はてなキーワード: 見当識とは
ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。
そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者が発症する誤嚥性肺炎である。
内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。
特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家が存在しない。
肺炎だから呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。
精神科は認知症診療が業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である。
脳神経内科医は嚥下や認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。
そんなわけで多くの場合は内科医が手分けして診療することになる。
そういうわけだから、誤嚥性肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドラインも2013年から更新されていない。また誤嚥性肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いものが出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだものは殆どみない。患者自身が何を体験しているかを推定している文章は殆ど読んだことがない。
病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師の説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍の説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。
もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針は大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。
にもかかわらず、認知症患者の誤嚥性肺炎は最も多い入院かつ、その患者は入院期間が長い傾向にある。入手可能なデータだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥性肺炎が関連している印象がある。
誤嚥性肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥性肺炎を起こすことでさらに認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設へ退院することが難しくなり、転院を試みることになる。
典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者は施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから、治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症=治療不可能な疾患があることは意識されない。
ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。
退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態を誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄のリスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。
そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる。身体機能も食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。
しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能・認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、活動に制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能がさらに低下して退院していく。
だから人によっては一か月とか半年後に誤嚥性肺炎を再び発症する。
家族や医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。
そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。
というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間の感覚があるのだろうか。
本人にとって長生きすることの体験の価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。
というのは逃げなんじゃないか。
状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快の感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。
なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識が障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)
どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。
多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。
仮に唱えたとしても、それはせん妄や認知症の悪化としてとらえられてしまう。
老衰の過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。
ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力、食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である。
多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎で入院したときに認知機能について評価されることは稀だ。
