
そうじゃない国、洗脳されてない第三世界、女々しい男が嫌われる社会では、女も性的魅力のために、先進国がブサイクと烙印を押す男と結婚する。