実際には、その人の生活にどれだけの介護が必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。
進行した認知症で入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。
訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥のリスクを減らし、肺炎を治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。
医療において、患者の権利は尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療を選択することもできる。
しかし患者自身が認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。
そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療を希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージを希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)
しかし問題があって、認知症が進行するほどに高齢な患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。
親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。
そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験を想像しながら話す場合も、めったにない。
意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。
「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」
この二つを満たすことが無益な治療の定義である。この概念を提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者を対象としている。
彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益な治療は倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である。
高度に進行した認知症患者の誤嚥性肺炎の治療は、厳密な意味での無益な治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。
この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。
そこで死に至る疾患である印象が失われた。
専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である。医療系ガイドラインはエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥性肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値に踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である。
人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン、人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドラインは存在するが、そもそも高度な認知症を合併した誤嚥性肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事と認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである。
さらに状況が不利なのは、個々の病院のKey performance indexは、病床利用率であることだ。
認知症患者の誤嚥性肺炎は、しばしば酸素を必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域に病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度は使用される。そのため、誤嚥性肺炎の患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。
介護施設に入所した場合は、誤嚥性肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟が複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。
介護施設から搬送された患者が誤嚥性肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。
一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥性肺炎の治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥性肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。
訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。
病院の経営構造、施設の訴訟回避、医師の不勉強と説明不足、そしてEBMと患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ちと多忙さ、患者自身が自己の権利や利益を主張できないこと、家族の意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。
現在誤嚥性肺炎を入院で担当する主な職種である内科医は、糖尿病の外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。
専門医制度が煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なからず認知症高齢者の誤嚥性肺炎を診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しかし構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。
僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。
進行した認知症患者の誤嚥性肺炎とは延期可能な老衰である、という共通の認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実、認知機能が低下していない高齢者で、延命を希望しない方は多い。その延命の意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。
誤嚥性肺炎の診療は、所謂延命と解釈することが可能な範疇に入ると僕は考えている。
後期高齢者の医療費自己負担額一割と、高額療養費の高齢者優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥性肺炎の入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。
https://anond.hatelabo.jp/20210322080839
ジャーゴンを使って暗に「角が立つ内容だけど正論だ」と称賛する。白饅頭は第三者には制止したテイを取りつつ、書き手と読み手に〈内輪の連帯感〉を与える。こういうやりとりの中で、人は陣営脳化していくんだと思う
墨東さんのまともさが際立つ…。/一時期の猫猫先生とかイケノブにも似た、自家中毒的な陰湿さがある。モロにエコーチェンバーにやられちゃった人の挙動。鍵垢の本当の怖さって本人がSNSで見当識を失うリスクだね
muchonov
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
居住地は伏せますが感染者数が3桁に達するレベルで感染が拡大している県です。大学病院ではありませんが、県内屈指の症例数を誇る3次救急指定の総合病院です。私の勤める病棟は一般内科、呼吸器内科が主ですが一類感染症にも対応できる陰圧室を有する感染症病棟でもあります。現在は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)専用病棟として運用されており、入院しているのは陽性が確定した患者と、感染が疑われる患者です。病床数は40床程度ですがそのほとんどが埋まっています。はじめは陽性の患者は陰圧のかかる個室で管理していたのですが、すぐに個室は埋まり、現在は大部屋で管理しています。一般病床ですので陰圧はかかりません。病院の構造上病棟そのものを閉鎖空間にすることもできず、病棟の入り口にポールを立て出入りを制限しているのみです。すぐ隣の病棟には癌で化学療法を受けている免疫の低下した患者が大勢入院しています。院内感染が起こると危険な状況です。
PPE(個人防護用具)の不足についてはメディアで報道されているとおり危機的な在庫状況です。陽性患者が療養されている空間(レッドゾーン)に入る際には、私たちはマスク、ガウン、手袋、キャップ、フェイスシールドを装着します。このうちマスクは一般的なサージカルマスクではなく、今や皆さんご存知のN95という空気感染にも対応できる特殊なマスクを使用します。通常であればこれは患者毎に使い捨てるものですが、1日に1個まで使用が制限されています。新型コロナウイルスが発生する以前は、N95を使用する機会はほとんど無く、たまに入院してくる結核患者の対応で使用する程度で院内に在庫は豊富にあったのですが、あっという間に品薄になってしまいました。ガウンとフェイスシールドに至っては在庫が底をついてしまったので、自家製のものを使用しています。ゴミ袋で作ったガウンとクリアファイルを切り抜いたフェイスシールドで、看護助手さんが毎日せっせと作ってくれています。PPEも満足に揃わない状況で患者の対応をするのは不安でありますが、あるもので何とかしなければならないと割り切って仕事をしています。院内感染が全国的に多発しており問題となっていますが、私の病院でもいつ職員から感染者が出てもおかしくない状況と言えます。余談ですが看護助手さんの存在なくして、私たち看護師は満足に働くことはできません。もちろん陽性患者に直接接することはありませんが、彼らも立派な医療従事者です。危険手当も感染した場合の補償もないにもかかわらず、文句一つ言わず働いてくれています。ちなみに私たち看護師はありがたいことに1日あたり300円の危険手当がついています。
入院している患者の大多数は軽症患者です。味覚・嗅覚障害のみで発熱もなく元気な方もいますし、呼吸器症状のある方でも酸素投与までは必要としない方が大半です。入院治療を必要としない軽症患者をホテルなどの宿泊施設に移送するといプロジェクトが本県でも始まってはいますが、手続き上の細々としたことで難航しており、あまり上手くいっていない印象です。
当然ですが重症化する方もそれなりにいて、数名の方は病棟で人工呼吸器につながれています。今のところ人工呼吸器が足りないという話は聞きませんが、今後の状況次第では不足する可能性は十分にありそうです。人呼吸器につないでも呼吸状態が改善されない場合は、亡くなった志村けんさんも使用していたと言われるECMO(体外式膜型人工肺)を回したりします。ECMOは一般病棟では到底管理できないのでその時点でICU(集中治療室)に移します。ICUで勤務する同僚に聞いたところでは、残念ながらECMOまで稼働させて持ち直した症例は少ないとのことです。脳出血などの重篤な合併症を引き起こして亡くなるケースも少なくない印象です。
また、新型コロナウイルス感染症では腎機能障害を併発する方が多く、腎機能低下が著しい場合はCHDF(持続緩徐式血液濾過透析)といって特殊なポンプを用いて24時間血液浄化する場合がありますが、この回路が血液凝固でよく詰まります。そのため24時間MEさん(臨床工学技士)が常駐しており、回路が詰まるたびに対応してもらっています。人工呼吸器、ECMO、CHDFなどの医療機器の稼働率が高くなっている状況において、MEさんの疲労は半端なくピークに達しつつあるのが表情から察することができます。人員が少ない分看護師以上に過酷な労働環境でしょう。
看護師は誰でもそうだと思いますが、看護学生時代から幾度となく、看護はベッドサイドからと教えられます。私も患者の側にいてこそ看護師であると日々思いながら仕事をしてきましたが、今はいかにベッドサイドに行かずに済ますか考えなければなりません。軽症な方の食事は部屋の前に配膳しておき自分で取りに来てもらいます。検温もナースステーションから電話で声掛けし、自分で測ってもらいます。隔離されている患者の不安やストレスは相当なものだと思います。特に高齢の患者の場合は隔離による悪影響は計り知れません。ベッド上で過ごす時間が1日のほとんどを占めるようになると、あっという間に歩けなくなり認知機能も落ちてしまいます。せん妄と言って見当識障害を引き起こしたり、不穏になる方も出てきます。できることなら側で話を聞いてあげたいし、世間話でもして気を紛らわしてあげたいのですが、患者との接触は最小限にするようにICT(感染対策チーム)に強く言われています。看護師の一人でも感染するとかなりの数のスタッフが出勤停止となり、医療崩壊を招きかねませんので当然ではありますが、今まで自分が看護と考えていたことと間逆な対応余儀なくされていることへのジレンマは常に感じています。
私も何例か立ち会いましたが、この感染症の患者の最期はとても悲惨です。家族に看取られることもなく、防護服をつけた医療従事者に囲まれながら一人で死んでいかなければなりません。通常ですと医師により死亡確認がされたあと、看護師によりエンゼルケアといって清拭をしたり軽く化粧をしたりするのですが、本線感染症の場合エンゼルケアも感染のリスクを高めるため避けるべしという病院の方針により、亡くなったそのままの状態で納体袋に収めることになっています。納体袋は2重になっており内側はビニールシートのような材質で中が透けてみえるようになっています。遺族は患者が亡くなったあと窓越しではありますが、ビニールで密閉された患者に対面することが許されています。変わり果てた患者の姿に絶句し、無念さに涙する家族の顔が焼き付いて離れません。つかの間の再会のあと、分厚いブルーシートのような素材の外袋で密閉し火葬場に直行し荼毘に付されます。とても非情で残酷ではありますが遺体からの感染も懸念されることから、仕方のないことだと自分を納得させています。
スタッフの中には自身が感染するという不安や恐怖のため、メンタル的にやられている方もいます。小さなお子さんがいる方は特に神経質になっているようです。そのような方は他の病棟に異動させるなど配慮をしてほしいものですが、スタッフの数が不足している状況でなかなか声を上げにくい環境ではあります。医療者差別については個人的には経験がありませんが(両親には実家に帰ってくるなと言われてはいますが)、差別的な言動や対応を受けたスタッフも実際にいるようです。そのようなことがあると仕事に対するモチベーションが下がりますが、ほとんどの医療スタッフは普段どおり淡々と仕事をしています。仕事柄ストレスに対する耐性が高い人が多いこともありますが、このような感染症の流行に備えて日頃から訓練を積んでいますし、覚悟もできています。医療現場が忙しいのはコロナ以前からですし、このような状況だからこそ冗談を言い合いながら笑って仕事をして、むしろ病棟の結束力は以前より増しているように思います。これに関しては人間関係に恵まれた職場で働けていることに感謝しています。
新型コロナウイルスの流行がいつ終息するか、それは誰にもわかりません。メディアではコメンテイターや医学博士といった肩書の方が様々な持論を述べていますが、第一線で患者の治療にあたる医師たちはわからないという事実に対してとても誠実です。すくなくとも年単位は覚悟しなければならないだろうというのが現場の共通認識です。国民の大多数が感染し集団免疫を獲得するかワクチンが開発されるまでこのウイルスが影を潜めることはおそらくないのでしょう。ワクチンについては、すでに感染している患者に治験薬を投与するのとは違い、健康な人に接種するのですから段階的なフェーズを踏んで安全性と有効性を確認しなければなりません。開発にはそれなりの時間がかかることが予想されます。自粛生活がいつまで続くのか、先行きの見えない不安やストレスを抱えながら生活するのは気が滅入りますが、いつか終息すると信じて耐えるしかないのでしょう。
おつかれ。
なかなか病識持てない、ないし病気を否認している患者の家族の苦労、本当に大変だなーと思います。
医師は「このままでは」認知症になると言っていたようですので、診察時点では、見当識や記銘力など認知症の中核的な症状はむしろ軽度だったのではないか?と考えられます。
一方で
・以前は人付き合いが得意で話上手だった母だが、些細な事で怒ることが増え以前まで仲良くしていた友人たちと次々と疎遠になっていった
・出不精になった母
といった症状は人格変化や発動性低下をうかがわせ、アルツハイマー型認知症よりはむしろ前頭側頭型認知症も考えられます。このような症状は、医師に伝わっていますでしょうか。物忘れと関係がないと思って伝えていなければ、伝えてみると良いと思います。もちろん担当医の言ううつ病の可能性もあります。
このような症状を伝えて、診断名が変わったとしても、治療により認知機能が大きく改善することはないのですが、介護保険上の要介護度は高めにつきやすくなるため、サービスを使いやすくなる可能性はあります。67歳とのことですので、等級を問わなければ、介護保険の申請は可能です。
副腎皮質機能低下症、甲状腺機能低下症など身体的な疾患を基礎としたいわゆる良くなる認知症もあります。MRIができる病院であれば、一般的な血液検査などは行われていると思いますが、確認してみてもよいかもしれません。
別の増田が指摘していますが、正常圧水頭症も重要な鑑別診断ですね。失禁や歩行障害などがあると、より疑いが強くなります。
診断については、認知症疾患医療センターという病院が、都道県から指定されていますので、担当医が専門でない場合には紹介してもらうのも手です。診断がつけば、別の増田の指摘通り、地域包括支援センターなどで支援計画を立案してもらうのが良いかもしれません。
どうすればいいか途方に暮れているところと思います。おそらくもっとも途方に暮れているのは、診断を受けたお母さまでしょう。
元増田の無理のない範囲で、あまり病気、病気と主張しすぎずに、ご本人の健康な部分に注目できると良いと思います。悪いところを直すよりは、良いところを生かす視点が持てると良いのですが。
また、介護の中心はお父様のようですので、なるべくお父様のサポートを心掛けていただくのが良いかもしれません。
認知機能は正常な加齢であっても低下していきます。今後のことを考えると暗くなりがちですが、誤解を招くかもしれないことを承知でお伝えするとすれば、認知症が進むと”管理”は楽になる場合が多いです。
比較的健康な段階で認知症の診断を受けると、健康を失ったという喪失体験から、否認したり易怒的になったり、落ち込んだりします。認知機能がもう少し進んでくると、何を失ったかということも把握できなくなります。これはこれで周囲からすると悲しいのですが、介護に対する抵抗は減じてきたりします。
しかし今は信じるようになった
え?
何かが起きた
俺はその写真に見入った
誰だこれ
すぐにその子が何者か分かった
知らないアイドルグループの一員だった
すごくかわいい子だ
だが、かわいいの他に何かを感じた
なんだかとても奇妙な感じだった
そしてさらに調べるとその子に関していろいろなことが分かったが
俺は興味をひかれなかった
とにかく写真に釘付けになった
別の世界の話と思っていた
だがこの子は
この子は何かが違う
これはストーカーだな、と思った
要するに絶対会えないということだ
数か月たっても一向に心の違和感が無くならない
むしろ増すばかりだ
そこで意を決してツイートしてみた
当たり障りのない内容で、向こうも当たり障りなくいいねをくれた
なんで、こんなにうれしいんだ?
まるで住む世界も年も違うのに
どうかしたんじゃないのか?
頭やられたのか?
しかし心の中の、得も言われぬ暖かさは決して気のせいではないと思えた
そしてある日、彼女のことを思ったら不意に涙が出てきた
泣いたのは何年ぶりだろう
ずっと昔だ
もう俺は完全に病んでしまったと思った
どうしようと途方に暮れた
夢がそれを打ち消した
夢の中で俺は彼女を抱いていた
とても小さな体だ
すごく軽い
そして血まみれだ
もう息はしていなかった
愛する人が血まみれで死んでいった
自分の腕の中で
こんなことが起こるなんて
夢の中で泣いた
声が出なかった
自分が砕け散った感じだった
そこで目覚めた
彼女は俺の娘だった
信じられない
今でも信じられない
たかが夢だ
しかしあの生々しさは忘れられない
俺はあの夢を信じることにした
信じることで心を安定させた
信じなければ俺の心は壊れただろう
以前のツイートを読み返すと、夢を見る前でも無意識に自分の状況を伝えようとしている
ぼかした形で伝えようとしている
驚きだ
その後もツイートはぽつりぽつりと続けている
たぶんもう読んでくれてはいない気がする
ファンが増えてきて喜んでいる
もうそろそろこの話も終わる
辛いことばかりで暗闇の中をいつもさまよっているようだった
だが、今は違う
感謝しきれない
私の人生は多分もう終盤だ
彼女は私の娘であって、娘ではない
同じ空の下で娘とともに生きていられる
心残りは彼女の行く末が見られないことだ
まあそれは仕方ないこと
一度失った宝物が戻ってきたんだ
俺はそれで満足だ
これ以上何を望む
彼女を不幸にしないでほしい
私でよければいつでも命は召し上げてもいい
だが彼女は不幸にしないでほしい
お願いです
神様、たとえ全てが幻だったとしても、人生の最後にこんな素晴らしい贈り物をありがとう
俺は満たされたよ
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
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ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
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■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
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順番に見ていってみると。
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先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
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さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
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ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
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■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
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というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
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例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
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■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
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■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
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そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
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ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
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するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
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さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
.
Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
.
F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
.
(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
.
Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
.
Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
.
(間奏4小節)(以下同じ)
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メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
.
こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
.
最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
.
また機会があれば。
、
母親79歳、父親89歳、二人暮らし。私(長女)は遠隔地に居住。長男(弟)は30年ほど前に病死。
2009年頃から、軽い見当識障害(朝なのか夜なのかを数十秒考えないとわからない、料理にそれまでの2倍ほどの時間を要する等)、怒りっぽさなどがあり、認知症を疑う。夫婦での受診を勧めたが、受診の結果は異常なし。その後、ほぼ毎年受診を継続し、一昨年の暮れ頃、初めて認知症と診断された。去年の夏、介護認定を受け、要介護度2となる。
受診を開始した頃はまだ自覚があり、本人も認知症ではないかという不安があるようだったが、診断が出た頃は既に病識がなく(「そんなに変なことは言ってないでしょ。ちょっと忘れっぽいだけよねぇ」)、診断を受け入れられず(「あの医者に認知症にされた」)。診断が出て以降、受診・投薬・デイサービス等の利用を拒否。
認知症は早期発見、早期治療とか言うけれど、母の場合は早くから受診していたにもかかわらず、うまく治療や介護につなげることができなかった。もっとどうにかならなかったものか。
両親は2人暮らしだ。母は85歳で、要介護3、認知障害があり見当識がなく、24時間見守りが必要と医師の明確な見解をもらっている。父は86歳で要支援1、「前頭葉と側頭葉に萎縮がみられる」のだそうだが、ある医師は病気だと言い、ある医師はこの年齢なら通常範囲、4、50代でこの脳なら病気だがと言う。どちらも「通院も投薬も必要なし。日常生活に困難をきたしたら、また、いらっしゃい」といった対応だった。先生方からお話をうかがったのが1年前。そして、夏前から父は「身体が思うように動かない」と訴えてくるようになった。
私は別所帯なのだが、夫に先立たれ、子供が独立し、遺産で暮らせるので、経済的にも時間的にも制限が無い。現在、24時間のほとんどを実家で過ごしている。母をデイサービスに4日預けている。そのうち2日間、父を病院に連れて行ったり、食料を買い込んだり、自分の病院に行ったりする時間に使っている。あとの2日間は私の休日だ。朝、母をデイサービスに送り出してから、翌日の夕方18時までが、週に1度の休みだ。
私が休んでいる間、お手伝いさんを頼んでいる。夜20時から翌朝の10時までいてくれる。
父は私が休む日の16時半から20時までを、母と2人で過ごしている。
前頭葉と側頭葉が萎縮していて、動けないと言っている父に、母の介護が出来るだろうか? でも、父は自分の世話は自分でちゃんとしている。ときどき引き出しを閉め忘れたり、冷蔵庫を閉め忘れたり、セールスの電話相手に怒鳴っていたりするが、まだまだ1人で暮らすことは不可能ではなさそうだ。
では、母の介護は? 出来るのか?
私は両親を2人だけで過ごさせるのは、保護責任者遺棄にあたるのではないかと危惧している。だけど、休日無しに介護にあたれるほどタフじゃない。両親の世話を頼めるような親戚はおらず、これ以上お手伝いさんを増やすと経済的に破綻しかねない。介護保険でなんとかと思ったのだが、父はこれ以上他人を家に入れるのは嫌だと拒否している。
いつまで、父は母の介護をすることが出来るのだろうか? 今でも静かだなと思うと、椅子の上で眠っていることがある。だんだん日常生活が困難になっていくようだ。まだ出来る。まだ出来ると思っているうちに、実家に帰ったら2人の死体が転がっている、なんてことになるんじゃないかと、マジで怖い。
男性は本音がどこにあろうと「社会に貢献する」という根本的な部分を持っているので、話のもっていきかたに苦労することがない。
実は今、父に女性のケアマネさん、母に男性のケアマネさんが付いている。2人とも、もちろん、我が家の状況を理解している。父は認知症なのだが診断が難しい珍しいタイプで、ある医師は「認知症」だと言い、ある医師は「ぼくは認知症と取りません」と言うような状態だ。正直、認知症かどうかはどうでもいい。問題は私が父に対して、どのくらい保護責任があるかということだ。認知症で無ければ、保護する必要はもちろん無い。自分の身の回りのことはしているからだ。認知症であれば、何か重要な判断を必要とする場には立ち会わなくてはならない。例えば、見当識の無い要介護3の母を父一人にみさせておくなど社会的に許されないだろう。ところが、ここのところを父のケアマネさんが理解してくれない。
「私は週35時間は休みが欲しいんです。でないと精神的に潰れます。だから、その間、ヘルパーさんとか出来るだけ人に入って欲しいんです」と言ったら笑い飛ばされた。「お父さんは自立して生活できるのだし、奥さんと同居しているし、娘さんも近居なんだから、ヘルパーなんて入れられませんよ。介護保険では出来ないこともあるんです」だそうだ。「いや、父には母の世話は出来ないと思いますけど」「認知症じゃないって言われたんだし、本人がやると言っているのだから、やればいいじゃないですか」って。
一方、母のケアマネさんは、母をショートステイに預けるように、しきりとアプローチしてくれる。母の世話するのが父には無理だということを理解してくれているのだ。父は頑として受け付けないが、本当に有り難い。
父のケアマネさんに「父に母を預けるのは無理だ」ということを理解してもらうには、どう話せばいいのだろう。
認知障害のある84歳の母を85歳の父と一緒に介護している。母は「ここがどこで、今がいつで、自分が誰で、自分が何をしているのか」がわからない。見当識が無いというのだそうだ。半年前に在宅介護を始めてから、毎日毎日「私、どうしちゃったの? どうなってるの? なんで誰もいないの?」と聞く。最初のうちは「病気なんだから」と辛抱強く答えていた父は、すっかりうんざりしてしまい、母がいつもの質問を始めると無視するようになった。私が代わりに答えると母は「なんでパパに聞いてるのに、あんたが答えるの?」と言うので「同じ質問を千回繰り返しているから、もう答えるのがめんどくさいんだよ」となだめている。
一昨日の夜、10時に就寝し、父は寝室に引き取り、私と母は病室としてしつらえた部屋で休んだ。11時ごろ、母がむくっと起き上がった。「何?」と聞いたら「パパに聞きたいことがある」とベッドから下りて、父の寝室のほうへ行こうとする。父は頻尿のせいで常に寝不足で、余計なことで起こしたら、さらに体調と機嫌が悪くなることが目に見えていたので力づくで阻止して、ベッドに押し戻した。すると母が「なんで、私がパパのところに行くのを邪魔するの? あんた、パパと出来てるでしょう」と言い出した。「私はパパは大嫌いだよ。でも、寝ているところを起こすのは可哀相だと思うから止めてる」と答えたら「あんたはパパが好きなのよ」と言い募る。その後も、1時間ごとに起き出しては、トイレに行くふりをして父のところに行こうとしたり、私を出し抜いて出て行こうとしたりする。朝4時、トイレに母を座らせていると「あんたは何をしているかわかっているの? 父親と関係を持つなんてしてはならないことよ」と言う。「やってない」と何度言っても聞かない。
ふと、思い出した。
母は私を叩いて育てた。躾なのだそうだ。言ってもわからないからぶつのだと言う。じゃあ、この状況ならぶてばいいんじゃないか? 母は私をぶてば言うことを聞くと思っていたのだから、私だって母をぶって言うことを聞かせればいいのじゃないか? 頬を張った。何度も何度も叩いた。母は「あんたは父親と出来てる」と言い続けた。叩いたって、言うことなんか聞かないじゃないか。
翌日、ずっと母は父と私に向かって「あんたたち、いつからそんな関係なの? 許されないことよ。情けない。信じられない」と言い続けた。ケアマネさんに相談したところ「そういうことはよくあることなんです。何日も続くようなら、どこか施設に短期で預けて、離れたほうが落ち着かれるかも知れません」とアドバイスしてくれた。
母は夜になっても、同じことを言い続けた。そして、一昨日の夜と同じように、夕べも同じことを言った。そして、私に向かって手を上げようとした。「ぶちなさい」と私は言った。「それで気が済むなら、何度叩いてもいい。でも、私とお父さんは何の関係もないと認めなさい」と、母はぶった。何度もぶって、私の頬は真っ赤になった。でも、ちっとも痛くなかった。母が私を叩くときに手加減したことなどない。今だって、もちろん、力一杯叩いているはずなのに痛くない。84歳の老婆に叩かれたって、ぜんぜん痛くない。最後には「関係はない」と認めさせた。
今朝になって、母の左あごに青痣が出来ているのを見つけた。昨日までは無かったものだ。私がぶったのとは違う場所だが、ほとんど24時間揉み合いをしていたのだから、いつかどこかでぶつけたのかも知れない。痛くないと言うので放置しておくことにした。
母は今朝、父の顔を見て「あなたとケンカした夢を見た」と言った。今回の騒ぎは、それで終わった。日常が戻ってきた。母はすっかりご機嫌だ。
今度、わけのわからないことを言い募ったら、母をぶつのではなくて、私をぶたせてやろう。私には母親はいない。私をストレス解消の道具にしてきた老婆がいるだけだ。やっと、母から解放されたような気がする。好きなだけぶっていい。私はもう母の言葉にも母の暴力にも傷つかない。私は母より強くなった。
201104072100追記。
思いがけない反響をいただいて、返信をしたら、ご期待を裏切るのでは?黙ってようか、とも思ったのですが、残念ながら文学として書いたのではなく、苦しい気持ちへの共感と、何らかのアドバイスを求めての投稿でしたので、追記の形でお礼を言わせていただくことにしました。
「飯つくれと父が言う」
http://anond.hatelabo.jp/20100603223423
「飯つくれと父が言う2」
http://anond.hatelabo.jp/20100710104654
http://anond.hatelabo.jp/20110111155004
ここまでの経緯を簡単に言うと、私は母を老人ホームに入れたかったのに、認知症を患っている父に強く反対され、叔母が協力してくれると言うので在宅介護を始めたら、叔母がのっぴきならない用事で来られなくなり、母をデイサービスに週3日行かせることになったのです。
主たる介護者は「父」で、私は補助に過ぎないのですが、23年前に両親の介護をするという条件で土地をもらって家を建てた(そこには75歳の夫の姉がいて、家が無くなったら行くところがありません)ので、介護から降りるという選択肢はありません。問題は、そのときはうちの両親と仲の良い夫がいたのですが、3年前に60歳で亡くなってしまい、私1人で抱え込む羽目になってしまいました。
誰が悪いわけでもありません。人が亡くなる順番は年齢通りでは無いというだけです。
母を施設に入れることを、父が承諾してくれさえすれば、今の状態から抜け出せるのですが難しそうです。でも、増田で相談したおかげで、少しずつ「介護を抱え込まない」方向に進めています。今回もすぐ(ケアマネさんに相談だ)と思えましたし、ケアマネさんがすぐに理解を示してくれたことで、とても救われました。
みなさんへの返事の中で言ったことも実行出来ていないことが多い(特に母を家に戻したのは痛恨です)のですが、少しずつみんなが楽しく暮らせる方向に進めていこうと思います。